IDESコラムvol.84
国際移住機関(IOM)での派遣勤務を通じて
-アジア太平洋地域における移民と感染症対策の現場から-
IDES養成プログラム9期生:安里 晨(あさと・しん)
私は、厚生労働省が実施する感染症危機管理専門家養成プログラム(Infectious Disease Emergency Specialist: IDES)の一環として、2024年4月から2025年3月までの1年間、タイ・バンコクを拠点とする国際移住機関(IOM Regional Office for Asia and the Pacific)(参考文献1)において、移民保健担当官として勤務する機会を得ました。
多国籍の専門家が集まる国際機関の一員として、移民や移動を伴う人々(Migrants and Mobile Populations: MMPs)の健康を守るさまざまな業務に携わりながら、感染症対策に関する実践的な知識、プロジェクト運営に関する実務経験を積むことができました。とりわけ、国際機関、各国政府、NGO、学術機関など多様な関係者と協働するなかで、国際的な連携調整力を実践的に養い、将来の国際保健活動にもつながる貴重な人脈を築くことができたのは、今後のキャリアにおいても意義深い経験となりました。
本稿は、2024年9月までの活動をまとめたコラム Vol.80の続編として、派遣後半の取り組みを振り返るものです。IOMアジア太平洋地域事務局での1年間を通して得た経験をご紹介できればと思います。
私はIOMアジア太平洋地域事務局のM&E(モニタリングと評価)を担当し、各国の保健省、IOM各国事務所、NGO、学術機関など18の実施機関と連携して、データの収集・分析・進捗評価を行いました。2024年には、80,610名に健康教育を提供し、105,715名に結核スクリーニングを行い、6,013件の結核症例を特定する成果を得ました。
オフィスでのデータ業務だけでなく、現地に赴き、実際に現場の声を聞く機会にも恵まれました。たとえばベトナムでは、ハノイの国立肺病院(National Lung Hospital: NLH)やカンボジア国境に近いタイニン省の地域保健センターを訪問し、結核患者や医療スタッフから、本プロジェクトに参加した経緯や、過去の治療中断の背景、国境沿いでの生活・治療上の困難さについて直接お話を伺いました。現地職員の通訳サポートを受けながら、患者さんの率直な思いや現場の声に触れたことで、報告データだけでは捉えられない現地の実情や、より良い支援のあり方について考えるきっかけとなりました。
この資材は、現在では各国の保健活動の現場で広く活用されています。私がベトナムを訪れた際には、実際に現場でこの資材が使用されている様子を目にし、今後こうした取り組みが差別や偏見の解消に繋がってほしいと強く感じました。
この文書の構成や関係者との調整にあたっては、厚生労働省勤務時にIDES 9期生の城さんと共に取り組んだ「抗微生物薬適正使用の手引き 第3版(本編・別冊・補遺)」の作成経験が大いに役立ちました。限られた時間の中で、多くの関係者と協働し、現場の実情とエビデンスを反映した文書をまとめあげた当時の経験は、国を越えた政策提言書の作成という今回の業務にも繋がったと感じています。
私は、IOMアジア太平洋地域事務局の運営チームの一員として、企画から当日の進行まで幅広く携わりました。ビザや宿泊の手配、備品や資料の準備、会場設営、さらにはフィールドワーク先の視察・構成の検討に加え、研修当日の司会進行も担当し、全体のコーディネーションを担いました。
研修中は、各国の感染症対策に関する現状や工夫について活発な意見交換が行われ、IOM職員間の国境を越えた相互理解が深まりました。こうした交流は、今後の協働に向けた貴重なネットワークづくりにもつながったと実感しています。また、研修終了後には「実務に役立つ内容だった」「チーム内でも共有したい」といった声が寄せられ、運営に携わったものとして大きなやりがいを感じました。
私自身もこの研修を通して国際保健規則(IHR)への理解を深めるとともに、この枠組みの中で各国が実施している具体的な取り組みや現場の声に直接触れることができたのは、貴重な経験となりました。
