インタビュー

米田 功さん
「ケガのリハビリ中は、こころと向きあう時間。
同じ悩みをもつ選手から、こころの元気をもらいました」
バレーボール選手
栗原 恵 さん

コンプレックスのかたまりだった中学時代

Q4
中高生の頃は、どんなことで悩んだりしていましたか?
A
中学生のときと高校生のときでは、悩んでいたことが違いましたね。中学生の頃は、ほかの人はバレーボールがとても上手に見えて、自分はコンプレックスのかたまりでした。というよりも、バレーボール部にはほんとに上手な人ばかりで、他人がうらやましくてしかたなかった。それに比べて「自分はなぜできないんだろう」。そればっかり考えていましたね。

できない自分がとにかく大キライ。でも、そんな自分のことを認めてあげられるようになりたい。自分が好きになれるように頑張りたい !

あの人はどうしてうまくなったんだろうと考えながら、やっていたような気がします。後になってみると、できない自分を何とかしたい、克服したいと思う気持ちがモチベーションになって、バレーボールを続けられたんですね、きっと。

プレッシャーに押しつぶされそうだった高校時代

Q5
高校では、日本一を目指してバレーボールをしていた栗原さんですが、相当なプレッシャーの中で生活していたのではありませんか?
A
高校1年生のときからレギュラーとなり、先輩と一緒に試合に出るようになりました。

高校2年のときまでに4冠を獲得して、いよいよ5冠目のタイトルがかかった試合の最中のことです。
ストレスから、コート内で体がけいれんして動けなくなってしまったんです。

結局、自分のせいで試合に負けてしまったことが、その後ずっとトラウマになっていました。
今思い出しても、つらい体験ですね。

自分からこの話ができるようになったのは、つい最近になってからなんですよ。
何とか話せるようになった今は、失敗した自分を受け入れられるようになったということですね。

母親の手紙をこころの支えに

Q6
そんなつらい気持ちを、わかってくれている人はいましたか?
A
やはり家族ですね。私の場合は中学2年生のときから家族と離れて暮らしてきましたから、実家に帰ったときに両親や3歳上の兄に相談したりしていましたね。

家族に話すと、気持ちが安らぎます。
でも、家族に電話できるのは1日5分間というバレーボール部の規則があったので、母親はよく手紙を書いてくれました。
「メグは頑張ってるんだから、これ以上頑張りすぎなくていいからね」って書いてあったんです。

練習することが不安で仕方なくなるくらい、大きなプレッシャーに押しつぶされそうな日々でしたから、母親の手紙を読んでは練習に望みました。

全文をソラで言えるくらい何度も読み返しましたね。
そんな母親の手紙が、くじけそうな私を支えてくれていたと思います。
家族は何も言わなくても気持ちを悟ってくれる大事なこころのよりどころだと思います。
近くにいてくれるだけで安心できる存在です。

友達から「両親がうざい ! 」なんて聞かされると、
「なんてぜいたくなことを言っているんだろう。もったいないことをしているな」と思います。
家族と離れて暮らしていたから、家族の大切さが余計わかるのかもしれませんね。

 

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