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2017年8月2日 第2回小児からの臓器提供に関する作業班議事録

健康局難病対策課移植医療対策推進室

○日時

平成29年8月2日(木) 14:00~16:00


○場所

航空会館 201会議室


○議題

(1)関係者からのヒアリング
(2)その他

○議事

○蔵満室長補佐 定刻になりましたので、ただいまより「第2回小児からの臓器提供に関する作業班」を開催いたします。本日の作業班では頭撮りがございます。御協力をお願いいたします。

 班員の先生方におかれましては、お忙しいところをお集まりいただき誠にありがとうございます。本日は今村班員、米村班員より御欠席との連絡を頂いております。

 今回の作業班は参考人による講演及び質疑応答となっております。まず、参考人の先生方を御紹介させていただきます。御発表順に富山大学小児科の種市先生、埼玉医科大学高度救命救急センターの荒木先生、東京大学医学系研究科の水口先生、トキワ松学園中学校高等学校保健体育科の佐藤先生、以上の4名になります。頭撮りはここまでといたします。これ以降はカメラ等による撮影は御遠慮ください。

 以降の議事の進行は横田班長にお願いしたいと思います。横田班長、お願いいたします。

○横田班長 事務局から御説明がありましたが、今日はこの分野に非常に知識と経験の深い4人の先生にお越しいただいています。後で4人の先生から講演を頂きたいと思います。先生方、今日は本当にお忙しい中をお集まりいただきありがとうございます。

 事務局からまず資料の確認をお願いしたいと思います。

○蔵満室長補佐 お手元の議事次第に資料の掲載がありますので御確認ください。資料1が種市先生の御発表資料、資料2が荒木先生、資料3が水口先生、資料4が佐藤先生の御発表資料となっております。

 また参考資料12が荒木先生、参考資料34が佐藤先生の参考資料となっております。資料の不足や落丁等ございましたら事務局までお知らせいただきますよう、よろしくお願いします。

○横田班長 よろしいでしょうか。資料に過不足があったら事務局にお話いただければと思います。

 議事に入りたいと思います。先ほどお話しましたように、今日は4人の先生方にお越しいただいております。小児の臓器提供に関連したお話、講演を頂いて、それぞれ質疑応答をその後10分程度行いたいと思います。お一人の先生方の持ち時間はおおむね15分ということでよろしくお願いします。

 まず、種市先生から御講演を頂きたいと思います。皆さんの資料では資料1になると思います。種市先生、よろしくお願いします。

○蔵満室長補佐 15分で1回目のベル、20分に2回目のベル、25分に3回目のベルを鳴らせていただきますのでよろしくお願いいたします。

○種市参考人 富山大学小児科の種市と申します。本日はこのような場にお招きいただきましてありがとうございます。

 我々の施設は2例目になるのですが、これを経験しております。実際、我々の施設は成人を含めて初めての臓器提供の事例でした。このような状況で現在、私がこの場に立てていられるのは、これまで各種マニュアルや体制をやっていただいた方々のお陰だと実際思っております。ありがとうございました。そういった立場でありながら、今回、臓器提供の問題点ということで少しお話をさせていただきたいと思います。

 表にありますように、これは2016年末までなのですが、やはり数が決して多くない。あと、現場で実際に問題になっているのはこの腎臓の部分です。これは御家族も実際にそのような表現をされておりました。第1回の議事録を読んでいても既に議論にはなっていますし、実際に進んでいますので、この点だけはお伝えさせてもらってここは飛ばします。

 臓器提供の話をということだったのですが、この件に関して海外渡航の話を抜きには語れませんし、実際に携わっていますので、この部分についてお話させてください。我々は1人の女の子を富山大学からコロンビア大学まで、総移動距離12,000キロ、EF20%台、飛行中は負荷が掛かりますので10%台まで下がったというような状況で運びました。本当に命がけの海外渡航でした。

 幸い、無事コロンビア大学に着くことができたのですが、ここから先は我が国と米国の違いなのですが、3週間もしないうちに心臓移植に成功したと連絡が来ました。日本でほぼベッド上に寝たきりだった彼女が、半年もたたないうちにこのような画像を送ってきたわけです。移植医療のすごさを本当に感じました。この子は、恐らく日本にいたら数箇月もたないというような状況だった。その子がこのような状況になりました。

 ただ、一方で、この海外渡航には多くの問題点があって、1つが家族への誹謗中傷です。募金を開始した瞬間、「死ぬ死ぬ詐欺」とか重たい病気なのだから死んでも仕方ないみたいな意見がやはり出てきます。募金も億単位ですので募金を使って何をやっているのか、内容を明示しろと。ホームページに明示しているのですが、そういった所を見ることもなく、こういったことを言われます。子供たちの「生きたい」という思いが否定されるという状況ですし、家族は贅沢な生活をしてはいけないということで、外食もできないし、旅行にも行けないという生活を強いられるわけです。

 もう1つは先ほどお話しましたが、極めて危険な行為であるということです。そもそも、遠足に行けないようなお子さんたちを、1万キロ以上長距離搬送するというのはとんでもなく大変な話で、結果的に我が国では米国に行って脳死となってしまった子もいて、さらに移植を受けるはずだったその国で臓器提供してきたというお子さんがいる。これは事実です。では、我々はいつまで、こういった重症臓器不全の御家族や子供たちに、こういった負担をかけるべきなのか。もちろん、これは臓器提供を増やすという意味合いもありますが、その一方でこの扉をいつまで開けておくのかという問題もあるかと思います。

 実際の臓器提供の件に関してです。ポイントが多すぎるので3つに絞りました。1つ目が家族承諾、オプション提示の問題なのですが、我々がオプション提示をしたわけではなく家族からの申し出でありました。家族の背景として、以前から家族内で命についての話題がありました。臓器提供に関して理解と関心もあった、家族間の意志疎通が取れていたと、これは両親だけではなく親戚も含めてでした。

 さらに御家族、我々は最初うまく進みませんでした。院内での理解を広めるのもなかなか難しかったですし、実際、我々も戸惑っていた。その中で家族に逐一報告していましたが、家族から何を言われたかと言うと「うまくいかなくてもいいんです、この病院だけでも変わるきっかけになればそれでいいんです」と。このような御家族だからこそ辛抱強く待ってくれましたし、実際にこの家族の思いに応えなくてはいけないというように思いました。我が国にはこのような御家族もいるのだということです。

 その一方で虐待の問題なのですが、ある新聞記事、これは何年か前の新聞記事なのですが、家庭内の事故で目撃者がいないので、「虐待を完全には否定できない」とその施設では判断された。さらに、その病院の倫理指針では、警察などが事件性がないと判断しても脳死とされ得る状態と判断しない、第三者の目撃が大事だということを言っております。院内コーディネーターは「一点の曇りもない状態でないと、脳死下臓器提供はできない」と語り、実際に記事に書かれておりました。

 確かにおっしゃることはそのとおりの状況なのですが、では第三者の目撃が本当にそこまで大切なのかというと、これがあれば虐待が否定できるのかと言ったら、これが絶対ではないと思います。交通外傷に関しても、実際、事故に遭うということは、どうしても何らかの落ち度がないと事故に遭わない、「安全のネグレクト」という表現をしてしまったら全てが虐待になってしまう。しかも、日常診療において家庭内の事故の乳幼児重症例を、全国の小児科医が全例虐待疑いとして警察と児相、両方に常に対応しているのかといったら決してそのような状況ではない。本当にこのようなことを言い出したらキリがないわけです。

 我々はやはりやるべきことをしっかりとやって、それは実際にマニュアルにもしっかり書かれていますし、日々の診療の中でも常に我々は心掛けているわけで、ただ、その中に「医療に絶対はない」ということも再認識しなくてはいけない。そうでないと、現場の人間にとんでもなく負担がかかってしまうということです。実は、またつい最近も、先ほどの記事と同じような記事が出ておりました。本当にこのままでいいのか、ここの認識をやはり、現場に明確に示さないと現場は萎縮してしまうと思います。

 もう1つ大事なのが終末期医療です。親より子供が先に死にゆくというのは間違いなく、この世で最も理不尽な出来事だと思います。それに対して、今、我々小児医療の現場では話合いのガイドラインがある状況、とどまってしまっている状況です。実際の現場ではどういうようになっているか。これは清水先生がおっしゃっているのですが、「終末期医療の判断において、司法や警察の介入、家族関係の崩壊を恐れるあまり生物学的生命の時間的延長のみを目的とした「過剰医療」を思考停止のまま継続せざるを得ない傾向に陥っている」と、このように表現されていますし、正にそのとおりの状況が展開されていると思います。もちろん、このままではいけないと思っていろいろなことをやっている施設もありますが、やはりこれがベースとしてあるように感じます。

 では、それに対してどういうことをしているか。1つはグリーフケアが大事だと我々は感じています。グリーフカードというのはこういうものです。字が小さくて申し訳ありません。一番大事なことですが、この空欄の部分に我々の名前と連絡先を書いています。死亡退院時、御家族にこのカードを渡します。実際、その家族がどういう反応を示すか一例を示します。6歳の男の子、この子は嘔吐下痢から始まって血便が出たということで便培からO-111が検出されました。HUSが発症したということで我々の施設に搬送されてきました。当初は保存的治療を開始し、この子自身も少しおしっこが出たと言って喜んでいたぐらいの状況だったのですが、2日目に全身の強直性間代痙攣を起こしました。このとき、当時は分かっていなかったのですが脳症が合併した。ただ、状態の悪さを感じて血液透析や血漿交換といったことを早め早めに行ったのですが、翌朝亡くなられました。蘇生に全く反応しなかったという状況です。

 病因追求を目的に病理解剖を提示して、御両親にはそれに同意していただきました。これがいかに苦渋の決断だったかというのは想像に難くないと思います。このような状況でしたので、主治医より死亡退院時にグリーフカードをお渡ししております。このカードに対して御両親がどのように反応したか。退院9日後、お母さんから電話がありました。「生きる気力がわかない、下の子のことを考えることができない」と言っておりました。いつもその亡くなった子のことばかり考えていると。ほかに何かしてあげられることができなかったのか、本当にこんな状態から立ち直る日が来るのでしょうかというお電話でした。

 その2日後、お父さんが病院に来られました。別室で主治医と話している間に病理の件に触れて、「あの子の遺したものが役立っているのであればそれだけで十分です」と涙ながらに話しておられました。

 その2日後、お母さんからまた電話がありました。明日、亡くなられた子供の誕生日なのです、いてもたってもいられなくて電話しましたと。今も同じ病気で入院中の親御さんの気持ちを思うと胸が痛い、少しでも良い方向に向かっているのであれば、それだけで楽になれるということを言っておられました。

 ここで大事なのは、我々のこれまでの経験からして、あれだけ急激な経過で亡くなられたケースでは、ラポール形成ができていないので、大抵は病院に来られません。連絡してくることもまずないのですが、1つはグリーフカードを手渡したことによってこういった関わりができたということ。さらにお母さんの言っていることがこの4日間の間に大きく変わっている。自分の子供のことも考えられない状況だったのに、ほかの親御さんやほかのお子さんのことを考えられるようになった。やはり、ここの部分で我々医師が関わるべき部分があるのではないかと感じております。実際、グリーフカードに関してはその後もずっと我々の施設では渡し続けています。

