第1章 一般経済の動向

2021年の日本経済は、長引く感染症の影響下にあるものの、ワクチン接種の進展等も相まって、9月末の緊急事態宣言等の解除以降は徐々に経済社会活動が活発化し、持ち直しの動きがみられた。
 本章では、感染状況により一進一退の動きとなった一般経済について、2021年の動向を概観していく。

第1節 一般経済の動向

2021年の実質GDPは、感染拡大による厳しい状況の中で、全体として成長は一進一退の動きとなったものの、おおむね感染拡大前の水準まで回復した

一般経済の動向を概観するに当たり、2020年の感染拡大以降、世界と我が国の経済社会活動の足かせとなっている感染症の状況と対策の主な動きを振り返る1
 新型コロナウイルス感染症は、2020年1月に国内で最初の症例が確認されて以降、感染拡大と収束が繰り返され、その対策は、疫学的調査の進捗やその時々の感染状況、医療提供体制、ワクチン接種の進展等に応じて変遷してきた。感染拡大初期は、未知のウイルスへの対応であったこともあり、人流を抑制し新規感染者の増大を防ぐため、全国的に様々な分野に対する経済社会活動の抑制措置が講じられてきたが、その後、感染症との闘いが長期化する中で、感染症を踏まえた人々の働き方や消費行動、企業の事業活動等が変化していき、感染症対策と経済社会活動の両立が図られるようになっていった。
 ここから、感染拡大初期からの感染状況とそれに伴う緊急事態宣言等の発出による経済社会活動の抑制の状況を確認する。
 2020年4月、新規感染者数の増加を受け、最初の緊急事態宣言が発出された。発出当初、対象地域は首都圏を含む7都府県のみであったが、その後、対象地域が全国に拡大され、外出自粛要請や小中学校、高校等の臨時休校の延長等の経済社会活動の抑制措置が全国的に様々な分野において講じられることとなった。この間、感染拡大防止対策に加え、雇用調整助成金等の大幅な拡充等による雇用維持対策や、全国民を対象とする特別定額給付金の給付等の経済対策が併せて行われるなど、雇用や生活の下支えのための取組が講じられてきた。最初の緊急事態宣言は5月下旬に全面的に解除され、解除後は一時的な感染状況の落ち着きにより経済社会活動が徐々に再開したが、その後も感染者数の増減やそれに伴う医療提供体制のひっ迫状況等から緊急事態宣言の措置や解除が繰り返され、その都度経済社会活動の抑制・再開が繰り返された。
 2021年は、2020年秋以降の新規感染者数の増加や地域レベルでの医療提供体制のひっ迫を受け、一部地域を対象に1月に緊急事態宣言が発出された。2021年の緊急事態宣言は、対象地域が限定的であったことに加え、飲食店に対する営業時間短縮要請等、特定の産業分野に対する集中的な経済社会活動の抑制措置が中心であったことが特徴的であった。また、2021年は、緊急事態宣言に加え、まん延防止等重点措置など、感染状況等に応じた段階的な措置が行われたため、経済社会活動の抑制措置が長期間にわたって行われた。1月に発出された緊急事態宣言は3月末には解除されたものの、新規感染者数の再度の増加等から、4月には4都府県を対象に再び緊急事態宣言が発出され、その後も各地域の感染状況や変異株の出現等から、対象地域の拡大や期間の延長、まん延防止等重点措置への移行などが行われ、9月末に全面解除となるまで断続的な経済社会活動の抑制措置が続いた。
