- ホーム >
- 政策について >
- 審議会・研究会等 >
- 障害保健福祉部が実施する検討会等 >
- 精神保健医療福祉の今後の施策推進に関する検討会 >
- 第4回精神保健医療福祉の今後の施策推進に関する検討会 議事録
第4回精神保健医療福祉の今後の施策推進に関する検討会 議事録
日時
令和7年1月15日(水)14:00~17:00
場所
航空会館ビジネスフォーラム
(東京都港区新橋 1-18-1)
(東京都港区新橋 1-18-1)
出席者
- 構成員(五十音順)
- 家保構成員
- 池原構成員
- 岩上構成員
- 上田構成員
- 江澤構成員
- 岡田構成員
- 岡部構成員
- 柄澤構成員
- 神庭構成員
- 北村構成員
- 吉川構成員
- 桐原構成員
- 柑本構成員
- 小阪構成員
- 小嶋構成員
- 田辺構成員
- 田村構成員
- 辻本構成員
- 長瀬構成員
- 長谷川構成員
- 花村構成員
- 藤井構成員
- 松本構成員
- 水野構成員
- 森構成員
- 山口構成員
- 参考人(五十音順)
- 赤池参考人
- 内布参考人
- 古川参考人
- 長谷川参考人
- 丸山参考人
- 山田参考人
議題
- (1)行動制限に係る関係者からのヒアリング
- (2)その他
議事
- 内容
- ○田辺座長 定刻となりましたので、ただいまより第4回「精神保健医療福祉の今後の施策推進に関する検討会」を開催いたします。
皆様方におかれましては、御多忙の折、御参集いただきまして誠にありがとうございます。
初めに、本日の出欠状況と資料の確認につきまして事務局のほうからお願いしたいと思います。
では、よろしくお願いいたします。
○新平課長補佐 事務局でございます。
本日の会議は、会場とオンライン会議システムを併用しての実施となっております。御出席の構成員のうち、会場には18名お越しいただき、オンラインでの御出席は8名となっております。
田村構成員、水野構成員は、御都合により遅れて参加され、また、途中退席されると伺っております。
また、本日は議題(1)に関連いたしまして、障がい者生活支援センター「すみれ」より古川参考人、日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構より丸山参考人、内布参考人、全国「精神病」者集団より山田参考人、全国精神保健福祉会連合会より赤池参考人、杏林大学、日本身体拘束研究所より長谷川参考人に御出席をお願いしております。
次に、本日の資料といたしまして、議事次第と資料1から8、参考資料1から4をお配りしております。
資料の不足等がございましたら、事務局までお申し出ください。
傍聴の方におかれましては、資料を厚生労働省のホームページに掲載しておりますので、そちらを御覧いただければと思います。
次に、オンラインで参加の方におかれましては、カメラは常にオンにしていただければと思います。また、御発言の都度、マイクをオンにしていただき、発言後はオフにする操作をお願いいたします。途中で不都合が生じましたら、事務局まで御連絡ください。
それでは、冒頭の頭撮り撮影に関しましては、これで終了とさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
(頭撮り終了)
○新平課長補佐 引き続き、資料の補足をさせていただきます。
資料1につきましては、前回検討会における主な御意見をまとめてございます。
以上です。
○田辺座長 ありがとうございました。
それでは、早速でございますけれども、具体的な議題のほうに入ってまいりたいと思います。
まず、議題(1)の「行動制限に係る関係者からのヒアリング」です。
第3回におきましては、行動制限につきまして、医療現場での実践などについてヒアリングを行ってきたところでございます。今回は、当事者側の立場の皆様方へのヒアリングを行ってまいりたいと考えております。
本日は、古川参考人、丸山参考人と内布参考人、山田参考人、赤池参考人、長谷川参考人の順番で、おのおの10分から15分以内を目安に御発表いただき、発表者ごとにヒアリングに関する御質問の時間を設けたいと思います。最後に構成員の皆様方からの自由討議の時間を設けたいと思っております。
それでは、早速でございますけれども、古川参考人、発表をよろしくお願いいたします。
○古川参考人 よろしくお願いいたします。本日は、検討会にお招きいただきありがとうございます。社会福祉法人・花の障がい者生活支援センター「すみれ」でピアサポーターとして勤務しております、古川裕也と申します。
次のスライドをお願いします。
先に自己紹介等をさせていただければと思います。出身に関しては青森県弘前市で生まれ育っており、経歴としては、令和4年8月、社会福祉法人・花に入職し、障がい者生活支援センター「すみれ」でピアサポーターとして勤務を開始いたしました。私自身、精神疾患である統合失調症の当事者であり、その経験を活用した支援を行っております。様々な形のピアサポーターとしての活動をしている方たちの集まりである弘前圏域ピアサポーター「だんだん」の会にも所属しております。弘前市自立支援協議会の委員も担っております。
次をお願いします。
社会福祉法人・花の実施事業としては、このように種々の事業を手広く行っております。
次をお願いします。
弘前市について、人口、病院・診療所数、各領域の障害者等の総数は当スライドのようになっております。
次のスライドをお願いいたします。
さきのスライドで紹介いたしました弘前市、正確には弘前保健所管内は青森県内のにも包括のモデル圏域となっておりました。平成30年度から令和4年度までモデル事業を実施しており、令和5年度からは青森県の五所川原保健所管内でモデル事業を実施しております。
次のスライドをお願いします。
弘前保健所管内のにも包括の取組は、当スライドのようになっております。この取組の流れは現在でも続いております。協議の場の設置、地域移行支援の利用促進、精神障害者ピアサポーターの養成を主な取組として、その具体的内容をそれぞれの行に記しております。
私自身は、精神障害者ピアサポーターの養成研修を受け、弘前圏域ピアサポーター「だんだん」の会で活動してきました。その中で同じピアサポーターの仲間にも恵まれ、病気からのリカバリーについて語る語りの活動等で経験を積み、ピアサポーターとしての就職に至ったという流れであります。
次のスライドをお願いします。
弘前圏域ピアサポーター「だんだん」の会については、そのごく一部でありますが、当スライドに記してあります。
次のスライドをお願いします。
ここからは、行動制限に関する当事者としての実際の経験をお話しさせていただきます。
次のスライドをお願いいたします。
最初に、私自身が隔離・拘束を最初に受けたときの心情等をお話しさせていただきます。幻聴の命令で飲食拒否状態となり医療保護入院したため、栄養剤の点滴が必要となっておりました。飲食を拒否していることから、点滴の針を外すおそれもあったため、隔離室で身体拘束を受けて点滴をしました。当時、私には病識がなかったため、私自身は、医療者の勘違いにより、精神疾患という誤診が下され、応急処置として隔離・拘束が行われているのだろうという妄想的思考をしていました。病気の影響で被害的にもなっていたため、隔離・拘束を受けたことで医療者への不信感を募らせておりました。それと同時に、どうなるか分からない自分の将来への不安も感じておりました。
次のスライドをお願いします。
次は、身体拘束をされていたときの感覚についてお話しさせていただきます。一当事者の例ではありますが、参考にしていただければ幸いです。
拘束時は体を動かせない状態になることから、全ての決定権は他者にあるという感覚になっていきました。幼い子どもに戻った感覚を想像していただければ分かりやすいかと思います。最初のうちは、それは過度にネガティブな感覚ではなく、全てを他者に委ねるしかないという感覚だったものが、拘束が続くことでストレスがたまっていき、途中からは全てを他者の言動に支配されるという感覚になっていきました。それに伴う形で幻聴による支配も強まっていくこととなりました。
他者の影響により体を動かせないということは、通常ではあり得ない危機的事態でもあり、それを心理的に受け入れたら自分自身を保てなくなってしまうという気持ちもあったと思います。もし私が何も病気をしていないときに身体拘束をされたとすれば、本当に自分自身を保てなくなっていたでしょう。なぜ病気をしているときに自分を保てたのかといえば、医療者側の勘違いにより身体拘束が行われているのだという妄想的な思考と、それを裏づけようとする内容の幻聴の声があったためです。言い換えれば、妄想と現状の症状の悪化により自分を保っていた状態ではないかと思います。
次のスライドをお願いします。
隔離への認識と、そのときに持っていた将来への思いについてです。隔離への認識は入院の時間経過とともに変化していきました。入院直後は隔離は応急処置として捉えていました。その際、将来への思いとしては、自分はこれからどうなってしまうのだろうと感じておりました。
トラブルを起こし、保護室に隔離されたときは、隔離は罰として捉えておりました。その際、もう退院できないかもしれないと感じておりました。2度目にトラブルを起こし、隔離室生活になったときは、これは対応に困ってしまった医療側の最終手段ではないのかなと思いました。それゆえ、回復・退院はもう不可能なのだと思いを抱くこととなりました。
隔離の回数が増えるにつれ、隔離への認識が変わっていき、無力感も増していきました。このことから、隔離は当事者をパワーレス状態にする可能性があり、回数が増えることでさらにその可能性は増していくものと思います。隔離の回数が増えたとしても、退院に向かっていくことが可能であるということを伝えてもらえていれば、この状態は変わっていくものと思います。
次のスライドをお願いします。
ここで、隔離室で過ごしていたときの病状についてお伝えさせていただきます。
隔離室に入る少し前から、みぞおちが締めつけられるような、いても立ってもいられない苦痛な感覚が発生しておりました。今振り返ると、体感幻覚の一種だったかと思います。
隔離室では、ほぼ継続的にその感覚があり、幻聴によると、この苦痛は永遠に続くものであるということでした。この苦痛な感覚は実際には3か月間続き、退院後は軽快していきました。当時はその苦痛を感じている1時間が1日以上の長さに感じられ、1日が終わるとやっと眠りにつける、眠っている間だけはこの苦痛から解放されると感じ、安堵していました。朝が始まると、また地獄の始まりだと感じていたものです。
こういったことは外からは見えないことですし、当事者からは伝えられないこともあります。当事者は医療者の想像がつかない経験をしている可能性があるということを念頭に対応することも必要になるかと思います。何か気になる当事者の言葉や行動があれば、それを症状だと済ますのではなく、一度立ちどまって考えることが必要だということです。
次のスライドをお願いします。
隔離室にいる際、私から看護師に拘束してくださいと頼んだことがありました。実は、そのように言えと幻聴に命令されて、従ったがゆえの発言でしたが、その看護師は「拘束してくださいというのは本当に古川さんの意思ですか?」と確認してくれました。私自身、幻聴が怖い、助けてほしいという思いがあり、その思いを酌み取ってくれたのかもしれません。結果、その看護師を強く信頼できるようになったという経緯があります。
幻聴による恐怖を含めた心の傷への寄り添い方がもっと教育体系化されれば、この例のように信頼できる医療者の数が大幅に増えると私は考えております。
ここで、ピアサポートにおいてトラウマインフォームドピアサポートというものがあります。これはトラウマインフォームドケアを取り入れたピアサポートとなっており、支援において非常に有効なのではないかと考えています。私自身、支援の中でそのようなことを実践することで、利用者との信頼関係が非常に高まった例が幾つもあります。これは、トラウマインフォームドケアそのものが、トラウマが強いかどうかにかかわらず、普遍的に有効だからなのではないかと考えています。
以前の検討会の資料を拝見させていただいたところ、隔離・拘束減少に向けてトラウマインフォームドケアの教育や取組も実際に行っているということで、当事者にとっての心のよりどころが増えていくのではないかと感じています。
ただ、1つだけを当事者視点で申し上げておきたいことがあり、トラウマインフォームドケアは単なる知識、技術と捉えるのではなく、心のこもった人としての経験を生かしたケアとして行うことが重要だと考えています。
ここからは、お手元に資料はないとは思うのですけれども、個人情報を含む資料のため、ここからは公開していない、投影のみの資料で説明させていただきたいと思います。
こちらのスライドに映してあるのが個人情報を含む内容の資料になっております。
寄り添うためには、時には勇気を出してリスクのある行動を取る必要もあります。看護師に関わってもらった経験から、その実例を1つ紹介させていただきます。
隔離中にとある看護師に頼み、売店からお菓子を買ってきてもらったことがありました。その看護師は、私から見えないように背中でお菓子を片手に隠して「右手と左手どっちに持っているでしょう?」と問いかけてくれました。その際、被害妄想も強かった私は、ばかにされているのではないかと猜疑心も抱きましたが、それと同時に、私と遊んでくれているのではないかと心の距離が近づく感覚を覚えました。
このように、関係性のリスクを伴う行動は、それを受け取る側の感情の比率としては、猜疑心対信頼感が10対0になるということはほぼあり得ません。猜疑心だけではなく、相手を信頼したいという気持ちも芽生えるはずです。その上で、関係性のリスクを伴う行動は、温かさを持って行うことで当事者に響いて好影響を与える可能性が高まると考えられます。
次のスライドをお願いします。
外の世界とつながる喜びについて説明させていただきます。
隔離中に面会に来てくれた母親から、移動売店で使うことを目的として100円玉を数枚こっそりともらったことがありました。その後、「100円玉を飲み込め」という幻聴からの命令があり、5枚ほど水で飲み込みました。検査のためにレントゲン室に移動する際、少しだけ隔離室の外に出ることができました。その際に感じたことは、少しでも隔離室の外に出られたことがうれしかったということです。自分自身、外の世界に出ることを心から望んでいたことに気がつきました。隔離室とレントゲン室を往復する。たったそれだけのことに感じられるかもしれませんが、隔離中の当事者にとっては非常に大きな出来事となるものです。
次のスライドをお願いします。
医療者と当事者のコミュニケーションの循環について、リカバリーの視点から経験を説明させていただきます。
医療者からの一緒に考えよう・活動しようという働きかけにより、当事者がそれに呼応して一緒に何かしたいという思いを抱きやすくなります。その結果、医療者も働きかけてよかったという当事者へのプラスイメージを持つことができます。当事者側も働きかけてもらってうれしいという医療者へのプラスイメージを持つことができます。この一連のプロセスがうまくいくと、一緒に考える、活動するという好循環が生まれていきます。
医療者の勇気ある一歩により、お互いが希望を持つことができます。隔離・拘束時もこのように働きかけてくれた医療者がいました。隔離・拘束中でもリカバリー志向の関わりが有効であり、それが結果的に隔離・拘束を減らすことにつながるのではないかと考えています。
次のスライドをお願いします。
当事者として考える最も大切なことについて説明させていただきます。この図式はシンプルですが、支援の本質はシンプルであるがゆえに、このような図式になるのではないかと考えています。温かい雰囲気で希望を持ってもらえるように関わることが、当事者にとっての一番の心の安定につながっていくと考えています。温かい雰囲気で希望を持って関わることが、当事者にとっての一番の心の安定につながっていき、医療者・支援者の温かさ、希望の感覚を当事者自身も取り入れ、その後、心の安定につながっていくものと感じております。心の安定により、隔離・拘束をしなくてもよい状況が生まれることにもなります。
ここまでのスライドで心の傷への寄り添い方、トラウマインフォームドケア、リカバリー志向についても説明させていただきましたが、それらはこの図式を実現するものためのものと考えることができます。以上のことが当事者が考える最も大切な関わりとなります。
私からの発表は以上となります。御清聴ありがとうございました。
○田辺座長 古川様、ありがとうございました。
ただいまのヒアリングに関しまして、御質問等がございましたらよろしくお願いいたします。どなたからでも結構でございます。
長谷川様、よろしくお願いいたします。
○長谷川構成員 非常に貴重なプレゼンをありがとうございます。とてもつらい体験、大変な体験を基に、私たち医療者にも関わりのヒントになるような説明をしていただいて、本当に参考になりました。
これは当然の質問だと思うのですけれども、できれば隔離・拘束はできるだけ少ないほうがやはり傷つきやすくないとお考えになりますか。当事者としての思いを教えていただければと思います。
○古川参考人 御質問ありがとうございます。
隔離・拘束については、私、当時は病状が結構強かったもので、隔離・拘束されているという実感があまりなく、そのまま何とか、隔離・拘束されている状態を受け入れるわけではないのですけれども、そのように過ごしておりました。ただ、後から振り返ってみると、やはりあれはつらい体験だったなとか、あるいはしなければしなかったほうがよかった体験だったなとかという思いは確実にあるので、そこのところは正直に言ってあまりいい体験ではなかったなと自分では感じている次第でございます。
以上です。
○長谷川構成員 ありがとうございます。
○田辺座長 それでは、小嶋構成員、よろしくお願いいたします。
○小嶋構成員 大変有意義なと申しますか、心を尽くしたお言葉をいただいて、本当に感動しております。ありがとうございました。