各国ごとに所轄官庁や用語、提出様式が異なる中で、比較可能な形で情報を整理するためには多くの工夫が求められましたが、チームの協力を得ながら、実用的かつ正確な初期データの整備を主導することができました。この取り組みは現在も継続されており、将来的にはIOMの活動や政策提言、各国・関係機関間の実務調整を支える重要な情報基盤になることが期待されています。
被災地にはベトナム語の読み書きが難しい方も多く、情報発信には言語面での配慮が求められました。こうした工夫を行うにあたって強く意識したのは、同年の能登半島地震での現場対応の経験です。私は石川県の被災地にリエゾンとして入り、災害時感染制御支援チーム(DICT)とともに避難所で感染症予防の啓発活動を行いました。その現場で実感した、視覚的に明快で簡潔なメッセージによる情報発信の大切さは、このベトナムのポスター作成にも大いに生かされました。 日本とベトナムという異なる文脈での支援活動ではありましたが、「より多くの被災者に伝わる情報発信」のあり方を考えるうえで、両者の経験はつながったと感じています。
またこの経験を通して、限られた時間と資源の中でも柔軟に対応し、多様な関係者と連携しながら人々の健康と安全を守る支援を届ける――そうした国際人道支援における災害対応の現場を、身をもって実感することができました。
また、国際機関の一員として実務に携わる中で、日本国内で培ってきた知識や経験を、国際的な枠組みの中でどのように活かすかを常に考え続けました。国ごとに異なる医療保健制度や文化的背景を踏まえた協働を通じて、感染症危機への対応力についての理解を深める機会となりました。
最後に、本派遣を温かく支えてくださった厚生労働省 IDES事務局および関係者の皆さま、そしてIOMで日々ともに働いた同僚の皆さまに、心より感謝申し上げます。今回の経験で得た学びとつながりを今後に活かし、引き続き国内外における感染症危機管理、そして移民・難民を含むすべての人々に届く「誰ひとり取り残さない」医療保健支援の実現に貢献していきたいと思います。
https://roasiapacific.iom.int/regional-office-asia-and-pacific-roap
https://japan.iom.int/who_we_are(IOM駐日事務所)
2.世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)
https://www.theglobalfund.org/en/
3.「You Are My Heroes!」(結核と移民に対する偏見と差別に関する啓発教材)
https://roasiapacific.iom.int/you-are-my-heroes
多国籍の専門家が集まる国際機関の一員として、移民や移動を伴う人々(Migrants and Mobile Populations: MMPs)の健康を守るさまざまな業務に携わりながら、感染症対策に関する実践的な知識、プロジェクト運営に関する実務経験を積むことができました。とりわけ、国際機関、各国政府、NGO、学術機関など多様な関係者と協働するなかで、国際的な連携調整力を実践的に養い、将来の国際保健活動にもつながる貴重な人脈を築くことができたのは、今後のキャリアにおいても意義深い経験となりました。
本稿は、2024年9月までの活動をまとめたコラム Vol.80の続編として、派遣後半の取り組みを振り返るものです。IOMアジア太平洋地域事務局での1年間を通して得た経験をご紹介できればと思います。
国境を越えた結核対策の挑戦:TEAM2プロジェクトの経験から
この1年間で最も深く関わったのは、 Tuberculosis Elimination Among Migrants In The Greater Mekongプロジェクトです。本プロジェクトは、世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)(参考文献2)の支援を受けて、タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナムのメコン川流域5カ国において、移民や移動を伴う人々(MMPs)を対象に、結核のスクリーニング検査や健康教育などを提供することで、感染拡大の抑制と死亡率の低下を目指しています。私はIOMアジア太平洋地域事務局のM&E(モニタリングと評価)を担当し、各国の保健省、IOM各国事務所、NGO、学術機関など18の実施機関と連携して、データの収集・分析・進捗評価を行いました。2024年には、80,610名に健康教育を提供し、105,715名に結核スクリーニングを行い、6,013件の結核症例を特定する成果を得ました。