 この間の政府のワクチン接種事業の進展から、9月にはワクチンの2回目接種率が全国民の50%を超え、10月以降は経済社会活動が徐々に活発化した。しかし、年末にかけて新たな変異株が出現し、外国人の入国制限が実施されるなど、その後も感染症の動向により我が国の経済社会活動が影響を受ける状況が続いた。
-ここまでみてきたように、2021年においては、2020年の緊急事態宣言下のように、経済社会活動の抑制措置が全国的に様々な分野において講じられたわけではなく、感染状況により、地域の限定や特定の産業分野に対する断続的な経済社会活動の抑制措置が行われた。また、一部の地域では緊急事態宣言等の発出が長期間にわたるなど、地域によっても状況が異なった。
 ここから、これまで確認した感染症の状況を踏まえつつ、一般経済の動向を概観する。
 第1-(1)-1図により名目・実質GDPの推移について、第1-(1)-2図により実質GDP成長率について需要項目別の寄与度をみると、名目GDP、実質GDPともに、最初の緊急事態宣言が発出され、全国的に経済社会活動が抑制された2020年第Ⅱ四半期(4-6月期)に急激に落ち込んだ後、経済社会活動が徐々に再開する中で、2020年第Ⅳ四半期(10-12月期)まではプラス成長が続いた。
 2021年は、首都圏を含む一部地域が緊急事態宣言下となった影響もあり、第Ⅰ四半期(1-3月期)は、名目・実質ともにマイナス成長となった。需要項目別にみると、「民間最終消費支出」がマイナスに寄与しており、緊急事態宣言下での消費の落ち込みがうかがわれた。
 2021年第Ⅱ四半期(4-6月期)は、緊急事態宣言等の対象地域においては経済社会活動の抑制措置が講じられていたものの、長引く自粛の中で旺盛な消費意欲がみられ、個人消費がプラスとなったこと等を受け、名目・実質ともに小幅なプラス成長となった。需要項目別にみても「民間最終消費支出」「民間総資本形成」がプラスに寄与していることが分かる。
 一方、第Ⅲ四半期(7-9月期)は、緊急事態宣言下であったことに加え、半導体不足等の供給面での制約が影響し、名目・実質ともマイナス成長となった。需要項目別にみても「民間最終消費支出」「民間総資本形成」がいずれもマイナスに寄与しており、長期間にわたった緊急事態宣言下における個人消費や設備投資の落ち込みが表れている。
 第Ⅳ四半期(10-12月期)は、緊急事態宣言の全面解除に加え、ワクチン接種の進展等に伴い経済社会活動が徐々に活発化し、実質GDPは大きくプラス成長となった。需要項目別にみると「民間最終消費支出」がプラスとなったことに加え、「純輸出」のプラス寄与もみられた。
 四半期ごとのGDPの動きをみてきたとおり、2021年は感染状況により繰り返された経済社会活動の抑制等の影響を受け、名目・実質ともに一進一退の動きが続いた。その結果、年平均でみるとプラス成長と持ち直しの動きがみられ、実質GDPはおおむね感染拡大前の2019年第Ⅳ四半期(10-12月期)の水準まで回復した。なお、今後の感染状況の動向に加え、半導体不足等の供給面での制約や原材料価格の高騰など、下振れリスクも存在することから、今後も注視していく必要がある。

