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2016年10月27日 第4回「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議」 議事録

政策統括官付労働政策担当参事官室

○日時

平成28年10月27日(木) 10:00~12:00


○場所

厚生労働省 省議室(9階)


○出席者

安藤氏、大内氏、大田氏、古賀氏、小峰座長、村木氏、守島氏、森田氏、山川氏、横田氏

○議題

(1)論点整理
(2)その他

○議事

○小峰座長 皆さん、おはようございます。定刻となりましたので、ただいまから第4回「働き方に関する政策決定プロセス有識者会議」を開会いたします。
 皆様におかれましては、お忙しい中御出席いただき、誠にありがとうございます。
 カメラの撮影はここまでということです。
 それでは、早速議事に入りたいと思います。
 議題1「論点整理」について、事務局から説明をお願いいたします。
○森川労働政策担当参事官 では、資料1をご覧いただきたいと思います。
 委員の皆様方におかれましては、これまで3回にわたりヒアリングなどを含めて御議論をいただいたところでございます。資料1は、これまでの主な議論あるいは論点を整理したものでございます。
 まず、総合的・中長期的な議論が不足しているのではないかという点でございます。具体的には制度改正等の短期的な議論が多く、労働政策の基本的方向性や中長期的なあり方の議論が十分ではないのではないか、政府の会議体が決定した雇用労働政策の大枠に沿って法案等の議論が行われており、戦略的議論が十分ではないのではないか、具体的な制度設計を行っている各分科会、部会の横通しが十分ではないのではないかということでございます。
 2つ目は、議論が硬直している可能性があるのではないかという点でございます。具体的には、労使の利害調整の色彩が強く、公益的な観点からのエビデンスに基づく議論が十分ではないのではないか、議論の質を確保しつつ、必要な政策決定スピードが確保されているかということでございます。
 3つ目は、多様な意見が十分反映されているのかという点でございます。具体的には、正規・非正規労働者、産業、地域、年齢等の観点から見て、多様な働き手や企業等の意見が政策に十分反映されているかということでございます。
 最後に、労政審の意義と構成をどう考えるかという点でございます。具体的には、労政審で政策や制度改正などを議論することをどう考えるか、労政審における公労使三者構成、労使同数の意義についてどう考えるかということでございます。
 これらの点につきまして御議論いただければと思います。
 以上でございます。
○小峰座長 ありがとうございます。
 本日は、取りまとめに際しての総括的な議論を皆さんにお願いしたいと思います。ただいまの論点、またこれ以外でも構いませんので、この際自由に御意見をお聞かせいただければと思います。どの項目でも、どなたからでも結構ですので、御発言をお願いいたします。
○大内氏 久々に参加します。過去2回の議論は、いただいた書類とかで確認しております。
 私が初回のときに申し上げたことを若干繰り返して申し上げますので、それも論点として取り上げてもらえればと思います。
 一つは、扱う事項によってやり方が変わるのではないか。抽象的にはそういうことなのですが、専門的な色彩の強いような、法律の細かい制度設計とか、そういうことにかかわるものについては、労使みんなで議論するということではなく、あのときは公聴会型と言ったのですけれども、ある程度固まった案を公益あるいは事務局を通して提案していただいて、労使の意見をお聞きするというような形のパターンがあるのではないかということと、それから大きな方向性というか、あるいは労使で交渉して、元のところからある程度決めていったほうがいいという事柄については、そういう形の運営をすべきではないかということ。そこをごちゃごちゃにしてしまわないように。
 1回目に申し上げたのは、労働契約法の制定過程を一体どう考えたらいいのかということ。私は、あれは成功であったかどうかということも含めて、総括してもらいたい。予想していたものではないようなものができたというのは事実なのです。そこについてそれなりの総括をしなければ、労政審のあり方の今後はなかなか議論しにくいのかなと思っています。実際そういう例がそう昔でない2007年、2008年にあるわけですから、その点についてどう考えるのかということも議論していただければと思っています。どれぐらいメインのことかわかりませんけれども、1回目に申し上げたので、ここでもう一回リマインドしておきたいと思います。
 もう一つは、多様な代表という観点が今回のメインにあったと思うのですが、それを比例代表的な委員構成にするということには反対だということを1回目に申し上げたと思います。そのことがここに入っているのかどうかわかりませんが、それについてどう考えるのかということです。
 多角的な広い視野の人に来ていただいて、どうしても技術的・専門的なことについては鑑定人というか、そういう形で意見をもらうということはあってもいいのですけれども、比例代表的な形でいろんなカテゴリーの人たちの利害を代弁するような人を委員に入れるということは賛成ではないということを申し上げておきます。
○小峰座長 今の御発言は、審議の仕方はアジェンダによって変えてもいいのではないかということ、2007年から2008年の審議は決して円滑にいかなかったのではないかということ、審議会のプロセスとの関係ではプロセスがうまくいっていなかったから適切な結論が出なかったということですか。
○大内氏 あまり明確に言うのもちょっとどうかという気もしますけれども、デリケートな話なので、ここは皆さんいろんな意見があると思いますが、私個人的には、あのとき申し上げたのですが、労働契約法についてはその制定前に、正確な名前は忘れましたけれども、労働法学者や専門家、山川先生も入っておられたと思いますけれども、こうした有識者が集まってこれからの労働契約法というのはどういうものであるべきかということを取りまとめた非常に優れた報告書がありました。私はその報告書の取りまとめには参加しておりませんが、私のような外部の人間はこの方向で行くのだろうと思っていた。
 ところが、全くと言うと言い過ぎですけれども、そこは労使でいろいろ話し合って、自分たちでつくっていこうという意見がどうも強かったようであるという情報があるということです。望ましいと思われた方向での労働契約法はできなかったという認識でおります。これは、もし間違っていたら間違っていると御指摘をいただければありがたく思います。
○小峰座長 今の件で御意見があれば伺わせていただきたいと思います。今の論点で私は何回も繰り返しこの会議の場でも申し上げているのですが、これは三者構成とか労使同数という議論でどこまでやるのかという論点と関係すると思うのですけれども、労使が従うべきルールを決めるという場であれば、最後は表決になることも考えられるので、公労使か政労使か、三者構成又は同数というのも一つの考え方と思うのですけれども、働き方のあり方や中長期的な方向性をどう考えるかといった議論については、三者構成又は労使同数、三者同数というところまで枠をはめないでもいいのではないかという感じを持っているのですが、今のような点についてもし御意見があれば。
○大田氏 私も4番の労政審の意義と構成をどう考えるかというところを一番重視していますが、「労政審で政策や制度改正などを議論することをどう考えるか」という問題の立て方は趣旨が違っています。労政審の役割というのは今後とも重要だと思うのです。しかし、今、座長が言われましたように、雇用をめぐる問題が多様化していることを考えますと、労政審を通さないと法改正や新立法ができないという慣例を見直すべきだと思っています。
 労政審を通すべきであるとする根拠は、ILO条約の三者構成原則ですけれども、日本が批准している条約34のうち労使同数を規定している条約は2本です。それが2つ目の問題にかかわってきますが、三者構成そのものは重要ですし、最低賃金のように労働条件そのものにかかわる議論というのは労使同数であるべきだと思います。しかし、労働をめぐる全ての議論を労使同数の三者構成で議論するということは、既存の労使の利害のみが色濃く出てきますので、構造的な見直しに踏み込むことができませんし、硬直的な結果を招くと思っています。
○古賀氏 今の課題というのは、事務局の論点整理案でいきますと1と4にかかわってくると思います。1については、当初からこの有識者会議で私も指摘してきましたが、中期的・総合的・横断的な議論を行う場がないのではないかということです。前回の有識者会議の最後に森田先生が、そうした中長期的・総合的な議論の場をどうつくるかということや、メンバーをどうするかというのが非常に大きな問題であるとおっしゃいました。確かにここは非常に大きな問題だと思うのです。
 私は、この有識者会議で、働き方に関する政策は、産業政策なども含め非常に大きな政策などともかかわってくるので、中長期的・総合的な議論の場は、厚労省から離してつくったらどうかということも申し上げましたが、議論の場というのはテーマによって違うのだろうと思います。具体的には、労働政策だけで完結できる問題は労働政策審議会で議論する。また、労働政策に加えて、社会保障政策にも関連する政策は厚労省で議論する。その他さまざまな政策課題を総合的に議論するのであれば、また別のところで議論するということだと思うのですが、メンバーに労使がきちっとかみ込んで議論することが重要です。それが絶対的に政労使、公労使同数の三者構成でなければならないとは言いません。しかし、労使の参加を保障し、できれば複数参加する。なぜならば、合意形成プロセスにおいてフェアでなければならないし、あるいは複数でなければ多様な視点からの検討が不十分になるのではないかと思うからです。以前設置されていた雇用審議会や産業労使懇話会、あるいは雇用戦略対話などを参考に考えるべきではないか。雇用審議会は人数が多いのですけれども、さまざまな人が集まっている。中長期的・総合的な議論の場には、そういうメンバーが必要ではないかと思います。
 それから、労政審のあり方についてですけれども、これは前々回の有識者ヒアリングにおいて3名の方から、産業構造の変化とか社会構造の変化によって委員構成は見直す必要があるのではないか、そういう提起はいただきましたが、三者構成自体は否定をしませんでした。むしろ前向きに受け止めておられました。
 加えて、前回の労使関係者のヒアリングは、3氏とも、やはり現場実態を熟知した労使がきちっと議論に参加する必要があるということをおっしゃっていました。私は、当初から言っておりますように、労政審における公労使の三者構成というのは今後も堅持する必要がある、そして一層の機能強化が必要であると思います。もちろん、労政審は、最後は過半数で決すると労働政策審議会令で定められているわけですから、委員は労使同数でやるべきです。