1.1 M&E担当として取り組んだこと
初めての国際機関での勤務のため戸惑いや苦労も多くありましたが、特に注力したのは、18の実施機関から提出される膨大な報告データの正確性と一貫性を確保することでした。報告書を一つひとつ確認し、データの整合性を保つためのクリーニングを行うとともに、齟齬が見られた項目については各機関やチームメイトと連携しながら修正を進めました。時間と手間のかかる作業も多くありましたが、関係者と密に連携しながら根気強く取り組むことで、プロジェクトの信頼性や精度の向上に貢献できたと感じています。オフィスでのデータ業務だけでなく、現地に赴き、実際に現場の声を聞く機会にも恵まれました。たとえばベトナムでは、ハノイの国立肺病院(National Lung Hospital: NLH)やカンボジア国境に近いタイニン省の地域保健センターを訪問し、結核患者や医療スタッフから、本プロジェクトに参加した経緯や、過去の治療中断の背景、国境沿いでの生活・治療上の困難さについて直接お話を伺いました。現地職員の通訳サポートを受けながら、患者さんの率直な思いや現場の声に触れたことで、報告データだけでは捉えられない現地の実情や、より良い支援のあり方について考えるきっかけとなりました。
1.2 偏見や差別のない社会を目指して:結核に関する多言語啓発の取り組み
移民の結核患者が直面する偏見や差別の課題に対応するため「You Are My Heroes!」(参考文献3)と題した啓発資材(YouTube動画、ポスター、パンフレット)をメコン川流域の主要言語である7か国語(タイ語、ミャンマー語、クメール語、ラオス語、ベトナム語、中国語、英語)で作成・公開しました。この資材は、現在では各国の保健活動の現場で広く活用されています。私がベトナムを訪れた際には、実際に現場でこの資材が使用されている様子を目にし、今後こうした取り組みが差別や偏見の解消に繋がってほしいと強く感じました。
1.3 TEAM2の知見を政策に:政策提言書の作成
プロジェクトの成果を整理し、今後の結核対策に活かすため「Tuberculosis Elimination Among Migrants in the Great Mekong Subregion: Regional Policy Recommendations」と題した政策提言書を作成し、各国の保健省や関係機関に共有しました。この文書の構成や関係者との調整にあたっては、厚生労働省勤務時にIDES 9期生の城さんと共に取り組んだ「抗微生物薬適正使用の手引き 第3版(本編・別冊・補遺)」の作成経験が大いに役立ちました。限られた時間の中で、多くの関係者と協働し、現場の実情とエビデンスを反映した文書をまとめあげた当時の経験は、国を越えた政策提言書の作成という今回の業務にも繋がったと感じています。
国境を越えた感染症対策:HBMM研修の企画と実施を通して
2024年、アジア太平洋地域において3年ぶりに「Health, Border and Mobility Management (HBMM)Training」が開催されました。本研修は国境を超えた感染症対策体制の強化を目的とし、トンガからイランに至る16カ国のIOM職員が参加し、3日間にわたる研修では講義やグループディスカッション、フィールドワークが行われました。私は、IOMアジア太平洋地域事務局の運営チームの一員として、企画から当日の進行まで幅広く携わりました。ビザや宿泊の手配、備品や資料の準備、会場設営、さらにはフィールドワーク先の視察・構成の検討に加え、研修当日の司会進行も担当し、全体のコーディネーションを担いました。
研修中は、各国の感染症対策に関する現状や工夫について活発な意見交換が行われ、IOM職員間の国境を越えた相互理解が深まりました。こうした交流は、今後の協働に向けた貴重なネットワークづくりにもつながったと実感しています。また、研修終了後には「実務に役立つ内容だった」「チーム内でも共有したい」といった声が寄せられ、運営に携わったものとして大きなやりがいを感じました。
