戦中・戦後の体験を次世代につなげる 語り継ぎたい平和への願い


今年の8月で、終戦から76年が経ちます。長い年月の経過に伴い、日本の社会のなかで戦争への関心が薄れていることに加え、昨年からの新型コロナウイルス感染症の流行もあり、戦争について語り合う・学び合う場や機会が減ってきています。本特集では、戦中・戦後の体験・記憶を次世代に語り継いでいくために、現代における戦没者慰霊のあり方について考えるとともに、「戦争を風化させない」ための事業の当事者や戦没者遺族の声をお伝えします。





<Part1 対談>
今だからこそ改めて考えたい!
令和時代の戦没者慰霊のあり方


戦争体験者が減り、戦争について語り合う・学び合う場や機会が少なくなっているなかでも、援護事業は続いていきます。援護事業を続け、戦争の体験や歴史を風化させないためには、戦争を知らない世代の理解が必要です。歴史学者の成田龍一さんと厚生労働省の対談を通して、今だからこその戦没者慰霊のあり方を考え、今後の課題を整理します。


成田龍一さん(日本女子大学 名誉教授)

なりた・りゅういち●大阪府出身。1951年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、早稲田大学大学院文学研究科博士後期過程修了。横浜市立大学講師、東京外国語大学講師、助教授を経て、日本女子大学教授。専攻は近現代日本史。著書に『戦後日本史の考え方・学び方:歴史って何だろう?』(河出書房新社・14歳の世渡り術シリーズ)ほか


田邉幸夫(社会・援護局援護・業務課調査資料室長)

たなべ・ゆきお●千葉県出身。援護局書記室、庶務課、社会・援護局施設人材課、大臣官房国際課、在中国日本国大使館、社会・援護局中国孤児等対策室、大臣官房人事課長補佐、国立感染症研究所ハンセン病研究センター庶務課長、社会・援護局事業推進室長補佐(総括)、援護企画課長補佐(総括)、などを経て2021年4月より現職。



戦争体験者が減るなか学生の戦争への意識が変化

成田●私は歴史学の近現代史を専門に研究しており、1980年代半ばから昨年までの30数年間、日本女子大学で、20歳前後の若者たちに近現代史を教えてきました。学生を対象とした、いわば定点観測する場を通して、戦争への関心の形が変わってきていることを感じました。

田邉●成田さんの感じた変化とは具体的にどういったものでしょうか。

成田●教壇に立ったばかりのころの学生は、だいたい1965年くらいの生まれの人たちでした。この世代は、「身近に戦争経験者がまだ少なからずいる」「戦争の跡も身近に残っている」ということもあり、戦争に対する関心を自発的に持っており、卒業論文のテーマも戦争(アジア・太平洋戦争)にする人が多くいました。
 それからしばらく経つと、戦争への関心が少し遠くなっているのを感じました。身近な体験者が徐々に減り出し、映画やテレビドラマ、漫画などから戦争の情報を得るようになっていきます。「戦争が日常を破壊する」「戦争が物理的に人を引き裂く」といった認識を、メディアを通して持っていました。
 そして近年は、こちらから戦争について積極的に話しかけなければ関心が向かない人が多くなってきたという印象です。平和教育を盛んに行っている学校を経ていない場合は、ピンポイントでの関心・知識しか持っていないように感じます。たとえば、「原爆について知っている」「修学旅行で行く沖縄についてだけ調べた」「シベリア抑留は知っている」といった具合です。
 私の接してきた学生の意識だけでも、この30年余りで変化していることを強く感じます。

田邉●私は厚生労働省で援護・業務課調査資料室に勤務していますが、援護行政でかかわる方々は戦争に対して興味や関心、思いを持っている人が多いので、成田さんの学生の話はとても興味深かったです。
 援護事業のなかに「戦没者遺骨収集」という、海外戦没者の遺骨を日本に帰還させるための取り組みがあります。そこでは、遺族や戦友、学生や自衛隊OBの人たちなど、今まで多くの方々に協力いただいてきました。また、「慰霊巡拝」も戦後から続けており、遺族の方から現在は孫世代の方まで参加しています。ある意味で、戦争が身近であったり、関心を持っている方たちです。
 成田さんは、30数年前の学生と比べて近年の学生のピンポイントでの関心・知識について、どのような危機感を覚えていますか。

