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○部会長代理 それでは、今日は第2回でございますが、第1回目の資料も今日お手元
にお配りをしてあるかと思います。それをちょっとごらんいただきたいんですが、この
基本部会では前回の第1回の会合のときに、児童福祉法が出来まして大体来年で厳密に
いいますと50年になるんですけれども、50年に当たって児童福祉に関する法律制度全般
を見直しをしたいというような厚生省からの御依頼がございまして、具体的にどういう
観点から審議あるいは検討をしていくのかということにつきまして、当面の審議項目と
いうことで7つの項目を参考までにお示しをいただいた訳であります。
そこにございますように、最初が子育てをめぐる現状と問題点についてどのように認
識をするのか。
2番目が、子育てについての家庭の役割と社会的支援の関係をどのように考えるべき
か。
3番目が、要保護児童施策の対象範囲をどのように考えるべきか。
4番目が、母子家庭の置かれている状況をどのように認識するのか。
5番目が、児童保育施策。
6番目が、要保護児童施策。
7番目が、母子家庭施策。
こういう7項目を審議項目として一応厚生省の方から参考までにお示しをいただいて
いる訳でありますけれども、前回では今日初めて御出席の委員の先生もいらっしゃいま
すので御紹介しますと、こういったことに対する厚生省の考え方に対する質問でありま
すとか、あるいは資料についての説明あるいは質疑等があった訳ですけれども、最初で
ございますので7項目のうち最初の1、2ですね。特に、子育てをめぐる現状と問題点
についてどのように認識をするか。あるいは、子育てについての家庭の役割と社会的支
援の関係をどのように考えるべきか。この辺がこの基本部会での検討の出発点になるの
ではないかということで、いろいろ各委員の先生方から御意見が述べられた訳でござい
ます。
今日も、まだ第2回でございますので、主としてこの審議項目の1と2を中心に、先
生方から更に前回言い足りなかったようなことも含めまして、いろいろ御意見などをち
ょうだいをしたいと思います。
それで今、資料の御説明をいただきましたけれども、前回の資料とはまた違った角度
から子供あるいは児童福祉をめぐるいろいろな問題についてのデータ等が出ております
ので、まず今日の資料に対する質問等がございましたら最初にお願いをしたいと思いま
すが、いかがでございましょうか。どなたからでも結構でございます。
○A委員 私、前回欠席しましたので、もうその議論があったのかもしれないんですが
、今いろいろな資料の説明を伺って、いろいろなことが分かりましたけれども、まず最
初の子育てをめぐる現状ということでいいますと、子供の置かれている状況というのは
絶対的な水準と相対的な水準と両方の言い方があると思うんです。絶対的な水準では一
般的に言えばすごくよくなっていることは間違いないような気がするんです。つまり、
食うや食わずで、鼻水を垂らして走り回っていた子供に比べれば、みんなきれいな着物
を着て、おいしいものを食べて、そういう面から言うと絶対的には子供の置かれた現状
というのは時系列的に相当改善されてきてよくなってきているというふうにとらえても
いいのではないでしょうか。
私は、そういうふうに思うんです。それで、例えば今日説明された中で、子供は忙し
くて塾とか勉強で大変だとか、これは全く価値判断はなく説明された訳ですけれども、
子供の生活にゆとりがないという訳ですが、しかし、塾だとか学校の勉強で忙しいとい
うのはよくないことなのか、いいことなのか。例えば、家事や家の仕事の手伝いで勉強
も出来ないというのと、勉強に忙しいというのとどっちがいいんだと。これはちょっと
難しい問題であるかもしれません。
したがって、こういうデータの判断も含めて、基本的には子供の置かれた状況という
のは絶対水準として相当よくなっていてという判断でいいのかどうか。もしそうだとす
ると、多分問題はその中の絶対的な貧困はなくなったけれども、相対的な貧困というん
ですか。例えば、みんながいい着物を着ているときに継ぎの当たった着物を着ている子
供はかわいそうだとか、そういう相対的な貧困の問題なのか。そういうふうに思うんで
すが、それは正しいのかどうかということを伺いたいと思います。
それで、もしそうだとすると、すなわち子供の置かれた状態が絶対的にはかなりよく
て、問題は相対的なことだとすれば、社会的な支援というのも総花的に何か状況を底上
げするというのではなくて、全体的によくなった中で相対的に問題がある子供とか、家
庭に対して集中的に政策資源を投入するということが大切になってくるのではないかと
いうふうに思います。
