第4回労働基準法における「労働者」に関する研究会 議事録

労働基準局労働条件政策課

日時

令和7年10月29日(水) 10:00~12:00

場所

厚生労働省 共用第6会議室

議題

(1)国際動向について
(2)労働基準法における「労働者」について

議事

議事内容

○岩村座長 皆さん、おはようございます。定刻より早いのですが、今日御出席予定の委員は皆様出席されていますので、始めたいと思います。
 それでは、第4回「労働基準法における「労働者」に関する研究会」を始めさせていただきます。
 構成員の皆様におかれましては、お忙しいところを御参集いただきまして、誠にありがとうございます。
 今日の研究会でございますけれども、会場で参加される方とオンライン参加の方という形で開催させていただきたいと存じます。
 今日は、島田先生、新屋敷先生がオンラインで御出席でいらっしゃいます。
 笠木先生は御欠席でいらっしゃいます。
 それでは、頭撮りはここまでとさせていただきたいと思います。
 早速、議事に入ります。
 お手元の議事次第を御覧ください。議題として2つございますが、まず最初に、労働者概念等に関する国際動向につきまして、前回の研究会でも議論をいただいたところでありますが、フランスの裁判例につきまして、事務局から補足があると伺っております。
 では、まず、事務局から説明いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
○小島課長補佐 ありがとうございます。労働条件政策課の小島でございます。
 まず、資料1の国際動向資料について御説明いたします。労働者性に関する国際動向については、第3回の研究会においても御議論いただいたところでございますけれども、直近でフランスにおいて、Uberに関する破毀院判決、日本で言う最高裁判決が出たため、御議論いただいた後のタイミングで恐縮ですが、第3回研究会においてお出しした資料のうち、フランスの資料に追記をさせていただいたところでございます。
 追記部分は赤字としておりまして、5ページ目を御参照いただければと思います。もともとフランスにおいては、2020年の破毀院のUber判決でプラットフォームワーカーであるタクシー運転手の労働者性が肯定されておりました。今年7月、これとは別の事件として、Uberに関する破毀院判決がまた出ておりまして、こちらのほうでは労働者性が否定されたという事案になります。当該判決においては、赤字の部分になりますけれども、マル1の競業制限がなく顧客との関係構築の可能性が開かれていたこと、マル2の運転手はプラットフォームからの乗車提案を拒否することや運送ルートの決定を自らの判断で行うことができたこと、マル3の3回乗車拒否後のアプリからの切断措置についても、プラットフォームからの通知により即時に接続できることとされ、運転手への制裁とまではいえないこと、マル4の運転手は乗車提案があった際に当該運送の費用控除後の最低運賃、乗車までの時間・距離、当該運送の時間・距離を確認できることなど、2019年の移動オリエンテーション法、2022年のオルドナンスによる運送法典など、下の欄の立法措置による運用変更等を理由として労働契約性、つまり労働者性が否定されたというような事案になっております。
 立法措置やそれへの対応のためのアプリのアップデートなどによって働き方の実態が変わって、それぞれの時点で実態に基づいて労働者性の判断が行われているという状況が確認できるものと考えております。
 なお、4ページ目にも一部追記させていただいておりますが、「労働者概念」の欄に記載している1996年の破毀院のSociété Générale判決の中で、事業組織の中で労働が行われることは、その労務提供の条件を使用者が一方的に決定している場合には、人的従属関係を示す一要素になり得るとしている部分でございますけれども、今回の2025年の破毀院Uber判決においても、こちらについて言及されておりますので、追加させていただいております。
 国際動向資料の説明は以上になります。
○岩村座長 ありがとうございました。
 ただいま国際動向の最近の状況について、特にフランスについて事務局から説明いただきましたけれども、何か御意見、御質問がありますでしょうか。
 では、水町先生、どうぞ。
○水町構成員 ありがとうございます。
 今説明があったとおりですが、日本でこれからこれを参考にしながら考えなければいけないことがあるかどうかということからすると、これから個人事業主、プラットフォームワーカーのような働き方に対する保護規定が法律上、例えばフリーランス法の中身が充実するなどによってできてきたというときに、それが適用された結果について、労働者性の判断で考慮するのかしないのか、考慮するとすればどのように考慮するのかという課題が、フランスでまさに問題になって、こういう形で出たので、まだ日本は課題として浮上していませんが、将来的にはそういうことも検討すべき課題になるかと思います。
○岩村座長 ありがとうございます。
 ほかにいかがでしょうか。
 では、川田先生、どうぞ。
○川田構成員 ありがとうございます。私は、資料の5ページの2025年の判決の詳細をよく分かっていないので、そういう前提で、もし分かれば教えていただきたいということがまず1点です。4ページのところでも、事業組織の中で労働が行われることは、労務提供の条件を使用者が一方的に決定している場合には人的従属性を示す一要素となり得るという考え方については、以前からの考え方が2025年の判決でも維持されているということだと理解したのですが、この理解が正しいとすると、2025年の判決では今御紹介いただいた法改正に伴う事実関係の変化によって、この考え方の具体的な事案への当てはめに何らかの影響が生じたということなのかどうか。事業組織の中での労働や労務提供条件の一方的な決定をどう考えるのかということは、日本法においても問題になり得るところだと思いますので、もし分かるようであれば、教えていただきたいということです。
○水町構成員 今おっしゃったとおりで、一般論については、基本的に変更はなく、当てはめを行う中で、立法措置によって運用実態が変わったので、それを考慮すると、一方的決定がそんなに強かったわけでもなく、サンクション、制裁という点でも弱くなっているので、ということで結論が変わってきたのだと思います。
○川田構成員 ありがとうございます。法改正に伴って乗車提案を断る自由が増えたように見えることなどは、一方的決定とは別個の観点から組織への組み入れという枠組みの中で考慮する余地もあり得るのかなと思うのですが、いかがでしょうか。
○水町構成員 組織への組み入れというところについて、考慮する具体的な事情の変更についての説示はありません。
○川田構成員 ありがとうございました。
○岩村座長 ありがとうございます。
 ほかにはいかがでしょうか。よろしいでしょうか。
 では、お願いします。
○尾田審議官 事務局でございますけれども、先ほど水町先生がおっしゃった点に関しまして、第1回研究会の参考資料6として、厚生労働省から出した安全衛生に関する通達をお示ししておりました。この通達は、注文者が安全衛生法などで指示することを義務づけられている等の事情により何らかの措置を行った場合に、そのことだけをもって労働者性で肯定される事情として働くものではないというようなことを、事細かに、それぞれの状況に応じて示したものでございます。
 これは安全衛生に関する措置に限ったことでございますけれども、水町先生がおっしゃったように、それぞれの事業規制や保護規制がある中で、当該規制への対応のための措置が、一般論として労働者性の肯定判断に考慮されるということではなく、法律にのっとって対応したのであれば別途の考慮が必要であるということは、今回判断基準をアップデートするに当たっても、必要な点ではないかなと私どもとしても思っております。
○岩村座長 ありがとうございます。
 国際動向について、2つほど私からお伺いさせていただきたいのですけれども、日本で従属性と言われているものに該当する単語として、英語であれば、subordinationとdependenceがあると思います。フランス語も同じです。言葉の意味を考えると、subordinationは、上下関係がもともと含意されており、ある意味、一種の権力関係的なものが想定されているのに対し、dependenceはそうではなく、並行的な、横並びの関係でもdependenceというのがある。例えば、違う分野ですけれども、社会保障の分野では、要介護の状態はdependenceという用語の使い方になっています。
フランスは私も知っているのですが、英米法とかドイツ法のそれぞれの言葉の感覚はどうかというのを、簡単で結構ですけれども、お聞かせいただければと思いますが、いかがでございましょうか。
 島田先生、ドイツの場合、そういう言葉の感覚とかはいかがでしょうか。
○島田構成員 ありがとうございます。
 ドイツでは、abhängigkeitなので、上下関係という含意はなく、従属しているかどうかというところになると思いますので、まさに英語のdependenceと同じ意味だと理解しております。
○岩村座長 ありがとうございます。
 あと、英米法の方、いかがでしょうか。
 では、竹内先生、お願いします。
○竹内構成員 御質問の趣旨としては、労働者概念において、subordinationと、dependenceやdependencyがどのように用いられているかという御質問なのか、もうちょっと一般的な辞書的に、subordinationと、dependenceやdependencyの意味が問われている、どちらで理解したらよろしいでしょうか。
○岩村座長 まさに概念との関係で、要するに、economic subordinationとは言わず、Economic dependenceとは言うので、subordinationとは明らかに使い分けているのかなと思う。その使い分けが、subordinationというと上下関係が含意されているのに対し、dependenceないしdependencyというと、上下関係は当然には含意していないという言葉の違いがあるかということで、ちょっとお尋ねをしたということです。
○竹内構成員 分かりました。ありがとうございます。
 質問にきちんと答えられているか分かりませんけれども、アメリカ法で日本の指揮監督や業務遂行に関する指示という文脈では、directionとかcontrolという言葉が使われています。他方で、カリフォルニア州の一定の法典とかで取られている比較的被用者性を広く認めるテストとしてABCテストというものがありますけれども、その1つの要素として、独立した事業を営んでいるか否かということがあり、それに関して、independentかどうかという形で使われています。
 そのような労働者性の文脈とはやや違うのかもしれませんけれども、一般的な辞書的な意味で言うと、subordinationというのは、The quality or state of being subordinate to another; inferiority of rank or dignityということで、まさしく上下関係にあり、下につかせることをsubordinationと言うわけですけれども、dependenceはそのような形での定義はないという意味では、座長がおっしゃったように、subordinationは上下関係を念頭に置き、dependenceは上下関係を特に念頭に置かないというところはあるかと思います。
