ホーム> 政策について> 審議会・研究会等> 厚生科学審議会(疾病対策部会造血幹細胞移植委員会)> 第35回厚生科学審議会疾病対策部会造血幹細胞移植委員会議事録




2013年1月28日 第35回厚生科学審議会疾病対策部会造血幹細胞移植委員会議事録

健康局臓器移植対策室

○日時

平成25年1月28日(月) 16:00~18:00


○場所

中央合同庁舎5号館 専用第23会議室(19階)


○議題

1 関係団体からのヒアリング
 (1)認定特定非営利活動法人 全国骨髄バンク推進連絡協議会
 (2)特定非営利活動法人 血液情報広場・つばさ
 (3)特定非営利活動法人 さい帯血国際患者支援の会
2 その他

○議事

○西脇室長補佐 定刻になりましたので、ただいまから、第35回厚生科学審議会疾病対策部会造血幹細胞移植委員会を開催いたします。
 本日は、お忙しいところお集まりいただきましてありがとうございます。
 まず初めに、前回御欠席でしたが、本日御出席いただいております委員を御紹介いたします。
 日本医師会常任理事・今村定臣委員、中日新聞社編集局整理部記者・野村由美子委員です。
 また、本日は、坂巻委員、西川委員、武藤委員、山口委員、吉村委員から御欠席との御連絡をいただいております。
 本日は、参考人として、認定特定非営利活動法人全国骨髄バンク推進連絡協議会・野村正満様、患者さんの長谷川誠様、特定非営利活動法人血液情報広場つばさ理事長・橋本明子様、特定非営利活動法人さい帯血国際患者支援の会理事長・有田美智世様に御参加いただいており、後ほど順番に御意見を賜りたいと思います。
 なお、さい帯血国際患者支援の会推薦の患者さん真鍋幸子様がお越しいただく予定になっておりましたが、体調不良のため御欠席との御連絡をいただいております。
 ここで健康局長の矢島から御挨拶を申し上げます。
○矢島健康局長 健康局長の矢島でございます。委員の先生方には、大変お忙しいところ、また、本日は寒いところをお集まりいただきまして大変ありがとうございます。それから、先生方には、日ごろから、厚生労働行政全般にわたりましていろいろな意味で御支援、御協力をいただいております。この場をお借りいたしまして厚くお礼申し上げさせていただきます。
 今回の中身でございますけれども、前回御提案をさせていただきましたように、基本方針の策定の議論に先立ちまして、関係者の方々からお話を伺うということにしております。本日は、造血幹細胞移植を受けた患者さんですとか、患者相談などに御尽力をいただいております関係者の方々をお招きいたしまして、率直な御意見を承ることにしております。
 本日も限られた時間ではございますけれども、積極的に御議論いただけると大変ありがたいと考えております。
 今後とも、造血幹細胞移植を必要とする患者さんに対しまして適切な造血幹細胞移植が行われますよう、皆様方の御支援と御協力を引き続きいただきますようよろしくお願いをいたします。
 簡単ですが、私の挨拶とさせていただきます。
○西脇室長補佐 次に、資料の確認をさせていただきます。
 資料1「第34回造血幹細胞移植委員会での主な御意見(概要)」、資料2、ヒアリング資料・認定特定非営利活動法人全国骨髄バンク推進連絡協議会提出資料、資料3、ヒアリング資料・特定非営利活動法人さい帯血国際患者支援の会提出資料、追加資料といたしまして、御欠席の真鍋幸子様からのお手紙があります。おそろいでしょうか。不備等がございましたら事務局までお伝えください。
 また、机の上に、法律等の参考資料と前回、第34回造血幹細胞移植委員会の資料をまとめたファイルを置いておりますので、議論の際に参考としてください。
 なお、ファイルについては、各委員の専用とし、次回以降も使用しますので、会議終了後、机上に残していただくようにお願いいたします。
 それでは、議事進行を小澤委員長にお願いいたします。
 報道のカメラは御退室願います。
(報道関係者退室)
○小澤委員長 前回より委員長を務めております自治医科大学の小澤です。昨年の12月28日に引き続きまして、法施行に向けた議論の第2回目となります。よろしくお願いいたします。
 本日は、先ほどお話がありましたように、関係団体からのヒアリングの1回目ということで、患者さんに近い団体として、全国骨髄バンク推進連絡協議会、血液情報広場つばさ、及び、さい帯血国際患者支援の会のお話を伺いたいと思います。また、患者さんにもお越しいただいておりますので、率直な御意見を頂戴したいと考えております。
 本日は、御意見を伺った後、引き続いて、委員からの質疑応答という形で議論を団体ごとに3回行います。次々回以降の議論の参考にしたいと考えております。
 それではまず、認定特定非営利活動法人全国骨髄バンク推進連絡協議会の野村様と長谷川様の御意見をお伺いしたいと思います。お二人合わせて15分から20分の間でよろしくお願いいたします。
○野村参考人 全国骨髄バンク推進連絡協議会の野村でございます。きょうは、私ども、今度新しく法律が施行されることに向かいまして、我々が思っていること、アピールしたいことを訴えたいと思いますけれども、今日は、7年前に臍帯血移植をなさって社会復帰された長谷川さんにおいでいただいております。委員の先生方の中にも患者さんがいらっしゃいますけれども、生の声を聞いていただけたらと思いますので、最初に簡単に長谷川さんのほうからお話をいただきたいと思います。
○長谷川参考人 長谷川です。よろしくお願いいたします。
 失礼させていただきます。かけてお話しさせていただきます。
 私は、先ほど紹介していただいたように、地方の三重県松阪市で骨髄異形成症候群という病気を発症し、地域での治療では対応できないということで、東京の虎の門病院にまで出てきて移植を受けることになりました。幸い、2度目の移植で生着をいたしまして、現在ここに至っております。そのときの体験も踏まえて少し話をさせていただきたいと思います。
 実は、私の生まれ故郷はすごく田舎だと思います。血液系の病気というと、「白血病」という名前は聞いたことがあると思うのですけれども、意識としては、「あっ、白血病にかかったんや。もう助からない。病院の一室にもう一つ部屋があって、その中のビニールで囲まれたところで、機械がピッピッピッと鳴っていて、もうだめや」というふうな認識しかないというのが今でも一般的というか、地元ではそういうふうな意識でおります。やはりその不安と恐怖が大きくて、私は告知をされたときにやはり真っ白になってしまいまして何も考えることができなかったです。一息ついてから、「俺の家族はどうなるんや」と。娘を初め子供が3人いるのですけれども、まだ結婚もしていないし、自立もしていないし、まずそのことが頭に浮かびました。
 それから、病気のことをじわじわと知りつつ、薬では治らない、もし方法があるとすれば、骨髄移植というふうなことを聞いておりましたので、骨髄バンクのほうへ登録をさせていただきました。残念ながら、骨髄バンクのほうで適合者がいないので、そのときの不安というのは、真っ白になったのが真っ黒になるぐらい、世の中が闇というふうな感じがしました。
 それで、医者のほうから、「このまま登録して、今は安定しているので、骨髄バンクの適合者があらわれるまで待ってくれ」という話がありまして、ずっと待っていたのです。その間に、「もしものことのために臍帯血のほうもセカンドオピニオンを受けてみたらどうか」と主治医のほうからアドバイスを受けて、東京の虎の門病院と国立がんセンター中央病院の森先生のところへお邪魔したわけです。そのときは、行ってすぐ臍帯血をしてもらおうと思っていたのですけれども、その当時、骨髄バンクのほうが症例も多くて安定しているということで、いさめられて、また地元へ帰って待つというふうなことをしておりました。
 ところが、半年ぐらいたって急性骨髄性白血病も発病しましたので、もうパニックのパニックのパニックになってしまいました。もうこれはだめかなというふうなことがあったのですけれども、地元で白血病のほうが化学療法で寛解しまして、「これが機会や」ということで、地元から資料を持たされて東京の虎の門病院のほうを訪れたわけです。おかげさまで、治していただいて現在に至って、仕事のほうも復帰して、ばりばりかどうかはわかりませんけれども、ある程度はやらせていただいております。
 その間に、例えば、東京へ出るに当たって大きな決断をしなければならなかった。それは何かというと、骨髄移植とか移植をする場合、一か八かの選択もその中に入ってくる。生きるか死ぬかということにかかわってくる話なので、すごく悩んだことを覚えています。家族の協力も必要ですし、頼りないおやじですので、東京へも私の家内がついてきてくれないと僕はちょっと無理かなというふうなこともありましたので、やはり生活が一転します。一番下の娘がちょうど高校入試を控えていまして、非常に不安定なところでしたので、長女のほうが京都のほうで就職を・・・。
○野村参考人 長谷川さん、ちょっと時間がありますので。
○長谷川参考人 そうですね。わかりました。
 そういうことで、その間非常に不安が高まっておると。そういうことに関してきちんと的確な情報を流していただければ、私たちの不安も少し和らぐのではないかと思っております。
 今回その法制化に当たって、そういう情報の一元化というのも大切なことだと思いますので、患者側として、そこら辺も少し考慮して規則、細則等も整備していただけるとありがたいと思います。
 ちょっと中途半端になって申しわけないのですけれども、一応これで終わります。
○野村参考人 それでは、私どものやっておりますこと、それから、皆さんに御理解いただきたいことを資料にまとめてありますので、その資料を使いながら御説明したいと思います。
(スライド)
 まず、私どもの組織についてでございます。骨髄バンクができたのは1991年の暮れでございますが、それ以前から、骨髄バンクをつくってほしいという運動とともに始まりまして現在に至っているわけでございます。会長は歌舞伎役者の市川團十郎でございます。会長も骨髄移植の経験者、患者本人でございますが、本来なら、きょう皆さんに御説明申し上げるのも会長が来るべきところですが、ちょっと体調を壊しておりまして、私がかわらせていただいております。
