ホーム > 政策について > 審議会・研究会等 > 社会保障審議会(生活保護基準部会) > 第7回社会保障審議会生活保護基準部会議事録




2011年10月25日 第7回社会保障審議会生活保護基準部会議事録

社会・援護局

○日時

平成23年10月25日(火)14:00〜16:00


○場所

厚生労働省専用第21会議室


○出席者

駒村 康平 (部会長)
岩田 正美 (部会長代理)
阿部 彩 (委員)
庄司 洋子 (委員)
栃本 一三郎 (委員)
林  徹 (委員)
道中 隆 (委員)
山田 篤裕 (委員)

○議題

・委員からの報告
・その他

○議事

○駒村部会長 こんにちは。若干早いようですけれども、ほぼ定刻になりましたので、ただいまから、第7回「社会保障審議会生活保護基準部会」を開催いたします。
まず、本日の委員の出欠状況について、事務局よりお願いいたします。
○古川社会・援護局保護課長 本日の委員の御出欠の状況でございますが、本日は全委員の御出席をいただいております。
それでは、以後の進行につきましては、部会長によろしくお願い申し上げます。
○駒村部会長 それでは、本日の議事に入りたいと思います。
まず、事務局より、本日提出された参考資料1及び参考資料2について御報告をお願いしたいと思います。
○伊沢社会・援護局保護課長補佐 では、参考資料1と参考資料2につきまして説明させていただきます。
参考資料1でございますが、東日本大震災に伴います被災者からの保護の相談等の状況でございます。8月分、直近版でございますが、生活保護の相談件数は、全国で184件、申請件数は全国で86件、保護の開始世帯数は43件という状況でございます。
月ごとの推移を下の方に記載させていただいてございますが、例えば相談件数で申し上げますと、4月の1,049件から、5月が603件、6月が412件、7月が230件、8月が184件ということで、徐々に落ちつきを見せている状況であると見て取れます。
参考資料2でございますが、「生活保護の動向(速報)」でございます。被保護人員につきましては、6月の速報値でございますけれども、204万1,592名、対前月で申し上げますと、1万名の増加という状況でございます。
以上、御報告させていただきました。
○駒村部会長 ありがとうございました。
それでは、ただいまの事務局の説明について、質問等があればお願いいたします。
よろしいでしょうか。
では、本日は、引き続き各委員からの御報告をお願いしております。林委員より御提出いただいた資料1について、御報告をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
○林委員 それでは、御報告いたします。資料は全部で5ページあります。この資料をまとめるに当たって、どういう順序でここに至ったかということを簡単に御説明いたします。
これまでの先生方というか、委員の方々と異なって、私は、専門的に生活保護を研究している者ではございません。ですので、研究成果というよりは、資料ですとか考え方、参考になるものを、当事者の観点から、もし自分が生活保護を受けるとしたらどのようになるのだろうという観点から、ホームページを拝見したり、あるいは文献を読むという作業をしてまいりました。
その中で、たまたま私の教え子がおりまして、大変優秀な教え子なのですけれども、偶然、最近うつ病になられて、生活保護を申請するに至ったということを聞きまして、たまたま私もこういう委員をやっていると。これはごく数か月のことですけれども、それで、私の、今手元にある資料に関する考え方について、彼に直接問いかけながら、確かめながら、これでいいかどうかということですね。そういう形で、身近な一つの事例として、彼に相談しながら、議論しながら整理したものがお配りした資料の内容です。
では、1ページ目から説明いたします。1ページ目と2ページ目は「疑問と考え方」ですね。大きく分けて2つございます。1つは、左側に数字がありますが、1、2、5、7、8のグループです。それは何がその中心かというと、生活を保障し自立を助長するという制度趣旨があるわけですけれども、そことの整合性がきちっととれているのかどうかという観点からずっと疑問に感じたことをあらわしております。もう一つは、端的には4番ですけれども、級地別基準、地域差について、これまで何回かの部会で拝見してきた資料を見ていると、級地別基準というのを維持することが果たして妥当かどうか。この2つに分かれます。あとの3番とか6番というのは細かいところですので、そんなに重要ではないです。
では、1番目のところから。この部会では直接取り上げられてはおりませんが、ホームページを拝見すると、「生活保護に関するQ&A」、今日たまたま資料として添付されておりますが、そのQ2というのがありまして、「申請後の調査に世帯の収入・資産等の状況がわかる資料の提出」とある。「等」ですので、この中に支出が含まれているかどうか、私は直接はわからないのですけれども、なぜ明示的に支出に関する資料の提出を求めないのかということを素朴に思っています。
保護開始後も当然同じで、それはなぜかといえば、矢印のところですが、日々の消費生活の把握とか自己管理なしに自立があり得るのかなという単純な疑問です。私、専門は経済学ではなくて経営学ですので、それと関連して、法人税、所得税における青色申告という制度があるのですけれども、まじめに帳簿をつけている事業者は税の軽減がある。そうではなくて、いわゆる白色申告の場合はそうではない。そういう観点からすると、消費に関する、あるいは支出に関する資料、領収書ですとか家計簿をなぜ求めないのかというのが1番目の疑問です。それと関連したものが括弧のcf.のところに幾つか挙げてあります。
2番目のところですけれども、同じくホームページのQ4ですね。「医療扶助・介護扶助にかかる費用は本人負担なし」とある。これは制度上こうなっているということでいいのですけれども、自立という観点からすれば、疑問1と同じ理由から、一旦、保護を受けている御本人に支払っていただいて、後で領収書と引きかえという形で補てんなり調整なりするという実務はあり得ないのかなということです。その理由は、我々、生きるわけですけれども、それにどれくらいのコストがかかっているのかということを自覚していただくということが、自立の基礎というか、基盤にあるのではないのか。それなくして自立はあり得ないのではないのかというのが考え方です。
3番目のところは、いわゆる貧困のわなとのかかわりですので、そんなに説明は必要ないかと思います。
4番目のところですけれども、これは大分前に、第1回資料4「地域差」について資料をいただいたのですけれども、これはたしか20年以上前に作成された級地別基準だと記憶しております。間違っているかもわかりませんけれども、それを維持する意義が一体どこにあるのか。と申しますのは、ここには書いてございませんけれども、私、たまたま人口部会にもメンバーとして入っておりまして、そこで、日本は、高度成長期から今日に至るまでインフラがずっと整備されてきたわけです。そうすると、たまたま、最低賃金というのはバラツキがあるのですけれども、どこの都道府県に住んでいてもそんなに不都合はないようなインフラが整ってきたわけですね。にもかかわらず、今日なお、依然として級地別基準があるのはどうしてなのかというのが素朴な疑問です。
次にいきます。2ページ目、5番目のところです。第2回の資料、これも大分前の部会の資料ですけれども、資料2−1に「3つの理念」というものが掲げられています。これはとりたてて説明はなかったのですけれども、その中に、「安心に基づく活力」というキーワードが出てくるのですね。さらっと読んでしまうと、いわゆる衣食足りて礼節をなすというのですかね、そのまま読めてしまうのですけれども、必ずしもそうではないのではないかなというのが私の考えで、それはなぜかといえば、生活保護を受ける当事者の立場に立って考えるという原則に戻ると、不安があるから努力できるという面があるのではないかと。多くの生活保護の受給に至ってないというか、受けていない貧しい人々は、頑張らないと大変なことになると考えて生活しておられるはずで、そうなると、安心というのは、両面あると思うのですけれども、むしろ活力を、あるいは自立につながるエネルギーを奪ってしまうという逆説、パラドックスがあるのではないかということです。
そこに奨学金の逆説ですとか最適ストレスの理論とかが書いてありますけれども、奨学金というのも同じような理由で、ハングリーであるから頑張れるはずなのだけれども、奨学金をたっぷりもらうことによってやらなくなってしまうという逆説ですね。それからイノベーションの議論で有名な最適ストレスというのがあるのですけれども、最適というのは本当にあるのかないのか。非常に微妙な難しい問題ですけれども、そういった見地から考えると、「安心に基づく活力」って一体何だろうなということです。
それから括弧の中の第4回参考資料4の7ページにあったのですけれども、「生計困難でありながら好成績を修めた学生等」云々というくだりがあるのですね。ここはもう完全に矛盾してしまっていて、生計困難である状態で頑張っている学生さんがいるということを明示的に認めているということです。そこのところをどう考えるのかということです。
6番目のところは、「無謬性」の御指摘があるのですけれども、他方で、統計的人口予測というのは非常に精度が高いのだということを書いてあって、そこの間は矛盾しないのかなあと。ここはそんな大きな問題ではないので、飛ばしていきます。
それから7番目のところです。第4回資料2の「勤労意欲増進の工夫」。これは大変大きなテーマであると思うのですけれども、生活保護に関する文献、それからこの部会でのお話をお聞きしていると、どうも現金にかなり依存し過ぎてはいないか。現金というのはいわゆる低次欲求につながるものであります。勤労意欲というのは、そもそも生活保護に限定されるような問題で、私たち、勤めている人間というのは勤労意欲がなかったらやれないわけですけれども、金のためという面がないわけではないのですけれども、エイブラハム・マズローですとか、よく知られている学説によれば、精神疾患者は除きますけれども、動機づけとかやりがいですとか、あるいはロマンとか、達成感とか、そういった低次欲求に対する高次欲求、それに基づいて勤労しているという面が否定できないと思います。にもかかわらず、そういった面の刺激とか充足については余り考慮されてないような印象を強く受けています。
例えば生活保護全般について、原則として現物支給としてはどうか。1番目のところでも申し上げましたけれども、もし家計簿の提出なり提示なりを求めれば、整合性はとれるはずなのですね。勤労控除だけを現金支給として例外扱いとすれば、その意味では、少なくとも今の現状は改善されるかもしれない。これは思いつきの考えですけれども。ただし、その場合、医療扶助のコスト感覚の問題ですとか高次欲求の問題は依然と残ったままということになってしまいます。
