第4章 主体的なキャリア形成に向けた課題

前章においては、転職希望を持つ労働者が、その希望の実現に向けて転職活動へ移行することや、キャリアチェンジを伴う転職を行う上でどういった要因が影響するかについてみてきた。その結果、共通の要素として、キャリアの見通しや自己啓発の取組の重要性がうかがえた。
 自らのキャリアの見通しを高めたり、自己啓発を行うことは個人だけでできるわけではなく、これらのことができる環境が身近にあることが重要である。
 本章では、労働者のキャリアの見通しの向上や自己啓発の促進に向けて、効果的な取組や労使が取り組むべき課題等について検討する。
 まず、キャリアの見通しを向上するための取組として、キャリアコンサルティングの効果に着目して分析を行う。キャリアコンサルティングは労働者の職業の選択、職業生活設計又は職業能力の開発及び向上に関する相談に応じ、助言及び指導を行う活動を指す。キャリアコンサルティングを行う専門家として、国家資格を持つ「キャリアコンサルタント1」が企業内やハローワーク、民間職業紹介会社等の需給調整機関、大学や専門学校等の教育機関等で活動している。
 キャリアコンサルティングを通じて、自らの適性や能力、関心などに気づき、自己理解を深めるとともに、社会や企業内にある仕事について理解することにより、その中から自身に合った仕事を主体的に選択できるようになることが期待される。本章では、キャリアコンサルティングの経験により、労働者のキャリア形成意識やキャリア形成の状況がどう変化するかについてみていく。
 次に、労働者が自己啓発に取り組む上での課題や、企業として必要な支援についても考察を行う。労働者が自己啓発に取り組むに当たっては、その費用や自己啓発に必要な時間の確保など、企業による支援が必要な場面も多い。
 円滑な労働移動の支援に向けて、主に外部労働市場の活性化に向けた課題を分析対象としているが、ここで取り上げるキャリアコンサルティングや自己啓発は、転職の有無にかかわらず、広く労働者の自立的なキャリア形成意識の向上に資するものである。キャリア形成意識が高まった結果、労働者が企業内でキャリア形成をしていくことを選択した場合であっても、キャリアの展望に基づき目的意識を持って積極的に日々の業務や自己啓発に取り組むことができれば、企業や社会全体の生産性の向上につながることが期待される。
 最後に、本章では、主体的な労働移動の促進に向けた課題として、「労働市場の見える化」の促進や、公共職業訓練の効果と課題についての検証を行う。公共職業訓練については、失業者がスキルを身につけ、再就職することを支援する制度として、円滑な労働移動の促進においても重要な役割を果たしているが、これまでその効果や課題についての詳細な分析は十分にされてこなかった。
 今回、厚生労働省において、雇用保険や求職情報、職業訓練などの行政記録情報を統合したデータセットを構築し、外部の有識者の協力も得ながら、公共職業訓練の効果や課題についての分析を行った。その結果として、公共職業訓練の再就職に関する効果や、介護・福祉分野とIT分野の訓練分野の課題に関して、一定の知見が得られたため、本章の後半で当該分析結果について紹介する。

第1節 キャリアコンサルティングが労働者のキャリア形成意識やキャリア形成に及ぼす影響

49歳以下の年齢層の方が自ら職業生活設計を考えていきたいと考える者の割合がやや高い。正社員以外では正社員と比較して自ら職業生活設計を考えていきたいとする者の割合が低く、「わからない」とする者の割合が高い

本節では、キャリアコンサルティングが労働者のキャリア形成意識に及ぼす影響についてみていく。まず、労働者のキャリア形成意識の状況について概観してみよう。第2-(4)-1図は、労働者の年齢階級別に職業生活設計の考え方についてみたものである。これによれば、労働者の職業生活設計の考え方は、40歳台以下の年齢層においては、50歳以上の年齢層よりも、「自分で職業生活設計を考えていきたい」「どちらかといえば、自分で職業生活設計を考えていきたい」と考えている者の割合がやや高い傾向がみられるほか、「20~29歳」「60歳以上」の年齢階級では「自分で職業生活設計を考えていきたい」と考えている者の割合がやや高くなっている。
 続いて、第2-(4)-2図により、2012年度と2020年度時点における、雇用形態別の職業生活設計の考え方の状況をみると、2012年度と2020年度では大きな差は無いが、正社員以外では「自分で職業生活設計を考えていきたい」「どちらかといえば、自分で職業生活設計を考えていきたい」とする者の割合が正社員より低く、「わからない」と回答する者の割合が高い。
 労働者の職業生活設計の考え方については、20歳台など、若年層で主体的にキャリアを形成していく意識がやや高いほか、正社員以外では、自ら主体的にキャリアを形成していきたいという意識を持った者の割合が低いことがうかがえる。

派遣社員や契約社員等ではキャリアコンサルティング経験がある者の割合は正規雇用労働者とあまり違いは無いが、パート労働者については低くなっている

次に、キャリアコンサルティングの実施状況についてみてみよう。第2-(4)-3図は、(独)労働政策研究・研修機構が実施した「キャリアコンサルティングの実態、効果および潜在的ニーズ-相談経験者1,117名等の調査結果より」(2017年)を用いて、雇用形態別のキャリアコンサルティング経験がある者の割合をみたものである。派遣社員や契約社員等ではキャリアコンサルティング経験がある者の割合は正規雇用労働者と大きな違いは無いが、パート労働者については低くなっている。派遣社員が正社員と大きな違いが無いことについては、2015年の労働者派遣法の改正により、派遣労働者に対して、労働者本人が希望する場合には、キャリアコンサルティングの実施が義務付けられたことが影響している可能性がある。

キャリアコンサルティングを受けた者の方が、自ら職業生活設計を考えていきたいと考える者の割合が高い傾向がある

キャリアコンサルティングの経験と労働者のキャリア形成意識にはどのような関係があるのだろうか。
 第2-(4)-4図は、キャリアコンサルティングの実施状況別に、労働者の職業生活設計の考え方の状況をみたものである。これによれば、男女ともに、正社員及び正社員以外のいずれも、キャリアに関する相談をした(キャリアコンサルティングを受けた)者の方が、「自分で職業生活設計を考えていきたい」「どちらかといえば、自分で職業生活設計を考えていきたい」と回答する者の割合が高くなっている。また、男性では、正社員以外でキャリアコンサルティングを受けた者の方が、正社員でキャリアコンサルティングを受けていない者よりも、「自分で職業生活設計を考えていきたい」「どちらかといえば、自分で職業生活設計を考えていきたい」と回答する者の割合が高くなっている。
 このことは、キャリアコンサルティングを受けたことにより労働者のキャリア形成意識が変化したという因果関係を必ずしも示すものではないことに留意が必要であるが2、キャリアコンサルティングの実施により、労働者の主体的なキャリア形成の意識が高まる可能性を示唆している。

キャリアコンサルティングの経験がある者の方が、現在の仕事内容や職業生活全般の満足感が高い傾向にある

キャリアコンサルティングの実施と、労働者の仕事に対する満足感の関係についてもみてみよう。第2-(4)-5図は、キャリアコンサルティングを受けた経験の有無別に、仕事内容や職業生活全般に対する満足感の状況をみたものである。これによると、キャリアコンサルティングを受けた経験がある者の方が、現在の仕事内容や職業生活全般について、「満足している」「おおむね満足している」と感じる者の割合が高くなっている。第2-(4)-4図でみたように、キャリアコンサルティングを受けた経験がある者は自らのキャリアを主体的に考える意識が高まる可能性がある。この結果も踏まえると、キャリアコンサルティングを受けている労働者は、自らの適性や能力、関心などに気づき、自己理解を深めた上で、自身に合った仕事を主体的に選択することで、仕事内容や職業生活への満足度を高めている可能性があると考えられる。

過去にキャリアコンサルティング経験のある者の方が転職回数は多い傾向にある

ここからは、キャリアコンサルティング経験が転職やキャリアチェンジの実現に及ぼす影響についてみていこう。
 第2-(4)-6図は、キャリアコンサルティングを受けた経験の有無別に、労働者の転職回数の状況をみたものである。これによると、過去にキャリアコンサルティングを受けた経験がある者の方が、転職回数が「0回」である者の割合は低く、「1回」以上である者の割合は高くなっている。したがって、キャリアコンサルティング経験がある者の方が、転職回数が多い傾向があることが分かる。

キャリアコンサルティング経験がある者の方が、特定の分野の仕事に限定した職業経験を積むよりも、異分野へのキャリアチェンジを積極的に行う傾向がある

続いて、キャリアコンサルティングを受けることと異分野へのキャリアチェンジの関係についてもみてみよう。第2-(4)-7図は、キャリアコンサルティングを受けた経験の有無別に、労働者の職業経験についてみたものである。これによると、キャリアコンサルティングを受けた経験がある者は、キャリアコンサルティングを受けた経験がない者と比較して、「特定の分野・業種・業界で一つの仕事を長く経験してきている」者の割合がやや低い一方、「特定の分野・業種・業界でいろいろな仕事をたくさん経験してきている」「いろいろな分野・業種・業界でいろいろな仕事をたくさん経験してきている」「いろいろな分野・業種・業界で1つの仕事を長く経験してきている」の順に、キャリアコンサルティングを受けた経験がない者よりも割合が高くなっている。
 ここからは、キャリアコンサルティング経験がある者の方が、特定の分野の仕事に限定した職業経験を積むよりも、異分野へのキャリアチェンジを積極的に行う傾向があることがみてとれる。前節において、職種間移動をする者について、転職の準備としてキャリア相談を行った者においては、自らの技能や能力をいかせるからという理由で転職を行う傾向が強いことをみた。これらの結果を踏まえると、キャリアコンサルティングにより、自らの適性や能力がいかせる可能性を幅広く検討した結果、異分野へのキャリアチェンジをしやすくなっている可能性があると考えられる。

キャリアコンサルティングの経験がある者の方が、自らの職業能力が他社で通用すると考えている者の割合が高い。また、自らの職業能力が他社で通用すると考えている者には、キャリアコンサルティングを企業外で受けている者の割合が比較的高い傾向にある

ここまでみたように、キャリアコンサルティングの経験がある者には、転職やキャリアチェンジをしやすい傾向があることが分かった。キャリアコンサルティングを受けることと転職やキャリアチェンジとの関係についてみてみよう。第2-(4)-8図の(1)は、キャリアコンサルティングを受けた経験の有無別に、自らの職業能力が他社で通用するかについて労働者の考え方をみたものである。これによると、キャリアコンサルティングの経験がある者の方が、自らの職業能力が他社で通用すると考えている者の割合が高いことが分かる。また、同図の(2)は、同図の(1)の回答別に、キャリアコンサルティングを受けた場所・機関の状況をみたものである。これによると、自らの職業能力が他社で通用すると考えている者では、キャリアコンサルティングを企業外で受けている者の割合が比較的高くなっている。
 このことから、キャリアコンサルティングを受けた者は、自らの職業能力を他社でいかすことができる可能性について気づきを得やすく、それにより転職やキャリアチェンジの実現をしやすくなっている可能性が考えられる。また、自らの職業能力が他社で通用すると考えている者には、企業外でキャリアコンサルティングを受けている者が多い。自社以外の第三者の視点からキャリアコンサルティングを受けることで、企業外も含め、自らのキャリア形成の可能性についてより客観的に考えることができる可能性があるといえる。

キャリアコンサルティングの経験がある者は自発的な能力向上の取組を行うことが必要と考える者の割合が高い。相談場所・機関別にみると、企業内よりも企業外や学校等でキャリアコンサルティングを受けた場合の方が自発的な能力向上の意識が高い者が多い傾向がみられる

キャリアコンサルティングは自己啓発への取組姿勢にも影響を及ぼすことが考えられる。第2-(4)-9図の(1)は、キャリアコンサルティングを受けた経験の有無別に、職業能力の向上の必要性の感じ方の状況をみたものである。キャリアコンサルティングを受けた経験がある者は、「自発的な能力向上のための取組を行うことが必要」と考える者の割合が高いことが分かる。また、同図の(2)により、キャリアコンサルティングを受けた場所・機関別に職業能力習得の必要性の感じ方の状況をみると、「企業内」よりも「企業外」や「学校」等でキャリアコンサルティングを受けた場合の方が、「自発的な能力向上のための取組を行うことが必要」と考える者の割合が高くなっている。
 これらのことから、キャリアコンサルティングを受けることで、自らの職業能力が他社で通用する可能性についての気づきに加え、自己啓発の必要性についても意識が高まる可能性があることが分かる。特に、企業外でキャリアコンサルティングを受けた場合、企業内の場合よりも自己啓発の必要性についての意識が高まる傾向がみられる。これは、第三者によるキャリアコンサルティングを受けることにより、自らのスキルの過不足についてもより客観的に評価することができ、結果として自己啓発の意識が高まることにつながっている可能性を示唆している。

キャリアコンサルティングにより、現在の仕事に対する影響に加え、「自分の目指すべきキャリアが明確になった」「自己啓発を行うきっかけになった」といった、キャリアに関する意識や行動への良い影響を感じている

