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2017年9月29日 第2回 人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会

医政局

○日時

平成29年9月29日(金)13:30~16:00


○場所

全国都市会館 第2会議室


○議事

○山口在宅看護専門官 定刻になりましたので、ただいまから、第2回「人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会」を開催いたします。

 本日は、大変お忙しい中御参集いただき、誠にありがとうございます。

 本日は、齊藤克子構成員、権丈構成員、清水構成員、鈴木構成員、早坂構成員、瀬戸構成員から御欠席の御連絡をいただいております。

 なお、岩田構成員におかれましては、遅れていらっしゃるとの御連絡をいただいております。高砂委員、木村委員も遅れての御到着となる予定です。

 また、本日は、上智大学生命倫理研究所教授の町野朔氏、あおぞら診療所の山岸暁美氏を参考人としてお呼びしております。

 議事に入ります前に、お手元の資料の確認をさせていただきます。

 議事次第、座席表、資料1から6までと参考資料をお配りしております。

 落丁、乱丁等がございましたら、事務局までお知らせください。

 なお、机上のみですが、本日御発表の川平構成員から「わたしノート」、それから、山岸参考人より「ふくろうシート」、本日御欠席ですが、清水構成員から「心積りノート」について御提出がありましたので、お配りしております。

 それでは、議事に入ります。カメラはここで御退席をお願い申し上げます。

(カメラ退室)

○山口在宅看護専門官 それでは、以後の議事運営を樋口座長、よろしくお願いいたします。

○樋口座長 座長の樋口です。

 きょうの議事次第を見ていただくと、今日は第2回であるということです。思い起こすと、前回、木澤さんに、とにかく、Advance Care PlanningACP)をどう表記するかはなかなか問題ですけれども、Advance Care Planningがいかに重要か、その意義について思いのたけを語っていただいて、今日もそれに関連して、それぞれの現場をよく知っておられる方がここには参加しておられるので、その方々にその様子を報告していただく回になります。

 それで、事務的なことから始めないといけないのですが、まず構成員の欠席に際して、代理出席の要請がある場合に、それに対処するというルールがあり、早坂さんの代理として、日本医療社会福祉協会副会長の鈴木さんに参考人としてそれぞれ代理出席をお願いしたいという話があります。その出席をお認めいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

(「異議なし」と声あり)

○樋口座長 鈴木さん、何か一言ありますか。

○鈴木参考人 よろしくお願いいたします。

○樋口座長 それでは、きょうは議題1の「先進的な取組について」でさまざまな模様を伺うことができると聞いておりますけれども、このマル1、マル2、マル3、マル4のうち、これが長い時間になるとなかなか大変なので、2つに分けて、まず「マル1 自治体」の部分について報告していただいて、その後に少しコメントか質問か、これは短時間という形で予定しております。だから、前半と後半に分けて、事務局から資料1及び2を用いて説明をいただいて、その後、川平さんから、宮崎の方だと伺っていますが、資料3「わたしがわたしらしく生きるために… わたしの想いをつなぐノート」という試みについて御説明をいただきます。これが前半部分になります。

 その後、簡単な質問があればそれをいただいて、後半にマル2、マル3、マル4でここの委員の方あるいは参考人の方からお話を伺うという順番になると思いますので、よろしくお願いいたします。

 それでは、全般的な話かもしれませんが、まずマル1の自治体関係の事務局からの説明をお願いしたいと思います。

○桑木在宅医療推進室長補佐 事務局です。

 まず「本日のヒアリングテーマ及び意見交換のポイント」を最初に提示したいと思います。

 資料1をご覧ください。<本日のヒアリングテーマ>でございます。

 1つ目ので「国民に対して、様々な場面で『人生の最終段階』に関する情報提供や普及啓発に対する環境の整備が、不十分」ということで、「人生の最終段階について『考え、話し合い、つなぐ』きっかけを作る自治体の取組」をまず紹介したいと思っております。

 次に「本人の意思が、家族や医療機関等で十分に共有されていない」ために、本人の意思をうまく反映していない医療が行われている可能性が示唆されております。それにつきまして「医療の現場における課題とそれに対する取組の紹介」をいたしたいと思います。

 「『人生の最終段階』について」は、病気になったときからというよりは、ふだんから考える機会とか、本人の意思を家族等と共有する環境の整備が不十分ではないかという御指摘がございます。「本人の意思を表明し、共有し、想いをつなげていく、地域での連携に関する取組」を紹介したいと思います。

 これらのヒアリングを踏まえまして「人生の最終段階における医療について、多様な場面での取組を参考にし、『本人の選択と本人・家族の心構え』を形成していくためには、どのようなことが求められるか」について御議論いただければと思っております。

 続きまして、資料2で、私たちのほうで自治体の取り組みをまとめたものをここで報告したいと思っております。資料2「人生の最終段階における医療の普及・啓発等の取組に関する実態調査(自治体)結果」でございます。

 1枚おめくりいただきまして、2ページになります。

 都道府県と全市区町村に対して、アンケート調査を行っております。その結果を3ページ以降に記載しております。

 あなたの自治体は、人生の最終段階における普及・啓発の取り組みは何かやっていますかという質問を投げたところ、都道府県では、既に作成しているところが11県、現在作成中が1県です。

 市区町村につきましては、作成しているところが112、現在作成中は26自治体ということで、これが今後の普及・啓発の一つの足元値になると考えております。

 4ページは、パンフレットをつくっている、市民公開講座をしているといった、あなたのところではどういったことをやっていますかというものを都道府県ごとにまとめております。パンフレット、リーフレットを作成したのは全国で138、講演会等を行っているのが377という結果になっております。

 続きまして、5ページ以降は、具体的にどういったことをやっていますかというアンケートになります。作成したパンフレットをどのような対象の年齢に配っているのかということで、特に制定していないところが一番多かったのですが、それ以外では65歳以上、75歳以上が次に多い結果となっております。

 6ページに、自治体における資料の配布はどのように行っていますかとお尋ねしたところ、市民を対象とした市民公開講座や出前講座等で配布している。「手渡し」「配架」の具体的な場所については「保健所、保健センター以外の行政窓口」で行っているという結果で、次に多かったのが「医療機関」という結果になっております。

 7ページに、「資料の内容について配布時に説明を行っているか」という質問に関しましては、約4分の3のところが「説明を行っている」という結果になりまして、「医師・保健師・看護職員」等が全体で多く説明を行っているという現状がわかりました。

 8ページは「資料に記載されている内容について」の複数回答をいただいております。資料に記載されている内容は、「人生の最終段階を迎えたときの療養場所や治療の希望などについて予め思いを表明したり家族等と共有したりすることや何度でも見直すことの重要性の説明」が回答として最も多く、逆に「人生の最終段階にある人の心身の変化」に関しては25.4%と低い結果となっております。

 9ページには「資料に本人の意思を記入する様式(欄)の設定状況について」をお尋ねしたところ、「5 人生の最終段階に過ごしたい療養場所、最期を迎えたい場所」「6 緊急時の連絡先」「7 記載日」等の記載が多かったという結果になっております。

 以下、そういう取り組みをしたことにより、どのような効果が得られたかを10ページに記載しておりまして、こういった資料を配付する取り組みの効果としまして「住民の関心が高まる」であるとか「考えるきっかけになる」とか「家族と話し合うきっかけになる」という回答が寄せられております。

 一方、こういう資料配付に関する取り組みの課題とか留意事項はどういうことですかとお尋ねしたところ、「配付する時期、タイミングの見極めが難しい」「医療従事者や関係者の内容の理解、協力が必要」であるといった課題であったり、「直接説明した上で資料を配布する」ことに留意して行っているという回答結果が得られております。

 以降は、【参考】にもう少しアンケートの自由記載等を書き出したものになっております。

 自治体の取り組みの調査の紹介は以上です。

 あと、机上配付しております、清水構成員から提供いただきました「心積りノート」が、内側にもう一冊入っておりまして、「考え方・書き方編」と「記入編」の2冊構成になっております。清水構成員のほうから、どういった意図でこういうものを作成したかという概要をいただきましたので、御紹介いたします。

 「心積りノート」は、これからの人生を快適に自分らしく生きるために、今後の暮らし、活動、治療やケアについて、心づもりを支援するノートということで、考え方・書き方編と記入編から構成されています。

 いわゆる「終活」ではなく、「老活(おいかつ)」を支援するツールということで、事前指示書と違うところは、事前指示書は、最期の時期に何をしてほしいか、あらかじめ書いておくものである一方、この「心積りノート」は、これからの人生をどう生きようかと、あらかじめ計画することを支援するものという目的でつくられたようです。

 老いによる衰えの進行を見込んだ治療ケアについての心づもりで、老いが進むに従いまして、受けたい、受けたくない治療のケアの内容が変化していくことを考え、自分の人生に合った希望に表現できるように支援する役割を持つものとして、このノートを活用していただきたいということのようです。老いによる衰えの進み方の尺度としましては、臨床フレイル・スケールをベースにつくったと伺っております。この、臨床フレイル・スケールを使うことの利点としましては、今後、衰えが進んでいった場合に、受けたい、受けたくない治療について、医療者と話し合うときに、医学的治験とのすり合わせがしやすいことがメリットとして挙げられるということです。

 これらを踏まえまして、御自分の人生観、価値観に基づき、自分としてどこまでやるならいいかを心づもりとして記入していただきたいということで、結びとしまして、厚生労働省の今回の事業について、特に現在、健康な高齢者ないし、高齢者になろうとしている方たちが、今後の高齢期の生き方を心づもりすることを支援する面があると聞いております。この面を進める場合の一つのたたき台として「心積りノート」をごらんいただければ幸いですというコメントをいただいております。

 こちらからは以上です。

○樋口座長 桑木さん、ありがとうございました。

 もう一つ、きょうの前半部分で、今度は川平さんから資料説明をお願いすることになっております。よろしくお願いいたします。

○川平構成員 宮崎市の川平です。よろしくお願いいたします。

○樋口座長 資料3になりますか。

○川平構成員 資料3になります。よろしくお願いします。

 それでは、御説明いたします。

 「わたしがわたしらしく生きるために… わたしの想いをつなぐノート(略称:わたしノート)」といいます。

 まず、「宮崎市の概要1」ですけれども、人口が403,000人、高齢化率が26.3%ということで、全国平均よりやや低めということになります。

 人口の推移はそこのグラフにありますように、合併を2回繰り返しておりますので、徐々にふえたということになります。

 次のページです。

 「宮崎市の概要2」なのですけれども「人口ピラミッド」はそのようになっております。「○出生数・死亡数の推移」は、平成27年度には出生数より死亡数が多くなっております。

 その下で「○主要死因別死亡数の推移」なのですけれども、これも全国と順位は同じなのですが、1位が「悪性新生物」、2位が「心疾患」、グラフがおかしいのですけれども、3位が「脳血管疾患」、4位が「肺炎」、5位が「老衰」となっております。

 次のページです。

 「人生の最終段階における医療をめぐる現場の話…」ということで、なぜこのようなノートをつくることになったかというきっかけになりますけれども、

・医療の現場から

救急で運ばれてきた患者に延命治療を行ったところ、家族が望まない。

「本人の希望」と「家族の希望」が一致しているか判断としない。

・介護の現場から

認知症で、本人の意思が確認できない。

・延命治療を巡り家族の間で意見が違う

等がありました。

 「在宅医療の政策を検討するときに避けて通れない『看取り』の問題」があります。「全国統一的な取組みとは別に、地方で取り組めることがあるのではないか」ということで、平成25年度に「在宅療養支援事業」を立ち上げました。

 その【背景】といたしまして、

○最近は、終活、エンディングノートと言った終末期を考えさせる書物や映像が増えている。

 今や高度医療によって多くの場面で延命は可能であるが、仮に短くとも質のよい人生を送りたいと思う人も増えている。

 しかし、本人が最期まで意識鮮明な状態で治療内容を自ら決められることは稀であり、本人に代わって家族が決めることが一般的である。

 ところが本人の意思は必ずしも家族に伝わっておらず、意見を聞くべき「家族」の範囲も規定されていない。

 という背景になっております。

 【目的】といたしまして、

○市民一人ひとりが、将来の意思決定能力の低下に備えて、人生の最期の時間をどこで過ごし、どのような医療を受けたいか、元気な時から意識し、考えていくように情報提供する。

○住み慣れた環境でできるだけ長く過ごせるよう、また望む人には自分らしい終末期を迎えることができるよう情報提供し、市民が在宅療養について理解を深める

という目的で立ち上げました。

 検討する中で「○行政が取り組む際に必ず押さえておきたい点」といたしまして、

・「医療費削減」のためではないのかといった誤解を与えないようにすること。

・書面として残すことだけが、大事なのではない。

・治療を「しない」希望を残すためではなく、治療を「したい、して欲しい」という希望・想いを伝え、「つなぐ」こと。

・誤解した時に、きちんと対応できるようにしておくこと。

・水先案内人ができる医療従事者を育てること。

 また「○エンディングノートに関する意見」といたしまして、

・たくさん書店から出ているのに、行政が作成する必要性は?

・市としてはエンディングノート使用に向けてのガイド本を作成する方針ではどうか?

・エンディングノートを所持していることを表示させてはどうか?

