医系技官Voice

#10医系技官Voice

「目の前の患者さんの役に立ちたい」から「日本や世界の公衆衛生の向上」へ

在フィリピン日本国大使館 一等書記官青木 史子AOKI Fumiko

小児科医として勤務後、平成28年に厚生労働省に入省。健康局健康課(健康増進施策)や医政局医事課試験免許室(国家試験作成)で勤務後、環境省に出向。石綿健康被害対策室(アスベスト関連疾患対策)や放射線健康管理担当参事官室(福島第一原発事故後の健康管理)を経て、令和5年度より現職。

在フィリピン日本国大使館 一等書記官 青木  史子
在フィリピン日本国大使館 一等書記官 青木  史子

小児科の臨床医を経て、厚生労働省へ

学生時代から、小児科医になりたいと考えていました。限りない可能性に満ちた子供たちが、笑顔でのびのびと成長できるように、医療の面から子供たちやそのご家族を支えたいと思ったためです。小児科医としての勤務は、嬉しいことも数多くありましたが、考えさせられる場面も多くありました。特にNICUでの勤務は、赤ちゃんだけでなくご家族の人生も合わせて、医療の正解に悩む例を複数経験しました。疾病罹患後の医療に加えて、可能な限り罹患前に予防をしたいと思ったことや、子どもに疾病や障害があっても、本人も家族も幸せに暮らせるためには何が必要だろうかと考える中で、保健や福祉といった観点にも関心がわき、厚生労働省の医系技官という職業にたどり着きました。

目の前の患者さんの診療から、日本に住む多くの方々への対策へ

厚生労働省での勤務開始後は、物事の見方が大きく変わりました。目の前の患者さんのために最大限を尽くすことを考える立場から、限りある予算や資源、加えて社会情勢や世論なども踏まえ、今、日本に住む対象集団のためにできる最善は何かを考える立場になりました。

入省して1年目には、健康局健康課で、生活習慣病予防や喫煙対策などの健康増進施策を担当しました。予防に携わりたいと思っていた自分の、まさに希望が叶った部署でしたが、小児科診療で診る機会の少ない生活習慣病についてや、種々の健診制度、喫煙影響とその対策、睡眠や栄養等の幅広い健康増進施策について、改めて勉強しなおす日々でした。特に、その年に改定をした、健診の基本的な考え方を示す「標準的な健診・保健指導プログラム」の改訂作業は、学ぶことばかりでした。これまで深く考えずに受け入れていた健診について、一体どのような目的で誰に健診を受けてもらうのか、健診の目的を踏まえて費用は誰が負担するのか、健診が目的を達成しているかをどのように評価するのか、健診の各検査項目の検査精度はどの程度か、現在の基準値は妥当なのか、健診の目的を踏まえ追加すべき新たな検査項目はないのかなど、数限りない課題を一つ一つ整理していく過程に、当初はとても面食らいました。右往左往する私を支えてくださったのは、当時の上司たち、そして改訂作業班のメンバーとして協力してくださっていた公衆衛生分野の大ベテランの先生方でした。そもそも健診の目的とは、から、健診において「ポピュレーション・アプローチ」と「ハイリスク・アプローチ」をどう考えるか、示されたエビデンスをどう理解するかまで、お手持ちの資料を使って説明していただいたのは、恥ずかしながらも良い思い出です。業務に当たる中で、学生時代に学んだはずの公衆衛生の考え方を、どのように実社会で実践するかを学んでいくことができました。

以降、アスベスト関連疾患に関する施策や、福島第一原発事故後の健康管理や風評被害に対する対策等を担当しました。いずれも、多くの方が日常生活に大きな影響を受けている問題であり、全ての方向からみて満点の正解を見つけるのが難しい問題ばかりですが、当事者の方々の要望を聞きながら、問題を分析し、エビデンスを集め、少しずつでも問題解決に向けて進めることができた時のやりがいは、とても大きいです。様々な部署の業務に当たる中で、小児科医としてのバックグラウンドに加えて、公衆衛生の幅広い分野に自分の関心が拡がっているのも実感しています。

厚生労働省に来て、物の見方は大きく変わりましたが、臨床と変わらない点の一つは、チームで問題解決に当たることです。厚生労働省内には、法律や予算、組織等に詳しい方々に加え、薬学や獣医、看護などの技術系専門職もいます。自分の持つ知識を活かしつつ、自分が知らないことは助けてもらいながら問題解決に当たることができる環境は、とても心強いです。また、厚生労働省内だけでなく、各分野の第一線で活躍されている外部の専門家や研究者の方にお話を伺って、様々な観点を取り入れつつ解決案をまとめていく過程は、その度に新たな知識や発想を学ばせていただくことも多く、非常に刺激的です。