キャリアコンサルティングによる効果について、男女別・雇用形態別の状況もみてみよう。第2-(4)-10図は、男女別・雇用形態別に、キャリアコンサルティングを受けたことがどのように役に立ったかについての状況をみたものである。これによれば、男女ともに、キャリアコンサルティングにより「仕事に対する意識が高まった」「上司・部下との意思疎通が円滑になった」といった現在の仕事に対する良い影響を感じているのに加え、「自分の目指すべきキャリアが明確になった」「自己啓発を行うきっかけになった」といった、キャリアに関する意識や行動への良い影響を感じていることが分かる。また、雇用形態別にみると、男女ともに、正社員の方が「自己啓発を行うきっかけになった」と感じる者の割合がやや高くなっている。

企業内でキャリアコンサルティングを受ける場合は、キャリアの見通しの向上のほか、職業能力の向上、労働条件や人間関係の改善といった変化を感じている者が多い。企業外や公的機関でキャリアコンサルティングを受ける場合は、キャリアの見通しの向上のほか、就職や転職に結びつく者の割合が高い

最後に、キャリアコンサルティングを受ける場所・機関別の効果の違いについてみておこう。第2-(4)-11図によると、「企業内(人事部)」や「企業内(人事部以外)」でキャリアコンサルティングを受ける場合は、「将来のことがはっきりした」と答える者の割合が高く、「職業能力がアップした」「労働条件がよくなった」「人間関係がよくなった」と感じている者の割合も高くなっている。一方、「企業外」や「公的機関」でキャリアコンサルティングを受けている者については、「将来のことがはっきりした」と答える者の割合が高いことに加え、「就職できた」「仕事を変わった・転職した」と答える者の割合も高い。
 この結果から、企業内におけるキャリアコンサルティングからは、キャリアの見通しの向上のほか、職業能力の向上、労働条件の改善など、現在の職場でキャリアを形成していく上で有益な効果が得られることがうかがえる。また、企業外でのキャリアコンサルティングは、キャリアの見通しの向上のほか、就職や転職に結びついたと答える割合が高いことが分かる。就職活動や転職活動を行うことをきっかけとしてキャリアコンサルティングを受けている場合が多いことも当然あるが、キャリアコンサルティングの経験により、自らの職業能力が他社で通用する可能性への気づきや、自己啓発への意識の高まりを通じて、就職や転職の実現に結びついている可能性もあると考えられる。

キャリアに関する相談先は、相談先が企業外部の場合、正社員については「自分の目指すキャリアが明確になった」「自己啓発を行うきっかけになった」とする割合が、正社員以外については「自己啓発を行うきっかけになった」とする割合が高い

第2-(4)-12図はキャリアコンサルティングの効果をみたものである。正社員については相談先が企業外部の方が「自分の目指すキャリアが明確になった」「自己啓発を行うきっかけになった」とする者の割合が高い。正社員以外については、相談先が企業外部の場合、「自己啓発を行うきっかけになった」とする者の割合が高い。

第2節 自己啓発の取組の促進に向けた課題

自己啓発を行った者の割合は男性・女性の正社員・正社員以外ともに2012年度調査に比べて2020年度調査ではやや低下している

次に、自己啓発の促進に向けた課題についてみていこう。まず、労働者の自己啓発への取組状況について概観する。
 第2-(4)-13図は、男女別・雇用形態別に2012年度調査及び2020年度調査における労働者の自己啓発の実施状況をみたものである。これによると、自己啓発を行った者の割合は男性においては正社員で2012年度調査では50.7%、2020年度調査では43.7%、正社員以外では2012年度調査では26.7%、2020年度調査では23.7%となっている。女性においては、正社員で2012年度調査では41.1%、2020年度調査では36.7%、正社員以外では2012年度調査では20.1%、2020年度調査では13.5%となっている。男女別では男性の方が女性よりも総じて自己啓発を実施している割合が高い。雇用形態別でみると、正社員の方が正社員以外よりも自己啓発をしている割合が高くなっている。
 2012年度調査と比較すると2020年度調査では自己啓発を実施した者の割合は全体的にやや低下しており、総じて自己啓発を実施している者の割合は近年大きく上昇している状況にはないことがうかがえる。

自己啓発を行う上での課題は、正社員では「仕事が忙しくて自己啓発の余裕がない」「費用がかかりすぎる」と感じている者が多く、女性では「家事・育児が忙しくて自己啓発の余裕がない」と感じる者が男性よりも多い

第2-(4)-14図は、労働者が自己啓発を行う上で感じている課題について男女別・雇用形態別にみたものである。これによると、正社員では男女ともに「仕事が忙しくて自己啓発の余裕がない」と感じる者の割合が最も高いほか、「費用がかかりすぎる」の割合も高くなっている。一方、女性では「家事・育児が忙しくて自己啓発の余裕がない」と感じる者の割合が男性よりも高い。また、正社員以外では正社員と同様、女性で「家事・育児が忙しくて自己啓発の余裕がない」の割合が男性よりも高いほか、「特に問題はない」とする者の割合が男女ともに正社員より高い。
 正社員においては、自己啓発に取り組むに当たっては、費用だけではなく、時間についての課題が大きく、業務の多忙が主な理由として挙がっており、女性においては、さらに家事・育児の負担が、自己啓発に取り組む上での支障になっていることがうかがえる。また、正社員以外では自己啓発を行う上で特に問題は無いと考える者の割合が高いが、自己啓発の取組に関する関心が低いために問題を感じていない者が多い可能性もあることに留意が必要である。

2019年度において、OFF-JT又は自己啓発支援に費用支出した企業の割合は5割となっている

労働者が自己啓発に取り組む上での課題には、仕事や家事・育児の忙しさや費用の高さなどがあることが分かったが、労働者自身のみで解決できるものではなく、使用者側による支援も必要となる。ここからは費用面に着目して、企業が労働者のOFF-JTや自己啓発に対して行っている支援の状況についてみていこう。
 第2-(4)-15図は、2019年度において、OFF-JT又は自己啓発支援に費用支出した企業の割合をみたものである。これによると、OFF-JT又は自己啓発支援に費用支出した企業は5割となっており、内訳をみると「両方支出」は20.4%、「OFF-JTのみ支出」は25.2%、「自己啓発支援のみ支出」は4.4%となっている。一方、どちらにも支出していない企業も約5割を占めており、従業員のOFF-JT又は自己啓発支援への費用支出を行っていない企業が多く存在することがうかがえる。

企業がOFF-JTに支出した費用はおおむね横ばいで推移しており、自己啓発支援に支出した費用は2016年度調査以降やや減少し、2018年度調査以降、横ばいで推移している

続いて、第2-(4)-16図は、企業のOFF-JT及び自己啓発支援に支出した費用の労働者一人当たり平均額(費用を支出している企業の平均額)の推移である。これによると、企業がOFF-JTに支出した費用の労働者一人当たり平均額は、2020年度調査では若干減少しているものの、3年移動平均はおおむね横ばいで推移している。一方、企業が自己啓発支援に支出した費用の労働者一人当たり平均額は2020年度調査においては0.3万円であり、2016年度調査以降やや減少し、2018年度調査以降、横ばいで推移している。

 

正社員・正社員以外のいずれも、OFF-JT及び自己啓発の支援に支出する費用は増加した企業が減少した企業を上回る一方、費用支出を実施しない企業の割合が最も高い

第2-(4)-17図は、企業のOFF-JT及び自己啓発支援費用の過去3年間における実績と、今後3年間における支出の見込みをみたものである。OFF-JT及び自己啓発支援に企業が支出した費用の実績を雇用形態別にみると、正社員ではOFF-JT及び自己啓発ともに「増加」が「減少」を上回っているものの、「実績なし」の割合がいずれも半数程度を占めており、今後3年間の支出見込みも「実施しない予定」がいずれも半数以上を占めている。
 正社員以外についてみると、OFF-JT及び自己啓発ともに、過去3年間の実績、今後の見込みのいずれも、「実績なし」「実施しない予定」とする企業の割合が7割程度となっており、正社員よりも高い割合となっている。
 正社員・正社員以外のいずれも、過去3年間におけるOFF-JT及び自己啓発の支援に支出した費用は増加した企業が減少した企業を上回る一方、今後3年間における費用支出を実施しない企業の割合が最も高いという結果になっている。

企業が従業員に対して金銭的な援助や就業時間の配慮、情報提供等を行うことが自己啓発を促進する可能性がある

第2-(4)-17図までの分析から、費用面の支援についてみると、支援を増やしている企業もある一方で、いまだ多くの企業が特段の支援を行っていないという現状がうかがえた。では、費用面以外も含め、企業が何らかの支援を行った場合、労働者の自己啓発への取組の活性化につながるだろうか。
 第2-(4)-18図は、事業所における自己啓発に関する各種支援の実施状況別に自己啓発を行った労働者の割合をみたものであるが、これによると、正社員の「教育訓練休暇(有給、無給の両方を含む)の付与」以外の「受講料などの金銭的援助」「社内での自主的な勉強会等に対する援助」「就業時間の配慮」「教育訓練機関、通信教育等に関する情報提供」といった支援について、当該支援がある場合の方が、当該支援がない場合と比較して、自己啓発を行った割合が高くなっている。複数の支援を事業所が同時に行っている場合もあるため、当該支援以外の支援が影響している可能性もあることに留意が必要であるが、使用者が金銭的な援助や就業時間の配慮、情報提供等を行っている場合には、従業員の自己啓発への取組が促進される可能性があることが示唆される。

キャリアコンサルティングを受けた者の方が、キャリアコンサルティングを受けていない者よりも自己啓発を行っている者の割合が高い

自己啓発について、キャリアコンサルティングの効果との関係についてもみてみよう。第2-(4)-19図は、雇用形態別、キャリアコンサルティング実施状況別に労働者の自己啓発の実施状況をみたものである。これによると、正社員・正社員以外のいずれも、キャリアに関する相談をしている場合の方が、キャリアに関する相談をしていない場合よりも自己啓発を行っている者の割合が高い。自己啓発を行っている者はキャリア形成意識が高く、キャリアコンサルティングを積極的に受ける傾向も考えられるものの、キャリアコンサルティングを受けた者がキャリア形成意識を高めた結果、自己啓発への取組の促進につながっている可能性も示唆されている。

コラム2–5 従業員の主体的なキャリア形成を目的とした取組について

ここまでみてきたように、労働移動の促進においては、労働者が主体的なキャリア形成の意識を持ち、その結果キャリアの見通しが出来ていることが重要であることが示唆される。他方で、労働者が主体的にキャリアを形成することができれば、社内でキャリアを積んでいく場合であっても、個人の能力をより適切に発揮することができ、企業や社会全体の生産性の向上にもつながることが期待される。ここでは、従業員の主体的なキャリア形成の支援に取り組む企業として、パーソルホールディングス株式会社、日置電機株式会社及び川相商事株式会社の取組について紹介する。

パーソルホールディングス株式会社

パーソルホールディングス株式会社(東京都港区)は、労働者派遣事業・有料職業紹介事業等の事業を行うグループ会社の経営計画・管理等の業務を行う企業である(連結従業員数54,760名(2021年3月現在))。同社は社員一人ひとりのキャリア自律を目的として、パーソルグループ内でのキャリアの選択肢を広げたい従業員向けに「ジョブトライアル」「キャリアチャレンジ」を実施している。
 「ジョブトライアル」は2020年に導入された、グループ内の別会社や別部署の仕事を体験できる制度であり、本業とは異なる仕事の体験を通じて社員が自律的な学びとキャリア選択のきっかけを得ることを目的としている。最大で月8時間×3か月間、現業務をしながら異なる仕事を体験する。また、体験業務には実業務サポートとプロジェクト業務がある。リモートで可能な案件も複数あり地域の枠を超えた業務体験が可能である。全ての正社員(約26,000人)を対象に半期ごとに実施しており、半期に応募ポジション数50程度に約130名が参加する。参加者の半数程度は本業と異なる職種を体験しており、フロント職種(営業)の従業員がミドルバック職種(人事や経営企画、マーケティング、IT企画、広報等)を体験するケースが多い。そのほかにも、ミドルバック職種がフロント職種を体験するケースや、フロント職種が別のグループ会社のフロント職種を体験するケースもみられる。
 「キャリアチャレンジ」は2017年に導入されたグループ間の異動制度であり、全てのグループ会社が同制度でポジションを公募する権利を持っており、毎年約20社が実際に公募に参加する。「人気ポジションに応募者が集中することはある」そうだが、これは「市場の原理と捉えているため意図的に分散させるような仕組みは取り入れていない」ほか、「各組織には自組織のワーク・エンゲイジメントや組織風土を向上させるなどの取組を行い、応募者を集めるよう伝えている」と同社人事担当者は語る。課長クラスまでの正社員を対象としており、毎年応募者数数百名程度のうち数十名が実際に異動する。参加者の年齢は20歳台を中心に、近年30歳台、40歳台にも広がっている。参加者の選考には社内で保有している人事情報を提供せず、通常の採用と同様に応募時に提出された職務経歴書をもとに面接を行う。参加者は4月に応募した後、選考に合格すれば10月に異動となるが、異動時期は送り出し部署と受入部署で相談のもと、調整可能としている。
 「ジョブトライアル」参加者のうち数名は「キャリアチャレンジ」を利用して体験先に異動しているが、「ジョブトライアル」は異動を促進するための取組ではなく、業務体験を通じて社員が自律的な学びとキャリア選択のきっかけを得ることを目的とした取組である。参加者からは視座が上がった、物の見方や思考の仕方が変わった、自身の強みや今後伸ばせるところがあると再認識できたという声が挙がっているほか、参加者の上長からは参加前と後で活躍のレベルや発話の内容、組織に対するモチベーションが変わったという声が挙がっており、参加後に実際に昇進した者もいるという。また、いずれの制度においても利用者の退職率は全社員より低く、企業への帰属意識が向上しているとみられる。
 同社人事担当者によると、今後も、現在の制度だけにとどまらず、自律的な異動につながる仕組みを様々検討していきたいと考えているそうである。同社の事例は社員に主体的なキャリア形成の機会を提供することで、社員の成長や気づきにつなげるとともに、ワーク・エンゲイジメントを高め、企業の生産性の向上にもつながる魅力的な取組であるといえよう。

