第6回新しい時代の働き方に関する研究会 議事録

労働基準局労働条件政策課

日時

令和5年5月16日(火) 16:00~18:00

場所

AP虎ノ門 Bルーム

議題

構成員からのプレゼンテーション

議事

議事内容
○今野座長 ただいまから、第6回「新しい時代の働き方に関する研究会」を開催いたします。本日は、構成員からのプレゼンテーションということで、戎野構成員、水町構成員のプレゼンテーションを行います。まず、戎野構成員より20分程度ご説明いただいた後、30分程度の質疑応答を行います。
 それでは、戎野構成員、ご説明をどうぞ宜しくお願いいたします。
○戎野構成員 改めまして、戎野と申します。よろしくお願いします。
 本日は「労使関係と労使コミュニケーション」ということで、昨今の労使コミュニケーションの現状と課題についてお話いたします。
 初めに、昨今では、労働者の働き方が多様化し、雇用形態のみならず、働き方、さらには雇用関係のない労働者というのも多数出てきていて、労働者間の関係性も非常に複雑になっています。
 また、企業においてもグローバル化やコロナの影響、また新技術導入等に関して多様な対応が見られます。企業、つまり経営側と労働者との関係性は様々で個別の特徴を示しており、広義の意味で非常に労使関係が多様化していると思っております。
 また、技術革新が進んだことにより、情報量も増加しています。いつでもどこでもつながりやすくなったことも、労使間の関係性に多大な影響を与えております。
 これはいい面もたくさんありまして、これまでは大きな声しか伝わってこなかったものが、小さな声も拾えるようになっているという面もあると思います。上司が身近になった、あるいは経営側の顔がよく見えるようになったといったこともよく聞くところであります。
 他方で、労働者の見解や意向を集約してまとめて何か議論の土台、素地を作れているかというようなことになると、これはなかなか難しいところもあります。組合の意見の中にも、今、労働者の意見をまとめることの意味について懸念している、あるいは見失いつつあるという意見が多くあります。上司や経営者と様々な形でつながりやすくなっている中で、労働組合としてどのようなコミュニケーションの取り方が必要なのだろうか、各自個別な労使関係で、多様な労使関係があって、それぞれでいいのではないかというところが一つの課題になってくるかと思います。
 ただ、意見の集約、さらには繰り返し協議をすることによって問題を解決していくというこれまでの集団における労使のコミュニケーションの意味も、いまだに重要性を失ってはいないと思います。
 一例を挙げますと、労使協議機関の成果について事業所調査を見てみますと、成果ありと理解している事業所は、組合がある事業所のほうが多くなっています。それなりの協議の在り方というものを蓄積してきている中で、一定の効果があるのだと思います。
 とりわけ、様々な労使関係の間における公正性をどう保っていくのかという課題を検討するに当たっては、個別では難しく、集団における労使コミュニケーションという意味はいまだに薄れておらず、重要性を増しているものと考えられます。
 さて、現在の労使コミュニケーションの特徴はどういうところにあり、またどこに課題があるのかということを考えるに当たり、まずは、労使関係の特徴から見ていきたいと思います。
 日本の労使関係についての評価は、事業者においても、労働組合においても、安定的であるという回答が非常に多くございます。これは圧倒的な割合を占めています。個人調査においても良好というところが60.5%ということで、前回よりも増えてきています。すなわち、日本の労使関係において大きな紛争というものがないこともありまして、比較的安定的、協調的良好だという評価が一定の位置を占めています。これは戦後の激しい労使紛争を克服して協調的な環境を形成してきた、その歴史的な成果、賜物でもあると思います。
 ここで注意しなければいけないのは、その労使紛争を克服して協調的な環境を形成してきた戦後においては、結果として経済発展が見られ、いわゆる高度経済成長の一つの礎として日本の労使関係の有効性というものが謳われるようにもなりました。
 ところが、現在は、安定的で良好な労使関係が維持されているにもかかわらず、他方で経済的側面を見れば、生産性は低迷し、賃金は上がらず、場合によっては雇用の質的な問題が発生しており、深刻な格差問題などという形で表れてきています。
 この良好かつ安定的という労使関係がなぜ今日、経済発展に結びついていかないのかというところなのですけれども、経済成長の課題については様々な原因があり、多方面からいろいろな要因が言われています。労使関係、労使の在り方というのも一要因にあるのではないかと私は考えています。
 では、何が違うのかと言うと、構造的に一つの大きな違いがあると考えております。それは、企業の発展が、いわゆる労働者の生活の向上や安定につながっていく、または労働者が頑張れば企業が成長し、それがいずれ自分の生活、暮らしに返ってくるというような、いわゆる成長のベクトルが労使で同じ方向を向いている、一体化した構造というものが以前の姿であったかと思うのです。もちろん、現在もそういう企業や産業はございます。
 ただ、一部の企業においては、労使関係が多様化しておりますので、必ずしもそうでない労使関係が存在しています。企業の成長は自分にはあまり関係なく、その場での業務遂行においての関係性である、あるいは、自分が一生懸命働いても自分の雇用は不安定化、あるいは質が低下していく。これを疎隔化と私は名づけているのですけれども、それぞれの成長のベクトルが必ずしも一致しておらず、様々な方向を向いているため、一体化構造とは明らかに異なると考えています。
 コミュニケーションに関して、この一体化構造の特徴を見てみるに当たっては、1955年に示された生産性運動三原則というのが一つの重要な特徴を示していると考えています。労使紛争を克服して協調的な関係性をつくっていくときの一つの指針になったと思うのですけれども、いつまでも紛争していても発展が見込まれないわけなので、労使でどのような関係性を構築するかといったときに、懸念となっていた雇用を維持していくということ、そして生産性向上によって生まれた付加価値は公正に分配していくこと、ここには経営側ももちろん、労働者ももちろん、それが消費に回るということまで追求された言葉になっています。
 では、このような仕組みをどのようにつくるのかというところに、労使コミュニケーションが出てきておりまして、特に企業別の労使で協議し、協力していくことが重要であります。具体的にどのように雇用を維持していくのか、公正な分配を生み出していくのか、どのように新技術を導入していくのか、どのように人々の能力向上を図っていくのかなど、具体的な中身については労使で協議する。ここにおいて、労働者、そして組合が経営参加していく。
 日本は企業別組合が中核になったものの、新技術の紹介であったり、生産性向上のための勉強会であったり、こういったものは産業別労組もかなり力を入れてバックアップしています。非常に主体的かつ自主的な取組というのが、この生産性向上に関しても日本の特徴であったのではないかと思っています。
 ここで重要なのは、労働者や組合が経営参加する形でコミュニケーションが図られていったことです。これが、一体化構造を形成していった際のポイントとなるコミュニケーションの姿ではないかと思います。
 労使コミュニケーションもいろいろな分け方がございますが、分析枠組みとして多く用いられ、また分かりやすい形ですので、職場、企業、産業、国というレベルでのコミュニケーションに分けて見ていきます。
職場レベルにおいては、いわゆるQCサークルをはじめとした職場改善等、様々な提案を行い、新技術などについて学んでいくという実質的な取組、すなわち様々な経営についての参加を行っていました。
 企業レベルにおいても、例えば要員が少ないとか、あるいはどういう人材が欲しいとか、そういうようなことは協議にも上がっていて様々な要望を出しています。最終的には経営側の決定にはなるのですが、様々な職場の実態、企業それぞれの状況を取り上げコミュニケーションを図り経営参加していました。
 産業レベルに関しましては、春闘等での活躍もありますし、先ほど申し上げましたように、産別は具体的な技術革新等の情報提供など、いろいろ勉強会もやっています。国レベル、国民経済に至りましても、審議会など労働政策に労使が参画していく。すなわち、一人ひとりの職場のレベルから国レベルに至るまで労使が参加して決めていく、というメカニズムが少なからず機能していたと思います。
 では、現在どうなっているか。労使関係についての評価は、先ほど述べたように良好です。ただ、構造が疎隔化しているために企業経営、労働者、それぞれ労組の姿勢にも変化が見られ、コミュニケーションの姿にも今までとは違った様相も一部見えてきているのではないかと思います。全てが変わったわけではないのですけれども、労使関係が多様化したため、中にはこれまでと違ったコミュニケーションの姿も見えてきていると思います。
 まず、疎隔化の一例を改めて申し上げると、例えば新入社員の会社選択理由です。新入社員が会社を選択する理由を1970年代からずっと時系列に取っている調査を見ますと、今も昔も「自分の能力・個性を生かせるから」という理由で会社を選んだという割合が最も高く、ある時期からは一番になっています。以前は一番多く、そしてその後はずっと2番目をキープしているのが、「会社の将来性を考えて」という理由です。すなわち、ある意味自分の人生を託すということも踏まえて、この会社の将来性というものを考えて選ぶ新入社員が非常に多かったわけです。
 ところが、現在は「会社の将来性を考えて」という理由が非常に低くなっていて、それよりも「仕事が面白いから」という理由が上位になっています。
 次に、労使コミュニケーションにおいてどのような変化が見えるかというのがこの資料です。
 日常業務改善だったり、作業改善だったり積極的に議論されている項目もあるのですが、気になるのが経営に関する事項です。事業所調査を見ても、近年はぐっと落ちてきています。
