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例えば、よく施設に実習生が見えるんですけれども、中学生、高校生の子供がアイロ
ンを掛けていたり、洗濯をしているのを見ると、それはおかしいんじゃないかというよ
うな反応を示してくる。それで、施設の方は集団生活ですし、特に今の子供たちは施設
の子供たちだけではなくて一般にも言えることなんだろうと思うんですけれども、感動
とか、共感とか、そういった心というんですか、そういうものを失ったところにいろい
ろな問題が出てきて、そういったものを施設としてはいろいろなメニューで体験をさせ
ようというふうなことをしている訳です。それがどうも、どういう人間像を持って育て
るかというふうなところで一般の社会と、あるいは家庭とずれちゃっているというふう
なところで戸惑うことが多いということなことも、ひとつ現場側からは提起したいと思
います。
○部会長代理 ありがとうございました。
○委員 私も前回休んだので、ちょっとその辺の筋が分からないところはあるんですけ
れども、今日のいろいろな御意見を聞いていまして、1つは価値観をめぐっての論争と
いうのがある訳で、それをどういうふうに実証的にある程度モデルを見つけて、それに
回答を見つけていくかということにもなろうかと思うんですけれども、やはり子供が今
の時代によりよく育っていくという状態を我々は願っている訳ですが、今の状態が悪い
という前提から出発する議論が多いと思うんです。
それも一つの切り口でいいとは思いますけれども、やはり機能として家庭が子供を育
てていくときに、自分たちの自己実現ということもあるだろうと思うし、子供のよき成
長を願うということもあって、それで家庭の中で自己完結出来ないことを社会の資源に
求めていくという訳ですね。
その際に、行政の方ではそれをやや物量的に考えて、それを金銭的に考えて、経済的
な側面で切っていく。その際に、その措置制度はある意味で大変評価される功績を挙げ
た訳ですけれども、そこが行き詰まっているというのは、やはり価値観ということより
も、個々の価値観よりも公平にある程度その措置制度の中では資源というものを提供す
るというようなことで、結局はそこにどういう形でもいいんですけれども、例えば養護
施設もそうだし、保育所もそうですが、そういう社会福祉の資源というか、施設の内容
的なものが問われていない。それぞれ自己努力はしていて、勿論いいところはある訳で
すけれども、どうしてそれが問われなかったのか。
監査などを見ても、内容的なものよりも、どれだけ記録をよく書いているかとか、ど
れだけきちんと書類を整えているかとか、そういう外側から勿論指導もある程度出来る
んですけれども、やはりそこには人間の集団としてのいろいろな活動の価値観というも
のがありますから、そこをどういうふうにこれからつくっていくか。
つまり、施設政策をとってきていろいろ施設が活動をしてきている中で、せっかく活
動をしているときに、それをいわゆる経営の論理からストップを掛けてしまうような状
況が今、起きている訳ですけれども、果たしてそういうような社会福祉資源という施設
の再検討をして、それはどういう意味があるかということ、あるいはそれについてどう
いうふうに発展させていったらいいかということについての、そういう論議は余りなさ
れていないんですね。
ですから、我々がよく感じるのは、現場をただ批判する訳ではないんですけれども、
今の現場は中身というものについていろいろ一生懸命やっているんですが、それが見え
ない。それをどういうふうに一般に公開していくか。公開していくときに、利用者のプ
ライバシーを守るというような名目で公開しないということがある訳ですね。そうする
と、一般国民としては施設というものを知らない。外側から見て批判はするけれども、
中側のそういう本当に必要な内容というものを理解することが困難なことになってしま
う訳ですね。
でも、実際に保育所などを見ていますと、家庭では期待出来ないような子供の育ちが
保育所を利用することによって起きている訳ですね。当然起きている。それからまた、
親もある意味でそういうふうな保育所を利用することによって、初めて社会的な接触が
出来るということもある。いろいろな意味で失われている現代の人間関係の貧困さを補
っているということがあるんですね。
今のようなやり方がいいというふうに決して手放しで言う訳ではなくて、私はむしろ
非常にマンネリ化して、正直なところもう行き詰まっているんじゃないか。ですから、
この前も申し上げた訳ですが、この辺で活力を期待するためにはスクラップ・アンド・
ビルトで、ある意味で思い切った政策を立てて、そして違う形でも養護とか保育の事業
が行われるような、そういういってみれば多様な事業展開というものがあって、それか