その上で、今の質問とほぼ重なるのですけれども、現状こういった形で働いて、当時のことを考えて、隔離・拘束というものがやむを得ないものだったのか、やはりこれは絶対に避けるべきだったのか、この点についてはどうお考えなのかというのが1つ目です。
あと、看護師さんとのやり取り、コミュニケーションといういろいろ具体的な話を頂戴いたしまして、ありがとうございます。その上で、医師との間のコミュニケーションというのがどうだったのかということが非常に気になるのですけれども、医師との関係についてもお話しいただけたらと思います。よろしくお願いいたします。
○古川参考人 ありがとうございます。
まず、隔離・拘束が絶対に必要なものだったかという御質問についてですが、当時、私は飲食をせずに、それが原因でまず隔離室で拘束を受け、点滴を受けたということではあったのですけれども、ただ、そのときになぜ飲食をしなかったのかといえば、幻聴の命令があったからということになります。その際に、本当にいろいろな方たちが、医療従事者の方だったりとかが話を親身に聞いてくれたのであれば、もしかしたら素直に飲食をまた開始したということも考えられなくはないなと今振り返れば思っております。
そして、隔離室での壮絶な経験というか、今日もスライドでちょっと御紹介したかとは思うのですけれども、あの経験があるからこそ、やはり隔離・拘束は本当にどういった悪影響のものなのかというのは計り知れない部分があるなと私自身当事者として感じております。なので、できればやはり隔離・拘束はなければないほうがいいのではないかと私は考えております。
そして、医師との関係ということについてなのですけれども、まず、看護師との関係についてはスライドで説明したとおりではあるのですが、医師との関係としては、私の医師は夢を追っていいんだよとか、希望を持っていいんだよとか、そういうことを言ってくれる主治医の方でして、その言葉が本当に救いになって、退院に向けて頑張っていこうとか、そういった思いを持つことができました。やはり希望を持ってもらえるような関わりだとか、温かさを持った関わりだとかというのは、本当にどれだけ急性期だったり重い症状の方に対しても効果的なのではないかと私は考えております。
以上です。
○田辺座長 ありがとうございました。
では、よろしくお願いします。
○吉川構成員 日本精神科看護協会の吉川です。
古川さん、どうもありがとうございました。
古川さんが今日いろいろお話しくださった中にも看護職のことがかなり出てきたと思います。古川さんが話してくださった体験のことをこちらとしても非常に重く受け止めています。古川さんや行動制限を体験した皆さんの本当に率直な思いと経験を、我々としてもできるだけ多くの看護者に届けていきたいと思います。
特に行動制限というところだけを切り取って考えるのではなくて、そういった状態のときに患者さんにどのように関わることが必要なのか、患者さんのどこに着目することが必要なのかというのが、古川さんのお話を伺って、改めて私もそこが重要だなと考えました。
特に時には勇気を出して取り組んでほしいという言葉は、本当に私にとってもすごく勇気をいただいたなと思います。とかく医療機関は、医療安全とか、事故を起こさないようにとか、患者さんがけがをしないようにというところを常に優先してしまうところがあるのですが、そうではなくて、行動制限が必要と判断されるような状態になっていく、もしくはなっているときこそ、患者さんの状態や気持ちを十分理解しながら寄り添って、患者さんに希望が持てるような関わりをこれからしっかりと考えていきたいと思います。
そのように、我々も今、行動制限最小化に向けて、できるだけ患者さんへのケアといいますか、そういった関わりによって、できるだけ行動制限を要する状態にならないようにしたり、結果的に行動制限が回避できるような取組を行っていきたいと思っています。最後のほうに言われた患者さんと一緒に我々看護職が考えることが好循環を生んでいくのだということ、そこも改めて私も大切だなと思いましたので、ぜひそういったところもこれから一緒に考えさせていただければと思いました。
感想のようになりますけれども、以上です。ありがとうございました。
○古川参考人 ありがとうございました。
○田辺座長 それでは、まだまだお尋ねしたいことは多々あろうかと思いますけれども、時間の管理をする側からすると、ここで打ち切らせていただきたいと存じます。
古川様、本当にありがとうございました。
古川参考人におかれましては、御退席いただいて結構でございますので、よろしくお願いいたします。
続きまして、丸山参考人と内布参考人、発表をよろしくお願いいたします。
○丸山参考人 初めまして。私、一般社団法人日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構、丸山絵理子と申します。
本日は大変貴重な検討会に参加させていただき、ありがとうございます。
本題に入る前に、簡単ではございますが、精神疾患を患った者としてではなく、一人の人として見てほしく、簡単な略歴を紹介いたします。このような検討会にて出席する機会に慣れておらず、言葉遣いなど不適切なこともあるかと思いますが、どうか御容赦くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
現在45歳、福祉従事者として勤務し13年目、高校を卒業し、一般企業へ就職をし実家を出て、一人暮らしをし始めました。24歳のときに御縁があり結婚し、第一子を出産。翌年も子宝に恵まれ、第二子出産。どこにでもあるような、忙しくも幸せな時間を過ごしていたと思います。
人の子の親となり、子育ての日々に追われ、充実している毎日の中、こんなにもいとおしい我が子と感じる自分がいることに、私自身が子どもだった頃を重ね合わせてみると、両親と私の関係性に戸惑いや何とも言葉には表せない違和感、感覚がございました。
ある日、食事が取れなくなり、何とか口にできるものをと試みましたが、嘔吐。体重減少が止まらず、体温調節もできない、眠れない。考えることも何かの判断をすることもぼんやりしてしまうようになり、自分に何が起きているのかも分からず、体力も落ちていき、子育てもぎりぎりの状態。体の衰弱が止まらなくなり、このままでは死んでしまう。身体的にも精神的にも体力も限界、状態が悪い中、助けてほしいとの思いから初診の予約をしました。初めて医療につながりました。
次のスライドをお願いします。
本日の議題である入院、医療の中での行動制限ということで、私の場合はということでお話をさせていただけたらと思います。
初診の日、体力や精神状態がぎりぎりの中で病院受診をいたしました。大きな病院でしたので、事前に予約をし、当日総合受付を終え、診察まで待っていましたが、呼ばれる気配がなく、担当の看護師に伺うと、予約が入っていない、診察できないかもしれない、確認しますのでお待ちくださいとの説明。1時間ほど待っても何も説明もなく、再度声をかけ、もし診察できないのなら別の病院へ行きたいのでキャンセルしたいことを伝えましたが、今確認中です、お待ちくださいとの同じ説明。不安と焦りがだんだんと募り、時間だけが過ぎ、また1時間ほどたった頃、これ以上待てないと思い、声をかけました。診察できないならそれで構わないこと、自分の状態が悪いので、診察してもらえるほかの病院を探すので帰ることを伝えたところ、診察できるかどうか調整をしている、お待ちくださいとまた同じような説明を受け、どうして私の話していることが伝わらないのだろう、理解してもらえないだろうと不穏になっていきました。担当の方とのやり取りが続き、一生懸命やっています、お待ちくださいと担当の方の語気が強くなっていったことで、私はさらに不穏になり、奥から白衣をまとった医師がやってきました。そのときの私の精神状態はかなり悪化していたと思います。
精神病院や精神医療のことは全く詳しくなかったのですが、私が受診した病院は地域の中にある国立の有名な病院で、その当時、日本の中でも閉鎖病床数が多い病院でした。
別室へ行き、状態の悪い私に対して最初に主治医がしてくださったことは、長い時間をかけてじっくりと私の話に耳を傾け、傾聴し、受容してくれたことでした。そして、自分の気持ちや思いを受け取り、酌み取ってもらえることで、徐々に落ち着きを取り戻していき、対話ができるようになりました。そのとき、私が思い感じたことは、信頼できる、ここで治療しようと思いました。もしもこのとき自分の意思とは真逆の行動制限をされていたとしたら、助けを求めて行った病院に対して不信感を抱き、二度と病院へは行かず、今この場に私はいなかったと思います。
次のスライドをお願いします。
初診時の対応、通院中、緊急搬送のとき、入院したときなど、希死念慮が強いときや状態の悪い大きな波が何度もありましたが、主治医をはじめ、外来や病棟の専門職の方々が私の状態が悪いときにこそ、その都度時間をかけて丁寧に傾聴や受容をしてくださり、私の状態を見極めながら対話をし、ほどよい距離感で私が望む限りそっと寄り添ってくださいました。
今振り返ってみると、病院にて様々な治療をしており、私にとって一番の有効な治療方法は、不穏が顕著なときにこそ、診察にて長い時間をかけて丁寧に傾聴、受容してもらい、自分の気持ちや思いを酌み取ってもらえ、そこから主治医とじっくりとお互いに対話できたことだと思っております。
医療に対して望むことは、病気となった人が今どんな気持ちでいるのか、ありのままを素直に受け入れるところから始まっていること、そして、そのことが患者本人に伝わるところから始まっているかどうかを分かる医療従事者であってほしいと思います。
御清聴ありがとうございました。
○内布参考人 続きまして、日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構副代表理事の内布智之と申します。よろしくお願いします。
では、簡単に私も自己紹介をさせていただきたいと思います。
20代中期、25歳です。メンタルヘルスの不調が始まっております。20代後半に入ると、幻聴、妄想に苦しみ、精神科医療につながり、同じ境遇の仲間たちとデイケア等で出会うことになりました。30代初期には福祉のピアサポーターにパートタイムで雇用されております。40代初期に日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構を仲間たちと設立し、現在は一般企業に勤務しつつ、障害者ピアサポート研修の普及に携わらせていただいております。
本日お話しする内容です。精神科病院、閉鎖病棟、保護室の体験というのを少しお話しさせていただいた後に、行動制限についての思いとこれからの行動制限についてと、最後にということで終わらせていただきます。
1枚めくっていただきまして、今、所属しております日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構の紹介をホームページよりさせていただいておりますので、また御覧になっていただきたいと思います。主にピアサポート、ピアサポーターが全国に広がるように日々活動させていただいております。
次のスライドをお願いします。
精神科病院、閉鎖病棟、保護室の体験、突然に自由を奪われた体験からということなのです。簡単にイラストだけの資料になっておりますが、行動制限は本当に医療行為でしょうかというところでお話しさせていただきます。
私は、保護室を経験しております。ちょうど今のような寒い冬の時期に、朝目覚めると幻聴、妄想がひどくて、どうにか楽になりたいという気持ちを持って精神科病院のロビーに重い足を引きずる様に行きました。そのとき、とても酷く辛い幻聴と妄想の中で、処置室で2時間ほど過ごしました。さらに悪化し、パニック状態になり、待合のロビーでへたりこんだところをその当時の主治医がどうしたのと尋ねてくれたのです。「自分では難しい」、「自分で自分を保てませんと言ったら、男性看護師の二人が奥から来て、私の両腕を抱えて閉鎖病棟の一番奥にある保護室に連れて行かれました。
保護室に入った私の後ろでドアに鍵がかけられ、結構古い病院だったため、いわゆる牢屋というか、監獄の様で表現はちょっと難しいのですけれども、快適に過ごせるような環境ではなかったです。もちろんトイレも自分で流せませんし、マットレスが1つあるだけという部屋でした。
そうしているうちに男性看護師が2人入ってきて、私に注射をするからうつ伏せになってと言われて、うつ伏せになったら、両腕を押さえられてズボンを少し下ろして注射を打たれました。その後から状態が少し安定してきました。それから夕食の病院食を食べて、また男性看護師が2人で保護室に来て、私が薬を飲み込んだのを確認し、部屋から出ていったということがありました。
本当に保護室でそういったことがあったのです。深夜には私の精神状態が安定してきたので、閉鎖病棟の4人部屋か5人部屋に移って朝を迎えたという経験があります。
スライドを1枚めくっていただけますか。
そういった経験の中でも、保護室にも温かな一筋の光があったと思うというところなのですが、保護室で幻聴と妄想で辛く苦しかったときに、私がどうしても喉が渇いているので看護師さんにお水をもらえませんかと伝えると、すぐにペットボトルに入れた水を持ってきてもらえて、それですごく安心感がありました。そのときに、私は突然保護室に入れられて、鍵を閉められて、注射を打たれてということで、不安感が強かったことを鮮明に覚えています。状態は安定していくのですけれども、今度は強い不信感が出てきました。そういったときに、看護師さんがすぐに私の希望をかなえてくれたということは、すごく一筋の光として希望を持っていいのだなと感じました。
1枚おめくりください。
行動制限についての思いなのですけれども、先ほどの方もお話しされていたように、自由を奪われるということで、すごく無力感を感じたことを今でも覚えております。強制的な治療では、患者は無力感の中で心の傷をより深めることがあります。行動制限によって心の傷をより一層傷つけられることで、精神科医療では回復できないダメージを深く心に刻み込んでしまいます。
心身ともに疲れた患者が力で抑え込まれる。不穏と多動は食べられず眠れずの中で、孤独と恐怖の中、力を振り絞り、助けを求めていることではないでしょうか。患者からのメッセージだと思います。根本的には力と力で衝突するのではなく、心と心の対話で共鳴し合うことが患者と治療者との関係を築いていく原点ではないかなと思っております。行動制限の「時間がない」「人手がない」「スキルがない」を解決するのは、治療現場の問題ではなく、我が国全体の問題、課題だと思っております。
1枚おめくりください。
これからの行動制限について、まず実際の強制的治療の現場で起こっているのは人権侵害だと認識していただきたいと思います。本当に人命優先で行動制限をしているのか。保護室を懲罰房として使わないような仕組みも必要ではないかなと思います。
拘束も隔離もゼロ、医療者からの心理的・身体的圧力もゼロ、拘束と隔離は医療環境が整っていないこともあると思います。「患者が暴れるから」は逃げ言葉ではないでしょうか。医療者が治療環境への諦めを持っていたなら、患者は何に希望を持てばいいのでしょうか。精神科の治療は、絶望になった状況の患者でもその患者が再度希望を持てることではないでしょうか。
「良質で適切な精神科医療を提供するための基本法」を作って頂きたい。これは私の思いつきですけれども、検討をお願いしたいと思います。
1つおめくりいただいて、最後に、私が今回のヒアリングで皆様にお伝えしたかったことは、精神科の医師が患者に行動制限をする医療行為を後世に残したくないと思ったからです。我が国の次世代を生きる子どもたちも、精神疾患を持ったときに絶望することもあるでしょう。しかし、その子どもたちが希望につながる治療を受けて、回復へつながるきっかけが得られれば、再び希望が湧き、再度自分らしい人生を送ることができたと思い、この国に生まれてよかったと思うはずです。私は過剰な薬物と一方的で強制した行動制限をなくしていただきたいと思います。
以上です。
○田辺座長 丸山様、内布様、ありがとうございました。
それでは、ただいまの報告に関しまして御質問等がございましたら、よろしくお願いしたいと存じます。
では、どうぞ。
○柑本構成員 どうもありがとうございます。東海大学の柑本です。
今日はお話しくださいまして本当にありがとうございました。
内布さんに質問させていただきたいのですけれども、スライドの最後から2枚目で保護室を懲罰房に使わない仕組みが必要というような御提案をなさってくださいました。御自身の経験の中でどういったときにそういうふうなことを感じられたのか、もし差し支えなければ教えていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
○内布参考人 御質問ありがとうございます。
よく雑談レベルでもあると思うのですけれども、あなた、そんなことをしていると保護室に入れるよみたいなことを軽く言う医療者もいると思います。というか、いますね。そういったことを言われるだけで患者は心に傷を受けますし、自分の行動についてそういったところにつながるという恐怖心を与えられるので、患者にとってはすごくマイナスの要因が大きいと思いますし、実際に使っていないかと言えば、そこは私のこれまでの経験からいくと、ないと言い切れる自信は私にはありません。
以上です。
○田辺座長 ほかはいかがでございましょう。よろしゅうございますか。
それでは、御発表ありがとうございました。丸山参考人、内布参考人におかれましては、御退席いただいて結構でございます。ありがとうございました。
続きまして、山田参考人、報告の準備をお願いいたします。
○山田参考人 本日は発言の機会をいただき、ありがとうございます。
全国「精神病」者集団運営委員を務めております、山田悠平と申します。ほかに一般社団法人精神障害当事者会ポルケの代表理事や日本障害フォーラムの政策委員などを務めております。