○岩村座長 ありがとうございます。
 では、芦野先生、よろしくお願いします。
○芦野構成員 簡単に補足です。先ほどの島田先生の御説明のとおりではありますが、ドイツ語で一般的にabhängigkeitというと、何かに依存しているような状況で、立場的にも上の者に対して従属しているという形であり、先ほど岩村先生がおっしゃったような上下関係を含んでいると思います。
○岩村座長 ありがとうございます。
 あともう一点、フランスの関係で恐縮なのですが、私の知識が古いのかもしれませんけれども、私の理解しているところでは、フランスの場合、判例は単に従属性とだけ言っていて、学説などでは人的従属性という表現は使わずに法的従属性と表現しており、かつ労働法典上も法的従属性という言葉が使われているところがあります。水町先生は人的従属性と訳されているので、また次回以降、簡単で結構ですので、人的従属性という用語を使っておられる意図を一回御説明いただければと思います。口頭でも結構ですし、簡単なペーパーを出していただいて、それでおしまいということでも結構です。
○水町構成員 既に論文の中で書いていますので、それを提出することによって説明させていただければと思います。
○岩村座長 ありがとうございます。よろしくお願いいたします。
 竹内先生、どうぞ。
○竹内構成員 先ほど申し上げたことの補足で、dependenceという言葉に関しても、The quality or state of being subject or subservient to ...... othersとか、そのような意味で上下関係を含む余地はあるわけですけれども、subordinationのほうだと、まず上下関係というところが前面に出ている。dependenceのほうは、そのようなところも含み得るけれども、相対的には力点がやや弱いというような違いかなと思います。
 座長が先ほどおっしゃったとおり、経済的な意味での依存というときにはdependenceという言葉が使われますけれども、業務遂行の指示などのところであれば、おそらくはsubordinationという言葉のほうがより適合的なのではないかなと思います。実際に使われているのはcontrolとかdirectionですけれども、そのようなことかなと思います。
○岩村座長 ありがとうございます。
 それでは、議題の2つ目に移らせていただきたいと思います。
 2番目は、労働基準法における「労働者」についてということでございます。これにつきましては、事務局のほうで判例やその他裁判例単位で、労働者性の判断枠組みや要素の重み付け、そして、これまで研究会で特に議論があった事項などを確認するための資料を作成していただいております。
 まず、事務局から、資料についての説明をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
○小島課長補佐 ありがとうございます。
 まず、資料2-1を御説明させていただきます。
 第3回研究会においては、業務の性質などの個々の項目別に「横」に見ていきましたけれども、今回は裁判例について、事例単位の全体的な文脈の中で、昭和60年報告で示す労働者性の判断要素がどのように参考にされていて、どの要素が重視されているか分析を行うために、裁判例を事例単位、「縦」に分析する資料を作成しております。この裁判例資料を基に、労働者性の判断枠組みや判断要素の重み付けに関連する部分の分析を行うとともに、これまでの研究会で特に意見のあった事情がどのように考慮・評価されているか分析を行うことを目的としております。
 これまでの研究会で特に意見のあった事情としては、下の黒ポツのところでございますけれども、昭和60年報告における「通常注文者が行う程度の指示」「業務の性質」を考慮・評価している部分。2つ目が「組織への組み入れ」「組織への組み込み」等の記載または使用者の具体的な指揮命令になじまない業務についての一般的な指揮監督に関する事実について言及がなされている部分。3つ目が、報酬が一方的に決定されている事実を考慮・評価している部分というところになります。
 2番ですけれども、裁判例の抽出基準としては、第3回研究会でお出しした50の裁判例資料のうちから、最高裁判例と、今申し上げた目的と整合的である裁判例を抽出しております。
 3番ですけれども、まず、第3回研究会でお出しした50の裁判例資料のうち、労基法上の労働者性について判断した最高裁判例は3つございまして、いずれも抽出しました。資料に記載しておりますとおり、横浜南労基署長(旭紙業)事件と関西医科大学研修医(未払賃金)事件、藤沢労基署長(大工負傷)事件になります。
 続きまして、最高裁判例以外の裁判例についてですけれども、今申し上げた目的に基づいて、検討に資すると考えられる裁判例を選出したところでございます。資料に記載しておりますけれども、7つございまして、新宿労基署長(映画撮影技師)事件、アサヒ急配(運送委託契約解除)事件、新国立劇場運営財団事件、株式会社MID事件、ソクハイ(契約更新拒絶)事件、NOVA事件、国立大学法人東京芸術大学事件になります。個々の事件の概要については、後ほど御説明させていただきます。
 続きまして、資料2-2を御覧ください。こちらは、この後御説明する資料2-3と2-4の見方と、今回御議論いただきたい事項をまとめたものでございます。
 今回御議論いただきたい事項としては、大きく3つを考えておりまして、まずマル1の労働者性の判断枠組みや、判断要素の重み付けに関する部分、マル2の「通常注文者が行う程度の指示」「業務の性質」等に関する部分、マル3の「組織への組み入れ」「組織への組み込み」等の記載または使用者の具体的な指揮命令になじまない業務についての一般的な指揮監督に関する事実について言及されている部分と報酬の一方的決定に関する部分でございます。マル2とマル3の下に、昭和60年報告の関連部分もそのまま抜粋させていただいております。
 今回抽出した10件の裁判例をそのまま掲載したものが、資料2-3になります。資料2-3には、先ほどのマル1からマル3の項目に関連する部分にマーカーとコメントをつけております。
 そのマーカーとコメントをつけた部分をそのまま抜き出したものが、資料2-4のパワーポイントの資料になります。
 資料2-3と資料2-4については、いずれも議論の項目との対応関係が分かるように色分けをしておりまして、マル1については青色、マル2については黄色、マル3については緑色にしております。適宜、御議論の際に御参考にしていただければと思います。
 続きまして、先ほど抽出した10の裁判例について、事案の概要を御説明させていただければと思います。資料は2-4を御覧ください。
 まず、事案1の横浜南労基署長(旭紙業)事件でございますけれども、1ページ目から3ページ目です。本事案では、自己の所有するトラックを持ち込んで特定の会社の製品の運送業務に従事していたドライバーである原告が、作業中に傷害を負う事故を起こしたため、労働基準監督署に療養補償給付等の支給を請求したところ、労災保険法上の労働者には該当しないとして不支給処分を受けたため、その処分の取消しを求めた事案で、第一審では労働者性が肯定されましたけれども、控訴審、上告審では労働者性が否定された事案になります。
 上告審は、トラックを所有し、自己の危険と計算の下に運送業務に従事していたものであること、運送という業務の性質上必要とされる指示以外には指揮監督を行っていたとはいえないこと、時間的・場所的な拘束の程度も、一般の従業員と比較してはるかに緩やかであることなどを理由に、労働者性を否定しております。
 第一審は、業務遂行に関する指示や時間的・場所的拘束が請負契約に基づく発注者の請負人に対する指図やその契約の性質から生ずる拘束の範疇を超えるものであるという事情から、労働者性を肯定しておりましたが、控訴審は、一般の従業員よりも指示の範囲が狭く、拘束性も弱いこと、事業者性を有することから労働者性を否定したという事案になります。
 判断枠組みについては、第一審、控訴審とも、昭和60年報告の判断基準と同様の判断基準を立てて判断しており、上告審においても同様の判断要素を考慮して判断しております。
 続きまして、事案2の関西医科大学研修医(未払賃金)事件でございます。4ページ目から5ページ目でございますけれども、本事案は、大学付属病院の臨床研修医であった者が、労務の対価として最低賃金額を下回る金額の奨学金しか支払いを受けなかったとして、その両親である原告らが、最低賃金額と実際に受給した金額の差額及びこれに対する遅延損害金の支払いを請求した事案で、労働者性が肯定された事案になります。
 第一審、控訴審とも、昭和60年報告の判断基準と同様の判断基準を立てて判断した上で、労働者性を肯定し、上告審は、研修医という特殊性を踏まえ、当該事業への利益の帰属を要素として確認しております。
 なお、原告側は本件とは別に、臨床研修医であった者の死亡が大学の安全配慮義務違反による過労が原因であったとして債務不履行に基づく損害賠償を求める訴訟と、研修医を私学共済制度に加入させなかったことについて不法行為として、同制度による年金相当額の賠償を求める訴訟を提起しておりまして、いずれも労働者性ないし労働契約関係と同様の指揮命令関係が肯定されたという事案になります。
 続きまして、事案3の藤沢労基署長(大工負傷)事件でございます。6ページ目から8ページ目になります。本事案は、工事業者と請負契約を締結して内装工事に従事していた大工である原告が、マンションの内装工事に従事中負傷したため、労働基準監督署に療養補償等の支給を請求したところ、労災保険法上の労働者には該当しないとして不支給処分を受けたため、その処分の取消しを求めた事案で、労働者性が否定された事案でございます。
 第一審、控訴審、上告審、いずれも工事の性質を踏まえて、仕事の内容について、仕上がりの画一性、均質性が求められることや、作業時間も作業の安全性の確保や近隣住民に対する騒音、振動等への配慮により定められていたといった形で業務の性質上当然とされる事情として、それ以外の事情も考慮するなどして、指揮監督下の労働であることを否定しております。
 判断枠組みについては、第一審、控訴審とも、昭和60年報告の判断基準と同様の判断基準を立てて判断しており、上告審も同様の判断要素を考慮して判断しております。特に第一審については、昭和60年報告等の判断枠組みは合理性を有すると判断しております。
 続きまして、事案4の新宿労基署長(映画撮影技師)事件でございます。9ページ目から14ページ目でございますけれども、本事案は、映画撮影技師(カメラマン)であった者が、映画撮影に従事中、宿泊していた旅館で脳梗塞を発症して死亡したことについて、その子である原告が、労働基準監督署に遺族補償給付等の支給を請求したところ、労災保険法上の労働者には該当しないとして不支給処分を受けたため、その処分の取消しを求めた事案で、第一審で労働者性が否定され、控訴審では労働者性が肯定された事案でございます。
 第一審、控訴審とも、昭和60年報告の判断基準と同様の判断基準を立てて、控訴審では、監督の指示があること、予定表に従って行動しなければならないこと、就労場所が指定されていることについて、業務の性質上当然とされない事情として労働者性を肯定しておりますけれども、13ページ目以下の第一審については、これらの事情について、業務の性質上当然とされる事情として、労働者性を否定したという事案になります。