日置電機株式会社

日置電機株式会社(長野県上田市)は、電気計測器の開発、生産、販売・サービスを行う従業員数983名(2021年12月31日現在、連結)の企業である。2021年6月、同社の掲げる「ビジョン2030」3の下、戦略的に組織が連携しスキルを高め、文化を醸成することを目的とした新たなキャリア形成制度(Hiチャレンジ制度等)を設計した。
 Hiチャレンジ制度は、「誰もがソリューションクリエイターになる」「継続的な全社機能のイノベーションを起こす」ことを促進することを目的としており、全従業員を対象としている。従業員は自主的に応募するか、所属長の推薦を得た上で応募することができる。
 同制度には、「社内ジョブチェンジ」「社内プロジェクト」「社内ベンチャー」「社内インターン」の4つのカテゴリーがある。「社内ジョブチェンジ」は、部署を異動して新たな役割に挑戦するものであり、通常の人事異動と同様に部門や職種を超えた異動もあり得る。「社内プロジェクト」は、異動は伴わず、現状業務との兼務で社内プロジェクトに参加し、課題解決に取り組む。「社内ベンチャー」は現職とは異なる経営視点で新規ビジネスを考え、その実現に向け取り組むもので、「社内インターン」は現部署に所属したまま、前後工程や関係部署などで1週間~半年を目安として課題解決に取り組むものである。会社からテーマを提示して参加者を公募する「社内ジョブチェンジ」「社内プロジェクト」は、不定期に随時公募(月1、2件程度)しており、募集期間は2週間~1か月程度である。一方、本人が応募時にテーマを提案する「社内ベンチャー」「社内インターン」は、基本的にいつでも応募可能となっている。同制度を実施する際には、送り出し組織・受入組織・本人にとってプラスとなるよう、テーマに必要な時間や異動時期等について、3者で事前に打合せを行っている。
 これまでに海外販社への出向等の12テーマを公募して31名の応募があり、2022年1月現在20名が制度を利用している。参加者の年齢層は20歳台~50歳台と幅広く、男女比や職種についても偏りはない。制度利用者は次につながるモチベーションや納得感が高いというデータが出ている。また、応募したが不採用となってしまった人も自分自身のキャリアを見詰め直す良い機会となって、現状の業務に新たに向き合うことができたという声が挙がっている。同社の人事担当者は「本制度で新たな挑戦をしてもらうことで、自立的かつ納得のいくかたちでの人事異動が図れると感じている」と語る。
 今後は応募が最も多かった「社内ジョブチェンジ」を中心に、更に応募者を拡大する目標を掲げている。そのため、参加者へのヒアリングや各部署から得ているフィードバックをもとに、参加者の成長ぶりを口コミなどで広めるとともに、自ら手を挙げやすい環境づくりをしていきたいと同社人事担当者は語る。
 社員の新たなチャレンジを後押しすることで主体的なキャリア形成を支援する同社の取組は、社員のモチベーションや納得感の向上につながる魅力的な取組であり、今後の進展にも注目したい。

川相商事株式会社

川相商事株式会社(大阪府門真市)は、製造業務請負、人材派遣、BPO(間接業務の委託)などを行う従業員数約330名(2022年1月現在)の企業であるが、これまでも「グッドキャリア企業アワード20174」の大賞(厚生労働大臣表彰)を受賞しており、非正規社員の正規転換の推進等の取組で注目されている。
 同社は人材育成の取組として、有期労働契約から無期労働契約への転換制度である「SS社員制度」、正社員(管理者・リーダー業務を担当)への転換制度である「創喜感働塾」を実施している。取組の担当部署である「人材育成部」は、専任の担当者3名を配置して研修内容の作成にあたっているほか、研修を担当する社内講師を育成するための研修も行っている。
 「SS社員制度」は労働契約法と労働者派遣法の改正を見据えつつ、長期的なキャリア形成を図ることができる環境を提供するため、2015年に導入された。本制度は社内検定講座を設け、半年以上の勤務歴がある有期契約の労働者が当該社内検定試験に合格すれば、勤続5年未満の場合でも無期労働契約に転換されるものである。試験は「工具の取扱い、業務効率、5S、安全」といった技術に関連する科目、「健康・生活管理、コミュニケーション」といったモラルに関連する科目などから構成される。
 「創喜感働塾」は同社が2010年4月に立ち上げた、請負事業場の管理者養成のための社内スクールであり、職場でのOJTと週1回のOFF-JTを通じて必要なスキルを6か月間で学ぶこととされている。OFF-JTの受講は無償・有給として扱われ、内容は主に製造知識や収支管理、職長教育などの「テクニカルスキル」、キャリアビジョン作成やビジネスマナー、コミュニケーションなど社会人に求められる「ヒューマンスキル」から構成される。「創喜感働塾」の卒塾(正社員への転換)のためには、上記の研修を受講・修了することに加え、国家資格「第一種衛生管理者試験」(受験資格がない者は同社が作成した同水準の試験を受験)を取得することや、社長による面接試験に合格することが必要となる。
 これまでに、「SS社員制度」を利用して118名が無期転換を果たしており、各職場の現場作業を担う存在となっている。一方、「創喜感働塾」を利用して74名が正社員転換を果たしており、多くは請負事業場の管理者、工程リーダーを務めている。「創喜感働塾」で正社員となった人の年齢層は10歳台~50歳台と様々だが、20歳台~30歳台が6割超を占めており、男女比は8対2程度であった。
 これらの取組によって、各職場の管理者・リーダーが責任を持ち職場運営を行うようになった等の理由から、請負現場での粗利率の向上がみられたほか、従業員一人ひとりが働きやすい職場へと成長した。また、従業員のキャリア意識の向上がみられ、キャリアアップが実現できる会社となったことで入社希望者が増えた。顧客からは「突発的なイレギュラー対応依頼に対しても臨機応変に対応できる教育がなされているため心強い」「責任感が強く、改善の意識が高いため非常にありがたい」という声が挙がっている。
 同社人事担当者によれば、「今後はDX化に対応できる人材の育成が急務と考えており、2021年度よりSE人材の育成に着手している」とのことである。同社の事例は社員に研修環境を提供することにより社員のキャリアアップを支援し、併せて企業の成長や顧客からの高い評価や信頼などを得ることにつなげた好事例であり、今後の進展にも注目したい。

第3節 企業における転職者の採用等に関する課題

ここまで、労働者の主体的なキャリア形成への支援を通じた労働移動やキャリアチェンジの促進に当たって、キャリアコンサルティングの有効性や自己啓発の取組の促進に関する課題をみてきた。転職者が円滑に新しい職場での業務に適応し、能力を発揮するためには、転職者を受け入れる企業において適切な支援を行うことが重要である。本節では、企業が転職者を受け入れるに当たって必要な支援について考察するとともに、転職者を受け入れる企業や求職者が、転職に関してどのような課題を感じているかについてみていく。

職種間のキャリアチェンジをした後に事業所でOJTやOFF-JTを実施すると転職者の満足度が高まる傾向がある

転職者は、一般的に、職業経験が短い場合などを除けば、それまでのキャリアを通じて蓄積してきたスキルや経験を活用して働くことが期待されることが多いと考えられるが、前職と現職の職場における仕事の進め方や企業風土の違いなど、新たに適応しなければならないことも多い。特に、キャリアチェンジをする場合は、仕事内容の大きな変更を伴うことが想定されるため、自己啓発だけでなく、企業において十分な教育訓練を実施することが、転職者の新職への適応にとって重要であると考えられる。
 第2-(4)-20図は、職種間のキャリアチェンジをした者について、事業所でOJTを実施した場合、OFF-JT(入職時、継続的)を実施した場合、教育訓練を行わなかった場合で、転職者の職業生活全体や仕事内容・職種への満足度を比較したものである。職種間移動を行った転職者に事業所でOJT、OFF-JT(入職時、継続的)を行った場合、転職後訓練を実施していない場合と比較して、転職者の「職業生活全体」や「仕事内容・職種」に関する満足度が高い傾向がみられる。
 この結果から、キャリアチェンジをする転職者を受け入れる際には、企業がOJT・OFF-JTを適切に実施することが、転職者の職業生活や仕事内容への満足度を高める可能性があることが示唆される。

転職者を採用するに当たり、「必要な職種に応募してくる人が少ない」「応募者の能力評価に関する客観的な基準がない」「採用時の賃金水準や処遇の決め方」といった課題を感じる事業所が多い

企業が転職者を採用するに当たって抱えている課題は何だろうか。第2-(4)-21図は、2015年と2020年において、企業規模別に、転職者を採用する際の問題点についてみたものである。これによると、2015年と2020年で事業所が抱える課題の状況に大きな違いはみられないが、全ての企業規模において「必要な職種に応募してくる人が少ないこと」が3割超と最も高い割合となっているほか、「応募者の能力評価に関する客観的な基準がないこと」「採用時の賃金水準や処遇の決め方」の割合も比較的高い。また、企業規模の小さい事業所の方が「採用時の賃金水準や処遇の決め方」について課題を抱えている割合はやや高くなっている。
 「必要な職種に応募してくる人材が少ないこと」を課題として挙げている事業所が最も多いことについては、労働市場において供給される人材そのものが不足している可能性もあるが、「応募者の能力評価に関する客観的な基準がないこと」を挙げる事業所も多いことを考えると、自社に適した人材を労働市場において見つけることが難しいと感じている事業所が多い可能性も指摘できる。また、企業規模の小さい事業所ほど採用時の賃金水準や処遇の決め方について課題を抱えていることについては、大企業と比較して、規模の小さい企業では転職者の処遇を決定する際に基準とできる従業員の類型が少ないことが要因である可能性がある。

転職に関して転職者が行政に要望する事項は、「より多くの求人情報の提供」「企業年金・退職金が不利にならないような制度の改善」が多いほか、「職業紹介サービスの充実」「金銭面での職業能力開発・自己啓発の支援」を挙げる者も比較的多い

最後に、転職に際してどのような課題を転職者が感じているかについてもみてみよう。第2-(4)-22図は、転職に関して転職者が行政に要望する事項について、2015年と2020年の状況をみたものである。「特に希望することはない」を除いて、2015年、2020年とも「より多くの求人情報の提供」「企業年金・退職金が不利にならないような制度の改善」が約3割と多いほか、「職業紹介サービスの充実」「金銭面での職業能力開発・自己啓発の支援」を挙げる者の割合も比較的高くなっている。
 求職者の要望をみると、より多くの求人情報の提供や職業紹介サービスの充実といった、労働力需給の調整機能の充実に加え、職業能力開発や自己啓発への支援へのニーズが高いことがうかがえる。

コラム2–6 欧米における労働市場インフラ整備の状況

第2-(4)-21図の分析において、企業が転職者を採用する際の問題点として、必要な職種に応募してくる人材が少ないことや、応募者の能力評価に関する客観的な基準がないことがあげられており、労働市場において求める人材を探すことに課題を感じている企業が多いことがうかがえる。労働市場における円滑なマッチングの促進のために、求職者の職業能力を可視化し、共有するための労働市場インフラへのニーズが高まっている可能性がある。
 海外では、公的な労働市場インフラとして、求職者の教育訓練や職業経験の履歴等や、その過程で得られたスキルや資格等に関する情報を包括的にデジタル情報として記録し、労働市場において共有できるツールの整備が進められている。ここでは、我が国の労働市場インフラ整備を考えるに当たって参考となる事例として、米国及び欧州の事例について紹介するとともに、我が国の取組について概観する。

