第1章 我が国の労働力需給の展望と労働移動をめぐる課題

本章では、次章以降の分析の前提として、我が国の今後の労働力需給の展望を見据えた上で、我が国の経済成長や賃上げといった課題に取り組む上での労働移動の重要性について確認する。第1節では、生産年齢人口の減少による労働力の供給制約の下で、産業構造の転換による労働力需要の変化に対応していくため、外部労働市場を通じた労働力の需給調整が重要になっていることを指摘する。第2節では、経済成長や賃上げといった主要な課題に取り組む上で生産性の重要性とともに、生産性を高める上でも労働移動が重要である可能性について指摘する。

第1節 我が国の労働力需給の展望

我が国の生産年齢人口や新規学卒者数は減少傾向にあり、短期的にはこれらの増加による労働力供給の大幅な増加は見込めない

まず、我が国の労働市場を取り巻く基本的な状況として、人口の推移と今後の見通しを確認する。
 第2-(1)-1図は、我が国の人口の推移と将来推計(出生中位・死亡中位推計)である。これによると、我が国は人口減少局面を迎えており、2065年には総人口が9,000万人を下回り、高齢化率(65歳以上人口比率)は38%台となると推計されている2。15~64歳の生産年齢人口も減少傾向となり、その割合の低下も見込まれている。
 また、第2-(1)-2図により、18~30歳の若年人口と高等学校以上の学卒者数の推移をみると、少子化の進行により、若年人口、高等学校以上学卒者数ともに、1990年代をピークに減少傾向がみられており、我が国の人口動態を考慮すると、今後も当面は減少傾向が続くと考えられる。
 今後、少子化対策の取組等により、出生率が上昇すれば、長期的には生産年齢人口が中位推計を上回る水準で推移し、新規学卒者等による労働力供給の増加が期待されるが、短期的には生産年齢人口の増加による労働力供給の大幅な増大は見込めないと考えられる。こうした中、女性や高齢者等を中心とした労働参加の更なる促進により、労働力人口は近年増加しているが、これに加えて労働市場の機能をいかすことで、労働力需要の大きい分野に、円滑な人材の移動を促すことも重要となる。

1970年代以降、我が国の産業のサービス化に伴い、第2次産業から第3次産業への就業者シェアの長期的なシフトが続いている

次に、我が国の就業構造の長期的な変化についてもみていこう。
 第2-(1)-3図により、産業別の就業者シェアをみる。第1次産業(農林・漁業)、第2次産業(製造業、建設業)、第3次産業(卸売業,小売業やサービス業など)といった大まかな分類ごとに就業者シェアの変遷を確認すると、1971年~2017年にかけて、第1次産業及び第2次産業では一貫して低下しており、第3次産業では一貫して上昇している。戦後の高度経済成長期における工業化の流れの中で、第1次産業については1970年代以前から既に就業者シェアは低下し、第2次産業については、1970年代までは就業者シェアが上昇していた。その後、工業化が一巡し、経済活動の中心が、大規模な機械・設備を使った規格製品の大量生産から、多様な消費者ニーズを背景とした商品やサービスの高品質・高付加価値化を指向する「ポスト工業社会」の進展がみられた。こうした流れの中で、第2次産業の就業者シェアが一貫して低下し、第3次産業の就業者シェアが上昇する長期的なシフトが続いてきた。

我が国の就業構造は、専門職・技術職や非定型のサービス職の就業者シェアは上昇する一方、「生産工程・労務作業者」のシェアは一貫して低下するとともに、1990年代以降、販売職はやや低下しており、労働市場の二極化が進んでいる

