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2011年12月26日 第2回社会保障の教育推進に関する検討会議事録

政策統括官(社会保障担当)付社会保障担当参事官室

○日時

平成23年12月26日(月)
10:00〜12:00


○場所

厚生労働省19階共用第9会議室


○出席者

委員

大杉昭英委員 梶ヶ谷穣委員 権丈善一委員
細野真宏委員 前田昭博委員 増田ユリア委員
宮台真司委員 宮本太郎委員

有識者

藤川大祐 (千葉大学教育学部教授) 藤原和博 (東京学芸大学客員教授)

事務局等

香取政策統括官(社会保障担当) 武田参事官(社会保障担当)
朝川政策企画官 平林文部科学省初等中等教育局教育課程課長

○議題

・有識者からのヒアリング
・その他

○配布資料

資料1有識者プロフィール
資料2藤川大祐氏 資料
資料3藤原和博氏 資料
参考資料1学習指導要領関連資料
参考資料2教科書制度の概要

○議事

○権丈座長 それでは、時間になりましたので、ただいまから、第2回「社会保障の教育推進に関する検討会」を開催いたします。
 委員の皆様には、御多忙のところ、お集まりいただきましてありがとうございます。
 本日は、前回御欠席でした宮本委員にお越しいただいておりますので、後ほど、いろいろ御意見をいただきたいと思います。
 また、本日は、小宮山厚生労働大臣がお見えですので、議事に入る前に、一言ごあいさつをいただきたいと思います。よろしいでしょうか。

○小宮山厚生労働大臣 おはようございます。お忙しい中、この検討会のためにお集まりいただきましてありがとうございます。
 今、御承知のように、政府としては、社会保障と税の一体改革、野田内閣の最重要課題として取り組んでいるところです。
 この社会保障と税の一体改革をうまく運んでいくためには、とにかく国民の皆様に御理解をいただいて、そして、納得をしていただかなければいけないということで、今、努力をしているところです。中でも小さい頃、子どもの頃から社会保障の制度をしっかりと理解して、そこを支えていく一人となっていくことが大変重要だと思っています。特に、子どもたちは、これからこの社会保障制度とともに、ある意味長く生きていくわけですので、そこの理解と、どうしたらいいかという考えもしっかりと反映されていくことが必要だと考えています。
 これも御承知だと思いますが、今回の社会保障制度改革では、高齢者3経費と言われていた、年金、医療、介護だけではなくて、子ども・子育てを支援するという、子育てというのを4本目の柱として加え、また、若者を中心とした雇用も入れたということで、全世代対応型と言っていますけれども、どの世代でも受益感があるような制度にしたいということがひとつ。
 また、現在の社会保障制度は、ほんとうに世界の中ではいい制度だと思うんです。しかし、今は次の世代の借金によって成り立っている、後世にツケを回して成り立たせているのを何とかここで止めたいという、そのふたつの思いが大きなねらいでございます。
 私も以前、放送の世界にいた頃から、消費者教育ですとか、環境教育とか、今まで学校の中で教えてこなかった教育のことに取り組んできたりしましたので、社会保障教育というのも、これから人間教育として必要なひとつの大きな柱だと思っています。
 これは、消費者教育などと同じように、だれがどのように教えるか、学校の中だけでは、ちょっと収まり切れない、教材はどういうふうにするのかとか、同じような問題があるかと思います。是非、皆様の積極的な御議論で、いい形で社会保障の教育が進んでいくように、今日も文科省からも来てもらっていますので、文科省と連携を取りながらやっていきたいと思いますので、どうぞ、皆様の活発な御議論を期待しています。
 よろしくお願い申し上げます。

○権丈座長 ありがとうございました。議事に入る前に、宮本委員の方から、何かございましたら、よろしくお願いいたします。

○宮本委員 前回欠席いたしまして、大変失礼いたしました。北海道大学の宮本でございます。特に、後で議論の中で、いろいろ発言させていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