1 米国における労働市場インフラ整備の状況

(1)LERの概要5

まず、米国における学習・雇用記録(Learning and Employment Record。以下「LER」という。)6の取組について紹介する。LERは米国労働力政策諮問委員会(American Workforce Policy Advisory Board)7及び米国商工会議所財団(U.S. Chamber of Commerce Foundation)8が共同で運営しており、教育訓練機関、企業、個人間で、学習成果に関する情報をシームレスに記録し、共有することを可能とするシステムである。LERの基本的理念や技術的要件は、米国労働力政策諮問委員会が2019年9月に「相互運用可能な学習記録に関する報告書(White Paper on Interoperable Learning Records)」において発表し、LERを作成するために必要なオープンデータなどを含むリソースハブは、米国商工会議所財団が2020年7月に公開した。現在、民間企業が主体となり、LERの実証実験を実施している。
 コラム2-6-①図は、米国労働力政策諮問委員会が想定している、LERエコシステムの主な活用方法である。学習者(労働者、学生、求職者)は、自ら受けた教育や訓練について、企業や教育訓練機関等からデジタル資格情報を収集して管理することができ、キャリア・パスの進展に応じて自身の強み・弱みを把握することができる。加えて、取得した資格情報を利用して、就職活動や教育訓練機関を受験する際に自身の記録を共有することも可能である。企業は、職場で得られたスキルや訓練等の達成記録として、LERを通じて従業員にデジタル資格情報を発行できるほか、従業員採用においてLERを使用し求職者の資格情報やスキルの確認などを行うこともできる。教育訓練機関は、学生の登録にLERを使用できるほか、要件を満たした学習者に、教育訓練プログラムの修了に関するデジタル資格情報を発行することもできる。
 LERのメリットとして、自身の学習の記録が自動的に同期されること9、統一的なシステムにより学習履歴や職務経歴といった情報が集約できること及び産業間で共通のスキル評価の枠組みを用いることで、個人が持つスキルの価値を客観的に評価できるとともに、個人も自らのスキルに関連したキャリア・パスの見通しを得られることなどが挙げられる。

(2)米国IBMによるLER実証実験の内容と事例

LERは、現状では民間企業と教育訓練機関が提携して行う実証事業として実施されている。以下では、米国の大手IT企業であるIBMが特定の大学と協力して取り組んでいるLERの実証実験について、事業内容と実際にLERを利用した労働者の事例を紹介する。
 米国IBMは実証実験において、サイバーセキュリティ分野でのLERの活用に取り組んでいる。サイバーセキュリティ教育のための国家イニシアチブ10(National Initiative for Cybersecurity Education。以下「NICE」という。)は、同分野で必要な知識やスキル、能力などを定義した枠組みを開発している。実証実験では、米国IBMが管理するブロックチェーンベースのプラットフォーム「学習資格ネットワーク(Learning Credential Network)」や、国立学生クリアリングハウス11が提供する「Myhub」などを通して、教育訓練機関から発行される資格情報をNICEの枠組みを用いてインターネット上に記録することで、学習者が持つスキルの価値を客観的に示すことができる。学習者は自身の資格情報を企業などと共有できるほか、自身のスキルをいかした教育や仕事の機会を探すこともできる。
 コラム2-6-②図は、米国IBMによるLER実証実験のインターネットページ画面である。同図の(1)にあるとおり、LERに受講した講座名や修了資格の発行者である教育訓練機関、修了日等が記録されるとともに、学習者は自身が保有するスキルや資格を採用企業に公開するかどうかを選択することができる(「Discoverable?」の部分)。また、同図の(2)にあるように、採用企業は求職者を「業界の専門知識」「コンピテンシー(行動特性)」「スキル」などの条件を用いて絞り込み、採用候補者を検索することもできる。
 米国IBMのLER実証実験のサービスを利用してサイバーセキュリティ分野の求人情報を見つけた例や、キャリアを積むためにNICEの枠組みにおいて必要なスキルを知った例、学習成果の情報を企業に公表して就職に結びつけた例もあるという。

2 欧州における労働市場インフラ整備の状況

次に、欧州におけるユーロパス(Europass)の取組について紹介する。ユーロパスとは、自身のスキルを管理し、欧州12での学習やキャリアを計画するための無料のオンラインツールセットであり、欧州委員会の雇用・社会問題・共生総局(Directorate-General for Employment, Social Affairs and Inclusion)が主体となって開発・運用している。ユーロパスを利用することで、個人の職業経験やボランティア活動経験、教育訓練の経験に加え、語学やデジタル等のスキル情報を記録し、共有することができるほか、自身のプロフィールに記録された経験に基づくスキルや能力のリストや、興味がありそうな仕事の提案を受け取ることもできる。また、欧州委員会が2019年から特定の国々と協力して試験運用を行い、2021年10月に正式運用を開始した学習に関する欧州デジタル資格情報(European Digital Credentials for Learning。以下「EDCL」という。)13をユーロパスに保管し、共有することもできる。
 EDCLは、学習者の学習内容を証明する情報であり、教育を行った組織から学習者に発行される。EDCLは電子印鑑で署名されているため、教育・訓練機関は、卒業証書、成績証明書、その他様々なタイプの学習達成証明書など様々な形式の資格情報を容易に認証することができる。
 EDCLを利用することで、個人(従業員、学生、求職者)は就職活動や訓練に申し込む際に自身のスキル、資格、経験等のプロフィールのリンクを共有できる。企業は採用プロセスの簡素化が期待できるほか、従業員のスキルを明確化し能力開発をサポートするためにも使用できる。教育訓練機関は資格証明書の発行にかかるコストを削減し、発行手続きを迅速化できる。
 2022年1月18日現在、ユーロパスのプロフィール総数は3,084,107件であり、EDCLの実証実験に参加した機関の一つであるクロアチアのスプリト大学は、試験運用期間中に437人にEDCLを発行している(2021年5月現在)。

3 我が国での取組

我が国においても、厚生労働省において、労働者の職業経験や職業能力を就職にいかせるよう、取組が行われている。
 まず、労働者の職業経験や職業能力を可視化するツールとして、ジョブ・カードの取組を行っている。ジョブ・カードは個人のキャリアアップや、多様な人材の円滑な就職等を促進することを目的とした「生涯を通じたキャリア・プランニング」及び「職業能力証明」のツールであり、2021年3月末現在のジョブ・カード作成者数は約277万人となっている。
 次に、2022年3月より、職業情報提供サイト「job tag」(日本版O-NET)において、適職の診断などを行えるツールを公開している。このサイトでは、個人が持つスキルや知識などから適職を探索する「しごと能力プロフィール検索」や、ミドルシニア層のホワイトカラー職種を想定して、職業能力を測定し本人の特性をいかせる職務や職位を提示する「ポータブルスキル14見える化ツール」を提供している。また、自分の強みや弱みを分析したい方向けに、経験した職業と希望する職業のスキルと知識を比較する「キャリア分析」や、ホワイトカラー職種の職務に必要な能力のうち、自分ができること、できるようにしていく必要があることを整理する「職業能力チェック」といった機能を提供している。
 さらに、ハローワークにおいては、2020年より求職情報提供サービスを実施している。当該サービスは、民間の職業紹介事業者や地方自治体等にハローワークの全国ネットワークの求職情報を提供するもので、一定の条件をクリアした職業紹介事業者等が、ハローワークシステムに登録された求職者の希望職種や希望条件、資格、職歴等の情報を閲覧15し、求職者に対して職業紹介案内等を送信することができる。
 欧米における労働市場インフラの整備の取組は、求職者、企業、教育訓練機関が統一的に利用できるスキル評価のためのプラットフォームとして参考になるものである。我が国においても、これまでの取組を有機的につなげていくとともに、デジタルでの履修証明を活用するなど「労働市場の見える化」を一層促進していくことが重要である。

コラム2–7 民間企業による労働市場インフラへの取組について

コラム2-6で紹介した、欧米におけるLERやユーロパスは、主に採用する企業側からみて求職者のスキルや経験を可視化するための労働市場インフラの例として示唆に富むものである。他方で、転職希望者が安心して転職に踏み切ることができるためには、求職者側から、応募する企業の情報を十分に得られることが重要であるが、職場の雰囲気や労働環境など、実際に当該企業に入社した後の具体的な働くイメージができる情報が得られることは、入社後の能力発揮やミスマッチの防止の観点から非常に重要であると考えられる。こうした、求職者にとって有益だが得にくい企業の「現場の声」を、実際に当該企業で働く従業員からの評価(クチコミ)という形で提供しているのがオープンワーク株式会社である。

オープンワーク株式会社

オープンワーク株式会社(東京都渋谷区、従業員数82名(2022年5月現在))は転職・就職のための情報プラットフォーム「OpenWork」の開発・運用業務を行う人材サービス企業である。「OpenWork」は会社員(退職者、現職者)による社員クチコミ、企業評価スコア、年収データ、求職者(社会人・学生)のWeb履歴書に加え、企業による求人情報、企業情報、応募・選考履歴といった「働く」に関するデータを蓄積している。
 同社が「OpenWork」事業を開始した背景には、日本の労働者のキャリアに対する満足度や熱意が国際的にみても低水準である一方16、転職者数は少なく、転職する決意ができている層しか転職活動をしていないのではないかという問題意識がある。転職を考えるに当たって感じている懸念や不安を同社で調査した結果によると、年収や職位など転職時の条件だけでなく、新しい職場の人間関係や風土への適応といった、転職後のミスマッチへの不安を回答する人が多かったという。「OpenWork」は、利害関係の無いフラットなクチコミ情報を個人に提供することで、個人が安心して転職に挑戦できるジョブマーケット・インフラになることを目的としており、さらに、転職への不安・不満が減ることで、常に良い環境で高いモチベーションを持って働く人が増え、一人ひとりの生産性が高まる市場の構築を目指しているという。
 社員クチコミは「年収」や「組織体制・企業文化」「働きがい・成長」「ワーク・ライフ・バランス」など9項目別に社員の声を掲載しており、企業評価スコアも「待遇面の満足度」「社員の士気」「風通しの良さ」など社員クチコミとは別の8項目で企業を数値評価している。「OpenWork」はこれら蓄積したデータをもとに個人、企業、投資家向けにそれぞれ以下のサービスを展開している。

①社員クチコミ及び関連データの閲覧

求職者(社会人/学生)などの個人には蓄積した社員クチコミ等を開示し、キャリアを考えるきっかけや転職・就職活動に利用してもらう。個人が社員クチコミを閲覧するには、Web履歴書を登録するという経路のほか、自身の所属若しくは過去の所属企業に関する社員クチコミを投稿するという経路、又は月額1,100円の有料プログラムに登録するという経路などがある。

②ユーザーと企業の求人マッチングプラットフォーム

求人企業や人材紹介エージェントには個人のデータを開示し、Web履歴書を登録しているユーザーの中から、求人条件に当てはまる方に対して直接スカウトを送ったり、求人をOpenWork上で公開したりすることで、ユーザーが能動的に応募ができるようにする求人マッチングサービスを提供している。

③投資家向け人的資本データの提供

投資家には蓄積した企業評価スコアや社員クチコミ等の人的資本データを開示し、ESG投資17に活用してもらう。具体的には、ESG投資の「社会」「ガバナンス」の指標分析に活用可能なデータとして、「人事評価の適正感」「法令順守意識」をはじめとした企業評価スコアや「女性の働きやすさ」をはじめとした社員クチコミに加え、「有休消化率」「残業時間」などの項目を提供している。

同社は社員クチコミ情報の信頼性向上と担保のため、厳しい投稿条件を設定しているほか、掲載前審査や掲載後のチェックを実施している。投稿条件は、正社員や契約社員として1年以上勤務していることのほか、500文字以上であることなどである。掲載前審査として、オンライン審査や社員・審査スタッフによる目視審査を行う。掲載前審査を通過した社員クチコミは、企業と同社の契約の有無にかかわらず公開しており、クチコミ掲載後にサイト閲覧者から不適切報告や投稿先企業から削除申請があった場合には、当該クチコミの再審査・検討を行う。企業評価スコアの数値は投稿件数が少ない場合に外れ値が出る可能性を考慮し、中心化するようアルゴリズムを構築しているほか、クチコミの最新性や乖離性も重視している。
 2022年5月現在、同サービスの利用者(本登録ユーザー)数は約485万人である。利用者の年齢層は20歳台と30歳台が7割超を占めており、利用者の経験職種は多様である。一方、同社と直接契約を結んでいる1,500社以上の企業や転職エージェントは求人情報を無料で掲載でき、採用が決まった際に一人当たり決まった額の報酬を支払う。2022年5月現在、その求人数は15,000件を超えるまでに急成長している。
 転職後にギャップを感じた経験はあるかどうかを利用者に尋ねた結果、「ギャップあり」と回答した割合は、「OpenWork」での転職者の場合は9%と一般的な転職者よりも少ないという18。企業からは、同サービスを利用した転職者の場合は社員クチコミを見た上で入社するため、活躍している方が多いという声も挙がっているとのことである。クチコミ情報の掲載にあたっては、特段当該企業の承諾は得ていないため、創業以来、クチコミを削除してほしいという依頼もあり、また、創業当初は求人情報の掲載を企業に依頼しても断られることが多かったとのことだが、直近では契約企業が急増しているという。同社の担当者は、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)などで個人が自由に発信できる現代においては、企業の実態を隠すよりも、OpenWorkで情報を公開した方が良いと考える企業が増えてきていると感じるとのことである。
 同社の代表取締役社長は、「今後は個人のキャリアについて蓄積しているデータを使用して、どのようなリスキルをすればキャリアにつながるかを利用者に提示するサービスに挑戦したい」と語っている。外部からは見えにくい、企業の働く「現場の声」を可視化する同社の事業は、経済産業省の推進する「人的資本経営」19にも沿うものであり、転職者の不安を解消し、ミスマッチの防止や入社後の能力発揮に資する魅力的な事例であることから、今後の展開を注視していきたい。

