回復へのマイ・ステップ

無理はしなくていいと気づいた 夢は移動式のお弁当屋になること
Sさん (男性・31歳)
【統合失調症 発症時期:20歳 現在:調理師】

今年31歳です。心療内科、精神科に初めて行ったのは20歳の頃です。
中学2、3年の頃から友逹とのつきあい方がわからなくなって、
学校を休むようになってました。小学生の頃は優等生。
勉強はクラスで1番で一目置かれているような感じでした。

高校を中退し、寿司屋で働き始める

小学校の頃は優等生だったのに、中学で有名私立校に行ったら全然1番じゃないんです。努力しなくても1番だったのが努力しても1番になれない。それも学校に行けなくなった原因のひとつかもしれないですね。
エスカレーター式で高校に行ったのですが、1年の頃には自分ではどうにもできないところまでいってしまって。孤立して休み時間もいつも一人でした。周囲は中学のときと同じ友逹だったんで、なおさら……。新しい環境だったらまた違っていたんでしょうけど。
それがつらくて全然学校に行けなくなって、高校3年のときに中退しました。

中退して一応就職活動もしたんです。公務員試験を受けて最終面接まで行ったんですけど落ちてしまって。それで大検を受けてから、大学に行ったんですね。
でも、そこでもまったく友逹ができず、1日誰とも話さず……。それで大学も1年もたたずに中退してしまったんです。

その後、寿司屋で働き始めました。朝の9時から夜の10時まで。仕事自体もきつかったんですけど、いちばんつらかったのは毎日のように先輩から怒られていたことです。
飲みに誘われるんですけど、僕あまり人とワイワイやるのが好きじゃない。それで断ると殴られたんですね。仕事よりそっちで怒られたのが多いと思うんです。とても苦痛で、いつも胃の調子をくずしてました。

それで20歳のとき、初めて病院の心療内科に行ったんです。
病院ではそのとき「神経症」と診断されて、胃に効く薬をもらってました。
その後も1年ちょっと何とかやっていたんですけれど、22歳のときに寿司屋はやめました。女将さんに、高校時代からつきあっていた彼女との仲を引き裂かれそうになったんです。「もっと仕事を頑張るように」って。僕のことを大切に思ってはくれてたんですけれどね。

次に社員食堂に勤めた頃は、心療内科に行ってなかったんですけど、チーフに徹底的にしごかれたせいで、また胃がおかしくなって被害妄想も出るようになったんです。
チーフに憎まれているとか、何かひどいことされそうだとか……。

それでまた心療内科に行ったんですが、そこで「統合失調症」と診断されました。うちじゃ難しいということで、今通っているクリニックを紹介されたんです。それが24歳ぐらいですね。

 

自分の存在を消去したくなった

その職場も辞めたんですが、家に半年ぐらいいるとまたよくなるんですよね。
働きたいという意欲が出てくるんです。それで今度は学校給食の職場に入りました。新しい環境に移ると、がむしゃらに働く。
3年目からは責任者としてひとつの学校給食を任されるようになって、そこで3年間チーフを務めました。26歳のとき結婚しました。その、高校時代からの彼女と。

その間も結構、栄養士との確執があったりして、左耳が突発性難聴になって聴力を失ったりしたんですけどね。ただ絶対に休まないという気持ちだけはあって、クリニックに通いながら仕事してました。
ところがあるとき、僕よりも年長で仕事ができる人が下について、その人が僕を邪険にしたというか。パートさんにも自分で指示を出して、パートさんたちもそっちについていっちゃう。毎日つらくて、つらくて。お酒飲んで仕事行ったし、仕事場でも飲んでいた。
薬とお酒を両方飲んで、べろんべろんで仕事してたんですよね。

辞めたきっかけが無断欠勤。「行ってきます」と家を出て、電車に乗った。そのときはもう、「死のう」と思ってたんです。携帯電話を折って捨てて、そのまま旅に出てしまいました。旅先で飛び降りようと思って、1週間滞在したんです。
自殺願望というのはもう高校の頃からあったんです。
すべて終わらせたいとロープを首に当ててみたり。高校3年のとき、自分の存在をすべて消去したくて、卒業アルバムとか持ち物を全部捨てたことがあります。自分を「リセット」したくなるときがあるんです。
連絡をとらずに1週間過ぎた頃に、「ああ、今じゃなくても死ねるなあ」と思って、家に電話して帰ったんです。もちろん妻は心配してましたし、会社から何回も電話があって、それがつらかったと言ってました。うちの実家にも言えないし、妻は一人で抱えていたみたいですね。

 

「社会に戻るんだ」という気持ちを忘れてはいけない

仕事を辞めるか辞めないかというときに、もう1回自殺未遂するんです。家の中をめちゃくちゃにしてしまって……、親から「もうお前、入院しろ」と。
任意入院というかたちで3カ月間、入院しました。去年の5月から7月までです。
入院は楽しかったですね。みんな同じ病気の仲間なんで、語り合ったり、レクリエーションとかも積極的に参加しました。一緒に歌ったり、ボーリングしたり。みんなを引っ張って連れて歩くぐらい、好調になって。
入院仲間とは今もつきあいがありますよ。

退院後は仕事に就くまでクリニックのデイケアに通いました。プログラムが決められているんで、それにそってみんなで遊んだりしゃべったり。
ひとつだけ、ここだけは染まっちゃいけないなと思ったのが、結構、就労をあきらめている方がいるんですよ。そこは違うものをもっていなければいけないと思ってましたね。僕は、社会に戻るんだという気持ちでいつもいましたから。
社会にもう戻れないと思い込んで、そこに落ち着いちゃっている人もいると思うんです。

障害者就労で現在の職場に入ったのが去年の11月です。調理師として働いています。
障害をもっている人ともっていない人が一緒に働く職場だったんですが、人員整理で障害をもっていない3人が辞めたんです。今はチーフのもと、身体障害の2人と働いています。
障害者就労でいちばんよかったなあと思うのは「無理をしなくっていい」と言ってくれることですよね。それは今までといちばん違いますね。今はめちゃくちゃ忙しいから、余裕はないですけど、みんな気をつかってくれるというのが大きいですよね。

 

夢は移動式のお弁当屋をすること

両親とも、医療関係者だったんです。
統合失調症の人とも何人か会っているので、この病気に対する理解が普通の人よりはあって、お前は自分で治せと。本当に困ったときは援助してやるけど、立ち直るのはおまえ自身だと。

入院したときの副主治医の先生が、日頃僕が注意しないといけないことを手紙に書いてくれて、それをいつも持ち歩いています。
そこには「君は不必要な自己不全感を持っている。それは人生においてマイナスになるものだから、そういう気持ちはもたずに、友逹とか家族と温かい時間を過ごしていってください」とあるんです。
「不必要な自己不全感」というのが、すごく自分にしっくりくる。

夢は移動のお弁当屋をやることです。自分で弁当をつくって車で配達する。
やっぱり、人間関係にストレスを感じるのはどうしようもない、直しようがないと思うんです。なので、ゆくゆくは自分で商売をやりたいなと思っているんですけどね。夢ですけど。

 

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