 また、大内先生の御指摘の労働契約法の立法過程の件は、いろんな見方があると思うのです。確かに学識者の方が、これからの労働契約についてこれが正しいということを検討会の報告書として取りまとめたわけですが、現場としてどう受け止めるかという議論を労政審ではしたと思うのです。その結果、検討会報告書の方向性が変わったから労政審の機能を果たしていないではないかとか、おかしいではないかというのは、ちょっと言い過ぎではないかと思います。
○村木氏 今、テーマによって審議の仕方が変わるのではないかということで、それは私もそのとおりだと思うのです。実際に労働行政をずっとやっていると、テーマによって審議のやり方が変わるというのは、それは一面の真理ではあるのですが、一つの労働市場の中にルールを投げ込んでいく、あるいは受け止めるのは一つの企業ということになると、ばらばらなところからばらばらな話がやってきて、最後は労使が自分で受け止めることになる。こうなると、また労使の間に混乱が起こる。いろんなルールをつくっては、労使にあちこちからいろんなことを全部俺たちのところへ持ち込んでくると言って怒られていた立場から言うと、そこのバランスは考えなければいけないと思っています。
 もう一つは、テーマによってというよりも、私はここの議論にずっと参加させていただいて、自分たちの考え方が不足していたなと思うのは、機能を十分に考えていなかったということ。意見集約という機能がある。利害調整という機能がある。トータルとしての意思決定という機能がある。将来に向けての中長期的な議論をするという機能がある。それぞれの機能についてどういうふうに検討するのが一番合理的かという議論がないまま、労政審という大きなプールがあるために、何でもそこへ放り込んでやっていた。そこが今の労政審に対する不満の一つの原因になっていると思います。
 そういう意味では、私はテーマというよりも、機能を十分に果たすためにこの仕組みがいいかどうかという形で切っていったほうが、議論がしやすいのかなと考えています。私自身はまだそこの結論は出ていませんけれども、そういうふうに考えていきたい。
 その機能の中で、一つ反省としてこれが弱かったと思っている部分があるのです。それは前回の冨山先生の発言の中で、いろんな新しい問題が出てきているのに労政審の議題に上らなかったということ。それは労政審が少し信頼を失っている大きな原因だと思っているのです。役所にいた人間が言い訳をするとすれば、労政審に乗せるということは制度改正に直結するので、そこに至るまでにものすごいエネルギーが必要だったということがあるわけです。それが全部準備できると労政審に乗るという形になっている。早くトリガーを引くための仕掛けが労政審の中には不足していた。それがいろんな議論を遅らせていた。労政審の審議に入ってから後のスピードはそんなに悪くないというのは、数字を見せてもらったのでよくわかりましたので、トリガーを早く引く仕掛けをここの中で一つ議論ができたらというふうに思っています。
○山川氏 今の村木委員の御発言と趣旨が似ているところがありますけれども、労政審がそもそも基本的にどういう意義を持っているのかを整理する必要があると思います。このペーパーの最後の4がそうかと思いますが、主に3つの場があるように思います。既に出てきましたように、専門的知見を持って検討する場であるというのが一つ。
 また、これは正面から言ってもいいのかとも思いますけれども、交渉の場といいますか、いわゆる利害を反映する場というのがもう一つ。
 最後の一つは、正統性を政策に与える場であるということ。
 ほかにもあろうかと思うのですが、これらの要素のどれを重く見るかということで、制度的に例えば専門的知見が重視される問題ということだとすると、分けて取り扱うか、それとも運用上何かそこで工夫するかということになろうかと思います。その3つの機能が仮にあるとしますと、テーマをどちらかにタイプ分けすることがどの程度できるか、そういう問題にもかかわります。
 代表性の問題は、どれにもかかわってくるかもしれないのですが、交渉とか利害を反映する場というときにどのように反映させるかという問題として位置づけるか、あるいは正統性の問題であるのかもしれませんが、これは機能のどこに割り振るか、いろんな考えがあると思います。割り振り方によって全て結論が決まるわけではないのですけれども、どういうふうに仕組むかという点が違ってくるので、まずはどういう意義を持っているかを整理したほうが議論はしやすいのではないかと思います。
 労働契約法のことは、研究会当時は当事者でありまして、そのときは審議会には入っておりませんでしたが、たしか前提としない、そういう表現を使われたかどうかわかりませんけれども、それまで研究会でなされてきた議論とは別に、最初から事実の把握みたいなプロセスを取ったのではないか。それは時間がかかる一つの理由になるように思われます。
 研究会報告はあくまで研究会報告で、それこそ専門的知見を出した結果ですが、それをそのまま採用するということは、もとより制度的には想定されていないのですけれども、ほかにもたしか研究会報告は前提としないということで、労使が一致してそういうことになったということがあったように思います。前提としないのは結構なのですが、議論にやや時間がかかってしまうのかなという感じがします。
 最後は、これは村木委員のおっしゃったことですが、通しページの20ページ目、政策決定スピードのところに「契機」ということが書いてありまして、スピードの問題もさることながら、契機ということがまさに問題になるのではないか。契機(日本再興戦略等に記載された時期)とありますが、ここの契機がもっと多様であってもよい。たしか樋口先生も言われたかもしれませんけれども、公益委員の懇談会等で、それこそ前提とはしないまでも、こういうことを議論してはどうかということを検討するような場があってもよさそうに思います。
○小峰座長 今おっしゃったレジティマシーというのは、先ほどの大田委員の話だと、法律的なレジティマシーというか、労政審を通さなければいけないという意味ではかなり限られているけれども、もうちょっと広い意味での正統性ということですか。
○山川氏 納得性といいますか、このように多様な公労使の参加、あるいは多様な意見を踏まえて決定したことによる納得性という趣旨でした。失礼しました。
○横田氏 2つありまして、一つは、まず全てを公労使同数でということなのですけれども、ILOの対象になっているものでルールづくりに関するところにはこだわってもいいのではないかと思いますが、私は全てにこだわらなくてもいいのではと考えています。
 もう一つは、中長期の案件について、古賀先生の労働者が抜けているケースが多々あるのではないかというお話について。これに関しては同数ということではなく、入ったほうがいいと思います。また、中長期の問題は利害調整の場ではなくて、日本をどうしていくのかというお話なので、同数ということにこだわらず、労使関係者が入っていないのであれば配慮することは必要ではあるけれども、同数にこだわる必要はないということです。
○安藤氏 これまで目先の課題であったり、利害調整という話と中長期的な課題の話が出てきていますが、それぞれ議論すべきところが違うのだろうなと感じております。
 先ほど山川先生の整理でも、専門家の議論としての機能、また利害調整の場、そして納得感を得られるのかという観点からは、やはり利害調整関係のものは三者で議論すべきものであろうと。そして、中長期的な課題については、どういう人が議論するのが最も納得感のあるような結論が出てくるのかといったら、まさに今、横田さんがおっしゃったように、別に同数である必要もないし、また、その人選が利害調整の場に出てくる人と同じ人である必要も全くないと思います。
 例えば議事録を拝見しますと、ある部会では、公益の先生が1回も発言していないというものがあったりします。これはなぜかといったら、あくまで労使が交渉していて、その調整役、仲裁役みたいな役割を果たしているからだろうと。でも、これに対して中長期的な議論をするのであれば、まさに専門的知見を持っている公の人がもっと議論をリードしていくべきだと思います。
 その観点からは、利害調整の場である以上に、専門家の議論としてもし公労使という三者構成を維持するのであれば、その現場に出てくる人がどういう考えを持っていて、どのようにして選ばれてきたのか、これが外に見えるべきだろうと思います。というのは、公労使の公の方は大体研究者だったりすることが多いので、これまで書いてきたものを見ることができて、どういう考えを持っている人なのだというのがわかるのですが、労使の代表者はどの団体から出てきたのかは見えていても、どういう考えを持っていて、どういう議論ができる、どういう実績のある方なのかあまりわかりません。それは利害調整の場として機能する分にはいいのですけれども、中長期的な課題を議論する際には、やはり属人的な、その人がどういう考えを持っている人なのか、どういう理由で選ばれた人なのかということをもっと知りたい。労使が議論したから納得感があるだけではなくて、この人たちが議論して出た結論だったら、とりあえず従ってみようかという気になるのではないかと思います。
 これは労使の代表者であっても、議事録を見ていて、どの部会とはさすがに言いませんけれども、的を射ていない議論をしているなと思ったこともないわけではないので、そういう人選のところもきちっと考えていただけると、三者構成をもっとみんなが理解できるのではないかと思います。三者構成を維持するのであれば、名誉職のようにこの分野でやってきた人だからといって出すのではなくて、ちゃんと議論ができる人が出るということが納得感につながるのではないでしょうか。
 といいますのも、これまで何で三者構成ですかと役所の方に聞くと、ILOの条約で決まっているからとか、これまでそうだったからということをよく聞くわけですが、ILOの条約に従うというのであれば、その2つの条約に限られるでしょうし、また政労使でやるべきであって、公労使というのはおかしいのではないかと思うのです。なので、ILOの条約で決まっているからということではなく、三者構成にしたほうがいいのだよということをゼロベースで築き上げて、みんなが納得する、それが望ましいと思います。利害調整という観点では労使が同数というのはいいことだと思います。ただし、専門家の議論のところではそうではないだろう。そのように条約に従ってと言ってしまわずに、理由をきちっと納得感のある形で考えていく、そこからやることが大事だと思います。
○小峰座長 今の安藤さんの意見、条約の点は全くそのとおりだと思うのです。条約に従って嫌々やっているわけではなくて、条約に従うことは、日本のためにもいいからやっているはずなので、そこの理由付けはちゃんとしておく必要があると思います。