○権丈座長 今日は、残念ながら広井委員が御欠席となっております。
 それでは、議事に入りたいと思います。
 議事次第に御案内のとおり、本日は、ヒアリングがメインになっております。
 その前に、前回の議論の中で触れられました事項について、文部科学省さんから簡単に説明していただければと思います。
 では、まず、事務局の方でしようか、よろしいでしょうか。

○武田参事官 まず、事務局ですけれども、本日の配付資料につきまして、御説明をいたしますので、御確認をお願いいたします。
 議事次第の後に、資料1といたしまして、本日、ヒアリングをさせていただきます、お二人の先生方のプロフィールを書いた1枚紙をお配りしております。
 それから、資料2は、本日、お話をいただきます、藤川先生の資料。
 資料3が、これも本日、お話をいただきます、藤原先生の資料となってございます。
 それから、参考資料といたしまして、冒頭に文部科学省さんから御説明をいただきますが、学習指導要領ができるまでという1枚の参考資料1。
 参考資料2として、教科書制度の概要という冊子でございます。参考資料2につきましては、委員の先生方には、冊子そのものをお配りしておりますが、傍聴の皆様方には、使用箇所のコピーをお配りしております。
 全体は、文部科学省さんのホームページに掲載されているということでございました。
 資料の不足等ございましたら、事務局までお知らせいただければと思います。
 資料の確認は、以上でございます。

○権丈座長 ありがとうございました。それでは、まず、文部科学省の平林課長の方からよろしくお願いします。

○平林課長 それでは、まず、参考資料1をごらんいただければと思います。学習指導要領の作成の手続というものを簡単に整理させていただいております。
 まず、流れといたしましては、基本的な議論の場として、中央教育審議会という諮問機関が文部科学省にございまして、そちらに諮問をすると、そこで議論が行われるというものでございます。
 今回の改訂でいいますと、平成17年4月から、この中央教育審議会の教育課程部会で議論が行われまして、答申というものが出されました。
 その答申におきまして、改訂の基本的な方針、大きな方針であるとか、あるいは各教科、あるいはそれぞれの学校種段階における具体的な改正の内容というものが答申として出されるということになってございます。
 これも今回の改訂でいいますと、平成20年の1月に答申が出されたというものでございます。
 その答申を受けまして、実際に学習指導要領の改訂というものを文部科学大臣の権限において行うというものでございます。かなり詳細な部分や新たに細かい点を付け加えるということはございますが、それぞれ小中高、また、特別支援学校あるいは幼稚園についても文部科学大臣が告示という形で公示します。
 今回の改訂でいいますと、平成20年3月に小中学校についての改訂の告示がなされまして、高等学校につきましては、翌年の平成21年3月に改訂の告示がなされました。
 裏側にこれまでの学習指導要領の変遷をお示ししております。改訂の時期というのは決まっていませんが、これまでおおむね10年に一度改訂というものが行われてきているところでございます。それぞれの改訂に特色というのもございます。現在進行中のものは、今、申し上げましたように、平成20年、21年にそれぞれ小中と高等学校につきまして改訂が行われまして、小学校につきましては、この4月から全面実施ということになってございますし、また、中学校につきましては、来年の4月から全面実施、高等学校につきましては、その翌年の平成25年4月の入学生からの年次進行という形で実施されるというように、現在、まさに新しい指導要領の実施の局面に入っているところでございます。
 教科書についてでございますが、お手元に教科書制度の概要というものをお配りしておりますが、まず、その中の2ページ目、3ページ目をごらんいただければと思います。
 教科書は、使用されるまでには、4年のサイクルがございまして、まず、1年目に編集等が行われて、2年目にそれを文科大臣において検定をします。
 そして、3年目には、その検定された教科書について、各学校、各教育委員会でどれを採用するかという採択が行われまして、4年目に使用するというようなサイクルが行われます。3ページ目の表1というところがございますが、これは平成21年度からの周期でございます。
 この太線のところが、ちょうど学習指導要領の改訂後の動きになってございまして、例えば一番上の小学校でいいますと、先ほど20年3月に告示されて、20年度については、編集されて、そして21年度に検定が行われて、22年度に採択がされて、まさに、4月から使用が開始されるというように、学習指導要領の改訂の動きと教科書の検定採択というものがリンクするようになっているというものでございます。
 実際の検定の手続につきましては、同じく9ページ目に、ちょっと細かく書かれているものがございますが、検定手続というものがございます。教科書会社の方で学習指導要領を踏まえて、まず、編集して、それを文科省に申請するというのが、一番上に示されています。
 その申請図書につきまして、文部科学省内に、教科用図書検定調査審議会がございまして、そこで審査が行われるというものでございます。そこで、合格、不合格が一発で決まるという場合も、勿論、ございますが、大抵の場合は、いわゆる検定意見というものを出して、合否の判定を一旦保留いたしまして、その検定意見を教科書会社に通知して、その内容を踏まえて、また、再度修正なりをしていただいて、それを更に申請して、審議会で修正内容を審査し、合格、不合格が決定されるという形で使用に至るというのが、大体の大きな流れでございます。
 これが、それぞれの学校種段階で4年に1回行われております。
 ただ、いろいろな誤記とか、あるいはいろいろ事情が変更したとかいった場合には、その内容を一部修正するという手続がございまして、それが7ページ目の下に検定済図書の訂正、一般的に訂正申請というふうに申し上げていますけれども、そういう制度がございまして、検定が終わった図書について、誤記、誤植があるとか、あるいはいろんな事情が、今回、例えば原発あるいは震災とか、原発の事件で事故があって、一部内容を訂正するというような報道が先日もなされたかと思いますが、そういった場合には、発行者の方でその訂正というものを申請して、それについて文部科学大臣が内容を審査して、その承認を受けるといった場合には、訂正ということは可能になっているというものでございます。
 大体これについては、随時行われるというものでございます。
 以上が、学習指導要領と教科書制度の概要でございます。