 さらに、個人調査においても、経営に関する事項についてはあまり重視しないという結果が出ており、それぞれの立場から自らの将来を考えているということが推察されます。
 ただ、経営に関する事項というのは決して労働者、労働組合にとって全く無関係なことではなくて、仕事の在り方や、中には雇用に直結するようなものもあるわけです。
 例えば、AI等の新技術導入に関する調査結果を見ると、導入前に労使協議を行ったかという質問に対し、実施したと回答した企業は、新技術を導入した中でおよそ4割です。導入後に実施した企業が12.4%で、行っていないというのが51.3%、およそ半分なのです。けれども、協議を実施したところでは、効果があったという回答が9割を超えています。
 実際にいろいろな導入を図った企業にヒアリング調査をしても、いわゆる職場からの声は、実際にやってみていろいろな改善点を挙げてもらうことで効率化を図ることにつながったり、また、さらなる新たな技術の導入にプラスになったりということで、非常にプラスという意見が多くありました。一方、労使協議を行っていない企業は半分程度あり、その理由は経営判断だから、いわゆる経営事項については踏み入らないということなのです。これは非常にもったいないといいますか、協議することのよさが分かっていないのではないかと思います。
 また、人員、要員についても以前は非常に協議していた項目ですが、調査結果では協議している企業は16%程度しかありません。これまでは協議していたようなことについて、今は踏み込んで話をしないということです。
 この調査結果は、ここ3年間の労使協議で、どのようなことをお話しされたか、取り上げられたものに丸をつけてもらったものです。働き方改革の具体的実施方法や、賃金をはじめとした人事制度改定については多く取り上げられて議論されているということが分かります。
 ところが、先ほど来言っているような新技術の導入に関しては非常に落ちてきています。3年間で一回も取り上げていない、話をしていないという企業が63%もあるわけですから、課題が少なくないと思います。
 それに伴って、能力開発、人材育成、教育訓練という項目も、話が出たという企業が半分程度となっています。
 規模別に見てみると、新技術導入について、300人未満の企業規模で話が出た企業は18.3%しかありません。生産性向上を図るために、または人手不足改善のために、中小企業においても新技術に対しては非常に重要性が増しているわけなのですけれども、こういうことについて労使で何かやっていこう、取り組んでいこうという姿勢が非常に薄い。従業員の能力開発の仕組みと運用の項目についても、300人未満の企業規模では31.7%、教育訓練についても41.5%ということで、これからの企業の発展、または自分の企業への貢献や能力開発に関する内容についてというものが非常に薄れてきていると思います。
 今後、充実させる必要のある協議内容を2つまで丸をつけていただいたところ、新技術導入に必要性を感じている割合が低く、それよりも、今取り組んでいる人事制度改革、働き改革の具体的実施方法、評価制度の運用というような比較的目の前に見えるような課題について、より一層力を入れていきたいという回答結果となっています。
 やや短期的なものに目を奪われていて、この先、必要になってくるような将来性を担うような課題については認識が薄いということが見て取れます。
 さらに、労使協議についてもう一つ注視しているのが「考え方」と「行動」です。例えば一番上のグラフを見ていただくと、考え方としては組合内の民主主義、多くの人の声を重視していかなければいけないと思っているところが8割弱なのですが、実際にそのように行動できているかと聞くと、半分くらいに減少しています。経営側の意向に沿った行動というものが、実際に生じていることがわかります。必ずしも思いどおりになりませんし、妥協し、協力することも必要なのですけれども、思いに反して組合内の産業民主主義が実現できていないというところもあるのではないかと思います。この辺りは、今後注視していく必要があるだろうと思っています。
 次に、配当と賃金、どちらを重視するかということを聞いています。考え方としては、従業員の配分が大事だが、実際の行動としては配当によって労働条件向上には制約がかかるということを言っています。気持ち的には組合の民主主義や組合の従業員の意向を大事にしつつも、経営寄りに行動している面もあることが協議の実態としてあり、注意していかなければいけないことだろうと思っています。
 次に、賃上げについて要求する段階において、企業の支払い能力を重視するか、それとも組合員の気持ちを重視して支払い能力は参考程度にするか、ということを聞いています。これもバランスがありますから、Aに近い、どちらかと言えばAに近い、Bに近いと聞いているのですけれども、賃上げ要求に関して支払い能力を重視するべきだという回答が半分でして、実際の行動もあまりぶれておりません。
 これはかなり経営側の意向を先回りして協議のスタートラインについているのではないかと思います。もちろん支払い能力がないと支払えないわけですけれども、協議のスタートラインが二分されていると感じます。
 また、組合の意向からスタートしている協議と、経営側の支払い能力からスタートしている協議では、たとえ同じ金額で収まったとしても、意味が違うと思っています。人々は春闘の金額だけではなく、そのプロセスも見ており、それは社会に様々な影響を与えていることですので、この辺りはもう一度考える必要があるかなと思っています。
 今回の春闘も満額回答がたくさんありましたし、場合によってはそれ以上の回答が出ているという中で、要求額とは何なのかということ、労働者の意向をしっかりと把握できているのかというところが非常に心配になっています。
 労使協議の質について危惧される中で、労使協議の内容について大体知っているかという質問については、回答としては、全体は大体横並びで同じなのですが、時系列で見るとどちらかというとパートタイムは増えています。ただ、課長クラス以上、管理職はあまり知らない人が増えてきており、労使協議の重要性というものの理解も薄れてきていると感じました。
 先ほどの職場レベル、企業レベル、産業レベル、国レベルとで比較をしてみると、明らかに以前と相違が見られると思います。いわゆる自分の職場の発展のための行動が減ってきています。すなわち経営参加は薄いですし、協議内容についても中長期的な発展の礎となるような内容が減っています。まず先に、協調ありきではないかと疑われるような姿も見られます。すなわち、本来の経営参加とは形が違ってきており、春闘についても産別の役割が一部見えにくくなっていると感じました。国レベルにおいても、審議会の労働政策決定プロセスというものが変化きている面もありますので、本当に労使は政策参加できているのか、労使自治は大丈夫なのかと言われるところもあると思います。
 一方で、強行突破的な政策決定がなされなければならないということは、ある意味、労使が新たな労働問題の解決にしっかりと取り組んでいるのか、労使が新たな環境に対する対応をしっかり議論しているのかということの裏返しでもあると思います。すなわち、労使コミュニケーションの質の低下が一部で危惧されており、それによって労使コミュニケーションの意義に対する理解も薄れてきているのではないかと思います。
 最後に、今後の課題についてお話します。1つ目は労使コミュニケーションの意義です。分かっている企業は非常にしっかりやって効果を出している一方で、理解が薄れてきているところもあります。また、内容についても、質的低下が見られます。労使はそもそも協調することが目的ではなくて、課題解決していくことが重要です。そこにおいては自分の会社だけがよければいいということではなく、社会全体の様々な労使関係の全体像についても目配りをしていく必要があると思います。
 そのためには、労働組合の主体性の回復、そして労働者の実態や要望というものを的確に正確に把握し、伝えていくという原点を見直す必要もあると思います。
 そのためには、地域など共通の課題を持っているところの労使に注目すべきかと思っています。自らの取組が見え、自らの取組の結果も見えてくるということで、地域ごとの産別や、職種別の労使関係というものも、今後注目していってもいいのではないかと思います。
 そして、質の高い労使コミュニケーションが実現する基盤づくりに当たっては、行政にも役割があるのではないかと思っています。これまでは自主的な対応においてやってきたわけですけれども、この課題というものがなかなか解決されない中で、労使コミュニケーションの問題への取組も求められているのではないかと思います。
 以上です。どうも御清聴ありがとうございました。
○今野座長 ありがとうございました。
 それでは、御質問、御意見をいただければと思います。
 中村構成員、どうぞ。
○中村構成員 ありがとうございました。
 労組の在り方というのをどう捉えるのかと、改めて伺っていて思いました。先ほど戎野構成員から、労使協調の意義ですとか労使協議の意義ということが語られてきたのですけれども、一方で単純に考えると労使協議というのは企業が経営効率をある種、追求するための手段のようにも思えていて、労働者が労働条件を向上するために自主的に団体行動を起こすという労組の本来的機能というか、原理的な機能からすると随分発展的な役割を担っている部分だと思います。
 その意味において、今日、労使協議ですとか、それこそグリーントランジションにおいて公正な移行という言葉が今、言われていますけれども、そういうことの重要性がますます高まってくる中で、経営と労働者側が一体となって生産性を高めていくという取組をどういうふうに位置づけるのかはもう一度議論の余地があるのではないかと思っています。
 なぜそんなことを思うかというと、労働組合に関する分析で、日本の労組というのは雇用情勢が厳しい側面においては賃上げの効果や雇用維持の効果があるということが実証されている一方で、経済状況がいいときは、必ず賃上げ効果があるというほどの結果は出ていないという結果があります。