 ある年というか、先ほどの年、1年間で6例、3日以内に亡くなられたケースがありました。急性期でラポール形成が難しいケースをピックアップしておりますが、この半数が何らかのアクションを起こしてきました。これは非常に大きな意義があると思っていますし、この御両親、3例とも別にクレームを言いに来たわけではありません。皆さん、感謝の気持ちとただ聞いてほしいことを伝えに来たという状況です。

 遺族アンケートがあるのですが、先ほどのグリーフカードは坂下さんらが作っているのですが、これが欲しいと回答されているのは94%です。お家に帰られた遺族の共通した思いとして「誤解にもとづく自責の念」、もっと早く病院に連れていけば助かったのではないか、大体の御家族の方がそう思われます。「将来の不安」、次のお子さんもまた同じ病気になるのではないか、またこんな思いをするのではないかということで、次のステップへ家族が進めないという状況があります。このグリーフカードを渡すことによって、少なくともその部分の医学的説明がなされるということで、我々医師にも責任があるのではないかと考えています。こういった死後の対応も含めグリーフケア、終末期医療といったことが非常に重要だと感じています。

 臓器提供全体として見るとほかにもまだまだ問題点があって、ほかの先生方からもお話があると思いますが、こういった部分に注意しなくてはいけない。また、本日、厚生労働省でお話をさせてもらえるということで検証の部分、これは決して検証するなということを言いたいわけではなくて、逆です。小児の死亡例(Child Death Review)の話は、恐らくもう出ていると思うのですが、これはもう国家的に決めてほしいぐらいの思いです。子供の死因をしっかりと明確にするというのは非常に大事なことですし、是非レビュー制度をしっかりと確立して、そうすることによって我が国の脳死の数も明確に分かりますし、そこに対して何をやっているのかもはっきりします。なぜ臓器提供だけ検証するのかという部分に関してはやはり私も疑問がありますし、どうせするのだったら全例にやるべきだと思っています。

 子供の臓器提供というのはリスクが多く、仕事量も多く、デメリットばかりに見える。実際、いろいろな講演に行かせていただくのですが、現場の先生たちはそこで実際に言われています、できれば関わりたくないとはっきり言われる方もおられます。では、主治医にとってメリットは一体何なのか。分かりやすいのはレシピエントが助かるということなのですが、これはドナー主治医の現場では絶対に実感できないことです。我々は実際にレシピエントを診ていたということで、想像はできていたのですが、恐らく通常のドナー主治医はこれは実感できない。

 これに対して、対応案として、せめて1通目のサンクスレターは、病院とコーディネーター宛てにも本当はあったほうがいいのではないかと思います。これだけで本当にそれを実感できるかどうかは分かりませんが、余りにもドナー主治医、特に成人のほうなのですが、成人のほうの先生方がつらそうです。仕事が多すぎてメリットが何もない。

 もう一方で本当は臓器提供というのはここだと思っています。ドナー家族は子供の死を受け入れる、これは小児医療において非常に難しいのですが、今回、我々が対応した御家族は明らかに臓器提供することによって次のステップに進んでいっていました。恐らく、我々がこれに携わる本質というのは、ここのグリーフケアの部分だろうと思っています。ですので、医療者へ普及する意味合いとしては、グリーフケアとしての臓器提供が大事なのだというところで、やはり普及させるべきだと思います。一方、ドナー主治医は子供を救えなかったことに対しての精神的な負荷がかかって、更に臓器提供することによってもっと負荷がかかるわけで、ここのサポートをどうするかということもやはり重要な議論のポイントになるかと思っています。

 終末期医療全体を考えるとこれだけではないかもしれないのですが、家族ケアで兄弟、御両親、さらにおじいちゃん、おばあちゃんたちも含めて家族ケアをしていかなければいけない。一方、終末期を在宅に持っていくのであれば、在宅医療の様々なテクニックもやはり知っていなければいけない。先ほど一例を示しましたが、グリーフケアに関しても、まだまだいろいろなことをやっていかなければいけない。終末期に今度DNARをどうやって取るのか、どうやって判断するのかも非常に重要ですが、やはり小児医療でここを明確にディスカッションできているかというと、まだまだ難しい状況にあるかと思います。

 実際にそれらをまとめた話合い、これは先ほどのガイドラインが出て方向性を示してくださいましたが、家族だけではなくてコ・メディカルと、いかにそれを話し合っていくかということが大事で、これら全体ができている中で初めて臓器提供もその中に含まれる。ここだけやれるようになれといっても無理だと思います。全体ができるようになって初めて臓器提供ができるのだろうと思いますし、いずれのものも並行して議論を進めていかなくてはいけないと感じています。

 我々、最終的にはどこを目指すのかという話なのですが、当たり前と言ったら当たり前ですが、本質的な部分はやはり脳死にさせない、ここを我々医師側の明確なメッセージとして出さなければいけない。そうでないと、やはり一般の方に理解していただけない。その部分に関しては、小児救急・集中治療体制というのは様々な部分で今整備が進んでいるかと思いますし、現場の我々もそこに対して思いを持って仕事をしています。

 この次の、子供たちの死に際にも施す医療はあるという部分なのですが、先ほどの清水先生のお言葉では治療に偏ってしまうのですが治療だけではないと。実際、具体的にどういうことができるのかという、終末期医療の具体的な議論をする若しくは提示することで、現場の先生たちは少し変わっていきます。我々の施設でも毎回、こういったお子さんが来たときに議論をして、具体的に何ができるのかという話合いをすることで物事が進んでいきますし変わっていきます。最終的には事故予防、予防医療の部分が最も大事ではないかと思っていますが、ちょっと発展的になるかと思いますので、まずは一つ一つ、こういった方向性を示していくことが大事かと思っています。

 今回、時間が短いということでいろいろなところを端折ってきて、どうも一貫性がないような話になってしまってはいるのですが、小児循環器学会からこのような依頼を受け今年の雑誌に書かせていただきました。こちらのほうに現在私が考えている問題点と小児科医へのメッセージを書いていますので、もしよろしければ参考にしていただければと思います。以上です。ありがとうございました。

○横田班長 ありがとうございました。今、種市先生からお話いただきました内容について、何か質問や追加がありましたらコメントを頂きたいと思います。いかがでしょうか。

 私から質問します。グリーフカードに関して、ちょっとスライドをフォローできなかったのですが、具体的にどういった内容があそこには書かれているのですか。

○種市参考人 まず、あそこには我々の連絡先、住所と電話番号を書くという欄があります。あと、小さく書かれている部分は、これまでにお子さんを亡くされた御遺族のメッセージです。例えばお家へ帰られた後、お父さんとお母さんで回復度合い、スピードが明らかに違っていて、お父さんは早く社会に戻らなければいけないので、見た目ではお父さんが回復しているように見えてしまう。そうすると、お父さんとお母さんとの間で乖離が生じて、結果的に夫婦間の仲が悪くなって、最悪それで別れてしまうというケースもある。そういうことはやはり防がなければいけないということで、そういった点が一つ一つ書いてあります。兄弟さんを大事にしてあげてくださいというような内容であったり、これまで経験されてきた御家族の気持ちもあそこに書いてありますし、それを支える「ちいさな命」という団体、坂下さんが支えている団体があるのですが、そのホームページのアドレスも書かれてあります。

 そもそも、あのカードを作ったのは御遺族なのです。我々医療現場の人間ではなく、御遺族からあのカードを渡してほしいと作られてきたので、恐らく白石先生もよく御存じだと思います。非常に重要なカードなのですが、残念ながら小児医療現場でまだまだ普及していないということがあり、坂下さん自身もそれで悩んでおられるという状況にあります。

○横田班長 実際来院した家族、あるいは電話での応対ということが書かれていましたけれども、具体的に連絡があったとき、対応する職種という方は担当が決まっているのですか。

○種市参考人 はい。基本的に我々は主治医、チーム制でやっていますので、23人の名前を書いています。仕事の負荷にならないかという不安を結構聞かれますが、決してそういうことはなくて、電話であれば恐らく10分、15分の時間、面談としても30分ぐらい、1時間掛かることはまずありません。

 実際、我々は亡くなられたお子さんを看取った後、その家がどうなったのか非常に不安になっている部分があります。お父さんやお母さんたちがあのように連絡を取ってくれることによって、我々は実はその負荷がすごく取れているのです。どう思ってくれているのか、どの御家族も皆感謝の気持ちを伝えてくれますし、「お忙しいところ申し訳ございませんでした」という言葉が必ずあって、最初の電話に出られなかったとしても待ってくださるのです。自分の子供を治療したのを目の前で見ているので、また今も忙しいのだろうと分かってくれている人なので、待ってくださいます。ですから、我々が思っている以上にカードの効力というのはあって、それをもうちょっと伝えていかないといけないかと思っています。

○横田班長 ありがとうございます。そこに看護師さんとかが加わるということはあるのでしょうか。

○種市参考人 ありだと思います。全国では看護師さんが積極的にやられている施設もあって、看護師さんという方法ももちろんあると思います。

○奥田班員 明星大学の奥田と申します。貴重な御講演をありがとうございました。今おっしゃいましたグリーフケアを行うメンバーなのですが、一般的にケースワークから考えますとMSWの方も関わっているのではないか、そういった現場が多いと思いますがこの件はいかがでしょうか。もう1つ、民間の機関などの心理のカウンセラーさん、あるいは公共団体がグリーフケアのネットワークづくりに絡んでいくという、そういう想像をしていたのですが、そういうことはないのでしょうか。

○種市参考人 我々の施設では主治医オンリーというか、小児科の中でまず話合いをしてこれをやろうという話になっています。あとは恐らく地域性というのがあって、我々の施設でそこまで死亡数が多いかというと、そういうわけではないので、恐らく、都市部と地域ではこういった部分でも対応が変わってくるだろうと思います。やはり、亡くなられている施設では、小児と言えども週に1人のペースで亡くなられている、そういう施設もやはりありますので、全例を主治医が対応できるのかといったら難しいところがあるかもしれません。

 我々の施設はそこまでの数はないので今、基本的には主治医が対応していますし、最近余り口酢っぱく言わなくても後輩たちは勝手に渡しています。なぜかと言ったら、それがいかに効果があるかということをみんな実感しているからで、言わずともみんな渡しています。

○横田班長 ありがとうございました、ほかにございますか。

○安河内班員 長野県立こども病院の安河内です。先生がまとめられたスライドの21ページ、小児脳死下臓器提供における問題点がまとめてあります。この中で、最初に先生もおっしゃっていましたけれども、虐待の評価に関し第三者の目撃がなければ虐待をネグレクトできない、否定できないことが非常に大きな問題であると。その辺、例えば先生はここに「改善が必要」と書かれていますけれども、具体的に何か先生のほうでこういう点を改善すると、もっと現場はいろいろ対処しやすいということはありますか。

○種市参考人 マニュアルの中にも決してやってはいけないとは書いていません。慎重にやりなさいと書いてあるのですが、どうも現場はやってはいけないという理解にほぼなっています。実際、慎重にやった後の判断の責任を負うのが主治医になってしまうという状況があるので、どうしてもそのようになってしまう。

