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第三点目ですが、運営のシステムだろうと思うんですけれども、いろいろな福祉施設
を拝見したり、訪問したり、実際に自分でも利用者になった経験からしますと、一般的
に公的な福祉サービスを提供する施設というのは、しばしば働く人の福祉の方がそこに
預かってもらっている児童あるいは高齢者の方の福祉よりも優先する場合が多い。それ
に対して、私的な福祉機関、福祉施設の方たちは、ピンからキリまでありますし、経営
者の資質にもよりますけれども、多くの施設においては自分たちのセールスポイントを
つくろう、特徴を出そうと自分たちが市場で評価されるための努力を重ねているわけで
す。それこそ多様ないろいろなサービスを提供しようという意欲にあふれて運営されて
いるところが多い。
ですから、施設とか、設備の水準においては、一般的に言えば公的施設の方が優れて
いるし、資格を持った職員の方、そういった数的な、物量的な部分で比較すれば、公的
な福祉施設の方がずっと優れているんですけれども、運営のシステム、サービスの水準
、そういったようなものを比較してみますと、しばしば私的な福祉施設の方が優れてい
る場合があるというのを拝見しますと、何か改良が必要なのではないかなということを
痛感させられます。
例えば、私は2人の娘のうち1人は公的な保育所、1人は私立のところにお願いしま
したが、例えば時間が来たらおしまいというような施設と、時間が来たけれども今日は
遅くなっているんだから、規則外だけれどもちょこちょこっと預かっておいてあげます
ねというふうに運用の弾力性を発揮出来るところと、これはどこが違うのか。働いてお
られる方たちの善意を疑うものではないんですけれども、その運用で自主性、創意工夫
、その多様性へのチャレンジということが出来る福祉施設と、出来にくい福祉施設とい
うのがあるのではないかなというようなことを痛感しております。是非今後そういった
部分についても行政がどこまでやるべきなのか。行政が本当に多様なニーズにこたえら
れるようなサービスの運営が出来るのか。設備をつくり、施設をつくることは可能なん
だけれども、運用が出来るかどうかということまで考えた議論が必要なのではないかな
というような気がいたします。
第四点、人口政策の点に関しましては本当にG委員のおっしゃったことをエンドース
いたします。エンゼルプランにいたしましても何をしましても、行政が何か子供のため
に施策をすると、そうすれば子供が増えますかというふうにかえってくるような考え方
をなさる方がまだまだたくさんおられるんですね。子ども自身の福祉のためであって、
本当に人口政策のためにやるのではないということを声高にコメントしないと、大変誤
解を招くことが多いだろうというふうに思います。
一応それだけ、長々と発言して申し訳ありません。
○部会長代理 どうもありがとうございました。
○J委員 私も、一番最初にA委員がおっしゃられたことにちょっとコメントしたいん
ですが、本当に必要なところへの援助という点で、どんどん絞っていきますと、今やら
れている中でも31ページの補完的機能の段階のところに書いてあることだと思うんです
。
それで、本当に必要な援助というベースとは何かということと。今一つそのレベルの
問題も議論をする必要があるんじゃないか。本当に子供が養育機能を掲げている。そう
いう子供たちの援助をするべきレベルというのは一般家庭より少しぐらい低くてもいい
のではないかというふうな感じではいけない。必要な部分をどういうふうなレベルでど
ういうふうに確保していくのかという種類の問題がある。本当に必要なところについて
は自立支援になるようなところまでフォローしていく、ということをこれからやってい
くべきではないかというふうに思います。
それからもう一つ、市場原理という話について、やはり受益者は子供ですから、子供
が選べる訳ではない。それを選ぶのは大人たちであるということは注意しておかなけれ
ばいけないと思います。したがって、それは運営の問題ではないのかという感じがいた
します。
それから、31ページに書いてある再配分的支援というところで、子育て家庭と子供の
いない家庭との公平を確保する観点というふうな言葉が使ってあるんですが、人口政策
的な意味で議論をしていくとよくこういう言い方がされる。そうすると、DINKS、
子供を産まない夫婦はぜいたくをしている。あるいは、独身の女性とか男性というのは
わがままだというふうなとらえ方に短絡的に言うとなるので、この公平を確保する観点
ということはどういうことを意味してくるのかという議論になる。
「家庭における子育てに対する社会的支援の視点」は、厚生省はこう考えている訳で
はない、こういう議論があるということで整理をされたということですので、こういう