ポスト工業社会の進展による就業構造の変化について、第2-(1)-4図により、職業別の就業者シェアの変遷からみてみよう。職業別の就業者シェアは、1971年~2017年の間に「専門的・技術的職業従事者」「事務従事者」「サービス職業従事者」といった職種では一貫して上昇している。一方、「生産工程・労務作業者」のシェアは一貫して低下しており、また、1997年~2017年にかけて「販売従事者」ではやや低下している。
 この職種別の就業者シェアの変化に関しては、Ikenaga and Kambayashi(2016)において、各職種に求められるタスク(業務)に着目して我が国の就業構造の変化について分析を行っている。当該研究では、職種をそのタスク特性によって「非定型分析」「非定型相互」「定型認識」「定型手仕事」「非定型手仕事」に分類し3、1960年以降の各類型別の就業者数の推移をみている。その結果、非定型のタスクを行う職種についてはいずれも就業者数が増加する一方、定型のタスクを行う職種については就業者数が減少する「労働市場の二極化」がみられるとしている。
 この研究も踏まえて我が国の就業構造の変化についてまとめる。我が国では1970年代以降、ポスト工業社会が進展し、商品やサービスの高品質、高付加価値化が求められる中で、工場における生産ラインや、小売店の販売業務など、定型の業務を行う人材のニーズは減少した。一方、高度な専門知識や技術を用いて付加価値を生み出す人材や、非定型のサービスを提供する業務を行う人材のニーズが高まってきている。第4次産業革命やそれに伴ういわゆるデジタルトランスフォーメーション(DX)が進展し、定型業務の人工知能やロボットによる置き換えが進めば、このような非定型業務の重要性が高まる流れが更に加速していくことが予想され、このような労働力の需要の変化への迅速な対応が求められると考えられる。
 労働市場やそれをとりまく社会環境は変化している。ここからは、高齢化の進行に伴って社会的ニーズの高まっている介護・福祉分野の人材と、DXの進展に伴って必要となるIT人材の需給動向についてみていく。

介護・福祉分野における労働力需要の高まりへの対応は喫緊の課題となっている

我が国は少子高齢化に直面しており、介護人材の確保は中長期的に大きな課題である。女性の就業率の上昇への対応等の観点から、保育士の確保も喫緊の課題となっている4
 第2-(1)-5図により、介護・福祉分野5における近年の有効求人倍率の推移をみると、介護サービス職や保育士等を含む社会福祉関係職種の有効求人倍率は、全職種の有効求人倍率を大きく上回って推移しており、年々その差が拡大している。
 また、第2-(1)-6図により、第8期介護保険事業計画に基づき、今後必要となる介護サービスの見込み量等から都道府県が推計した介護職員の必要数の集計結果をみると、2040年度には、2019年度の介護職員数である約211万人から約69万人増となる約280万人の介護職員が必要となることが見込まれている。介護・福祉分野における労働力需要は将来的にも更に高まっていくことが予想されている。

コラム2–1 介護分野における生産性の向上に向けた人材育成・能力開発の取組について

既にみたように、介護・福祉分野においては、人手不足の状態にあり、今後更に労働力需要が高まっていくことが予想されている。将来的な需給ギャップを軽減・解消するとともに、職員の待遇や働きやすさを改善していく上で、介護・福祉分野における生産性向上が重要な課題であるが、その鍵となるのが人材育成・能力開発である。ここでは、介護分野におけるマネジメント人材の育成を目的として、小樽商科大学及び株式会社さくらコミュニティサービスが実施している「介護ミドルマネジャー育成プログラム」について紹介する。

小樽商科大学、株式会社さくらコミュニティサービス

小樽商科大学は、国立大学法人としては唯一の社会科学系の単科大学であり、株式会社さくらコミュニティサービス(従業員数304名(2022年2月現在))は、札幌市を中心に介護・福祉サービス事業を行う企業である。小樽商科大学大学院商学研究科アントレプレナーシップ専攻は、株式会社さくらコミュニティサービスと連携し、介護マネジメントに資する実践的な知識・技能を有する高度人材の育成に加え、感染症に起因する雇用問題と介護人材不足の双方の課題を解決することを目指して、2021年10月に「介護ミドルマネジャー育成プログラム」を開講した。なお、本プログラムは文部科学省の「就職・転職支援のための大学リカレント教育推進事業」6に採択されているため、受講料は無料となっている。
 本プログラムは、8週間計64時間の講座であり、2021年度には計3回、受講生計30名に対して実施された。主な対象者として、感染拡大の影響を受けた産業である飲食業、小売業及び宿泊業で介護業界へ転職を希望する者や、現在介護業界で働いている労働者が想定されており、介護業界への転職や介護業界でのキャリアアップを目的としているという。本プログラムの内容は、①介護経営やケアマネジメントを学ぶ教育プログラム、②就職説明会やキャリアサポートからなる就職・転職活動支援の2本柱で構成されており、全てオンラインで受講可能である。Zoomを使用した同時双方向型遠隔授業・相談、オンデマンド型遠隔授業、VR(Virtual Reality)による介護技能実習によって構成されている。
 前職が介護職以外の受講者には、就職説明会を実施しており、また、全受講生を対象に、今後のキャリアや現状の課題を相談する「キャリア面談」を実施している。
 最終考査では、受講生自身の居住する地域における福祉の社会資源の課題、又は自組織が抱えている課題を調査し解決方法をレポートにまとめ、それに基づきグループ討議、口頭試問を行っている。受講生からは、しっかり学びを得ているとする声や、新しい視点を得たことで視野が広がり、分析の仕方が理解できたという声がある。また、VR実習は、介護業界の受講生にとっても、自らの技術の再確認ができたと好評であったとのことである。
 文部科学省の事業は2021年度で終了するが、今後の展望としては、本プログラムは更に発展的に継続する見込みであり、マネジメントの視点を持ち、デジタルの領域にも精通し、現場でいかせる介護技能・技術を持つ、マルチタレントな人材を育成することができるようなプログラムを目指しているとのことである。本事例は、人手不足分野の中でのマネジメントやキャリアアップが求められる介護人材のスペシャリストの養成に向けた学び直しの一つとして、今後の展開が注目される。