第4節 公共職業訓練の効果と課題に関する分析

これまで、労働者の主体的なキャリア形成やそれを通じた労働移動を促進する上で、労働者の自己啓発の重要性について言及してきた。本来、多くの国民が生活に不安を感じることなく働き続けるためには「失業なき労働移動」が行われることが望ましい。また、在職者に対する教育訓練給付等の制度の充実も、企業や労働者の生産性や付加価値を高める上で重要である。他方、一旦、失業状態になった者でも、外部労働市場を利用し、円滑に労働移動ができるよう、職業訓練等により新たにスキルを身につけ、早期に再就職が可能となる環境を充実することも、社会のセーフティネットとして重要な機能である。
 公的職業訓練は、これまで、失業者等に対する政策的な支援の中核として、国や都道府県の責任の下、公共職業能力開発施設・民間教育訓練機関等で実施されており、重要な役割を果たしている。しかし、厚生労働省においては、行政記録情報として失業保険の給付や公共職業訓練受講者の訓練受講状況や就職状況についての業務データを保有している一方、近年重要性が高まっている根拠に基づく政策形成(Evidence Based Policy Making。以下「EBPM」という。)に基づく客観的な課題の検討は十分に行われていなかった。
 厚生労働省においては、このような問題意識の下、行政記録情報を用いて、労働経済学に関する有識者の助言も得ながら20、公共職業訓練の効果と課題について詳細な分析を行った。一連の分析により、公共職業訓練の受講により、失業者について再就職の可能性を高める一定の効果があることが確認されるとともに、介護・福祉分野やIT分野といった、労働力需要が高まる分野の訓練についても、効果や今後の課題に関する一定の知見が得られた。今回の分析は、それ自体が公共職業訓練の在り方について一定の政策的含意を示すものであるが、同時に、労働政策の分野において、行政が自ら保有するデータを有効に活用し、EBPMによる不断の改善を図っていく上での嚆矢となることが期待される。以下で今回の具体的な分析内容と政策的含意について紹介していく。

分析の目的及び利用したデータセットの構築について

まず、今回の分析の主な目的について説明する。今回は、公共職業訓練の効果について、主に以下の点について明らかにするべく分析を行った。

  • 公共職業訓練の受講により、公共職業訓練を受講していない場合と比較して再就職できる確率が高まるか
  • 公共職業訓練の受講により、介護・福祉分野やIT分野など、労働力需要が高まる分野への労働移動が促進されるか

第2-(4)-23図は、今回の分析に用いたデータセットの概要である。公共職業訓練の再就職に及ぼす効果を分析するに当たって、公共職業訓練の受講有無、再就職の有無に応じて以下のグループA~グループDのカテゴリに区別できるよう、データセットを構築した。分析に当たっては、データの観察期間を2021年7月末までとし、就職に必要な期間も考慮して、前職で雇用保険が適用されていた者で、2020年1月~6月において離職した後、ハローワークに求職申込をした者に限定して分析を行った。その結果、2020年1月~6月において前職を離職した者でハローワークに求職申込をした母集団が約120万人となった。これを、公共職業訓練の受講の有無及び再就職の有無により4つのカテゴリに区分したところ、訓練受講者でかつ再就職した者が約2.5万人、訓練受講者でかつ再就職していない者が約1.0万人、訓練非受講者でかつ再就職した者が約32.8万人、訓練非受講者でかつ再就職していない者が約83.3万人となった。以降の分析は、このデータセットを用いて行っている。

コラム2–8 厚生労働省におけるEBPMの取組について

政府全体で進めているEBPMとは、政策目的を明確化させ、その目的のため本当に効果が上がる行政手段は何かなど、当該政策の拠って立つ論理を明確にし、これに即してデータ等の証拠(エビデンス)を可能な限り求め、「政策の基本的な枠組み」を明確にする取組と定義される21。厚生労働省においては、独自の取組として、EBPMの推進に係る若手・中堅プロジェクトチーム(以下「EBPM若手チーム」という。)を2019年12月に設置し、EBPMに関心のある有志の厚生労働省職員が、政策立案に貢献するような分析を実施してきた。EBPM若手チーム設置の目的は、実践を通じた統計の利活用を推進し、職員が統計データに係る分析手法を習得できるようにし、統計やエビデンスに対するリテラシーを高めることである。本コラムでは、EBPM若手チームが取りまとめた分析結果についていくつか紹介する。

① 障害者雇用の促進22

障害者雇用を促進させる施策の一つとして、従業員数が一定以上の企業に対し、常時雇用する従業員の一定割合以上の人数の障害者の雇用を義務付ける障害者雇用率制度がある。2018(平成30)年4月より、民間企業の法定雇用率がそれまでの2.0%から2.2%に引き上げられた。このことにより、障害者を追加的に1人以上雇い入れる必要が出てきた企業(以下「処置群」という。)と、追加的に雇い入れる必要のない企業(以下「対照群」という。)との間で、実際に雇用している労働者に占める障害者の割合(実雇用率)の推移にどのような違いがみられるかを検討した。
 処置群と対照群で前後の差を検討する、差の差(Difference-in-Difference)分析の結果はコラム2-8-①図のとおりである。その結果によると、法定雇用率引上げの実施前の2017年以前は、処置群も対照群も実雇用率は同水準であったが、引上げ実施後の2018(平成30)年以降の実雇用率は、処置群が対照群よりも大きく上昇している。制度変更前後の変化と、処置群と対照群の関係をみることで、制度変更の影響がみられたことが確認できる。

② 時間外労働の上限規制23

長時間労働の是正を目的として、時間外労働の上限規制24が2019(平成31)年4月に大企業25に適用され、中小企業にはその1年後(2020(令和2)年4月)に適用された。大企業のみに適用されていた時期には、大企業か中小企業かを決める境界(以下「閾(しきい)値」という。)の近辺においては、規制の適用の有無のみに違いがみられ、経営環境等その他の要因は大きな違いがないと想定されることから、回帰不連続デザイン(Regression Discontinuity Design)と呼ばれる手法を用いて、閾値より少しだけ上回る事業所と少しだけ下回る事業所との違いをみることで、時間外労働の上限規制の効果を検証した。

コラム2-8-②図は、大企業か中小企業かを決める指標の一つである資本金に注目し、資本金が閾値より少し上回る事業所と、下回る事業所で比較すると、閾値近辺においては矢印で示した段差がみられた。一方、他の年のデータも確認したところ、閾値近辺の段差がみられなかったことから、コラム2-8-②図の段差は、上限規制適用の効果を示しているといえる。

公共職業訓練の受講により、離職者の再就職の確率は高まる可能性

まず、公共職業訓練の受講による再就職への効果について分析を行う。
 第2-(4)-24図(左図)は、いわゆるサバイバル分析の手法を用いて、公共職業訓練の受講者と非受講者のそれぞれについて、前職離職日からの再就職までの期間を推定したものである。これによれば、訓練受講者は離職後150日前後から大きく無業者割合が低下し、最終的に再就職した者の割合は訓練非受講者と比較して高くなっている。
 公共職業訓練に限らず、政策の実施とその結果の因果関係について分析を行う上で注意しなければならない点として、政策の介入群(対象者)と非介入群(非対象者)についてのセレクションバイアス26の問題がある。公共職業訓練についていえば、公共職業訓練を受講する者は、公共職業訓練を受講していない者と比較して、就職に対する意欲が高く、結果として就職率も高くなりやすい傾向がある可能性がある。逆に、公共職業訓練を受講しない者には、もともとスキルが高いために公共職業訓練を受講する必要が無い者が含まれている可能性があり、その場合も再就職の確率を高める方向に作用する可能性がある。こういった、公共職業訓練の受講によるものではない、労働者個人の属性等が再就職の確率に及ぼす影響がセレクションバイアスであり、単純に訓練の受講グループと非受講グループで再就職率を比較すると、純粋な公共職業訓練の効果ではなく、セレクションバイアスを含んだ効果を推定してしまうおそれがある。
 セレクションバイアスをできるだけ取り除き、純粋な政策の因果効果を推定する一連の統計的な手法は因果推論(Causal Inference)と呼ばれ、近年様々な手法が開発されている。今回の分析では、代表的な因果推論の手法として、傾向スコアマッチング(Propensity Score Matching)と呼ばれる手法を用いることとした。傾向スコアマッチングの概念を簡単に説明すると以下のとおりである。
 まず、訓練を受講したか否かを被説明変数とし、訓練の受講確率に影響を及ぼすと考えられる要素を説明変数として回帰分析(今回はロジスティック回帰分析を用いた)を行い、各個人について、訓練の受講確率を推定するモデルを構築する。構築したモデルに、再び説明変数を代入することで、各個人の訓練受講確率が算出される。これが傾向スコア(Propensity Score)と呼ばれるものである。最後に、訓練非受講者グループのうちから、訓練受講者グループの各サンプルと、傾向スコアが近い者同士をマッチングし、マッチしたサンプルを分析対象とする。これにより、訓練受講者グループと訓練非受講者グループで、モデルの構築に使用した要素が、グループの平均でみれば偏りが無くなっている状況を作ることができる27。その上で、訓練受講グループと非受講グループで再就職確率を比較することで、セレクションバイアスをある程度補正した訓練効果を推定することができる28
 右図は、傾向スコアマッチングを行う前と傾向スコアマッチングによる調整を行った後の、訓練受講グループと非受講グループの再就職率の差を回帰分析によりみたものである29。これによれば、傾向スコアマッチングによる調整を行う前には、訓練受講者グループの再就職確率は約44%ポイント訓練非受講者グループよりも低くなっている。一方、傾向スコアマッチングによる調整を行った上での回帰分析の結果をみても、訓練受講者は訓練非受講者と比較して約29%ポイント再就職する確率が高くなっている。この結果からは、傾向スコアマッチングによる調整を行う前の段階においては、訓練受講グループには、訓練の受講以外にも、再就職の確率を高める何らかのバイアスが存在したことがうかがえる。ただし、当該バイアスを除去した上でも、再就職確率は訓練受講グループの方が大きく上回っていることから、公共職業訓練の受講により再就職の確率を高める一定の効果があると考えることができる。

公共職業訓練による再就職への効果は分野を問わず確認される

一般的に公共職業訓練の受講が再就職の確率を高めることが示唆されたが、再就職への効果は訓練分野ごとに異なるだろうか。第2-(4)-25図は、第2-(4)-24図でも実施したサバイバル分析による再就職確率の推移について、訓練分野別に分析したものである。代表的な訓練種別ごとに訓練終了後(訓練非受講者については離職後)の無業者の割合の推移をみると、いずれの訓練分野についても、訓練非受講者と比較すると無業者の割合は速やかに低下しており、特に介護・医療・福祉分野や機械・金属・電気分野においては、他の訓練分野と比較しても訓練終了後に比較的早く再就職する傾向がある。このことから、訓練分野により、再就職のしやすさに多少の違いはあるが、総じて、いずれの訓練分野でも、訓練非受講者と比較すると再就職への効果は一定程度認められると考えられる。

介護・福祉分野の訓練については、他分野からの労働移動を促進している可能性がある

これまでの分析により、公共職業訓練の受講が、非受講者と比較して再就職の確率を一定程度高める効果があると考えられることが分かった。ここからは、2つ目の分析目的として、職業訓練を受講することで、当該訓練分野への他分野からの労働移動が促進されているかをみていく。その際、今後労働力需要が高まると考えられる介護・福祉分野やIT分野の訓練について、更に分析を行う。
 第2-(4)-26図は、主な訓練種別において、新職の就職者のうち、他の産業又は職業からの移動者割合をみたものである30。当該分野の訓練を受けたことによる他分野からの労働移動の効果をみるため、比較対象として、訓練を受講していない場合に加え、当該分野以外の訓練を受けた場合についての状況とも比較している。これによれば、新職が医療・福祉のサービス職(介護・福祉職員を想定)である者の他分野からの移動者割合は、新職に関連した介護等の訓練を受けた者において、他の分野の訓練受講者や訓練非受講者よりも高い傾向がみられる31。一方、新職が情報通信業の専門的・技術的職業(以下「情報技術者」という。)である場合の他分野からの移動者割合は、IT分野の訓練を受講した者の場合、訓練非受講者と比較すると高いものの、他分野の訓練を受講した場合との比較では顕著な差がみられない。
 この結果からは、介護・福祉分野の訓練については、訓練を受講した場合に、他分野からの労働移動を促進する可能性があることが示唆される一方、IT分野の訓練については、IT分野の訓練を受講した場合と他分野の訓練を受講した場合で、他分野からの労働移動者の割合に明確な差が無いことから、IT分野の訓練を受講したことが他分野からIT分野への労働移動を促進しているというエビデンスは確認できない。

介護・福祉分野の訓練については、応募倍率や定員充足率が他分野の訓練と比較して低く、訓練受講者を如何に増やすかが課題である

ここからは、介護・福祉分野及びIT分野について、それぞれ個別に深掘りした分析を行っていく。まず介護・福祉分野についてみていく。介護・福祉分野の訓練については、これまでみたように、訓練受講者の再就職の確率を高める効果や、他分野からの労働移動を促す効果があることが示唆されており、訓練を受講した場合の再就職や労働移動の効果はある程度認められると考えられる。他方で、第2-(4)-27図によれば、「情報系」など他の分野と比較すると、「介護系」の訓練の応募倍率・定員充足率は低く、どのように訓練受講者を増やしていくかという点で課題があると考えられる。
 訓練の受講者を増やしていくに当たっては、介護・福祉分野への適性がある者に対して訓練の受講を促していく必要がある。介護・福祉分野への適性について、前章では、介護・福祉分野にキャリアチェンジをした者の分析において、転職後のワーク・エンゲイジメントに着目して分析を行った。しかし、行政記録情報においては転職後のワーク・エンゲイジメントを測る指標が無いため、今回の分析では、訓練を受講した者が介護・福祉分野に就職したかどうかを適性の有無を測る代理指標の一つとして用いることとする32