 続きまして、事案5のアサヒ急配(運送委託契約解除)事件でございます。15ページ目になります。本事案は、運送委託契約により、車両での荷物の運送・集配、引っ越し業務に従事していた原告らが、解雇されたとして、労働契約上の地位確認と契約終了通告以降の賃金の支払いを請求した事案で、労働者性が肯定された事案でございます。
 裁判所は、指揮監督下の労働、報酬の労務対償性という昭和60年報告の判断基準と同様の判断枠組みの下に、物品運送という業務の性質上、当然に必要な指示を超えた指示をしていたことなどから、使用従属関係を肯定しております。その上で、報酬額を一方的に決定していた事情や、報酬額が正社員と同程度であることから、事業者であるとは認められないなどとして、労働者性を肯定しております。
 続きまして、事案6でございます。16ページ、17ページです。本事案は、被告との間で期間を1年とする出演基本契約を締結・更新し、合唱団のメンバーとして被告の主宰するオペラ公演等に出演していた原告が、次のシーズンの出演基本契約を締結しないとの通知を受けたため、出演基本契約は労働契約であり、その更新拒絶は労働基準法18条の2、現行の労働契約法第16条に違反して無効であると主張して、労働契約上の地位確認と契約期間満了後の賃金の支払いを請求した事案で、労働者性が否定された事案になります。
 第一審は、昭和60年報告の判断基準と同様の判断基準を立てた上で、指揮者や音楽監督の指示や、公演・稽古における時間的・場所的拘束性について、舞台芸術の集団性から必然的に生じる業務の性質に由来するものとして、それ以外の要素も考慮して、労働者性を否定しております。
 控訴審は、基本契約と個別契約の関係について、基本契約を締結したとしても、個別の出演契約、申込みに対しては諾否の自由があることを理由に、基本契約の労働契約関係を否定しております。
 続きまして、事案7の株式会社MID事件でございます。18ページ目です。本事案は、保険代理業等を営む株式会社である被告との間で業務委託契約を締結していた原告が、当該契約の解約の意思表示を受けたところ、当該契約は労働契約に該当するため、無効な解雇であるとして、当該契約に基づき、未払いの基本給等の支払いを請求した事案で、労働者性が肯定された事案になります。
 所得税等の源泉徴収や社会保険、雇用保険の加入もされていなかったこと、業務に必要な物品を自ら準備、負担していたなどの事情があったものの、本来の業務以外の業務指示を拒絶することができなかったこと、指揮監督を受けていたこと、契約上、勤務時間が午前9時から午後5時までとされ、実際に定時に出退勤をしていたことなどから時間的・場所的な拘束性があることなど、昭和60年報告の指揮監督下の労働の要素が重視され、労働者性が肯定されたという事案になります。
 続きまして、事案8のソクハイ(契約更新拒絶)事件でございます。資料の19ページ目から22ページ目でございます。本事案は、バイシクルメッセンジャーとして稼働していた原告らが、業務委託契約を終了する旨の告知を受けたところ、被告との契約が労働契約に該当するため、上記契約を終了する旨の告知は無効な解雇であるとして、労働契約上の地位確認と契約終了告知以降の賃金の支払いを請求した事案で、労働者性が否定された事案でございます。
 第一審は、使用従属性があるかどうかという基準によって労働者性を判断するとした上で、配達依頼を拒否することが妨げられていないという事情に加えて、次の発送までの待機場所を指示されていたことや、稼働終了後も顧客からの対応等のために携帯電話の電源を切らないように指示されていたことも業務の性質上当然とされる事情として、使用従属関係を肯定する事情はないとした上で、報酬の労務対償性、事業者性、専属性等も考慮して、労働者性を否定した事案になります。なお、控訴審も第一審と同様の判断をしているため、資料への記載は省略しております。
 続きまして、事案9のNOVA事件でございます。資料の23ページ目から24ページ目になります。本事案は、語学スクールにおいて英会話講師として稼働していた原告らが、業務委託契約が実質上労働契約であり、年次有給休暇請求権の行使を違法に妨げた上、健康保険加入義務を懈怠したとして、不法行為責任に基づく損害賠償の支払い等を請求した事案で、労働者性が肯定された事案になります。
 控訴審は、具体的な指揮命令になじまない業務であっても、研修の受講や監視、評価、マニュアルに沿った教授法の義務づけのほか、具体的な会話内容をどのように導いていくか個々の講師に任せられている部分はあっても、それは雇用講師と同様であることなどの理由から、指揮監督を肯定し、特定の校舎で週34から40コマをあらかじめ定めていたことが純然たる業務の性質のみから導かれるものではないとして、拘束性についても肯定するなどして、労働者性を肯定した事案になります。
 続きまして、最後に、事案10の国立大学法人東京芸術大学事件でございます。資料は25ページ目から26ページ目です。本事案は、大学の非常勤講師を務めていた原告が、被告との間で締結していた期間を1年間とする有期の委嘱契約が更新されなかったことにつき、労働契約法19条により従前と同一の労働条件で労働契約が更新されたとみなされるとして、労働契約上の地位確認と更新拒否後の賃金の支払いを請求した事案で、労働者性が否定された事案になります。
 裁判所は、指揮監督下の労働、報酬の労務対償性という昭和60年報告の判断基準と同様の判断枠組みを基に、大学における講義の実施という業務の性質上当然に確定されることになる事業日程及び場所、講義内容の大綱を指示する以外に特段の指揮命令を行っていたとは言い難いこと、時間的・場所的な拘束の程度もY大学のほかの専任講師と比べ相当に緩やかなものであったことに加え、Y大学の本来的な業務ないし事業の遂行に不可欠な労働力として組織上組み込まれていたとは言い難いとして、労働者性を否定した事案になります。
 以上になります。
○岩村座長 ありがとうございました。
 今、事務局のほうで御説明いただきました資料には多くの論点が含まれております。大きく3つに分けて御意見を伺いたいと思っております。
 具体的には、まず第1に、それぞれの判例・裁判例から読み取ることができる労働者性の判断枠組みや、判断要素の重み付けについての御意見をいただきたいと思います。
 第2としましては、前回の研究会でも議論がありました業務の性質についての判断と、労働者性判断におけるその位置づけについての御意見をいただきたいと考えております。
 第3としては、いわゆる事業組織への組み入れ・組み込み、そして報酬の一方的決定という文言の使われ方、それに関連する事情と、労働者性の判断におけるそれらの位置づけに関しての御意見を頂戴したいと思っております。
 もちろん、ほかにも現状を分析すべき論点であるとか、追加すべき裁判例などについての御意見もあろうかと思いますけれども、それも併せて頂戴できればと思います。
 今申し上げた3つについて、順次、御意見、御質問をいただきたいと思っています。
 そこで、まず最初に、労働者性の判断枠組みや判断要素の重み付けについての御意見を頂戴できればと思います。もちろん御質問も結構です。
 議論に当たって、事務局から議論の前提として補足があれば御発言いただきたいと思います。よろしくお願いします。
○小島課長補佐 ありがとうございます。
 それでは、1つ目の労働者性の判断枠組みと判断要素の重み付けに関して、10の裁判例から確認できた概況について御説明を補足としてさせていただきます。
 まず、判断枠組みに関する部分でございますけれども、最高裁においては、労基法上の労働者性の判断基準を明確にした判例はないところでございます。ただ、事実への当てはめの状況を見ると、昭和60年報告の判断要素を用いて判断しているということが確認できております。下級審裁判例については、昭和60年報告の判断基準と同様の判断要素を並べて基準を設定している例が多く見られます。最高裁、下級審裁判例、いずれについても昭和60年報告書を参考に判断しているのではないかと確認できるところでございます。
 続きまして、判断要素の重み付けに関する部分でございますけれども、事案に応じて考慮されている要素は異なりますが、いずれの事案も各要素を総合考慮して判断しているため、事案ごとにどの個別の要素を重視しているかというところまでは、必ずしも明らかではないところになります。もっとも、昭和60年報告において重要な要素として挙げられている諾否の自由の有無、指揮監督の有無、拘束性の有無といった指揮監督下の労働に関する判断基準の中で示されている要素が重視されており、逆の判断につながり得る補助的な要素については、50の裁判例では、その補助的な要素によって結論を逆転させている例は見当たらなかったところでございます。
 以上も踏まえまして、本日御議論いただきたい内容としては、司法における判断は、基本軸として昭和60年報告に沿ったものとなっているのか。事案によって各要素の重み付けに特徴があるのか。その他、特徴的な傾向はあるか。裁判例も指揮監督下の労働という要素を重視していると思われる状況にありますけれども、それにはどのような理由があるのか。裁判例から分かる部分があるのかというところも含めて、御議論をいただければと思います。
○岩村座長 ありがとうございました。
 今、補足をいただいた点も含めて、御意見、御質問等をいただければと思います。
 では、竹内先生、どうぞ。
○竹内構成員 ありがとうございます。
 今、御提起いただいた判断枠組みと要素の重み付けに関する最高裁判例、裁判例の動向ということで、事務局に特徴として御指摘いただいた、全体としては昭和60年報告の要素を用いているのではないかという点については、最高裁判決を含めて言い得るのかなと思っております。
 また、下級審裁判例で、特に近年のものであればなおさら、労基法9条の定義を引いて、それに照らして、使用されているかということと、報酬の労務対償性を、昭和60年報告で言われているような要素に照らして判断していく形になっていると考えます。そのような意味で、下級審裁判例は特に昭和60年報告に沿ったものと理解ができると思っております。最高裁については、基準を明確にしていないところもありますけれども、具体的な要素については、昭和60年報告で示されているものに言及していると理解することができるかと思っております。
 その意味で、判断枠組みの点については、事務局が指摘した点にそれほど私は異論がないかと思っております。
 他方で、重み付けに関して、各要素を総合考慮していて、どの要素が重視されているかというのは、本当に事案ごとになっていて、一概に決め難いと考えます。特定の要素を抽象的に取り出して、この要素がどれだけの重みを労働者性判断において持っているかということを、事案を離れて一義的に決めることは難しいし、裁判でもそのような考え方は取っていないのではないかと認識しております。
 その上で、重み付けに関して1点申し上げたいことは、全体的な傾向として、昭和60年報告で重視されているとされる諾否の自由の有無、指揮監督下の業務遂行が、全体的には重視されているというのは理解し得るところがありますが、最高裁判決についてもそうかということについては、私はかなり議論の余地があると思います。
 それは特に、横浜南労基署長(旭紙業)事件において、そもそも説示の順番に意味があるかどうかということについては議論がございますけれども、これはまさしく、順番としては初めに自己の危険と計算の下に運送業務に従事しているかということがまず出てきており、事業者性に関する事情を真っ先に示していると見ることもできます。また、この判決、諾否の自由はないとされた事案ですけれども、労働者性を肯定する判断にはつながっていないというところがあり、諾否の自由は別段重視していないと読む余地は多分にあると思います。その意味では、下級審裁判例はともかく、最高裁判決を含めて、昭和60年報告で重視されているような諾否の自由とかの要素が重視されていると分析しきってしまうことに関しては、私は懸念があるかと思っております。
