IDESコラムvol.81「脳神経外科医からの路線変更 - ボーダーレスな歩き方」
2024年10月25日
IDES養成プログラム10期生:川並麗奈
IDES養成プログラムの10期生として、2024年4月から研修を始めました川並麗奈(かわなみ れいな)です。
後先を考えず、興味のわいたことに飛び込む性質ゆえ、計画性がないと常日頃から酷評をくらうのは幼少期から変化なく、こんな自分がコラムを書くのも烏滸がましいと執筆を断るつもりでした。しかしながら、これも大事な仕事のひとつであり(≒拒否権なし)、ひょっとしたら私のように絶滅危惧種的なバックグラウンドで路頭に迷っている方もいるのではないかとも思い、今回は何故/どのように私がこの研修プログラムを志したか、このコラムを執筆している現在(10月時点)までのIDES研修の経験などを語れる範囲内で書こうと思います。
パブリックヘルス?グローバルヘルス?
私は2011年に新潟大学を卒業しました。日本海に面し、市内に信濃川が流れ、酒と海の幸と温泉に恵まれた新潟は大好きな第二の故郷ですが、10月から4月まで曇天、冬には凄まじい暴風雪が吹き荒れる環境に適応できず、卒後は迷わず出身の関東に戻ることにしました。学生時代から外科系に行くことを決めており、臨床研修2年後は、一番楽しいと感じた脳神経外科を専攻することとし、都内の大学医局に入局させていただきました。周囲に危ぶまれつつも、卒後7年目には順調に専門医を取得、あとは、スキルアップに邁進するのみ、とその時は考えていました。しかしながら、脳神経外科医として臨床に従事するなかで、普段手術している症例のなかにかなりの割合で予防できる疾患が含まれていると自覚するようになりました。原因が明らかでなく発症する病気も勿論ありますが、常日頃、一般病院で脳外科医として介入するのは、未然に防げた可能性もあったが、すでに起こってしまった”結果”であることが圧倒的に多く、それらには脳卒中や頭部外傷などが含まれます。そして、次第に病気(+外傷)を予防することや、医療と社会全体の関わりや仕組みについて関心がシフトしていったように思います。また、かねてより旅は、私にとって生存に関わる必須栄養素であり(このコラムも金沢に向かう新幹線のなかで執筆しています)、リフレッシュ休暇を利用しては、かつて留学していたイタリアのサルディーニャを訪ねたり、カレー屋で親交を深めたネパール人の友人の実家を訪ねたり、ミャンマーの短期医療ボランティアに参加したりなどしていました。様々な文化や価値観に触れ、それが自分の中に蓄積されるにつれ、臨床という垣根を超えた地球規模で健康に関わることができる仕事はないかと、無謀ながら真剣に考えるようになりました。しかし、厚労省や、国際機関といったところで働く医師がいることは意識したことがなく、医師になった以上は臨床を続けるしかないと思っていました。
予定調和からの脱輪 - イギリス留学へ
COVID-19により私たちの生活が一変したことは記憶に新しく、目に見えないウイルスとの種の生存をかけた戦いは、当たり前とはなんだろうと個々人が自問するきっかけにもなったと思います。病院で働く医療者として、万が一自分が感染してはならない、そして感染のリスクを最小限に抑えなければいけない義務から、厳しい行動制限が課され、病院と、徒歩2分のアパートを往復するだけの毎日の中、次第に精神は擦り減っていきました。しかし、当時行われていた感染対策や危機管理に関連して、“パブリックヘルス”という分野に強く心惹かれるようにもなっていきました。臨床の合間を縫ってはその分野に関連した仕事にどんなものがあるかを調べ、そうこうしているうちに一度挑戦してみようではないか、という決心がつきました。道筋が定まっていない状況で2021年3月に臨床を離れ、なにか勉強をしたほうがいいだろうという思いつきから、その分野で名の知れているイギリスの大学院 London School of Hygiene and Tropical Medicine(略称:LSHTM)のMSc. Public Healthの受験を決めました。時間がなく3週間で書類を準備する羽目になりつつも、運よくイギリス留学にこぎつけました。そんなこんなで、公衆衛生の修士号を取得したものの、世の中そう甘くないことをすぐに思い知ります。世界には物凄く優秀な人達がおり、たかが海外で学位をとったくらいで簡単に仕事を得られるわけがないのです。それに、ヨーロッパなど陸続きの環境では3-4か国語以上話せるのは割と普通のことで、グローバルな経験値を持っている人材は星の数ほどいる。自分にはとても太刀打ちできないと悟りました。そして修士後は〝gap year”を謳歌することとなりました・・。この時期はパブリックヘルス関連の仕事にアプライするも全敗。しかし旅を続けながら、元アフガニスタン難民の友人と知り合い貴重な話を聞いたり、物価の安いイタリアに住んでイタリア語を学んだりしながら自分の世界を広げることに注力しました。そして、再度LSHTMに戻り、3か月の熱帯医学のディプローマコース(Diploma in Tropical Medicine and Hygiene)に通い熱帯病の基礎を学びました。