・「エンディング」という名称も、今はブームなので理解されるが、ブームが去った後は、名称だけ先走り、誤解(エンディング=人生の終わり)を招く可能性もある。

という意見がありました。「自らの意思を決めるにあたって」は、

・既存のエンディングノートでは

 延命治療を望むか、望まないかの2択が多い。

・延命治療もさまざま。

 延命治療にはどのような医療行為があるのか知らないで選択するのは難しい。

ということで、

・イメージできるように、手引きで解説。

・さらに実例も紹介。

しようということになりました。

 次のページですけれども、「『わたしノート』のプロジェクトの目指していること」といたしまして、

○全国的にも「エンディングノート」が取り上げられるようになっていますが、これを一過性の流行のような現象に終わらせるのではなく、それぞれの地域特性に根ざした実効性のある仕組みにしていく必要があります。

○すでに病気を抱えている本人だけでなく、ご家族や市民一人ひとりが、将来の意思決定能力の低下に備えて、人生の最期の時間をどこで過ごし、どのような医療を受けたいか、元気な時から意識し考えていけるような情報提供・支援体制を整備するために、医療・看護・介護・消防等を包括する「広域連携体制の構築」を目指します。

ということで、下のほうに「関係機関との連携」ということで、このような機関と連携をして、このノートを使っていきたいということでお示しをしております。

 次のページなのですけれども、この≪基本的な考え方≫が、プロジェクトをつくられた先生方が一番大事にされているところです。

1.書きたくない」という大切な「希望」

「エンディングノート」を書きたくない、という人に対しては、決して無理やり書かせてはダメです。(法的にも無効です。)

 この点をもし忘れてしまうならば、本人や家族の立場からすると、「早く決めろ」と急かされているように感じてしまい、結果としてそのことが、まるで「無言のプレッシャー」となって、本当は治療を続けたい、もっと生き続けたいと願っている想いをないがしろにしてしまいかねません。

2.「本心」を汲み取ろうとする姿勢

「人工呼吸器をつけないで欲しい」とエンディングノートに記してあったとしても、その背景にある理由をしっかりとつかむことなく、ただ字面だけを見て「人工呼吸器は希望していない」と拙速に判断するようなことがあってはいけません。

 あくまでもエンディングノートは、本人にとって何が最善の医療なのかについて、医師のみで決めるのではなく、家族も交えてチーム全体で話し合うためのひとつの「ツール」であって、決して「文書だけ」を独り歩きさせてはダメです。

 その人が、これまで生きてこられた「人生という名の物語」に寄り添い、家族と共に本人自身の人生観や価値観を大切にしながら「物語」を紡ぎだそうとする姿勢が重要です。

3.「文書だけ」を独り歩きさせない

 その意味では、もし、エンディングノートに強い法的拘束力を付与するような形での法制化が行われるようなことになると、それは「文書だけ」を独り歩きさせることになりかねず、現場の実情からかけ離れたものになってしまう危惧は拭えません。

「悩みながら、気持ちは揺れながら、決めきれない。」

というのも、あっていいこと。

最も大切なことは、

「想いをつなぐ」ことができる「支援体制の構築」、つまり「紙づくり(書くこと)」よりも(もちろん、それも大事だけど)、「町づくり」が大切

というか、「人とのつながり」が大事ではないかと考えております。

 今年度のプロジェクト会議のメンバーは、そこに示している方です。上から2番目の板井先生が一応、中心的な活動をしていただいています。3番目の市原美穂さんは「かあさんの家」をつくられた方になっております。

 次のページは、コピーが書いてあるのですけれども、皆さんの手元に実際のノートがありますので、そちらを見て御説明をいたします。

 まず、2冊セットになっておりまして、小さなほうが「わたしの想いもつなぐノート」、大きなほうが「書き方の手引き」となっております。

 小さなほうの小冊書をまず見てください。表紙をめくっていただいて、まず1ページに延命治療について、私は何番を選択しますと書くようになっております。1番が「最大限の治療」、4番は「自然にゆだねる」ということです。それとは別枠に、「痛みはとってほしい」などの希望を書くようになっております。ここにあらわせないことは、右の「わたしの想い」のところに書いてもらいます。

 実際にお渡しした方の中に、心臓がとまったら、とりあえず心臓マッサージはしてほしいけれども、あとは自然に委ねるなどという方がいて、1番と4番になるのですけれども、そういう選択がしづらいときは、右のページに書いていただくことになります。

 ただ、ここは現在のこの形は1ページ目で詰まってしまって、なかなかこの先に進まないことがあって、委員さんの中でも、例えば、5ページの「伝えておきたいこと」を最初に持ってきて、どのように最期を迎えたいかをまず書いてもらってから、1ページに移ったほうが書きやすいのではないかという意見もいただいています。また、これは2版目ですので、次のものをつくるときにはいろいろな点で検討していきたいと思います。

 あと、3~4ページには、いろいろな署名があるのですけれども、これを全て埋めなければいけないわけではないということです。

 最後のページには、かかりつけ医などを書くようになっています。

 続いて、大きいほうのノートを見てほしいのですけれども、こちらが「書き方の手引き」ということで、まず1ページが、なぜこのようなノートをつくることになったかということなど、ノートの活用方法。

 2ページが、延命治療について。

 3ページ目に、どのような延命を望むのか、望まないのかなど。

 4ページ以降は、具体的な医療についてわかりやすく、一般の方でもわかる感じで、絵を入れて書いております。

 8ページが、どのようなところに相談したらいいのかという相談先など。

 9ページは、かかりつけ医について。

10ページについては、在宅介護を支える専門職について。

11ページは、意思表示についてなど。

1213ページには、事例を紹介しております。

 この2冊をセットでお渡しすることになっております。

 引き続きまして、資料の27のスライドをごらんください。「『わたしの想いをつなぐノート』配付方法」です。

 宮崎市のこのノートは、「配ふ」の「ふ」の字は2種類あると思うのです。「配付」という字と、もう一つは「配布」という字を使うのですけれども、「配布」のほうは不特定多数の方に幅広く配るということなのですが、こちらの「配付」は、人を限定して手渡しで配るという意味がありますので、こちらの字を使っております。「本人に手渡し」を原則としてお配りしています。

1 「わたしノート」のことを熟知した市職員が説明をし、配付する。

2 エンディングノートアドバイザー(医師、保健師、看護師、介護支援専門員等)が説明をし、配付する。

3 出前講座で市職員が説明をし、配付する。

という3通りでお渡ししております。

 その「『わたしの想いをつなぐノート』配付要領1」が次のページです。

【目的】

 市民一人一人が、将来の意思決定能力の低下に備えて、人生の最期の時間をどこで過ごし、どのような医療を受けたいか、元気な時から考えていくよう理解を深めるための媒体として、宮崎市版エンディングノート「わたしの想いをつなぐノート(以下わたしノート)」を作成し、配付する。

 医療・看護・介護・消防関係者等にもこのノートの存在を周知し、連携を取っていけるよう体制の構築を進める。

その下ですけれども、【配付対象者】として「以下のいずれかに該当する人」ということで、

1 宮崎市内に住所を有する人

2 宮崎市内の事業所に勤務する人

3 「わたしノート」を研究等のために利用したい団体等(市内外は問わない)

ということになっております。

 配付要領3ですけれども、【配付場所】といたしまして、

1 原則的にエンディングノートアドバイザー(医師、保健師、看護師、介護支援専門員等で終末期について関わりがある専門職)が説明し、配付する。

2 新規は一人につき「わたしノート」「わたしノート書き方の手引き」を各1冊ずる同時に配付する。

3 「わたしノート」は何度でも書き直すことができ、要望により何度でも配付可能。

ということです。

 【配付場所】は、そこの下にあるような場所になります。

 「配付時に市民に説明する内容」なのですけれども、大分重複する内容が多いのですが、ここも大事にしているところです。

・宮崎市のエンディングノートは、終末期の医療について焦点を当てたものです。市民一人一人が自分らしい終末期を迎えるため、つまり自分らしく生ききることができるようにと想いをこめて作成されました。

 例えば、「書き方の手引き」P5にあるように、人工呼吸器はいったん装着されると現在の日本では、本人や家族の要望があっても取り外すことは、法的にはまだ完全に認められていません。

 自分はどこまでの延命治療を望むのか、家族の想いはどうであるのかを話すきっかけとしてください。

・治療を「しない」という希望を残すためだけでなく、治療を「したい」という希望を伝えるためのものでもあります。

・無理をして書く必要はありませんし、また全ての項目を埋めなければならないということも決してありません。

・「書き方の手引き」には、作成するに至った背景や記載するにあたって大切なことが書いてありますので、必ず読んでから書き始めましょう。

・書いた後は、自分の想いを家族や関係の深い医療従事者に伝えましょう。想いを共有しておくことが大切です。

 小冊子P3に署名欄がありますので、理解をしてもらえたら記載してもらいましょう。

・いつでも書き直しは可能です。書き直す場合は、新しい小冊子をお渡しします。

次のページですけれども、

・わかりやすい場所にしましょう。

 保管場所は誰かに伝えておくと安心です。

・この冊子があれば、必ずこのとおりになるというものではありません。ただし、現在では延命治療について本人の意思が尊重されるようになってきています。

・宮崎市では、医療・看護・介護・消防関係者にも「わたしの想いをつなぐノート」についてご理解いただき、この冊子を提示された際の対応について連携をとっていけるような体制の構築を目指しています。

ということです。

 その下が「配付する側が押さえておきたいポイント」ということで、大分重複している内容も多いですので、ここは割愛させていただきます。

37のスライドなのですけれども、「悩みながら、気持ちは揺れながら、決められない」「一度決めたけど、気持ちが変わった」ということもあっていいこと。

・一人一人が

・自分らしい人生の最期を迎えるためには

・元気なときから

・家族と一緒に

・人生の最期の時間をどこで過ごし

・どのような医療を受けたいか

を考えていただくことが重要です。「それでも書くのは難しい」ものになっております。

 次に、「アドバイザー養成講座」について御説明いたします。

 <アドバイザー養成のきっかけ>といたしまして、26年度のプロジェクト会議におきまして、周知・啓発を検討していく中で、「わたしノート伝道師」を養成してはどうかという意見が出ました。

 翌年、身近な場所で身近な人から配付するために、アドバイザーを養成する講座を提案し、28年度から開始いたしております。

 <アドバイザー養成の目的>といたしまして「身近な場所で身近な人から配付を行い、配付窓口の拡大を行う」ということで、より住民に近い方に配付をしてもらおうということで、住民の気持ちに寄り添いながら配付したいということで行っております。

 現在のアドバイザー講座が、そこの表にあるように行っていまして、先日9月21日にも行われて、このときが128名の参加がありまして、現在1,017名の方が講座を受けられています。

 もう一つ、フォローアップ研修というものもありまして、実際にアドバイザーになられて配付をした方に集まっていただいて、どういう手応えがあったのかとか、書きづらかったとか、説明はどうだったのかなどを、グループワープをしたりして意見をお聞きしています。

 次のページですけれども、アドバイザーを受けられた方の人数なのですが、一番多いのが看護職、次がケアマネジャー、介護士ということになっております。

 「ノート配付実績」は、下にありますように、「出前講座」というもので3,680冊、「各窓口」で配っていまして、合計しますと19,909ということになっております。

 次のページですけれども、「ノート配付窓口」といたしましては「居宅介護支援事業者」が25%と最も多く、続きまして「薬局」「地域包括支援センター」ということになります。

 その下は「市民への回覧文書」とか、アドバイザー講座のことを記事にしていただいた、地元の新聞ということになります。

 それから、実際の出前講座の中身についてなのですけれども、市の職員が、市民が10人以上集まったところに出向いていって説明することになっています。

 見ていただきますと、そのように死ぬまでにしたいこととか、いろいろなものを思い浮かべたりとか、最後の晩さんは何を食べたいかということで、自分の最期をいろいろイメージしていただいて、その後、いろいろな統計とか、いろいろな実例などを紹介した後に、スライドを終わりまして、実際にノートを配りまして、皆さんに書いていただいています。実際に、さらさらと書かれる方もいれば、なかなか筆が進まない方もいらっしゃるので、書けない方はおうちに持って帰っていただいて、家族と話し合って書くなど、そのようにしております。

 スライドの59ですけれども、「今度の課題」といたしまして、

○H26~H28年度の3年間で、約19,000冊の配付を行っているが、まだまだ市民への周知(配付)が少ないので、今後どのように周知していくか。

というところが問題です。

○配付した「わたしノート」が実際にどのように活用されているのかを把握できていない。

○関係機関(医療関係、消防局、介護関係)との連携の構築」が不十分である。

○かかりつけ医への周知と理解が不十分である。

○救急の現場(消防、医療機関)でどのように活用されているのかが把握できていない。

ということで、今年度、アンケート調査を行っているところです。

○現在のエンディングノート(第2版)で記入しにくいところがあるので、再度見直す必要がある。

ということで、来年度、見直すことになるかと思います。

 以上で説明を終わらせていただきます。ありがとうございます。

○樋口座長 川平さん、ありがとうございました。

 ここまでが前半部分ということで、きょうは「1 先進的な取組について」という表題をつけて、自治体全体の話と、宮崎市のお話を伺いましたが、ここで質問ぐらいにして、御存じだと思いますが、きょうは2時間ではなくて2時間半用意してあるので、最後のところでディスカッションやいろいろな御意見を伺いたいと思っているのですが、ここまでで質問等があれば受けたいと思いますけれども、いかがですか。そうやって抑制的なコントロールをして、どうですかと言われても困りますか。

 いや、本当に遠慮されることはないです。一定の時間はとってありますから、横田さん、どうぞ。

○横田構成員 横田でございます。

 本当に行政あるいは市としての先進的な取り組みの紹介をありがとうございました。

 私どもが医療の現場にいるときに考えるのは、事前意思だとか、エンディングノートを記載するという取り組みのときに、現場で行われている医療がどういうものかをきちんと説明するのが前提だと思うのです。

 実は、今年の最初に日本集中治療医学会が、患者さんのDNARの意思を表明している人が最近、時々おられるのですが、それに医師は慎重に対応してくださいというメッセージが出されました。

