第3章 持続的な賃上げに向けて

ここまで、賃上げの現状や背景、効果等について紹介してきたが、第3章では、賃上げを実際に行っている企業の特徴等を踏まえた上で、今後、持続的に賃金を引き上げていくための方向性や、賃金政策の効果を分析していく。具体的には、まず(独)労働政策研究・研修機構が実施した調査を用いて、業績や価格転嫁状況、賃金制度等の観点から、賃上げを行っている企業の特徴について分析を行う。その上で、持続的な賃上げに向け、新規開業、転職支援及び非正規雇用労働者の正規雇用転換の3つの視点を取り上げ、今後の方向性を確認する。最後に、最低賃金と同一労働同一賃金という賃金に係る2つの政策を取り上げ、これらの政策が賃金の分布等に及ぼした影響を確認していく。

第1節 企業と賃上げの状況について

9割超の企業が賃上げを実施。過半の企業が一人当たり定期給与・夏季賞与を増加させている

厚生労働省からの要請により、(独)労働政策研究・研修機構が実施した「企業の賃金決定に係る調査1」(2022年)に基づいて、企業の経済見通しや価格転嫁の状況と賃上げの関係等、企業の賃金決定を取り巻く状況について確認していこう。
まず、第2-(3)-1図(1)より、回答いただいた企業について2022年における賃上げの状況をみると、「ベースアップを実施した」が約36%、「ベースアップ以外の賃上げ(定期昇給等)を実施した」が約57%と、合わせて9割超の企業が何らかの賃上げを実施したことが分かる。
 次に、同図(2)より、企業の一人当たり定期給与の増加率(2021年6月分と2022年6月分を比較した増加率)をみてみよう。増加率0%の右側に多くの企業が分布しており、一人当たり定期給与が増加した企業の方が減少した企業よりも多い一方で、増加率5%以内の企業が4割弱となるなど、増加率10%以内に企業が集中していることが分かる2。さらに、同図(3)より、企業の一人当たり夏季賞与の増加率(2021~2022年にかけての増加率)をみると、一人当たり夏季賞与についても、増加した企業の方が多いことが分かる。一方、増加率5%以内の企業が2割程度である中、増加率30%以上が1割以上ある等、より短期間の業績に連動すると考えられる夏季賞与の方が企業間にばらつきがみられる。
 定期給与を含めた賃上げが多くの企業に広がり、中には賞与を大きく引き上げる企業もあるなど、経済活動の正常化が進む中で、賃上げに向けた動きが着実にみられる。

賃上げの理由は社員のモチベーション向上や社員の定着のためが多い

賃上げを実施した企業について、その理由を確認しよう。第2-(3)-2図(1)は、2022年にベースアップ、賞与(一時金)(以下「一時金」という。)の増額を実施した企業に、それぞれ、その理由を尋ねたものである。これをみると、いずれも、「社員のモチベーション向上、待遇改善」が7割強で最多となった。また、「社員の定着・人員不足の解消のため」と回答した企業も4割強、「中途採用の人材確保のため募集時賃金を上げたいから」や「新卒採用の人材確保のため募集時賃金を上げたいから」等、中途採用や新規採用の人材確保のためと回答している企業も2割以上ある。こうした結果から、社員のモチベーション確保、離職の防止、採用の強化が、企業の賃上げへの強い動機となっていることがうかがえる。
 また、賃上げを実施しなかった理由について、同図(2)よりみてみると、約7割の企業が「業績(収益)の低迷」を挙げており、約4割の企業が「雇用維持を優先」、2~3割の企業が「将来の不透明感」や「価格転嫁できない」と回答している。また、企業物価の上昇を反映して、約4割の企業が「物価高騰によるコスト上昇(急激な円安傾向、エネルギー価格の上昇等含む)」と回答している。企業が賃上げできない背景には、円安や物価動向等も含め、様々な要因による業績の低迷や不透明な見通し等が強く影響していることがうかがえる3

賃上げに向けて、業績や見通しだけではなく価格転嫁も重要

企業における業績や見通しと賃上げの関係について、詳細に確認しておこう。第2-(3)-3図(1)は、企業の売上総額、営業利益、経常利益、生産性4の3年前から現在への変化ごとに、ベースアップ・一時金増額実施企業の割合の違いを示したものである。いずれにおいても、「増加」した場合には、多くの企業がベースアップや一時金増額を実施している。ベースアップと一時金増額を比べると、一時金増額の方が「減少」と「増加」における実施企業の割合の差が大きく、一時金増額は業績に左右されやすい傾向がみてとれる。同図(2)は、今後1年後の売上総額、営業利益、経常利益の見通し別に、ベースアップ・一時金増額実施企業の割合を示している。これをみると、業績ほど顕著ではないものの、見通しが「増加」すると回答した企業では、ベースアップや一時金の増加を実施した割合が高いことが分かる。

第2-(3)-2図(2)でみたように、原材料費等の上昇や、価格転嫁ができないことも賃上げをためらわせる重要な要因となっている。このため、企業の価格転嫁の状況と賃上げの関係についても確認してみよう。第2-(3)-4図(1)より、企業の価格転嫁の状況をみると、仕入れ等コストの上昇分を8割以上転嫁できている企業は1割強にとどまる一方、全く転嫁できていない企業が3割強にのぼり、ほとんどの企業は原材料費等の価格上昇を販売価格に十分転嫁できていない状況がうかがえる。同図(2)より、価格転嫁の状況別に、ベースアップ・一時金増額実施企業の割合をみると、価格転嫁率が高いほど高くなっており、価格転嫁の状況は賃上げに大きな影響を及ぼしていることが改めてうかがえる5。同図(3)により、価格転嫁しづらい理由についてみると、「価格を引き上げると販売量が減少する可能性がある」が約34%と最多であり、価格転嫁に伴う販売価格の上昇による販売量の減少を企業が危惧していることがうかがえる。一方で、「販売先・消費者との今後の関係を重視するため、販売先に価格転嫁を申し出ることができない」と回答した企業が約26%、「販売先に価格転嫁を申し出たが、受け入れられなかった」と回答した企業が約13%と、取引先との関係も価格転嫁を困難にさせている要因であると考えられる。適正な価格による販売・購入が行われるよう、適切な価格転嫁を促し、社会全体で企業が賃上げを行いやすい風潮・環境を整えていくことが重要であることが示唆される6

「成果・業績給」「役割・職責給」等のウェイトを高め、「年功・勤続給」を見直す傾向

ここまで企業全体での業績や経済見通しと賃上げの関係についてみてきたが、各企業における賃金制度と賃上げの関係についても、賃金の状況をみる上では重要な視点である。また、人口減少が続き長期的にも人手不足が見込まれる中、賃金制度は、人材を惹きつける一つの要素としても重要であると考えられる。
 まず、第2-(3)-5図(1)より、年功、能力、成果・業績、職務内容のうち、処遇に当たって主に重視している要素を管理職、非管理職別にみてみよう。僅かな差ではあるものの、管理職では「能力重視」や「成果・業績重視」が比較的多く「年功重視」が少ない一方で、非管理職では「年功重視」が多い傾向が見受けられる。一方で、同図(2)により、賃金の構成要素のウェイトを今後どう変化させるかについてD.I.でみると、管理職・非管理職ともに「年齢・勤続給」を低くする意向の企業が多く、それ以外の要素は高める企業が多い。管理職・非管理職どちらにおいても、今後について、年齢や勤続年数に応じた一律の「年功重視」の処遇を見直し、「成果・業績」や「役職・職責」といった個人に着目した賃金制度を志向する企業が多いことがうかがえる。

賃金決定に「職務内容」を重視する企業では、比較的高い賃上げが実現し、人材の不足感も弱い傾向

企業の処遇制度と賃上げの関係についても確認しよう。第2-(3)-6図(1)から、企業が処遇にあたり重視する要素(年功、能力、成果・業績、職務内容)ごとに一人当たり定期給与の増加率をみると、「年功重視」や「能力重視」「成果・業績重視」と比べ、「職務内容重視」において、一人当たり定期給与の増加率が5%以上の企業の割合が比較的高いことが分かる7。賃金制度が企業ごとに異なる中で、必ずしも職務内容を重視する企業であれば賃上げが行われやすいことを示すものではないが、職務内容を重視する企業はそれに見合ったスキルを持つ労働者を確保するため、賃金を大きく引き上げている可能性がある。また、同図(2)から、正社員の不足状況を、重視する処遇ごとにみると、「職務内容重視」とする企業は、他の要素よりも「適正」ではやや高く、「不足」もやや低い。職務内容が明確であるために、社会で必要な人材を明確化できるようになり、企業と求職者間のミスマッチが減少し、結果として企業の人手不足感が弱くなっている可能性が考えられる。

賃金制度を見直して「若年層の賃金の引上げ」を行う企業が多い

企業はこれまでに賃金制度をどのように見直してきたであろうか。第2-(3)-7図より、2020年1月~2022年12月とそれよりも前(2019年12月以前)の賃金制度の見直しの状況についてみると、見直しをしていない企業が3割強あるものの、見直し内容では「若年層の賃金の引上げ」が最多であり、2019年12月以前よりも2020年1月~2022年12月の方が若干高くなっている。若年層の人口が減少する中で、企業が新規学卒者等の若年層の確保に重点的に取り組む姿勢が処遇にも表れているものと考えられる。加えて、「評価による昇給(査定昇給)の導入・拡大」や、「個人の成果・業績に連動した賞与の変動強化」「評価(人事考課)による昇進・昇格の厳格化」等も挙げられており、多くの企業において、個人の成果や業績に応じた賃金決定の仕組みを整備しているものと考えられる。第2-(3)-5図の見通しと併せてみれば、今後も、多くの企業で、個人の成果・業績や役割・職務に応じた賃金制度を構築する動きが続くものと考えられる。

生産性向上に向け、企業は営業力の強化、業務の効率化、労働時間の短縮等に取り組む

最後に、調査にご協力いただいた企業における生産性向上に向けた取組や、行政に求めることを確認しよう。第2-(3)-8図より、生産性向上に向けた企業の取組内容をみると、「営業力・販売力の強化」が約4割、「商品・サービスの高付加価値化」が3割弱である等、業績を直接的に伸ばす取組が多くの企業で行われている。また、「設備投資の増強」「デジタル技術の導入」等も3割弱の企業が選択しており、将来に向けた投資への意欲もうかがわれる。加えて、「業務プロセスの見直しによる効率化」や「働き方改革による労働時間短縮」といった効率化への取組や、「従業員の意欲を高める人材マネジメント」「従業員への教育訓練投資の増加」といった従業員のモチベーションや能力向上に向けた取組もそれぞれ3割程度の企業が選択しており、企業は、その直面する課題に合わせて、様々な取組を行っていることが確認できる。
 企業が行政に求めていることについても紹介しよう。第2-(3)-9図より、賃上げできる環境の整備に必要な政策をみると、「景気対策を通じた企業業績向上」「賃上げした企業への税負担軽減」が約5割であり、賃上げの直接的なインセンティブを求めるものが最も多い。一方、「IT化、設備投資による業務効率化への支援」や「社員の能力開発への支援」といった、企業の生産性向上に向けた投資への支援の要望も3~4割程度ある。また、「取引価格の適正化・円滑な価格転嫁の支援」も3割程度の企業が挙げており、サプライチェーン全体での取引の適正化も求められている。「社会保障制度の充実」も3割強の企業が挙げている。
 政府としては、引き続き、各種成長戦略を通じて日本経済を着実に成長軌道に乗せていくとともに、人材開発支援助成金等による企業の労働生産性の向上等への支援や、設備投資への支援、価格転嫁が行いやすい環境の整備、将来世代にわたって持続可能で安心できる社会保障制度の構築等に取り組んでいくことが重要である。

コラム2–6 商品やサービスの高付加価値化の取組について

賃金増加のためには、その原資となる付加価値を持続的に増加させ、生産性を向上させることが重要である。相対的に生産性が低く、賃金も低くなっている小売業やサービス業においては、賃金の原資を生み出す高付加価値の商品やサービスを提供することが重要となる。本コラムでは、商品やサービスの高付加価値化と従業員の待遇向上を実現している企業として、株式会社ワークマン及び有限会社ゑびや・株式会社EBILABの取組について紹介していく。いずれの企業の取組もデータを活用し、自社製品やサービスの強みをいかしている。

