回復へのマイ・ステップ

病気に勝とうとは思わない。引き分けに持ちこめればいい
Yさん (男性・35歳)
【双極性障害 発症時期:大学 現在:福祉施設ヘルパー】

20歳のとき、突然、うつの症状が出ました。
発症した日のことはよく覚えています。大学の仲間とみんなで旅行に行ったんです。
その帰りの新幹線の中で、なんか漬物石をドーンと置かれたような感覚があって……。
その瞬間から、急に焦燥感や不安にかられて。そこから始まったんです、病気が。

落ち込んで3カ月後、急に元気になり

とくに何もきっかけはなかったんですよね。旅行も本当に楽しかったですし。新幹線の中が騒がしかったので、「うるさいな」とは感じていましたけど、それが原因というわけでもないと思います。
それから死にたい気分になるまで、数日でしたね。ものすごい自殺衝動にかられたんです。世の中に自分は必要ない、死にたい、死にたいって思ってました。

ところが3カ月ぐらいして、急に元気になったんです。
今思えば躁状態に変わったんですね。自分としては元気になったと思っただけで、病気だなんて全然気づかなかったですけど。
家出同然で繁華街をふらつくようになるんです。すごくハイな状態で、家にも帰らないし、大学にも行かない。
本当に24時間、繁華街にいるんです。クラブの店員になってそこに泊まったりとか。
ほとんど寝ないんですよ。ずっと歩いていて、街のどこかにいる。ハンバーガー屋で仮眠してみたり。1週間で10時間ぐらいしか寝てないような感じですよね。
妄想はありました。とにかく、何でもできるという気分になっていたんです。「この街を変えるんだ」とよく言っていました。何かを成しとげなければならないみたいな思いで。
その間、病気はどんどん悪くなっていったんですね。

そんなとき、大学の友逹が心配して迎えに来るんです。今思い出しても、そのときにはもう別人でした。つるんでた仲間も見るからに不良ばかりだったですし。
大学では、アルバイトして、サークルもやって、彼女もいてと、本当にありきたりの学生だったんですけど……。

 

病院に連れていかれ、すぐに入院だと言われた

親に病院に連れていかれました。
覚せい剤を打っていると思われていたんですね。一切やってなかったのに。
健康診断を受けに行こうと言われて、行った先が精神科の病院だったんです。
診察したらすぐ入院しなけりゃダメだと言われ、その日のうちに入院となりました。保護室にも入りました。

40日間で退院したんですけど、その後も病気に振り回されていました。
病気だというのもあまりわかってないですし、ことの重大さもわかってない。それで、服薬がルーズになって、再発をしては、また入院。
本当にジェットコースターに乗っているような毎日でしたね、気分の変化に振り回されている。
うつのときは死にたくなる気持ちが強い。それに眠れないんですよ、夜。真っ暗な中で一人で起きていたりとか。
不安でしたね、将来が。レールをはずれてしまったという気持ちもあるんで。

20歳からの3、4年間で入院を4回繰り返しました。
4回目に入院したときに、君に合う薬が見つかったというのを主治医から言われて。
それから楽になりました、本当に自分の症状に合っていたみたいで。
つらかった時期は、波が大きくて振幅も激しかったんですけど、だんだん小さく、フラットになっていきました。
大学は何とか休学もしないで卒業したんですけど。就職活動も何もしていなかったんで、行く場所もないし、鏡を見ながら話す練習をしたりしていました。つらかったですね。

 

生活支援センターへ通ったのがきっかけで、就労へ

何度目かの退院のあと、またひきこもりの生活をしていたんですが、ある日このままじゃダメだと思って、地域の生活支援センターに通おうと思ったんです。
リーフレットをもらって、交番で道を聞き、今の支援センターを探しました。
病気のことを話せる相手がいるというのが何より大きくて。この世の中にこんな場所があったんだって思って、来るのが楽しくてしょうがなかったです。
何というか、許される感じがありましたね。肯定感というか、ここに居ていいよと言われているような感覚がありました。
自分でもやっぱり、ここにしがみつかなければダメだと思う部分もあったと思うんですけれど。

支援センターに通いだしたのがきっかけで、障害者向けの就労センターに行くようになって、そこからは4年くらい、いろいろな職を経験してきました。
30歳ぐらいからは一般就労の仕事に就きました。
作業療法士で精神科にたずさわっていた方が、精神障害者にも一般就労の場をということで飲食のお店を立ち上げたんです。そこのオープニング・スタッフになりました。
まあ1年で倒産してしまったんですけど。

 

父親からの言葉が胸に響く

今は週3日アルバイトでヘルパーをしています。重度知的障害者の日常生活支援です。
実は姪っ子がいるんですけど、障害をもってるんですね。
そういうこともあったのでボランティアに興味をもって、知的障害者の作業所でボランティアをしていたんですけど、その後これが仕事にならないかなと、今の職場にたどり着いたんです。

実は去年も入院したんです。
朝、副作用止めを飲むんですけど、眠くなっちゃうですね。だから薬を抜くようになって、そのうち段々テンションが高い日々が続いて、最終的には、躁状態になってしまって。それで、自分で「入院します」って言ったんです。
今まで入院するとき、すごく家族に抵抗していたんですけど、今回、自分から入院するって言ったから、「それは成長したな」と父親に言われました。

自分が21~22歳、いちばん最悪のときに父親が、「お前には前途洋々たる未来がある」と、毎日言うんですよね。その言葉は効きましたね。
休みの日には釣りによくいきます。父親が釣りをやる人で、よく釣りに誘われていたから、今もいい趣味になっています。

周りから言われていちばんつらいのが、「病気だから無理だ」ということ。
何もできなかった時期が20代にあったので、無理だからとあきらめるのは納得がいかなかった。やってみてダメだったら納得いくんですけど、はじめから無理と言われるのがすごくいやで。
最近、何を言われても「今に見てろよ」と思うようになりました。

 

自分と対話し、無理のない生活を

自分の体験から言うと、回復のために大事なのは薬なのかなと思います。
あと、自分とよく対話すること。自分と対話して、無理のないように生活していくという、月並みだけどそういうことかなと思います。無理すると絶対に体調をくずしますよね。

病気に勝とうと思うことをやめたんですね。引き分けようと思った。戦いはするんだけど、そこにあまり多くを求めないというか……。
これまで、病気に100点くらいは取られたと思うんですけど、今、80点くらいは取り返したかなって思っています。何とか、引き分けにもっていければいいかなっていうことですよね。
病気自体を受け入れて、病気を生活の一部として暮らしていけるようになってきたという感じですね。

 

 

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