丁度この頃IDESプログラムの存在を知り、公衆衛生の実務経験が無い自分にとって、この業界に足を踏み入れる良い機会になるだろうと応募するに至りました。
IDESプログラムでの半年
ディプローマコースで熱帯病を学び、ロンドンのNGO(Ashanti development)経由でガーナ共和国の病院で臨床ボランティアをさせていただいた後、帰国し4月よりIDES研修を開始しました。まず国立感染症研究所(略称:感染研)のFETP(Field Epidemiology Training Program;実地疫学専門家養成コース)の初期導入コースで疫学の基礎、サーベイランスの手法などを座学や机上演習を通して学ぶところから始まり、その後は厚生労働省・感染症対策課にて7月末まで研修させていただきました。そこでは主に感染症危機管理に関わる人材育成(とくに来年度より発足するJIHS:Japan Institute for Health Security関連)の業務や、性感染症に関する予防指針の改正に関わる業務に携わらせていただきました。行政は用語が難解で、苦労しますが、ここから生み出される文書が今後の臨床や社会全体のアウトカムに影響を与えていくと考えると非常に責任のある仕事です。8-9月の2か月間は国立国際医療研究センターの国際感染症センターにて臨床の研修をさせていただきました。当病院は日本のグローバルヘルスを牽引しているだけあって、日本では珍しい熱帯病を目にする機会が多く、刺激的な毎日であり、またエボラなど一類感染症が疑われる患者への対応はどのように行うかなど、実際の経験に基づいたレクチャーをしていただきました。そして今、感染研のEOC(Emergency Operations Center)にて感染症危機管理、リスク評価について研修させていただいています。
今後は空港や港での検疫業務も経験することとなりますが、このように様々な感染症危機管理に関わる業務をon the job trainingできます。IDES研修の主たる目的はその仕事ができるようになるということと同時に、全体像を知ることと、ネットワーキングかと思います。現に私も、コロナ禍でパブリックヘルス関連の調べものをしていたときに名前を目にした各分野のトップレベルの方々に、半年の短い間で何人もお会いすることとなりました。こうした機会はなかなかありません。そして二年目には海外で研修をすることとなりますが、こちらもこの研修の大きな目玉です。
今回は、感染症や公衆衛生のバックグラウンドのなかった臨床医がなぜパブリックヘルスやグローバルヘルスに関心を抱き、IDESプログラムに応募することになったか、その研修は実際どのような感じであるかを紹介させていただきました。読んでいただき、有難うございました。
参考文献
1.感染症危機管理専門家(IDES)養成プログラム
2.London School of Hygiene and Tropical Medicine,MSc. Public Health
3.London School of Hygiene and Tropical Medicine,Diploma in Tropical Medicine and Hygiene
4.Ashanti development
5.実地疫学専門家養成コース(Field Epidemiology Training Program)
6.国立国際医療研究センター 国際感染症センター
7.国立感染症研究所 EOC
8.JIHS(国立健康危機管理研究機構)
後先を考えず、興味のわいたことに飛び込む性質ゆえ、計画性がないと常日頃から酷評をくらうのは幼少期から変化なく、こんな自分がコラムを書くのも烏滸がましいと執筆を断るつもりでした。しかしながら、これも大事な仕事のひとつであり(≒拒否権なし)、ひょっとしたら私のように絶滅危惧種的なバックグラウンドで路頭に迷っている方もいるのではないかとも思い、今回は何故/どのように私がこの研修プログラムを志したか、このコラムを執筆している現在(10月時点)までのIDES研修の経験などを語れる範囲内で書こうと思います。
パブリックヘルス?グローバルヘルス?