介護・福祉職のタスクは、他者に対する支援・ケアや同僚とのコミュニケーション、人間関係の構築といった要素が強く、生活衛生サービスの職業などとの類似性が高い

介護・福祉分野への適性を分析するに当たり、前職の仕事の内容(タスク)と介護・福祉分野のタスクの類似性が当該適性に影響することが考えられる。そこで、前章と同様、日本版O-NETにおける職業ごとの「仕事の内容」スコアを用いて分析を行っていくこととする。具体的には、「介護・医療・福祉分野」の訓練受講者の前職の職業と介護・福祉職との「仕事内容の近さ」(タスク距離)を算出し、「介護・医療・福祉分野」の受講者のターゲッティングについて考察する。
 第2-(4)-28図は、介護・福祉職の仕事の内容41項目のスコアをみたものである。これによると、介護・福祉職では、「他者に対する支援・ケア」、「同僚とのコミュニケーションや人間関係の構築・維持」といった項目のスコアが比較的高くなっている。
 また、第2-(4)-29図は、介護・福祉職とのタスク距離が近い職種(左図)及び介護・福祉職とのタスク距離が遠い職種(右図)をそれぞれ列挙したものである。これによると、介護・福祉職とのタスク距離が近い職種には、医療・福祉関係の職種を除けば、「トリマー」「あん摩マッサージ指圧師」「旅館・ホテル支配人」などの生活衛生サービスの職種や「教員」など教育関係の職種が多くなっている。また、介護・福祉職とのタスク距離が遠い職種には「ビル・建物清掃員」のほか、「医療・介護事務員」「その他の外勤事務の職業」などの事務系職種などが含まれている。

介護・福祉職とのタスク距離が近い者においては訓練受講後に介護・福祉分野に関連した就職をする割合が高いが、介護・福祉職とのタスク距離が遠い者についても、一定程度介護・福祉分野に関連した就職をしている

それでは、介護・福祉分野の訓練受講者について、前職の職種と介護・福祉職とのタスクの距離と、介護・福祉分野に関連する就職のしやすさとの関係をみてみよう。第2-(4)-30図は、介護・福祉分野の訓練受講者について、横軸に前職と介護・福祉職とのタスク距離をとり、縦軸に前職の職業ごとの、介護・福祉分野に関連した就職をした者の割合をとったものである。バブルの大きさは、当該職種における介護・福祉分野の訓練受講者数を表している。これによると、緑色の、介護・福祉職とのタスクの距離が近いグループにおいては、訓練に関連した就職をしている者が多くなっている。
 他方で、赤色の前職と介護・福祉職とのタスク距離が遠いグループの関連就職割合をみても、当該割合が介護・福祉職とのタスク距離が近いグループや中程度のグループと比較して低いという傾向は特段みられない。
 これに関連して、前職の職種と介護・福祉職とのタスク距離と介護・福祉分野の訓練を受講した場合の再就職率や訓練に関連した就職をする確率の関係について回帰分析を行ってみた結果が第2-(4)-31図である。(1)は、訓練非受講者も含めた全サンプルを対象として、再就職の有無を被説明変数とした結果である。(2)は、訓練受講者を対象として、介護・福祉分野の訓練に関連した就職をしたか否かを被説明変数とした結果である。いずれも、介護・福祉分野の訓練を受講したか否か及び前職と介護・福祉職との距離や、それらの交差項を説明変数に用いている。回帰分析の結果をみると、介護・福祉職とのタスク距離と介護・福祉分野の訓練受講の交差項の係数は統計的に有意ではなく、介護・福祉職とのタスク距離の近さによって再就職率や訓練に関連した就職の確率に明確な差はみられないという結果になっている。したがって、第2-(4)-30図の結果とも合わせると、前職と介護・福祉職との距離によって、介護・福祉分野の訓練受講者が介護・福祉分野に関連した就職をするか否かに統計的に有意な差は無く、前職と介護・福祉職とのタスク距離が遠いからといって、必ずしも介護・福祉分野への適性が低いわけではないという可能性が示唆される。

介護・福祉分野の訓練の受講者には介護・福祉職とのタスク距離が近い者だけでなく、タスク距離が遠い者も含まれる

前職の職種と介護・福祉職とのタスク距離と介護・福祉分野の関連就職の関係からは、介護・福祉職との距離が近いグループではやや介護・福祉分野への関連就職割合が高いものの、介護・福祉職とのタスク距離が遠い者でも関連就職割合は一定程度あることが分かった。それでは、実際に介護・福祉分野の訓練を受講している者のタスク距離の状況はどうなっているだろうか。
 第2-(4)-32図は、介護・福祉分野の訓練を受講する割合が高い前職の職種をみたものである。これによると、介護・福祉分野の訓練を受講する割合が高い職種には、タスクの距離が近い医療・福祉系の職種が多く含まれていることが分かる。他方、医療・福祉系の職種以外をみると、「ビル・建物清掃員」や「医療・介護事務員」「総合事務員」など、必ずしも介護・福祉職とのタスク距離が近くない職種の者も含まれている。

介護・福祉職とのタスク距離が近い者、遠い者のそれぞれの特徴に応じて介護・福祉分野の訓練の受講を促していくことが考えられる

ここまで、介護・福祉分野の訓練について分析を行ってきたが、一連の分析のまとめと、分析結果の政策的な含意について述べる。まず、介護・福祉分野の訓練については、「医療,福祉」以外の産業・職種の離職者が訓練を受講することで、「医療,福祉」への移動に及ぼす効果がみられ、他産業・他職種からの労働移動を促進する効果がみられた。このことから、人手不足の介護・福祉の現場を支える人材確保のために、介護・福祉分野の職業訓練の量的拡充も選択肢として考えられるものの、他方で、介護・福祉分野の訓練の定員の充足率が相対的に低い現状を鑑みれば、受講者をどのように確保していくかが重要な課題であると考えられる。
 介護・福祉職への適性が前職と介護・福祉職とのタスクの類似性と関連しているという仮説に基づき、介護・福祉職とのタスクの距離に着目した分析を行った結果によれば、前職と介護・福祉職とのタスク距離が近い者だけでなく、介護・福祉職とのタスク距離が遠い者も含めて、幅広い求職者が潜在的に介護・福祉分野の訓練対象者となり得ると考えられる。このことから、介護・福祉職とタスクの類似性が高い職種以外の職種の者もより容易に訓練を受けられるようにするため、例えば、現在講じている短期間・短時間訓練等の特例措置の効果を見極めた上で、感染収束後も継続するなど、受講者の裾野を広げる取組も有効ではないかと考えられる。
 また、介護・福祉職と前職とのタスクの距離が近い者では、介護・福祉分野に関連した就職をした者の割合が高く、訓練効果もより高い可能性がある(介護・福祉職により適性がある可能性がある)一方で、タスク距離が近い職種の経験者は介護・福祉の訓練を必ずしも受講していない傾向がみられた。このため、タスク距離が近い職種の求職者に対して、介護の魅力に加え、タスクの類似性も伝えるなどして、介護・福祉分野の訓練を紹介する工夫も必要ではないかと考えられる。

IT分野の訓練の受講者は、訓練に関連した就職をする割合が他の分野と比較してそれほど高くない

介護・福祉分野に続いて、IT分野の公共職業訓練の効果や課題についても分析を行っていく。IT分野については、デジタル分野における人手不足を背景に、公共職業訓練を強化する動きがある33。他方で、これまでの分析によれば、IT分野の公共職業訓練の受講者は、他の訓練分野と同様、訓練非受講者と比較すると再就職がしやすくなっているものの、他分野から情報技術者への労働移動を促進しているというエビデンスは確認できなかった。また、第2-(4)-33図は、訓練分野別に、当該訓練に関連した就職をした者の割合をみたものであるが、これによれば、IT分野の訓練の受講者のうちで訓練に関連した就職をしている割合は、他の分野と比較してそれほど高い数値にはなっていない。
 IT分野の訓練受講者について、訓練に関連した就職をした者の割合が高くないという事実は、IT分野の公共職業訓練の在り方についてどのような政策的含意を有しているだろうか。この点について以降の分析を進めていくが、その際重要な点として、IT分野の訓練については、ITに関する専門技術を持った人材の育成を目的とする訓練と、ITをビジネスにおいて活用できる人材を育成することを目的とする訓練に分けることができる。これらの訓練は、想定している受講者層や就職先の職種が異なるため、IT分野の訓練効果について議論するに当たっては、こうした、訓練目的の違いを意識して分析を進める必要がある。

IT分野の訓練の受講者は、事務職に就職している割合が最も高い一方、事務職でも訓練に関連した就職をしている者が一定割合みられる

まずは、IT分野の訓練受講者について、再就職した場合の具体的な就職先の状況をみてみよう。第2-(4)-34図は、IT分野の訓練受講者が就職した産業・職業の状況(左図)及び新職の産業・職業別の訓練に関連した就職者の割合(右図)をみたものである。左図をみると、IT分野の訓練受講者のうち、情報技術者に就職した者の割合は5.8%となっている一方、サービス業の事務的職業や公務の事務的職業に就職した者の割合はそれぞれ13.7%、8.2%となっており、IT分野の訓練受講者のうち、情報技術者に就職する者よりも事務職に就職する者の割合の方が高くなっている。他方で、右図によると、IT分野の訓練受講者で再就職した者のうち、訓練に関連した仕事に就職したとする者の割合は、情報技術者で59.5%と高い。一方、事務職においては、3~5割程度とやや幅があるが、一定割合みられる。
 第2-(4)-33図で、IT分野の訓練受講者について、訓練分野に関連した就職をしたとする者の割合が高くないことを指摘したが、IT分野の訓練受講者の就職先をみても、情報技術者に就職した者よりも事務職に就職した者の割合が高くなっている。また、訓練に関連した就職をした者の割合は情報技術者と比較すると事務職に就職した者の方がおおむね低くなっている。他方で、事務職に就職した者であっても、「製造業」や「医療,福祉」業などでは、訓練に関連した就職をした者の割合が比較的高くなっている場合もある。それでは、IT分野の訓練受講者で事務職に就職する者にはどのような特徴があるだろうか。

IT分野の訓練の受講者のうち、前職が事務職である場合は再び事務職に就職する傾向がみられるとともに、女性の場合IT分野の訓練を受講しても情報技術者になりにくい傾向がみられる

IT分野の訓練受講者のうち、事務職に就職する者や情報技術者に就職する者の特徴について分析していく。
 第2-(4)-35図は、IT分野の訓練受講者について、「サービス職の事務職」に就職するか否か及び情報技術者に就職するか否かを被説明変数とし、訓練受講者の様々な属性を説明変数として回帰分析を行ったものである。まず、サービス職の事務職に就職する確率については(左図)、前職が「事務職」である場合や「派遣労働者」である場合に係数が正で統計的に有意となっている。したがって、前職が事務職であると、IT分野の訓練を受講した場合に再び事務職に就職する傾向が強いことが分かる。この結果と、第2-(4)-34図でみた結果を併せて考えると、事務職として働いていた者が、IT分野の訓練を受講することで応用的なITスキルを身につけ、新たに事務職において当該スキルを活用した仕事をしているという実態がうかがえる。
 また、IT分野の訓練受講者が情報技術者に就職する確率をみると(右図)、年齢が高くなるにつれて情報技術者に就職しにくい傾向がみられるとともに、女性は情報技術者に就職しにくい傾向があることが分かる。特に女性が情報技術者になりにくいという点について、既にみたIT分野の訓練受講者が事務職から事務職に移行しやすいという点と関連しているため、以下で更に詳細にみていく。

IT分野の訓練の受講者の訓練科別の割合は、「情報ビジネス科」が最も高く、特に女性で高い割合となっているす

第2-(4)-35図でみたように、女性はIT分野の訓練を受けても情報技術者になりにくい傾向がみられた。この背景にはどのような要因があるだろうか。ここからは、男女の傾向の違いに着目して、IT分野の訓練受講や就職の傾向を細かくみていく。
 第2-(4)-36図は、男女別にIT分野の訓練受講者の訓練科別の受講割合をみたものである。ここまでの分析で「IT分野の訓練」と一括りにしていたが、その中には様々な内容・レベルのものが含まれている。これを細分化すると、男女ともにITのユーザーレベルのスキルを学ぶ「情報ビジネス科」の受講者割合が最も高く、特に、女性では6割を超えている。「情報ビジネス科」の訓練は、ITをビジネスにおいて活用できる人材を育成することを主な目的とする訓練である。訓練内容は実際に開講される講座ごとに異なっているが、PCやソフトウェアの操作なども含まれることから、事務職等でも活用できるものとなっている。

