安全な医療のために ~患者と医療者が一緒につくる~

私たちは、医療を受ける際に当然のように「安全」が確保されていると思っているのではないでしょうか。しかし、本来医療は不確実で危険性をはらむものであり、何もしなくても安全なわけではありません。
本特集では、「医療の安全」の向上を支えてくれている人たちや国、団体、その取り組みにスポットを当てます。

<Part1>
患者の安全を守る「縁の下の力持ち」

国民が「医療を安全に受ける」ことを支えるため、厚生労働省をはじめ、さまざまな機関や団体が連携しながら活動を進めています。パート1では、それぞれの役割や取り組みについて、現場の声を踏まえて紹介します。


解説
松本晴樹(右)
医政局地域医療計画課 医療安全推進・医務指導室 室長
植田瑛子(左)
医政局地域医療計画課 医療安全推進・医務指導室 医療安全対策専門官

 

<厚生労働省の取り組み>
「リスク」があることを前提に 患者を含むすべての関係者が協働

医療安全施策の始動
国内で相次いだ医療上の重大事案を受け2001年、厚生労働省に医療安全推進室が設置されました。
医療現場で事案が発生すると、医療従事者個人の誤りが注目され責められることが未だにありますが、誤りの背景にはそれを誘発する複数の要因があることが知られており、「事故につながりにくい仕組み」をつくらなければ安全性は向上しません。

また、たとえ誤りがなくても医療には本来、合併症などの危険性・不確実性もあります。このように医療には常に「リスク」が伴うことから、望ましくない出来事から学び、リスクを減らす不断の努力が必要です。

これまでの施策と現在の取り組み
厚生労働省では多方面から医療安全の施策を進めてきました。まず、すべての医療機関に医療安全管理のための体制確保を義務化し、医療安全活動の骨組みを構築するとともに医療安全管理の人員体制を有する医療機関に診療報酬上の加算措置を行い、取り組みを支援するなど、医療安全活動の質を高める方策を実施しています。

また、事故などからの学びを共有し再発を防ぐための仕組みとして、医療事故情報収集等事業と医療事故調査制度という国レベルの制度を設けています。これらの制度では、医療機関のみならず製薬企業や学会にも分析結果が共有され、安全な製品の開発や専門家に対する啓発へとつながっています。

さらに、各自治体が医療安全支援センターを設置し、医療に関する患者・国民からの相談を受け止め支援する体制を整備しています。医療安全支援センターは、地域の患者・住民に医療安全の啓発を行う役割も担っています。加えて、医療安全推進週間や世界患者安全の日といった節目や、閣僚級世界患者安全サミットなどの国際会議を通じ、国内外における関係者の協働を推進しています。



患者を含む関係者の協働
医療の主役である患者との協働を進めるためには、患者を含む医療の関係者全員が医療のリスクに向き合い、率直に語り合い、ともに向上をめざす文化が重要です。
厚生労働省としては、患者に医療安全の取り組みを周知し、患者が医療安全に主体的に参画できるように支援したいと考えています。

<Part1>病院の取り組み
社会福祉法人恩賜財団 済生会熊本病院

安心・安全な医療を受けられる院内の組織・環境を整備


解説
村中 裕之さん
社会福祉法人恩賜財団 済生会熊本病院TQM部 部長


医療の質を担当する組織 TQM部を設置
済生会熊本病院では、2000年に病院全体にかかわる医療の質の管理部門として、診療サポート部門にTQM部が設立されました。TQMはTotal Quality Managementの略で、医療の質を管理することで、患者さんが安心して安全な医療を受けることができる環境を整えるための部署です。

医師、看護師、薬剤師、臨床検査技師、臨床工学技士、作業療法士、事務などの多職種からなる15人のスタッフが勤務しています。


TQM部の皆さん

現場の取り組みをTQM部がサポート
医療安全上の問題について、当院では「患者さんの損害を最小限にすることと、再発を防ぐこと」を全職員の共通目標として活動しています。TQM部では、病院内で有害な事案が発生した場合には、速やかに現場の担当部署と連携して対応にあたっています。

また日頃から、病院内のラウンドや、各部署のカンファレンスへの参加を通じ、個々の現場が直面している医療安全上の問題を把握するとともに、分析した情報や再発防止策を各部署と共有し、職員が主体的に改善活動に取り組めるようにサポートしています。

改善のためのサイクルを回し続ける
病院の医療安全の向上のためには、医療安全に関する情報を収集し、問題点を抽出し、その要因を分析し、対策を立てて実行し、対策の効果を検討するという、改善のためのサイクルを回し続ける必要があります。