それからもう一つは、これはちょっと下の方にも書いてありますけれども、多様なニ
ーズに対応する云々ということが出てきて、私は経済学者ですからそういうふうに考え
がちなのかもしれませんけれども、この多様なニーズというのはもともと行政がこたえ
るべきものかどうか、あるいは社会的に多様なニーズにこたえるべきかというのは、は
なはだ私は疑問だと思います。
正にこの多様なニーズにこたえるためにこそマーケットがあって、必要なニーズが市
場を通じて調達され、また必要のなくなったニーズは市場から消えていく。したがって
、多様なニーズに対してはむしろこれはマーケットに任せるべきで、行政がやるべきこ
とは多様ではないかなり絞られた、あるいは市場では解決出来ないようなニーズに対処
していくということが大切なのではないかというふうに、この2.のところの話になり
ますけれども思います。
というのは、勿論何でもかんでもやればありがたがられるかもしれませんが、1つは
資源というのは有限ですし、特に行政資源、これは予算とかというのは有限なものです
から、限られた資源を総花的に使えば、本当に必要なニーズが満たせなくなってくると
思います。これは、何でもそうですけれども。
したがって、もし最初の問題意識のように全体的な水準は問題なくて、相対的に問題
のあるところに集中的に援助とか、あるいは政策的なサポートをするということであれ
ば、むしろ行政とか社会は多様なニーズにこたえるのではなくて、かなり絞られたニー
ズに集中的に対応していくということが大切で、問題は、何がその資源を集中的に投入
すべきものであり、何が今や別に行政とか社会全体で面倒を見なくてもいいものなのか
ということを識別するということが議論としては非常に大切なのではないかというふう
に思います。
以上です。
○部会長代理 ありがとうございます。
大変これからの議論を進める上で、私はA委員のおっしゃったことは一番基本になる
ポイントの問題だと思うんです。恐らく、各委員の先生方から今、A委員のおっしゃっ
たことにいろいろなお考え、御意見があると思いますけれども、そういったことに対し
てお役所に聞くというより、これは私どもがそれぞれどういうふうに考えるかというこ
とをこれから議論を深めていきたいと思いますが、そういったことも含めまして何かま
た御意見がございましたらどうぞ。
○B委員 A委員のおっしゃったことは、経済的な行政の在り方という面では非常によ
く分かるんですけれども、子育てというのは非常に精神的な要素が大きいので、経済的
な原理、公共財の在り方というようなことだけでうまくいくのかどうかという点に私は
ちょっと引っ掛かりまして、それで手を挙げたんです。
現行法の基本的な制度というのはここの補完的支援というんでしょうか、一言で言え
ば貧しい人、やれない人は面倒を見てあげましょうと、大体そういう基本的なところで
制度が出来ているんだろうと思うんですけれども、私はこれからの社会的支援の在り方
、あるいはもっと基本的な考え方というのは、やはり子供たちの人間性を、家庭も社会
も全部含めて、ビジネスも含めてどう伸ばしていけばいいのか。そういう視点が一番大
切じゃなかろうか。
だから、先ほどの30ページに視点のメモがありますが、いろいろな機能的な分析をす
るとこういうことになるんでしょうけれども、この真ん中に健全育成的支援とあります
。それで、この中の健康の保持増進、これはそれで1つあろうと思うんですけれども、
その後ろの方に小さく潜在能力の発達、開化を保障、促進するための家庭の支援という
ことで、例として終わりの方に情操の高揚というのがあるんです。健康を保持すること
は勿論1つの基本的なことですけれども、この情操をもう少し広い意味で人間性、その
人間性をもう少し中身を言いますと、子供が自立するということと社会性を身に付ける
ということ、これは教育基本法の一番基本の理念だと思うんですけれども、そういう自
立し、かつ社会性を持った人間を育てるのに、乳幼児のころからどのように家庭、社会
、ビジネスで協力してやっていったらいいのか。そういう全体の構想を立てて、その中
で例えば公共財がどうあるかというような考え方からアプローチするのが適当じゃなか
ろうか。
そういう観点から現状を見ますと、1つはどういう子供に育てればいいかという人間
像というのが今ないといっていいような感じじゃなかろうか。教育基本法にはさっきの
自立と社会性というのがあるんですけれども、実際の教育の中では物を覚えさせること
ばかりで、たくさん覚えさせることは基本的なやり方としても簡単ですし、どれだけ覚
えたか評価することも簡単です。テストをすれば簡単に出てくる訳ですから、教育がそ
こに集中する。それで、たくさん物を覚えればいい学校へ行けて地位も安定するという
