第2章 賃金引上げによる経済等への効果

第1章では我が国の賃金の長期的な動向を踏まえつつ、1990年代後半以降、賃金が停滞した背景について分析してきたが、本章では、賃金が増加することによる影響を確認していく。具体的には、賃金増加による好影響について、個々の企業や労働者への効果(ミクロの視点)と、経済全体への効果(マクロの視点)に分けてそれぞれ確認する。ミクロの視点では、賃上げによる新規採用や離職、労働者のモチベーション等への影響について、マクロの視点では、消費や結婚等により経済全体に及ぼす影響についてみていく。

第1節 賃上げによる企業や労働者への好影響

企業の人手不足は企業規模にかかわらず深刻化し、ハローワークにおける求人充足率も低下

賃金引上げによる企業における影響をみる前に、まず、企業を取り巻く状況を確認しておこう。
 第2-(2)-1図により、企業の欠員率(常用労働者数に対する未充足求人数1の割合)の推移をみると、企業規模にかかわらず2010年以降上昇傾向で推移していることが分かる。欠員率を2010年と2019年で比べると、5~29人規模の企業では約1%から5%程度まで、比較的人員を確保しやすい1,000人以上規模の企業でも、約1%から2%程度まで上昇しており、近年、企業における人手不足は深刻化する傾向にある。感染症による影響から、2020年、2021年には中小企業を中心に欠員率は低下したものの、5~29人企業では依然3%程度であり、全国での有効求人倍率が1倍を超えていた2015年並の高い水準である。

人手不足を補うには新規に人材を雇用する必要があるが、第2-(2)-2図により、ハローワークにおける求人の充足率の推移をフルタイム・パートタイム別にみると、2010年以降低下傾向が続いていることが分かる。求人充足率は雇用情勢が悪いときには上昇し、良いときには低下する傾向がある。雇用情勢が厳しかった2000年代にはフルタイム・パートタイムともに最大で30%近くまで上昇したが、近年はフルタイムでは10%程度まで低下し、パートタイムでは15%程度で推移している。感染症の影響を受け一時的に上昇したものの、求人が充足しにくい状況が長く続いていることが確認できる。

