保健医療の将来のビジョンを描き、考え抜き、実現できる仕事
医政局 総務課 保健医療技術調整官九十九 悠太TSUKUMO Yuta
消化器外科医として勤務後、平成28年に入省。精神医療、障害保健福祉、予防接種、がん・各種疾病対策、被爆者援護、食品安全など幅広い政策に従事。下関市では保健所長としてパンデミック対策を指揮。米国留学を経て令和7年7月より現職。3児の父。
医科中堅
医療政策国際保健・留学
消化器外科医として勤務後、平成28年に入省。精神医療、障害保健福祉、予防接種、がん・各種疾病対策、被爆者援護、食品安全など幅広い政策に従事。下関市では保健所長としてパンデミック対策を指揮。米国留学を経て令和7年7月より現職。3児の父。
医科中堅
医療政策国際保健・留学
医学部卒業後、伝統のある屋根瓦方式で知られる飯塚病院で医師としてのキャリアをスタートしました。全国から集まる仲間や指導医から多くのことを学びましたが、とりわけ、飯塚病院の「Shareの精神」に強く影響を受けました。同僚も先輩も、自分が学び、失敗したことをスライドにしてとにかく“Share”する文化です。以下は私自身の”Share”として、皆さんのキャリアを考えるうえで参考になれば幸いです。
医系技官になった理由をよく尋ねられます。私は臨床研修終了後、診断から手術、術後、看取りに至るまで最後まで患者に伴走して責任をもつ外科医の姿勢に強く惹かれ、消化器外科医としての経験を積みました。
食道外科の修練を積んでいたある日、いつも通り患者さんに生活習慣について指導をしていた際に言われた言葉が、今でも心に残っています。
「先生は、私が禁酒・禁煙をしたら仕事ができなくなることを知らないでしょうね。」 患者さん一人ひとりには、医療現場からは見えにくい生活や職業、家族の背景があります。医師・歯科医師として健康の改善を通じて患者さんの幸せを支えるためには、その背景を理解することが不可欠です。背景に目を向けると、今度は個人の問題にとどまらず、社会や制度の課題がみえてきます。制度を変えるとはどういうことか全く想像もできないなか、国レベルの政策を動かす医系技官への好奇心から厚生労働省の門を叩きました。医系技官としてのキャリアは、ジュニアの課長補佐からスタートしました。とはいえ新人ですので、日中は課長補佐としての業務を必死にこなし、定時後に若い係員の方に役所の仕事の基礎を教わる毎日で、まるで研修医に戻ったようでした。自治体出向でも感じましたが、初心に立ち返り真摯に取り組めば、周囲は必ず支えてくれます。
霞ヶ関で気づいたのは”視野の広がり”です。臨床医の頃は、研修医→外科後期研修医→外科専門医→消化器外科専門医→食道外科修練と、自分の関心領域を年々絞っていきました。一方、霞ヶ関で仕事をすると、役人のみでなく、政治家、医療関係団体、民間団体、アカデミア、企業、メディア、国際機関など、あらゆるステークホルダーに急速に曝露され、多角的な視点が自然と培われていきます。多様な価値観に触れ、視野を広げることに価値を感じる方にとって、医系技官は非常に魅力あるキャリアです。
医系技官は、臨床経験から見えてくる制度課題に真正面から向き合い、エビデンスを集め、将来のビジョンを描く仕事です。そして最大の魅力は、ビジョンや批判だけで終わらせず、考え抜き、国レベルで実現できる点にあります。高齢化や生産年齢の減少により制度のひずみが生じる中、新たな政策の立案は容易ではありませんが、誰かのせいするのではなく、ひたむきに制度課題に向き合う仲間に囲まれた環境には、大きなやりがいを伴います。
米国留学中、何度も「What can you bring to the table?」と問われましたが、グローバル化と技術革新の進む現代でキャリアを歩む皆さんには、社会人として「どのスキルを磨き、何を提供できるのか」を常に意識して欲しいと思います。
医系技官として様々な部局を異動することで各施策に詳しくなり、各分野のフロントラインの有識者との議論を通じて質の高い情報に触れられます。しかし、それだけでは組織としての成果は生まれません。そのため医系技官には多様なスキルアップの機会が用意されています。ここでは私の経験をもとに2つご紹介します。
① 地方自治体への出向
私は30代半ばで下関市の保健部長・保健所長として赴任し、その後発生したパンデミックの最前線で対策を統括する立場となりました。当初、保健所の職員は日々深夜まで感染者の疫学調査に追われ、疲弊しきっている状況でした。現場の限界を目の当たりにした私は、信頼できる同僚の支援を受けながら部局長間の調整を行い、他部署から100人規模の職員を保健部に移す大規模な組織再編を実現しました。日々状況が変化し続ける中で、限られた時間で最適な判断を求められ続けた経験は、それまでのマネジメント観を根底から変えました。
また、毎日の記者会見では、どのように情報を整理し、市民に安心を届けるのかという「危機管理広報」を学びました。感染が急増する時期には、市内の急性期病院の院長と膝詰めで交渉し、限られた病床をいかに確保するか、医療崩壊を防ぐために何が最適かを共に模索しました。
若いうちから地方自治体で組織のトップに近い立場を経験できたことは、
・組織運営
・リーダーシップ
・交渉力
・危機対応
・メディアコミュニケーション
といったスキルを一気に引き上げてくれた、かけがえのない機会でした。
② 留学によるハードスキルの取得
厚生労働省の予防接種室で、新型コロナワクチンに関する企画立案を担当していた時期、私は世界中から日々更新される大量のエビデンスを読み解き、審議会資料としてまとめ、社会全体に影響する政策案を提示し続けるという緊張感の中で仕事をしていました。その経験を通じて、「エビデンスをより深く理解し、政策判断の質を上げるためには、研究手法やデータ解析を体系的に学び直す必要がある」と痛感しました。そこで2022年からハーバード大学公衆衛生大学院でMPH、続いて2023年からボストン大学でデータサイエンスの修士課程に進学しました。
ハーバード、ボストン両大学の授業は、膨大な事前資料の読み込み、毎週課される実践的な課題、グループワークを通じたアウトプット、教授陣・TAによる重厚なサポートによって構造的に設計されており、日本の教育で経験したものとは質も構造も大きく異なりました。
ハードスキルとしては、
・疫学・統計
・プログラミング(Python / R)によるデータ解析
・機械学習
を体系的に習得し、政策の根拠形成に対する視座が大きく広がりました。世界各国から集まった医師、行政官、企業、国際機関の仲間と、価値観や文化の違いを越えて学ぶ環境に置かれた2年間でしたが、これほど学びが楽しいと思ったことはなく、今でも機会があればあの空間に戻りたいと思います。
私自身は妻と3人の子どもを連れての渡米であり、社会のマイノリティの立場で言語の壁・生活環境の変化を乗り越える過程は、家族としても一緒に成長する貴重な期間でした。このように、仕事を通じて必要と感じたスキルを、留学という形でも習得できる点は、医系技官の大きな魅力の1つです。
医系技官は、臨床経験を通じて見えてくる保健医療制度の課題に真正面から向き合い、エビデンスの収集・分析を行いながら将来のビジョンを描き、考え抜き、国レベルで実現できる仕事です。スキルアップの機会を活かすことで、仕事を通じて視野の広がりとともに成長を実感できる点も、医系技官の大きな魅力です。高齢化や生産年齢の減少が進む中、医系技官の背負う役割・責任は日に日に増していますが、人のために国レベルで自身のエネルギー、スキルをぶつけてチャレンジしたい方は、ぜひ一度御連絡ください。
