医系技官Voice

#05医系技官Voice

千里の道も一歩から
-医療・福祉の未来を描く仕事

医政局医事課長林 修一郎HAYASHI Shuichiro

平成12年入省。介護保険、医療従事者の国家試験、難病対策、精神保健医療福祉、感染症・予防接種政策、食品安全、原爆被爆者援護、がん対策、診療報酬改定を担当。その後、奈良県庁への出向、健康局予防接種室長、精神・障害保健課長を経て、現在は、医政局医事課長。

医政局医事課長 林  修一郎
医政局医事課長 林  修一郎

公衆衛生の最前線で人々の健康を守る

私が医系技官として勤務した20年あまりの中で、最も印象に残っている仕事は、新型コロナワクチンに関することです。2020年、新型コロナの流行が始まり、緊急事態宣言が発出され、街から人が消え、人のつながりが絶たれ、本当に悲しい思いをしました。この状況を改善できるものがワクチンしかないとしたら、日本政府はどうすればよいのだろう、と思ったとき、何の因果か、予防接種室の責任者でした。
ワクチンは通常の医薬品と比べても必要な数が桁違いに多く、生産にも時間がかかるので、全力疾走で準備をしても1年後に接種を始めることは無理難題に感じられました。とにかく早期の接種を実現するため、時間がかかることから順番に着手する必要がありました。

・2020年の春、国内でワクチンの生産や治験、販売できる企業を支援する仕組みづくり、そして、ワクチンを製造販売する海外の企業とのワクチン確保の交渉が始まりました。仮に接種が行われるときにワクチンの流通を支えるコンピュータシステムの開発、注射器や注射針の生産や購入も急ぐことにしました。

・夏、交渉の末、海外企業からのワクチンの購入の合意がまとまりました。しかし、マイナス70度での保存の必要性、1000人単位で流通するといった前例のない条件が明らかになり、冷凍庫の確保に奔走することになりました。接種体制をどのようにつくるのか、答えの見えない模索が続きました。

・秋、予防接種法の改正に取り組みました。接種の費用を国が負担し、健康被害への対応を行うためにも不可欠な法改正でした。国会で、ワクチンの安全性などについて連日丁寧な審議が行われたことは、控えめに言ってもとても負荷の大きなことでした。その裏で、接種の優先順位、接種体制や流通体制の検討を進めていきました。

・冬、イギリスで接種が始まると同時に世論が一変し、一日も早い接種が求められるようになりました。21年2月には接種後の健康調査と併せた接種が始まり、4月には一般の方への接種が始まりました。その後は接種の加速化のため、自治体や医療機関、企業など、日本中の多くの方がご協力くださいました。

・接種が始まって以降も、ワクチンの安全性の評価や、健康被害救済、3回目以降の接種の検討など、接種にまつわる仕事が続いていきました。

新型コロナワクチンの接種が実現したのは、限りなく多くの方々が力を合わせてくださった結果だと思います。苦しい日々もありましたが、医系技官やその他の仲間とともにやってきてよかったと思います。

私が感染症やワクチンに関わったのは初めてではありませんでした。2009年に新型インフルエンザが流行した翌年、結核感染症課に配属され、新型インフルエンザが次に起きたときのための計画づくりに取り組みました。流行時にワクチンをどう確保して接種するかについても検討し、初めてガイドラインを作成しました。こうした検討を土台にして、2012年に新型インフルエンザ等対策特別措置法が国会で審議され成立しました。新型コロナの流行時の「緊急事態宣言」はこの法律に基づいて出されたものです。

また、新型インフルエンザの流行は、長い間萎縮していた我が国のワクチン行政に大きな刺激となり、その後広く接種されるワクチンが増えました。HPVワクチン、ヒブワクチン、肺炎球菌ワクチンの接種が始まると、供給量の不足や異物の混入などのトラブルが生じたり、副反応を疑う報告が社会に注目されたりして、ワクチン行政を運営する上での課題が噴出し、その対応に奔走することになりました。

後から考えると、こうした経験があったからこそ、新型コロナワクチンの仕事を進められたように思います。

声を上げにくい方々の思いを政策に

福祉の仕事に関わる機会も多くありました。私が2000年に入省して最初に配属されたのは、介護保険の担当部署でした。ちょうど介護保険が始まった年で、高齢化社会に向けて制度を整えていこうという活気があふれていました。全国の市町村や事業所が新たな仕組みに対応できるよう、きめ細かなルールづくりや周知に取り組みました。(実は、若いときのこういう経験が、それから20年後、新型コロナの予防接種の仕組みづくりの上でも、役に立ったと感じています。)

制度が始まったそのときから、制度の改善に向けた議論や取り組みが始まっていました。入省前に自分が病院で目の当たりにした、ひとたび入院すると退院が難しい高齢者の方々が、どうすれば円滑に在宅復帰や次の生活に進むことができるか、そのためにはどういう仕組みにすればよいのか、議論を重ねました。特に駆け出しの頃は、必ずしも自分の意見が採用されるわけではありませんでしたが、世の中の制度を動かすためには何が必要か、先輩方から多くを学びました。