たとえば、近年は患者さんの高齢化に伴って病院内での転倒が増加しています。転倒が骨折等につながってしまうと一定期間の安静が必要となり、それが要介護の入り口となってしまうこともあります。従って転倒を防ぐことは患者さんの健康のために重要であり、TQM部では病院全体の重要課題と捉えています。

そこで、院内の各部署における「転倒の発生率」を指標として測定することで可視化し、全ての部署で転倒の防止に取り組んでいます。


リスクを可視化し 共通認識を持つ
たとえば、外来エリアにおいて、転倒が発生する状況やその要因を分析したところ、身体機能の低下や治療の影響により「転倒しやすい患者さんがいる」ことや、病院の中に「転倒しやすい場所がある」ことがわかってきました。

そこでまず、特に転倒のリスク(危険性)が高い患者さんに重点的に対策を開始しました。予め定めた評価ツールに従って職員が患者さんの転倒リスクを評価し、杖を使用している方や歩行にふらつきのある方など、転倒リスクの高い患者さんに「ハートフルパス」を身につけていただくようにしました。

「ハートフルパス」をつける際には、転倒の危険性を患者さんや付き添いの方にご説明しています。患者さん自身に注意を促すとともに、「リスクを可視化」することで、周りの病院職員が注意してその患者さんを見守り、支援することができるようにしています。

また、転倒しやすい場所の可視化にも取り組みました。たとえば、エスカレーターの乗降口は転倒しやすい場所の一つだったことから、ポスターを掲示して、転倒リスクの高い方に利用を控えていただくよう注意喚起したり、外来の床に矢印を描いてエレベーターの場所をご案内するといった工夫をしています。



成果も可視化して共有し 職員の主体的な参加を促す
大切なのは、対策して終わりではなく、その効果をモニタリングして改善をめざし続けることです。当院では、職員用端末を使って各部署の転倒発生率を病院全体で共有することにより、取り組みの成果を数値として可視化しています。

このようにして職員が自部署・他部署の取り組み状況や効果を共有・実感できる環境を整備することで、職員の取り組みへの意欲を高めて積極的な参加を促すとともに、新たな問題があれば早期に発見して対策できる体制を整えています。

医療は“患者さんが中心”  不安や疑問を聞かせてほしい
医療の質改善は患者さんを中心に考えるべきです。当院では「患者満足度の高い医療であること」「ベストプラクティスに近い医療を提供できること」「失敗のない医療を提供すること」を重視しています。これらを実現していくためには、「職員一人ひとりが自分のこととして主体的に改善に取り組む組織」になっていかなければなりません。TQM部はそのために、職員が医療の安全や質を主体的に考える機会や場を提供しています。

患者さんに知っていただきたいことは、受けている医療はすべて“患者さんのため”に行われているということです。治療に対する疑問など、聞きたいことはぜひ聞いていただきたいです。また、不安なことも医療者に伝えていただけると、速やかに対応することができます。

医療安全は、医療者だけでなく患者さんも参加したチームによって実践されていることを知っていただきたいです。


9月14~18日 9月17日「世界患者安全の日」のテーマカラーであるオレンジ色に病院をライトアップ

<Part1>
事例からの学びを共有し再発防止につなげる制度

1 医療事故情報収集等事業(日本医療機能評価機構)

事故などの情報を収集・分析・公開し  現場での医療安全対策に貢献

解説
坂口 美佐さん
公益財団法人 日本医療機能評価機構 医療事故防止事業部部長


事故だけではなく  ヒヤリ・ハット事例も収集


日本医療機能評価機構の事業の一つに「医療事故情報収集等事業」があります。

これは、医療機関から報告された事故などの事案や、事故に至らなかったヒヤリ・ハット事例(※)を収集・分析し提供することで、医療安全対策に有用な情報を広く医療機関で共有するとともに、国民に対して情報を公開することにより医療安全対策の一層の推進を図ることを目的としています。

本事業では、報告された事例を分析のうえ、報告書を年4回、医療安全情報を月に1回作成し医療機関等に配布するとともに、ホームページ上で公開。また、事例の報告の質を高めるため、参加医療機関を対象に、医療における事故の分析手法の演習などを含む研修会も開催しています。