学生時代には想像しなかった現在へ

学生時代を振り返ると、小児科医になりたいけど家庭を持っても続けられるのだろうか、と漠然と悩んでいたことを思い出します。そのときには、市中病院で臨床医として勤務する自分のイメージしかありませんでした。

その後、医系技官の道に一歩踏み出したことで、自分を取り巻く環境は大きく変わり、その中で自分の考え方も大きく変わったように思います。厚生労働省という、制度を変えて社会を変えていこうとする環境の中に身を置くことで、日本や世界の多くの方々がより健康に幸せに暮らせるための一助に自分もなりたい、そのためにはどうしたら良いかを、より具体的に考えるようになりました。

その中で、業務から学ぶことに加えて学術的な知識を補完したいと思い、長期在外研修という制度を利用し、2年間の留学も経験しました。米国で、公衆衛生修士プログラムと行政修士プログラムを、それぞれ1年ずつ学びました。公衆衛生プログラムでは、業務で学んだ知識を系統的に整理し直し、さらに深めることができました。行政修士プログラムでは、これまで学んだことのない経済学や会計学、倫理学、リーダーシップ論など、新たな分野の知識を得ることができました。加えて、それぞれの学校で、様々な国から学びに来ている学生達と議論し、異なる視点や考え方から学びつつも、多くの共通の価値観を実感したことも、有意義な経験でした。

また、厚生労働省での勤務を開始してから、仕事以外でも多くの経験を積みました。医系技官となった後に、二人目の子供を妊娠・出産しました。妊娠中は自分の体調と仕事のバランスに悩み、子供が産まれた後は、どうしたら疲弊し過ぎずに前向きに、子供達にも仕事にも向き合えるかを、常に悩んでいます。様々な育児に関する制度を活用させてもらい、職場の方々の理解に感謝しながら、職場の方々とは違って配慮も遠慮もなく進み続ける子供達を追いかけて、がむしゃらに、時に抜け殻のようになりながら、試行錯誤の日々を送っています。米国留学にも、家族を帯同しました。家族の年齢に応じた、様々な保健や福祉、教育制度を経験することは、日本との共通点や差違を体験できて、非常に興味深かったです。また、新型コロナウィルスのパンデミックも、米国で経験しました。言語の壁があり、地元のコミュニティに属していない外国人家族という、社会の中で比較的弱い立場としてパンデミックを経験できたこと、その際に感じた不安や困惑、混乱は、とても貴重な経験でした。このように家族との日常生活を送る中で、自分が当事者として時に困難を経験し、様々な制度を活用して、それでもやっぱり悩みつつ過ごすことは、行政官としても大きな学びを得ている日々だと思っています。器用にワークライフバランスをとることは難しくとも、多くの実体験をいずれ仕事に活かす、ワークとライフのシナジーを目指していければ良いかなと最近は考えています。

令和5年12月からは、現職の在フィリピン日本国大使館に外交官として着任しました。これまで、厚生労働省で国内の医療・保健行政に携わる中で学んだことを、文化や社会背景が異なるフィリピンに暮らす方々のために活かすにはどうしたらよいかを考えると同時に、外交とは何か、国際協力とはどうあるべきかを一から学び直す日々を送っています。まだまだ訓練が足りず、外交の場で気圧されて壁の花になりたい気持ちと必死で戦うことも多いです。でも、「日本人、好きだよ。日本、行ってみたい。」と言ってくれる親日家の多いフィリピンの方々に励まされ、彼らのためにできることをしたいと思いながら、日々の業務に当たっています。

厚生労働省に入省してからのキャリアは、自分が学生時代に想像していたものとは大きく異なっています。でも、誰かの役に立ちたいという基本理念は変わらないまま、より幅広い知識を得て、多様な経験を積む機会を得られていることを嬉しく思っています。日本と世界の多くの方々が、より健康に幸せに暮らせるための一助となれるように、今後も精進し続けたいと思っています。

医系技官に興味がある方にメッセージを

人生でやってみたいこと、興味があること、色々あると思います。可能性を自分で狭めることなく、思い切って試してみると、予想もしなかった世界が拡がるかもしれません。厚生労働省への一歩は、きっと幅広い経験と新たな視野につながる、大きな一歩になると思います。日本や世界の方々の健康を一緒に考え、支えるために貢献したいと思ってくれる皆さんをお待ちしています。

在フィリピン日本国大使館 一等書記官 青木  史子