株式会社ワークマン

株式会社ワークマンは、フランチャイズシステムで作業服、作業関連用品及びアウトドア・スポーツウェアを販売する専門店チェーンを展開する企業である(従業員数365名(2023年1月現在)、本社:群馬県伊勢崎市)。近年は、同社の強みである高機能かつ低価格な製品をいかして、一般の方向けに開発したアウトドア・スポーツウェアを扱うプライベートブランド「WORKMAN Plus(ワークマンプラス)」が人気を博し、高収益を上げている。
 同社は2014年、新たな市場を切り開き、客層を拡大する「中期業態変革ビジョン」を打ち出した。作業服小売市場において国内シェアナンバーワンの地位を確立してきた同社が、客層拡大戦略を進めた背景には、作業服市場においてこれ以上の事業成長が見込めないことや、大手ネット企業の台頭により小売店舗が淘汰されつつあることがあった。事業を展開する領域を「作業服」から「機能性ウェア」に変えることで、客層の拡大へとつなげた。
 同社は2014年から専務取締役の業務改革のもと、新業態開発の手段として「データ経営」を掲げてきた。同社では、社員全員がデータをもとに議論する組織風土をつくるため、2012年より全社員を対象に、表計算ソフトを使用した「データ活用研修」を実施した。研修には社長も参加し、同ソフトを得意とする社員が講師を務めた。また、研修の最後に実施するテストは平均点が90点以上になるよう作成する等、社員の得意意識を醸成する工夫を行っており、こうした工夫により、お互いに分かる範囲を社員同士で教え合う等の相乗効果も生まれているという。同社人事担当者によると、以前は経験や勘が重視されていたが、現在は若手を含む全社員がデータをもとに今後の戦略を議論しており、風通しの良い企業になったという。特に、それまでデータに馴染みのなかった中堅層も、自らデータ分析ツールを作るなど、データ分析による商品づくりが広い層に浸透している。
 「中期業態変革ビジョン」では、創業以来の大改革である客層拡大に向け、社員の自発的な行動を促すため、社員の平均年収を5年間で100万円引き上げることも公表した。実際に2022年3月時点において、2014年と比べて100万円以上のベースアップを実現し、現在の平均年収は約709万円(2022年3月現在)と、小売業で比較的高い給与水準となっている。加えて、2023年4月より、急速な物価高に対応するため、基本給を底上げするベースアップと定期昇給を合わせ、平均約5%の賃上げを実施することを発表している。また、賞与につながる社員の評価方法を、結果より過程を重視するものに改めた。以前は「売上」「粗利」「在庫」を評価の主な指標としていたが、現在は「棚割導入率」等の売上向上までの過程を指標としている。
 新業態の成功や従業員の待遇向上の取組を通じて、新入社員の応募数やフランチャイズ加盟への応募数は増加しているとのことである。また、2018年の新業態店オープン以降、30歳台半ば以上の管理職の退職者は少なく、家庭の事情等によるものを除き、ゼロとなっているという。
 同社人事担当者は、「売上ノルマを設けないなど、社員にストレスがかからないような組織作りを引き続きしていくとともに、社員が働きやすい・評価されやすい環境も作っていきたい」と述べている。
DXにおいて重要視される企業のトップによる発信からスタートし、社員が使いやすいツールを使用したデータ分析で議論を活発化させるとともに、賃金引上げで社員の自発的な行動を促した同社の取組は、商品の高付加価値化や人材の獲得・維持につながる好事例であるといえよう。

有限会社ゑびや・株式会社EBILAB

有限会社ゑびやは創業以来150年以上、伊勢神宮の周辺で観光客向けに飲食・小売店を営業している企業である(従業員数58名(2023年1月現在)、本社:三重県伊勢市)。同社は近年、データやAIを活用し、来客予測やマーケティング効果測定の精度を高めることで、サービス・商品の高付加価値化や売上増加につなげている。また、同社のシステム開発部門を独立させる形で、株式会社EBILAB(従業員数15名(2023年1月現在)、本社:三重県伊勢市)を設立し、自社のために開発した店舗経営ツールの外販を行っている。
 有限会社ゑびやは事業再建のため、2012年よりデジタル化を推進してきた。以前は表計算ソフトで売上管理をしていたが、現在はデータを自動的に分析するITシステム「TOUCH POINT BI」を内部人材の育成を通じて開発し、店舗に導入している。システム開発の狙いは、データ集計の手間を減らし、従業員が店舗の状況を常に把握できるような仕組みを作ることだった。
「TOUCH POINT BI」は、「来客予測」「店舗分析」「画像解析」「アンケート分析」などから成る。「来客予測」は、過去の売上や気象・曜日、店舗周辺の交通量等の様々なデータをもとに、AIも活用しながら、当日から365日後までの来客数、5日後までのメニュー・材料の予測を行う。「店舗分析」は、レジで収集するPOS(販売時点情報管理)データや売上等の情報を自動集計で一元管理し、分析する。「画像解析」は、店舗内外に設置したカメラで収集した画像から、通行量を測定し入店率を算出する。「アンケート分析」は、WEBアンケートで顧客の声をデータ化し自動集計する。
 「来客予測」の予測的中率は90%以上にのぼるため、食材の仕入れや人材配置、仕込みの最適化につながっているとのことである。また、「店舗分析」「画像解析」を使用して、SNSマーケティング等の影響を分析し、力を入れるべき施策を明確化させたり、価格弾力性の可視化により値段の上昇を許容できる範囲の測定を行ったりしているとのことである。「アンケート分析」は、改善すべき点を客観的に把握できるほか、従業員のモチベーションにもつながっている。調理担当者からは、「これまで知る機会のなかったお客様の反応を知ることができた」という声が多くあったという。同システム導入後の2018年には、2012年に比べ、食材ロスの72.8%の削減を実現しており、売上高は約5倍に増加している。
 また、2020年4月以降、特に感染症の感染拡大期には、同システムを活用して様々な対応を取った。例えば、感染拡大以降、顧客層が変化し、若年層の割合が上昇した。そのため、30歳台以下の顧客が注文しているメニューに基づいた店頭の見せ方や商品開発、販促の方向転換などを、データで効果検証しながら行った。こうした取組の結果、2022年の客数や売上は、前年に比べ増加した。
 同社の正社員の平均年収は2012年と比較し約40%、パートタイム労働者の時給は約20%上昇しており、近隣エリアにおいて比較的高い給与水準を維持している(2023年1月現在)。また、完全週休2日制、法定有給休暇とは別に休暇を取得できる「特別有給休暇制度」も導入している。なお、同システムをきっかけに、従業員の隠れた能力や適性が発見された例もあり、従業員の希望や適性等により、サービス職種からIT系職種への転換も柔軟に実施しているという。
 同社の代表取締役社長は、「今後も、自社のデータ経営の経験をいかし、事業の変革の必要性を感じている企業に対して、データ分析や仕組み作りを一緒にしていきたい」と述べている。同社は、データを活用することで、食材の仕入れや人材配置の最適化を実現し、売上増加につなげてきた。同社の事例は、今後、同様にデジタル化を進めようとしている企業にも参考となる取組であるといえよう。

第2節 持続的な賃上げに向けて

第1節では、(独)労働政策研究・研修機構が実施した調査を用いて、賃金を引き上げた企業の特徴等について分析を行った。これにより、賃上げに向けては、企業の業績改善につながる経済成長や、こうした成長の見通しを示すこと、また、価格転嫁等の障壁を取り除いていくことが重要であることが確認できた。労働経済白書においては、過去にも生産性向上と賃上げに資する取組等を分析してきたが、本節では、新たな視点として、スタートアップ等の新規開業、転職によるキャリアアップに加え、希望する非正規雇用労働者の正規雇用転換の三点を取り上げ、これらが賃金に及ぼす影響を確認しつつ、持続的な賃上げに向けた今後の方向性をみていこう。

(1)スタートアップ等の新規開業と賃金の関係

生産性の向上に向けては、イノベーションによって生じる新しい技術や生産の効率化等により高い付加価値を持続的に実現していくための取組も重要である。イノベーションの担い手は様々であるが、社会課題を成長に変えているスタートアップ企業8が活躍しやすい環境を整えていくことは、将来の成長の源泉を確保する観点からも重要である。また、スタートアップ企業の中には、将来の成長を見据えつつ、優秀な人材を確保するために労働者の待遇向上に取り組んでいる企業もあり、雇用の面においても、こうした企業の重要性は今後高まる可能性がある。このため、第2節(1)においては、新規開業の状況も踏まえつつ、スタートアップ企業と賃金との関係を分析していく。

日本の開業率は国際的にみて低い水準で推移

主要先進国における開業率の長期的な動向について、第2-(3)-10図(1)より確認しよう。定義の違い等から単純な比較は困難であるものの、開業率は、イギリスやフランス、アメリカでは直近でおおむね10%程度、比較的低いドイツでも7%程度であることが分かる。一方、我が国の開業率は長期的に低い水準で推移しており、2021年でも5%弱となっている。同図(2)より、我が国と同様に事業所ベースの開業率を集計しているアメリカを取り上げ、産業別の開業率の状況を比較すると、どの産業でも、我が国の方が低い水準にあることが分かる。また、生産性が高い情報通信業9において日米の差が大きいことが指摘できる。
 各国において、起業活動をする人材はどの程度いるのだろうか。第2-(3)-11図より、2021年の総合起業活動指数(起業活動家が18~64歳の人口に占める割合。Total Early-Stage Entrepreneurial Activity)をみると、日本は、アメリカ、カナダ、イギリス、ドイツ、フランスを下回る水準となっており、我が国では、国際的にみて開業率が低く、かつ、起業を試みる人材のプールも少ないことが分かる。

開業率は生産性や賃金と正の相関

開業は生産性にどのような影響を及ぼすだろうか。中小企業庁(2017)においては、開業企業によるTFP10の押し上げ効果は、押し下げ効果を上回るため、全体の参入効果がTFPにプラスの影響を与えていることを指摘しており、開業率の上昇は生産性に対してプラスの効果をもたらす可能性が示唆されている。また、宮川・川上(2006)においても、新規に参入した企業がかなり速いスピードで学習をして経営力を蓄積することや、企業の新規参入を促すことによって産業又は経済全体の生産性がより向上することを指摘している。
 こうした先行研究も踏まえて、開業率と生産性の関係について確認しよう。第2-(3)-12図(1)から、OECD諸国について、2016年時点の開業率と、2016~2019年の生産性の上昇率の関係をみると、開業率が高い国ほど、生産性の上昇率が高いという正の相関関係が確認できるが、我が国は、開業率・生産性上昇率のいずれも最低水準である。同図(2)(3)により、製造業・非製造業別にみても、正の相関関係が確認されるが、我が国はいずれも低水準となっている。

新規開業の増加を通じて、生産性が高まることで、賃金の増加も期待される。2016年の開業率と2016~2019年の一人当たり賃金の増加率について、第2-(3)-13図(1)をみると、開業率と賃金増加率にも正の相関関係がみられる。同図(2)(3)より、製造業・非製造業別にみても、正の相関関係が確認できる。
 開業率と生産性上昇率、賃金増加率の相関関係は、必ずしも因果関係を示すものではないが、イノベーションの担い手となりうるスタートアップ企業が、活発に創業・発展できる環境を整備していくことは、我が国の生産性を高め、結果として、賃金を増加させる可能性がある。

スタートアップ企業等では人材採用へのニーズが高い中で賃上げに積極的

新規開業された企業では、成長見通しが高いことや、人材の確保が喫緊の課題であることから、賃上げ意向そのものが強い可能性もある。
 第2-(3)-14図は、(一財)ベンチャーエンタープライズセンターが、ベンチャー企業11に対して実施したweb調査において、当面の経営ニーズを尋ねたものである。これをみると、「人材採用」をあげている企業の割合は25%と、「販路拡大」と同程度に高い12。設立間もないベンチャー企業にとって、「人材採用」は、最も重要な「資金調達」に次ぐ課題とされていることがうかがえる。
 新規創業企業における人材へのニーズは、賃上げへの積極性にも表れている。第2-(3)-15図より、(独)労働政策研究・研修機構が実施した調査を用いて、売上総額、営業利益、経常利益のうち少なくともどれか一つが3年前より上がっている企業に限り、一人当たり定期給与増加率をみてみると、創業15年未満のスタートアップ企業等13は、増加率5%以上の割合がそれ以外の企業より高い。同じ好業績の企業と比較すると、スタートアップ企業等の方が、より大きく賃金を引き上げている傾向がみてとれる。

