医系技官Voice

#03医系技官Voice

これまでの厚生労働省での仕事を
振り返って

大臣官房危機管理・医務技術総括審議官森光 敬子MORIMITSU Keiko

平成4年入省。食品保健課、健康政策指導課を経て、文部省、埼玉県、東京空港検疫所、国立感染症研究所等に出向。保険局医療課長、環境省審議官、保険局審議官を経て、令和5年9月より現職。

大臣官房危機管理・医務技術総括審議官 森光  敬子
大臣官房危機管理・医務技術総括審議官 森光  敬子

介護保険制度施行準備室

介護保険法は1997年に成立してから施行までの3年間の準備を経て、2000年に施行されました。私は、その介護保険制度施行準備に当時の老人保健局の老人保健課(介護保険制度設立準備室併任)に1998年7月に異動となりました。介護保険が施行されるにあわせて、それまで、老人保健法に基づく診療報酬として別に存在していた老人診療報酬を一般診療報酬に一つにまとめることと、老人診療報酬から老人保健施設、訪問看護、デイケア、療養病棟等が介護保険の対象となるため、医療系サービスの新しい介護報酬を作ることが主な業務でした。介護保険は、特別養護老人ホーム、デイサービスなどの福祉サービスと医療サービスを一つにまとめて、介護保険から提供されるサービスとなり、独自のサービス報酬をつくったものが基礎となっています。その医療サービスの報酬体系を作るには、当然福祉サービスの報酬体系と整合性をとる必要があります。そのため、一つ一つのサービスについて、福祉系サービスの担当者と朝から晩まで調整という議論をして、決着がつかないと当時の堤審議官の前にそれぞれが主張して決定してもらうということを繰り返しました。例えば、医療サービスでは、当時は、休日に提供するサービスの評価は、病院が休んでいるのに診療体制を整えることが必要だから評価をするという考え方でしたから、休日に元々開院している病院は特に評価はなかったのです。しかし、福祉サービスでは、いわゆる日曜や土曜に職員に働いてもらうために休日手当を払っており当然、それを評価して休日夜間に上乗せ評価がありました。同じ介護保険で提供するサービスで異なることはおかしいと議論をしましたが、医療機関に調査をすると医療機関でも休日夜間の手当を払っていることが分かり、介護保険の在宅系では休日夜間の評価を導入することになりました。医療保険とは異なる評価です。施設基準も基準の作り方(○対1の配置等)も、そもそも考え方が違っていたので統一することになりました。どっちが正しいではなく、利用者に分かりやすく、将来を見据えつつもできるだけ円滑に移行できることを目指していました。新しい保険制度に相応しいサービス、新たに保険料を払ってもらうけれど、あって良かったといわれるサービスにしようと、その意識は共有してそれぞれの担当が頑張っていました。議論も昼から晩まで(12時間マラソンカンファと陰で呼ばれていました。)、議論の元となる資料づくりは、夜から朝までと、タフな仕事でしたが、医療とは違う福祉の世界との意識の違い、常識の違いにノックアウトされたり、逆にカウンターを浴びせたりと、頭の隅々まで使って、仕事をする感覚は独特なものがありました。この仕事はおもしろいと思った瞬間です。

国立病院機構

ナショナルセンターを除く国立病院、国立療養所140超の病院をまとめて独立行政法人とする国立病院機構の設立準備は、法律成立後から着々と行われていました。私は、当時の国立病院部政策医療課で医療面での独立法人への移行準備を担当しました。設立準備は140超の病院の国有財産から独法への移行、経営形態の変更等と事務的な整理が相当にありました。医療については、国立病院機構の理事長予定者の矢崎義雄先生が決まってからが本番でした。矢崎先生からは、まず、144病院がどんな病院なのか、どんな医療をやっているのかを分かりやすい資料を出して欲しいといわれました。当時、医療機能評価も臨床評価指標も、取り組み始めた病院がごく少数という時代でした。当時の国立病院・療養所の実施している医療を分かりやすいチャートにするための指標(どの病院にも共通しており、医療の内容が分かり、適切に数値化できるもの)を選び出して、提出してもらうための検討と資料の作成は思いがけず大変な作業でした。144の病院には、タフな病院長も看護部長も数多く、指標の意義、適性等々、激しく詰められることも度々あり、医療を360度で見るという難しさを理解するとともに交渉技術が磨かれたと思います。