ので、そちらに集中している。その中で、一番基本の人間を形成するという教育基本法
の基本目的がどうもなおざりになっておる。そして、どういう人間にしていったらいい
のか、その自立し社会性があるということ自体が、具体的に社会の中で認識されておら
ない。そういうものの価値が、家庭でも学校でも認識されておらない。ちょっと極端な
言い方をすれば、そこが非常に大きな問題じゃなかろうか。それは社会全体の責任だと
思います。
それからもう一つ、子供たちが自立し、社会性を持って安定した情緒を持った子供た
ちとして育てるには、乳幼児のころからどういう教育をし、どういう保育をし、どうや
っていったらいいのか。これも余り学問的に研究が深められておらないというか、やり
方が提示されていないのではなかろうか。これは恐らく教育者の責任でなかろうかと思
いますけれども、そういったような現状の中で子育てについて大変戸惑っている人が多
い。
それで、具体的に見ますと、これはちょっと両極分解を起こしていると思うんです。
1つは、専業主婦というんですか、家庭婦人というんでしょうか。専業主婦の方はず
っと時間があって、そして子供の数が昔と違って1人っ子、2人っ子になって、非常に
世話が過多になっている。やり過ぎになっているというやり過ぎ現象が出ておるんじゃ
なかろうか。
これは、ある獣医の方が言っておられますが、キツネでもタヌキでも、6匹とか4匹
とか適正数があるんだそうですが、それより子供の数が少ないとなめ過ぎて、子供が親
は余りにもなめられたために死んでしまうという現象が起こるんだそうです。どうもこ
の少子家庭になって死んでしまいはしないでしょうけれども、精神的にかなりいびつな
子供たちが育っている。
一方で、そういう教育過多といいますか、そういう現象が起こっている。
片方で、共稼ぎの家庭、これはどんどんこれからも増えていくと思いますけれども、
そちらの方の保育体制が社会的にまだ追い付いていないために、もう産後3か月ぐらい
で働きに出て、近くの無認可の保育所のただ預かるだけというところに子供たちを預け
て、なかなか夜も迎えに行けないという現状になっている。こちらの方は体制が整わず
、愛情面での触れ合いが非常に少なくなってくる。
その両方に二極分解しておるので、その両方の実態に対してきちんと適用出来る公共
財というのをつくらないといかぬのじゃなかろうか。システムをつくらなければいかぬ
のじゃなかろうか。
だから、それはニーズに任せておくと、親がどういうニーズがいいのかというのが分
からない。どういう子に育てればいいのかが分からない。やり過ぎであるということも
分からない一方で、足りないということも分からない。だから、ニーズ以前の問題がそ
こに起こっているのではなかろうか。その辺の対応策を、まずあるべき姿を考えて、例
えば愛情過多になりがちなところについてはどういうふうに社会性を育てるのか。そう
いう観点からどういうシステムが好ましいのか。公共財が好ましいのか。そういうこと
を考えなければいけないでしょうし、一方で共稼ぎ家庭については保育所あるいはその
他の施設とどのように人格形成面でも連携しながらやっていくのが好ましいかというこ
とを議論しなきゃいかぬのじゃないか。
だから、ちょっと経済の議論だけではいかない面があるのかなということを感じまし
たので申し上げました。
○部会長代理 ありがとうございました。
B委員のおっしゃることもごもっともなように思いますが、お役所の方から、先ほど
の絶対水準と相対水準のことで何かお考えがありましたら、どうぞお答えください。
○児童家庭局長 それでは、私が代表してお答えしたいと思います。
正に経済的な側面で考えますと、かなり偏見に満ちているかもしれません。例えば、
親御さんに恵まれなかった養護施設や何かの子供たち、あるいはまた教護院の子供たち
の暮らしぶりを見ていますと、経済的な面ではかなり充足されてきているんじゃないか
というふうに思います。
ただ、今、B委員からお話がありましたように、一方、精神的な問題とか、あるいは
そういった施設の中での子育ての問題というふうなことになってきますと、今の生き方
が果たしていいのかという問題がございます。これはまた、養護施設の在り方等々の問
題の中で御議論いただきたいと思っておりますが、そういった意味では必ずしも十分か
どうかということになると、スタッフの問題、取り分けスタッフの資質の問題もありま
すけれども、資格とか、そういった問題も含めまして、まだまだ問題点を抱えておると
思います。
それで、もう一方、今、二極分化というお話がございましたけれども、正に資料等を
見ますとそういう傾向が見られる訳でありまして、今、B委員がお話になったことにつ