 この活動をする年間予算規模は支出段階で大体5,000万円を使っておりますが、その全ては会費及び寄附金で賄われています。実は、私どもの団体というのは、各地で草の根活動をしているボランティア団体が会員でございます。現在41団体、35都道府県でやっております。最大時は、50団体、44都道府県で活動している団体によって構成されていましたが、残念ながら経済的な問題でその会費が納められないというような状況が不景気な世の中で起こっておりまして、現在は加盟団体数が減っている状況です。減ったところも活動をやめたわけではございませんで、全国で活動しておりますので、そういうところへの情報提供等は行っております。
(スライド)
 活動は、大きく分けて3本の柱になると思います。患者さんを支援していく活動、それからドナー支援ですね。骨髄バンクのドナーになっていただく、そういう方たちの持つ不安を解消するためのサポートを行っております。さらには、骨髄バンク、臍帯血バンクというものを社会に広く理解していただくための普及啓発活動でございます。
(スライド)
 今日は患者さんの長谷川さんにもおいでいただいておりますけれども、我々はボランティア団体でございます。決して患者団体というわけではございません。もちろん、患者さんも活動にたくさん参加していらっしゃいますが、我々の活動にはドナー経験者の方もたくさん参加してくださっています。とても熱心です。全国各地で草の根運動を行っているボランティア団体でございます。それが、地元において、骨髄バンクを知ってもらう運動、主にドナー登録の推進活動を行っております。こうした活動をしております。東京においては、ちゃんとしたといいますか、骨髄移植推進財団というような組織があったりするわけですけれども、地方においては、「骨髄バンク」と言ったらそのボランティア団体のことを言うのですね。彼らが代表していると言って過言ではないと思います。その一方で、患者相談会や医療講演会というようなものを行っているわけです。そういう全国各地の団体が一つになって我々の団体ができているということでございます。
 ドナー登録の推進については、法制化によって今後は日本赤十字社がその多くを担っていただけるものと思っておりますが、それ以外にやっている部分でお手伝いできることがたくさんあるのではないかと我々は思っております。
(スライド)
 これから、さっきの3本柱のことをもう少し詳しく御説明しようと思います。
 患者支援事業、それから、患者さんへの経済的な支援とか、そういうことも行っております。
(スライド)
 まず、白血病フリーダイヤルでございます。始まったのが1996年でございますので、もう既に16~17年前から常設で患者さんの電話相談を行っておりまして、毎週土曜日に開設しています。第2土曜日と第4土曜日には血液の専門医も電話相談で対応しておりまして、我々は全ての土曜日に専門医を置きたいと思っているのですが、予算的な問題でなかなかできない苦しい状況にあります。ただ、今までの実績で、既に900回近いフリーダイヤルの相談を実施しておりまして、6,400件を超える相談をここで受けております。ちなみに、電話番号は0120-81-5929(やまいこくふく)でございます。
(スライド)
 それから、このフリーダイヤルの経験からさまざまなことがわかってまいりました。患者さんがどういう情報を必要としているのかということで、『白血病と言われたら』という冊子を発行しております。既に1999年に第一版が出まして、リニューアルを重ねてまいりまして、今日は委員の先生方のお手元に配らせていただきました。2冊で1セットになっておりますが、患者さんが欲しい情報、例えば血縁者間のHLA検査にどの病院では幾らかかるのかとか、そういう情報が患者さんにとっては必要なわけですけれども、そういうようなところまで載せております。これも実は5年前に第4版が出ておりまして、今年第5版をつくるべく、今、編集改訂作業に入ったところでございます。この冊子は、患者さんや家族が読むものではございますが、現在では、移植病院や看護学校などでも活用されておりまして、病院によっては、この本を患者さんに1冊ずつ渡してくださっているような病院もございます。
(スライド)
 次は、佐藤きち子患者支援基金という、患者さんの経済的なところを支援する基金でございます。これも16年前から、経済的な問題があるがために移植を受けられない患者さんのために使ってほしいという、最初は300万円をいただいたところから始まりました。上限は50万円でございます。治療には、ただ医療費がかかるだけではないのですね。患者さんというのは、発病すると生活が一変します。そのために、家族等がいろいろな形でやるのですけれども、収入面も入らなくなると同時に、今度は出費も増える。そういう状況の中で、生活費の部分の補填ができなくなってきたりもするわけですけれども、そういういわゆる医療費ではないようなところまでも支援できるようなものという形の基金でございます。我々のような零細な財政基盤のところではございますが、この16年間で既に6,000万円を給付してまいりました。
(スライド)
 さらには、東日本大震災が起きて、被災者の患者さんに対しての支援。それから、先週発足したのですけれども、新しい基金も新設いたしました。分子標的薬を長期間にわたって続けなければならない患者さんが多大な経済的な負担を負っているところがございます。それに対しての給付、経済的な支援、それから、移植患者の精子保存というような部分に対する基金も新たに創設しました。
(スライド)
 一方で、3本の柱のもう一つ、ドナー支援事業でございます。ドナーになっていただくということを登録していただいた方が実際に提供に結びつくような状況の中で、さまざまな不安を抱えていらっしゃる。それから、今、日本の骨髄バンクでは御家族の同意が必要でございますが、その御家族の反対に遭って提供できないとか、いろいろな状況がございます。そういうドナーを支援していく冊子を作ったり、電話相談も行っております。ちなみに電話番号は、0120-892-106(ばんくにとうろく)でございます。
(スライド)
 もう一つは、普及啓発活動でございます。広く社会、市民の皆さんに骨髄バンク、さい帯血バンクを知っていただくための活動、イベント等をやっております。今日は、2つだけ写真を挙げさせていただきました。
 これは、もう3年前になりますが、骨髄移植が1万例、さい帯血バンクを介した臍帯血移植が5,000例になったときに、銀座でパレードをやったりしました。
 これは、箱根駅伝で毎年やっていることでございますが、啓発活動等もやっております。
(スライド)
 そのほかに、よりよい骨髄バンク、さい帯血バンクをつくっていくためのいろいろな活動もやっておりますが、ここでは、海外視察をして、そこから得た情報等をこの法律の中で生かしていってほしいということで、そのポイントだけをちょっと御説明します。
 アメリカでビルヤング法という法律ができましたので、それはどういう法律なのか、実際にどういうことをやっているのかということを3年前にアメリカに行って視察してまいりました。そのときの状況でございます。
 実は、患者さんを支援していくという部分がほとんど触れられていないのが今回の日本の法律でございますが、アメリカのビルヤング法の中には、患者擁護(オフィス・オブ・ペイシェント・アドボカシー)という部分がはっきりと書かれております。ビルヤング法は、さい帯血バンク、臍帯血移植が出てきたことによって、骨髄バンクとシングル・ポイント・オブ・アクセスで、1つのところにアクセスしたら、その両方のバンクの情報を得られるというような、そのための法律でございました。その中の重要なところがこのOPA(患者擁護)でございまして、患者さんたちは、アクセスをとると、段ボール1箱分ぐらいの資料が送られてきます。その中には、もちろん治療のこと、経済的な問題、移植を受ける病院の情報、その疾患ごとに、どの病院ではどのようなことを多くやっているのかとか、どういう移植が今行われているのか、その成績はどうなのかといった細かい資料が送られてきます。そういう情報を患者さんが得られる状況がアメリカの場合にはあるということであります。
(スライド)
 去年はヨーロッパの状況を視察してまいりました。今、日本の骨髄バンクの場合は60歳までというような状況があります。これはイギリスのアンソニーノーランで、世界で最初の骨髄バンクでございますが、イギリスでは30歳まででございます。若いドナーのほうが成績がよいのだということで、今、ドナー登録の年齢が30歳に引き下げられたという状況です。これは全て、成績とか患者さんの視点に立った部分の見直しですので、こうした部分の常に新しい情報を得ながらバンク事業にも生かしていってほしいと我々は思っております。
(スライド)
 このスライドは、今回の法律の主な視点でございます。
○小澤委員長 済みません。時間が余りありませんので、できるだけ手短にお願いいたします。
○野村参考人 わかりました。申しわけございません。
 では、これは飛ばしましょう。
 根本的に、造血細胞移植医療は病気を克服するまでが問題だ、それまでは終わらないのだということでございます。そこまでフォローするものでなければならない。この法律もそのためにあってほしいということでございます。
(スライド)
 それは、患者さんの視点で言えば、情報が一本化されてきちっと入る。多分、法律の第11条には、情報の一体的な提供ということがありますけれども、それは単にホームページのここに載っていますよというものではなくて、きちんと患者さんの手元にわかりやすく届くようなものであってほしいと思います。それによって移植機会が増大して、経済的負担が軽減していくということも大変重要でございます。特に不公平の解消が必要だと我々は思っております。
 日本の医療は、医療保険で全部面倒を見てくれることになっているのですけれども、骨髄バンクには患者負担金が存在しています。これをどうやって解消していくのか。本当に解消ということに向かって日々努力してくださっているのか、とても心配なところでありますけれども、そういう部分です。それから、移植成績を上げていっていただく。これは医療従事者の方々にお願いする部分でございます。それから、移植して、ただ命が助かるということだけではなくて、生活の質が向上していくということがとても重要でございます。
(スライド)
 さらには、ドナーの視点で見ていきますと、今、休業補償というのはされておりませんけれども、わずかな金額です。多分、1,000の移植を行って5万円の休業補償をしたとしても5,000万円程度の金額ですけれども、そのために実は提供できないというような状況に陥っているドナー候補者の方がいっぱいいらっしゃるわけですので、そういった部分でも何とかしてやってほしい。さらには、そのドナーリテンションといいますか、そのドナーのモチベーションを維持していくためのことも必要だろうと思います。
