医系技官Voice

#02医系技官Voice

医師増加時代のキャリア戦略
~不確実な時代を楽しく生きるために~

医政局地域医療計画課医療安全推進・医務指導室長松本 晴樹MATSUMOTO Haruki

入省して15年。本省10年で4つの局を経験。特に医政局(医療政策)に5年在籍し、病院等の機能が高齢社会に適合していくための改革等を担当。また、新潟県に3.5年出向し、部長としてヘルスケア責任者を経験。ハーバード公衆衛生大学院留学。

医政局地域医療計画課 医療安全推進・医務指導室長 松本  晴樹
医政局地域医療計画課 医療安全推進・医務指導室長 松本  晴樹

不確実な時代にどんなキャリアパスを描くか?
「単なるスキル」よりも「目的意識」や「根本的な問題解決力」を

医系技官15年のキャリアの中で、医師をはじめとした医療関係者を含め、省内外のたくさんのプロフェッショナルと接点を持たせていただいた。自分のキャリアも振り返りつつ、見えてきたことをシェアしたい。

(キャリアモチベーションは、年代で激変する) キャリアの初期に得るべきものは何か?という問をたくさんいただく。マッチング、専門領域、判断すべき事項も多い。実は、どこで研修するか、や(どの)専門医を取るべきか、という問よりも、もっと重要な問が存在すると思っている。

その問に答える前に、以下のデータを共有する。各年代の医師に働くモチベーションを訊くと、20代は「キャリアのため」、30代は「技術を磨くため」が主要回答となるが、40代以降は、「社会のため」が主となる。結局、「どのような技術を身につけるか」という手段よりも、「どのように社会の役に立つか」という目的が、キャリア後半には大事になるということだと思う。

この目的意識の醸成のためには、①目的に邁進する先輩・ロールモデルを間近で観察、②ちょっと興味のあることへ挑戦 ③興味のある分野で誰かのためになった成功体験を蓄積、④自分なりに深める継続などが必要であると感じる。(『GRIT』アンジェラダックワース著などにも同様記載多数)目的は、キャリアのそれぞれの場面で変わっていくが、常に「何のために」を質高く問われることで、磨かれるものがあると感じる。厚労省は、合意形成のハブになることが多く、様々なステークホルダーからのインプットに常にさらされる。そのため、自分がどの目的のために動いているのかを自問自答せざるを得ない環境とも言える。

また、様々な政策を前に進めるには、単なる専門知識やTIPSだけでは不足すると感じる。思考力、特に現場の状況から真の課題を同定する力(論点の分解・統合や層別化などの構造化)、チームをまとめ、組織を動かす力、様々なエビデンスをバランス良く吟味する力といった、普遍的な問題解決能力、今の時代変革力といってもいいと思う、が不可欠と感じる。

変革力は、常に不確実性が高い状況にさらされ、正解がわからない問が大量発生している場面でこそ鍛えられると感じる。つまり、常時問題解決が必要となる場所に身を置くことが重要ということだ。厚労省は、そのような場面の一つだと強く感じる。そのため、潜在・顕在両面で、普遍的問題解決の様々なノウハウ蓄積されており、そこから学べたことは非常に大きい。

もう一つ、変革力の構成要素として重要と考えるのは、「仕事への真摯な姿勢」である。キャリアの初期に、「コトに向かう」つまり、人間関係などはいったんおいておいて問題解決にフォーカスしていく姿勢、問題が転がっていたときに解決できると確信するメンタリティ、を身につけることも重要だと考える。このような姿勢は、ある程度、課題に向き合い続けないとなかなか身につかないのではないかと感じる。課題は、いろんな角度から眺めると、今、自分が解決しなくても理由がたくさん見つかる。そこで、課題に挑戦するか、解決から遠ざかるか、というのは、姿勢によって左右されるところが大きいと自分は考えている。

よく、言われることに、「20代にハードワークをして、仕事への姿勢を身につける」という言葉がある。これは、ブラックに働く、という意味では決してなく、課題について考え抜く体験、その結果、困難と思われた課題解決が進んだ経験などをキャリア初期に積むことで、ポジティブな「コトに向かう」姿勢が身につくのではないかと思う。

キャリア初期には、悩ましい選択肢が多いが、領域や場所の選択だけでなく、上記のような「目的」、「問題解決力」「姿勢」を学べる場所がどこなのか、という視点で、キャリアを見つめてもらえたら嬉しいと思う。以下は、自分の例である。一部しか紹介できないが、もし、抽象化しつつ、ステージごとの学びも詰め込んでいるので、ぜひ読んでいただきたい。

