IDESコラム vol. 55「歴史から学ぶヒトの移動に伴う感染症の移動」

感染症エクスプレス@厚労省 2019年11月8日

IDES養成プログラム5期生:水島 遼

 IDES5期生の水島です。7、8月は国立感染症研究所でラグビーワールドカップ2019日本大会(Rugby World Cup、以降RWC)における感染症サーベイランスを担当し、RWC開催において流入する可能性のある感染症について、参加国別のリストの作成に関わりました。RWCに関連して診療・感染管理に係わる方々においては、感染症を疑う患者を扱う際に、診断や対策を考える上で以下のサイトを参考にしていただければ幸いです(https://www.niid.go.jp/niid/ja/from-idsc/493-guidelines/9143-rwc-191002.html)。
 さて、今大会では40万人の外国人を含む200万人の観客が来場することが想定されていました。このような多くの人間が集まる、いわゆるマスギャザリングでは、過去には、スポーツ・音楽など様々なイベントにおいて、麻しん・風しん・細菌性及びウイルス性胃腸炎・インフルエンザ・侵襲性髄膜炎菌感染症など、様々な感染症の流行が見られています。身近な例では2018年の冬期平昌オリンピックにおいて、選手間も含めたノロウイルスの流行がありました。
 今回のコラムでは、前回のコラム同様、私の好きな歴史にからめて、人の移動に伴う感染症の流入について書きたいと思います。いかに人の動きが感染症流入を引き起こすか、そして国際イベントにおける感染症管理の重要さを過去の事例を示すことで、少しでもご理解いただければという気持ちで書いております。
 まず、年代の古い順に始めますと、ローマ帝国においては、五賢帝時代の西暦165年にシリア遠征から帰還した兵士を通した天然痘の流行が、帝国の全人口の1/4を殺し、五賢帝時代の終焉に影響しました。また、同帝国では、アフリカや中近東などの属州から連れてこられた奴隷からマラリアが流入しました。同帝国末期には、国の衰退から河川の改修工事が滞り、増加した沼地から広まったマラリアが、帝国の滅亡を早めたといわれています。
 また、日本でも大陸との交易が盛んになるにつれ疫病が流入しています。弥生時代には、大陸との交易に伴い、結核が初上陸したことが推測され、また遣唐使の時代には当時中国各地で流行していた天然痘の流入が、朝廷の支配者であった藤原四家の当主を次々に死亡させ政治的な大混乱を起こしました。
 さらに、14世紀ヨーロッパのペストの大流行はモンゴル帝国の西進が契機とされます。ヨーロッパでは、ペストは767年を最後に流行が記録されておらず、当時は土着感染症ではありませんでした。しかし、雲南起源とされるペストが、モンゴル帝国拡張に伴い整備されたシルクロードを経由し流入したため、当時のヨーロッパの人口の1/3にあたる3500万人が死亡しました。
 また、大航海時代以降の大陸間の交流では、より極端な形で感染症の移動が起こりました。当時、アメリカ大陸には群居性の動物が少なく(七面鳥、ラマ/アルパカ、テンジクネズミ、バリケン(ノバリケン)、犬の5種類しかいなかったようです)、感染症が発達する下地が乏しかったため、現地の人はユーラシア大陸の人間に比べ、感染症に触れる機会が極端に少ない環境にありました。そのため、彼らはユーラシア大陸産の天然痘、麻しんなど病原性の強い感染症に対する免疫をほとんど持ち合わせておらず、ヨーロッパから入植者が上陸して以降、多くの人間が感染し死亡しました。
 例えば、メキシコではコロンブスのアメリカ大陸発見以前3000万人弱だった人口が、16世紀中頃には300万人、17世紀初頭には160万人に減少しています。また、イスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国)では1492年800万人だった先住民が、1535年には全滅と記録されています。少し時代の下った1699年の記録ですが、あるドイツ人宣教師は、「インディオはあまりにも簡単に死んでしまうので、スペイン人の姿を見、その匂いを嗅いだだけで息絶えてしまうほどである」と記しています。非常に印象に残る言葉です。
 さらには、この人口減少により現地の労働力は低下し、これが黒人奴隷の導入、そしてアフリカからマラリアと黄熱病の流入とつながっていきます。またオーストラリア大陸でも、同様に入植者が持ち込んだ疫病によって多くのアボリジニが犠牲になっています。