 今回のような経済ショックがあるタイミングは、恐らく労働組合がある職場のほうが賃上げ率は高いと思うのですけれども、平時における労働組合の在り方には、今のような経営合理のパフォーマンスを上げるという役割があります。もう一つは資料の9ページにあった、個人側から見た場合は職場の人間関係が重要になっているという、いわゆるメンテナンス、三隅理論で言われるところのパフォーマンスとメンテナンスという、実はそこの2つのニーズが強くなっていて、本来の賃上げ機能みたいなところとは今の職場の中の労使関係の重要課題はずれているのではないかと思います。
 そうなってくると、業務時間外に企業負担をかけない労働活動と、労使一体となってより発展的な職場や健全な職場をつくっていくための組合活動、もしくは従業員代表の機能をどういうふうに制度上、再定義するのか、その立てつけを考えるのかというのが大きい論点なのではないかと思いました。
 もう一点、生産性の議論の中で、生産性を上げるときに余剰人員が出るからこそ雇用維持が重要だという論点がありました。今後も生産性向上というのは企業の至上命題なわけですけれども、今職場で多い声は、労働時間が短くなるとお給料が減る、週休3日になるとお給料が減る、時間が短くなると自動的にお給料が減るという声です。
 本来望ましいのは、労働時間は短縮する代わりに、時間当たりの賃金は上がっていくことです。賃金原則を再定義する必要があるのではないかと思うのです。賃金原則を再定義すると、生産性が上がって仕事の時間が短くなっても生活としてはうまくいくので、価値観の変容というのも論点としてあるのかなと思いました。
○戎野構成員 ありがとうございました。
 確かに今回のコロナなどの対応に関しては、労使で一丸となっているという事例はよく見られたと思いますし、その効果は出していると思います。
 ただ、これまでの30年間を見たときに、いわゆる雇用が非常に不安定化した時期もあります。こういう状況に対して、大きな動きが出てこないということに関して危惧しています。
 社会的に非常に大きな課題と分かるようなものに対して効果を出しているところもあるのですけれども、軌道修正しないまま進んでしまっている状況もあって、危惧しています。
 また、生産性向上に関しては、確かに効率性というのもありますが、私が考えているのは、拡大していくという運動的なもの、そこに長期的展開をも注視していく必要があるかと思っています。最初におっしゃられたとおり、考え方の異なった中でどのように仕組みをつくっていくのか、そこは私も大きな課題だと思っています。
○中村構成員 ありがとうございます。
 まさに日本の労働組合の構造というのは、本来でいうと労働条件を引き上げるための運動体でありながら、企業の中の組織として埋め込まれてしまっていて、ひとたび運動が立ち上がった後はある種、組織があることが前提となって続いていくものと思っています。その中で、運動の熱量だったり、状況が変わったときに、新たな労働者が一体となって取り組む課題を自分たちで見出しにくいというのが企業内労組の持っている構造的宿命だと思います。
 その中で、今回、例えばJAMという中小企業の産別労組は賃上げに向けて賃金交渉するより前に早い段階から、経営側に価格転嫁の話を取引先にするよう促しています。その話を経営側が取引先にしていない限り、中小企業の労働者の賃上げにはつながらないので、産別労組が音頭をとった例もあります。戎野構成員がおっしゃっているように、局面変化のときの戦略転換をもっと産別労組が支援するような、ここでは局面が変わったのだというのをうまく労働者、労働組合の中のいろいろな役割分担の中でもっと強化されていくといいのかなという印象は持っています。
○今野座長 水町構成員、どうぞ。
○水町構成員 ありがとうございます。
 諸外国の労使関係、特にヨーロッパの労使関係と比べたときの疑問点をお話しさせていただきます。
安定と一体化、一体性というものが本当に労使関係にとって良いことなのかというところですね。日本の労使関係というのはあまりにも安定性とか協調性を重視してきたので、利益が出たときにも十分に労働者側がレントを取れずに、結局実質賃金が上がらないということになっているのは、なぜなのでしょうか。やはり韓国とかでは上がっているけれども、日本では上がらないということもあるし、ヨーロッパはもっともっとがちがちやっているところで安定とか協調、先ほど中村構成員さんもおっしゃったように企業の組織の中で、企業の中に組み込まれた労働組合運動というところで、やはり労使関係として安定性とか協調性が大切なのだと言われ続けると、日本の労使関係はこれから大丈夫なのかというのが1つ目の質問です。
 一体化についても、諸外国の労働組合や労使関係が同じ方向に向くことを目指しているかというとそうではなく、むしろ多様な方向にベクトルが向いているのをそのまま組織として受け入れながら、多様な利益があるのをどう調整していくかという考え方になっています。同じ方向に向くために組合運動を展開するよりは、いろんな立場の人をなるべく広く組織化して、その中でいわゆる連帯という言葉を使いながら、違う考え方とか違う利益の人も手をつなぎながらどうやって調整をしていくか。その多様な利益や多様な考え方を調整するのがまさに交渉であり、法であり、さらには民主主義である中で、経営者も含めて同じ方向性を向くという一体化を重視している点が、今の世界の労使関係の中でやや日本的だと感じました。
○戎野構成員 社会の発展を考えたときに、企業が成長することと、人々の暮らしが豊かになっていくということは同じベクトルでいいと思っています。
 多様な考え方・働き方、仕事への取組姿勢、仕事への考え方というのは非常に重要で、最終的にそれが人々の暮らしの向上や、経済発展、企業の成長につながるようなメカニズムを、どうつくっていくのかということが課題だと思っています。
 以前の日本の姿というのは確かに今お話がありましたように非常に企業ごとに一体化していくということで、この時は価値観も共通しているところが多かったと言ってもいいかと思います。しかし、今はもう企業自身もグローバル化していますので、日本の中だけでの考え方ではまとまりませんし、諸外国との相違も踏まえた上で仕組みづくりを考えていくというのが今後の課題だと思っています。
 ただ、私が申し上げたかったのは、ともに成長する姿のメカニズムをつくっていかなければいけないのではないかということです。また、協調的ということに関しては、決して協調的であることが最終目標とか、良いという絶対的な価値観ではないと思っています。今はその辺が履き違えられて行動されているところも実際にあると思っています。
○今野座長 今の議論にあった安定的、協調的、一体化のコンセプトを共通理解したいと思っているのですけれども、一体化というのは労使が経営の成果を向上することに協力し合うということを意味し、安定性というのはトラブルがないという状況を意味しているのでしょうか。
○戎野構成員 私が使っている一体化というのは構造的なことです。心理的にどうかというのは別にして、企業の発展によって労働者の生活が豊かになっていくメカニズムのことです。
○今野座長 水町構成員はいかがでしょうか。
○水町構成員 企業、労働者、労働組合の一体化もあるかもしれません。組合の中、労働者の中でも同じ方向を向いていなければいけないかというと、必ずしも同じ方向に向いていない中で、どのように将来に向けて全体のバランスやマクロのバランスをつくっていくことが大切なのだろうかと思い、質問しました。
○今野座長 安部構成員、どうぞ。
○安部構成員 現在の状況をマクロの視点で分かりやすくまとめていただき、ありがとうございました。
 企業では、労働組合の存在を、ある意味でスキップして、経営側が社員と直接コミュニケーションを取り始めている現象は確実に発生しています。かつ、これは今後も止まらないと思います。今おっしゃられた一体化や安定化について、重要なのはその対象範囲=スコープをどこに置くかではないかと思います。即ち戎野先生もおっしゃられた、企業と社員という一番小さい単位で捉えるのか、産業単位で捉えるか、或いは国単位で捉えるかべきかということです。
 今、企業が社員との直接のコミュニケーション手段を確立させ、国の経済成長が踊り場にある状態が続く中、やはり対象範囲のスケールを大きくしていかないと、個別の企業で解決を図ろうとしても、個別企業に課される制約が相対的に大きくなるだけではないかと思います。
 極端に言うと、個別の企業がグローバル競争の中で勝ち残らなければならないときに、雇用維持を始めとした様々な制約は経営にとっては非常に大きな負荷で、その中で社員に対しスキルを進化させ、向上させていく投資をし続けなければなりません。日本の限られた労働力を、企業を超えた枠組みで最適活用するという社会の仕組みを構築し、国全体の労働力をマクロで日本と言う国全体の経済と一体化、安定化させてしていく仕組みを構築していかないと、日本経済の競争力そのものに影響を及ぼしてくるような気がしています。
 企業と労働組合と言う個別最適についての弊社の例を一つご紹介させて頂きます。長年にわたり業績が低迷した後、ようやく様々な経営施策と労働組合の協力もあって業績が上向き、4年前、史上最高益を達成した際、労働組合の要求を上回る回答を行ったことがありました。それは単に労働組合、社員に思い切って還元すると言う経営判断に留まらず、私自身、非常に苦慮し悩んだ上での決断でした。当然、労働組合は組合なりに経営のことを考え、引き出せる精一杯の要求をしたつもりであったのに対して、経営がそれを上回る回答をするということは、見方によると、組合員が組合の要求水準に関する判断に対し、信頼を損ねると言う状況を招きかねないことを危惧したわけです。結果的には特に大きな問題もなく落ち着きましたが、それは経営としても労働組合に対して配慮をし、単に要求を上回る回答ではなく、一義的には満額回答とした上で長年にわたる労働組合の協力に対して経営からの感謝として特別加算と言う形を取り、組合幹部もそう言う形での還元であれば歓迎すると受け止めてくれたわけです。ただ、これは恐らく数十年前だとなかなかそうはいかなかったのではないかと思っています。