ジュニア世代(初期研修終了直後)の厚労省経験
~業務ノウハウを徹底的に吸収する修行期間~

私は、後期研修(専門研修)1年を経て医師4年目に厚労省に入省した。約2年程度、主査という係長級でキャリアを積んだ。この間の経験は非常に貴重なものであった。

私は、母子保健課に配属されたが、医系技官の課長補佐(10年目程度)と課長(20年目程度)が上司におり、直接指導を受けられただけでなく、他にも係長級(5~15年目程度)・係員級(1~10年目程度)の職員から幅広く業務のノウハウを吸収することができた。

近年は、戦略コンサルタントなどが、業務のノウハウをまとめた書籍やブログが多数あり、詳しい方も増えてきたが、政策の仕事の進め方で大事なのは、「データ分析」や「政策立案」のような“中身”に関わる部分だけではない。「打ち合わせの議事録作り」や「会議の準備・設定の仕方」など、“段取り”部分のスキルやノウハウも、実は重要な部分を占めている。ちょっとした情報共有や意識合わせなどが、意志決定を左右することもままあるためである。プロジェクト経験などがある方は容易に想像できるかもしれないが、仕事の成否はほんの少しの工夫で大きく左右される。

(ギリギリの場面でしか盗めないノウハウ) 仕事のノウハウは、明文化されているものから学んだり、上司から教わったりするものも多いが、緊張感の高い場で、先輩から盗むこともある。仕事の成果を左右するような姿勢や細かなニュアンス、ノウハウは、微妙な差異で構成されていて、その場にいないと学べないことも多いと感じる。切迫した交渉の場でやりとりされる言葉の端々や徹底的に分析したはずのデータを、ふと気づいた切り口で分析し気づく新たな境地など、ギリギリの場面での学びはなにものにも代えがたい。

私はジュニア世代で入省したことから、様々な先輩にくっついて、貴重な場数を踏ませていただいた。厚労省で仕事をする上では、カウンターパートは、各学会を代表する先生や病院を背負った院長先生などになるため、いくらジュニアといえども、相応の振る舞いを求められることになる。こればかりは、いくら本を読んでも身につかず、場数を踏むしかないが、ジュニアで入省すればこそ、様々な職種の先輩方のふるまいをみながら、基本的な考え方や、やりとりの仕方を学ぶ必要があると考える。

課長補佐時代
~自分のアイディアをぶつけながら、たくさんの実戦経験を~

私は課長補佐級時代に、2回の診療報酬改定、3回の医政局の経験を経て多数の医療政策立案に携わった。その中には、新しく始めた試みも多数ある。医薬品・医療機器等の費用対効果評価に関する制度もその一つ。医薬品等の「モノ」の医療保険上の価格を決定する際に、費用対効果を評価すると聞くと、「当たり前ではないか」と感じる方も多いかもしれない。しかし、世界でも試行錯誤しながら価格が付けられているのが実情で、これといった正解や勝ちパターンのようなものがある訳ではない。また、臨床は複雑であり、RCTの結果のような単一のデータと医薬品の原材料費のような単純なコストから導かれるほど費用対効果は単純ではない。効果一つとっても、Survivalの延長なのか、QOLの改善なのか、それらはどのような指標で測定すべきなのか、多数の論点あり、これらを専門家の先生方と一つずつ詰めていく。関連する論文が多岐にわたることもあれば、まったく論文がないような論点もある。しかも、審議会などで様々なステークホルダーの方と議論をするのであれば、論文をそのまま貼り付けたような資料は不適当で、内容を咀嚼しつつ、背景などもわかりやすくまとめ直さないといけない。これらを繰り返しながら、論点を一つずつクリアしていき、最終的な合意形成にたどりつく。

~人に助けられ、積み重ねが自分の財産に~

地域医療の再編であっても、胃ろうや嚥下リハビリに関する施策でも、それぞれの政策形成プロセスにおいて、様々な困難や障壁が待ち構えている。データベースの特性を深く理解することで、出てこないと思ったデータが出てきたり、最新の解析手法を用いないと見えない結果があったりする。出会う人々に助けられ、たくさんの経験を積むことで、自分の強みとなる手法が増えるし、ちょっとやそっとの壁にあたっても、挫けなくなる。たくさんの政策に関わることで、同僚、他省庁、学会、ビジネス領域など、様々な分野に頼れる方が増えていく。そのような全ての経験が政策を作っていく上での財産となり、自分の強みとなっていくと感じる。

留学と県部長出向時代
~政策経験を飛躍に結びつけるためのチャレンジの場~

夢とスキルの両立  ~ハーバードへの留学~
2016年から2年間、ハーバード公衆衛生大学院に留学。マンモス校であり、MPHにあっては個別指導は他校よりも劣ると感じるが(他コースは別)、コースワークは素晴らしかった。特に疫学や社会行動科学などは、世界的にもトップレベルの授業で、理論から最新の解析まで充実して学べた。