今日、私は統合失調症のある当事者としての経験や、活動を通じた仲間の思い、そして、取組の知見といったものに基づいてお話をさせていただければと思います。
今日、お手元に資料4の「障害を理由とした隔離・身体拘束のゼロ化に向けた意見書」というものをお配りいただいているかと思います。こちらに基づいて発言をさせていただきたいと思います。
私たちは、基本的な政策の方向性として、障害者権利条約や当条約の初回政府審査に係る総括所見に基づき、精神医療と一般医療の政策構造上の分断を解消し、同一の枠組みに位置づけ直すこと、そして、精神障害であることを特出しして行われている非自発的入院制度や行動制限制度を廃止すること、これら根拠法である精神保健福祉法を撤廃することを求めております。
障害者権利条約第14条では、障害を理由とした人身の自由剥奪と、法律によらない人身の自由剥奪を禁止するよう締約国政府に求めています。なお、この場合の障害を理由とした人身の自由剥奪には、障害者権利委員会が発行している第14条に関するガイドラインによると、障害と追加の要件によるものを含むこととされています。そのため、精神保健福祉法に基づく非自発的入院や行動制限は、同条約の趣旨に照らして反するものと指摘されております。
障害者権利条約第25章には、障害者に対して他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準の保健を提供することとされており、精神医療と一般医療を政策構造上分断されてきた精神保健福祉法体制の解体と一般医療への編入が不可欠になります。
2022年9月、初回日本政府審査に係る総括所見が公開されました。私たちは日本障害フォーラムの一員として、市民団体としてパラレルレポートを国連障害者権利委員会に提出する取組などもしてきました。また、実際に2019年、2022年には、障害者権利委員の方々にロビー活動をして、私たち抜きに私たちのことを決めないでくれという同条約のスローガンに基づいた切実たる思いもお伝えしてきました。そういったレポートやロビー活動を通じて引き取っていただいた思いを基にして、国連の障害者権利委員会は総括所見を示してくれました。
同総括所見におけるパラグラフ33・34においては、精神科病院における障害者の隔離、身体的及び化学的拘束、強制投薬、強制認知療法及び電気けいれん療法を含む強制的な治療についての懸念が示されており、精神障害者に関して、あらゆる介入を人権規範及び本条約に基づく締約国の義務に基づくものにすることが勧告されています。
また、パラグラフ53・54においては、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律に規定される精神科医療の一般医療からの分離について懸念が示されており、精神医療を一般医療と区別する制度を廃止するための必要な法的及び政策的対策を採用するようにと勧告されております。
総括所見は締約国政府として尊重することとされております。第210回臨時国会で可決された障害者総合支援等の一部を改正する法律に対する附帯決議には、国連障害者権利委員会の対日審査の総括所見における精神保健福祉法及び心神喪失者等医療観察法の規定に基づく精神障害者の非自発的入院の廃止等の勧告を踏まえ、精神科医療と他科の医療との政策体系の関係を整理し、精神医療に関する法制度の見直しについて、精神疾患の特性も踏まえながら、精神障害者等の意見を聴きつつ検討を行い、必要な措置を講ずることと、記されております。附帯決議は立法府の意思であり、政治的拘束力を持つと考えられております。このことから、政府としては総括所見に基づいた形で今後の在り方を検討しなければなりません。
なお、この場合の「精神障害者等の意見」については、国連障害者権利委員会が示している一般的意見第7号パラグラフ11に基づき、障害者権利条約を完全履行する責務を負う障害者を代表する団体の参画が前提とされなければならないでしょう。
以下、基本的な政策の方向性についてまとめると、精神障害を持つ者も他の者と同一の水準の医療を受ける権利があるため、精神障害者と他の者とを分ける政策構造の柱となる精神保健福祉法に紐づけられた仕組みは解体されなければならないということを重ねて強調したいと思います。
加えて、精神保健福祉法に紐づけられた仕組みの解体を実現するまでの当面の方策としては、特に身体的拘束については、「拘束されないための仕組み」、「拘束された後の仕組み」、「告示改正」、「行政の責務に係る取組」が不可欠と考えられます。
ここからは具体的に当面の方策について述べたいと思います。
1つ目は行動制限されないための仕組みについてです。身体的拘束の縮減には、現場において身体的拘束をしないという決意が重要な意味を持つと指摘されております。そのためには、病院文化を変更し、身体的拘束をしないという組織風土をつくり上げる必要があります。
身体的拘束をしないという組織風土をつくり上げるに当たっては、医師や看護部長、看護師長のリーダーシップが不可欠となります。リーダーシップを発揮できるような人材育成の仕組みや標準化された研修コンテンツの開発、これらも必要になるかと思います。
身体的拘束をしないという組織風土をつくり上げるに当たっては、医療従事者のみならず、ピアサポーターや障害者団体との共同創造を通じた意識改革に関わる取組も今後集積し、その普及の在り方も具体的に示していく必要があると考えております。
2つ目は行動制限された後の仕組みづくりについてです。身体的拘束が行われた後には、その状況を徹底的に検証し、法的救済を推進する必要があります。特に精神障害者である私たちにとっては経済面での援助が不可欠であり、総合法律支援法に基づく民事法律扶助制度等の見直しを行うことも必要かと考えております。
また、法的救済の推進に当たって論点になりがちな事後検証、可視化についてですが、これについても見解を述べたいと思います。これまで透明性の確保に向けて、診療録への記載義務や行動制限最小化委員会の設置に関わる取組が行われてきました。法律家等からは、法律家が第三者として関与する仕組みをつくることや、映像記録を残すことなどが提案されてきたと承知しています。しかし、これらは身体的拘束が医療や手続として成立をしているかといったことを医療者や法律家が判断するためのものと考えております。精神障害者自身によってこれが自己防衛を行使する手段とまではなり得ていないと私たちは考えております。したがって、精神障害者自身が身体的拘束の実施状況を事後検証できる仕組み、こういったものも今後検討していかなければならないと考えております。
3つ目はルールをつくるということです。人材育成や組織風土改革には、当然ながら時間を要します。精神科病院の中には、身体的拘束者ゼロ化に向けて意識を持って変えていく人々と、残念ながらそうではない人々がいると私たちは考えています。そうではない人たちの意識が変わるまでの間、病院で縛られ続けるのは、私たち精神障害者です。意識変化を待つことなく、現場を変えていく手段として考えられることは、よりはっきりとしたルールをつくって、これを守っていただくということかと思います。すなわち、身体的拘束に係る告示改正が必要となります。
一方で、告示は精神保健福祉法にも紐づけられたものであり、その位置づけ的に限界が認められます。この領域においても一般医療と精神医療を区別しない仕組みが必要とされるのであり、具体的にどの法律にどのように位置づけられるべきかについても、具体的な検討を図る必要があるかと考えています。
身体的拘束は要件を満たさなければできないとされております。本来であれば、開始時と解除時に分けて考えるべきではないということは言うまでもありません。しかしながら、現場の声をお聴きすると、開始時に限ると要件を満たすことに関心が向けられる傾向にあるものの、1つでも要件を欠いたら速やかに解除しなければならないという意識がさほど強くないように感じられます。よって、現場の認識を変えていくためにも、1つでも要件を欠いたら速やかに解除しなければならないなどの解除に関わる明示的な規定も必要と考えております。
本来、一時性要件とは、例えば48時間以内といった形で時間を明記すべきものです。しかし、厚生労働大臣が何時間までを一時性とするといった形で明示してしまうことは、この時間であれば拘束をしてよいかのように国家によるお墨つきを与えてしまうことになりかねません。しかし、一方で恣意的に漫然と拘束されている事例でも実際にあり、一定の時間的な歯止めは必要ではないかとも考えております。そこで、例えば各医療機関が「当院における一時性は2時間程度です」といった形で一時性に関する考え方を示すのはどうだろうかと考えています。
全国「精神病者」集団は、2017年の総会で決議した行動計画に従って、身体的拘束に関わる「不穏又は多動が顕著」の要件削除を求めて、この間活動に取り組んできました。2021年12月の第3回地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討会のヒアリングでは、関連団体と事前の協議を重ねた上で告示改正の必要性を私も述べさせていただきました。
この段階で告示改正を主張していたのは全国「精神病」者集団だけでした。しかし、徐々に関心が高まっていき、当該検討会報告書の論点として掲載されるに至りました。当該報告書において確認された課題においては、令和4年度障害者総合福祉支援事業「精神科医療における行動制限最小化に関する調査研究」の中で研究が進められ、処遇基準告示の記載イメージに係るエキスパートコンセンサスがまとめられました。これら調査研究の成果は、第136回社会保障審議会障害者部会で報告されております。
第210回臨時国会では、告示改正を進めるに当たって、隔離・身体的拘束に関する切迫性、非代替性、一時性の要件を明確にすること、関係団体との意見交換の場を設けること、対象が実質的にも限定されるようなことなどの論点で附帯決議が可決成立いたしました。
告示改正を求める声が高まってきました。平成23年8月、全国「精神病」者集団の呼びかけによって、59の障害者団体や福祉施設、学術学会等が賛同の意思を示してくれています。告示改正はおおむね可能な段階に来ていると私たちは考えております。
厚生労働省が当面の方策、マイナーチェンジにいささか時間を使い過ぎていることは極めて遺憾です。既に総括所見に基づけば、一般医療と精神医療を区別しない仕組みの検討に着手しなければいけない段階にも来ています。そのため、告示改正の検討結果を待つことなく、並行して一般医療と精神医療を区別しない仕組みの検討もぜひ今後始めていただきたいと考えております。
4つ目は、国及び地方公共団体の責任についてです。国は、第8次医療計画中間評価における指標例に基づき、各都道府県における隔離・身体的拘束の縮減に係る取組の状況を把握する必要があります。また、地方公共団体においては、精神医療における身体拘束の廃止に向けた医療計画の指標を設定し、実施状況を定期的に評価する責任があります。また、評価に当たっては、障害当事者の参画が不可欠であり、参画をした障害当事者の役割などがまとめられ、今後ますます推進していく必要があると考えております。
身体的拘束の縮減に向けた取組の実施状況と成果に応じて、入院基本料及び特定入院料から今後減算する仕組みも必要ではないかと考えております。精神科医療領域においては、一般医療に先駆けて仕組みの整備が行われてきたとはいえ、一般科に新設された仕組みが精神科にない状態は違和感を禁じ得ません。精神科と一般科の分断を解消しながら整理をしていく必要があると考えております。
最後に、当事者の声を聴くということがどのようなことなのかについて述べたいと思います。そもそも精神科病院における身体的拘束の在り方について、障害当事者が述べるということは、どこか自分たちの縛り方について意見を述べなければいけないという側面があり、大変な葛藤を抱えます。そういったものは避けられないと思いながら、今日私はお話をさせていただいております。この思いからすれば、障害当事者は縛られたくないため、ゼロ化を主張するほかありません。最終的なコンセンサスの場面も苦しい判断をこれまで強いられてきたということがあります。ですので、障害当事者の声を聴くということはどのようなことなのかについて、いま一度構成員の皆様には御理解を深めていただきますよう切にお願い申し上げます。
私からは以上です。
○田辺座長 山田様、ありがとうございました。
それでは、ただいまの報告に関しまして、御質問等がございましたらよろしくお願いいたします。いかがでございましょうか。
では、森構成員、よろしくお願いします。
○森構成員 どうも非常にまとまった御意見をありがとうございました。
少し質問させてください。告示の130号告示だと思いますが、告示の改正で具体的に病者集団の方たちは、どこをどういうふうに改正すればいい、この文章を読むと、「不穏又は多動が顕著」の要件を削除すると言われていますが、それが主になっている改正を求めておられると解釈すればいいですか。
○山田参考人 森先生、御質問ありがとうございます。
今日お話しさせていただいた具体的な明示のルールということは極めて重要かと考えております。今日、お話の中で一時性や切迫性、非代替性、そういったものの要件をやはり明確にするということが、より告示改正の中身としては必要なことかと考えております。
また、そういった要求を明確にすることと同時に、そういった要件を1つでも欠いた場合は、身体的拘束の正当性がないということも明記していく必要があると考えております。
○田辺座長 ほかはいかがでございましょう。よろしゅうございますでしょうか。
では、柑本構成員、どうぞ。
○柑本構成員 非常に貴重な御意見をどうもありがとうございました。東海大学の柑本です。
1点質問させていただきたいのですが、3ページの事後検証のところです。精神障害者御自身が身体的拘束の実施状況を事後検証できる仕組みを検討すべきとあるのですけれども、もし山田さんの中に何か具体的なイメージみたいなものがあったらぜひ教えていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
○山田参考人 柑本先生、御質問ありがとうございます。
今日、私のほかにも何人かの当事者の参考人の方々がお話をされておりました。具体的な拘束の経験の中で、そのとき当事者として経験した思い、こういったものは事後検証の中でまだまだ評価の対象として拾い上げられていないのではないかと私たちは考えております。臨床記録や事務的なレベルでの正当性を確認するということも当然ですけれども、そういった経験した立場から、具体的な行為について、それがどこまで必要であったのかということについて、私たちの経験した中での思いに引き寄せて、それを再度確認、検証することが極めて重要かと思います。
そういった検証のプロセスを経ることで、身体的拘束の正当性自体を検証することもとても重要なことかと思いますし、同時にそういった経験自体を自分の中で反芻することや、また、そういった中で医療に関しての不信、そういったものを払拭する契機としてもとても重要かと思います。
私たちとすると、そういったものがない中で悶々とした気持ちでやり過ごさなければいけないということがとてもつらいことなのです。そういった中で、今後の在り方についても、ぜひ検討の在り方も含めて御審議いただけるとありがたく思います。
以上であります。
○柑本構成員 ありがとうございます。
今おっしゃったことなのですけれども、経験した当事者の立場からどこまで必要だったかを例えば病院のスタッフなどと事後的にディスカッションしながら、必要性があったのかどうかということを納得していくプロセスみたいなものが必要というようなことも入るのでしょうか。
○山田参考人 結果的に納得するということはあるかと思うのですけれども、納得するための説明であってはならないと思います。ここが極めて重要かと思うのですけれども、やはり私たちとすると、不本意な形でそれが行われている中での検証になりますので、身体的拘束がなぜ行われたのかということについての事実ベースの確認と、一方で、そういう中で私たちとするとどういった思いがあったのかといったことについて医療従事者の方にも受け止めてもらうような機会は極めて重要かと思います。
○柑本構成員 分かりました。どうもありがとうございます。
○田辺座長 ほかはいかがでございましょうか。
では、池原構成員、よろしくお願いします。
○池原構成員 ちょっとずれた論点なのですけれども、前回精神保健福祉法の法改正で精神科病院における虐待の規定が新設されましたね。ただ、障害のある人に対する虐待は別個に障害者虐待防止法があって、先ほどの精神保健福祉法みたいな特殊な枠組みはなるべく解消していくべきだという観点からすると、むしろ障害者虐待防止法のほうに規定を置くほうがよりジェネラルな形になるのではないかとも思うのですけれども、その辺についての御見解とか、あるいは、結局、精神保健福祉法が規定している非自発的な介入というものを精神保健福祉法の中で改善していくという方向になるのか、むしろ一般医療とかジェネラルな方向で進めていくという方向で考えていらっしゃるかを教えていただきたいです。
○山田参考人 池原先生、御質問ありがとうございます。
私たちとすると、従前から障害者虐待防止法の改正ということに基づいた運動を展開しております。医療機関や教育機関、官公署等における虐待通報の義務化はとても必要なことかと今でも考えております。そういった形で、実際に地方公共団体からも法改正を求める意見書というものが数多く出されていることも承知しておりますし、法律家の団体さんを含めて、そういった切実な声はこれまで社会に出ていたところかと思います。
一方で、同法に係る改正については多分な手続的な負担があるということで、精神保健福祉法の改正をもって、精神科病院における虐待防止の在り方が今後行われていくところかと思うのですけれども、本来的には障害者虐待防止法に基づく在り方が求められているのではないかなと考えているところです。
