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2012年4月27日 第3回医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会

医政局総務課医療安全推進室

○日時

平成24年4月27日(金)


○場所

厚生労働省 専用第18・19・20会議室


○出席者

会議メンバー(五十音順)

有賀徹 (昭和大学病院病院長)
鮎澤純子 (九州大学大学院医学研究院准教授)
岩井宜子 (専修大学法科大学院名誉教授)
加藤良夫 (栄法律事務所弁護士)
高杉敬久 (日本医師会常任理事)
豊田郁子 (新葛飾病院セーフティーマネージャー)
中澤堅次 (秋田労災病院第二内科部長)
樋口範雄 (東京大学大学院法学政治学研究科教授)
本田麻由美 (読売新聞社会保障部記者)
松月みどり (日本看護協会常任理事)
宮澤潤 (宮澤潤法律事務所弁護士)
山口徹 (虎の門病院病院長)
山本和彦 (一橋大学大学院法学研究科教授)

参考人

永井裕之 (患者の視点で医療安全を考える連絡協議会代表)

オブザーバー

警察庁
法務省
文部科学省
消費者庁
一般社団法人日本医療安全調査機構

厚生労働省

藤田一枝 (厚生労働大臣政務官)
大谷泰夫 (医政局長)
池永敏康 (医政局総務課長)
田原克志 (医政局医事課長)
宮本哲也 (医政局総務課医療安全推進室長)
川嵜貴之 (医政局総務課医療安全推進室長補佐)

○議題

(1)ヒアリング
(2)調査を行う目的について
(3)その他

○配布資料

資料1第2回医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会議事録
資料2医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会第二回検討部会で示された検討事項に関する意見(中澤構成員提出資料)
資料3「医療版事故調査機関の早期設立」〜医療事故の原因究明をして、再発防止を図り、医療事故にあった患者や家族に公正な対応〜(患者の視点で医療安全を考える連絡協議会提出資料)
資料4安全な医療を求めてー患者側弁護士の立場からー (加藤構成員提出資料)
資料5医療事故調査機関の存在意義(樋口構成員提出資料)
資料6医療事故に関する軽過失の取扱に関するメモ(宮澤構成員提出資料)
資料7医療事故に係る調査の目的等に関する構成員の意見
資料8医療事故に係る調査を行う目的について
参考資料今後の検討方針について

○議事

○医療安全推進室長補佐
 定刻になりましたので、ただいまから第3回「医療事故に係る調査の仕組み等のあり方に関する検討部会」を開催いたします。
 本日は御多用の中、当検討部会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。
 本日は、飯田構成員、里見構成員、山口育子構成員より御欠席との御連絡をいただいております。
あと樋口構成員、豊田構成員は少し遅れるとのことです。
 また、本日は参考人といたしまして「患者の視点で医療安全を考える連絡協議会」から永井代表に御出席いただいております。
 それでは、以降の進行につきましては、山本座長にお願いいたします。
 山本座長、よろしくお願いいたします。

○山本座長
 本日はお集まりをいただきまして、ありがとうございます。
 まず初めに、藤田大臣政務官からごあいさつをお願いいたします。
よろしくお願いいたします。

○藤田政務官
 皆様こんにちは。政務官の藤田でございます。本日は連休の前の何かと御多用な中に御出席をいただきまして、本当にありがとうございました。
 当部会も2月から検討を開始をしたところでございますけれども、第1回目は検討部会の今後の方針について、2回目は日本医師会など関係団体が御提言をされている医療事故の調査の仕組み等について、御説明や御議論をいただいてきたところでございます。
今日は3回目ということになったわけでございますけれども、患者の方々の御意見や法曹界の方々の御意見など、5名の方々からお話を伺いますとともに、改めて調査を行う目的について御議論をいただくこととなっております。
 この間も構成員の皆様からは熱心な御議論や御意見をいただいてきたところではございますけれども、本日も限られた時間ではございますが、活発な御議論をお願いを申し上げ、ごあいさつとさせていただきたいと思います。
 本日もどうぞよろしくお願い申し上げます。

○山本座長
 どうもありがとうございました。
 それでは、カメラ撮りはここまでとさせていただきたいと思います。
 まず、本日の資料の確認を事務局の方からお願いをいたします。

○医療安全推進室長補佐
 それでは、お手元の資料の確認をお願いいたします。
 議事次第、座席表、配付資料といたしまして、資料1は前回の検討部会の議事録でございます。
 資料2〜6までは、本日ヒアリングをする構成員から提出があった資料でございます。
 続いて、最後の方になりますけれども、資料7が前回も参考資料として提出いたしました「医療事故に係る調査の目的等に関する構成員の意見」ということで、ホチキスどめの資料でございます。
 最後に1枚紙、資料8「医療事故に係る調査を行う目的について」。
 一番最後、参考資料としまして「今後の検討方針について」。
 以上でございます。乱丁、落丁等がございます場合は事務局にお申しつけください。
 資料の確認はよろしいでしょうか。ありがとうございました。

○山本座長
 よろしゅうございましょうか。
 それでは、議事の中身に入らせていただきたいと思います。
 まず、議題1のヒアリングであります。
本日は、前回患者側の皆さん、あるいは法曹関係の方々からもお話をお伺いするのが望ましいという御意見があったことを踏まえまして、特に御発言の希望のあった構成員を含めて、5人の方からお話を伺うことになっております。
 進め方でありますけれども、時間の関係で恐縮ですが、まずは5人の方に、それぞれ大体10分程度ずつを目途としてお話を伺って、その後まとめて質問あるいは意見交換の時間をとらせていただきたいと思っております。
 まず初めに、資料2に基づきまして、秋田労災病院第二内科部長の中澤構成員から御説明をお願いいたします。
よろしくお願いいたします。

○中澤構成員
 それでは、意見を述べさせていただきます。
 院内調査に重点を置くということは前回意見の一致が見られたと思いますが、第三者機関については、院内調査の特質を議論してからと思い、院内調査を主体とした事故の対応について、前任の済生会宇都宮病院においての経験をお話ししながら述べさせていただきたいと思います。その前に医療の実情を少し話させていただき、御理解を得たいと思います。
 まず、医療事故の背景についてです。
 死亡について。ほとんどの死に医療は関係があるように言われますが、実際に医療が関係する死亡は病気による死亡に限られます。そのほかに自然死、災害死、犯罪死がありますが、これらの死には医療は直接関係はありません。制度は医師が犯す殺人も想定して議論されていますが、これは犯罪であり、制度の目的に取り上げる意味はありません。
 日本の検死は医師により行われますが、アメリカでは専門の検死官が行い、犯罪死かどうかを判定する役割を担っています。医師法第21条は検死の問題で、法医学も医療事故もなかった時代に、解剖を勉強しているから医師の役割と決められたものと思います。検死のためにつくられた法律を医療事故死に適用したので、医療事故と犯罪の混同が国民の間にでき上がってしまいました。異常な事態と私は考えております。
2ページの図をごらんください。済生会宇都宮病院の入院者の年齢を調べると、入院が最も多いのは50歳以後70歳後半です。以後、急激に減少するのは死亡する人が多くなるからで、大きな山は老化による病気の入院と考えられます。そのほかゼロ歳児とその母親の世代に小さい山を認めます。つまり小児と婦人科を除けばほとんどの疾患は老化と関係し、医療は出生、出産、老化、死亡という逆らえない人生の危機に対応しています。
 言わば医療は年齢と闘っているようなもので、最終的には死が支配する領域に医療が手を出しているということになります。飛行機に例えれば、落ちそうになっているところに介入し、墜落を防ごうとしているようなもので、起死回生のヒットもありますが、打率はそんなに高いものではありません。死がもたらされるごとにミスを疑われ、第三者の詮議を受ける制度は、善意の医療者にはつらいことです。
 2ページですが、人体は皮膚に覆われ感染から守られており、手術や注射は皮膚を切開するので、それだけでも感染の危険を伴います。病気は体内で起き、外から見ることはできず、皮膚を開けても病変は脂肪に埋没して手に取るようには見えません。外科の手術は手探り状態で、完全な安全はありません。危険で不確実な医療でも助かる見込みがあればと、危険を覚悟で希望する人がいて、その希望に添おうとする医師もいます。部品交換ややり直しができない人体では悪い結果は必ずあるものというのが実感です。
 テレビのアナウンサーもニュースの中で言い間違いをします。同じ人間でも、命に関係する職業を持てば業務上過失が問われ、危険のない職場で働く人は過失を法的に問われることはありません。医療では貴重な人命と誤りを犯す人間との間にミスマッチがあり、たまたまタイミングが合えばいつでも医療事故は起きると、現場にいる医師は感じております。
 見えないところに潜む危険は遭遇して初めて気がつくもの、技術の進歩が加わるごとに落とし穴をつぶしながら医療は発展してきました。それでもいつかは自分自身が予期せぬ事故に遭遇し、思いとは逆に犯罪者として扱われ、償いを要求される。追いつめられれば現場から逃避することをとめることはできません。医師不足の中で、外科などの分野で医師がいなくなる事態は既に起きております。
 努力を重ねても事故は必ず起きるという前提で考えると、医療事故が起きた場合、被害者への対応が最も重要と私は考えています。初期の対応で何とか被害を最小限にとどめることもありますが、亡くなった場合でもあらゆる手段はここに集中されるべきと思います。医療機関としてできることは、損害の賠償や医療事故後の医療提供、謝罪などですが、いずれも限界があり、遺族に完璧な満足が得られるはずはありません。せめて院内調査を精緻に行い、事故の全容を理解していただき、過失があれば償いをして納得を得るしか方法はなく、院内調査はそのためにも重要です。
 事故の当事者しか知りえない情報は、裁判官の心証と同じで相手によく伝わります。院内調査は最も身近に真相を探ることができ、経過を知っている当事者が現場にいます。高度に専門的な問題が絡む場合は第三者の見解が必要ですが、この場合、疾患の経験を集積している臨床の専門家が力になります。ピンポイントで調査に協力する学会などの専門家組織には既に実績があり、現場の問題解決に必要な第三者機関の1つです。
 精緻な精査は、事故の全容を明らかにし、賠償額を決めるのにも役立ちます。弁護士が間に入り、被害者の意見も聞き、後遺症なども含めて、過去の事例に基づいて賠償額が決まります。後遺症の診療に医療機関が引き続いて責任を持つこともあります。詳しい事情をお話しするだけでやむを得ない事情を理解していただくこともあり、断ち切れそうな信頼関係の中でも、訴訟に比べれば納得いく解決が得られます。
 ここでの問題は、医療機関の過失が証明できない場合です。ワクチンでまれに起きる死亡、造影剤のショック死などがこれで、今まではしっかりとした救済の方法がなく、被害を受けた人は泣き寝入りでした。この部分にこそ無過失補償制度が必要で、私たちは切望している制度です。予防接種には既に損害の補償に実績があり、支給するかしないかを決める第三者のシステムも存在します。それは誤りを判定する機関ではなく、不合理な請求の有無を調べる機関になり、厳密な調査の必要はありません。場合によっては多数決で決めてもよいレベルと思います。
 欧米における無過失補償制度を所管する第三者は、過失・無過失を判定する機関ではなく、補償の可否を決める機関であり、それ以外の機能はあっても、それには興味のない人たちが選ばれているのではないかと思います。第三者機関を考える上で重要な視点だと思います。
 次に行うべきことは再発防止です。
 被害者宅にお詫びに行ったときに必ず要望されることで、再発防止に思いを託すしかない切ないお気持ちは身にしみますが、再発防止を誓いながら、避けようがない事故はまた起きるとの思いは消えません。
 再発防止は普通幾つもの要因を考え、その中から本当の原因を引き出し、システムに反映させることが行われます。調査の目的はシステムの不備を監査し、責任を問うのではなく、事故の起きた筋道を調査し、原因を避けてシステムをつくり変えることを意味します。複数の要因があり、どちらかに決められなくても、予防システムはつくることはできますが、責任追及や処分が目的になると、調査のやり方が個人対象になるので、システム化はできません。
 誤りに学ぶというやり方は医療の進歩に欠かせない方法です。予測されるリスクを上げ、認識に誤りがあれば指摘し、議論が行われます。死亡症例検討会は何で死亡したかに議論が集中し、再現することができない死亡例の検討が行われます。すべては仮定の世界の議論で証拠はないのですが、良心的な医師ほど自分に厳しく反省を口にする傾向があります。この記録が訴訟に使われれば、反省が格好なえじきとなるので、カンファレンスも異質なものになるでしょう。よい悪いが重視されると、現場は口を閉ざすようになり、個人の技術も全体のレベルも伸びることはありません。誤りに学ぶ再発防止の立案は現場にいない第三者には不可能で、無理に介入すると医療の進歩はありません。
 医療事故が発生したときには現場に責任を問わず、病院がすべてに責任をとると宣言しているところは多いと思いますが、本当の原因に即した対策を重視するのであれば、この方法しかありません。個人の責任追及と処分を行えば、だれがやっても厳密な調査と完璧な結論が求められ、一旦結論が出されるとその基準を変えることはできません。システムの硬直化が起こり、処分が重ければ経験を積んだ技術者が一つひとつ事故のたびに消えていき、現場は更に弱体化して再発防止とは逆の結果になると思います。
 ミスの公開は同業者に落とし穴の存在を伝える上で大切ですが、医療者の責任だけを報道するメディアの姿勢はこの方向に逆向きです。報道を見ても事故の全貌がわからず、罪の大きさだけが浮き彫りになります。私もかつて死亡に至らなかった過誤による事故を公表し、注意喚起の意味もあり記者会見を行ったことがあります。そのときは見る人が見れば落とし穴の存在がわかる記事を書いてもらいました。よい悪いを言わなければ事故の本質を見ることができます。
 次は報告制度についてです。
 中央の第三者が最初から主体的に介入するシステムは、現場からの報告が上がらないと調査が始まりません。医師法21条もそうですが、第3次試案も報告制度に無理があり、24時間以内、疑いを含む報告義務、違反した場合の罰則に病院長は困惑しました。ミスの存在もわからないうちから、苦労を共にするスタッフに起きた事故を処罰機能がある第三者に報告するのは、部下の信頼を損ねることになり、今なら医師の集団離職で首が飛ぶことも考えられます。まず現場の意見を聞き、納得できなければ本人の意思で次の段階へというのは、法的にも堅持されることが必要と考えます。
 院内調査で透明性が確保できないという御意見もあると思います。医療行為を受けるに当たり、患者さんはインフォームドコンセントで十分な情報を提供され、自分の意思で決断しているので、事故が起きたら当然事故に関する情報を得る権利があると考えます。
 済生会宇都宮病院では、玄関に示した患者の権利の最後に、医療事故が起きたときには詳細な報告を受ける権利があると記し、職員にも周知しています。欧米でも患者の権利は法律になっている国もあり、具体的な病人の権利が公に認められています。この1項目があれば透明性は格段に上がります。
 まとめです。医療事故は少なくなってもゼロになることはありません。対策は被害者の救済に重きを置き、あらゆる手段をここに集中すべきです。対応を円滑に行うために精緻な精査が求められ、そのために必要な第三者には現場の対応を補完する多彩な役割が求められます。処分が目的に加わるとこれらの対応ができなくなり、方向性も相反するものになります。報告書などを他の目的にリンクさせることや、機能をダブらせた法的権威のある総合的な第三者機関はその中に矛盾した方向性を抱えることになり、弊害も大きいと思います。また透明性確保のために病人の権利を根底に置く医療の倫理の確立を求められますが、この議論は職能団体が真摯に検討すべきだと考えます。
 以上です。御清聴ありがとうございました。