(授業の仕組まれ方が段違い。小手先ではなく、根本まで学ぶ環境) コースワークの構造化は、他の追随を許さないと聞く。特に日本の大学で受けた教育とは、準備や構築、授業構造(宿題、レポート、グループワーク、テスト含む)、指導等の方法の洗練が大きく異なると感じた。特に有名な疫学は、データ解析のテクニックのような小手先ではなく、因果関係とは何か?データから見えるものとは、厳密には何なのか?について、本質的な深さまで学ばされた。授業中は哲学的過ぎると感じることもあるが、振り返ると素晴らしい構造だったと思う。

また、ハーバードの玄関には、「Powerful Idea for Healthier World」という標語が掲げられ、常に、世界をよくするにはどうすればいいか、教官だけでなく、同級生からも問われた。彼らからは、夢そのものだけでなく、実現までの道のり、考え方、生き方など、多様なものを学んだし、一方で、様々な壁にぶつかり、苦悩する様子をみて、同じ人間がエネルギッシュに動いているだけなんだなと感じることもあり、自分もやってみようと思わせられる瞬間も多かった。

大きな裁量を得て、実践の機会を得る
~県部長時代~

ハーバードから帰国後、1年半の医政局勤務を経て、新潟県の福祉保健部長として出向した。世界で活躍する同世代の若者と意見交換する中では、30代で一定の大きさのチームをマネジメントする経験は、非常に価値が高いと聞いていた。県の福祉保健部長は、知事・副知事の下で保健・医療・福祉・子育ての総責任者を務める仕事であり、責任も大きいが、裁量も広い。結果として、これまでの自分の学びや経験を全て出し切りながら、一定の成果を残し、貴重な経験を上積みすることができたと感じる。

2020年4月というCOVID-19パンデミックの超初期の着任であり、コロナ対策をまず求められた。2009年に入省直後に新型インフルエンザ対策本部に入り、右も左もわからないところから、急遽キャッチアップしてパンデミック対策を行った経験、入省2年目の終わり際、2011年に東日本大震災が起こり、広報室や地域支援の立場で関わった震災対策、その後の熊本地震、西日本豪雨、北海道胆振地震などの危機管理対応の経験が、新潟でも多いに活かされた。新潟は、当時、医師偏在指標で全国最下位の医師不足県であったが、県内一丸となる連携体制で入院医療を行うなど、独自の対策を実施。また、ワクチン接種会場を県も大規模に立ち上げるなど、ワクチン対策にも力を入れ、一時期、接種率は県として全国一位になった。パンデミック時期を総括すると、県としては、人口当たり死亡者数でも、陽性者当たり死亡者数でも、全国で一番低く、県民の命を守るというミッションを一定果たすことができた。一連の対応では、たくさんの学びを得たが、コアなチーム、福祉保健部というインナーチーム、人事や知事周辺の県の中枢部、大学や医師会などの関連団体、一つひとつの医療現場、マスコミや経済界、県民のお一人お一人、それぞれのステークホルダーとタッグを組んで、協業をしないと結果はついてこないという学びが大きい。また、自分たちが本当に真剣にコトに当たっていないと、関係者の真の協力も得られないと感じた。俗に「評論家のような」と言われることがあるが、どこか他人事な向き合い方、自分が考え抜いていない場面では、強い結束は生まれないと感じた。また、たまたま新潟は運にも恵まれたとも感じる。(同じように努力しても毎回結果が着いてくるとは限らないと感じる瞬間が多数あった)

今後に向けて

厚労省に戻って、医療安全などの医療政策分野の担当をしているが、今後の人口減少・高齢化の進展を前に、社会保障分野は非常に厳しい状況に立たされていくと感じている。日本の保健・医療・福祉は、平均寿命の長さや治安の良さだけでなく、経済格差や教育格差が健康格差に直結しないような様々な工夫、子育てサポートの充実など、健康で文化的な生活が営める工夫が随所にされている。例えば、諸外国も、様々な環境変化に苦しんでいる。パンデミック期には、日本以外のG7各国は、平均寿命が短縮しているし、米国では、2020年度のオピオイドなどの薬物中毒死が10万人を超えている。

そのような中、医療をはじめとする日本の社会保障を持続可能にし、質も維持・向上できるように取り組むことは、日本の最も難易度の高い課題の一つであると感じている。今後とも、自分のスキルやビジョンを高め、困難な課題を一歩でも進められるようになっていきたいと感じている。