同じ趣旨に基づきまして、今後、身体的拘束に係る様々な仕組み、制度に関しても、必ずしも精神保健福祉法に基づいた在り方を前提としたものではなくて、最終的には包括的な形の医療体制の中で扱うということがますます必要なことかと思います。そういった土台も含めて今後検討の余地を図ることが必要かと思いますし、特に医療基本法も含めて、患者の権利法を含めたそもそもの医療体制に係る国としての基本的な考えを法律的に整備して、体系をしっかりと見定めてつくっていくといったことも極めて重要ではないかと考えております。
以上です。
○田辺座長 ほかはいかがでございましょうか。
では、神庭構成員、よろしくお願いします。
○神庭構成員 ありがとうございました。
質問ですけれども、3ページ目の3.2の最後、事後検証の可視化というところでございますけれども、したがって、精神障害者自身が身体拘束の云々を検討すべきであるとございますけれども、山田さんとして何か具体的な案はお持ちでしょうか。
○山田参考人 神庭先生、御質問ありがとうございます。
先ほどの柑本先生の御質問に近い回答になるかと思うのですけれども、事後検証の在り方については、私たちが経験した中での思いを医療機関の人々との対話も含めた形で検証を行うことが極めて重要かと考えております。
検証の在り方についても、今後一義的にこのやり方が全てということでもないかと思うので、そういった対話のプロセスの置き方だとか、対話を促進するための第三者の関わりの持ち方など、こういったことも今後併せて検討していく必要があるのではないかと考えております。
特に、実際に身体拘束を受けた当人だけではなくて、同じような経験を持つピアサポーターや障害者団体の人たちとの関わりもとても必要なことかと思います。そうする中で対話を促進して、検証の在り方をもっと質的に高めていく必要があると考えております。
○神庭構成員 ありがとうございます。
○田辺座長 ほかはいかがでございましょう。よろしゅうございますでしょうか。
それでは、山田様、本当にどうもありがとうございました。山田参考人におかれましては、御退席いただいて結構でございます。
それでは、ここであの時計で3時25分まで、ちょっと短いですけれども、休憩を入れたいと思います。25分に再開いたしますので、それまでに御着席いただければ幸いです。
(休憩)
○田辺座長 休憩時間が短くて申し訳ございませんけれども、再開したいと存じます。
続きまして、赤池参考人、報告をよろしくお願いいたします。
○赤池参考人 よろしくお願いしたいと思います。私、公益社団法人全国精神保健福祉会連合会の赤池と申します。
本日はこのような大変貴重な機会を賜りまして、本当に心から感謝申し上げます。
私からの発表は、親の立場ということから、身体拘束についての私の家族の事例と、昨年12月にある当事者からいただいたメールがございまして、そのメールの事例を発表させていただきたいと思っております。
また、お手元に当連合会が実施しました全国調査の資料が配付されていると思いますので、これも一部使わせていただきます。
また、私の発表の後に連合会の岡田構成員からスライドを4つ準備してございますので、4番目のスライドの説明をさせていただく。そんなような流れでお願いをしたいと思います。
それでは、最初の事例でございます。スライド2をよろしくお願いします。
私の家族、具体的には息子で、現在44歳になります。過去4回の入院歴があります。初回は2007年、今から17年前ということでしょうか。年が明けましたので18年ということになるかもしれませんけれども、錯乱状態で近くの交番に飛び込んで、直ちに保健所等への通報を経て、近くの総合病院の精神科に即入という形になりました。
私は地元が浜松でございますので、当時、単身赴任を東京の八王子でしておりまして、連絡を受けて直ちに飛んできまして、病院に着いたのは深夜の2時頃でした。しばらくして看護師から状況の説明を受けたわけでございます。
内容的には病名は統合失調症と思われます。正確には後から医師の説明があります。本人は保護室に隔離しましたが、パニック状態であるために、また、深夜帯なので人手が足りないから、朝まで拘束させてもらいますということでございました。それを聞いて、私自身も混乱していたということもあるものですから、しかし、説明を聞いた限りでは、すんなりそれを受け入れるということはやはり抵抗がありまして、身体拘束とはどういうことなのだろうとは思いましたけれども、しかし、本人の状態、そして、何よりも深夜帯でございましたので、朝までならばやむを得ないなと理解し、そのまま承諾したという次第でございました。この当時の当該病棟の夜勤体制は3交替2人勤務という通常の形であったと記憶しております。
翌朝、医師から説明を受けました。診断名と、それから、拘束は解除しましたという報告も受けました。ですが、実際の拘束時間というのは6時間から8時間ぐらいだったろうと推測はしております。
ここで、お手元の資料の3枚目の一部をお話しさせてもらいたいと思いますけれども、私どもの連合会が平成29年に実施いたしました精神障害者の自立した地域生活の推進と家族が安心して生活できるための効果的な家族支援のあり方に関する全国調査、以下全国調査ということにさせていただきますけれども、有効回答数は3,129名でございます。その中で、これは私が大変驚いた結果だったのですけれども。入院時に身体拘束の経験ありが649人ございました。これは有効回答数の中で言いますと20.9%になりますが、そのうち613人、99.4%になるのですけれども、回答者の主病名が鬱病という結果でございました。全国調査の中では、このことについては自殺企図と関係があるかもしれませんが、明確な要因は不明とはいえ、回答した鬱病のほとんどの人が身体拘束を経験しているという驚くべき結果でしたという報告になってございます。これはお手元のヒアリングの資料を御覧ください。
話を本論に戻します。初回の入院は4か月で終わりました。それから現在に至るまで本人は4回の入院歴もあるのでございますけれども、本人は頑なまでに入院中のことについては口を閉ざしたままなのです。聞いても一切しゃべりません。これは昨年度の時点ですけれども、17年たった今でも黙してほとんど語らないのです。なぜなのか。つらいことでも口に出して語れば、少しでも気持ちが楽になるのではないか。親としてはこんなふうな思いでこの状態をずっと見ておりました。
そんなあるとき、何かの話で本人が私にこう言ったのです。お前が入院してみろ、縛られてみろと怒鳴ったのです。そのときはっと思いました。確かに入院するのは本人でございます。身体拘束されるのも本人です。この事実は本当に重たいと思いました。本人が語らないという気持ちがこのときようやく理解できたと親としては思いました。そういう意味では、今までこの身体拘束ということ自体に対して私も少し甘かったのかなという思いもこの瞬間に初めて感じましたので、このことは私にとって非常に印象的なことでございました。
想像するに、拘束されたときは、本人は恐らくパニック状態だったのだと思います。警察から精神科病院へ、こんなことは本人は初めての経験です。恐らく理性とか社会性は吹っ飛んでしまっただろう、何か危害を加えられるのではないかという恐怖でいっぱいだったと推測します。手足の自由を奪われ、自尊心は傷つき、さぞかしつらかったことだろうと親として思います。
さらに思うことは、そのとき、職員はどうだったのでしょうか。どういう表情だったのだろうだろうかと、こんなことも思いました。言うことを聞け、懲らしめてやる。こんな様子だったのでしょうか。あるいは、無機質で機械的に作業をする。そんな表情だったのでしょうか。隔離された病院内の様子は、親には分かるはずがありません。しかし、本人はそのときの職員の表情と行為、そして、それを受けた恐怖の気持ちというのは決して忘れてはいないのです。
スライド3をお願いいたします。
身体を拘束されたとき、本人の心理はどうだったのでしょうか。その事態や状況を理性や社会性といったもので判断することは到底できなかったと思います。仮に説明があったとしても、とても受容できるはずがないのです。自尊心が傷つけられ、医療への不信感が植えつけられてしまったと思います。この不信感は医療に従事する職員に対しても同様だと思います。
職員さんにもぜひお願いしたいと思うことは、パニック状態による患者の気持ちとその対応の見直しを切に望みたいと思います。現在でも、私の家族、息子でございますが、このつらく嫌な体験を心の奥にしまい込んでおります。医療への不信感は根強い。訪問支援等は拒否という状況は依然として続いております。恐らく沈黙することによって自分の自尊心と自分の存在意義を保っていると私は理解して、日々見守っているという毎日でございます。
医療とはいえ、身体拘束というのは非常に非人間的な行為だと思います。基本的に許されるものではないと思います。私は、命の危険が予見される場合以外は、原則として身体拘束はあってはならないと考えております。
以上で私のケースは終了させていただきますけれども、もう一つ、次の事例も紹介させていただきます。これは、私は地元で家族会の代表もやっておりますので、その家族会の会員である当事者の方からいただいたメールです。原文をそのまま読んでいきます。
最初の前文がありまして、幸いなるかな、私は身体拘束を受けた経験がありません。しかし、危うく身体拘束されそうになった体験があります。措置入院になったときのことです。初日、保護室に初めて入れられたときのこと、看護師の後から入室してきた医師は、ポケットの中にある保護室の鍵をやたらにじゃらじゃらと意図的に音を立てているのです。
瞬間的に挑発行為だと察した私は、平静を装い静観していました。すると、無駄だと思ったのか。医師はきびすを返して保護室から出て行き、部屋の鍵がかけられました。あのとき、挑発に乗って鍵を奪おうと暴れていたら、確実に身体拘束されていたでしょう。身体拘束をされれば、いかなる人であっても怒りは覚えるはずです。受容する人はまずいないでしょう。心の動きや働きは単純な因果関係では説明できません。それを単純な因果関係で理解せんとする医療には退陣をお願いしたいところです。
こういった内容のメールをいただきましたので、御紹介させていただきました。
以上で私の報告は終わりますが、この後、岡田構成員から関連するスライド4についての説明がございます。御清聴ありがとうございました。
○岡田構成員 引き続き、私のほうから少しこの資料の後半部分について触れたいと思います。
4ページ以降です。先ほど少し触れられましたけれども、平成29年に当会で実施した家族の全国調査になります。その中から隔離・身体拘束に関する部分を抜粋したものと、それに加えまして、最後の部分には実際に家族会で相談を受けた事例であったり、実際の体験を記載しておりますので、詳細については後ほどぜひお目通しいただきたいと考えております。
この調査結果からは、隔離につきましては約67%が経験していて、そのうち、医師からの説明については「なかった」が21.1%、身体拘束は34.1%の人が受けていて、そのうちの29.9%、約3割が医師からの説明を受けていませんでした。このことから、隔離、身体拘束が家族に対して適切な説明がないままに行われている状況もあるということが分かりました。
このような中、隔離、身体拘束を体験した人の家族の思いを自由記述の文章などから見ますと、仕方がない、やむを得ないという語句が多く見られました。あのような状態では隔離・身体拘束も仕方がなかった、やむを得なかったと家族は考えます。その一方で、つらい、かわいそう、悲しいなどの語句が多く見られます。ここからは、できれば隔離・身体拘束はさせたくなかったという家族の思いを読み取ることができると思います。
家族の心情としましては、精神科医療現場では、現在隔離・身体拘束が治療の一環として行われているということが前提となっておりますので、その前提があるために仕方ない、やむを得ないと受け入れざるを得ないという状況がありますけれども、本当は隔離や身体拘束はさせたくはないというのが家族の思いと考えております。人権侵害行為でもある身体拘束をしないことを前提とする精神科医療を望みたいと考えております。
最後に、自由記述の中から大変複雑な家族の思い、心情を読み上げて終わります。もう20年以上も前のことなのに、この問い、御本人が身体拘束や隔離などの行動制限をされたとき、御家族はどのようなお気持ちでしたか。この質問を読んだだけで涙が出てきます。身体拘束を目の当たりにしたときは本当にかわいそうで、自宅に帰ってきてから泣きました。しかしながら、身体拘束に至る直前というのは、家族にとって地獄のようにつらい時間だったので、同時にほっとする気持ちもあり、その気持ちが家族としてはまたつらいのです。
以上です。御清聴ありがとうございました。
○田辺座長 赤池様、岡田構成員、ありがとうございました。
ただいまの御報告に関しまして、御質問等がございましたらお願いできればと思います。よろしゅうございますか。
それでは、御質問等は取りあえずないようでございますので、ここで終了したいと存じます。
赤池参考人、岡田構成員、本当にありがとうございました。赤池参考人におかれましては、御退席いただいて結構でございます。
最後に長谷川参考人、お願いいたします。
では、よろしくお願いいたします。
○長谷川参考人 杏林大学の長谷川と申します。
本日はお招きいただき、ありがとうございます。
スライドは少し飛ばしながらいきますので、よろしくお願いいたします。
私は2000年代初頭に当時勤務していた大手銀行から精神科病院に職を変えました。驚くことばかりでした。たくさんあり過ぎますが、1つだけ言うと、精神科病院の内情や情報が市民、国民にあまりにも知られていない、外からは見えないということでした。密室性とでもいいましょうか。
そこで、1年以上かけてプロジェクトを組み、新潟県内の精神科病院の病院訪問活動を行いました。スライドの3枚目、4枚目、5枚目なのですけれども、情報誌を発刊しました。これは県内の多くの精神科病院が協力をしてくれて、また、珍しい取組だったので、地元のNHKのニュースで取り上げてくれたりもしましたが、何か大きな変革がもたらされることはありませんでした。
その後、大学院の修士課程で精神科医療の医療情報に関する意識調査を行いました。そうしましたところ、医療従事者とユーザーで最も情報の公開に関して意識の差があったのが行動制限とか身体拘束に関するものでした。そこで、博士課程では身体拘束にフォーカスした研究を行っていったという過程があります。
その研究結果をまとめて、6ページ目のスライドにある『精神科医療の隔離・身体拘束』というのを日本評論社から上梓いたしました。今回、提出資料の冒頭に国立国会図書館調査及び立法考査局の資料をおつけしているのですが、この国立国会図書館の資料の中にもこちらの本の調査結果を使っていただいて記述されているという背景があります。
スライドの8枚目なのですけれども、私は当時、スライドにあるような天秤のモデルを考えていました。左右に身体拘束にメリットを感じる意識とデメリットを感じる意識というのがあって、メリットを医療従事者の方が多く感じれば身体拘束への積極性が増すというものでした。
しかし、その後、くしくもこの本を出版してから、たくさんの方々からお手紙、今日一部お持ちしてあるのですが、このレターパック中にも入っているのですけれども、こういった形で本当にたくさんお手紙をいただくようになりました。
はたと気づいたのが、最大のデメリットというのが死、死ぬということです。2017年のある日、ニュージーランド国籍のケリー・サベジさんのお母様とお兄さんが私の大学を訪ねてこられました。ニュージーランドの精神科病院で一度も身体拘束を受けたことがない息子が、来日中に具合が悪くなって精神科病院に入院したら、医師の指示に従ってベッドまで歩いて横になったけれども、身体拘束されてしまったと。そして、その後亡くなってしまうわけですけれども、このことは資料の通し番号30ページに精神看護で身体拘束を問うと連載をさせていただいたものに『返らない命とそこからの問いかけ』というのがありますので、御参照ください。その後、一緒に外国特派員協会で記者会見をしたり、一緒に厚生労働省をお尋ねしていろいろお願いしにあがったことがあります。
今、身体拘束の厚生労働省が行っている調査を当時の塩崎厚生労働大臣が約束したのは、このサベジさんが亡くなったからです。そのときに、共同通信の市川さんだったと思いますけれども、質問していただいて、そういうふうに約束をされたという背景があります。
私がこの間身体拘束で亡くなった方、今、お手紙を若干お見せしましたけれども、スライドの21枚目、AさんからTさんまで、性別、死亡年2013年から2024年まで、男性、女性、西日本、東日本、匿名性のためにイニシャルしか書けませんけれども、これだけです。昨年末近くもやはりある地方の方から御家族が病院内で、これはいわゆるエコノミークラス症候群で亡くなられたということで、すぐに飛んでいってお話を聞いたり、継続しているものもございます。これだけ20人の方が亡くなられたということで私のところに情報が来ています。その中には、弟さんのことを思って、弟よという長い手紙を、本にするようなものを私に送ってくださった方もいらっしゃいます。
昨年11月に医学書院から『傷の声』という本が出ました。スライド22枚目に表紙が出ていますけれども、著者の齋藤塔子さんは東京大学で看護師を目指されていた方ですけれども、享年26歳で亡くなられました。この本の帯には精神科医の松本俊彦先生がこれは自傷のテキストの最高峰と書かれています。私はこの本は身体拘束のテキストの最高峰であるとも考えています。
一部を御紹介します。スライドが23枚目からですけれども、「私はごまんといる拘束すべき患者の一人に過ぎなかっただろう。しかし私はといえば、人権を奪われた3週間のうちに、それによって自分の一部が死んだ人間として、今を生きている。拘束された前の自分には決して戻れない。何かが損なわれた状態で還ってきたことを、果たして『生き延びた』と簡単に言えるだろうか?