らもう一つは中身に対する価値評価というものをもっときっちりやるとか、あるいは資
格制度を整備していくというようなことが必要じゃないかということを今、思っている
訳で、関連して申し上げます。
○部会長代理 ありがとうございました。
○F委員 この間、欠席いたしまして、ちょっと私もピントが外れているかもしれませ
んが、審議項目の1と2に関する問題でございますが、特に家庭の役割と社会的支援の
関係についていろいろ考えてみたんですけれども、26ページに今までの審議会の考え方
が出ていまして、例えば昭和38年の答申などを今、読みますと、何かちょっと今の様子
とは違うかなという感じを受けるんです。当時の審議会におられた方には大変失礼な話
ですけれ ども、例えば非常に両親による愛情に満ちた家庭教育というふうに家庭を非
常に重視している。それから、第2原則で母親の保育責任と父親の協力義務というので
、男女の役割にやや差を付けているところがありまして、今の感覚とは違うなと。
というのは、やはりこういう問題というのは少し時代と共に変わっていくんだなとい
う感じをこういうのを見ると受ける訳でございます。特に、家庭の役割というようなこ
とを非常に強調しますと、この間、国際家族年などのときも随分批判されたんですけれ
ども、社会的支援が必要なのに家庭に押し付けているというのは日本型福祉ではないか
というような批判があったり、いろいろこの点に関して随分批判もあったんですね。
ところが、最近また、例えばそれではどんどんばらけていって、確かに去年の国勢調
査のあれを見ますと、今は平均の世帯人員というのは2.85人だそうでございますが、1
家族2.85人で、やはりここにもありましたけれども、家庭のそういう教育能力とか、保
育能力とか、介護能力とかというのは大幅に低下しているのは当然である。
だけど、よく考えてみると、コミュニティーが非常に重要であるというようなことを
言われるんですね。それで、コミュニティーが重要だということを言われるとみんな納
得するんだけれども、よく考えてみると、家族というのは1つのコミュニティーじゃな
いかなという気もするんです。
また、更にこの間ちょっと総会のときにも申し上げましたけれども、例えば零歳児の
保育などもどんどん施設でお預かりするのがいいのか。あるいは、育児休業のようなも
のを徹底して、結局両親のどちらかが休みを取って家庭でこの年齢は育児をした方がい
いのかという問題などもあると思うんです。それからまた、延長保育などについてもど
んどん延ばしていくよりも、むしろ労働時間の方を弾力化した方が子供にとってはいい
んじゃないかというような議論も出ているんですね。
そんなことで、今まで家庭の役割、家族の役割というのを強調すると、いかにも時代
錯誤みたいに言うことなしに、一から本当に家族の役割、家庭の役割というのをもう一
回検討してみる必要があるんじゃないかという気がする訳でございます。
○部会長代理 ありがとうございました。
○G委員 3点ほど申し上げたいと思うんです。
1つ目は、やはり子供の権利条約にあるように、子供が一番幸せな状態でいられると
いうことをとにかく議論の中心に置いておかなければいけない。その周りに確かに家族
があったりする訳ですけれども、それでいきますと一番最初にA委員がおっしゃった絶
対的 水準ではかなり改善されていると、これは先ほどC委員もおっしゃいましたよう
に、物質的な意味の豊かさではそうだとは思うんですけれども、精神的なことも含めて
、本当に 子供らしく幸せな状態でいるかといいますと、その権利条約について川崎の
先生がクラスの子供について調べたところ、年齢にふさわしい遊びをする権利というレ
ジャーの権利があるんですが、それが一番守られていない。やはり、勉強が出来る子と
いうことで輪切りにしていくと、ここからいじめの問題なども出てくると思いますので
、そういう遊びを含めた人間的に個性を生かして育てていく。そういうことのためにど
うすればいいのかということをひとつ考える必要があるだろう。
ですから、経済的効率だけではなくて、やはり一番子供がいい状態にあるためにはど
ういう社会的支援が、多少効率が悪くても必要なものもあると思いますので、経済的な
効率だけではちょっと考えられないんじゃないかというのが1点です。
それから、2つ目はやはり今の家族の状況の中に子供がいる訳ですから、この中の資
料にもありましたように、家族的責任条約、ILOの条約に昨年批准しましてこの夏前
に発効する訳ですけれども、この中にも家族を持った労働者がそのことによってマイナ
スにならないように、社会的サービスとしての保育のサービスですとか、育児休業とか
、そういうものを整えるようにということがありますので、是非その辺りのことに力を
入れてほしい。