 さらに、スタートアップ企業等とそれ以外の企業の業績見通しと賃金の関係についても確認しておこう。第2-(3)-16図(1)より、スタートアップ企業等とそれ以外の企業について、1年後の成長への見通しをみると、スタートアップ企業等では「高まっている」と回答した企業の割合が高く、比較的明るい見通しを持っていることが分かる。同図(2)は、今後1年の売上総額、営業利益、経常利益の増加見込みが5%以上の企業のうち、一人当たりの定期給与の増加率(2021年6月分と2022年6月分を比較した増加率)が5%以上の割合をみたものである。これをみると、定期給与を5%以上増加させた企業は、スタートアップ企業等において総じて高い傾向にある。第2-(1)-17図でもみたとおり、業績の成長見通しが高いほど企業は賃上げに積極的な傾向があるが、同じく明るい見通しを持っていても、創業からの期間が短いスタートアップ企業等の方が賃金をより増加させる傾向がうかがえる。とりわけ、スタートアップ企業等での定期給与増加率が高い背景には、人材への高いニーズが、賃上げやベースアップへの積極的な傾向として現れている可能性がある。

我が国では起業が行いやすい環境が必ずしも整っていない可能性

我が国における開業率については、これまでもその水準の低さが大きな課題として認識されており、政府としても様々な取組を講じてきた14ところだが、改めて、我が国の開業率が低い背景についてみてみよう。第2-(3)-17図より、2021年におけるG7の18~64歳における起業活動に関する認識をみると、他の6か国と比較して、「事業機会として認識している」「知識・能力・経験がある」「起業活動が浸透している」の割合が我が国は低く、「失敗への脅威を感じる(失敗することに対する怖れがあり、起業を躊躇している)」の割合が高い。
 ベンチャー企業の考える起業に当たっての障害について、第2-(3)-18図(1)をみると、「失敗に対する危惧(起業に失敗すると再チャレンジが難しい等)」が最も多く、次いで「身近に起業家がいない(起業という道を知らない等)」「学校教育(勇気ある行動への低い評価、課題を探し出す教育の欠如等)」が多い。同図(2)より、新規創業に当たって必要と考えられるものをみると、「意識・風土・風潮」が最も多いが、「再チャレンジ・セーフティネット」もほぼ同水準の4割強となっている。
 こうした結果を踏まえれば、新規創業の促進にあたっては、起業を身近に受け止められる環境の整備が求められており、これに加えて、失敗しても再チャレンジができるようなセーフティネットも重要であると考えられる。

 政府においては、2022年12月に策定した「スタートアップ育成5か年計画」に基づき、スタートアップ企業の振興を図っており、厚生労働省としても、ハローワークにおけるマッチング支援等を通じた人材確保への支援や、副業・兼業15の促進等により、希望する労働者が円滑な労働移動ができるような環境の整備を行っている。加えて、セーフティネットの面では、雇用保険において、2022年7月1日より特例を新設16し、離職後に事業を開始等した方が、仮に事業を休廃業した場合でも、その後の再就職活動に当たって、基本手当を受給することを可能とする等の支援措置を講じている。高付加価値を実現できるスタートアップ企業が新たに多く生まれれば、我が国経済全体の振興と、その結果としての賃金増加へとつながる可能性もあることから、スタートアップ企業が成長していける環境を整備できるよう、引き続き、起業を支える人材の育成・確保等の環境整備を行っていく必要があるものと考えられる。

コラム2–7 スタートアップ企業等における人材活用の取組について

近年、IT関連市場の急速な成長に伴い、IT人材の需要が高まっている。そうしたなか、国内での採用活動に加え、海外のIT人材の採用も積極的に行う企業が増えてきている。本コラムでは、エンジニア等の国内外のIT人材が活躍できる環境を整備するため、人事評価制度の刷新や福利厚生制度の充実等に取り組み、スタートアップ企業から株式市場への上場を果たした株式会社メルカリの取組について紹介していく17

株式会社メルカリ

2013年創業の株式会社メルカリは、主にフリマアプリ「メルカリ」の企画・開発・運用を行う企業である(従業員数2,184名(連結)(2023年2月現在)、本社:東京都港区)。同社は2021年2月、新たな人事評価制度に移行した。その背景には、事業の多角化に伴い、従業員の国籍や経歴が多様化してきたことがある。現在、従業員の国籍は50か国にのぼり、職種別にみると最も多い「エンジニア」の半数を外国籍の従業員が占める。グローバル・スタンダードに近い制度にすることで、人事評価の納得感や透明性の向上を目指している。
 新制度では、「エンジニア」「人事」等のジョブごとにグレード、グレードごとに給与レンジが設定されており、昇給率や賞与に評価が反映される。評価軸は、「該当するグレードに期待される成果の評価」と「バリュー18をどれだけ発揮できたかの行動評価」の2本立てに改められた。本人があらかじめ設定した「OKR(目標・主要な成果)19」に沿って起こしたインパクトの総量が、相対的に評価される。市場価値の変化に迅速に対応するため、給与レンジは半年~1年ごとに見直されており、評価による昇給・昇格は半年ごとに行われている。発揮されたパフォーマンスに対して、職種別の市場報酬水準を踏まえ競争力のある報酬を用意しているとのことである。これらの取組の結果、平均年収は約968万円(2022年6月現在)と、高い水準を保っている。
 また、福利厚生制度も充実させてきた。2016年2月に導入された「merci box(メルシーボックス)」は、出産・育児や介護、病気等で仕事を休まざるをえない際の支援等をまとめた制度である。育休期間中の給与を一定期間保証しているため、男性の育休取得率は84%と高く、平均2か月取得しているという。2021年9月に導入された「YOUR CHOICE」は、オフィス出社やフルリモートワーク勤務等、ワークスタイルを自ら選択できる制度である。日本国内であればどこでも居住・勤務可能とし、通勤交通費は月15万円を上限に支給されている。加えて、多様な人材が活躍できる環境づくりを目指す取組も行われている。2021年11月に導入された「Mercari Restart Program」は、出産・育児、介護等により一度キャリアを離れた方を対象に、3か月程度の有給の就業型インターンシップを提供することで、職場復帰をサポートするプログラムである。
 新たな人事評価制度へ移行後、従業員から「自分がやったことが報われやすくなった」「評価の透明性が上がった」等の声があったという。同社が定期的に実施しているアンケート調査では、「現在の人事評価制度が、自分や会社のパフォーマンスやバリューを強化するような制度だと思うか」と質問した結果、「はい」と回答した割合が、新制度移行前に比べ約20%ポイント上昇した。また、eNPS20のスコアが直近の2年間で約40ポイント上昇しており、リファラル採用21は中途採用の約4割を占めている。
 同社の執行役員CHRO(最高人事責任者)は、「事業が多角化してきているため、より多様な人材の獲得が事業成長に不可欠となる。海外人材の採用活動は今後も強化していきたい」と述べている。同社の取組は、人事評価制度の刷新や福利厚生制度の充実等により、人事評価の納得感や透明性、社員のエンゲイジメントの向上につなげた好事例であるといえよう。

(2)転職によるキャリアアップと賃金の関係

 労働者が主体的にキャリア形成を行うに当たっては、転職も手段の一つとなる。「働き方改革実行計画」(平成29年3月28日働き方改革実現会議決定)においては、「転職が不利にならない柔軟な労働市場や企業慣行を確立すれば、労働者が自分に合った働き方を選択して自らキャリアを設計できるようになり、付加価値の高い産業への転職・再就職を通じて国全体の生産性の向上にもつながる。」とされている。また、「三位一体の労働市場改革の指針」(令和5年5月16日新しい資本主義実現会議決定)においても、「リ・スキリングによる能力向上支援、個々の企業の実態に応じた職務給の導入、成長分野への労働移動の円滑化、の三位一体の労働市場改革を行い、客観性、透明性、公平性が確保される雇用システムへの転換を図ることが急務である。これにより、構造的に賃金が上昇する仕組みを作っていく。」とされており、内部労働市場と外部労働市場をシームレスにつなげ、社外からの経験者採用にも門戸を開き、労働者が自らの選択によって、社内・社外共に労働移動できるようにしていくことが重要である。
 転職については、厚生労働省(2022)において、「主体的なキャリア形成と労働移動についての課題」として、自己啓発の関係等を中心について分析したが、ここでは、賃金との関係性に特に着目して分析を行う。

転職へのニーズは高いが実現できていない現状

まず、転職の現状についてみてみよう。第2-(3)-19図(1)により、常用労働者数に対する転職入職者数の割合を示す転職入職率の推移をみると、1990年代後半以降、上昇傾向で推移している。ただし、一般労働者・パートタイム労働者別にみると、パートタイム労働者では上昇傾向である一方で、一般労働者についてはほぼ横ばいで推移している。同図(2)より、2013年以降の転職等希望者と転職者数の動向についてみると、転職等希望者も転職者も増加しており、2019年までは転職等希望者と転職者の比率も上昇していた。しかし、感染症の影響等もあり、2020年以降、転職等希望者と転職者の比率は大きく低下している22。2020~2022年についてみると、転職へのニーズは高い水準で推移している中で、必ずしも転職が実現できていない可能性がある。

転職を経ると2年後に年収が大きく上昇する確率が高まる

転職等希望者が増加する中で、仮に転職した場合に、転職後の賃金はどのように変動するだろうか。
 まず、第2-(3)-20図(1)より、年齢別に転職前後における賃金変動D.I.を確認してみよう23。年齢計でみると、おおむね0近辺で推移しているが、年齢別にみると、25~34歳、35~44歳では、一貫して0を上回っており、賃金が増加した者の方が、減少した者よりも多いことが分かる。一方で、45~54歳の転職では、0を下回っており、賃金が減少した者の方が多いことが分かる。
 次に、転職後の長期的な賃金の増減について確認するため、経年的に同一の個人を調査しているパネル調査を用いて、転職が賃金増加に与える影響の推計を行った。具体的には、年収の増加に対して、転職がどの程度インパクトを持つかを確認するため、個人の賃金を少なくとも4年間連続で追跡したデータを用いて、転職があった場合に、転職から2年後、1年後、転職年に、転職前と比べて年収が100万円以上増加する確率を、ロジスティック回帰分析により推計した。同様に、年収が50万円以上及び0万円以上増加する確率でも推計している24。同図(2)はロジスティック回帰分析による限界効果をみたものである。「転職年」の場合には、「3年前と比べて年収が増加」する確率は15%程度マイナスになっており、転職した年は、転職前よりも賃金が減少する確率が高くなる(転職は賃金に対してマイナスの影響を及ぼしている)ことが分かる。「転職から1年後」の場合にも、「3年前と比べて年収が増加」した割合は10%程度マイナスになっており、転職が賃金に対してマイナスの影響を及ぼしている。一方で、「転職から2年後」の場合には、「3年前と比べて年収が増加した」割合に有意な差はないため、転職から2年経つと、転職しなかった場合と比べて、転職が賃金に対して及ぼすマイナスの影響は消失している。加えて、「3年前と比べて年収が100万円以上増加」「3年前と比べて年収が50万円以上増加」した割合は有意にプラスとなっており、転職は、転職前の年収を転職から2年で100万円以上増やす確率を7%程度、50万円以上増やす確率を4%程度上昇させることが分かる。このように、転職直後は賃金が減少する確率が高くなるものの、転職2年後には、転職前の企業で勤続するよりも年収が大きく増加する確率が高まると考えられる。

転職により個人の希望が実現する中で、経済全体の生産性も向上する可能性

転職による効果は年収以外にも様々考えられる。転職前後における変化を確認するため、同じく同一個人を経年的に追ったパネル調査を用いて、①転職した正規雇用労働者(以下この項において「転職あり労働者」という。)、②継続して勤め続ける正規雇用労働者(以下この項において「転職なし労働者」という。)の2つのグループに分けて、転職前後における満足度や仕事へのモチベーション等の変化について確認しよう25第2-(3)-21図(1)により、生活への満足度が高い労働者の割合をみると、転職あり労働者の方が、転職前の満足度は低いものの、転職後の満足度が上昇している。同図(2)により、キャリア見通しが開けている者の割合をみると、転職あり労働者の方が、転職前では低いが、転職後に大きく高まり、転職なし労働者の割合を逆転している。同図(3)(4)により、成長の実感や仕事への満足度が高い者の割合についてみても、転職あり労働者は10%ポイント近く改善している。最後に、同図(5)(6)より、生き生きと働くことができた、仕事に熱心に取り組んでいた者の割合をみると、転職あり労働者では、転職後、転職なし労働者と同等程度まで改善していることが確認できる。
 転職により、職場環境や待遇、役割が変わることで、生活の満足度やキャリア見通し、成長の実感、仕事へのモチベーションも高まっているものと考えられることから、転職は、個々人の希望の実現に寄与しつつ、仕事へのエンゲイジメントを高め、結果として経済全体の生産性向上にもつながる可能性26があると考えられる。