無法地帯。それが精神科病院には実在する。そう、私の意思なんて、あると想定しただけ邪魔なノイズでしかない。あまりにも意に反する方向に物事がどんどん進んでいくなか、ひとり無力に取り残されるのは、そう宣告されているのと同じだった。
無力化。それは、拘束の最たる効果の1つであり、医療者が無意識に使っている手段である。無力化の第一歩は、拘束具を付ける瞬間に始まっている。
時計のない個室でひたすら天井を眺める一日はとにかく長かった。ナースコールで『今、何時ですか?』と問うては1時間も経っていないことに絶望したり、夕食を食べてからいつまでも日が暮れていかないことをこころの中で嘆いたりした。一秒一秒が苦しみだった。この状態がいつまで続くかもわからず、縛るくらいならさっさと殺してくれと願った。
このような環境に置かれるという構造そのものが、力ずくで患者を組み敷く恐怖政治になっているのだ。少しでも医師の思い通りにならなければ、この生活が延びるかもしれない。どんなに強い怒りを感じていても行動に表せば、拘束が追加されるかもしれない。相手が植えつける苦しみを、相手が植えつける恐怖によって抑え込まれる経験は、暴力を振るわれて黙らされているのと何ら変わりなかった。
誰も私を人間として評価していない。誰も私が感じている痛みと絶望を知らない。この打ち震えるほどの大きな悲しみと怒りを、自分のうちに秘めておくことが誰にできるだろうか。それでも、抵抗を顕わにしたら拘束を追加されるのは明らかなので、必死の妥協策として枕元に置いてあったタンブラーをシェイクしてなんとか感情を紛らわした。ところが床に漏れた水飛沫を見て、看護師はすぐさま医師を呼んだ。『これは衝動行為ね』『明日から拘束の解除はできないから』。医師のひと声は、わずかに残されていた、拘束がだんだん解除されていくという希望をあっけなく潰した。
状況の救いようのなさに、私は声を上げてわんわん泣いた。泣き声を聞きつけた看護師がやって来て言った。『泣くのはいいけど、他の患者さんがびっくりするから声は出さないでもらっていい?』私がなぜ泣いているかには関心もないのだろうか。『あなたに拘束されている人の気持ちがわからないでしょう』。そう言ってみると『うんわからないよ』とバッサリやられる。あぁ、またやってしまった。この人たちに共感を求めることほど愚かなことはないのだ。
権力性と恐怖心を必然的に伴う拘束は、死にたい気持ちや病気に対する治療どころか、懲罰にしか思えなかった。
そしてこの懲罰は、自傷他害のリスクをゼロにと相手を抑えつける方向に進んでいく『管理のメガネ』と、どんな言動も症状としてカテゴライズして病者であることを強化する『病理のメガネ』で成り立っていた。
そうして蝕まれ続けて3週間、私は静かなモノと化して、懲罰は終わった」。
ごく一部ですが、引用させていただきました。
圧倒的な力の差の中で行われる精神科医療の身体拘束というものは、このような身体拘束を必然的に生み出すのです。
22年まで地域で安心して暮らせる検討会が開催されていましたが、その6月9日に取りまとめられた報告書に以下の項目があります。「不適切な身体隔離・身体的拘束をゼロとする取組」。適切な身体拘束か、不適切な身体拘束を分けて、不適切なものを減らしていこうとしてもそれは無理だと思います。それはなぜか。2021年に石川の大畠一也さんの身体拘束裁判で原告勝訴が最高裁で確定しました。このことは資料の36ページを御参照ください。
大畠さんに対して行われた身体拘束は、前日の暴力行為を理由になされました。しかも、それは前日に誤認で無理やり抑えられて注射する際に行った抵抗でした。これを裁量を超えているとして違法とされたものですが、この人を死に至らしめた身体拘束ですら、本検討会の構成員の方も含めた56通の意見書が最高裁に提出され、それは適切だと主張されました。
2021年の国会の審議の中で、不適切な身体拘束を把握すべく、その件数を尋ねた質疑では、件数を把握することは困難との答弁でした。大畠さんに対して行われた身体拘束ですら適切と考えているのです。
このような見解も分かれる中、件数も実態も分からない中、不適切な身体拘束をゼロにするとしたところで、実質的な意味はなくなってしまいます。
私は次のように考えます。一旦身体拘束の適切性のことは留保した上で、身体拘束全体を減らしていくということを我が国として目標に据えていくことが必要だと思います。国としてまず身体拘束を減らしていこうという目標があれば、現場では必要のない身体拘束はないだろうかという現状の見直しの機運が生まれます。そして、現場の確定をさらに促すことが必要なのではないでしょうか。
トラウマインフォームドケアについてはスライド39枚目に出ていますけれども、このような8つの体験というものが抽出されています。この中でも身体拘束の多くはトラウマに関係しているとされています。これは見事なまでにさっきの齋藤塔子さんのつづられた言葉と同期します。そして、私に寄せられた手紙の一部とも同期します。
一部引用します。憎しみの心が忘れたようであっても心の底に残って時々再現してしまいます。「憎しみの心が忘れたようであっても心の底に残っていて、時々再燃してしまいます」「今でも後遺症か悪夢を見ます」「自分で現場を見るも確かめるもしないで、いきなりつないで、私を『守る』ためだと、のうのうと言ってのけるその姿勢に、私は失望しました」。
これらの言葉には、中には身体拘束をしてもよかったと言われる方もいますが、そういう前に、このような身体拘束のトラウマ性、最悪の帰結としての死というものを直視しなければならないと思います。私はこれを死者のための医療と呼びたいと思います。私はこの死者たちを二度死なせることがあってはならないという気持ちでここに座っています。
最後に、身体拘束の告示の件について申し上げます。これはスライド41枚目以降です。
2021年の石川身体拘束裁判の最高裁での確定以降、日精協の山崎会長の記者会見と到底容認できないとする声明の発出、それから、地域で安心して暮らせる検討会での検査及び処置等を行うことができない場合、治療が困難の文言の追加による新たな要件の創出の提案などが次々と起こりました。
これは、スライドの43ページにありますように、2020年3月16日は検査及び処置等を行うことができない場合、その後、患者に対する治療が困難というふうに次々と様々な要件の提案がされています。
これは、44ページの表にありますように、隔離にある要件を身体拘束のほうに持ってきているということで、明らかに要件を拡大させることになっています。
一方で、石川の身体拘束裁判の判決文で何を言っているかというと、告示第130号で必要な基準が定められているところ、その内容は合理的なものであると言えるから、本件身体的拘束の違法性の有無を判断するに当たっては、告示第130号で定める基準の内容を参考にして判断するのが相当であると裁判官は書いています。
それから、身体拘束の130号告示にあるように、身体拘束は当該患者の生命を保護すること及び重大な身体損傷を防ぐことに重点を置いた行動の制限であります。
そして、精神保健福祉法37条2項では、精神科病院の管理者はその基準を遵守しなければならないとなっています。
国がなすべきことは、この遵守がなされていなかったことを直視し、これを遵守させるようにすることです。最もやってはいけないことは、改正という文言を用いながら実際は要件を広げてしまうことです。例えば今申し上げたように、治療が困難というのを入れるということは要件を広げることになりますし、あと、野村総合研究所の研究で切迫性、非代替性、一時性の3要件のことが出ていて、要件を明確化とあるのですが、明確化と言いながら、逆に「一時的に行われるものであり、必要な期間を超えて行われていないものである」という、必要な期間という裁量の言葉を新たに入れてしまっているわけです。これは当時の加藤厚労大臣の答弁で、「ここでの必要な期間を超えて行われていないということにつきましては、切迫性、非代替性といった2つの要件を満たす期間を超えて行われていないという趣旨も含めて提案されたもの」と答弁しています。つまり、今まで3要件だったもののうち、一時性が切迫性と非代替性の下位概念になってしまっていることで、到底容認できないと考えています。したがって、私も参議院の予算委員会でいろいろ問題点を指摘しています。
最後に大切なことを申し上げたいのですが、私は厚労省のこの検討会というのは非常に議論していろいろいい方向を見いだすものだと考えています。
しかし、例えば今回構成員にもなっていらっしゃって、参考人でも出ていらっしゃっている全国「精神病」者集団さんの2024年10月1日のニュースを見ると、告示のことに関してこのように書いてありました。全国「精神病」者集団からの要件見直しの提案に対して日精協が難色を示しました。また、日精協は「多動又は不穏が顕著」という文言を残すべきと猛抵抗してきました。このとき厚生労働省からは、間を取って「多動又は不穏が顕著」の文言を残しつつ、多動または不穏というだけで身体的拘束されている現状を変えるために、切迫性、非代替性、一時性の3要件の明確化を中心に要件を見直す提案がなされたことで一旦合意に至りました。しかし、日精協は、要件の中に「検査処置が行えない場合」や「患者の治療が困難な場合」を入れる提案をおこない、これらが反映されなければ告示改正に反対すると主張しました、とあります。
私は厚生労働省の議事録ですとかこういったところを今でも傍聴して、いろいろ論壇誌に書いたり連載とかもさせていただいているのですが、もしもこういう形で裏交渉みたいなことが行われているのだったら、そもそもこういう検討会で話合いをするということ自体が茶番と言われてもしようがないと思います。したがって、これについては実際はどうだったのかということをきちんと厚生労働省として明らかにしていただきたいと考えています。それがないと、そもそも民主的な議論が行われないということになってしまいます。
私はスライドの最後のほうでリンゼイというイギリスの政治学者のことを67ページに書いています。私が真剣に討論する場合には、基本的には同意を得て記録にとめることが私たちにとって問題なのではなく、何ものかを見いだすことこそが重要なのであると。私たちにとって重要なのは、その民主的な討論が少しでも首尾よく行われているものであれば、その討論によってほかのどのような方法においても見いだすことのできない何ものかを発見するということでありますと言っています。
私はこの何ものかを発見するというために、一人一人がここで討論したり、思いを語ったりすることが大切だと思っているので、見えないところでもしこういうことが行われているとしたら非常に問題だし、そもそもここで検討会をやる意味がなくなってしまう問題だと思っています。したがって、これについては、先ほど申し上げたように、きちんとした公の場での御回答いただければと願っております。
私のほうからの発言は以上です。御清聴ありがとうございました。
○田辺座長 長谷川様、ありがとうございました。
今の御報告に関しまして、御質問等がございましたらよろしくお願いいたします。
では、池原構成員、よろしくお願いします。
○池原構成員 盛りだくさんな内容でありがとうございます。
確認をしたいのですけれども、長谷川先生の御趣旨はどちらかというと、つまり、適切か不適切かみたいなことを分けていって、不適切なものを減らしていくというよりは、全体量をまず減らすべきだという考え方ということでいいのでしょうか。
○長谷川参考人 御質問ありがとうございます。
おっしゃるとおりです。適切、不適切の判断というのは、本当に人によって、病院によって、また、立場によって全然違うので、ある人は適切だと思っているものがある人は不適切だったり、ある病院では適切なものがある病院では不適切だということがあります。
今回入れている資料の中で岩波の『世界』の数年前に出したものを入れていますけれども、身体拘束の比率は各都道府県によっても10倍、20倍ぐらい開きがあります。ということは、各都道府県で見ても、身体拘束の適正性、不適切性の判断がばらばらになっているということの証左だと考えます。
したがって、もちろん厚生労働省のこの検討会というのはいろいろ言葉をそろえるみたいなところがあるので、恐らくああいう文章になったというのは落としどころがそうだったということになると思うのですけれども、しかしながら、それだと実際に減らすという動きにはならないので、そこの適切性、不適切性の判断は留保した上で、身体拘束を減らす。かつて5,000人ぐらいだったのがその後1万2000人になっているわけですから、急増が始まる前の例えば半分の5,000人とか6,000人というのをまずは目標にしてみようと。身体拘束全体を減らすということ自体は異論がある方はいないと思うので、そこのところで不適切性の判断は留保した上で、そこで何とか一致できないかなという思いがあります。
○池原構成員 ありがとうございます。
私もお聞きしていて、法律家が言うのも変なのですけれども、言葉というのは一義的に定めることが難しかったり、あるいはその中に評価的な要素が入っていくと、結局、評価者によって適切と不適切の境界線というのはすごく曖昧化してしまうので、そういう意味では、まずは全体量を減らすというのは一つの大きな考え方かなと個人的には思っています。
それについて、今のお話だと半分くらいに減らしてもいいのではないかということなのでしょうか。その減らし方がいまいち分からない。今、手元にある資料でいうと、長谷川先生がお出しいただいたスライドの50あたりで見ると、身体拘束を受けた人の10万人当たりの1年当たりの数でいうと、日本は当然突出していて120だけれども、次の第2位のドイツが80ぐらいなので、4分の3ぐらいということにはなりますよね。
もう一つ私がすごく注目したいなと思っているのは、せっかくの資料なのですけれども、前回、同じ長谷川さんで構成員の長谷川さんから教えていただいたもので、沼津中央病院でしたか。そこでいろいろな努力をしたら、一番多かったときは入院全体の25%ぐらいの人に身体拘束をしていたのだけれども、プロジェクトを始めたら6.9%に減って、3年目の2023年度には3.3%まで減ったということもおっしゃっていただいているので、やり方を広めていってまず全体量を減らしていく中で、十分量減ったところで本当に必要な身体拘束はどうなのという議論をするというのは、私、日本弁護士連合会にも関係しているのですけれども、一つの方向性としては興味深いなと思いました。ありがとうございます。
○田辺座長 ほかはいかがでございましょうか。
では、どうぞ。
○花村構成員 日本公認心理師協会の花村と申します。
長谷川先生、どうもありがとうございました。先生がいろいろなところで精力的に活動されていることを存じ上げております。ありがとうございます。
今日先生から伺ったお話の中で、最後のほうの「他のどのような方法においても見いだすことのできない、何ものかを発見する」というところが私の心に響きました。「身体拘束を減らしていこう」という目標があり、「必要のない身体拘束が行われていないか、考えよう」という機運の中で、どうにかして良い方向に持って行くことができないか、それを「発見していく」というプロセスが大切だ、とおっしゃってくださっているわけですね。例えばこんな感じでやっていくのはどうだろうか、という、何か具体的な案などお持ちでしたら、先生から私たちに教えていただき、それがまた議論のもとになると良いなと思うのですが、いかがでしょうか。
○長谷川参考人 ありがとうございます。
多分こういう国の検討会がやることというのは、できるだけ研修プログラムみたいなものをつくって、定型的にやるという方向に行くと思うのですよね。あとは行動制限最小化委員会だとか。だけれども、行動制限最小化委員会は20年ぐらい前ですかね、浅井研究という研究があって、犀潟病院事件というのがあって、それで院内審査機関というのをつくるということが決まってつくったのだけれども、つくってからずっと身体拘束は増えているわけです。だから、結局、政策の検証というのは何も行われないまま、私は非常にまた行動制限最小化委員会というものが、長瀬先生のところで一生懸命つくっていただいたとは思うのですが、外部委員も必須にならない形で出てくるというのは、同じところを20年間ぐるぐる回っているのではないかなというのが正直なところです。