 あと、実際、メディアに第三者の目撃がないと駄目だみたいなことが出ている。それが期間を置いて定期的に出ている時点で、この問題に余り関心がないとあの情報が全てになってしまいますので、やはり目撃がないと駄目なのだと思ってしまいます。そこの解決方法ももう少し明確にやるべきだと思いますが、児相と警察と医療現場、この3点が合意していれば、それは恐らく白なのだろうという判断ができると思います。もし、万が一隠れて黒だったとしても、3者が白だと言っているのに、それさえも第三者の目撃がないからと言って黒にしてしまうような状況では、臓器提供は子供の場合、事故が圧倒的に多いので、多分できないだろうと思います。

 臓器提供に対しての思いがある家族が実際我が国にはおられる、その思いに応えられないことのほうが、よほど重罪ではないかと感じていますので、具体的に出すべきです。恐らく最初に具体的に出たのが交通外傷による頭部外傷で、これが多分典型例だと言われていたと思います。今、症例数を重ねるごとにそうではないということが明確になっていますし、10数例ある実際の実例を出せるものはシャッフルして出してしまって、こういうようなケースができますよということを伝えないと、現場は多分理解できないのではないかと思います。

○横田班長 ほかにございますか。

○名取班員 飯塚病院の名取です。そもそも論ですが、先生のお考えをお聞きしたいですが、小児の臓器提供で、虐待を除外しないとできないということが入っていることについてどう思われますか。

○種市参考人 その疑問に関しては第1回の議事録でも少し話があったと思います。私自身も様々な子供の権利という部分では、知的障害を持っている部分も一緒なのですが、そもそも子供に関して代弁をさせるのであれば、虐待の事例に関してもそれを除外すること自体がやはり差別であると思いますし、最後の最後でその子の権利を奪っているわけです。それは知的障害の部分も全く一緒だと思います。その部分を考え直さないといけない。

 ただ、現状でそれがなかなかできないということも、いろいろなところで議論を聞いていると難しいと聞いています。であるならばその一つ前、実際に実効力がある虐待の否定をどうやってやったらいいのかを、やればいいかと思います。もちろん、虐待をやった親にそれを判断させるのは絶対に防がなければいけませんし、虐待診療のレベルももちろん上げていかなければいけないと思っています。

○横田班長 小児としては2例目ですね。6歳未満としては最初の患者さんということになります。具体的に、大学の中の手続としてはどういうような手続、あるいは議論があったのでしょうか。手続きや院内連絡などで議論が迷走しなかったのか、その辺はどうだったのでしょうか。

○種市参考人 そうですね、私たちの施設は臓器提供を1例もやっていなかったので、そもそもそれが何なのかということを理解することから始めなければいけないような状況でした。実際、そこを病院に理解してもらうためにいろいろな方の力が必要でしたし、実際携わっていただきました。そのお陰で病院全体がそれを理解することができました。

 やはり、1つは事故がどういう質の事故で、それが本当に虐待ではないのかということに関して、言ってしまえば我々の施設は第三者の目撃がなかったわけです。それに対してどうやって判断するのかということで、県警とももちろん直接事前から話合いをしましたし、児相とも話合いをしました。児相とは実際、それでもめてしまって、新聞に書かれてしまった。でも、実際、我々の現場では最終的には全員がそれに対して合意した。委員会の中でも反対は出なかったという状況です。ただ、倫理委員会のほうだけは、やはり倫理委員会で何を判断しなければいけないかということさえも、まだ共有できていなかったので、その部分で紛糾してしまって、第1回の倫理委員会は流れて、第2回、翌日の倫理委員会でようやく法的脳死判定のGOサインが出たというような状況でした。

○横田班長 分かりました。よろしいでしょうか。

○安河内班員 もう1つ、先生が言われているグリーフケアは非常に大切だと思いますが、亡くなった後のグリーフカードの手渡し、それから亡くなる前にグリーフケアの一環として臓器提供というオプション提示をするということは、また全然別の次元の話だと思います。先生の考えでは、グリーフケアの中に臓器提供のオプションをもし入れるとした場合、具体的にどういうようにすればいいかというお考えと、それがなかなかできない現状として何が引っ掛かるのかを、もし教えていただければと思います。

○種市参考人 ありがとうございます。言葉の足りないところだったので助かります。亡くなる前の終末期医療の判断、DNARの判断もそうなのですが、御家族のためにやってあげられることというのは投薬だけではないことはもう明確で、そこで何ができるかが実は現場で分かっていない。だからこそオプション提示もできないのです。

 例えばこの子の予後が厳しいという中、兄弟面会を禁止している施設が兄弟面会をOKにするだとか、散歩に少しでもいいから一緒に行かせてあげる、その子の頭を洗ってあげる、手を洗ってあげる、若しくは病衣ではなくて普段着ている服に着せ替えてあげる。そういったことだけでも御家族は大きく変わっていきます。そういったことをやっていいかやってはいけないかも実は医療現場では戦々恐々として「そんなこと、やっていいの」みたいな話になってしまうのです。ですから、そこは具体例をどんどん出して、こういうことを我々はやっていますと。実際に言っている施設もあるのですが、そういったことを明示していかないと現場ではそれができない。

 オプション提示も決して否定されることではないですし、逐一内容まで伝えないと、もしかしたら現場は1回もやったことがなければ怖いと感じてしまう内容ではないかと思います。我々もその後、何例かオプション提示をしていますが、当然家族からそれで批判を受けるようなことはないですし、亡くなられても家族から感謝の言葉を頂いていますので、オプション提示がそれほど怖いものではないことは間違いないのですが、それをどう現場に伝えるかというのは具体的にやるしかないかなと思っています。

○奥山班員 そのオプション提示の中に例えば組織移植のオプション提示とか、死後の臓器提供のオプション提示とかはされておられるのでしょうか。

○種市参考人 まず1つ、我々のオプション提示のスタンスとしては細かい話はまずしないのです。この先、臓器提供とかもありますという話をした後、コーディネーターが当院にはいますので、コーディネーターから詳しい話を聞くことができますということでコーディネーターの紹介をさせていただいています。

○奥山班員 組織だと亡くなった直後からでも大丈夫ですよね。

○種市参考人 はい。

○奥山班員 心臓の弁の提供とか、そういうことに関してどのぐらいオプション提示がなされているのかちょっと疑問があったので。

○種市参考人 おっしゃるとおり、多分現場でそこまで更に詳しくやっている所は確かに少ないかもしれませんが、事例によってはというか、御家族の質問に対しての答えとしてそういうことを言ったことは実際にあります。我々はあの事例の後、6歳未満でやはり心停止下で角膜提供という事例も経験しています。そのときには虐待の否定も合わせて全てが円滑にいっているので、1例やることによって全然施設が変わります、全く考え方も変わります。そういう意味では、これをもう少し具体的に伝えられたらと思っています。組織提供の話に関しては我々ももっともっと突っ込んでやるべきなのかもしれません。

○横田班長 よろしいですか。それではまた、後ほど時間がありましたらまた質問していただきたいと思います。種市先生、どうもありがとうございました。

2人目は埼玉医科大学総合医療センターの荒木先生です。荒木先生は資料2ですね。荒木先生、よろしくお願いします。

○荒木参考人 埼玉医科大学の総合医療センター、救命センターの荒木と申します。本日はこのような貴重な機会を頂き誠にありがとうございます。コンピューターの設定上、着席してお話を差し上げたく存じますので、よろしくお願い申し上げます。まず、4月に新しい施設に赴任して、これはお手元の資料に個人情報等の関係で含めておりませんが、経験した症例を紹介します。

 埼玉県では、まだ1例も脳死下では臓器提供が行われておらず、埼玉医科大学でも脳死下の臓器提供は経験がない、小児でもないという実情の中で9歳の男児が運ばれてまいりました。高エネルギー外傷びまん性脳損傷で御覧のようなCT、肺挫傷、無気肺、鎖骨骨折、肋骨骨折です。ここにお示ししている数値は、ISSは重症度なのですが42RTSも重症度を示すものです。こういう424.09という解釈はまた別にしても、これは中等症から重症ぐらいのものを示す患者の状態。TRISS0.344、これは予測生存率を示す数値で0.25以下の場合は避けることができなかった死、救えないという数値ですが、この患者は0.344なので非常に難しいけれど、救命に力を尽くそうと、そういう状態のお子さんです。

 私どもとしては、ドクターヘリ、ERICU、いわゆる、つながれた救命の連鎖と言いますが、こういうものをつなぎながら重症頭部外傷に対して全力をもって、行い得る全ての治療を実施するということを行いました。残念ながら、この治療は功を奏さずそのまま頭蓋内圧がどんどん上がり続けて、残念ながら脳幹反射消失の脳波は平坦波、こういう病状を御家族に対して、適宜、説明してまいりましたが、無呼吸テストを含めた脳死判定を行い、治療の限界であるということをPICUの主治医とともに話をしたところ、御家族が申し上げられた言葉はこちらです。「私たちにとっては臓器提供の選択が最高の延命治療です」と。はっきりお父さんは私の前で涙を流しながらおっしゃった。

 この言葉を聞いたときに、私は非常にショックを受け動揺しました。かつて、どの親からもこういう言葉を聞いたことがなかったからです。そのときに、私たちが机上で考えている、恐らく、親御さんたちはこのように考えるのではなかろうかというところよりも、はるかに遠く離れた高邁で高尚な意識を、若い親御さんたちは持ってきているのではないかということを気付かせていただいた経験でありました。

 正に、この橋のように、埼玉医科大の組織は全く何のよすがもない中でスタートすることになったわけですが、この言葉がケーブルのようにずっと向こうまであって、これを綱渡りをするようにして何とか1例目の臓器提供を終了したというのが事実です。この親御さんの言葉なくしてはできなかった。私たちにとっては、この親御さんの意思を、先ほど、種市先生がおっしゃいましたが、的確につかみ取っていかす方向に、ときとしてかじを切らなくてはならない判断をするということが、非常に重要であると常に考えております。

 私は、成人の救命救急センターで働いておりますが、救命救急医でありながら脳神経外科医、特に小児の頭部外傷を専門にしてまいりましたので小児科医ではありません。しかし、救急搬送体制、恐らく、全国でもそうだと思いますが、外因性の救急に関しては、成人救命救急センターが直近として収容する機能を果たさなくてはなりません。

 ですので、これは20012016年、これもお手元の資料には含めておりませんが、自験としては、これまで埼玉では3例追加になりましたので日本では9例、カナダでは7例の脳死判定の経験を有している状態です。こういう経験を踏まえて、恐らく、こういう場に先生方に御推挙いただいているものと理解しております。

 こちらからがお手元の資料です。従前、救急医学あるいは脳神経外科学は、脳死判定や臓器提供に関しては守備範囲として、責任を持ったステートメントを国家において行ってきたと理解しておりますが、法律が改正され施行に当たって、2010年に日本小児科学会も基本的姿勢としてステートメントを出されております。この中では、背景、臓器提供、臓器移植、虐待に関する問題、臓器移植のプロジェクトを立てたいと明言されており、結びとしては、「臓器移植医療の実態・成果・問題点について、正しく社会に伝達する活動を支援する」と結論付けておられました。