 そのような意味で、最高裁判決を含めた裁判例の整理の仕方について、特に最高裁判決はこれから実務的に参照され得る基準を新たに見直して作っていこうという観点では、もちろん無視することができないわけですけれども、最高裁判決の分析に関しては慎重に行う必要があるし、重み付けに関しては、今申し上げたような観点で受け止める必要があるのではないかと思っております。
 もう一つ、重み付けについて、各裁判例で何か理由があるかというと、必ずしも理論的な分析ではないかもしれませんけれども、それぞれの事案で、このような理由でこの要素に重み付けを置くとかといった、理論的な理由はあまりなく、事案の判断、結論を導くに当たって、それなりに説得的に示せる要素に力点を置いて説示・判示をしている、そのようなところがあるのではないかと思っております。ともかく、昭和60年報告の要素の位置づけとの関係で言うと、最高裁判決に関しては注意をする必要があると思っております。
 今、論点として提示されたこととちょっと離れるかもしれませんし、また、後の論点でも同じようなことを申し上げるかもしれませんけれども、この研究会において昭和60年報告を見直すに当たって、現に出されている裁判例を前提に、そこから今後に当たって何か有用な情報を整理してみることができるかということで、裁判例を所与のものとして読み取っていく作業に力点が置かれるというのはもちろん理解できるのですけれども、こうあるべきだというものを積極的に裁判例から読み出していく、あるいは批判的に捉えることも含めて読み込んでいくという形で整理することも重要ではないかと思っております。
○岩村座長 ありがとうございます。
 では、水町先生、どうぞ。
○水町構成員 ありがとうございます。日本の裁判例の動向を見ながら、国際的にどういう議論がなされているかも含めて、少しだけお話しさせていただきたいと思いますが、日本の労働基準法の言葉で言うと、使用される、海外では従属性と講学上言われる点が労働者性の判断の中心になっている。昭和60年報告だと、1つ目の諾否の自由、2つ目の指揮監督の有無、3つ目の拘束性の有無、4つ目の代替性の有無が中心的な判断要素になるという点は基本的に理解できますが、1つずつ見てみると、諾否の自由については、最近の裁判例だと、諾否の自由があるから労働者性を否定する重要な事実になるということを言っているものがあって、それをどう考えるかというのはきちんと検討するべきだと思います。
 海外では、そもそもいつどこで働くかを自由に選べる新しいビジネスモデルがあって、仮に、どこでいつ働くかということについて諾否の自由があったとしても、承諾した後の働いている段階で拘束性が非常に強かったら、その間は労働者性が認められるというように、諾否の自由がないことは労働者性を肯定するかもしれないけれども、諾否の自由があることが労働者性を否定する重要な主たる要素にはならないという判断が、新しいビジネスモデルについてはなされたりしているので、そういった点を今後どのように考えるか。裁判例が諾否の自由を労働者性否定の方向に向けていっているという点が気になるところです。
 指揮監督の有無と拘束性の有無が労働者性の中心的な判断要素になるというのはおそらく変わらないかと思いますが、これは裁判例の中には出てきていませんが、プラットフォームワーカーの労災認定を行うに当たって、人が指示を出していなくても、アルゴリズムによって指揮監督がなされたり、指示がなされたり、時間・場所の拘束がなされたりすることを労働者性の判断の中で重視したということが、厚生労働省のホームページの中でも公表されていますので、新しいビジネスモデルの中で、アルゴリズムによる指示をどう考えるかという点も併せて検討すべきかと思います。
 そして、代替性の有無について、ここの中ではあまり触れられていませんが、他人労働力の利用を認めるかどうかという代替性の有無が、最近諸外国では労働者性判断において非常に重視されるようになっています。自分で雇用してほかの人に業務を行わせるのであれば、事業者性が強いから労働者ではないでしょうということを伺わせる事情として、これは経済的従属性や事業者性とも関わってきます。諾否の自由が相対的に重要でなくなってきていて、代替性の有無が相対的に重要になってきている傾向も見られるので、そこも含めて、働き方、働かせ方の変容の中で、どこに重きを置くかということをもう一回きちんと検証し、竹内先生がおっしゃったように、過去の裁判例がたまたまこういう判断をしてきたということを含めて、それに対する理論的な検証も併せて行うべきかと思います。
○岩村座長 ありがとうございます。
 それでは、ほかにいかがでしょうか。
 新屋敷先生、手を挙げていらっしゃいますね。では、新屋敷先生、お願いします。
○新屋敷構成員 ありがとうございます。
 裁判例の分析資料について、ありがとうございました。大変勉強になりました。
 私自身は、判断枠組みに関する部分や判断要素の重み付けに関する部分について、事務局のほうで御整理いただいたものと同じような印象を受けております。確かに横浜南労基署長(旭紙業)事件最高裁判決では、先ほど竹内先生からも御指摘があったように、経済的な自己の危険と計算の下にといったものが最初に挙げられているので、必ずしも指揮監督下の労働が重視されているわけではないのではないかという印象も受けるわけですけれども、他方で、これはグレーゾーンの事案ゆえなのかなと考えております。裁判例を見ている中で、全体として、事務局におまとめいただいたように、指揮監督下の労働という要素が重視されていると考えております。
 他方で、事案によって各要素の重み付けに特徴があるかとお尋ねいただいたところなのですけれども、まさにそのとおりで、全体としては指揮監督下の労働という大枠の中で、各要素について具体的な事案に応じた評価、認定がなされているに過ぎないのではないかと、私としては理解しています。
 このように、指揮監督下の労働を裁判例は重視していると認識しているのですけれども、それにどういった理由があるのかとなると、労組法3条の労働者性の判断と明らかに違うことを考えると、おそらくは労基法9条や労契法2条の文言が基礎になっていることがあると理解しております。法律に書いてある条文に則して裁判所は判断するでしょうから、使用されるというところについて、裁判所としては労基法や労契法に書かれた文言に則して判断していると理解しています。
 先ほど水町先生から国際動向についてのお話があって、とりわけ諾否の自由の話もあったかと思うのですけれども、イギリスでは、諾否の自由のような要素は確かに労働者性、employee概念やworker概念について問題になりますが、それはむしろ、契約を締結するかどうかの自由として問題になっていて、指揮監督の要素で直接には問題になっていません。
 日本の文脈で、もし諾否の自由を問題にするとしたら、例えば横浜南労基署長(旭紙業)事件の最高裁判決で言われる諾否の自由の内容だけを見るのではなくて、ほかの下級審判決などでも重視されている諾否の自由の内容を精査して、何について議論しているのかを整理する必要があると思いました。
○岩村座長 ありがとうございます。
 ほかにはいかがでしょうか。
 では、川田先生、どうぞ。
○川田構成員 ありがとうございます。
 裁判例を分析した上で、それをどう使っていくかということについては、先ほど竹内先生が述べられたことと私も大体同意見ですが、その前提として、裁判例をしっかり分析しておくという観点から見たときに、これもほかの委員が既に述べられたことと結構重なりますが、1つは、やはり最高裁と下級審のスタンスはちょっと違いがあると思います。これは同じ事件においても、下級審では一般論を述べているけれども、最高裁はむしろ個別の事案に則した事例判断に徹するのだというスタンスをかなり強く出している。あえて一般論を示さないで、個別の事案に則した判断を示すのだという判断をしているものが多いというか、最高裁はすべて事例判断ということで、そこは違いがあるところかと思います。最高裁は、意図的に事例判断に徹するようなスタンスを示していると見るべきなのではないかなと思うところもあります。
 そのような中で、私も横浜南労基署長(旭紙業)事件については、自己の危険と計算という事業者性を真っ先に挙げていて、そこが結論に大きく影響を与えているというように読むべきかと思いますし、それ以外にも、例えば関西医科大学研修医(未払賃金)事件だと、教育的な要素を含む働き方についてどう考えるのかというような観点に則した判断をしているなど、事案に応じて重要と考える点に重点を置いた判断がされていると思います。
ただ、全体として、考慮要素としては昭和60年報告の枠の中に収まるような判断はされていて、その中で何を取り上げるか、あるいはその重み付け等については事案に応じた判断をしているということかと思いますが、幾つか注意点があるかと思います。
 まず今回、資料2-3、2-4で取り上げているのは、既に取り上げられた50の裁判例の中から、今回の検討に則したものがピックアップされているということで、比較的丁寧な判断がされているものが多く取り上げられているということがあるということ。下級審の裁判例でも、事例判断で当該事案の重要と思われる点に極端に重きを置いたような判断がされるケースもあると思いますので、全体的な傾向としては昭和60年報告に沿った枠組みということは言ってよいかと思いますが、やはり個々の事案に応じての違いはあると思います。
 そのほかの留意点としては、この研究会の中でも既に出てきていると思いますが、裁判所の傾向として、結論の方向性が出ると、個々の事案の評価がそれに寄せた方向になるという点はあるかと思いますので、現在検討している重み付けについて判決をどう読むかというときにも、注意が必要になってくるものがあると思います。
 また、特に下級審について、当事者の主張による部分はやはりあるかと思います。今回挙がったもの以外も含めて見ていくと、幾つかの事件では、業務遂行上の指揮監督があまり強くないと思われるようなケースで、諾否の自由に極端に集中したというか、当事者の主張も裁判所の判断も集中しているようなケースが出てきていますが、同じような業務遂行上の指揮監督の有無がそれほど強くないケースでも、諾否の自由にあまり重きが置かれていないケースもあって、そういうところを説明するとしたら、当事者の主張の仕方による部分はあるのかなと感じているところです。
 あと、重み付けという点で言えば、全体としては昭和60年報告に沿ったものということが言えるのかなと思います。それについては、新屋敷先生からも御発言がありましたが、やはり法律の条文を出発点に考えると、基本的にそういうところになっていくというのが裁判所の考え方としては大きいのかなと思いますが、先ほど述べたように、当事者の主張等による部分はあると思いますし、特定の事案では、最高裁も含めて事業者性を重く見ているケースがあるのかなという印象を持っています。
○岩村座長 ありがとうございます。
 今日取り上げられた中で、横浜南労基署長(旭紙業)事件の最高裁判決がありますが、先ほど竹内先生の御発言もあったのですが、確かに最高裁判決にはYの運送係の指示を拒否する自由はなかったと言っている部分があるのですけれども、これは、私は、その前の最初のところで、業務の性質上当然に必要とされる運送物品、運送先及び納入時刻の指示をしていたという、それを受けている部分もあると思います。最高裁の位置づけだと、これは業務の性質上当然に行い得る指示であり、当然それに拘束されるということかと思っております。
