幹部職員からのメッセージ

厚生労働省で長年に渡り活躍してきた幹部職員から皆さんへのメッセージです。
重要なミッションに取り組む幹部職員がどのような想いを持って仕事に取り組んでいるのか、
その長いキャリアの中で何を経験し、感じてきたのか、
行政官の仕事の醍醐味を感じ取ってください。

社会・援護局長
(※2026年6月時点)
平成2年旧厚生省入省(平成入省と騒がれたのも今は昔)。
新型コロナ下での菅総理秘書官時代を含め、官邸に6年半勤務。全体を調整する内閣官房・内閣府や省内の大臣官房に20年近く勤務するという特異の経歴。
地方勤務は香川県庁でこども行政を担当。
政策統括官、保険局長を経て令和7年7月から現職。

厚生労働行政官としての想い

子ども手当、40代での経験

平成22年夏、民主党政権の看板施策である「子ども手当」の担当室長に着任。当時、財源問題をめぐって地方が強く反発し、地方団体の会長から直電があることもしばしば。法案提出後も、与野党逆転という厳しい政治情勢の下、永田町を飛び回って調整に明け暮れる日々を過ごしました。結果として、手当が支給できないといった最悪の結末を回避できたことは、ある意味奇跡だったかもしれません。
当時まだ40代でしたが、省内幹部との意思疎通を図りながら戦略を共有し、関係者との調整においても、それをベースに、自らの責任でその場で判断し対応できたという経験は、その後につながる貴重なものでした。

官邸の中枢でこの国の危機管理を担う

菅官房長官、菅総理の下での6年半に及ぶ官邸生活、中でも思い出深いのは新型コロナ対策です。
国民の生業と感染拡大防止の両立に向けて土日返上で困難な対応に迫られていましたが、当時ゲームチェンジャーとして期待していたのがワクチンです。総理の1日100万回接種という宣言のもと、厚生労働省をはじめ関係省庁に号令をかけ、大胆な規制緩和や支援措置を講じ、当初はとても無理だと言われていた数値目標を大幅に超える接種数を達成。令和3年秋の急速な感染の終息、さらには、強い感染力はあるものの重症化しにくいオミクロン株への変異につながる一因になったと思っています。
肉体的には大変な日々でしたが、国家の危機に関わる事態に深く携わることが出来たことは、役人冥利に尽きる経験でした。

従来の発想にとらわれず、この国のために行動する

官邸での経験を買われ、オミクロン株が最初に感染拡大した沖縄に1ヶ月間出張し、政府側の責任者として対策に当たりました。
オミクロン株に対してはそれまでと違う発想での対応が求められ、特に問題だったのが濃厚接触者への対応です。従来の14日間の自宅待機では、濃厚接触者となった医療従事者等が出勤できず医療や福祉の崩壊が生じかねない、さらには離島航路のパイロットが不足するなど、社会経済活動に深刻な影響が出始めました。一方、気道の上部で発症するため、早期にウイルスを排出しやすく、科学的にも短縮可能との指摘もありましたが、初めてのケースでもあり政権中枢部の慎重な姿勢が変わりません。
そこで、官邸幹部に直接メールし、対応は待ったなしであること、将来的に日本中で社会経済活動が停止しかねないことを直言し、待機日数の大胆な短縮を実現できました。山が立ち寒がってもあきらめない、そして国民のためにやるべきことをやる、官邸で学んだ経験です。

わたしにとって厚生労働省とは

「少子高齢化・人口減少が更に進む中、国民生活の安心・安全の基盤とも言える社会保障制度が引き続きその役割を果たしていくこと」、やるべき目標は明確ですがそこに至る道筋は、様々な変数や利害関係が複雑に絡み合った難解なパズルのようなもの。そうした人生をかけるべき重要なミッションを私に提供してくれるとともに、自分自身を成長させてくれる職場です。
また、そこで働き、一緒に困難な仕事に立ち向かってくれる職場の仲間たちは、国民の暮らしを守るための同志であり、ともに学び、成長し、刺激し合う存在でもあります。同時に、ひとたび仕事を離れれば、アフター5を全力で楽しみ、お酒を酌み交わしながら語り合うし、時には休みの日に一緒に遊んだり、旅行したりする友でもあります。
やりがいあふれる仕事と最高の仲間たちに囲まれた場所であり、自分の人生を楽しく豊かなものにしてくれる存在、それが厚生労働省です。

皆さんへのメッセージ

就職は人生の大きな決断です。選択に迷っている人も多いでしょう。
仕事の内容はもちろんですが、会った人たちや職場の雰囲気をみて、その職場で生き生きと働いている姿を思い浮かべられるかどうか。周囲の意見も大切ですが、最後は自らの直感が重要です。
あなたとともに、国民生活の安心安全を支えていきたいですね。