(スライド)
 これは飛ばします。
(スライド)
 実は、さい帯血バンク事業と骨髄バンク事業というふうに分かれておりますけれども、それを1つにまとめていってほしい。シングル・ポイント・オブ・アクセスという、その最初の部分だけでも1つのものとしてやっていってほしい。さらには、それをもっと統合して、行く行くは1つのものとなっていって、使い勝手のいいさい帯血バンク、骨髄バンクであってほしいと思っております。それは造血細胞バンクということになろうかと思いますけれども、将来的には、その中心を日赤が担っていただけると大変助かる。日赤にはそれだけのノウハウと今までやってきた蓄積がございますので、そうしてほしいと思います。
(スライド)
 あと、移植医療機関については、どうしてもセンター化をして、実際に多くの患者さんを診てきたお医者さんたちがそこに集まっていて、より成績の向上につながるような医療体制を整えていただきたい。そういう体制にするためには、患者さんをバックアップする体制がないと、そういう拠点のところではなかなか治療を受けられないことになると思いますので、そういうバックアップ体制をつくっていただきたいと思います。
(スライド)
 最後でございますが、さっき出てまいりました患者擁護という部分でございます。ここが、今、一番重要だろうと思います。残念ながら、この法律では書かれていない患者さんの支援に対する部分を、実際の運用面に当たっては強く意識して、患者擁護ということを念頭に置いて、委員の先生方にはいろいろお知恵を絞っていただいて、長谷川さんがおっしゃいましたけれども、情報がないようなところに投げ込まれた患者さんたちを本当に救命していくための事業となっていくことを願ってやみません。
 私からのアピールは以上でございます。ありがとうございました。時間が延びまして済みません。
○小澤委員長 どうもありがとうございました。
 大変重要な活動をされてきているわけですけれども、委員の先生方から、何か御質問等、あるいはコメントはいかがでしょうか。
○浅野委員 5点か6点ぐらいあるのですが、一つ一つお答えいただくとありがたい。
 まず、今、野村さんが副会長なのですけれども、野村さんについて言えば、「何でこんなのを始めたのですか」というか、その動機、バックグラウンドをちょっと紹介していただけますか。
○野村参考人 実は私も患者家族でございまして、妻が22~23年前に骨髄移植をしております。当時は骨髄バンクはございませんで、血縁者間の骨髄移植でございますが、その中でいろいろ見聞きしたこと、闘病していた方が次々と亡くなっていくような状況を見まして、骨髄バンクのために何とかできないだろうかと、骨髄バンクをつくる運動から入ってまいりました。
○浅野委員 野村さんのところは、骨髄バンク推進連絡協議会ですよね。ボランティア的な活動をされていると。
○野村参考人 さようでございます。
○浅野委員 それと、骨髄バンクが実際に活動するいわゆる現業機関としてあるわけですね。2つの関係はどうなのですか。関係というときに、もちろん、今説明したのはわかるのですけれども、わかりやすく言うと、仲はいいのですか、ということも含めて。仲がいいか悪いかは別として、そういう言い方がどうかわかりませんけれども、うまくつながって、両方得をしているというのか、骨髄バンク側から見たら、邪魔だとは言わないけれども、もうちょっとこうしてくれとか、ここまでやるなとかいうようなことも含めて関係というのはどうなのでしょうか。実態ですが。
○野村参考人 実態は、仲が悪いということではないと思いますが、もしかしたら、骨髄バンクサイドは我々を「うるさい」と思っていると思います。
○浅野委員 それを「仲が悪い」と言うのではないですか。
○野村参考人 いや、そんなことはないです。
 というのは、「骨髄バンクは僕たちがつくったよ」というような意識がボランティアの中にはとてもありますから、それが健全に育ってほしいというような気持ちで、さまざまな提言や苦言も含めて行っているわけですが、実際の事業者としては、なかなか実現できないようなジレンマがそこにはあるのかもわかりません。ですので、ちょっとうるさい存在というふうに見られているのかもしれません。
○浅野委員 これは、本当は骨髄バンクの人に聞かなければいけないのですけれども、多分、どちらも運営費というかお金が足らないと思うのです。骨髄バンクにしても、推進協にしても、余っているということはないと思います。そういうことを前提としてお聞きします。
 実は私も、患者として、骨髄移植を受けたおかげで命が助かって退院したわけですね。その間に友人・知人から多額のお見舞い金をいただきました。結構な額になるのですけれども、その人たちにお返しを一切せずに私はそれを骨髄バンクに寄附したのです。幾らとは言いませんが、寄附をしたのです。本来、骨髄バンクは、ある意味、国からの補助金も出ていますし、お金は間に合っているということなのか、むしろ全国骨髄バンク推進連絡協議会のほうでは基金もつくっていらっしゃるし、もう既に7,000万円ぐらいの給付もやっていると。多分、お金はあればあるほど活動を広げられるという状況ですね。
○野村参考人 おっしゃるとおりです。
○浅野委員 骨髄バンクの方がいないから聞きますけれども、もし私がお返しをするというときに寄附をするならば、どっちが適当なのでしょうか。
○野村参考人 それは・・・。
○浅野委員 全国骨髄バンク推進連絡協議会ですね。はい、わかりました。まあ、骨髄バンクの人にも聞きます。
 今、最後のほうの法律の運用についてというところで、「問題の多い現システムを追認するのではだめだ」とおっしゃいましたね。「問題の多い現システム」というのは何ですか。
○野村参考人 例えば、指摘してきたところの患者負担金の問題とかですね。
○浅野委員 それはシステムではないですね。
○野村参考人 いや、システムだと思いますよ。
○浅野委員 システムというのはそういう意味ですか。
○野村参考人 ええ。かつて発足当時は、100万円近い患者負担金がないと骨髄バンクを介した移植というのはできなかったのですね。それから、今、ドナーに何かあったときのドナー傷害保険というのがありますけれども、そのドナー傷害保険というのは移植を受ける患者さんが保険に入るのですね。「何かあったら、患者、おまえが持てよ」ということで、そのシステム、制度の中で、患者は選べないのです。どこの病院で採取するのはわからないのですけれども、それでも自分が負担しなければいけない。そういう部分というのはたくさんあるのですね。それでなくても大変な立場に置かれる患者サイドですから。
 私も二十何年前にやったときは、一番下の子供が幼稚園でしたけれども、幼稚園の子供の弁当をつくらなければいけないのだけれども、どうしたらいいのか、そういうところから患者というのは困るのです。そういうものを体験していった患者さんたち、体験しなければいけない患者さんたちに、本当にどうやったらサポートできるのか、それを考えていただくということがとても大切だと思うのです。
○浅野委員 それは白血病の患者だけではないですね。患者一般ですね。
○野村参考人 もちろんそうです。
○浅野委員 そういうものが「問題の多い現システム」ということの例ですね。
○野村参考人 はい。
○浅野委員 最後ですけれども、外国の例の紹介のところで、イギリスだったですか、ドナー登録は40歳までとすると。
○野村参考人 30歳までです。
○浅野委員 30歳までですか。そのほうが移植の成績がいいということなのですが、私はちょっと疑問があります。それは、日本の今の事情を勘案してですけれども。私の場合は40代の男性から移植を受けました。その方がぴったり合っているという人だったのです。もし30で切られてしまうと、私は移植を受けられなかったということになるので、これはちょっと慎重に考えていただくべきではないか。
○野村参考人 もちろんそうだと思います。
○浅野委員 いいことのように書いてあったから。必ずしも現状では合わないというとこですか。
○野村参考人 だから、ドナープールが広ければ、年齢のそういうような部分までいけるのです。そういう大きなプールを持っていればいいわけです。例えば西ドイツなどというのは数百万人のドナー登録があるわけです。日本は40万人というような状況です。そこら辺の分母を大きくしていけば、より成績を上げるために、新規のドナー登録は30歳までとかいうようなことまでできるわけですね。
○小澤委員長 それでは、よろしいですか。また、別の委員の方の御質問も受けたいと思います。
 どうぞ。
○梅田委員 ちょっと切り口が変わりまして、ドナーの立場のところから質問させていただきます。
 HLAの適合率が95%なのに移植率が56%というのが非常に話題になっていまして、この移植に至らなかった中で、患者さん理由は15%ですが、ドナー理由が85%ということです。このドナー理由のところで、健康理由というのが37%なのですが、それ以外のところで63%あって、そこの63%のところで「都合がつかず」とか「連絡がとれず」ということで、全国協議会のほうではドナーリテンションについていろいろ検討などもされていたかと思うのですね。ここのところで、例えばメルマガを使うとか、ホームページを使うというようなところがたしかあったかと思うのですが、こういうところの補足といいますか、ここをうまく利用したらどうかというようなところが何かありましたら、ちょっと御意見を伺いたい。
○野村参考人 今おっしゃられた内容のことで特に私からつけ加えることはないです。
○梅田委員 そうですか。私が思っていたのは、例えばメルマガをうまく使うというところ。実は、メルマガを使うとなると、ドナーさんのアドレスを知っていなければならず、これは日赤さんの協力が要るのかなというところがあるわけですね。
○野村参考人 それはどういうバックグラウンドで、あるいはどこまで包括するかという問題だろうと思います。それは全てのドナー登録者に対して財団がやることですので。それは、財団なら、あるいは日赤ならできることだろうと思います。
○梅田委員 そこのところを意見として強調されたらどうかなと思って、今振ってみたのですが、いかがでしょうか。
○野村参考人 参考にさせていただきます。