ふうなメモは、議論を促出するという意味でこうした論点を出していただくのはいいこ
とだと思います。
○部会長代理 ありがとうございました。
○K委員 いろいろお話を伺っておりまして、本当の日本の社会は豊かになった訳であ
りますけれども、殊、子育てに関しては非常に深刻な問題が多い訳でございますね。
それで、その現状を踏まえてこれからどうしたらいいか。その場合、基本的な考え方
としてどういうふうな考え方をすべきかというのは、この部会の基本的なテーマだろう
と理解しておりますけれども、やはり前提としてよく言われる男女共同参画型社会とい
いますか、これは前提として考えていかなければいけないんだろうと思っております。
さっきF委員がおっしゃいましたけれども、私も昭和38年ごろからのいろいろな委員
会の答申のサマリーを見ていまして、ニュアンスが随分変わったなというふうに思って
おります。社会的な価値観の推移といいますか、価値観というのはそもそも個人のもの
なんでしょうけれども、何となく私はその個人の価値観の漠然とした集合体みたいなも
ので、社会全体にある一つの価値観みたいなものがあるような気がするので、よく社会
的価値観と、これは認められた言葉かどうか分かりませんが、私は勝手にそう使ってい
るんです。
ただ、私自身は今もう60歳近くなっておりますし、もう父親ではなくて父親OBの方
なんですが、自分の子供たちが育つ過程ではかなり、女房は全然評価しておりませんが
、私としては共同参画でやったなと、こう自負しておるんですね。
例えば、子供たちを風呂に入れるのはほとんど毎日私の仕事でございましたし、子供
が寝つくまでアメリカ滞在中にベッドルームへ送り込むまでは2時間私が責任を持って
、食事の時間を含めて面倒を見るというような生活をしておりましたから、かなり自負
しておるんです。
それからもう一つ、さっきG委員がおっしゃいましたノルウェーの1年のうち1か月
でございますか、私はそれもいいですけれども、むしろ毎週水曜日はパパの日みたいな
ことでやると、お互いにローテーションが組めていいんじゃないかなどと思っていまし
て、もう一遍に父親になりたいなと思いながらその話を伺っていた訳でございます。
ただ、そんなふうに考えている私でございますけれども、社会的価値観がやや振り子
を振り戻そうとする力が働いて、少し振れ過ぎているところがありはしないかなという
ことを実は心配しておるんです。
と申しますのは、決して子育ての役割を女性に押し付けるとか、そういう下心があっ
て申し上げる訳ではないんいですけれども、しかし、私はやはり母親というものの存在
価値といいますか、偉大さといいますか、そういったものについての社会的な理解と尊
敬あるいは女性自身の誇りみたいなものをもう少し助長するような論調がオピニオン・
リーダーの方々から出てきてもいいのではないかなという気がしてしようがないんです
ね。
それは、決して母親だけに育児を押し付けるという意味ではありませんけれども、し
かし、やはり母親だけしか出来ないことというのはやはり現実の問題としてあると思う
んです。これは冗談で言うとまたからかわれてしまいますけれども、哺乳瓶は随分持っ
てミルクをやりましたが、私自身は勿論父乳などは出しませんし、これはしようがない
と思うんです。これは絶対的なことであって変えようがないです。だからといって、母
親に全部押し付けろという意味では決してありません。その点は誤解のないようにお願
いをしたいと思うんです。
それから、この場ではなくて保育問題検討会でございましたか。あの場でも何人かの
方からの意見を拝聴した訳でありますけれども、育児休業がありながら取りたくないと
いう人もいる訳ですね。これは、私はちょっと行き過ぎではないかなという気がするん
です。なぜ取りたくないのかということを伺ってみますと、経済的理由ではない。むし
ろキャリア形成上マイナスになるというようなお話を伺いました。私ども男性の方がそ
の辺はかなり進んでおりまして、会社の仕事よりは家庭の方がよほど大事だというのが
最近のアンケート調査の答えでございますし、私もかなりそういう考えですが、昔は正
直言って違いました。35歳ぐらいまでのときは、確かに私も猛烈サラリーマン的メンタ
リティーを自分自身で持っていたと思いますが、この点も大分変わってきている。
最近はむしろ、一部のキャリア志向の女性の方の方がキャリア形成上マイナスになる
からということで、せっかく子育ての大事な、一生の間にその時期しか経験出来ないよ
うなことさえも犠牲にしてキャリア形成に走るというのは、これはいささか走り過ぎで
はないかなという感じがいたします。
ただ、そうは言いながらも、先ほどH委員、それからどなたかもおっしゃっていまし
たが、今はおばあちゃんもいない、隣近所のつき合いも余りない、母親が非常に孤独感
にさいなまれるという現状がある訳でございますから、それは何としてでも、A委員は