 先ほどから利害調整か中長期的なあり方かということが議論されていますが、一番何も変えないやり方は、中長期的なあり方の議論も、三者構成で公労使同数というのが一番硬直的な考え方で、一番ラディカルな考え方は、私などはそちらに近いのですけれども、公労使も政労使も三者構成も一切考えない。要するに、これはオールジャパンの問題なのだから、どこかの代表ということではなくて、出てきた人はみんな日本全体のことを考えて発言するのだから、どこそこの代表という必要はないのではないか。むしろ三者構成自体も外してしまったほうがいいのではないかと思うのですけれども、そうすると、どうしても経済界の方とか労働界の方は、自分たちの考えを十分反映した意見が出てくるのか心配だということですが、そこはそれだけ重要な問題を考えるときに、企業側のことを知っている人が1人も出てこないとか、働く人のことをわかっている人が全く出てこないというのは考えられないので、一番ラディカルな考え方としては、そこは全く外してしまうというのもあり得るのではないかと思うのですけれども、いかがでしょうか。
○大内氏 その議論を前提にやっていくというのは大変大胆なことですが、たしかに労使というふうにあえて分けてしまうから余計対立を引き起こす面もある。生産構造が全く違ってきているわけです。現在、一番大きな労働関係の政策課題は、自営業、個人事業主に対して政府がどう関与していくか。これが最大の問題で、今、自分自身の研究テーマにもしているわけですが、個人事業主というのは労働者ではないのです。でも、資本家かというと、そうでもない。こういうカテゴリーをどう扱っていくかというのは、なかなか既存の枠に乗って来ないようなところがある。
 既存の役所の分割で言うと、これは厚労省なのか、経産省なのか、また別なのかとか、こんな話にもなってくるわけです。こういうことを見ると、全く別の枠組みで議論したほうがよくて、更に日本の今後の経済にとって個人事業主、自営業的な働き方というのが重要性を持っていくという認識をもし共有できるならば、それはもしかしたら労政審的な枠組みでやらないほうがいいのかもしれない、そういう観点から今の座長のお考えは支持し得るのですが、それはそれとして、労働問題はまだまだほかにもあるのだろうと思います。
 そういう観点では、まだ労使という枠組みは必要かなと思うのですが、今議論をうまく整理していただいたのですけれども、労働契約法については、古賀委員のおっしゃるようなこともよくわかるのです。ただ、私が言いたかったことは、三者構成には公益主体で議論をしていって、労使にも意見を聞いていくというタイプのものと、労使がメインで交渉して公益が行司的にやる交渉型という2つのタイプがあるのだろうということで、アジェンダによってやり方が違ってもいいのではないかというところ、この辺は今、コンセンサスがあるのかなと。労働契約法は専門的知見型ではないかと思って先ほど申し上げたわけです。それを労使交渉型でやってしまったからうまくいかなかったのではないかということです。
 もう一つ申し上げますと、正統性、代表性というところです。代表性のある人を選ぶというのは、非常に重要な概念です。交渉型の場合には、代表性のない人が出てきても困るわけです。代表性のある人が出てくることによって、その交渉プロセスにレジティマシーを与える。正統性がある。普通の法律は、国会議員がやるということで、民主的正統性がある。労働立法については、それプラス労使。労使も民主的というカテゴリーに入ってくると思うのですが、労使のしかるべき代表性を持つ方が立案プロセスに関与している。ここはレジティマシーを与えるということだと思うのです。
 問題は、安藤さんも提起されたと思うのですけれども、代表性というのが一体どうやって担保されているかということです。ここは確かに不透明で、これは外国でも結構議論がある話で、労働組合の代表性という議論がフランスやイタリアでもあるのですが、単に多数を組織しているということなのかとか、代表としてクオリティーがあるのかという問題がある。そういう代表性の問題を今、突き付けられているということだと思います。
 さらにもう一つ申し上げます。労使が関与することについて、私も必要性は決して否定していないのですが、正統性だけでなく、できた法律の実効性というところもあると思うのです。ここが実は重要で、労使が労働法については適用対象者になるわけです。規制の名宛人というか、そういう人たちを全く蚊帳の外に置いて勝手につくって、法律だから守れと言っても、それはなかなか実効性を伴わないわけです。したがって、法に正統性を与えるということプラス、守られた法が実効性を持つ、実際に遵守されるような法律をつくっていくという点でも労使の関与というものは必要になってくるということです。
 実効性という概念を考えるならば、現状に直接を与える規制をするというタイプの立法については、労使の関与というのは不可欠だろうと思います。ただ、これが中長期的な政策とかになるとちょっと違ってくるわけです。何をアジェンダにするかによって関与の仕方は変わってくるだろうということになると思います。
○古賀氏 いくつか意見を申し上げたいと思います。
 1つ目は、今、大内先生がいみじくも言った三者構成の意義です。三者構成の意義を、前回の有識者会議で行ったヒアリングで労使は言っていたのです。現場に制度を根付かせなければならないので、現場を熟知した労使をきちっと三者構成として組むべきだということだと思うのです。「エビデンス」という言葉がこの会議の場でも多く出てきますけれども、ああやって現場を熟知した労使が議論することが労働政策決定のプロセスの中で重要だと労使関係者が発言していた。私はそうした発言も十分なエビデンスだと思います。
 2つ目は、小峰座長からの提起ですけれども、確かに中長期的課題は日本の将来を見据えて議論する必要がありますが、労使が日本の将来を考えていないかというと、それは違います。日本がどうあるべきかを考える場では、労使を外していいのではないかというのはおかしいと思います。日本の将来を考えるステークホルダーとしては、働く者も企業経営者も学者の先生方もジャーナリストもいるわけで、多様な意見を集約しながら次の日本を考えるということが必要だと思います。冒頭私が発言したように、政労使や公労使というがちがちのものでなくても、労働者の代表や経営者の代表などのさまざまな代表が加わって次の働き方を議論する場を設定することは全く否定するものはありません。しかし、議論を聞いておりますと、働く者と企業経営者というのは外しておいたほうが次の日本を考えるのには都合がいいのではないかといったように聞こえましたので、あえて言わせてもらいました。
 3つ目は、多様な意見を政策に反映させる方法なのですけれども、私は、ヒアリングや現地視察などを徹底するべきではないか、これが有効ではないかと思います。厚労省、事務局はアンケートとかそういう資料づくりをするとともに、ウェブサイトやニュースなどを活用し、労政審そのものの位置付けを社会に浸透させるような努力はしなければならないと思います。なお、労働者団体は、労政審に臨むに当たっての考え方を組織討議して決定しています。つまり、最終場面でどういう態度をとるかということについて機関決定をするのですが、その決定に至るまでの過程では多種多様な業種の代表と地方の代表も加えて議論をしているのです。多様な意見を完璧に網羅して反映しているとまでは言いませんけれども、連合ということだけでなく、そういうプロセスをとり透明性を担保することも重要ではないかと思います。
 私が連合会長をやっていたときに議論していた、若者雇用促進法に関する労政審での議論過程では、労働政策審議会のメンバーで関係者の方にヒアリングしたり、現場視察を行い意見交換を行ったりしたこともあります。そういうことをかみ合わせて多様な意見を十分に反映されているような会議体にしていくというのは、一つの大きな方向性ではないかと思います。
○小峰座長 今の多様な意見のことなのですけれども、これはこの会議でも多様な意見を持っている人を全部代表者に入れていたら大変なことになり、これは無理だというので、大体これは意見が一致していると思うのですが、では、それを補うためにどんなことをやればいいのかというあたりが、今おっしゃったように、ヒアリングとか現地視察とか、それで十分かということ。これはまさに納得性の問題で、多様な人たちに自分たちの意見も十分反映してもらった、聞いてもらったという納得感を持ってもらえるかというのは、ヒアリングで本当に十分なのかなと若干疑問があります。
 これもちょっとドラスチックなことを言うと、これも前回言ったのですが、例えば若者の意見が反映されないというのだったら、若者だけのサブコミッティーをつくって、自分たちで提案をまとめて出してもらえば、もうちょっと参加意識が出てくるのではないか。その辺ももし御意見があれば聞かせていただきたいと思います。ほかの点でも結構です。どうぞ。
○横田氏 いろいろな参加団体さんが現状でもヒアリングとか代表ということで御努力いただいているのは理解しているのですが、前回若手の経営者にも参加してもらえばという話が出たときに、いみじくもその若手経営者は使用者の代表かという話がありました。
 ですので、委員構成については、現状の委員の人選が正しいと言われてしまうと、それはもうちょっと改善する案を出していただけないでしょうかというのが正直なところです。今、ヒアリングだけでは足りていないと思います。
○安藤氏 先ほど古賀さんから、前回第3回において、労使それぞれの代表者から今の三者構成はいい形だという話が出てきたので、このままでいいのではないかというお話があったのですが、私はこれが一番の問題ではないかと思っています。
 というのは、前回お越しいただいたのは、労政審に代表を出せている団体の方々です。自分たちの意見はちゃんと通っているし、他の人の代表もしているのだから、これで十分ではないかと言っていても、いや、代表されていないと言っている人たちがいるということが問題だと思うのです。私はみんなの意見をちゃんと取りまとめて出しているのですよと言われても、いや、私の意見は取り入れてもらっていないですよという不満があるというのが、今回こういう議論になっているきっかけですから、結果として労使が代表として出ていくのはいいことだと思いますけれども、今代表者を出せている当事者がこのままでいいと言っているから、そのままでいいですというのは、結論としてあまり正しい方向性ではないだろうと思います。
 一点興味深い発言がありました。皆さん既にご存じのことでもあるのですが、機関決定をして意見を一本化してから審議会に意見を出してくるという話です。労働者も多様だし、使用者も多様だということを踏まえると、もっと手前の段階でいろんな意見が現場に出てくることに意味があるのであって、一本化してから出てくるのだと、マジョリティーの労働者はそれでよくても、そうでないマイノリティーの人たちの意見が抜け落ちてしまう。このあたりも問題なのではないかと思っています。