女性がITの専門的な訓練を受講した場合は情報技術者になる確率が高まる傾向があり、その効果に性別による差は確認できない

女性のIT分野の訓練受講者は、ITのユーザーレベルのスキルを身につける訓練コースへのニーズが高いことがうかがえたが、ITの専門的な訓練を受講した場合、女性が情報技術者になる確率への効果は、男性と異なるだろうか。
 第2-(4)-37図は、再就職した者について、情報技術者になるか否かを被説明変数とし、IT専門訓練を受講した場合、情報ビジネス科の訓練を受講した場合及び訓練を受講しなかった場合といった、訓練受講に係る状況を説明変数として、ロジスティック回帰分析を行った結果である。これによると、女性は男性と比較して情報技術者になりにくい傾向はあるものの、ITの専門訓練を受講した場合は、非IT分野の訓練を受講した場合と比較して情報技術者への就職確率は有意に高まっている。また、女性ダミーとIT専門訓練受講の交差項が統計的に有意ではないことから、その効果には性別による統計的な有意な差はみられない。
 したがって、女性も、ITの専門訓練を受講した場合は情報技術者になりやすくなる傾向があり、その効果について、男性との間に性別による差があるとはいえない。

女性のIT訓練受講者はITの専門訓練の受講者でも、事務職への就職意向が強い

女性も、ITの専門訓練を受けた場合は情報技術者に就職する確率が高まり、かつ、その効果には性別による差が無い可能性が示唆された。それでもなお女性が情報技術者になりにくい傾向がある背景としては、女性の就職意向が関係している可能性がある。
 第2-(4)-38図(1)は、IT分野の訓練受講者について、男女別に「情報ビジネス科」の受講者と、それ以外のIT専門訓練の受講者のそれぞれについて、ハローワークにおける求職申込時の希望職種の割合をみたものである。これによれば、「情報ビジネス科」の受講者は男女ともに「一般事務の職業」を希望する割合が高いが、特に、女性では6割程度を占めている。さらに、IT専門訓練の受講者についてみても、男性は「情報処理・通信技術者」を希望する割合が高いのに対し、女性では「一般事務の職業」を希望する者が半数以上を占めており、「情報処理・通信技術者」の希望者は1割程度となっている。
 続いて、同図(2)は、IT分野の訓練受講者で再就職した者について、「情報ビジネス科」とIT専門訓練の受講者に分けて、男女別に前職と新職の職種の組み合わせごとの割合をみたものである。これによると、「情報ビジネス科」の受講者の就職先は、男性では「生産工程の職業」や「サービスの職業」など幅広いが、女性は事務職への就職が半数近くを占めている。
 IT専門訓練の受講者については、男性は「専門的・技術的職業」への就職割合が比較的高くなっているが、女性では「情報ビジネス科」の受講者と同様、事務職への就職割合が高くなっている。
 これらの結果を併せてみると、女性のIT訓練受講者は男性と比較して、ITの専門訓練の受講者であっても求職申込時には事務職への就職を希望する者が多く、また、ハローワークの働きかけによりIT専門訓練を受講した者であっても、情報技術職に就職することが少ないことが分かる。このように、女性は男性と比較して、事務職に就職する意向が強いことが、女性が情報技術者になりにくいことの主な要因の一つとなっている可能性が示唆される。

女性の情報技術者への就職を促すためには、ITの専門訓練の充実に加え、女性の情報技術者への就職に対する関心を高めるための支援が求められる

一連の分析を踏まえ、IT分野の訓練についても政策的含意をまとめる。IT分野については、他の職業から情報技術者への移動を促進しているエビデンスは確認できなかった。また、IT分野の受講者は事務職から事務職への転職をしやすく、事務職における関連就職をしている(IT分野の訓練が就職に役立っている)者が一定割合みられる。
 また、IT分野の訓練を受けた女性が情報技術者に就職しにくい状況にある傾向もみられた。これについては、女性はIT分野の訓練受講者であっても、ユーザーレベルのスキルを身につける訓練コースへのニーズが高いことや、事務職への就職意向が強い傾向があることが主な要因である可能性がある。現在、企業のDXやデジタル化が加速しており、今後は更に高度なITリテラシーが事務職にも求められることが想定されることから、ITのユーザーレベルのスキルを身につける機会は社会的にも求められるところであり、こうした訓練コースの意義は大きいものと考えられる。
 他方、政府も、デジタル人材を育成・確保していく上で、ジェンダーギャップの解消に向けた取組を進めており34、女性の情報技術者への就職を更に促進していくという観点からは、女性の情報技術者への就職への関心を高めていくことが重要であると考えられる。例えば、ハローワークにおいて、IT専門訓練受講後に応募可能な求人に関する情報提供を行うことや、訓練受講期間中の企業実習を通じて女性に情報技術者として実際に働くイメージを持ってもらうことなど、女性が情報技術者として働くことへの関心を高められるような支援を行っていくことが求められる。

コラム2–9 民間企業によるITスキルの学び直しに向けた取組について

これまでみてきたように、産業界におけるDXの推進等により、IT人材に関する労働力需要は一層高まっていくことが見込まれている。また、コラム2-4でみたように、事業会社を中心として、ITの専門人材だけでなく、ITをビジネスに活用して付加価値を生むことができる人材の重要性が高まっていることがうかがえ、広く社会全体において、労働者がそれぞれの層に応じたITスキルを身につけることが求められているといえる。こうした状況下においては、労働者が自らのニーズに応じたITスキルの学び直しができる環境の充実が求められるが、民間企業において、ITスキルの学び直しのためのプラットフォームを提供する動きが広がりつつある。ここでは、先進的な取組の事例として、株式会社セールスフォース・ジャパン、青山学院大学及び丸紅株式会社の取組を紹介する。

株式会社セールスフォース・ジャパン

セールスフォースは、1999年に米国にて設立されたクラウドによるサブスクリプション型のCRM35プラットフォームを提供する企業である。日本法人は2000年に設立され、従業員数は約3,590人である(2022年1月末現在)。
 「Pathfinder」プログラムは、2018年から米国本社が米デロイト社と共同で開始したDX人材育成のための再就職プログラムであり、米国では当初退役軍人等を対象にSalesforce認定資格の取得などの就業に向けた支援を行ってきた。
 日本においても、感染症の影響によってCRM領域におけるDX人材のニーズが急速に高まったことを背景に、CRMの知識のほか、「Salesforce認定アドミニストレーター」36資格を取得、学習した知識を元に演習により実践力を習得することで、市場価値の高いDX人材を市場に排出することを目的として、2021年から開始された。日本法人がオンラインのプログラムや学習コンテンツの提供を行い、共同で運営するデロイトトーマツコンサルティングがCRMビジネスの基礎やシステム要件定義等のビジネススキルについてトレーニングを行う。
 同プログラムはフェーズ1からフェーズ3があり、以下のような内容となっている。
 フェーズ1:オンライントレーニング・講習・試験対策、 Salesforce 認定アドミニストレーター試験(13週間)
 フェーズ2:総合演習(8週間)
 フェーズ3:キャリアサポート(2週間)
 フェーズ1では同社の提供するCRMプラットフォームの使用方法や、CRM、IT等の基礎知識を身に付け、その後にSalesforce認定アドミニストレーター試験を受験し、合格した受講生がフェーズ2に進む。フェーズ2では仮想の企業を設定し、受講生がオンラインで課題解決に向けた設計、開発等の演習を行い、フェーズ3ではパートナー企業(同社の製品を活用した事業を展開する企業)と受講生のマッチングイベントを企画し、知識の習得から就職に結びけられるような流れを構築している。
 2022年2月現在、これまでの受講生は102名であり、男女別の内訳では女性が多いのも特徴である。同社は、IT業界全体では女性の比率は非常に少ない状況にあるが、就職氷河期世代や結婚出産を機に就業から離れた場合など、女性のIT分野における就業の拡大に関しては潜在的な可能性があり、IT業界全体の人材を拡大することにも貢献できると考えている。
 プログラムを実施する上での工夫として、オンラインでの自己学習や隙間時間を活用した学習が中心である場合、受講者の理解度を把握しづらい等の課題があるが、同社のコミュニケーションツール(Slack)を用いたサポートのほか、オンラインでの質問の場を設けて実際の画面を見ながら指導し、受講生に解説を行っている。また、パートナー企業からも資格取得に係る情報提供を受けているほか、パートナー企業の就業者に座談会へ参加してもらい、受講生が働くイメージを持てるよう、仕事上の具体的事例を交えた話をしてもらっている。
 受講生からは、「無料で有益な知識が習得でき、スケジュールがしっかり組まれている」「セールスフォースを通してDXを推進するための先進的なシステム構築を学ぶことができてよかった」等の声があったという。また、今後の展望について、同社担当者によれば、今後も規模を拡大しつつ同プログラムを継続して実施していく予定であるとのことである。
 きめ細かい教育プログラムと就職支援が一体となった同社の取組は、女性のIT分野への就職を促進する上でも注目すべき事例であり、今後の進展にも注目したい。

青山学院大学

青山学院大学社会情報学部(神奈川県相模原市)では、2019年に社会人向け教育プログラム「青山・情報システムアーキテクト育成プログラムADPISA」を開始した。ADPISAは、情報システムを企画・開発・運営できる人材「情報システムアーキテクト」を育成する社会人向け教育プログラムであるが、感染拡大により女性が大きな影響を受けていること、DX時代のIT人材への期待が高まっていること等から、2021年に「女性向けのITリカレント教育プログラムADPISA-F」を新たに創設した。2021年度のADPISA及びADPISA-Fは、文部科学省の「就職・転職支援のための大学リカレント教育推進事業」37に採択されている。
 ADPISA-Fの対象者は、IT系の知識を学んだことがない女性の離職者、転職希望者、未就労者であり、年齢制限はない。プログラムは主にオンラインで行われ、受講後はITパスポート、基本情報技術者、AWS認定資格等を受験できるレベルへの到達を目標としている。250時間のプログラムは、①自分のライフを振り返り、継続的にキャリアコンサルティングを行ってマインドを醸成する「女性向けライフデザイン科目群」(必修18時間)、②まず演習を通してITの面白さを体験する「IT実践力強化科目群」(必修50時間)、③ITの実践的な基礎知識・スキルを習得する「IT基礎科目群」(必修91時間)、④様々なIT系の職種で即戦力になれる知識・スキルを習得する「IT職種対応科目群」(科目選択制、91時間)の4つの科目群から構成されている。①の女性向けライフデザイン科目群では、講義に加え、キャリアコンサルタントによる個人面談を行い、個別の悩みに対応している。③のIT基礎科目群では、受講者がいつでも質問できる体制を整え、必要であればマンツーマン指導を行うといった手厚いサポートを行っている。本科目群受講後、受講生は、Webデザイナー、プログラマー、システムエンジニア、クラウドサーバー運用者といった選択肢の中から職種選択を行い、IT職種対応科目群を受講する。
 本プログラムの定員は30名であるが、2021年度は142名の応募があり、ニーズは高いと本プログラム担当者は語る。2021年度の受講生27名のうち、年齢別では30歳台及び40歳台で全体の3分の2を占めた。受講時の就労状況は、無職、非正規雇用労働者、感染症の影響を受けて休業中の正規雇用労働者や、専業主婦などである。
 本プログラムの受講生による満足度は、5点満点で4.8という結果であった。ADPISA-Fの、自ら学び続ける人材を育成するというねらいどおり、修了後も学習を継続した受講生が多く、その成果として、修了後4か月半までの間にITパスポート8名、基本情報技術者2名、AWSクラウドプラクティショナー1名といった資格試験への合格が報告されている。
 本プログラムでは就労支援を行っており、地元企業や教員の企業ネットワークを通じて、会社説明会を実施した。修了時点で無職だった受講者のうち、3か月後の時点で63%が正規雇用、非正規雇用、自営等で就労した。
 本プログラムへの社会的ニーズは非常に高いため、今後も継続して実施していくと本プログラム担当者は話す。様々な理由により職を離れている、又は学び直しを必要としている女性が、自らの働き方を柔軟に選び取っていけるよう、本プログラムの今後の展開に期待したい。