勤労意欲の問題は、勤労者の年齢ですとか人生における段階、これは年齢と直接かかわるのですけれども、なだらかではないですね。階段状に進んでいく諸段階。あるいは経歴ですとか家庭環境、家族構成、健康状態、資産の状態、将来の見通し。ここが決定的に重要だと思うのですけれども、何歳であっても、何をやりたいのか、何をしたいのか、何を成し遂げたいのかという夢とか希望ですね。それに応じて総合的にとらえる必要があるのではないか。にもかかわらず、生活保護部会の、あるいは生活保護の文献を見てみると、どうも現金というインセンティブに過度に依存しているような印象を受けています。そこに挙げているのは参考文献です。
最後、8番目のところですけれども、第4回資料3に「生活の満足度」についての質問項目がございました。現在の生活にどの程度満足しているのかという質問項目があるのですけれども、それ自体は、ああなるほどという感じが一瞬してしまうのですけれども、冷静に考えてみると、それは非常に大きな問題を抱えているというか、見過ごしてしまう問題を抱えているということです。
フレデリック・ハーズバーグという人がいるのですけれども、彼は二要因論という有名な理論を提示しているわけですが、常識的には、満足の反対は不満足であると思いがちなのですけれども、そうではないということを言っているのですね。物質的衛生要因、これは例えば賃金ですとか、いわゆる低次欲求にかかわるものですけれども、これは不満足であるかそうでないかという尺度で見るのですね。それに対して精神的動機づけ要因というのは、先ほど申し上げたような夢ですとか希望ですとかやりがいとかかわるわけですけれども、これは満足しているか否かという尺度なわけです。そうすると、この、生活にどの程度満足していますかという聞き方は、一体どっちを聞かれているのかよくわからない。回答されている方々がどういう心境で回答されたか、私は知る由もないのですけれども、そういうところが欠けているのではないのかなというのが私なりの疑問であり提言でもあります。
それから文献レビュー、若干ですけれども、5分、10分使って御紹介したいと思います。3ページ目をごらんください。幾つか文献を挙げていますけれども、簡単に説明していきます。
1番目の京極さん、この中で岩田委員との対談があるのですけれども、いわゆる長期の保護と短期の保護を分けるべきだという。これはまさしくそのとおりで、私も異論をはさむつもりはないのですけれども、冷静になって考えてみると、分けるということは、いい面もあるのでしょうけれども、必ずしもそうではない面もあるのではないか。
括弧のところに「こどもと高齢者」と書きましたけれども、お孫さんのような子どもと高齢者というのは果たして分けることが本当にいいのかどうか。もしかしたら、共存というか、物理的な意味ですね、物理的、空間的に一緒に生活した方がいい面もあるのではないか。そうやって考えると、必ずしも分離がベストとは言えないのではないか。そこのところのデザインをどうするのかというのを考える必要があるのではないかと思っています。生活保護基準と直接は関係ないかもしれませんけれども、分けるということと、まとめるというのですか、その反対の概念をどこでどう考えるかということが提言です。
2番目の駒村部会長の文献ですけれども、アンダーラインのところですね。「普通の日常生活」、お気持ちはわからないでもないですけれども、冷静に考えると、これが現金給付の根拠になっているのかなと私は思っています。こういった場で質問するのがいいのかどうかわかりませんけれども、そういった疑問を持ちました。
3番目は、有名な『生活保護の経済分析』という文献です。アンダーラインのところに「長生きのリスク」とか何とかありますけれども、ここでは医療に関してはハードルが高いから見送るという議論が以前にあったと思うので、特に深入りするつもりはございません。
下の方に「就労・自立のインセンティブ」というのが鈴木さんの文献の中にあります。「インセンティブ」という言葉が何を意味しているのかわかりませんけれども、やはり金銭的な刺激というのですか、そちらに偏っているのではないか。むしろ専門用語でいうところの「モチベーション」の方が重要ではないか。精神的な動機づけ要因ですね。そちらを考える必要があるのではないか。
ただし、すぐ後に、「保護開始・廃止の理由と将来への希望」とありますので、そこと合わせればよろしいかなと思います。
それから4番目の道中委員の文献に関しては、駒村部会長の内容とほぼ同じであるかなと思いましたので、飛ばしていきます。
それから4ページのところ、生活保護の文献を幾つか読んでみると、この小山さんの本を読まなければならないというふうにどうやらたどり着きまして、大変分厚かったのですけれども、頑張って読んでみました。全部は取り上げることはできませんが、そこでちょっと疑問に思ったところを幾つか。
第10条に関して、そこに「保護は、世帯を単位としてその要否及び程度を定めるものとする。但し、これによりがたいときは、個人を単位として」と。最近議論されているいわゆる共通番号制度ですかね、そことの整合性が一体どのようにとられるのかなと。保護は世帯を単位とする。ところが、番号というのは当然個人なわけですね。ここをどうするのかというのが素朴な疑問です。
それから第8条、「収入及び支出の認定」のところですけれども、アンダーラインのところを飛ばし飛ばしで見ていただければいいのですが、真ん中のところに、「勘による取扱」が実態としてあるのだけれども、それはよろしくないということが指摘されているということですね。
下の方の8条に関してですが、これは保護基準とは何かという根本にかかわる問題です。「要保護者の最低生活を保障」、最低生活が一体何なのか。前回ですとか前々回の委員からの御報告の研究でも取り組まれているところなので、ここでは深く紹介いたしませんが、5ページのところを見ていただくと、明示的にあります。2行目の「国良生活水準」、これは間違いで、「国民生活水準」というのが正しいので、指摘しておきます。
アンダーラインに戻りますと、「保護の基準は、要保護者の最低限度の生活を満たすに足るべきものではあっても、これをこえるものであってはならない」と、こういう解釈というか、判断基準があるわけですが、いわゆるゴルフでいうホールインワンみたいなことだなという、一読した印象です。
適否の判断基準については3条を参照せよということですので、3条を見ると、注意しなければいけないのは3点あるのかなということで、「その時々の国の財政状態」、それから2番目が「その時の社会通念」、3番目が「健康で文化的な」。この「健康で文化的な」というのが普通の生活とどのようにかかわっているのかよくわからないのですけれども、1番目の「その時々の国の財政状態」というのは、最初のころに岡本前政務官から納税者の理解をどうのこうのという議論があったと思いますが、そこは無視できないでしょうということですね。
問題は、2番目の「その時の」。この「その時の」が一体どういう長さをあらわしているのかというのが私はよくわからないのですね。その時々のタイムスパンというのが1年2年の短期なのか、それとも5年や10年のスパンなのか、そこがよくわからない。社会通念というのは、時々刻々というか、変わっていくものですから、「その時の社会通念」と言うとかなり恣意的にならざるを得ないのかな、それを認めているのかなと一応理解しています。
最後のところは、「大宝律令における公的救済制度」、これはもともと非常に分権的な制度であったと書かれていました。現在の、運用は分権的なのですけれども、基準だけがこういった形で中央で行われていると。そこのアンバランスというか、経営的にはこれでいいのでしょうけれども、それが問題の引き金にもなっていないわけではないというか、運用のときに杓子定規にやるわけではないですから、そこのところが問題の核になっているのかなという印象を持っています。
私からの報告は以上です。
○駒村部会長 ありがとうございました。
では、ただいまの林委員からの報告について、質問等があったらお願いいたします。
道中先生、お願いいたします。
○道中委員 ありがとうございます。なかなか含蓄に富んだ視点があったかに思います。特にこの基準部会の方ではどうしても最低生活費に重点的に着眼していくのですけれども、実は先生の方では支出というところで少し考え方をお示しいただいたと思います。これはまさに目からうろこといいますか、ともすればインカムということで、それはすなわち収入面で最低生活費をそこにプロジェクトしていくということになりますので、当然、収入の捕捉はできるだけ正確にということになります。
生活保護の目的であります自立支援、自立助長というようなことを考えますと、林委員がおっしゃったように、やはり支出の内容というものをもう少ししっかりと精査して支援につなげるような形で政策を考えるということも必要であると思います。
私は、実際に現場でケースワーカーを長年やってきまして、いつも思うのは、生活保護費というのは、毎月確実に月の初めに入りますので、それを全額使っても何ら支障がない。来月どうしよう、再来月どうしようかとか、お正月をどうしようかということにはならない。病気したときに医療費に困るかなということにはならない。すべて最低生活費の包括性というところでは皆扶助の対応がなされているわけです。全部使い切っても特段支障がありません。ケースによっては、保護費を給料と称して、子どもの前では、そのように、「また1日になったら給料が入るからね」というような形で考えているケースも結構ございます。
何を言いたいかと申しますと、要するに保護費の生活費を使い切ってしまう。経済学で言うような消費ということではなくて、費消する。つまり、全部使い切る、ゼロになるような使い方ですね。だから、消費ではなくて費消するというような傾向が結構があります。
そうすると、ファイナンシャルな見方からすれば、まず使う、そして貯める、増やすというようなこの3つのベクトルの連続性の中で、使うということだけは十分できる。けれども、それを貯めていく思考の仕方、あるいは増やしていくということに関しては、生活保護の場合には抑制が入ってくるのではないか。貯めることについては、自立支援という視点からは、余り貯めると資産、資力の形成、あるいは資産形成につながるというようなことで収入認定もされてしまうということになれば、使い切ってしまえばいいんだろうというような形で、何となく、使うということに関しては、いいのではないかと。多少でも将来不安があれば、それはやはり貯めていこうということも考えるということになります。そこで将来の世帯の生活設計といいましょうか、生計計画を考えていく思考が大切になります。林委員の7番の方にもありましたように、将来の見通しとか時間的展望、夢、あるいは希望というようなところに、少し高次元のところの、マズローの引用がありましたけれども、そういうところにつなげていこうと思えば、やはりそこでもう少し計画的な使い方と申しましょうか、それを将来の子どもへの先行投資ということにつながることが大切です。それはすなわち、自分自身で考えて、将来展望を描きやすいような自立支援の仕方を考えていく。つまり、例えば多少の預金とか、目的性のあるものにちょっとお金を貯めておくとか、そういうことで少し出口政策を考えたような、そういったところに少しインセンティブ、つまり、モチベーションとおっしゃっていましたけれども、どちらでも私はいいと思うのですが、そちらの方にお金を少し貯めて、こうこう、このように使おうと、このためにちょっと預金をしましょうということについて、少し寛容な制度設計を考えていただくようにしていただければ、少しは、自立ということで、「あきらめ」から将来に対する希望、夢みたいなところに向けた支援ができるのではないかと考えております。