○山本座長
 ありがとうございました。
 引き続きまして、資料3に基づきまして患者の視点で医療安全を考える連絡協議会の永井代表より御説明をお願いしたいと思います。
 永井代表、よろしくお願いいたします。

○永井代表
 ただいま御紹介いただきました「患者の視点で医療安全を考える連絡協議会」の永井でございます。今日はこのような時間をいただきまして、どうもありがとうございます。
 説明に入らせていただきます。2こま目の「患者の視点で医療安全を考える連絡協議会」ですが、私どもは略称として患医連と言っております。2008年に医療安全の改革を求めて活動をしている市民団体5団体が緩やかな連合体ということでつくり、当面の目標に医療版事故調の設立を上げています。
 2ページに行きますが、今日皆さんのところにお配りしましたように、このようなチラシを私どもはつくり、2008年から都内のJRの駅の近辺で今月まで含めて37回、全国札幌から福岡まで10くらいの都市で11回くらい街頭で皆さんにチラシを配布し、署名活動をしております。
 このペーパーにも書いてありますように、5ページ目になりますが、私たちの求める事故調の目的は医療事故の原因究明をし、再発防止を図り、医療事故に遭った患者や家族に公正な対応をする。5ページ目に書いてありますように、特に原因究明をし、公正な対応ということは、是非誠意ある説明をしてほしいという内容です。それと勿論再発防止、これが医療の質及び安全の向上に役立つことを私どもは信じております。
 求める事故調の性格という意味では5つがありますが、公正中立性、透明性、専門性、独立性、実効性と。特に独立性という問題は、医療者のこと、我々も含めて、ある意味で第三者機関は独立性を持ってほしい。もう一つ、実効性。後で申しますが、交通事故死より医療事故死の方が多いということは間違いないと思います。そういう中で医療安全を保つために、交通事故死には国はいっぱい金をかけているわけです。それと同じように少なくするという意味では国からも金が要るというか、金を出してもらうという方向は是非必要だという意味で実効性を挙げています。
 4ページ目に戻りますが、医療事故調査機関、要するに院内事故調と第三者機関の関係を書いています。院内事故調査は今からでもできますし、今からでもしっかりやっていただきたいと思っています。しかし、規模によってできないところもあります。もう一つ大きな問題は、もうその病院で調査してほしくないという方も出てくるわけです。そういうようなときにやはりこれからできる中立的な第三者機関といかに連携を保ちながら、また透明性という意味ではそこに派遣する外部委員など、そういうことも含めて是非連携をとったやり方でやっていただきたいという思いを持っています。
 6ページ目に行きますが、やはり医療事故はゼロにはできません。ただ、医療事故が起こって原因究明というお話があるのですが、今、一番多く問題が発生しているのは、医療事故以前にいろいろな問題でもやもやしている方が事故らしきものに遭ったときに、その後の不誠実な説明を聞き、いまでの不満が爆発してしまうのです。そういう意味では特に問題になるのが事実経過です。事実の共有ができない。ここに問題がある。そしてそこに説明を求めたり、言われたことと違うではないかという話に対しても、説明が不十分なので、更なる説明を求めると、それだったら裁判に訴えてくださいと病院側から言われ、それでどうしようもなく裁判をする人もいますが、多くの人は泣き寝入りしています。
 さて、7ページ目に入りますが、信頼を得る医療事故対応という意味では是非うそをつかない医療、私どもは正直文化と言っていますが、それは誠意を示す、やはり隠さない、ごまかさない、逃げない。特に主治医なり、看護師なり、当事者と話をしたいということが多くあります。しかし、まだそこができていなかったりしていることが多いです。そして院内事故調査の中には是非第三者の出席が不可欠だと思っています。
 院内事故調査についてはしっかりやっているというお話をよく院長の先生から聞きますが、残念ながらまだ私どもとしてはしっかりやった事例は本当に少なくしか我々には伝わってきていません。やはり透明性、公正性とか自立性、特に同僚評価の問題が多いと思うのです。そういう中では今、モデル事業を引き継いで日本医療安全調査機構がさらなる展開をしようとしています。そういうところと協働型モデルも始まっていますが、是非第三者機関ができないうちでもこことの連携を含めて、被害者なり、患者側がより納得できるようなことに進んでいっていただきたいなと思っています。
 さて、モデル事業についても、残念ながら民主党政権になってから費用対効果を重視してか予算が削られております。本当にこれでいいのかなという感じもしますし、モデル事業については被害者の方の満足度も結構高い状態であります。やはりモデル事業の成果を医療版事故調に引き継ぐ意思で、その見通しができるまでは是非続けてほしいしです。平成16年に19学会が第三者機関の設立という声明を出したわけですが、19学会がこの4月には日本医療安全調査機構に全部会員として入っていただいています。そういう意味で少しずつ力強いものになってきているのではないかなと思っています。
 さて、一般論的なことに入ります。10ページ目ですけれども、安全文化も大分定着してきておられるということを医療者及び医療機関の方はおっしゃいますが、ここに書いてある交通安全、製品安全、食の安全に比べて、医療安全は政治も行政も、まして国民も、まだまだこれからです。今まさに医療安全運動を交通安全運動以上に国を挙げて実施していくべきときだと思っています。
 次ですが、これを出すといつも医療者の方からしかられるのですけれども、交通事故死よりも医療事故死が多い実態は間違いないと思います。ただし、その数がしっかりわかりません。
 12ページ目に書いていますが、私どもの試算したところでは2万以上が毎年あるのではないかなと思っております。
 13ページ目ですが、先ほど正直文化と言いましたが、医療機関の中に報告文化、報告するという文化に対してもまだまだではないかと思います。日本医療機能評価機構がまとめている22年度の中でも、事故報告がゼロというところが66もあります。また、大学病院などにおいても、私立大学の51のうち20がゼロ。本当にゼロだったらいいのですが、私どもとしては本当にゼロなんでしょうかねという気持ちがあります。やはり正直者が得をするような仕組みを報告システムの中に入れていく必要があるのではないか。
 14ページ目に移りますが、これは京都大学で活躍し、この4月から名古屋大学の医療の質・安全を担当している長尾教授のお話です。医師のインシデントレポートが少ないということをどこの病院へ行っても聞きます。そういう中で長尾さんは、インシデントレポート数はベッド数の5倍くらいが望ましい、1,000床あったら5,000件くらい、その1割、500件が医師から出るのが望ましいというお話をされ、医師が上げるインシデントレポートは圧倒的に重症度が高いものであり、医師からの報告が少ないということは病院が重要な報告を把握できていないことだと彼は訴えています。
 15ページですが、私自身、今年の春大学院を修了しましたが、その修士論文の1つを紹介したいと思います。5病院の全職員の医療安全調査をしました。平均値ですが、一番問題なのが医療安全に対する総合理解、それとともに過誤に対する罰則的なことを皆さん気にしております。
 16ページに書いておりますように、医師の人たちは自らの医療行為の中で生じた過誤は知られたくないという意識が強い。犯人探しをする雰囲気がある。報告しづらい雰囲気がある。結局、インシデントレポートを書くと、院内で罰せられるなり、院内であいつだという風土が、警察という問題以上にまだ残っている実態があると思います。本当にシステム的な問題点を探し出すような原因調査をしていく風土づくりなどが必要なのではないでしょうか。
 次に17ページ目ですが、事故調査と無過失補償の問題ですが、事故調査については正直なところ、私たちは第3次試案、大綱案で大分妥協もしましたが、私は国民的なよい財産があそこにあると思っています。なぜこのベースから再検討しないのですか。なぜ白紙にするのですか。大綱案の修正点を本当に審議し、それで修正していく方が早いのではないですか。
 今日お配りしたこのペーパーで、一昨年開催した私どもの医療過誤原告の会のシンポジウムの中で、この49ページ、また54ページ目に、昭和大学の岡井先生が事故調査の原因究明の問題、大綱案についての当時の状況、院内事故調はやってみたらやはり甘くなってしまうというようなことを問題として発言されております。
 最後の18ページ目ですが、やはり医療事故から学び、事故を少なくするという意味では、私自身はもっともっと医療界が自浄性、透明性、同僚評価を高めていくためにも、新しい第三者機関、新しい医療安全制度が必要だと信じておりますし、そのためには報告文化、正直文化を本当に根づかせないと医療に安全文化が育っていかないのではないかなとも思っています。医療の質、安全の向上のために不可欠な医療事故調査第三者機関の早期設立を願うとともに、舛添大臣と話したときにも舛添さんが、完璧な制度はすぐにはできない、やはり小さく産んで、本当にみんなでしっかりしたものにつくり上げていくとの大切さをおっしゃっていました。小さく産んで大きく育てようと私はずっと言い続けていますが、それは医療者も市民も国民がすべてそういうものを育て上げていくという気を持っていくことが重要だし、そのためには医療安全という問題を本当に国レベルとして啓蒙していく必要もあるのではないかなと思っています。
以上です。