丸紅株式会社

総合商社の丸紅株式会社(東京都千代田区、従業員数4,389人(2021年3月現在))は、2021年2月に公表したDX戦略に記載されているように、デジタル人材基盤・IT基盤を整備・充実させ、必要なデジタル技術を活用することで、成長戦略を実行している。デジタル人材基盤とは、ビジネスナレッジ、データサイエンス、デザイン思考を併せ持つデジタル人材のことであり、2023年までに社内で200名育成するという目標を設定している。
 同社では、会社のデジタル戦略やイノベーション戦略を立案・実行しているデジタル・イノベーション室を設置しているが、本室において2020年7月に全社横断プロジェクト「丸紅デジタルチャレンジ(通称:デジチャレ)」を開始した。デジチャレの目的は、デジタルを「理論的に分かる」から「具体的・技術的に分かる」へ個人のデジタルスキルを深化させることであり、参加費用は無料でプログラムは全てオンラインで実施となっている。2020年度に実施された第1回のプログラムでは、デジチャレ準備期間(2か月)においてテーマ及び参加者の募集、AIビジネス研修、AI技術自主学習が実施され、続くデジチャレ期間(2か月)において参加者向けの実践研修が実施されるとともに、受講生自身が選択したテーマに取り組んだ。2021年度に実施した第2回では、第1回の内容をブラッシュアップし、初級コース、中級コースを設け、期間も延長している。
 参加者がモデル構築やデータ利活用を行う課題(テーマ)は、社内から募集し、実際の事業・業務における課題を取り上げ、研修・学習内容は、本室が作成したデジチャレ参加者向けのオリジナル学習プログラムを活用し、参加者に対し説明会や成果物への個別フォローアップを実施してきめ細かく対応している。同社では、15%ルール(社員個人の意思によって就業時間の15%を目安として、新たな取組や事業の創出に向けた活動に充てられるルール)を設けており、参加者はこの時間を利用してデジチャレに参加しているという。
 デジチャレ修了後は、成績優秀者を表彰しているが、経験やスキルをうまくいかせるよう、デジチャレ修了者を最適な部署に配置できるような仕組みも検討している。
 デジチャレには、様々な年齢層から参加があり、今までは見えてこなかった隠れたデジタルスキルを持った社員を把握することができた。現在では、デジチャレ優秀者が各部署にて講習を実施したり、また、新プロジェクトを任せようといった動きが生まれつつある。修了者の満足度は非常に高いとデジチャレ担当者は話している。デジチャレ担当者によると、プログラムを受講する環境の整備、参加者が初級者か中級者かによるタイプ別の育成フォローアップ、難易度を考慮した研修の企画が必要とのことであり、今後は研修内容を更にアップデートし、AIやデータサイエンス以外の分野の研修を設定し、脱落者をゼロにしたいと意気込みを語っていた。
 同社の事例は、社員に研修環境を提供することにより社内での活躍の場を広げ、併せて会社の企業価値の向上が期待できる魅力的な取組であり、今後の展開を注視していきたい。

第5節 小括

本章では、転職の実現やキャリアチェンジの促進に当たって、前章でみたキャリア見通しや自己啓発等の重要性を踏まえて、キャリアコンサルティングの効果や自己啓発の促進に当たっての課題についてみるとともに、労働市場政策として、「労働市場の見える化」の重要性や、公共職業訓練の効果と課題についても分析してきた。最後に本章の分析結果をまとめる。
 まず、キャリアコンサルティングについては、キャリアコンサルティング経験のある者の方が、職業生活の設計について主体性が高い傾向があり、転職行動や異分野へのキャリアチェンジも活発に行っている傾向がある。また、企業内部よりも、企業外や公的機関によるキャリアコンサルティングを受けた場合、自らの能力が他社に通用する可能性や、継続的な自己啓発の必要性についての意識が高い傾向があり、客観的な第三者への相談により、自らの市場価値の把握や自己啓発に向けた意識の向上につながる可能性があることが示唆された。キャリアコンサルティングによりキャリアの棚卸しを行い、自己の今後のキャリアの見通しが明確になった労働者は、主体的なキャリア形成の意識がより高く、現在の職場でキャリアを形成していく上で有益な効果を感じているとともに、結果として円滑な転職やキャリアチェンジの実現につながる可能性があるといえる。
 次に、自己啓発を行うに当たって労働者が抱えている課題としては、仕事が忙しすぎて時間が取れないとする者や費用がかかるとする者が多い。また、女性では家事や子育てを理由とする者が多く、女性の家事負担の軽減は自己啓発を行う上でも課題となっていることがうかがえる。他方で、企業による労働者のOFF-JTや自己啓発に対する費用面の支援の状況をみると、特段支援を行っていない企業も多く、企業側の支援を増やしていくことが課題であることがうかがえる。一方、労働者の課題に対して、企業が従業員に対して自己啓発に必要となる費用の援助や、就業時間や休暇等の配慮、情報提供等を行うことで、自己啓発を促進する可能性がある。自己啓発の促進は労働者個人の意識だけで改善できるものではない。また、労働者が自己啓発により職業能力を高めることは、企業にとっても生産性や付加価値の向上といった大きなメリットをもたらすものである。企業による従業員の自己啓発に対する適切な支援が期待される。
 転職者が入社後に新たな職場に円滑に適応できることは、円滑な労働移動を促進する上でも重要であるが、転職者がキャリアチェンジをする場合、受入企業がOJT・OFF-JTのいずれかを実施した方が、転職者の職業生活や仕事に対する満足度は高くなる傾向があり、受入企業において適切な教育訓練による支援を実施することが重要であると考えられる。
 また、転職者を採用する企業は、必要な職種に応募してくる人材が少ないことや、応募者の能力評価に関する客観的な基準が無いこと、採用時の処遇等について課題を抱える企業が多く、求職者側でも求人情報や職業紹介サービスの充実について課題として感じている者が多いことが分かった。「労働市場の見える化」を進めることで、転職時のミスマッチを防止し、企業・求職者の双方が安心して転職を実現できるようにすることが、円滑な労働移動を促進する上で重要になるといえる。
 公的職業訓練についても、失業者等が外部労働市場を利用し、早期に再就職できるようにするための社会の重要なセーフティネットであるが、これまでEBPMに基づく効果や課題の検証は十分行われてこなかった。今回、厚生労働省において、行政記録情報を用いて自ら分析を行い、一般的に職業訓練を受講することで再就職に対する効果が一定程度あると数量的に示した。
 訓練分野別の分析も行ったところ、介護・福祉分野については、訓練受講者をいかに増やすかが主な課題であり、介護・福祉職と遠い職種の経験者も含め、幅広く受講者を集めていくことが求められると考えられる。また、IT分野については、特に女性で情報技術者になりにくい傾向があるが、ITの専門訓練を受講した場合の効果は男性と変わらないことが示唆された。
 女性は事務職への就職意向が強いことが主な要因である可能性があることから、女性の情報技術者として働くことへの関心を高めるための支援が求められると考えられる。

注釈

  1. 1キャリアコンサルタント登録者数(技能検定キャリアコンサルティング職種の1級又は2級に合格した者の両方を含む)は、2022年3月末現在で60,562人である。
  2. 2これ以降でキャリアコンサルティングの実施状況と労働者のキャリア形成意識やキャリア形成の状況の関係について一連の分析を行っているが、もともとキャリア形成意識が高い者がキャリアコンサルティングを受けている場合など、逆の因果関係がある可能性もあり、いずれの分析結果もキャリアコンサルティングの実施状況が労働者のキャリア形成意識やキャリア形成の状況に及ぼす因果効果を必ずしも示しているものではないことに留意が必要。
  3. 3日置電機株式会社が10年先の方向性として2020年に定めたもので、具体的には「「測る」の先へ。HIOKIは、業界のフロントランナーとして「測る」を進化させ続け、世界のお客様と共に持続可能な社会をつくるソリューションクリエイターになる。」としている。
  4. 4厚生労働省では、従業員の自律的なキャリア形成支援について他の模範となる取組を行っている企業等を表彰し、その理念や取組内容、具体の効果等を広く発信、普及することにより、キャリア形成支援の重要性を社会に広め、定着を期すことを目的に、「グッドキャリア企業アワード」を実施している。
  5. 5本コラムの記載内容は、主にAmerican Workforce Policy Advisory Board Digital Infrastructure Working Group(2020)「Learning and Employment Records: Progress and the path forward」に記載された2020年9月時点の情報に基づいている。
  6. 6米国労働力政策諮問委員会は当初「相互運用可能な学習記録(Interoperable Learning Record)」と呼称していたが、2020年9月に刊行した「Learning and Employment Records: Progress and the path forward」において、新しい用語としてLERを用いている。
  7. 7米国労働力政策諮問委員会は米国商務省(U.S Department of Commerce)に2018年7月に設置され、同日に設置された米国労働者のための国家会議(National Council for the American Worker)に助言や提言を行う立場にある。
  8. 8米国商工会議所財団は、米国企業約300万社が加盟する米国最大、世界最大の経済団体である米国商工会議所の支部である。
  9. 92020年9月時点では、自動的に同期されるのは、実証実験に参加している教育機関から発行される情報のみである。
  10. 10NICEは、サイバーセキュリティ分野の教育、訓練、労働力開発を目的とした、政府、学会、民間企業間のパートナーシップであり、米国商務省の国立標準技術研究所(National Institute of Standards and Technology)によって主導されている。
  11. 11国立学生クリアリングハウス(National Student Clearinghouse)は、同組織のプログラムに加盟している高等教育機関の学生の学位や成績等のデータの入手、保管、提供等をネットワークを介して行う非営利組織である。
  12. 12ユーロパスが利用可能な範囲は、欧州35か国(EU加盟国に加え、ボスニア・ヘルツェゴビナ、アイスランド、モンテネグロ、北マケドニア、ノルウェー、セルビア、スイス、トルコ)である。
  13. 13欧州委員会は2019年の試験運用開始時点では「ユーロパスデジタル資格情報インフラ(Europass Digital Credentials Infrastructure)」と呼称していたが、2021年10月の本格運用開始時点よりEDCLに改名した。
  14. 14職種の専門性以外に、業種や職種が変わっても持ち運びができる職務遂行上のスキル。
  15. 15求職者本人が希望する場合のみ、これらの情報が求人・求職情報提供サービスサイトに掲載される。
  16. 16ランスタッド株式会社「労働者意識に関するグローバル調査(2021年)」、米ギャロップ社「State of the Global Workplace: 2021 Report」に基づくオープンワーク株式会社提供資料による。
  17. 17財務情報だけでなく、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)要素を考慮した投資。
  18. 18オープンワーク株式会社が2020年9月、2021年3月及び8月に行った調査結果。
  19. 19人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営の在り方をいう。経済産業省はこれまでに「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」(2020年1月~)及び「人的資本経営の実現に向けた検討会」(2021年7月~)を開催しており、その成果を「人材版伊藤レポート」「人材版伊藤レポート2.0」としてまとめている。
  20. 20(独)労働政策研究・研修機構をはじめ、有識者の方からご助言・ご協力をいただいた。
  21. 21内閣官房EBPM推進委員会第4回(令和元年9月9日)資料1より
    https://www.kantei.go.jp/jp/singi/it2/ebpm/dai4/siryou1.pdf
  22. 22レポート本文はhttps://www.mhlw.go.jp/content/000773751.pdf
  23. 23レポート本文はhttps://www.mhlw.go.jp/content/000871639.pdf
  24. 24時間外労働の上限を原則として月45時間、年360時間とし、臨時的な特別の事情が無ければこれを超えることができないとした上で、臨時的な特別の事情があって労使が合意する場合でも、年720時間以内、複数月の平均で80時間以内、月100時間未満を超えることはできないとした。
  25. 25時間外労働の上限規制の適用における大企業と中小企業の要件は、業種ごとに従業員数及び資本金額によって定められている。
  26. 26政策の介入群と非介入群が無作為に決まっていない時、両方の群への振り分け(セレクション)において何らかの偏り(バイアス)が生じる可能性があり、政策の効果として介入群と非介入群の差を単純に比較すると、バイアスによって純粋な政策の効果を把握できない可能性があることを指す。
  27. 27傾向スコアマッチングにより各変数の偏りが補正された結果は付2-(4)-1図に示している。
  28. 28傾向スコアマッチングによりバイアスを補正できるのは、条件付き独立の仮定(介入が割り振られる確率である傾向スコアが同一になるようなサンプルの中では、介入の有無は被説明変数と独立に割り振られている)が成立している場合であり、この仮定が成立しているかは検証不可能であるため、できるだけ多くの変数を傾向スコアの算出の際に説明変数に追加して分析を行っている。
  29. 29傾向スコアマッチングの詳細な結果については付注3を参照。
  30. 30ここで分析している訓練受講による他産業・他職種からの移動の状況のほか、訓練受講者・非受講者の新職の就職先産業及び「IT分野」「介護・医療・福祉分野」訓練受講者の就職先産業別の割合について付2-(4)-2図及び付2-(4)-3図に示している。
  31. 31再就職の状況を把握できる雇用保険のデータにおいては、再就職後の職種は職業大分類でしか把握できないため、介護・福祉職やIT職を正確に把握することはできない。したがって、ここでは便宜上、産業と職種の組み合わせにより介護・福祉職やIT職を区別している。
  32. 32介護・福祉分野への適性を測るための指標としては、就職後の定着率を用いることも考えられるが、今回の分析ではデータの観察期間を2021年7月末までとしており、定着率を評価する上では短すぎるため、定着率は用いていない。
  33. 33厚生労働省では、2021年度より、IT人材の質的・量的な確保を図る観点から、公共職業訓練(委託訓練)及び求職者支援訓練において、ITスキル標準(ITSS)レベル1以上に相当する資格取得を目指す訓練コースについての訓練実施機関に対する訓練委託費等の上乗せ等により、IT分野の訓練コース設定の促進を図っている。
  34. 34「女性デジタル人材育成プラン」(令和4年4月26日男女共同参画会議決定)参照。
  35. 35Customer Relationship Management(顧客関係管理)。
  36. 36同社が独自に認定している資格のうちの一つで、Salesforce 認定アドミニストレーター試験では、Salesforce CRM システム管理者を認定し、Salesforce組織のメンテナンスや、業務要件に基づいた管理機能を実行できる能力が求められるとしている。
  37. 37「就職・転職支援のための大学リカレント教育推進事業」は、全国の大学が企業・経済団体・ハローワーク等と連携し、2か月~6か月程度の短期間で就職・転職に繋がるプログラムを受講料無料(テキスト代等を除く)で提供するものである。公募及び審査の結果、2021年度には40大学63プログラムが採択されている。