○梅田委員 先ほどのところで私が思うに、ドナーリテンションというところでは、結局、連絡がとれないというのは、どこかの段階でいろいろと連絡をとっていかなければいけないですね。今の段階では、ドナーになりましたというところで、あと、連絡がとれているのは、財団のほうから「財団ニュース」というのが年に2回ほど来るのですけれども、これだけだとちょっと足りないのかなという気がしないではないです。一番初めのところの「ドナーに連絡がとれない」というのがこの中でも30%ほどあるというデータが前回出ているのです。一番初めのところに「引っ越したら日赤さんに連絡して住所変更を言ってね」という説明自体はあるのですけれども、ドナーになってからしばらくたって、結局、そういうところが忘れられてきているのではないかと思うのですね。そういうところの連絡を強化するのにいろいろと手を使っていかなければいけないのかなと。
 先ほどちょっと例があったのは、たまたま全国協議会のほうからホームページとかメルマガというようなところもありましたので、ちょっと振ってみたのですが、それ以外のところでも何らかの連絡強化というのが非常に重要なのではないかと思いました。
○野村参考人 実は、連絡がとれない云々のことでも、それが今行われているような状況ではなくて、日赤がメインとなってやっていけば、ドナー登録している方のほとんどの方は献血者でございますので、今まで献血をやってきてくださった方たちの情報と一体的な管理というものができるわけですね。そうしていけば、そういう連絡がとれないとかなんとかという問題はあっという間に解決できるのだろうと思います。
○梅田委員 ありがとうございます。
○小澤委員長 ほかには何か。
○宮村委員 私は、シングル・ポイント・オブ・アクセスについて質問です。情報を得るところについて、それはいいと思うのです。一方、移植の施設としてもある程度センター化ということをおっしゃっていましたが、そのセンター化というのはいろいろなレベルがあると思うのです。各県に1つぐらいのイメージなのか、それとも、年間100例ぐらいやって全国に20ぐらいつくっていくのか。高齢者の方が非常に増えてくる中で、先ほどありましたけれども、三重県の中でも、きょうだい間とかの移植ができればそれで助かるという高齢者の方もいらっしゃると思います。そういう中で、シングル・ポイント・オブ・アクセスというか、施設の集約化についてはどのようにお考えか。
○野村参考人 移植センター化、実は採取センターというのもあると思いますけれども、我々が想定しているのは、全国数カ所のセンターというイメージです。そこで集中して移植を行っていただいて、そこで成績向上と症例検討等を重ねていただきたいと思っています。
 シングル・ポイント・オブ・アクセスについては、また別の問題だろうとは思います。
○宮村委員 そうすると、全ての人がその2、3カ所の場所に全部集まってくると。
○野村参考人 移植はですね。それ以外に拠点病院というのはあると思います。センターと拠点病院というのは別だと思います。
○宮村委員 拠点病院でも移植はできると。
○野村参考人 状況によってできます。あるいは、スタンダードリスクの問題で、そういう症例によると思いますけれども。
○小澤委員長 よろしいでしょうか。
 一応、時間をオーバーしていますので、これで終わりにしたいと思います。
 野村さんからは、特に患者の視点とか、ドナーの視点とか、非常に重要な点をコメントしていただきました。いろいろな問題点、これまでにもだんだん改善はしてきている状況にはあると思いますけれども、こういう移植法ができるに当たって、さらに一段とよくするという方向で、今後の議論の中でぜひ参考にさせていただきたいと思います。
 どうもありがとうございました。
○野村参考人 こちらこそ、よろしくお願いします。
○小澤委員長 続きまして、特定非営利活動法人血液情報広場つばさの橋本様の御意見をお伺いしたいと思います。15分から20分の間でよろしくお願いいたします。
○橋本参考人 橋本です。よろしくお願いします。
 ここに御参集の委員の皆様全てに敬意を表します。ようやくこの日が来たことを喜びつつお話させていただきます。
さて、このような感情優先の題名を私は余り選ばず「この法律制定に当たって」などとするのですが、でもどうしても「母の骨髄バンク」などというエモーショナルな題名以外思い浮かびませんでした。ここにこの日を大変感動的に迎えた私の気持ちが現れている、ということを先にお伝えして話を始めたいと思います。
 私には骨髄移植推進財団理事や血液情報広場つばさの理事長など、幾つかの立場がありますが、本日は、がん電話情報センター主任として毎日がん患者さんたちと向き合っている立場を中心にお話しさせていただきます。
(スライド)
 がん電話情報センターを含めて相談数は8,009件に至っていますが、この累積に至る年月は、骨髄バンクと共に歩いてきた歴史でもあります。本日ここに、私が尊敬申し上げる移植医の方々が何人もおられますが、移植医だけではなくがん医療に携わる医師すべてが日夜奮闘されている様子は、患者さんとの相談電話を通して実感しています。恐らく本日も、相当お忙しい中飛んでこられたと思います。
 また、この歴史の表の中に分子標的薬グリベックの日本での承認がありますが、これは本当にすばらしいがん医療の成果です。しかし同時に移植の成績は徐々に向上していても、薬で治せるかもしれないとなれば、「移植しないで治したい」という気分、新たな意識が生じることもまた、実感しております。
(スライド)
 私の仕事場、がん電話情報センターです。いまこうしている間も、日本中からの電話に相談員が対応しています。
(スライド)
 少し寄り道します。2006年にがん対策基本法が承認され、翌年に施行されたことはご記憶と思います。この法律制定後はがん医療の世界が大きく変わりました。何よりも情報開示が常識化していきます。がん情報サービスがこのホームページをつくっていますが、当初はこれほどの分厚さではなかったものの、現在はたいへん充実したページになりました。
 国立がん研究センターがん対策情報センターでは、正しい情報の提供の在り方を研究する研究者のおひとりが、私共のがん電話情報センターを一緒に立ち上げてくれました。ですので、当相談窓口の名称には「情報」という言葉を付ける必要がありました。また、「正しい情報提供の在り方」のために「個人情報は抜いた上で研究に使う」ので「音声記録」をとることに決めて出発しました。したがいまして、当センターで相談を受けたものは全て記録に残っております。
 がん情報サービスのホームページを私たちが使う場合は、電話の向こうの相談者がインターネットを使える人ほど間違った情報の渦に巻き込まれる危険もありますので、このホームページを基本情報の共有ツールとして利用するようにしています。情報提供活動は私たち非医療者が勝手に作ったがん情報を伝えることではありませんから、高度で正しいものでありながらわかり易い説明ツールが必須です。
 診断、治療方法、各種がんの解説があって、下のほうに「血液がん」の解説もがありますが、血液がんの領域はすばらしく充実しています。
(スライド)
  治療法の造血細胞移植も非常にしっかりしたコーナーになっています。
(スライド)
 データ、成績が提示されていますが、データの読み方は難しいですから、私たちは「一緒に考えましょう。一緒に受けとめましょう」というふうに相談を展開していきます。
(スライド)
 ここから少し、私の個人史、私がこの領域にかかわることになった理由をお話します。
(スライド)
 薬も治療法も制度も何もありませんでした。振り返るのは簡単です。振り返っていろいろなことを言うのは簡単ですが、その時10歳の少年を救う方法が何もなかった、という事実を感じてください。
(スライド)
 担当医から「骨髄バンクのようなものがあれば」ということを言われました。でも「骨髄バンク」という言葉も定着していたわけではないです。この担当の小児科医も含めて、それを一緒に真剣に考えてくれる人がいたからここまで来ました。その翌年には、移植という医療を受けるにはHLAというものが一致するドナーが必須だということを知ることになります。しかし、その「HLA」という言葉もさっぱりわかりませんでした。ただ同時期にアメリカで骨髄バンクが発足していたことが、バンク設立の示唆を提供してくれたことになります。ヒントがあったことになります。
(スライド)
 アメリカに偉大なる移植医、ドン・トーマス博士が存在して、今そのお弟子の先生方が世界中にたくさんおられます。
この写真は、日本初のバンクの設立を願うシンポジウムの様子です。写っている先生方は、移植医とはいえ、小児科医です。このころはまだ内科の先生にお会いする機会は余りありませんでした。つまり、小児科を中心にまず展開したということになります。
(スライド)
 HLAの研究者で当時東大医学部・輸血部教授だった十字猛夫先生の話を聴いています。また、移植医の先生が「骨髄移植とはこういうふうにします」と説明しています。
 カメラはNHKです。
 この会場には、他に新聞社数社、週刊誌などのメディアも参集していて、一緒に「救える命を救う」骨髄バンク設立を考える、その始まりの日でもありました。
(スライド)
 「HLAとはこういうものなのですよ」という説明を始めて聴いています。本当に難しかったです。私たちは素人ですから「何て難しいんだろう。こんな世界にチャレンジしていくのか」と思いました。でも、やるしかないという思いでした。
(スライド)
 初のシンポジウム開催の1988年2月4日は移植学会の前日でした。翌日に十字先生が第10回日本骨髄移植研究会総会、後の日本造血細胞移植学会ですが、総会々場で「きのう、民間が立ち上がりました。我々もこれをサイエンスの立場から支援したい」と言ってくれました。非常に感動しました。それにしても、たった1人で「学会」というものに乗り込んだ若い母でした。
(スライド)