このような形で、1番の林委員のお話を聞かせていただきました。意見というか、そのような方向性があればなということでございます。
○駒村部会長 ありがとうございます。ほかに。
 では、岩田先生、お願いいたします。
○岩田委員 生活保護を家計運営という方向から考えますと、大変無理な制度なのですよ。つまり、今、道中委員がおっしゃったように、ゼロの家計に1ヶ月の保護費が入って、1ヶ月終わったときにはゼロにする、そういう非常に難しい運営が想定されているわけですね。通常の家計というのは平準化を常に考えて工夫するわけですから。基準の問題だけでなく資産保有、貯金ですね。平準化資金といいますか、これをどう考えるかということが一つあると思います。
 それからもう一つ、現物の問題ですけれども、林先生は、現物支給の方が勤労意欲の増進になるのではないかということをおっしゃったわけですけれども、生活保護でも、保護施設というのがありまして、生活保護の施設の場合は基本的に現物支給です。
この現物支給というのはどうやるかといいますと、今、実際は多分もっと工夫されていると思いますが、要するにティシュペーパー1つも全部支給される。だから、生活能力は全然身につきません。このため自立支援にはならないというので困って、結局、商品券みたいな形で、むしろ買物の能力とか、安いものを買うように工夫するとか、現実にはそういうことをせざるを得なくなるわけですね。
これは社会福祉のほかの、例えば児童施設でも、自立するには、普通の生活を一遍経験する。そのときに、当然、普通の生活というのは、普通に現金収入で支出をする生活ですから、家計簿をつけたり、そういう訓練をするわけですね。生活保護は要するに現金でやる普通の生活の支援ということをもう最初に決めてスタートしたわけです。それによりがたいごく少数の例は保護施設のような形で今でも残っているわけです。この現金給付原則を崩してしまうと、所得保障としての基盤が全部崩れてしまう。これを現物支給で居宅でどうやるかというのは非常に難しいし、逆にコストがかかりますから、むしろ現金支給を基本にしつつ、その基準の最低限をどうやって効率的に本人が運営できるかという環境をどう整えるかという、その上で、勤労できる人は勤労意欲の増進を図るにはどうしたらいいかと、そういう感じになるのではないかと思うのです。
○林委員 私も、今のお話で考えたことがあって、確かに現物にしてしまうと、まっとうに消費生活を送る訓練ができなくなる、まさにそのとおりだと思うのですけれども、考えてみると、我々というか、誰でも子どものころは、大抵のことは、身の回りの親ですとかきょうだいが用意してくれて、それは現物支給なわけですね。ところが、ある程度の年齢になると小遣いを与えられて、それを計画的に使うようになるわけですね。そこに僕はポイントがあるのではないかと。
つまり、初めからすべて現物支給で押し通せということではなくて、徐々に徐々に、現金の消費をきちっと、繰り返しになりますけれども、自立につながるような、自分なりの小遣い帳というか、家計簿というか、それができるようになったら、だんだん現物の割合を小さくして現金の割合を大きくしていく。それが、精神的等々の理由でできない場合はやむを得ないと思うのですけれども、怠ってやらない場合は、それはやはり認めるべきではないのではないかなと考えます。
○駒村部会長 ほか、いかがでしょうか。
 栃本委員。
○栃本委員 今、岩田先生から話がありましたけれども、それぞれ救貧制度の歴史的経緯を踏まえた上での現金給付と現物給付論だと思うのですけれども、また現代社会においても、国によって、扶助項目によっては必ずしも現金給付ではない形というのも増えていますし、そこら辺、一考の余地があるということはそうだと思うのですね。
 ただ、その一方で、釈迦に説法というか、みんな知っている上での、お金を持たせてと言うとあれだけれども、持って、自分で選び取る自由というものの持つ、近代的な市民権たる、被保護者もそうですから、そういう人たちに対して、いわゆる現物をもってというのは、みんな知った上での、先生も御存じの上での話ではあるのだけれども、そういう原則というものの持つ意味というのは、権利と尊厳ということで言うと、尊厳ということから言うと、やはり重要な部分だと思うのですね。
 先生の御提案の御趣旨はそういうものではないというのは十分承知しておりますけれども、あえて申し上げると、おっしゃるとおり、なかなか難しい部分があって。あともう一つは、例えば方面委員の元祖たるエルバーフェルト制度であれ、ハンブルグ方式であれ、居宅保護の場合、施設の場合、小麦粉とかそういうのを配っているわけです。あと、衣服、古着を配ってやっていけばよかったのだけれども、居宅保護になったからこそ現金でやって、しかも帳面つけさせて、フレンドリービジティングであれ、地区委員であれ、行って、それで生活指導するという形で、それによって逆に各種貧困の形態が違うとか、何か教科書の入門みたいな話をしていますけれども、そういう形になっていくわけでして、だから、そういう意味では、現金というものを持つ限界とその理念的な意味ということもやはり押さえておかないといけないということだと思うのですね。
 あともう一つは、全然違うように見えるけれども、代理受領という考え方がありますね。あれもやはり、本人にという、結果的にはサービスとしてなるわけだけれども、ああいうのも基本的なあり方論というか、基本的な前提というか、そういう部分で押さえておくものでもあると思うのですね。
ということの上で、先生御指摘の部分というのは、いろんな組み合わせとかそういうものについては、もう少し考えたりいろんな工夫があってしかるべき。また、先ほど申し上げた家計簿をつけるということであれば、まさにエルバーフェルト制度であるとかそういうものについては、家計簿ではないけれども、つけさせるわけだな。ある意味では。でないと、どういう形で支出しているかわからないと。お酒ばかり買ってしまったとか、そういう形で生活指導を行う、生活の組み立てを援助する指導するために訪問というのがあったわけです。従って、その意味で家計簿と言うと変だけれども、そのような形での指導というのは重要なお話だと思いました。
 以上です。
○駒村部会長 ありがとうございます。ほかに御意見は。
 道中先生、お願いします。
○道中委員 2つ目ですが、医療扶助、介護扶助に係る費用の本人負担というところでございますけれども、ここのところは、実際、現物給付がほとんどで、それについて、現金給付的なところも少し考える余地があるのではないかというような委員のお話でございます。領収書と引きかえにということですが、実は生活保護の場合については、現物給付で、医療要否意見書というものを事前に主治医と嘱託医の審査、協議を経ており、ある程度の事前ヘッジといいますか、そこら辺りがきちっと真に医療を要するという人を前提にして制度設計されているということになっています。
 確かにそれはそうなのですけれども、一部、初診とか診療に100円とか200円とか、そういったことを負荷すれば、少しはそういったことが自分でコントロールできるのではないかということも現場レベルではたくさんの意見としてはあります。現実問題として。多くの方は、本当に真に医療は必要だということでかかっておられることは当然なのですけれども、ごくごくたまに、そういった形で、いろんな診療科にたくさんかかられるという方もいらっしゃるわけですね。
 そこら辺りの色分けは非常に難しいということになりますので、もしそういったコスト感覚というようなことを考えるのであれば、現在、地方公共団体で、あなたの介護費用はこれぐらいかかりましたよとか、医療費幾らですよというような通知を出して、そして、その通知で実際に通知実施してなかったときと、医療費、具体的にこれぐらい費用かかっていますよという形で御本人に通知するような制度で効果があったかどうかというところの実際に検証されているようなデータがもしありましたら、事務局の方になりますけれども、また教えていただければと思います。
 レセプトの診療報酬の金額を本人に知らしめるということがどれほど実際に効果があるのかどうか、あるいは医療機関に対応する適正な方策としてそれが機能しているのかどうかとかそこら辺りも、そういった資料がありましたら教えていただきたいと思います。
○駒村部会長 今の点、事務局、どうでしょうか。
○古川社会・援護局保護課長 医療扶助についての、実際、いわゆる通知をして、その成果がどうであったのかと、御本人に見ていただいて自覚をしていただくというような御趣旨だと思います。幾つかの自治体で、少数と聞いておりますけれども、そのような取り組みを行っている自治体もあると伺っておりますので、そうした自治体の例などを少し参考に資料など提出できればと思っております。
○駒村部会長 ほか、何か御質問、御意見はいかがでしょうか。
 私のところが触れられているのですが、普通の日常生活の話は、現金給付の根拠の話ではなくて、普通の日常生活が送れるようなサポートのサービスの方の話であります。これは何を言いたいかというと、先ほどありましたように、ある種、普通の市民として規則正しく生活していただくとか、あるいは家計の管理、家計簿をつくるとか、そういう指導をしていただいたらいいのではないかという、こちらは給付の話よりはサポートの話、サービスの話でかかっていますので、現金の話とはちょっと違う。
 自治体によっては、そういう自立支援の一環として家計簿をつくっていただくような支援をやられているような話も聞いたことがあるのですが、この辺は実態はどうなのでしょうか。
○伊沢社会・援護局保護課長補佐 ケースワークの一環として、被保護者の家計管理ということでやられているということは聞いたことはございますけれども、調査としてどのぐらいやっているかというのは、手元には資料はございません。
○駒村部会長 林委員の報告について、ほかの委員から特段。
もしよろしければ、続けて、栃本委員からの御報告をお願いしたいと思います。林委員、どうもありがとうございます。
 御提出いただいた資料2について、栃本先生より御報告をお願いいたします。
○栃本委員 私も、林先生の発表についていろいろお話ししたいのですけれども、発表が次ということだったので、それどころではないということで、後ほどまた改めていろいろとお尋ねするということで。
先ほど林先生の方から、御自身は、生活保護であるとか公的扶助の御専門ではないというお話がありまして、私もそうでして、1回目、2回目、それぞれ各専門の領域のお話しがありました。それぞれ生活保護の御本尊というか、専門のお話しであったと思います。それともう一つは実証研究の部分でのご発表もありました。私はそういうことではない形で発表をしたいと考えます。