私は2011年に新潟大学を卒業しました。日本海に面し、市内に信濃川が流れ、酒と海の幸と温泉に恵まれた新潟は大好きな第二の故郷ですが、10月から4月まで曇天、冬には凄まじい暴風雪が吹き荒れる環境に適応できず、卒後は迷わず出身の関東に戻ることにしました。学生時代から外科系に行くことを決めており、臨床研修2年後は、一番楽しいと感じた脳神経外科を専攻することとし、都内の大学医局に入局させていただきました。周囲に危ぶまれつつも、卒後7年目には順調に専門医を取得、あとは、スキルアップに邁進するのみ、とその時は考えていました。しかしながら、脳神経外科医として臨床に従事するなかで、普段手術している症例のなかにかなりの割合で予防できる疾患が含まれていると自覚するようになりました。原因が明らかでなく発症する病気も勿論ありますが、常日頃、一般病院で脳外科医として介入するのは、未然に防げた可能性もあったが、すでに起こってしまった”結果”であることが圧倒的に多く、それらには脳卒中や頭部外傷などが含まれます。そして、次第に病気(+外傷)を予防することや、医療と社会全体の関わりや仕組みについて関心がシフトしていったように思います。また、かねてより旅は、私にとって生存に関わる必須栄養素であり(このコラムも金沢に向かう新幹線のなかで執筆しています)、リフレッシュ休暇を利用しては、かつて留学していたイタリアのサルディーニャを訪ねたり、カレー屋で親交を深めたネパール人の友人の実家を訪ねたり、ミャンマーの短期医療ボランティアに参加したりなどしていました。様々な文化や価値観に触れ、それが自分の中に蓄積されるにつれ、臨床という垣根を超えた地球規模で健康に関わることができる仕事はないかと、無謀ながら真剣に考えるようになりました。しかし、厚労省や、国際機関といったところで働く医師がいることは意識したことがなく、医師になった以上は臨床を続けるしかないと思っていました。
予定調和からの脱輪 - イギリス留学へ
COVID-19により私たちの生活が一変したことは記憶に新しく、目に見えないウイルスとの種の生存をかけた戦いは、当たり前とはなんだろうと個々人が自問するきっかけにもなったと思います。病院で働く医療者として、万が一自分が感染してはならない、そして感染のリスクを最小限に抑えなければいけない義務から、厳しい行動制限が課され、病院と、徒歩2分のアパートを往復するだけの毎日の中、次第に精神は擦り減っていきました。しかし、当時行われていた感染対策や危機管理に関連して、“パブリックヘルス”という分野に強く心惹かれるようにもなっていきました。臨床の合間を縫ってはその分野に関連した仕事にどんなものがあるかを調べ、そうこうしているうちに一度挑戦してみようではないか、という決心がつきました。道筋が定まっていない状況で2021年3月に臨床を離れ、なにか勉強をしたほうがいいだろうという思いつきから、その分野で名の知れているイギリスの大学院 London School of Hygiene and Tropical Medicine(略称:LSHTM)のMSc. Public Healthの受験を決めました。時間がなく3週間で書類を準備する羽目になりつつも、運よくイギリス留学にこぎつけました。そんなこんなで、公衆衛生の修士号を取得したものの、世の中そう甘くないことをすぐに思い知ります。世界には物凄く優秀な人達がおり、たかが海外で学位をとったくらいで簡単に仕事を得られるわけがないのです。それに、ヨーロッパなど陸続きの環境では3-4か国語以上話せるのは割と普通のことで、グローバルな経験値を持っている人材は星の数ほどいる。自分にはとても太刀打ちできないと悟りました。そして修士後は〝gap year”を謳歌することとなりました・・。この時期はパブリックヘルス関連の仕事にアプライするも全敗。しかし旅を続けながら、元アフガニスタン難民の友人と知り合い貴重な話を聞いたり、物価の安いイタリアに住んでイタリア語を学んだりしながら自分の世界を広げることに注力しました。そして、再度LSHTMに戻り、3か月の熱帯医学のディプローマコース(Diploma in Tropical Medicine and Hygiene)に通い熱帯病の基礎を学びました。