 これはある意味で、経営と組合の一体化と言うことを通り越した極端な例と言えるかも知れません。結局、個別企業単位で最適解を図っていくと、時にそういった展開もあり得ると言うことを示唆しています。企業と労働者の雇用関係についても、日本の経済成長モデルと共に雇用慣行に関する日本のモデルが世界で通用しなくなる中、雇用を守ることが人を大切にしていることだと捉える価値観は、もはや企業、そして労働者にとっても適切ではなくなってきているのではないかと思います。むしろ経営者の責任は、常にどこでも通用していける労働者であるよう、投資、育成し続けることではないかと思うのです。
 最終的にそういう労働市場を構築していかないと、最終的に日本全体での持続的な経済成長が実現しないということを考えると、最適な労働力の整備と配置、活用という大きなスコープでの国、社会があって、それから産業別があって、その上で、それを構成する企業という形に持っていくことがやはり一つの解ではないかと考えています。
 日本総研の山田さんが北欧モデルについて説明されていましたが、人口1,000万人程度のスウェーデンで、なぜあれだけグローバル企業が輩出され、競争力を維持出来ているのか、それは意外に個別企業における雇用関係が解消しやすく、職業訓練校なども含めて、労働市場全体で一定の流動性を支える社会的な仕組みが整っているからではないかと思います。企業だけでなく社会全体で一定の負担を分担しつつ、全体最適の視点で労働力をシフトしようとする社会的な仕組みがあるからではないかと考える次第です。日本が北欧のような仕組みにすぐに移行することは現実的ではありませんが、やはり社会全体に一体型安定化のスコープを据え社会課題の解決を図るところに一定の方向性があるのではないかと感じています。
 他方、極端な競争原理の中、企業にとって比較的解雇が容易なアメリカでは、個人がそれぞれ自らのエンプロイアビリティを高めるべく努力し、できるかぎり会社と対等な関係で向き合おうとしています。常に自らのエンプロイアビリティを高め、ニーズがあればそこに場を変えてキャリアを積もうとしているわけです。そんな環境の中、現在、映画業界では、WGAというライターズ・ギルド・アソシエーションと言うシナリオ作家の人たちが、大変強硬なストをしています。
背景に、AIによって単純作業の置き換えが進み、人間の能力はクリエイティビティの世界で発揮され、生き残るであろうと言われていたにもかかわらず、予想以上のAIの進化によって、AIがシナリオを書くと言う世界が現実化し始めています。そうなるとクリエイティブな職もAIに置き換えられていくのではないかという恐怖、危機感から、一定のルール作りを求める声が挙がっています。これこそ組合の意義であり、そこは産業全体が一定の覚悟で受け止めないと、社会全体の仕組みが安定的に成り立たなくなってしまう、と言う、まさに、一企業という枠ではなく、産業あるいは国レベルで、労働力のシフトやスキル転換も含めた安定化というところにフォーカスが充てられているのだと思います。
○戎野構成員 ありがとうございます。
 この一体化という言葉を使っているのは、過去の日本の構造の仕組みのときに企業中心になったということで、今、私がそれを固辞しろと述べているわけではありません。ですから、最後に申し上げたように地域とか産業別、職種別、ここに一つの考え方があると思っています。
 やはり今、国レベルでの危機、国難ですよね。私も先ほど述べたように平時ではなくて危機なんじゃないかというのは、その視点から見たときに非常に危惧しています。
 ただ、実際に一人一人の個人に対して、では国レベルでやるからみんな移動しましょう、あるいは教育を受けてくださいと言って動くかというと、動かないのです。やはり自分の肌感覚で、自分がやったもの、自分が頑張ったものが自分に返ってくるという、この構造をつくりつつ、全体として安定的な構造をつくっていくというところが新たなメカニズムではないかと思っています。ですから、両方を大事にしていったら良いのではないかと改めて思いました。
○安部構成員 私も本質は同じことだと思います。あとは、どのような枠組みでそれを実現するかということで理解しました。
○今野座長 大湾構成員、どうぞ。
○大湾構成員 お話を伺いながら、新技術の導入についてあまり議論しなくなったのはなぜか、ということを考えていました。70年代までの新技術の導入というのは、従業員の間の生産性格差を縮小していくような新技術の導入だったと思うのです。生産性格差が縮小するような新技術というのは、従業員が同質的になってくるので組合としての意見のまとめも楽になりますし、経営陣に対する要求もしやすくなります。
 一方で、今のように生産性格差が拡大し、働く人のニーズが多様化していく中での組合の役割というのはすごく難しくなってきていると思います。意見の統一を図ることも難しい。そういった中で、新技術の導入を積極的に発言することが難しい環境になっているということを感じました。
 もう一つ気になっているのが、組合員の声を吸い上げ、それを統合して経営陣に伝えるという機能がすごく弱くなっているのではないかということです。昔は職場懇談会があり、非常に同質的な社員の中で横の風通しも良く、情報が十分に共有され、組合が情報を吸い上げていくという機能が十分に働いていました。今はその機能がすごく弱くなっていて、弱くなったがためにその組合が自分たちの声を代弁してくれているという信頼感が薄れてきています。したがって、社員からのサポートも落ち、かつ、それに応じて十分な情報を吸い上げられないので、経営者に対する交渉力自体も落ちてきているというメカニズムがあるのではないかと思っています。単に垂直のコミュニケーションだけではなくて横のコミュニケーションを通じた機能というのはどうなっているのか、お考えをお聞かせいただければと思います。
○戎野構成員 ありがとうございます。
 本当に御指摘のとおりで、横のコミュニケーションが物すごく弱くなっています。以前は、飲みニケーションと言うように、非常にいろいろな形での顔を合わせてのフォーマル、インフォーマルを含めた交流がありましたが、特にコロナの影響も追い打ちをかけ、今では減少してきています。
 組合幹部等の研修などでは、経営側だけに顔を向けているのではなくて職場に顔を向けてくださいと良く指摘されていますが、職場からはいつも背中しか見えなくなっていて労組組合が何をしているのかよくわからない。幹部が後ろ姿で経営側と何かやって、信頼も失われていっているのではないかという声も聞きます。労労コミュニケーションの質の低下と、量が減っていることは、労働組合の力を落としている大きな原因の一つだと私も思っています。
○今野座長 伊達構成員、どうぞ。
○伊達構成員 労働組合に限らず、人が何かの活動に関与していくときに、一定のモチベーションは必要になってくると思います。労働組合の活動に参加したり、活動にコミットしていくようなモチベーションというのは、労働者にとって現在どのようになっていますか。今後どのような働きかけをしていけばいいのかという点について、ご意見をお伺いしたいと思います。
○戎野構成員 ありがとうございます。
 今は個別化が進んでいるため、社会性を持って働くということが非常に薄くなってきており、組織的な活動はものすごく衰退してきているのが事実だと思います。したがって、最初に申し上げたように、集団によるコミュニケーションの意味や、理解が薄れてきています。
 しかし、個別では解決しない課題はたくさんあって、例えば、それぞれの労使関係の公正性をどうしていくのかとか、新技術の導入に対してどのような能力開発を行っていくべきかとか、個人だけではできないものに対して集団で取り組むことの意義を理解していただくようにしていかなければいけないと思います。
 労働組合の力が大きく薄れた一つの背景には、雇用を守れなかったことがあり、雇用を守ってくれるものだと思っていた認識のショックが非常に大きかったものと歴史的に見ると思います。雇用が守れない労働組合に何ができるんだ、私たちは何のために労働組合の活動に参加しなければいけないのか分からない、という意見が当時多数ありましたので、組織化することの意味を改めて確認するということが求められていると思っています。
○今野座長 それでは、時間となりましたので、次に移ります。戎野構成員、ありがとうございました。
続いて、水町構成員より20分程度ご説明いただいた後、30分程度の質疑応答を行います。
それでは、ご説明をどうぞ宜しくお願いいたします。
○水町構成員 この研究会は労働基準局長が招集した研究会ということで、労働法というのはいろいろなものがありまして、例えば雇用平等法制であったり、労働市場法制とかいろいろな課題がありますが、今日は労働法の中でも労働基準法制、特に労働基準法、労働安全衛生法、労災保険法という観点から改革の視点でお話をさせていただきます。
 労働基準法制の「背景」からご説明します。1947年、労働関係の近代化に伴い労働基準法が制定されました。これは当時のILO条約など、先進的な外国の法律を参考にしながらつくられ、その約40年後、1980年代になりますと世界的に柔軟化、フレキシビリティの時代が訪れました。
 戦後の労働基準法がつくられたときのモデルは「近代的労働者」モデルと書いていますが、これは20世紀前半の工場労働者モデルです。同じ場所、同じ時間帯に指揮命令を受けながら集団的に働く労働者を前提に、当時の労働法、労働基準法制等はできていました。近代的な労働者、工場労働者モデルでできていたものが、ホワイトカラー労働者がたくさん出てくる中で、硬直的な労働法制を変えていこうと、日本でも1987年に労働基準法改正がなされて、法定労働時間の引下げとともに労働時間法制の柔軟化などが行われました。さらにその40年後にサービス経済化だけではなくてデジタル化プラットフォーム化が進み、雇用ではないフリーランス等も含む新しい働き方が出てきて、世界的にどう対応するか、日本でもどう対応するかということが問題になっています。