いては、全く我々も同じような認識を持っております。そういった中で、正に非常に子
供の数が減っておる訳でありますし、その少ない子供たちにこれからいかに個性豊かで
、かつたくましい人間として育っていただかなきゃいけない。そのためにどういうよう
な対応を講じていくべきなのかというのは、正に今回この御検討をお願いした最大のテ
ーマである訳であります。
そういった意味で考えますと、実を言いますと、我々としましても、これといったき
ちんとした見解がある訳ではありません。正に今回そういった意味でこの審議会でお願
いしようということでありますけれども、そういった中でやはり一番大事な点といいま
すのは、子供の問題というのは1つには非常に子供の数が減っておる。それで、それが
与える社会保障制度ももとよりでありますが、経済社会全体に与える影響というものも
もっともっと考えなきゃいけないという、その子供の数が非常に減っていることに対す
る社会の枠組みをどうこれから考えていくのかということを、この辺で考えておかない
といけないんじゃないか。
例を出しますと、厚生省の関係で年金制度がある訳でありますけれども、現在の年金
制度の仕組みというのは2021年ですか、いわゆる人口の将来推計に基づいて考えており
ますから、その中の中位推計に基づいておりますので、2021年には出生率が1.80に回復
をするというスキームで将来設計をしているはずであります。
ところが、現在の出生率を見ますと、少なくともそこまでいかないだろうという見通
しになる訳であります。そうすると、まだ発表されておりませんが、平成7年の恐らく
出生率辺りを見ますと相当下回る、史上最低を記録するようなことになるのではないか
ということが言われております。こういった傾向が今後どうなるのかということによっ
ては、これは非常に大きな問題になってくる訳であります。
それからもう一つ、最初に申し上げた、そうはいっても非常に子供の数が少ない訳で
ありますから、その子供たちをどう自立した社会人として育てていくのかという社会の
枠組みづくりをしていくということが必要だと。
この2点が大きな問題でありまして、この点を御議論をいただきたい。
しかも、それをもうちょっと国民的にも大きな問題として議論をし、またとらえてい
っていただきたい。こういったような視点に立っておる訳であります。
そういった意味で、結論的に申し上げますと、絶対的な水準といった意味では恐らく
もう大分いいところまできているだろう。だけど、そういった中で、まだまだ相対的に
は保育所の問題を含めまして必ずしも十分でないという状況がある訳であります。そう
いった中で、費用負担面も含めてどういったスキームをつくっていくのかということを
これから御議論をお願いしたい。
そんなようなことで、回答になりませんが、問題認識をちょっとお話申し上げまして
御理解を賜りたいと思います。
○部会長代理 ありがとうございました。
○C委員 今の御議論を伺っておりまして、2つの視点を提出させていただこうかと思
っております。
今の子供の問題を考えるときに絶対的、相対的というよりは、むしろ一種の生存保障
が動物レベルで十分か、それから人間レベルで十分かというふうに考えたらいいんじゃ
ないかと思います。
つまり、戦後のあの食うや食わずの時代を私たちは通ってきましたが、あのときは食
べるものもなかった。今は食べるものが十分であるから、子供はまあまあ一応の幸福な
状態にいるんじゃないかというのは動物レベルのことを問題にしているのでありまして
、果たして人間レベルで考えたときに、終戦後の子供たちがそんなに不幸だっただろう
か。食べるものは私は非常になかった覚えがありますが、未来に対して大きな夢を持っ
ておりましたし、親たちはいつもそばにいて非常に精神的にはハッピーだったような気
がいたし ます。つまり、動物レベルでの福祉というのは一応満たされている。つま
り、これは栄養学にとか、身体発達的にです。
しかし、精神的なレベルで、または人格的なレベルでどうかというと、今の子供の方
が非常に問題があると思います。
例えば、児童虐待ということが話題にされておりますが、親にむちで打たれるとか、
養育を放棄されるとかということではなくて、塾に毎日通う者がおります。それで、夜
にJRの電車に乗りますと、10時ぐらいに子供が塾から帰ってくる姿を見ます。または
、マクドナルドで家庭と、それから塾との間で補食をしているのを見ます。ああいうの
を見ると、過剰に教育をするというのは一種の精神的虐待でありまして、これはほかの
国々には見られないことではないかと思われます。
日本では、新たな日本的な精神的な虐待が生じているというふうに考えれば、私たち
は動物レベルの福祉と、それから精神や人格を動物にプラスした人間レベルでの福祉が