その中には、今、F委員もおっしゃいましたように、働き方の問題も勿論ある訳です
。けれども、例えば育児休業にしても、日本では今お父さんは0.2 %しか取っていない
んですね。その後、多分調査がないと思いますので。それで、ノルウェーなどは12か月
のうち1か月はお父さんの分ということで、お父さんが取らなければ消えてしまうとい
うような制度をつくって、それによってお父さんも取るようにしているとか、何かそう
いうようなことがない限り、やはり休んでだれかが見なさいと言ったらまた母親の側に
回ってしまう。確かに、休めることを選択する人はそれが出来るようにすればいいけれ
ども、ただ、自分の仕事の関係上、休めない人もお母さんにだっている訳ですから、そ
の場合にはきちんとそれなりの保育のサービスなどが用意される必要があるだろうと思
います。
それからもう一つは家族をめぐって、やはり核家族の中で周りとの交流もなくて、虐
待の話などを取材したりしますと、高層ビルの1部屋の中で子供と母親が1日じゅう向
き合っていて、お父さんは仕事をしていて、だれとも一言も口を聞いていないというの
があるんですね。それで、ちょっとしたことにも手を上げてしまう。そういうことに対
して、精神的な面も含めて相談とか、支えることをどういうふうに地域でしていくのか
。そういうようなことが必要じゃないか。
だから、家族の在り方が変化していく中で、父親も母親もいい状態でいて、しかも子
供が幸せに暮らせるようにするにはどうしたらいいのか。家族をバックにした子供の幸
せということを考える必要がある。
欲張ってもう一つですけれども、今日まとめていただいた31ページにある一番下の人
口政策的支援というのに非常に文句があります。人口政策ではいけないということを人
口会議以来さんざん女たちが言ったのにまだ分かっていらっしゃらない。女たちは人口
政策の対象ではなくて、主体的に判断をしたいのだと。それが例のリプロダクティブ・
ライツで、持ちたい数の子供を持ちたいときにどうして持てるかということなんだと思
うんですね。確かに、先ほどおっしゃった社会保障制度上の問題とか、いろいろなこと
があるのは 分かりますが、主体はやはりその家族、そのカップル、その母親が持ちた
いときに子供を安心して産み育てられるようにするためにどうするのかということなの
で、間違っても人口政策的などということはここの会議の場で使っていただきたくない
と、そのように思います。
○部会長代理 ありがとうございました。
○児童家庭局長 誤解があるといけませんから、議事録も公開されますので、ちょっと
そこをコメントさせていただきますと、このメモというのはそんなに意図的なもので
も 何でもありませんで、要するにいい悪いとか、これは正にここで御議論いただく訳
でありまして、全体的にいろいろ言われていることを、学問的ではないかもしれません
が整理してみると、大体細大漏らさず整理するとこんなものかなと。それで、この中で
人口政策的にやるべきだという考え方を我々行政サイドで持っているということではあ
りませんので、ここだけは一言お断りをさせていただきたいと思います。
○G委員 えてしてこういう文字が出ますと、考えていることが表れてくるのが文字で
ありますので、少なくとも誤解を受ける可能性がある表現は避けた方がいいと思います
。
○部会長代理 どうぞ。
○H委員 いろいろな立場の委員の方から御発言がありましたけれども、私は先ほど動
物レベルで物を見ると言われた医師でございます。小児科医でございますけれども、必
ず動物レベルばかりではなく、精神的な方からもいろいろ分析をしております。
今回、現場で私どもがむしろ若い母親と接しておりまして、今日の審議項目の子育て
をめぐる現状と問題点ということで私が考えましたことをここで発言させていただきま
す。もう30年以上、私は育児相談をやっておりますけれども、昔と今とで育児が変わっ
ております。昔の母親の質問は、体の質問が多かったんですね。あざがあるとか、鼻が
詰まっているとか、吐くとかというような、そういう体に関する質問が多かったんです
。今は、泣くけれどもどうしようとか、寝ないとか、言うことをきかないとか、子ども
の対応の 問題が多いんです。子供だけの問題じゃなくて、自分も含めた親子の問題が
今は多くなってきています。
ですから、昔は本当に簡単に答えられたんです。それこそ若いドクターなんか大体30
項目ぐらい覚えていれば必ず育児相談というのは出来たんですけれども、今はそうはい
かないですね。非常に複雑で、普通の診療をやるよりも難しい。そういうふうに変わっ
ております。
それで、前回のときに申し上げましたように、端的に言えば育児不安を持った母親に
子供は今、育てられているといってもいいと思います。その育児不安というのはどこか
ら来るかといいますと、私なりに分析しますと、まず第1は少子化、核家族化なんです