 2点目に、大内先生からあった、個人事業主、個人請負、こういう方々の働き方をどう考えるのかということなのですが、働くということ全体を捉えるのだったら、そういう個人で働いている人たちは個人になったら唐突に労働時間の規制もなければ、賃金の規制も一切ないというのが果たして正しいのか、それで真っ当な働き方ができるのかという観点からは、労働政策審議会では雇用政策や雇用関係だけでなく、働くということをもっと全体的に取り入れて議論していってほしいと思います。
 それに関連して、先ほど村木さんからあった新しい議題に追いついていないという話ですが、今大田先生がやられている規制改革推進会議、私も2007年から2010年まで規制改革会議の専門委員としてお手伝いしましたが、そこではそもそもどういうテーマを扱ってほしいかということ自体を公募にかけていたわけです。いろんなところで議論ができて、法案であったり、大体骨格がまとまってからパブリックコメントにかけて意見を聞くだけでなく、そもそも今、こういう問題があるのだよ、こういう点をぜひ検討、議論してほしいということをもっと集めるべきではないか。もちろん、その中では的を射ていないものもあるだろうし、取り上げるべきでないものもあるかもしれないですけれども、そういう場をつくってはどうかと感じました。
○古賀氏 私の言い方に少し誤解があったかもしれませんが、安藤さんの1点目の件は、私は今の委員構成を全く見直す必要はないとは一切言っていません。あくまでも労政審は三者構成を今後も堅持すべきということを申し上げたわけです。委員構成については、先ほどから議論があるように、産業構造や社会構造が変化に応じて構成を変えるというのはあり得ると思います。労政審では三者構成を堅持すべきだということを申し上げたのです。
 2つ目の御指摘の機関決定ということですけれども、多様な意見を聞きつつも、我々はそこで決まったことには全て責任をとらなければならないのです。代表は責任をとらなければならないということで、プロセスを踏みながらやっているということです。意見を聞く前に態度を決めて動かないということではなくて、最終的な判断を迫られる段階で、多様な意見を聞きつつ、審議会の議論経過を含めて、どういう方向で行くかという考え方を決める。それにあたって民主的な意思決定プロセスを踏んでいるということを御説明したということでございます。
○大田氏 先ほど小峰先生が言われた三者構成が本当に要るのかということは重要な御指摘で、代表というものを背負ったときは発言が縛られるわけですね。例えば、小峰先生が私立大学を代表されて、私や大内さんが国立大学法人を代表したとすると、通常大学改革を言うときとは違ってくるでしょう。それは代表性を持っているからです。
 では、全部代表性がない議論にしてしまっていいかというと、労使問題という枠で言うと、やはり三者構成が必要な議論も残っているのではないかと思います。全く要らないとは言い切れない。したがって、重要なのは、三者構成で議論すべきものは何なのかということを明らかにしていくことだろうと思っています。
 2番目に御指摘になったヒアリング対象を広げればいいかという点について、私はそうは思いません。前回も申し上げましたが、1人の人間がいろんな働き方を経験しますので、どういう立場になっても著しく不利になるということがないようにしていくことが重要です。こういう議論が出てくるのは、やはり代表性のある議論の場を考えているからなのです。そこはニュートラルな立場で、労働市場を俯瞰する形で議論するということが必要なのだろうと思います。
 その上で、今の労政審の代表性について申し上げますと、これは相当問題があります。労使各10について連合が10、経団連が10を決めるというのは、どう見てもおかしい。連合はもちろんナショナルユニオンで、組合と言えば連合が代表性を持つわけですけれども、残念ながら組織率は17%です。声を聞く努力はかなりしておられるとは思いますが、組合費を払っている人と払っていない人を等しく扱うというのは無理があるだろうと思っています。やはり17%という限度があります。
 それから、経団連も日本企業を代表する経済界であっても、日本企業全体を代表するものではもとよりない。他の政策を聞いていても、経団連は旧来の日本の伝統的な大企業を代表する意見だと感じています。
 加えて、日本の場合、政労使ではなくて公労使だという議論が出ているわけですが、公であることによって、日本の審議会が抱えている問題も加わっています。つまり、審議会が役所の隠れみのになっているという問題です。そもそも誰を人選するかというところが役所に依存していますので、隠れみのになっていて、構造的な改革はなかなかできない。仮にやるとしても役所の希望するペースでしか改革ができない。経済財政諮問会議のような会議体が官邸につくられた理由というのも、従来の審議会が政策決定において十分に役割を果たさなくなったからだと思うのです。
 したがって、労政審そのものには問題があるので、これは変えるべきです。もちろん、変えなければいけません。しかし、変えたうえで、そこがどれだけ多様なヒアリングをしたとしても、今の労働市場の問題を一つの審議会が全て一元的に扱うというのは無理があります。今、雇用問題というのは国民問題です。その意味でも、くどいようですが、労政審を通さないと全ての法改正、新立法ができないという慣行を見直すべきだと思っています。
○守島氏 大田さんが言われたことに大体賛成なのですけれども、そういう意味で言うと、先ほど山川さんが言われたように、どの議論が中長期的なポリシー議論なのか、それともどの議論が法律に落とさないといけないところなのか、そこの部分の区分けをきちんとやっていかなければならないと思うのです。
 そうなってくると、安藤さんが言われたような、誰がそこに委員として出てきているのかということを同時に考えていかないと、どういう人たちに議論をさせるのかという話になってくるので、簡単に中長期的な議論と法律の議論を分けるというのは、実は結構難しいことではないのかなと思うのです。
 そういう意味で言うと、先ほど言ったパブリックヒアリングにかけてどういう議題をということもあるでしょうし、大内さんが言われたように割合と学者さんが方向性を示すというのもあるでしょうし、いろいろあると思うのですが、多分いろんな方法を組み合わせるということになるのだと思います。中長期的だから労使の代表は要らないとか、そこから外れていいという議論に持っていくのも危険なような気がします。
○山川氏 守島先生に言いたいことをかなり言っていただいたのですけれども、付け加えるとすれば、政策というのは、まず萌芽状態のようなものがあって、それがいろんなところで議論されていくうちに具体的な方針になって、更に現場への落とし込みを考える。そういった時系列といいますか、発展段階に応じた議論のあり方というのもあり得るような気がします。そもそも何を取り上げるのかも含めて、萌芽段階での議論では割と理論的な話が中心になるかもしれませんけれども、具体化するにつれて、現場の意見を反映するとか政策決定に納得性を与えるといった機能が重要となってくるのではないかという気がします。
 その意味では、専門性と先ほど申しましたが、大内委員も言われたように、現場でそれがどう働くかというのも、広い意味では専門性の一部かなと。労働審判制度をつくったときに、労働関係の専門性とは何かという議論をかなりしまして、自然科学的な専門性ではないと。現場でいろんな人がいろんな組織で動いて、慣行もある。慣行というのは、特定のものを指すわけではないですけれども。そういった意味での現場に落とし込めるかというのもある種の専門性ではないか。
 そういう点からすると、例えば特定の法理論に従って政策を実現した場合に、実は現場ではあまりうまくいかないかもしれないとか、あるいは特定の経済理論に従って政策を決定した場合に、実際にはそれがうまくいかないかもしれない。その評価も広い意味での専門性に入るのではないかと思います。
 これは一つの例なのですけれども、あるとき社内預金の利率の話をしまして、理屈から言うと、時々刻々変わっていく変動金利にしてはどうかという提案がありましたが、そんなことは現場でやっていけないということで、労使一致して反対されました。そういうレベルの段階もあるのではないかという感じがしております。
○大内氏 先ほど労働契約法のことを例にして、あの話を学者に任せたほうがいいという意見だともし思われたら誤解があるので、ちょっとだけ言っておきますと、あれは判例のリステートメントをやるということだったとするならば、学者の意見を聞いたほうがいいのではないか、そういうアジェンダだったということを言いたかっただけで、むしろ学者をまともに入れますと、労働法の場合、アジェンダによっては、ご存じのように考え方の対立もありますので、余計話がまとまらないということもあります。それが一つです。
 それから、労働政策の政策決定スピードの表ですが、これはいろんなタイプのものがありまして、非常に重要な、いろんなところに波及していくような法改正と、技術的要素が高いようなもの、そういうものを一緒にしてスピードを比較してもあまり意味がないのです。
 このことは労政審だけでなく、いろんなレベルのことがかかわっているので、事柄に応じて委員構成とかを変えていくべきだという議論につながるのだろうと思います。
 ただ、守島先生がおっしゃったように、どんな事柄を専門的知見でとか、交渉に任せるとかという区別は甚だしく難しいということはそのとおりです。私は理念的にはそう分けられると言っているだけで、これを厳密に区別するのは極めて難しいだろうとは思っています。最賃の額を交渉で決定するとかならまだわかりやすいと思うのですけれども、多くのことは交渉でやってもいいし、ポリシーの話でもあるしというところがあるので、もし具体的に何か提案をしていくとなると、言っておいて何なのですが、そこのところで落とし込むのは難しいのだけれども、しかし、その努力をしていくとか、あるいはある程度えいやでこれは分けていくということをやるというのは、決断としてはあってもいいのだろうということです。
 もう一つ、先ほど安藤さんのほうから規制改革会議ですか、テーマを公募するということですね。これは非常におもしろいことだと思うのですが、労働政策に今大きな問題があると思っているのは、これまでは課題設定というのがわかりやすかったのではないか。つまり、労働法の発展形態を戦後でみていきますと、労働基準法とか基本的な法律をまずつくって、足らないところについて、技術の進歩とか、いろんなところの産業構造の変化から生じてくる労働者の従属性にかかわるような問題を次々と見つけ出して、それについて手当てをしてきた。そういう方向性はある程度はっきりしていて、世の中を見れば、ここは解決すべき問題だということに取り組むことができたのです。
 現在の労働法の状況をどう評価するかというのは、人それぞれ違うと思いますけれども、かなり包括的な分野で労働法というのは発展してきて、この先の問題というのは、労働者の基本的権利、あるいは生存権的なものの保障を超えたプラスアルファのことについていろいろ議論するものが増えている。