 2番目のポイントに移らせていただきたいと思います。2番目は、業務の性質に関して、まず事務局から補足があれば、御説明いただきたいと思います。よろしくお願いします。
○小島課長補佐 事務局から、通常注文者が行う程度の指示、業務の性質に関する部分について、裁判例から見えてくる状況と御議論いただきたいところについて補足させていただければと思います。
 まず、第3回研究会では、多くの事案において、通常注文者が行う程度の指示や業務の性質の考え方が用いられていることが確認できました。業務の性質というものの用いられている状況についてですけれども、最高裁では、横浜南労基署長(旭紙業)事件と藤沢労基署長(大工負傷)事件で業務の性質というものが用いられております。
 横浜南労基署長(旭紙業)事件においては、資料2-4の1ページ目の黄色の部分でございますけれども、物品運送の業務において、通常注文者が行う程度の指示がどのようなものかというところが示されております。
 藤沢労基署長(大工負傷)事件においても、資料2-4の6ページ目の黄色の部分になりますけれども、工事の性質を踏まえて、仕上がりの画一性、均質性や作業の安全性の確保や近隣住民に対する騒音、振動等への配慮という点で業務の性質を考慮しています。
 下級審レベルの裁判例においても、事案の概要で御説明したとおり、業務の性質の考え方がいろいろなところで用いられているような状況でございます。
 次に、業務の性質の用いられ方についてですけれども、まず、同じ事件の下級審判断と上級審判断において、業務の性質に関する評価、判断が分かれているという例もございます。具体的には、横浜南労基署長(旭紙業)事件と新宿労基署長(映画撮影技師)事件がございますけれども、横浜南労基署長(旭紙業)事件の最高裁判決では、1ページ目の黄色の部分でございますが、運送という業務の性質上当然に必要とされる運送物品、運送先及び納入時刻の指示を業務の性質上当然とされる事情としていたところでございますけれども、それに対して一審では、3ページ目の青の部分でございますが、同じ事実について業務の性質上当然とされる事情ではないという判断をしております。
 続いて、新宿労基署長(映画撮影技師)事件について、控訴審においては、11ページ目の黄色の部分になりますが、例えば、一旦、契約を締結した以上、予定表に従って行動しなければならないという制約や、予定表に従って集団行動し、就労場所が指定されていたことについて、業務の性質上、当然とされる事情ではないと判断しております。これに対して、13ページ目の黄色の部分でございますけれども、一審については、映画制作の性質ないし特殊性による面が大きいとして、業務の性質上当然とされる事情であると判断しております。
 続きまして、同じ芸能という職種について、オペラ歌手の労働者性が争われた新国立劇場運営財団事件の第一審でございますけれども、16ページ目の黄色の部分でございます。例えばスケジュールや指揮者、音楽監督の指示に従って行動したり、場所の拘束があることについて、舞台芸術の集団性から必然的に生じることであるとして、業務の性質上当然とされる事情と判断しております。もちろん、第一審と第二審、上告審がある場合、法的には一番上の上告審が効力を持つことになろうかと思いますが、分析にあたっては、一審と二審を比較しながら検討することも重要であるということで、今回比較をさせていただいたところでございます。類似の業職種の事案であるとか、さらに同じ事件の下級審、上級審の判断において、業務の性質に関する評価、判断が分かれているという状況が見えています。
 また、業務の性質の考え方を用いるに当たって、何を基準に捉えているのか。すなわちこれらの考え方を用いる場合に、従事する業務に関して、一般的な性質として共通する事情までのものとするのか、それともそれを超えて、単にその事業のサービスの質の向上であるとか効率的な実施などのために契約に定めた事項に関する事情も考慮してよいのかというところの問題意識について、第3回の研究会でも御意見いただいたところでございます。
 具体例としては、例えばソクハイ(契約更新拒絶)事件、19ページ目の黄色の部分でございます。一番上の1つ目の固まりの部分で、メッセンジャー用の手引を作成し、配送業務に当たらせていたことについて、質の高い配送サービスを即時に提供することができるようにするためということに触れた上で業務の性質とした例であったり、同じソクハイ(契約更新拒絶)事件の3つ目の下の固まりの部分、一番下のところでございますけれども、配送業務を終えたメッセンジャーが、次の配送指示を受けるまで待機場所での待機指示がされていたことについて、即時性を尊ぶ被告の配送業務の性質として、業務の性質とした例がございます。
 また、先ほど見た新国立劇場運営財団事件の16ページ目の黄色の部分でございますけれども、そちらにおいても、舞台芸術の集団性から必然的に生ずる業務の性質であるとした例がございます。
 以上の判断を捉えても、通常注文者が行う程度の指示や、業務の性質の考え方を用いるに当たって、何を基準に捉えているかは、事案によっても判断が難しいところでございます。
 以上も踏まえまして、本日御議論いただきたいところにつきましては、多くの事案において、通常注文者が行う程度の指示や、業務の性質の考え方が用いられているところでありますけれども、なぜこれらの考え方が用いられているのか。その上で、類似の業職種の事案、さらには同じ事件の下級審、上級審の判断において判断が分かれていますけれども、それはなぜなのか。また、業務の性質の考え方を用いるに当たって、裁判例の文脈としては何を基準に捉えている傾向があるのか。具体的には、その業務に一般的に認められる事情なのか、それともサービスの質の向上のためなどのそれを超えた事情も含むものなのかというところでございます。また、それは区別されているのかというところも踏まえて、御議論いただければと思います。
 業務の性質に関しては、もう一つありまして、資料2-2を御覧いただきたいのですけれども、昭和60年報告においては、通常注文者が行う程度の指示や、業務の性質というものは、指揮監督の有無の要素と拘束性の有無の要素において登場するものでございます。一方で、裁判例においては、それ以外の要素においても、通常の注文者が行う程度の指示や、業務の性質というものが用いられている状況にあります。
 例えば、代替性の有無において業務の性質が用いられているものがございますけれども、具体的には、17ページ目の新国立劇場運営財団事件の黄色の部分でございますが、劇団員の契約メンバーについて代替性がないことが出演基本契約に明記されていたという事実について、一芸術家として演奏するという業務内容の特性として評価しております。
 もう一つ、ソクハイ(契約更新拒絶)事件、21ページ目の黄色の一番上の部分になりますけれども、配達員について、契約上、配送業務を再委託することが禁止されている事実について、即時配達や一定の配送水準を確保するという観点が考慮されております。
 以上も踏まえまして、裁判例において代替性の有無で業務の性質を考慮している理由として考えられることは何か。また、代替性の有無以外においても、同様の状況にあるのかというところも含めて御議論いただければと思います。
 以上でございます。
○岩村座長 ありがとうございました。
 それでは、皆様から御意見あるいは御質問があれば、いただきたいと思います。
○竹内構成員 ありがとうございます。
 私は、裁判例の分析というところには正直及んでいないようなコメントになってしまうのですけれども、業務の性質上当然というのがなぜ用いられているかを検討いただけないかという御提起が事務局からあったかと思います。何故なのかというのは正直分からない、そこをまずきちんと考えなければいけないのではないかということが、どちらかというと申し上げたいことであります。
 1つの考え方としては、民法上は請負契約と雇用契約があります。民法上、ほかの役務提供契約として、委任契約とか準委任契約もありますけれども、請負契約と雇用契約だけを念頭に置いて申し上げますと、民法の典型契約として請負契約と雇用契約があり、2つ分かれているからには、両者が区別され、雇用契約と労働法にいうところの労働契約が同じだという前提に立って考えると、労働契約に当たらない固有の役務提供契約として請負契約という契約の在り方があるのだということになると思われます。その上で、請負契約だと、これは瑕疵担保責任との関係だと思うのですけれども、民法636条では、注文者が与えた指図という文言があって、裁判例において、労働者性を基礎づけない指示などの形で言及されているものは、もしかしたらその条文に由来しているのかなと推察しております。ただ、これは私の推察にすぎないところです。あるいはそのような条文によらずとも、そもそも請負でも注文者が指示できると考えられているのかもしれません。他方で、請負の定義規定には、そのような言葉はないという御指摘もあろうかと思っております。
 ともかく請負固有の指示の在り方のようなものが認められるとすると、そのようなものは労働契約を基礎づける指示などではないということとして、裁判例では、業務の性質上当然という形で表現しようとしているのかなと思います。
 そのように考えていくと、請負契約と雇用契約、あるいはもっと正確に言えば、民法にいう請負契約と労働法における労働者が一方当事者として結ぶ労働契約というものが、重なることがおよそないのか、重なることがあるのかということを検討しなければいけないと思います。
重なることがないということであれば、請負契約に固有の業務の性質、業務の性質上当然という領域を認める余地があって、その上で、その領域がどこまでのものを含むかということで、裁判例等を分析するまたは批判的に分析することのいずれも含めて考えていくことになると思います。
 仮に重なる部分があるということであれば、業務の性質を当然ということでカテゴリカルに区別して、それは労働者性を基礎づけるような指揮監督に係る事情ではないというふうに考えてしまうことは適切ではないと思います。
裁判所の分析の前提として、請負契約と労働契約が厳然と重なることなく区別されるのか、そうでないのかということを整理した上で裁判例を評価、分析していく必要があるかと思います。
○岩村座長 ありがとうございます。
 島田先生が手を挙げておられますので、まず島田先生、続いて水町先生ということでお願いします。では、島田先生、お願いします。
○島田構成員 ありがとうございます。なぜ裁判例で業務の性質が考慮されているのか、裁判例では明確に説明されていませんが、あり得る考え方として、2つあるかと思います。
その1つとしては、仮に同じことを請負、委託で行ったときに、債務の特定のために絶対に必要な指示があるということです。運送であれば、何をいつどこに運ぶかということは、債務の特定のために絶対に必要な指示あるいは拘束性ですので、契約の形態や種類が何であれ、その指示がなされないことはおよそあり得ないと思われます。それについては、やはり指示があったからといって、雇用になるとか、請負になるとかいうものではなくて、非常にニュートラルなものだろうと考えます。運送における時間的・場所的な拘束性や、時間的・場所的な指示については、これによって説明ができるのではないかと思っております。