 それはなぜかと申しますと、これも米国の有名なクリティカル・ケアの雑誌で、集中治療室で最も死亡を左右するオッズ比が高かったのがDNAR、すなわち、DNARを表明していることで、本来助かる命もそれで亡くなってしまうことが報告されたのです。ですから、きちんとした延命治療はどういうものか、それから、実際の現場でどのような医療が展開されているかという説明がきちんとされた上でのエンディングノートだと思うのです。

 最後のほうに「マイエンディング講座」という説明があったと思うのですが、その辺の取り組みを具体的に教えてほしいと思うのですけれども、いかがでしょうか。

○樋口座長 川平さん、どうぞ。

○川平構成員 具体的な医療についての説明ということなのでしょうか。このノートを配付するときに説明するといったら、この手引の中にあるようなことぐらいです。

○横田構成員 途中にもあったのですが、人工呼吸器をつけたほとんどの方は、元気になってまた退院できるわけですよね。その一部の方が残念ながら、人工呼吸器が離脱できなくて、場合によっては死亡する。だから、そういうことも含めた延命措置だとか延命治療ということになると思うのですが、どういうことが医療で行われているかという説明は実際にはどのようにされているのかと思って今、質問したのですが、いかがでしょうか。

○川平構成員 その時々によって、医療の内容が違ってくると思うのです。例えば、交通事故で危ない状態のときなのか、がんの末期の状態なのかということで、終末状態はいろいろ違うとは思います。けれども、そういう細かいことを設定したら、このノートは書けなくなります。本当にざっくと考えて書く、言ったらおかしいのですけれども、自分がどのように死ぬかは誰もわからないわけです。実際に私も、 80の自分の親に説明したのですけれども、やはり自身もどのように自分の両親が亡くなるのかは想像もつきません。もしかしたら人工呼吸器をつけたら生き返って、それを外すことになるかもしれないですけれども、例えば、がんの末期であれば難しくなりますので、そういう細かい場面設定を始めると、このノートは書きづらくなると思うのです。  だから、ノートを書いていただくのは、本当に一般の方なので、細かいことを説明してもわからないと思います例えば人工呼吸器は、こういうものですという説明はしますし、その方が人工呼吸器は嫌だと言われても、そのときに医師がぜひ必要だと言われれば、別に行ってもいいということなのです。だから、書いたこと全てではないというのは、そこを書いているわけです。

 ただ、どういう思いでその人が最期を迎えたいかという部分だけは大事にする。例えば、どういう状態であっても、全ての医療を受けて、管を全部して、人工呼吸器も全部してもらって死にたいのか、なるだけ自然な形で死にたいのか。そういう大まかな希望というか、そういうものを家族とかみんながわかっていると、いざというときに家族に判断を委ねられても答えられるのではないかという視点で説明しております。

○樋口座長 ありがとうございました。

 今、横田さんと川平さんとの間で交わされた問答は非常に重要なポイントだと思います。ここまでの話をちょっとだけまとめて、後の議論に参考になるといいと思って申し上げます。自分ではそのつもりなのだけれども、本当にそのつもりだけノートみたいな話になるかもしれないですけれども、3つだけにします。

 1つは、最初に自治体についていろいろ調査をしてくださったけれども、まだまだ取り組みは不十分なこともある。しかし、ある程度の数のところでいろいろなことをやっていると言うのですけれども、その中心は「医療の普及・啓発の在り方に関する検討会」という名前ですから、啓発のあり方についていろいろな自治体で考えられているのが、まず、こういう問題について講演を何回ぐらいやっているかというデータがありましたね。

 それから、次がパンフレットを作成して配布する。その中の一部なのかもしれないけれども、守山市その他、宮崎だけではなくて、エンディングノートをつくっているようなものもある。

 問題は、我々がもしうまく考えることができれば、普及・啓発のあり方が、今のような講演、パンフレット、エンディングノートだけなのかということです。もちろん、これについて議論することは大切ですけれども、もっといい方法があるのだという何かアイデアがあるようであれば。

 2つ目は、川平さんのところで、とにかく宮崎については私も前から伺っていてというか、中身は本当は知らないのですけれども、とにかく先進的な試みをやっておられる。どこが先進的なのかという話で、きょうわかったのは、誤解だったら申しわけないですが、とにかくエンディングノートをつくって、その辺に置いておいて、どうぞとっていってくださいという話ではなく、必ず手渡し。それも、手で渡すだけではなくて、相手に時間があればちゃんと説明する。ただ、その説明の内容が、横田先生の言うような、一人一人に合わせて、こういう病状があり得るからとかというデータを持っているわけでもない。そういう話ではない。一般的に、高齢者についてはこういうことがあり得ますから、その上で、そういう説明の手渡し方式で一歩一歩やっている。それで、アドバイザーや説明者もふやしているのが先進的なのかなと思います。

 ただ、その効果をはかるのが難しい。ご報告にもちゃんと出ていましたけれども、では、実際に書いてくれる人がふえることがいいことなのかというと、無理してやらせることは絶対しないという話なので、受けとっても書くかどうかはわからない。しかし、何か先進的な試みが、どこかでみんなに喜んでもらえることをどうやって探し出すかみたいな話ですよね。そこのところは、ここでも課題として書かれてあるし、きょうの報告の中で、ほかの先生から出てくるのかもしれないのですけれども、うまくいくとそういう話があるかなと思います。

 3つ目は、きょう、町野さんと佐伯さんは刑法の有名な学者でして、そういう人たちに立ち向かうようなことを言うのは問題なので、あくまでも情報提供だけ。

 この32ページのところに、川平さんのこれでいいと思うのですけれども、「書き方の手引き」の5ページに「人工呼吸器はいったん装着されると現在の日本では、本人や家族の要望があっても取り外すことは、法的にはまだ完全に認められていません」という説明をするわけですよね。法的に完全に認められていないけれども、こうやってそれに反することもこのノートで書いているという話は、誰でも疑問が出そうな話なのですが、一つだけ。私は別にここで意見を言うのではなくて、情報提供です。

 ついこの前です。世界医師会のSecretary General(事務総長)がドイツの人なのですけれども、日本に来て会議をやっていたのですが、たまたま私は横の横に座るチャンスがあったので、いろいろ話をしてみました。その中の一部にこういう話があって、その人が言うのは、とにかく現在の日本がどうというのではなくて、一般的な医療倫理として、本人や家族の要望があっても、それでも治療するのは違法です。それ自体法律に反しているというのが、世界医師会的な、ある意味違法だとは言っていたけれども、それは法律の話ではなくて、医療倫理、まさにインフォームド・コンセントに反するようなものだという理解が、世の中ではあるという情報提供だけはしたいと思います。

 それでは、しゃべり過ぎて本当に辟易されたと思いますが、後半の部分で、ほかの方々にもお話を伺いたいと思います。

 どうぞ。

○木村構成員 非常に重要な問題なので、今の人工呼吸器を外す問題は後にするとして、ちょっと質問したいのは、42ページのところの「ノート配付窓口」の中で「病院」が少なくなっているのですけれども、これはなぜなのでしょうか。

○川平構成員 アドバイザーになられている先生が少ないからだと思います。

○木村構成員 わかりました。

○樋口座長 単に配付だけではなくて、説明もというとなかなか大変ということですか。

○川平構成員 そうですね。でも、病院が15で、診療所が12ですよね。

○樋口座長 それは、宮崎市の中では相当な数ではあるのですね。

○木村構成員 パーセンテージは低いですよね。

○川平構成員 まだまだです。

○木村構成員 一番こういうものが身に迫ってくるところなので、ここは少ないと思いますが。

○川平構成員 そうですね。医療機関というよりは、うちはまだ元気なうちから考えていただこうというのが目的なので、できたら病院に行くまでの方に書いていただきたいという思いがあります。

○樋口座長 ありがとうございました。

 引き続き、後半部分のお話を伺いたいと思います。

 資料4について横田さんから、それから、資料5について、「松戸市ふくろうプロジェクト」の御紹介ということで、山岸さんにお願いし、資料6はACPAdvance Care Planning)の実践として、紅谷さんからということで、お三方に大体15分ないし20分の形でお願いしてあるそうですから、お願いしたいと思います。

 まず、横田先生、どうぞ。

○横田構成員 横田でございます。

 資料4をごらんになっていただきたいと思います。

 私の資料は「救急・集中治療における終末期医療に関するガイドライン」ということであります。このガイドラインをつくったそもそもの経緯だとか、あるいは背景をお話ししたいと思います。右下に番号が振ってありますので、番号順に行きたいと思います。

 まず、1ページめくっていただいて、2のところです。救急・集中治療というのは、ここにキーワードを幾つか書いてありますが、多くの医療に共通する部分と、独自の部分がございます。共通する部分としては「・高齢化、多死社会」あるいは「・多様な倫理観」を持っている方々がおられる。あるいは「・複雑な家族関係」だとか、今、お話のあった「・生前意思、事前意思」。

 一方で、救急・集中治療では「・高度な医療機器」を駆使して救命を図る。さまざまな職種で「・チーム医療」を展開している。その中で、「・IC、承諾書等の取得、記録」をしているということでありますけれども、特に救急車で搬送されるような場合等を含めると、「瞬時の判断」が医療者側に求められる背景も特徴なのかと思います。場合によっては,御本人の意識はない、さらに家族もその場にはいないことがむしろ多いということであります。

 この「終末期医療」に関しては、厚労省が「人生の最終段階における医療」ということで、3ページに書いてありますが、言いかえるということですけれども、今回の私どものガイドラインは、そういう経緯がございまして、「終末期医療」という表現をここでは使わせていただきます。

 次に、4ページでありますが、この10年来のいろいろな組織からの、終末期にかかわる

いろいろなガイドラインや指針が出ていますけれども、4ページにあるのは、日本医師会が平成16年2月に公表したものです。「医師の職業倫理指針」の中に、「・末期患者における延命治療の差し控えと中止」が書かれていまして、「医師はそれなりに慎重に判断すべき」とある。

 この問題になる部分は、そこに書いてあります「薬物投与、化学療法、人工透析、人工呼吸、輸血、栄養・水分補給など」が問題になるわけですけれども、こういう差し控えと中止が可能になるのは、「マル1 回復の見込みもなく死が避けられない末期状態」だとか「マル2 治療行為の差し控えや中止を求める患者の意思表示がその時点で存在」するということですが、マル1の判断は実際、特に救急の場面ではなかなか情報もない中で難しい。

 それから、マル2のところも、意識もない患者さんが多い、あるいは事前意思を表明していない場合のほうが多いだろうという背景がございます。

 5ページのところですが、同時期に日本集中治療医学会から、医師の倫理綱領が公表されまして、その中では「治療の継続・変更・中止に関しては、患者あるいはその家族の十分な理解と同意のもとに行う」と書かれています。これらは、それぞれ全く正しいことだと思います。ところが、どうも我々救急場面にいる者にとっては違和感があるということです。

 それが、次の6ページに書かれているのですが、何ゆえ違和感があるかということなのです。

 次に、7ページをめくっていただきますと、開始された治療の後に、実際は救命不能な状態だと判断されることが多々あるということであります。

 それから、先ほども申し上げましたように、「本人はもちろん、家族の意思表示は困難で期待できないことが多い」、あるいは家族の意思は、急激に起きた重篤な状態のために、非常に混乱して、時に全く違った意思をお話しされることがよくあります。

 それから、そもそも終末期の定義や、その対応についての具体的な記載が、先ほど2つの組織から出たものには書かれていなかったということで、具体的に終末期がどういう状態なのか、あるいはそのように判断した場合には、どのような対応が可能なのかを具体的に記載する必要があるのではないかというのが救急学会の考えでありました。

 そこで、学会としてはかなり丁寧なプロセスを考えて、このガイドラインの作成の経緯に至ったわけであります。これが8ページのところです。

 まず、どういう問題が実際にあるかを抽出する目的で、架空のシナリオを私は7つ用意しまして、それを当時の救急学会の指導医417名、それからそこに働く看護師長606名にアンケート調査を行いました。

 それらの意見でガイドラインのドラフト版のドラフト版を作成しまして、それを法曹界や学会員や学識経験者、宗教家、警察官などさまざまな方から御意見をいただき、さらにパプリックコメントをいただきました。それで、学会としての合意を取りつけたというプロセスであります。

 実際の架空のシナリオのキーワードは、次の9ページに書かれています。

 7つの症例の提示なのですが、例えば「若年者、脳死判定後、家族は脳死を受容せず」とか、あるいは若年者で、労災で非常に救命不可能な重篤な熱傷の患者さんだとか、しかも呼吸不全が合併していて、100%の人工呼吸器の酸素を使ってもバイタルの維持ができない患者さんだとか、あるいは御高齢で、認知症があって、心肺停止後の脳蘇生を行って、蘇生はできたけれども意識がない患者さん。こんな代表的な、我々が経験するような架空の7つのシナリオを用意しました。

 その一つが、1ページめくっていただいた10ページです。

 ここには、55歳の男性例で、肺がんの全身転移の末期の患者さんで、自宅療養中ですが、帰宅した奥さんが倒れている患者さんを発見して、救急車を要請しました。救急隊到着時は心肺停止状態で、救急隊が心肺蘇生術を施行しつつ、病院に搬送したわけですけれども、搬送中に心拍が再開した。ただし、病院到着後は意識は戻らず、深昏睡で両側の瞳孔が散大し、血圧も不安定であった。直ちに集中治療室に入院して加療したところ、とりあえずバイタルサインは落ち着いて、後で奥さんが来て、がんの末期であることが判明したというシナリオであります。

