IDESコラム vol. 62「新型コロナウイルス感染症との戦い~有効な治療薬を届ける~」

感染症エクスプレス@厚労省 2022年1月21日

IDES養成プログラム6期生:内木場 紗奈

 はじめまして!感染症危機管理専門家(IDES)養成プログラム6期生の内木場紗奈(うちこば さな)と申します。初期研修ののち、3年間の総合内科後期研修と1年間の米海軍病院でのフェローシップを経て、私がIDESに入職したのは約2年前の2020年4月… 奇しくも、この2年間世界を席巻してきた新型コロナウイルス感染症(COVID-19)パンデミックの初期の拡大期でした。ゆくゆくは感染症内科の臨床に進むことを決めてはいましたが、その前に一度行政の現場を見てみたかったのと、おまけに夢だった国際機関での勤務も経験できるなんてなんてお得なプログラム、と思ってIDESへの応募を決めた2019年の夏。当時は当然のことながら、このような病原体の出現など夢想だにせず… 諸先輩方が執筆されたこのコラムを眺めながら「感染症x行政x国際保健のコラボを経験できるなんて楽しみ♪」とまだ見ぬ世界に思いを馳せていたのが、本当に遠い遠い昔のようです。

 新しいウイルスの出現により、我々の日常は激変しました。人と対面で(時には食べながら)話すというコミュニケーションの基本が大きく変わり、国境を超えた移動も制限され、多くの産業が影響を受けました。行政府が法による権限を行使して感染症対策を行うということは、多くの人の生命と健康を守ると同時に、時には私権を制限するということなのだと日々身を以て実感します。そこには正解はなく、限られたエビデンスを基に何らかの答えを出し続けなければなりません。新たな変異株の出現もあり状況は予断を許しませんが、それでもCOVID−19に有効なワクチンや治療薬の開発が進み、去年とは違う世界が見えつつあります。

 「銃・病原菌・鉄」で有名なジャレド・ダイアモンド氏の最近の著書で、「危機と人類」という作品があります。彼はこの著作の中で、個人的危機も国家的危機も「維持した方が良い部分と、変えなければならない部分のモザイク」なのだと語っています。全てを変える必要はないが、変革しなければならないところを見極めて「囲いを作り」、古い自己と新しい自己のモザイクとなることで危機を克服できるのだそうです。コロナ禍からの脱却もそれに似ています。完全に元通りの世界には戻らないでしょうが、この病原体と上手く付き合い、平時に戻る道を模索していかなければなりません。一時的に中断せざるを得なかったこのコラムも、連載が再開されたことを嬉しく思います。IDESプログラムをより多くの方に知っていただくと同時に、行政の現場からどのように感染症危機に対応しているのか、当コラムを通じてごく僅かでも感じ取っていただけるならば幸いです。
 
 前置きが長くなりました。我々IDES6期生は入職以降(外部ローテートの期間を除き)、厚生労働省内の臨時組織である新型コロナウイルス対策推進本部に所属し、新型コロナウイルス感染症の検査・診断・管理・治療に関わるエビデンスの収集やそれを政策に落とし込む様々な作業に携わってきました。私が経験させていただいただけでも、抗体保有率調査の実施、PCRや抗体検査の精度管理、国内ゲノムサーベイランス体制の構築、「COVID-19 診療の手引き」の編集事務局業務、治療薬の実用化支援や供給体制の確保など、業務内容は多岐に渡ります。

 中でも現在、私のチームが主に取り組んでいるのは、新型コロナウイルス感染症の治療薬の研究開発支援と、実用化された治療薬の確保、そしてその実効的な配分です。感染症を含む公衆衛生上の危機管理というと、症例の探知(detection)や対応(rapid response)などの最前線のイメージがあるかと思いますが、実は研究開発(R&D)や資源配分(resource distribution)も、危機管理の大きな柱なのです。未知の感染症と戦うにあたって、有効なワクチン接種と診断手段、治療薬は3つの大きな武器となりますが、開発には相当な時間、資金、労力がかかります。様々な製薬会社がしのぎを削って新薬の開発と実用化を進める間に、徹底した検査・隔離などのnon-pharmaceutical intervention(非医薬品的介入)でなるべく被害を最小限に防ぐというのが戦い方のセオリーです。そして満を持して治療薬が登場したときには、安定供給が大きな課題になります。薬事承認され有効性・安全性が確認された新薬も、最初から世界全体に行き渡る量が生産できるとは限りませんので、その確保は国家的な関心事項です。
 