 一方で、少ないながらも他大陸からユーラシア大陸への感染症の流入もありました。その代表がアメリカ大陸から流入した梅毒です。こちらは、イタリア戦争下の1494年に、ナポリ遠征中の仏王シャルル8世の軍隊内で初めて流行しました。慢性経過が主体の現在の梅毒と異なり、当時は症状が急激で激烈なものが主体でした。この梅毒の流行により、最終的にシャルル8世は遠征の継続をあきらめフランスに帰国しました。その後シャルル8世も梅毒で亡くなり、さらには故国に帰国した兵士により、その後梅毒は全世界に広まっていきます。
 また、コレラに関しては18世紀後半の産業革命により世界的な交流が広まったことに平行し、世界的大流行が起こっています。1817年にインドから起こった第1次世界流行をきっかけに、その後に6回も世界的な流行を起こし、大陸全土で数百万人を死亡させました。なお、この波はまだ続いており、現在は1961年から続く第7次世界流行の只中にあります。
 その後のスペインインフルエンザ(俗に言うスペイン風邪)の流行は言うまでも無いと思います。第一次世界大戦の末期(1918年)に、文献にもよりますが、全世界で5000万人~1億人を死に至らしめました。この数字は第1次世界大戦の犠牲者を上回りますし、またこの流行が第1次世界大戦の終結を早めたともいわれ、世界に非常に大きなインパクトを与えました。
 以上、めぼしい話をざっくりまとめた形になりましたが、人の移動が激しい感染症の流入を引き起こした歴史がわかると思います。現在では、ワクチンの普及や、その他の感染症予防対策のおかげで、このような過激ともいえる感染症の猛威は幸いにして見ることはあまりありません。
 しかし、今後、日本においてはRWCに加え、東京オリンピック・パラリンピックも控えております。先人の教訓を生かして、早期診断、早期発見に努めるとともに、十分なワクチン接種や感染症予防対策の施行が重要であると改めて感じます。今回、国立感染症研究所でマスギャザリングの感染症サーベイランスの業務に関わったことで、とても大きな責任を感じましたが、同時に非常に貴重な経験をさせていただいたと思います。お世話になった先生方にはこの場を借りて御礼させていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
 また、最後に宣伝になりますが、11月16日に横浜にある検疫資料館(旧長濱検疫所一号停留所)が一般公開されます。以下に要項のリンクを掲載します。日本の検疫の歴史を深く感じることが出来ますので、興味がある方は是非ご参加ください。
 (検疫資料館(旧長濱検疫所一号停留所)の一般公開についてhttps://www.forth.go.jp/keneki/yokohama/01_info/pdf/20190927_01.pdf

 参考文献
・石弘之『感染症の世界史』,角川ソフィア文庫,2018年,第三章・第八章
・ウィリアム・H・マクニール著、佐々木昭夫訳『疫病と世界史』下巻,中公文庫,2007年,第四章・第五章
・ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳『銃・病原菌・鉄 上巻・下巻』,草思社文庫,2012年,上巻第11章・下巻第15章
・濱田篤郎『旅と病の三千年史』旅行医学から見た世界地図,文藝春秋,2002年,第二章
・国立感染症研究所 感染症情報センター,インフルエンザ・パンデミックに関するQ&A 2006-12,http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/pandemic/QAindex.html
・World Health Organization(WHO),Fact Sheets Cholera,2019-01-17, 
https://www.who.int/news-room/fact-sheets/detail/cholera

●当コラムの見解は執筆者の個人的な意見であり、厚生労働省の見解を示すものではありません。
●IDES(Infectious Disease Emergency Specialist)は、厚生労働省で4年前の平成27年度からはじまったプログラムの中で養成される「感染症危機管理専門家」のことをいいます。
 
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