幹部職員からのメッセージ

厚生労働省で長年に渡り活躍してきた幹部職員から皆さんへのメッセージです。
重要なミッションに取り組む2人がどのような想いを持って仕事に取り組んでいるのか、
その長いキャリアの中で何を経験し、感じてきたのか、
行政官の仕事の醍醐味を感じ取ってください。

内閣官房
新型コロナウイルス感染症対策推進室長(出向中)
(※2020年5月時点)
昭和58年旧厚生省入省。本省ではこれまで年金、保険、薬物規制、介護、疾病対策、広報、人事などを担当。出向経験は米国(ワシントン)、北海道庁、総務省行政管理局、日本年金機構。平成28年官房長、平成30年保険局長、令和元年医薬・生活衛生局長、令和2年3月から現職。

人生を楽しもう

沢山のニーズが

厚生労働省の仕事の特色を一言でいうとしたら、裾野の広さ、ではないかと思っています。預かる領域の広さはよく言われることですが、それだけではありません。企業、自治体、あるいは医師会などの職能団体、業界団体などを相手にするばかりでなく(ここまでは多くの役所が皆そうですが)、厚労行政は国民一人ひとりの生活と直接につながっている、ということ。
そして各種の社会的ニーズが、しばしば未整理のまま、我々の前に突き付けられる、ということです。

より広く・より深く

ですから、我々は何よりも、よく聞き、よくわかる人でなければならない。既にある枠組みに当てはめて残りを切り捨てるのでなく、素直に問題を受け止めて、どうしたら良いかを考える。その問題は量の問題なのか質の問題なのか。誰にどう動いてもらえれば改善するのか。そう動いてもらうにはどうしたらよいか。そういう風に考えて、法律案を考えるとか、予算をつけるとか、そういう、総合職公務員の仕事になってくるわけですが、この問題解決に向けての思考と手段の幅がとっても広い、というのが厚生労働省で仕事をすることの特色だろうと思うのです。

生活人として・仕事人として

それをこなすには、心の柔軟性と経験の引き出しの多さが大切だと思います。逆に、ここで働くことは日々それを問われることであり、また日々それを磨くことだ、とも言えます。仕事外の経験が活きることも沢山あるでしょう。魅力的な先輩も沢山います。苦労をしてもそれが活きる職場、人の役に立ちながら自分の生活を持ち、成長できる職場、そう言うと月並みかも知れませんが、でもそれは本当にここにあったと今私は感じています。(成長?の一端については以下をご覧下さい)

印象に残っている経験

  1. 1年目

    年金局企画課(現総務課)
    「最初の仕事」

    資料を集めたり清書をしたり電話番をしたり。
    自分なりに公務員らしく振舞おうとしても空振りばかり。
    先輩を見るうち、目の前の仕事を誠実にこなすことで自然と頼もしく見えることに気が付きました。
    与えられた仕事を離れて「らしさ」はない。
    そう知った時が職業人生の始まりでした。

  2. 11年目

    在米国日本国大使館一等書記官
    「国の機能とは何かを考える」

    医薬品や医療機器をめぐる貿易交渉や、当時クリントン政権が試みた皆保険導入の情報収集などを担当しました。日本政府の立場を代表して米国マスコミの取材に答えることも。
    この間に得た、職業外交官や防衛駐在官の皆さんとの付き合いも貴重な財産です。日本の国民や企業のために政府ができることは何なのかを、改めて考えさせられた3年間の米国生活でした。

  3. 18年目

    老健局企画官
    「制度は使われ方によって活きる」

    北海道庁に出向して介護保険制度の施行の仕事をした後、本省でそのまま介護保険を担当しました。発足直後の介護保険です。
    制度の実施は申請や給付の件数が伸びれば順調なのではなく、それで本当に家族は楽になったのか、こそ問われなければならない。そのための制度運用について各地の市町村職員と討議を繰り返しました。
    地域づくり、コミュニティづくりは以来ずっと私の問題関心であり続けています。

  4. 26年目

    社会保険庁総務部総務課長
    「組織の経営の一端を担って」

    燃え盛る年金記録問題への対応と、社会保険庁の後継組織である日本年金機構の設立準備を担当しました。
    社会保険庁の人員整理はつらい経験でしたが、それを含め、特に当時力をお借りした民間企業の経営者から、組織の在り方、トップの経営方針を徹底することの重要性、広報戦略を含めたリスク管理など、実に多くのことを学んだように思います。こうした「組織の経営」という視点を省内の各管理職が持てるようにするということが、官房長時代、私の目指す仕事の一つとなりました。

