地域共生×○○


地域共生×まちづくり①


ここでやりたいことをやる
地域づくりはみんなの思いと実践だ

一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創る地域共生社会の実現には、さまざまな人たちが参画し、世代や分野を超えてつながることが求められます。本企画では地域共生社会を推進している人たちと厚生労働省の担当者による「つながり」をテーマにした対話を通じて、異なる分野をつなげることで生まれる可能性、そのためのコーディネートや場づくりなどを考えます。今回は、前神有里さん(地域活性化センター)との対談、馬場篤子さん(社会福祉法人拓く理事長)と中村路子さん(一般社団法人umau.副代表)との鼎談という2本立てでお届けします。
聞き手=厚生労働省社会・援護局地域福祉課地域福祉専門官 玉置隼人 ※肩書は取材時のもの(3月26日)。


私を生かして地域を活かす

——前神さんは愛媛県庁で29年間勤務され、現在は地域活性センターで人材育成プロデューサーとして地域づくりや、人材育成に取り組んでおられます。これまでの経験から、地域づくりを進めるうえではどのようなことが重要になると考えていますか。

前神●自分のやりたいことに共感してくれる人がいる、誰かのやりたいを応援し合える地域は、創発が起こりやすいと思うんです。地域のためにすべきことを考えると難しいですが、自分の好きなことが誰かの役に立っていると考えると、地域づくりはぐっと身近に感じますね。

 私が県職員の頃からかかわりのある、愛媛県伊予市双海町のお話をします。双海町では人口が減り地域の商店が閉じていく中、ともに暮らす新しい仲間として地域おこし協力隊や移住者を受け入れてきました。ある移住者一家が、パン屋を開業しました。お店には駐車スペースがないのですが、近くでピザづくり体験拠点を運営する方たちが駐車場を使わせてくれたり、誰がつくったのか道なりにある小さな案内板をたどるとパン屋に到着します。この辺りにはパン屋がなかったので、待望の開店日には地域の人が笑顔で並んでいました。縁側では談笑する近所の人たちがいて、遠くから来たお客さんにお先にどうぞと譲ってくれたり、忙しい時はパン屋さんの子どもの面倒をみてくれたり、地域を挙げてパン屋さんを応援しています。

 パン屋の近くには、地元の女性が笑顔で健康にここで暮らしたいという思いを形にした米ぬか酵素風呂を開業して、そこにはブックカフェがあったり、月一でカレーを出す人がいたり、2階では別の人がボディケアの施術を始めたり、地域内外との多様なつながりを生み出すこの場所はみんなのサードプレイスになっています。この町では、「やってみたい」を形にした人たちによって、この地域でどう生きていきたいかという「私のウェルビーイング」が「私たちのウェルビーイング」になっていく暮らしの新しい循環が生まれています。地域づくりは「課題解決」から入りがちですが、どうしていきたいのかという「価値創造」の視点で進めることが大事だと思います。「私を生かして地域を活かす」ですね。
 

「ゆるふわ」の場が対話を生む

——地域共生社会で謳う「我が事」と重なりますね。現在は山形県の県南にある置賜地方で地域づくりに取り組まれていますが、こちらではどんな変化や価値が生まれていますか。

前神●置賜地方では「人と人」「人と地域」のつながりづくりや「新たな楽しみの発見」「地域に関わる」きっかけづくりをしようと、置賜広域行政事務組合が2016年から「人と地域をつなぐ事業」を展開していて、私も携わっています。

 ここでは最初、何をするかを決めずに「みんなで集まって話をする」場づくりからはじめました。集まることに目的がないというと、想像しにくいかもしれませんが、年齢や性別、肩書きによらない関係があり、目的がないからこそ、自由に参加し発言することができます。集まることに目的はありませんが、集まった人たちで新しい動きにつながることはあります。

 この事業は、東京都市大学の坂倉杏介先生監修のもと、毎年自分を見つめ直す時間からスタートします。自分の気持ちを語りそれをしっかりと聴くことで共感が生まれ、互いの背中をそっと押す関係が生まれます。場所選びも大事で、参加者の中に八百屋だった実家を改装し、スタジオ八百萬という山形県初のコワーキングスペースを運営している人がいて、集まる場所を公共施設の会議室からそこに変えると、より雰囲気が柔らかくなり、ここがみんなのチャレンジの場所にもなっています。ある参加者は、病院の助産師として働きながら産後ケアをずっとやりたいと思っていることを仲間に話し、八百萬で試しにやってみることでマザー&ベビーケアサロンの開業につながったり、また別の人は子どものおさがり服の交換会を始めて地域の人との新たなつながりができたり、偶発的にいろいろなことが生まれています。