今後の我が国の労働市場においては、IT人材の労働力需要のさらなる高まりが予測されている

次に、IT人材についてみてみる。第4次産業革命が進展する中で、近年、IT関連市場は急速に成長しており、今後も市場規模の拡大が見込まれる。我が国の労働市場におけるIT人材の需要も、中長期的に高まっていくことが予想されている。
 第2-(1)-7図は、経済産業省が行った今後のIT人材需給の推計をみたものである。これによると、2030年までに、市場規模の成長が低位であった場合でも16万人程度、高位であった場合には79万人程度、IT人材の労働力供給が不足すると推計されている。

感染拡大後、民間求人情報サイトでの求人は販売・サービス職で減少した一方、「IT系専門職」では増加している

IT専門人材については、感染拡大後もその需要が増加している。IT専門職等の求人の動向をとらえるため、内閣府地方創生推進室が運営している「V-RESAS」による民間求人情報サイトについて収集した集計データをみてみる。
 第2-(1)-8図の(1)により、「V-RESAS」で集計されている求人に関するデータを職種別にみてみると、感染症の影響下にある2020年以降、専門職、販売・サービス職ともに2019年の水準を下回っているが、販売・サービス職の減少が大きい。同図の(2)により、専門職をみてみると「IT系専門職」の求人が2019年水準を大きく上回って推移しており、感染拡大後もIT人材に対する需要が底堅く伸びていることがうかがえる。一方、同図の(3)により販売・サービス職をみてみると、感染症の影響を大きく受けた職種で2019年の水準を大きく下回って推移しており、人流の抑制等が行われた感染症の影響下において、こうした職種での労働力需要が低下していることがうかがえる。

今後は外部労働市場を通じた労働力需給の調整の役割が更に重要となる

ここまでみてきたように、我が国の労働市場では、高品質、高付加価値化の流れの中で、専門性を持った人材やサービス職の人材の労働力需要が高まってきた。特に、介護・福祉分野やIT分野における労働力需要の高まりが予想される。我が国では、人口減少局面を迎え、当面、生産年齢人口が減少することが見込まれており、これらの労働力需要に、新規学卒者等による労働力供給の増加のみで対応することは困難であると考えられる。そのため、引き続き、女性や高齢者等の労働参加を進めていくとともに、労働者の主体的な意志に基づく転職などの外部労働市場を通じた労働力需給の調整が今後更に重要になると考えられる。