 そういう意味で、社会の変化に対して法がどう適応するのか、どう対応するのか、という世界共通の課題の中で日本の法制をどうするかという側面があります。もう一つここで付け加えておきたいのは、日本的な課題、日本的な固有の問題は、そもそも日本で労働基準法ができるときに、戦前の工場法をモデルとしてできたということです。工場法は労働者保護法というよりも産業政策で、保護職工は女性と年少者となっています。
 女性と年少者を特に保護したのはなぜかというと、労働力再生産機能、今後労働力になり、場合によっては軍事力になるような人たちを健全に育てていくためにそれを産む女性と、今後労働力になる年少者を過酷に使わないという産業政策として使われていて、日本の労働基準法を制定するときも産業界の要請をかなり組み込んで労働基準法をつくったという特徴があります。
 その特徴として、例えば36協定を締結すれば時間外労働をさせることができる。その36協定も過半数組合があるときには過半数組合ですが、過半数代表者というのは個人、1人で過半数代表者が書面を結ぶと、36協定で特にこういう場合という限定もなく、労働時間の限定もなく時間外労働をさせることができるということになっていますが、ではこの過半数代表者というのはどういうふうにして選出するのか、どのような手続を踏むのかということが何も規定されないままに立法化されたという点があります。
 さらには、時間外労働の割増率は、諸外国ではもっと高い率だったのですが、当時の産業界の状況から割増率25%が限度となり、25%に設定されました。
 また、年休も基本的には年休というのは分割しないで一体として取る。バカンスなので、一定以上はまとめて取るということが諸外国の制度化だったのですが、日本ではそれは難しいという意見が多く、分割して取得してもいいとあえて法律の中に書きました。今では分割どころか、時間単位で年休をあげるということになっている出発点が、実はそこにあったのです。
 もう一つの特徴は、脆弱な労使関係です。例えば過半数代表者が同意すれば例外をつくれるという状況で法が推移する中で、1980年代の柔軟化を進めるときに、基本的には労使の話合いで例外をつくるというのが世界的な柔軟化の方向性でした。しかし、日本では場合によっては労働組合、過半数組合がないときには過半数代表者個人の同意で例外をつくれるとなると、少しやり過ぎだろうということで、制度化のときに非常に複雑な制度を組み合わせていって、労使協定は結ばせるけれども、それ以外にこのルールを守りなさい、こうしなさい、ああしなさいというかなり複雑な制度にしました。1947年に制定された労働基準法に内在するような弱さが、その後の制度改正の中でも残り、かつ、継ぎ足し、継ぎ足しをしてきたので今、非常に労働法が複雑になっているという背景があります。このような労働法を、今後、社会の実態に合わせてどう変えるかというのが一つの大きな視点になるかと思います。
 そして、「改革の方向性」です。ここではII-1からII-4と4つ示していますが、大きくは2つです。
 1つは、実態に合わせてどう変えるかということです。そもそも現在の労働基準法は、工場労働モデルの画一的な規制という概念や、規制の在り方を引きずっていますので、基本概念として、例えば指揮命令を受けて働く人が、従属的な労働者が労働者という概念で果たしていいのか。さらには、事業場単位で労働基準監督署に届出等をさせて、労働基準監督署がそれに基づいて所轄の範囲で、事業場単位で規制をするというやり方が本当にいいのか。そこで全国一律なので、基本的には一律の規制を決めて、上から権力として指導監督、場合によっては書類送検で罰則の適用をするというような在り方ではないやり方も導入しなければいけないのではないかというのが1つです。
 もう一つ重要なことは、上から画一的に規制をするのではなく、現場のニーズや現場の声に合った規制をしていくことです。大きな方向性としては、当事者が自らガバナンスできる、言葉を換えて言うと、労使自治を生かした規制の在り方というものを考えなければいけないのではないかと思っています。
 そこで出てくるのがII-2に記載した「当事者が自ら思考し統治できるように規制をシンプルでわかりやすいものにする」ことです。あまりにも複雑で分かりづらい制度を、もう少しシンプルで分かりやすいものにし、当事者がきちんと理解をして自分たちで考えて、それをグリップしながら統治できるような制度設計にするべきではないかと思うのです。
 かつ、その基盤となる労使のコミュニケーションというのは形式的なものではなくて、実質的にいろいろなことを考えながら話合いをできるような基盤を法的につくっていくということが必要なのではないか考えています。
 もう一つ、デジタル技術がこれだけ発展している中で、新技術をどのように規制の在り方や法遵守の在り方に組み込んでいくかという視点も、併せて重要になってくるのではないかと考えています。
 規制をシンプルにするときに大切なのは、法の趣旨、目的、何のために規制しているのかという観点から規制をもう一回整理、再編することです。労働基準法制が最も基本的に重要な趣旨・目的としているのは、労働者の健康を確保するということと、労働者の人権をきちんと守るということだと思います。
 働く人の「健康確保」や「人権保護」ということになれば、工場労働者のように、指揮命令を受けて従属的に働くという人だけではなくて、フリーランスにも人権がありますし、フリーランスの健康は無視していいというわけではないので、そういういろいろな人たちを視野に入れた労働基準法制、労働法制の立て直しが必要なのではないかと思います。
実は日本でも何もやっていないわけではなく、現行法の例を幾つか挙げます。
 1つ目は、昨年行われた労働安全衛生法の省令改正です。労働安全衛生法というのは予防のための労働者を対象にする規制でしたが、一人親方などのフリーランスも規制を及ぼすべきと、狭い意味での労働者以外に対してもどう予防を行っていくかという観点があります。さらに、今月公布されたいわゆるフリーランス保護法が、労働者以外のフリーランスについても一定の取引適正化とともに、労働者の人権とか利益に配慮したような一定の規定を適用することが始まっています。
 これは労働者概念ではなくて、規制の対象となる使用者概念です。責任を負うのは契約を結んでいる相手方である企業なり使用者が基本的な責任当事者となると思うのですが、企業の概念も非常に形式化してきていて、実際の経済活動を行っているのはその単独の企業で行っているわけではなくなってきています。企業経営や働き方がプラットフォーム化したりネットワーク化する中で、どういう形で責任を負うか考えたときに、事後的補償の考え方があります。
 健康被害があったら誰が責任を負うかについては、契約を結んだ使用者だけではなく、指揮監督をしていた実際の実態に応じて契約を結んだ使用者以外の人も安全配慮義務を負って責任を負うということが、これまでも言われています。さらに、事後的補償だけではなくて予防になってくるとどうやってシステム化するかはなかなか難しいのですが、今ある世界的な動きというのはビジネスと人権というので、例えば多国籍企業とか、企業グループの中で全体として責任を持ってサプライチェーンの中できちんとチェックをして、これは環境問題だけではなくて人権もきちんと保障するような責任を負わせていきましょうというので、そういうサプライチェーンとかネットワーク全体の中で健康確保などの責任、予防を図っていくという方向性が見られて、日本政府もこの行動計画をつくっていっていますので、こういう視点というのも労働基準法制の中にどう組み込んでいくのかということが必要になってくるかと思います。
 国家による上からの一律の規制に変わる新たな規制手法については、使用者、事業主が事業場単位で労働基準監督署に届出等を行って、行政が一律の監督をする。罰則を適用するという場合には所在をはっきりしないといけないので、こうした監督が全部なくなるかどうかというわけではないと思いますが、どこの部分を残すのか、という議論はあると思います。
 労働基準監督行政に代わる新たな規制の手法というので、例えば使用者と労働基準監督署が責任を負うという体制ではなく、個人としてもこの規制の中にコミットメントしていくために、現行情報等を適正に収集して管理するということとか、さらにはAIの定型的な処理というのはここで利用できることはたくさんあると思うのですが、AIというのは最終的には判断とか責任を持つということができないので、最終的に例えば責任を負うのは医師等の医療従事者がこのAIの定型的処理と専門家としての責任を持った判断をどう規制の中に組み込んでいくかということが必要になってくると思いますし、さらには一つの企業の中だけで個人は働き続けるわけではないので、このデータをどのように共有化しながら企業を超えた健康管理を進めていくのか、ということも考えなければなりません。
 今、マイナンバーカードは、お金関係しか捕捉できていませんが、労働時間も捕捉できるようになるのか、さらには、労働時間以外の健康情報もどのように捕捉して共有化していくのかという議論もあります。その際、健康情報として何が大切かということも労働基準法制の制度設計においては重要な課題になってくるかと思います。
 III-2、「労使コミュニケーションの実質化」のための改革における最大の課題は、労働基準法の出発点から過半数組合があって、過半数組合が労使協定を結んでいるところではある程度民主的な交渉等が行われているということも考えられますが、「過半数代表者」制度です。日本の事業場の多くは労働組合がない状態で、個人としての過半数代表者を選んで手続を行っています。過半数代表者選出手続自体も明確に定められていないですし、どのようにコミュニケーションを行っていくかについては、形式化している過半数代表者制度を見直し、労働組合や、実質的なプロセスとしての労使委員会制度というものを、企業単位できちんとつくって機能するようにするということが必要なのではないかと思うのです。
 ただし、全てを任せられるというわけではないので、プロセスをどのようにし、どういう要件について労使自治を尊重することができるかというのは、今後制度設計において非常に重要なポイントになってくると思います。