○権丈座長 どうもありがとうございました。これだけ詳細に説明していただいて、本当は質疑の時間を設けたいんですけれども、今日は、ヒアリングの方に進まなければならないので、大変申し訳ございません。
 それで、本日は、お忙しい中、千葉大学教育学部教授の藤川大祐先生と、東京学芸大学客員教授の藤原和博先生にお越しいただいております。
 お二方のプロフィールは、お配りしている資料にあるとおりでございます。
 お二方は、わかりやすい授業を行うための手法の開発とか、実践において顕著な実績を残しておられる方々として、本日、講義をしていただくことになりました。
 社会保障の教育を推進するために何が必要かなど、御経験などを踏まえながら、いろいろと御意見をいただきたいと思っております。
 準備はよろしいでしょうか。

○藤川先生 皆さん、おはようございます。本日は、お招きいただきまして、ありがとうございます。千葉大学の藤川と申します。
 お手元の資料2に沿ってお話ししてまいります。一部、実際の映像というか、写真なども見ていただいた方がよろしいかと思いますが、基本的に資料2でお話しさせていただきたいと思います。
 私の研究室は、授業実践開発研究室と名乗っておりまして、これは、多分、日本で唯一かと思います。教科・領域を問わず、新しい授業あるいは教材の開発をする研究室ということでございます。千葉大学が2001年度に設けたカリキュラム開発専攻という大学院のコースに併せて、私も千葉大学に勤めるようになりまして、そのときから授業実践開発研究室と名乗っております。
 今までは、起業家教育であるとか、環境教育であるとか、数学であるとか、あるいはキャリア教育であるとか、食育であるとか、教科のこともやってはいるんですが、教科以外の部分についてもさまざまな授業づくりをやらせていただいております。
 中でも、2003年のところを太字にしているのですが、学生たちとともに、NPO法人企業教育研究会という組織をつくりまして、企業と学校を結んだ授業づくり、あるいは教材の提供などを行っております。本日は、その新しい教材や授業プログラムを学校に提供することの1つの例として御紹介させていただくということで承っております。よろしくお願いいたします。
 まず、背景ですが、2枚目をごらんください。ちょうど、これは、先ほどの文部科学省の資料と併せてごらんいただくと興味深いことがいろいろわかると思いますけれども、国の動きに並行するように、日本の学校の先生たちの自主的な教材づくり、授業づくりというのは、国際的にも例を見ないほど非常に盛んでございます。特に1960年代、70年代くらいは、いわゆる民間教育運動が隆盛したというふうに言われております。
 民間で、先生たちが自主的に集まって、算数、理科、社会科、体育等さまざまな教科の教材をつくるということ、あるいは国語なども含めたさまざまな指導法を開発するということを行ってまいりました。落ちこぼれをつくらないというのが1つの合言葉だったかと思います。
 これが、80年代になりまして、「教育技術の法則化」という動きが出てまいります。教材や授業をつくるというよりは、もっと細かい授業技術を磨いて、学級が荒れるのを抑えていこうというようなことが盛んになりました。
 そして、90年代以降、この辺りからどちらかというと、文部科学省の政策が民間よりも先を行くと私は考えておりますけれども、生活科や総合的な学習の時間が導入されて、新しいプログラムの開発が求められてきました。それに呼応するように、民間でも研究が進んできたということかと思います。
 また、2000年以降は、学力低下問題とか、「ゆとり」批判といったものが出てまいりました一方で、情報教育、食育、キャリア教育等々、新しい何とか教育というもがさまざまな形で求められるようになっております。