 もう一つは、債務の特定に絶対必須とまでは言えないけれども、一定の指示が当然の所与の前提とされているプロジェクトや事業もあると思われることです。例えば集団芸術に関して非常に特徴的だと思いますが、演劇や音楽など、複数人で行う芸術には、監督、演出、指揮者というものがいます。俳優であっても、監督の指示にある程度従って動くことで初めて芸術となり得るため、そのような指示も、雇用か請負かという点についてかなりニュートラルなのではないかと思います。そのプロジェクト自体が、誰かが一定の指示をしてまとめるということを所与の前提としているためです。演奏契約における指示等の一部は、これで説明できるのかもしれないと思っています。
 裁判例の中には、それに当てはまらない、債務の特定とも言えないし、絶対必須とも言えないものもたくさんあり、そこは評価が分かれるところだと思います。そこで散見されるのは専属契約の人というか、雇用契約で同じことを行っている人と比べてどうなのかという判断が、微妙なケースではよく出てくるなと見ていて思いました。
○岩村座長 ありがとうございます。
 それでは、水町先生、どうぞ。
○水町構成員 ありがとうございます。業務の性質論について、そもそも業務の性質という非常に抽象的な概念で、労働者、雇用契約に当たるかどうかを判断していいかというところで、少なくともフランスのUberの破毀院判決は、2020年と2023年と今回紹介のあった2025年のものがありますが、いずれも例えば事業者側の主張として、タクシーで輸送するという事業の性質上、労働者性、労働契約性の判断に考慮されなくていい指示だという主張はありますが、破毀院は今まで業務や事業の性質で労働者性の判断をする、しないといったことはなく、事実関係を見て指揮監督、subordinationという従属性があるかどうかを事実関係に即して判断しています。
 ドイツについても、いろいろ見聞きするところでは、業務の性質論というそもそも大上段な議論で、請負に当たるか、雇用に当たるかという区別をした議論はほとんど見受けられず、実際には、請負契約に当たるのか、雇用契約に当たるのかということを、業務の性質論というものではない形でより具体的に見ているというふうに話は聞いています。
 では、何で業務の性質論が使われるか。今、お二人からありましたように、結局は請負との区別で使われていますが、竹内先生がおっしゃったように、請負と雇用の区別において、業務の性質論が果たして理論的に妥当かというところが問題で、請負と雇用が重なり得るところがあるとすると、重なり得るところは雇用にも当たるものなので、労働者、労働契約であるかの判断のときには、その重なり得るところは指揮監督があるかどうかについての考慮事情となり得る。
 逆に、請負契約の、仕事の完成を約束して、仕事の成果に対して報酬を支払う契約という定義の中に、請負固有の内在する指示というものが定義上あり得るのか。もし請負に固有の、絶対に雇用に当たらないけれども、請負に当たり得るというところの指示があり得るとすれば、例えば業務の性質論でどこを考慮していいかという線引きをするということは考えられるかもしれませんが、その点をちゃんと考えないと、請負にも雇用にも両方当たり得るというところを労働契約として性質決定するにおいて判断しないということは論理的に矛盾している。
 債務の特定に必要な指示や、演奏などで前提となる指示はニュートラルなものであるとして、業務の性質論で、雇用ではなく請負という形で性質決定できるかという点について、そのニュートラルな債務の特定に必要な事実上の指示等も、請負に当たるか、雇用に当たるかの性質決定の中で考慮することが大切で、例えば、演奏や輸送だから当然請負であって雇用ではないとは言えない。債務の特定は、請負でも、雇用でも必要であり、請負なのか、雇用なのかの性質決定のときに、ニュートラルだから外していいという理屈にはならないのではないか。
 その上で、裁判例で何でこの考え方が取られてきたかというところですが、1つは、事務局からも説明があった内容をもう少し精緻に見てみると、結論が労働者性を否定するものであるときに、業務の性質上当然なので労働者性を左右しない、考慮しないということが使われていますが、結論が労働者性を肯定するものであるときは、ほとんど使われていない。例えば、横浜南労基署長(旭紙業)事件は労働者ではないというもので、これは結論として労働者性を否定するプロセスの中で、結論の説得力を高めるために便宜上業務の性質論が使われていると読めますが、例えば新宿労基署長(映画撮影技師)事件で労働者性を肯定するという結論を出すときには、業務の性質論は一切使われておらず、業務の性質論を使わなくても、事実上労働者性を判断していますし、関西医科大学研修医(未払賃金)事件についても、結論は労働者性を肯定する中で、抽象的な業務の性質論は使わずに、実際具体的にどういう指示があったか判断をされている。
 裁判所は、8対0とか、7対1といったように、なるべく最後の結論の説得力を高めるために、その反対となる事情を消したいという中で、この考え方が説明の便宜上使われているけれども、請負との区別のためにやっているという理論的根拠が明確に分からないまま業務の性質論を用いている。
もう一つの傾向として、最近この考え方がすごく濫用的に使われている。そもそも指揮監督や時間・場所の拘束で使われていた業務の性質論が、諾否の自由、代替性、報酬、事業者性、その他の事情の中でも最近は使われている例が出てきている。学説の中で、業務の性質は非常に区別が難しく、濫用に使われやすいということがそもそも指摘されていたのですが、まさに最近の裁判例では、理論的根拠を明確にしないまま、結論を説明するための便宜としてどんどん拡張的に使われている傾向がある。この研究会の場などで、なぜこうなっているのか、もし業務の性質を用いるとすれば、少なくともこういうところで用いることに限定するといったことをきちんと議論したほうがいいかと思います。
○岩村座長 ありがとうございました。
 新屋敷先生から手が挙がっていて、その後、芦野先生ということでお願いします。
 では、新屋敷先生、どうぞ。
○新屋敷構成員 ありがとうございます。業務の性質の話なのですけれども、事務局のほうで御整理いただいて、議論の論点としていただいたところにお答えしたいと思います。
 まず、通常注文者が行う程度の指示や業務の性質の考え方が用いられているのはなぜなのかという点は、指揮監督といった要素を認定・評価するために見ているのだろうと理解しております。昭和60年報告が示した要素を客観的に判断するために、業務の性質というフィルターを通して、事実を認定・評価しているのだろうと私は理解しております。ただ、なぜそれが下級審や上級審の判断において、類似の事案であっても、判断が分かれているのかということは、そこはちょっと分からないところがあって、はっきりさせるべく整理をしていくべきではないかと考えます。
 そして、昭和60年報告で示されている業務の性質の考え方を用いるに当たって、裁判例の文脈として何を基準に捉えている傾向があるかということですけれども、それは私自身も判例を見ていてよく分からないなと思ってはいるのですが、1つは、横浜南労基署長(旭紙業)事件最高裁判決の場合には、「運送という」という形で議論が始まっていたと思うのですが、資料2-4の25ページにおまとめいただいているように、国立大学法人東京芸術大学事件東京地裁判決の場合には、「Y大学における講義の実施という業務の性質」となっておりまして、結局これは契約で何を定めたか、契約でどのような業務と決められたかというところが鍵になっているのではないかと思います。一方では、運送によるといった業種、業務内容一般を指すような場合もあれば、他方で、個別に契約で委託された業務の性質から見ている場合もあると、そういう基準で捉えられていると思います。
 業務の性質に関する判断が上級審、下級審で分かれていて、それはなぜかというところが私も分からないと思っていますが、同じ25ページの判断枠組みに関連する部分について、業務の性質から指揮監督等についてどのように判断するかというと、本件契約の内容、本件契約等に基づく労務提供の実態等に照らし、とありまして、裁判所が判断の要素というか、客観的な事実として何をつかまえにいっているかというと、それは契約の内容であったり、契約に基づく労務提供の実態であるということなので、この点についての捉え方が、契約書にかなり依拠して判断する場合と、そうではない場合に少し分かれているのではないかと理解しております。
 第2回研究会でも、取り分け労働側の弁護士の方から、契約書が相当程度重視されてしまうといった御指摘があったかと思いますが、事実の捉え方の部分も入れて、どのように業務の性質の内容を捉えていくのかというところが重要であると理解しています。
○岩村座長 ありがとうございます。
 それでは、芦野先生、どうぞ。
○芦野構成員 ありがとうございます。非常に勉強になりました。整理いただきありがとうございました。
 私は、民法の観点から、先ほどの竹内先生のお話については、また後日改めてということにして、今回の事務局からの問いかけに対するものとして述べさせていただきます。2017年の民法改正において、契約及び取引上の社会通念という文言がいくつかの条文で入りました。これについては、入れる必要があるのかとか、なぜ入れるのかということが議論になり、国会でも、国会議員からの質問などに事務局が答えるなど、かなり丁寧な説明がありました。
 基本的には、これまで裁判実務において、とりわけ債務の内容が中心ではありますが、契約の性質や目的、その他の事情や、さらには取引に関して形成された社会通念も考慮して、これまでいろいろなものが判断されてきているので、そのことを分かるように条文上明記したものです。
 では、なぜ書くのかというと、それまで個々に挙げられてきた抽象的な概念について、ある程度判断の枠組みを明確にするためにも、そういう要素を判断するに当たっては、この範囲の枠内で考えていくということを示すために、そういった文言を入れたということでした。その意味では、もしかしたら地方裁判所などは、そのような一定程度の上位概念的な判断枠組みという意味で、業務の性質という言葉を使っているのではないかと、民法の改正を見聞きしてきた立場からは、そのように感じたところでございます。
 もう一つは、資料2-2のマル1にも、マル2にも、マル3にも関連する話になってしまうのですが、マル1の判断要素のそれぞれの重み付けに関するところでは、最近の令和7年2月20日の東京海洋大学事件の東京地裁判決において、東京地方裁判所は、使用従属が第一であって、それで決定すれば、それ以外の組織への組み入れについては判断する必要がないと示しています。その意味では、地方裁判所レベルでも重み付けを考えているところもあるのだろうと思います。それはやはり、債務の内容は業務の性質から明らかになり、それで対価性があるかどうかという判断をしているのではないかと考えます。結局、マル1、マル2、マル3は全て関連させながら、より一層考えていく必要があるのではないかと思ったところです。
○岩村座長 ありがとうございます。
 では、川田先生、どうぞ。
○川田構成員 ありがとうございます。
 時間もありませんので、業務の性質の概念の有用性と、論点に挙がっていた代替性との関係の話にできるだけ絞る形で述べたいと思います。