希望する人が転職しやすい環境の整備が重要

転職による年収の増加や、生活の満足度やキャリア見通し、仕事へのモチベーション等の改善について確認したが、こうした転職の利点が示唆される中で、なぜ実際に転職に踏み出す者は大きく増えていないのだろうか。ここでは、転職を希望しつつ転職しなかった理由をみてみよう。第2-(3)-22図(1)より、20~40歳台の正社員・正職員であって、情報収集以上の転職活動をしたが転職していない者について、転職しなかった理由をみると、「転職活動をする時間がない」に次いで「賃金や処遇の条件に対して希望に合うものが少ない」があげられており、希望する処遇と求人とのミスマッチがうかがわれる。また、「自分に合う業種がわからない」「自分に合う職種がわからない」等、自分の職務経験やキャリアへの理解不足を感じる人も多い27。同図(2)より、45~74歳の中高年層において、転職を希望しつつ転職しなかった理由をみると、「新しい環境に不安だったから」が最も多くあげられている。転職には様々なプラスの効果があると考えられるが、会社の文化や求められる役割の違い等への不安が中高年層では強いことがうかがえる。

 転職は個々人の年収を大きく増加させる可能性があるほか、仕事へのモチベーションの改善等を通じて、企業の生産性向上にも資する可能性がある。しかし、自分のキャリアや職務経験への深い理解が必要であり、また中高年層では、環境を変えることに対する不安等もあることが分かった。
 これまでも政府としては、希望する人が転職しやすい労働市場を整備する観点から、ジョブ・カードの活用やハローワークを通じた就職相談、job-tag28を通じた職業に必要なスキルやその職業の性質の見える化、「職場情報総合サイト(しょくばらぼ)」を通じた職場情報の開示等に取り組んでおり、引き続き、円滑な労働移動が可能な労働市場の確立に向け、必要な取組を講じていくことが重要である。

コラム2–8 ジョブ型人事制度導入の取組について

近年、いわゆるジョブ型人事制度が注目されている。濱口(2021)によると、「ジョブ型とは、まず最初に職務(ジョブ)があり、そこにそのジョブを遂行できるはずの人間をはめ込」29む雇用システムであり、欧米社会等で広く浸透している。我が国においても、ホワイトカラーの処遇と職務の明確化等の観点から導入の動きがある中で、政府は、日本企業と海外企業との賃金格差の縮小等に向け、個々の企業の実態に合った職務給の導入を促すこととしている30
 厚生労働省では、労働政策審議会労働政策基本部会において、2022年2月以降、労働政策の中長期的課題を審議する中で、リスキリング、ジョブ型人事制度等についても取り上げており、2023年4月にコラム2-8表のように、各企業の人事制度について整理している。本コラムでは、ここで取り上げられた企業のうち、ジョブ型人事制度を導入している企業として、株式会社日立製作所の取組について紹介していく。

株式会社日立製作所

世界有数の総合電機メーカーである株式会社日立製作所(従業員数322,525名(連結)(2023年3月現在)、本社:東京都千代田区)は、「ジョブ型人財マネジメント」への転換を進めている。転換を進める理由は、多様な人材が場所・時間の制約を超え、一体となって事業を推進していくためとのことである。背景には、DXの進展等によりビジネスがグローバル化していることに加え、世界的に高度人材獲得競争が激化するなど、事業環境の変化がある。また、少子高齢化の進行等の日本が抱える社会課題に加え、従業員の価値観やライフスタイル等が多様化していることが挙げられる。同社ではこれらの状況を踏まえ、年齢・性別・国籍等の属性によらず、従業員本人の意欲・能力に応じた「適所適財」の配置により、組織・個人双方の成長を目指しているという。
 同社は、2011年からグループ・グローバル共通の「人財マネジメント基盤」の整備を進めてきた。グループ・グローバルに人材情報を把握するため、2012年度に「グローバル人財データベース」の構築を開始し、社員約25万名(当時)の人材情報をデータベース化しており、各種人材施策のアプリケーションに活用している。
 処遇制度については、管理職を対象にジョブ型を踏まえた制度を導入しており、今後は一般社員にも導入していくことを検討しているとのことである。具体的には、管理職を対象に、2013年度にグループ・グローバル共通の役割グレード「日立グローバル・グレード」を導入し、翌2014年度に役割(職責)をベースとする処遇制度への改定を行った。同社人事担当者によると、管理職は給与制度の改定前から職能と職位に応じて報酬を決定していたため、給与はスライドになったケースが主だったが、役割を改めて評価した結果、給与が増加したケースや減少したケースもあったという。この改定によって、年齢や経験年数に関わりなく、若手や外部の経験者、外国人などを含めた「適所適財」の配置がしやすくなったという。
 また、2021年度に管理職を対象に、ポジションごとに職務概要や必要なスキル等を明示した「職務記述書(ジョブディスクリプション)」を導入し、2022年7月より一般社員にも対象を広げている。採用については、新卒・中途ともに、職務を起点としたジョブ型採用を強化しており、2022年度の中途採用比率は約43%となっている。中途採用時には社内公募も同時に実施しており、社員の自らの意思による異動の機会拡充や社内の人材の流動性の向上を図っている。
これまでは会社主導の人事異動などを通じたキャリア形成を主としてきたが、「ジョブ型人財マネジメント」においては、従業員が自律的にキャリアを築いていく必要があるという。同社は、従業員の意識・行動変革のため、各種施策を展開している。例えば、職務記述書導入を契機とした上長と部下間のキャリア対話の強化や、AIを活用して従業員の自律的な学びを促す「学習体験プラットフォーム」の導入を実施している。2023年度にはキャリアについて相談できる社内キャリアエージェントの設置等も予定されている。
 「ジョブ型人財マネジメント」への転換に当たっては、従業員から戸惑いの声もあった。そのため、同社は2017年より、春季交渉以外にも、人事担当役員が出席する「Next100労使委員会」31を計11回開催するなど、労働組合との議論を積極的に行ってきた。また、従業員からの「ジョブ型に転換すると、チームワークが低下してしまうのではないか」等の疑問や懸念については、階層別の対話やeラーニング等を実施し、丁寧なコミュニケーションを図っている。
 同社人事担当者は、「ジョブ型人財マネジメントへの転換にあたっては、従業員の意識・行動の変革が重要だが、これらを急に変えることはできない。今後も労働組合と協議を重ねたり、教育機会を設けたりしながら、着実に転換を進めていく」と述べている。同社は、従業員の納得を得られるよう時間をかけて取組を進めており32、こうした労使での対話や学習支援の仕組みの構築などの丁寧な対応は、今後、同様にジョブ型人事制度への転換を進めようとしている企業にとって参考となるといえよう。


(3)正規雇用を希望する非正規雇用労働者の正規雇用転換に向けて
 最後に、非正規雇用労働者の正規雇用への転換について取り上げよう。非正規雇用労働者については、「正規の仕事がないため」に就いている者の割合は低下傾向にある33ものの、正規雇用労働者と比べた賃金格差が大きいことや能力開発機会が乏しいこと等の課題も指摘34されており、その待遇の改善は賃金の底上げを図る観点から重要である。厚生労働省においては、最低賃金の引上げや正規雇用労働者と非正規雇用労働者との不合理な待遇差の解消を目指す、いわゆる同一労働同一賃金の着実な実施により、非正規雇用労働者の待遇改善に向けた政策を講じているが、これらについては、第3節において取り扱うこととし、ここでは、非正規雇用労働者の正規雇用への転換について取り上げる。

正規雇用労働者の増加は、男女ともに正規雇用からの離職が減少したことも影響

正規・非正規雇用労働者数の推移について確認すると、既に第1-(2)-6図(2)でみたように、ここ10年では正規・非正規ともに増加傾向となっている。特に女性の正規雇用労働者数は、感染症により雇用情勢が一時的に悪化した2020~2021年を経ても一貫して増加傾向にある。
 正規雇用労働者数が増加する要因としては、大きく分けて、①正規雇用での新規就業者の増加、②正規雇用からの離職者の減少の2つが考えられる。総務省統計局「労働力調査」が2か月連続で同一サンプルを調査していることを利用して、これら2つの動きについて確認してみよう35
 まず第2-(3)-23図(1)~(4)により、男性についてみると、非正規雇用から正規雇用への移行確率や、非労働力・失業から正規雇用への移行確率は低下していることから、正規雇用への転換が進んでいることは確認できない。ただし、正規雇用から非正規雇用、正規雇用から非労働力・失業への移行確率も低下しており、正規雇用を離職する割合が経年的に低下していることは確認できる。男性の正規雇用労働者が増加している背景には、正規雇用労働者が非正規雇用や、非労働力や失業へと移行することが減少してきたことが背景にあるものと考えられる36
 同図(5)~(8)により、女性についてみると、おおむね男性と同様の傾向であるが、非労働力・失業から正規雇用への移行確率のみ長期的に上昇している。女性の正規雇用労働者が増加した背景については、男性と同様に正規雇用から非正規雇用や非労働力・失業への移行が減少傾向であることが一因であるが、これに加えて、失業や非労働力から新たに正規雇用として就業する者が増加したことも要因として考えられる。

正規雇用転換により年収が増加するほか、自己啓発やキャリア見通しにも望ましい影響が生ずる可能性

非正規雇用労働者が正規雇用に転換すると、転換した労働者にはどのような変化が生じるだろうか37。ここでは、同一個人を複数年にわたって追跡したパネル調査を用いて、①正規雇用へ転換した非正規雇用労働者(以下「転換労働者」という。)と、②非正規雇用を継続した者(以下「継続労働者」という。)の2つのグループに分けて、それぞれ年収や自己啓発、キャリア見通しの変化をみてみよう38
 第2-(3)-24図(1)により、転換労働者と継続労働者について、平均年収の変化をみると、継続労働者の年収はほぼ横ばいである一方で、労働時間の増加や職務の内容や責任の変化等により、転換労働者の年収は150万円程度増加している39。同図(2)により、キャリア見通しが開けている労働者の割合についてみても、正規雇用転換した場合には上昇している。転換労働者については、転換前からキャリアの見通しが開けている割合は高いが、転換後にはその割合が更に高まっている。すなわち、より安定した正規雇用へ転換する中で、長期的にも自分のキャリアについての見通しを持つようになったものと考えられる。同図(3)より、成長を実感している労働者割合の変化をみても、継続労働者では成長の実感が下がっている一方で、転換労働者では上昇している。正規雇用転換による職務の内容や責任の変化等によって、より成長を感じられるようになったものと考えられる。最後に、同図(4)より、自己啓発活動を行うようになった労働者の割合についてみても、転換労働者では増加しており、キャリア見通しが開け、賃金も増加する中で、より自己啓発を行うようになったことがうかがえる。
 こうした傾向を踏まえれば、非正規雇用労働者の正規雇用転換は、年収を増加させるだけではなく、安定した雇用に移ることにより、キャリアの見通しを開かせ、より成長を実感できるようにし、自己啓発の取組を高める可能性がある。

 第1-(2)-10図でもみたとおり、雇用情勢が改善する中で、正規雇用を希望するものの正規雇用の仕事がないために非正規雇用労働者として働く、いわゆる不本意非正規雇用労働者については大きく減少してきた。このため、現状においては、自らの希望として非正規雇用を選択している者が多いものと考えられるが、同一個人を複数年にわたって追跡したパネル調査でみても、正規雇用に転換することによって、年収だけではなく、キャリア見通しや自己啓発にも望ましい影響が生ずる可能性があることを確認できた。引き続き、正規雇用を希望する非正規雇用労働者については、企業内での転換や正規雇用の仕事への転職が行えるよう、キャリアアップ助成金等を通じた支援や、ハローワークにおける正社員就職に向けたきめ細かな就職支援等を着実に行っていくとともに、非正規雇用労働者が増加する中にあっては、本章第3節で分析しているような最低賃金の着実な引上げや、同一労働同一賃金の遵守の徹底等を通じた非正規雇用労働者の待遇改善に取り組んでいくことが重要である。

コラム2–9 正規雇用転換の取組について

労働者一人ひとりが能力を発揮しつつ働き続けるには、雇用が安定していることが重要である。2013年に有期雇用労働者の無期転換ルールが施行されたが、非正規雇用労働者のキャリアアップのため、法定より早期の無期転換や正規雇用労働者への転換を積極的に実施している企業もある。本コラムでは、その例として、高品質かつ付加価値の高いサービスを提供するため、契約社員の正規雇用転換を実施した明治安田生命保険相互会社、及び、非正規雇用労働者の多い小売業において、パートタイム労働者のより一層の活躍のために、正社員登用制度を導入している株式会社イトーヨーカ堂の取組について紹介していく。