11ページをめくっていただいて、選択肢が7つあるのですが、あなたならどういった対応をしますかというアンケートをそれぞれ専門医、看護師にしたわけですけれども、それぞれマジョリティーというか、多い判断はあるのですが、数は少ないながらも全てのところに答えている方もいる。

 それから、もう一つ特徴的なのは、医師と看護師でばらつきというか、分布が違う。これは恐らく、2つのことが言えるのではないかと思いました。それが12ページです。

 それぞれ個人の倫理観によって、さまざまな判断があり得ること。それから、その判断は、職種によって少し傾向が違うのではないかという2つが、この7つの架空のシナリオのアンケートから明らかになったわけであります。

 ということで、ここはガイドラインをつくるに当たっては、前提として「・複数の人間の判断」と「・多職種の判断」がここでは重要であることが明らかになったわけであります。

 ということで、日本救急学会の基本的なスタンスとしては、「・本人の事前意思、事前指示」「・家族の意思」を前提に、「・複数の医師の判断」、それから「・医療チームの判断」、それから、何といっても後で検証可能な記録をきちんとすることを、この基本的なスタンスとして、ここのガイドラインをつくり込んだわけであります。

 さまざまなプロセスの中で、この終末期の判断としては、14ページに書かれている4つの場合は、救急・集中治療の終末期と判断していいのではないかということを公表させていただきました。

・法的脳死判定基準、他の基準で脳死(臨床的脳死診断(当時)を含む)の場合

・新たに開始された人工的な装置に依存し、生命維持に必須な臓器の機能不全が不可逆的であり、移植などの代替手段もない場合

・さらに行うべき治療方法がなく、現状の治療を継続しても数日以内に死亡することが予測される場合

・悪性疾患や回復不可能な病気の末期であることが、判明した場合

この4つの場合は、救急医療の終末期と判断していいのではないか。

 ただし、ここは判断基準で4つの項目がありましたけれども、それに前提としてはさまざまなことが記載されています。例えば、透析の患者さんだとか、あるいはALSの患者さんとか、そういうものはそもそも該当しませんというのを前段のところに詳細に書いてあります。こういう4つの項目を満たした場合には、複数の医師、多職種で判断できた場合にはこのような判断が可能だろうということです。

 さらに、そのように判断した場合には、この4つの対応も可能だろうということです。

□人工呼吸器、ペースメーカー、人工心肺などを中止、または取り外す。

この場合には、短時間で心停止に至ることが想定されるために、家族の立ち会いのもとに行う。

□人工透析、血液浄化などの治療を行わない。

□人工呼吸器設定や昇圧剤投与量など、呼吸管理・循環管理の方法を変更する。

これは、お薬を減量するとか、そういうことを含めております。

□水分や栄養の補給などを制限するか、中止する。

これが、救急学会のガイドラインでありました。

 このようなガイドラインを公表したら、実は日本集中治療医学会あるいは日本循環器学会のほうから連絡がありまして、我々もこのガイドラインに大いに賛同する。ただし、もう少し書き込む必要があるところもあるのではないかということで、ここの17ページに書いてありますように、3学会合同のガイドラインをつくろうという作業班が形成されました。その理由はそこに書いてあるマル1、マル2、マル3で、ほぼ想定している患者さんが一致していること、終末期の定義に関してほぼ同じような考えを持っていること、それから、たくさんの学会がそれぞれガイドラインや指針を公表すると、やはりそれは社会的に混乱を招くのではないかという意見の一致を見て、この3学会合同ガイドラインの作成の作業に移ったわけであります。

 先ほどと同様に、非常に丁寧なプロセスを経まして、201411月7日にこの3学会合同の終末期のガイドラインを公表するに至りました。その経緯が、この1819に書かれています。これは、そのガイドラインを強要するものではないというところとか、どういう場面で使用するかをかなり細かく記載してあります。Q&Aという形式でも解説しています。その経緯が20ページにあります。

21ページに「3学会合同ガイドライン(2015.11)」と書いてありますが、これは「2014」の誤りでありますので、訂正をいただきたいと思います。

2223ページのところが、この3学会合同のガイドラインで公表した部分でありますけれども、先ほどの救急学会のガイドラインとほぼ同様な終末期の定義になっています。もちろん、御本人の生前意思あるいは家族の意思を前提に書かれていますが、先ほどお話ししたように、身寄りがない方だとか、家族意思決定ができないような場合も踏まえて対応できるガイドラインであります。

23ページには、先ほどの救急学会のものに若干補足した形で、その対応法に関しても書かれています。その四角のところでありますが、具体的な方法としては「マル1 現在の治療を維持する(新たな治療は差し控える)」。

 「マル2 現在の治療を減量する(すべて減量する、または一部を減量あるいは終了する)」。

 「マル3 現在の治療を終了する(全てを終了する)」といった選択肢で、具体的は「マル4 上記の何れかを条件付きで選択する」などが考えられるということで、先ほど紹介したような内容が書かれています。

 「今後の課題」でありますけれども、これは3学会とはいってもまだまだ同様な患者さんを対象とする学会がありますので、いろいろな学会との議論をこれから考えています。

 それから、実はこの3学会合同のガイドラインで、今、施設の任意の判断でウエブ登録のシステムをつくっているところであります。実は救急学会の先ほどのガイドラインでは、ウエブ登録をさせていただいて、約200例の症例が集まりました。今度はこの3学会のガイドラインとして今、ウエブ登録のシステムをつくっているところです。もちろん、このようなガイドラインが社会的にどんな位置づけがあるかというところも今後の課題だと思います。

 私からの説明は以上でございます。

○樋口座長 横田さん、ありがとうございました。

 続いて、山岸さんからお話を伺います。

○山岸参考人 慶應義塾大学、そしてあおぞら診療所の山岸と申します。

 今日はこのような機会を与えていただいて、心より感謝を申し上げます。

 それでは、早速、資料に沿って御説明をさせていただきます。

 救命というよりも、看取りに近い高齢者の救急搬送が増加しております。搬送された認知症を有する方に絞った場合ですけれども、2割がその日のうちに、6割が1週間以内に搬送先の病院でお亡くなりになっているというデータもございます。

 資料の8~9ページに、松戸市内でもよくある事例を提示してございますが、救急要請はある意味、延命治療のスイッチを押すことを意味するのだと捉えております。したがって、静かに穏やかに人生の幕引きをしたいとお考えの方にとっては、これはある意味、不幸なことではないのだろうかということを議論しております。

 一方、高齢者の救急搬送が増え続ける中、2次、3次救急の病院の受け入れにもキャパシティーがありまして、本来の救命救急医療を必要とする患者さんがなおざりになる可能性も潜んでおります。

 また、看取り期の高齢患者さんが一命を取りとめたとして、医療依存度の非常に高い状態で、残されたそう長くはない時間をどこでどう過ごすことが御本人にとって、そして御家族にとって最もハッピーなのか。救急医療にかかわる医療者はこうした葛藤も深めているという現状がございます。

 資料の2枚目にありますように、松戸市では、医政局の在宅医療連携拠点事業の一環として、こうした地域の救急の問題、そして在宅医療との連携の問題について継続的に考えてまいりました。

 3ページ目を見ていただきますと、これは救急患者の送り手の視点、受け手の視点、そして救急隊員の視点という3つの視点から抽出された「救急医療と在宅医療の連携のために解決すべき課題」でございます。これらは市内の他機関、多職種によるグループワーク及びインタビューによって抽出された課題を層化・集約したものでして、これから御紹介させていただく「ふくろうプロジェクト」は、この課題のうち、1番、3番、5番に対応するものとして計画しております。

 高齢者の救急搬送については、搬送時のみならず、人生の最期における医療の内容や質、それから退院後の療養場所の決定、各機関の職能と役割の分担など、松戸市においても多くの課題が未解決のままでしたので、これらを解決するプロジェクトとして、今回「ふくろうプロジェクト」というものを立ち上げました。

 このプロジェクトは、松戸市の高齢者支援課、それから松戸市消防局、そして医師会を初めとする市内の全ての医療福祉職能団体の共同事業として運営されております。また、文部科学省より研究助成を受けまして、調査研究事業としても展開しております。

 この「ふくろう」なのですけれども、松戸市の「市の鳥」がフクロウでして、研究時にも夜間にも目がきく特性にちなみ、通称を「ふくろうプロジェクト」といたしました。

 事業の具体については、4ページをごらんいただけたらと思うのですが、地域包括支援センターが15あるのですけれども、その管轄エリアで松戸市内を二分し、片方の地域でこのプロジェクトの4本の柱を展開、もう片方の地域ではこれまでどおりの対応を行うということで、2年後、終末期医療に関する希望を表明している人の数であるとか、死亡直前の救急搬送死亡や転帰、それから救急隊員の活動時間などを比較・検証するというデザインを組んでおります。

 それでは、4本のプロジェクトの柱について御説明させていただきます。

 まず「1.緊急時連絡シート」、これは「ふくろうシート」と呼んでおりますが、皆様のお手元に数が足りなくて申しわけないのですけれども、これは病状など、身体状況、それから緊急連絡先のみならず、今後の治療や療養に係る御本人の希望を記載しております。

 このふくろうシートですが、基本的に現在、要介護者に対して運用しておりまして、対象者のケアマネジャーが基本的に1年に1度、対象者のお誕生月に見直して、医師会の事務局に更新登録することにしております。ただし、病状が著しく変化した際、また、御意向が変化した際には、その都度、更新を行います。

 ふくろうの医学的情報に関しましては、基本的に介護認定のときの主治医意見書から転記できるように項目をそろえておりますが、必要に応じてはかかりつけ医や訪問看護師から情報を得たり、協働して記載をすることにしております。

 薬剤については、最初は転記する様式にしていたのですけれども、いろいろケアマネジャーの協会とも御相談しまして、薬局から患者さんがもらうお薬シートを、このふくろうシートと一緒に登録するということで、ケアマネさんのお手間を少しでも減らす運用にしております。

 それでは、6枚目をごらんいただけますでしょうか。

 ケアマネジャーさんが記入したふくろうシートは、医師会事務局に登録するわけですが、事務局はこのふくろうシートをQRコード化し、QRコードを付したカードがお手元にあるかと思うのですが、保険証と一緒にしまっておけるサイズのものと、冷蔵庫に張れるようなマグネットのステッカーのおなかの部分に張って、対象者の方に郵送するという手順を踏みます。

 7枚目をごらんいただきますと、もしも救急要請があった際には、電子証明書が入っている特別な端末を救急隊員が持っているのですけれども、その端末をこのQRコードにかざすと、瞬時にその方のふくろうシートにアクセスが可能になりますので、医療情報や御意向に関する情報を参考に対応するという流れになっております。

 このふくろうシートですけれども、救急隊員だけではなく、搬送先の病院やかかりつけ医、訪問看護師、かかりつけ薬剤師等も、担当する患者さん、担当する利用者さんのふくろうシートに関して閲覧権限がありますので、シート情報を活用できるという仕組みにしております。

 4ページにまた戻っていただいて、2つ目の柱の御説明をさせていただきます。

 今回、ケアマネジャーによる意思決定支援を柱の一つとしております。ここに記載がありますように、4つの選択肢を提示しながら、意思決定支援を行います。その際に用いるのが、お手元に配付させていただきました「もしもの時のハンドブック」でございます。

 意思決定を担うケアマネジャーさんは、ケアマネジャーが意思決定できるのかとか、医療に関してわかるのかという、ケアマネさん自身からも荷が重いであるとか、これを誰が担うのか、地域でどんな仕組みで運用していくのかということは、もうほぼほぼ1年かけて調整を図った次第なのですけれども、今回、最終的にケアマネジャーが担うということになりました。

 ケアマネさんには、常に対象者の方の意向を聞き出して、シートを埋めることが目的ではないことを強調しています。第1の目標は、対象者の方々がもしものとき、つまり、救急要請が必要になったそのときに初めて考えるのではなくて、もっと早い段階で、自分は最期はどこでどのように過ごしたいかを考えたり、御家族や近しい方と相談する機会を持っていただくことですので、結果ではなくてそのプロセス自体が最も重要であることになります。

 また、このふくろうシートに記載された意向が未来永劫変わらないことは決してありませんし、人の気持ちは揺れるものですので、必要に応じて適切な意思決定支援が提供され、ふくろうシートが更新されることが大前提になっております。

 また、意思決定支援については、ケアマネジャーさんには、ケアマネジメントの一環として意思決定をしていただくことをお伝えしているところですけれども、先ほど、横田先生からの御指摘もありましたが、医療の細かなところの意思決定支援は、やはりケアマネの専門性とは違うと考えています。ですので、今回はケアマネジャーが意思決定に介入しますけれども、ここの意思決定支援でフォーカスしてほしいのは、どこでどのように過ごしたいかを早い段階で考える機会を設定する。ここにフォーカスしてもらう。そのスタートラインに立ってもらったら、かかわる医療者も含め、ACPの過程をチームで支えていく流れにしたいと考えております。

 3つ目は「ネットワーキングとローカルルールの運用」としております。高齢者の意向を尊重した救急搬送を実現するために、受け皿となる病院の機能分化を進めて、その御意向にできるだけ沿った救急搬送及び医療の提供を行っていくためのローカルルールを策定しております。

 一例を挙げますと、2次、3次告示病院が市内に4つございまして、延命治療を希望する方は基本的にそこに搬送するというルールをつくっています。

 そして、2つ目の選択肢、延命治療よりも緩和的な治療を病院で受けたいという選択をした方に関しましては、今は7つの後方病院の協力機関がございますが、そこをあらかじめ登録といいますか、そのふくろうシートの真ん中ら辺に第1希望から第3希望まで搬送先の希望を書く欄がございますが、そこに病院名を具体的に記載してもらって、その記載された病院に関しては、事前にその方のふくろうシートを閲覧することができるシステムにしております。