 III-3の「労働時間法制に関する改革」については、シンプルにするということが大切なのですけれども、趣旨・目的に応じてそれぞれの制度を考えるべきなのではないかと思います。第1に重要な趣旨は健康確保なので、健康を損なうような指揮命令や働かせ方をする場合には、罰則等を背景に規制を行うことが今後も必要ではないかと思います。
 国家が責任を持ってきちんと監督するということは今後も必要になってくるとは思います。予防としての労働安全衛生法の規制、これは労働基準法上、その上限規制なり、産業医、医師との面接指導など、健康確保に関する規制は入っていますが、これは労働基準法上の労働者だけで、労働時間法制が適用除外されているような裁量労働者とか管理監督者だとその配慮は要らないよということではないので、労働基準法の適用関考えるというよりも、むしろ労働安全衛生法の中できちんと位置づけて、労働安全衛生法の中で予防をきちんと果たしてしっかり責任を負うという制度にしていくことが必要なのではないかと思います。
 どのような指標を基に健康確保を図っていくかということについては、今は睡眠時間を基に考えられた1か月100時間とか平均80時間という労働時間が指標となっていますが、その時間の在り方が適正なのか、もしくは、睡眠時間も指標として考えられるのではないか。睡眠時間を把握することが難しいとなったら、勤務間インターバルとして仕事と仕事の間の休息時間をきちんと保障するということも考えられるかもしれません。もしくは、AI等のデジタル技術を活用しながら健康確保のための細かい情報を入手しつつ規制をするということも考えられます。今後のAIの発展は、規制の在り方で考えていく重要なポイントになると思います。
 労働時間法制に関する改革2つ目は、時間外労働等に対する賃金面での補償です。お金の問題については、きちんと健康確保が図られていて、そのお金の賃金補償というのも時間比例で何%払うというのではなくて、労使の中で経済的な保障がなされているという話合いの下で例外をつくっていくことが重要だと思います。規制の在り方をもう少し分かりやすくするということを基本にしながら考えれば、今の管理監督者の適用除外、専門業務型、企画業務型の裁量労働制、さらには高度プロフェッショナル制度の複雑な入り組んだ制度ではなく、もう少し労使の話合いを重視しながら、その前提となる要件を整理して制度の再編を図ることができるのではないでしょうか。
もう一つ、ワークライフバランスがあります。私生活との調和で、月100時間とか80時間ではなく、どれくらいだったら時間外労働をさせてもいいかどうかというところのワークライフバランスになってくると、これは罰則つきで制限するかどうかという問題とはまた違う問題になるので、実質的に労使コミュニケーションを促していって、それが外に見えるようにしていくということが恐らく大切なので、例えばそれぞれの企業等で平均残業時間とか、平均休暇取得日数などを公表してデータベースで、例えば会社を選ぶときに、ここはこれだけ働いていてこの給料がもらえているとか、ここはこういう休暇もたくさん取れているし、週休3日制もあるしとか、そういう形でワークライフバランスは市場機能を生かしながら促していくという規制の在り方も大切なのではないかと思います。
 III-4「多様な働き方に関する改革」については、働く時間か、働かない時間かというところに対する規制の在り方です。今は働く時間は労基法上、労働時間になり、労働時間については規制の下に置き、罰則付きでいろいろ規制することになっていますが、労基法上の労働時間に当たらない時間はどうかというと、基本的に契約自由に任されています。
 労働時間に当たらない時間について、プライバシーを保障して会社は関与しませんと言うか、もしくは、実労働したら労基法上の労働時間にしますと言うかなど、検討すべきです。
あとはオンコールワーク、ゼロ時間契約とも言いますが、所定労働時間を決めない働き方です。労働契約は結んでいるけれども、必要になったときだけ呼び、必要になったときだけ働かせる、ということが日本ではできてしまうのです。
 これは契約自由に基本的に委ねられているのですが、こういうのはヨーロッパで問題だと言われているので今はつながらない権利の話だとか、ゼロ時間契約については何時間以上とか、事前に予告をするとか、そういう規制が定められているのですが、これは労働時間に当たるから罰則を適用するというようなレベルの規制ではなくて、どうやってルールを決めていくかという話なので、強行的な労働基準法上の労働時間規制と、その他は契約に任せるというのではなくて、例えば契約ルールとして基本的にはこういうルールにしますよというデフォルトルールを、これは多分制度としては労働契約法制になると思うのですが、労働契約も労働基準局長の所管なので、そういう労働契約、契約のルールの定め方についてデフォルトルールを定めながら、例外を定めるのであれば労使できちんと話し合って、労働組合とか労使委員会で話し合って違うルールを納得の上でつくりますよというようなルールの在り方も併せて検討することが必要なのではないかと思います。私からは以上です。
○今野座長 水町構成員、ありがとうございました。
 それでは、質疑に入ります。安部構成員、どうぞ。
○安部構成員 画一的な規範や規制というものの限界がきている中、多様化にどう対応するか、というのは、法律と言うものが持つ性格上、なかなか相入れない部分があって難しい課題だと思いながら聞いていました。
 提言にあったように、ある程度当事者にその統治ができるよう委譲する代わりに、最低限守らないといけないところを健康と人権だと定め、それをしっかりと守りつつ、実質的なコミュニケーションが成り立ってさえいれば、あとは大半の部分を当事者に委ねて構わないという視点は大変興味深いと感じたと同時に、そうなったときに当事者が判断できる裁量の余地というのは、どこまで認めるべきか、考えながら聞いていました。裏返すと、特定された項目以外は当事者が決められるということになります。いわば連邦制のような多層構造で、アメリカの州法がある程度自治権を持っているのと同様、企業が健康配慮と人権に対して責任を持つ以上、一定の裁量を認めてもいいのではないかということと理解しました。正しいでしょうか。
○水町構成員 これは程度問題ではありますが、今、現行法で規制されているものの中で、健康確保や人権といった労使の話合いに任せておいたら危ないものについては、国が責任を持って守り、その他のものについては労使に任せていいような事項がたくさんあるのではないかと考えています。
 そして、今、労働基準法制等でチェックしていないところについては、もう日本は契約自由なんです。就業規則で定めて周知して合理性があれば基本的にやっていいことになっているので、つながらない権利やプライバシーに関わるようなところについては契約ルールの在り方を検討することが考えられると思いますが、どこまでどうしていいかというのをまさにこれから議論をしていって、シンプルに立て直すということが必要ではないかと思います。
○安部構成員 ありがとうございます。
○今野座長 大湾構成員、どうぞ。
○大湾構成員 非常に勉強になりました。ありがとうございます。
 労使自治を確保して当事者に委ねるという場合、組織の中でどういった合意があったかということが外に見えないと、組織の中での交渉力の強いほうが、使用者側のほうが都合のいいルールをどんどんつくってしまうという可能性があると考えています。
 交渉力に大きな差がある場合があるため、企業に情報を開示させるということはすごく大事だと思っています。企業の情報をデータベース化する際に、本当はどういった合意があったかということまで含めて外に開示させる必要があるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
○水町構成員 効率的に公表してデータベース化するためには、平均労働時間や、平均の休暇日数といった、横と比較できるような形で公表して認識させて選べるようにすることが大切です。企業、労使委員会、労使の中でどのような交渉がなされているかを開示することについては、この情報が分かると企業選びしやすいとか、転職しやすいとか、開示する情報の設計の仕方は工夫が必要だと思います。一方で、様々な情報を外に出しても、結局把握できないと思いますので、その工夫は必要かと思います。
○大湾構成員 例えばCSR相談や、企業の中のワークライフバランスに関する制度的なこともデータベース化することができるわけですね。そういう意味では、ルールについてもある程度標準的なものについては開示させるということは可能だと思うんですけれども、そういう理解でいいでしょうか。
○水町構成員 一つの可能性としては、こういう相談窓口を設置していて、相談件数が何件ありますよ、実質的に機能していますよということは公表されるかもしれませんが、その中身でどこまで公表するかというところは見えやすさというのもあるので、検討課題と思います。
○今野委員 1つ質問します。人権や健康確保については、法律で守る。次に、ワークライフバランスなどのように推奨という意味で国が関与する。その上は自由でいい部分、この3階層の整理でいいですか。
○水町構成員 健康確保も人権もゼロサムで選べるものではないのでグラデュエーションがありますが、その中でも非常に重要なものについては罰則つきのルールを定めるなど、グラデュエーションの真ん中くらいのところに基本ルールを決め、外に見えやすくしながら労使で話し合って例外をつくってもいいとする、もしくは、基本ルールより先のところは契約ルールにするなど、そのグラデュエーションの中で決まってくるのではないかと思います。
○今野座長 私もそのとおりだと思います。基本原則を書いておいてもらうと整理しやすいと思っており、例えば第2階層目のワークライフバランスというのはあくまでも例示だから、そうすると原則の例示としてワークライフバランスみたいなものがあると、実態はグレーゾーンでいっぱいあるというのは分かりますけれども、そうすると我々が考えるときに何か整理する枠組みができて良いかなという感じがするんですが、どうですか。
○水町構成員 議論をしてもらうためにもこういう項目がありますよということを少し整理してみることはできるかもしれません。