何を話そうかということを考えたのですが、1つは、当然のことながら、ドイツのことについて知っているだろうという話があると思うのですけれども、それも少し触れるのですけれども、時間の関係で、それについては、後日ないしは本の御紹介とかそういう形にしたいと思うのですけれども、まず1つは、私、初めて、生活保護というか、そういうのは実はドイツで知って、大学院の博士課程後期のときに、27〜28年前ですが、ドイツに初めて行って、その後1週間後に老人ホームに入ったのですね。要介護状態になってではなくて、1か月暮らしてみたのですよ。
 そのときは、今もそうですが、社会学が専門だったものだから、入ってこられている方々が、もともと介護保険導入前から、契約制ですので、差額分が自動的に社会扶助から充当されるということがありまして、もう27〜28年前ですから、ドイツでも介護保険の議論が一番最初のころだったのですね。なるほどなと思いました。
 介護保険の一番最初の議論は、実は日本で余り紹介されていませんが、、私はちゃんと論文で書きましたけれども、ドイツの介護保険の出発点というのは、社会扶助たる中の特別な扶助支出の問題ですね。その特別な状態に対する給付部分の中で介護の部分がやたらと多いと。実はそれをどうするかという問題だったのですよ。実際、そのために、連邦参議院では連邦介護法という、ドイツの場合、生活保護費は、連邦政府はお金全然出していませんので、そこから出させてやろうというような法案の提案もありました。すぐそんな案はつぶれましたけれども、そのような経緯があって、そういうことから、一番最初、ドイツの社会福祉法みたいなコンメンタールを見始めたのだけれども、それと同時に、28年ぐらい前、ドイツでもそういう議論があって、各種の扶助等について研究したのですけれども、その中で生活保護の持つ役割というのは非常に大きいなというのは思いました。
 それともう一つは、今回の生活保護基準部会の設置について、第1回目のときから、部会長代理が話されたように、全国消費実態調査の特別集計があるということによって、定期的にこの生活保護基準の評価・検証ということが基本的なお仕事であるということは承知しておるわけで、それは言われておるわけですけれども、まさにこのことは実は、先ほど来出てきました小山進次郎さんが、その当時は、コンシューマー・プライス・サーベイ、今日の家計調査、その後の消費実態調査に連なるようなCPSの議論から始めているのですね、実際。そういうことですので、その当時からの一番最初の出発点にさかのぼって、ちょっと議論というか、検証してみるという作業を自分の勉強のためにしたということでございます。
 というので、発想の転換をしてみるって資料には書いてあります。1つは、「扶助構成の組み立て・構造」ということです。御案内のように、制定当時、我が国の生活保護制度については、もともと生活保護法ではなくて、社会保護法という名称だったのですけれども、葛西さんが直して生活保護法にして、しかも、英文名では、protectionではなくて、Daily Life Security Lawという形にしているわけですね。案外こういうのは本質的なことではあるのですけれども。そして、その上で、この生活保護制度を旧生活保護法と新生活保護法の中で、新生活保護法に移行させて、その後、社会保障の体系の中でどう位置づけるかということについて議論した際に、25年勧告等にも出ていますけれども、とにもかくにも、生活保護法を優先させて確定しなければいかんということがあって、社会保障の全体的な構造の中で考えるいとまがなかったということが、当時から各種の文献や指針の中で示されているところです。
 その一方で、小山進次郎さんが書かれているし、初版本でも書いているし、いろんな文献でも出ていますけれども、社会保障制度としての性格を強く持たせるのだということを書いていますね。したがって、今回の科学的な検証であるとかそういうことが求められると同時に、ある意味では機械的に給付すると。機械的に給付するというのはちょっと変な言い方ですけれどもね。
 ちなみに、次のページにありますように、旧法は、小山進次郎さんが解釈していますように、社会福祉の法であると。ただ、実際上は、現実に演じた役割は社会保障の法であったけれども、法の組み立てとするならば社会福祉の法であったというようなことを言われています。
なぜここで社会保障制度としての性格と社会福祉制度の性格ということを言うかというと、狭義の、狭い意味での言い方で言うと、社会福祉制度としての性格ということで、ケースワークとか、自立助長であるとか、そういう部分というものが出てくるとかいう言い方をするのですけれども、いわば社会保障制度としての性格というのは、もともとの言い方で、最低生活保障法みたいな感覚で、当初、小山進次郎さんは使われていましたので、そのような意義づけがきちっとあったということを確認しておかなければいけないということです。
 そして、その次の開いたところにありますように、生活保護制度を社会保障制度としての性格を有するものとするか、社会福祉制度としてのものか、それによって運用と解釈は異なってくるという部分があろうかと思います。繰り返しになりますけれども、基本は社会保障制度としての性格を有するということなのですが、このことは、近年、最低生活保障制度であるとか、所得保障を中心としたいろんな諸外国の知見、例えば、先日、岩田先生にも入っていただいてまとめました、連合総研でつくった『積極的な社会生活保障の確立』、これはEUとかそういうのについてもすべて書いていますし、静岡の布川先生にも御協力していただいて各国について書いたものですけれども、その中でも、最低生活保障の関係の中での最低生活保障と生活保護との関係と基礎年金との関係とか、そういういろいろな組み立てがありますね。
そのようなことを海外のことを考えながら見ていく場合に、生活保護制度について、社会保障制度としての性格を基本として設計するか、ないしは社会福祉制度としての意義を強調することによる基本設計かということは今日的な問題でもあるということだと思います。機械的に最低生活の水準を本当に保障してしまうという考え方もありますね。一般的には。他の社会保障制度との調整の中で。だけれども、そのときに、今申し上げたような社会福祉制度的な要素というものとの関係をどう考えるかとか、そういうことも基本であろうかと思います。これは極めてこの部会から飛びはねた議論で誠に恐縮ですが申し上げておきたい。
 それと、次のページですが、例えば当初は医療扶助が扶助という名称がついてなくて、単なる医療だったということで、国保ができたころとの関係があって、当初の国保のねらいというのは農村の貧困対策ですね。ある意味では。だから、医療に見えて、医療ではあるのだけれども、農村の貧困対策というものがありますね。その中で、その後どんどん医療保険とかカバレッジが広がっていくわけですね。
こういうふうに考えたとき、他の社会保障制度の個別制度の脆弱さや制度的な穴というのがあると。カバレッジの程度によって、生活保護法によって対応せざるを得なかったものがそのまま残っていると。その後の他法の歴史的変化の中での充実・発展によって、生活保護制度の給付の中にとどめるべきかどうか検討しなければならないものがあるということだと思います。また、その社会保険制度が一定の社会的リスクに対応するものであるとするならば、社会保障制度の不備から生活保護制度の中で対応しているという形になっておるものがいまだに生活保護の扶助の中で位置付けられているということになるわけですね。
先ほどお話ししましたドイツの場合などは、社会扶助というものが連邦政府は負担してなかったということから、そもそも介護の部分でその社会扶助から大量の金が出るということについて、これは既存のドイツにおける社会保障体系が機能不全ではないかと。つまり、社会国家、ないし社会保険国家たるドイツが介護という一般的なリスクに対応してないからそういうことになっているのではないかということでロジックを組み立てていくということがあります。
 ということで、歴史的な経緯の中で、最低生活需要を守るための各種の扶助というものが他の社会保障制度の成立であるとか、カバレッジの広がりであるとか、その他、社会保険制度たるものの脆弱性や制度上の穴みたいなものを補てんするという形で対応したものがかなりあるわけで、それらについて最低生活需要を満たすという観点から、もう一度見ていく必要があるのではないかということです。
 我が国の生活保護制度における各扶助の構成というのは、御案内のように、当たり前ですけれども、新法により、また、その後の社会保障制度の充実で新たに加えられた扶助というものがあります。そして、旧法から新法に変わるときに教育扶助と住宅扶助というのが入ったということですけれども、これは皆さん御存じのことですが、教育扶助については従来から個別としてあった。住宅扶助については、多くの議論がある中でこれがつくられたということですね。
 ちなみに、国によっては、住宅扶助というのは生活扶助の中に入っているという部分がありますね。そして、今、介護扶助等8つの扶助と、そして加算があるということですけれども、8つの扶助と加算ということは、そのページの上の部分、つまり、他の社会保障制度の個別制度の脆弱さ・制度的な穴・カバレッジの程度によって、生活保護法によって対応せざるを得なかったものとの関係で生まれている。ないしは、社会保障の他法のいろんな追加的な新しい制度ができたことによって自動的に組み立てられている。なおかつ、先ほど、林先生、そしてコメントをつけられた道中先生もおっしゃったように、それを消費するというか、費消するということを前提としているということです。
 なお、第何回目かのときに、私、住宅扶助について調べてくださいと申し上げたのはそのためなのですね。御案内のように、住宅扶助についての基準の設定方式というのは新しいわけですね。他のものと違って。それの資料というのを、第何回目かの請求資料として出していただいたと思うのです。あれは使い切りというか、実際にかかった部分を払うというので、かなりカーブがあって、それの意味というのは、岩田先生からお話ありましたように、公営住宅であるとかそういうのもあるからというお話があったと思いますが、ということで、このような形で住宅扶助についての基準というものは、ある意味では、扶助の中では、新しいと言うとあれですが、かなり注目すべきというか、そういうものであろうかと思います。それでデータを示してくださいと申し上げた。
 その次のページ、あともう一つは、これもよく教科書的にも書かれていることですけれども、医療と出産とかそういうのはもともと扶助とついてなかったわけですね。統一するために扶助と全部つけたという経緯があるわけでして、そこにある種の、医療の持つ、最低医療というか、そのようなことについての非妥当性というかそういうものがあって、最適性と言うとあれですが、そういうものからそういう議論があったと思うのですね。そこら辺もやはり大事にして考えなければいけないものだと思うのですね。
 あともう一つは、いろんな扶助を外に出して、それはいい悪いという言い方は変ですけれども、出すということによって、その当時、時代時代にあっては、いわゆる生活扶助に食い込むことを排除するということが勿論あったわけだけれども、ただ、一方でやりくりという概念もあるので、そこら辺をどう調整するかというのはやはり重要なことだと思います。