第2節 企業の動向

企業の業況判断は業種別、企業規模別ともに全体として回復傾向がみられたが、「宿泊・飲食サービス」等の非製造業を中心に厳しい状況が続いた

次に、企業活動の動向がどのように推移したのか、日本銀行「全国企業短期経済観測調査」(以下「短観」という。)により、企業の業況判断についてみてみる。
 第1-(1)-3図の(1)により、製造業・非製造業別に業況判断D.I.をみると、世界的な感染拡大に伴う景気減速を背景に2020年6月調査で大幅に「悪い」超となった後、製造業・非製造業いずれも改善傾向が続いた。「製造業」は2021年6月調査では「良い」超に転じ、その後の9月調査及び12月調査でも「良い」超で推移した。他方で「非製造業」では2021年は3月調査から9月調査までは持ち直しの傾向がみられたものの、「悪い」超で推移し、緊急事態宣言の全面解除後の12月調査では、「良い」と「悪い」が均衡する業況まで持ち直した。
 同図の(2)により、企業規模別に製造業・非製造業の業況判断D.I.をみると、(1)と同様に、2020年6月調査でいずれの業種・企業規模でも大幅に「悪い」超となった後は持ち直しの傾向が続いた。製造業では、「大企業製造業」は2021年3月調査には「良い」超に転じ、6月調査では感染拡大前の2019年の水準を上回る水準となった一方で、「中小企業製造業」は、持ち直しの傾向が続いたものの2021年を通じて「悪い」超で推移した。
 非製造業は、「大企業非製造業」では2021年6月調査で「良い」超に転じたものの、緊急事態宣言の全面解除後の12月調査時点でも2019年の水準を大きく下回った。「中小企業非製造業」では2021年3月調査から9月調査まで横ばいで推移し、12月調査で改善がみられたものの、年間を通じて「悪い」超で推移した。
 また、第1-(1)-4図により、主要産業別に業況判断D.I.をみると、2021年は、全体としては改善がみられたが、2020年に落ち込みの大きかった「宿泊・飲食サービス」「対個人サービス」「運輸・郵便」では、緊急事態宣言下において飲食店への営業時間短縮要請や行動制限が長期にわたって断続的に続き、12月調査では改善がみられたものの、「悪い」超で推移した。他方、「建設業」「対事業所サービス」「情報通信」では「良い」超で推移するなど堅調な動きが続いたほか、「製造業」でも2021年6月調査で「良い」超に転じるなど、業種により異なる業況となった。

鉱工業生産指数は供給面の制約から持ち直しに足踏みがみられ、第3次産業活動指数は断続的な経済社会活動の抑制が続く中で低水準となったが、10月以降には回復傾向がみられた

第1-(1)-5図により、鉱工業生産指数及び第3次産業活動指数の推移をみると、世界的な感染拡大による景気減退の影響から、2020年4月~5月にかけて大幅に水準が低下した。その後、いずれも回復傾向にあったが、鉱工業生産指数は従来から続いていた半導体不足に加え、2021年半ばには東南アジアの感染拡大を背景とした部品供給不足のほか、外需の回復の鈍化により持ち直しに足踏みがみられた。2021年10月以降は部品供給不足の影響が緩和されたことで回復したものの、感染拡大前の2019年を下回る水準となった。
 第3次産業活動指数及び全産業活動指数は2021年の年初から飲食店への営業時間短縮要請や行動制限が緊急事態宣言等の下で断続的に行われたことから、飲食店や宿泊業がマイナスに寄与し、2020年に続いて低調な動きとなったが、10月以降は緩やかな回復傾向がみられた。

製造業の経常利益は全ての資本金規模で持ち直しの動きがみられ、感染拡大前の水準を上回った

第1-(1)-6図の(1)により、製造業の経常利益をみると、世界的な感染拡大に伴う景気減速の影響から2020年第Ⅱ四半期(4-6月期)に大きく減少したが、その後の海外景気の持ち直しによる輸出等の改善を背景に、第Ⅳ四半期(10-12月期)以降は増加傾向となった。2021年第Ⅱ四半期(4-6月期)には感染拡大前の2019年第Ⅳ四半期(10-12月期)の水準を上回り、第Ⅲ四半期(7-9月期)及び第Ⅳ四半期(10-12月期)でも増加した。
 同図の(2)により、資本金規模別にみると、2021年は、全ての資本金規模で持ち直しの動きがみられた中で、資本金「1億円以上10億円未満」「10億円以上」の増加幅が特に大きく、2021年第Ⅱ四半期(4-6月期)に2019年同期の水準を上回った。その後、増加幅は縮小したものの、第Ⅳ四半期(10-12月期)まで増加傾向となった。他方、資本金「1千万円以上1億円未満」でも同様に増加傾向がみられたが、他の規模と比較すると緩やかな動きとなり、2021年第Ⅳ四半期(10-12月)に2019年同期を上回った。