第2節 日本経済の成長と労働移動

21世紀の先進国では経済成長を実現する上でTFP上昇の重要度が相対的に上昇している

外部労働市場における労働力の需給調整機能は、生産性の向上やそれによる我が国の経済成長及び賃上げといった課題に取り組む上でも重要である可能性がある。本節では、外部労働市場における労働力の需給調整機能が、我が国の生産性や経済成長等にどのような影響をもたらすか考察していく。
 まず、日本を含む主要先進国における近年の経済成長の水準や特徴について確認していく。
 第2-(1)-9図の(1)により、日本、アメリカ、イギリス、フランスのGDP成長率とその要因をみる。いずれの国においても、1980年代の水準と比較して、それ以降のGDP成長率は低水準となっている。一般的に、人口増加に伴う労働力人口の増加や技術水準のキャッチアップ等による生産の拡大効果は、時間の経過とともに逓減していく。このため、近年の先進国における経済成長の水準は、これらの要因による成長が多く見込めた時期よりも、低くなっていることが知られている。成長会計を用いてGDP成長率を寄与度分解すると、我が国においては、急速に進行した少子化等の影響もあり、2000年代に入って、4か国中唯一「労働投入の寄与」がマイナスとなっている。また、「資本投入の寄与」も他国と比較して低水準となっている。一方、技術水準等、労働と資本以外の要素による生産性である全要素生産性(Total Factor Productivity。以下「TFP」という。)の寄与を示す「TFPの寄与」は、年代ごとの増減はあるが、2010年代の我が国は比較的高い水準となっている。
 次に、同図の(2)により、先進国のGDP成長率とTFP上昇率の関係をみると、2001-2019年平均のGDP成長率とTFP上昇率には弱い正の相関関係がみられ、TFP上昇が先進国の経済成長に重要となっていることがうかがわれる。2001-2019年平均の日本のTFP上昇率は、アメリカよりは低いものの、イギリス、フランス、ドイツなどのヨーロッパ諸国よりは高い水準となっている7
 第2-(1)-1図でもみたように、我が国の生産年齢人口は当面の間は減少していくことが見込まれているが、近年は女性や高齢者を中心に労働力人口が増加してきており、今後も幅広い層の労働参加を促していくことで労働投入の寄与を増やしていくことは重要である8。他方で、近年の先進諸国において、TFPと経済成長の関係性が強まっている傾向から、我が国の経済成長におけるTFPの更なる向上が重要である可能性も示唆される。

TFP上昇率と労働生産性上昇率には強い相関がみられる

TFP上昇が先進国の経済成長において重要な要素となっていることを確認したが、TFP上昇は、労働生産性の向上においても重要な要素である。
 第2-(1)-10図により、TFP上昇率と労働生産性上昇率の関係をみると、両者の関係には正の相関関係がみられ、その傾向は2000年代以降更に強くなっていることが分かる。TFP上昇は、技術革新や経営面の効率化、労働者の能力の向上など労働投入や資本投入では説明できないあらゆる生産の増加要因を表している。このことから、TFPの上昇は、労働生産性の上昇にも重要な要素であると考えられる。

実質賃金の増加には、労働生産性の上昇が重要

次に、賃金と労働生産性の関係についてもみてみよう。第Ⅰ部でもみてきたように、我が国の労働分野における主要な課題の一つとして、実質賃金の伸び悩みが指摘されている。標準的な経済理論によれば、賃金は労働生産性に比例して変動するとされている9第2-(1)-11図は、日本を含む4か国の時間当たりの実質賃金の変動要因について、労働分配率、労働生産性及び物価の要因に分解したものである。これによると、近年、我が国では、他の先進国と比べて労働分配率の上昇による実質賃金へのプラス寄与が大きい一方で、労働生産性の寄与度が小さくなっている。
 近年、政府から経済界への賃上げの要請が積極的に行われたこともあり、毎年2%程度の賃上げが実現されてきた。他方、深尾(2021)などでも指摘されているように、労働生産性の上昇を伴わず賃金を引き上げると、資本分配率が低下し、設備投資などの資本蓄積の停滞をもたらすことになり、成長の維持が困難になる。したがって、実質賃金が伸び悩んでいる状況を改善する上では労働生産性の向上も重要となってくる。