お帰りになってしまいましたが、財政的なバックアップでやるのかいいのかどうか分か
りませんが、社会的な仕組みとしてこれは子育て支援ですね。これは何とかしていかな
ければならない。
そういう意味で、さっきZ委員がおっしゃいました、母親OBで時間のある方々に大
いに活躍していただくなどというのは非常に名案だなと思って御意見を伺わせていただ
きました。
ただ、いろいろ申し上げましたが、やはり忘れてはいけないことですね。これは保育
問題検討会のときも申し上げましたけれども、社会全体が豊かになったとは言いながら
、パーセンテージとしては昔から比べますとうんと低くなった訳ですけれども、非常に
困っている人たちもいる訳でございますから、世の中全体が豊かになったからというこ
とで、そちらの方へ視点が移っちゃって、本当に困っている人たちに対する配慮という
ものが薄くなるようなことがあったら、これは私は本末転倒だろうと思うんです。そう
いう意味で、保育料の弱者に対して厳しくなるような改定には私は賛成出来なかった訳
でございます。
それからもう一つ、人口政策ということについて幾つか御意見が出ておりました。私
はこれは多分、私自身が無知なためだろうと思うんですけれども、何かこれがタブーに
なっているのは、昔のナチスの時代とか、戦前の日本の産めよ増やせよみたいな、そう
いうイメージがあるからでございましょうか。私はそのミクロのレベル、つまり個々の
レベルについて強制的に産ませるとか何とかというようなことがあっては絶対にならぬ
と思うんです。
ただ、国全体としての長期的な国家の安定なり、繁栄なりというものを考えますと、
むしろ私は逆説的かもしれませんが、人口政策的な視点をもし国家なり社会なりが全然
持たなくなったら、これはおかしなことではないかという気がいたします。ミクロのレ
ベルはいけませんよ。しかし、マクロのレベルでバランスのとれた均衡のある社会を永
続的に安定的に保持していくということは当然のことでございまして、そのときに合計
特殊出生率が下がっても、それは個々人の自由であって、国家は何もそれに対する施策
をしてはならぬというようなことであったとしたら、私はそれはちょっと理解が出来な
い訳でございます。
そういう意味で、言葉が適当かどうかは分かりませんが、大いに人口政策的な視点は
私はむしろ持たなきゃいかぬのじゃないか。それは強制ではなくて、何らかの形でそち
らの方向へのいい意味での誘導といいますか、そういうものはあってもよろしいんじゃ
ないかと思いますが、もし私の理解が間違っておりましたら御享受をいただきたいと思
います。
以上でございます。
○部会長代理 ありがとうございました。
○L委員 私は、最も原始的という言い方はおかしいですけれども、初期の保育所の出
身者と申し上げていいのではなかろうか。戦前でありまして、保育所ではありませんで
託児所ということであります。そこの出身者ということなんですが、私の母親の実家は
農家なのであります。それで、戦時中ですから家族が出征をしまして、働き手がいない
から私の母親が実家に手伝いに行く。ついては私を季節的に託児所へ預けたということ
でして、最初にスタートしたころの託児所の出身者ということなんです。
それで、私は市役所へずっと勤めて今日まで来ておるんですが、入りましてケースワ
ーカーをやりました。その当時の保育所といいますのは、皆さん戦後、生活がつらいも
のですから、内職をして子供さんを保育所へ預けたというのがほとんどだったというふ
うに思っています。ですから、やはり貧しい中の保育だったなというふうに感じており
ます。
そういう視点から見ますと、今は保育のお母さんあるいは世帯というのはみんな中間
サラリーマン層だということでありますから、随分と経済的な視点で言いますと変わっ
てきておるということは、私も実はそのように思っています。ですから、救貧的型の児
童福祉から、やはりこれからは社会的サービス型の児童福祉ということになるのではな
かろうかなというふうに思っておるんです。
救貧型の児童福祉という時代の言葉の使い方は、措置という言葉でございました。か
ねがね思っておるんですが、措置という言葉もそろそろその言葉の現代的意味であると
か、措置制度の現代的な役割とか、こんなことを見直してもいいのではなかろうかとい
うことを思っておる一人なのでございます。
それで、措置に代わるどんないい言葉があるかなというようなこともときどき考える
のでありますが、保障という言葉はどうだろうかということを思っておりまして、こう
いうことの検討も50年たった後の一つのテーマではなかろうかと思っています。
母親の就労ということが出てまいりまして、この母親の就労は女性の社会参加であり
ますとか、あるいは男女の平等ということからいたしまして当然のことであります。女
性の就労も職業として社会的な責任の下で行われる訳でありますから、私はやはり働く