 受講したみなさんは、この事業の「ゆるふわ」なところがいいと言います。「ゆる」とはルーズではなく、寛容性があるということ。「ふわ」は、まだないもの、言葉になっていないものを探索的にみんなで考えることで、新しい価値を生み出せる可能性があるということ。ゆるくてふわっとした場だからこそ、自由な対話が生まれます。

 坂倉先生のつながりで、東京都港区とも関係ができました。港区と慶應義塾大学が共同運営する「芝の家」や「ご近所イノベーション学校」という地域づくり事業に参加する港区の人たちと置賜地方の人たちがつながり、交流が始まったのです。それが発展し港区と置賜地方の遠隔自治体間連携も生まれ、都市と地方の自治体職員がフラットな関係で意見交換や情報交換を行うことで、新たな発想がうまれ、価値創造につながっています。
 

「混ぜる」ではなく「交ぜる」

——住民同士のつながりから行政間のつながりが生まれるというのは珍しいですね。外から刺激を受け、領域を超えて混ぜることで新たな発想や価値が生まれる。地域共生社会の実現に向けたヒントがあるように思います。

前神●行政は制度の枠に当てはめて考えがちですが、住民同士のつながりが先にあると、自由に動きやすい。私は原型がわからなくなる「混ぜる」ではなく、原型は残ったままの「交ぜる」ことが大切だと思っています。専門性など自分たちが大事にしていることはそのまま生かしながら、異質と交ざって一緒に取り組むことで新しい何かが生まれると考えています。

置賜広域行政事務組合が発行する人と地域をつなぐ事業コンセプトブックブック「わたしをみつけるゆるやかなつながり」




地域共生×まちづくり②


「あなたのことは私たちのこと」と
支え合う豊かな社会へ

異文化、異領域、異世代の混ざり合いが生まれた

——福岡県久留米市は市民福祉活動やまちづくりの活動に携わるプレーヤーが多いまちです。馬場さんは長年、教育現場や福祉現場で重度の障害者が「学び」「働き」「暮らせる」場を拓こうと取り組まれ、近年は「ほんによかね会 ※1」等、多世代の人たちが活躍するコミュニティづくりに着手。一方、中村さんは女性市民団体「メリコア」で子育てしながら資格やスキルを活かそうとする女性のコミュニティづくり、さらに「10万人女子会」という地域の女性たちがつながる企画を実施されています。お二人は親子ほど年が離れていますが、一緒にプラットフォームづくりに取り組むようになったいきさつを教えてください。

馬場●1990年頃から障害者が豊かに暮らせるようサービスの充実に努めてきたのですが、国の助成事業を受けて調査研究する中で、「高齢者や障害者の急増、財源も悪化し、いずれ公助のサービスでは支えられなくなる」との問題意識が芽生え、新しい形のコミュニティづくりが必要だと感じるようになったのです。そこで2008年に、ラジオ体操をしたりお茶を飲んだりして近所の人たちが集まる場であった個人宅を障害者のケアホームに改築し、ここを拠点として、週2日昼食を提供する「地域食堂」を、さらには住民による移動支援も開始。17年からは中村さんたちの「3ヶ月ママチャレンジ(以下・ママチャレ)」 ※2仲間や地域の若者と一緒に、「耕作放棄地→野菜作り→直売→地域食堂」という地域に好循環を生むような活動を進めています。

中村●私の前職は美容部員で、メイクの技術を活かして美容系のイベント等をしていました。次第に、子育てや仕事に追われて自分のスキルを活かしきれていない同世代(20~30代)の女性たちが集まり、12年に築45年のアパートをみんなでリノベーションし、教室やサロンを展開。これが女性市民団体「メリコア」の始まりです。徐々にメンバーが増え、「場所」としての展開ではなく、「暮らしの土台」となるような活動が必要ではと考え、「メリコアソーシャルベース」と改名。馬場さんに誘っていただいたのはその頃ですね。

馬場●当時若者の視点を掴めませんでしたので、中村さんたちに子ども祭りの企画を依頼し、その縁で「ほんによかね会」でも協働。これが国のモデル事業の一つ「ママチャレ」に結実、母親たちは見事につながり、各自の個性を活かしながら地域に目を向けて関わるようになりました。異文化、異領域、異世代の混ざり合いが生まれる転機だったと思います。