どうなっているのかという、そういう視点をひとつ持つことが大事ではないかと思いま
す。
それからもう一つは、子供の問題というと子供だけを抜き出して、子供が幸せな状態
にあるかどうかという視点で物を考えがちですけれども、子供の周りには必ず母親がお
り、父親がおり、ほかの兄弟がおりという、一つの家庭の中のメンバーである訳ですね
。そうすると、私は今日31ページに提出していただいた子育てに対する社会的支援の視
点という、これは大変よく整理されていると思って感心いたしましたが、例えばこれを
見ているとどうも厚生省の方々のお考えが、この2番の両立保障的支援のところがそう
ですが、家庭のほかのメンバーの価値追求のために配慮が十分行われないというと、何
となく母親が、父親もそうですけれども、自分の自己実現を求めてはいけないようなニ
ュアンスがどうも感じられるんですね。
大体、厚生省というのは医師の方がメンバーに多いんだと聞いておりますが、医師と
いうのは人間を見るときに動物レベルで見る訳です。そういう意味で言えば、動物レベ
ルでは大変満たされておりますが、母親が共働きで自分の一種の自己実現をも図りなが
ら子供の福祉も考えていこうというのは、やはりどこかに母親のわがままで許せないと
。
昔、母親というのは非常に子供に対して献身をしてきました。また、そういうことを
しないと、動物レベルでの子供というのは福祉が保障されない。つまり、生存が出来な
かったのがかつての発展途上の社会でした。どうもそういうイメージがあるように思う
んですが、子供だけを抜き出して考えないで、そのそばにいる父親や、母親や、その家
族全体の福祉というんでしょうか、それはどういう部分が欠けており、どういう部分が
満たされる必要があるのか。子供だけを抜き出すのではなくて、特に母親の問題を子供
の問題と切り離さないで考えていっていただくという、その視点を入れていただければ
大変ありがたいように思いました。
○部会長代理 ありがとうございました。C委員からはお手元にお配りしてあると思い
ますが、子育てをめぐる現状と問題点という委員御自身でお書きいただいたものをお配
りしておりますので、それもごらんいただきたいと思いますが、このメモについてもう
少し御説明がございますか。いかがでしょうか。
○C委員 もし時間があればですから、余った時点で結構です。
○部会長代理 ほかの委員の方、どうぞ。
○D委員 今までの御論議を聞いていて、多様なニーズという表現で、これは多様なニ
ーズがすべて福祉のニーズかというふうなことを、A委員の方の御提起から考えさせら
れることでして、この辺はもう少し吟味する必要があるかというふうにとらえてはいま
す。ただ、先ほど局長の方から養護施設の方の代弁をしていただいたんですけれども、
基本的にはB委員とか、あるいはC委員の説には私自身は賛成をしている訳でして、特
に児童福祉法の改正を施設の現場で願ったのは、特に養護施設レベルで願ったのは、御
承知のとおり、児童福祉法が制定されたのが戦後の混乱期のいわゆる戦災孤児時代で、
児童福祉法そのものには戦災孤児を云々ということは載っていませんでしたけれども、
当時の対応としてはそこら辺に力点が置かれていて、児童福祉法そのものもよく見ると
、余り親の問題が出てこない。
そういう意味では、養護施設などを見ていても、子供の背景にある親とか家族の問題
を抜きにしているというところに、現状の養護施設というのはやはり両親がそろった子
供たちも入り始めているというところで大きな矛盾が出てきまして、それでやはり改正
をしなければいけないんじゃないかというふうな動きで今回児童福祉法の改正をしてほ
しいというふうな要望も出した訳です。そういう意味では、C委員の方の意見に賛成で
す。
もう一つは、養護施設の補完的支援というか、そういう枠組みで多分、今の法制度の
仕組み、サービス内容を整理するとここに書いたようなことなんだろうと思うんですけ
れども、実態として我々の方としては問題が起きてから対応するという事後的な対応で
はなくて、やはりそれ以前に家庭が壊れないというような、そういう意味での予防的な
対応がある意味では健全育成なのかも分かりませんけれども、そういうものを重視して
いきたいというふうに思っていまして、そういう考え方で今、臨んでいる訳です。
それで、施設自身もB委員の話を聞いていて、確かに施設の養護というのは一体何な
のかというと、やはり自立支援というふうなことだと思うんですけれども、自立支援サ
ービスを強調すればするほど、今の社会と家庭とずれてくるようなところが見受けられ
ます。
NO3に続く
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