2019年に妻を亡くし、家族として臓器提供を決断した荻野泰弘さん。現在も牧師として勤める教会で、自らの経験を語っていただいた。
「知った上で選べる社会へ」ある家族の経験
前編では、臓器移植という医療の現状と、提供する・提供しない・移植を受ける・受けないという4つの権利が、どれも等しく尊重されることをご案内しました。後編でお話を伺ったのは、2019年に奥様を亡くし、臓器提供という選択をした荻野泰弘さんです。「臓器提供をするか、しないか。」その選択に正解があるわけではありません。もし突然、家族の臓器提供について意思を確認することになった時、私たちはどう向き合うのでしょうか。ご家族の側から見た移植医療を紹介します。
二人で決めていた、臓器提供の意思
荻野泰弘さんご夫妻には、3人のお子さんがいます。2006年10月、真ん中のお子さんを心臓の病気で亡くしました。妊娠中に異常が分かったのですが、奥様の希望で出産。生まれて6日での別れでした。
3年後の2009年ごろ、15歳未満の子どもからも脳死下の臓器提供ができるようにする臓器移植法の改正が決まり、その報道番組を夫婦で見ました。
「心臓移植を待機しておられるお子さんたちのご家族の思いに触れたときに、決して他人事ではないと感じました。もしもそういう機会が訪れたら臓器提供をしようと、二人で話し合って決めました」
二人は当時の健康保険証の意思表示欄に記入しました。
反射的に「あります」と答えた
奥様が倒れたのは、2019年のある日曜日の午後でした。夫妻が牧師を務める教会の3階ホールで、来訪者と話している最中のことです。
別の階にいた荻野さんが駆けつけると、奥様は呼びかけに反応しませんでした。救急車で搬送されます。原因は脳幹部のくも膜下出血でした。
救命救急センターで担当医から告げられたのは、「助かる見込みはありません」という言葉でした。荻野さんはその3年前、母親を同じ脳幹部の出血で亡くしていました。見せられたMRI画像も、そのときと同じでした。
担当医は言いづらそうに問いかけました。「奥様は臓器提供の意思は持っておられますか」。荻野さんは、反射的に「あります」と答えました。
「妻に対して何もしてあげられない中で、この地上で最後に妻のためにしてあげられること……そんな気持ちでした」
ただ、この時点ですべてが決まったわけではありませんでした。
かつては奥様も牧師として働いていた教会。2019年、奥様はこの場所で倒れ、救急搬送された。
翌日の病状説明には、高校3年生と小学5年生だった息子さん2人も同席しました。担当医は子どもたちにも、母親の状態をありのまま伝えたといいます。
「気休めはなかったです。もう現実は現実として、厳しいこともありのまま話してくださった」
日本臓器移植ネットワークの臓器移植コーディネーターが訪れたのは火曜日ごろでした。荻野さんたちは2〜3日かけて説明を受け、親戚にも反対がないかを確認したうえで、承諾書に署名しました。
その後、奥様は脳死と判定されました。家族が病院に詰めるなか、摘出手術が行われたのは倒れてから1週間後。臓器は6人の方に提供されました。
残された日常と、支えてくれた人
病院から戻った家には、生活がそのまま残っていました。飲みかけのマグカップ、洗濯籠の衣服。2か月ほど前に買い替えた洗濯機は、奥様が「これが自分の身長で操作しやすいから」と選んだものでした。
「洗濯機を回したとき、妻はもうこれに触らないんだなって思って……」
そんな日々を支えたのは、周りの人たちでした。親戚、牧師仲間、教会のメンバー、お子さんの学校の担任やママ友。「多くの人に寄り添っていただいたので、それで支えられた」と荻野さんは振り返ります。
日本臓器移植ネットワークは、臓器を提供した「ドナーのご家族のための集い」を年に1回開いています。荻野さんが初めて参加したのは2023年、息子さん2人と一緒でした。時間の大半は同じテーブルを囲む遺族同士の懇談です。
「(臓器提供を経験していない人に)思いを話してもなかなか理解してもらえない。やっぱり経験しているからこそ、お互い通じ合えるというのがあります」
同じテーブルの方と翌年も再会し、「また会いましたね」と声を交わす。臓器提供や家族を亡くした経験についてだけでなく、そのころ世間で話題になっていたニュースなど、何気ない世間話で盛り上がることもあったといいます。
「もうこれを最後にしようと思っていたんだ」という方が、「またもう少し来ようと思う」と言葉を継いだそうです。
「ドナーのご家族のための集い」では移植を受けることができた全国のレシピエントから届いたメッセージやご家族から寄せられたドナーとの思い出のお写真を紹介しています。
「無理をしない」という選択
荻野さん夫妻は、臓器提供をすることを選びました。しかし、自らが提供を経験したからといって、誰もが同じ選択をするべきだとは考えていません。
大切なのは、本人の意思だけでなく、残される家族の気持ちも含めて考えることだといいます。そのためにも、自分がどうしたいのかを生前から家族と話しておく必要があると、荻野さんは考えています。
荻野さん自身、臓器提供を決めるまでに臓器移植コーディネーターから2〜3日かけて説明を受けました。その経験を振り返り、「『しなければよかった』というのは、とても哀しいことだと思うので、できるだけそれを避けるためにも」と、時間をかけて意思を確認することの大切さを振り返りました。
知った上で、選べる社会へ
聖書を語っている最中に倒れた奥様の最期を、牧師として、また元看護師として、人生を全うしたと荻野さんは受け止めています。
「私の中で、妻の死に対する臓器提供というのは、尊厳というものを与えてくれたと思っています」
受け取った側への思いも語ります。移植を受けた方のなかには、「そうまでして自分が生きる価値があるのか」と悩んできた人もいるといいます。
「私は妻の死に大きな意味を感じ、ある種の誇りも感じております。受け取ってくださった方が人生をまっとうしてくださったら、うれしく思います」
そして荻野さんは、臓器移植について知り、考える機会が少しずつ広がっていくことにも期待しています。荻野さんの息子さんが中学生のとき、学校の授業で臓器移植を扱い、感想文に自分の経験を書いたそうです。こうした地道な取り組みが続いていることに、荻野さんは希望を見ています。
「提供することが全てではなく、そのことを知った上で、するかしないかが判断されていく社会になっていくのだろうと思います」
まとめ
荻野さんが繰り返し語ったのは、臓器提供を勧めたいということではありません。提供するか、しないか。移植を受けるか、受けないか。大切なのは、それぞれの選択が尊重されること。そして、いざというときに家族が向き合えるよう、まずは臓器移植について知り、自分はどうしたいのかを考えてみることです。身近な人と話しておくことも、その一歩になります。
◾️もっと知りたい方へ
- 臓器移植対策について:臓器移植対策について|厚生労働省
- 「臓器移植普及推進月間」について:「臓器移植普及推進月間」について|厚生労働省
- 臓器移植に関する権利/意思表示の方法: 臓器移植に関する権利/意思表示の方法:公益社団法人 日本臓器移植ネットワーク
- ドナーご家族へのサポートについて:ドナーご家族へのサポートについて:公益社団法人 日本臓器移植ネットワーク
他の特集記事を見る