○山本座長
 ありがとうございました、永井代表。
 引き続きまして、資料4に基づいて南山大学大学院法務研究科教授で弁護士の加藤構成員から御説明をお願いいたします。

○加藤構成員
 資料4をごらんください。
 私のタイトルは「安全な医療を求めて―患者側弁護士の立場から―」ということになっていますが、質の高い医療を求めることは当然ながら必要だと思っておりますので、「安全で質の高い医療を求めて」と訂正させていただきたいと思います。
 私は弁護士になって38年になりますけれども、これまで患者側の弁護士として、それぞれのケースごとに当該診療科の医師の助言も受けながら、多くの医療過誤事件を取り扱ってきました。医療過誤のケースの中には死亡や重大な後遺症を残したものもあります。医師の診断ミスや手技上のミス等さまざまですけれども、医学のごく基本的なレベルのことが不十分なために発生した事例も少なくありません。また、患者の人権をないがしろにしていると痛感した例もあります。ミスによって重篤な結果を招いた医療過誤のケースであっても、医師、医療機関は率直に非を認めて謝罪したり、再発防止策を被害者に伝えることがほとんどなく、責任回避的態度を示すのが普通の姿でした。このような医療側の対応によって、患者側は更に傷ついてきました。
 冒頭、私が言いたいことを手短にまとめますと、重大な医療事故を発生させた医療機関は隠さない、逃げない、ごまかさないという姿勢を基本にして、ピア・レビューのできる外部委員の参加を求め、速やかに客観的、自律的、公正な事故調査を行う必要がある。特に診療に関連した死亡事例については速やかに病理解剖をする必要がある。医療事故被害者の真相究明及び再発防止の願いを正しく理解し、誠実に事故調査を行い、説明責任を尽くすとともに、再発防止策を立案して実践しなければならない。ところが、診療関連死等について十分なレビューがなされているとは思われない。このような実情を踏まえて考えれば、事故の情報を網羅的に集約し、それらを調査し、医療の質の向上につないでいくための第三者機関が必要であるということです。
 医療事故情報を網羅的に集めていくことが安全対策の第一歩になるわけですが、コアの部分としては医療機関ごとに、あるいは専門の学会ごとに、あるいは地域医師会ごとに安全対策を構築していくことも重要であり、医療事故から教訓を引き出したり、安全のための対策を立てるなど、医療の質と安全を確保するためには、その大前提として院内の医療事故を正しく網羅的に把握する仕組みを院内に用意しておかなければならないと思います。そのために可能な限り専任のスタッフがリーダーシップを発揮できるとよいと思っております。
 医療事故の被害者の5つの願いについて触れます。
裁判等ではどうしても金銭賠償の問題が中心になりますけれども、勿論特に重篤な障害を負ったようなケースではサポートが必要であり、金銭賠償は極めて大切なものでありますが、被害を受けた患者さんたちの共通する気持ちは真相究明、再発防止ということで、極めてそれが重要であるということです。医療事故で被害を受けた患者、家族は真相の究明と再発の防止を強く願っており、真実があいまいにされ、同じ過ちが繰り返されることによって被害者は人間として尊厳を大きく傷つけられることになります。
 医療事故の被害者は医療事故調査のプロセス、特にそれが公正中立に行われるように強い関心を持って見ています。また、透明性を確保するためにも被害者を蚊帳の外に置くことがないようヒアリングをしたり、疑問点の提示を求めたり、報告したりすることなどが大切であると思います。
 医療事故の問題を考えるときに、医療事故の被害を受けた体験者が事故防止のパートナーとして医療安全のいろいろな場面で発言をされている例もあります。そういう意味ではそうした検討会に参加してもらい、患者参加を制度の中に組み込んでいこうという姿勢が医療界にも必要ではないかと思います。
 医学部の学生に教員が授業の際、重要なことを伝えようとするときに、こういうことをすると患者さんから訴えられますよという教え方をされていることがあります。それは私は間違っていると思っております。患者から訴えられることが問題ではなくて、そういうことをすると患者さんが亡くなったり、大変不幸なことになったりするから注意が必要だという当たり前の人間性、患者のためにこそ医療をしているのだという精神を若いうちから育ててほしいと思っております。
 医療等の医療従事者にとって、医療の質を高め、患者に対し安全な医療を提供することは、職業人としての誇りであり、喜びであるはずです。医療の質の向上を図ることよりも、単に訴訟や医事紛争を減らすことや患者の不平不満、クレームを表面的に抑え込むことに熱心になるのでは、いかにも悲しい話であります。
 さて、医療事故に私が関わったのは、2002年8月名大病院の腹腔鏡の手術で患者さんが亡くなったというケースであります。このときに病院長が記者会見で発表された言葉が、隠さない、逃げない、ごまかさないということであります。この名大の腹腔鏡手術の件は事故直後警察にも届けられ、業務上過失致死ということで警察が遺体を写真に撮っていくという検死の手続などを進めておりましたが、院内事故調査が並行して行われるという状況になりました。病院の中で事故調査をするので捜査を先行させないでほしいと警察に申し入れてもらいまして、日ごろ患者側でやっている弁護士も参加していることなども含めて、警察の方でいろいろと考えていただけたかと思いますけれども、警察としては最終的にこの件については検察庁に書類送検をすることなく終了いたしました。メディアの方も名大の事故後の対応を評価し、そして国も賠償金を支払うということで示談解決を見ました。こうした名大の画期的な取組みがあったわけですけれども、この隠さない、逃げない、ごまかさないという正直文化が十分に根づいているのかなと私はちょっと心配をしております。
 他の医療機関の場合はどうでしょうか。医療安全に関わる部署が設けられて、その役割をちゃんと果たしているでしょうか。院内で発生した事故を正しく把握できているでしょうか。院内医療事故調査委員会が果たして公正に機能しているでしょうか。医師たちは自律的、客観的な評価をすることができていますか。医師たちは正直に医療事故等の有害事象を院長や医療安全の担当者に伝えているでしょうか。そして院長は進んで日本医療機能評価機構に報告しているでしょうか。
 作成された医療事故調査報告書を私が見た限り、幾つか見てきましたけれども、あたかも責任を回避する目的で作成されたのではないかと感じられるものもありましたし、その後の裁判において院内医療事故調査報告書の結論とは全く異なる有責の判断が示された例もあります。仲間かばいが見られるとか、同僚批判が不十分だとか、自浄作用はまだ育っていないという実感を私は持っています。
 刑事事件についてでありますけれども、刑事事件について当該事例に即して自律的、客観的に振り返り、謙虚に分析し、評価すべき責任を負っているのは医療界だと私はまず思っておりますが、そのための公正な事故調査の仕組みがないことが大変問題だろうと思っております。刑事免責の関連でいいますと、大きな問題のあるケースや悪質なケースも存在しますし、医療事故を装った犯罪が存在することや、患者に発生した不可解な出来事を警察が関与して調べることによって、その後の重大な被害の再発を防止した例があることを考えますと、一切の刑事免責を求めることは相当とは言えないと私は考えています。
 そして被害者の5つの願いにこたえたならば、それを高く評価し、起訴便宜主義という検察官が起訴するかしないかという広汎な裁量権を持っていることを正しく謙抑的に運用するという姿が最も現実的なことだろうと私は思っております。
 日ごろより患者のために医療の安全、医療の質の向上を願いながら、勤勉誠実に医療に取り組み、事故後誠心誠意事故調査に協力し、真実を伝え、謝罪もし、そして再発防止のために本当に真剣に動いているということは御遺族の気持ちを落ち着かせ、起訴しない方向に大きく運用されていく要素になることは間違いありません。
 最後、日弁連が2008年10月3日に安全で質の高い医療を受ける権利の実現に関する宣言を人権擁護大会で宣言いたしましたので、その紹介をいたします。
 そこで日弁連が国に求めたことの骨子は4つございまして、1つは患者の権利がきちんと法律として制定されるべきだと。患者の権利がどういうものかということを理念としてきちんと踏まえて、いろいろな医療政策を形づくっていくべきだと考えているわけです。
 そして医療事故調査制度の整備が2つ目でありまして、そのうちの1つが院内事故調査、もう一つが医療事故の第三者調査機関であります。
 3つ目には無過失補償制度の整備を国に求めました。
 4つ目は日弁連として人的・物的に医療提供体制の整備を求めました。マンパワーの不足等の制度的な要因は医療の質と安全によって重大だからであります。医療従事者の疲弊が言われますけれども、医師が疲弊していては安全な医療を提供できないわけであります。そしてプロが力を発揮できる環境整備が必要であり、その意味では医師と患者に本質的な利害対立が存在しないと私は考えています。
 第三者機関としてはどういうふうにつくっていったらいいかということについて、私は過去において具体的なプランとして医療安全中央委員会というようなものを内閣府の下につくられるようなことを考えて、以前の厚労省の検討会で発表させていただきましたし、もう一つはもう十数年前になりますけれども、医療被害防止と救済を一体的に行う機構をつくるべきだと提案させていただきました。これらについてはインターネットで検索をかけていただければ資料として出てくると思いますので、ごらんいただければと思います。
御清聴ありがとうございました。