 というので、「我が国の生活保護制度における各扶助項目の構成」ということですけれども、これも有名な話ですが、小山進次郎さんの227ページに書いてあることで、もともと最低生活需要に対する対応を扶助でもって包括的に行うということなので、最低生活ということが、生活扶助に関連してだけしか考えられなくなってしまうという致命的欠陥が生ずるということをこの小山進次郎さんは書いていますね。
つまり、生活扶助というものを基本として考えるのだけれども、さっきからずっとお話ししていますように、全体的な最低生活需要という中で生活扶助というのがあるのだけれども、それはある部分、外に出たり、いろんな形で出たり、他法が形成されることによって限定化されたりするわけなのだけれども、他の扶助というか、そういうものとの関係の中で生活扶助というものを考えなければいけない。生活扶助だけで議論してはダメなのです。
 これも有名な小山さんの言い方ですけれども、7つの扶助とか、幾つも扶助の項目あるわけですけれども、寄せ木細工的な集積となってしまうことではいかんということを常に小山進次郎さんは言っていたと思うのですね。7つの扶助に分かれているけれども、それは寄せ木細工で、それを集積したらそれでいいというものではないですねということは指摘しているので、それらについてももう一度拳拳服膺して考えなければいけないということだと思います。
 その次のページですが、各扶助の寄せ木的集積となってしまうということと、「最低生活ということが生活扶助に関連してだけとして考える」ということは関連しているということで、生活保護は7つの扶助の寄せ木細工となってしまってはだめだと言っているわけですけれども、それは、さっきからお話ししているように、生活扶助に関連してだけ考えてしまうということになりがちだからというわけですね。それともう一つは、「生活扶助該当者及び何々に必要な費用を支出することにより生活扶助該当者となるもの」という形で、当初、後ほど述べます特別な状態に対する扶助ですね。それについてこれを規定しようとしたわけですけれども、これはやめたということになっています。
 それで、最低生活とは単に日常生活についてだけ言われることではなく、社会生活の全分野に含まれるということなわけです。ということで、当時7つあったわけですけれども、当時7つあった種類の扶助はしょせん、この全一的な保護を実施する際の便宜のために設けられた整理手段であるにすぎないと言っているわけでして、そういうことも少しは頭の片隅に置きながら議論していくことが必要だと思います。
 それと、生活扶助とそのほかの扶助との関係というのはどういう組み立てになっているのかということですが、特殊的需要への対応という言い方はするのですけれども、例えばドイツであれば、現在では、御案内のように、もう既に多くの論文がありますけれども、従来の社会福祉法を2分割して、社会法典第2章の求職者に対する基礎保障といわゆる在来型の社会扶助に分割しましたね。その上での話ですけれども、ドイツの場合、一般扶助というのと特別な状態に対する扶助という2つに分けていますね。それで、構造化されているということですけれども、日本の場合、私の知る限りでは、余り文章としては構造化されたような形での記述がなくて、並列されている。寄せ木細工的にと言うと言い方変なのだけれども、そういう形のままになっている。それはよさもあったと思うのですけれどもね。
 ということで、特別な生活状態に対する扶助というのは、ドイツの場合のように、一般扶助、つまり、生計費扶助と、障害がある、何がある、何とかがあるということによって特別に必要なものがありますのでこれらを構造化する必要がある。
また、ドイツの法律でいえば、今回のドイツの新しい雇用関係で2つに分割した社会法典第2章になっているものと、その第2章になっている求職者に対する基礎保障というのと第12編の方にいった社会扶助の部分の社会扶助に関する法の目的規定というのは従来と変わりましたね。
つまり、何が変わったかというと、受給権者に人間の尊厳に値する生活を営むことができるようにするという形で変わっているのですね。ここら辺も非常に重要な部分でして、つまり、例えば郵便局に何か出しに行く、市役所に行く、毎週これをするというのは、しなければいけないことだから、通常の給付なのだけれども、例えばピクニックに行くとか映画に行くといった場合、社会参加とかそういう部分から言ったら、ある意味では重要なことであると、尊厳ある生となるために、その部分を誰が出すかということですね。
 これは場合によっては特別な生活状態に対する扶助で出せるわけですね。例えば介護保険で、定期的にお金をとりにいかなければいけないとかそういうのは、通常、日常的に反復される行為だから介護保険から出ますけれども、そうでない社会的活動というのがありますね。そういう部分は社会扶助から出るわけですね。
 それらを含めて、特別な生活状態に対する扶助という組み立てがあるわけで、日本の場合、その部分が必ずしも明確でないということだと思います。生活扶助と他の扶助との関係、特殊的な需要への対応というのは、いわば各他の生活扶助以外のものとして組み立てられてはいるのだけれども、それは他法の介護保険法であるとかその他もろもろとの組み立ての中でできているということ、それらについてどう考えるかということです。
 生活扶助とそれ以外の扶助との構造が明確化されることによって、例えば資産とか資力活用などの点で、生活扶助とそれ以外との扶助での取り扱いを変えることができるということがありますね。例えば生活保護の方にはいってないのだけれども、病院のMSWの方なんかからよく聞くことですけれども、退院してどうしてこうするときに、資産活用を求められて、そうなるともうだめだということで、申請しないという話がある。したがって、受領に申請に結びつかなかったり、ちょっとはしょって言うのでわかりにくいことですけれども、さまざまな問題がありまして、資力活用についても、これが特別な扶助と一般扶助という形で区分け、ある程度の構造化がなされたら、やはり資産活用のレベルというか、そういうものも変わる。つまり、単給の場合には資産活用については求めないみたいな、ちょっと誤解を生みやすい言い方ですけれども、そういうことも考えられるということです。
 あと、一番最後の部分は、ドイツにおける社会法典の部分ですけれども、いわゆる生活扶助と特別扶助というものがあるということ。生活扶助というのは社会的文化的な最低生活を保障するのに必要な需要を賄うものでありますけれども、特別な扶助というのは、特殊な困窮状態を克服するための給付やホームレス、刑余者、薬物依存者などが抱える特別な社会的困窮を克服するための支援を内容とするというものです。
 次のページは極めて簡略化したものですが、時間の関係ではしょりますけれども、一番最後のページに、ドイツの新しい方の社会扶助の構成があります。このような形で、経常給付と一時扶助と分かれていて、経常給付については扶助基準額がこのようなもの、つまり、日常生活上のもの、家庭生活上の需要、そして栄養、そして世帯員に応じたもの、そして家賃、暖房費、追加的な需要加算というもの、そして一時扶助というのは、クリスマスとか、新生児用品とか、家具を買うとか、そのような組み立てになっているということです。
 今日はドイツについてお話しするのが中心でなかったのですけれども、いろいろ自分なりに勉強するということで、もともとの出発点といいますか、最低生活需要に対してどういう形で各扶助は対応しようとしたのか、そのときの議論というのは、構造上組み立てというのは考えたのかどうかということについて、少し私なりに勉強してみたということで御報告であります。
○駒村部会長 ただいまの栃本委員からの報告について、質問等あったらお願いいたします。
 林先生、お願いします。
○林委員 ありがとうございました。一番最後のページの社会扶助構成について教えてください。3)家賃とあるのですけれども、これは日本で言う住宅扶助に当たると思うのですけれども、家賃と明示的に書いてあるということは、家賃額ぴったりが充てられるということでいいですかね。
○栃本委員 勿論、世帯構成に応じた条件額というのが全部定められていますし、その上での家賃額で、言いたかったのは、家賃というものが生活扶助の中に入っているということですね。要するに、住宅扶助という形で外枠でない。日本は外枠でしょう。だから、こういう形で入っている。これは岩田先生の方が御専門ですけれども、もともと住宅扶助についても、衣食住でしょう。衣食住たるものについて、そもそも出すべきかとか、そのときのさまざまな時代状況というか、政治状況とかいろいろあったことと、それはまさに歴史研究の世界なのだけれども、あと公営住宅の関係とかあるけれども、ただ、本当に衣食住という部分というのは基礎需要たるものだから、どうしたらいいか。
 ただし、当時の審議とかいろんな法案の修正とかそういうときに、住宅扶助については、さっきから申し上げたように、その出し方ですね。実勢価格みたいな、実際、高いところばかり住むかといったら必ずしもそうでないというのもあったり、いろいろですね。使い切りの世界でないと言うと変だけれども、そこら辺、やはり工夫ができるものだと思うのですね。
 あともう一つは、前回話がありましたように、ドイツの場合の、資産というか、そういうものの活用については、特別な生活扶助に対するものというのはかなり緩やかになっているということと、あともう一つは、資産活用の裁量権と言うと非常に語弊ありますけれども、それが各社会事務所、当時ドイツで私が会っていろいろ議論していた中では、そのように裁定して、これを活用しろと言って、それが行政裁判所の方に行って、それで判例として出て、それで、これは妥当だとか妥当でないという形で決まるというので、前々回ぐらいにお話ししましたように、そういう判例というのはやたらとすごく出ていまして、どういう形になったかというのを見ながら、またソーシャルワーカーがやるという形になっているのですね。だから、ある種、弾力的にと言うとあれだけれども、それを決めるのは、福祉事務所、社会事務所ではなくて、行政裁判所がチェックするという形になっている。そういう形で、支出の仕方とかそういうの、かなり違うということも確かだと思うのですね。この出し方ということについても。
以上です。
○駒村部会長 ほか、いかがでしょうか。
では、岩田先生、お願いします。
○岩田委員 ドイツの場合は、今の家賃の話ですけれども、低所得層向けの住宅手当というのはあるのでしょうか。
○栃本委員 あります。
○岩田委員 あれとこれは全然リンクしないのでしょうか。
○栃本委員 しないです。それともう一つは、御案内のように、一時期、ドイツでも住宅の問題というのは、当たり前に、日本でもそうだけれども、公営住宅政策をどうするかということで、社会住宅というのを建てたのだけれども、これは、国土交通省的に言うと、コミュニティバランスを崩すということで、余りよくないと。それで、貧困の再生産ではないけれども、非常にぐあいが悪いというのでそういうことはやめたということと、ただし、社会住宅のかわりに、社会住宅で、障害者向けにはバリアフリーを課したような形での社会住宅化した障害者住宅、そういうものはつくるという形で、それは障害者関係の施策として使えるので、安い費用で入れるという形になっていますね。だから、別建てということだと思いますけれども、次回までに確認します。
