回復へのマイ・ステップ

自分だけが特別ではないと気づいたとき、「病気でもいいんだ」と思えた
Sさん (男性・35歳)
【統合失調症 発症時期:高校~専門学校 現在:清掃業務】

現在35歳です。以前、入院していた病院で、清掃の仕事をしています。
はっきりとはわからないんですが、発症の時期は僕が思うのに高校時代かなと。
何をやっても面白くないっていう状態になったんです。
幻聴が来たのは、専門学校のときでした。

専門学校のとき、初めての幻聴が

高校のとき、彼女ができたんです。その彼女が、以前別の人とつきあっていたって言うんですね。僕は初めてつきあった女性だったんです。
「ああ、そうなんだ」と最初は聞き流していたんですけど、だんだん思いが募ってくるというか、「どこまでの関係なんだろう?」ってすごく気になって。
実際に聞いたことがあるんです。そこで返ってきた答えが、ショックで……。まあ、今考えれば、キスしたぐらいなんですけど。
それでカクンと落ちちゃって。そのままずるずる、何をやっても面白くない状態。卒業まで引きずってました。

専門学校のときに幻聴が来たんです。2年生の卒業間近、20歳でした。
「お前の行動はすべてお見通しだ」と。誰だかわからないですが、男の人の声でした。それと、自分のことがぜんぶマスコミとかに出回っていると思ったんですね。
今までやってきたことも、考えていることも、全部ばれているんじゃないかと。まるまる信じちゃったんですよ。
これじゃ、生きて行けない……。とっさにリストカットしようと思って。
すぐにコンビニでカッターナイフを買ってきて、下宿の布団の中で……。
でも、切り方がまずかったのか3、4時間たっても死なないんですよ。
それでちょうど友達が部屋に来たんですけど、もう、いいやと思って、「ごめん、救急車呼んで」って言いました。

そのまま病院に入院して、傷の手当をしてもらい、精神科の診察も受けたんですけど、そのときは病気という診断ではありませんでした。
だけど、自分としては、今まで何をやっても面白くないとか、なんかちょっとおかしいんじゃないかと思っていたので、親に言ったんですよね、「近くの精神科の専門病院に行きたい」って。
親もやっぱり僕の行動がおかしいと思ったのか、すんなり連れていってくれて、入院。

それから、統合失調症とのつきあいが始まりました。

今考えるとやっぱり、何もやる気がしない状態のときに、クリニックなりを受けていれば対処できたかもしれないですけど、ズルズル引きずっちゃったっていうのが、病気を悪化させる原因だったのかなあと思います。

病院に通いながら、工務店や工場などで仕事をしていました。
精神障害者だということは隠していました。ばれたらクビだと思ったので……。
いちばん困ったのは薬の飲み方です。わざわざ飲むところを見せて「持病の薬です」みたいなことを言ってたと思います。
調子悪くなったときはきつくて、手を休めていると、「何、サボってるんだ」って言われる。それなりに不良品も出しましたし、仕事を十分にできなかったり、いろいろありましたね。嘘をつきながら働いていたので、負い目もありました。

 

自分の行動はすべて本に書いてあると思った

仕事しているときも症状はありました。考えがまとまらないとか、人の言動が気になるとか。
幻聴は、ほぼ1日の半分ぐらい、聞こえてました。仕事をしているときは、やっぱり興奮しているので、聞こえるんですよね。とくにやる気を出しているときに。

僕の場合は、「行動がすべて本に書いてある」と思いこむんですよ。おかしな話ですよね。
その本が出回っていて、だから僕の行動はみんなにバレていると……。
今でも少し信じています(笑)。残念なことにゼロではないです。

「よい妄想」と「悪い妄想」があるんです。
よい妄想のときは、「あ、この人、俺に気があるな」とか、「僕は何でもできるんだ」……みたいな。
悪いほうはというと、車の運転をしているときに「対向車とぶつかってみたら」とか、悪魔のささやきのような感じです。
僕の場合はパッと浮かんでくるんですよ、言葉が。それを信じちゃう。本当だと思っちゃうんです。

今はもう、これは幻聴かもしれない、妄想かもしれないと、疑うことができるんですけど、当時はもう、信じこんでしまって、本当か嘘かわからない……。
幻聴っていいますけど、当人には現実の「現」という字をあてはめる「現聴」だって聞いたことがあるんです。確かにそうだなあと思いました。

 

デイケアに通い始め、自分は特別ではないと思えた

退院してからは、デイケアに通いました。精神科のリハビリテーションみたいな感じですね。ゲームをしたり、小旅行したり、手工芸とか、クッキングクラブみたいなものもあったり。いろいろやりました。あと勉強。漢字の書き取りや、計算問題。

最初参加したときは「何だ、この人たちは」と思ったんですよね。でも話をしているうちに、「ああ、同じだ、同じだ」となって。そうすると逆に親近感がわいてくるんです。
囲碁を教えてもらったり、一緒に旅行に行ったりしているうちに、落ち着いてきたというか、しがらみから抜け出せたという感じでしたね。

同じような経験を共有している人たちと話しているうちに「別にこの病気でもいいんだ」と思えるようになりました。「自分は特別ではない」という感じですね。
たとえば、「これ、好きな人?」って言われて、10人いるところ9人が手を上げているのに、自分だけ嫌いだったら、あせるじゃないですか。「え? 俺だけ?」って。それが、みんなも手を上げてくれると、「ああ、よかった」と思える。

回復は、段階的だったなあと思うんです。段階に応じて、ストレスをかけてもらって、徐々にそのストレスを乗り越えていく。
最初はデイケア。みんなと遊びながら心を落ち着けられた。それが最初の回復期。
次に仕事。働いてお金をもらって、自分で稼いだ金で生活をする。そして今は、仕事をあるレベルまで上げるという段階。
そういう段階ごとに、回復が進んだという実感があります。
もし最初にデイケアに行かないで仕事をしていたら、たぶん回復は無理だったかなと思います。あせりは禁物です。

 

人を信じることが大切

将来ですか? できれば建築家になりたいと思っています。
デイケアに来ていたころは忘れていたんですけど、あるときから「そういえば、高校時代、建築を目指したなあ」と思い出して。
あと、もちろん家族をもちたい。やっぱり、健常者と同じように暮らしたいです。
とにかく目標があるので、それに向かって、という感じです。

人を信じて、あせらず一歩一歩。スタッフを信じる、親を信じる。
僕も最初、親が小言を言うたびに、「本当は治ってほしくないんじゃないか」とか思っていたんですけど、のちのち考えるとそれは心配してくれていたんだなあとわかる。
やはり信じられる人がいるというのは大きいですね。
人を信じると落ち着ける。「ああ、この人なら大丈夫だ」って思える。
ひどいころは「こんな病気になるんじゃなかった」と思ってたんですけど、回復するにしたがって考えが変わってきました。「普通の人には体験できない体験をできたなあ」と。

 

 

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