○山本座長
 ありがとうございました。
 続きまして、資料5に基づきまして東京大学大学院法学政治学研究科教授の樋口構成員より御説明をお願いいたします。

○樋口構成員
 御紹介にあずかりました樋口です。
私のものは資料5のパワーポイントファイルが24枚あるわけです。私に与えられた時間は10分ちょっとだと理解しておりますので、要点だけを申し上げさせていただきます。
 これまでの中澤さんから始まって3人の方と、本当に言っていることは大きな差はないと思っているのです。一番初めのところはそういうことです。医療安全の課題というのはそういうことである。それについて医者も患者も一緒の願いを持っている。そうだとしたらそれを実現するための何か仕組みを知恵を使ってつくろうではないかという話だと思います。ただ、大綱案が頓挫したとき以降、進歩はしていないかもしれないけれども、私も少しは幾つかのことを勉強しました。それを今日は紹介したいと思っているのです。
 3枚目に「解くべきパズル」はこうだということなのですけれども、日本の問題はほかの方もおっしゃっておられるように、もしかしたらこの後、宮澤さんもおっしゃってくださるのかもしれませんが、やはり刑事司法が突出というとちょっと言い方がどうなのだろうかというのですけれども、何であれ制裁型、そういう形で法が介入し過ぎている。法が介入して医療がよくなることは本当にないのです。blame cultureというのが最近のキーワードですけれども、とにかくだれか悪人がいる、それを非難して何日かだけ騒ぐわけです。それはどうだろうということです。
 ところが、これは日本だけの話ではないということが本当にわかりました。その次ですが、Robert Leflarという私の友人が最近送ってきたメールの中で、彼も国際的に勉強しているわけです。そうしたらいわゆるヨーロッパ諸国ですが、そこにあるのはフランスであれ、ドイツであれ、イタリーであれ、やはり同じようなことがあるんだなと。これが英米法系の国でも、ニュージーランドやイギリスでも同じようなことを言ったりやったりしているのだなということがわかる。ただ、私が知っている限りでは、アメリカやオーストラリアではこういう刑事司法がどうのこうのということはどうもなくて、アメリカではto err is humanと言っているわけですから、そういうものがどうしてなのかなという話は非常に難しいけれども、おもしろいのだろうと思います。 
 しかし、ここはとりあえず日本と同じようなほかの国の紹介をさせていただきたいということです。
 遠い国ですが、しかし地震という点では共通性のあるニュージーランド。ニュージーランドは1980年まで実は日本と同じような法律はあったのです。1893年以降、とにかく刑法典の中に注意義務違反は犯罪であって、これは過失犯、医者も対象外などという話はどこにも書いていないけれども、実際に訴追された例はないのです。しかし、81年から始まって、どんどんそれが起こるようになった。
 次ですが、ニュージーランドは日本に比べれば人間が少ない小さい国ですから、20年の間に10人の医者が訴追されというようなことで大騒ぎになっているわけです。しかし、これを日本にするには何倍もしていけばいいわけですから、これはどうも日本と同じような状況になっている。
 その次ですが、どうしたかというと、ニュージーランドは刑法を改正しました。1997年に重過失をはっきりさせて、これではっきり国会の意思としてこういうものは刑事事件に持っていかないのだということになって、激減したことになっています。後で紹介しますけれども、ニュージーランドの学者はそういうときの議論で、やはり刑事法を適用しても医療安全にはつながらぬという考えが勝ちを占めたというか、みんなそうだよと言ったということです。
 ただ、ニュージーランドは民事責任は無過失責任で有名な国なのです。無過失責任なので、そうすると相手を責めたいという人たちは刑事に行かざるを得なかったというのも80年以降の流れとしてはあるので、本当は法律家にとっては民事上の無過失責任と刑事法の話は全然別なんだよということなのですけれども、やはりお医者さんを初めとしてですが、無過失補償をやると刑事責任と関係なくなると思っている人たちがいて、そこはちょっと違うのではないかなというのをニュージーランドも示しているかもしれません。
 次にちょっと飛ばしてイギリスです。イギリス本国は1925年の例などを見ると、判例で見る限り、ひどい例なのです。日本の大野病院事件どころではなくて、これはもうはっきりひどい医者だなというのですけれども、無罪になった。1925年はですよ。一番有名なケースなので、イギリスの医事法の教科書にはこれが全部載っています。しかし、だんだん80年代、90年代からこれを有罪にするような話がイギリスの中では出てきているわけです。
 次のところへ行きますが、ところがそういう有罪事件をやっても、私は本当はわからないけれども、抗がん剤でビンクリスティンというものがあるそうで、これの誤投与がなくならないわけです。この間5回も刑事事件にして、こんなことをやったらとんでもないことになるよと言っているけれども、何度も何度も繰り返し起こる。だからある意味では反対証明みたいなものですが、刑事司法には限界があるというわけです。それでイギリスの法律界では、イギリスの判例法では既に重過失ということになっていたのに、それを甘く運用するような話になったから、レックレスネス、これは訳しにくいのですが、本当に故意に近い重過失、故意は論外ですけれども、未必の故意に当たるようなものだけに限定したらいいという議論が学者の中で行われているという段階です。
 イギリスであれ、ニュージーランドであれ、医療事故と刑事処分をめぐる議論をずっとその後2枚に並べてみましたが、向こうの学者が並べているのをただ翻訳しただけです。見てくださればわかりますけれども、本当に日本と同じ話です。だからこれは非常に普遍的です。
その次です。だんだん時間がなくなってきました。これは日本医師会で研究会をやってくださったときにいろいろ教えてくれた中の1つなのです。だからまだこういう事件はいっぱいあるのです。日本の話ですが、これは27歳で、若い医者がミスをした。大出血になって死んでしまったという事件です。どうなったかというと、この時代はもはや、平成14年は2002年なので、みんな届けましょうという話になっているから、病院長はぱっと医師法21条に基づく届出をした。若い医者は私が失敗しましたと潔く罪を認めます。そうすると略式命令で1日だけで事件は終わるのです。しかし、事件が起きてから1年半経っているのです。前の年の4月で1年後の9月ですから、1年半経ったところで1人死んで罰金40万円。しかし、あんたは犯罪者だよと。その後で行政処分です。行政処分は医道審議会を開かないといけないから、また半年だか何だかその後になって医業停止10か月ということです。
 次のところですけれども、そうすると事故後、少なくとも1年半はこの人は医者でいられるということです。実際はどうだったかはわかりません。だから本当に医療安全を図るのだったら、すぐにも同じような手術を、まさにこの手術でこの人だけが変だったのか、どうしてこういう事故になったのか、そこにすぐつなげるような仕組みがないといかぬでしょうということです。ところが、そういうことにつながる再教育を含む行政処分は、日本では刑事処分が出てからになっているわけです。だから本当に本末転倒というか、そもそも罰金40万円で犯罪者にして、一体どれだけの意味があるのかということです。それは医療安全に何ら結びついていない。
 次のところへ行きますが、そうするとblame culture対just cultureという話で、だれかを責める、悪人を見つけて罰する文化、非難の文化ではこの分野はうまくいかない。もしかしたらこの分野だけではないかもしれないですが、正義の文化、安全の文化を図る必要がある。
 最近これはベストセラーになっているので、この中でお読みになっている人は多いのかもしれませんが、「ヒューマンエラーは裁けるか―安全で公正な文化を築くには」という翻訳書が出たのです。これはベストセラーになっていて、東大出版会から出ているわけです。この原題が「ヒューマンエラーは裁けるか」というのでわかりやすくていい。やはり訳者は有能だということがわかりますが、「Just culture」なのです。これはスウェーデンの人が書いているので、「Just culture」を普通に訳せば「正義の文化」なのです。しかし、日本では正義の文化というのは悪人をやっつけてとにかく刑務所に入れることとか、みんなで非難することだと思っているから、そう訳せないのです。しかし、この本自体は本当はこちらの方が正義の文化だと言っているわけです。
 次ですが、その本に柳田邦男さんの序文がついている。一番今回の話で重要だというところだけ抜き書きしてきました。ヒューマンエラーに対して、こいつが悪いからなどというような古い視点を持っているのが一番問題だと柳田邦男さんはその本を読んだ後で、あるいは読む前から考えておられたかもしれませんけれども、新しいシステム的視点を入れる必要があると。あらわれてきたのは単に症状なのです。原因ではないということです。これが重要なので赤い字にしてしまったのですけれども、ヒューマンエラーには犯罪になるかならないかどこかに線があるなどと勘違いされている。そんなものはない。だれが線を引くかが問題だ。それを捜査機関に任せていることが問題になっているのだと。民事訴訟も刑事訴訟もヒューマンエラーの抑止には役立たない。だから法が何か役割を果たすとしたら、もっと何か違うところで役割を果たすということです。
 次に、同書235〜236ページには、素人、警察ではなく、同じ分野の専門家の意見を集約する国の機関を設けて、原因究明、分析を行うのがよいと提言があるわけです。
 その後です。ただ、本当かどうかはともかく、仲間同士でかばい合いを行うとみなされがちなので、ひいきがなく、事例が適正に取り扱われることを司法当局に、それはスウェーデンであったり、ドイツであったり、フランスであったり、イギリスであったりですが、どこでもですが、日本でも同じだと思いますが、そういうところでは司法当局に確信させなければ警察は行くよということです。それはやはり医療事故調査機関で医療専門家がちゃんと責任を持ちますということを言ってもらわないといかぬだろうと。
 最後のところです。それは司法機関ばかりではなくて、警察に確信を与えるのではなくて、まず第一に国民に確信を与えてもらいたい、あるいは患者に確信を与えてもらいたい。これは何だか本当にうっとおしいニュースなので、いいのかどうかわからないのですが、ストーカー殺人に対するニュースで千葉県警が今週処分を発表しましたね。県警本部長を訓告にするというのは、多分警察としては相当な処分なのです。しかし、それは世間の感覚と随分ずれているのです。それで遺族は拒否しているわけです。あんな内部調査委員会の報告書を基にした処分も調査報告書も要らないですと。これは警察に対してだけでしょうかという話なのです。
 そうすると院内調査委員会であっても、第三者が入ることを原則にし、しかし普通に病理解剖をやって原因を究明することなんて、日常かどうかわからないですけれども、医療機関ではあるので、遺族も医療者も完全な院内調査委員会でやってくださいよというのだったら、それは何の問題もないわけです。しかし、原則は第三者が入れますよというものをつくっておく。それから、患者の権利として純粋型の、もうそういうものですら嫌だという人には、純粋型と言うのかどうかわからないけれども、完全第三者の事故調査の仕組みも補充的には残しておいたらいい。
 中澤先生がおっしゃるように、きちんとした医療側の原因分析と説明があれば、ここまで要求する国民が、患者が、遺族がどれだけいるだろうかというと、私はやはりいてもらいたくないし、きちんとした説明があれば、本当に中澤先生がおっしゃるように、きちんとした院内調査に少し第三者が入ってというので十分ですよという国民が大部分なのではないだろうか。それは先ほど永井さんもおっしゃってくださったのではないだろうかと思っているのです。ただ、それらを統括する第三者機関を設置するのは、そういうことを日本全国に広めたいのです。
 つまり罰するためではなくて、こういう経験をして、こういう調査報告が出ましたよ、ほかのところでも同じことはないでしょうかということを統括する第三者機関は欲しいし、かつ第三者機関に報告をしておけば警察には行かなくていいですよと形で司法当局を納得させられる、あるいは国民も納得するという形にできないだろうか。
最後ですが、我が国においても、あるいは我が国においてこそかもしれませんけれども、はっきりblame cultureは強まっていると思います。さまざまな事故に対する犯罪化、厳罰化は明らかなのです。しかし、分野によってはそれで世の中がよくなるとは限らない。医療などは典型的によくならないと医療者も言っているし、恐らく患者もそう思っているのではないだろうか。blame cultureではなくてjust culture、まさに正義の文化を広めるために、この会議を通じて何らかの第三者機関をつくっていただきたいと思っております。
 ちょっと時間を超過したと思いますが、ありがとうございました。