ですから、従前の議論とかを続けていても多分難しいと思っていて、本当の意味の知識の知というのは体系化しにくいということが結構あるのではないかなと思っていて、だから、精神科医の中井久夫先生などだと、本当に身体拘束をしないために、しないためにというわけではないけれども、後ろに回って一緒にこういうふうにやってしまうとか、そういったことが写真入りみたいな説明が出ていたり、実際に野村総研の報告書で身体拘束を全くやっていない岡山のまきび病院とかというのは、実際に訪問してみると、中井先生が亡くなった後に新聞記事が何気なくぺらっとロビーに貼ってあったりするのです。そういうのはすごく体系化しにくいというか、難しいとは思うのですけれども、少なくとも構成主義的、構築主義的にやっていくというのは、こういう国の検討会としてはとてもマッチするかもしれないのだけれども、そこをブレイクスルーしないと全く次の地点には行けないなと思っていて、例えば中井先生の知見だとか、松本俊彦先生が自傷のテキスト最高峰だと言った『傷の声』だとか、そういうものを基本書にして、本当に身体拘束をされるというのはどういうことなのかということを腑に落とし込むところまでやるということを一人一人がやる。それを促す、後押しするということでないと、この研修プログラムを何時間でやったからよくなりますというものではないと思うので、そのヒントがものすごく膨大な資料で申し訳なかったのですが、『傷の声』とか『私は身体拘束を生き延びたのか?』という亡くなられた塔子さんのものとか、そういったものを松本俊彦先生が帯に書くだけではなくて、こういう身体拘束の場でも今後生かしていくことを考えるとか、そういうことがもっと必要なのではないかと考えています。
○花村構成員 ありがとうございました。
○田辺座長 ほかはいかがでございましょうか。
では、よろしくお願いします。
○小阪構成員 長谷川先生、ありがとうございました。日本メンタルヘルスピアサポート専門研修機構の小阪と申します。
せっかくの機会なので、2点ほど先生にお伺いしたいなと思うのですけれども、2点目は今の質問とちょっとかぶってしまうところがあるかもしれないのですが、御容赦いただければと思います。
1点目が、長谷川さんがこれまで身体的拘束を減らすために全国各地でいろいろな運動をされていることは存じ上げています。それはきっと効果があるのだろうと僕は期待しているのです。そうあってほしいと願っています。その上で、長谷川さんの影響力はとても大きいと思っているのですが、僕らとしては、当事者としては絶対にゼロというところは譲れないかなと思っているのです。目標値としてはという意味です。ゼロを目指した上で最終的に最小化というところになるのと、最小化を目指して少なくなっていくのは全然違うかなと思っているのです。長谷川先生が今どういう意図で2003年の5,000人を、取りあえず半分を目指す、取りあえずという意味だとは思うのですけれども、長谷川先生としてはゼロを目指すべきというところをどう捉えているのかを教えていただきたいのが一点。
2点目が、せっかくの機会なので、今、具体的な取組はどうしたらいいかという問いに対して、これに関わる人たち全てが腑に落ちるというか、そういった体験を経てから検討すべきでないかということをおっしゃってくださったと思っていて、それはそのとおりだと思うのですけれども、何かほかにも例えば我々検討会の構成員としてできそうなことがあれば、アイデアをいただければありがたいかなと思いました。
以上です。
○長谷川参考人 御質問ありがとうございます。
私はゼロを目指すべきだと思っています。ただ、ここでゼロです、ゼロではなくては駄目だと言うと、なかなか乗ってこないみたいな面もあるので、現実的な妥協的な言い方はしていますが、ゼロだと思っています。
介護保険の世界では身体拘束ゼロ作戦というのをやって、実際にその名称でやっているわけです。ですから、身体拘束は基本的にはこれだけ様々な、死が最悪な場合ですけれども、影響があるものなので、あくまでもゼロを目指すのだということでもちろん構わないと思います。ただ、その上で、今が10年で2倍になってしまったところでゼロですと言っても、なかなかそうは言ってもみたいな感じに、あるいは急性期などで取りあえず身体拘束というのが結構広まっているなんていう話も学会でお聞きしたりします。
そういう状況の中で、いきなりゼロではなく、まず半分にするところからしませんかというところで、それで現場への覚醒というか振り返りを促すといったことが大切ではないかなと思っているので、基本的には、ニュージーランドとかもそうですけれども、目指すのはゼロですし、イギリスでしたらそもそもmechanical restraint、機械的拘束はなかったりするので、ゼロということを目指すということでいいと思います。
ただ、そのときに、身体拘束は日本の場合は非常に幅広く取っていて、それこそミトンとかああいうのも実際にどれぐらいが、病院によって身体拘束としてカウントしている、しないとかいろいろ微妙なところがあるので、そこのところは注意しなくてはいけないと思いますが、目標としてはゼロを目指すということでもちろん構わないと思っています。
2つ目は、ここの構成員の方々が何をするかということに関しては、私としては本当に年末年始から悩みながらこの六十数枚の資料を、本当はもっとつけたいぐらいだったのを、これでも選んでこんなになってしまったのですけれども、齋藤塔子さんのものをはじめ、とにかく読んでほしいなと思うのです。
あと、あえて言いますけれども、枠組みを変えて考えてみると、ここの構成員の方だけで考えていっていいのかなということもあるのですよね。だから、それは確かに国の政策を決める厚生労働省のほうで主催なさっている検討会で大切ではあるのだけれども、ここにいるメンバーの方々が1人ずつ完全に固定だと。私たちが決めるから、私たちのために何をすべきかというと、それは決定者とこちらは進言する者みたいになってしまいますよね。だから、むしろ大変言いにくいことでもありますけれども、例えば様々な団体のほうがここに来ていろいろ発言するということも、今日もいろいろな話を聞けたので、私もとても刺激になりましたし、こういう機会を増やすだとか、必ずしも自分たちがここで決定して社保審に上げるための報告書をまとめるだけの感じなのだという意識ではなくて、もっとここは厚生労働省さんのほうにも積極的に考えていただいて、いろいろな政策だとか身体拘束に関しても多様な意見をここで聞くのだと。それをやっていくほうが、むしろ枠組みを逆転して考えたほうがいいのではないかなと僕は考えています。
○田辺座長 ほかはいかがでございましょうか。
○森構成員 精事連の森と申します。
先生にお伺いしますが、最近、身体拘束が2017年の以前から2倍に増えたと国立国会図書館の調査などで出ているのですけれども、そして、高止まりしていると先生も先ほどおっしゃったのですけれども、この要因というか原因というものは先生はどういうふうに理解されておられるのですか。
○長谷川参考人 その要因については、恐らく厚生労働省さんとか国とか、それこそ藤井先生も含めて、これだという要因が1つとは多分決め切れていないと思うのです。だから、それはデータの取り方が630調査という6月30日現在でやっているデータで集めているということ。それから、経過としては、山内部長だったときに身体拘束のことをより詳細に調べようと思って、それで様々な点滴の時間ですとかそういうことを細かく聞こうとしたところで、それは大変申し上げにくいですけれども、日精協さんとの話合いがうまくいかなかったようなこともペーパーベースも見てはいますけれども、その詳細な調査ができていないということもあって、原因をこれだとサイエンスとして確定することはできないと思います。
ただし、自分が長年見てきている感じとしては、私、これは朝日新聞とかでもコメントしているのですけれども、精神科救急病棟ができてからちょうど軸が一として上がってきているというのは言えるので、やはり精神科救急をやっていらっしゃる先生方に聞いても、割と取りあえず身体拘束ということが広まっているというのは何度となく聞いたところで、でも、それは悪意でやっているというよりは、自分たちは取りあえずやって徐々に解消していく。短くやっているのだという自負がおありになるのは分かるのですけれども、結果として件数としては増えているということです。もちろん認知症の方の転倒・転落防止ということもあると思いますけれども、確定的なことは言えないというところがあると思います。
○田辺座長 ほかはいかがでございましょうか。
では、岡田構成員、よろしくお願いします。
○岡田構成員 大変熱のこもった刺激的なお話をありがとうございました。
私は質問ではなくて感想のようなことをお話しできたらと思うのですけれども、今のお話の中でも、身体拘束は適切、不適切に関係なく、やはり限りなくゼロを目指すべきというところに賛同したいと考えております。やはり身体拘束という行為そのものは人の自由を奪う人権侵害行為であるという大前提がありまして、これまでの調査研究などから、身体拘束を受ける人も、そして、それを行う人も、そして、先ほど私が御説明しましたとおり、その家族もみんな傷ついているのです。こういう状況を改善していくということはすごく大事なことだと考えています。
隔離・身体拘束を減らすのにどんな方法があるかというのは、私は素人なのであれですけれども、一つ、やはり訪問医療の充実というところにシフトしていくということは身体拘束を減らすことにつながっていくということ。それから、地域で孤立した家庭に医療が届けられるという側面から考えても、訪問医療の充実ということは一つの選択肢になるかなと思っております。
病院でお仕事をされている方は本当に一生懸命やっていただいているということで、感謝しております。なるべく拘束しないようにという努力をされている病院も増えてきているということは実感しております。それでもやむなくという状況はどうしてもあるかと思いますけれども、精神科医療を受ける立場からしますと、やはり可能な限り身体拘束をしないという方向性を目指すことがより安心で信頼できる精神科医療につながっていくとも考えますので、ぜひ皆さんとまた知恵を出し合いながら、私にできることなどは限られていると思いますけれども、その方向で進めていただけたらと考えております。
以上です。
○田辺座長 ほかはいかがでございましょう。よろしゅうございますでしょうか。
長谷川参考人、ありがとうございました。長谷川参考人におかれましては、御退席いただいて構いません。
長時間にわたりましてヒアリングを行ってきたところでございますけれども、本日ヒアリングにお越しいただいた皆様方におかれましては、本当に貴重なお話をいただきましたことを感謝申し上げる次第でございます。
行動制限に関しましては、第2回から今回にかけましてヒアリングその他で御議論いただいたところでございますけれども、全体を通じまして構成員の皆様方からこの議題に関して御意見等がございましたら、さらにお伺いしたいと思います。
その前に、森構成員から資料の御提供がございましたので、手短に御紹介をお願いいたします。
では、よろしくお願いいたします。
○森構成員 精事連の森です。
貴重な時間をよろしくお願いします。
精事連は、あみという団体とNAWMという団体障害福祉サービス事業を行っている団体が1つになってつくっているものです。
それで、今回、あみさんのほうで当事者の方たちにアンケート調査を行いましたので、そのアンケート調査の中で、今回の身体拘束だとか隔離というようなものに関連するような部分がございましたので、御報告させていただきたいと思います。
調査そのものは、権利条約の対日審査及び勧告を受けて、当事者だとか支援者への情報の周知をするような目的で調査をさせていただきました。
3ページ目を御覧ください。
調査方法としましては、261事業所に対して回答が299名ございました。
中身は3ページを御覧いただければと思います。
それで、国連からの勧告内容につきましてはこのような内容があったかと思いますが、この6つの勧告内容について説明した上でいろいろ質問して回答をいただきました。
5ページを御覧ください。
本人に同意のない入院についてどう思うかという質問の中で、医療保護入院については、34.4%の方がこれを廃止することについて賛成しておられる。ところが、26.7%の方は廃止することについて反対だという回答がございました。それから、4分の1に近い22.4%が分からないという回答です。措置入院についても近い数字が出ておりました。
この調査を実施した側からすると、ちょっと意外な結果でした。これも一つの事実として受け止めなくてはいけないのかなと思っております。
それから、身体拘束についてですけれども、同意のない治療・対応を廃止することについてどう思うか。6ページ目ですけれども、これについても、40%弱が廃止について賛成で、25.7%、4分の1が反対するという回答でした。
強制入院と治療・対応を認める精神保健福祉法の廃止について、これもよく似た数字で、33%が、廃止については賛成という数字でございました。
それから、7ページ目を御覧いただきたいと思いますが、精神医療審査会について質問した項目ですけれども、精神医療審査会の存在を知っているか。知っていると回答されたのは11%、80%以上を超える回答が知らないと回答でした。十分機能しているかに関しても、以下のように機能しているという回答は6.7%、あまり機能していないが33.8%、よく分からないが半数でございました。
それから、回答の中で身体拘束などでその他を選んだ方の自由記載についてはこのような形で、今日の中でもございましたように、やはり身体拘束についてはショックを受けるだとか、あるいは反対というような意見も出ておりました。
それから、9ページについても身体拘束についての自由記載で、適切な治療は人権をないがしろにするのは一切当てはまらない世の中であってほしいというような意見だとか、いろいろな意見が出ておりました。
それから、10ページにも身体拘束について回答してもらっていますが、この中で、周囲が必要と判断したのならやむを得ないというような回答などもございました。
それから、強制入院・治療に関して、先ほど申しましたが、当初想定していた当事者のほとんどが強制入院の廃止に賛成という結果にはなりませんでした。強制力や治安の色合いの濃い入院形態になるほど、廃止に反対・やや反対の割合が多くなっていたかなと思っております。
身体拘束を含む同意のない治療の廃止について、賛成・やや賛成の方が全体で39.9%、そのうち強制入院の経験のある群では51.4%が反対、任意入院のみの群については40.6%、10%の差がございました。家族が困らないために強制入院は必要という意見もあり、急性期に当事者だけでなく家族を支える仕組みが必要だと思いました。
分からないと答えた人の割合がどの質問でも4分の1に近い数字でございます。多くの当事者に必要な情報が届いていないこと、一緒に考える伴走者がいないことなどが考えられるのではないかなと思いました。
最後ですけれども、アンケート結果を受けての所感ですけれども、精神医療審査会に関しましては、精神科病院入院中の人の人権を守る最後のとりでのはずの精神医療審査会について、知らないと答えた方が86.6%、強制入院経験者においても85.9%が知らないと回答されています。入院時の混乱した状況での説明のみでなく、当事者に権利行使の方法を伝える工夫が求められているのではないかと感じました。
そして、アンケート結果を受けての所感ですけれども、あなたの望む精神科医療についての自由記載の回答の多さとその内容に、今は当事者の望む医療ではない、変わってほしいと考えているという当事者の思いが浮かび上がってきたのではないかと感じております。
自由記載の中で「人権が尊重される医療」「人として尊厳を守ってくれる医療」という回答も多く見られ、「精神障害者である前に、一人の人間として扱われることが保障される医療」と回答した当事者の声を我々はどのように受け止めていけばいいのか、大きな宿題であると感じました。
以上、貴重な時間をありがとうございました。
○田辺座長 御紹介ありがとうございました。
それでは、そのほか、構成員の皆様方から御意見等がございましたら、ぜひ御披露いただきたいと思います。