これまで公開した事例をもとに、医療機関や製薬企業などではさまざまな対策が取られてきました。たとえば、薬の取り違えが生じた事例の分析から、名前や外観などに工夫が施され、製薬企業が連名で注意を喚起したことがありました。また、車いすの乗り降りの際に足置きが足に当たって外傷を負った事例をもとに、介助のポイントの再認識を促すようにした例もあります。

医療機関の方々には、今後も報告書などを参考に現場に即した対応をしていただきたいですし、事例を報告していただきたいです。

医療機関が報告する手間を惜しまずに協力してくださっているのは、ほかの医療機関で同じような事故やヒヤリ・ハット事例が起きてほしくないとの思いからです。医療機関は日々さまざまな努力をしています。そのことを多くの方々に知っていただきたいと願っています。

(※)
この事業では、医療に誤りがあったものの患者に実施される前に発見された事例や、患者への影響が軽微であった事例などを「ヒヤリ・ハット事例」として収集しています


月1回発行している「医療安全情報」。
事例が発生した経緯や医療機関での再発防止策をわかりやすくまとめて発信している
 

2 医療事故調査制度(日本医療安全調査機構)

医療のなかで起きた予期しない死亡の原因を究明して再発を防止する

解説
宮田哲郎さん(常務理事:右)/木村壯介さん(常務理事:左)
一般社団法人 日本医療安全調査機構



死亡事例から学び  安全な医療の実現をめざす

日本医療安全調査機構の役員(前列)と事務局の皆さん

日本医療安全調査機構は、2015年10月の医療法改正により開始された「医療事故調査制度」における「医療事故調査・支援センター」(以下、当センター)として厚生労働大臣から指定を受け、その業務を行っています。

医療事故調査制度は、医療事故(※)が発生した医療機関で院内調査を行った結果を第三者機関が収集・分析することで再発防止につなげ、安全な医療を実現することをめざす制度です。

当センターは、全国の医療機関から院内調査結果を収集し、死亡に至った共通点などについて医療の専門家が分析したうえで、「医療事故の再発防止に向けた提言」としてまとめています。

提言は「中心静脈カテーテル挿入・抜去」や「注射剤によるアナフィラキシー」など、特に重要性の高いテーマを選んでこれまでに第18号まで公表。「医療現場が安全になること」をめざし、現場で活用しやすいチェックリストや、医療機関の研修に活用できる動画などの資料をホームページで公表しています。

さらに企業との連携により、分析結果に基づいて、より安全な医療機器・医薬品の開発にもつなげています。

当センターではそのほかに、医療機関から報告があった事例について、医療機関や遺族から依頼を受けた場合に行う調査(センター調査)や、医療事故調査に従事する人への研修を行う役割も担っています。医療事故からの学びが共有され、再発防止に活かされ、医療の安全性が向上することを願いながら活動しています。

(※)
この事業では、提供された医療に起因し、又は起因すると疑われる死亡又は死産で、医療機関の管理者が予期しなかったものとして厚生労働省令で定めるものを、「医療事故」と定義しています



上:提言内容の解説動画など、医療現場で研修などにすぐ活用できる資料も提供
下:医療機関から集積した調査結果を専門家が分析し、再発防止策を提言。医療機関・企業・学会などに広く還元している

<Part2>
「医療安全支援センター」を知ろう、頼ろう!

医療に関する相談や、医療機関で受けた治療や説明に関する疑問・不安などを相談できる窓口である「医療安全支援センター」。
ここでは、どのような相談ができるのか、どのような対応が行われているのかについてお伝えします。


解説
荒神 裕之さん
医療安全支援センター総合支援事業(一般社団法人医療の質・安全学会 副理事長)


医療に関する相談・疑問・不安に対応し助言や情報提供を行う


医療安全支援センターは、医療法に基づき、都道府県、保健所を設置する市と特別区、二次医療圏に、合計395カ所(2022年11月1日現在)設置されています。

同センターの主な業務は、住民にとって身近な相談機関として、医療に関する患者や住民からの相談・疑問・不安に対応し、必要に応じて医療機関に助言すること。また、住民向けの医療安全に関する普及・啓発、医療従事者向けの医療安全に関する助言や情報提供、研修なども行っています。

相談業務では、どの診療科にかかればよいのかという相談から、医師とのコミュニケーションの取り方、治療への疑問や不満など、さまざまな声が寄せられています。同センターでは、こうした問い合わせに対して助言や情報提供を行っています。

一方、医学的な診断や、医療行為における過失の有無や責任の所在の判断、医療機関との紛争の仲介・調停などは行っていません。問題を解決するための組織ではなく、中立的な立場から解決に向けた双方の取り組みを支援するところであるということを知っておいていただきたいです。