○山本座長
 ありがとうございました。
 最後になって恐縮ですけれども、資料6に基づきまして宮澤潤法律事務所弁護士の宮沢構成員から御説明をお願いいたします。

○宮澤構成員
 それでは、資料6に従ってお話しさせていただきたいと思います。
 まず私は加藤構成員と同じ医療事件を扱う弁護士ですけれども、加藤構成員が患者側の立場から医療訴訟を扱う弁護士であって、私の方は医療機関側に立って医療事件を扱う弁護士でございます。その意味ではそういう背景があるということでお聞きいただいても結構でございます。
 今、樋口先生の方からお話がございました、刑事司法の突出というのは確かに医療の現場においてかなりゆがみをもたらせているのだろうと思っています。前回までは医療界の皆さんから医療事故の調査の在り方についてお話があったと思いますけれども、本件のような問題をお話しするときに、現行法の枠内でどのように考えるかという解釈の問題と、将来的にどうあるべきなのかという立法政策上の問題を分けて考えなければいけないと思います。その意味で今からお話しするのは立法政策的な側面からのお話とお考えください。
 前回、有賀構成員から全国医学部長病院長会議の考え方の中でも刑事責任との関係に触れられていた部分がございます。調査委員会で判明した事実はすべて報告するのだ、仮に刑事事件に発展する可能性があっても報告をするという非常に重要なお話があったかと思います。
 問題は刑事責任を背景に置きながら十分な事実解明ができるのか、どういう報告がなされるのか、勿論報告がなされて全部報告するというのは大事なのですけれども、事実の解明の段階で十分な事実が現れていなければ、報告という制度をつくってみてもなかなか十分な中身にならないことがあるかと思います。
法律家は事実と真実を分けながら考えていっています。多くの事実を集積しなければ真実に到達しないというのを法律家は恐らく直感的に知っています。例えば例を挙げてみますと、皆さん頭の中でガラスのコップを考えていただくと、コップは丸いと言う人がいるとします。これはそのとおりです。上から見れば丸いです。もう一人、コップは四角いと言う人もいます。これも真横から見れば四角です。これも正しいです。同じ1つの事象の中で、1人は丸と言い、1人は真四角と言う。これは両方とも事実、正しいわけです。ところが、真実の形はとらえていない。事実と真実はこのように区別されるべきものであって、真実に到達するためにはあらゆる事実を集積しなければいけない。あらゆる事実というのは、どのようにして正確な事実を収集するか、刑事司法の突出という現状の中でそれをやっていくことは十分にできるだろうかということが私のお話の骨子でございます。
 そして医療事故の再発の防止がこの会の最も重要なポイントかと思っております。医療事故の調査、勿論これは事実関係を隠さないというところにあるかと思います。ただ、事実関係を隠さないということが、今、申し上げましたように、刑事司法の突出の中で果たして全部が出てくるのかどうかということになると、憲法38条を見ても「何人も、自己に不利益な供述を強要されない」という規定がございますけれども、これは人間というのは自らが刑罰を受けるというような可能性がある場合はなかなかすべての真実を出したがらないという特性を示しているものではないかと思っています。
 原因分析をするためには事実関係を隠さない、そしてその背景としては刑事免責という、話しても大丈夫なのだという安心感がなければ十分な事実が出てこないのではないかと思います。十分な事実が出てきて初めて、十分な原因分析ができて、医療事故の再発防止、適正な損害賠償、これにも両方ともつながっていくものだろうと考えています。
 勿論医療事故の中には出てきていますような故意あるいは重過失というような重大な事件があります。その場合は勿論今までどおりの刑事、民事、行政の各責任を負うという形でいいのではないかと私は思っています。
 問題は、医療事故のほとんどを占めている軽過失をどのようにして扱うのかという問題かと思っています。私は、軽過失に関しましては医療事故は刑事責任の免除を考えてみるべきだと思います。
 刑法を見てみますと、ここに刑法38条が書いてあります。刑法38条は「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りではない」と書いてあります。これは何を書いてあるかといいますと、刑法上は過失は処罰しないのが原則であるということを書いてあると考えられます。そうするとそもそも過失行為は処罰されないというのが基本的な原則なのだということをもう一度考えておく必要があるのではないかと思います。
 そして医療事故が刑罰になじまない理由としては、刑罰は基本的には刑罰を科すことそのものが目的ではなくて、教育をすること、すなわち刑務所などに入ってしまいますと職業訓練等を行って、社会に戻っても犯罪を犯さないで済む、規則正しい生活を送らせて、従来の生活態度を改変していくというような機能がある。そしてこれは何が目的かというと、その方が社会に戻ったときに犯罪の再発をしない。再発の防止が目的なわけです。刑罰そのものが目的ではなくて、再発の防止が目的であるということになります。このような考え方は一般的な刑事犯を念頭に置いた考え方だと思います。その意味では医療事故に刑罰を科すということが、そもそも通常の社会生活を送って、医療という高度な技術を持ち職業訓練が必要ないというような人間の集団にとって、本来刑罰を科すことの目的とはなじまないのではないかと思っております。
 何が医療事故の再発の防止になるかといえば、これは当然正確な事実解明、そしてこれを繰り返さないということが明らかになってこそ、本来の再発防止の目的が果たされるものだと思います。そう考えていきますと、刑罰を科す本来的な目的が再発防止だとするならば、刑罰は1つの手段でありますから、目的によって手段を変えていくことは十分考えなければいけない内容だと思います。
 通常の過失とどこが違うのかということを考えてみますと、通常の過失犯は過失の原因はどういうところにあるのか、どういう注意をすればよかったのかというのは原因が明らかであります。その意味ではこういう部分に注意しなければいけないということは刑罰で十分対応が可能だと思っております。
 ところが、医療事故はどうかというと、過失の原因そのものが非常に難しい。何に注意すべきであったのかということの判断がそもそも困難である。そうなってくると何に注意すればいいのかということが非常に難しいのに、刑罰をもって注意すべきだという形での対応が功を奏しないのは明らかではないかと思っています。
 再発防止という目的を考えてみますと、やはり刑罰を科すということではなく、事実解明を促すことが合目的的と考えられます。そうしますと医療事故の再発防止のためには刑罰という形で臨むのではなくて、事実解明を中心にして考える。そして事実解明は刑事司法から解き放つこと。軽過失に関しては刑事司法の対象としない、そのかわり事実が正確に出てくるということが一番大事なのではないかと思っています。
 最後に、軽過失の免責というものは、樋口先生とはそこら辺の考え方が違うのかもしれないのですけれども、やはり無過失補償制度という被害者に関するセーフティネットがあって初めてその中でも軽過失の免責を議論されるべきなのではないかと思っています。それは医療機関の側だけの軽過失の免責を言っても、片方の本来の被害者である患者さんの側が無視されることがあっては到底社会的には受け入れられないと考えているからであります。そして軽過失の免責ということになりますと、真実の究明が容易になってくる、再発の防止にもつながりますし、事実関係が明確になれば適正な賠償にもつながりますし、事実関係が明確になることによって謝罪をすることにも勿論つながっていくだろうと思います。事実関係が明確に出てくる、正確な事実を把握するための1つの方法、手段がこの軽過失の刑事免責ではないかと考えています。
 ありがとうございました。

○山本座長
 ありがとうございました。
 それでは、5人の方々から御説明をいただきましたが、これまでの御説明につきまして御質問あるいは御意見等がございましたら、よろしくお願いいたします。御自由に御発言をいただければと思います。あるいは御発言をいただいた方から補充ということでも結構です。
 どうぞ、加藤構成員。

○加藤構成員
 樋口先生の資料5の2枚目というのか、「遠い国で」と書いてある中で、ニュージーランドでは刑事問題化したのが1981年が最初、それまでは例がなかったというのは、事実の把握ができないがためにそういう訴追の例がないのか、あるいは事実は捜査機関に把握される例はあったのだけれども訴追されないのか、その辺のところをもし御存じであれば教えていただけますか。

○樋口構成員
 ニュージーランドの論文は2種類くらいあったと思いますけれども、私はそれを読んでいるだけなので、どういうことかなというのは確証を持っては答えられないけれども、1980年代より前は捜査機関も動くことはなかったのです。つまり医療事故を刑事事件だとは思っていない。論文で読む限りはそういうふうな印象です。だれも想像していなかったのだけれども、そこは何かちょっとニュージーランドびいきみたいな、ニュージーランドの人が書いているからなんだけれども、1981年に出てきたのはオーストラリアで、本当は知らないのにこんなことを言ってしまうのはいかんのですが、その論文の表現からすると、オーストラリアで食い詰めて、つまりうまくいかない医者がニュージーランドに渡ってきた。そこら辺の医師の資格はあそこはすごく自由なのです。アフリカからでもオーストラリアにやってきてすぐお医者さんをやっていますから、逆のこともあるので、オーストラリアでだめでニュージーランドにやってきた本当にだめな医者がこんな事件を起こしてしまったという、それを契機にしたのだというような表現でした。

○中澤構成員
 私はニュージーランドのことを知らないでお話ししますが、一般的に医療事故が問題になったのは、医術の進歩が関係していると思います。例えば昔はがんの方に抗がん剤をやるなどという治療はなかったですから、抗がん剤をやることによって白血球が減ってしまう、あるいは血小板が減ってしまう、場合によってはほかの肺の合併症が出てくることになります。一般の医療でも血管の中にものを注入するということも頻回には行われていなかったと思います。一日に何回も点滴をするのは気の毒なので、持続的に血管を確保しようという話の中で広尾事件の注射器の取り間違えが起きてきます。とにかく以前にはなかったことをやるようになって、気がつかないエラーが表面化するというのがかなり関係しているのではないかと思います。

○山本座長
 ほかにいかがでしょうか。
 高杉構成員。

○高杉構成員
 中澤先生、貴重なお話をありがとうございます。ここで先生がお使いになっている第三者機関のとらえ方がもうひとつよくわからないのですけれども、判断に困るときに、それは院内事故調で専門家を呼ぶということですか。第三者機関は無過失補償制度につなげるものという意識で書かれているのでしょうか。