賃金、休暇等の条件が求職者の応募状況に影響を与える

求人の充足に当たっては、まず求職者に興味を抱いてもらい、その求人が求職者に応募されることが極めて重要である。このため、ハローワークにおける求人への応募状況(求人側からみれば求人の被紹介状況)について、2022年1~3月に新規求人として受け付けられた求人の行政記録情報を用いて詳細にみることとする。ハローワークにおいて受け付けられた求人は、備え付けられた端末やハローワークインターネットサービス等を用いて本人が検索して見つけるか、本人の希望条件等を踏まえて職員から提案される2ことで、求職者に認識され、その後、本人の希望条件等を踏まえつつ、ハローワークより求職者が企業に「紹介」され、企業における書類選考や面接等の手続きに移る。今回の分析は、ハローワークにおいて記録された「紹介」の情報を活用することで行っている。第2-(2)-3図(1)(2)は、フルタイム・パートタイム別に、求人受付後、ハローワークやハローワークインターネットサービスにおいて有効求人として示される3か月以内に一人以上の「被紹介」があった求人の割合をみたものであるが、フルタイムでは受付月に20%程度、受付後3か月以内に35%程度の求人に応募があったことが分かる3。パートタイムではやや高く、受付後3か月以内におおむね40%に応募があった。なお、これらの数値には、ハローワークで紹介を受けずに行われた応募は含まれていないことには留意が必要である。同図(3)(4)は、同じくフルタイム・パートタイム別に、3か月以内に被紹介された求人の割合を職業別にみたものである。フルタイム・パートタイムともに事務的職業では70%程度である一方、サービスの職業や販売の職業などでは事務的職業の半分以下の割合となっており、求人が「被紹介」に至る割合については、職業による差が大きいことが分かる。
 求職者は、賃金や休暇等、様々な条件を勘案しつつ、求人に応募しているものと考えられるが、実際にどのような条件が求職者を惹きつけるのだろうか。第2-(2)-4図では、それぞれの求人条件によって、募集人数一人当たりの被紹介件数がどの程度変化するか、下限を0としたトービットモデルで推計を行った4。なお、第2-(2)-3図でみたように、求人の職業によって被紹介状況が大きく異なることや、産業や都道府県によっても求人数や雇用情勢が大きく異なることから、推計に当たっては、職業、産業、都道府県をコントロールしている。加えて、企業の固定効果を取り除くため、企業規模や創業年数等についても勘案している5
フルタイム・パートタイム別に推計結果をみると、フルタイムでは求人賃金の下限を最低賃金よりも5%以上高い水準を提示6すると、募集人数一人当たり、1か月以内の被紹介件数は約5%、3か月以内では約10%増加することから、求人賃金の引上げは、一定程度、求職者の応募を促す効果があることがうかがえる。求人賃金以外では、完全週休2日やボーナスは、それぞれ1か月以内の被紹介件数を15%程度、3か月以内では20~30%程度引き上げる効果があり、休暇等の条件を見直すことも効果的であることが示唆される。一方、時間外労働は被紹介件数を有意に引き下げており、求職者がワーク・ライフ・バランスを重視する傾向もうかがえる7
 パートタイムについては、ボーナスはフルタイムと同様にプラスに寄与しているが、賃金は被紹介件数の引上げに寄与していない。パートタイム労働者は「自分の都合の良い時間(日)に働きたい」といった働きやすさを優先する傾向があることから、そうした希望と賃金の高い求人が必ずしもマッチしていない可能性も考えられる。また、同一労働同一賃金の施行に伴い、雇用形態での不合理な待遇差を設けることが禁止されており、パートタイム労働者へのボーナスの支給の動きが広がっている8中で、パートタイムを希望する求職者においても、フルタイムを希望する求職者と同様に、賞与の有無を重視している可能性がある9
 労働組合の存在は、フルタイム求人でも、パートタイム求人においても、求職者の応募にもプラスに寄与しており、労働組合がある会社への一定の信頼感が示唆される10
 こうした傾向は、実際に入職者が勤め先を選んだ理由からみても確認できる。第2-(2)-5図より、前職を持つフルタイム・パートタイム労働者別に、現在の勤め先を選んだ理由をみると、どちらも「仕事の内容に興味があった」「能力・個性・資格を生かせる」といった理由が大きいが、「収入が多い」と「労働条件がよい」を合わせると、これらに次ぐ割合となっており、収入や労働条件も重要な要素になっている。ただし、「収入が多い」を選択している労働者は、男女ともに、フルタイムでは7%程度、パートタイムでは2%程度であるが、「労働条件がよい」は、男性のフルタイムでは10%弱、女性のパートタイムでは20%強と、フルタイム・パートタイム間、男女間でも差があることから、属性の違いによって、入職の際に重視する要素が異なっている可能性がある。

賃上げは離職確率を低下させる効果

賃上げは採用だけではなく、人材の定着に資する面もある。第2-(2)-6図により、第2-(2)-5図と同じく前職を持つフルタイム・パートタイム労働者について、その前職を辞めた理由をみると、「定年、契約期間の満了」や「会社都合」等の非自発的な理由や、個人的理由の中でも、「その他の個人的理由」といった傾向のつかみづらい理由も多いが、これらを除くと、「収入が少ない」や「労働条件が悪い」が高い割合で選ばれている。特に、フルタイムは男女ともに「収入が少ない」を転職理由に挙げる者が1割弱程度おり、収入は離職の大きな誘因の一つとなりうると考えられる。
 (独)労働政策研究・研修機構が実施した企業への調査からも、賃上げの効果として離職の減少が挙げられている。第2-(2)-7図より、ベースアップを実施した企業(有効回答2,450社のうち888社)に対して、賃上げを実施したことによる効果を確認したところ、約4割が「既存の社員のやる気が高まった」と回答しているほか、約2割が「社員の離職率が低下した」と回答している。賃上げは雇用者のモチベーションを高め、人材の定着を促す効果があることを企業も実感していることがうかがえる。