非製造業の経常利益は、改善傾向で推移したものの、経済社会活動の抑制を背景に一部の産業では依然として厳しさがみられた

第1-(1)-7図により、非製造業の経常利益をみると、2020年第Ⅱ四半期(4-6月期)に製造業と同様に大きく落ち込み、その後も減少が続いた。2021年に入ると、非製造業でも改善傾向がみられたものの、飲食店への営業時間短縮要請や行動制限が断続的に行われた影響を受け、全規模では第Ⅳ四半期(10-12月期)時点では、依然として2019年同期を下回る水準となった。
 資本金規模別にみると、2021年は全ての資本金規模で改善傾向がみられたが、いずれも第Ⅲ四半期(7-9月期)は低い伸びとなった。緊急事態宣言等が全面解除となった第Ⅳ四半期(10-12月期)では、資本金「1億円以上10億円未満」は感染拡大前の2019年同期と同水準程度まで回復したが、その他の規模では2019年同期の水準を下回った。特に、資本金「10億円以上」では第Ⅳ四半期(10-12月期)時点でも感染拡大前の水準を大きく下回り、依然として厳しさがみられた。
 第1-(1)-8図により、非製造業の経常利益の推移を主要産業別にみると、2020年第Ⅱ四半期(4-6月期)以降、おおむね全ての産業で減少傾向がみられた。その後、「建設業」「卸売業,小売業」などでは持ち直しの動きがみられ、2021年は2019年同期の水準まで回復した。一方、緊急事態宣言下において断続的な行動制限が続いたことから、「運輸業,郵便業」や「生活関連サービス業,娯楽業」「宿泊業,飲食サービス」などの対人サービス業では、2020年に続き厳しい状況となった。

企業の設備投資額は企業収益の回復に支えられ、いずれの業種でも緩やかに増加し、設備の過剰感は特に製造業において弱まった

第1-(1)-9図の(1)により、設備投資額の推移をみると、2021年は企業収益の回復に支えられ、「製造業」「非製造業」ともに緩やかな上昇傾向となった。「製造業」では感染拡大前の2019年の水準には至らなかったが、「非製造業」では2019年と同水準程度まで回復した。
 同図の(2)により、短観の生産・営業用設備判断D.I.を業種別にみると、感染症の影響により、2020年6月調査で「製造業」「非製造業」いずれも設備投資の過剰感は急速に高まった。その後、「製造業」では、2020年12月調査以降、「過剰」超は縮小傾向で推移し、2021年12月調査では2019年12月調査と同じ水準となった。「非製造業」では、「製造業」と同様に2020年12月調査で、過剰感は弱まり、その後、2021年は3月調査、6月調査と横ばいとなったが、2021年12月調査では「不足」超に転じた。
 同図の(3)により、設備投資計画をみると、2020年度は実績がマイナスとなったが、2021年度は、前年度比が例年に近い水準で推移しており、計画ベースでの増勢は維持されている。