○駒村部会長 ほか、いかがでしょう。
栃本先生、資料の最後のページで、僕の前回の報告にもかかわるのですけれども、6歳以下(ワンペアレント)とありますね。これは55%。あと単身養育というのがありますが。
○栃本委員 これも言おうと思ったのですけれども、これはどういうことかというと、上側の地域主権改革3法、これはなしにしてください。下の(参考)1世帯あたり扶助費月額というのは、前の資料で、生活扶助と住宅扶助と教育扶助について、それぞれ、この資料、皆さん方お持ちだと思うのですけれども、棒グラフみたいの、ありましたでしょう。あれは生活保護におけるカテゴライズされた高齢者世帯とか母子世帯とか障害・傷病世帯、その他世帯という区分けで棒グラフつくられてないのですよ。あれは生活扶助というのを基準にしてだらだらっとやっているので、本来であれば、高齢者世帯、母子世帯、障害世帯、そして傷病世帯、その他世帯ごとに、生活扶助と住宅扶助と教育扶助、そして、本来であれば、皆様方がお持ちの第3回の資料の第2回部会における委員の依頼資料ということで厚労省事務局より出されました資料の2ページ目のところに「扶助種類別扶助費の世帯類型別内訳の推移」とございますね。これが平成11年、平成16年、平成21年という、11、16、21という区分けなのですけれども、生活扶助ではこうだということなのだけれども、さっきからお話ししているように、高齢者世帯でくくってみる、母子世帯でくくってみる、傷病世帯でくくってみる、そういう形になってないわけですよ。だから、それを、本来であれば、高齢者世帯とか障害者世帯、母子世帯、そういうものごとにくくってみることによって、本当は医療扶助が入ってもらいたかったのだけれども、だめだったのですよ。
それを見ることによって、いわゆる最低生活需要額とかその構造というのが明瞭にわかるではないですか。当たり前だけれども、高齢、母子、何とかとか。そういう組み立て、構造を見ないと意味がないでしょうというのでつくっていただいたのですね。
私の願望は、医療扶助についてもということだったのだけれども、それはとてもできないということだけれども、医療扶助が入ったとしたら、これまた非常に興味深いというか、興味深いどころではなくて極めて重要な資料になるということだと思うのですね。
医療扶助が多くなっているか少なくなっているか、そういうことを言いたいのではないですよ。それぞれの世帯ごとに、例えば高齢者世帯で教育扶助が入るかなみたいな、そういうの、ありますね。そういうことからの資料をつくっていただきまして、これらを参考に、他の扶助についてもあると、その構造というのがわかる。それはまさに扶助基準の一類、二類のことを考えたり、生活扶助との関係を見るときに非常に参考になるということで、こういうデータというのもこれから重要なのではないかということで求めたものです。ちょっと説明は省きましたけれども、今、少しだけお話ししました。
○駒村部会長 ちょっと違っていたのですけれども、一番最後のページの、ワンペアレント55%、単身。これは、意味としては、6歳未満のみについて、ワンペアレントの場合、55%ということで、5%割り増しをしているということなのですね。
○栃本委員 そうです。
○駒村部会長 下の追加的需要加算のところの単身養育というのはどういうものでしょうか。
○栃本委員 これは、類型として、扶助基準額というのを構造するときに、栄養の部分を入れます、Personliche Bedurfnisse、日用生活需要入れます、Hauswirtshaftlicher、家政上のものを入れます、これが共同消費部分、あと、世帯員に応じた部分もつけ加えますと。それプラス家賃を入れます等と追加的というものでこういうものを入れますというので、単身養育というのは、調べてきますけれども、ワンペアレントファミリーでそういうものが必要になった場合、入れるのでしょうね。ただ、次回までに、正確なことが必要ですので、きちっと責任を持って調べます。
○駒村部会長 上がワンペアレントという表記で、こちらが単身養育となっているので。
○栃本委員 ちなみに、ワンペアレントとしてはドイツ語では実は書かれてないのです。日本的な文脈だと、ワンペアレントにしなければいけないというのがあって、ワンペアレントというふうにしてあります。正確なドイツ語も含めて、次回、部会長に提出するようにいたします。
○駒村部会長 どうもありがとうございます。ほかに御質問いかがでしょうか。
 もしこれでよろしければ、これ以上の御質問がなければ、続けて、庄司委員より御提出いただいた資料3について、御報告をお願いいたします。
○庄司委員
 まず、この部会では加算についても取り上げるという確認が一度あったかと思いますので、また改めてそのことを意見交換する機会があればありがたいのですけれども、加算について考えることをお話ししてみたいと思います。
改めて、家族とか世帯という観点から、この生活保護について見ますと、生活保護基準を考える上では幾つかのポイントがあるように思いました。
 1つは、言うまでもなく、法10条の世帯単位の原則、それから法8条の2項には、基準及び程度の原則の中に世帯構成別という考え方が入っております。勿論、厳密に言うと、私が一番関心を持っている家族というのと世帯というのは全く異なる概念ではありますが、事実上オーバーラップしている部分が非常に大きいということで、この世帯の問題を少し考えていきたいと思います。
 世帯類型は、今、生活保護の中で必要な類型化といいますか、類型別として挙げられていますのが、高齢者世帯、母子世帯、障害者世帯、傷病者世帯、そしてその他の世帯ということになりますが、これについても、こういう世帯類型でデータを出すということで、十分かどうか、そういうことも少し考えています。
 例えば母子世帯は子どものいる世帯ではありますが、当然、ひとり親世帯としては父子世帯もありますし、それから、それ以上に、その他の世帯の中には、一定年齢以下の子どものいる有子世帯といいますか、子どものいる世帯ですね。これまでも、要するに誰に出されている生活保護費であるかということを考えたときの、子どもの養育というのは、特に近年、子どもの貧困問題について、阿部先生なども非常にこの問題で重要な役割を果たしてこられたわけですけれども、そういうことと併せて考えますと、ちょっと違った類型というのもデータとして必要になってくるのではないかなと私自身が感じていました。
 それで、「世帯の事例」というところには、今回私どもがいただいています事例の中でも、標準3人世帯と高齢者単身世帯、母子世帯というのが大体こういう基準で出ているということで、一応確認のためにここに挙げておりました。
それで、今日お話しさせていただく加算についてですけれども、現在この8種類の加算がありますが、これを少し並べてみましたところ、それぞれ歴史を追って出てきているという感じが非常にわかります。
 母子加算については、非常に古い歴史的背景のあるものですが、それに対して、介護保険制度などができたことで新しくできた加算もございます。それから母子加算と関係が大変深いと思われる児童養育加算については、これは背景が、もともと多子養育加算というものが86年に名称変更されているものでして、この両者の関係などももう一度点検しなければいけないかと思っています。
特に母子加算については、ここにちょっと※印で書きましたように、小泉政権のときに廃止の方向が出まして、順を追って、2009年に廃止となったところで、また、同年の年末に復活するということが政権交代と同時に起きた。要するに、ここには一定の不安定さが含まれているのではないかと思いまして、そのことをどのように考えていったらいいかということを議論させていただけるとありがたいと思います。また、復活したのですけれども、もし政権がかわるとまた何か起こるのかとか、そういうものであってはやはりおかしいと、そのように私自身は考えています。
そして、今日少し御意見を特に皆様に伺えたら私としてはありがたいというので、報告というよりも、教えていただきたいということなのですけれども、次のページ、「母子加算」について、今までいただきました資料の中で確認したことをちょっと申し上げたいと思います。
 第2回の部会で加算のことが一連ずっと出てきた、そういう資料がございます。各種加算の概要についてというので、1番から8番というよりは、障害者のところについては幾つかに分かれておりますので、これ全体が、それぞれ趣旨や対象、創設の時期、基準額、それから件数というものが一覧として出ています。これを私は、たしか第2回のときに事務局に御質問したことがあると思いますが、この母子加算の趣旨というのをこのままでよろしいかどうかということであったと思うのです。今日、本当は私自身がここをもう一度コピーしてくるべきだったかもしれませんが、皆様お手持ちの資料がおありということで、できれば、ちょっとそこを見ていただけたらと思います。
 第2回の比較的後ろの方といいますか、第1回の資料に近いところ、真ん中辺りに「各種加算の概要」というのがあります。何種類かの束の中の後半の14ページに母子加算の趣旨があります。
この加算一覧をずっと見ていきますと、その多くは、特別に追加的な栄養が必要とか、要するに、熱量、カロリーが必要だというような形で、食費に上乗せするものというような感じで出ておりまして、この母子加算のところも、前回、私、ちょっとひっかかるところがありまして、明らかに、この説明のままでは国民的な合意が得にくいのではないかということで、こういう機会にきちんと議論した上で合意が得られるような趣旨説明にしなければいけないと考えております。
 例えば食料品については、「配偶者が欠けることによる養育への負担が片親にかかるため、軽労作では賄うことのできない栄養所要量が必要となる」とありまして、その後幾つか出てくるのですが、住居費で、施錠の強化とか防犯ベルの設置等の費用といいますか、勿論、母子世帯だから特別なセキュリティが必要というのが意味としては込められているかもしれませんが、セキュリティについてはどこの世帯についても同様です。
 それから被服費は更に一層ひっかかるところで、ひとり親であることから、PTA、町内等外出の機会が多く、かつ、身ぎれいにすることが必要と。これは、母子世帯のお母さんたち、当事者がこれを見たときどのように感じるかということについても配慮が必要と思います。
それから雑費も、いろいろたくさん挙げてありまして、ひとり親であるという世帯の固有性と本当にリンクしているかどうかということで言うと、説明になっていないというようなことがあるように思います。
 特に今は離別の母子家庭が非常に多いことを考えますと、配偶者の供養料、墓参りの費用とか、これは少なくとも母子世帯、マジョリティの方には該当しないと。そういう一つひとつをきちんと見ていくと、これが49年に創設されて、80年の中社審の生活保護専門分科会の報告にあるものとして引用されていますけれども、特に配偶者が欠けた状態にある者が児童を養育しなければならないことに対して云々と、食料費、それから社会的参加に伴う被服費、片親がいないことによって云々と、こういうことがありますけれども、これは余り十分な説明にならないので、私もずっと、本来母子加算として必要な加算部分は何であるかということを考えていましたので、ちょっと今日その意見を申し上げて、皆様の御意見を伺いたいと思います。