賃上げは働き続ける労働者のモチベーションや、自己啓発にプラスの効果を持つ可能性

賃上げは、企業だけではなく労働者にも好ましい影響をもつ可能性がある。第2-(2)-8図は、連続する2年間で正規雇用の職にあった者について、年収が横ばい又は減少した者、年収が0~25万円増加した者、年収が25万円以上増加した者の3つに分け、それぞれの仕事への満足度や幸福度等の変化を確認した図である。同図(1)をみると、1年前より年収が増加した者では仕事への満足度が高まる者の割合が高くなっており、年収の増加は、仕事への満足度を高める効果がある可能性がある。同図(2)から、「生き生きと働いている」と回答した者の割合をみても、年収が上がった層ほど、生き生きと働けるようになった者の割合が高まっている。仕事への満足度や主体性は仕事内容や人間関係等によっても変わることにも留意は必要であるが、仕事への満足度と同様、年収が増加すると、働き方の主体性にもプラスの効果をもたらしうるものと考えられる11。加えて、同図(3)において、「自己啓発活動」を新たに行うようになった者の割合をみると、年収が横ばい又は減少した場合と、年収が0~25万円増加の場合は19~20%程度であるが、年収が25万円以上増えた者については約23%であり、因果関係までは明らかでないが、一定以上の年収の増加は自己啓発にもプラスの効果を持つ可能性が示唆される。これらを踏まえると、年収の増加は、労働者の仕事へのモチベーションを高め、労働者のワーク・エンゲイジメントの向上や自己啓発の促進につながり、結果として企業や個人の生産性を高める可能性がある12。最後に、同図(4)より、個人の幸福度の変化をみると、年収が増加するほど、幸福度が向上した者の割合が高まっており、年収の増加は、個人の主観的な幸福度をも高める可能性がある。

コラム2–5 正社員求人条件の変化について

第2-(2)-4図では、求人賃金等の労働条件が求人の被紹介件数に及ぼす影響について分析したが、人口が減少し、長期的に人手不足が強まっていくことが見込まれる中で、求人条件がより応募されやすく求職者が働きやすいように変化している可能性もある。本コラムでは、正社員求人について求人条件の変化をみてみよう。
 既に第1-(2)-16図でみたとおり、正社員の求人倍率は、2022年時点で、2019年の感染拡大前の水準には戻っておらず、求職者にとって、正規雇用への就業がここ数年において必ずしも容易になっているわけではない。
 しかし、長期的に求人倍率が上昇傾向にある中で、多様な人材を雇用したいという企業側のニーズは拡大し、これが求人条件に変化を及ぼしている可能性はある。コラム2-5図は、2019年と2022年にハローワークにおいて受け付けられた正社員の新規求人(2019年と2022年で合わせて約1,000万人分)について、その求人条件の変化を比較したものである。同図(1)より、完全週休2日の求人割合をみると、2019~2022年に2%ポイントほど上昇しており、ここ3年においては、求人倍率が若干低下する中にあっても、求職者にとって人気が高い13求人の割合は上昇していることが分かる。同図(2)より、求人票に記載された平均時間外労働時間をみても、全求人で0.7時間(6%)程度減少しており、企業は正社員の時間外労働の縮減にも努めていることがうかがえる。
 このように、ここ3年でみても、正規雇用労働者を募集する企業においては、完全週休2日へのシフトや、時間外労働の縮減に取り組んでいることが確認される。こうした中で、例えば非正規雇用労働者の方々にとっては、時間等の制約から難しかった正規雇用への転換が行いやすい環境が、徐々に整ってきている可能性がうかがえる。

第2節 賃上げによる経済等への好影響

賃金はマクロの消費にプラスの影響

これまでみたとおり、賃金が上がることは、個々の企業や労働者に対して好ましい影響をもたらし、こうした好影響は、マクロとしてみれば、消費、生産、雇用等の増加にも波及するものと考えられる。本節では、厚生労働省(2015)の分析を踏まえつつ、賃金がマクロの消費や雇用増等に与える影響を定量的にみていこう。
 まず、賃金の消費へ与える影響を確認するため、賃金を説明変数とした消費関数の推計を行った。厚生労働省(2015)や、戸田・並木(2018)においても同様の推計は行われているが、ここでは固定効果を取り除くため、都道府県ごとのパネルデータを整備し、経済活動の活発度の指標として人口密度を含めて推計を行う。第2-(2)-9図は、フルタイム労働者の定期給与・特別給与、パートタイム労働者の定期給与・特別給与、フルタイム労働者数、パートタイム労働者数がそれぞれ1%増加したときに消費に与える影響を示している。これによると、フルタイム労働者の定期給与・特別給与が1%増加すると、それぞれ約0.2%、約0.1%分消費を増加させる効果をもつことが分かる。特に、定期給与引上げの効果は、フルタイムの特別給与額が1%増加することによる効果や、フルタイム労働者数が1%増加することによる効果よりも大きく、消費を増やすためには、企業の業績に左右されやすい賞与だけではなく、定期給与を着実に引き上げていく必要があることを示唆している14

