IDESコラム vol. 63「伝説のチャンピオンズ」

感染症エクスプレス@厚労省 2022年2月18日

IDES養成プログラム5期生:吉見 逸郎

 ロンドンからお伝えします。現在英国のUK Health Security Agency(UKHSA)に派遣中ですが、この機関は2021年にPublic Health England(PHE)から組織改編されています:PHEに加え、今回のパンデミック対応にあたり急遽立ち上げられた情報分析部門と、地域の検査・調査を担う部門とが統廃合された公衆衛生機関です。一説によると健康の安全保障(Health Security)という看板はジョンソン首相(原稿執筆当時)の肝いりとのことです。私が配属されているのは国際協力部門ですが、英国内のパンデミック対応状況などについて公表資料をもとに把握することが多く、今回はそこから垣間見えた英国の様子を紹介したいと思います。
 
 英国は世界ではじめて国民への新型コロナウイルスワクチンの接種の展開を開始し、実際ワクチンの開発や確保から展開までいろんな点で本当に目を見張るものがたくさんありました。そのうち展開の話題の中に、人種等社会背景から接種に取り残されるグループや地域に対し、”community champions”を通じて展開という施策があり、最近もその活動支援の助成が追加されていました。「地域のチャンピオン」?地元で負け知らずということでしょうか。調べてみると、地域で熱心に接種を広めていく人たちとのことでした。人種や宗教的背景などから地域で信頼があるような方々や、高齢者や子どもたちの問題に取り組み地域と強くつながっているチャリティなど、国や自治体からのメッセージ「だけ」では行き届かない方々を確実に巻き込んでいくための方法のひとつでした。そういえば日本の地域保健にも、母子保健や食生活・栄養など、〇〇推進員という啓発や展開を担う重要なしくみがありますが、そのイメージと近いのかもしれません。

 チャンピオン、というと昭和歌謡にも洋楽ロックにも想い出される名曲がありますが、私はてっきり優勝したり1番だったりした人のことだと思っていました。”We are the champions“、「我々は世界のチャンピオン」なんて尊大この上ない歌詞と感じても不思議ではありません。でも「熱心な推進者」の意味からすると、トップに君臨ではなく、世界を必死に推し進めている、最前線で支えている感じです(そういえばもともとそんな歌だった気もします)。2020年には”You are the champions”というNHSの最前線スタッフを称える替え歌も話題になりましたが、英国の接種の展開はその国民保健サービス(National Health Service、NHS)のしくみにより実施されています。スポーツ選手やエルトン・ジョン卿など有名人が接種を呼び掛ける宣伝もたくさんありますが、各地の接種会場を支えるさまざまな人々が描かれる感動的なショートクリップがありました。接種の展開にはNHSスタッフや関係者だけでなく多くのボランティアによって支えられている様子がよくわかります。近所の薬局には臨時接種所がありますが、日替わりのようにボランティアの方々がたくさん関わっておられます。全英津々浦々の現場に関わっているみなさんがchampionsなんだとひしひしと感じました。
 
 話はがらりと変わりますが、2021年はフレディ・マーキュリーが亡くなって30年にあたり、英国の公共放送BBCで「Freddie Mercury: The Final Act」というドキュメンタリー番組が11月末にありました。全盛期といわれる1986年のツアーから晩年にかけて、ブライアン・メイやジョン・テイラー、実妹のカシミラさんや、HIV/AIDSの専門医や当事者の方々など多くの方のインタビュー、当時の報道など実際の映像資料も散りばめて、まだ治療も無く、強い偏見や差別にさらされたその時代が浮かび上がっていました。番組の中で人権活動家のピーター・タッチェルは、同性愛に関する社会の受容性が1980年初頭にかけて高まりつつあったところにAIDSのパンデミックが来て、逆風と波乱の時期になったと振り返り、その1980年代を”culture war”と評しています。カルチャー・クラブのボーイ・ジョージが「有害でないことへは寛容であってほしい」とインタビューに答えている場面にはじまり、モラルの価値を教えられるべき子どもたちが同性愛者である権利を教えられているとの懸念に言及した当時のサッチャー首相の保守党大会での演説、初等教育の実施を管轄する地方自治体が、多様な家族のあり方などを含め同性愛を推奨することを禁止する法改正(1988年地方自治法28条:現在は廃止)やこれに対抗するアドボカシーが放送局へ突入した事件、などなど、”moral panic”と評されていた1980年代前半当時の英国社会の激しい様子が、当時の大ヒット曲、ジョージ・マイケルの”Faith”にのせて軽快に散りばめられていました。番組は後半、フレディの死後、社会の無理解を打ち破るべくジョン・テイラーとブライアン・メイを中心に立ち上がったトリビュート・コンサートの様子を描いています。参加した様々なアーティストや聴衆、当事者の方たちの回想、伝説的なジョージ・マイケルの熱唱とその背後の孤独、”We are the champions“を出演者が合唱した最後に夜空のフレディに向かって呼びかけるライザ・ミネリの叫び。さまざまな想いが合流しHIV/AIDSへの意識を変えた転換点ともいえるようなインパクトをもったことが浮かび上がっていました。