○今野座長 もう一つ、特に政府が関与する部分は健康確保や人権といった一番下の階層ですよね。健康確保に関して、例えばこのような手順を取りなさい、あるいは労働時間もこの程度にしなさいというのは全部予防の観点で健康そのものを見るわけではない。
 健康そのものを見て問題があったら手を打てばいいじゃないかというのは、結果をいつも見ようじゃないかということで、健康確保を実現するためのアプローチが違うと思います。水町構成員の提言は、結果を見て考える方法も入れるべきと捉えていいのでしょうか。
○水町構成員 基本的には、結果を見て補償することは一番少ないほうがいいと思います。ですから、やはり予防が一番大切なんですけれども、どこまでテクノロジーを入れることができるかというときに、テクノロジーを活用して個別判断で制度化できるかというところと、全て個別判断で医師が細かく見てデータで分析するということも必要であるとは思います。他方で、定型的にこれくらいになったら健康を阻害する可能性が高いという制度設計を定めることの両方が必要かと思います。
○今野座長 ありがとうございました。
 小林構成員、どうぞ。
○小林構成員 予防の観点でどのような情報を指標にすべきかについては、今、産業保健の領域で研究が進んでおり、健康を害するリスクが職場にどれくらいあるかというのはかなり定量的に把握できるようになっています。それを一つの基準にすることはできるのかなというふうに思いながらお話を伺っていました。
 リスクというのは可能性ですので、それを画一的にやってしまっていいのかといった議論も一方であるとは思うのですが、健康障害の発生が予測される職場にはそういった規制を入れていく必要がありますし、それを誰がやるのかですとか、どういった基準でやるのかというのはこれからの議論だと思います。今はストレスチェックの中で職場環境の改善ですとか集団分析というのは努力義務になっていますけれども、この辺りのデータの開示のためのルートを整備することなどが考えられるかと思います。
 ただ、実施者として産業保健スタッフがそのデータを扱うことになっていて、企業の人事の方が情報を扱うには規制がありますので、この辺りも結果の有効活用のために工夫のいるところかと思います。
 あとは、もう一つお伺いしたいのが、人権の部分です。ハラスメントに関してはコミュニケーションの問題でもありますので、一概にどちらかがイチゼロで悪いというわけでもない事例がほとんどだと思います。ここの部分に対してどのように規制をかけていけばよいか、諸外国の事例などありましたら教えていただけますでしょうか。
○水町構成員 ハラスメントはすごく難しい問題で、定型的な分類が難しい状況です。加えて、企業の中でアプローチすることが本当にいいのかという問題もあり、外部に人権やハラスメント問題に対して迅速に対応できるような公的な機関をつくり、そこで迅速な調査をして、そして企業なりハラスメントを訴えている人に対してアプローチをして解決をするという制度化を進めている企業もあります。
 ですから、人権侵害かどうかという判定がすごく難しいということになればなるほど、専門家の役割が非常に大切になってくるので、恐らくAIで判定できない場合には、企業の中で少なくとも予防なり相談窓口なりをつくるということは大切だと思います。また、内部の専門家がどう関与して問題に対して適切にアプローチするかということも制度設計上、考えなければいけないかなと思います。
○小林構成員 そういう判断ができるような機関を別につくるということでしょうか。
○水町構成員 ハラスメントに当たるかどうかという個別判断を行政機関としてコミットメントして事件を処理するという状況にはなっていないため予防をしてくださいということを今、言っています。その中で予防措置を講じるということに対する監督と同時に、個別の事案に対しては裁判に行ってというのもありますが、裁判というのはやはり時間とコストがかかるので、裁判ではないようなやり方でどう公的に解決にサポートしていくか検討が必要だと考えています。
○小林構成員 ありがとうございます。
○今野座長 戎野構成員、どうぞ。
○戎野構成員 労使関係が多様化する中で、労使自治の促進というのは現状に即して考えてみた時、とても重要で有益なものではないかと思いながら聞いていました。
 1つ質問です。実質的な労使コミュニケーションが行われることが前提にと書いてあるように、私自身、ここのところについて、今も頭を抱えています。労使自治の責任がより重くなるのではないかと思う中で、どのようにしたら実質的に充実したものができるのか。労働者側が多様化し、なかなか意見の取りまとめもできず、労労コミュニケーションも希薄化している中で、どのように意見の集約をしたらいいのか。また、中小企業の労働者に至っては知識も薄いこともあって、どのようにしたら実質的、有益な労使コミュニケーションができるのかなと思いながら聞いていました。その辺りは企業別だけではなく、地域といった他のまとまりも視野に入れていいのか、あるいは産業別の役割もあるのかなど、何かお考えがございましたら教えていただければと思います。
○水町構成員 働く人なり企業の人も含めて意識を変えていくということがすごく大切だと思いますが、これは車の両輪だと思っています。制度を変えることによって、制度に基づいて話合いを促していくということと、あとはその制度に魂が入るようにそれぞれ働いていく人の意識を変えていく。地域のコミュニケーションをどうするかというところで、私は方向性としては個別に分断化されていて、社会に対する意識を持っていない人がどんどん増えているかというと必ずしもそうではなくて、SNSなどの新しいツールが出る中で、周りの人や社会に対する意識や関心を持っている人は増えているのではないかとも思います。
 その人たちをこの制度の中で、自分たちの問題は自分たちで話し合っていくという制度なりツールをつくることが大切で、そういう方向にどうやって移行させていくかということを大きな課題にしていくべきだと考えています。自分たちの問題を自分たちで考えられなければ、国家が全部面倒を見てくれるという時代ではなくなるので、自分たちで考えていくという意識を醸成していくということが大切なのだと思っています。
○今野座長 中村構成員、どうぞ。
○中村構成員 ありがとうございます。非常に多角的に状況が理解できて、とても勉強になりました。
 まず感想としては、労働基準行政の根本的な再定義の方向性を今日、水町構成員は御提示されていると思いました。グラディエーションの問題の話と、一方でそういうふうに多分根本的にある程度契約自由を認める方向に持っていった場合は、やはり情報格差ですとか、交渉力格差ですとか、市場のゆがみですとか、様々な問題が出ることが想定されて、そこを担保する機能をどう重層的に整理するかというのがある種、一斉に噴出してくるので、本腰を入れて検討していく必要があるのだと思いながら伺っていました。
 建設的なものをつくっていくときに労使コミュニケーションが一つの課題になっているのですけれども、労使コミュニケーションの単位というのはどう考えればいいのか。私自身が分からないので、水町構成員や安部構成員にお伺いしたいと思います。
 というのは、例えば先ほど安部構成員が解雇の話、雇用維持の話をされたときに、アメリカはエンプロイメント・アット・ウィルということで解雇自由というふうに一般には言われていますけれども、一方でシニオリティーみたいな工場労働者に関しては年齢がいった人たちのほうがレイオフになった後に戻ってきやすいというような、実は年をいっている人のほうが雇用が守られるという制度も並走していて、一律に解雇自由ではないですという実態があります。
 日本のいろんな人と話しているときに思うのは、やはり工場の人たちとかは地域に職場があってそれ以外の選択肢がなくて、そこの雇用が失われるときのセカンドオプションのなさというのは当然雇用維持に対して極めて切実な要望として発露しているなということです。ホワイトカラーとブルーカラーとか、そういう産業の違いを何も気にせず一律の労使コミュニケーションのルールというものをつくれるのか、そうではないやり方を想定されているのか。もしお考えがあれば伺えればと思います。
○安部構成員 その点は私もジレンマだと思っています。一律の規制が限界に来ている中、現状を見ると、極端な言い方をすると、レピュテーションリスクも含め、法令遵守の圧力が極めて強く働く大企業は忠実にこれを遵守しつつ、他方中小企業は、経営上の必要に迫られ、両者合意の雇用契約解消と言いつつ、実質的には解雇に近いことが現実に起こっているわけです。守るべき弱者が守られず、日本経済に大きな影響を与える大企業には、結果的に大きな制約が加わっているとも言える図式になっている現状を、規制の在り方を画一的ではない形に変えていくべきだとおっしゃっているのは、私も強く賛同を覚えます。
 ただ、単に労使の自治に任せるだけでは大きな危険をはらんでいるという点は私も同感です。例えば、比較的中小の企業については、弱者を守るという趣旨で、法規制を、より効力を発揮するよう運用すると同時に、遵法圧力が働く大企業は、ある程度、自治に任せつつ、一定の基準に合致する実例やプロセスについては、開示を義務付ける。開示例としては、過重労働で健康を害したケースや労働災害と認定されるようなケースで、不可抗力や偶発的なことでも、残念ながら起こってしまった事実は、全て公表を義務付けることで、再発を防ぐというメカニズムを機能させることにつながるのではないでしょうか。
 規模だけで区分すると新規に事業を起こすケースなど、成長を支援すべきステージにある企業に対して大きな制約を与えることにもなりかねません。その際は、人権と健康ということさえ担保すれば、あとはある程度、自治を任せられるようにしておく必要があります。その意味でも開示と言うのは、一定の規律を保つ効果が期待できるのではないかと考える次第です。
○今野座長 開示によって労働基準を守ってもらう、労働条件を確保するという問題は、今日の水町構成員の議論を踏まえると、第1階層を開示で担保するというのは理念的に考えにくいと思っているのですが、いかがでしょうか。