 しかしながら、この時点では、実際にはまだ何もない状態であったことを理解しておりますので、私どもも実地の中で勉強する上においては、2000年に立てられていた小児における脳死判定基準、これは日本医師会雑誌の124号に載せられているものですが、竹内基準に準拠して修正齢12週未満を除外、6歳未満では判定間隔を24時間空ける、原疾患の診断にCTを用いることが明記されたものが既に立っていたので、恐る恐るこういうものを用いながら小児の脳死判定を行っていたということが実情でありました。その間、日本小児科学会では、恐らく、倫理委員会を中心として非常に多くの議論がなされてきたことも把握しております。最終的には2009年の改正臓器移植法の成立は、非常に大きな変革をもたらしたと理解しておりますが、その直後、マニュアル整備に対して大きな力を発揮してこられたのは、恐らく、日本臓器移植ネットワークの臓器提供施設委員会、日本救急医学会、日本脳神経外科学会。こういったところの判断によって小児の部門も含めて検討しなくてはならなかった実情があったと思います。

 ここにお示しのとおり、改正臓器移植法の全面施行が717日ですが、マニュアルが整備され、730日には手順書が既にホームページ上にアップされていたと記憶しています。救急医学会や脳神経外科学会がいかに実情の混乱を防ぐために、こういう文書の整理を行ってきたのかということは確かではないかと思っております。

 実情として、水口先生の御書物にもお示しのものですが、先ほど申した2000年発表の文書の中で研究が行われており、2000年の段階では基準を全て満たしている正式な脳死判定例、これは小児においてですが、2回以上の無呼吸テストと神経学的検査を行った子供は、全体の症例の中で14%、1回だけやったものは7%ということで、恐らく、2割少しの患者のみが、いわゆる法的脳死判定、脳死下の臓器提供を前提としたときに行われるに等しい脳死判定を受けた子供である。それ以外の子供は、実は不十分な脳死判定によって脳死と家族に説明されていた可能性があるという理解があります。

 これも非常に不思議なことなのですが、この中で示されているグラフの白で囲んでいる所です。特に毛様脊髄反射、眼球頭反射、前庭反射に関しては、実施率が極めて低いことが分かっております。理由に関しては、よく分かりません。私もいまだにこの3つの話が非常に低いことはよく存じ上げておりませんが、同様の調査が海外でも行われております。アメリカでも全く同じ傾向にあり、特に前庭反射の実施率が極めて低いことが分かっています。恐らく、こういうことは学習効果によって期待できるのではなかろうかと考えました。

 また、これも非常にショッキングなデータなのですが、アメリカのShappellらが2013年に報告しているものですが、ドナー患者の脳死判定の内容をretrospectiveに見たところ、実はこの地域のドナー患者の41%においては臓器摘出後に脳死判定が不十分であったということが分かっています。恐らく、こういう事実が日本で判明することになれば、日本での移植医療は、当然、成り立たないものであると考えます。

 私どもは、小児救急医学会での活動を行ってまいりました。今日はこれを中心にお話したいと思います。2008年に脳死及び脳死問題検討委員会では、脳死及び臓器移植に関する意識調査を、これは小児救急医学会として行っておりました。2010年に法律が改正され、2016年に第2回の意識調査を行いました。今日は、この比較検討をお示ししたいと思います。

 もう1つ、これより前の2011年からは、小児の医療従事者の先生方は脳死を研修する場がない、どういう所で勉強すればいいのか分からないという声が非常に多くありましたので、私どもの検討委員会で脳死判定セミナーを設立しました。その内容を少しお話いたします。種市先生も一緒にやってくださっています。このセミナーに関しては、南アフリカやインドからも注目を受けており、教えてほしいというような声が最近届いてきております。

2017年を含めて、参加者総数391名の小児医療従事者の方に入っていただき、昨年度は89名の方にお見えになっていただきました。青で示している71%は医師で、63%は小児科の先生方です。実際には、広島の荒木脳神経外科病院の沖修一先生に脳死判定の実際について、法的マニュアルに従いながら、現在2台使っておりますが、シミュレーターを使ったシミュレーション、こういうブース。それから、無呼吸テストに関してもシミュレーターを使って、実際に無呼吸テストをどのようにやるのか、ピットフォールは何なのかということを、高知赤十字病院の西山謹吾先生に行っていただいております。

 日本光電の全面的なバックアップを受けて、日本医科大学の多摩永山病院の久保田稔先生におかれましては、脳波を5倍感度で取ることが、技術的にどれだけ難しいかということを勉強させていただいております。これは、参加者みんなで取り囲んでいますが、小児の医療従事者の皆さんです。

 また、日本医科大学、武蔵小杉病院の重村朋子先生におかれましては、家族ケア、グリーフケアの重要性、家族の悲嘆についての講義を皆さんに受けていただくブースを作っています。それから、横田裕行先生におかれましては、脳死の病態についての講義、日本臓器移植ネットワークから芦刈淳太郎先生にあっせん業務とは何かという講義をしていただいたり、市川光太郎先生に虐待の難しさや診断の難しさ、どういうところに注意すべきなのかということを講義していただき、包括的に学ぶ1日です。

 もう1つの要点は、意思決定のプロセスとここに示しておりますが、午後の一番重要なコアのカリキュラムです。東京大学の死生学から会田薫子先生、清水哲郎先生においでいただいて、意思決定のプロセスとは何かということを勉強します。すなわち、医療・ケアチームは、医療情報に基づいて最善の判断を行う。しかしながら、本人や家族からは物語として本人がどういう人間であったか、どういう価値観を持っていたのかということを十分に話してもらう、そういうチャンスを作る必要がある。その中で合意が導かれるものであって、これは最善について標準化されるものではなくて、個別化された判断になるのだということを、非常に短い時間なのですが、意向を形成するというディスカッションを医師、看護師、最後は全員ディスカッションとして行い、1日を終えていただくということをやっていました。

 これは、1つの教育効果を示すもの、恐らく、早期で短期記憶のテストなので、1つの効果としてお知りおきいただきたいと思います。赤いバーがポストテスト、青いバーがプレテストの点数です。一般的知識、除外項目、前提条件、脳死判定や無呼吸テスト、脳波に関する理解力はどうだったのかと比較してみると、特に脳死判定や無呼吸テストに関しては、ポストテストの点数の上がり具合が非常に大きい。すなわち、こういうテクニカルの問題に関して、単純なセミナーにおける教育効果は非常に期待できるのではないかと思っております。こういうことを長く続けることができれば、多くの小児医療従事者の方々においても、恐らく、急に起きてきた事例に対して、十分対応していただけるような実力を付けていただけるのではなかろうかと考えております。

 時間がありませんので端折りますが、ここは後で見ていただければと思いますけれど、ディスカッションの中で、どのような意見が出てきたのかということをここに出しております。非常に興味深い意見をいろいろな小児医療従事者が思い付いて示しています。

 アンケート調査をかい摘んでお話いたします。回答率は23.8%で返信400例です。意識調査の比較を簡単に見てまいりたいと思います。これは、臓器移植法が成立する前後で、上の段が今回、下の段が前回ということで今後も見ていただければと思います。あなた自身は小児の脳死を死と受け入れますかに関しては、「受け入れることができる」比率が増えている。臓器移植カードを持っていますかという比率に関しては、「カードを持って意志を記入済み」という小児医療従事者が増えている。脳死判定基準を知っているに関しては、「大まかには知っている」という比率が多い。脳死判定基準については、「一部問題があるが現在は妥当だと思う」という比率が非常に増えている。脳死下の患児を診療した経験があるかについては、「ある」と答えている人たちの比率が増えている。家族に脳死下臓器提供の話ができるかということについては、「必要であればできると思う」と答えていらっしゃる。どのように病状を説明したのかについて、「脳死であるとはっきり言った」と言っている比率が若干増えている、しかし、実際には「脳死という言葉は使わなかった」という比率が一番多い、ここは非常に分かれております。これは一番注目すべきだと思いますが、親族に対するケアは今の施設で十分可能だと思いますかという問いに対して、「十分可能」という比率が若干増えてはいるのですが、双方とも恐らく50%以上で「不十分である」と述べられており、これは極めて問題であると考えます。臓器提供に関しては小児ドナーからの臓器提供は必要だと思いますかということについては、「はい」と答えられている比率が増えている。ドナー候補者が被虐待児であるかどうかの診断が臨床で適正にできると思いますかについては、「はい」の答えが若干増えていますが、「いいえ」「わからない」が圧倒的に多い、これも非常に大きな問題であることは先ほども述べられたとおりです。

 まとめると、大まかに法改正そのものが影響した傾向。例えば、脳死判定を知っている、基準を知る必要があると考える、脳死を人の死と認める、臓器提供の話ができるという割合の増加は、恐らく、法改正そのものの影響と考えます。自ら意思表示カードを有するけれど意思は書き込んでいないという割合が増加したのは、恐らく、移植医療側の啓発・教育の効果であるとも考えられます。

 私が今回ここで強調したいのは、2回の調査とも圧倒的に高い比率で家族ケアの改善がなされているというのが、「不十分である」と述べられているところです。臨床心理士を介入させたり、一定基準の家族待機室、ハード面の設置に対して加算を付けるというような施策によって、家族ケア、ハード・ソフトの改善は急務であろうと考えられました。

 これはショッキングな写真ですが、私たちはもうこういうことを繰り返すことは当然ないわけなのですが、負の遺産として実際これは残されていることであって、私たちはいつもこのときに常に戻らなくてはならない。何か物事が起きれば、こういう時期があったことを常に想起する必要があるという心掛けを常に忘れることなく、今後も小児医療従事者の皆さん方との教育啓発活動に携わって、何らかに資するような結論を出していければと思っております。

 お手元には、拙いものですが海外へ向けて発信したシミュレーショントレーニングの効果、小児救急医学会の雑誌に載せた2回の意識調査の結果を付けておりますので、お時間がおありの際にお読みいただければと思います。私の話は以上です。御清聴ありがとうございました。

○横田班長 荒木先生、ありがとうございました。冒頭の部分では、荒木先生が実際に経験された症例の中からのお話、小児科学会、小児救急医学会のセミナーの取組、最後は荒木先生がまとめたアンケート調査の結果のお話でした。今のお話を聞いて何か御質問はございますか。

○大野班員 臓器提供の意思を示された方が、臓器提供できなかったという背景はどういう点だったのでしょうか。

○荒木参考人 今回の埼玉医科大でしょうか。

○大野班員 先ほど症例を提示された。

○荒木参考人 あの患者は臓器提供に至り、脳死下臓器提供をしていただきました。

○安河内班員 先生のスライドの中で意思決定のプロセスというところがあったのですが、そこで、例えば、個別化した判断とアプローチが必要ということは正にそのとおりだと思います。しかし実際、慣れていない方々にとっては、ある程度のモデル的なものがあってこういうパターンがあるということが提示されていたほうが個別化もしやすいし、実際に応用もしやすいと思います。逆に先生方の学会、若しくは先生御自身のお考えでも構いませんが、具体的に医療・ケアチームと家族本人との間の合意形成に至るまでの間に、どのようなアルゴリズムというか、モデルパターンとかアプローチのパターン化とかモデル化が可能なのでしょうか。可能であれば、具体的にそういうものがあったほうが実際の現場としては対応がよりしやすくなるとお考えでしょうか。