 このようになっていますが、教員の世代交代であるとか、週5日制完全実施で、なかなかレギュラーの授業日の中に余裕がないとか、あるいは子どもたちの格差が拡大して、生徒指導的な対応に追われるとか、犯罪なども、2001年に大阪の小学校で殺人事件が起きておりますが、安全対策等々の負担も増えてまいりました。どうも最近、ここ10年くらいは、教員が自ら自主的に教材づくり、授業づくりをするということが、やや難しくなってきているというふうに申し上げてよろしいかと思います。
 その一方で、新しい教育内容への対応が求められる一方でございますので、だれもが使える教材あるいは授業プログラムといったものが現場では求められていると感じております。
 こういうことを背景にしまして、次の紙をごらんください。私どもは、NPOをつくって、企業と連携をして、学生の力で学校に新たな授業プログラムを提供するという活動をしております。
 ホームページの画面をスクリーンでごらんください。
 これが、私どものNPOのホームページでございまして、実践授業紹介というところをクリックしますと、さまざまなプログラムが出てまいります。ちょっと見づらいかもしれませんけれども、携帯電話については、A社との共同プロジェクト、これは、書いてありませんが、NHKエデュケーショナルとも一緒にやっておりまして、NHKのつくった番組を学校現場に指導案付きで提供する。あるいはデモンストレーションの授業を行うといったことをやっています。
 また、この下2つですが、B社とゲーム会社でキャリア教育の支援として、ゲームで働くということや、算数、数学や理科とゲームの関係などを扱う授業をやっております。
 また、これはC社でございますが、CDをどうやってつくったかとか、液晶テレビをどうやってつくっているかということを中心に、理科教育支援プログラムというものを行っております。
 また、こちらはD社とともに、私たちの音楽と著作権という授業をやっています。
 E社とは、言葉の授業ということで、インタビューをするとか、作文などの授業を行っております。
 また、F社とウインナー手づくり体験教室、G社と食育。H社とは、例えば英語を使って働く人の働く姿に触れるキャリア教育のプログラムなどをやっています。I社とは、携帯で防犯、防災講座をやっています。更に、これは、J社と一緒に、金融経済教育支援プログラムの提供もしております。
 こういったものが、普段募集しているプログラムでございます。これ以外にも学校の御相談に応じてさまざまな授業を提供するということをやっているところでございます。
 資料に戻ります。この企業教育研究会は、間もなく9年くらいになるんですけれども、比較的うまい具合に持続して活動を続けられています。これは、関係する、それぞれの立場の人たちにそれぞれにメリットがあるからかと思っております。
 この図で大体御説明しているんですけれども、まず、学校には、学校のニーズに合った授業や教材の提供をしているということは当然ございます。
 形態が幾つかございまして、単純に出前授業をするというものもございます。例えば、先ほどのウインナー手づくり教室であれば、F社の社員と、私どものスタッフが学校に伺います。それで、必要な道具とか、食料なども全部持っていって、その場で、大体家庭科室でやるんですが、家庭科室を工場みたいにして、実際に手づくり体験をし、そして、プラスで食育についての豆知識みたいなものをお伝えすると、そういう出前授業をやっております。