 熱心に取材してくれた新聞やテレビの記者さん、行動を共にしてくれた移植医や研究者、ボランティアや福祉の関係者など、急速に多くの人の参集があったことで、私は「戦い」という言葉や、やり方のイメージは違うかもしれないと思いました。その当時はまだ世間でこの「戦い」という言葉が好まれていた時代だったのです。ある移植医の先生が私に、「皆さんが集まるところに必要なら行きますが、しかし、それを○○集会などと表現されると抵抗を感じます」と言われました。「ああ、そうなんだ」と思いました。そのころは全てきょうだいではありましたが、ドナーという健康な体に医療を施して成立させる治療法が骨髄移植ですから、このような戦闘的なイメージ、言葉一方が一方を攻めていく感じの「戦い」という語幹とはそぐわないことだと感じました。それを運動の先頭に立った私は自戒し、多くの社会の層が協力し合う形の三位一体を意識していきます。「この運動を何としても成功させ、息子さんを助けましょう」と言ってくれた人が、医療にも報道にも民間にもいました。次第にこれに政治が協力していく、というスタイルができていきます。
(スライド)
 2年間、設立を訴えて日本中を走りましたが、各地で行ったのは一方的な必要性の講演ではなく、対話でした。
(スライド)
 日本中を回りました。このころは各地で、内科の先生も御登場です。
(スライド)
 1988年5月に始めて最初の厚労省を訪問しました。新聞記者、子どもを白血病でなくした母親、ボランティアなどが一緒でした。
(スライド)
 それにしましても、厚生省へ押しかけて写真のように訴えたわけですが、担当者の方は大変戸惑われたことと思います。かなり唐突に「とにかく、これを国の制度にしてください」と、乗り込んだ形ですが、それでも話は聞いてくれました。
(スライド)
 制度をつくるということがどのようなことか、実は何もわかりませんでした。しかし私たちはただただ訴えるしかありませんでした。
(スライド)
 「社会運動」とは知識の普及を指すのだと今にしてわかります。ともかくこのようなパンフレットもさまざま作りました。一生懸命でした。
(スライド)
 これが公的骨髄バンクをつくらねばならないという理由の1つだと当時実感した出来事です。この人物は、設立運動のためのシンポジウム会場に来て、私たちに「話がある」と近づいてきたのですが、内容は「運動なんかしていないで、商売にしたほうが早いよ」というようなことでした。当時、臓器・腎臓を外国で売る人がいるということは既に私でも知っていることでした。同時に、命、臓器は売買してはならない、という社会的なコンセンサスが出来上がりつつあるころでした。
そんな悪い人に話しかけられているので、誰かが写真を撮っておいたほうが良いと判断したのだと思います。貴重な証拠写真です。一緒にいるのはきょう私の後でお話しする有田さんです。でも私達は、「そんなことはさせません」「私たちは公的なものをつくります」と断言しました。
(スライド)
 世界中の既存の骨髄バンクを見て回りました。
(スライド)
 1989年に請願署名を国会に提出しました。
全国から77万人分の署名が、郵送で私のところへと送られて来ました。その「量」の迫力はすごかったです。
(スライド)
 1989年の初秋に出版した『一本の羽根をください 翼が欲しいから』です。タイトルは、小寺先生のお話「骨髄移植のイメージは、羽根が1本だけもらえば翼ができる、決して翼そのものまでもらわなくても良いのです」からとりました。「たった1本羽根を分けてもらえば、翼ができる」とても励みになる言葉でした。帯の「白血病はもはや不治の病ではない」というのが合い言葉、「骨髄移植ができるなら全国の何万人の笑顔が戻るだろう」等、すべて未来形であり、希望でした。
(スライド)
 1989年の秋には、大臣室に通していただきました。当時は津島厚生大臣でした。これが最後、8回目の厚生省訪問でした。
(スライド)
 そして1991年12月に骨髄バンク、骨髄移植推進財団が稼働しました。
 やがて徐々に徐々にドナー登録数もふえていき、移植の成績もじりじりと上がっていきました。
(スライド)
 しかし、個人的な話ではありますが、骨髄バンクの稼働はわが息子には間に合いませんでした。でも骨髄移植推進財団発足の新聞報道を見た息子が「まあ、母さんもよくやったね」と頭をなでてくれました。御報告しておきます。
 制度が発足する一方、現実に病気と闘っている「いまの患者さん」が生きるための情報を求めて連絡してきます。私は息子の命を救うために、何が一番欲しかったでしょうか。それは治療法、移植療法についてのインフォメーションだったなと思い起こしました。1990年11月に厚生大臣が「骨髄バンクをつくります」と言ってくださったとき、もう骨髄バンク設立要求運動は終わったのです。私は、これからは仲間のためにやれることをやろうと決め、新しい展開をしていきます。情報提供と言っても私が情報を作り出すことはできませんので、情報を出せる人、臨床医や研究者などのプロを呼んで共に学ぶ、というスタイルで展開してきました。前述もしましたが、思えば骨髄バンク設立運動では知識の普及活動を実践したことになります。
 ところで今、全がんの方々から相談を受けていますが、当たり前なのですが多くのがん患者さんが造血についての知識がないことにちょっと戸惑います。「造血」の機序を知っているとがん医療の理解が早いのです。これは実感です。
(スライド)
 日本中の移植の先生方に御協力いただきながら、患者さんのためのフォーラムを開いて回っています。さまざまな知識を多くの講師に語ってもらいますから「フォーラム」と称します。教育ではありませんから、「セミナー」ではないです。
(スライド)
 冒頭近くでも言いましたが、2001年にグリベックが登場します。すごいことですね。90%寛解を維持できるわけです。ただし、これは一生ずっと使い続けてくださいというものであって、移植のように、根治に至るものではないというところにもまた特徴があります。
(スライド)
 フォーラム、情報提供活動が続いています。ちょうどお若いころの岡本先生。迫力いっぱいの非常にわかり易いお話をしていただいているところです。
(スライド)
 岡本先生は日本中でお話しくださっています。張替先生も宮村先生もお世話になっております。どの会場にも、たくさんの患者さんが治るために、明日を迎えるためのインフォメーションを求めてやってきます。ほんとうに内科の患者さんたちがふえたことにも感心します。
(スライド)
 つばさの情報誌やNewsletterです。
(スライド)
 2010年の造血細胞移植学会の市民公開講座の表題が「移植医療を支える人々、医療システム、社会」です。ここに移植医、移植専門ナース、院内移植コーディネーター、骨髄移植推進財団の職員等、多くの人々が集まって、この領域を支える状況がどんなに豊かになってきたのかという話をした1日でした。
しかし、これらの人やシステムが一般医療の中でこの特殊な医療を成功させるために日夜協力し合うという力技の状況で来た20年でした。ここまで大きな事故もなく、生きる喜びを分かち合う機会を皆で作ってきた、それを感じていただける企画でした。この日の移植医は宮村先生でした。
(スライド)
 また、1人のドナーさんから1人の患者への移植が成功するまでに累積で2,000人ほどの人が動くことになります。この人々の連携こそがすごいです。本当に奇跡の医療ではないでしょうか。私が言うのもどうかなと思いますが、骨髄バンクをつくる過程、そして骨髄をもらった患者さんや提供したボランティアさんが周囲に向けて想いを語る、若い青年が登録に行くなどが、日本の医療文化を底上げしたのではないか。このことに皆さんと共に自信を持ちたいと思います。
(スライド)
 去年、2012年11月、日本中で展開している患者さん向けフォーラムを島根県で開催しました。その時、本当に熱意あふれる移植医であられる吾郷先生との会話です。「先生、きょうはお忙しいところありがとうございます。いつぞや、学会の委員会でお話ししていたあの法律ですが、国会で承認されましたね。来年の今ごろは施行されますよ」と言ったら、先生が「そうですか。すばらしい。ますます頑張らなくちゃね」。
(スライド)
 同じく去年の夏の、東京での定例フォーラムです。つばさ翼のフォーラムには欠かせない人気講師の岡本先生がご登壇です。いまやすっかり風格があられます。
(スライド)
 多くの方が私に感動を伝えてくれます。本審議会委員の浅野史郎先生もそのおひとりです。
 図にあるお1人は、浅野先生の少し後に国立がんセンターで移植を受けた方で「仲間のためにいつでも歌います」と言ってくれているテノール歌手です。移植後の療養中にいわき市で被災したのだそうです。
 同じようにやはり国立がんセンターで移植を受けてMDSから復帰した青年ですが、去年の夏のフォーラム後一緒にビールを飲んだときに、私のことを「バンクのお母さん」みたいなことを言ってくれて、「僕、1回は俳優をやめようと思ったんだけれども、やっぱりがんばって俳優を続けます」と言ってくれました。その彼が先週舞台を踏みましたので、応援に行ってきました。若い子らしい今風の言い方ですね。「応援、よろしく!」。
(スライド)
 相談の事例をひとつだけあげます。娘さんのために連絡してきたお父さん。「掌中の玉として育ててきたので、移植を受けさせたくない」という相談です。「薬で治せませんか」。その訴えは、やはり優れた治療薬が登場したからです。移植しかないとわかっている治療側、あるいは、この病態では移植の成績が高いと知っている側からすれば、「うーん」と思うかもしれません。でも私達が、この方の心情、親の想いをしっかり理解して聞き取ることで、担当医の説明を聞く「余裕」をもってもらうことが大事です。実際のそのような対応の結果、この父親は「そうですね、先生と一緒に頑張らせます」というふうになった、という事例です。
(スライド)
 つまり、今や患者・家族は院外、家や職場で過ごす時間は長く、がん医療は「暮らしながら受ける時代」となったことがたいせつなことです。私達の相談対応は、市民層の中につばさを広げています。医療をその外から応援する、という立場も必要であることを実感しながら仕事をしております。
 私共の相談員は3カ月の研修をしてから電話に出て、同じ生活者の視点で患者・家族を支えるという訓練をしています。
私たちは「ここにいます」「いつも待っています」と発信しています。
(スライド)
 繰り返しますが、「暮らしの中でともに医療を見詰めること」がとても大事だと思います。病院の中にある相談支援センターも大事ですが、私たちは、暮らしの中で悩む人を暮らしの中で一緒に医療を病院の外から見詰めることです。そして、医療を敵対視せず、よりよい治療を受けるにはどうしたら良いかを考えます。移植医とは何をしている人たちなのか、厚労省は何をするところなのか、骨髄バンクとは何をするところか理解を進め、言葉は悪いのですが、よりよく利用していきましょうという支援をするのが私達です。
(スライド)