○荒木参考人 ありがとうございました。大変重要な点であると思います。私どもは個別化は必須の課題であると考えました。実際に死生学でお出しなられているところでは、清水先生がお書きになられている、老年医学会等で出されているガイドラインにも示されているものですが、合意形成のためのシートがあります。これは、患者側の意向、患者の背景、施設の背景、医療従事者の意思や医学的な評価を全て書き込んで、これはチャート式になっているのですが、最終的にそれをまとめて結論として出していくというシートで、実際にこの学会では、そのシートを用いてディスカッションをしてもらっています。

 ですので、ランダムに話し合ってまとまりのつかない会話を延々とするという形ではなくて、そのシートを埋めて、それをプロダクトとして提出する。それを集約していくという試みがここでなされているということです。私どもの経験では、非常に活用する上において重要なポイントが網羅されたシートだと判断しておりますので、臨床現場でも非常に有用なものではないかと考えておりますし、そういう講義も実際に清水先生や会田先生から頂いているところです。

○安河内班員 そういう意味では、そういうシートの利用について先生たちが行われているセミナーをもっと活用して。要するに、ある意味そういう意思を持って積極的に参加されている方のみならず、多くの方はそれ以外の方が多いわけですよね、その方々に対しての情報発信という意味では、どういう方法が良いとお考えでしょうか。

○荒木参考人 実際にこういう活動をして、恐らく、今年できたものがまとまりますので、こういう医学雑誌に投稿したり、こういうものの有用性をある程度シナリオとともにまとめることを考えております。私どもはシナリオを受講生の方々にお渡しするわけなのですが、受講生が作ったシナリオは、どのようにして意見が集約されてきたのかということを何らかの形でまとめて、それを、まずは医療従事者の皆さんに知っていただく必要があると思います。

 そういう中で、どれぐらい看護の先生方や看護以外の医師、例えばメディカルソーシャルワーカーにも、このシートは非常に有用だということを、院内ではすぐに周知できるのですが、広く社会や学術団体にということになると、学会発表や論文著述という方法でしか、実際にアプローチするのはなかなか難しいとは思います。可能であれば科研費等を申請して、そういうものを国に問うていくということも可能ではないかと思っております。実際には、清水先生の教室で作られていらっしゃるものなので、タイプをして連携をしながらやっていくことが必要であると思っております。

○横田班長 よろしいですか。ほかに何かございますか。

○奥田班員 貴重な講演、ありがとうございました。29ページの小児ドナー候補者が被虐待児であるかどうかの診断が、適正にできているかどうかのことについてお伺いします。この評価を見て今回「わからない」が多少減っているのですが、荒木先生は分からないから何とかしなくてはいけないと、要するに、被虐待児であるということをもう少し分かるようにしなくてはいけないと考えていらっしゃるのか、それとも、もうこの件については一定の結論を出して、被虐待児であっても臨床の中では移植を進めるべきだとお考えになっているのか、その辺りをお伺いします。

○荒木参考人 2通りに分けてお答えします。学術団体に関わる脳死問題検討委員会の委員長としての立場であれば、何らかの形で、国策であるわけですから、それに従っていかにそれを学術団体を通してメッセージを発信していけるのか、こういう現状を会員の皆様に知らせて、それをどのようにみんなで考えていくのかという場を作っていくような段階にあるとしか言いようがないと思っております。例えば、もう被虐待児からの臓器提供を可能にするという対極にあるような結論にすぐたどり着けるような方向性は、なかなか学術団体の中では示しにくい。ですので、これはそういう立場での答えになります。

 個人としては、今回の埼玉医科大の議論でもそうだったのですが、種市先生もお示しになりましたけれど、実情としては、白か黒かという判断ではなく、先ほどもコメントがありましたとおり、地域の警察、児童相談所、病院がいかに同じ理解を共有できるのかというポイントに全てが集約されています。ですので、包括ケアシステムと同じ形ではないのですが、その地域で日常的にどれくらい虐待という診断や相談の実績を蓄積できているのかに尽きるのではなかろうかと考えます。

 それから、法律そのものを改正することは難しくても、恐らく、地域、地域で解決することは絶対に可能だと思いますので、そこは、01にする作業から始めるしかないので、種市先生は怖くないとおっしゃっていましたが、正に怖くないのだということを分かっている人たちが先導して、01にしていく作業を積み重ねるという段階にあるのではないかと思っております。

○横田班長 よろしいですか。時間がまいりましたので、また後で総合的に質問を受けさせていただこうと思います。よろしくお願いします。

 それでは、3人目の御講演に移りたいと思います。3人目の先生は、東京大学大学院医学系研究科発達医科学の水口先生です。資料3に沿ってお話いただきたいと思います。それでは、水口先生、よろしくお願いいたします。

○水口参考人 御紹介いただきました東京大学の水口です。今日はこのような発表の場を頂きまして、ありがとうございます。私は小児科の中で、小児神経を専門としており、主に急性脳症という、急にインフルエンザなどをきっかけとして意識障害になる病気で、しかもかなり致死率も高くて脳死状態にもなり得るような病気の研究をしております。また、そういった関係から、10数年前に臓器移植法の改正をする際に、貫井班あるいは有賀班に入れていただき、小児の脳死判定基準を作る作業に参画させていただきました。また、小児科学会においては、小児の脳死臓器移植に関するワーキンググループがあり、それに関しても10数年来班員をしており、3年ほど前から委員長をさせていただいているという経緯です。したがって、小児科あるいは小児神経の学会関係で、この脳死臓器移植に関する、特にドナー側の脳死判定に関するシンポジウムあるいは講演会をorganizeしたり、演者として何度もやってまいりました。今日お示しするスライドも、もとは小児科関係の会で使ったスライドで、作ったのは67年前のものですので、若干内容的に古くなっているものがあって、今日はそれをできるだけ直したつもりなのですが、昨日チェックしたら、まだ直りきっていない部分が一部残っていますので、その点は初めにお詫びしたいと思います。

 ただ、67年前と比べても、いろいろな小児科から見た問題点ということに関して、やはり大きなところはほとんど変わらずに続いていると思います。一般の小児科医は、先ほど「できれば関わりたくない」という言葉もありましたが、どうしても脳死判定に関してちためらいとか戸惑いがあって、それはやはりいろいろな大きな問題があって理由のあることであると。小児の人権に関わること、あるいは小児救急に関わること、それから虐待、小児の事故の予防に関わること、そういう非常に解決の難しい大きな問題があって、それがこの脳死判定の問題にも大きく影響しているという話をしたいと思います。

 まず、究極のそもそも論からです。「脳死」という言葉についてです。定義としては、医学的に不可逆的な全脳機能の喪失ということで、これは成人も小児も、本来は医学的診断です。ところが、本当は診断だけであれば「脳停止(brain arrest)」というものが正確なのですが、実際には「死」という言葉が入ってしまい、その理由はそれぞれの国ごとの条件下で「脳死は人の死」とみなされるからです。人の死ということになると、今度は医学的以外の意義が生じてきて、ここにあるように「法的な意義」ということで、臓器を摘出しても、生命維持装置を外しても、殺人罪には問われないというようなことです。それから、「経済的・社会的な意義」、あるいは「文化的な意義」というのがあります。医療行為を継続した場合、はっきりと決めている国はありませんが、医療保険の対象外となると。そうは言っても、アメリカなどの実情を見ると、現実的にはそういうことにもなりかねないかなと思います。

 改正臓器移植法の改正の経緯です。これは皆さん御存じのことだと思いますが、20097月に交布され、その翌年の117日に施行されています。このとき、参議院を通ったときの朝日新聞の見出しとして、「「脳死は人の死」臓器移植法成立A案、参院でも可決」というのが出ています。これは大筋で正しいのですが、「A案、参院でも可決」という「A案」というところに問題の一部があると思います。もともとのA案というのは、非常に筋の通ったというか一貫したものであり、脳死は「人の死」であるということ、Opt-out、子供からの臓器提供に関しては年齢制限なしというものでした。ただ、実際に通った改正法は、A案を基にしてはいますが、いろいろな話合いにおける妥協の産物ですので、実際には脳死の位置づけは臓器の摘出に係る場合だけが「人の死」であって、それ以外では法的脳死判定はあり得ないということになっているわけです。ただ、朝日新聞の見出しを見ると、一般の方は少なくともそうは思っていない、「脳死は人の死」だと。少なくともそのときは思っているし、そのように思っている方が今でも多くいらっしゃると思います。

 それから、法律上は年齢制限なしということではなくて、修正12週齢未満は禁止ということです。これは2000年の厚生科研の脳死判定基準案を基にして、私どもが後から入れ込んだものです。

2009年に法律が改正されたわけですが、これがその後の小児からの臓器提供の件数の推移です。これまでに15歳未満ということになると16例の脳死判定、臓器提供がされています。この表を見ると、初期には交通事故あるいは事故や外傷、あるいは低酸素脳症といったものが多くて、内因性の疾患は非常に少なかったことが分かります。その後、数年たってから徐々に内因性疾患が出てきてということですが、その内因性疾患の中で多いのは、急性脳症、インフルエンザ脳症というもので、私の研究している急性脳症なのです。この辺りは私は急性脳症の治療を研究している者としては、忸怩たるものがありますが、だんだんそういうものも増えてきているということです。現在までの16例中10例は、外因性の疾患、事故、外傷、低酸素脳症で、6例が内因性疾患ということになります。

 そうすると、どうしても事故や外傷、低酸素脳症が多いということですが、こうなると例えば家庭内の事故などであれば、先ほどの種市先生のお話にも出てきましたが、広い意味での安全ネグレクトということが気になってきますので、除外すべき虐待の程度というのはどの程度までなのか、この問題がどうしても難しくて、安全ネグレクトの中でも非常に真っ黒に近い灰色のものから、非常に白に近いものまでいろいろですので、なかなか明確な線を引きにくいということがあります。それから、例えば事故や外傷の原因として自殺が疑われるようなケースでは、やはりその背景にいじめ、すなわち心理的虐待がなかったのかということはありますし、心理的虐待は親による虐待でなければ、学校の先生であったらいいのかということも倫理的には問題になってくるということで、どうしてもそういった外因性疾患については虐待の除外ということが、かなり重くのしかかってくるというのが事実です。

 それから、内因性の疾患に関して、例えば急性脳症で脳死状態になってということになると、急性脳症も非常に予後が良くて、ほとんど完全に治癒する症例から、こういった脳死あるいは死亡に至る症例までいろいろですが、確かにうまくやれば治ったのではないかというようなケースはありますので、そういった意味で、こういったケースになるということに対して、主治医としては非常に忸怩たる思いを持っていると思います。

 現在、法的脳死判定に関して、こういったマニュアルが使われます。両方とも有賀先生の2つの班で作られたものですが、左側の臓器提供施設マニュアルに関しては、小児科からは岡田先生が参加されました。法的脳死判定のほうは、小児科からは私が入っております。いろいろな法律とか、あるいは医学的な基準、年齢によって変わりますので、こういった非常に年齢によって細かく変わってくるようなものになっていますけれども、これはかなり複雑ではあっても、このマニュアルをしっかり見ながらやっていただければ正しく脳死判定できますので、脳死判定そのものは、医学的には虐待の件を除くと、きちんとしたものが出来たのではないかと私は思っています。