賃金・俸給額1%の増加は生産を0.22%、雇用を0.23%、雇用者報酬を0.18%増加させる

賃金引上げによる家計所得の増加は、消費を通じて経済成長につながり、さらに雇用や生産、消費が生まれるという好循環をもたらす可能性がある。これは、家計が、賃上げによる所得の増加の一部を消費に回すことにより、各部門における最終需要が増加し、それによる生産や雇用量の増加が起こり、雇用者所得が増加するというような波及効果によるものである。賃上げの影響を定量的に確認するため、ここでは、産業連関表を用いて、全労働者の賃金が1%増加した場合(すなわち、国民経済計算でいう賃金・俸給額が1%増加した場合)の経済波及効果について確認してみよう15
 第2-(2)-10図では統合大分類である37部門について、賃金・俸給額が1%増加したときに誘発される生産額の増加分と、それにより誘発される雇用と雇用者報酬の増加分を計算している。まず、我が国における2021年の賃金・俸給額の約1%に当たる約2.4兆円だけ雇用者全体の賃金額が増加するものとする。増加した所得の一部は貯蓄にも回るため、2021年の総務省統計局「家計調査」における勤め先収入と消費支出の比として計算される約0.55を消費転換率として、約2.4兆円に消費転換率を乗じた約1.3兆円が消費に回るものと仮定する。消費の増加により部門ごとに生産量が増加し、その生産の増加に見合うよう雇用量が増加し、雇用者報酬額が増加する。なお、理論的には波及効果は小さくなりながら続いていくが、ここでは2回のみ波及が生ずるものとして計算している。
 同図(1)により、賃金・俸給額が1%増加したときに見込まれる各部門における生産の増加額をみてみよう。消費に占める割合が比較的高い商業や不動産等を中心に、追加的に約2.2兆円の生産が行われるものと考えられる。生産額全体は約1,020兆円であることを踏まえると、全労働者の賃金1%の増加は、全体の生産額を約0.22%引き上げる効果があると考えられる。
 同図(2)は、雇用の増加量を部門別に示したものである。賃金・俸給額が1%増加することによってもたらされた約2.2兆円分の追加的な生産をまかなうため、労働集約的な(1単位の生産に当たってより多くの労働力を必要とする)産業である商業や対個人サービスを中心に、従業者総数約6,900万人の約0.23%に相当する約16万人分の雇用が増加すると推計される。
 最後に、同図(3)により、雇用者報酬の増加額を推計した。雇用者報酬額の増加分は、増加生産額に生産・雇用者報酬比率(生産額に占める雇用者報酬の割合)を乗じたものであるが、生産額が大きい商業や生産・雇用者報酬比率が高い医療・福祉等を中心に、全体として雇用者報酬約289兆円の約0.18%に相当する約5,000億円と見込まれる。
 産業連関表を用いた分析では、物価や労働分配等の変化が勘案されていないことに留意が必要であるが、賃上げはマクロでの消費を増加させ、さらなる賃金の増加につながりうるものと考えられる。