 個人的には昔、1980年代のミュージック・ビデオを含めた洋楽の自由さに驚くこともままありましたが、英国をはじめ欧米社会ははじめから多様で受容的だったわけではなく、むしろ逆に、古くからの宗教的な認識、価値観を基盤とする保守的で非寛容な面も強くあったところに、多くの人々のさまざまな闘いのうえで勝ち取られてきている多様性だったのだ、そしてそれはまだ続いている・・・と現在につながりました。パンデミックの中で、また別のパンデミック、HIV/AIDSの流行とそれに関連する社会へのインパクトについて、当時の社会の実際の様子を含めて知ることができたことは、個人的には非常に大きな学びのひとつとなりました。
 
 昨年夏の東京五輪で話題となった「編み物王子」ことトム・デイリー選手は、英国の新年の叙勲でOBEという称号を授与されましたが、金メダルの活躍もさることながら、LGBTの権利への寄与があるとのことです。東京五輪は8時間(夏時間以外は9時間)の時差にも関わらず英国でも大きく注目されていましたが(英国チームの活躍もありましたが)、7月はじめまでの欧州サッカー大会の混沌と比べまるで別世界の話のように感嘆を持って受け止められていたかもしれません。日本と英国は、保健医療制度だけでなくチャリティやボランティアなど、もともとの社会の土壌というべき環境の違いもありますが(スポーツについては英国の人々は熱狂的な感じがしますが)、パンデミック下の五輪など含め、日本でもまた多くのchampionsによって支えられていた様子を感じることができました。
社会や文化は時代とともに変わり、感染症の流行も時として大きく社会を変えてきたことを私たちは知っていますし、現在もまだそのただ中にいます。日本と英国それぞれの強さも弱さも含めてさまざまな社会の様子に触れる機会を得て、特に保健医療福祉の体制については日本、英国、相違点も類似点も含めて捉えることができたと感じています。どう活かせるものかはまだわかりませんがさておき、BBCで放映された東京五輪の開会式、聖火リレーの場面で流れていた「手を取り合って」(ブライアン・メイ作詞作曲)にあったように、“Let us never lose the lessons we have learned.”とできたらよいなと思います。
 
 
【参考】
エルトン・ジョン卿とマイケル・ケイン卿による接種のすすめ(英語)
Sir Elton John and Sir Michael Caine encourage people to get vaccinated against coronavirus.
https://www.youtube.com/watch?v=8kHYUq0_0YQ
 
NHSの接種の展開の様子(英語)
Capturing the COVID-19 vaccination rollout | NHS
https://www.youtube.com/watch?v=tdxKCC6AyPY
 
NHSの接種の宣伝(英語)
Every Vaccine Gives Us Hope | NHS
https://www.youtube.com/watch?v=gTqh8K2Ux4c
 
フレディ・マーキュリー没後30年にあわせて新たなドキュメンタリー映画がBBCで放送決定
https://www.udiscovermusic.jp/news/bbc-two-freddie-mercury-final-act
 
イギリスの感染対策の「顔」がサーやデイムに 新年の叙勲
※トム・デイリー選手も登場しています。
https://www.bbc.com/japanese/59844750


 (編集:松下 愛美)
  • 当コラムの見解は執筆者の個人的な意見であり、厚生労働省の見解を示すものではありません。
  • IDES(Infectious Disease Emergency Specialist)は、厚生労働省で平成27年度からはじまったプログラムの中で養成される「感染症危機管理専門家」のことをいいます。

感染症危機管理専門家(IDES)養成プログラム

「感染症危機管理専門家(IDES)養成プログラム」採用案内

本コラムの感想、ご質問、ご要望など
⇒「メルマガの内容に関するご意見」をクリックするとメール作成画面が立ち上がります。

コラム バックナンバー