次に、「144病院を横串でつないで治験をやりたい。そして、国立病院機構として臨床研究をやりたい。」と指示が出されました。当時、治験と臨床研究の違いも分からなかったのですが、結局、国立機構本部にいる若手医師はほぼ私しかおらず、当時、国立大阪医療センターの副院長の楠岡先生(現国立病院機構理事長)に何度も相談しながら、中央治験支援室を立ち上げました。立ち上げには、優秀なCRCを探して引き抜き育成するため、144病院を横串でつないで人材を育てるキャリアプランを作成する必要があると看護担当の理事にアドバイスをもらい、各方面に指示を仰ぎながら作成しました。この経験は、組織づくりと人材育成がキャリアプランなしには進まないことを教えてくれました。更に、各々の病院ではなく国立病院機構本部として治験を引き受けるための規定の整理、財務会計の仕組み作り、治験の受託を増やすための製薬企業へのニーズ訪問調査と称した営業まで、やることは沢山ありました。結果として、治験受託が増加、その資金を元に国立病院機構として臨床研究を選定して始めることができました。新しい組織を作り、その中で新しい仕組み作りをするという得がたい経験でした。

関東信越厚生局医事課

厚生局の仕事は、業務規定にほぼ決まっており本省で法改正があり新しい業務が厚生局に移管されるようなことを別にして、何か新しい業務が突然生じるということはありません。その厚生局に3年半勤務しました。当時の厚生局医事課の主たる業務は、臨床研修病院の指定、医療観察法の遂行業務でした。また、特定機能病院の医療監視の同行があり、医事課長としては、年間50病院以上の立ち入り検査を担当していました。医療監視に基づく立ち入り検査は、主に医療安全のチェックとなります。特定機能病院では、医療安全を担当する医師や看護師との面談、巡視となりますが、これは、ほぼ双方の口頭試問のようなもので、医療安全に関する基礎知識、応用問題及び最新の知見を尋ねられることになります。指導するという形をとる以上、相当に勉強して臨みました。また、3年半いると、同じ病院に4回、立ち入り検査をすることも出てきます。初回の立ち入り検査から4回目に至るまでに、それぞれの病院が変化しています。地域連携室や患者相談窓口が病院の奥まったところにあったものが玄関近くになり、更に、スペースも大きくとり働く人の数も増やす病院が相当ありました。病院の玄関脇に10台ほど置かれていた外来患者用の車椅子がいつのまにか150台ほどに増加している病院もありました。高齢化が病院の運営に大きく影響しはじめていました。また、医療安全に関しては、病院全体として、効率的に安全を確保するため全体のシステムを見直したり、医療機器の管理等にITを導入するなど、取り組みが進む病院がほとんどでした。4年間、医療機関を回って、病院管理者だけでなく病院を支える人々とディスカンションをして、その仕組みを学べたこと及び常に質を高めるために努力する姿勢を見せていただいたことは、私にとって大変価値あることでした。様々な施策を考える際に、病院ではどのように管理されているのか、どのように対応するのかがイメージできるというのは、非常に大切なことです。貴重な経験を得た3年半の勤務でした。

医系技官に興味がある方にメッセージを

厚生省に入省して30年ほどが経ちましたが、いろんな職場があって、どの仕事も面白い!!という瞬間があります。あの仕事を経験していたから、この課題を解決できると思うことがあります。皆さんが、医学部で学んだこと、学校外で経験したこと、臨床で経験したことが必ず生きてくる職場だと思います。一度、厚生労働省の仕事を経験してみませんか!

大臣官房危機管理・医務技術総括審議官 森光  敬子