ね。私は女子医大におりまして学生を指導していた訳ですけれども、グループ指導をし
て、あなた方の中で最近赤ちゃんを触ったり、抱いたり、あるいは発育をずっと小まめ
に見るというようなチャンスのある人と言いますと、7、8人のうち1人いるか、いな
いかです。これは私ばかりではなくて、実際に女子大を教えている方に聞いてみても同
様で、いわゆる母親予備軍の若い女性で、子供を身近に見たことがあったり触ったこと
があるという人がいないんですね。
それで、どういうことが起きるかといいますと、子供というのがどういうものか分か
らないうちにある日突然母親になってしまう訳です。それで、子供を扱わなければいけ
ない。そうすると、先生、赤ちゃんはどうやって抱くんですかというところから始まる
んですね。昔はそんな質問は全くなかった訳です。自然に抱くなどということは覚えて
きた。今はどうやって抱くんですかというふうな質問が出てくる。それがちゃんと4年
制の大学を出たいわゆるキャリアウーマンなんですね。
2番目は、これも前回いろいろ資料を見せていただきましたが、結婚が高齢化してい
る。初産年齢がアップしている。これは、産婦人科医は非常に危機感を持っています。
というのは、染色体異常が出たり、妊娠、分娩もいろいろな合併症が起きやすくなる。
それで、必ずしも健康な子供が産まれるとは限らないという医学的な面と、もうこの
子しか産めないと思うと、先ほどどなたかの委員が言われたように、非常に過保護にな
り、過干渉になり、その子供の育児に関してすごく神経質になるという心理的な面から
子どもにとって良くない。そういうのも育児不安につながる訳です。
3番目は、比較的仕事を持って子供を持つ方が多い。いわゆるキャリアウーマンが多
くなったと言われています。そうすると、今まで自分なりに生き生きとして仕事をして
働いていたのが、ある日子供を持って突然マンションの一室に閉じ込められる。非常に
社会から疎外されたような感じになる。これも実例なんですけれども、社会でばりばり
働いていた方がお子さんを持って私のところに来て、いらいらして子供が泣くと子供の
口にガムテープを張ってやりたいと思うという発言をした方がいらっしゃいます。
そういうふうに言ってくださる方はまだいいんですね。言わないでこもってしまうと
、いわゆる育児不安から育児ノイローゼになってしまうということがある。
それから、育児を仕事として見るふうになる。どういうことかといいますと、この子
供はマニュアルを持ってどうして産まれてこなかったんだろう。マニュアルがあれば、
そのマニュアルどおりにやれば育児はちゃんと出来るじゃないか。これも、笑い話じゃ
ないんです。育児にマニュアルはありますかとよく聞かれるから、いえマニュアルはあ
りません。その子、その子によって違うから、マニュアルというのはつくれませんと言
うと、では先生何でもいいからつくってくださいというような質問が出るんです。です
から、育児を仕事として見ているというか、そういうような感じもある訳ですね。
4番目は、育児情報が氾濫しています。それで、どの育児情報を信じていいか分から
ないということがあります。特に私ども困るのが、早期教育なんですね。早期教育で、
赤ちゃんのうちから計算が出来るとか、字が読めるとか、出来ないのは才能をただ開発
しないだけだというようなことが広まっていく訳です。そうすると、しないといけない
という焦りが出てきます。そういうことも育児不安につながります。それから、うつ伏
せ寝がいいとか、悪いとか、舌小帯を切るとか、切らないとか、全く反対の情報が出て
、それに振り回される。それでも非常に育児不安が強くなる。
もう一つは、母親が孤立化している。これは、仲間意識がない。仲間がない。それか
ら、周りに聞く人がいない。どうしていいか分からないというような、何か狭いところ
に閉じ込められて自分一人で育児をしなければいけないというような感じに追い込まれ
るという方が非常に多い。現場で実際にいろいろな母親と接していますと、今言ったよ
うなことが痛切に感じられる訳です。先ほど、子供が勿論主体であるけれども、その周
りの人が非常に大事だと。やはり、育児というのは子どもに一番接触が多いのは母親で
す現在。父親も最近すごく多くはなってきていますけれども、やはり母親が多い。そう
すると、その母親がそういう不安定な精神状態に置かれている訳ですね。ですから、こ
れは何とか指導じゃなくて支援しないといけないという感じを私どもは痛切に持ってお
ります。
ですから、施策としていろいろなところで支援という言葉が出てまいりますけれども
、どういう形で実のある支援に結び付くものか。これは、是非私ども小児科医として現
場で実際に母親と子供と接している者からそういう育児支援という、本当に名前だけで