丁度この頃IDESプログラムの存在を知り、公衆衛生の実務経験が無い自分にとって、この業界に足を踏み入れる良い機会になるだろうと応募するに至りました。
IDESプログラムでの半年
ディプローマコースで熱帯病を学び、ロンドンのNGO(Ashanti development)経由でガーナ共和国の病院で臨床ボランティアをさせていただいた後、帰国し4月よりIDES研修を開始しました。まず国立感染症研究所(略称:感染研)のFETP(Field Epidemiology Training Program;実地疫学専門家養成コース)の初期導入コースで疫学の基礎、サーベイランスの手法などを座学や机上演習を通して学ぶところから始まり、その後は厚生労働省・感染症対策課にて7月末まで研修させていただきました。そこでは主に感染症危機管理に関わる人材育成(とくに来年度より発足するJIHS:Japan Institute for Health Security関連)の業務や、性感染症に関する予防指針の改正に関わる業務に携わらせていただきました。行政は用語が難解で、苦労しますが、ここから生み出される文書が今後の臨床や社会全体のアウトカムに影響を与えていくと考えると非常に責任のある仕事です。8-9月の2か月間は国立国際医療研究センターの国際感染症センターにて臨床の研修をさせていただきました。当病院は日本のグローバルヘルスを牽引しているだけあって、日本では珍しい熱帯病を目にする機会が多く、刺激的な毎日であり、またエボラなど一類感染症が疑われる患者への対応はどのように行うかなど、実際の経験に基づいたレクチャーをしていただきました。そして今、感染研のEOC(Emergency Operations Center)にて感染症危機管理、リスク評価について研修させていただいています。
今後は空港や港での検疫業務も経験することとなりますが、このように様々な感染症危機管理に関わる業務をon the job trainingできます。IDES研修の主たる目的はその仕事ができるようになるということと同時に、全体像を知ることと、ネットワーキングかと思います。現に私も、コロナ禍でパブリックヘルス関連の調べものをしていたときに名前を目にした各分野のトップレベルの方々に、半年の短い間で何人もお会いすることとなりました。こうした機会はなかなかありません。そして二年目には海外で研修をすることとなりますが、こちらもこの研修の大きな目玉です。
今回は、感染症や公衆衛生のバックグラウンドのなかった臨床医がなぜパブリックヘルスやグローバルヘルスに関心を抱き、IDESプログラムに応募することになったか、その研修は実際どのような感じであるかを紹介させていただきました。読んでいただき、有難うございました。
参考文献
1.感染症危機管理専門家(IDES)養成プログラム
2.London School of Hygiene and Tropical Medicine,MSc. Public Health
3.London School of Hygiene and Tropical Medicine,Diploma in Tropical Medicine and Hygiene
4.Ashanti development
5.実地疫学専門家養成コース(Field Epidemiology Training Program)
6.国立国際医療研究センター 国際感染症センター
7.国立感染症研究所 EOC
8.JIHS(国立健康危機管理研究機構)
- 当コラムの見解は執筆者の個人的な意見であり、厚生労働省の見解を示すものではありません。
- IDES(Infectious Disease Emergency Specialist)は、厚生労働省で平成27年度からはじまったプログラムの中で養成される「感染症危機管理専門家」のことをいいます。