 なぜか息子が1991年12月にメモで残した言葉です。
(スライド)
 今回の移植法案の概要に、「国は」や「国が」という主語があります。この文字を見たときの私の感動がわかりますか?あの日、たった1人で走り出した母が、今こうして皆さんと一緒に、「国は」という言葉を聞いています。今、文字通り骨髄バンクは「日本」骨髄バンクになるのです。
(スライド)
 心の財産になるような「余韻」を多くの方が持つ医療であるように、「国も共にある」ときを迎えました。皆さんと祝福したいと思います。
 移植経験者の友人が言いました。「劇症の白血病になり、気づいたら移植を受けていました。その夜、ドナーさんの幹細胞が運ばれてきました。点滴のバッグから一滴、一滴、造血幹細胞が僕の血管へと落ちてくるのを、ありがとう、ありがとうという想いでずっと見ていました」。それから7年たちました。彼は今、マラソンランナーとして、移植経験者枠で10キロを走る青年です。そういう人たちが、この医療、このシステムを見詰めています。
共に、明日へ。
 ご清聴に感謝します。
○小澤委員長 どうもありがとうございました
 今、橋本さんからは、骨髄バンク設立に向けて立ち上げられたころからこれまでのお話をいただきましたけれども、委員の方から何か質問、コメント、いかがでしょうか。よろしいでしょうか。
 浅野委員。
○浅野委員 感動的なお話を聞いた後に生々しいことを聞くのもなんですが、さっきと同じです。
 つばさがやっていらっしゃることは、電話相談とか、さっきの推進財団と同じようなこと、重なる部分というのがありますね。骨髄バンクはそれを受けるほうですけれども、仲はいいのですか。
 というか、どういうふうに連携等をやっているか。それもうまくいっているか。「仲がいいんですか」というのは撤回しますけれども。それこそ、実態として、どんなふうにコーディネートしているというか、コラボレーションしているのですか。
○橋本参考人 私はドナーリクルート活動で財団を支援するというよりも、患者の親を経験したものですから、移植を受ける患者さんたちの思いを受けとめて、よりよい闘病生活をしていただくための支援をしております。ですので、骨髄移植推進財団の理事として日本骨髄バンクに関わっているわけですが、その立場から、ドナーリクルートに関しては広報部を通して頑張ってもらうように働きかけています。また、日本骨髄バンクに私がしている協力の1つは、御質問とは少し離れるかもしれませんが、財団で理事同士の議論等があるときに、「今の理事さんの台詞は患者の立場からするとちょっと理解ができないと思います」とか、「その表現は患者層には誤解が生じやすいかもしれません」というような視点を提供しております。
○小澤委員長 ほかには何か御意見ありますか。よろしいですか。
 橋本さんたち一般の方がこんなに大きな活動をされてこられたわけですけれども、これから国としてさらに何ができるかということをまた皆さんに議論していただけたらと思います。どうもありがとうございました。
○橋本参考人 どうぞよろしくお願いします。
○小澤委員長 続きまして、特定非営利活動法人さい帯血国際患者支援の会の有田様の御意見をお伺いしたいと思います。やはり15分から20分程度でよろしくお願いいたします。
○有田参考人 有田美智世です。委員の皆様、厚労省の皆様、どうもお疲れさまです。よろしくお願いいたします。
 臍帯血は命のお母さん。赤ちゃんは、十月十日、お母さんのおなかの中で大きくなって生まれてきます。そして、その成長を助けた臍帯血という赤ちゃんが生まれた後、捨てられていた血液が、骨髄液と同じように白血病などの患者さんの命を救う医療の材料になるというところから、私はさい帯血バンクを早く日本につくろうという運動をおこしました。「さい帯血」という冠をつけた活動を20年近くやってきております。
 きょう、臍帯血移植を受けた元患者さんが一緒に来て話してくださる予定で、私は話す予定ではありませんでした。きょうの朝の5時に、「ちょっと熱っぽくて、雪がすごく深くて、気をつけなきゃいけないので、行けない」という連絡をもらい、慌てて患者さんにお手紙を書いていただき、お預かりして参りました。私は、今日、東京へ来てから急いで説明資料をつくりました。準備が充分ではありませんが、説明させていただきます。
(スライド)
 患者はこの方です。今、63歳と言っていたので、10年前、53歳のときに移植を受けました。お手紙を配らせていただいていますので、読ませていただきます。
 『2000年9月におなかにしこりがあるのに気づき、地元の総合病院で診てもらうと、血液がんの一種である「悪性リンパ腫」という病名を告げられました。翌月に入院し、主に点滴で抗がん剤治療を受けました。症状が改善したため3カ月で退院。しかし、3カ月後、再び腫瘍が肺や尿管に見つかり、再入院。今度は放射線治療を受けました。が、これも退院後の2001年7月、耳の周囲や首、両脇に米粒大のしこりができ、週ごとに大きくなりました。このことで治療の選択肢が狭まり、試験的に2カ月間、全身に放射線を当てたりしましたが、2002年秋、肺に水がたまるがん性胸水になりました。
 3度目の再発で、担当医から「もうこれ以上の治療はないから」とホスピスの病院を紹介されました。「放射線科でだめなら、血液内科のある神戸医大に紹介状を書いてほしい」と頼みましたが、「病状からして受け入れてはくれないだろうから」と、話は平行線で、書いてはくれませんでした。
 治療のすべもないのかと暗たんたる思いで、本当にあの時のことを思い出すたびに言葉にならない悲しみとつらさがよみがえります。
 たまたま友人が心配して電話をくれ、事情を告げると、「一度、有田さんに電話をして相談してみたら」と言って、有田さんの電話番号を教えてくれました。わらをもつかむ思いで有田さんにお電話しますと、「相談できるお医者様を紹介するから」と言ってくださいました。そのときの言葉の温かさは今でも忘れることはありません。
 相談をしたお医者様に「神戸大学附属病院の血液内科で診てもらいたいが、紹介状も何もない」旨を伝えると、「飛び込みでいいから行ってみなさい」と言って背中を押してくださり、翌日早速行きました。
 結局、検査の結果、治療できないとのことで、「兵庫医大へ一度行ってみなさい」と紹介されました。しかし、ここでも治療は無理という結果でした。この兵庫医大の結果をもう一度神戸医大の先生に報告がてら相談に行くと、「これまで再発を繰り返し、全身の状態も悪いので移植できない。ただ、一方で、これまでに抗がん剤治療を一度しか受けていないので、もう一度試してみて、体の調子がよければ移植できるかもしれない」と。この言葉に望みを託して再び抗がん剤治療をすると、腫瘍が小さくなり、移植が可能になりました。
 私の場合、自分の造血幹細胞採取を3度試みましたが、採れず、骨髄移植も、姉との白血球の型が合いませんでした。結果、さい帯血移植しかないということで、2003年7月に受け、2009年に完治をいただきました。思えば約9年間の闘病でしたが、何の医学の知識も持たない私が、なすすべもなく立ち尽くしていたあのとき、有田さんからのアドバイスがなかったら、今の私はこの世にいないはずです。
 「生かされた私にできることがあるならば」との思いで、新聞やテレビで闘病を語ったことで、治療に行き詰まった患者さんからちょくちょく相談を受ける機会がありました。皆さんには有田さんを紹介して、相談に乗っていただいております。』
 きょう、ここで私がお話ししたいことは、この真鍋さんのときには、臍帯血の移植というのは、第一選択肢ではなくて、治療法がないという患者さんが一か八かで選んだ医療だったと思います。そして、真鍋さんのような患者は、臍帯血移植を主治医だけでは決められなくて、ネットワークの委員会のほうに話が上がってきて、そこで委員の人たちがこの人は臍帯血移植をやっていいかどうかというのを決めていた。そういう状況のときでした。その中でも、こうして元気に社会復帰されている成人の患者がいます。当初は子供の移植だけと言われて始まった臍帯血移植でしたが、この当時からも成人の患者が助かってきております。
 そのときの状況と、私のところに来る患者相談というのは今もあまり変わっていないということをきょうはお話をさせていただいて、この法の施行のときに何かお知恵を出していただきたい。というお願いをまず1ついたします。
(スライド)
 これが前回の委員会のときに配られた移植学会から出された成績です。私のボランティア仲間がこれを見て、「えっ、こんなもの?」と声を上げました。多分、「成績が悪いじゃないの」ということを言いたかったのだと思います。しかし、私は現場の医師たちに心から感謝をしております。骨髄移植も臍帯血移植も最初はゼロからの出発でした。法律をつくる過程で、私たち法律を求める者たちが心を1つにして、力を合わせて政治にお願いをしました。その中で、骨髄移植推進財団の前会長の正岡先生が「やってもやっても成功できなくてつらかった」ということをしみじみと語っておられました。臍帯血も最初はなかなか成績が上がらないという中で進められてきました。その中で、これほど成績が上がってきたというのはすばらしいことです。これは骨髄バンクの設立運動で橋本明子さんの応援に入ったときから思っていたのですけれども、日本の医療者、研究者は、環境が整えられれば、いつだって世界一になれる。私は民族主義者ではないですけれども、日本の医療者や研究者はすばらしいと思っております。
 血液疾患の医療の現場を二十数年見てきました。当初は、アメリカが先行していました。アメリカを学べ、追い越せと思いました。そして、医療の現場はすぐに追い越してくれました。臍帯血移植術への医療保険の適用、さい帯血バンクの設立のころは、確かにアメリカが先行していましたが、これもすぐに追い越してくれました。今、アメリカでさい帯血バンクを仕切っているルービンシュタインという研究者からは、「日本のさい帯血バンクの仕組みを世界が目標にしているから、これは守ってくれ」と言われたことがあります。法の支援のない中で医療もバンク事業もこれほどの成績を出してくれたのです。特に臍帯血移植は、骨髄移植よりも当然、当初の成績は低かったけれども、年月を重ねるとともに徐々に成績が上がって、骨髄移植の数、成績と肩を並べるようになりました。患者の救命率がもっと上がっていくよう法の施行が役に立つようにと期待をしております。
(スライド)