はなくて、実際に母親の育児不安を取ってあげるような支援体制を是非つくっていただ
きたいと思います。
○部会長代理 どうもありがとうございました。
どうぞ。
○I委員 全く今まで皆さん先生方がおっしゃったことはそのとおりですが、少し今の
お話を聞きながら思い浮かんだことを言わせていただきたいと思います。
社会、家庭、経済、大変大きく変わる中で、どうも私たちといいますか、行政がイメ
ージとして考えている理想的な家庭というのは、産業社会型の家庭、すなわち女の人と
男の人が別々の分業体制の下で、特に男性が家庭から、あるいは子育てから切り離され
て、職業生活の方に全力投球をするというのを理想的なあるべき姿だということで、そ
れに比べて今の状況は違っているんじゃないか。特に、女の人たちが母親としてだめに
なっているんじゃないか、役割を果たしていないんじゃないかとかというふうな批判が
されがちなんです。
これはトフラーで言えば第2の波の段階で、もう一歩前へ進みますと、もっともっと
子育てというのは母親だけではなくて父親あるいはいろいろな家族のメンバー、村落、
周囲の地域の方たち全部がかかわり合いになるような仕事の中で子供というのは健全に
はぐくまれていた。立派な後継を育てるのは父親の重要な役割だったわけです。今、必
要なのは第2のレベルのところに戻すことではありません。むしろ家庭の壁の中だけで
は、今、H委員からもお話がありましたように、専業の母親でもよき保育者にはなり得
ません。恐らく、仕事を持って自己実現を求めている母親が第2の次の時代に期待され
るような母親の役割を果たせないのと同じように、専業の母親でもよき母親、精神的な
部分での子育てをする役割を果たせなくなっているんだという認識の下に、新しい子育
ての社会全体の仕組みというものが必要になってきているんじゃないか。
ですから、今は一応血縁者だけが子供の第一義的な保育の責任を持つというふうに考
えられがちですけれども、もっと多くの人を子育てに関わらせるべきです。父親を家庭
にもう少し戻すことも必要かもしれませんが、血はつながっていなくても、人生80年時
代に65まで定年、働ける期間が延びることは期待しますけれども、65から75あるいは80
代になってもお元気な高齢者の方たちというのはたくさんおられる訳ですし、自分の時
間のある部分で子育てにかかわることを望んでおられる方というのは結構たくさんおら
れると思うんですが、どう手を出していいか分からない。 昔ですと、例えばおしゅう
とめさんとか、あるいは母親とかという形で、子育てを支援する人が身近にいた訳です
けれども、おしゅうとめさんの場合は母親が育児のイニシアチブをとれないことで大変
トラブルが大きかった訳ですが、そういうヘゲモニー争いなしに手伝いをするというよ
うなことが今、大変期待されるようになってきているのではないか。
保育所でも一時預かりに対する要望が、専業の母親も含めて大変多く寄せられており
ますけれども、例えばそういった一時預かりをするときに、高齢者などいろいろな立場
の方たちを預かり手として、参画をしてもらう訳にはいかないだろうか。新しいシステ
ムをもっともっと考えなければいけないなというふうに思います。80年の人生の中で母
親、父親もですけれども、フルタイムに子供とかかわれる期間というのは、1回当たり
3年あるいは5年としましても、人生全体で1割ない。あとの残りの人たちは、なかな
か育児という非常に創造的で楽しい仕事にかかわるチャンスがない訳ですから、そうい
った機会にたくさんの人たちがかかわれるような仕組みというのはもっともっと考えな
ければいけないのではないかという気がいたします。
それから、2つ目は初めのA委員のおっしゃったことにつながると思うんですが、子
供の健全育成のときに、プラスアルファーでいろいろな専門的なサービスを提供すると
いうニーズはこれからもどんどん多くなっていくでしょうけれども、より高い専門的な
教育、塾も含めてですが、いろいろな知識を伝達するとか、そういったようなことはし
ばしば過保護か過干渉というふうなことになってしまう。
逆に、逆境が最大の教師であるといったような非常にパラドクシカルな状況がある訳
ですけれども、行政があえて人工的に逆境をつくるというのは、更によけいなお世話、
過剰サービスもいいところで、そこら辺についてはもうやれないことなんだ。もっと貧
しさを体験させようとか、原体験ということで、いろいろな主体が江戸時代の生活をさ
せてみようなどというふうな過剰サービスが行われておりますけれども、私はやはり公
的な福祉サービスというのは基本的な部分に自制するという方向が望ましいのではない
かなというふうに考えている者の一人です。
NO4に続く
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