 ところが、そうは言っても、先ほど言ったような小児科の一般の先生方にはためらい、戸惑いが残っているわけで、その背景にはここに挙げたような8つぐらいの問題があるのではないかと思います。

 まず、小児の人権の問題です。これは先ほどA案が基本になって通ったということでしたが、小児科学会としてはB案という案を提案し、支持しておりました。B案というのは、Opt-inのほうの考えで、旧来の制度に近いもので、Opt-inする子供の年齢を12歳に引き下げていこうという案でした。結果的にはこの案は通らなくて、A案に近いものが通ったわけですが、これはやはり自己決定権というものを重視する立場からは、小児の自己決定権が重視されていない案になったと言わざるを得ないです。

 特に、年齢の下限が修正齢12週、つまり満期で生まれた子供であれば、3か月の赤ちゃんですので、そんな赤ちゃんが死や脳死や臓器移植を理解し、同意や拒否をできるわけがないわけです。その意味では、自己決定権とは関係のない制度になってしまったと。

 一方で、様々な経緯があって、知的障害者は除外ということがあると。これは意思表示ができないからということで除外されていて、これは完全に論理的には矛盾でして、軽度知的障害で、ある程度死とか脳死について理解できていらっしゃる方からも、ドナーとなる権利を奪っているという面もあります。また、実際問題として、知的障害のあるような場合は除外になるわけですが、乳児に、例えば周生期脳障害の後遺症であるとか、結節性硬化症の所見があって、これから知的障害の症状が出てくるのかどうか、これを乳児の段階で判定するのは難しいので、この辺りも問題になったところです。

 それから2番目としては、小児救急体制の脆弱さです。はっきり書いてあるように、「現在行いうるあらゆる治療手段をもってしても、回復の可能性が全くない」。この治療手段というのは、恐らく脳死とされ得る状態になってからの治療が一義的には問題になっていると考えられますが、そうはいっても主治医にとっては昨日までの患者とその治療、今日からの患者とその治療は別のものではなくてつながったものですので、昨日までの治療で、こうすればよかったと思っているときに、この文章を読んで、「現在行われ得るあらゆる治療手段」を私は昨日まできちんとやったかどうかということになると、自信はないという場面は十分にあり得ると思うのです。これはいろいろな小児科関係のシンポジウムでも盛んに質問、あるいは意見として出てきた点です。

 それから、病院小児科の特に二次救急の病院が20年ぐらい前と比べてかなり減っています。疲弊・崩壊が続く現状と。崩壊が続いていたのは2000年代で、最近10年間は大分状況が良くなっているとは思いますが、それにしてもとても良くなったわけでもありませんので、二次救急が疲弊している状態はかなり地域によっては続いているということです。こういったことなので、現在行い得るあらゆる治療をやったかどうかということが、どうしても気になるということです。

 それから、児童虐待への対応です。これも、特に法改正後の初期に問題になったことですが、院内に虐待対応システムがなくて、慌てて立ち上げたということが見られました。もう1つは、被虐待児の除外に関して、児相、警察、学校から情報を得ておくことが求められているわけですが、これがなかなか得られない。確かに、最初から警察が絡んでいるというような事故、事件のケースですと、警察は「事件性がない」とは言ってくれるのですが、これをもって、だから医療的に虐待はないという、その判断基準は全く違いますので、だから虐待はないと言ってしまっていいのかどうかというのは、医療者としては戸惑う点です。

 実際に小児判定基準を作る最初の会議のところは、例えば学校に問合せをして、「この親は以前給食費を払っていなかった」という情報が入った場合、これで除外されるのかどうかということが大真面目に議論されておりました。しかもそれに対する見解は全会一致というわけではなくて、それは除外すべきだという考えの方もいらっしゃいましたので、この辺りはどこまでの灰色だったら除外するのかというのは難しい点です。

2番目に書いてあることもそうなのですが、虐待と脳死の因果関係にかかわらず、可能性が少しでもあれば除外と。これは多くの先生がこの立場に立っていると思うのですが、基準が曖昧ですので、1つは提供を申し出た家族とのトラブルを起こしかねないということと、一方ではこの理由でドナー数が制限されてしまうということへの移植推進派の不満は出てくると思います。特に児相の相談ですが、特に5年ぐらい前までは、なかなか児相に聞いても情報をくれないということが問題になっていて、大分よくはなったと思いますが、これもかなり初期にはここでつまづいたことが多かったと思います。

 それから、脳死判定基準です。これは有名な小児科学会雑誌に掲載された症例報告ですが、てんかん重積状態による心肺停止で、低酸素性虚血性脳症により脳死状態に至った子供で、第5病日に一旦ABR消失、脳波消失、あるいは無呼吸テストも1回ですがやって、自発呼吸なしということですので、かなりきちんと脳死の判定基準を満たしていると。無呼吸テストを2回はやっていませんが、他はほぼ満たしていると思われます。ところが、この患者がずっとその状態で入院を続けているうちに、75病日になって音刺激に反応して前頭部から脳波が出てきてしまったということがあります。さらに、132病日になると、自発的に低電位ながら脳波が出ているという状態です。だから、脳波がごくかすかにではありますが、一時的に回復してきたということがあります。結局、この後にこの患者の脳波は再び消失し、お亡くなりになったと聞いておりますが、この程度の回復までは十分にあり得ることだと思いますので、これをもって脳死からの生還というほどの所見ではありませんが、この程度に回復することはあり得るということです。

 それから臓器提供施設が限られています。特に、5類型のうちの5番目の日本小児総合医療施設協議会会員施設が、当初はなかなか手を挙げてくれなかったわけですが、これに関していろいろな理由があって、ここに挙げたような様々な理由がありました。

 先ほどの荒木先生、種市先生からも御指摘のあった看取りの医療体制が未整備であるということです。現在、私どもの病院の現状を見ると、かなりの部分が看護師に皺寄せされているかなと思います。それから、死亡退院後のフォローアップ体制はないに同然で、人的・経済的なインセンティブも全くありません。もう1つ指摘しておきたいのですが、こういったことが医療者側にも心の傷を残すのではないかということも、ある程度実体験に基づいて感じています。

 それから、これは非常にいろいろなシンポジウム等で強い抗議を受けている点ですが、「脳死は人の死」という考え方が広まってしまったことにより、重症の脳障害あるいは重症心身障害者の方々が、自分らに対する医療、福祉が制限されるのではないかという心配を非常にされていて、それに基づく非常に強い抗議をされています。このことは、説明をきちんとしていくことが大事かと考えています。

 最後に、情報の開示と検証という難しい問題です。これは、第1例のときに、ある週刊誌にこれが取り上げられてしまったのですが、電車の駅のホームから転落して、電車にひかれたという事例です。ドナーの死因は投身自殺ではないかと。それに関する調査が不十分である、警察やネットワークの対応が不十分であるというようなことが批判されていました。確かに、その点に関する情報は余り明らかになっていなかったと。一方で、マスコミはドナーや家族に対するプライバシーを侵害していないかという疑念も起きてきました。こういったことから、ドナーや家族のプライバシーの保護と、脳死判定の経緯についての透明性を確保した上での検証ということは、両立しにくい難しい問題であって、これも前の事例から次に進むことを阻害している1つの要素かなと感じています。

 というわけで、かなりの問題があって、これは必ずしも脳死判定の問題というよりも、小児の医療全体のかなり難しい問題になっていますので、そういったことを解決していかないと、なかなか臓器提供例も増えていかないのではないかと感じています。以上です。

○横田班長 ありがとうございました。小児の脳死判定の課題についてお話を頂きました。今のお話に質問がありましたらお願いいたします。

○安河内班員 1つは、まず最初に、もう「臨床的脳死」という言葉は使わないことになって誤解がなくなったと思うので、基本的には臨床的脳死の状態で生還という話がされることに問題があるので、そこは多分小児科学会としての徹底の仕方が不十分ではないかということだと思うのですが。それを踏まえて、脳死判定のことを水口先生がお話になっていましたが、逆に現在の脳死判定で先ほど荒木先生も、脳死判定をされた方で、実際にretrospectiveに調べてみたら、41%の方が不完全な脳死判定をされていたというデータを出されていましたが、日本の中で脳死判定をされるとすれば、現在の脳死判定の基準で本当にいいのかどうかという、当然後方視的な判定は避けるべきではないかと思うのです。本当にきちんとした脳死判定をされた上で、その方が本当に脳死として判断してよかったのかどうかという判断は一方でやるべき話だと思うのですが、それについては提示された症例は、あれは余り適切な症例ではないと私は思っています。135日目に脳波が出たという話をされましたが、それは最初の段階できちんとした脳死判定がされていればそうかもしれませんが、不十分な脳死判定で脳死とされ得る状態に近いという話を判断されただけの話であって、そこははっきり分けて考えないといけないのではないかと思うのです。

 したがって、私の質問は、現在の脳死判定が本当に妥当かどうかは、この場におられる方は分からないと思いますが、取りあえずいろいろと取りまとめて一番妥当と思われる基準を先生も提案されていると思うのですが、それに対しては検証すべきものは当然検証しなければいけないし、もしそれが不適切な判定であれば、適正な判定に変えなければいけないと思うのですが、その点はどうすればいいかという御意見はあるのでしょうか。

○水口参考人 そのために前方視的に、現在の厳密な2回の無呼吸テストと、もう1つは高感度の脳波測定を取り入れた脳死判定を施行した上で、長期脳死に移行された患者の状態についてフォローしていくようなstudyを組まなければいけないのですが、臓器提供を前提としない状態で、2回の無呼吸テストと5倍感度の脳波測定ということが現実的には困難ですので、そういったstudyは非常に組みにくいというのが現実のところです。

○安河内班員 第1回の会議で東大の先生がおっしゃっていましたが、現行の法律では臓器提供を前提としない場合には、脳死という定義はあり得ないということなので、逆にそうすると、それはあくまでも脳波が非常に平坦化していて、脳の機能が高度に低下した状態とは言っていいのですが、脳死とされ得る状態まではいくかもしれませんが、脳死という判定はまずいわけですよね。したがって、その方が長期脳死という話は、まず概念的にはないと私は理解していたのですが。

○水口参考人 医学的なbrain arrestと脳死というのが混乱してきているのですが、brain arrestのほうを使って、その判定は現在の法的脳死判定の医学的な基準でいいと思うのですが。

○安河内班員 お言葉を遮るようで申し訳ないのですが、やはり専門である先生がそこはきちんと明確に言葉の定義を使い分けていただかないと、聞いている素人の方はますます混乱します。brain arrestという言葉が出てくると、brain arrestとここで言っている脳死判定の脳死とは、どういう関係があるのかというようになってきますので、そこは混乱を避けるためには言葉の定義をきちんとした上で、きちんとした情報の発信をされないと、ますます周りは混乱するだけだと思うのですが。

○横田班長 水口先生のお話でも、法的脳死判定に関してはマニュアルどおりで良い件ということで、そこは確認してよろしいですよね。

○名取班員 話が変わりますが、冒頭に出たA案について、先生の御理解は間違っているように思います。ここに出た新聞社の方は、確かに参議院通過のときにはそのような記事を書かれていますが、報道各社、ほかの会社は修正されまして、A案は、脳死を人の死とする報道は、衆議院通過の際にのみあり、参議院の議事そのものを見ていただくと、脳死を人の死とするA案ではないことに、ほとんど参議院のディスカッションが費やされています。