コラム2–2 サービス分野における就業の拡大と労働生産性

第2-(1)-11図で、我が国の実質賃金を高めていく上で労働生産性の上昇が重要である可能性についてみた。労働生産性は労働投入量1単位当たりの付加価値であり、分子は付加価値、分母は労働投入量を取ることで求められる10。労働投入量の1単位を1人1時間当たりとするものをマンアワーベースといい、労働者数×一人当たり平均労働時間(総労働時間数)でみることができる。その場合、労働者数の増加は、分母の労働投入量の増大に寄与し、労働生産性を押し下げる要因となる。
 第2-(1)-3図及び第2-(1)-4図において、我が国では、長期的に製造業等で就業者数が減少傾向にある一方で、第3次産業やサービス職業従事者では就業者の増加傾向が続いていることをみた。コラム2-2-①図は、我が国の雇用者におけるマンアワーベースの労働生産性の推移を産業別にみたものである。第3次産業のうち、「保健衛生・社会事業」「飲食・宿泊サービス業」などは労働生産性の水準が元々低く、さらに低下傾向にある。一方、「情報通信業」「製造業」は労働生産性が高く、また、「製造業」「建設業」は近年上昇傾向にある。このように、労働生産性の動向は産業によって異なっており、特に、第3次産業のうち、サービス業で伸び悩んでいることが分かる。
 第3次産業やサービス職種における就業者数の増加は、労働参加の進展の受け皿として重要である一方、経済成長や賃上げを実現していく上では、就業の拡大と労働生産性の上昇を両立していくことが必要である。
 我が国のサービス業における状況を踏まえると、就業の拡大と労働生産性はトレードオフの関係にあるのだろうか。コラム2-2-②図は、日本、ドイツ、英国、米国の4か国について、2009年~2019年にかけて、主な産業における就業者数と労働生産性の推移をみたものである。これによると、おおむね各国に共通する特徴として、「情報通信業」では就業者数・労働生産性がともに上昇しているほか、「製造業」「建設業」でも労働生産性の上昇がみられる。情報通信業については、DXの進展等によりIT市場が世界的に急成長している中で、IT人材の労働力需要も高まっていることから、就業の拡大と労働生産性の向上がともにみられると考えられる。
 他方で、我が国の労働生産性の伸びは、「製造業」で比較的高いものの、他の産業ではおおむね欧米諸国よりも低くなっている。特に、「卸売・小売,飲食・宿泊サービス等」「生活関連,娯楽サービス等」といったサービス業を中心とした第3次産業の分野では、欧米では就業者数・労働生産性がともに上昇している一方で、我が国では労働生産性の伸びが小さいことが目立つ11
 このように、サービス業について、我が国では諸外国と比較しても労働生産性の伸びが小さくなっており、労働生産性の上昇が大きな課題であるといえる。サービス業における生産性の向上に向けた課題について、経済産業省「サービス産業×生産性研究会」(座長:宮川努学習院大学経済学部教授)が検討を行っており、業種別の事業者ヒアリング等に基づくサービス業の生産性低迷の要因分析を行った結果を、2022年3月に「サービス生産性レポート」として取りまとめている12
 当該レポートでは、サービス業の生産性について、飲食・宿泊業等の対人サービス業を例に挙げ、サービスの生産と消費が同時に行われるという特徴があることから、集中的に生産を行って在庫を持ち、そこから顧客の需要に応じて適時消費がされる製造業などとは異なり、「手待ち時間」の発生等により、生産性を向上させることが難しい側面があるとしている。
 また、サービス業の労働生産性が伸び悩んでいる要因について、分子である付加価値と分母の労働投入量の動きから分析している。これによると、2013年以降、総付加価値額と労働投入量がともに増加している。労働投入量については、労働時間数が減少する中、就業者数が増加し続けたことにより増加したとしている。他方で総付加価値額の伸び率は労働投入量の伸び率を僅かに上回るに止まったため、労働生産性の伸びが低迷したとしている13
 その上で、サービス業における労働生産性向上に向けた今後の施策の方向性として、HRテック14等の活用によるシフトの効率化等による人的資源の有効活用、ITスキルの向上等による人材投資、設備等の有効活用や投資・更新が主なポイントとなるとしている。さらに、飲食業など特に価格競争の激しい業種では、適切な値付けがなされていないとし、付加価値の向上と企業の価格政策の連動もポイントとして挙げている。
 サービス業については、女性や高齢者等の労働参加の受け皿としても重要な産業であり、GDPに占める割合も大きいことから、我が国全体の労働生産性に及ぼす影響も大きい。設備投資や人材投資、付加価値の向上等を通じて労働生産性を高めていくことが、賃上げを実現していく上でも重要である。