収入は結婚にも大きな影響を及ぼしている可能性

ここまで賃金増加による消費や生産等の経済全体への影響をみてきたが、最後に、賃金が結婚選択に対してどのような影響を与えるかについてもみてみよう16
結婚は、個人の自由意思に基づくものであるが、後ほどみていくように、現状では、多くの人が結婚を希望しながら実現していない。先行研究によれば、賃金は結婚選択に当たっての重要な要素の一つであると考えられており17、結婚と賃金の関係は、個々人の希望が叶えられやすい環境を整備する観点から、重要な論点である。また、我が国における少子化の背景については、岩澤(2015)が指摘する18ように婚姻数の減少が極めて大きな影響を及ぼしていることを踏まえれば、少子化を克服していく観点からも重要である。
 まず、結婚を望む者の割合と実際の有配偶率をみてみよう。第2-(2)-11図は、1995年以降の我が国における20~39歳までの結婚を希望する男女の割合と、実際に結婚している者(有配偶者)の割合を示したものである。それぞれ調査が異なることから、数値を取得できる年度が異なることに留意が必要であるが、1995~2021年にかけて「いずれ結婚するつもり」と回答している男女の割合は、それぞれ80%以上でほぼ横ばいとなっている一方で、有配偶率は、女性は50%台前半から40%台前半まで、男性は40%から30%台半ばにまで低下している。結婚への希望は以前と大きく変わっていない中で、必ずしもその希望を叶えられていない可能性が示唆される。
第2-(2)-12図より、男女別に結婚相手に求める条件をみると、「価値観が近いこと」や「一緒にいて楽しいこと」「一緒にいて気をつかわないこと」が男女ともに上位となっている。男女別にみると、女性では「経済力があること」を半数以上が求め、職種・学歴などを求める割合も一定数存在している一方で、男性では、こうした経済力や学歴・職業への希望は小さい19
加えて、第2-(2)-13図は、20~39歳の男女について、結婚生活で必要と思われる収入と、実際の未婚者の年収分布を比較したものである。結婚生活をスタートさせるに当たって必要だと思う夫婦の年収については、男性・女性ともに約6割が年収400万円以上と回答し、約4割が500万円以上と回答している。一方で、同年齢の未婚者についてみると、男性では約25%、女性では約36%が主な仕事からの年間収入が200万円未満、男性の約半数、女性の約70%が300万円未満である。雇用者の共働き世帯が、片働き世帯よりも多数となる中20、多くの若い未婚者は単独では結婚に必要と考えられている収入に届いていない状況がうかがえる。
加えて、第2-(2)-14図より、18~34歳の結婚意思のある男女について独身でいる理由をみると、男女ともに25~34歳では「適当な相手にまだめぐり会わないから」という割合が最も高く、18~24歳では「結婚するにはまだ若すぎるから」等の割合が高い。一方で、複数回答であることに留意が必要であるが、男性では18~24歳の約25%、25~34歳の約23%が、独身でいる理由として「結婚資金が足りないから」と回答しており、男性においては金銭の不足が結婚を躊躇する大きな原因となっている可能性がある。
以上を踏まえると、結婚選択に当たっては「価値観が近い」や「一緒にいて楽しい」等、双方の相性が重要であるが、未婚者の実際の収入分布と結婚に必要だと考えられている年収との間に乖離が生じていることや、若い男性を中心に「結婚資金が足りない」ことから未婚であると回答する者が一定数存在していることを踏まえれば、収入は、自分だけではなく結婚相手のものも含め、結婚選択に当たって少なからぬ影響を及ぼしている可能性がある。

男性は収入が高いと結婚する割合が高まる傾向が顕著

収入と結婚にはどのような関係性がみられるだろうか。ここでは、各個人を経年で調査した厚生労働省「21世紀成年者縦断調査(平成24年成年者)」を用いて確認してみよう。第2-(2)-15図(1)は、2013年調査において独身であった男女について、年齢・年収別に、5年後までに一度でも結婚をした者の割合をみたものである。2013年調査時点において年収が200万円未満であった独身の21~25歳の男性は、5年後までに約1割が結婚している一方で、2013年時点において年収が300万円以上であると、約3割が結婚している。2013年時点において26~30歳であった独身男性についてみると、年収が200万円未満では5年後までに結婚を経験する割合が約1割である一方、年収300万円以上では約4割となっており、男性においては、収入は結婚に強く影響しているものと考えられる。女性は200万円以上とそれよりも低い収入を比較すると、年収が高い方が5年後に結婚する割合が高い傾向は同様であるが、年収200万円以上をみると、5年後に結婚している割合に大差はなく、男性ほど収入と結婚に強い関係性が生じていない。
 こうした収入と結婚選択の関係を詳細に確認するため、パネル調査の特性をいかし、男女別に、結婚行動についてロジスティック回帰分析を行った21。同図(2)はそれぞれ年収、雇用形態、地域が結婚確率に及ぼす効果を示したものである。例えば、年収200~300万円ダミーについては、年収が200~300万円であると、年収が200万円未満の場合よりも、どの程度結婚確率を引き上げるかを示している。同図(1)でみたとおり、男性は年収が上がるほど結婚確率が引き上がる効果がみられ、年収500万円以上では、年収200万円未満の場合と比べて、結婚確率が16%ほど上昇する効果がみられる。一方、女性については、年収200~300万円では結婚確率が引き下がる効果がみられるものの、おおむね年収が高いほど結婚確率が高まる22。また、正規雇用ダミーは、男女ともに結婚確率を引き上げる効果がみられ、特に、女性においてその効果が大きくなっている。この背景には、結婚後の将来の生活の見通しがつくよう、男女ともに、結婚相手に対して安定した雇用形態を望む傾向があることが考えられる。正規雇用への転換支援等、希望する人が正規雇用になりやすい環境を整備していくことは、希望する人の結婚を後押しすることに向けても重要であるものと考えられる。
 収入の増加が希望する人の結婚を後押しすれば、それは結果として出生の増加につながりうることから、個々人の希望を叶えやすい社会を実現していくという観点に加え、社会全体として少子化を克服していく観点からも、若年層を中心に賃金をしっかりと引き上げ続けていくことが重要である。

