わたしたちにできること。ハンセンびょうを知り、差別や偏見をなくそう。厚生労働省
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ハンセンびょう患者、元患者の人権回復

私は、ハンセン病療養所に暮らしている元患者の家族の一人です。元患者の立場から、私や仲間たちの生の声をお伝えします。かたりべ

「もう母に一生会えない…」

元患者の一人(16歳で療養所に入所)はこういいました
 幼い時に発病した私を、母は学校にも行かせず、家の外にも出さず、大切に育ててくれました。しかし、戦争が近づくころ、患者は根こそぎ収容されることが伝えられました。家に踏み込んできた保健所の人は、母の訴えには耳を貸さず、容赦なく私を連れて行きました。
 私が発病すると、私たち一家は村八分(仲間はずれ)にあいました。親しかった隣人たちも寄りつかなくなりました。幼い妹はほかの子に遊んでもらえず、弟もいじめにあい、婚約していた姉は破談(結婚の取り消し)になり家を飛び出しました。私は家族への迫害(苦しめ悩まされること)を断ち切るために療養所へ行くことを決心したのです。

<ある元患者さんの話より>

「人間として堂々と…」
 

元患者の一人・千葉龍夫さん(12歳で療養所に入所)はこういいました
 「私はただ病気になっただけで、何も悪いことはしていない。悪いのは国だったのです。でも差別偏見を改めてくれといいながら、その本人が姿を見せないのでは、社会は理解してくれないと思うのです。私のような後遺症の強いものがと、まわりにはあきれている人もいます。残りの人生なんてもうカスみたいなものかもしれないけれど、おふくろと少しでも人間として堂々と歩いていきたいのです。」

<千葉龍夫さんの話より>

「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟に至ったわけ
 

元患者の一人・田中民市さんはこういいました
 「らい予防法」がいかに私どもの人生を奪い取り、家族まで差別と偏見の中でバラバラにしてしまったか。強制収容、終生隔離で死んでいった仲間は全国で2万3千有余、星塚敬愛園でもすでに1800人を超えています。…人が人として扱われない生活が強いられ、「らい予防法」の下でしか生きられない時代が長く続きました。私どもは、この裁判を「人間裁判」として、侵害され続けてきた人権の回復をはかるとともに、多くの人々の間に、いまだに残る偏見と差別を取り除くことを願い、国民の皆さんのご理解とご協力を求めて立ち上がりました。「らい予防法」廃止の時に、国は「臭いものに蓋」の考えではなく、悪法90年の歴史の真実を検証して、その責任を明確にしてほしかったと思います。それが、平均年齢75歳を過ぎた者たち13名が裁判に立ち上がった理由です。

<田中民市さんの話より>

 
●人権尊重の精神を持とう
今の社会の中には、この病気だけではなく、人種、年齢、障害、性別、門地などによる差別や偏見があります。そうした人権をめぐる様々な問題を解決していくためには、一人ひとりが人権尊重の精神を持つことが大切です。人権が尊重される社会の実現に向けて、わたしたちに何ができるのか、是非考えてみてください。
●家族みんなで話し合ってみよう
  わたしたちにできることな何か?

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