 それから、3番目の「自宅や施設で過ごしたい」という御希望があって、かかりつけ医がいらっしゃらない方に関しては、ケアマネジャーさんのほうからかかりつけ医を推奨していただくという流れになります。

 その際に資する資料として、松戸市は300機関の医師会員の先生がいらっしゃるのですけれども、医師会の先生方にこういった意思決定支援も含めて、その患者さんや御家族を横軸で支えていただくようなかかりつけ医の役割を担ってくださる先生方に、手挙げをお願いしますと言ったところ、100件の医療機関から手挙げがございまして、その100件の医療機関の情報をこういったハンドブックにまとめて、ケアマネさんがそのかかりつけ医を推奨するときにこのハンドブックを用いるという流れにしております。

 こういったルールで運用しますけれども、実際、救急隊が行ってみて、延命治療はしたくないので、苦痛を緩和する病院に運んでほしいという希望があったとしても、救急隊が見て明らかに心筋梗塞で、何らかの治療を受ければ救命の可能性が高いと判断した場合は、その判断を優先するということで、このプロジェクトに参加の同意を得るときもそういった説明をしております。

 4番目が「市民啓発」になります。

 方法としては、講演会や市報、それから50代以上の女性はタウン誌をかなり見ることがわかっておりますので、タウン誌への記事掲載、それから市民による終活かるたの作製などをしています。市民の終活かるたに関しては、かるたの絵札を市内の高校生の美術部の子たちが描いてくれることになっていまして、ここで他世代交流もしながら、終末期や人生の最終段階をどう迎えるかなどを世代を超えて話し合う場にもなっております。

 いつも市民の方とお話ししていると、医療は病気を治して何ぼという認識を持っていらっしゃる方々の多さにいつも驚かされます。ここは医療者として、医療の限界であったり、医療ができることのアカウンタビリティーをきちんと果たして来なかったのかなという反省もございます。特に、御高齢で命の終焉を迎えようとしている方に対し、魔法のように医療の力で元気にすることはできない。我々医療者にできることは、彼らに薬剤や医療措置、そしてケアによってできるだけ痛みや苦しみがないようにしてさしあげること。また、その方がどのように過ごしたいかという御意向をもとに、それを羅針盤としてサポートすること。

 また、この羅針盤がなければ、我々医療者としてもどのようにサポートしてさしあげたらいいか非常に迷うのだということを、住民の方にもしっかりお伝えして、その羅針盤を住民のお一人お一人に考えてほしいことをお伝えしているところです。

 ふくろうプロジェクトの概要は以上になります。

 病院か在宅か、救急医療か在宅医療か、こうした二元論は全く意味がないとは思うのです。時々病院、ほぼ在宅という地域包括ケアシステムの基本的な文脈の中で、高齢の救急搬送患者を取り巻く医療者が、おのおのの立場で何ができるのか、真摯に向き合うことが重要であると考えております。

 お時間が限られておりますが、あと2つ、簡単に松戸市の取り組みを御紹介したいと思います。

10ページをごらんいただけますでしょうか。

 公衆衛生の取り組みで、「Child-to-Child」というアプローチがございます。これは、発展途上国で栄養状態が悪い、衛生水準の低い地域において、一番上の子供だけを集めて、栄養のとり方、手洗いの方法などを教えます。それで、その子たちに「きょう習ったことを、あなたたちのかわいい妹や弟にしっかり教えると、彼らは元気に過ごせるのだ」と言うのです。そうすると、教わった子たちは責任感と使命感を持っておうちに帰って、妹や弟にしっかり伝え、日々監督することで、地域全体の衛生水準が上がるというアプローチでございます。

 それから「Child-to-Parent」と言いまして、例えば、禁煙が減煙教育を大人にしてもなかなか難しいのですけれども、子供に伝えて、子供から親に伝えると、親の行動変容に至るという報告が幾つかされております。

 今回、我々がやろうとしていることは、子供にこういった地縁の大事さや、健康にコミットする重要性などを伝えて、子供から大人に伝えてもらう。それによって、その地域が変わるかどうかということで、「Matsudo Child to Community Project」、頭文字をとって「まちっこプロジェクト」というものを展開しております。

11ページを見ていただくと、医師会の先生方が小中学校に出前授業をしていくという形態をとっているのですが、今、認知症とがんの2種類の授業をつくっておりまして、これは基本スライドを事務局でつくって、基本的にそのスライドに沿って先生方にお話ししていただく。ただ、織り込む臨床エピソードは、その先生方のお持ちになっているエピソードをお話しいただくという流れになっております。

 この「まちっこプロジェクト」でも、この「4つのねらい」のうち、2番目にありますように「自分や家族の重大事を決めるために日頃から相談を積み重ねておくことが重要である」ことも伝えております。

12ページの「事前学習」というところで、特に今回、がんの場合は死を扱いますので、ペットの死も含め、身近で死とめぐり合わせたことがあるかという質問をするのですが、大体7割ぐらいの子供たちが「ある」と回答しています。そこでどう思ったかということも聞いているのですが、子供たちなりにいろいろ解釈をしている様子がうかがえますし、結構多い回答として、おじいちゃんが亡くなるときに僕は会いたかったのに、お父さんやお母さんが、あなたはまだ小さいからと言って会わせてもらえなくて悲しかった。こういったエピソードはかなり多く挙がってきているのが印象的です。

13ページの写真はグループワークの場面なのですけれども、ファシリテーターは地域の訪問看護師さんやケアマネさん、薬剤師会の方々などにお手伝いいただいています。このグループワークは、「サザエさん」の波平さんが膵臓がんになりましたという設定で、カツオ君の立場でお父さんのために何ができるかということを考えてもらうグループワークになっています。

 来年、こういった子供たちが大人に伝えることによって、地域全体の認識が変わるかどうかという介入後の調査がありますので、また皆さんにお伝えできたらと思っております。既に出ているデータとしましては、子供たちからこの授業の内容を聞いた保護者の方のリビングウィルの書面にする率であるとか、自宅でそういったもしものときの話し合いの回数は有意にふえているというデータは上がっております。

 2つ目の取り組みとしまして、病院かかりつけ医の二人主治医制度というものを挙げております。これは、市内の病院とかかりつけ医の役割を明確化し、分担していく。そして、それを患者さんにも明示していこうという取り組みです。

15ページにありますように、例えば、がんの場合、かかりつけ医といいますか、在宅医療も担うかかりつけ医になると思いますけれども、現状、3つ例示しておりますが、一番下が現状は多い形なのですけれども、かかりつけ医を持つことによって、もう少し前の段階から人生を横軸で支えることができるのではないかということで、こういったパンフレットなどをつくって、病院の先生とかかりつけ医の双方から啓発活動をしております。

 人生の終焉に近い方々への医療に絡む松戸市の取り組みを紹介させていただきました。意思決定支援、それから人生を横軸で支えるシステム、そして何より市民の方々お一人お一人に考えていただく。こういったことがキーになっていると思います。

 そもそも、生まれる、生きる、そしてその延長線上の死というのは、もともと生活の中での人間の営みだと思うのですが、今、死は医療側にぐっと引き寄せられてしまっている現状があると思います。そもそも、人の幸せや価値観は多様なので、こうすべきといった絶対はないのですが、御本人はもちろんのこと、かかわる方々の納得解をいかに模索することができるか。それから、この模索のプロセスそのものが、患者さんの尊厳を重視した倫理的側面からの、機関を超えたチーム医療を強化していくことになるのではないかと思いますし、この納得解を急性期病院も含めた地域全体で支えていきたいと考えております。

 プレゼンは以上になります。ありがとうございました。

○樋口座長 ありがとうございました。

 宮崎市と同様に、松戸市においてもまさに先進的な取り組みが行われていることがよくわかりました。ありがとうございました。

 最後に、紅谷さん、お願いします。

○紅谷構成員 よろしくお願いいたします。オレンジホームケアクリニックの紅谷と申します。

 私のほうからは、私の地域の一クリニックとしての取り組みを紹介させていただきたいと思います。

 私たちオレンジホームケアクリニックは、2ページにもありますとおり、2011年開設の在宅医療を専門的に行うクリニックで、まちづくりまで視野に入れた地域づくりを考えて仕事をしております。

 3ページ目なのですけれども、「人生における医療の役割」を一度、自分たちで考えるためにつくった図なのですが、人生を矢印であらわしておりまして、その途中で人生を脅かすような病気を発病したときに、病院での治療ですとか、それを引き継ぐ在宅医療の役割が出てくると思います。まさに「人生の最終段階」というステップだと思います。

 しかし、病気を管理するという視点から、健康的な生活を支えるという視点に地域での医療を切りかえてみると、例えば、障害をお持ちの方であればなおさらですけれども、障害を持っていない方であっても、地域での生活を支える形での医療はある程度、健診ですとか、そういう意味で必要であり、そう考えると、人生の最終段階に関する相談や議論に絞ると、がんなどを患ったときに話し始めなければいけない気もしてしまうのですけれども、そもそももっと人生の中でずっと必要な、繰り返すべき対話文化と言ってもいいのではないかと考えています。

 もちろん、大きな病気をするまでは、それほど頻回に深くは必要ないことであっても、グラデーションのように徐々に深くなっていく。生まれたときから考えていられればいいことかなと思っています。では、こういう軸の中で、私たちは何ができるのだろうということを考えて、地域で取り組んでおります。

 そのときに気がつきました課題を、次のページから挙げてあります。

 4ページ目に書かせていただいているのですけれども、「人生の最終段階の医療については繰り返される話し合いが重要」なので、「末期がん」ですとか、「胃ろう問題」などがピックアップされやすいのですが、「実際は『生活』の延長の中で語られるべき」ではないかと感じます。でも、そのように話そうとする中で、なかなかいざこういう話をしようと思うと、がんになったときがスタートになってしまうことが多いのは課題かなと思います。

 例えば、かかりつけ医の外来診療は非常に時間がなくて、時間が十分にとれないことがあると思うのですが、ある意味、かかりつけ医の診察を頻回に受けている中で、例えば、将来どのようにという話題がもっともっと多くなってくれば、そこはサポートの力も非常に大きいのではないかと思っております。

 続いて、5ページ目の「人生の最終段階の医療についての課題マル2」なのですけれども、「重要な選択肢となるはずの在宅医療・在宅療養について国民が知らない」。数年前から、もっと前から在宅医療普及というのは、在宅医学会も含めてやっているところではありますが、まだまだ国民は知らないのが現状ではないかと感じております。

 生活の中で病気とつき合っていく方法の一つが在宅医療だと思うのですけれども、この部分の選択肢として、病気になったら病院へというシンプルな一対一構造ではないところを理解していただくのは、現場でいろいろ取り組みをしているのですが、なかなか難しいと今でも感じています。

 次のページの課題マル3に書かせていただいたのですけれども、「人生の最終段階についての話し合い」というのは、どのように自分らしく生きていくかを大切にする話し合いのはずなのですが、「最終段階」という言葉もありますし、それが特にがんを患ったときなどに登場することになると、どうしても暗い話題になってしまうのかなと思います。本来はもっと前向きに、自分らしくこの先も、病気を患ったけれども生きていくことを選ぶための話し合いになるべきと感じています。

 ちょっと視点は違うかもしれませんが、私たちのほうでは、医療ケアが必要な重症心身障害児のサポートもしているのですけれども、彼ら、彼女らは生まれつき、人生の最終段階についての話し合いをもうずっと継続するような子たちなのですが、できるだけ未来とか家族や地域のつながりにスポットを当てて、前向きな話し合いを継続することで、地域に出てこられる、一般の保育園や地域の学校に出てくる医療ケア児がふえている実感がありますし、私たちがかかわっている、医療ケアが必要な重症児を育てているお母さんのうち、7割以上が働いているところにつながっている実感もありますので、こういう話し合いを未来軸というか、前向きにできるといいなと感じております。

 そして、課題マル4を7ページ目に書かせていただいたのですけれども、本当は生活全般の中で語られるのがいいと思っているわけですが、その中でもがんですとか、難病ですとか、老衰を含めた「医療に関わるような意思決定に限ったとしても病院で行われる意思決定はあくまで一時期的なものであり、生活の中で繰り返されるべき」だと感じています。私たちが在宅医療をやっていますと、後からデータもお示ししますが、初めは病院でAPCというか、今後のことを話し合ったときにはこう決めたとおっしゃっていた方でも、その後、大きく変化してくる方、日々の診療の中で変化している方が大変多くいらっしゃると感じますので、何とか在宅チームの中でも「生活の中で繰り返し相談される仕組み」があるといいなと感じています。

 そういう人生の最終段階についての相談に乗れる人材を、病院のほうで看護師やソーシャルワーカーを中心に育成することはもちろん非常に重要だと思うのですが、在宅にかかわる看護師やソーシャルワーカー、ケアマネジャー、介護職、かかわる頻度が多い人が理解しているといいなと思いますし、さらに地域のほうに視野を広げますと、民生委員ですとか、ひょっとしたら地域の人が集まるような公民館、またはその地域のカラオケ喫茶的なところの方たちも、そういう知識があったりして、ふとそういう話題になったりするチャンスがあれば、そういう話題が生まれるような地域ができてくると、この辺の文化が醸成されていくのではないかと感じることがあります。

 8ページ目なのですけれども、これは非常に実感と印象で語らせていただいて大変申しわけないのですが、在宅医療に深くかかわっている医師や看護師と話していると、この辺はほぼみんながうなずくところなので、ここに書かせていただきました。