○中澤構成員
 私たちは今まで第三者機関を意識しないでやってきました。ですから、自分たちの医療レベルではわからないことは学会の意見を聞いてみるというような対応になってきます。
 無過失補償に関係しては、これは明らかに医療事故の再発防止と一緒になるべきものではないと私は考えています。補償したいという気持ちがあれば、過失の有無は関係なく行われるべきで、過失の有無に話を持っていってしまうと結論なんか出ないよという感じです。過失を本当に重要視されるのだったらもうとことんまで、死ぬまでやるしかないかなという感じでおりますので、そういう意味では両方の機能を持つ第三者機関のイメージは私にはわかりません。
 アメリカには患者の権利を基にして医療機関との折衝がうまくいかなかったときに、駆け込み寺のような機関があります。患者の権利擁護事務所が各都市にあり、そこに行って訴え出ると、患者さんの言うことが正しいということを前提に、民間の機関なのですけれども、医療機関に調査に入ってくれる。しかし、報告書は別に法的な意味があるわけではなくて、患者さんにこういうことがわかりましたよということの報告だけで、その後は当事者同士の話し合いになる。いろいろな形の第三者機関があるので、やはりきちんと整理してからでないと、いろいろな思惑が入り込んでわけがわからなくなってしまうのではないかなという感じは持っております。

○高杉構成員
 日本医師会では第三者機関をやはり念頭に置きながら提言をしたのですけれども、だからそれはちょっとどうだということですか。

○中澤構成員
 そういうことです。まだちょっと早いのではないかと。

○高杉構成員
 ただ、患者さんたちの思いと我々医療現場の思いと、私は院内事故調査委員会を充実させることをものすごく主張しているのですけれども、そのときにいわゆる判断を医療界がするためにはもう一つ上の、これは学会も含めたところでしょうが、先生は学会にも御相談すると言われましたけれども、そういうところがあった方がいいのではないかなと私は思うのですけれども、そこは。

○中澤構成員
 それはやはり目的がそれによって違うところになると思います。ですから、第三者機関があって、何でもそこに持っていけばいいというわけではなくて、いろいろな分散を考えながらやっていたのでということで、院内調査を重視されるという医師会の方向性は正しいとは思っております。

○高杉構成員
 勿論無過失補償制度の議論はこことは別でやっているはずなのですけれども、それは当然頭に入れながらということで、そこに第三者機関の、これは無過失補償制度そのものはもっと違うところで論議、あるいは判定すべきものだと、それは予防接種の事故例とかという話で考えたらいいですね。

○山本座長
 どうぞ。

○山口(徹)構成員
 今の続きで中澤先生にお伺いしたいのですが、今、先生がおっしゃったようなちゃんとした院内事故調査ができる施設はかなり限りがあると思うのですけれども、今、8,000とか9,000ある病院の中で、そういうレベルの院内事故調査ができない場合はどういうふうなお考えなのでしょうか。

○中澤構成員
 実際に事故は病院を単位に起きておりますので、すそ野を広げてしまえばわけがわからなくなる可能性はありますが、病院に関係することであれば実現はできるのではないかと思います。ただし、日本の病院はそれぞれ系列がありまして、いろいろな本部の系列であれば話は通るのですけれども、同じようにはいかない。
今、私たちがやっておりますのは現場からの積み重ねですが、上からの考え方と下からの考え方に違いもあります。難しいことが出てくると思いますが、患者さんの立場に立って物事を解決しようとするとこれが一番いいだろうなと思っております。院内調査重視の仕組みが法律などでデザインとして組み入れられれば、今はやれないところもできるようになると思い、また、それをリードするのがシステムとか法律の役割なのではないかと私は思っております。

○山口(徹)構成員
 実際に例えば100床とか200床という非常に小さな病院でそういうことができるかということについてはいかがなのでしょうか。

○中澤構成員
 それは私のイメージとしては、医師会とかそういったようなところでそれ専門の事故の経験の集積とかいうことはできると思います。それに近いことはもう既に医師会でもやられているので、それをもっと徹底してやっていただく、あるいは徹底してできるような仕組みをつくっていっていただければできるのではないかなと思います。幸いなことに100床以下の慢性期の患者さんが多いところの医療事故はすごく限られてきますので、意外と物事は簡単に、シンプルにできると思います。例えば医師会とかそちらの方のグループの中で問題解決はできるような気がいたします。

○山本座長
 本田構成員。

○本田構成員
 同じく中澤構成員に意見を伺いたいのですけれども、中澤先生がおっしゃるような形で院内事故調査を充実させていくことには私もすごく意味があると思っているのですが、一方で、患者からの視点とか、遺族からの視点というふうに考えますと、第三者が関与してくれることで中立性を保つのではないかとか、そこで当然人間ですから感情的なものもありますので、そういうところの担保をされることが納得に基づくのではないかという意見も、今日、永井参考人からもありましたし、私も患者、一個人としてはそういうことも感じるのですけれども、そういう視点ではどのようにお考えなのでしょうか。

○中澤構成員
 そのことは私たちの方も医療事故とは特に関係ないのですが、別なところで患者さんを代表していただく方に入っていただくことも結構あります。そういう話を持っていっても、やはり医療側のことをその方によく説明して、それから発言していただくことをするのですが、必ず第三者の方がいるから私たちが描いている理想像に合った答えが出るかというと、それはちょっと違うこともあるので、一概に入るのがいいのか悪いのかということについては言えないと思います。でも、入った方がいいよということであれば、それは入っていただくのは構いません。
 ただ、どういう方が入るかということについてはかなり難しいと感じます。理想は、事故の当事者が医療倫理に基づいて問題解決していくことが重要で、宇都宮病院の場合は、病院がすべて責任を持つから個人の責任を問わないと職員に言っています。病院が責任を持つ方向で調査を行えば、かなり納得していただける答えが出せるのではないかと思っておりますし、今まではそういうふうにやってきました。
 ただ、それがどうも通らないということであれば、それは初めて第三者機関、それもちょっとその方の質を考えながらということになっていくのではないかと思います。やはり第三者機関は例えば事故そのものに関係する双方の間に入るような入りかたであれば、それは結構いいものができるのではないかと思います。ただ、全般的に第三者はこの人と決めて常識的に運用というのはすごく難しいと考えます。

○山本座長
 どうぞ。

○鮎澤構成員
 今の議論に意見を述べさせていただきたいと思います。確かに大病院、特に大学病院のようなところで起きている事故と、いわゆる中小のようなところで起きている事故には違いがあります。とはいうものの、医療法で病院、診療所、有床・無床診療所等が区別されているわけですけれども、決して小さいところだから小さいことしか起きていないというわけではないと思うのです。特に最近では中小の医療機関、無床の診療所でも、かなりのレベルの麻酔を使われておられたり、侵襲的な医療行為をされておられてたり、それが日帰りだったり、というようなところがおありになります。
 そういうところを見ていると、そういう施設で起きている事故だからこそ非常に重大な結果を招いていたり、そういう施設だからこそ必ずしも十分な医療事故の調査が行われていなかったりすることもある。このことは、これから大学病院だけではなくて、大病院だけではなくて、日本全国の医療現場で起きていることで大変な思いをされている患者さんや御家族や御遺族をちゃんと見ていくという意味では、しっかりと押さえておかなければいけないことだと思っています。
 ですので、そういった方たちのことが必ずしも医師会だけで解決できるというわけではないのではないか。いろいろなオプションがこれから議論されていかなければいけないと思っているので、意見を述べさせていただきました。それは医師会が十分な機能を果たしておられないというわけではなくて、小さいところだからそこだけで大丈夫というわけではないという意見です。

○高杉構成員
 今日も永井さんのお話も聞きましたし、私たち医師会は医療安全にとにかく立ち上がるのだ、目をつむってはいけないのだ、無床診療所といえども、例えば大腸ファイバーをよくやっている、やはりペルフォることはあります、穿孔を起こすことは。だからそれに対してどうやっているの、大丈夫というような問いかけをしながら、そのときにどうやっているのだろうと。これも無床診療所といえども医療安全をきちんとやろう、もし起こったときにはこうしようという提案を含めています。だから医療界すべて、大病院だからいいのではなくてやっていこうということです。
 それから、第三者を入れるかどうかも事故調査の段階で、あるいは患者さんの納得の段階でフレキシブルな対応をしなければいけないし、公正性で第三者がいるときにはそれはそれで入れる、この人だからと固定化するものでもないと思います。
 今、トライアルのいろいろな医療を大きな病院ではやっておりますけれども、これは倫理委員会をつくって、同じように医療全体で考えていかなければいけない。そういう意味で今日の中澤先生のお話は参考にはなるのですけれども、ではここの医療機関はという差別ではなくて、進化しているところの取組みは取り入れていくし、私たちはどこの医療機関、診療所といえどもきちんとやりましょうという声かけをしていきたいと思っています。

○山本座長
 どうぞ。

○有賀構成員
 宮澤構成員にお聞きしようかなと思います。少し視点が違うかもしれませんが、全体を理解する上ではきっと大事かもしれないと思います。宮澤先生は通常の過失犯と医療事故は確かに違う、それはそれで十分理解して、全体は私もわかるのですけれども、無過失補償を議論するときに、日常の自分の生活から考えますと、車に乗るときには自賠責保険に入りますね。今、中澤先生も、私たち医療者としてこの患者さんにそれなりの償いをせねばいかんという局面に接するというか、こちらが悪いとか悪くないとかそういう問題ではなくて、こういう結果であればそれなりのしかるべきサポートがあっていいのではないかなと考えるのは私たち医療者なので、そのときに時々思うのです。
 自賠責保険だと加害者側がとてつもない酔っ払いだとか、だれがどう考えても居眠りするだろうと思うような生活の挙句交通事故を起こすというのであっても、自賠責保険から支払われる。
 今の車は運転しながらクーラーも触れるし、ラジオも触れるし、運転しながらテレビはないのかもしれませんが、ああいうふうなものはみんなヒューマンエラーという観点から、どういうふうにして心理学的なというか、運転中の負荷からとか、景色もあるではないですか、そういうようなことを考えてやっていますね。だから私たちの医療事故についても、システムエラーにしても、ヒューマンエラーにしても、ヒューマンエラーというのはそいつが悪いという意味ではなくて、その人がそういうふうなことを選択するという局面に立ち至る背景を考えた上でのヒューマンエラーということでいきますと、自賠責保険の仕組みはここで先生のおっしゃることに関していうと、どこがどういうふうに違うのかなというのが、すごくベーシックな質問かもしれませんけれども、教えてください。

○宮澤構成員
 自賠責保険、車を運転するかどうかというのは基本的に個人の自由の問題なのです。ところが、日本において医療を利用するというのは、実は国の方で価格が公定されていて、国民皆保険制度があってということで、もう選ぶことができないという意味です。その意味では実は自賠責保険に該当するのは無過失補償という形でのセーフティネットであろうと思っているのです。おっしゃられていることとちょっと違うかもしれませんけれども、やはり自賠責保険があるから基本的に事故があっても悲惨な状況にならないというセーフティネットがあるのと同じように、医療事故があっても悲惨なことには陥らないというセーフティネットは、本来国が行うべき社会保障制度の中での無過失補償制度がこのセーフティネットになるであろうと。その意味では何らかの加害行為が起こったときに救われるという制度がなければ、被害者感情は慰められませんし、医療機関、医師に対する反発も非常に大きくなってくるだろうと思っています。そういう意味で被害者補償制度の中で、無過失補償制度の中でこそ初めて医師の軽過失を免責していくことを考えられるべきだという内容でございます。