住民向けの普及・啓発では、パンフレットを作成したり、地域の広報誌に記事を掲載して同センターの周知を実施したり、ホームページで、同センターによくある問い合わせやその回答、専門の相談窓口などを紹介しています。何か医療について相談したいと思ったとき、一度見ていただくと、相談したいことの答えが掲載されていることも。

問い合わせは、お住まいの地域の同センターにしていただきますが、ほかの地域のホームページもぜひ見てみてください。欲しい情報や問い合わせのヒントが掲載されている場合もあります。

そのほか、市民講座などを開催し、患者の立場で行える医療安全対策についての知識などを啓発しています。
近年、患者が医療安全対策に参画することで、医療者だけで医療安全に取り組むよりも効果が高まることが知られてきています。お住まいの地域で、そうした勉強会や研修会が開かれていないか調べて、ぜひ参加してみてください。

さらに、「医療安全支援センター総合支援事業」ではセンターの相談員への研修や、センター間の情報交換を行っており、これらを通じて相談対応の質の向上に取り組んでいます。
悩んだ場合は一人で抱え込む必要はありません。お住まいの地域の医療安全支援センターにいつでも問い合わせてください。

<医療安全支援センターはどこにある?>

全国の医療安全支援センターの情報は、こちらよりご確認いただけます。各窓口の相談受付時間や詳細は各自治体のホームページなどに掲載してありますので、一度調べてからお問い合わせいただくのがよいでしょう。


医療安全支援センター総合支援事業を運営している医療の質・安全学会の皆さん

松本市医療安全支援センター

松本市医療安全支援センター(保健総務課)の皆さん

患者と医療機関がwin-winの関係になれるように
長野県にある松本市医療安全支援センターには、市民からさまざまな相談が寄せられています。

「ある患者さんから、『医療機関を受ける際、事前に検査に費用がかかるか確認し、必要ないと言われたのに支払いを求められた』との相談がありました。相談を受けて、医療機関にこの件について聞き取りをしたところ、双方の認識がズレていることがわかりました。患者さんは『医療機関の事前の説明と違うことに戸惑っており、必要な費用であれば支払うつもりがある』のに対して、医療機関は『患者さんは支払いをする気がない』と思い込んでいる状況でした。

そこで、当センターが間に入って話のすり合わせを行い、患者さんに、医療機関側から説明の誤りを謝罪してもらい、患者さんも支払いをし収まりました。基本的には話をお聞きして助言などをしていますが、このように必要に応じて間に入って調整を行うこともあります」と、同センターの嶋田廣子さんは話します。

同センターでは、市民向けに「賢い患者になるためにー上手に医療機関にかかりましょうー」と題する出前講座を開いています。「悩みを抱え込まないでほしいと思っていますが、自ら問題を解決する力を患者さん側が身につけることも大切です。そのため、医療機関を受診する際の知識を、講座を通じて伝えていきたい」とのことです。

「患者さん側に知識を持ってもらうこととあわせて、医療機関側には患者目線での説明や情報提示をお願いしていきたい。患者さんと医療機関の双方が適切にかかわり合いwin-winの関係になれることが大切だと思います」と、総務課長・徳永剣さんは今後を展望します。

<Part3>座談会
関係者が協働して医療安全をめざすには

今年の「世界患者安全の日」のテーマは「患者安全のための患者参画(Engaging Patients for Patient Safety)」であり、医療安全において患者と協働しようという機運が世界的に高まっています。今回は、患者・医療者・医療行政の三者で語り合い、関係者が協働して医療安全をめざす方法を考えます。



マイナスの情報を共有し 学びながら仕組みを改善する

塩崎 今年は、2018年に閣僚級世界患者安全サミットで「東京宣言」が取りまとめられてから5年の節目であり、関係者が協働して医療安全をめざす方法を考える座談会を企画しました。国内で医療上の重大事故が相次いだ2000年前後、実は私は司法修習生として地方裁判所で医療訴訟の集中部に配属されました。人の命を預かる医療の重要性を強く認識した経験です。

松本 そのころの医療への不信感は深刻でした。当時はまだ、「事故はある特定の者の人為的なエラーで起きる」と考える風潮が強く、事故が起きれば「誰のせいか」と犯人を探し、医療者個人の不注意や不手際を責めて反省を促すことに終始する傾向があり、医療者の萎縮を招いたり、エラーや事故といったマイナスの情報を表に出すことへの躊躇につながっていたのではないかと思います。一方で現在は、マイナスの情報を隠さず共有し、皆が学びながら安全な仕組みをつくることの重要性が認識されるようになってきました。