 健康や人権といった絶対守らなければいけないということを第1階層というふうに定義すると、そこに情報開示で何かやるということは考えにくいのではないでしょうか。
○安部構成員 私が申し上げたのは、労働者の安全や健康確保と言う、絶対的な規制適用を必要とする項目は一定程度残した上で、一定規模以上の企業に、開示義務を伴って自治を任せるということです。例えば自治した内容だけではなく、プロセス、コミュニケーションについても開示するということを考えています。
○今野座長 水町構成員、どうぞ。
○水町構成員 労働基準法は事業場単位になっているのですが、事業場単位ではなくて実際に法的責任を負う企業単位で、実質的なコミュニケーションが機能する。事業場単位でいろいろ多様だと言うのですが、企業レベルで交渉して事業場ごとの多様性を持たせるような合意をすればいい話なので、私は企業レベルにした上で、ただ、企業というか、実は会社の単位というのは最低資本金制度が廃止されたので、自由に会社をつくったり潰したりすることができるようになって、企業グループの企業の設定の仕方というのはかなり会社のイニシアチブによって多様化できるようになる。
 その中でどうするかというと、世界的な状況の1つは、労使委員会なり企業委員会は企業を超えて、例えば企業グループとか多国籍企業とかというところで、やはり形式ではなくて実質的なコミュニケーションを促すということをやるのと、あとは今日お話ししたビジネスと人権というところでサプライチェーンとかということに対してもその話合い、コミュニケーションとか、責任とか、公表によって行動計画を立てさせて公表するというようなアプローチもあるので、基本的には形式ではなくて実態に沿ったような形で、これはハードロー、ソフトロー、いろいろありますが、多様な形でみんなに見えやすいようなルールをつくっていく。
 そして、第1階層の人権とか健康確保を損なうようなものがあったというのは、前提として第2階層とか第3階層は公表しなければいけないデータは、もちろん第1階層のところの企業も公表しなければいけないけれども、第1階層で罰があったら、これは例えば行政の監督に基づいて企業名公表を受けたり、罰則の適用を受けるということで外に見えるようになるので、外に見えやすくするという点では全て共通しているかな、やり方の違いかなと思います。
○今野座長 武田構成員、どうぞ。
○武田構成員 そういう意味では、今の人的資本経営の情報開示というのはフォローウィンドウと思っていていいのでしょうか。どちらかというと、罰のところが開示されてしまうというのが今までのルールで、健全な競争が行われる情報が開示されればいいと思っています。働く側が企業を選んでいけばいいので、条件がよろしくない企業には人が集まらないという健全な状況を生めばいいと思っています。
 ですから、そこはつながっていくほうがいいということでしょうか。
○水町構成員 企業がどんどん情報を出すことによって、情報を出さない企業は市場から評価を受けないという制度設計は、どううまくつなげていくかという問題で、おっしゃるとおりだと思います。
○武田構成員 いろいろ情報収集する中で、企業の情報開示はすごく多いし、サーベイなどもすごく現場のことを経営は今よく知っているようになっているのですが、それこそ労使であったりとか、従業員がというところの開示はまだまだ少ないと感じています。そこに関しては、スポットライトが当たることで、もう少しいいバランスになるといいんじゃないかと思います。
○今野座長 それは、従業員の集団になっているから労働組合が一番分かりやすいと思いますが、労働組合も我が社はこんな感じだぞと情報開示をしたらどうかという話ですか。
○武田構成員 いえ、企業がもう少し従業員目線であるとか、そういう意味ではエンゲージメントサーベイもそうだとは思うんですけれども、もう少し、昔はそれこそ労働組合に力があった頃は彼らが全社的にサーベイをきちんとやっていて、それを基に労使交渉していたじゃないですか。なかなか今はそこまで体力がある労働組合が少ないので、そういう機能が果たせていないと思うんです。
 その機能は一旦、企業側に移ったとしても、もう少し従業員から見て自分たちがどう見えるであるとか、単純に株主から見えてどうかだけではなくて、そういう目線の内容がもう少しあってもいいのかなと、そうすると多様性のことももう少しフォーカスをされたりするのかなと思った次第です。
○今野座長 大湾構成員、どうぞ。
○大湾構成員 2点質問があります。
 1つ目は、労使自治を確保するために実質的な労使コミュニケーションが行われるようにしなければいけない。そのときの手続の公平性をどういうふうに考えたらいいのか。要するに、どういうコミュニケーションの仕方であればそれは公平だというふうに判断していいのか。何かしらのガイドラインをつくる必要があるのではないかと思っています。
 2つ目に、働く人の価値観が多様化している中で、労働時間に関するルールというのを個別に設定することを可能にするような法律をつくる必要はあるのでしょうか。
 今までは、個別化していくとそんな労使間ではできないから無理だという話になると思うのですけれども、これからは例えばスタッフィングとか、そういうものも全部自動化で十分個別化できるようになってくると、ルールも個別化してもいいのではないかという議論が出てくると思うのです。そこまで考えて法律をつくる必要があるのかどうか、お考えがあれば教えてください。
○水町構成員 後者はまさにそのとおりだと思います。最終的には個別化してしまうと個人ごとにお医者さんと面談をして、健康が悪いときにはストップという話は必要ですが、ある程度定型的に大体こういうふうな基準を超えた場合には多くの人が健康被害を負うよというようなところではやはり強行的な定型的な一定のルールと、あとは個別のプロセスのルールを併用していくということになると思います。これは労働安全衛生法の中でも定型的な守らなければいけないルールと、個別にお医者さんと面談しながらチェックをして、ルールとは別にやはりドクターストップをかけるということも必要になってくると思います。
 前者は、例えば労働組合になれば、これは憲法28条で守られて組合費を払いながら労使で運営しているので、労働組合に対しては憲法28条の下で実質的な交渉力を確保しているという想定でやっていますが、労使委員会制度だと、組合費を払うのではなくて従業員と会社の中で委員会をつくって話合いをするということになるので、その労使委員会が実質的なコミュニケーションをやっているかというと、やはり2つのチェック機能が必要です。
 1つは、労働委員会の認証制度というのを例として出させていただいていますが、きちんとした基盤を持った委員会として存立しているのかという事前のチェックと、そして具体的にその中身がどうなっているかは先ほどおっしゃっていたようにプロセスを例えば外から見えるようにしながら、結果としてもチェックはしていくというような形で、実質的コミュニケーションを担保していくというような工夫は必要なのかなという気がします。
○今野座長 小林構成員、どうぞ。
○小林構成員 先ほどの後者の話で、企業が健康確保に関して何を測るべきか、何を公表すべきか、というところで言うと、企業が個別の労働者の指標ではなくて、そうならないようにするための仕組みですとか、そうなったときに対応できるための仕組み、こういったものをしっかりと構築して公表することが重要かと思います。
 先ほどの睡眠時間の話に関しても、睡眠時間を直接測れるといいとは思うのですけれども、個人差もありますし、どこまで責任を持てるのかというところは難しい問題です。何か答えがあるわけではないんですけれども、議論が必要な課題だと私も思いました。
○今野座長 伊達構成員、どうぞ。
○伊達構成員 労働に関連する法律をシンプルにしていくということは、私自身小さい会社を経営している中で複雑性を感じているので賛成です。
 一方で、たとえ法律をシンプルにしたとしても、それがきちんと運用されていくということが重要になってくるのかなと感じました。特に中小企業の場合、例えば労働法に関しての専門的な知識を持った人材が必ずしも全ての事業場においているわけではないですよね。そういった中で、さっき今野座長がおっしゃられたとおり、悪意を持って労働者を搾取しているわけではなく、知識がなくて結果的に誤りを犯してしまうということは起こり得ると思うんです。
 そのときに、法の問題を考えていくのと同時に、中小企業をはじめとしたところに対して教育をいかに行っていくのかというところが大事だと思いました。加えて、専門家との連携というのをいかに進めていくのかというところも一緒に議論されていくと、より運用しやすい形になっていくのかなと思いました。
○今野座長 水町構成員、いかがでしょうか。
○水町構成員 実はどの国も中小企業は労働法が守られにくいというのがあって、日本がその典型的な例だったのですが、今、少し変わってきているのは、やはり働き方改革で絶対守らなければいけない基準があるということを中小企業の人たちも分かるようになってきたことです。今まで36協定が全然なかったところに36協定を締結しなければいけないとか、やはり100時間、80時間を守らなければいけないよねという意識が昔よりは大分、醸成されてきていると感じます。
 それは、どういう規制にしたり、どういう国民運動にしていけば中小企業も労働法を守るようになるかということが、今回もし改正をするのであれば大切な改正なんだということをPRしていくことと同時に、やはり公的な機関で情報面とかそういうデータ面でのサポートをしていくということとか、労使コミュニケーションも中小企業の中でやりやすいような形でどう制度設計していくかというのを合わせながら前向きに進んでいく。少しずつステップを踏んでいくということが必要かと思います。
○今野座長 
 それでは、時間ですので今日は終了といたします。本日発表いただいた戎野構成員、水町構成員、ありがとうございました。
 次回の予告をお願いします。
○労働条件確保改善対策室長 次回は、5月25日木曜日13時から15時にAP虎ノ門で行います。
 以上です。
○今野座長 それでは、本日の研究会は終了いたします。ありがとうございました。