 と言いますのは、第6条第1項の修正の文言が、「何々の場合に限って」の「限って」を「は」にすると。「何々の条件のときに限って」を「は」にするということで、臓器提供のときにどうこうというのですが、そこをマスコミの方々が衆議院のときには誤解されて脳死は人の死である、「限って」は「臓器提供のときに限って」だったのが、「限って」が外れたから全部そうだというディスカッションをされたのですが、参議院の議事録を見ますと、そういうわけではありません。臓器提供のときにだけ、この法律は決めているのであって、臓器移植法という法律上は、臓器提供のときだけのフィールドの中で脳死は人の死だと決めている。それ以外のことは知りませんという法律の改正であるということがあったので、実は参議院を通過したのはA案の原文どおりで通過しています。修正はないはずです。

○横田班長 その辺は水野班員が詳しいと思うのですが、追加で御発言はありますか。

○水野班員 その問題が臓器提供の問題について一番の争点になってしまったことで、ここまでこじれたと思っておりますので、これ以上は。

○横田班長 私は、むしろ小児の自己決定権が無視されたというのがすごく大きいと思っていて、これからもずっとこの検討会でも作業班でも課題の部分だと思うのです。いわゆる知的障害の方々の判断というか、一方で親の忖度を認めていながら、知的障害の場合は排除するというような。これはいろいろな議論、あるいは政治的な流れの中でこういう結果だったのでしょうけれども、ここは法律的な解釈だとか学会での解釈を、先生の御意見ももう少し伺いたいと思うのですが、いかがでしょうか。

○水口参考人 この議論を始めると、究極のそもそも論になってしまって、A案でよかったのかどうかということにまで戻ってしまうのですが、少なくとも筋を通すのであれば、もう少し本来のA案に近いものにすると。そうなると、自己決定権が無視されていることを明確にせざるを得ないということが出てきて、今の状況でこれからどう進めていくのかというのは非常に難しい問題で、私自身も、ではどうすればいいのかという方向性を持っていないというのが正直なところです。

○横田班長 この作業班でも最初の頃にこの問題点は議論になった経緯があります。ありがとうございました。

 時間も限られていますので、最後の4番目の演者であるトキワ松学園中学校高等学校保健体育科の佐藤先生、よろしくお願いいたします。

○佐藤参考人 皆様こんにちは。トキワ松学園の佐藤毅です。本日はどうぞよろしくお願いいたします。お招きいただきましてどうもありがとうございます。私の話に入る前に1つお伝えしたいことがあります。私は、現場で「いのちの教育」を一生懸命やっています。その「いのちの教育」なのですが、私が小学校5年生、6年生のときに、担任の先生から受けた「いのちの授業」がすごく印象的でした。当時から、私は保健体育の先生になりたいと思っていましたので、「あっ、この先生のようになりたいな」と思いました。それで実際に教員になり、このような「いのちの教育」をしています。ですから、本日この場に立てているのは恩師のお陰かと思っております。その恩師に感謝の念を持ちながら、このお話を進めさせていただきます。

 まず、教育の現場の体系ということで、我々にはもちろん国・文部科学省があって、その下には教育基本法、学校教育法というものがあります。具体的に学校で教えなければいけないということが、学習指導要領に書かれている、そのことをやるというのは、もう皆さん御存じのことかと思います。具体的に各教科の内容は、結構分厚い資料になるのですけれども、そこに書かれています。その現状ですが、「臓器移植」という言葉が書いてあるのは中学校ではありません。各教科全部見ましたがないのです。私の教科である保健体育の、この保健という教科の教科書を見ると、現在の教科書は4社ありますが、3社は全く記載がありません。1社だけコラムという形で、見開きページの端のほうに小さく書いてあるというのが現状です。

 高校の学習指導要領に目を向けると保健だけなのです。英語、数学、国語、理科などいろいろな教科がある中で、保健だけに書かれているのが現状です。この太字の所ですが、学習指導要領の原文そのままを抜き出してみました。「介護保険、臓器移植、献血の制度があることについても適宜触れる。」適宜です。適宜触れるようにするとしか書かれていないので、ほとんどの保健体育の先生が保健の授業で、臓器移植という言葉は使っていないと思います。

 教科書に目を向けてみると、高校の保健の教科書はたった2社しかないのです。1社は先ほどお話しましたが、中学校の教科書と同じように、小さくコラムだけです。もう1社は、たまたま私がその校閲、編集に携わらせていただきました。この4月から発刊された教科書は、少し充実させることができました。今までにない教科書ができたと思います。保健はこの2社だけで、このような現状になっています。各教科、職員室の先生に教科書を全部見せてもらいました。そうすると社会科の公民と、理科の生物に、各社数行だけ、それも10数行ではなくて、本当に23行程度の記載量、それしかないのが現状です。

 私が授業で行っている具体的な内容に入っていきます。学習指導要領には、我が国の保健・医療制度という項目がありますので、正しくそこに、臓器提供・移植の話がはまるかと思います。高校生の保健というのは、3年中の2か年でやらなければいけないことになっています。私は、『生老病死』というテーマを掲げました。教科書の中身を、見てみると、家庭科や、社会や、理科と内容がかぶっているのです。

 それをふるいに掛けて、ギュッとテーマを絞り、「生きること」「死ぬこと」にスポットを当ててカリキュラムを作りました。1か年目は「生きる」にスポットを当てて授業を行っていきます。ここに書いてあるように、宇宙の誕生から、生物、動物、生命誕生ということについて、次年度にやる死のウォーミングアップのような形で私は捉えています。実際に2か年目は「死」というテーマを掲げて、移植医療、尊厳死、安楽死、平穏死などいう言葉を使いながら、1年間授業をしていきます。

 私はこの授業を2000年から行っています。最初の45年というのは、保護者から「脳死は人の死ではない」とか、「なぜこんなことをやっているのか」とか結構厳しい御意見を頂きました。あとは同僚です。同僚というのは、大抵授業見学に来たいときには、必ず何月何日の何時間目に見学させてくださいという事前の申し出をしてきます。ですけれども抜き打ちで何度も来ました。果たして佐藤はどんな授業をしているのか、移植医療を勧めているのではないかとか、いろいろ厳しい意見がありましたが、今は全くない状態です。

 私が「いのちの教育」の充実を考えているときに、なぜ臓器提供・移植の問題を取り上げたかという理由です。私が小学校5年生、6年生のときに受けた「いのちの教育」というのは、「生」にスポットが当たっていたわけです。実際に私が教員になって社会を見たときに、生きると死ぬが一緒の中に出てくる良い題材だと思ったからなのです。ですから、この授業をスタートしました。やはり学校ですので、社会に目を向けてほしいということで、この臓器提供・移植のお話には医療従事者が随分出てきます。ですから、そういうことも紹介できるということ、子供たちに考えてもらうということで取り上げています。

 そして、何よりも家族の気持ち。これだけ今は核家族化が進んでいる中で、普通の家庭の中で生きる、死ぬということを考える機会が少なくなってきているのではないのかということを感じていましたので、自分の気持ち、家族の気持ちを、授業を通して家庭に持ち帰ってお話をしてくれればいいかと考えたからです。私は「いのちの授業」を通して、決して臓器提供・移植を勧めるというわけではなくて、これを題材に、子供たちに考えてほしい、死生観を考える“きっかけ”、そういうスタンスで授業を作っております。

 実際の11コマの具体的な内容です。2か年目の4月から7月の1学期期間に、11回の授業を通して行っております。最初は、教育現場で死を語るというのは、生徒たちもなかなか慣れていませんので、導入にすごく時間を掛けます。非常に表情が固く、肩に力を入れながら授業を聞いているような生徒が多いのですけれども、それをほぐす形で、約1時間掛けて昨年度の反省、今年度はこういう授業をやるよということで心をほぐしていきます。

 そして「4つの権利」です。よくこういうお話をするときに、「頭の片隅に置きながらお話を聞いてください」などという表現をするかと思うのです。私は、子供たちにこの「4つの権利」というのを頭のど真ん中に置きながら7月まで過ごしてごらんということで、毎週毎週授業を行っていきます。本日は時間がありませんので、2時間目、3時間目、4時間目、5時間目はこのような内容で、1コマ50分の授業を進めていきます。そして6回目から、最後の11回目までこのような流れになっています。2011年度からは、コーディネーターに来ていただいて授業をしていただいています。約3か月間私の授業を受けていますので、生徒たちが身を乗り出して聞くような臨場感あるお話になっています。

 高校の保健だけではなくて、私は中学・高校の道徳でも臓器移植のお話をしています。2013年度からなのですが、本日現在で11校、全国のいろいろな学校に道徳授業をという形で出向いていっています。先方の依頼によっては2コマ、3コマと限定されますので、その時間数に合った内容を組み立てながら出前授業ということで、今まで11校に行っています。そして私の学校の中学の道徳の授業でも4コマ分の時間数であったり、1コマでやるときもあったりします。厚生労働省が毎年中学3年生に配布している緑のパンフレットも使いながら、この道徳の授業をしています。先ほどの高校生の授業だと、2か年掛けてお話をしていきます。それでも導入に注意を払うのですけれども、やはり他校に行ったり、中学生にお話をするときには、より導入に時間を掛けるようにしています。具体的な内容はこのようになっています。

 私は先ほども申し上げたとおり、臓器提供・移植を教えるというスタンスではなくて、“きっかけ”づくりと思って授業をしている中で良い、悪いという言葉は決して使いません。歴史や現状を伝えて、生徒たち一人一人に考えてもらう、そんなスタンスで行っています。それから何も遠い話ではなくて、日常生活に絡めながら、例えば嫌な表現かもしれませんが、今日家に帰ったら親が死んでいたかもしれない。例えば今日の学校の帰りにトラックにひかれて死ぬかもしれない。なるべく日常生活に即しながら授業を組み立てていきます。

 それからこの35人なのですけれども、よくこの数字を言うと生徒たちはハッとします。それは何かと申しますと、現在我が国日本というのは、1年間に亡くなる方が130万人と聞いています。その130万人のうち、脳死者数は1%と聞いています。それを365日で割ると35人なのです。昨日も日本のどこかで35人が脳死になっている。本日も日本のどこかで脳死になっている。周りを見てごらんということで、1クラスというのは大体30人ちょっとですので想像しやすいのです。ですから、こういう数字を使いながら、授業を組み立てているということです。

 それからここなのですけれども、日本の教育というのは非常にインプット型だと個人的には感じている中で、なるべく私の授業では、詰め込むだけではなくて、外に出すアウトプット作業もしています。先ほど1コマ50分と申し上げましたが、実際に私が話をするのは45分です。残りの5分間は『リアクションペーパー』という用紙を使い、この授業で考えたこと、知ったことを紙に書いてごらんということで、最後の5分間は「リアペタイム」と呼んでいるのですが、そんな授業構成にしています。

 その結果、家族と友達と自然に話せるようになります。自分の気持ちを外に出すという作業をしていると、何箇月かたつと家族、友達と話せるようになっていきます。私は、“きっかけ”を生徒たちに与え、自分たちで知って、そして自分たちの頭で考えることによって、結果的に「提供したい」という生徒が増えていると感じております。お時間のあるときに、お手元の参考資料を御覧ください。