明治安田生命保険相互会社

明治安田生命保険相互会社(従業員数47,415名(2022年3月現在)、本社:東京都千代田区)は、2022年3月末時点で約620万名の契約者を抱える大手生命保険会社である。これまでも契約社員のキャリアアップを目的として正社員への登用を積極的に推進してきたが、2021年4月、一人ひとりの実績及び意欲・適性に基づく成長・活躍を一層後押しすることを企図し、内勤の契約社員約2,500名(ほぼ全員が女性)のうち、原則として希望者全員を正社員である「総合職(地域型)」に登用することとした。そして、2022年12月までに、2,154名(2021年4月1,877名、2022年277名)が登用された。
 本取組の背景には、同社の強みである保険契約者へのアフターフォローの充実に力を入れたいという思いに加え、デジタル化により契約社員が担う事務が減少していることや、同社の従業員は相対的に若年層が少ない年齢構成であり、中長期的に総合職の要員数の減少が見込まれることへの危機感があった。保険契約者へのアフターフォロー等の高品質かつ付加価値の高いサービスを提供するためには、定型的な事務処理にとどまらず、事務サービスを中心とした幅広い職務への対応が必要であるとのことである。
 このため、本取組の実施後は、コラム2-9-①表のように、「(法人)事務サービス・コンシェルジュ」や「(法人)事務担当」、取組に伴い新設された「事務アシスタント」等に登用している。

 正社員移行後も転居を伴う異動はないが、評価制度が変更となる。処遇体系は、職務によって異なり、「事務アシスタント」は契約社員に類似した給与重視型だが、「(法人)事務サービス・コンシェルジュ」「(法人)事務担当」は総合職と同様に給与・賞与バランス型となり、年収は平均10%上昇する。また、退職金も支給される。勤務体系は、固定時間制からコアタイムなしのフレックスタイム制に変更となる。
 「(法人)事務サービス・コンシェルジュ」が担う対面サービスには、顧客から「分かりやすかった」「すぐに手続きできて良かった」等の声が届いており、従業員のモチベーションの向上にもつながっている。
 今後も、総合職として「(法人)事務サービス・コンシェルジュ」にとどまらず、上位職を目指してより一層挑戦してもらうため、一人ひとりに寄り添った人材教育や、上位職の活躍機会を増やす工夫をしていきたいと同社人事担当者は述べている。
 大手生命保険会社で初めて402,000名規模の契約社員の正社員化を実施した同社の取組は、人手不足の中で、待遇の改善を通じて、事業の安定的な継続やサービスの高付加価値化につながっている好事例であり、今後積極的に正規雇用転換を進めていこうとする企業にとって参考となる取組であるといえよう。

株式会社イトーヨーカ堂

株式会社イトーヨーカ堂(従業員数約31,200名、うちパートタイム労働者約25,000名、契約社員約700名(2023年2月現在)、本社:東京都千代田区)は、関東地方を中心に総合スーパーを運営する企業であり、これまでも「平成27年度 第1回パートタイム労働者活躍推進企業表彰41」にて最優良賞(厚生労働大臣賞)を受賞するなど、非正規雇用労働者の雇用管理の改善に向けた取組等で注目されている。
 同社は、コラム2-9-②図のように、2007年よりパートタイム労働者の契約社員への登用制度、2014年より契約社員の正社員への登用制度を導入している。まず、「ステップアップ選択制度42」において「リーダー」に認定されたパートタイム労働者が、契約社員(フィールド社員)登用試験に挑戦できる。そして、契約社員として1年半以上勤務した方が、年に1回開催されている正社員登用試験(筆記試験・面接)に挑戦できる。同制度を利用し、これまでに約980名が契約社員に、約210名が正社員に登用されている(2023年2月現在)。

 同制度は、労働組合の要望と会社の考え方が合致し、導入に至った。パートタイム労働者の半数以上を占める常用パートタイム労働者(週20時間以上勤務)は、ユニオンショップ協定により労働組合に加入しており、非正規雇用労働者の労働組合組織率は6割を超えている。労働組合は組合員であるパートタイム労働者の処遇改善や、より活躍する機会の創設を要望しており、会社としても、採用を取り巻く状況が厳しさを増す中で、事業に不可欠な存在であるパートタイム労働者に正社員としてもっと活躍して欲しいと考えていたとのことである。
 同社では、パートタイム労働者にも、レジ打ちや商品陳列といった定型業務だけでなく、婦人服などの商品の発注や値下げ等の役割を積極的に任せている。契約社員・正社員への登用後はフルタイム勤務となり、そうした役割に加え、売場のリーダーとしてパートタイム労働者をまとめるマネジメント業務を担ったり、部門の責任者のもとで販売・人員配置計画などにも参画したりすることとなる。正社員登用後は、転居を伴う異動の可能性があるものの、退職金が支給されることとなる。
 同社人事担当者によると、パートタイム労働者の中には、接客やリーダーシップ等の能力が際立っている方や、ステップアップを希望する方が多々おり、同制度の導入によりそうした優秀な人材の確保につながっているそうである。特に、子育てが一段落した主婦等、もっと働きたいという意欲と経験のあるベテランのパートタイム労働者の活躍の機会が広がっており、パートタイム労働者から正社員登用された従業員が、店長や売場責任者にキャリアアップする事例が出てきている。
 一方、家計を補助する目的で、夫の扶養範囲内で短時間のみ働くことを希望する方も多く、正社員登用制度への応募者数は年々減少している。同社人事担当者は、「パートタイム労働者全員が昇給や正社員化を望んでいるわけではないことを踏まえた上で、今後も労働組合と議論を重ねながら制度を運用していきたい」と述べている。同社の取組は、労使双方が地に足のついた議論を丁寧に進めた結果、進んできたものといえる。
 小売業において、スーパーは地域の生活とも特に密接な関係にある。従業員数の多くを占める非正規雇用労働者の正社員へのキャリアアップの仕組みは、地域の安定した雇用を支える基盤ともなりうる取組であり、今後の進展にも注目したい。

第3節 政策による賃金への影響

第2節では、開業支援や希望する人の転職支援、非正規雇用労働者の正規雇用への転換を取り上げ、持続的な賃上げに必要な取組等について確認してきた。賃金は労使の交渉を通じて決定されるという前提を踏まえれば、政策的に直接介入することは望ましくないが、労使の交渉力の違い等を踏まえ、労働者の生活の安定等に資するよう、賃金等について法律により規定する政策も例外的に行われている。本節では、労使の議論を踏まえつつ国が賃金の最低額を定めることとされている最低賃金制度と、雇用形態による不合理な待遇差を設けることを禁止する同一労働同一賃金を取り上げ、こうした制度が賃金に及ぼす影響について確認していく。

(1)最低賃金引上げの影響

 最低賃金法(昭和34年法律第137号)では、国が賃金の最低限度を定め、使用者は、最低賃金額以上の賃金を支払わなければならないと規定されている。最低賃金には、地域別最低賃金と特定最低賃金の2種類があり、前者は、産業や職種にかかわりなく、都道府県内の事業場で働く全ての労働者とその使用者に対して適用される一方で、特定最低賃金は、特定地域内の特定の産業の基幹的労働者とその使用者に対して適用される。本白書においては、ほぼ全ての労働者に適用される地域別最低賃金に着目して分析を進めていくこととし、地域別最低賃金を指して単に「最低賃金」と呼ぶこととする。
 なお、労働者の生活の向上に向け、これまで「できる限り早期に全国加重平均1000円」を目指して引上げに向けた取組が行われてきており43、こうした中で、最低賃金が特にパートタイム労働者の賃金にどの程度影響しているのか、シミュレーション等も用いながら分析する。

最低賃金は特にパートタイム労働者に与える影響が大きい

まず、これまでの最低賃金の推移をみてみよう。第2-(3)-25図(1)から、最低賃金額の最高額・最低額・全国加重平均額の推移をみると、2007年以降、引上げのペースが加速する中で最高額と最低額の差が徐々に拡大し、2007年には121円であった最高額と最低額の差が、2013年には200円を超えた。最低賃金額は、地域における労働者の生計費等を考慮して、都道府県ごとに決定されていること等からこうした差が生じているが、同図(2)において、最高額と最低額の比率を確認すると、2015年以降、地域間における最低賃金水準の格差は縮小傾向で推移している44

 こうした最低賃金の引上げは、労働者の分布にどのような影響を及ぼしているだろうか。ここでは、フルタイム・パートタイム労働者別に、最低賃金近傍の労働者割合とその変化をみてみよう。第2-(3)-26図は、フルタイム・パートタイム労働者別に、各年・各地域の最低賃金から+300円以内に収まる労働者の分布を示したものである。フルタイム労働者についてみると、最低賃金から+50円近辺の労働者割合は上昇しているものの、その程度は小さく、賃金分布に大きな変化はみられない。一方で、パートタイム労働者についてみると、長期的に最低賃金から+100円以内の労働者の割合が上昇しており、特に、2015年以降では、2014年以前と比べ最低賃金から+20円以内の労働者割合が大きく上昇していることが分かる。最低賃金が引き上げられてきた中で、近年では、最低賃金近傍に位置するパートタイム労働者の割合が大きく上昇した結果、最低賃金の引上げは過去と比べて、特にパートタイム労働者の賃金に対して大きな影響を及ぼすようになっているものと考えられる。

 最低賃金の水準が地域によって異なるため、最低賃金近傍の労働者割合について、フルタイム・パートタイム労働者別に地域を分けて確認してみよう。第2-(3)-27図は、最低賃金+100円以内に位置する労働者の割合をみたものである。フルタイム労働者については、全ての地域において最低賃金近傍の労働者割合が10%未満であり、2005~2009年から2020~2021年にかけて上昇しているものの、地域差はほとんどみられない。一方、パートタイム労働者については、2005~2009年において既に最低賃金近傍に多くの労働者が位置していた北海道・東北、九州・沖縄を除き、全地域で最低賃金近傍の労働者割合は急上昇しており、これは、最低賃金引上げに伴って、最低賃金近傍のパートタイム労働者の割合がほぼ全国的に上昇したためと考えられる。その結果、2005~2009年にみられたような地域差は縮小し、2020~2021年には、どの地域においても30%台の水準となっている。

 第2-(3)-28図より、産業別に最低賃金近傍の労働者割合をみてみよう。フルタイム労働者では、2020~2021年の平均でみると、「宿泊業,飲食サービス業」を除いてどの産業でも10%未満であり、大半の労働者が最低賃金+100円より高い時給に位置している。また、2005~2009年から2020~2021年にかけての大幅な割合の上昇はみられない。一方、パートタイム労働者については、最低賃金+100円以内に位置する労働者割合が、「製造業」「卸売業,小売業」「宿泊業,飲食サービス業」では2020~2021年平均で40%を上回る水準に達しており、また、どの産業においても割合が大きく上昇していることが分かる。
 以上から、最低賃金が引き上げられている中で、地域、産業別に違いはあるものの、パートタイム労働者については、最低賃金近傍に位置する者の割合が総じて高まっていることが確認できる。

今後の最低賃金の引上げは、最低賃金+75円以内のパートタイム労働者割合を上昇させる可能性

最低賃金の引上げは重要な政策課題であるが、今後、継続して最低賃金を引き上げていくと、特に影響が大きいパートタイム労働者の賃金分布は、どのように変化することが見込まれるだろうか。ここでは、2012~2021年までの10年間のデータを用いて最低賃金の引上げがパートタイム労働者の賃金分布に及ぼす影響についてシミュレーションを行った。まず、2012年以降のデータについて、都道府県・産業別45のパネルデータを作成し、25円刻みでの最低賃金近傍の労働者割合について、最低賃金を説明変数として推計を行った46。次に、推計によって得られた係数を用いて、全国加重平均の最低賃金が1,000円、1,200円へと上昇したときに、最低賃金近傍の労働者分布がどのように変化するかについて、シミュレーションを行った。第2-(3)-29図(1)では、2017~2021年の5年間における実際の分布と、同時期の最低賃金の全国の平均値(870円)からシミュレーションした分布を比較したものである。多少のずれはあるものの、シミュレーションから得られた分布は、実際の賃金分布に近い形となっていることが確認できる。同図(2)より、仮に最低賃金が1,000円、1,200円となった場合のシミュレーション結果をみると、最低賃金が上がるにつれて、最低賃金+75円以下の労働者割合が大きく上昇する一方で、最低賃金+125円以上に位置する労働者の割合が低下し、その程度は、最低賃金から離れるほど小さくなることが確認できる。本シミュレーションの解釈には十分な留意が必要である47が、今後、最低賃金がより最低賃金近傍のパート労働者に及ぼす影響が大きくなっていく可能性がある。