中央労働委員会 事務局長
(※2020年5月時点)
昭和60年旧労働省入省。労働関係部局や雇用均等・児童家庭局、自治省、小松市、愛知県副知事等の勤務を経て、平成27年厚生労働省大臣官房審議官(雇用均等・児童家庭担当)、平成29年中央労働委員会事務局審議官、平成30年人材開発統括官、令和元年7月より現職。

志ある仲間とともに

初心を振り返って

大学では経済を専攻していましたが、当時から経済成長の源は「人」という思いがありました。旧労働省に入省して30数年、働く「人」への関心を持ち続け仕事に向き合ってこられたのは幸運なことだと思っています。支えとなったのは、志ある仲間たちの存在です。様々な仕事を経験しましたが、どの仕事をとっても自分一人でできることは限られ、チームでなければ何もなし得ません。
入省したての頃、頼もしい先輩の姿に憧れあれもこれもやってみたいと思っていた自分が、いつの間にか後輩たちに支えられ、彼らの成長に驚かされうれしく思うような立場になりましたが、立場は変わっても、志ある仲間とともに仕事をすることは常に刺激的で、モチベーションとなります。

人々の生活に密着

私たちの仕事は人々の生活に密着しています。現場の大切さは重々わかっているつもりでしたが、市役所の助役に出向した際、集落の公民館で市民の方々と膝つめの議論をし、現場意識がもう一段変わりました。現場にこそ政策、制度づくりのためのシーズがあり、そのシーズを生かすためには、自分の常識にとらわれない共感力、感受性が必要です。そのようにして立案した政策、制度が人々の生活のために役立ったと思える瞬間、この仕事をしていてよかったと思います。

人生100年時代の人づくり

人生100年時代、年齢にかかわらず持てる力や経験を発揮でき、安心した暮らしをできるようにしていくことが課題となっています。いくつになっても学び直しができる社会、高齢期を見据えた人材開発など、時代の変遷につれ次々取り組まなければならない新たな課題が出てきます。
働くことは一人ひとりの生活にとって身近なこと、同時にこの国が持続的に成長していくために必要なこと、働く「人」への関心は尽きることがありません。

印象に残っている経験

  1. 5年目

    ハーバード大学行政大学院
    「アメリカに留学」

    入省5年目に、ハーバード大学行政大学院に留学する機会を得ました。大学時代に旅行した強いアメリカの印象が鮮烈で人事院の留学制度に手を挙げました。
    具体的なケースを使ったディスカッションには言葉のハンディもあり苦労しましたが、最近日本でも強調されるようになったエビデンスベイスドの思考をたたき込まれました。

  2. 8年目

    労働基準局労働時間課係長
    「週休二日制の実現を目指して」

    係長時代には、週40時間労働制の実現に向けた労働基準法改正に関わりました。当時、日本の長時間労働は貿易摩擦の一因とされ、労働時間短縮は国際的な公約でもありました。審議会では労使調整が難航、使用者側に配慮した猶予措置を持ち出すと今度は労働者側が審議ボイコットに出ました。
    ぎりぎりで成案に至りましたが、その後、週休二日制は思った以上に早く浸透したように思います。

  3. 23年目

    労働基準局勤労者生活課長
    「最低賃金の引上げ」

    課長時代には、40年ぶりの最低賃金制度の法改正に携わりました。
    生活保護との逆転現象が生じないよう調整規定を設け、折からの成長力底上げ戦略に最低賃金の引上げが盛り込まれたことも重なり、その後の改定作業では大幅な引上げとなりました。ここ10年の最低賃金の上昇幅はその前10年の3倍以上となっていますが(※2019年執筆当時)、このムーブメントの始まりでした。

  4. 30年目

    大臣官房審議官
    (雇用均等・児童家庭担当)
    「女性活躍の推進」

    審議官になり女性活躍の担当となりました。
    女性活躍推進法の施行直後で、男女均等の仕事は以前にも経験していましたが、それまでにない追い風を感じました。
    差別禁止を規定する男女雇用機会均等法に加えて、企業に計画策定・目標設定を義務づけるという新しいアプローチによって、ようやくではありますが具体論のステージに入った実感があります。