失業プールの流入出率からみた我が国の労働移動の活発さは低水準

我が国の経済成長や実質賃金の上昇に取り組む上で、TFPや労働生産性を上昇させることが重要である可能性についてみてきた。ここからは、TFPや労働生産性と労働移動の関係についてみていこう。
 各国の労働移動とTFPや労働生産性の関係をみる上で、労働移動の活発さをどのような指標で表すかが問題になる。外部労働市場を通じた労働移動(離転職)が行われるとき、職探し期間を経ることなく再就職するのが最も円滑であるが、数値に表れにくい。それ以外の転職の流れについてみると、離職者はいったん失業者として失業プールに流入し、再就職時には失業プールから流出するため、失業プールへの流入者と流出者の合計の水準を、労働移動の活発さを表す一つの指標として用いることが考えられる15。ここではILO(2019)での分析も踏まえ、労働移動の活発さを失業プールへの流入出率(失業プールへの流入者と流出者の合計が生産年齢人口に占める割合をいう。以下同じ。)で表すこととする16
 第2-(1)-12図の(1)により、我が国の失業プールへの流入出率をみると、OECD平均と比較して、低い水準で推移している。同図の(2)により、各国の失業プールへの流入出率の動向をみると、アメリカ、カナダ、スウェーデン、デンマーク等の北米地域や北欧諸国では失業プールの流入出率が高いが、イタリア、ドイツ、フランスといった欧州大陸諸国や日本では低くなっている。

労働生産性やTFPの上昇と労働移動の活発さには正の相関がみられ、労働移動により技術移転や組織の活性化が行われることで生産性の向上につながる可能性がある

労働移動の活発さとTFPや労働生産性の関係についてみてみよう。
 第2-(1)-13図は、第2-(1)-12図でみた失業プールへの流入出率とTFP及び労働生産性の上昇率の関係をみたものである。いずれについても、失業プールへの流入出率との間に弱い正の相関がみられる。これは、労働移動が活発であることとTFPや労働生産性の上昇についての因果関係を示すものでは必ずしもないが、労働移動が活発であると、企業から企業への技術移転や会社組織の活性化につながり、生産性の向上にも資する可能性があると考えられる17

第3節 小括

本章では、我が国の労働力需給の展望や労働移動の重要性についてみてきた。
 我が国の労働市場においては、少子高齢化に伴う生産年齢人口や新規学卒者数の減少が進んでおり、今後労働力の供給に制約が生じることが想定される。また、我が国の就業構造は、ポスト工業社会が進展し、商品やサービスの高品質・高付加価値化が求められる中で、工場における生産ラインの人員や、小売店の販売業務など、定型の業務を行う人材のニーズは減少する一方、高度な専門知識や技術を用いて付加価値を生み出す人材や、非定型のサービスを提供する人材のニーズが高まってきており、特に、介護・福祉やITといった分野の労働力需要は今後一層高まっていくことが予想される。このような労働力需要の変化に対して、今後、新規学卒者等の労働市場への新規参入による労働力供給のみにより対応することは困難であると考えられる。そのため、労働者の主体的な意志に基づく転職などの外部労働市場を通じた労働力需給の調整が今後更に重要になると考えられる。
 また、我が国の経済成長や賃上げを実現するためには、TFPや労働生産性の上昇が重要である。我が国の労働移動の活発さは他国と比較すると低い水準にあるが、労働移動の活発さとTFPや労働生産性の上昇には弱い正の相関がみられ、労働移動による技術移転や会社組織の活性化が行われることで生産性の向上につながる可能性がある。