 ワーク・ライフ・バランスをどう位置付けるかというのは、これまた大変難しい問題であるのですが、例えば長時間労働によるワーク・ライフ・バランスの問題と労災の問題というのは違う問題で、労働災害のように古典的な労働法として初期の頃からしっかりと規制しなければならないというものと、労働者の生活水準をより向上するための立法というのはやや性格が違う。後者のほうになってくると、かなり労使間の対立というものが出てくるのかなという気がして、そこは現在の難しさということになります。
 しかし、今後は労働分野の政策課題についても、ある種の公募型というか、これまではある程度これが課題だと明確だったのだけれども、もう少し違った観点、広い観点からテーマを募集して検討していくということがもっとあってもいいのかなと思いました。
○森田氏 私は労働問題の専門家ではなく、行政、組織のほうを専門としているものですから、そちらから言わせていただきますと、前も何回か申し上げましたけれども、労政審の親会議といいますのは、橋本行革のとき、上にかぶせるような形でつくられた審議会なのです。これ自体は最初から一種のミッションを持っていたというよりも、むしろ行革の組織再編の中でつくられたものであって、これがどういう機能を果たすべきかということについて、どの程度議論がなされたのかというと、私自身はあまりされていないように思います。
 したがいまして、同じ厚労省でいっても、社会保障審議会もそうですし、他省にもそういう審議会がありますけれども、一番上にある審議会というのは極めて形式的な役割しか果たしていない、あるいはあまり開催されないというものもたくさんあるわけです。
 ここで議論されているのは、それぞれ労政審がどうあるべきか、4番目の議論もそうですが、そもそも労政審の親会議にどういう役割を持たせて、その構成をどうするかということですが、その下にぶら下がっている分科会とは違う原則が当てはまっても不思議はないと思います。
 参考資料2にいくつかの分科会があります。この中にはILO原則に従って労使同数できっちりと労働側、使用者側が構成されなければいけないというものがあると思いますけれども、その原則を親会議である労政審までそのまま自動的に適用するのかどうか。といいますのは、中長期的な大きな政策課題について、もしこの労政審の親会議で議論するとしますと、場所としてはここがふさわしいのかもしれませんが、下部の分科会に適用される原則をそこまで同時に適用しなくてはいけないのかどうか。その辺についてはもう少し議論をしておく必要があるのではないかと思います。
 中長期的な問題については、今の代表性の話もございましたけれども、現在の労使の形で十分に代表されているかどうかというと、前回もそうですが、いろんな議論がございました。企業側もむしろ利害対立をする新しいところと昔から存在している企業もあれば、労働者にしても非正規も含めていろいろな形態がございますし、この前冨山さんが指摘されたのは、インディペンデントコントラクターのようなものは労に入るのか、使に入るのかということ。場合によっては微妙なところで、何人かの方を雇用されるケースになると使用者になるかもしれませんけれども、御自身が単独でやっているときの条件というのは、一般労働者よりもむしろ劣悪な環境に置かれている人もいるのではないか。そういう人たちの意見をどういうふうに代表するかというときに、今までの労使の枠組みでそれが代表できるかどうかということについては、かなり問題があるというふうに今までの議論を聞いていても思うわけです。
 さらに言いますと、現在、私は社会保障・人口問題研究所に勤めておりますが、人口動態が大きく変わってきており、社会全体としての政策を考えるとき、労使と言いますけれども、労働者にしても、今の雇用人口はどんどん減ってきておりますし、昨日出ました昨年の国勢調査の結果からしますと、高齢化率が26.6%にも達しています。年金をもらって暮らしている高齢者の人たちというのは労にも入らないし、使にも入らないと思いますけれども、しかし、政治的には非常に大きな存在になっていますし、彼らも社会的には大きな利益を持っているわけです。そういう人たちも考慮してどのような形で労働政策を考えるべきなのか。考える必要がないかどうかも含めてですけれども、そういう観点では、ここからは私の個人的な考えになりますが、そうした社会全体をみながら労働政策はどうあるべきかということを考える場が必要なのではないか。
 労政審の中ではある意味、労働問題が一番のアジェンダになりますから、それを考えるとすれば、労政審の中にそういう場を置くべきかと思いますけれども、そこに同じ代表性の原理、労使対等とか三者構成とか、その原則を適用する必要があるのかどうか。それはよく考える必要があるのではないかと思います。
 したがって、そこはいろんな形の方が入っていただく、いろんな構成でもってその議論をするということはいいと思いますし、労政審の親会がどういう機能を果たして、それをどのような形で検討するのか。多くの場合には、そのまま政策提言として大臣に意見を述べるというのもあり得るのかもしれません。その仕組みというものをもう少し考えて、労政審の中の構成、特に親会の機能というものについてもう少し踏み込んだ議論をする必要があるのかなというのが、これまで聞いていて感じたところです。
 特に三者構成について申し上げますと、労政審の三者構成の仕組みというのは、私自身は今まであまり関係してきませんでしたが、同じ厚労省にあります中医協の場合は完全な三者構成になっております。診療側、支払側と公益委員です。先ほどどなたかから決定の原則で多数決ということがありましたけれども、要するに、三者構成になっている場合に多数決原理というのはあまり意味がないわけです。労使交渉で意見が合致すれば、それが決定になりますし、そうでない場合は、公益がどちらにつくかによって結果が決まるわけですから。その意味で言うと、それぞれの委員が自分の意見を述べて、そして柔軟に議論して、その中で多数決で決めるという仕組みとはかなり違っていると思います。
 特に三者構成で代表性になっている場合には性質が違うと思いますのは、中医協でもそうですが、支払側、診療側もそうですけれども、委員は枠、ポジションとして持っていますから、本来の委員の方が都合が悪いときには代理の方が出てくる。要するに、機関としての意見を述べるわけですから、極論しますと誰が出てきてもいい。そういう構成になっているところで言いますと、どうしても機関の決定に拘束されるということになります。それは自由な委員が参加して、自由に発言する場合とは違っている。
 中医協の場合に関しては、公益委員は代理は認められません。それは国会同意もありますけれども、個人としての見解を述べると。しかし、両側の委員に関して言いますと代理も認められるということになりますから、それはそれとして機関の意見ですが、そうすると機関の代表性がどうかという問題になってくる。
 そこのところの三者構成の縛りというものは、中長期的なことを考えるときはもう少し外したほうがいいのではないかと思います。そこでどういうふうに代表するのか、ヒアリングでいいのか、パブリックコメントにするのかどうかというのはベストの解はないと思いますけれども、もう少し考える必要があるのではないかという気がします。
 長くなりましたが、最後にもう一点述べさせていただきますと、あくまでも労政審も審議会です。これは法律にありますけれども、大臣の諮問があって初めて答申をするということです。言うなれば、どういう答申が出ようと、大臣が違う決定をすることは法律上構わないわけですし、諮問しないということももちろんできないわけではない。そういうポジションですから、実質的にほぼ全ての案件について諮問をし、答申に基づいて法律をつくるというのは、関係者に対してきちっとした配慮をして、その意見を酌み上げて法律をつくっているという手続になっていると思います。それもどう考えるのか。今まで出てこなかった組織的な論点かと思いますけれども、指摘させていただきます。
○安藤氏 先ほど大田先生から全ての法律が労政審を通さないと出てこないというのは、やはりスピードの問題もあるということがあったのですけれども、その後、大内先生からは、とはいってもその切り分けをどうするのだというお話がありました。
 仮に労政審を通さないとしても、働き方に関する法律やルールを考える際に、法律の専門家のサポート、また現場の意見を聞かないということは多分ないと思うのです。大田先生も労政審を通さないからといって、例えば政治家だけで決めるとか、そういうことをおっしゃっているのではないと思います。専門家や労使、それぞれがどうやって関与するかというもののパターンがいくつかあるという話であって、先ほど森田先生からあったように、労政審では三者が投票で決めるという形ではないがそういう形であっても意見をきちっとすい上げられる形を対案として出さなければ、おそらく専門家だけが決めるなどという話になったら、現場にそっぽを向かれてしまう可能性がある。対案として出すべきは、労政審の形で今までどおり議論すべきものとそうでないものをまずどう決めるかという枠組みの話と、ではそうでないときには具体的にどういうものを対案として出すのか、これをきちっと明示的に示さなければ、結局はいい対案がないから今までどおりやるしかないよねという形になってしまうと思うので、その対案のところをきちっと考えないといけないと感じています。
○大田氏 労働政策を議論する場は他にもあるわけです。今、官邸でも議論がなされています。要は、どこで議論されようが、労働政策に関しては労政審を通さない限り法律改正できない。そこが問題なのです。
 では、何を労政審にかけるかというのが、先ほど小峰座長が問題提起された、三者構成でいけないものは何か、全部が三者構成でなければいけないのかという問題提起だったのですが、三者構成でないといけないというものに関して、労政審で議論するということだと思います。それは労働条件のように労使の立場が明確であって、対立するものですね。
○小峰座長 ちょっと確認ですけれども、先ほどから労政審の本審についての議論があるのですが、今の枠組みでは本審は何をやることになっているのですか。何か特定のミッションがあるのでしょうか。
○酒光総合政策・政策評価審議官 法令上は労働政策に関する重要事項を調査審議するとしか書かれていません。他の分科会とかは、この法律の調査審議をやりますということが全部細かく書いてあるのですが、労政審の本審についてはそういう具体的な記述はないので、まさに森田先生がおっしゃったように、何をやるかというのを決めないで、政令とかそういうものができています。
 現実のことを申し上げますと、例えば来年度に向けてどういう取組をするかという意味で、予算事項ですとか、あるいは前提として法律が今こういう形で審議されていますとか、そういったことを報告して、概括的な御意見をいただくということをしております。