成田●30年ほど前の最初の学生たちも戦争について全体的な知識をもっていたかというと、決してそうではありません。身近に感じ、関心を持っていても、戦争というものをすべて知っているわけではありませんでした。
 強いていうならば、近年の学生たちは先ほど話しましたとおり、自分の関心の赴くところへは入っていくが、それ以外には関心が向かないゆえに、戦争の全体を知ろうという発想はなかなか持てないということです。必要な知識を得てしまうと、関心がそこで止まってしまうのです。


「昭和館」「しょうけい館」と語り部育成の取り組み

田邉●厚生労働省では、若い世代をはじめ多くの方に戦中・戦後の様々な労苦を知っていただき、次世代に継承していくために、戦中・戦後の国民生活上の労苦を伝える「昭和館」、戦傷病者とその家族等が体験した労苦を伝える「しょうけい館」を運営しています。また、これらの労苦を次世代に語り継ぐための語り部を育成し、講話活動等に取り組んでいます。

成田●行政でしかできないことがたくさんあると、私は思っています。遺骨収集はその代表的な例で、行政によってこそ、海外での収集が可能でしょう。資料収集とその保管についても同様です。行政だからできないことよりも、行政でなければできないことを充実させていただけるとうれしいです。
 行政ができない領域については、学校教育や民間団体などがそれぞれ活動しています。お互いに重なり合い、接しながらやっていくことでより良い取り組みができるだろうと思います。

田邉●昭和館やしょうけい館は教育の場としてや、小中学生の修学旅行や社会科見学の一環として多く活用されています。現在はコロナ禍ということもあり、団体で来られる方は少ないですが、以前は小中学生や高校生の団体での来訪者数は全体の25~50%を占めていました。
 成田さんが指摘された、「行政でなければできないこと」である、戦中・戦後の歴史的資料をたくさん集めることができる強みは、昭和館やしょうけい館の充実にもつながるので、引き続き収集に力を入れていきたいと思います。

成田●昭和館やしょうけい館の役割は広い意味で、教育を通じての継承になっていくと思います。学校教育のなかでは平和教育という形で戦争を教えますが、そこでは具体的なものや出来事、人の顔はなかなか見えにくい。そうした意味で、資料や実際の物が展示してある昭和館やしょうけい館は大きな役割を果たしているといえます。学校教育と連動すれば、戦争への関心も広まっていくことが期待できますね。


戦争体験の伝え方も変化してきている

田邉●前に述べたように、昭和館やしょうけい館では資料展示のほかに、語り部の育成を行っています。戦中・戦後の労苦を体験した方が高齢になっていて語り継ぐことが難しくなっているなかで、戦中・戦後の体験や記憶を証言や映像、体験記、語り部伝承で何とか残していきたいと考えています。

成田●証言や映像、体験記などの資料の保存・保管では行政が大きな力を発揮しています。資料の収集・保存によって昭和館やしょうけい館ができましたし、語り部の育成ができていると思います。資料の保存と公開は行政の大きな柱といえますね。
 戦争を伝えていくなかで、伝え方も変わってきています。戦後すぐは、大半の人が戦争を体験していて、自分の体験をストレートに伝えられた時期です。だんだんと戦争を知らない世代が増えてくると、自分の体験をそのまま伝える機会は減っていきました。現在にいたっては、戦後生まれが圧倒的に多くなり、実際に体験した人が少数になっているので、「記憶」をめぐる議論になってきています。
 そのため、最近では「戦争体験」という以上に「戦争の記憶」という言い方が、新聞やテレビで多く使われるようになっていると感じます。つまり、戦争体験の継承や議論が、自身の体験→証言→記憶となってきているのです。

田邉●戦争体験者が少なくなっているので、昭和館やしょうけい館の語り部は、戦争を直接体験した方ではなく、公募で集まった戦後世代を対象にし、手記や証言映像を勉強して講話原稿をつくっていただいています。手記を読み込んで労苦の体験を受け継いでいくことが、語り部の役割です。