 最後に、今後に向けてということです。私は今までも、そしてこれからも授業を通して、「生かされていることに気付いてほしい」「1人では生きていない、周りの人に支えられながら生きているのだということに気付いてほしい」という思いで授業をしています。引き続き主体的に命の大切さ、死生感を考えられる生徒が増えていって、家族と話し合う、そして自分の意思を持つ生徒が増えてほしいと思いながら授業をしていきます。その中で、臓器提供に賛成か反対かという意思表示をする機会につながっていけばいいかなと思っております。

 それから先々月、岐阜県で15歳未満の15例目の提供がありました。新聞の記事でしか分からないことなのですけれども、その家族のコメントが載っていて、「知っていた」、「話していた」ということが載っていました。やはりこの移植医療について知るとか、話すということはすごく大切なことではないのかと感じました。

 それからここです。現在の日本の状況、そして件数というのは、実際に一般市民が知っていての結果なのかと、個人的に疑問です。私の授業は、たまたま目の前の生徒、毎年毎年卒業生が増えていくわけですけれども、微々たるものだと思います。やはり、もっともっと日本全体で臓器提供、臓器移植について知ることが大切ではないのかと思っています。

 それから、生徒たちに普及啓発のアイディアを募ってみました。これは毎年やっているのですけれども、断トツで授業、そして具体的に義務教育という言葉を使いながら、子供たちはアイディアを出してくれます。8割以上がこの答えです。ですから、私もこの授業をこれからも続けていきたいと考えております。来年度、再来年度に小学校、中学校で、それぞれ道徳が教科化されますので、すごく良い機会ではないのかと個人的には思っています。

 最後に、今も手を取り合っていると思うのですけれども、厚生労働省と文部科学省がより手を取り合って、子供たちの学ぶべきカリキュラムの中に、もっともっと入れていただきたいと思っております。この臓器提供・移植の授業が広がるには、具体的にここに書いてある「指導案」、これは教員が実際に授業を50分やるときに、どんな導入をし、どんな展開をし、どんなまとめをするという一覧表なのですけれども、大体教員というのはそれを作ったり、それを頭の中に入れながら50分の授業を進めますので、そういうものがあると、現場の先生がそれを見て、生徒たちにそういう授業をしてくれるのかと思います。結果的に、社会の認識が深まっていくのではないかと感じております。御清聴ありがとうございました。

○横田班長 佐藤先生、ありがとうございました。この作業班でも過去に、学校教育の重要性は何回も議論されました。教育現場で実践されている佐藤先生のお話でした。何か御質問がありましたらお願いいたします。

○安河内班員 長野こどもの安河内です。日本小児循環器学会から出てきました。実は日本小児循環器学会でもいのちの授業ということで、各地域ごとに、医者側のアクセスから始まってやっています。実際にコンテンツ、内容についても、学会のホームページで開示する形にしています。一番問題があるのは、教育現場になかなか入っていけない。いのちの授業というのは、臓器移植の推進ではなくて、先生がおっしゃるように、いのちの授業という形での提案をするのだけれども、なかなか学校現場のほうで受け入れていただけない。もっと積極的にやるようにという会員からの意見もあります。

 具体的に、先生のこのいのちの授業のプランは素晴らしい案だと思うのです。それをもう少し先生がおっしゃるように展開するためには、先生がおっしゃるように義務教育の中の授業とし、きちっとしたカリキュラムの中に入れるべきだという話があると思うのです。その中で、学校の先生が話をする、若しくは必要に応じて診療現場の医者が来て話をするところも含めて、何か先生なりに提案なり、お考えはあるでしょうか。

○佐藤参考人 学校の先生も、臓器提供・移植について知らないわけです。知らないから、お医者様からいのちの講演会があるよと言っても、そこでシャットアウトしてしまうのです。だから、現場の先生方にまず知っていただきたいと思います。その役目は誰かというのは分かりませんけれども、現場の先生が、このお話について理解があれば、そういうアプローチもしやすくなるのではないかと思っております。

○横田班長 提供したいという気持ち、したくないという気持ち、臓器提供を受けたいという気持ち、受けたくないという気持ちを、その講義の中でのバランスというようなところに気を使ってお話をされているのですか。

○佐藤参考人 先ほどのお話の中でも、私は勧めないと申し上げたのですけれども、授業では全くフラットにしています。本当に自由である、いつ変ってもいいということを、繰り返し繰り返し言っています。生徒たちは何を選んでもいいのだという気持ちで授業を聞いてくれるかと思います。

3か月たった一番最後の授業で、いろいろなパターンで、いろいろなトーンでですけれども、今自分がそうなったらどうなるかとか、今親がそうなったらどうなるか、自分が10年後にそうなったらどうであるか、自分が例えば結婚をして子供が生まれて、子供がそうなったときにどうであるかと、いろいろなパターンで考えさせます。この4つの何を選んでもいいのだよ、正解はないのだよということを言っています。実は、まだ答えが出ないという選択肢も私はしっかり用意しています。子供たちは、選ばなければいけないというプレッシャーの中では決してないと思いますので、そういうフラット、そしてまだ決まらないというところも提示しております。

○横田班長 よろしいでしょうか。佐藤先生、どうもありがとうございました。4人の先生方からお話を頂きました。もうそれほど時間はないのですが、全体を通していかがでしょうか。まだ笠原先生、織田先生、犀川先生、白井先生のお話がないのですけれども、いかがですか。

○犀川班員 荒木先生と水口先生に関わることだと思うのです、現場のほうから言うと、脳死判定の位置付けが非常に曖昧になってきた気がするわけです。法律的には、臓器提供を前提としたときにだけ、脳死が認められるという言い方をされると、詳しい、不十分でない、あるいは法的脳死判定に準拠した脳死判定をする意味が、前提としなければ、どういう位置付けになるのか。これは現場でも迷うわけです。

 すなわち、脳死判定をすることで、道は臓器提供の1つの道。あともう2つのオプションがあり得るかもしれない。御家族にとっては、現在の治療を継続する、あるいは中止する。先ほどの話だと、脳死判定がなされれば、中止することは法的に抵触しないことになります。ですから、今は脳死判定の位置付けが少し曖昧になってきたと思うのですが、どのようにお考えですか。

○横田班長 荒木先生にお答えいただけますか。

○荒木参考人 答えになるか分からないのですけれども、実は今年5類型の病院に、先生が今おっしゃった脳死下の臓器提供を前提としない場合の脳死診断というのはどのように実施しているか、ということをアンケート調査を行いました。850施設のうち350施設ぐらいから回答があって、今解析をしている途中です。臓器提供を前提とした脳死判定でなければ、ほとんどの施設は、いわゆる無呼吸テストを行わずに、脳死に近い状態として家族に説明をしているという現状です。

 これは生命倫理学会のほうでは、「死の二重基準」というような言葉がよく使われているようです。臓器提供を前提としない脳死に関しては、終末期医療の中にまだ位置付けられていないという判断の下に、例えば抜管であるとか、呼吸器の停止ということは、何と申し上げたらいいのか、実状としてはなされていない。なされる判断の根拠にはなり得ていないということではないかと考えます。

○横田班長 白石先生、全体を通して何かありますか。

○白石班員 本日は貴重なお話が聞けてとても勉強になりました。前回も、臓器提供することが親御さんにとってもグリーフケアになると言いますか、そうしたことで考えていくのがいいのではないかという意見を申し上げました。そういう話が種市先生からありました。あとは具体的なグリーフケアの方向性や、もっと子供たちのところからいろいろな教育をして、次世代につながっていくような臓器提供の在り方を考えていけたらいいと改めて思いました。何となく臓器提供、臓器移植を普及していこうとすると、どうやったら説得できるのかみたいな議論になりがちなのですけれども、そこから少し視点を変えたらいいのかと改めて思いました。

○横田班長 織田先生はよろしいですか。

○織田班員 本日の佐藤先生のお話で、私もきっかけを頂いたかなというところです。子どもにお話をするときに、どうしても学校の教育で、これは私の偏った言い方になっていたら失礼なのですけれども、どうしても子どもは何か教えてもらって、アウトプットするときには、正解が何かというのを探す、という教えられ方とアウトプットの仕方に慣れているので、どのように教えられているのかというところにすごく関心がありました。非常にフラットなところに気を付けられて、これは決めなくてもいいというところまで選択肢に入れているというのは、私が周りにいろいろなことをお伝えしていくときにも非常に参考になる考え方だと思いました。どうもありがとうございました。

○横田班長 笠原先生はいかがですか。

○笠原班員 国立成育医療センターで実際に小児の臓器移植をやっている笠原です。本日は貴重な御講演を頂きまして大変ありがとうございます。種市先生には、最初の臓器提供のときに本当にお世話になっています。荒木先生は元同僚ですし、大変お世話になっています。本日1つ思ったのは、佐藤先生のお話が非常にインプレッシブでした。答えを出さなくても、考えるきっかけを与えてあげればいいのだということをお聞きして、微力ながら私も目の前に、臓器移植をしないと亡くなってしまうお子さんばかり見ていますので、そういう視点で何かお力になれることがないかということを強く思いました。本当にありがとうございました。

○横田班長 水野先生はいかがですか。

○水野班員 フラットに考えるように教えるということについても大変説得的でした。それから、このようにきちんと情報を与えられて教育をしていただくというのは、とても有り難く思いました。ただ、本日の議論全体で危惧を覚えたことがあります。私は脳死は死だと思っています。そして不可逆的な死であることははっきりさせたほうがいいと思います。日本で脳死の問題、臓器移植の問題がこれだけこじれてしまったことの背景には、生とか死というものについては、それぞれの社会ごとに何らかの宗教的なものがあることが影響しているように思います。例えば欧米の社会だと堕胎の可否が国を割るような議論になってしまう。そして日本の場合には死の定義の問題が、そういう問題になってしまいました。

 現実に脳死は死であって、そうでないと臓器移植はできません。そして、脳死は不可逆的な死として、医学的にもはっきり立証できるということは確認をされたはずです。先ほど、これ以上この議論はと申し上げたのですけれども、その点はできるだけpragmaticな議論をすることによって、そういう不合理な情念を持っている人がいる日本の中でも、脳死臓器移植を一歩でも進めたいというのが、これまでの立法方針でした。そういう情念の問題は、その人の拒絶権を保障することで対応すれば足りるはずです。そこを、あえてそういう情念にまた付き合う形で議論を元に戻してしまうことはこの場では避けて、一歩でも確実に進めていくほうがよろしいかと思います。

○横田班長 ありがとうございました。もう時間を少し超過していますので、本日の作業班はこれで終了したいと思います。今後の予定を事務局からお願いします。

○蔵満室長補佐 本日は活発な御議論を頂きまして誠にありがとうございました。本日頂きました御意見を踏まえ、次回以降の作業班の準備をさせていただきます。次回の作業班の日程に関しては、後日日程調整をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。

○横田班長 先生方お忙しいところ、また東京は梅雨明けしてからちょっと天候不順なのですが、関東地方以外は今は猛暑だと聞いています、お暑いところをお集まりいただきましてありがとうございました。本日の作業班は終了いたします。


(了)
<照会先>

健康局難病対策課移植医療対策推進室
代表電話: 03(5253)1111
直通電話: 03(3595)2256

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