 これまで「APC」という言葉が出てくる以前からでも、どんな医療を受けて、どこでどう過ごしたいかを決めている方が時々いらっしゃいます。強く確信めいて、こうするのだと決めている方がいらっしゃるのです。そういう方は、どうしよう、どうしよう、その都度考えますと思っている人と比べると、不本意な入院や急な方針転換も少なく、診療回数や往診も少なく、病状面でもそういった意味では安定して過ごされる方が多い印象があります。

 また、自宅で生活を営みつつ医療を受けながら亡くなる方の苦痛は、在宅だと生活が大きくかかわってきますので、医療の出番が適宜減らされていくというか、いい意味で減らすことができるのも含めて、苦痛自体も少ない印象があります。

 これも踏まえて、先ほどの課題の中で、在宅医療という選択肢ですとか、地域で過ごすことの選択肢をふやしていきたいと感じるわけです。

 9ページ目は、ちょっと細かい図で申しわけないのですけれども、これは以前「人生の最終段階における医療体制整備事業」のときに参加させていただいて、研究というか、データをとらせていただいたときのものです。

 例えば、細かいのですけれども、この中で言いたいこととしましては、赤い枠で囲ったところです。この期間中、20名の患者さんをピックアップしているにすぎないのですけれども、がん患者さんを9名、新しくこの研究期間中にお受けしたときに、9名のうち5名は最期まで家で亡くなりたいという希望を、病院退院時の相談の中ではっきりおっしゃっていて、在宅につながりました。残りの4名は、「最期は病院で」ですとか、歩けなくなったら再度入院したいとか、「緊急時は救急車」で、家で最期までは希望しないという意思表示をしていた方が4名いらっしゃったのですけれども、結果的にこの9名全員が在宅で亡くなりました。

 そうすると、当初の希望からいいますと、この4名は希望がかなわなかったことになってしまうのですけれども、実は在宅医療の現場というのは、毎日、診療の中でいろいろな話をしていく中で、やはり生活する中でだんだん気持ちが変わってきて、結果的に実はこの4名ともが在宅死を再選択されたのです。いざというときは病院とおっしゃっていましたけれども、今も気持ちは変わりませんかという話をしていく中で、在宅で医療を受けることの安心感ですとか、家族や地域の人に囲まれて過ごす楽しみを感じて、最初は歩けなくなったらもう一度入院と思っていたけれども、もうしばらくベッド上でもいいので、在宅医療を受けていたいですとか、さらに寝たきりになってからも在宅医療を重ねる中で、もうすぐ旅立ちのときが近いかもしれませんという説明をした上で、どうされますかと聞いたときに、このぐらいのつらさなら、さらに家にいたいという選択をされて、そういう選択をずっと繰り返し尋ねながら、最終的にこのときは4名が4名とも在宅死を再選択されて、ある意味、最終的な希望はかなうことができたと感じています。

 青い枠に書いてありますのが、そういった意味で、私たちが在宅で行っているACPというのは、今日はあなたの人生の最終段階のミーティングをしますので、皆さん集まっていただいて、何時から会議を始めますとか、そういう形ではなくて、日々の診療そのものの中に、世間話の延長ですとか、たまたまテレビで芸能人が亡くなったような話があれば、その流れでですとか、そういう形でACP的な話が行われていることが半分以上で、診察に伺ったときの半分以上は、実は最期はどこがいいですかとか、これ以上悪くなったときにどういう治療をしますかという話が結構な頻度で行われていることが、うちのクリニックの診療の会話記録、カルテの記録からわかりました。

 というわけで、在宅におけるエンドオブライフ・ケアの人生の最終段階における相談というのは、日々診療のたびに相談、もっと言いますと、実は訪問看護師が行って、最初はこう言っていた気持ちがちょっと揺らいでいるなどとふとつぶやかれたので、次の診療のときにもう少し話してみてくださいという情報が頻繁にありますので、診療だけでなく、訪問看護やケアマネジャーの訪問ですとか、実はヘルパーさんがお風呂に入れながらその話を聞き出すことも非常に多くありますので、多職種連携の中で日々、行われている。そして、本当に亡くなる直前まで相談が続いているのが在宅医療の現場であると感じています。

 というわけで、10ページ目に、私たちが取り組んでいて感じたACPのつながりを図示してみたのですけれども、大きな病気を発病するまでの地域で過ごしている間から、実はやれることがたくさんあるのではないかと感じています。緑色で書かれたものが「発病前の地域のアプローチ」ですが、1つは健康を保つための「予防アプローチ」で、これそのものが実はACPというか、自分の人生や健康観を考える機会になるのではないかと感じています。

 そして、一番下の「外来診療でのACP」は、かかりつけ医が、例えば、自分が血圧のコントロールをしているから、血圧にのみ責任を持つという意味ではなくて、人生の最期まで責任を持てるかかりつけ医機能が、先ほども言いましたが、時間がない中で現状では難しいのですけれども、可能であれば日々の診療の中で、もしがんになったどうしたいとか、もし医療が必要になったらどうしたいとか、そういう延長で話していける外来がもっとふえていくといいなと感じます。

 真ん中には「地域ベースのACP」と書かせていただきました。

 「医療者不在でも」と書いたのは、例えば、公民館ですとか、先ほどの松戸市の方の発表であったような学校とか、本当に素晴らしいことだと思ったのですけれども、そのように本当に文化としてこういうことを考えるのが当たり前という住民がふえていくことが、ここをまず第一に支えるところかなと思います。

 そして、いよいよ病気を発病したときに、我々医療チームの出番が深くあると思うのですが、そのときには、地域でしっかり考えてきたACPを、地域から病院へしっかり移行、共有する、下から出ている紫の矢印も非常に重要だと感じています。

 そして、ある程度、病院での医療を受けて、地域に帰ってくるときにも、病気によって更新されたACPを共有する必要があります。この2つの双方向共有が非常に重要だと感じます。

 ただ、病院で決めたACPは、どうしても選択肢が医療に囲まれた中で、医療的な選択肢が多く提示される中から選ぶことになりますので、非常に気持ち的にも弱っている状態で決断していることが多いと感じます。なので、帰ってみて、自分のリズムで生活できる場所、自分の会いたい人に会える場所、自分の食べたいものを食べて、場合によってはたばこなども認められるような、本当に自分らしく生活できる場所に帰って、私はこうしたいと改めて言い直した言葉を非常に大事にしたいと感じます。

 そして、赤い矢印の「生活維持のための在宅医療」のところで、ACPを繰り返しやっていくことが重要だと感じますし、場合によっては、在宅医療そのものが緩和ケアという形で、みとりに向けた在宅医療だけではなくて、もう一度その人生を立て直して、改めて重い病気を持ちながらでも、医療にそれほどかかわらなくてもいい時期をつくることも目標にした、積極的な在宅医療も含めて、しっかりACPとともに歩んでいくべきかなと思います。

 そして、亡くなった後も、グリーフケアなどを通して、家族や地域にその人の思いや死が引き継がれて、対話文化、ACP文化として地域に送り返していければ、発病してから初めて思い悩んでいる、なかなか選択が決め切れない、決めたつもりが、本人が決めたからそれでいいだろうと皆が思っていたけれども、実は本人も十分満足、納得していなかった場合を避けられるのではないかと感じております。これが、一つの大きなまとめの図です。

 次は細かいスライドなのですけれども、11ページ目には、私たちが外来のほうから継続している、これは本当に一例の紹介なのですけれども、昨年から、かかりつけ医として外来をベースに地域包括ケア診療を行う「つながるクリニック」、コンセプトは「薬よりもつながりを処方しよう」ということで、「つながるクリニック」と名づけて始めたのですけれども、その中でかかわった患者さんとの記録になります。

 このようなかかりつけ医の機能が、なかなかマンパワー的に大変な部分はあるのですが、この方はちょうど、ずっと開院当初からかかわっていた方にがんが見つかったので、スタッフの思い入れも強くありましたから、できることはできるだけ、病院にも許可をいただきながらやっていこうという形でやったときの一つの記録です。

 もともと健康で、定期通院されていたころに、さまざまなことを聞いていました。私たちは、できるだけ医者だけではなくて、看護師ですとか、待合室ですとか、クリニックにソーシャルワーカーもおりますのでソーシャルワーカーからとか、いろいろな場面で、待ち時間も使っていろいろな世間話をします。そこには、ACPの認識というよりは、この人はどういうことが好きで、どのように生きてきた人で、どういうことを今後、望んでいる人かを、余り紙を埋めるイメージではなくて、本当に世間話です。ただ、世間話もしっかり昼のミーティングで共有しようということでずっとやってきましたので、実際、がんと診断されたときには、あの人はちゃんと本人に伝えたほうが、本人がちゃんと安心できるのではないかとか、むしろ御主人のほうが不安があるから、そのサポートが要るのではないかみたいなことが、事務スタッフからも上がってくるぐらい、クリニックと患者さんとの関係性は非常に深くなっている方でした。

 そして、がんが見つかったときなのですけれども、病院のほうの精密検査でがんがはっきりしたのですが、告知のほうは、その方のことをよくわかっている私たちでさせてもらうということで、私たちから告知させていただきました。告知した日の夕方には、帰ってからまた混乱したり、不安になっているであろうということで、看護師が自宅へ訪れてフォローしています。

 その後、「入院検査」「手術」となるのですけれども、入院中もかかりつけチームとして、我々医師や看護師や管理栄養士などが病院へ適宜、訪問しまして、そのときの不安などを聞いています。恐らく、がんとしては結構進行していて、完全な完治は難しいがんではあるのですが、一旦手術をしていくという段階になると、病院では、治療の説明ですとか、今後の治療計画の話のほうが非常に重要で、ボリュームも多くなってしまうので、なかなか今後の人生のことまでは話をする機会は、こういう段階だとないと思うのですけれども、そういう部分は私たちが担う形でやらせていただきました。

 退院と同時に、御本人が不安がっている食事や栄養面についてサポートするですとか、病院チームからの引き継ぎをしっかりするということで、在宅医療が始まるという段階では、もちろん本人も歩けたりしているので、在宅医療の適用ではないのですが、外来に通ってもらう中で、かかりつけ医機能を継続しようということでやっています。実際は、帰ってきた後、少し退院直後は腹痛が悪化したりして、往診をさせてもらっています。受診は外来で来てもらっているのですが、クリニックの看護師が訪問看護という形でおうちに伺ってサポートすることにしています。

 その後、外来化学療法が始まるところも含めて、ずっとかかりつけチームとして継続してかかわっていて、結構頻繁に病院のドクターとも連携をとりながら、もうこれは現在進行形なのですけれども、外来化学療法を継続していて、化学療法の前日の採血はこちらでさせてもらうことで、待ち時間をできるだけ減らそうということを、向こうの主治医と連携しながら取り組んでいます。

 次のページが、その過程の中でその人から発せられた言葉を集めたものです。ACPを紙のチェック項目としないかわりに、できるだけ重要だと思う言葉はスタッフみんなが残すようにしていますので、カルテをずっとさかのぼっていくと、こういう言葉がずっと出てきました。またこれはご覧いただければと思います。

13ページ目は、ちょっと話は変わりまして、特別養護老人ホームの嘱託医を当院は2件しているのですけれども、「入所者の人生の最終段階に関わる」という形でスライドを書かせていただきました。老人ホームの人生の最終段階の方が多く入っていらっしゃるのですけれども、なかなかここの医療が十分機能していない場合も多いことが課題になったりですとか、救急に運ばれたりして、最終的にどう処置をしていくのか。なかなかACPが定まっていない方が救急搬送されたりして、救急チームが混乱する場合も多くあると聞いていました。

 なので、私たちは特別養護老人ホームの嘱託医の中で、医療の提供は制度上、なかなか十分に一人一人に徹底的に医療や話し合いを提供するのは難しいかわりに、スタッフへの教育ですとか、スタッフが自信と責任を持ってかかわれることを目標にしながら、看護師や介護職がACPをとれるような仕組みをやっていこうというモチベーションでかかわってきました。実際、施設AとB、上と下に「死亡者数」ですとか「施設看取り率」というものが書かれているのですけれども、施設Aははっきりと私たちがかかわるようになってから、入院する方が減り、施設死亡者数がふえているのですが、これも話し合いが行われる習慣や文化ができて、いざとなったら病院に行けばいいと思っていたスタッフが、自分たちがしっかりかかわって話すのだということをわかってきてもらった結果だと思っています。

 施設Bのほうは、もともと施設看取りに力を入れていた施設だったので、「施設看取り率」ですとか「死亡者数」などは余り変わっていないのですけれども、スタッフからの意見では、今までは医師の意見を看護師が代弁する仕組みだけだったものが、介護職が家族としゃべったことも反映できるような仕組みになっていって、意識が変わってきたと御報告をいただいています。

 次のページは「地域包括ケアシステム」の植木鉢の図を書かせていただいたのですけれども、これはもう御存じのとおりだと思うのですが、今まさに、人生の最終段階の医療の選択ということで、一番下のお皿の部分の「本人の選択と本人・家族の心構え」のところが今、話されているところだと思っています。ここにも、言葉のほうは私の解釈を書かせていただいているのですが、ここにも「対話文化」と書かせていただきました。

 それを踏まえまして、次のページがプレゼンする最後のスライドになりますが、この植木鉢の図を考えたときに「人生の最終段階についての想いは、病気から生まれるのではなく、その人らしい生活と人生から生まれる。病気はきっかけにすぎない」と思います。そして、この図でも示されているとおり、医療・介護は重要ではありますが、中心にあるものではなく、その人の必要に応じて植えられる葉っぱという位置づけになっております。それよりも中心にありますのは「日々の生活そのものを支えているあらゆる地域の活動や生活支援者」ですので、ここを抜きにして、病気だからということで、医療者だけでこの人の人生を語るACPは語り切れないことを肝に銘じなければと常々思っています。