最低賃金1%の引上げは、パートタイム労働者下位10%の賃金を0.8%程度引き上げる可能性

最低賃金の引上げは、パートタイム労働者の賃金額にどの程度影響するであろうか。第2-(3)-29図と同じくパネルに整理したデータを用いて48、それぞれ最低賃金の1%の引上げが、パートタイム労働者の賃金水準に与える影響を確認しよう49第2-(3)-30図は、最低賃金が1%上昇した場合に見込まれる、10~50%タイルまでの時給の上昇幅を示したものである50。10%タイルは、時給額が下から10%に位置する者の賃金水準を、50%タイルは、ちょうど真ん中に位置する者の水準(中位値)を示している。これをみると、最低賃金が1%上昇した場合、10%タイルのパートタイム労働者の賃金を0.85%増加させる一方で、50%タイルでは0.73%増加させる結果となっており、最低賃金に近い時給で働く者ほど、最低賃金引上げの影響を大きく受けることが分かる。

 ここまでみてきたように、最低賃金は、その近傍に位置する割合が高いパートタイム労働者に対して特に大きな影響を及ぼしており、近年では最低賃金近傍のパートタイム労働者割合が高まる中で、その影響はより大きくなっている可能性がある。このように、最低賃金が果たす役割が近年大きくなっている中で、賃金の底上げに向け、地域の実情等を踏まえつつ、着実に最低賃金を引き上げていける環境を整備していくことが重要である。

コラム2–10 最低賃金が労働市場に及ぼす影響について

これまでみてきたように、最低賃金の引上げは、特にパートタイム労働者の賃金分布や水準に大きな影響を与える可能性がある。一方で、パートタイム労働者の賃金やその雇用だけではなく、パートタイム労働者の仕事に求められる生産性が相対的に上昇することで、労働市場における労働力の最適配置が変化する等、労働市場全体にその影響が及ぶ可能性もある。ここでは、一つの試みとして、マクロモデルを用いたシミュレーションを行う。本シミュレーションは、正規・非正規雇用労働者の2種類の労働者が存在する労働市場を考えており、モデルの簡略化のため、最低賃金は非正規雇用労働者にのみ設定されること、非労働力人口は存在しないものと仮定している。また、最低賃金が引き上げられた場合、生産性がその水準に見合わない仕事は消失するものとする。さらに、正規雇用と非正規雇用の生産性は代替可能であるものと仮定している。なお、本分析については、あくまでも、単純化のために一定の仮定を置いた上でのマクロの試算であることから、その結果については相当の幅をもってみる必要があり、またその解釈に当たっても、こうした限界を十分に踏まえる必要がある51
 本シミュレーションでは、労働者全体の生産性が毎年1%52上昇する中で、最低賃金が毎年3%上昇することで、正規及び非正規雇用労働者の①求人倍率、②雇用者数、③失業者数、④賃金等にどのようなメカニズムでどのような影響を与えるかを確認した。シミュレーションの結果はコラム2-10図のとおりであるが、最低賃金が上昇することで、得られた結果は以下のとおりである。
 1.非正規雇用労働者の仕事で求められる生産性の水準が上がり、失業者は、相対的に正規雇用の仕事に就きやすく、非正規雇用の仕事に就くのが難しくなる
 2.非正規雇用労働者の一部は失業するが、正規雇用の仕事に就きやすくなったため、非正規雇用労働者の一部は正規雇用労働者を目指すこととなる
 3.このため、失業者数は毎年0.03~0.24%程度増加するものの、労働者全体の生産性が毎年1%上昇する中で、正規雇用・非正規雇用ともに求人倍率は上昇し、正規雇用労働者数は毎年0.3%程度増加する
 4.賃金については、労働者全体の生産性が上昇する中で正規雇用労働者は毎年0.9%程度、非正規雇用労働者は毎年2.5%程度上昇する
 最低賃金が現実の経済・労働市場に与える影響については、様々な要因が複雑に絡み合っており、前提となる仮定(生産性や求人コスト等)や時代的背景(労働力人口や産業構造の変化等)によっても大きく異なることから、一概にこうした効果が全ての場合に当てはまるわけではないが、最低賃金の引上げは、生産性の上昇を伴う場合においては、必ずしも雇用の減少を意味するものではなく53、また、その効果は、非正規雇用労働者だけではなく、正規雇用労働者の雇用や賃金等を含む労働市場全体に波及するものと考えられる。
 労働者の生活の向上に向け、最低賃金を着実に引き上げていくにあたっては、雇用を損なわぬよう、生産性の向上を支援する取組も重要となることが示唆される。

コラム2–11 最低賃金の引上げ等が被用者保険の適用水準近傍のパートタイム労働者の年収分布に及ぼす影響について

これまでみてきたように、最低賃金の引上げは、賃金水準が比較的低い層のパートタイム労働者の時給を引き上げる効果を持つ。しかしながら、一部のパートタイム労働者において、時給が上昇したにもかかわらず、引き続き健康保険や厚生年金(本コラムにおいては被用者保険という。)の適用を受けず、被扶養者や第3号被保険者にとどまることを目的に、被扶養者の年収要件である130万円や、短時間労働者の適用要件の一つである月額賃金8.8万円(年収換算約106万円)の水準よりも低くなるよう、労働時間を調整するいわゆる「就業調整」が行われているという指摘がある54。本コラムでは、被用者保険の適用水準近傍に位置するパートタイム労働者に着目し、最低賃金の引上げや、2016年10月に行われた短時間労働者への被用者保険の適用拡大55による労働者の動向について確認していく。
 まず、コラム2-11-①図から、パートタイム労働者の時給、月額賃金(現金給与総額)、月間総労働時間の推移をみると、パートタイム労働者の時給は一貫して増加傾向にある一方で、月額賃金は緩やかな増加にとどまり、月間総労働時間は減少している。

 次に年収分布をみてみよう。これ以降は、大企業(本コラムにおいては従業員500人以上の企業をいう)と、中堅・中小企業(本コラムにおいては従業員500人未満の企業をいう)に分けて分析を行っていく。コラム2-11-②図において、2016年と2021年の二時点におけるパートタイム労働者の年収分布の変化をみると、大企業においては、110~150万円の層の減少幅が大きく、中堅・中小企業においては、60~100万円の層の減少幅が大きい。一方、適用水準を大きく下回る50万円未満と大きく上回る200万円以上の層は、大企業及び中堅・中小企業ともに増えている。
 大企業と中堅・中小企業で傾向の異なる、50~200万円の層の年収分布を詳しくみてみると、大企業においては、2016年と2021年のいずれの時点でも、100万円前後の層が10%弱と相対的に高い割合を示しているものの、被用者保険の適用水準である月額賃金8.8万円(年収換算約106万円)を少し超えた110~140万円の層については、2021年の方が割合が低い。一方、適用拡大が2021年時点で実施されていない中堅・中小企業においては、2016年と2021年の間にやや右側にグラフがシフトしているものの、130万円未満の各層の分布がそれぞれ5%超となっている。130万円以上の各層は2016年、2021年ともに5%未満であり、年収が高い層になるにつれて逓減する傾向は変化していない。

 また、コラム2-11-③図により、年収別に勤続年数1年未満の者の割合(2016~2021年の平均)をみると、大企業、中堅・中小企業どちらにおいても、年収が低いほどこの割合が高いことが確認できる。年収が低い層における平均労働時間は短い56ことから、新たにその会社に雇い入れられた者が比較的短時間で働いている現状がみてとれる。50万円未満の層については、コラム2-11-②図で示されているとおり、大企業、中堅・中小企業ともに割合が増加していることを踏まえると、雇用情勢が改善する中にあって、新規に働く者がより短時間で労働参加しており、パートタイム労働者の総労働時間の減少に寄与している可能性がある。

 ここまでみてきたとおり、パートタイム労働者の年収分布の変化については、最低賃金の引上げや新規雇用者の割合、加えて大企業においては被用者保険の適用拡大等、様々な要因が寄与しているものと考えられる。これらの要因が被用者保険の適用水準近傍のパートタイム労働者の年収分布に及ぼす影響を考えるため、大企業について、各事業所の①年収106~130万円かつ週20~30時間で働くパートタイム労働者割合と、②年収130万円以上又は週30時間以上働くパートタイム労働者割合を被説明変数として、最低賃金引上げや適用拡大等が与えた影響を、下限0、上限1と設定したトービットモデルを用いて推計した。推計結果は、付2-(3)-7表にあるとおりだが、これをみると、最低賃金の引上げは、各事業所における①年収106~130万円かつ週20~30時間で働くパートタイム労働者割合を低下させる一方で、②年収130万円以上又は週30時間以上働くパートタイム労働者割合を上昇させていることが分かる。適用拡大が行われた2017年以降に1をとる2017年ダミーについては、①年収106~130万円かつ週20~30時間で働くパートタイム労働者割合を低下させているが、この効果の程度は最低賃金が10%上昇した場合の効果よりも小さい。本推計から、被用者保険の適用水準近傍のパートタイム労働者は、被用者保険の適用拡大により、減少した可能性はあるものの、この効果は最低賃金引上げによるものよりも小さく、また、最低賃金の引上げは、適用水準を大きく超えて働くパートタイム労働者の割合を上昇させる可能性57があることが示唆される58

(2)同一労働同一賃金の影響

働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律(平成30年法律第71号)により、大企業は2020年4月1日から、中小企業は2021年4月1日から、短時間・有期雇用労働者に対する不合理な待遇差を設けることが禁止された59。こうした、いわゆる同一労働同一賃金については、同一企業内における雇用形態間の不合理な待遇差をなくし、どのような雇用形態を選択しても待遇に納得して働き続けられるようにすることで、多様で柔軟な働き方を選択できるようにすることを目指して施行されたものである。賃金等の待遇は、労使によって決定されることが基本であり、不合理な待遇差の解消に向けては、各社の状況と労使での議論を通じて具体的な対応が決定されるものであるが、ここでは、同一労働同一賃金について、賃金決定にどのように影響を及ぼしているかみていく60

同一職業内でみると、正規雇用労働者と非正規雇用労働者の時給比は勤続年数が上がると拡大する傾向

まず、第2-(3)-31図より、同一職業内における正規・非正規雇用労働者の勤続年数ごとの時給比の現状についてみてみよう。ここでは、2020、2021年のデータを用いて、職業61ごとに同じ勤続年数の範囲の正規・非正規雇用労働者それぞれの時給の平均を計算し、その比率を示している。正規・非正規雇用労働者の時給比については、勤続0~4年ではほとんどの職業で1.2倍程度の範囲内だが、職種による違いはあるものの、勤続年数が長いほど、大きくなる傾向がみてとれる。