第3節 小括

本章では、賃金引上げによる好影響について、個々の企業や労働者への効果(ミクロの視点)と、経済全体への効果(マクロの視点)に分けて確認した。個々の企業への効果についてみると、フルタイムの求人賃金を最低賃金よりも5%以上高い水準に設定すると、最低賃金水準と比べて、募集人数一人当たりの被紹介件数を1か月以内では約5%、3か月以内では約10%増加させている。加えて、賃上げは、労働者の仕事へのモチベーション向上等を通じて、企業や個人の生産性向上にも寄与する可能性があることを指摘した。また、経済全体への影響についてみると、フルタイム労働者の定期給与・特別給与の1%の増加が、それぞれ約0.2%、約0.1%ずつ消費の増加効果をもつ可能性があることや、産業連関表を用いた分析では、全体の賃金・俸給額が1%増加したときに、約2.2兆円の生産増加と、約5,000億円の雇用者報酬のさらなる増加をもたらしうることを確認した。加えて、若年層を中心とした賃金の増加は希望する人の結婚を後押しすることで、個々人の希望を叶える効果があるほか、婚姻数の増加を通じて、少子化問題の克服にも寄与する可能性があることを指摘した。
 このように、賃金の引上げは、企業の人材の確保や生産性向上の後押しをすることや、労働者のモチベーションを高めるといったミクロの効果のみならず、経済全体の活性化や少子化問題の克服といったマクロの効果も持つと考えられる。こうした効果を踏まえれば、賃金の引上げは、個々の企業にとっては人件費の負担増となるものの、人口減少を迎えている我が国において、将来にわたって企業が安定的な成長を続けるとともに、我が国経済全体が再び成長軌道に乗るためには重要な要素の一つであるといえる。まずは足下において、賃金をしっかりと引き上げることで人材を惹きつける。雇用した人材へ投資をし、能力向上を図り、企業の生産性を向上させ、それを更なる賃上げにつなげる。こうした好循環を築き上げることで、持続的な賃上げを実現していくことが重要である。