人の立場というものに合った保育所の施策というのが展開されて当然だというふうに考
えております。そして、その場合はやはりお子さんに視点を置きまして、子供さんの健
全育成とか、あるいは人権の確保とか、そういう視点で最も子供さんにふさわしい最善
の環境をつくっていくということでなければいけないというふうに思っております。
母1人がいて、子供さん1人がいて、そしてウサギ小屋みたいな密室で生活をすると
いうのは、考えようによりますと大変に異常なことだというふうに思っていまして、そ
んなことだったら母親が勤めて、そして帰宅をして、帰宅したときに自分の子供を抱き
締めるという方がよほど自然だなと、そんなことを思っておるんです。
それで、よく子供は3人欲しいという母親の言葉を聞くことがございます。先般も金
沢市は市立病院を持っておるんですが、市立病院の看護婦さんに集まっていただきまし
て、そして昼食を食べながらいろいろなお話を聞いたんですが、「市長さん、3人目の
子供が欲しいけれども、やはり看護婦という職業柄なかなか難しい」ということでござ
いました。私は随分とその言葉に心が動きまして、直ちに返事はしなかったんですけれ
ども、しばらく間を置きまして考えました。
そして、今ちょうどお子さんの数が総体としますと減っています。そういたしますと
、保母さんの総定数を増やさなくても看護婦さんの期待にこたえられるという結論を得
ましたので、24時間の子供さんの保育をやってみたんです。それで、非常に心配してお
りましたけれども今、子供さんは9人集まってきています。母親の職業は、看護婦とマ
ッサージ師です。それで、この間も夜中にその保育所へ行きまして子供さんの状況を見
ておるんですが、保母さんにお風呂へ入れてもらって、きれいなつやつやした髪をしま
して寝ている姿を見ますと、やはりやってよかったということをつくづくと思っておる
んです。
先ほど保育料のお話が出ましたけれども、やはり未満児を何人か抱えますと、保育料
は私は中間サラリーマン層にとってもちょっと高いという感じを持っております。それ
で、今どういうことをやっておりますかというと、去年から保育所へ子供さんを3人預
けている場合に、3人目の保育料を市の単独で軽減しました。ただにしてみました。そ
して、もう一つやりましたことは、未満児が2人入所をしております場合、2人目の保
育料を3分の1にまけてみました。そうしたら、そういうことであれば子供を産んでも
いいという方が実は出てきまして、私も子供さんを1人でもよけいに欲しいというとき
にはいろいろと環境を整備しなきゃだめだということを思っておるんです。これからも
こういうことをしていかなければいかぬというふうに考えておるんですが、お子さんが
少ない場合のいろいろな問題点というものも多面で指摘をされております。
それで、私は二つだけ心配なことがあります。子供さんが少ない場合に、1人である
とか、2人であるとか、そういう場合には対人関係をつくっていくこと、そのことの能
力が低下することが大変私自身心配であります。人と人とのかかわりについて考える、
そういう能力がお子さんになくなったら大変困るなと。
例えば、家庭を超えて、そして社会的な弱者を思いやるとか、社会的弱者に配慮する
というふうなことは、やはり人と人との関係が基本にありますから、福祉というものを
大事にするときには、やはり対人関係をつくっていく。そのためにも、私はやはり少子
化というのは1つの問題点を含んでおるということを考えています。
もう一つの心配でありますが、お子さんがもしも親を先に亡くした場合、そうしたら
子供さんはどうやって暮らしをしていくんだろうかということを考えますと、この点も
やはり心配であります。
そういう意味で、私はこういうことをこれから考えていく必要があるというふうに思
っておりまして、親子を拡大をしていく。拡大親子とか、あるいは拡大兄弟とか、拡大
家族であるとか、その家族の範囲を広げていく。そういう考え方というものを絶えず意
識していく必要があるのではなかろうかなというふうに思っております。
ヨーロッパでは、お互いに家族と家族が仲よくするということは大変頻繁だそうでご
ざいまして、私ども日本の社会とはいささか違うのではなかろうかというふうに思って
おりますが、家族と家族との交流というものをもっと広げていっていいのではなかろう
かというふうに考えておりますし、保育所もまた最近は厚生省もいろいろお考えでござ
いますけれども、保育所の家庭化といいますか、地域化といいますか、そういうことを
進めていく。多機能化を進めていくとか、こんなことも大変大事なことではなかろうと
いうふうに思っております。
よく、高齢福祉の領域ではボランティアというものを重視いたします。介護にボラン
ティアをと盛んに言いますけれども、児童福祉にボランティアというのは高齢福祉の分
野ほど強く出てきていないような感じがいたしておりまして、私は保育ということにつ