 業務の性質の考え方というのは、おそらく理屈としては、他の委員からも御発言がありましたように働き手が労働者であっても、労働者でなくても同じように存在する事実については、労働者性について中立的なものとして、労働者性を肯定する方向にも否定する方向にも考慮しないという考え方なのではないかと考えています。そういう意味での理論的な意義はありますが、現実に起きる労働者性判断の中で、このような考え方をうまく使えるのかということがおそらく問題であって、1つは、やはり裁判例の現状としては、今言ったような範囲を超えた形で、特に労働者性を否定する方向で、業務の性質が考慮されるケースはあるのという認識でいます。
 これも議論がありましたが、働き手が労働者である場合と労働者でない場合が両方あり得るようなゾーンがあるとして、そこで働き手が労働者でない場合にあり得るような拘束に当たるからということで、それを労働者性を否定する方向で使っているような判断になっている場面がないか。理論的にはこれは、労働者でない場合にありうるというだけでは、労働者に当たらない根拠と即断はできないということになるのではないか。別の角度から言うと、サービスの質を高める等の観点から働き手に対する要求をしたときに、そのような要求を出すのだったら、業務の性質として、それは労働者を使ってやるべき働き方ということになるような場面があり得て、そういうものについては、そのような要求が仮に同種業務でよく見られたとしても、それを業務の性質という理由で、労働者性を否定する根拠にはできないという場面があるのではないかと思います。
 そういう考え方をしていくときに、結局、問題になっている業務の性質が、どうしても労働者でなければいけないような働き方なのかというところを見ていく必要がある場面が出てくる可能性があって、その判断が、労働者性そのものの判断に余りにも近づいてしまうようであれば、業務の性質上という考え方を取り立てて使う実際上の意義が薄れてしまうことになる可能性はあり、少し精査する必要があると思っています。
 あと、業務の性質については、類型的に問題になる状況としてサービスの質を高めるために労働者に要求をしているケース。それから、これまでの裁判例だと、新宿労基署長(映画撮影技師)事件、新国立劇場運営財団事件のような、集団でパフォーマンスをするときに、一般的な事業である指揮監督とは違う、芸術上の要請によるような場合にそれをどう見るかなど、幾つかの類型化が可能であると思われ、そういった類型化をした検討も有用であると思います。
 最後に、代替性との関係では、基本的には今述べてきたような業務遂行上の指揮監督等に関するのと同じで、芸能実演家を例に取ると、すごく著名な実演家で、どうしてもその人でなければ駄目だというような、その人が出演するのが業務の性質として当然必要なもので、かつ働き手、労務の担い手が労働者ではないケースというものはあるので、それをベンチマークとして同じようなものであれば、代替性がないように見える場合であっても、労働者性の判断については中立という考え方はあり得るかと思いますが、有用性に関しては、これまで述べてきたものと同じようなことかと思っています。
○岩村座長 ありがとうございます。
 新屋敷先生、どうぞ。
○新屋敷構成員 川田先生のお話を伺っていて、私は、業務の性質について、あまりにも正社員に近いような形で、指揮監督や業務の性質というラベルの下で判断している例が気になっていて、この点は島田先生と同じだと理解しておりますけれども、判断が微妙なケースで正社員が受ける指揮監督と比較するというのは、私も少しどうなのかなと思っております。
 ただ、おそらく裁判所において、業務の性質というのは、島田先生がおっしゃっていたように、ニュートラルな概念の可能性も大いにあります。したがって、これを使わないで指揮監督について判断すべきであるとするのは、裁判所に相当な困難を強いるものになるのではないかと考えております。
○岩村座長 ありがとうございます。
 時間がないところで、私もちょっとだけコメントさせていただきたいと思うのですが、業務の性質については、前に申し上げたと思うのですが、横浜南労基署長(旭紙業)事件についての判断の枠組みは、どちらかというと運送契約を念頭に置きつつ、その運送契約に当然伴う業務指示というのは労働者性を裏づけるものにはなりませんよねということで、ある意味、典型契約を想定して考えていると思います。
 他方で、ソクハイ(契約更新拒絶)事件などが典型ですけれども、これは契約で定められている業務の性質というように理解してしまっているので、それだと契約の法的性格決定には全然役立たちません。だから、業務の性質を契約で定められている業務と考えてしまうと、業務の性質に着目するそもそもの目的との関係ではあまり整合性のないものになってしまうのではないかと思います。
 もう一点は、新宿労基署長(映画撮影技師)事件、それから新国立劇場運営財団事件が典型ですが、一定の特殊な技能を用いての労務提供ということになるけれども、時間を決めているのが業務の性質上当然だというのは、特に新国立劇場運営財団事件では明確に出ています。他方で、よく考えると、時間を指定するというのは労働契約の指揮命令の典型例でもある。時間を決めていることが労働契約を否定する方向に働くことは、非常に理解が困難かなと思いました。
 最後に、今日、特に竹内先生、水町先生のお話の中で、労働契約と請負契約の区別という話がありましたけれども、特に労働者性が問題になる最近の事案は契約関係が非常に複雑で、そもそも請負契約などとも銘打っていないところがあるので、私自身は、広い、バラエティーがある役務提供契約の中で、どれが労働契約として法的性格決定されるのかという問題だろうと考えています。そうすると、請負なのか、雇用なのかという議論とはちょっと違うのではないかなという理解をしていますが、そこは考え方が分かれるところかと思います。
 それでは最後に、事業組織への組み入れ・組み込み、それから報酬の一方的決定等の文言、それに関する事象についての御意見をいただければと思いますが、先ほどと同様に、まず事務局から補足をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
○小島課長補佐 組織への組み入れ・組み込み等の記載、または使用者の具体的な指揮命令になじまない業務についての一般的な指揮監督に関する事実について言及されている部分と、あともう一つ、報酬の一方的決定に関する部分について補足させていただきます。
 まず、組織への組み入れであるとか、使用者の具体的な指揮命令になじまない業務についての一般的な指揮監督に関する事実についてですけれども、資料2-2を御覧いただきたいのですが、昭和60年報告では、組織への組み入れという用語が指揮監督の有無の中で用いられております。読み上げますけれども、「管弦楽団員、バンドマンの場合のように、業務の性質上放送局等「使用者」の具体的な指揮命令になじまない業務については、それらの者が放送事業者等当該事業の遂行上不可欠なものとして事業組織に組み入れられている点をもって、「使用者」の一般的な指揮監督を受けていると判断する裁判例があり、参考にすべきであろう」という記載がございます。
 この記載に関連する事情として、組織への組み入れに言及している裁判例として国立大学法人東京芸術大学事件がございます。こちらは資料2-4の25ページ目の緑の部分になります。この裁判例では、本件各講義において予定されていた授業への出席以外の業務をYがXに指示することはもとより予定されていなかったものと解されるから、Xが、芸術の知識及び技能の教育研究というY大学の本来的な業務ないし事業の遂行に不可欠な労働力として組織上組み込まれていたとは解し難く、Xが本件契約を根拠として上記の業務以外の業務の遂行をYから強制されることも想定されていなかったとされております。
 これとは別に、事業組織への組み入れという用語を用いずに、具体的な指揮命令になじまない業務に従事する方への一般的な指揮監督に関する判断として、NOVA事件がございます。23ページ目の緑の部分になりますけれども、語学スクールの英会話講師について、研修の受講、監視、評価、マニュアルに沿った授業法の義務づけをしていたことを述べた上で、実際のレッスンにおいて具体的な会話内容をどのように導いていくかは、事柄の性質上、個々の講師に任せられている部分があると推察されるものの、指揮監督が及んでいると判断した事例でございます。
 以上を踏まえまして、労基法上の労働者性の判断において、具体的な指揮命令になじまない業務に従事する方への一般的な指揮監督関係が裁判例においてどのように位置づけられているのか。また、組織への組み入れ・組み込みとされる用語の意味や位置づけ、どのようなものとなっているのか。また、理論として、どのように指揮命令関係につなげているのかというところも含めて御議論いただければと思っております。
 次に、報酬の一方的決定に関する部分について補足させていただきます。今回の10の裁判例の中では、アサヒ急配(運送委託契約解除)事件とソクハイ(契約更新拒絶)事件の2つの裁判例において、報酬について使用者との間で交渉が持たれたことがないということが事業者性の有無の中で判断されております。まず、アサヒ急配(運送委託契約解除)事件については、15ページ目の緑の部分で報酬額及びその算定方法は、Yが決定して委託契約者に示しており、委託契約者は、これについてYと交渉することはなかったというような事情が示されております。もう一つ、ソクハイ(契約更新拒絶)事件について、21ページ目の緑の部分でございます。報酬の定め方について個々のメッセンジャーと被告との間で交渉が持たれた経過があるともいえないことも指摘することができるということが示されております。
 これらについて、事業者性の有無において、事業者性を弱める要素であるとか、事業者性が高いとまでは言えないという要素として、これらの裁判では用いられている状況になります。
 以上を踏まえまして、労基法上の労働者性の判断において、報酬を一方的に決定している事情を認定している裁判例において、その位置づけがどうなっているのかというところと、報酬を交渉できる、交渉できないという事実、もしくは交渉を経て、または経ずに賃金を決定している事実がどのように判断につながっているのかというところも含めて御議論いただければと思います。
○岩村座長 ありがとうございました。
 ただいま事務局から補足説明をいただきましたので、それも含めて御意見、御質問をいただければと思います。
 では、小畑構成員、どうぞ。
○小畑構成員 ありがとうございます。資料2-2のマル1、マル2についての回答とも少し重なってしまいますが、マル3につきまして、使用者が、ほかの契約ではなくて、ぜひ労働契約を結ぼう、労働契約しかないと考えるのはどういうときかということを考えますと、具体的で細かな方法の指示に従ってもらうような義務づけをしたいとき、臨機応変に出す指示に従ってもらいたい、そのような労働力として活用したいときには労働契約を選ぶことになると思います。
 使用者が、労働者をその事業の達成のために、いわば組織の中で労働力を使っていくと言えるのであれば、指揮命令関係、あるいは指揮監督があるというような使い方ができるという意味では、組織への組み入れ、組織への組み込みということが有用なツールとして使えていると思います。ただ、組み込む、組み入れるという言葉が、例えば外注をしたり、委託したり、請け負っていただいたりする人をビジネスモデルとして組み込んでいる、というように表現することも可能なので、その言葉の使い方をはっきりさせていかないと、非常に混乱が生じる可能性もはらんでいるのではないかと考えております。