では、池原構成員、よろしくお願いします。
○池原構成員 基本的なところで教えていただきたいのですけれども、冊子になっているアンケート報告書というのを拝見すると、16、17、18ページあたりに基本情報というのが記載されていますが、回答者の属性というか、この基本情報の中では入院経験のある人、ない人という項目は見当たらないのですけれども、それ以外にやはりあみさんを中心にして調査したときの全体の精神障害のある人の状況との違いというか特色みたいなものというのは何かあるのでしょうか。
例えば数値として多いのは、訪問看護を使っている人が多いなとか、グループホームに住んでいる人が4分の1ぐらいかなとか、その他というのは家族と一緒という意味なのかよく分からないのですけれども、あと、東京の回答者が60人なので全体の5分の1ぐらいに当たるとかあると思うのですけれども、言わばある種典型的な当事者の人たちという理解を前提にしてこの調査結果を理解していいのか、あるいはある種少し調査対象という人の特殊性みたいなものがあるのかどうかということが分かったら教えてください。
○森構成員 調査対象の特殊性というのは難しいと思うのですけれども、基本的にあみというのは小さな作業場をつくってきた、こういう事業所などの集まりですので、地域にかなり根差した活動をしておられる団体だと解釈しています。ただ、全国組織ではあるのですけれども、北海道から九州まで全県を網羅しているという状況ではありませんので、やはり地域性というようなものがうまく反映されていない部分はあるかなと思っております。
それから、私のほうのNAWMも全県的に会員がいるわけではありませんので、それで、特に震災の支援を中心にして一緒に活動しようということで全国的な網羅ができないかなということで一緒になって活動していますので、まだまだこういう活動が浸透していないところが特に地方には多いかなと思っています。
ですから、この結果も、そういう意味では全国津々浦々の精神障害者の方たちという感じではないかなという気はしております。
○池原構成員 ありがとうございました。分かりました。
例えばちょっとそうなのかなと思ったのは、スライドの7ページ目の精神医療審査会について知らない人が約9割というのはすごい数字だなと思って、普通、入院すると基本情報として教えてもらっていると思うのですけれども、かなりすごい数字だというので、調査対象の属性に何か特色があるのかなと思って伺った次第です。
○田辺座長 では、家保構成員、よろしくお願いします。
○家保構成員 関連しますので発言させていただきます。
私も7ページの届いていないというのは非常にショックだなと思いました。
属性については、冊子の94ページに今までに入院経験はありますかという設問がありまして、36%の方が入院したことがないとされています。残り6割近くの方は任意もしくは医療保護措置などで入院されたということで、かなりの患者さんの目には触れているにもかかわらず、この値というのは、所管する都道府県としては考えないといけない状況ではないかと思いました。
来週、全国衛生部長会総会がありますので、あみさんの統計ですけれども、きちんとこういうことがデータとして出ていますよという話をして、精神医療審査会に関する周知についてきちんと図っていきたいと思います。
以上でございます。
○田辺座長 ありがとうございました。
では、松本構成員、お手が挙がっていますので、よろしくお願いいたします。
○松本構成員 ありがとうございます。
本日、当事者の方からもお話をいただきまして、感想といったところが大きいのですけれども、意見を述べさせていただきたいと思います。
本日お話を聞きまして、患者の人権というのは当然のことなのですけれども、改めて医療専門職と患者の間における身体的拘束が家族との関係性、患者との関係性において長く影響するということがよく分かったと思います。こういったことをあらかじめ看護職としても理解をした上で、身体拘束する段になってきちんと判断できるということが必要なのだと改めて感じました。ありがとうございます。
これまで厚生労働省をはじめとしまして、日本看護協会でも身体拘束などの適正化の推進を図ってきています。また、看護現場においても取組が進んでいるとは感じているのですが、実際のところ、データなどを見てもなかなか実態として減らないといったところがございます。これをどうやって減らしていくのか、実効性を担保するということが非常に重要かと思っております。今回参考資料4の5ページでも示していただいていますが、精神疾患を有する入院患者の推移を見ても、統合失調症、統合失調症型障害及び妄想性障害では減っているのですが、認知症が増えている。これまでの検討会でも何度も議論がございましたが、この身体的拘束といったところがどの辺に強く残っていて、そこをどう改善していけばいいのかという方策を何らか練っていく必要があるのではないかと感じております。
もちろん当事者だけの問題でもなく、看護師や医療従事者だけの問題でもありません。いろいろな場面で改善していくことが必要だと思います。せっかくの場ですので、あらゆる側面からもう少しそれを解決するためにはどうしたらいいのか知見を蓄積したうえでの議論になればありがたいと思っております。
以上です。
○田辺座長 ありがとうございました。
それでは、長谷川構成員、よろしくお願いいたします。
○長谷川構成員 ありがとうございます。
今日のヒアリングを通して大きく考えたことが3つあるのですけれども、一つが、山田参考人も長谷川参考人もおっしゃっていましたけれども、当事者の思いをやはりよく知る。それは教育だったり、あと、現場での実践としては、ブリーフィングみたいな話になるのかなと思うのですけれども、事が起きたときに、できればピアサポーターを交えて当事者と病院のスタッフと話せると、そんな取組は現場でできるのかなと思いながら聞いていました。
2つ目は将来的になると思うのですけれども、せっかく総合病院の診療報酬で身体拘束が入れられましたので、精神のほうでもそういう取組が診療報酬に組み込まれると、広まる一つにはなるのかなと思っています。
あともう一個は、どうしてもそういう身体拘束が現場で減らない場合なのですけれども、以前、藤井構成員が行動制限の国際比較を研究されていたと思うのですけれども、例えば時間制限がある国とか、持続時間で手続が物すごく煩雑になっていくような仕組みとか、そういうのがある国もありますので、将来的にはそういうことも考えるといいのかなと思いながら今日のヒアリングを聞いておりました。
ありがとうございます。以上です。
○田辺座長 ありがとうございました。
ほかはいかがでございましょうか。
どうぞ。
○岡部構成員 日本相談支援員専門協会の岡部です。
今まで出た意見とかぶるところが多いので、コンパクトに意見を述べさせていただければと思うのですが、前回と今回と参加させていただいて、病院の文化を変える風土が大事というような記録とか、私も前回身体拘束をゼロからスタートするという考え方と限りなく少なくするという考え方では現場で大きく影響するので、スタート地点をどうするかというのが大事だと思いますという発言をさせてもらったのですが、改めて、身体拘束ゼロを目指すという立ち位置に立たないと、文化も変わらないし、何よりも御本人さんの意思を中心として考えるということからすると、今日のヒアリングを通じて、限りなくゼロを目指すのだという立ち位置に立たないと、なかなか文化は変わっていかないのかなという感想を持っています。
という中で、今まで意見がいろいろ出ましたように、そういったことから、言い方が雑かもしれませんが、あとはヒト・モノ・カネをどうするかだと思いますので、人材育成の話も出ましたし、モノというのは方法論だと思っているのですが、方法論はたくさんアイデアが出てきていると思います。あとは、お金の部分で報酬のところは工夫がかなり要るのだろうなと思いますけれども、そういったことをそろえながら、御本人が安心、御家族さんも含め、御兄弟さんも含め安心できる精神科医療を提供するということをずっと議論してきていると思うのですけれども、一方で、病院さんが安心して医療を提供できる体制も同時に考えていかないとなかなか現実的には進まないと思っているので、難しい課題かと思いますが、両方の幸せということを目指して議論をさらに重ねていく必要があると感じました。
以上です。
○田辺座長 ありがとうございました。
ほかはいかがでございましょう。よろしゅうございますか。
では、桐原構成員、よろしくお願いします。その後、柑本構成員、お願いします。
○桐原構成員 全国「精神病」者集団の桐原です。
これまで地域医療構想で精神科は特別扱いされていました。地域医療介護総合確保基金からも除外されて、少ない予算での運用を強いられてきたわけですが、今後、地域医療構想が精神科を対象にしたものになっていけば、精神科と一般科の分断解消に向けた一筋の光になるのではないかと考えています。
告示改正なのですけれども、全国「精神病」者集団は当面の方策として告示改正の必要性を訴えてきました。第3回地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討会のヒアリングで告示改正を求めたのが2021年の12月のことだったわけです。その一方で、日本精神科病院協会が身体的拘束適正化専門対応チームを設置した時期がちょうど2021年の12月で、当時、現行告示の切迫性、非代替性、一時性の要件の判断の明確化をするためのチェックリストの作成が目的で、この時点での告示改正というのは目的としていなかったわけです。つまり、このたびの告示改正というのは当事者が提案し、他団体と協議を重ねながら主導的に関わって進めてきたものと言えると思います。
しかし、私たちにとって告示改正はあくまで当面の方策でしかないです。私たちとしては、病気の状態のままでい続けること、それを尊重される権利があると考えていますので、つまるところ、精神疾患で縛られなければいけない人というのはいないという前提で、身体拘束のゼロ化というのを主張しています。
そして、身体拘束のゼロ化を実現する上では、精神科と一般科の分断を解消していくことは避けて通れないと考えています。精神科と一般科の分断によってどのような問題が生じていて、解消に向けて何が課題となっているのか。これは明らかにしていくべきであって、そうした取組を速やかに進めていく必要があると考えます。
告示改正の検討に時間がかかり過ぎているため、告示改正の検討結果を待つことなく、並行して身体的拘束を含めた一般医療と精神科医療を区別しない仕組みの検討というものを始めなければならないと考えています。
ヒアリングの感想を少し述べます。内布参考人がおっしゃっていた身体拘束の生命、身体を守るという目的に忍ばせた別の目的というものを私たちは強く感じています。当事者の感覚と医療者の感覚の違いというものも多分そこにあると思いますが、私たち当事者の感覚というものを大切にして検討を進めるべきではないかと思っています。
山田参考人が事後検証について意見を述べて、何人かの構成員から具体的なビジョンはありますかというような質問が出ました。私たち当事者としては、まずつらい身体拘束を体験したというのに、最終的に正当か不当かみたいなのを判断する機構が法律化による司法の判断だったり、医療者による医療判断だったりして、専門家たちの各々の基準で決められてしまうわけなのです。当事者自身が自分たちの規範で検証する枠組みがないので、私たちの気持ちの行き場はどこにもないのです。例えば労働組合だったら労働者の立場で団交権を行使できますし、消費者だったら消費者の立場で団体訴権を行使することができます。これに並ぶような当事者が当事者という立場で防衛権を行使できるような仕組みはどこかにないものかと思います。だけれども、これはなかなか具体的なビジョンを示しづらいところではあります。言い換えれば、つまるところ本当に言いたいことは、法律家や医療者が各々を当事者の擁護者と位置づけて関わることの限界について、各々にまず自覚を促すための意見だったのではないかと思っています。
最後に補足なのですけれども、日本精神科病院協会が地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討会の中で不穏、多動を告示に残すべきであるという意見を出したのが令和4年の4月15日の回で、その第9回の検討会の議事録の中にも記録が残っています。また、参考人から名指しで秘密協議を彷彿させる発言があったことについては、そもそも誤った認識に基づいており、障害当事者の活動を困難にさせるものであるため遺憾です。いま一度構成員や議事録を読まれる関係者の皆さんにおかれましては、御理解いただければうれしいと思っています。
以上です。
○田辺座長 ありがとうございました。
では、引き続き柑本構成員、よろしくお願いします。
○柑本構成員 柑本です。ありがとうございます。
この何度かのヒアリングを通じまして、多くの臨床現場で好事例とされる実践が様々に行われていること、そして、その中には医療安全の観点から行われている行動制限もあるということをとても学ばせていただいたと思います。
それと同時に、やはり今日お話を伺いまして、当事者の皆さんの行動制限というものに対する思いですとか、それに対してどういう要望を持っておられるのかというようなこともすごく理解できたかと思います。さらには、システムの中に声をどういうふうに組み込んでいけばいいのかという検討も今後必要ではないかということについても痛感いたしました。
ただ、今後、行動制限に関する検討を継続するに際しましては、現場でどのような方たちに対してどのような内容の行動制限がどのように行われているのかという実態把握とその分析というものがもう少し必要ではないかなと思います。ですので、これまでにもいろいろな行動制限最小化に向けた取組が行われてきていて、具体的には医療機関への普及用の資材の活用ですとか、ピアレビュー方法の検討などというものが行われてきているわけですけれども、そういった実践というものを継続していただくと同時に、十分でない実態把握とその分析も併せてぜひ行っていただければと思います。これはお願いです。どうぞよろしくお願いいたします。
○田辺座長 ありがとうございました。
ほかはいかがでございましょうか。
では、小阪構成員、よろしくお願いします。
○小阪構成員 ありがとうございます。日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構の小阪と申します。
まず初めに、私の立場を改めて明確にしておきたいと思います。私は当事者の立場から本検討会に参加させていただいていると思っています。よって、私は、私たちを含む当事者の方たちにとってでき得る限り最善の策を構成員の皆さんと模索し、考え、発信する責務を負っていると思っています。
身体的拘束の実態把握を行うことそのものについては、特段反対する理由はありません。精神科医療機関からの実態把握だけではなくて、ぜひ受け手である当事者側の立場にも立って行っていただけるような設計としていただきたいと思います。
しかしながら、大きな留意点があり、向こう数年間、実態把握のみで具体的な制度、施策面の検討や議論は行わないという意味合いが含まれるのであれば、それは当事者のためにならないことと思いますので、反対の意思表明をしたいと思います。これは、議論を継続して行うことが現在生産的かどうかという観点だけではなく、私たちの姿勢を、我が国の姿勢を示す大事なことだと思います。これまで身体的拘束を受けたことのある方、また、現在身体拘束を受けている方、また、これから受ける可能性のある方たち、その方たちの思いに私たちは応えなければなりません。よって、私たちとしては、一貫して身体的拘束のゼロ化を目標としていただきたいと申し上げています。
私は、とある精神科病院の長期入院の患者さんから、私も含めた当事者しかいない空間にて、身体的拘束を受ける、かつ長期入院で退院のめどもつかないという方から言語に尽くしがたい心情の吐露を受けたことがあります。そのとき受けた衝撃と、医療機関で本来必要とされる治療を受けることによって患者さんがそのような思いになることがあっていいのでしょうかという憤りは、今でも鮮明に覚えています。
