回復へのマイ・ステップ

自分の中にある偏見を乗り越えて、ちゃんと治療を受けてほしい
Tさん (男性・44歳)
【統合失調症 発症時期:19歳 現在:グループホームスタッフ】

中学校のときに、ちょっとダイエットをやって、摂食障害になったことがあるんです。
過食と嘔吐をくりかえすようになって。
19歳で統合失調症を発症するまで、ずっとそれが続いてました。
摂食障害も一種の神経症というかメンタルなものなので、
今思えばそれがひとつの前兆だったのかなと。

そのときは、人生が終わったと思った

19歳で高校卒業して、母の再婚相手である義理の父の元で働きました。建築関係です。苛酷な労働環境で、人間関係も大変でしたね。
ある日、車を運転しているとき、いきなり足の先から、頭めがけて血が逆流してくるような感覚に襲われて、パニック状態のようになってしまった。
一般的に統合失調症って、幻聴とか、電波とかいう例が多いけど、自分の場合はいきなり「襲われた」という感じですね。めちゃくちゃ怖かったですよ。もう錯乱状態というか、訳がわからなくなって、心臓がバクバクいってるし。

それから1週間ぐらいは大変でした。記憶が飛んでよく覚えていません。ただ、大音量で音楽をかけて、部屋に閉じこもっていたのを覚えてますね。
ほっといたら、ずっと続いたんじゃないかなと思うような、怖い体験でしたね。

もう精神科に行くしかない、ということで母が電話帳で調べて行ったんですけどね。
その日は注射を打たれて帰ったんです。そして家で倒れこむように寝て。次の受診に行ったら、入院ということになったんです。
私は神経衰弱って聞かされたけど、親は本当の病名を知らされたそうです。
最初、保護室という個室に入ったんですよ、急性期だったので。そのときは「人生、終わったかな」という気がしましたね。

 

入退院を4回、くりかえした

4カ月ぐらいで退院したんですが、病気という意識が薄いので、薬をやめてしまったんです。
母も義理の父も昔かたぎの人、働かなけりゃ男はだめだという価値観なので、すぐ働きに出されました。
会社の寮で住み込みで働いたんですけど、薬を飲んでいないから眠れないんですよね。それで、無断欠勤を繰り返して……。
本当は家にこもって休んでいるべき時期なのに、家を追い出されて仕方なく職場で人間関係を築いた。けんかしたりとかはないけどつらくて、いつの間にか仕事に行かなくなりました。

結局、入退院は全部で4回です。最後に入院した当時、精神科の病院には院外作業といって、病院から外の工場に働きに出ていくシステムがあったんですよ。そこの工場の社長が「退院してうちで働け」って言ってくれて。
仕事先があるから、とうちの親も納得して、やっと退院できたんです。
でもその仕事も長くは続かなくって、その後トラックの運転手とか、タクシーの運転手とか、いろいろ経験してきました。

 

彼女にカミングアウト、そして結婚

4回目の退院以降は、わりと順調にきています。
主治医から「この病気は長くつきあっていかないといけない」と言われたのと、「薬はパートナーとして飲んでください」と言われたのが、すんなり胸に入ったんですよね。
だから4回目の退院のあとは薬をちゃんと飲むようになったんです。それがいちばん大きかったですかね。夜、眠れるし。 結婚もしました。

トラックの運転手をやってた30代前半に交際するようになって、最初病気のことは言わなかったんですが、あるときカミングアウトしたんです。
彼女はそのとき、精神障害のことについて、本当にまるで何も知らなかったんです。
「退院して地域で暮らしているならいいじゃない」と言って受け入れてくれたんです。
でも、うまくいかなくて1回、別れちゃうんです。
2年ぐらいたって再会するんですけど、そのときに彼女は、精神障害の作業所で職員の仕事をしていたんです。私のカミングアウトがきっかけだった思うんですが。
こういう理解のある人もいるんだと……、ほだされてというか。それで結婚しました。
彼女のことがきっかけで、私も地元の作業所に行くようになったんですよね。

 

当事者たちの情報共有の場をつくる

数年前、作業所の仲間と声を掛かけあって、病気の当事者が集まる「当事者会」をつくりました。39歳のときです。
だいたい、病院などがあと押ししてできるケースがほとんどなんですけど、私のやっている会は、あくまでも本人たちが集まった、自然発生的なものなんです。
作業所に行ったことがきっかけで当事者活動をやろうと思ったんです。来ている人たちのあまりにも他力本願なところが気になって、自分たちで何かできないかと思ったのがきっかけです。

いちばん大事にしているのは当事者間の情報共有。「ここの病院はいい」「こういう社会資源があるよ」「落ち込んだときはこういう対処をしているよ」といった情報を共有する。
専門家ではない、当事者が自分の経験を通したことなので理解しやすい。年金のことを初めて知って申請してもらった人もいる。
そういった情報共有って大切ですよね。
月1回、必ずミーティングを開いていて、機関紙も毎月発行してます
ミーティングでは誰かが一方的に話すというのではなく、全員が順番にしゃべるようにする。もちろんパスもありですが、一人ひとり意見を回していく。
たとえば「働くこと」とか、「薬のこと」とか議題を設けて、それについて発言する。
うちのミーティングの面白いところは休憩時間がやたら長いこと。親睦が深まるし、当事者同士の雑談の中で役に立つ情報が得られるんです。

当事者がもっと問題意識をもってほしいという願いで運営されています。
差別、偏見がいまだに根強い社会の中で生きていくときに、本人たちが問題意識とか危機感をもっていないと、いくら支援者や家族が頑張ってもだめなんじゃないかと思うんです。

 

病気を味方につける

当事者活動が縁で、グループホームの仕事に就きました。当事者スタッフとして働いてます。これは本業、賃金を得るための仕事。当事者会は自助グループとしての活動です。
現状ではこの病気とか障害を逆手にとって生きています。強みに変えているので割とマイナス面はないです。まあ、たまに動悸がするとか以外は、病気を味方につけています。
こういう言い方は語弊があるかもしれないけど、この病気になってよかったのかなあとか思うんです。なりたくてなるわけじゃないと反発する人もいるんですけど、でも自分にとっては病気になったから今があるのかなあと。

こういう病気になったからといって人生決して終わりじゃないし、病気になったらなったなりの人生があるから、悲観的にならないでほしい。
そしてちゃんと治療は受けてほしいですよね。
自分の中に偏見があって、精神科になんか行きたくないと言って、こじらせてしまう人がたくさんいるので、そういうことはなくすようにしたいですね。

 

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