注釈

  1. 1毎年6月末日現在、事業所において仕事があるにもかかわらず、その仕事に従事する者がいない状態を補充するために行っている求人の数をいう。
  2. 2なお、ハローワークにおいては、専門のキャリアコンサルタントによる相談・助言を通じたジョブ・カードの作成支援も行っている。ジョブ・カードは、本人の関心事項、強み、将来取り組みたい仕事等や、これまでの職務経験・資格等をまとめたものであり、「生涯を通じたキャリア・プランニング」及び「職業能力証明」のツールとして、求職活動、職業能力開発などの各場面において活用できるものである。ハローワークでは、職業相談・紹介を行う際に、ジョブ・カードを活用したキャリアコンサルティングを行っている。
  3. 3第2-(2)-3図では各求人における募集人員数を考えず、一人以上被紹介された場合を「被紹介」にカウントしている。
  4. 4(独)労働政策研究・研修機構(2012)では、アイトラッキングの実験を通じ、求職者が求人票等で最も注目しているのは「仕事の内容」とする結果を得ているが、本分析では、職業をコントロールした上で分析を行っている。
  5. 5推計の詳細は付2-(2)-1表を参照。
  6. 6フルタイムの場合は、求人賃金は月額で記録されるが、通常時給で示される最低賃金との比較を行うため、各都道府県の最低賃金に、2022年の厚生労働省「毎月勤労統計調査」におけるフルタイム労働者の総労働時間の平均値である150時間を乗じたものを最低賃金とみなしている。
  7. 7厚生労働省「令和2年転職者実態調査」によれば、転職先を選択した理由として、「労働条件(賃金以外)がよいから」は、男性よりも女性で、中高年よりも若年で高くなっている。
  8. 8第2-(3)-34図を参照。
  9. 9(独)労働政策研究・研修機構(2021)によると、同一労働同一賃金の施行前の2019年において、勤務先に業務内容や責任の程度が同じ正社員がいると回答した労働者(n=1,967)に対し、業務の内容等が同じ正社員にのみ支給・適用されていたり、支給・適用基準が異なっていたりして納得できない制度や待遇があるかどうか尋ねたところ(複数回答)、「特に無い」を除いてみれば、最も回答割合が高かったのは「賞与」(37.0%)で、次いで「定期的な昇給」(26.6%)、「退職金」(23.3%)の順で高くなっている。
  10. 10本推計では企業規模もコントロールしているが、例えば、同じ大企業であっても、労働組合がある会社においては地域における知名度が高い、データで把握できる部分以外の労働条件が充実している等、労働組合が存在すること以外の要素が影響を及ぼしている可能性があることには留意が必要。
  11. 11効率賃金仮説では、雇用者の努力水準を企業が完全に観察できない場合、労働市場の賃金よりも高い賃金で雇用することにより、労働者は、解雇されることによって高い賃金を失うことなどを避けるために努力水準を引き上げるとされており、それが生産性の向上にもつながりうるとされている。詳細は、大槻(1997)、服部(2000)、佐々木(2011)を参照。
  12. 12厚生労働省(2019)では、ワーク・エンゲイジメントの向上が、個人の生産性を高めるだけではなく、企業の生産性を高める効果がある可能性を指摘している。特に、企業については、1単位当たりのワーク・エンゲイジメント・スコアの上昇が、生産性を1~2%程度上昇させる可能性があるとされている。
  13. 13第2-(2)-4図でみたように、完全週休2日の求人には、求職者の応募が増加する傾向にある。
  14. 14なお、パートタイム労働者については、労働者数の増加はマクロの消費を増やす一方で、賃金の増加はマクロの消費に大きく影響していない。
  15. 15詳細は付注1を参照。
  16. 16内閣府(2022)によると、婚姻件数は第1次ベビーブーム世代が25歳前後の年齢を迎えた1970~1974年にかけて年間100万組を超え、婚姻率(人口1,000人当たりの婚姻件数)も10.0前後であったが、その後は低下傾向となった。また、人口動態統計をみると、2021年は感染症の影響もあり婚姻件数は約50万組と低下している。2020年は例えば30~34歳では男性は47.4%、女性は35.2%が未婚であり、長期的に未婚率は上昇傾向で推移している。
  17. 17(独)労働政策研究・研修機構(2019)においては、総務省統計局「平成29年就業構造基本調査」を用いて、男性については、どの年齢層でもおおむね年収が高いほど有配偶率は高い関係があることを指摘している。
  18. 18岩澤(2015)によると、合計特殊出生率が2.01(1950年代後半~1970年代前半にかけての合計特殊出生率に相当)から2012年の1.38までの変化量は、約90%が初婚行動の変化、約10%が夫婦の出生行動の変化で説明できる。
  19. 19なお、付2-(2)-2図より、国立社会保障・人口問題研究所「出生動向基本調査」により、男女それぞれについて、結婚相手の条件として重視・考慮する条件の変化を長期にみると、男性では相手の「経済力」を重視・考慮する人の割合が、第10回(1992年)調査の26.7%から第16回(2021年)調査の48.2%に増加している。また、女性では相手の「家事・育児の能力や姿勢」を重視する人の割合が第11回(1997年)調査の43.6%から第16回(2021年)調査の70.2%まで増加している。
  20. 20内閣府(2023)において取り上げられているように、長期的に、「雇用者の共働き世帯」は増加傾向にある一方、「男性雇用者と無業の妻から成る世帯」は減少傾向で推移しており、2022年では、妻が64歳以下の世帯についてみると、「雇用者の共働き世帯」は1,191万世帯と、「男性雇用者と無業の妻から成る世帯」である430万世帯の3倍近くとなっている。
  21. 21推計の詳細は付2-(2)-3表を参照。
  22. 22なお、女性の年収と結婚については、(独)労働政策研究・研修機構(2014, 2019)が指摘するように、結婚後、仕事を辞めたり労働時間を減少させたことによる年収の減少が影響している可能性があり、年収200~300万円でみられる女性における結婚確率へのマイナスの効果は、必ずしも所得と結婚選択の関係を表しているものではない可能性があることに留意が必要である。