注釈

  1. 2国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成29年推計):出生中位・死亡中位推計」による。
  2. 3Ikenaga and Kambayashi(2016)では、それぞれのタスク特性について以下のように説明されている。
    • 「非定型分析」:高度な専門知識や抽象的な思考を用いて問題の解決を行うタスク
    • 「非定型相互」:交渉、マネジメント、相談活動など、複雑な対人コミュニケーションを通じて価値を創造するタスク
    • 「定型認識」:明確なルールに従って事務や情報処理を行うタスク
    • 「定型手仕事」:明確なルールに従って、反復的な手仕事や機械の操作等を伴う肉体的作業を行うタスク
    • 「非定型手仕事」:高度な専門知識は必要としないが、特定の状況に対して柔軟な対応を求められる非定型の活動を伴う肉体的作業を行うタスク
  3. 4厚生労働省では、2020年12月に取りまとめた「新子育て安心プラン」に基づき、2021年度~2024年度末の4年間で約14万人の保育の受け皿を整備するほか、地域の特性に応じた支援、魅力向上を通じた保育士の確保、地域のあらゆる子育て資源の活用を柱とする各種施策を推進することとしている。
  4. 5本稿では、「介護・福祉分野」として、主に高齢者福祉、児童福祉、障害福祉の3分野を想定している。
  5. 6「就職・転職支援のための大学リカレント教育推進事業」は、全国の大学が企業・経済団体・ハローワーク等と連携し、2か月~6か月程度の短期間で就職・転職に繋がるプログラムを受講料無料(テキスト代等を除く)で提供するものである。公募及び審査の結果、2021年度では40大学63プログラムが採択されている。
  6. 7近年の我が国におけるTFPの上昇について、深尾・金・権・池内(2021)では、2011年~2015年にかけてのTFP上昇率の要因分解を行っており、その結果、当該時期の我が国の生産性の上昇は、主に生産性を上昇させた企業が付加価値を増やしたことによる効果(共分散効果)や、生産性の高い企業の新規参入による効果(参入効果)などからなる企業間の資源再配分効果によるものであったと指摘している。
  7. 8そのほか、資本投入の寄与が小さいことについて、近年のDX等の動向も踏まえ、IT等をはじめとした設備投資の重要性についても指摘できる。
  8. 9賃金と労働生産性の比例関係は、国レベルでもコブ=ダグラス型の生産関数が成り立つと仮定した場合を前提としていることに留意が必要。
  9. 10労働生産性については、日本国内のみについて算出する場合や国際比較を行う場合など、ケースによって様々な算出方法がある。詳細は「平成28年版労働経済の分析」p.80を参照。
  10. 11本稿では労働生産性の絶対的な水準についての国際比較は行っていないが、滝澤(2020)では、日本と米国や欧州各国との、1997年及び2017年における産業別の労働生産性の水準比較を行っており、製造業では日本と米国との格差が1997年から拡大をしていることや、サービス産業において日本と欧米各国の労働生産性の差が大きいことを指摘している。また、サービス産業の生産性の国際比較においては、サービスの「質」に関する差異を考慮する必要があるとの指摘(森川(2016)など)もあるが、深尾・池内・滝澤(2018)では、日米間のサービス品質格差の調整を行いつつ、対個人サービスに関連する産業の労働生産性を計測したところ、サービスの品質の差を調整してもなお、日米間の生産性格差を埋められないという結果を示している。
  11. 12当該レポートにおいては、「サービス産業」を広義と狭義に分けて扱っており、狭義では宿泊・飲食サービス業や生活関連サービス業など対人サービスを中心とした分野を指しており、広義ではそれに加え、卸売・小売業や情報通信業等も含めた分野として扱っていることに留意が必要。
  12. 13サービス業では土日祝日や夜間など業務の繁閑に合わせて労働力を確保する必要があることから、「手待ち時間」を短縮するために、女性や高齢者、学生などのパートタイム労働者を雇用することも多いと考えられ、このことが労働時間の減少や就業者数の増加につながっていると考えられる。
  13. 14「Human Resource」(人事)とテクノロジーから成る造語であり、人的資源の調査、分析、管理を高度化し、ビジネスのパフォーマンスを高めるテクノロジーを指す。
  14. 15ILO「World Employment Social Outlook Trends2019」においては、労働市場が人手不足の傾向にある場合には、失業を経ず直接仕事から仕事へ労働移動をできることがより望ましいとしつつ、労働市場を通じた労働者のフローは、労働市場の再配分機能を果たしうるとしており、近年日本において失業プールの流入出率が低い水準にあることをもって、労働市場の活発さが低下していることを指摘している。
  15. 16失業プールへの流入出率は、失業を経ず直接新たな仕事に転職する者の動向をみることはできないため、あくまでも労働移動の活発さをみる上での一つの指標として用いていることに留意が必要である。また、景気の後退期など、失業者が増大する局面においては一時的に失業プールの流入が増えるため失業プールへの流入出率も高くなる傾向があるなど、短期的にみる場合は注意が必要であり、中長期的な傾向をみる際の指標として用いることが望ましい。
  16. 17山本・黒田(2016)では、企業パネルデータを用いて、雇用の流動性が企業業績に与える影響について分析している。それによると、定着率が高く、メンタルヘルスがよく、年功賃金の割合が中程度で教育訓練を重視しているといった、いわゆる日本的雇用慣行型の企業においては、中途採用のウェイトを高める形で雇用の流動化を進めると、利益率や労働生産性が上昇する傾向があるとしている。これについて、伝統的な日本企業では、少子高齢化やグローバル化といった環境変化の下で、内部労働市場のみを活用する人材育成モデルの合理性が低下しており、これまで以上に中途採用のウェイトを大きくするなどして雇用の流動性を高めることで、人材や組織の活性化が進み、利益率や労働生産性が向上する余地が残されていると指摘している。