○森田氏 すみません。ちょっと確認させていただきたいのですけれども、その場合、労政審の本審で何か決定を経なければ次のステップに進まないという規定とか項目というのはあるのですか。
○酒光総合政策・政策評価審議官 基本的には分科会の議決を本審の議決にするとしているので、最終的には本審の議決になっているということです。本審で分科会の議決を変えるということは、私の知る限りではないのではないかと思います。
○古賀氏 関連して発言します。
 参考資料2の6ページにある労働政策審議会令第九条第一項に、審議会は委員及び議事に関係のある臨時委員の3分の2以上又は各側委員の3分の1以上が出席しなければ議決することができないとあります。労政審本審では一切こういう規定を使うことはないということなのか。今の話であると、労政審本審は報告を聞いて、分科会の議決を本審の議決にかえるということだから、この規定の活用は考えられないということですか。
 また、第二項に「可否同数のときは、会長の決するところによる」と規定されていますが、この規定も本審では有名無実で具体的な議事はしていないと受け取って良いのか。
○酒光総合政策・政策評価審議官 まず定足数のところは実際問題として重要なので、例えば全体の3分の2以上が出るか、各側3分の1以上が出ないと審議会がまず成立しないということになります。なるべく成立するように日程調整しますけれども、まれに定足数を満たさないことがありまして、そういう場合は開催を取りやめたり、単に懇談会という形で開催して、そこでは何かを決めたりはしないという議事はやっています。
 通常は、審議会での意見を全体としてまとめた形で出すというのが一般的で、最後これでどうだといって多数決をとるということはしておりません。
○佐藤企画官 本審も分科会に落ちていなければ、本審で議決をする可能性があって、この記述を使うことがあり得るのですけれども、実態上はほとんど分科会に意思決定が下りていますので、本審でこの規定を使って何か議決をするような場面というのは、実態上はほとんどないというふうに御理解いただければと思います。
○森田氏 厚生労働省はどうなっているか知りませんけれども、他省について言いますと、最初に本審を開いたときに、下の分科会の決定を本審の決定とするということをほぼ全会一致で決めておりまして、それ以後はそのルールに従っていますから、事実上本審を開かなくても本審の決定が行われているというところはございます。
○大田氏 本審と分科会の決定のあり方以前に、全ての法律事項は労政審を通さねばならないというのはどこで規定されているのかというのを私が1回目に質問しました。設置法では「厚生労働大臣の諮問に応じて労働政策に関する重要事項を調査審議する」と書いてあるだけです。
 そのときのお答えは「重要事項だから諮問している」ということでしたので、労政審を通さねばならないということ自体はどこにも規定はないと受け止めています。
○古賀氏 そのとおりで、通さなくてもいいわけです。
○大田氏 それは規定していないということですね。
○酒光総合政策・政策評価審議官 それはおっしゃるとおりで、私どもは、法律ですから当然重要事項だと考えて諮問しているということで、では、審議会を経ないと立法することが全くできないかといえば、別にそういうことではないということです。
○古賀氏 ただ、先ほども少しありましたように、法律を改正して現場に落とし込むのだから、現場労使の意見を聞く必要があることは当然ですし、そのほうが制度が職場に根付きます。そういう意味では、労働政策は労政審で議論すべきであると私も解釈しております。
○森田氏 そのとおりだと思いますが、こだわるようですけれども、労政審の本審自体が三者構成でもって縛られると。そこは必ずしも根拠がはっきりしていない。そこにいろんな方が代表として入って来られて、中長期的なものもそうですし、重要なことについて議論するということを妨げるものではないと思います。これまでの議論を聞いていますと、そのほうが望ましいのではないかということになろうかと思います。
○大内氏 大田先生に御質問があります。労政審を通さない労働立法ということになると、私が先ほど申し上げた実効性とかそういう点の懸念はどうお考えでしょうか。
○大田氏 実効性ということの意味がわからないのですけれども。
○大内氏 労使が納得して従うということです。法律があっても実際上守られないということもあるわけで、できるだけ守られる法律にするためには、労使が立法形成プロセスに関与したほうがいいという考え方もあるということです。
○大田氏 意見を聞くというのは重要だと思います。しかし、同数で決める必要はありません。そもそも同数であれば全ての労と全ての使が集まらないと決められないことになります。
 例えば労働政策とは枠組みが違いますけれども、電力自由化の議論のときは、これも電力業界の利害が相当絡む話ですので、委員会に常に電力会社の方もお呼びして、オブザーバーとして意見をお聞きしましたが、審議自体は中立委員でやったというケースもあります。
○大内氏 それは、労働問題でいいますと、労使が何らかの形で関与することは必要であるけれども、それが労政審の枠組みである必要はないという御意見ですか。
○大田氏 そうです。
○大内氏 とりわけ労使同数が問題であるということですか。
○大田氏 そうです。そうである必要はないということですね。
○小峰座長 あと、議論していただきたいのは、エビデンスに基づく議論ということと、スピードというところなのですが、スピードについては、これだけ変化が激しい。いろんな技術革新も進んでいるし、産業構造も変わっていくし、なるべく雇用のあり方についてはスピード感を持って取り組んでいくということが必要だということは、大体皆さんそのとおりだと思われるのでしょう。けれども、ではそれをどうやって実現していくかということについては、今までの議論は、労政審だけでスピードを速めようと思っても、それはなかなか限界があるので、アジェンダの設定から、労政審から、国会での議論から、全部をトータルとして考えて、なるべくスピードを速めていくことが必要だというのが大体皆さんの御意見かなと感じたのですが、その点について、もし何か御意見があれば。
 それから、スピードさえ速ければ何でもいいというわけではなく、中身も適切なものでなければいけないということについては、非常に基礎的な話ですけれども、エビデンスに基づく議論をなるべく積み上げていくというやり方をすれば、スピードで労使が対立して時間がかかるというところも短くなるだろうし、その点はスピードにも貢献するのではないかと思っているのですが、こういった点について、もし何か御意見があれば。
○大田氏 資料の20ページに政策決定の時間が書かれているのですが、私が1回目に時間がかかると申し上げたのは、例えば規制改革会議で1年かけてかなりいろいろなヒアリングをして、例えばジョブ型の雇用のルールであるとか雇用終了のルールを議論して答申し、閣議決定します。
 もちろん、それを法案にする段階では労の意見、使の意見を十分に聞く必要があると思いますが、今の状況では厚労省で一から研究会がつくられ、それから労政審の議論を経るということになります。したがって、この表になる前にかなりの議論の時間が費やされている。こういうルールがあるのは労働政策だけです。他のものは閣議決定をした上で、それが法案作成のプロセスに入っていきます。
○大内氏 エビデンスに基づかない議論はやるべきではないと思うのですけれども、どういうエビデンスかによるのですが、それを解釈し、価値判断するという要素は残るわけです。ですから、エビデンスがあるからといって、そこで迅速性が高まるかどうかというのは何とも言えなくて、事柄によるのだと思います。
 例えばエビデンスはいろんなものがありますが、統計的なものもあれば、例えば外国法はこうであるとか、これもエビデンスの一つかと思うのですが、そうなってくると、それをどう評価するかというのはいろんな解釈がある。そこを議論するのはすごく時間がかかってしまうところです。だから、エビデンスと迅速性というのは必ずしも結び付くものでもないのだろうという気がしています。これが一つです。
 それから、時間がかかるのは確かに望ましくないのですが、かけるべき時間というのもあるのだろう。そこの切り分けは難しいので、ちょっと違うのですが、山川先生もやっておられますけれども、労働委員会で審査の迅速化というのを2004年にやって、一応審査期間の目標を立てたのです。それは絶対的な拘束力はないのですが、大体簡単な事件はこれぐらいで、難しい事件はこれぐらいというのは、各都道府県の労働委員会で事前に設定して、それを守ろうと。どれぐらい守っているかどうかは後で公表する。こういうことをやって迅速化に貢献したということがあるのです。合理的なそれなりの基準を立てて、努力目標みたいにするというのがまずは第一歩としてあって、しかしやや抽象的な基準ですが、難しいアジェンダについてはちょっと長目にとるとか、そういうことをやって迅速性の意識を当事者に持たせるということは考えてもいいのかなという気がしました。
○古賀氏 スピードの問題は2つの観点があると思っています。
 1つ目のスピード感というのは、前回のヒアリングの際に、冨山さんから個人事業者は労働者なのか、経営者なのかという問いがあったわけですが、あの言葉を復唱すれば、時代に即したアジェンダ設定をいかにするかということが一つです。
 2つ目のスピード感というのは、今いみじくも大田さんがおっしゃった、官邸などで決めた方針はすぐ法律に落とし込むべきで、何でまた労政審で議論をする必要があるのかということであり、今までのプロセス全体を完全に見直すかということです。私は、後者の点をずっと主張していますけれども、労働政策審議会は何も単に法律をつくるだけではなく、法律を本当に職場に根付かせるための議論を労使が行うことが重要で、労使が政策決定プロセスに関与すべきだということです。それが労政審なのです。労政審と言うと何か本審みたいですが、分科会も含めた位置付けがあるのだということです。
 前者のほうは、まさに中長期的な議論をする中で、こういうアジェンダは早く議論すべきだという課題が浮かび上がってきますので、そうしたアジェンダを設定して議論し、結論を投げ返すということだと思います。スピード感という問題はどうもそことセットになっているのではないかと思います。
○森田氏 スピード感の問題ですけれども、いわゆる手続的に改善することができて、スピードアップできるところはアジェンダセッティングから審議も含めていいと思いますが、例えば多数決をとった場合、少数になるであろう、しかし改革に対して我々は反対であるという場合には、いろいろな形で引き延ばしのための戦略がとられます。どういうものかは申し上げませんけれども、それはいろんなやり方がありますし、実際にそれによって引き延ばされたり、まさに国会に法律案がかかるときに流れるというようなケースもあり得ます。