 うちのスタッフによく話しているのは、この人がなかなか決められないのですとか、決めてあげなければかわいそうですみたいな話が時々出るのですけれども、そういうときに私がいつも言うのは、この人は受験ですとか就職、結婚など非常に悩むような人生の選択をしっかり悩みながら決めてこられた方ですので、きっと次の選択もちゃんと考えて決められる人だから、それを信じて、それを支えていきましょうと言っています。そういう姿勢が地域における医療チームに今後、必要なのかなと思っております。

 以上です。ありがとうございました。

○樋口座長 紅谷さん、ありがとうございました。

 ここまで後半部分で、横田さん、山岸さん、紅谷さんと、お三方からお話をいただきましたが、これについてまず、普通に質問か何かあればお伺いしたいと思いますが、いかがですか。木澤さん、どうぞ。

○木澤構成委員 山岸さんに質問していいですか。

 大変、本当に先進的なプロジェクトで、フォーカスして要介護者に絞っているので、何をするかが決められていて、QRコードを使ってアクセスができて、実際のケアにつながるところは本当にすばらしいと思うのですけれども、一つ、このシートについて質問なのですが、これは選択肢を3つから選ぶようになっていて、多分、これは一つのディスカッションの材料としてこの3つの選択肢を挙げているのだとはもちろん理解しているのですけれども、これはどんな治療やケアをしたいかとか、どんな生活をしたいかではなくて、どこで過ごすかにフォーカスした理由をもしよかったら教えてもらってもいいですか。

○山岸参考人 木澤先生、ありがとうございます。

 ここの部分は、本当に議論に議論を重ねてこの形になったのですが、もしものハンドブックの中にも、1112ページに、先生がおっしゃってくださったように、ディスカッションの切り口として、こういった場所の提示をする。そこでどのように過ごせて、どのように医療を受けられるのかという紹介もしています。ただ、やはりこれは病院やその方の病状によって違ったりするところで、共通して、誰もがわかりやすいというところで、場所を提示するのがいいのではないかということで、本当に今回はトライアルという形でこういった選択肢を出しています。

○木澤構成員 何か、概念的にはどんなケアを望むかというのと、どんな場所で過ごすかは実は違う概念かなと思ったのであえて聞いてみたのですけれども、理解の上でこんな話し合いになって、なるべく項目を減らしてやったほうがいいのではないかみたいな議論でこうなったということですか。

○山岸参考人 そうですね。LifeProlongingなのか、Basic Medicalなのか、Palliative Careなのかというところの、その医療の内容にまでケアマネさんが介入することは難しいかなということで、今回はこのようにいたしました。

○木澤構成員 なるほど。

 もう一つ、関連した問題で、これはもう一つ大切なこととして、今後、多分、清水さんがいたら言うのではないかと思うのですけれども、最も大切なことは何かとか、人生において重要なことは何かということは余り聞かない内容になっているかなと思いました。シートには書いていないのですけれども、それは何か理由があるのですか。

○山岸参考人 このシートを作成する過程で、ケアマネさんが何に触れてコミュニケーションをとっていくかというところは、別立ててケアマネさんの研修会をしているのですが、これはあくまでシートを埋めることが目的ではないので、この過程で何を大事にするのか、会いたい人は誰なのかとか、そういったポイントを押さえていただく中で、このシートを埋めていくというふうな、本当にプロセスで何を聞いていくのか、何に触れていくのかはケアマネさんの研修会の中でやって、ここにはあえて項目を減らすために載せていないのです。

○木澤構成員 ありがとうございます。

○樋口座長 木村さん、どうぞ。

○木村構成員 全日病の木村ですが、この施設をこうやって限定してしまうということは、先ほども横田先生がおっしゃったのですけれども、病状によっても違うし、例えば、意識障害があって運ばれたとしても、それは必ずしも救命センターを出なければいけないということもないと思うのです。それで、このように限定してしまうのは非常に危険である気もするのですけれども、そのときそのときによって違ってきますし、例えば、救命は必要でないと言って、苦痛を減らすところの病院に運ばれたとして、実は救命をすれば助かったという例もないとは言えないと思うのです。だから、余り限定してしまうのはどうかなと思います。テストケースとおっしゃっていますけれども、どうなのでしょうか。

○山岸参考人 御指摘ありがとうございます。

 その点はかなり、市内でも懸念事項として挙げております。先ほど少し触れさせていただきましたが、救急隊の判断で救命救急センターに運んだほうがいいという事例は、こういった御意向よりもその判断を優先するということで、対象者の方にも御説明を申し上げていますし、病院間の連携という部分も、しっかり今まで以上にやっていくというところで、病院長会議があるのですが、そこでもコンセンサスを得て、目安としてこのような希望を出すけれども、実際は柔軟に運用するという形にしております。

 まだ始まって半年もたっていないのですけれども、これから症例を積み重ねる中で、改善点等をあぶり出して、適切な介入に変えていきたいと考えております。

○樋口座長 それでは、今、ちょうど3時半を過ぎたところで、きょうは4時までを予定しているので、あと30分間はフリーに、きょうのお話に関連させてディスカッションをお願いしたいと思っているのですけれども、一番最初に、事務局からもきょうのヒアリングのテーマが資料1のところであったので、それも振り返りながらお話を各委員からいただければいいと思うのですけれども、1をもう一回繰り返すと、「人生の最終段階」のケアについての情報提供とか普及・啓発ですね。それで、幾つかの自治体の取り組みの紹介があった。こういうものについてはどう考えるかというお話です。

 それから、そこにあるのは、家族や医療機関等で意思が共有されていない、わからないといった問題がある。それに対してどう対応するかという試み。

 それから、病気になる前から、こういうことを考える機会とか、そういうものをどうやって設けるか。こういう点を含めて議論していただきたいというのが事務局の希望ですので、一応、それにも留意しつつ、しかし自由に。きょうは本当に盛りだくさんで、中身のあるお話を伺ったと思うので、感想を含めていろいろな方にお伺いしたいと思います。

 どうぞ御自由に。木村さん、どうぞ。

○木村構成員 全日病の木村ですけれども、要するに、「普及啓発」のところが非常に大切だと思っているので、しかもそれが本当に最終段階に行く前の前段階からやっている。しかも、普及啓発はお年寄りだけではなくて、若い子供たちにまで行っているのです。死の教育みたいなものですけれども、それが大事だと言っていることを本当に実践されているところに非常に敬意を表するというか、本当にすばらしい取り組みだと思いました。これが日本中で広がっていけば、非常にいいことになります。

 というのは、人生の最終段階を自分で決めるということは、とりもなおさず、最終段階に行く前の、本当の自分の治療を自分で決める、自分の人生を決めるのだというところまで行けばいいかなとずっと前から思っていて、そのように言ってきたのですけれども、それを実践されていることは非常に大変なことだと思ったのです。

 ただ、1点だけどうしても気になるのは、先ほど、宮崎市のところで、人工呼吸器を始めたら中止できないと書いてあったのですけれども、そんなことはないのだということは、全日病のつくったガイドラインでも、今の3学会のガイドラインにも書いてありますけれども、中止することは幾らでもできるのです。そこだけは訂正が必要だと思うのです。

○樋口座長 ありがとうございました。

 ほかの方、どうぞ御遠慮なく。内田さん、どうぞ。

○内田構成員 共同通信の内田です。よろしくお願いします。

 あと、皆さん、きょうはどうもありがとうございました。

 前回は私は欠席だったのですけれども、この検討会の一番究極の目的とするところは何だろうと思って、前回の議事録を読ませていただいて、きょうのお話も伺って考えていたのですけれども、やはりACPの普及・啓発のことなのかなと思いまして、紅谷先生の御報告は、キーワードが「かかりつけ医」であったり、多職種のチームということなのかなと思って、それがまさにACPにつながるのかなと思いましたし、松戸市さんや宮崎市さんもまさにACPの実践なのだろうと非常に勉強になりました。

 ただ、この「ACP」という言葉自体が、この医療者ないしは介護職の方々の実践の現場の中で徐々に広がっていくのはいいことですし、それを広げていくことは提供サイドの中ではできるのでしょうけれども、これを一般国民というか、患者、家族の側に「ACP」と言われてもわからない。概念とするところは、まさに紅谷先生がおっしゃるように、文化として根づいていくのが理想なのかもしれませんけれども、これは私の希望かもしれませんが、恐らく「ACPAdvance Care Planning)」という言葉に対する適切な訳語が欲しいと思っています。これは意見ですけれども、機械的には「事前ケア計画」となるのでしょうが、「心づもり」がいいのか「想いをつなぐ」という言い方がいいのか。もう少し、ACPの概念・理念を日本語に落として、かつ日常に使われるような言葉が欲しいと個人的には思います。

 ただ、別に私は座長でもないのであれですけれども、別にこの検討会で決めましょうというわけではないです。政府が決めると、「長寿医療制度」などという全く定着しなかった言葉もありますし、絶対的に決めてしまおうということでもありませんが、ジャンルは違いますけれども、私がちょうど、厚生労働省の記者クラブに配属されたころ「メタボリックシンドローム」という言葉が医療保険制度改革の中で出てきて、最初は何だこれはと思ったのですけれども、いつの間にか「メタボ」という略語で定着した。今は特定健康診査がどれくらいの受診率かはぱっと出てきませんけれども、「メタボ健診」は別にお上がつけた略語ではなくて、「メタボ健診」という言葉が定着したことによって、特定健康診査が定着していったこともあるとは思うのです。ですから、言葉はやはり大切なので、そういうことも念頭に置きながら考えたいと思っております。

 以上は意見ですけれども、1つ質問がありまして、横田先生に伺いたいのですが、この救急医療のガイドラインを以前も読ませていただいたのですが、この救急医療の現場とACPをどう重ねていったらいいのかが疑問としてあるので教えてください。

○横田構成員 ありがとうございます。

 私なりの理解では、救急医療というのは、ともかく走り出さないと助けられる命を助けられないということで、走り出してしまったけれども、その後に、この場合は集中治療の限界を超えていると判断されたときに使うのが、この3学会のガイドラインです。

 ただ、ACPに関しては、そうなった場合の事前意思といいますか、事前指示、そんなスタンスなのかなと思っているのです。

 ですから、私どものガイドラインは、きょうの議論としては次元が違う部分というのは、ともかくかなり走り出してしまったときに、本来、とめなくてはいけないときにとめられなかったのが今までの医療なのですけれども、それをとめるにはどういった手続や考え方があるのかを示したのが、この3学会のガイドラインなのです。ですから、その解説にも書いてあるのですが、いわゆる考え方の道筋というスタンスでよろしいと思います。

○樋口座長 ほかの方、いかがですか。熊谷さん、どうぞ。

○熊谷構成員 日本看護協会の熊谷と申します。

 きょうはありがとうございました。どれもとても私としては感動もしましたし、すばらしい取り組みだと思いました。

 厚労省のほうで御用意いただいた<意見交換のポイント>のところで、要は「『本人の選択と本人・家族の心構え』を形成していくためには、どのようなことが求められるか」という中で考えていくと、ちょうど紅谷先生にプレゼンテーションしていただいた8ページの中で、実際の現場の経験値として、「『どんな医療を受けてどこでどう過ごしたいか』を決めている方は、非常にいい最期の迎え方ができる」という、まさにこのことだと思うのです。そうすると、どんな医療を受けて、どう過ごしたいかを決められる人という共通ファクターが、一つは先生方が積極的にかかわっていらっしゃるというのがもちろんあると思うのですが、それ以外に、こうなるために先生の経験値の中でつかんでいらっしゃるものがあったら教えていただきたいと思いました。

○樋口座長 紅谷さん、どうぞ。

○紅谷構成員 ありがとうございます。

 非常にさまざまだと思うのです。非常に頑固な方とかで、家族が何と言おうと俺はこうだみたいな、訂正不能な強い思いを持っていらっしゃる方の場合もありますけれども、比較的そうでない場合は、家族の話し合いが頻回に行われている方ですとか、自分の親御さんですとか、上の世代のみとり経験に基づく話し合いですとか振り返り、グリーフケアなども含めて、データ的にはありませんけれども、そこがうまくいっている方という印象はあります。

○樋口座長 ありがとうございます。

 ほかの方はいかがですか。斉藤さん、お願いします。

○斉藤(幸)構成員 日本難病・疾病団体協議会の斉藤でございます。

 きょうはいろいろなお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。

 私は死とか、最終段階というものをこのように考えております。

 死を考え、話し、伝えることは、どう生きていくことか。まさにこのことだと。

 議論の中で、難病の人や慢性疾患の患者たちは毎日、死と向かい合っていて死のことを考えているというお話が出てきたと思いますが、実は意外とそうでもないと私自身は考えて、実感として思っております。というのは、私の個別の所属団体の「心臓病の子どもを守る会」は先天性の心臓病の子供が多く入っております。この子供たちに、今、移行期医療ということで、大人になったときにどのように医療を継続していくかが非常に課題となっております。一つは医療体制の問題ですが、もう一つは教育をあげています。

 教育とは何かというと、私どもの患者さんたちも聞いたところ、子供が中学生になっても自分の病気はどういう病気なのか、病名がまず正確に言えない。それは、自分の病気をほかのお友達に話すことができないということで、それはなぜかというと、親も医者も、全て子供を通さないで診察し、子供を教育することをせず、かわいそうだから伝えないできてしまったということです。今、それを大きく見直そうという動きがありますが、要は死のことについての話は全く出来てないということです。

 では、ほかの難病患者さんはどうかというと、やはり死についていつも自分は気にしているのだけれども、家族には言わない、家族と話せない。死を心の中では思っているのだけれども、過程の中でもタブー視されてきた、こういう状態かなと思っております。