ほかにもこの場で表現することははばかられるほど切実で切迫した心情を言葉にして、私に伝えてくださいました。私は知ってしまった以上、そういう境遇にいらっしゃる方たちの思いをむげにすることはできません。そうした思いは、きっと検討会の皆さんや厚生労働省とも共有できるのではないかと思っています。
当事者をはじめ、精神科医療を必要とする国民一人一人が、いざというとき、安心して頼りにできる良質で適切な精神科医療を実現する。そのために、身体的拘束も含む行動制限最小化に係る諸問題解決については、一刻の停滞も招くことをよしとはできないと思っています。
よって、実態把握だけでなく、同時並行として実施が求められることがあり、具体的な取組としては、これまでの検討会の議論等を踏まえて、例えばですが、以下が挙げられると思います。①精神科医療従事者の基礎教育課程における行動制限最小化に係る項目の創設、②精神科医療機関の病棟文化の変革に資する取組の実施、③制度施策面からのバックアップ、以上3点について、実態把握とともに並行して取り組むこと、また、各方面の有識者の先生方が構成員として参画していらっしゃる本検討会において一層議論を深めること、その重要性を鑑みて、今後、各回の議事に限らず、構成員として行動制限最小化に資することについて発言する必要がある場合においては、その発言の機会が保障されることを同時に求めたいと思います。
今申し上げたことはこれまでの議論等の積み上げを踏まえたものの一環であると認識しておりまして、身体的拘束を含む行動制限最小化に資することについては議論を継続して行いつつ、予断なく具体的取組を並行して実施していくことが求められると思っています。
以上になります。
○田辺座長 ありがとうございました。
それでは、小嶋構成員、よろしくお願いいたします。
○小嶋構成員 ありがとうございます。
今更、何を言っているのだというそしりを受けそうなのですが、あえて意見を1つ申し上げたいと思います。
その前に、まず私の立場としては、拘束はゼロであるべきだという立場であることを申し上げた上で申し上げたいのですけれども、精神科救急の現場をいろいろ取材しておりまして、先ほど長谷川参考人からもお話がありましたが、ミトン1つを取り上げても、形式的には拘束だけれども、果たしてこれを拘束だとして、重い問題として取り上げなくてはならないのか?そういったことは結構あると思います。100人患者がいれば100人の拘束の仕方があると思います。そういう拘束全てを一律に“拘束”だと捉え、「拘束だから良くないことだ」とするならば、医療は柔軟性を要求される側面もあります。全てを拘束と捉えてしまえば、とりわけ救急の現場などでは、一刻を争う対応が柔軟に行えなくなる可能性も出てくるという懸念もあります。
精神科救急では拘束の時間などもやはり非常に短いのですよね。最小限で、この場で体を動かしては困るからということで拘束するような場合も結構あります。そういったものも形式的に拘束だと十把一絡げにするのもどうなのかなということを最近考えています。
これまで、メディアの報道などを通して「精神科医療の闇」などにスポットが当てられ、精神科医療全体で「ガラス張りの精神科医療」にむけた取り組みがなされ、おおいに改善された点もあります。そういったものを含めて、戦後からでも結構だとは思うのですけれども、これまで拘束というものをどのように捉えてきたか、拘束という概念がどう変わってきたか、拘束の仕方や内容がどのように変わってきたか、拘束の数は本当に減っているのか、などの点が、経年的にどう変わってきたのか、しっかりと知りたいですね。そういう意味で、まだまだ私自身が勉強不足だということを強く感じております。そういったことを体系的に俯瞰的にいろいろな角度から研究されている専門家のお話も聞きたいなと、思います。
あと、当事者の証言は、今日いろいろな証言があって、非常に勉強になり、また考えさせられることが多かったのですけれども、当事者の方が、こうした場に立ってお話いただけるまでには、心の整理もあるでしょうし、ある程度、時間が経ってしまうことはやむをえないことです。ですが、ここ数年とか、最近拘束された経験者の声を聴き、拘束の在り方や内容は変わってきているのかなどについても知りたいと感じています。
大切な問題ですから、多方面からこの問題をもっと深く掘り下げるべきだと思い、発言させていただきました。
○田辺座長 ありがとうございました。
それでは、辻本構成員、よろしくお願いいたします。
○辻本構成員 今日は当事者さん、家族の話は非常に学びが多かったと思います。その中で、告知だとか文章での掲示というか渡すこととかがどうなっていたのかというのは知りたいところでした。
それと、やはり私は質にしても量にしても人の課題が大きいと思います。そのためのお金をどうするのか。前回も話したのですけれども、当センターにもある医療観察病棟は、マンパワーとかハード面でも充実すると、やはり隔離・拘束が減るわけです。日本の中でもそういう構造を変えることで隔離・拘束が減っているという事案があるので、マンパワーとか、そういうハード面を整えれば、また隔離・拘束の在り方も変わっていくのではないかなと思っています。
今日はそんなところです。ありがとうございました。
○田辺座長 ありがとうございました。
そろそろ打ち切りたかったのだけれども、岩上構成員、よろしくお願いします。
○岩上構成員 すぐに終わるようにいたします。全国地域で暮らそうネットワークの岩上です。
今日は大変貴重なお話を伺えたと思っています。
小阪さんがおっしゃったように、行動制限の議論は引き続きしていく必要があると思っています。一方で、桐原構成員もおっしゃっていましたが、地域医療構想の話があり、精神科と一般科の課題をどうしていくかという議論の中で、当初、1回目のときに藤井構成員から認知症と児童と身体合併の人の入院制度の在り方という話が出ていて、そこは全て連動していく話になっていくのではないかと。私は以前も申し上げましたように、権利擁護をしっかりしていくためには、ある程度の入院患者数に絞って予算をそこにかけていかないとという価値観でいますので、そういったことを非常に連動させていく必要があるなと思っています。
今回、厚労省の資料の中で入院患者の情報が提供されていますが、今、1年以上の入院者が令和5年で15万2000人ですか。1年のうちに1万1000人亡くなっていくというのはずっと続いている。極めて困難な状況で、ただ、それは、現在も1年以上入院者のうち、受入れ条件が整えば退院できる人は2万9000人いらっしゃるということなのです。だとすると、私ども地域の立場として、やはりそこをしっかりやれていないことを非常に申し訳ないなと思っています。
岡田構成員が行動制限について家族の思いをいつも語っていただいて、家族がほっとしてしまってということを御自分たちの立場で話していただいているのですが、やはりこういった問題で自分たちとして何ができるかということを非常に重要視していく必要があるのではないかなと思っていました。
以上でございます。
○田辺座長 ありがとうございました。
では、藤井構成員、よろしくお願いいたします。
○藤井構成員 時間が迫っている中で恐縮です。国立精神・神経医療研究センターの藤井と申します。
今日は、当事者の方を含めて、いろいろな立場の参考人の方に御登壇いただいてお話をまとめて聞けたことは非常に貴重な機会だったと思いました。このような場を設けていただいた厚労省の御判断と参考人の皆さんにお礼を申し上げます。
先ほど柑本構成員からもほかの構成員からも実態調査のことも御提案がありましたけれども、これは確かに非常に重要なことだと私も思います。
その上で、まだ結果を公表するような段階ではないのですが、私が直接関わったものではないのですけれども、神庭構成員もよく御存じのとおり、日本精神神経学会では身体拘束に関してかなり詳しい調査を今実施しております。先ほど来から問題になっているような、どのような方に対して、どのような理由で、ミトンとかそういうものを含めてどのような拘束をしたのか、その持続時間はどうだったのかということなど、かなり詳しい調査をしているのですが、医療機関限定ではありますけれども、六十数施設に対して行っておりまして、データ収集自体は終わっている状況で、結果を今分析していると伺っているので、そのような結果も見ながら、さらに加えて調査をどのような形でしていくのかということを検討する必要があると思います。刻々と社会の状況も医療の状況も変わっていくので、実態調査自体は一定期間を置いて様々な角度から継続していく必要があるかと思いますので、そのような学会の調査なども参考にしていただきながら、次のアクションを考えていくということをしていければなと思った次第です。
あと、小阪構成員がおっしゃったように、この隔離・拘束、行動制限を限りなくゼロに近づけていくような取組自体は不断なく続けていくことが非常に大事だということを今日のお話を伺いながらも強く感じたところです。
その中で、長谷川参考人もおっしゃっていましたけれども、ただ研修するだけではそれ自体に効果があるかというのは疑問なところではあると思います。とはいえ、研修自体が無駄だとは私は思っておりませんので、研修に加えて、長谷川参考人がおっしゃるような腑に落ちるような経験というものを併せてしていくというのが重要なのかなと思いました。
その一つとしては、山田参考人がおっしゃったような可視化というか振り返りを当事者を交えて行う。その当事者を交えて振り返りを行うプロセスはどうあるべきかということも考えていくということでありますとか、あとは病院の風土を変えていくということを考えると、ピアサポーターの方に病院に入っていただいたり、振り返りの場にピアサポーターの方も同席いただいたり、そのような当事者の方だったり企業の方と一緒に医療従事者も医療を提供する、あるいはサポートするような経験を積んでいくということが腑に落ちる体験にもつながるのかなと感じているところです。
研修に関しましては、第2回で御紹介させていただきましたように研究班のほうでも作成しておりまして、さらに、実際に拘束をゼロにしたいと思っていても、具体的にどうしたらいいのかということで悩んでいる医療従事者の方もたくさんいらっしゃいますので、具体の方法をお示ししていくというような機会だったり、実際に限りなくゼロに近いということを実現したような病院がどのような取組をしたのかということの具体例、これは吉川構成員が非常に詳しくまとめてくださっていますので、そのようなことも参考にしながら、医療現場が変わっていくための取組を継続的に進めていくことと、このような話合い自体もやはりやめないというか、続けていくということが大事なのかなと思いました。
以上です。ありがとうございました。
○田辺座長 ありがとうございました。
ほかにいかがでしょうかと問いつつ、これで御意見のほうは一応賜ったということにさせていただきたいと思います。様々な御意見をいただきましてありがとうございました。
この議題(1)の身体拘束の問題に関してはここで終了したいと存じます。
次に、議題の(2)で新たな地域医療構想についてという報告がございますので、誠に申し訳ございませんが、手短にお願いいたします。
○新平課長補佐 ごく手短にさせていただきます。事務局でございます。
資料7を御覧ください。2ページ目で現行の地域医療構想について御紹介をさせていただいております。詳細は御覧いただければと思いますけれども、2ページにありますような病床数の必要量の推計や、病床機能報告というような仕組みがある制度になりますけれども、現行の地域医療構想におきましては、精神病床はこういった対象となっていないというような仕組みになっております。
この地域医療構想は、2ページにもありますように2025年頃を想定しているものですけれども、現在新たな地域医療構想というものを議論されているところでございますが、その中で、これまでの精神医療に関する施策等を踏まえながら精神医療も位置付ける場合の課題等について検討を行ってきたという経緯がありまして、今回御報告をしております。
詳細につきましては、4ページで検討をいただきましたプロジェクトチームの概要をおつけしておりまして、5ページはそのプロジェクトチームの取りまとめの概要でございます。少し割愛させていただきますが、地域医療提供体制全体の中では精神医療も含めて考えることが適当ということで、新たな地域医療構想に精神医療を位置付けることが適当というような御趣旨で取りまとめていただいております。
今後、必要な手続を進めてまいりたいと考えておりますけれども、この検討会でも御議論いただいております精神保健医療福祉に関する施策にも関係してくるものと考えておりますので、本日御紹介をさせていただいております。
あわせて、1点だけ補足させていただくと、資料8の報告書本体の最後4ページを御覧ください。下から2つ目の○のところで、精神医療について、新たな地域医療構想の中に位置付けるに当たっても、引き続き「精神障害にも対応した地域包括ケアシステム」等の考え方との整合性を取ることが重要であるということと、最後の○で、精神医療において、誰もが安心して信頼できる、良質かつ適切な入院医療の実現を目指していくことも重要であり、このため、これまで進められてきた精神保健医療福祉施策についても検討を加えながら一層推進していくべきであるということをまとめいただいております。
以上でございます。
○田辺座長 御説明ありがとうございました。
ただいまの説明につきまして御質問は。
どうぞ。
○小阪構成員 ありがとうございます。日本メンタルピアサポート専門員研修機構の小阪です。
質問ではなくて、1点だけ大事なことを補足したいというか、検討会の皆さんと共有したいと思っていることがあります。
資料8の報告書の最後の○の箇所について、今、新平課長補佐からも説明がありましたけれども、その点です。最後の○です。検討プロジェクトチームの議論において、私のほうから精神科医療の質、言い換えればユーザーの満足度が考慮されるべきものであるという趣旨の意見を申し上げました。その際、構成員の方々からは、賛同いただく言葉はあれども、反対の御意見はなかったように思います。現状でも様々な指標があることは存じ上げていますが、その中にユーザーの満足度も付け加えるべきものと考えたのです。
その理由は大きく2つあります。1つ目は、様々な歴史的要因、社会的要因や偏見など、複合的理由によって非同意入院が5割となっている現状は、国民医療として望ましい姿ではないこと。その中でも、よりよい精神科医療を提供しようとしている精神科病院と、残念ながらそうではない病院の病床を同一化しては、正しく資源として分析できないのではないかと考えました。
2つ目は、精神科医療の場合、寛解することもあるかと思いますが、多くの場合、かなりの期間精神科医療を受け続けなければならないですし、一生付き合っていく方もいらっしゃると思います。つまり、他科と違って、治療のゴール、治療を終えるという分かりやすい患者と医療従事者との共通の目標を得づらい構造にあると思います。だからこそ、精神科医療においてはユーザーの満足度という指標を設けることはとても重要であり、この機会に具体的に取り入れることを検討すべきだと考えています。それは当事者のユーザーとしての観点が付与されることにつながり、我が国の精神科医療の在り方を検討するに当たって非常に有効になるだろうと考えています。
というようなことを申し上げたのを厚労省的にまとめていただいたのが最後の○の箇所の文言になったという経過があったことを本検討会でも共有したく、発言させていただきました。ありがとうございます。
○田辺座長 ありがとうございました。
ほかはいかがでございましょう。よろしゅうございますでしょうか。
それでは、この(2)の新たな地域医療構想についても、ここで閉じさせていただければと思います。
最後に、事務局のほうから連絡事項がございましたらお願いいたします。
○新平課長補佐 本日はありがとうございました。
次回の予定につきましては、構成員の皆様方と調整の上、改めて御案内をさせていただきます。
以上でございます。
○田辺座長 ありがとうございました。
それでは、本日は頭と心をフルに使う3時間を過ごさせていただきまして、お疲れさまでございました。次回もどうぞよろしくお願い申し上げます。
これで散会いたします。お忙しい中、御参集いただきまして、ありがとうございました。