成田●伝え方でいうと、体験も証言も「人」が中心です。しかし、戦後すぐから年数を重ねていくなかで、戦争を自分の言葉で伝えることができる体験者が少なくなっています。体験した人の言葉は圧倒的な重みを持っているので、その意味では危機といえるでしょう。
 人以外では、「物」が伝えるうえで大きな役割を持っています。戦争中の代用食、防空頭巾などの物を使って、その記憶をつないでいくことも必要です。

田邉●昭和館やしょうけい館は、当時の実物資料や記録映像、図書などの資料が多く展示してあるので、物での継承に役立ちます。

成田●ほかにも、戦跡など「場所」でも戦争の歴史を語り継ぐことができます。


戦争体験の捉え方に新しい視点や発見も

成田●「戦争体験者」といっても、戦後76年を経て変わってきています。戦後しばらくは、戦場に行ったり、勤労動員に参加したことがある人などが戦争体験者と考えられてきましたが、だんだんとその世代が高齢化すると、より若い体験者が証言をするようになります。すなわち、体験の中身も、小中学生や幼児のときの空襲や疎開、配給生活などに変わっていきます。
 戦後76年、「戦争体験者から学ぶこと」が大事とされながら、体験の内容も推移しているということです。
 戦争体験者の世代が変わっていくなかで、視点も変化し、新しい発見もされていきます。たとえば、30年前までは引き揚げは戦争体験には入っていませんでしたし、証言も限られていましたが、現在では一つの焦点となっています。新たな戦争体験が見えてきていると思います。

田邉●戦争体験の伝え方やその内容の変化については、改めて考えさせられました。戦争体験に新しい視点や発見が加わっていくということは、昭和館やしょうけい館で伝えていく視点としても重点を置いています。


メディアを入り口にリアルを知ってほしい

成田●戦争について関心を持たない、特定の部分でしか知識を得ない層があるなかで、メディアが戦争体験を伝えていくうえで果たす役割は大きいと思います。
 映画やドラマ、漫画を介して戦争に接近するとき、そこにはつくり手の解釈が少なからず入っていることを前提にしておく必要がありますね。実際の物が持っている迫力は、小道具としてつくった物とは違います。それが悪いわけでも劣るわけでもありませんが、違うことを認識しておくべきです。

田邉●援護行政は、戦没者の遺族の心を慰めることが出発点であり一番大事なところです。
 しょうけい館の展示の考え方として戦争の労苦を理解するための資料は扱うが、歴史書・資料の展示は行わないことにしています。戦争そのものではなく、戦争によって戦傷病者やその家族にどんな労苦がもたらされたのかを展示でわかっていただくとしているからです。悲惨さを理解して記憶にとどめていただくことが慰霊になると思っています。


今後も戦争を伝えていく努力を怠ることなく

成田●アジア太平洋戦争は、歴史学の言葉でいうと総力戦です。総力戦は兵士たちだけでなく、民間の人も加わり、すべての人々を戦争に巻き込んでいきます。国民すべてが一丸となり、戦争を遂行したのです。
 そうした総力戦としての体験をしているがゆえに、かつては死者を思い悼む気持ちがみんなにありました。時代が推移し、戦争の「体験」から「記憶」の段階に入っている今、戦争から距離が出てきているのも事実です。
 これからは学校教育や社会教育を通じて、また昭和館やしょうけい館に行って、これまで戦争をどのような形で伝えようとしてきたのか、ということも学んでほしいと思います。

田邉●戦争がどういうものであったのかを知ることも大事ですが、戦争を伝えていくためにこれまで、どういう努力がなされてきたのかをぜひ知ってほしいです。

成田●そのとおりだと思います。戦争の体験・記憶の継承の仕方という観点からみるとき、戦後76年、人々が苦闘してきたいまひとつの道筋が見えてくると思います。

田邉●今後も、戦中・戦後のさまざまな労苦の体験・記憶を次世代に伝えていくことを真摯に考え、援護行政に取り組んでいきたいと思います。
 

 


 

 
出  典 : 広報誌『厚生労働』2021年8月号 
発行・発売: (株)日本医療企画(外部サイト)
編集協力 : 厚生労働省