 また、運営に携わった「治療薬実用化のための支援事業」では、補助金による支援対象として選ばれたいくつかの薬剤が、この1年間で国内における薬事承認を取得し、実際に国民のもとに届けられるまでの一連の流れを見守ることができました。特に「カシリビマブ/イムデビマブ(商品名:ロナプリーブ)」、「ソトロビマブ(商品名:ゼビュディ)」などの中和抗体薬は、この事業で開発支援をさせていただき、まさに現在医療現場で患者さんに使われている、思い入れのあるお薬です。もちろん、開発が行われながらも残念ながら開発中断に至った薬剤もあります。製薬会社のスタッフさんたちの開発にかける想いを想像すると、中断せざるを得ないのは苦しいことであり、サイエンスの厳しさを感じます。成果が出るような優れた治験デザインを組むことも重要ですが、開発が成功するためにはタイミングや運の要素も大きいとつくづく思いました。
 
 最後に、開発を経てこの世に送り出され、国内で確保された限られた資源を最終的にどう効率的に配分するかは、まさに行政の手腕にかかっているといえます。普段、風邪をひいた時のことを想像してみてください。処方さえしてもらえば日用品のように当たり前に手に入る漢方薬や解熱剤を、「限られた貴重な資源」なんだ、と思って飲む方は少ないでしょう。通常、お薬は薬価(値段)がつきますので、市場原理に則って流通し安定的に入手することができます。

 しかし現状では、新たなCOVID-19治療薬は、「国が買い上げて無償で配布・譲渡する」という異例な形で現場に提供されているのです。出し惜しみしているわけではありませんが、潤沢に出回るほどの量がなく、国民の税金で提供している貴重なお薬なので、本当に必要としている患者さんのもとに届くことが重要です。

 昨年末、クリスマスイブに特例承認され注目を浴びている、国内初の「飲める」抗ウイルス薬「モルヌピラビル(商品名:ラゲブリオ)」を医療現場にお届けするための仕組みづくりも、実は私たちIDESがお手伝いしています。お薬を必要としている全国の医療機関や薬局に速やかな分配を行うため、製薬会社や自治体の担当者の皆様と、日々遅くまで打ち合わせを重ねながらより良い方法を模索しています。
 
 新型コロナウイルス感染症との戦いも、色々な武器が利用できるような世界に突入してきました。つい先日、1月14日に「ニルマトレルビル」の国内薬事承認申請がなされるなど、特に飲み薬が注目を浴びています。パンデミックの一刻も早い終息を祈って、次回のコラムwriterであるIDES5期の吉見さんにバトンを繋ぎたいと思います。
 
【参考資料】
・厚生労働省ホームページ
承認済の新型コロナウイルス治療薬及び現在開発中の主な新型コロナウイルス治療薬(令和3年12月24日現在)
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000878164.pdf
 
・厚生労働省ホームページ
新型コロナウイルス感染症治療薬の実用化のための支援事業の採択結果について(一次募集結果)(令和3年4月30日)
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000878401.pdf
新型コロナウイルス感染症治療薬の実用化のための支援事業の採択結果について(二次募集結果)(令和3年9月7日)
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000878403.pdf
 
・令和3年7月20日事務連絡(令和3年12月28日最終改正)
新型コロナウイルス感染症における中和抗体薬の医療機関への配分について
https://www.mhlw.go.jp/content/000875185.pdf
 
・令和3年12月24日事務連絡(令和3年12月28日最終改正)
新型コロナウイルス感染症における経口抗ウイルス薬の医療機関及び薬局への配分について
https://www.mhlw.go.jp/content/000875186.pdf
 
・「危機と人類」ジャレド・ダイアモンド著、小川敏子・川上純子訳、日本経済新聞出版社、2019年



(編集:松下 愛美)

 


 
  • 当コラムの見解は執筆者の個人的な意見であり、厚生労働省の見解を示すものではありません。
  • IDES(Infectious Disease Emergency Specialist)は、厚生労働省で平成27年度からはじまったプログラムの中で養成される「感染症危機管理専門家」のことをいいます。

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