同一労働同一賃金は正規・非正規雇用労働者の時給比を約10%縮小させた可能性

次に、同一労働同一賃金による効果について、以下の2つの観点から検討する。一つ目は、同一事業所内における正規・非正規雇用労働者の時給比への影響である。同一労働同一賃金の施行により、同一企業内における不合理な格差の解消に向けた取組が講じられれば、正規・非正規雇用労働者の時給比が縮小する可能性がある。同一企業における全事業所の正規・非正規雇用労働者の時給の平均をとると、都道府県による賃金水準の差異の影響を含んでしまうことから、ここでは同一事業所内における状況に着目して分析する。二つ目は、賞与支給の有無の影響についてである。同一労働同一賃金が適用された2020年以降の大企業において、事業所ごとに非正規雇用労働者への賞与の支給状況を確認する。
 同一労働同一賃金の施行については、短時間・有期雇用労働者を対象に、2020年度から大企業においてのみ適用され、中小企業における適用時期である2021年度より1年早く施行されたことから、この違いを利用して、2020年時点において同一労働同一賃金が施行された「処置群」と、施行されていなかった「対照群」を設定し、これら2つの群における動向を比較することで政策の効果を確認する62
 第2-(3)-32図より、処置群と対照群それぞれにおける事業所内の正規・非正規雇用労働者の時給比をみると、どちらも長期的には同じように低下しているものの、2020年においては、特に処置群において縮小していることが分かる。
 処置群における時給比の縮小は、同一労働同一賃金によるものと考えてよいだろうか。施策の効果を測定するに当たっては、「①(同一労働同一賃金が2020年度から適用された)処置群における2019年以前~2020年にかけての変化」をみるだけでは足りず、「②仮に施策がなかった場合に処置群において生ずる変化」を差し引かねばならない。これは、正規・非正規雇用労働者の時給比には、施策以外にも経済や雇用状況等の様々な要因が影響を与えうるからである。ただし、①についてはデータから観測できるものの、②については現実には起きなかった事象であり、データで直接的に観測できない。このため、施策の影響を受けなかった対照群を設定し、この対照群における2019年以前~2020年にかけての変化を、「②仮に施策がなかった場合に処置群において生ずる変化」とみなすことで、施策効果の抽出を試みる差の差の分析を行っている63
 差の差の分析による推計結果は、第2-(3)-33図に示すとおりであるが、同一労働同一賃金の効果を示す「2020年×大企業ダミー」の係数は-0.0692となっており、これは、正規・非正規雇用労働者の時給比を0.0692縮めたことを示している。第2-(3)-32図でみたとおり、2019年時点において処置群における正規・非正規雇用労働者の時給比は1.67であるので、時給差は0.67程度と計測される。推計された0.0692は、おおむね時給差の約10%に相当する。このため、この分析に基づけば、同一労働同一賃金の適用は、正規・非正規雇用労働者の時給差をおおむね10%縮小させる効果があったものと考えられる。なお、最低賃金や有効求人倍率は時給比に対してマイナスに寄与していることから、最低賃金が引き上げられ、雇用情勢の改善に伴い有効求人倍率が上昇している中にあって、今後も正規・非正規雇用労働者の時給比の縮小傾向は続いていくものと考えられる。

同一労働同一賃金は非正規雇用労働者への賞与支給事業所割合を約5%上昇させた可能性

正規・非正規雇用形態間の時給差については、同一労働同一賃金の適用により、不合理な待遇差が解消されることを通じて縮小している可能性を確認したが、同一労働同一賃金の適用による効果については、時給以外の待遇にも表れている可能性がある。次に、賞与に着目し、非正規雇用労働者への支給状況を確認しよう。第2-(3)-34図より、処置群・対照群別に、一人以上の非正規雇用労働者に対して1円以上の賞与を支給した事業所の割合をみると、2019~2020年にかけては、対照群では低下している一方で、処置群においては上昇がみられる。

 同一労働同一賃金が賞与支給事業所割合に与えた効果を測定するに当たって、2014~2019年にかけて、処置群と対照群が同じような動きをしているとはみえず、差の差の分析を用いることはできない。このため、事業所単位において、一人以上の非正規雇用労働者に賞与を1円以上支払った事業所を1、それ以外を0とした変数に対するロジスティック回帰の手法を用いて、事業所が非正規雇用労働者等に対して賞与を「支給する」確率を推計した。第2-(3)-35図は、限界効果を示したものであるが、同一労働同一賃金が適用された2020年かつ処置群におけるダミー変数の係数が0.05であることから、同一労働同一賃金はおおむね5%程度賞与支給事業所割合を増加させたものと推計される。ただし、本推計結果は、支給事業所に対して影響しうる他の要素を考慮できていない点については留意が必要である64

第4節 小括

本章では、企業への調査を基に賃上げしている企業の特徴等を確認するとともに、今後の賃上げに向けた方向性や、最低賃金と同一労働同一賃金が賃金に及ぼす影響を分析した。
まず、賃上げ企業の特徴についてみると、企業は足下だけではなく先行きの業績も踏まえて賃金を決定しており、業績やその見通しが高いほど賃金を上げている傾向が強いことを確認した。加えて、価格転嫁と賃上げの状況についても分析し、価格転嫁を行いやすい企業ほど賃金を上昇させる傾向があることも分かった。賃金制度と賃上げの関係についても、今後「職務給」を重視しようとしている企業ほど、賃上げに積極的であり、人手不足感が比較的弱くなっている可能性が示唆された。
 次に、スタートアップ等の新規開業、転職によるキャリアアップ、非正規雇用労働者の正規雇用転換の3つの観点から今後の方向性を確認した。新規開業についてはOECD諸国で比較すると、新規開業と生産性上昇率、賃金増加率の間には正の相関がある一方で、我が国では開業率が低く、これには社会的な風潮が影響している可能性があることが分かった。このため、ニーズの強いマッチング支援や、起業が不利にならない仕組みの構築等の起業を行いやすい環境整備を行っていく必要があることを指摘した。また、転職については、転職して2年程度経過すると年収が大きく増加する確率が上昇すること、転職により生活の満足度や仕事へのモチベーションが上昇すること等、転職による正の効果がある可能性を示した。その上で、転職の希望は底堅いものの、転職が実現できていない理由として、希望する処遇と求人とのミスマッチや、自分の職務経験やキャリアへの理解不足のほか、特に中高年層では、勤務環境を変えることに対する不安等があることから、希望する人の転職を支援するため、ジョブ・カードの活用やハローワークを通じた就職相談、job-tagを通じた職業に必要なスキルやその職業の性質の見える化等に取り組む必要があることを指摘した。さらに非正規雇用労働者の正規雇用転換は、年収を大きく増加させる効果があるほか、自己啓発やキャリア見通しにも望ましい影響が生ずる可能性があることから、まずは希望する人の正規雇用転換を促すことが重要であることを確認した。
 最後に、最低賃金引上げと同一労働同一賃金が賃金に及ぼす影響について分析した。最低賃金については、特に最低賃金+75円以内のパートタイム労働者割合を上昇させる可能性があるほか、最低賃金1%の引上げは、パートタイム労働者下位10%の賃金を0.8%程度、中位層においても0.7%程度引き上げる可能性があることが分かった。また、同一労働同一賃金の施行は、正規・非正規雇用労働者の時給差を約10%縮小させた上、非正規雇用労働者に対して賞与を支給する事業所の割合を約5%上昇させた可能性が確認できた。
 このように、最低賃金制度や同一労働同一賃金は、賃金水準や賃金分布に対して様々な影響を及ぼしうるものであることが分かった。重要なことは、「持続的な賃上げ」を通じて労働者の生活の向上を図ることであり、労使の議論を踏まえつつ、政府全体としても、賃金の底上げや生産性向上に向けた取組を進めていくことが求められる。

