草津温泉とハンセン病
草津温泉とハンセン病
コンウォール・リー女史
草津温泉は古来より湯治湯として知られていましたが、ハンセン病患者が多く集まってきたのは明治時代に入ってからと言われています。ハンセン病患者が多く草津に集まったため、ハンセン病患者の地域がもうけられました。この湯之澤部落は、当時の草津町の行政区の一つとして認められていました。また従来の湯畑を中心とする地域が上町、湯之澤部落は下町と呼ばれていました。境はありましたが往来は比較的自由だったようです。しかし「癩(らい)予防法」の制定や「無らい県運動」の高まりもあり、昭和17年に湯之澤部落は解散し、地域住民の多くは栗生楽泉園内の自由地区(下地区)に移転することとなりました。下地区では有資産患者向けの建て売り住宅や自己資金での住宅建設がなされ、湯之澤から小学校や教会も移築されました。
草津でハンセン病患者に対する救済活動においてもっとも有名なのがコンウォール・リー女史による聖バルナバ・ミッションです。大正5年よりリー女史は、湯之澤部落での活動を開始し、私財や寄付金により生活困窮者の救済にあたりました。聖バルナバ・ミッションは昭和16年まで継続されました。
現在は、下地区で暮らす入園者は少なくなりましたが、宗教関連施設など当時をしのばせる建物が点在し、昔の面影を残しています。
参考文献:
北原誠:楽泉園自由地区の形成に至る歴史的背景の特異性(旧湯之澤区と楽泉園自由地区の関係).日本ハンセン病学会誌80.249−259(2011)
草津のかあさまと聖バルナバ・ミッション展:日本聖公会北関東教区(2011)
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