 なお、勿論、この加算部分の計算の仕方というのがどのように積み上げられているのかというのも、私は詳細知りませんので、非常に難しいところがあるなと思いました。級地別に、現在、2万20円から2万3,260円ということで、障害者加算の30万件に次いで、認定件数としては非常に多い。それから児童養育加算が8万件ぐらいということですが、これは非常に大きな部分を占める加算ですので、是非きちんと考えなければいけない。
 それで、私がこれまでいろいろ母子世帯の生活実態というのを見てきた中で感じたことと被保護母子世帯の特徴というのを重ね合わせますと、1つは、恐らくその他世帯等がどういう世帯であるかが類型化されておりませんけれども、就労率が非常に高い。これは日本の母子世帯の特徴で、被保護母子世帯においてすら、この高さであると。それから一般の母子世帯の中では8割、9割が就労しているというデータがありまして、非常に頑張っている母子世帯の姿というのが見えてきます。
 そして、その中で世帯保護率は、これも既にいただいた資料の中で比較が出ておりますけれども、際立って母子世帯に関しては高いわけですね。132.4‰です。
それで、特に被保護母子世帯に限らないとは思いますが、母子世帯の中で一番よく問題になるのは、母親が非常に無理をしていて、疲れていて、体の調子もよくないけれども、医療機関にかかれない。これは医療費の問題ではない、医療扶助があるわけですから、そういう意味ではそうではないだろうと言われると思いますが、就労母子世帯のほとんどが非正規雇用のもとにあるので、自分の体のために、休んで医療機関に行くという余裕がほとんどないという実情がやはり大変大きいと思います。ですから、精神的にも非常に緊張が高い上に、いつも健康不安を抱えているとか過労状態にある。
それから、特に子どもも、年齢によりますので、ひとり親の場合、末子年齢が幾つであるかというのは非常に重要ですけれども、母親が働く場合は、とにかく保育園に通っている場合が多いと思います。しかし、病児保育というのが確実にあるわけではありませんので、子どもが病気になると保育園には預けられず、仕事を休んででも家で見なければいけない。
 今、NPO法人で病児保育を専門にやる新しいタイプの組織が登場していますが、非常にお金がかかります。ですから、母子世帯の多くが、被保護母子世帯は勿論ですが、保育料が無料とか非常に安いという中で、病児保育にだけお金をかけて就労を守るということは全くできないわけですね。ですから、自分の体はいつも後回し、それから子どものために休んで医療機関に連れていくという、そのことすらも非常に難しい、そういう状態にあることを特に考えなければいけないと思いました。
 それで、この4番目の今後のところで、1つは、先ほどの1980年報告としてこの資料に取り上げられている趣旨説明をもう一度私たちはみんなで確認する必要があると思います。
 それから児童の養育に要する費用というのと、このひとり親世帯になぜ加算が必要なのかというのはきちんと議論の上で整理しなければいけない。私は、3)にありますように、こういう理解を持っています。両親のいる世帯に比べて、勿論、両親ばかりでなく、おじいちゃん、おばあちゃんで養育の援助をしてくれればなおのこと助かるわけですけれども、大人が何人子どもの養育のために手をかけられるかという状況で言えば、ひとり親世帯というのは非常に厳しくて、親にとってはケアの負担が非常に大きいということですね。
それで、この親のケアの負担が大きいというのはどういうことを意味するかというと、まず、目いっぱいに働こうとしても、子どものケアのために割くエネルギー、時間、その他があって、思うように働けないと。要するに、日本の平均的な性別分業家族の中では、お父さんが目いっぱい、夜も帰ってこれないぐらい働いても、家で専業主婦が守りをやってくれているから何とかなるという例を見ますと非常にわかりやすいのですが、ひとり親は、特に就労ひとり親世帯というのは、働きながら子どもを養育するのだけれども、十分な働きを守るということが非常に厳しい。そのために、親はお金で何とかそれにかわる方法があれば、かえてでも自分の就労を守りたいという力が当然働くだろうと思います。
簡単に言えば、専業主婦が非常に丁寧に手間暇かけて安い素材できちんとした食事をつくって子どもに与えるというのに比べれば、そういう手間暇をかけられない人は、少々お金をかけてでも同等の水準の生活を子どもに与えてやろうと、そういう形になりますので、ひとり親世帯というのは、親にとってのケア負担が親の稼働に影響するとか、あるいはそのケアの代替にお金を使う。そういう意味で、特別な費用が必要だという考え方が私は必要ではないかなと思っています。そのことによって、子どもの養育に要する児童養育加算のような、子どもそれ自体にいくお金というのとは別に立てられるのではないかと思っています。
 そして、次に挙げました名称のところで、「母子」加算という名称になっているのはちょっと何とかならないかということをずっと考えておりました。国民の中には、ネットなどで調べましても、何で母子加算があって父子加算はないのかというような質問をする人も多く、そうでないのですよと注意されているのもあれば、間違った答えをして、母子にはこういうお金が必要だからと書いているのもあるとか、やはり相当混乱、誤解があるということがわかりました。
 私自身もやはり、母子のみを対象としなければならない根拠というのは余りない、ほとんどないだろうと思っていまして、現実にひとり親が対象なので、可能であれば「ひとり親」加算としたいと思っています。
ただし、正直いいまして、今の日本の法体系は、64年に母子福祉法ができて、そのころから徐々に父子世帯も増えてきているわけですが、そして、3〜4年ないし5年に1度ずっと行われてきた母子世帯等調査の、等の中に父子が入っているという厚労省のやってきた調査方式があるわけですけれども、この母子福祉法は、この法のできたいきさつというのもありまして、この法律をつくり上げてきた人たちがいわば母子世帯を卒業する、つまり、子どもが成人して母子世帯でなくなったときに、これは日本の女性の生活実態、労働実態の問題点でもあるのですけれども、この母子世帯以後の生活が非常に不安定であるということで、結局、母子及び寡婦福祉法となりましたので、これによってひとり親福祉というのは日本では形成できなかったわけですね。そして女性福祉の方に向いていったと、私はそういう解釈をしております。
ですから、すべてのところで父子世帯というのは法制度上は正式には出てこなくて、母子等とか、母子世帯に準ずるとか、そういう扱いになってしまうという状況がありますので、ここでだけ、ひとり親加算、あるいはひとり親世帯加算というのができるかどうかというのはちょっと私自身も疑問にも思っていますが、もし可能であればそういう検討をしていったらどうだろうかと思うところです。
 その他にはいろいろありまして、要するに、加算の額と今の本体の保護基準との中で、一般、つまり、非受給母子世帯との均衡がとれているとかいないという議論になるのだとすれば、それをどのように調整していくのか等々の問題がまだまだあると思っています。ただ、加算の中では唯一、世帯とか家族に注目している加算と考えますので、是非皆様にこの辺で御意見をいただく機会があったらと思います。
 簡単な報告をさせていただきましたが、以上です。
○駒村部会長 どうもありがとうございました。
 今の庄司委員の御報告に対して御意見、御質問はありますでしょうか。
 これは、病児保育を使用した場合は、やはり生保を受けている世帯であっても、完全に実費ということなのですね。
○古都社会・援護局総務課長 法的給付に入っているのであれば対象になるように思いますが、分からないので調べさせます。
○庄司委員 私がさっき申し上げたのは、具体的にもよく知られている、例えばNPO法人フローレンスというところが大変有名ですけれども、子どもが2人いて2人とも病気であれば、それぞれに1人ずつ派遣されるという非常に安全圏をいっているので、内容的にはそれは安心ですけれども、時間単価2,000円ですので、普通の世帯でも、別に低所得であろうがなかろうが、相当考えないとそうそう使えないという状況です。
 ただ、ここの団体は母子世帯に対して母子世帯割引というのを設定してくれていますので、それについては非常に大事なところだと思います。それでも、だからといって、こういう民間の団体がやっているものを利用して、生活保護の何か特別な給付に該当するという感じは私は持ちません。
○駒村部会長 ちょっとその辺は実態を調べていただいた上でと思います。前回、私も道中先生と一緒に報告させていただいたように、被保護母子世帯が、そうでない一般母子世帯に比べて非常に多くの課題を持っているというのは私もそのとおりだと思うのですが、若干議論を深めたいなと思います。先ほど、これはちょっと勘違いなのかもしれませんけれども、両親世帯に比べてという話でしたけれども、これはでも、共働き世帯であれば状況は余り変わらないと思うのですけれども、この辺はどうなのでしょうか。
○庄司委員 勿論です。それでも、やはり2人の親がいることによってそのリスクを分散させるといいますか、2人働いていて、そのうちの1人どちらかが、相談して休まなければならない事態を分かち合うことになります。ですから、ひとり親世帯が抱えている困難のほとんどは、両親共働き世帯、特にフルタイムの場合ですね、全く重なっているのですけれども、その中でも、ひとり親世帯はやはり困難の水準が違ってくると私は考えてきました。
○駒村部会長 恐らくこの加算の根拠として、これも事務局から、あるいは先生から、もし勘違いであれば修正してもらいたいわけですけれども、被保護母子世帯がゆえにどれだけ余計な支出がかかるのかということを論拠づけるために、今のいろいろ精神的な、あるいは肉体的な労苦をカロリー表示して根拠づけているということで、なかなか説明できないのでカロリー表示にしているのではないかと思うのです。
○庄司委員 そうだと思います。だから、非常に苦しいところだと思うのですね。でも、それを何とかしようと思って、ちょっとおかしいなと思うことまでいろいろ出てきてしまって、ひとり親だと、2人親、両親世帯よりも身ぎれいにしてないといけないのかとか、そういうことは逆に非常におかしい。まあスティグマの一つだと思いますけれども、それから、お母さんたち自身は、確かにひとり親であるということで子どもが特別な苦労をしないようにしっかりしつけるとか教育するとか、それから子どもの服装に特別に気を使うとか、お母さん自身も気をつけるとか、そういう話は大変よく聞きますけれども、しかし、だから、それのためにここに加算が必要だというふうにはちょっとできないと思うのですね。