 骨髄バンクからさい帯血バンクへ。これは、骨髄バンクが悪いということを言っているのではありません。橋本さんがおっしゃった「骨髄のドナーを求めるところが、とても大変だ」という言葉。私は、骨髄バンク推進の活動に参加した二十数年前から骨髄ドナーリクルートは、これは大変だというふうに思っておりました。当時、私は、赤十字の適合血小板のドナーでした。当時は、自分のHLAのタイプのカードを持っていましたので、橋本さん主催の集まりに行くと患者が集まってきますので、「私のHLAタイプに合う人がいたら誰にでも骨髄液をあげるよ」という形で、応援に入っていきました。「○○ちゃんを救おう」「○○ちゃんのために」という支援運動がいかにむだなと言ったら語弊がありますけれども、善意がそのときそのときで消えていく。どなたにでも骨髄液を提供しますという人たちが集まれば、そうしたら、それがバンクという形になるのではないかと思いました。
 患者や医療者や関係者は、黙っていても運動、活動をします。私は、全くの第三者として、献血推進運動から得た経験から、白血病とは全く関係のない人たち、白血病という言葉が頭のどこにもひっかかっていないような人たちに話をして、理解してもらって、こっちを向いてもらって、一緒に支援として動こう、そういうような活動ができないかと思いました。そして、まず、窓口がなかった厚生省に窓口をつくろうというところから、骨髄バンク設立の運動を、患者当事者からちょっと離れた視点で動きました。
 1991年12月に骨髄バンクが立ち上がりましたが、私はそのときは、「骨髄移植とはちがう他のものを準備しないと、骨髄バンクは大変だぞ」と思っていました。患者にもドナーにもやさしいもっとほかの医療材料を準備しておかないと、骨髄バンクができても骨髄液を得るために患者さんはいつかパニックになる時がくるのではないかと思っていました。そこで世界の事情を探る中で出会ったのが臍帯血でした。
 当時、臍帯血移植の対象は2歳ぐらいという話だったのですが、子供だけから始めてもいいではないかという思いから、さい帯血バンクの設立運動というのを1992年2月から始めております。
(スライド)
 さい帯血バンク設立を訴えても訴えても誰も相手にしてくれない。アメリカからの情報はどんどん入ってきますので、とにかく自分で動くことにしました。1996年、97年に、アメリカのさい帯血バンクを視察に行くお医者さんたちについて見に行きました。そして、アメリカは確かに先行してきちっとやっているので、日本でもこれはいつか認められる。これはできるという自信を持って、1997年の夏、厚労省にぶつけるという活動を始めました。
 実は、1996年に、臍帯血移植術への医療保険を求めていたのですけれども、医療保険適用の仕組みがわからないので、時期的に間に合いませんでした。1998年の医療保険の改定のときに間に合わせようと思ったのです。98年に医療保険の適用をしていただきました。署名運動や市民運動を盛り上げた形で、政治などの協力をいただいてそれが1999年の公的さい帯血バンクの設立ということに至ったのです。
(スライド)
 臍帯血とは、皆さんもう御存じですけれども、赤ちゃんが生まれた後捨てられていた胎盤とへその緒の血液のことです。母子がへその緒を切って、離れてから、胎盤がおなかの外に出る10分から30分の間に臍帯血を採取します。そこからもろもろの工程に入っていくのですけれども、その臍帯血を一ヶ所にプールし、医療の要請に備え、供給する。それがさい帯血バンクです。
(スライド)
 白血病とは血液のがんで、これらの病気があります。これは私が講演のときに話している資料なのです。
(スライド)
 移植術への医療保険適用。公的バンクを設立しても埋められない現実があります。一般の医療として認められない現実。昨年の3月までは、臍帯血移植の病院へ入る医療保険のお金は、骨髄移植の半分というような状況の中で、病院から移植医たちに「臍帯血移植をするな」とか、患者に臍帯血の説明をしないようにとかいう指示を出すという大変なことが医療現場には実は起こっていました。昨年の4月に骨髄移植とほぼ同じお金の流れる状況にしていただいたので、臍帯血移植はもっともっと進んでいくだろうなと言ったのは、そういうこともあります。
 それから、患者の居住格差や医療施設の技術格差というのは絶対にあります。言わせてもらえば医者の腕の差ということですね。医者を選ぶことによって患者の命が左右されるということは、真鍋さんの例ではありませんけれども、確実にあります。私は、橋本さんのように、訓練を受けたきちっとした患者相談窓口ではなくて、やむにやまれないという、ただ長いこと支援運動に参加している、普通の人よりはちょっとだけ知っているよ。ということで相談を受けて、ただ患者と一緒に泣いたり笑ったり怒ったりしながら、「治らない、死のための医療を受けるのではなくて、生きるための医療を受ける、そういうことを考えようよ」と。「この人を助けてくれる先生はどこかにいないの?」「先生、助けてよ」「いや、僕のところはだめだ」「じゃあ、先生、誰がいる?」みたいな、ぶっつけ本番の患者相談を今はやっています。ですから、法律が欲しかった。私のようなやむにやまれぬ相談窓口が早くなくなればいい。患者が、家族が、データを見て選べるような仕組みづくりができなければ、患者は住んでいるところ、病院選びの間違いで、助かる命も助からない。「白血病は治る」ということを私たちは大きな声で言えない。だから、大きな声で言えるような仕組みをこの法の整備の中でやっていただきたいというお願いが1つです。
(スライド)
 そうこういう事情の中で、法の制定の時期を勝手に定め、2008年8月1日にNPO法人のこの会を設立しました。1つは、法律はできるということを仮定して、であるならば、私たちの活動の本体は患者直接支援、そして医療現場の支援。この業界の一番外側から見ていて、何かできることはないかな、私たちが動くことで良い結果が生まれたら私たちはうれしいな。と思うのです。なぜなら、今は目の前の患者の応援だけれども、あしたは、1年後は、それは自分であるかもしれない。今日、私のボランティア仲間が13人傍聴参加していますけれども、そういう思いでこの臍帯血の支援活動をしています。それは、今、目の前のことが改善されることによって、将来医療を受ける私たちは、自分たちがお手伝いしたこのことで、今の患者よりもっといい状況の中で医療が受けられる。だから、今は誰かのためだけれども、将来は自分のためということです。
 私たちのNPOには、ほかのがん経験者はいますけれども、血液のがんの関係者というのはほとんどいないのです。ですから、この造血幹細胞移植というのは、全くの健康な人からの細胞提供で始まる医療ですので、健康な人たちに関心を持っていただかなければいけない。であるならば、繰り返しますが、関心のない人たちに訴えて、興味を持ってもらって、理解してもらって、そして同じ方向を向いて、できたら支援活動までいってくれたらいいなと願い、そういう仲間づくりをしています。
 そして、2008年8月1日のNPO設立のときには、5年後、必ず法律を成立させるという前提のもとに、2013年、今年の8月から逆算して、今年は選挙がある。ここに何かの形でぶつけて、必ず法律はつくるという覚悟でした。片方の柱は患者支援、片方の柱は法律の設立ということで動いてきました。それをやっている中で、臍帯血だけ先にいってしまおう、臍帯血移植だけ先に法律をつくったほうがつくりやすいだろう。制定されたら、こんなにいいから、骨髄移植もつくったほうがいいよと勧めてあげよう。そういう形で勧めようと思いました。進めていくうちに、両方の移植を同時に進めたほうがいいね。患者さんが同じなんだからと、関係者が思うようになり、1つの大きな傘の中に2つ。末梢血も入れて3つ。そういう形で、力を合わせようよ。という気運が盛り上がってきて、計画よりも1年早く、昨年の9月に法律ができ上がったということです。
 私たちのNPOには、500人ぐらいの会員がいるのですけれども、この会をつくったときの予定は、1,000人の仲間を作って、自分たちでお金も出して活動もする。血液の患者とは関係ない本当に一般の人たちで仲間をつくって、厚労省と対決していこうという計画でした。ところが、関係者が1つになったということで、政治が受け止めてくれて、政治家全員が賛成した議員立法の法律ができたというのは本当にうれしいことでした。議員全員が賛成したということが、この法律の施行に当たってこれからじわじわといい形の影響が出てくるのだなと思って、私たちは本当にわくわくしています。審議会委員の皆さん方の御議論、それから、どういう御判断をするのかというところを、しっかり聞かせていただきたいと思います。きょうはヒアリングをされていますけれども、私たちがヒアリングをするつもりで、傍聴の席から参加させていただきながら聞かせていただきたい。そして、私たちの患者支援活動の参考にさせていただきたいなと思っております。
○小澤委員長 持ち時間をもう過ぎていますので、簡単にお願いします。
○有田参考人 ありがとうございます。では、あとはもう切ります。
 言いたかったのは、今の患者も10年前の患者さんも同じような事で苦しんでいる。そこのところを改善してほしいということと、せっかくできた「患者のための」という言葉がついている法律を、患者のために施行してほしいということです。
 ありがとうございました。
○小澤委員長 せっかくですから、ざっとスライドを流していただいても。
○有田参考人 いいです、いいです。それでは、せっかくですから簡単に続けます。ありがとうございます。
(スライド)
 これは、頑張っている医師たちをお金で応援しようということで、私たちがお金を集めさせていただいて、一番最初に東京大学医科学研究所の高橋聡先生に感謝奨励金というのを贈呈いたしました。今は、移植学会を通じて若い先生たちにこういう奨励金で応援をさせていただたいております。
(スライド)
 これは、それこそ、元気になった患者さんたち。公開していいというので出させていただきました。
(スライド)
 これが法制化に向けて、2011年5月25日に政治に持っていって、2012年9月6日に成立したという写真です。日本赤十字社血液センターの神前先生も、日本さい帯血バンクネットワーク前会長で参加学会代表の中林先生も一緒に写っていますけれども、私たちボランティアもみんなが一緒になって法律をつくろうと力を合わせました。
(スライド)
 iPS細胞研究も、将来は臍帯血の造血幹細胞が活用される新しい医療になるので、既得権に縛られることなく、ぜひそういう新しい研究にも皆さん応援してくださいという意味でこの資料を提出しました。