中村●私も刺激を受けました。「メリコア」は、プロジェクトの一つとして、16年に「久留米100人女子会」、17年、18年に「久留米1000人女子会」を開催しました。久留米在住の女性たちがつながり合える機会を増やしていくことを目的としています。その頃に馬場さんと出逢い、「ほんによかね会」に参画させていただいたのですが、自分たちの活動を振り返る機会となりました。「単発でイベントをするだけではなく、もっと日常的なつながりをつくって深めていくこと」の重要性を感じ始め、19年から「久留米10万人女子会」として再スタートしています。
 久留米の成人女性は約13万人。10年後には女性全員が何かしらつながり支え合える状態をつくりたいとの思いも込めています。コンセプトは「わたしのことはわたしたちのこと」。自分のことを私たちのこととして考えていける地域を目指しています。また、つながりをつくるには年1回のイベントだけでは不十分なので、身近な取り組みとして小学校区ごとに「地域暮らし研究︱ラボ会︱」を創設。自分の住む校区を通して支え合い、自分の町で活躍できる女性が増えるよう願っています。
 

最期まで、住み慣れた地域で安心して暮らすために

——馬場さんは障害者や高齢者、中村さんは若い母親や女性、対象は違っても、地域で活躍できるプラットフォームを創ったのは同じですね。

中村●当初は社会に役立とうとの発想はなく自分たちのやりがいでした。

馬場●私も同じで、高齢になったときに生き生きと暮らしたいという思いだけでした。はじめは、多様な人たちと共存し、その関係を築くことが大事だとまで考えが及んでいませんでした。その後、地域で持続的に暮らし続けるには、様々なプラットフォームを創り、敢えて異文化、異領域、異世代の人たちと関わり視野を広げることで、課題解決能力を高める必要があると気付いていきました。例えば、中村さんたちとDV支援者の石本宗子さんたちは、同じ施設で活動する者同士なのに接点がなかった。そこでプラットフォームによる掛け合わせをして活動を共にすると、石本さんたちは若い世代の感覚や発想に期待と希望を持てたと心強そうです。中村さんたちもジェンダーやDVの社会的課題に目を向けて取り組み方が深化したようです。


——地域共生社会の実現には、多様な人と関係を築いていくことが必要なのですね。取り組みを基にアドバイスをお願いします。

馬場●ある意味「支援者にならない」ことです。支援者になると、一方向になりがちで助け合わなくなる。無認可作業所の頃は、障害者を「利用者」ではなく「メンバー」と呼んで、「私たちのこと」として地域の人と共に取り組んだものです。今一度原点に立ち戻るときだと思います。

中村●新しいプラットフォームとして「じじっか︱実家よりも実家︱」という場所を開設しました。母子家庭の衣食住の安心と家族づくりが目的です。母子家庭同士で話をする中で、実家そのもののような存在が必要だと。血縁関係のない人たちが集まって身内のような関係で暮らせたら、何かしら好循環(ラッキーループ)を巻き起こせると考えています。

馬場●私も地域に必要なのは身内のような関係性だと思います。「地域食堂」に通う独居の高齢者の方々は、自宅のリビングにいるようにくつろいでお喋りしたり、気遣い合ったりと楽しそうです。「じじっか」や「ほんによかね会」等、多くのプラットフォームが張り巡らされ、身内のような存在がいれば、施設や制度に頼らなくても、最期まで住み慣れた地域で安心して暮らせそうな気がします。それには、「寄り添う」「補い合う」「循環させる」「シェアする」「心を開いて踏み込む、受け入れる」等、新たな発想で多様な人たちが活躍すること。そうなれば、きっと少子高齢社会、災害多発時代をみんなで突破できて、「あなたのことは私たちのこと」と支え合う豊かな社会に育っていくと思います。

※1  (一社)ほんによかね会:久留米市安武町の有志によって設立、直売所と地域食堂を運営。
※2  ママチャレ:20~30代を中心とした若い世代の地域デビューを促すプロジェクト

 

<聞き手の気づき>
 それぞれの方から「私たち」のこととして考え、取り組んできたとの言葉が共通していました。異質な人ともつながりをつくり、関係を広げていくことで、自分のやりたいことを実現し、共感がひろがり周りの人もいきいきと暮らせる地域をつくっていく。行政職員や専門職も、多様な関係性をつなぎ合わせ、一人ひとりのやりたいことの実現に共に取り組んでいくことが、地域の課題を乗り越えることにもつながる、という視点が必要なのではないでしょうか。




 
出  典 : 広報誌『厚生労働』2021年5月号 
発行・発売: (株)日本医療企画(外部サイト)
編集協力 : 厚生労働省