 ですから、子どものケアのために、親が1人であるためにどれだけ仕事を削らなければいけなかったかとか、人を頼んで子どもを見ていてもらうのにどれだけの出費があったかとか、そういうものをきちんととらえるというのが本来の筋ではないかなと思います。介護も、他人介護でお金が幾らという問題があるのですけれども、こういう場合のひとり親世帯に特別なお金をつぎ込んで事態を乗り切らなければいけないというような形での費目などが立てられるのかどうか、私にはまだわからないのです。
○駒村部会長 岩田先生、お願いいたします。
○岩田委員 これは少し語弊があるかもしれないのですけれども、ひとり親世帯が非常に大変であるとか、ひとり親世帯の一般的な貧困率も非常に高い、これはもうはっきりしているわけですね。他方、例えば標準世帯と言われるような、両親そろって子どもがいるという世帯が生活保護を利用するという場合、どちらかが健康を害しているとか障害があるとか、あるいは両方ともそうだとかいうケースでないと、多分、現実にはなかなか生活保護利用までに至らないのではないかと思うのですね。
 特に障害を抱えていたり、かなり長期の病気療養をしているとか、そのような場合は、両親がそろっていても、一人親と類似の、子どもの養育のための困難がもしかしたらあるかもしれない。そうすると、世帯類型で加算などを設定することがよいのかどうか、という問題がある。つまり、世帯類型ではなく、そこで育つ子どもをどうするかという視点での支援が必要なのではないか。この辺は、さっきの一般的な児童養育加算、これは子ども手当との見合いになると思うのですけれども、それから生活保護の外にある児童扶養手当ですね。だから、子ども、あるいはひとり親世帯に対する一般的な手当制度との関係もあると思うのですけれども、その辺りで何かもうちょっと合理的な整理ができないかなという気は前からしていたのですね。ひとり親でなくても、事実上、ひとり親ないしはもっとひどい状態にあるかもしれない。
○駒村部会長 委員の皆さんからは、この議論はいかがでしょうか。
 阿部先生、お願いします。
○阿部委員 今の岩田先生の御意見と庄司先生のにフォローアップといいますか、それに足すことなのですけれども、ひとり親であることによって、または両親ともが病床にあるですとか、うつですとか、そのような問題を抱えていらっしゃることによる追加的な費用というのは恐らくあると思うのですね。ただ、確かに何十年前かの文言は非常に時代おくれという話で、それを今風にアップデートすることができるかということを考えたときに、実際に保護にかかってない母子世帯の方、または両親ともに傷病を抱えている世帯の方々の消費行動がどう違うのかというふうな観点から見てしまうと、なかなか出てこないと思います。実質的に。
 なぜかというと、保護にかかってない母子世帯の方々は最低生活以下の生活をなさっていて、子どもが病気であっても、病児保育に預けないで、一人で放置して、頑張ってねと言って置いていくというような状況が発生しているわけですので、そこの消費の差が出てこないのですね。少なくとも実体消費のやり方でやれば。
 そうしたときに、どうやってそれを出すというふうにやっていくのかといったときに、一つの妥協点というのが、岩田先生がおっしゃったように、子どもに着目して、子どもを1人養育するのに幾らエクストラにお金がかかるのかというような観点からやっていった方が、より信頼性が高い数値が出てきますし、その方が国民の皆様にも納得していただけるようなものができるのではないかなあと思うのです。
○駒村部会長 ほかの委員からは。これは1回ではなかなか終わる議論ではないので、少しまた議論を深めていきたいと思います。
○栃本委員 今の庄司委員の発言というのは、この審議会の委員の議論だけでの話ではなくて、事務方からも、答弁ではないのだけれども、お聞きしたい部分でもありますので、一言。
○駒村部会長 お願いいたします。
○古都社会・援護局総務課長 大変いろいろ観点からの意見を聞かせていただいて、誠にありがとうございます。子どもを育てるに当たってさまざまな課題などがあるというのはまさにそのとおりであって、それがひとり親に対して加算をつけるとなれば、その特有の課題に対処するという考えになると思います。例えば専業主婦であっても、地域によっては全く孤立している親子というものがあるわけです。非常に育児ストレスがあって、例えば、保育所に預けられないがゆえに非常なストレスがたまっている、こういう実態もあるわけです。したがって、子どもを育てるときのさまざまな課題というのはもう少し幅広く見ていく必要があるのではないかと思います。
 昭和55年、1980年の考え方には、まさに母子加算について、当時、生活扶助の水準はどんどん上がってきている状況の中で、その中で十分やっていけるのではないかという議論が仮にあったとすると、何のために母子加算というのが残っているのかという議論があったと思われます。
 戦後間もないころは、肉体を維持する水準といいますか、栄養価でどれだけ要するかに重点があったと思います。母子家庭であっても、例えば妊婦加算と似たような感じだと思いますけれども、軽度な労働作業するにしても通常以上に栄養価が必要ではないかというようなことが多分あったのだと思います。そういう意味で加算をしていたのであって、それが1980年の段階のときに、庄司先生のおっしゃるように、確かに今読めばどうかなと、今の視点から見ればそういう表現ぶりがあるかと思います。逆に、当時の考え方としては、母子加算の必要性を何とか、その特殊性というものをあらわしたいということだったのではないかと思います。
 そういう意味で、どういうニーズを生活扶助でカバーしていくのか、更に掛かり増しのニーズがどこにあるのか、それから公平の観点から言えば、その他世帯も含めて、有子世帯とのバランスはどう考えていくのか、などなど、うまく整理していく必要があるのではないかと思います。要するに、この加算という議論は広くいろんな論点があるのではないかと思っております。
○駒村部会長 積み上げ方式の保護の基準の時代からあった仕組みが、80年代に入って均衡方式に変わってきたときに、加算をどう正当化づけるのかと。難しい論拠づけに、今から見れば妙な言葉が使われていると。今回また、その均衡をチェックするに当たって、改めて加算の意義を議論しなければいけないというのは庄司先生の御提言のとおりだと思いますので、栃本先生、事務局の今の説明でいかがでしょうか。
○栃本委員 例えば、今日でなくていいのですけれども、加算のことなのだけれども、加算というものと収入認定というか、つまり、加算というのが特別、こういうことで必要だから加算つくったというのもあるけれども、他法との関係で自動的に組み立てたというのがありますね。そういうのが多いから、それで苦労されていろいろされた経緯があると思うのですよ。とにかくそのときに、だからこそ、今日、社会保障制度として見るからどうかということにもなるのだけれども、他の法律とか給付とかそういうのができたときに、それを自動的に入れてしまった。にもかかわらず、対外的な説明はしなければならないので、生活保護自体の理屈づけというのはいろいろ齟齬というか、多少乖離が生ずるということはあると思うのですね。
その部分、庄司先生がちょっと指摘したかったことではないかと実は思っていまして、他法でいろんなものができた、いろんな制度ができると、それはいいことであるのだけれども、それの見合いでということになって、加算という形に対して、それは許さんというような、そのようにしたのだけれども、ただ、加算ということになると、それを加算という形にするのが一番楽と言えば楽なのだけれども、というのは、収入認定という形で中に入れ込むという形にすると難しいということはありますよね。そういうことについても、また今度、御意見などお聞きしたいなと思ったものですから。
○古都社会・援護局総務課長 次回いろいろと資料を用意したいと思います。それから、今日は現物と現金給付という観点で、本質的な議論もしていただけたのではないかと思っています。先ほど庄司先生の話でありました、例えば病児保育というのは、現在の保育サービスの中でも、延長保育とか、あるいは病児保育といったサービスを増やしつつあります。しかしながら、根本的に、今の児童福祉法に基づく保育事業の中で病児保育そのものが不足しているのではないかと思います。
つまり、本体のサービスが不足しているというところにまずもって問題があって、生活保護世帯であれば、本体の費用は一切なく、事実上現物給付として提供されておりますので、先ほど来のNPOの話なんかについても、そういうのが不足しているというところから派生的に起こっているのであり、まずは病児保育そのものを増やさなければならないと思います。何もこの保護の問題だけではないような気もいたします。いずれにしても、現物と現金ということも今日伺えたので、大変ありがたかったと思います。
○栃本委員 先ほどちょっと申し上げたのだけれども、この小山進次郎さんのを改めて拝見していろいろ勉強していく中で、戦後さまざまな形で、他の社会保障立法というのが充実していく中で、矛盾点を全部生活保護に押しつけられたというような部分もあり、そこら辺も、この部会での議論ではないのかもしれないけれども、やはり事務局とも是非考えていただきたいと思います。
○古都社会・援護局総務課長 さっき、生活保護制度に矛盾点が押しつけられたというご発言については、いろいろな御意見が先生方にあると思いますけれども、基本的には、最初の割り切り方としては低所得者、貧困者を救済するとして、高齢が原因であろうが、浮浪児だからだろうが、障害者だろうが、あるいは失業者だろうが、全部対象にしていたと思います。創成期はすべて混沌として入っていって、その後、時代を経て、それぞれ制度がつくられてきたのですけれども、まず最初は生活保護制度でセーフティネットとならなければいけないということだったと思います。押しつけたわけではなくて、まず最初に救うべきものとしてこの制度が生まれたということだと思います。その後、個々の制度が充実して独立していったけれども、やはり専門分化を幾らしても重複部分とかすき間は残るわけでして、そういうところはきちっと最後のネットとしてやっていく部分として、時代時代に意義があるのではないかと思っております。
○駒村部会長 また社会保障制度全体が新たな局面が来ていますので、その中で生活保護をどう位置づけるのかという大きい話が1つあると。それから、さっきの病児の話は、一般施策で、新システムなんかでも多分この部分がきちんと工夫されるのではないかと思いますけれども、一般施策でやる部分と、それから岩田先生から、生活保護世帯による子どもに着目するというお話もあったかと思いますので、あとは現物の話もあったと思いますので、今日いろいろ議論がありましたが、いろいろ今後の議論の手がかりになったと思います。
では、これで今日の議論は終わりたいと思います。
最後に、次回の開催について、事務局から連絡をお願いいたします。
○伊沢社会・援護局保護課長補佐 次回は追ってご連絡をさせていただきます。よろしくお願いいたします。
○駒村部会長 それでは、本日の議論は以上とさせていただきます。御多忙の中、どうもありがとうございました。


(了)

ホーム > 政策について > 審議会・研究会等 > 社会保障審議会(生活保護基準部会) > 第7回社会保障審議会生活保護基準部会議事録

ページの先頭へ戻る