医系技官Voice

#04医系技官Voice

社会に貢献する喜びを
共有しませんか?

大臣官房厚生科学課長伯野 春彦HAKUNO Haruhiko

平成17年入省。健康局結核感染症課、疾病対策課、血液対策課等を経て、岡山県庁に出向。その後、医政局地域医療計画課医師確保等地域医療対策室長、厚生科学課医療イノベーション企画官、研究開発振興課長、医事課長、PMDAへの出向等を経て、令和4年より現職。

大臣官房厚生科学課長 伯野  春彦
大臣官房厚生科学課長 伯野  春彦

私が医系技官になった理由

私は比較的長い臨床経験を積んで入省しました。私が行政を志したきっかけは、結核療養所で勤務したときの経験です。現在の結核医療は、すばらしい医薬品の開発により、多剤耐性など、一部の患者さんをのぞいては、医療は難しくありません。このため、日本全体の結核治療の成績を向上させるには、医師の技量というよりは、いかに患者さんに薬を飲んでもらうかといった政策であることを臨床現場で痛感しました。

そんな中、とても臨床能力が高い先輩に、「先生だったからこそ救えた患者って何人いますか?」と聞いたところ(今では邪道な質問と思いますが)、正直に、「一人いるかいないかだな。ガイドライン通りに診断・治療していたら、自分だから救えた患者にはならないからね。」と言われ、一方で、医系技官からも話を聞く機会があり、「行政は責任も重いけど、ダイナミック。自分の政策によって、多くの命を救うこともできるし、その逆もある」と。その後、行政の道に進んでいます。

私は臨床を比較的長く経験していますので、入省当時には、臨床と行政の違いに戸惑いましたので、あえてこの場でお伝えしたいと思います。当然ですが、臨床医は自分が受け持った患者に100%最善を尽くします。行政も自分が担当した業務に100%労力を費やすのですが、疾患全体といった集団を対象とするため、個々の患者さんにとってみると、メリットなどに違いが出ます。以前、肝炎の医療費助成を導入した際に、「なぜ、多くの疾患の中で肝炎患者さんだけに医療費助成をするのか?」と詰められたことがあります。こういった公平性という視点を持って対応しなくてはなりませんが、個々の患者さんではなく、集団を対象とするため、取組を行うことによる影響が非常に大きい(多くの人の命を救うこともできる)のが特徴だと感じています。

最新の知見や技術をの状況を踏まえて

血液対策課では、血液製剤の安全性の向上、献血の推進、適正使用の推進等を担っています。ご存じの通り、過去には、当時の厚生省が承認していた非加熱の凝固因子製剤を投与されたことによりHIVにかかってしまった薬害エイズ事件等の歴史があります。血液製剤の安全性の向上は大変重要であり、リスクをゼロにすることはできませんが、種々の取組によりリスクを極力低減することが求められます。

自分が担当していた時代には、血液製剤によるB型肝炎感染が、毎年、相当数発生していたため、肝炎の検査の基準を変えることで、そのリスクを減らす取組を行いました。

また、中南米でシャーガス病という病気が発生しており、罹患者がドナーとなった輸血により感染が生じるリスクが指摘されていました。対策としては、①シャーガス病の検査を行い、検査で陽性になった血液を使用しない、②中南米地域の対象国・地域に居住した人等に献血制限をかける等、いくつかの方法が考えられましたが、基本的に②の手法としました。①であっても偽陰性が出る可能性があること、検査のコスト負担があること等からです。一方で、②であっても、血液製剤の安定供給に支障が出ないのか、善意を無駄にすることの是非など、単に医学的な安全性という観点だけではなく、様々なメリット・デメリットを勘案して、専門家や日本赤十字社の方々と協議をして、判断をしていきました。

上記のような取組を行い、血液製剤の安全性の向上に多少は寄与できたのではないかと考えておりますが、現在は、より効果的な検査方法に変わっており、当然ですが、技術の進歩等により、適時適切に、制度を変えていくことも重要だと感じております。

東日本大震災での経験を通じて

入省後に、東日本大震災や、熊本地震、今年発生した能登半島地震など、多くの自然災害が発生しました。大規模な自然災害は、国レベルでは一定の頻度で発生していますが、自治体レベルでは、ほとんど発生することがないため、自治体職員の経験値が少なく、また、職員自らが被災者となっていることも多いため、自治体の機能が麻痺することがあり、国の職員が現地に派遣されるケースがあります。このため、私自身が、いくつかの大規模な自然災害の発生で現地に派遣された経験がありますが、東日本大震災では、厚労省職員として福島県に、最初に現地入りしていますので、その時の経験をお伝えしたいと思います。

私が派遣されたのは、2011年3月14日で、原子力発電所が被災し、建屋が次々に爆発していました。緊急車両にのって、その映像を見ながら、「死ぬかもしれないなあ」とぼんやり思いながら、福島県に向かったのを記憶しております。現地に着くと、県庁の災害対策本部では、県民からの電話がひっきりなしに鳴り響いておりました。特に、当時、原発から20圏内は避難指示、20-30km圏内は、自宅退避指示が出ており、その結果として、比較的元気な方々は、30km圏外に出ていきました。医療・福祉関係では、30km圏内に残っている人は、病院や高齢者施設に入院中・入所中で自主避難が困難な人や、病院や施設の責任者でした。(一部の医療従事者も、30km圏外に出てしまっており、病院や施設の責任者のみで対応せざるを得ない状況となっていました。)また、民間会社は30km圏内に車両を入れることを躊躇し、物資が入らなくなっている状況であり、ある医療機関からは、食料が届かないため、餓死する寸前だ、と窮状を訴えていました。

このような状況の中、私に与えられたミッションは、20-30km圏内にある医療機関の中で、運営が困難となっている医療機関の患者さんたちを、30km圏外に移送することでした。原子力発電所の状況の詳細は理解しておりませんでしたが、緊迫している状況で、スピード感が求められておりました。ただ、当時、このミッションを担う厚労省職員で、現地に派遣されている者は私一人。このため、県庁の幹部の方々に状況を説明し、県庁職員のチームを作ってもらい、場所を確保することから始めました。同時に、DMAT調整本部、自衛隊、警察、消防の方々など、多岐にわたる関係者と連携して、夜間は計画をたて、日中は搬送が計画通り進んでいるかを確認しながら取り組んでいきました。正確な詳細な状況を得ることができず、現場は大きく混乱し、時として怒号が飛び交うような時もありましたが、たくさんの人の協力を得ながら、取り組めたと思っています。

医系技官に興味がある方にメッセージを

厚生労働省の医系技官の業務は幅広く、ダイナミックで、やりがいがあります。医療・福祉の未来を共に築く仲間を求めています。厚生労働省の医系技官として、医療政策の立案、実行等に携わり、国民の健康を支える重要な役割を果たし、社会に貢献する喜びを共有しませんか?

大臣官房 厚生科学課長 伯野  春彦