また、過去には上席者等へ意見をすることが許されない風潮が多くの医療現場に見られ、これも安全文化の障壁になっていました。そこで日本医師会では「医療安全のためには誰もが自由に発言し、建設的な指摘ができる文化を醸成しよう」と発信してきました。現在までに医療現場に浸透してきているように感じます。

塩崎 厚生労働省が2002年に公表した「医療安全推進総合対策」でも、仕組みを改善する重要性や、責任追及よりも事故の原因を究明し防止策を立てることの重要性が強調されました。この方針に沿って医療機関の管理者に医療安全管理体制の確保を義務づける等の施策を進めてきましたが、医療機関の医療安全管理対策にはどのような影響があったでしょうか。

松本 医療法上の義務になったことで、病院から診療所まで全ての医療機関で医療を安全に提供する体制が格段に進みました。たとえば、医療安全のマニュアルを整備し、職員に医療安全の研修を行い、院内で起きた事故等を分析し対策するといった改善活動が実践されています。
さらに、医療事故情報収集等事業や医療事故調査制度といった国の事業への参画を通じ、医療界全体で事故等から学習して安全の向上をめざそうとしています。日本医師会でも、医療安全を担う人材の養成講座を開講し、現在までに1万人近い修了者がいます。
しかし、医療界のこのような取り組みは表からは見えづらく、今後はもっと患者に対して発信して知っていただくことで、一致してさらなる高みをめざせるのではないかと考えています。


松本吉郎さん(公益社団法人 日本医師会 会長)
医療者

全員参加で医療安全に取り組む重要性を医療者が認識し
協働の場や方法を築いていくことが重要


情報が閉ざされた時代から嘘偽りなく説明される時代へ

塩崎 患者の視点では、この30年の医療安全の歩みをどのように振り返っておられますか。

山口 劇的に変わったのは、医師をはじめとする医療者が、時間をかけて嘘偽りなく患者に説明するようになったことです。

私自身も1990年に卵巣がんの治療経験がありますが、当時患者には情報が完全に閉ざされていました。がん告知はタブーとされ、薬も名前がわからないように切り取って渡されました。「何の薬ですか」と聞くと大真面目に「山口さんに必要な白い錠剤です」と言われ、それを誰もおかしいと思わないような時代でした。患者側も「専門性の高いことは理解できない。すべてお任せするんだ」という認識。

その後1990年代半ばにインフォームド・コンセントの概念が広まり、情報社会化も相まって、一気に患者への情報提供が進みました。そして1990年代後半になると医療事故の報道が増え、不信感の高まりに呼応して「マイナスの情報も事前に患者に伝えなければならない」という機運がさらに高まりました。
このようにして、医師の説明やインターネット等から患者が得る情報があふれんばかりになった一方、患者側の情報リテラシーが追いついていないと感じます。医療のリスクや不確実性に関する認識には、患者と医療者でまだ乖離があります。


山口育子さん(認定NPO法人ささえあい 医療人権センターCOML 理事長)
患者

医療者には、医療安全の取り組みや、そのなかで見えてきたことを透明性を持って
患者・国民と話し合う姿勢を貫いていただきたい


医療のリスクに関する認識のギャップを埋めるには

塩崎 インターネット上にさまざまな情報があふれる昨今、患者側にも情報リテラシーが伴わないとむしろ認識のギャップが開く可能性がありますね。医療のリスクに対峙するには、関係者間の共通認識が重要ですが、どうしたら認識の隔たりを埋められるでしょうか。

山口 共通理解のためには、「共通言語で話せているか」を意識してコミュニケーションをとる必要があります。医療者が専門用語を使うことの問題がよく指摘されますが、日常的と思われる言葉でさえも患者と医療者とでは認識が異なるのです。

たとえば、抗がん剤について、「比較的効く」という言葉を医療者側は「3割ほどの確率でがんが小さくなる」という感覚で使い、一方の患者側は「7、8割ほどの確率でがんが消えてなくなる」と受け止めたりします。さまざまな対策が必要ですが、たとえば、医師の説明後、理解した内容を患者に自分の言葉で語ってもらうことで、早期に認識のギャップを埋めるという方法があります。

もう一つ、医療には限界と不確実性があることを、患者・国民に知らせていく必要があると感じています。医療に過度に期待せず、冷静に見つめられる人を増やしていくことが重要だと思います。