 先ほど、松戸のお話の中で非常に感激したのは、子供たちにお医者さんが行って、講義をしているというので、子ども達が死を考えるきっかけにできるかなと思います。難病患者だから、病気の子供だから、それから死が近いからと、死をタブー視することをせず、ぜひ変えていくような、マスコミ等の働きかけとかを含め、この会での議論がされるといいなと思っております。

 日本人は特に医者に対して「先生にお任せをします」と言ってきましたけれども、これからは自分の意思を表示して自己決定をしていかなくてはいけないと思いますので、教育の現場から、家庭から、自分の意思を持って発言をしていく。それから、健康に関しても、自分自身が責任を持って、意思表示をしていく。こういうことの日常性についても報告書に入ると良いと、思いました。

 以上でございます。ありがとうございました。

○樋口座長 ありがとうございました。

 そういえば、座長として忘れてはいけないことは、これはこの会議の報告書が最後にあるのですね。それはやはり何らかの方向性が必要である。意識調査がもう一つ並行して入りますので、その結果はもちろん出てくるだろうと。それを踏まえた上で、しかしここでの議論、きょうのお話を踏まえて、何らかの方向性、サジェスチョンが、何か影響まではいかないかもしれないけれども、今後の政策に何か意味のあるものを我々はみんなでつくりたいと思っていますが、ほかにどうぞ。金子さん、お願いします。

○金子構成員 ライフターミナルネットワークの金子です。

 本日はどうもありがとうございました。

 本当に、私も大変感動した報告を聞かせていただきました。松戸市さんの子供さんを引き込んでいるのも、ここは非常に重要なポイントだと思っております。人の生き死にに、特にこれだけ専門家の方が集まっているところ申しわけないのですけれども、医療者とか、福祉関係の方々が主導してしまうというのは、情報をたくさん持っているから、さらにそれを伝えることが大きな使命だとも思いますし、ある程度理解できないとそれこそ意思決定もできないわけで仕方が無いと思うのですが、でも、どうしても意思決定においては、そうした情報を伝える・それを受け取るという関係だけでは、何かが足りないように考えています。その何かとは「対話」であると、私たちは考えているわけですが、紅谷先生が御報告に何度もお加えいただいたように、「対話」ということを私どももすごく大切にしています。ご存じのように、対話というのは、「対等な立場で」話ができる、ということです。まず相手の話を聞くし、自分も話す・話せるということがすごく大事なわけで、私たちもそうした対話の会を一生懸命やろうとしているのですけれども、情報量の差から、たくさんの情報を持っている人、つまり専門家の話に聞き入ってしまうパターンが多くて、それに対する質問でも、感想でも、自分の考えでも、自分から何かを発信することが苦手な人が多いのかなと感じることが多いです。だから、立場を超えてたいわができるという土壌づくりに、地域で、それこそ先ほどの紅谷先生のお話にあった喫茶店のようなところで、日常的に気軽に対話が始まる雰囲気づくりが重要であると思っています。

 情報発信のほうも、失礼ながらお医者さんが前に出すぎると、依存関係が強まる可能性があると思います。積極的治療の選択とは違い、人生の最終段階、つまり命の限りに直結する医療を選択する際には、それまでとは違う専門家との関係を患者サイドも意識する必要があるのではないでしょうか。つまり「先生にお任せすればいい」というだけではすまない、ということをまずは理解しなければならないのではないかと思うのです。ですので、メディアも従来のような専門家に頼った情報発信ではなく、当事者が「どうすればいいのか」という具体的な行動に移せることを意識した発信の仕方を考えて行かなければならないと思います。 それで、やはり「ACP」の訳語は必要だと思いまして、私も「ACP」と言うと、何だそれはと一般の人から言われてしまいますし、何よりも自分の人生を大事にすることだし、生き方を決めることなのですと言っても、一般の方々にはまだピンとこないようなのです。ですから、その方個人の生き方を大切にするという空気づくり、雰囲気づくりも、多死社会を迎えるに当たってすごく日本が頑張ってやっていかなければいけないと改めて思いました。

 ありがとうございました。

○樋口座長 ありがとうございました。

 高砂さん、どうぞ。

○高砂構成員 訪問看護ステーションの管理者をしています。

 改めて、きょうの事例をたくさん聞かせていただいて、まちづくりとか仕組みづくりとか、つなぐことが大切だと感じました。

 どうしても、専門職は今までは自分たちの中で活動しがちなのですけれども、もっともっと町に出て行って、皆さん方のお話が聞けるといいなと思っています。

 やはり、普及・啓発というところでは、こういう取り組みがすごく大切で、その次の段階として、具体的に何かあったときにどうしたらいいのかが、さまざまな相談窓口がどんなところにあるかという状況も含めて、地域の方々に発信できるようにしていきたいと思っています。御病気になられた方たちが大体、もっとはやく相談すればよかったとよくおっしゃるので、もっと早く相談していただけるまちづくりに参加していきたいと思います。

 本日はどうもありがとうございました。意見です。

○樋口座長 ありがとうございました。

 ほかにいかがですか。木澤さん、どうぞ。

○木澤構成員 何回も発言して済みません。

 きょう伺っていて、幾つか整理できたことがあって、3点述べたいと思うのですけれども、1点は、木村先生、横田先生が御発言いただいて、すごく改めて感じたのですが、事前にぼんやりしたことを話し合っておいても、実際には役立たないというのは今日もお話しされていたのですけれども、ステージを分けて介入を考えたほうがいいと思うのです。実際に病気になって、差し迫ってこういうことが起こるだろうと予想されている人と、健康というか、介護者もそうですけれども、ある程度健康が保たれている人とは多分、分けてフォーカシングして介入プランを考えないといけないのがまず1つです。

 2つ目は、共通して大切だと考えられているのは、代理決定者を決めて、その人と意向を話し合っておくことがとても重要だと痛感し、きょうの議論をしていて、特に宮崎市はそこにフォーカスして介入していることを特に感じたことです。

 ちょっと重複しますけれども、健康なときは価値を探ったり、どんなことが大切かとか、どこでどのように過ごしたいかということをぼんやり聞いて、その裏にある価値を聞くことが大切で、もっと病気が深刻になったら、具体的なケアの内容とか、これからどうなっていくかということにフォーカスしてもいいだろうということ。

 3つ目は、松戸は私はすごく印象的だったのですけれども、QRコードを使うのはすごくいいアイデアだと思うのですが、何らかの形で残すことを共通のフォーマットがつくれたらいいなと思って、全体を通して思うことなのですけれども、代理決定者のことと最後のフォーマットのことは、何か名前とセットでこういうものをつくったというものがあると、それを錦の御旗に啓発していけるので、代理決定者と最後のQRとか何かの書式をつくって、それをみんなで参照できる仕組みをつくると、とてもいい出口になると感じました。

 以上です。

○樋口座長 これは、冷蔵庫に張っておくというのは、どこにあるのだろうという意味では非常にいい。

○木澤構成員 ぱちっと撮るだけです。

○樋口座長 発言してはいけないのかもしれないですけれども、こういう問題で介入試験の仕組みをつくるのは大英断ですね。反対はなかったのですか。介入試験でまず倫理委員会は通ったのですね。

○山岸参考人 半年かかりました。毎回、いろいろな指摘をいただきまして、それを一つ一つ潰すという作業をしてまいりました。

○樋口座長 何であれ、介入後調査の結果もいずれ出てくるでしょうから、それはそれでどこかでまた報告していただければと思います。

○山岸参考人 ありがとうございます。

○樋口座長 鈴木さん、どうぞ。

○鈴木参考人 医療社会福祉協会の鈴木でございます。

 今の山岸さんへのご質問に重ねてお聞かせ頂きたいのですが、できるだけ早期にかかわっていくことはとても大事だろうと思っているのですが、今は多分、要介護の方に限定をされていらっしゃると思いますが、その議論の中で、例えば、要支援の方、総合事業の介入のタイミングという、いわゆる自立度の高い方、比較的元気な方を対象にする、もしくはそのような議論があったのかどうかをお聞かせください。

○山岸参考人 御質問ありがとうございます。

 まさにこの議論をしていく中で、地域包括の方々が、相互事業の中にこういったふくろうシステムに乗せてほしい人が何人もいるというお声をいただきまして、今回、研究上は要介護者の方に対しケアマネが介入するというところでデータをとりますが、もう松戸市の事業として、地域包括の方々に、要支援がつかない方でも、このシステムに乗せたほうがいいと判断をし、御本人に同意が得られた場合は、このシステムに乗っていただくということで運用をしております。

○鈴木参考人 ぜひその結果等も含めまして、お知らせいただけるとありがたいと思います。ありがとうございます。

○樋口座長 残り時間が短くなりましたが、町野さん、どうぞ。

○町野参考人 私も、本当は発言してはいけないのかもしれませんが。

○樋口座長 いやいや、どうぞ。

○町野参考人 厚労省から最初にいただきました「意見交換のポイント」のところなのですけれども、2つ目ののところで「本人の意思が、家族や医療機関等で十分に共有されていないため、本人の意思に反した医療が行われている可能性」というのですが、「本人の意思に反した医療」は、常に不当なのでしょうか。恐らくおっしゃりたいのは、本人の意思が生かされないで終末期医療が行われていることがあり得るというぐらいの意味だろうと思うのです。

 といいますのは、どこかで聞いた話ですけれども、ALSの患者さんが、呼吸器をつけないでもらいたいと事前に言っていた。しかし、それが非常に危ない状態になったので、救命救急の方がつけられた。そうしたら、非常に本人が感謝して、「あのときの空気のおいしかったこと」と後で言ったという話を聞いたことがありますから、このようにきつく書かれると、これからいろいろ議論がしにくくなる気がしたのが一つでございます。

 もう時間がないようですので、これでやめます。

○樋口座長 いやいや、どうぞ。

○町野参考人 では、もう一つ。

 きょうはいろいろな話を伺いまして、大変ありがとうございました。

 ただ、この検討会の随分前からの議論というのは、リビングウィルの扱いが中心だったわけです。きょうの話を伺っていると、Advance Care Planningとか、そういう動きは私は妥当だろうと思うのですけれども、リビングウィルの普及活動はこれとどういう関係になるのだろうか。ある場合には、これはむしろマイナスなのか、あるいはプラスなのか。そこが私は整理がつかないのです。

 リビングウィルは、とにかく書面にしておいて、そこで意思決定を固定するという考え方で、Advance Care Planningは、段階を踏んでいろいろなことを決めていくということですから、これはAdvance Care Planningの考え方とはかなり違っているのです。

 そうすると、この2つはどういう関係に立つのか。これからはリビングウィルをやってはいけないことではないだろうと思うし、ある意味では妥当な方向だと思いますので、その協調はこれから問題になると思いました。

 それから、先ほど不開始と中止の話がそこに出ておりますけれども、いろいろ御発言がありますように、理屈としては不開始も中止も同じなのだろうと思います。

 しかしながら、現場でいらっしゃる方々は、医療が行われているときに、これをとめるのも同じレベルで考えるのはかなり抵抗がある。これは日本だけではなくて、諸外国でも同じような傾向があります。そのために、法律上、いろいろな議論をして、両方同じなのだ、むしろ、つけるのが最初だという、恐らく救命救急学会も同じような考え方だと思うのです。その場に行って、本人の意思を忖度して、つけるかつけないかということより、まずとにかくつけてしまえ、そして、その後で考えろというのが恐らく妥当な考え方だと思いますので、それはそうなのですけれども、今のような現場の意識をどのようにこれから考慮していくかが、私は必要になってくるだろうと思います。

 どうも失礼しました。

○樋口座長 いやいや、ありがとうございました。

 松原さん、どうぞ。

○松原構成員 終末期について、前から私が気になっていたのが、どうも終末期は大ざっぱに考えると3種類あるのではないか。ALSのような難病の方の場合と、がんの末期と、それから認知症となって、体力がなくなって亡くなられる方。一遍に同じものでやりますと、恐らく違和感が出てくる可能性があります。少し丁寧に分けて考えないと、1つのもので当てはめようとすると、恐らく色々な考え方がありますから、それを1本にするのは難しいのではないかと思いながら聞いていました。

 もう一点は、今、町野先生がおっしゃったのですけれども、尊厳死のところで法律をどうするかというときに、私も自民党と議論を大分したのですが、これもまた不開始と中止を一緒に議論すると、物すごくややこしくなります。諸外国を見ていますと、中止をどう法制化するか。要するに、とめても殺人罪にならないのだということをきちんと法律で担保することがまず一番大事なのです。尊厳を全て議論しますと、すごく難しい話になるのではないかと思っています。それと同じように、この3つをきちんと分けて考えないと、結論をまとめるのも難しくなるのではないかと危惧しているところです。

 以上です。

○樋口座長 ありがとうございました。

 ちょうど時間になりましたので、本日の議論はここまでにしたいと思っておりますが、次回の日程等について、山口さんのほうから。

○山口在宅看護専門官 ありがとうございます。

 1点、参考資料に添付いたしました件ですけれども、国民の意識調査について、

 構成員の皆様におかれましては、お忙しい中、御確認くださり、誠にありがとうございました。

10月中をめどに調査開始を予定しておりますので、御報告させていただきます。

 また、次回の会議につきましては、12月を予定しております。追って御連絡させていただきたいと思います。

 以上です。

○樋口座長 それでは、長時間にわたりましたけれども、これで第2回のこの検討会を終了いたします。どうもありがとうございました。


(了)
<照会先>

医政局地域医療計画課 在宅医療推進室
TEL:03-5253-1111(内線2662)

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