○有賀構成員
 車の運転というのは確かにその人の選択で、運転しないということも選ぼうと思えば選べる。だけれども、そうは言いながら、相当程度の人々が免許証を持つに至る社会の生活ぶりがありますね。だから医療もそういう意味ではかかりたくない人、急に病気になって私のところに来る人はかかりたくなかった人がいっぱいいる。それはそれでいいのですけれども、私が思っている自賠責保険の制度は、先生が2ページの4番の右に書いてある患者側の利益と括弧で加えた上に書いてある無過失補償が、みんなが車を運転するというふうなことでないとやっていけないということがもしあったとすると、自賠責保険はここに入るということで単純に考えてよろしいのですか。
 つまり、加害者に過失があろうとなかろうと、とにかく結果が厳しいときにはこういうふうにして補償しようではないかというようなことで自賠責保険の等級が決まりますね。等級が決まったその先に、これでは足りないからといって民事訴訟があるらしいということも私は知っていますけれども、いずれにしても無過失補償と書いてあります、過失補償でも無過失補償でも何でもとにかくここでもって補償されるというのが自賠責保険なんだというような理解でいいということですね。つまり、みんながもし車を運転するなら。

○宮澤構成員
 自賠責保険も、車を運転する人が強制的に入らされるという意味では同じなのです。全員が入るという意味では。その意味では同じ目的の制度だと思って構わないと思います。ただ、自賠責保険はやはり民間の保険会社を活用して、なおかつ強制的に入っているという意味では、国の力が働いていて、なおかつ民間を利用している。産科補償制度と似たような構造になっているものだと思います。ただ、医療の場合は医療機関そのものの存立とか収入も全部国での定めになっているので、これはもともとのことながら国が補償すべき社会保障の中に入るべきものであろうという意味では同じだと思います。
 1点だけつけ加えておきたいのですけれども、中澤構成員の方からも幾つかお話が出てきたことで、刑事司法に関してちょっとだけ付加しておきますと、お話の中で病院が責任を全部負うのだ、個人に責任は追及しないよという御発言があったかと思うのですが、これは実は民事責任の部分だけに該当することであって、刑事責任では個人責任ですので一切該当しないということは念頭に入れておく必要があると思います。
 例えば抽象的に個人の責任は追及しないから何でも話してねと言って、後で全部わかって警察が入ってきて御用ですとなってしまうと、これは医療機関の中でも非常に信頼を阻害してしまいますし、そこはきちんと刑事と民事を分けて考えておく必要があるのだろうなと思っています。有賀先生の質問とちょっと外れますけれども、付加しておきます。

○有賀構成員
 そういう意味では私たち医療者が法律の方とお話しするのはとても大事だということがよくわかります。病院の中のことは中澤先生も私も100分の120%知っていると思いますけれども、一旦法曹界の社会に出ると、今、先生がおっしゃったことは、ああ、そうなんだということになる。ただ、逆に言うと、個人の責任と言った途端に、個人の責任でというほどの内容で医療事故が起こっているかというと、私も多分山口先生もイメージしているのは、比較的大きな集団でものすごく難しいことをうごめくようにやっていますから、そういう意味では先ほど言ったヒューマンエラーというファクターもワンオブゼムでもすごいことが起こっている、だからシステムなのだと。システムの最終責任者はそういう意味では院長だという意味では、院長が責任をとらねばいかぬということについて言っているのです。だから刑事司法そのものは多分もうなじまないのではないかというのが私の意見です。

○宮澤構成員
 私も同じように刑事司法はなじまないと思うのです。刑事司法で医療の安全が確保できるというのはかなり難しい部分があると思います。おっしゃられているとおり、刑事司法が入ってくるとシステム全体の問題であるにもかかわらず、例えば最後の取り違えというようなことがあったときに、一審でだれが一番重く処罰されたかというと、最終的な行為者である看護婦さんが一番重かったのです。システム全体で見ると、指示している者に問題があるのではないか、全体を見渡して安全を考えなければいけないのに不注意ではないかというところが刑事司法では問題にされないというところが非常に大きな問題であって、有賀先生がおっしゃるように、やはり医療全体を考えるときに刑事司法は余りに狭い領域を突いてくるので、医療の安全を確保という意味では、ここを外さない限り、全体を見ることはなかなか難しいのではないかと私は考えております。

○山本座長
 どうぞ、山口先生。

○山口(徹)構成員
 私も最後の4番目の宮澤先生の絵が気になったのですが、ここで業務上過失致死のお話をわかりやすく分けていただいたのでわかったと思いますけれども、軽過失の免責というところで刑事責任は免責するけれども、民事的な賠償責任のようなものはむしろしっかりとしてくださいという意味だろうと思いました。ただ、軽過失の免責は無過失補償と同時に行われるべきとありますけれども、今の有賀先生のお話にもありましたが、ここで挙げられている被害者というのはどういうイメージなのでしょうか。

○宮澤構成員
 被害者というのは、やはり過失があってもなくても、医療行為によって何らかの健全性を奪われた方々はどうしても被害者という形で考えていいと思います。それは医療機関側に責任があるとかないとかいう問題ではなくて、不幸な結果に陥ってしまった方は何らかの救済の手が差し伸べられるべきだという意味で被害者と言っております。

○山口(徹)構成員
 医療にはいろいろなことで起こることがありますが、合併症といろいろな過失によって起こった被害と、その辺のところの仕分けはどういうふうに考えるのでしょうか。

○宮澤構成員
 合併症というと、実は合併症だからいいのだということでは全然ないです。合併症の中でも避けられた合併症と避けられなかった合併症が本来あるべきなので、避けられる合併症なのに何らかの手段を怠ってしまったことによって起こってしまった、これは過失があることになりますし、何をやってもこれは合併症として避けられなかった、今の医療の中では回避する方法がなかった、予見可能性もなかったということになると、これは純粋に合併症として仕方がなかった、これは不可抗力と考えるべきだろうという振り分けになるかと思います。

○山口(徹)構成員
 そうすると避けられるべき合併症だったということになると、そこにやはりそれなりの過失があったという判断があるとなれば、当然病院に責任があるということになりますから、それは病院の賠償責任の範囲と理解します。そうすると、この反対側の無過失補償の対象となる被害者というのがもうひとつわからないのですが。

○宮澤構成員
 被害者の無過失補償は、医療事件の特殊性として過失の主張が極めて難しいという特徴があります。過失の立証が非常に難しい。それが完全にできる場合は、今、言ったような振り分けになるわけですけれども、それができない場合、それでもその形で放置されていいのかというと、そうではないでしょうと。やはりそういう形で医療が成り立っている中で何らかの形での不利益を被ったということになると、過失があってもなくても、過失のない場合でもこういう形で補償されていくべきであろうというのが、こちらの右側の被害者の無過失補償制度に入ってくると考えていただいていいと思います。

○山口(徹)構成員
 合併症とどこで線を引くかというのは非常に微妙な問題のように思いますので、なかなか難しいのかなという感じがしました。

○有賀構成員
 今の議論が途切れないように、中澤先生が示されたこの図がありますね。これを見るとお年を召した方がたくさんおられるではないですか。そうすると私が手術をするといったときに、恐らく100人のうち80人はこういう合併症が出るだろうとか、このくらいだったらそれが80ではなくて60人だ、そうでなければ40人だ。ずっといくと20人、10人、5人、1人、こういうふうな合併症といったときに、宮澤先生は法律家の立場で相当程度にわかりやすく合併症の話に言及していますけれども、私とか山口先生は今、言ったみたいに、きっと起こるかもしれないことを含めて合併症のことを頭に入れているのです。そうしないと患者さんの治療になりませんから。だから予見可能性がない合併症という話は、ある場合は私がとてもではないけれども予見できなかったくらいレベルが低かったという話にもなりかねないわけです。だからそういうふうなことから全体を見ると、過失とか過失ではないとか、罰するとか罰しないとかいう問題ではなくて、無過失補償制度は、私が先ほど「だから自賠責なのか」と聞いたのは、実はそういうふうな観点からでもあったのです。そんなに変なことは言っていませんね。

○宮澤構成員
 大丈夫です。

○山本座長
 どうぞ。

○本田構成員
 私みたいに一般の人間にとってはレベルの高い言葉で話されるので、もう少し私にわかるレベルで質問したいのですけれども、今の議論は私もとても質問したかったところで、宮澤先生の2ページ目の上の方のところで聞こうと思っていたのですが、通常の過失と医療事故を2つに分けていらっしゃいますけれども、医療事故にとっても過失と軽過失で先生がおっしゃるように免責に値するものがあるのではないかという、医療事故でもそういうものの区別があるということで、今、合併症の話とかそういうことになったわけだと理解していいのですか。

○宮澤構成員
 はい。

○本田構成員
 だから、必ずしもすべての医療事故と思われるものに対して免責にすべきだというお話ではないのですね。

○宮澤構成員
 前の方でも書いてありますように、故意とか重過失に関しては全然免責されない。ですから、重過失というちょっとの注意ですぐわかるような過失、ほかの形、樋口先生の方でも出てきたかと思いますが、本当に未必の故意に近いようなものに関しては一切免責されない。それは過失の内容、何らかの不利益な行為をしてしまったことが明らかな場合、あるいはほぼ明らかな場合、明白に明らかな場合に関しては一切免責はされない。ただ、通常の医療はそういうことはほとんどなくて、過失なのか、合併症なのか、偶発症なのか、いろいろなことがあって、本当に法的な責任を負うべきなのかどうなのか非常にわかりづらい。そういうものに関して刑事責任という形で責任を追及していくのは医療の委縮とか、後退とか、過剰医療とか、いろいろな弊害を生んでしまうのではないだろうかということで、その意味では軽過失と言っております。

○本田構成員
 そういう意味で例えば先ほどの合併症も線引きがとても難しいんだよというお話になって、院内か外部かわかりませんけれども、いろいろ調査をしたところ、それはやはり予見できたものだったよねという判断になったときには、結局そちらの過失の方に行くという形になることになるのですか。

○宮澤構成員
 それは予見できたよねということになって、それは通常の過失だよねということになると、それでも刑事免責はしましょう、ただし通常の過失だよねということがはっきりわかったら、それは医療機関側として患者さんの側に謝罪をしなければいけませんし、損害賠償もきちんとしていかなければいけない、その内容もきちんと説明していかなければいけない。そういう責務は当然のことながら医療機関側に背負っていただくことになるということなのです。
 ですから、法的な責任という場合は刑事責任だけではなくて、民事上の責任、行政的な責任、幾つもの責任の形態があるので、それを総合的に考えてやっていきましょうと。1つの責任に特化して中心にしていくのではなくて、総合的な、これは民事責任を負わせるのが適正だろう、あるいはこれは刑事責任を負わせるのが適正だろう、それぞれの責任の在り方、とらわれ方をきちんとここで考えていかなければいけないだろうというのが私の発言の趣旨でございます。