 したがって、ただ速くするというのは技術的にある程度可能ですけれども、どういう利害対立をはらんでいるか、問題そのものがどういうものかということと、それの議論の仕方、いかにして合意を得るかということが重要になってきます。そのときによく言われますのは、タイムリミットのようなものを設けるということがありますが、議論がきちっとまとまらない限りは、私も何回か経験がありますけれども、審議会の答申に両論併記のような形で書かざるを得なくなってくる。しかし、これはほとんど意味のない答申になるわけでして、そうしますと、限られた時間の中で何とかして合意を得るような形で結論に達しなければいけない。これはケースバイケースだと思いますし、入っていらっしゃる方の認識であるとか考え方であるとか、そうしたものに多分に左右されるところがあると思います。
 その場合に、ポジショントークのような形で、後ろの代表組織、何かを代表している場合には、その意味での交渉、妥協はしにくいというのも間違いないところだと思います。しかし、だからといって安易に妥協していいというわけではありません。空中分解したのもございます。
 ちなみに、中医協という医療費を決める組織の場合は、2年に一度診療報酬改定をします。改定をしないと、医療機関、診療側が大変お困りになるという前提ですので、もうぎりぎりのところ、すごい労力を費やして何とか決定、合意に持ち込むという仕組みになっています。あれだけのエネルギーを投入する必要があるかどうか疑問なのですけれども、それによって何とか決定をするということになっています。そこで決定の速度を速めるための一つの要素というのは、出てくる資料、ここで言うエビデンスの話になります。ただ、エビデンスと言いましても、裁判所の裁判における証拠ではありませんが、双方が合意する、前提とする事実のようなものがあれば、それを確定していく。これは議論の方法、ファクトファインディングの手法で、それを固めることによって相違する部分だけに争点を絞るというエレガントな議論の仕方が今、いろいろと研究上ありますけれども、現実の問題を言いますと、まず最初に議論は事務局ないし相手側が出してきたエビデンスを否定するというところから始まります。
 どうやって否定するかといいますと、日本に限らずかもしれませんけれども、悉皆的な調査がまだありません。で、何をするかというと、サンプルにバイアスがある、あるいは調査方法に問題があるといった形で否定します。将来の予測に関して言えば、推計に掛ける係数が恣意的であると。その類いの議論がいっぱい出てくるわけです。その中でエビデンスというのは何かというのはあまり簡単な話ではない。
 したがいまして、余計なことかもしれませんけれども、私の知っている限りでは、北欧諸国がやっていますが、それこそマイナンバーに基づいて悉皆のかなり詳細なデータを集めておいて、それをベースにして議論する。
 ちなみに、中医協の場合、医療についてそういうデータを集めるべきだという動きがありますけれども、それをやった場合には、私の見込みですと議論の時間を70~80%節約できるのではないかと思います。御参考になったかどうかわかりませんけれども。
○山川氏 エビデンスの問題と政策決定プロセスに時間がかかるというのは、先ほど大田先生が言われた役所間での権限の配分のような問題もあるのかと思います。なかなか役所の壁というのは難しいのかもしれませんけれども、同じようなことを何度もやらないためには、共同で研究会のようなものを設置する。共同でというのは、制度的にどうなるかというのは別ですけれども。そういうことで、役所の壁みたいなものがもしあるとすれば、それを取り払う工夫みたいなものはしてもいいのではないかと思います。
 時間がかかるもう一つの理由は、交渉であるということで、どうしても今お話しになったようなことも含め、時間がかかる。これはかなり根本的な問題で、審議会、分科会も含めて、正面から交渉と位置付けて、それを正当化するか、それとも交渉という側面をより小さいものとしていくかという問題になろうかと思います。これはかなり難しいと思いますけれども。
 それと全会一致みたいなものが加わってくると、更に時間がかかってくるということですが、これはフェーズによっても違うのかなと。エビデンスの使い方も含めてですけれども、大筋的なことを決める場合と具体的なものに落とし込んでいく場合とでそもそも審議の位置付けがちょっと違ってくるのかなという感じもします。
 そこで、事務局に御質問なのですが、全て全会一致ではなくて、たしかものによっては公益委員見解のようなものを出して、それで法律ないし一定の政策決定に結び付けていく事例があったのではないかと思いますが、もしそれをご存じでしたらお教えいただければと思います。
 最賃ですか。
○森川労働政策担当参事官 最低賃金審議会は大体そういうケースが多いのですが、労政審ではあまり記憶がございません。
○山川氏 ありがとうございます。
 最賃は最低賃金審議会で、労政審ではないということですが、三者構成の審議会としては、最賃はたしか公益委員見解で決めているということでしたね。
○森川労働政策担当参事官 はい。
○村木氏 利害対立が激しければ、例えば均等法とかは公益委員見解からスタートしましたね。
○大内氏 結局、交渉型のときの公益委員の役割が問題なのです。交渉型でいくならば、労使が主役になりますので、そのとき一体公益委員は何をやるのかということ。行司役ということはあるのかもしれませんが、最終的な決定者、仲裁者のような役割を与えるということはあり得るのかなという気はします。強引な感じもしますけれども。仲裁までいかなくても、今のような最賃の例もありますが、そうしなければあまり公益委員の存在意義もないのかなという気がします。そこはタイムリミットと公益の存在意義というのをあわせると、一つの案としては、最終的な提案あるいは決定者としての公益委員の役割を再考するということはあってもいいのかなという気がしました。
 もう一回エビデンスの話なのですが、私、山川先生と一緒に厚労省の「働き方の未来2035」というのをやっていました。これは労政審ではできないということで、あちらになったものなのですけれども、そこでも議論があって、私自身が今関心を持っているのは、今後人工知能とか新しい技術がどこまで雇用を代替していくかということです。これは重要な話で、この話が実はインディペンデントコントラクターの話にもつながっていくということなのです。現時点では雇用労働者が大体9割いるということなので、インディペンデントコントラクターは日本の中ではマイナーな存在ですが、これが人工知能の発達とかICTの発達とか、そういうものの中で増えていくかもしれない。しかし、「かもしれない」なのです。
 人工知能がどこまで進んでいくかということについては、いろんな専門家の意見がある。はっきりしたエビデンスがないのです。では議論しなくていいのかというと、私は議論すべきなのだろうなと。これは労政審でやれなかったのですが、別に労政審でやってもいいようなテーマだと思うのです。これはおそらく日本の雇用システムあるいは労働立法を激変させる話なのです。それを労政審でできないということ自体が問題で、しかしエビデンスとかを言い出してしまうと、なかなか議論しづらいのだろう。結局、懇談会という形でやったわけですけれども、この辺ももう少し考えなければいけない。
 重要なのは、労働の問題というのは教育の問題とかかわっていますので、例えば20年後の40歳とか30歳というバリバリの層になる人に対して、どういう雇用政策あるいは職業訓練、職業教育をやっていくか。20年後の話は今からやっておかなければ追いつかないということなのです。そうすると、非常に確度の高いことばかりやっているようではいけなくて、ある程度の蓋然性のところで、しかも若干悲観的なシナリオの下に行動していったほうがいいのかなという気がしています。そうなってくると、これはかなり難しい判断なのですが、もちろんエビデンスは否定しません。大事なのです。無視していいわけではないのですが、これも事柄によるという気がしています。
○森田氏 先ほどエビデンスについて否定的なことを申し上げましたが、エビデンス自体は重要だと思います。今おっしゃいましたように、将来の不確実なことについて確実なエビデンスを出せというのは、そもそも無理だと思います。ただ、現実の政策議論では、既にあるデータとか、きちっと統計的な解析をすればあり得ない可能性も結構オプションとして出てきて、議論されているのではないか。それを排除するだけでももう少し会議の迅速化と議論の質が高まるのではないかと思います。
 いろんな政策決定の場面、具体的には人口については私どもの研究所でやっていますけれども、人口推計というのは、将来かなりの精度でできるわけですが、それをあり得ないような前提でもっていろいろな政策がいくつか提案されているという気がします。その辺につきましては、もう少し科学的なエビデンスに基づいて議論することが生産的ではないか。その意味で、範囲を絞り込むためには使いますけれども、将来のAIの可能性はどうかということについてのエビデンスというのは、まず難しいと思います。
 あえて議論しなければならないならば、今、大内先生がおっしゃったような形で、悲観的な前提条件を念頭に置いて何が可能であるか。そうした議論の方法、意思決定の方法についてもそれなりの研究の蓄積もあると思いますので、それを反映していくことが重要ではないかということです。
○小峰座長 ほかにいかがでしょうか。
○横田氏 別の話でもいいですか。
○小峰座長 どうぞ。
○横田氏 エビデンスは、前々回か、声も大切だという話があったと思います。大きな声に左右されず、できるだけデータをベースに議論すべきで、エビデンスの種類、どのレベルのエビデンスかというのを共有した上で議論が進めばいいのではないかなと思います。
 IC(インディペンデントコントラクター)の件は、やっと議論に上がってきたかというところです。先ほど代表性、女性の個人事業主もフレキシブルな働き方ができる分、増えているにもかかわらず、ICという個人事業主の話が労働政策論議から抜け落ちているというのは、いかがなものか。個人事業は、当然労働時間の規制もない。賃金も保障されていない。育休もない。保育所が回ってくるわけでもない。でも、雇用保険の対象外であるから議論にさえも上がってこないという状況。大田先生がおっしゃる「どの立場になっても著しく不利にならない」という点で言うと、明らかに不利になっている存在。今の代表性の中では声としてさえ上がってこないという状況。これはゆゆしき問題であると思っています。