注釈

  1. 1本調査は2022年12月末時点の企業の賃金決定に関する実態を把握することを目的として、2023年2月に1万社の企業を対象に行われたものであり、約2,500社から回答をいただいた。
  2. 2第2-(3)-1図(1)より9割超の企業において何らかの賃上げを実施したことを示しているが、個々の労働者の賃金を上げても、社内で相対的に賃金の低い労働者(新規学卒者やパートタイム労働者等)を多く雇い入れた場合には、平均でみた一人当たり定期給与や夏季賞与が減少する可能性があることには留意が必要。
  3. 3賃上げを実施しない理由として「業績(収益)の低迷」が最も多いが、業績は仕入れ価格や売上高にも左右されるため、物価上昇によるコスト上昇や価格転嫁のしづらさ等も業績低迷の一因となっている可能性がある。こうした状況が、企業の将来見通しに影響している可能性も考えられる。
  4. 4ここでいう「生産性」は従業員一人当たりの付加価値額を指すものとして定義している。具体的には、「総売上高から原材料費など外部調達費を差し引いた、貴社が新たに生み出した価値」である付加価値額を従業員数で除したものである。
  5. 5価格転嫁は企業の収益そのものに大きな影響を与えている可能性もある。付2-(3)-1図より、価格転嫁の状況別に3年前からの企業収益等の変化をみると、価格転嫁ができていない企業ほど、営業利益や経常利益、生産性が低下している割合が高い傾向にある。なお、付2-(3)-2表では、価格転嫁の状況(2022年)・内部留保の変化(3年前比)・総人件費の状況(3年前比)のそれぞれの状況をクロスした場合の企業の分布を示している。
  6. 6政府としては、「パートナーシップによる価値創造のための転嫁円滑化の取組について」(令和3年12月27日閣議了解)に基づき、政府一丸となって、生産性向上に取り組む中小企業を支援している。
  7. 7ただし、当該結果は限られたサンプルの中で示しているものであり、企業の特性には偏りがある可能性があることには留意が必要。
  8. 8スタートアップ企業とは、一般的に設立10年未満の非上場企業を指す(経済産業省は、「オープンイノベーション促進税制」において、スタートアップ企業の要件を、設立10年未満の国内外非上場企業としている(「経済産業省スタートアップ支援策一覧」(2022年6月版)))。
  9. 9OECD.statからデータが取得できる29か国について、2019年における時間当たり生産性(総付加価値を一人当たり労働時間(雇用者ベース)と就業者数と購買力平価で除したもの)の平均値をみると、全産業では約57ドル、製造業では約68ドルであるが、情報通信業では86ドルと、他産業に比べて高い傾向にある。
  10. 10全要素生産性(TFP)とは、技術水準等、労働と資本以外の要素による生産性をいう。
  11. 11ここでいう「ベンチャー企業」とは、設立5年以内の企業を指す。
  12. 122019年4月16日に行われた第2回「中途採用・経験者採用協議会」においても、中小企業・ベンチャー企業経営者からの提案の中で、「中小企業やベンチャー企業においては、大企業に比して深刻な人手不足に直面しており、労働力の減少等を背景に十分な人手を確保ができていない現状がある。」と指摘されている。
  13. 13一般的にスタートアップ企業の定義は、未上場かつ創業10年未満の企業であるが、ここではサンプルを確保する観点から、上場の有無にかかわらず創業15年未満の企業を「スタートアップ企業等」とした。
  14. 14例えば、「日本再興戦略-JAPAN is BACK-」(平成25年6月14日閣議決定)において、開業率を10%台とする目標が掲げられており、これまでも、自治体等が行う創業支援事業への支援や、起業家教育等の起業意識向上に向けた取組、日本政策金融公庫による創業者への融資等の支援を行っている。
  15. 15「働き方改革実行計画」(平成29年3月28日働き方改革実現会議決定)において「副業や兼業は、新たな技術の開発、オープンイノベーションや起業の手段、そして第2の人生の準備として有効である。」としている
  16. 16原則離職の日から1年以内となっている基本手当の受給期間について、事業を開始した方が事業を行っている期間等は、最大3年間受給期間に算入しない特例が新設された。
  17. 17スタートアップ企業とは、一般的に設立10年未満の非上場企業を指すものの、ヒアリングを実施した2023年1月時点で設立10年未満であることや、背景にある事業の急成長や人事制度の動きなども踏まえ、既に上場していた株式会社メルカリに今回お話を伺った。
  18. 18同社は、「新たな価値を生みだす世界的なマーケットプレイスを創る」等のミッションを達成するため、3つのバリュー「Go Bold(大胆にやろう)」「All for One(全ては成功のために)」「Be a Pro(プロフェッショナルであれ)」を掲げている。
  19. 19OKR(Objectives and Key Results)とは、「目標」と、目標の達成度を測る「主要な成果」を設定する目標管理手法である。
  20. 20eNPS(Employee Net Promoter Score)とは、「親しい知人や友人にあなたの職場をどれくらい勧めたいか」を尋ね、「職場の推奨度」を数値化したもの。
  21. 21リファラル採用とは、自社の従業員に知人・友人などを紹介してもらう採用手法。通常の中途採用と同様に、面接等を経て採用の可否を決める点に特徴がある。
  22. 222020年、2021年において、転職した理由を「より良い条件の仕事を探すため」とする転職者数が大きく減少している(第1-(2)-22図(2)を参照)。
  23. 23賃金変動D.I.は、転職後の賃金が「増加」した者の割合から、転職後に「減少」した者の割合を差し引いたものである。プラスであれば、転職により賃金が増加した者の方が、マイナスであれば減少した者の方が多い。なお、ここでは、転職に伴う雇用形態による変動を除くため、一般労働者から一般労働者への転職のみを集計した。
  24. 24年齢により転職前後の賃金変動に差があることや60歳以上では定年により年収が大きく減少する者もいること、転職により企業規模や雇用形態が変化した場合にも年収は大きく変動することから、年齢、企業規模、産業等についてもコントロールした。推計の詳細は付2-(3)-3表を参照。
  25. 25転職前後の状況が混在することを避けるため、どちらのグループについても3年以上連続して回答した者に限って集計している。このため、①転職あり労働者、②転職なし労働者のグループの比較については、①データが集計された1年目は正規雇用であり、2年目に転職し、3年目は転職した会社に勤め続けている者と、②データが集計された1~3年目を通して同じ会社で正規雇用として勤続し続けている者を比較している。なお、4年以上連続して回答している場合には、直近の3年間の回答を用いて集計している。
  26. 26厚生労働省(2019)においては、ワーク・エンゲイジメントの向上が、生産性を高める可能性が指摘されている。
  27. 27厚生労働省(2022)においても、主体的な転職やキャリアチェンジ(職種間の労働移動)に当たってのキャリアの見通しや自己啓発の重要性が指摘されており、キャリアの棚卸し等を通じた自律的なキャリア形成の意識を高めること等が必要となることが示唆される。
  28. 28job-tag(職業情報提供サイト(日本版O-NET))とは、厚生労働省が公表するWebサイトであり、様々な職業の仕事内容、就業までのルート、労働条件、求められるスキル・知識などを、分かりやすい解説文や動画、数値データで紹介している。
  29. 29ジョブ型雇用の定義は濱口(2021)による。
  30. 30新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画2023改訂版(令和5年6月16日閣議決定)においては、「職務給の個々の企業の実態に合った導入等による構造的賃上げを通じ、同じ職務であるにもかかわらず、日本企業と外国企業の間に存在する賃金格差を、国ごとの経済事情の差を勘案しつつ、縮小することを目指す。」とされている。
  31. 31「Next100労使委員会」とは、同社の労使が次の100年を見据え、人材関連テーマについて中長期の視点で幅広く労使で議論する場である。
  32. 32労働政策審議会労働政策基本部会報告書「変化する時代の多様な働き方に向けて」(令和5年4月26日公表)においては、ジョブ型人事の導入において、①ポストに見合った人材を広く社内外から求める、②キャリアアップに伴う再教育支援の仕組み、③労働者一人ひとりのキャリア志向に対応する、④職務以外の情報共有や組織貢献意欲を促す仕組み等の配慮も必要であるとしている。また、同報告書では、導入に当たっては事前に丁寧な労使コミュニケーションを行うことが必要としている。
  33. 33第1-(2)-10図を参照。
  34. 34付2-(3)-4図より、正社員と比べて非正規雇用労働者の手当を受けられる割合や、教育訓練を受講できる割合が低いことが確認できる。
  35. 35具体的には、前月と今月で就業状態が異なっている者の数を、前月の就業状態における合計数で除すことにより「移行確率」を定義し、その動向を確認している。なお、季節性を除去する観点から、各月の移行確率について12か月移動平均を計算している。
  36. 36詳細は付注2を参照。
  37. 37正規雇用への転換に向けては、2013年に5年以上同一の職で働く非正規雇用労働者が本人の申込みにより無期雇用へ転換されるルールの規定が施行されている。厚生労働省においては、キャリアアップ助成金などを通じて、希望する非正規雇用労働者の正規雇用への転換を促している。
  38. 38なお、本図においても、第2-(3)-21図と同様、転換前と転換後の状況が混在することを防ぐため、どちらのグループについても3年以上連続して回答した者に限って集計している。このため、例えば、①非正規雇用から正規雇用へ転換した者の年収については、データが集計された1年目は非正規雇用であり、2年目に正規雇用に転換し、3年目は正規雇用として勤めている者と、②データが集計された1~3年目を通して非正規雇用として勤続している者を比較している。
  39. 39労働時間の短いパートタイム労働者が、正規雇用転換によりフルタイムとなることで、労働時間が変化することによる効果を含むことに留意が必要。
  40. 40明治安田生命保険相互会社調べ(2020年5月末時点)。
  41. 41厚生労働省では、他の模範となる、パートタイム労働者の活躍推進に取り組んでいる企業などを表彰し広く国民に周知することにより、企業の取組を促進することを目的として、「パートタイム労働者活躍推進企業表彰」を実施していた(平成29年度まで)。
  42. 42「ステップアップ選択制度」とは、パートタイム労働者を働き方・業務能力・技術・技能等に合わせて「レギュラー」「キャリア」「リーダー」の3つに区分し、評価や上長の推薦等によりステップアップできる制度である。本人の意思により、ステップアップを希望しないことも選択できる。
  43. 43経済財政運営と改革の基本方針2022(令和4年6月7日閣議決定)においては、「最低賃金の引上げの環境整備を一層進めるためにも事業再構築・生産性向上に取り組む中小企業へのきめ細やかな支援や取引適正化等に取り組みつつ、景気や物価動向を踏まえ、地域間格差にも配慮しながら、できる限り早期に最低賃金の全国加重平均が1000円以上となることを目指し、引上げに取り組む。」とされている。さらに、経済財政運営と改革の基本方針2023(令和5年6月16日閣議決定)においては、「最低賃金については、昨年は過去最高の引上げ額となったが、今年は全国加重平均1,000円を達成することを含めて、公労使三者構成の最低賃金審議会で、しっかりと議論を行う。」とされている。なお、2023(令和5)年度の地域別最低賃金は、全国加重平均で対前年度43円引上げの1,004円となった。
  44. 44最低賃金の決定に当たっては、1978(昭和53)年度から、地域別最低賃金の全国的整合性を図るため、中央最低賃金審議会が、毎年、地域別最低賃金額改定の「目安」を作成し、地方最低賃金審議会へ提示している。各都道府県は、A~Dランクのいずれかに割り振られており、それぞれのランクごとに引上げ額の目安が示される(令和4年度は、Aランクで6都府県、Bランクで11府県、Cランクで14道県、Dランクで16県となっている。)。なお、目安は、地方最低賃金審議会の審議の参考として示すものであって、これを拘束するものでないこととされている。また、2023(令和5)年4月6日の第65回中央最低賃金審議会において、ランク数について、従来の4ランクから3ランクとすることが適当であるという中央最低賃金審議会目安制度の在り方に関する全員協議会報告が取りまとめられている。
  45. 45第2-(3)-28図において「製造業」「卸売業,小売業」「宿泊業,飲食サービス業」において最低賃金近傍のパートタイム労働者割合が高いことを踏まえ、これらの産業と、それ以外の産業の2つに区分している。
  46. 46推計結果は付2-(3)-5表のとおり。
  47. 47本シミュレーションは、実際のデータから推計した係数を用いているため、係数そのものが変化する可能性を考慮していないことや、経済や雇用状況が推計で用いた2012~2021年の状況と大きく異なる場合には必ずしもシミュレーションで示したとおりの分布にならない可能性が高いこと等から、その結果の解釈には相応の留意が必要である。
  48. 48パートタイム労働者の賃金分布については、特に近年の変化が大きいことに鑑みて2012~2021年のデータを用いてシミュレーションを行ったが、各パーセントタイルの賃金額の推計に当たっては、厚生労働省「賃金構造基本統計調査」において、雇用形態(正規・非正規)別の賃金額が取得できる2005年以降のデータを用いている。
  49. 49同様の分析は、内閣府(2017)でも行われているが、ここでは県や産業ごとに状況が異なることを踏まえ、これらの固定効果を取り除くため、パネル化したデータを用いて推計している。
  50. 50その他の結果については、付2-(3)-6表を参照。最低賃金より遠くなるほど、おおむね最低賃金の各パーセントタイルの賃金への説明力が低下していることが確認できる。
  51. 51本シミュレーションでは、Pessarides(2000)によるサーチ&マッチングモデルに基づき、正規・非正規雇用労働者の2種類の労働者が労働市場に存在するよう拡張したMiyamoto(2016)のモデルをベースとしている。詳細については付注3を参照。
  52. 52GDPを就業者数と労働時間で除して生産性を計算すると、2010~2019年のマンアワーの生産性の平均成長率は毎年1%である。
  53. 53実証研究においても、例えば務川・川畑・上野(2020)は、業種や地域の生産物市場や労働市場の状況によって、最低賃金が雇用や企業収益に与える影響は様々であることを指摘している。
  54. 54厚生労働省「令和3年パートタイム・有期雇用労働者総合実態調査」によれば、配偶者がいる女性のパートタイム労働者のうち、21.8%が過去1年間(2020年10月~2021年9月)で就業調整を行ったと回答している。
  55. 55被用者保険の適用については、長らく、①所定労働時間及び所定労働日数が通常の就労者のおおむね4分の3以上(おおむね週労働時間が30時間以上)であるかどうかにより判定するという運用が行われてきたが、2016年10月以降、短時間労働者への被用者保険の適用拡大により、①週所定労働時間20時間以上、②月額賃金8.8万円以上(年収換算約106万円以上)、③勤務期間1年以上見込み(2022年10月からは2月超見込み)、④学生ではないこと、⑤従業員500人超の企業で勤務していること(2022年10月からは100人超の企業、2024年10月からは50人超の企業)という5つの要件を全て満たす短時間労働者についても、被用者保険に加入することになる。
  56. 56年収50万円未満の層の月当たり所定内労働時間は、大企業、中堅・中小企業ともに20時間程度である。一方で、年収が100万円を超える層では、月当たり所定内労働時間の平均はおおむね110時間程度である。
  57. 57なお、これらは、全てクロスセクションデータを用いており、必ずしも同一個人の労働時間の変化を追ったものではなく、最低賃金が上がる中で、個人が労働時間をどのように変化させたかについては分からない。このため、付2-(3)-8図においては、リクルートワークス研究所「全国就業実態パネル調査」のデータを用いて、①2016年調査において2015年12月時点の労働時間が週20時間以上30時間未満であるパートタイム労働者に該当する者であって、②2015年12月時点で500人以上企業に勤め、かつ、③2017年調査、2018年調査においても同一企業に勤めている者について、その労働時間の状況を確認した。これによると、2015年12月時点で大企業に勤め、2017年12月時点でも同一企業に勤めるパートタイム労働者については、短時間労働者への被用者保険の適用範囲が拡大された後であっても、約60%は週の労働時間が20~30時間と変わっていない。また、約16%が労働時間を週20時間未満に減少させた一方で、約23%が労働時間を週30時間以上に増加させており、一部就業調整を行っている可能性はあるものの、付2-(3)-7表で得られた結果と同じく、最低賃金が引き上げられる中で、労働時間を増加させている者が一定数存在することが示唆される。ただし、本結果については、あくまで①~③の条件に該当するサンプル数200程度の結果であることには留意が必要である。
  58. 58本コラムにおける分析を踏まえれば、1.雇用情勢が改善し働き方が多様化する中で、極めて短時間で働く者が増加しており、これが総労働時間を押し下げている可能性があること、2.大企業を中心に、被扶養者や第3号被保険者の範囲内に収入や労働時間を抑えるための「就業調整」を行う者が存在する可能性は否めないものの、一方で、最低賃金の着実な引上げにより時給が上昇する中で、適用水準の賃金を得やすくなった結果、当該範囲を超えて働く者も増加していること、3.2の結果は最低賃金引上げや適用拡大の影響等も踏まえて行った推計からも裏付けられること、の3点を指摘できる。
  59. 59なお、派遣労働者については、企業規模にかかわらず2020(令和2)年4月1日から適用されている。
  60. 60なお、同一労働同一賃金の効果については、厚生労働省EBPMの推進に係る若手・中堅プロジェクトチームが2023(令和5)年1月16日に公表したEBPM分析レポート「同一労働同一賃金の効果検証」の内容を基にしている。
  61. 61職業については、賃金構造基本統計調査において、一定のサンプル数が確保できるものに限って分析している。
  62. 62処置群と対照群の具体的な設定方法等については付注4を参照。
  63. 63差の差の分析とは、施策の影響を受ける群(処置群)と、影響を受けない群(対照群)を設定し、施策の実施前後において、処置群の変化と対照群の変化を比較することで、施策の影響を把握する手法である。差の差の分析では、対照群の動きを施策が生じなかった場合における処置群の動きとみなしていることから、分析を行うに当たっては、施策の実施前において、処置群と対照群はデータがとれる限り同じような動きをしているというプリトレンドの仮定が満たされていることを確認する必要がある。また、差の差の分析は、その特性上、全ての事業所に同一労働同一賃金が適用された2021年以降の分析に用いることはできない。このため、代わりにOaxaca-Blinder分解を用いて、各年における変化の違いを説明可能部分と説明不可能部分に分解することで、同一労働同一賃金の効果の測定を試みる分析も行っている。これらの詳細は付注4を参照。
  64. 64例えば、2019~2020年にかけて、中小企業におけるパート等への賞与支給事業所割合が低下しており、これは感染症拡大に伴う影響等による可能性がある。なお、賞与については、支給事業所割合だけではなく、支給額についても重回帰分析を行ったが、同一労働同一賃金が非正規雇用労働者への賞与支給額に対して影響を及ぼしたという結果は得られなかった。詳細は付注4を参照。