 そういった意味で、いわば指揮監督下の労働とは何か、この事案において指揮監督下の労働があるのかどうかということを判断するときに、今、新たな働き方や新たなビジネスモデルがどんどん生まれていく中で、手持ちの昭和60年報告に示された判断基準プラスアルファでは、なかなかうまく対処できない、そうしたときに、苦悩の末に、裁判官たちがいろいろな策を講じているということを感じるように思います。その点をうまく整理していくことが、この研究会でも重要かと存じております。
○岩村座長 ありがとうございます。
 では、水町先生、その後、竹内先生にお願いします。
○水町構成員 少し大きな流れで見ると、裁量労働制の方も、プラットフォームワーカーもそうですが、従来、従属性として想定していた具体的な指揮監督や、時間・場所の拘束は必ずしもないけれども、労働基準法の適用を受けながら労働者として働いているという人たちが出てきたときに、相対的に最近、事業組織に組み入れられたり、労働条件を一方的に決定されたりということが世界的に言われているし、日本の中でもそういう議論が出てきているところです。
 だとすると、人的従属性や使用従属性と、今言ったような要素の経済的従属性について、どういう関係にあるかというのを少し遡って考えてみると、昭和60年報告の中にも、事業組織への組み入れだけではなくて、専属性の程度の中で、当該企業に経済的に従属していると考えられ、それは労働者性を補強する要素の1つになる、というものがあり、そもそも昭和60年報告の中に経済的に従属という言葉も入っているが、その関係がどうなっているのかが明確にされないまま、時々、裁判官がつまみ食い的にその判断を入れているということがあると思います。
 では、経済的従属性を労働基準法の労働者性で判断の際に用いることが本来許されるか、ふさわしいかというときに、例えば日本の労基法を念頭に置くと、人的従属性があるから、それに対して保護を及ぼすという場合と、経済的従属性に対して保護を及ぼすという場合が混在している。労基法は、労働時間規制とか労働安全衛生については人的従属性があって、指揮命令しているのだったら保護をすべきというところがありますが、例えば解雇からの保護や賃金の保護というものは、一般の独立労働者とは違って交渉力が弱いので、きちんとその面での保護をすべきというところがある。このように混在しているとすれば、労基法の適用対象を判断する上で、いわゆる人的従属性にこだわる必要はなく、場合によっては経済的従属性を補足的に扱うことも考えられるのではないかと思っています。
 だとすると、今、補充的な判断要素とされている、事業者性、専属性、その他の中に一部経済的な従属性も入っていますし、事業組織への組み入れ、報酬の一方的決定などのほかに、外国では固有の顧客を持つことに対する制約というのも、労働契約性を判断するときの事情になり得ると考えられているので、そういった点もアプリオリに、経済的従属性だから人的従属性ではない、使用従属性ではないとするよりは、法的な趣旨、根拠に基づきながら、働き方の変容の中で、主たる判断要素と補充的な判断要素をどう組み直すかを考えたほうがいいかなと思います。
○岩村座長 ありがとうございます。
 竹内先生、どうぞ。
○竹内構成員 ありがとうございます。
 提起された問題との関係でいうと、まず、昭和60年報告では、指揮監督の有無ということに関して、具体的な指揮監督ではないが、抽象的な指揮監督は及ぶということについて、事業組織への組み入れという形で、労働力そのものについて相手方が基本的には利用とか処分をすることができるという趣旨で用いられているのではないかと思っています。そのように具体的な指揮監督がなくても、指揮監督性を基礎づける、それによって使用されていることの評価につなげていくというような要素として挙げているのではないかと思います。
 その観点で見ると、先ほど芦野先生からも御指摘があった東京海洋大学事件地裁判決ですけれども、一般論として、事業組織への組み入れを考慮する必要がないということを述べているのですが、そこの判断では、一般的な指揮監督を受けていることをもって使用従属関係を肯定し得るということを述べつつ、事業組織への組み入れといった独立した判断要素を用いる必要性には疑問があるということを指摘しています。そのような文脈で言及されている点に関して言えば、これはある意味、用語法の問題で、抽象的な指揮監督というものをどのように表現して、判断要素に取り込んでいくかということになるかと思います。
 今、事務局から資料2-4で御説明があった25ページの国立大学法人東京芸術大学事件の判旨の部分に関して言うと、これは個別の事案の具体的判断ですけれども、この事実関係で、事業組織に組み込まれていないとする判断自体には私は疑問があります。要するに、授業というのはまさしく研究や教育の一環、というより中核そのものでありますので、この判断をそのまま捉えて、この後、分析評価していくのはどうかなという気もしています。
 もう一つ、今回の検討対象にはなっていませんけれども、比較的最近の、弁護士の労働者性が問題となった西村あさひ法律事務所事件について、今年9月に出ている高裁判決では、事業組織への組み入れということについて、やはりそこでも労基法とか労契法上の労働者性の判断に関しては考慮しないことが示されていますが、そこでは、労組法上の労働者概念に関連してこの要素が言及されており、したがって、労契法の労働者概念では考慮する必要がないと示されています。確かに労働者の定義規定は異なるわけですけれども、両者の概念は厳然と区別されているものではなくて、重なる要素もあり得ますので、労組法上の労働者としての概念に関して、事業組織の組み入れという要素が使われているから、という理由付けで、労基法ではおよそ考慮に入れる余地がないという論法はおかしいかと思っています。
 この用語の理解に関しては、近時の裁判例で労基法とか労契法との関係でこの要素を用いることに否定的になっていますけれども、その論法自体が正しいと言えるかは慎重に分析する必要があると思いました。
○岩村座長 ありがとうございます。
 それでは、新屋敷先生、お願いします。
○新屋敷構成員 ありがとうございます。
 組織への組み入れの点なのですけれども、私は、裁判例において重視されている要素ではないと理解しております。同要素は、昭和60年報告に則して、補足的な要素としてたまに現れるという程度のものであるかなと理解しております。
 国際動向にも少し触れておきたいのですけれども、イギリスでも経済的従属性や組織的統合性に関する議論がございます。中でも、経済的従属性については使用者側から労働者性を否定するために主張される例も散見され、今までの議論にもありましたように、その内容を相当程度精査していかないと、かえって労働者保護に反する帰結を招きかねないものです。
 また、イギリスの議論を見ておりますと、Uber事件の最高裁判決が述べたところでもありますが、経済的従属性については判断要素に入れないと最高裁が明確に示しておりますので、そういう観点からも、ちょっとどうなのかなと思いました。
 さらに、イギリスはとりわけ契約によって、employee概念、worker概念を定義づけておりますので、その枠組みの中で、仮に経済的従属性や組織的従属性を強調するような解釈を取っていきますと、契約を超えた形で、個別的労働関係法の適用を認めるような議論になっていきかねないところがあって、裁判所としても警戒しているのではないかと理解しています。
○岩村座長 ありがとうございます。
 ほかにはいかがでしょうか。
 では、川田先生、どうぞ。
○川田構成員 ありがとうございます。
 組織への組み入れに関しては、既にほかの先生がおっしゃったのと同じで、まず、概念をはっきりさせる、あるいは関連する事実としてどういう事実が考慮されるべきなのかということを整理して、議論を進める必要があるのだろうと思います。
 法的な意義としては、これも既に出てきているとおりで、1つは、業務上の具体的な指示の程度が弱い働き方において、そういう業務上の指揮命令を補完する概念として、要するに、業務上の指示の存在に関わるような概念として使っていくというものがあるのだと思います。
 私の理解だと、この研究会でも出てきたドイツとかフランスの議論の中に、組織への組み入れが、いわゆる人的従属性を考慮する材料になり得るような考え方が示されていているかと思い、これと基本的には同様の考え方といえるものです。
 それから、もう一つが、端的に交渉上弱い立場にある、例えば市場で自由な取引ができるような人とは違い、組織の中に組み入れられて対等な立場での交渉がしにくいという評価に結びつく概念という捉え方です。これは労基法、労契法上の労働者性にどう結びつき得るのかという点の議論があり得ると思いますが、先ほど水町先生もおっしゃったように、労基法、労契法の趣旨・目的に照らして考えていくときに、労基法、労契法上の保護の必要性は、例えば健康を害してしまうというような身体・人格を保護する必要性と並んで、労働条件の最低基準などについては、取引上の弱者を保護するという発想もあるのだろうと思います。そういった趣旨・目的に照らして考えていったときに、一般的には経済的従属性に結びつくと言われる要素についてどう考えていくのかというのは、検討課題にはなると思います。
 報酬の一方的な決定については、裁判例を見ると、これらはいずれも事業者性で考慮するという文脈で裁判所は判断を示していることがまず前提になると思います。事業者性は、報酬の労務対償性とかなり重なり合う部分があるので、理論的には報酬の性質を考える際にも考慮され得るし、場合によっては、今言ったような取引上の弱者性が指揮命令の拘束性につながっていくというような考えの持っていき方もあり得て、理論的にはそういった考え方はあり得るけれども、現状では、事業者性という文脈の中で考慮されているというように判決を読むべきだろうと思っています。
○岩村座長 ありがとうございます。
 ほかにはいかがでしょうか。
 事業組織への組み入れ・組み込みに関して言うと、事業への組み入れ・組み込みではなく、事業組織への組み入れ・組み込みなので、そうすると、組織というのが何を意味しているのかというところも、もう少し考える必要があるのかなと思いました。例えば関西医科大学研修医(未払賃金)事件のように、研修生ではあるが、病院の中にいて、診療に従事していたものについて、事業組織の中に組み込まれているというのは、ある意味で非常に明瞭だと思うのですが、例えばフードデリバリーなどになってくると、事業組織への組み込みなのか、事業への組み込みなのかということをどこで分けるのだろうという気がしなくもない。事業組織への組み込みというときに、組織というものをどういう意味で理解するのかというのも、1つ検討材料なのかなという気がいたしました。
 報酬の一方的決定というのは、労契法、労基法の世界でどこまで考える必要があるのかと思っており、補強的要素として使えるかどうかという世界の話なのかなというように思います。
 よろしいでしょうか。
 今日は大変充実した御議論をいただきまして、本当にありがとうございました。いろいろ重要な御指摘をいただいたように思います。本日の議論はここまでとさせていただきまして、事務局のほうでは、今日の議論を踏まえて、引き続き資料の御用意などをお願いできればと思います。
 それでは、第4回「労働基準法における「労働者」に関する研究会」は終了とさせていただきたいと思います。構成員の先生方におかれましては、お忙しい中をお集まりいただき、また、非常に重要な御発言もいただきまして、誠にありがとうございました。
 それでは、散会とさせていただきます。ありがとうございました。