松本 そうですね。現実問題としてヒューマンエラーはゼロにはならないうえに、あらゆる医学的判断や医療技術は不確実性を伴います。さらに、医療の高度化・複雑化に伴い過去にはなかったリスクが生じている側面もあります。

たとえば、一人の患者に多くの医療者がかかわるようになり、患者の情報を確実に伝達することが難しくなってきています。医薬品や医療機器の扱いも複雑化している。医療者・患者の両者がリスクを認識し向き合いながら、医療安全の向上をめざすことが重要ではないでしょうか。


塩崎彰久(厚生労働省 厚生労働大臣政務官)
行政

国民の皆さまに、医療のリスクや医療安全について、
より分かりやすくお伝えし、認識を高めていきたい


医療安全には患者の役割も重要

塩崎 医療の進歩に伴う新たなリスクもあるということですね。これに立ち向かっていくための一つの鍵が「患者との協働」でしょうか。

松本 医療者だけで医療安全をめざすのではなく、患者にもパートナーとして一緒に取り組んでいただくという考え方は重要だと思います。たとえば、先ほどの例ですが、一人の患者について多くの関係者が情報をやりとりするなかで、一貫してその場に存在し全体像を把握し得るのは患者自身です。そのような観点からも、患者や家族が診療内容を把握し自ら医療安全のためのシステムの一翼を担えるよう、患者にわかりやすく十分な情報提供を行うことは大切だと考えています。

山口 患者には、自身の医療に主体的にかかわる意識を高めることに加え、医療機関の安全や、国の医療安全施策においても果たせる役割があります。たとえば、COMLの「病院探検隊」という活動では、病院からの依頼を受けて病院に出向き、見学や実際に受診してプロセスを経験し、医療安全上の改善点を提案しています。患者の視点でしか見えない問題が多くあるのです。

また、国の医療安全の委員会等に医療を利用する立場として参画する委員の養成も行っています。自らの関心から離れて全体を俯瞰し、専門家が居並ぶなかで明確に意見を言うには訓練が必要ですが、医療の利用者である患者の視点は多くの場面で重要視されてきていると感じています。

協働の鍵は信頼関係と透明性

塩崎 医療安全のさらなる高みをめざすうえで何が重要か、それぞれの立場からお考えを聞かせてください。

松本 まずは医療界が進めてきた医療安全の取り組みをより一層充実させていく必要があります。医療者には、医療安全を最重要課題とし、弛みなく向上をめざす責務があると考えています。そして、「患者と医療者の信頼関係」が医療の根源であることを認識し、これをさらに強化していく必要があります。
その上で今後は、全員参加で医療安全に取り組む重要性を医療者が認識し、協働の場や方法を築いていくことが重要ではないでしょうか。

山口 医療者には、これまで培ってきた医療安全の取り組みを、積極的に患者・国民に発信していただきたい。そして、そのなかで見えてきたことを、透明性を持って話し合う姿勢を貫いていただきたいと思います。これからの患者が冷静に医療と向き合うためには、医療の限界と不確実性、そして医療現場が今抱えている課題をしっかり伝える必要があると思います。

限界や不確実性というとマイナスのイメージがありますが、それを知ったうえで医療安全のためにどのようにかかわれるか考えることは、患者にとって必ずプラスになると信じています。

塩崎 「信頼関係と透明性を高めながら、関係者が協働する」。本日の座談会を通じ、この重要性を改めて認識しました。厚生労働省の施策としては、医療事故情報収集等事業において医療機関から集積した事例の情報を公開しているほか、医療機能情報提供制度 (※)を通じ、医療機関の医療安全の取り組み状況を公開しています。

今後は国民の皆さまに対してよりわかりやすくお伝えし、医療のリスクや医療安全に関する認識を高めていきたいと思います。また、患者・医療者の双方に「医療安全における患者の役割」を啓発する必要があるとの思いも強めました。全国に設置している医療安全支援センターは、患者や医療者への研修等を担っており、そのような機会を活用して取り組んでまいりたいと思います。山口理事長、松本会長、本日は有意義な議論をありがとうございました。

(※)医療機関等に対して、医療を受ける者が医療機関等の選択を適切に行うために必要な情報(医療機能情報)について、都道府県への報告を義務付け、都道府県がその情報を集約し、わかりやすく提供する制度
 

出典 : 広報誌『厚生労働』2023年11月号 
発行・発売: (株)日本医療企画(外部サイト)
編集協力 : 厚生労働省