また、仕事の中で何度も関わっているのが、精神保健福祉の分野です。精神疾患の患者は大きく増えており、依存症や発達障害、PTSDなど、医療がまだまだ必要な方に届いていない分野もあります。一方で、医療が福祉を代替していた歴史的経過から、医療上は入院の必要がない方々が入院を余儀なくされているという課題もあります。自らの意思を表現できない方々の意思をどのように捉えて、人権を守りながら医療を行うか、という課題もあります。

もともと自分は精神科医だったわけではなく、精神保健福祉を担当する部署に初めて配属されたときには、実情や課題の把握に必死でした。同僚の精神科医と議論を重ねたほか、病院・診療所だけでなく、保健所、福祉関係の事業所、患者さんのお宅、自助グループ、児童相談所、刑務所に至るまで、様々なところを訪問させていただき、教科書を読むだけでは分からない実態や現場の方々の思いを教えていただきました。そうした中で課題の全貌と進むべき方向性を把握していきました。介護と障害福祉にはいくらか共通性もあり、介護保険に関わった経験も糧になったと思います。このときには、精神保健医療福祉のあり方に関する検討会の報告書のとりまとめに関わり、報告書をもとに様々な政策を進めました。
その後も精神保健福祉の分野には縁があり、診療報酬改定を担当する部署に配属されたときには、精神病床を削減していく仕組みや、総合病院で身体と精神の両方の診療を受けられる仕組みづくりに取り組みました。また、2度目に精神保健福祉を担当する部署に配属されたときには、長期入院は当たり前ではないことを皆が意識し、当事者の意思をできるだけ尊重する仕組みになるよう、精神保健福祉法の改正にも取り組みました。長い経緯があり、関係者も多様で意見の異なる領域ですので、何をするにも丁寧な調整が必要です。繰り返し同じ分野に関わったからこそ実現できたことも多かったと思います。

このほか、難病、食品による健康被害(カネミ油症、森永ヒ素ミルク事件)、原爆による健康影響などを担当し、病気によってつらい思いをされている方々と関わらせていただく機会が多くありました。こうした病気の理不尽さを受け止め、支援の仕組みを整え、変えられる未来を一緒に変えていくお手伝いをすることも、医系技官の役割と感じています。

よりよい医療提供体制づくりのために

最近の10年くらいでは、医療提供体制に関する仕事に長く携わっています。 2016年には診療報酬改定を担当しました。在宅医療の報酬体系の課題の解決や、急性期入院医療の対象者の評価や、リハビリの質の評価のための新たな指標づくりに取り組みました。入省したときからずっと心にあった、入院患者の退院調整を円滑に行う仕組みづくりも、このときに実現することができました。

その後3年間ほど、地方自治体での勤務を経験しました。地域医療構想を進める中で、県内の病院の方々と意見交換を重ね、医療資源の集約や、医療機関間の連携と役割分担を進めました。全体として、救急搬送までの時間が短縮するなど、住民の方々が医療を受けやすくなっていきました。医療政策の権限は都道府県に集まっており、医療提供体制に関して都道府県の役割は大きくなっています。自治体で勤務した経験は、その後の仕事の中においても大きな糧になっていると感じます。

現在は、医政局医事課で、医療従事者の免許や医師の臨床研修等に関する仕事とともに、医療従事者の需給や、医師の働き方改革などを担当しています。地域偏在や診療科偏在を緩和しながら、医師を適切に確保していくことが、医療提供体制の確保の上で何より重要です。また、日本の医療制度は、医療従事者の献身的な努力によって支えられていますが、こうした仕組みを持続可能なものにするためにも、医師の働き方改革を進めています。

医療の質をあげること、アクセスをよくすること、コストを下げること、この3つを両立することは困難と国際的には言われますが、日本の医療ではこの3つを相当程度実現し、今も追い求めています。これから人口が減少する中では、ますます難しい舵取りが求められます。医療政策を進める上での医系技官の役割は、ますます重要になっていると思います。

これまでの経験を振り返って

これまでずっと、保健医療の仕組みをよりよいものにしたいという思いを実現するために厚生労働省で仕事をしてきました。24年間で、厚労省の医療福祉に関わるほとんどの領域に携わることができ、わくわくする時間や充実した時間を過ごしてきました。それまでとは異なる領域の仕事に携わりながら経験を積むことで、より難しい仕事や影響の大きい仕事に関わらせていただいたと思います。

診療の現場にも様々なノウハウや技術がありますが、政策の現場にもいろんなノウハウや技術があります。多くの人と共に仕事をし、経験を積むことで、より数多くのノウハウを身につけ、より難しい状況を解決できるようになるという点も、臨床と同じだと思います。部署は異なっても、課題を整理し解決していくためのノウハウは共通していることが多いです。2年くらいで異動しながら様々な部署での仕事を経験するという仕組みも、好奇心が強く、新たな仕事をしたくなる自分には、とても合っていたし、行政の技術を身につけるための育成の仕組みとしても理にかなっていると感じています。

医系技官に興味がある方にメッセージを

現場に意味のある政策を実現するためには、医療現場の実情や、医療に関わる人の思いを知った方が、政策に従事することが不可欠です。私たちと一緒に、医療と介護の未来を考え、実現していきましょう。千里の道も一歩から。あなたなら、できます。