(スライド)
 これは、議員さんたちに訴えて予算をつけていただいた。いう話をしたかったのですが、省きます。とにかくみんなが力を合わせていけば医療も研究もよくなるように、応援してもらえるよ。臍帯血というのはすばらしい医療の材料なので、どうかいい活用をしていただきますように。とお願いして終わります。
 ありがとうございました。
○小澤委員長 ありがとうございました。
 それでは、委員の先生方から何か御意見、質問、コメント、いかがでしょうか。
 どうぞ、今村委員。
○今村委員 国の責務としていろいろな支援をしていかなければならない。特にこの造血幹細胞、あるいは臍帯血につきましては、その有効性と安全性がエビデンスとして相当確立されたものがあるということで、非常に積極的な支援というものが必要だろうと思って聞かせていただきました。
 ただ、この中で浅野委員が指摘されましたけれども、血液がん、あるいは白血病などに特化された問題というか、その患者さんだけをサポートするというのは、公平性、平等性の点から問題があるというのも、なるほどそうだと思います。
 そこで、ドナーの健康被害について最初の方がおっしゃいましたけれども、ドナーにしろ、レシピエントにしろ、健康被害をきちっと救済するという制度は国が責任を持ってやらなければいけないことだろうと思って聞きました。その支援というのはきちっとやっていっていただきたいなと。
 それから、法律の中身まで知らなくて申しわけなかったのですけれども、例えば、臓器移植法の中では臓器の売買の禁止というのがきちっとうたわれております。刑事罰を科せられるようになっていますけれども、この臍帯血、あるいは造血幹細胞の場合のそういうふうな取引とかなんとかについてはどういうふうになっているのでしょうか。
○小澤委員長 その辺の問題をクリアするためにもこの法整備が行われる形になっているかなと思いますけれども、事務方から何か御意見ありますか。
○間臓器移植対策室長 この造血幹細胞移植法の中には、直接的な形での売買禁止というのはありませんけれども、国会議員の先生方の御議論を伺っていますと、今、日本がそうなっているわけですが、ドナーさんと患者さんが接触することによって、本当はお互いに知ったほうがいいという御意見もあるのですけれども、それが何らかの経済的な利益をやりとりするようなことになると非常に残念な疑念を招くような形になるので、そういうことにならないような措置を、特に骨髄バンクの場合が典型なのですけれども、そういう措置をとっていかなくてはいけないということをこの骨髄バンクの許可要件の中でも考えていこうではないか、そういうことを考えてくれということを私どもは求められています。ですから、思想としては、そのような売買禁止といいましょうか、そういうものをすべきではないという考え方が盛り込まれているというふうに理解しています。
○今村委員 経済的な損失、あるいは利益の獲得というようなものがあると、医療自体が非常に不純なものになってくるので、そこは制度としてもぜひしっかりしたものをつくっていただきたいと思います。
○小澤委員長 例えばさい帯血バンクなどについても、施設認定のような形でいろいろな縛りが出てくるかなと思います。
○今村委員 そのほうがよろしいと思います。
○小澤委員長 ほかに何か御意見は。
 どうぞ、野村委員。
○野村委員 済みません。私、専門家ではないのですけれども。
 患者さんへの情報提供や移植後の患者さんの生活支援について関心がありながら、自分の関心の中できょうヒアリングを聞かせていただくと、やはりそのようなところに皆さん不安を感じていらっしゃるところがあるなというふうに実感したのです。私が不勉強であれなのですけれども、「適切な提供の推進に関する法律」をいろいろ必死で見ていると、円滑かつ適正な実施がされていけば、今の患者さんたちのそういった不安というのは消えていくのかもしれないのですけれども、直接的に患者さんの権利擁護のような形の文言というのが余り見つからないなと思いながら、法律を読んだり、私たちのほうの議論スケジュールを読んでいても、それに直接的に触れるような議論テーマが見当たらないなと思ってはいたのです。「第3 基本方針」「厚生労働大臣は」というところで私たちが議論していく中の「適切な提供の推進を図るための基本方針」の中に、患者さんの権利擁護の視点ということや、第4の(3)には「健康等の状況の把握及び分析の取組を支援」というような表現はされていますけれども、研究対象というよりは、支援のような視点での何かを盛り込んでいけたらと私は考えているのですけれども、難しいのかな、どうなのですか。そういった基本方針に何とか入れていくことができないかなと思っています。
 意見としてです。
○小澤委員長 ほかには何か。
○岡本委員 今日のヒアリングの中で、3団体の方々からいろいろな御要望が出てきたと思います。これからそれをどういうふうに議論していくかということになると思うのですが、僕が一番大切だなと思ったのは情報ということですね。みんなが必要な情報、その情報がアウト・オブ・デイト、つまり情報が時間とともにその価値が変わってくるわけです。それをタイムリーな情報として共有できる、そういった情報の強化、質の担保と提供ということを枠組みの中でしっかりやっていくことが1つの大きなメッセージかなと思いました。
 それから、2番目に、野村さんがお話しされた海外とのということです。もちろん海外は移植が先行していたのですけれども、有田さんがおっしゃったように、日本は海外を凌駕したと思います。それは、医療の質、確かに医者によって質が違うかと思いますけれども、アメリカなどに比べると数段いい医療体制になっていると思います。アメリカなどの医者の考え方は「自分の患者=役割分担」という考え方ですから、センター化も簡単です。米国の医療と背景・文化が異なることも理解をしなくてはいけないと思うのです。
 そういったことから考えると、C.W.ビルヤング法は1つの大きなモデルとなると思いますし、私たちの中で考えていく法律を施行する中でのモデルとしては重要かと思うのです。この間も私は発言をしたのですが、皆さんボランティア、医者も一応ボランティアというところが結構多いのですね。会議に出席するのに、何もなくて出てきて、何も報酬もない。しかも、それで真面目に仕事をしている国というのはほかにないと思います。そういう皆さんのボランティアに支えられてきた形で今ここにきているものを急に大きく変えるということではなくて、それを1つのモデルとして、将来そこに行くとしても、足場を急に大きく変えるのではなくて、ボランティア精神でやってきたものをしっかり法律の中で裏打ちをしていってという議論をここで進めていくのが多分必要なのかなと考えました。
 コメントです。
○小澤委員長 ありがとうございました。
 既にだんだんよくなってきているわけですけれども、今回の移植法でさらによくするときに、うまくスムーズに移行していけるような形ということでしょうか。また、情報の話は、患者さん向けの情報とドクターサイド向けの情報と両方必要かなと思います。
 そのほか有田さんに。
○張替委員 有田さんへの質問ではないのですけれども。皆様方のボランティア活動に敬意を表します。
 患者さん負担というのはかなりのウエートがあったと思うのですけれども、先行している他の臓器移植での患者さん負担というのはどのぐらいあるのかちょっとわからないので、その辺の情報もいただければなとちょっと思いました。
○間臓器移植対策室長 臓器移植におきましては、そういうドナーさんの関係のコーディネート費用の一部として1移植当たり10万円を頂戴するという仕組みになっています。それを受け取るのは臓器移植ネットワークでございます。
○小澤委員長 よろしいですか。
 ほかには。
 ちょっと質問ですけれども、さい帯血国際患者支援の会、「国際」というのがついているのは具体的にはどういうことを目的としているのですか。
○有田参考人 日本の医療というのはすばらしい医療なので、私たち、お金を預からせていただいて患者直接支援というのをやっておりますので、行く行くはアジアの患者さんたちに来ていただくか、医療の輸出か、わかりませんけれども、そういう形でお手伝いできるときが来たらいいなというような、それぐらいの気持ちです。
○小澤委員長 この臍帯血移植は、先ほども岡本委員からお話がありましたけれども、欧米をしのぐ勢いで行われていますので、日本が世界に貢献できるところも出てくるかなと思います。
 よろしいですか。
 それでは、どうもありがとうございました。
○有田参考人 ありがとうございました。
○小澤委員長 本日は、患者さん側からの御意見を3つの団体から伺いました。次回は、骨髄移植推進財団、日本さい帯血バンクネットワーク、日本赤十字社、日本造血細胞移植学会の4団体からのヒアリングを行う予定であります。
 ほぼこれで時間になりましたけれども、最後に事務局から連絡をお願いいたします。
○西脇室長補佐 本日は、活発な御議論をいただきありがとうございました。また、参考人として御参加いただきました4名の皆様、貴重な御意見をいただきましてありがとうございました。
 次回、法施行に向けた議論の第3回目は、来週、平成25年2月4日16時からを予定しております。先生方におかれましては、お忙しいところ恐縮ではございますが、日程の確保に御協力いただきますようよろしくお願いいたします。
 なお、3月の開催予定につきましては、先生方に御予定をお伺いいたしまして、3月15日金曜日の午前10時からの予定で考えております。正式には後日御案内申し上げます。
 あわせまして、4月、5月、6月の御予定につきましても、別途、事務局よりお問い合わせさせていただきます。御回答のほうをよろしくお願いいたします。
 なお、机上のファイルにつきましては、各委員の専用とし、次回以降も使用しますので、会議終了後、机の上に残していただきますようお願いいたします。
 以上です。
○小澤委員長 ありがとうございました。
 それでは、本日の会議を終了します。どうもありがとうございました。


(了)
<<照会先>>

厚生労働省健康局疾病対策課臓器移植対策室

代表 : 03(5253)1111
内線 : 2362 ・ 2363

ホーム> 政策について> 審議会・研究会等> 厚生科学審議会(疾病対策部会造血幹細胞移植委員会)> 第35回厚生科学審議会疾病対策部会造血幹細胞移植委員会議事録

ページの先頭へ戻る