私自身もこの研修を通して国際保健規則(IHR)への理解を深めるとともに、この枠組みの中で各国が実施している具体的な取り組みや現場の声に直接触れることができたのは、貴重な経験となりました。
アジア太平洋地域におけるImmigration Medical Requirements(IMR)の整理とデータベース構築
IOM国事務所を支援するため、アジア太平洋地域40カ国の定住・労働・留学・家族呼び寄せなど主要な移民カテゴリーごとに、入出国時の健康診断や予防接種、感染症スクリーニング等の医療要件を整理し、IMRデータベースの基盤整備を主導しました。各国ごとに所轄官庁や用語、提出様式が異なる中で、比較可能な形で情報を整理するためには多くの工夫が求められましたが、チームの協力を得ながら、実用的かつ正確な初期データの整備を主導することができました。この取り組みは現在も継続されており、将来的にはIOMの活動や政策提言、各国・関係機関間の実務調整を支える重要な情報基盤になることが期待されています。
日本政府による災害時の緊急支援:台風Yagi対応での経験
2024年、台風Yagiで甚大な被害を受けたベトナムに対し、IOMは日本政府の緊急無償資金協力のもと人道支援を実施しました。私はその一環として、洪水による環境汚染の危険性や手洗いの重要性をわかりやすく伝える啓発ポスターの作成を担当しました。被災地にはベトナム語の読み書きが難しい方も多く、情報発信には言語面での配慮が求められました。こうした工夫を行うにあたって強く意識したのは、同年の能登半島地震での現場対応の経験です。私は石川県の被災地にリエゾンとして入り、災害時感染制御支援チーム(DICT)とともに避難所で感染症予防の啓発活動を行いました。その現場で実感した、視覚的に明快で簡潔なメッセージによる情報発信の大切さは、このベトナムのポスター作成にも大いに生かされました。 日本とベトナムという異なる文脈での支援活動ではありましたが、「より多くの被災者に伝わる情報発信」のあり方を考えるうえで、両者の経験はつながったと感じています。
またこの経験を通して、限られた時間と資源の中でも柔軟に対応し、多様な関係者と連携しながら人々の健康と安全を守る支援を届ける――そうした国際人道支援における災害対応の現場を、身をもって実感することができました。
誰ひとり取り残さない保健支援に向けて:IOMを通じた学び
この1年間のIOMでの勤務を通じて、私は「国を越えて移動する人の命と健康を支える」という仕事の重み、そしてその中にある大きなやりがいを実感しました。移民や難民が直面する医療アクセスの壁、差別や偏見、さらには災害や感染症といった複合的なリスクに対し、いかに公平かつ持続的な支援を届けられるか――その問いに国際社会の一員として向き合い、多国間・多機関連携の重要性を現場で肌で学ぶ貴重な機会となりました。また、国際機関の一員として実務に携わる中で、日本国内で培ってきた知識や経験を、国際的な枠組みの中でどのように活かすかを常に考え続けました。国ごとに異なる医療保健制度や文化的背景を踏まえた協働を通じて、感染症危機への対応力についての理解を深める機会となりました。
最後に、本派遣を温かく支えてくださった厚生労働省 IDES事務局および関係者の皆さま、そしてIOMで日々ともに働いた同僚の皆さまに、心より感謝申し上げます。今回の経験で得た学びとつながりを今後に活かし、引き続き国内外における感染症危機管理、そして移民・難民を含むすべての人々に届く「誰ひとり取り残さない」医療保健支援の実現に貢献していきたいと思います。
参考文献
1.国際移住機関(IOM Regional Office for Asia and the Pacific)https://roasiapacific.iom.int/regional-office-asia-and-pacific-roap
https://japan.iom.int/who_we_are(IOM駐日事務所)
2.世界エイズ・結核・マラリア対策基金(グローバルファンド)
https://www.theglobalfund.org/en/
3.「You Are My Heroes!」(結核と移民に対する偏見と差別に関する啓発教材)
https://roasiapacific.iom.int/you-are-my-heroes