ごあいさつ
園長からごあいさつ

国立療養所多磨全生園 鵜飼 克明

“入所者一人ひとりが心の安らぎを得て療養できる環境”を目指して

 国立療養所多磨全生園(ぜんしょうえん)のホームページをご覧いただきありがとうございます。

 当園は全国に13ある国立ハンセン病療養所の1つで、東京都東村山市の東北端、緑濃い狭山丘陵の東外れに位置し、JR武蔵野線新秋津駅、西武池袋線清瀬駅にも近く、都心からのアクセスが至便な場所に立地しています。敷地は緑豊かで、しかも広大で東京ドーム約8個分の敷地面積です。

 当園は1907(明治40)年に制定された法律「癩予防ニ関スル件」に基づき、1909(明治42)年9月に1府11県立(関東1府6県、及び新潟・愛知・静岡・山梨・長野)の公立療養所第一区府県立全生(ぜんせい)病院として現在地に開設されました。1941(昭和16)年には当時の厚生省に移管され、これにともない名称も国立療養所多磨全生園(ぜんしょうえん)となり、2019(令和元)年には創立110周年を迎えました。

 ハンセン病は「らい菌」という病原菌による感染症ですが、その“感染力は極めて弱く”、現在では有効な治療薬によって入院することなく治療できる「普通の病気」です。しかし疾患が正しく理解されず、そして有効な治療法のなかった時代には、感染を恐れるあまりハンセン病の患者は一般社会から隔離されることになりました。我が国の隔離政策は、前述の「癩予防ニ関スル件」が端緒となっていますが、この法律は“ハンセン病は伝染力が強い”という誤った考えを広める契機ともなりました。その後、1931(昭和6)年の「癩予防法」によって隔離は強制的となり、さらには1953(昭和28)年の「らい予防法」においても引き続き隔離政策がとられ、いわれのない偏見と差別が一層助長されることとなりました。この隔離政策が廃止されたのは1996(平成8)年の「らい予防法の廃止に関する法律」によってで、実に90年もの長い年月を要しました。この間、患者さんそしてご家族は多大な苦痛と苦難を強いられてきたのは言うまでもありません。隔離政策は廃止となりましたが、この時、既に入所者の多くは高齢となり、また後遺症による重い身体障害を持っている人も多く、さらには未だに社会における偏見・差別が残っていることなどもあって、退所することができない方が多数でした。

 1998(平成10)年には「らい予防法」違憲国家賠償訴訟が熊本地裁に提訴され、2001(平成13)年には原告が勝訴しました。これを契機として、2009(平成21)年には、いわゆるハンセン病問題基本法が施行されることになり(2019年改正)、現在に至っています。基本法の骨子は、入所者に対して必要な療養を行う、入所者の意思に反して退所させてはいけない、医療、介護の体制整備に必要な措置を講ずる、良好な生活環境の確保を図る、などです。

 当園の入所者数は、ピークの1943(昭和18)年には1,518名でしたが、年々減少し、本年3月1日現在では105名となりました。平均年齢は87.4歳と超高齢化し、入所者は治療によってハンセン病は治癒していますが、ハンセン病による後遺症や合併症、さらには高齢化に伴う様々な疾患・心身の不調、そして様々な不安を抱えながら生活をされています。当園では、これまでのハンセン病の歴史を踏まえ、そしてハンセン病問題基本法に則って、“入所者一人ひとりが心の安らぎを得て療養できる環境を提供し、生きていることの充実感が満たせるように医療・生活の充実をはかる”ことを施設の理念として、医療・看護・介護などを行っています。

 最後になりましたが、多磨全生園は地元の東村山市の方々のみならず国内・国外を問わず多くの方々に開かれた施設です。園内には歴史的価値を持つ建造物や史跡が残っており、また緑あふれる自然もありますので、どうぞ当園を訪れ、園内を散策してください。そして当園の110余年にわたる歴史を感じ、さらにはハンセン病にまつわる問題に思いを馳せてください。また、当園に隣接して国立ハンセン病資料館もありますので、こちらにも足を運んで下さい。私たちが陥りやすい過ち、そして守られるべき人権、多様性を受け入れる寛容な心、などなどを考えさせる時間となることでしょう。


2023(令和5)年3月1日

国立療養所多磨全生園
園長
鵜飼 克明