企業の倒産件数は減少傾向で推移しており、57年ぶりの低水準となった一方で、いわゆる「『新型コロナウイルス』関連破たん」のうちの倒産件数は増加した

本章の最後に企業倒産の動向をみていく。
 第1-(1)-10図の(1)により、(株)東京商工リサーチによる調査データをみると、企業の倒産件数は2009年以降減少傾向で推移し、2021年は6,030件と2年連続で前年を下回り、1964年の4,212件に次ぐ57年ぶりの低水準となった。この背景には、感染症の発生に伴って経済対策として講じられた各種支援策による下支えがあったものと考えられる。
 続いて、同図の(2)により、人手不足関連倒産の件数の推移をみると、2021年は前年の2020年を下回ったものの、近年の件数は増加傾向にあり、倒産件数全体に占める人手不足関連倒産の割合は上昇が続いた。要因別でみると、2021年は「後継者難型」が最も多く、次いで「従業員退職型」「求人難型」となった。「求人難型」は、2020年以降減少傾向にあり、感染拡大後の人手不足の状況の改善がうかがえるが、今後の経済活動の回復次第では再び人手不足の状況となり、「求人難型」の倒産が増加する可能性もあるため、今後の情勢を注視する必要がある。
 第1-(1)-11図の(1)により、いわゆる「『新型コロナウイルス』関連破たん」のうちの倒産件数をみると、2021年の月別件数は増加傾向となり、2021年の1年間では1,670件と、2020年2月~12月の799件を大幅に上回る件数となった。
 同図の(2)により、「『新型コロナウイルス』関連破たん」のうちの倒産件数を主要産業別にみると、「卸売業,小売業」「宿泊業,飲食サービス業」が2020年と同様に最も多く、特に、「宿泊業,飲食サービス業」は、短観の業況判断D.I.や経常利益の推移においても他の産業に比べて回復に遅れがみられていることから、引き続き注視する必要がある。

倒産件数が減少した一方で、「休廃業・解散企業」件数は高水準が続いた

第1-(1)-12図により、「休廃業・解散企業」の件数の推移をみると、倒産件数が近年減少傾向にあるのに対し、「休廃業・解散企業」の件数は増加傾向にある。2021年は44,377件と2年ぶりに前年を下回ったが、2000年の統計開始以降で3番目となる高水準となった。