○本田構成員
 最後に1つだけ簡単な、本当に素人の発言で恐縮なのですけれども、これは重過失なのか、通常の医療事故なのかという線引きはどこでするのですか。

○宮澤構成員
 定義はあるのですけれども、重過失は非常に難しいと思います。ただ、重過失致死とか重過失の有無はもう法律上の文言の中にありますので、それは明らかに区別されて法律の中にある問題。それはほんのわずかな注意でやっておけば避けられるようなもの、極めて簡単な注意で結果が避けられたものを重過失と呼んでいただいて結構だと思います。ただ、定義上はこういうものですけれども、確かに運用は難しいです。ただ、運用が難しいからといって運用されていないわけではない。現在、重過失という形での法文上の規定も既に存在していますので、それはきちんと法務省の方で、あるいは検察庁の方で運用されているのだろうと思います。

○有賀構成員
 だから樋口先生が柳田邦男氏の序文とかそこら辺を引用して、この「ヒューマンエラーは裁けるか」という本の話を多分お出しになっているはずなのです。つまりそんなに簡単に線引きができるかといったら、できない。これも「ヒューマンエラーは裁けるか」というblameの側のカルチャーで読むと、実は結論が出ていないのです。最後までいっても何を読んだんだろうということで、もう一回読まなければいけなくなってしまうという本だと私は思うので、今、先生が重過失はこういうふうなことになっていますよというのは、なっていることは多分なっているのだと思いますけれども、では本当にどこで線を引くのかというと、やはり結構難しい。だからそういう意味では中澤先生、それから日本救急医学会も院内のことについては相当程度に一生懸命やった、でも院外から見たときそれはどうなのかということも含めて、医療者側が積極的に議論していかなければいけないのではないかと思う次第なのです。

○宮澤構成員
 それはそのとおりだと思うのです。過失とか重過失を区別していくのは法律家とか門外漢にはなかなか難しい。だからこそ専門家の領域できちんと判断してくれる機関がやはり必要だというところに落ち着くことは間違いないと思います。

○山本座長
 どうぞ。

○中澤構成員
 これは私の経験でもあるのですけれども、やはり病院側では過失がほとんど見受けられないのだけれども、起きてしまった事象としては結構重症な問題が生じることがあります。そのようなときに要するに救済するところがなくて困ることになっていくのですけれども、救済制度の無過失補償と事故の過失がどうかということを考えたときに、きざな言い方ですけれども、悲しみの大きさに対応するのが救済制度の方であって、そこに過失か無過失かということはそんなに大きな問題にはならないと私は思うので、救済するのかしないのかというところに焦点を置くと、そんなに無過失・過失というところはこだわらなくてもいけるのではないかというのが私の考えです。今、そういったところのサポートが不足しているところでありますので、その辺もちょっと制度の骨格としては考えていただきたいなと思います。

○山本座長
 どうぞ、豊田さん。

○豊田構成員
 前回患者団体の方からお話を伺ったときに、やはり医療界の中でまとまっていないという印象を受けたことを話していますけれども、確かに一生懸命それぞれに考えてくださっていることはすごく伝わってきました。ですが、やはり今日お話を伺っていても、院内事故調査を中心にやった方がよいという意見だということはすごくよくわかったのですが、ほかの先生方もおっしゃっていましたけれども、中小の病院でも実際に重大な事故は起きているわけですので、そういったところに対してもどうやっていくかということをもう少し医療界で話し合っていただかないと患者の立場からは、今のお話の内容では、院内事故調査を中心にということに賛同できないという印象を受けました。
 刑事責任についても、私の息子の事故の場合は医師の不作為の事例ですので、単純ミスの事例ではないのでまた少し心情的にも違うかもしれないですけれども、私自身は個人の医師の責任を追及したくないという思いで病院に対して何度も質問したり働きかけたのですが、残念ながら当該病院にきちんと対応していただけなかったので、1年近く悩んで、仕方なく被害届を提出しているのです。そういう人たちも実際にはいます。出したくて出しているわけでは決してない、そんなことをしたらその後大事になって、自分たちにとってもたくさんのプレッシャーとストレスを抱えるわけですから、安易にできることではありません。
 事故が起きた当該の病院でどのようにしっかりやっていけるかということですが、院内で行うことには限界があると思うなかで、ここまで院内の事故調査でとおっしゃられるのでしたら、もう少ししっかりした仕組みを示していただきたいと思います。
 それから、先ほど永井さんもおっしゃっていましたけれども、私たちは患者会としてご相談を受けることがありますが、実際に病院に対応してもらってよかったという事例が余りにも少ないのです。数例は知っています。誠実に対応して、事故調査報告書をきちんともらったという患者さんのお話も伺っていますけれども、余りにも少な過ぎるので、これからかもしれませんが、そういったことを積み重ねていっていただいて、それを示していただかないと、今の状況では院内の事故調査だけでは信頼性や信用性に欠けてしまうのではないかと思いました。

○山本座長
 加藤さん。

○加藤構成員
 今、豊田さんのおっしゃったことに加えて、各医療機関で要するに院内事故調査がきちんとやれるだろうかということを考える大前提は、その医療機関が十分にいろいろな有害事象とかさまざまな事故事例、そういった重篤な合併症が発生したケースとかを日常的に把握する仕組みができていないことがものすごく大きな問題で、そして報告文化が、つまり病院の管理者に対してそうした事故が起きていることをきちんと報告する、医療安全の観点からいえば、有害事象をピックアップする抽出力がないことが決定的に問題だろうと私は思っていることと、院内事故調査の具体的なイメージを考えてみると、ピア・レビューが非常に不十分な文化の中で、院内医療事故調査が仮に外部の何人かの人を招き入れてやったところで、公正、客観的なものとはとても言えないというものが少なからず存在しているという現実を踏まえてどう考えるのかということが必要なのではないか。
 今日、私の発表資料の中に、資料4の8ページ以下を見ていただきたいのですが、これは日弁連のシンポジウムの実行委員会がまとめた院内事故調査ガイドラインなのですけれども、なるべく公正に事故調査が行われるための1つのガイドラインを提案させていただいております。そういう中で果たしてそれぞれの医療機関がどんなふうに院内事故調査の内規といいましょうか、規則みたいなものをつくっているのか、どういうときに事故調査をどういうレベルのものとして行おうとするのか、特にMMカンファとか、院内事故調査でも外部委員主導型のものをするのかとか、いろいろなことを各医療機関が真剣に考えているのかというと、まだまだそういう土壌が育っていないというのが私の感じているところ、一番大きな問題なのです。
 第三者機関はそうした院内事故調査の不十分なところを指導するとか、監督するとか、サポートするとか、いろいろな意味でも役割を果たさなければいけない国の独立した機関というイメージで考えています。
 もう一つ、今日の議論の中で、刑事が突出しているかのような話が何となく場の空気として出ているのかもしれないですけれども、私がこれまでたくさんの医療過誤事件を扱ってきた中でひどいなというケースを幾つも見てきているのですが、その民事事件の被告になった当該のお医者さんが刑事処罰を受けたという例を私は知らないです。私の見てきた限りでは。つまり警察はそういう分野についてはほとんど動いてこなかったし、今日的にも刑事が突出して有罪判決がぼんぼん出ているという状況ではありません。医療事故の全体像との関係でいえば医師が刑事責任を問われるということはごくごくまれな現象です。刑事問題となって罰金刑に処せられることは極めて稀な事例なのだろうと思っていますので、前提としてそうした事実を踏まえた上で設計を考えなければいかんのではないだろうかと思っております。
 1つ、宮澤先生の資料6のペーパーの裏ページのところなのですけれども、「刑罰による対応で効果認められる(再発の防止)」とあります。お聞きしていると「ヒューマンエラーは裁けるのか」とかいろいろな論調の中に、過失犯を処罰をすることによって安全性との関係で果たして効果があるのかという意味でいうと、ありとあらゆる過失犯がそういう意味では刑事罰になじまないのかもしれないという議論にまで聞こえてくるのですけれども、果たしてそうなのだろうか。なぜ刑法が過失犯を罰したり、業務上過失致死傷を定めたのかということをやはりもう一度考えてみる必要があるのだろうなと思っております。1つは刑法の目的の中に教育刑という部分がありますけれども、刑罰の本質は応報であるという刑法学者もいるわけです。応報の感情をどう考えるのか。例えばさまざまな業務上過失致死の悲惨な例がありますね。最近でいえば、ビルの外壁工事のときに、足場をきちんと留め金しなかったために風にあおられて足場が崩れ、子どもが下敷きになって死んだ。こういうようなときに、処罰したところでより安全なものにならないという論理で免責ということは普通考えないはずです。例えば血液型を間違えて、子どもさんがA型の血液を入れるところ、B型を入れられた、それで亡くなったというときに、それは免責なのか、重過失なのかという議論になってくるのだろうと思うのですけれども、やはりいろいろとそういう具体的な事例を念頭に置きながら私たちは議論しないと、どうも事実を踏まえないままに抽象的な議論をし過ぎないようにした方がいいのではないかと思っております。

○山本座長
 恐らくまだまだそれぞれおっしゃりたいことがあるのではないかと思いますが、既に所定の時間を経過しております。私の不手際で、本日はもう一つ議題が本来はあったのですけれども、これを行うことは既に不可能だと思いますが、一応資料だけでも、資料8が出ておりますけれども、事務局の方から御説明をいただけますか。

○医療安全推進室長
 議題としましては、参考資料にありますように、検討事項を順次御検討いただきましょうということでこれまでお話しいただいておりまして、そのうち医療事故に係る調査を行う目的について本日検討をお願いしたいと思っておりました。
 資料7につきましては、前回も参考資料として提出させていただきましたけれども、構成員の皆様よりいただきました医療事故に係る調査の目的等に関する御意見ということで、同じ資料を提出させていただいております。
 資料8につきましては、その検討に当たりまして、座長から全くの白地では検討がしづらいという御指示がありまして、これまでの検討の中で文書の形、または御発言の形でそれに類するものを、前後余り見ずということでございますけれども、こちらの方で切り取らせていただいて、そういうものを羅列したものでございます。ですので、内容的にはかなり重なっている部分もありますし、余り整理をしない形になっております。こういったものを材料に検討を進めていただければということで提出させていただきました。

○山本座長
 ありがとうございました。
 そういうことですので、「調査を行う目的について」という議題については、次回に御議論をしていただくことになりますが、資料8との関係では本日の皆さんの御説明あるいはその後の御発言の中でもやはり目的に関したものがあったように思いました。そういうようなものを更に補充していただくということもあると思いますし、あるいは今日はその点について発言をされなかった構成員の方々、皆さんからもこういう提出書面の形で御意見をいただければと思います。次回はこの点について御議論をいただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  それでは、本日積み残しを出してしまいましたけれども、時間ですのでこれで終了させていただきたいと思います。
 今後の予定等について事務局の方から御説明をお願いいたします。

○医療安全推進室長補佐
 次回の検討部会の日程についてですけれども、改めて調整の上、後日連絡させていただきますので、よろしくお願いいたします。

○山本座長
 まだ調整中ということですか。

○医療安全推進室長
 正式な御案内は別途差し上げるという趣旨でございます。

○山本座長
 そういうことですので、よろしくお願いいたします。
 どうも本日も長時間にわたって御熱心な御議論をありがとうございました。


(了)
<照会先>

医政局総務課医療安全推進室

室   長 宮本: 内線2570
室長補佐 川嵜: 内線4105

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