いてもボランティアが必要だろうと思いますし、先般保母さんとお話をしておりました
ら、小学生とか、中学生とか、高校生と保育所の園児を一緒にしますと、小学生、中学
生、高校生は大変喜ぶということを言う訳であります。世代間交流というのは高齢者福
祉の領域で盛んに強調されますけれども、私は児童福祉の領域にたって世代間交流とい
うことを強調すべきではなかろうかと、こんなことも思ったりもしておりまして、また
現実にもろもろのことをやっておりますので、先生方の御意見も参考にさせていただい
て、いろいろな施策を多面的に展開をしたいと、こう思っております。
○部会長代理 ありがとうございました。
○M委員 重要な点を1つにまとめて、それを出来ましたら具体的には2つになるんで
すが、意見を述べさせていただきたいと思います。
先ほどから、いわゆる家庭における子育てに対する社会的支援の視点ということでい
ろいろ御議論がありましたけれども、この31ページの中でやはりC委員でしたか、先ほ
ど初めの方で触れておられた、この両立保障的支援というのは、実は私自身はこれを更
にもう少し積極的な面でこれからの児童福祉あるいは児童家庭福祉で考えていけないか
と思っていた面がありましたので、まずこの両立保障的支援という内容に少し触れたい
と思います。
ここではもし母親、主婦の方が、自分の価値をこういうことの方が大事だと思うから
何かをしようと思う。そうすると、そのことによって子育ての時間的なこと、かかわり
方、それが不足するだろう。配慮が十分いかないだろう。それを是正するという趣旨で
両立保障的支援というふうに書かれているのかと思うんですが、先ほど来もう御意見が
何人かの委員の先生方から出ていますようなことを含めて申し上げますと、これはもう
一歩進みますと、いわゆるここに価値追求のためと書いてありますが、もし言葉で言え
ば価値追求支援とかあるいは自己実現支援ということで、もう少ししっかり考えていけ
ないだろうかということだと思います。
といいますと、家庭における子育てに対する支援ですから、家庭における子育てとい
うのをもしかぎ括弧で付けた場合、果たしてそれが含まれるかどうかという微妙な部分
があるかと思います。つまり、どうしても私たちは家庭というのは自分たちの生活の基
盤で、原点で、安全基地のようなものだというふうに受け止める。これは、ある意味で
は家族のきずなということを基本に考えていると思います。
ですから、離婚してはいけないとか、ああいうことはよくないとかという価値観は、
その家族のきずなというのをどういうふうに受け止めるかによっていろいろ起こってく
る、やはり価値観の違いだと思うんですが、その家族のきずなというのはいつもいつも
家族がにこにこして顔を合わせていればいいという、全くそういうことではない。自分
にとっての一番大切な依拠出来る、安心出来る生活の基本的単位だというふうに考えま
すと、家族のきずなと一人一人のこういうふうに生きていきたいとか、自分はこういう
ふうなことに価値を感じるとかということとは、すべて対立とか、矛盾するものではな
いというふうにむしろ考えるべきではないかと思います。
ですから、家族のこのようなことを支援すればするほど、ある意味では家族のきずな
が強まる。本当の意味の親子関係に豊かさが出るということもあるでしょうから、そう
いう点では実行実現支援というんでしょうか、価値追求支援、ウェルフェアーからウェ
ルビーイングへという言葉が使われていますが、私はその根本はこの部分ではないかな
と思います。
それは、母親が仕事と子育てを両立させるというためのさまざまな施策とかサービス
もそうでしょうが、ひょっとすると父親とか夫というのも別に仕事に非常に価値を高く
感じて、家庭よりもということではない人もいっぱいいると思いますし、むしろ子供と
もっと時間があったらこのようなことで自分を発揮して、子供に影響を与えさせたいと
思っているような部分もいっぱいあるでしょう。そういう意味で言いますと、母親が働
くことの場合の両立というだけではなくて、さまざまな視点から、これを福祉的な政策
とか、考え方とか、サービスでどういうふうに見ていくかという部分がもう少しいろい
ろ議論され、あるいは検討されていいかと思います。
特に子供の側から見ていきますと、やはり家庭が大切ですよ、親子関係が云々と言っ
たときには、家庭のきずなの中で親と子が余りぎすぎすしないことだけを求めがちです
けれども、やはり子供も権利条約でありませんが、一人の人間として育ちたい、自立し
たいという部分がいろいろあって、それが逆にもし親とか家庭が足かせになり、あるい
は足を引っ張るようなことになるのでは本当の意味の児童福祉ということ、ウェルビー
イングということとは少しずれが起こるのではないか。
NO5に続く
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