 本審に関しては、私は内閣府のほうで本審に近いようなたてつけの、年間の予算を2時間ぐらいで2回ぐらい議論するという会議に参加しているので近しい問題を抱えていると想像している。結局、グランドデザイン、全体像の説明がないまま、今年の施策はこれであると一覧化された資料を使って説明がなされます。例えば正社員化するのに数億しか使われていないとなっているけれども、一覧化されているから、それがどれだけの重みがあって、予算がどれだけ投下されているかという政策ごとの加重さえも見えてこない。新たな施策が説明されて、それにちょこちょこ意見をするというのは、運用として限界があるなと思っています。時間をかければということよりも、出てくる資料がどういう方向性で、今年はこれに重みが置かれていて、正社員化を推進するため他の施策への重みづけとの比較なども含め説明をしてほしい。つまり、個別施策説明にとどまるのではなくて、全体概要の説明を入れていかないとよい議論には発展しない。実際に、本審ではどういう運用がなされているのかわかりませんけれども、少なくとも私が参加している他の似たような会議では、委員としてそのジレンマを感じています。本審もおそらく似たような運用がなされているのではないかと思っていて、そこは改善できると思います。
○山川氏 今の自営業者の話は、役所の領域といいますか、労働政策というものをどういうふうに考えるのかということにかかわると思います。大内先生が言われた懇談会でも言ったのですが、「労働力人口」という言葉を使うときには、なぜかそれは雇用労働でないものも含める形で議論されている。それでも「労働」という言葉は使っているので、そこは労働政策としてももうちょっと広目に捉えてもいいのではないかと思うところです。
 やや細かいことですけれども、政策決定のスピードに関しては、資料の20ページを見ますと、やはり国会での審議に時間がかかっているところもかなりありまして、もちろん決めるのは国権の最高機関である国会ですし、いろんな政治的事情がありますから、これをどうこう言うことはないのですが、労政審などできちんと議論したということは、逆に国会審議を円滑に進めるという役割もあるのではないかという感じがしています。つまり、政策決定プロセスのスピードを考えるときに、契機から最終的に法律として成立するに至るまでの各プロセスについて、どこをどれだけ短くしていくかという観点が必要ではないかということです。
○大内氏 個人事業主の話は経産省が今やろうとしていますね。だから、そういう役所の権限配分から先ほどおっしゃったようなことを別々にやるのはよくなくて、古賀委員も最初におっしゃったと思うのですが、いろんな政策が今、絡まっているのです。労働者の将来を考えたら、教育が非常に重要で、そうすると文科省マターになってくるし、あるいはインディペンデントコントラクターをどう活用していくかというと産業政策にもかかわるし、だから経産省も関心を持っている。しかし労働の問題でもある。自営、独立と従属と分けて、こちらは経産、こちらは厚労というのはおかしいのです。その独立と従属の境界が、先ほど申しましたようなICTとかの発達ではっきりとしなくなってきている。その中で、これはこちらの役所、こちらの役所というのは全く時代に合わないということもあって、そこをぜひ取っ払ってもらって、共通問題は共通で、お互いの縄張りなくやってくれたらいいなというのは常々よく言っているのですが、これがなかなか難しい。言ってもむなしいところもあります。しかし、改善できたらいいなと思っています。
 それから、別の問題です。座長が先ほど言われたのは、若者は若者のコミッティーとかをつくって提案をしていけばいいということだと思います。もう一回代表性の問題に戻ってくるのですが、労働政策、労働法一般の問題というのは、かつての労使対立だと話は簡単というか、構図が明確だったのですが、労の中の対立も次第に鮮明化しています。正社員と非正社員、この問題が一番大きくて、今は非正社員のほうの地位を向上していくという立法が進んでいますが、このほかに若者と高齢者、外国人をどんどん入れることになると、外国人とそうでない内国人の対立とか、いろんな労働者カテゴリーの中で利害対立が出てくるということがあって、その調整をどうしたらいいのかというのは、多様な意見を反映するというよりも、反映してくる意見が実は最初から対立している可能性もある。この調整は一体どうやったらいいのか。私はよくわからないのですが、今そこが難所だと。
 もう少し言うと、現在働いている人とこれから働く人の対立というのがあるのです。これからの人、次世代というのはまだ代表権を持ちようもないというところがあって、いろんな対立構造があって、これは答えがないのですが、そういうところが難しいと今思っているところです。しかし、これを乗り越えるには、代表性の正確さということよりも、もう少し高次の意見を表明する場というか、高次の価値観が必要なのかなと漠然と思っているところです。
○安藤氏 資料1の論点整理(案)の2の議論の硬直化のところですが、「労使の利害調整の色彩が強く」とあるのですけれども、個人的には、利害調整をちゃんとやらないのが問題なのではないかなと思っています。まさに大内先生がおっしゃっていた労働契約法の議論のときは利害の調整が進まず、結局ミニマムのところしか通らなかった。昔だったらちゃんと代表として出てきて議論して、下りるというか、合意するところは合意するといって一歩一歩あゆみを進めていったものが、それが全く行われなかった。外の人間から見れば、背後にある団体に持ち帰らないと議論ができないぐらいゆっくりした議論であったように感じています。この観点から、労使の利害調整をすべきところはちゃんと調整してもらわないといけないという問題がまずあるのかなと感じています。
 もう一つ、エビデンスについては2種類の問題があって、先ほどの人口動態の話のようなエビデンスを踏まえないという意味で、エビデンスが足りないのに議論をしているという問題と、複数のそれぞれ正しいエビデンスがあるのだけれども、どれを選ぶかとか、どれに従うかという問題がある。例えば長時間労働で、時間外労働を100時間やって、まだ元気でぴんぴんしている人もいれば、一部病気になる人もいる。こういう統計的なデータと個別のトラブル事例は両方とも正しいエビデンスであって、それぞれみんな見るものが違うわけです。これについてどうやって議論を進めるのか。先ほど森田先生がおっしゃったみたいに、いろんなテクニックというか、話の進め方があるわけですけれども、今、公益委員とかに選ばれている方も多分そうだと思いますが、個人の資質によってやっているのであって、例えば大学の研究者というのは、はっきり言えば研究業績で選ばれるけれども、教育のトレーニングを受けたことがなくて、いきなり授業をやるわけです。議論のトレーニングを大して受けていないという面もあるわけです。なので、そういう議論のフレームワークをきちっと決めてあげるということが大事なのかなと思いました。
 あとは、座長のおっしゃっていた若い人たち同士で議論をするという話なのですが、それは今の労政審のメンバーを選ぶ以上に相当難しいことだと感じています。というのは、私は1回しか出なかったのですけれども、2013年のお正月に「ニッポンのジレンマ」という、40歳以下の人しか出られない討論番組に出ました。そうしたら、出る人出る人、まあきらきらした人で、東大の大学院に在学中で起業して大活躍しておりますとか、ノマドとして一人で活躍しておりますみたいな方々が出てくるわけです。窓際で大して働いていないのに給料ばかり高い高齢者を追い出せば我々の出番が出てくるとか、年金は払い過ぎだから高齢者の権利を取っ払えとか、非常に元気のいいことを言うんですよ。その場で私は、結局は有権者みんなが納得しないといけないのだから、若者の正義だけでなくて、高齢者の正義もあって、さまざまな立場から物の見方は違うのだよという話や、データに基づいていろいろやっていたのですけれども。なので、こういうのも人選を間違えてしまうと、結局全く意味がない、空回りしたものしか出てこないと思うので、若者の議論の場をつくるとしたら、今の労政審のメンバーを選ぶ以上に相当難しいのだろうなと感じています。
○小峰座長 私の提案は、そういう委員会をつくるというのが一つの提案なのですけれども、要は、もっと多様な意見を聞かなければいけない。聞かれた人が参加意識をどれぐらい持つかというところで、ただヒアリングで意見を聞かれただけよりは、もうちょっと参加意識なり、事後的に納得感の得られる方法はないかということです。
 ほかはいかがでしょうか。
○横田氏 小峰座長がおっしゃっていただいたように、若者の場は増えていいと思います。ただ、添え物やガス抜きという扱いではなくて、少なくとも重鎮の皆様が中長期的のことを考えたときに、それに対して若者チームが意見を付加するとか、それぐらいの役割があってもいいのではないでしょうか。ガス抜き扱いでなくて未来を担う世代の声がちゃんと通るのだというところまで入れて検討していっていただきたいと思います。
○山川氏 代表性については、政治と同じ代表性にするのは限界があるといいますか、行き着くところは、公益委員に限らないかもしれませんが、審議会の委員を選挙で選ぶという方法とか、あるいはもう審議会をやめてしまって、国民の投票で労働政策を全て一つ一つ決めていくということになりかねないのですが、それは多分難しいですし、先ほど申しましたように、政治家が最終的には国会で決めることなので、審議会ないし政策決定におけるこのような機関は、このようなメニューが望ましいということを示して、それに納得感を与えるということで、座長がおっしゃられたように、どの程度結論に納得感を与えられるようなシステムをつくるとか、ある意味ではそういうものでしかあり得ないのかなという感じがいたします。具体的にどうするということはまだないのですけれども。
○古賀氏 安藤さんがおっしゃった若者だけでなく、何かの層の代表を選定するとき、どうやってその代表を決めるかということは重要な点です。今それをずっと考えていたのですけれども、例えば大田先生がおっしゃったように、連合の組織率は17%しかないから、連合という枠を取っ払って労働側の人選をするのか。では具体的にどうするのか。非正規労働者の中で選挙して誰か選んでくださいというのか。そのあたりの具体論が不明瞭なのです。具体論に落としたときにどういう手法でやるかということを整理しつつ議論しないと、不明瞭という感じがします。
○大田氏 少なくとも10人を決めるのはおかしいのではないか、そういう意見です。連合が出てきてはいけないとか、そういう意見ではありません。
○古賀氏 おっしゃっている意味は理解しました。
○小峰座長 それでは、議論も大分尽きたようですので、今日の議論はこの辺で終わりにしたいと思います。
 事務局からお知らせがあればお願いします。
○佐藤企画官 次回の日程でございますけれども、事務局から追って御連絡をさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 以上でございます。
○小峰座長 それでは、以上をもちまして本日の会議を終了させていただきます。
 どうもありがとうございました。


(了)

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