コラム1–1 持続可能な事業活動に向けた製品の価格設定について

第1章では、企業の動向についてみてきたが、ここでは、企業が持続可能な事業活動を行う上での財・サービスの価格設定について考察する。
 まず、日本企業の販売価格の動向について、短観の販売価格判断D.I.を仕入価格判断D.I.と併せてみることで確認する。コラム1-1-①図により、大企業と中小企業に分けて販売価格判断D.I.と仕入価格判断D.I.の動きをみると、大企業、中小企業ともに2008年以降のいずれの期間においても仕入価格判断D.I.が販売価格判断D.I.を上回っており、仕入価格判断D.Iの上昇局面において、仕入価格判断D.Iの上昇幅と比較して販売価格判断D.Iの上昇幅は小さい。このことから、一定数以上の企業においては、仕入価格の変動に合わせた販売価格の設定(以下「価格転嫁」という。)ができていない状況がうかがわれ、その傾向は中小企業において顕著に表れている。
 この要因としては様々考えられるが、コラム1-1-②図により、日本企業を取り巻く状況を推察すると、多くの日本企業が「価格競争」に直面していると感じていることが分かり、過度な「価格競争」の存在が日本企業の販売価格の設定に影響している可能性がある。
 企業が「価格競争」に直面している場合、適切な価格転嫁は行われないのであろうか。
 経済学における理論上、商品の販売価格は市場による取引を通じて調整され、市場に「価格競争」が存在している場合、競合他社に対する商品の優位性を持つ一部の企業(プライス・リーダー)を除き、多くの企業は市場で取引される所与の価格の受容者(プライス・テイカー)として行動することとなる。プライス・テイカーとして行動する企業は、原材料費の高騰などの外生的な要因による仕入価格の上昇が起こったとしても、市場による価格調整を待たずに価格転嫁を図ることは難しく、仕入価格の上昇局面においては販売量1単位当たりの企業利潤が減少することとなる。
 製品の販売量1単位当たりの利潤の状況を確認するため、マークアップ率の水準をみてみる。マークアップ率とは利幅を意味し、販売価格を商品の生産コストで除した数値である。
 コラム1-1-③図により、企業のマークアップ率の国際比較をみると、我が国のマークアップ率は国際的にみて低水準であり、1単位当たりの販売量に対する企業の利幅が小さいことが分かる。多くの日本企業は「価格競争」に直面していると感じていることから、マークアップを上乗せして利潤を獲得することが比較的難しい環境となっており、そうした市場環境が反映されたマークアップ率の水準となっている状況がうかがえる。
 価格転嫁を図ることが難しく、マークアップ率が低い企業では、自社の利潤を最大化するために、「企業努力」を通じて、徹底したコスト抑制を図り、原価水準を低下させ、販売量1単位当たりの利幅の拡大を図ることが合理的な行動として選択されることとなる。
 商品の生産に要するコストは、資本ストックを所与のものとすると、大きく「原材料費」と「人件費」に分けて考えられる。「原材料費」の水準は比較的外生的に決定される一方で、「人件費」の水準は比較的内生的に決定される2ため、ここでは、「人件費」についてみることで企業のコスト抑制の状況をおおまかに確認することとする。
 コラム1-1-④図は、単位労働費用上昇率の水準を国際比較したものである。単位労働費用(ULC、ユニット・レーバー・コスト)とは、生産量1単位当たりに要する人件費の水準を示す指標である。同図により、単位労働費用の上昇率を国際比較すると、我が国の単位労働費用の上昇率は、国際的にみて低水準であることが分かる。これは、「価格競争」に直面している日本企業の経営合理化等によるコスト抑制の取組の結果が一部に表れているためととらえることができるであろう。
 一方、価格競争下で利潤を確保するための過度なコスト抑制は、経済全体からみたときには望ましくない結果となることがある。
 経済学においては「合成の誤謬(fallacy of composition)」という言葉で表現されるが、コストに含まれる人件費の抑制は、個々の企業にとっては合理的な利潤極大化行動である一方で、経済全体からみると合理的な行動とは言いがたい。経済全体からみると、企業による人件費の抑制は、家計部門への分配が抑制されている状態であり、家計部門が備える購買力の低下、民間消費の減少を招き、経済全体の総需要不足を引き起こす可能性がある3
 また、低水準のマークアップ率で持続的な事業活動が行えるだけの利潤を確保するために、いわゆる「薄利多売」方式で販売量を増やしていく企業戦略も考えられるが、人口減少局面を迎え、人口増による内需の自然増加が見込めず、労働力供給の減少も予測される今後の我が国においては、その有効性が限定的となる可能性もある。
 そのため、今後の我が国において企業が持続可能な事業活動を行うためには、過度なコスト抑制による利潤の確保ではなく、適切な価格転嫁による製品のマークアップ率を高めることが重要であり、製品の差別化やブランド価値の向上により市場での優位性を築いていく必要があると考えられる。

注釈

  1. 1付1-(1)-1表では、新型コロナウイルス感染症をめぐる主な動きと、それに伴う緊急事態宣言及びまん延防止等重点措置の適用地域・期間について一覧表としてまとめている。また、新規感染者数の推移については付1-(1)-2図を参照。
  2. 2ここでいう人件費の水準とは、労働力需給の状況や労使間の交渉等により決定される賃金水準ではなく、企業の経営戦略に基づく予算制約により決定される生産コストとしての賃金総額を指す。そのため、労働力の削減やより安い労働力の確保等により、企業が内生的に水準を減少させることが可能となる。
  3. 3一国で生み出された付加価値の総額であるGDP(国内総生産)には、生産面、分配面、支出面のいずれから算出しても同じ値になるという原則(三面等価の原則)があり、以下の式で示される。(詳細な定義は、内閣府「国民経済計算」を参照。)
    • 三面等価の原則:
       生産面からみたGDP(生産額-中間投入額)
      =分配面からみたGDP(企業所得+家計所得)
      =支出面からみたGDP(消費+投資)
    このとき、分配面からGDPをみると、個々の企業が人件費の抑制(家計所得の減少)によって企業所得を増加させたとしてもGDPの増加には繋がらない上に、支出面からGDPをみたときに、家計所得の減少は民間消費の減退を招きGDPの縮小をもたらす可能性もある。