 一方で、同じ食育でも、G社とやっている食育のプログラムは、出前授業は基本的に行わずに、指導案付きのDVD冊子、DVDに指導案が付いていますね。つまり、このDVDを見て、指導案を見ていただければ、授業ができますというものにしています。DVDは、NHKエデュケーショナルがつくっておりまして、アニメであるとか、ゲームであるとか、そういったインタラクティブなコンテンツ、楽しいコンテンツも入っていまして、そういったものを使いながら食育の基本をやってもらおうということです。これも雰囲気だけ見ていただければと思います。
 これは、ウェブですべて教材を公開しておりますが、ウェブですと、なかなか普通教室では使いにくいので、DVDにも全部入れてあります。「授業を受ける」というところを押すと教材が出まして、0から5まで6つのプログラムがありまして、例えば食品衛生のプログラムが4時間目にございます。これは、アニメのキャラクターが食中毒事件を起こしてしまい、その犯人を捜していくというという話なんですけれども、最後に「プロに聞け」という内容があると、こんなふうになっています。これで授業をやるときには、手がきれいに洗えているかどうかチェックする手洗いチェッカーという小道具が必要なんですね。この映像だけでもある程度授業はできますが、必要な道具は事務局から貸し出しをするということにしております。こういうコンテンツをつくっています。
 戻りまして、こうしたキャリア教育、言語活動、食育、情報モラルといった学校がやらなくてはいけないんですけれども、教員だけでは実施が難しい授業について、出前授業とか、DVD付き指導案冊子の提供をすると。
 お金は学校からはいただいておりません。すべて企業から社会貢献の費用として必要な経費をすべて出していただいておりますので、学校はお金の負担もないわけです。
 また、NPOのスタッフである学生が調整役になっていまして、学校にさまざまな事情がございます。例えば、こういう設備がないんだけれども、どうしたらいいんだろうかとか、どういう時間割に入れたらいいのだろうかとか、評価はどうすればいいのか、いろんな御相談がありますので、そういった御相談は、NPOのスタッフが電話等でやらせていただきまして対応していきます。
 学校は、メールでの連絡が非常に取りにくいんですね。メールを出しても多くの先生が、なかなか返していただけない。これは、多分、メールを普段あまり使っていない方が非常に多いんだと思います。FAXですと、ある程度読んでいただけるんですけれども、細かい連絡は、やはり電話にしなければいけない。しかし、電話も、先生方がつかまる時間というのは非常に限られておりまして、大体小学校ですと、午後3時以降、中学校ですと、いつ電話してもいない先生が多いんですけれども、昼休みとか、空いている時間を聞いたりして何度も電話をするとか、ちょっとしたことなんですが、連絡を取るのも少し苦労が要ります。
 それで、学生たちは、こういったことをずっとやっていますし、そもそも教育学部で学んでいるものが多いので、そういった学校の事情もある程度理解しながら調整をするということをやっています。こんなふうにして学校に貢献するということが基本です。
 では、企業については、どういうメリットがあるのかということですが、企業は、御承知のように、最近、CSR、企業の社会的責任を果たせという社会的なプレッシャーの中にいるわけでございます。特に、企業の中堅の社員の方々は、多くの方がお子さんがいらして、小学生、中学生などの親御さんでもあるわけで、非常に教育への関心は高いんですね。よく、もう少し学校に貢献できないのかという声が、企業の中からも上がるということがございます。
 ところが、よくあるのは、学校があまり求めていないような教材を大量につくって学校に送りつけるというようなことがあるんですけれども、これが、ほとんど学校では山となっているんですね。開封もされずに積まれているというようなことがありまして、せっかくいいものをつくろうとしても、なかなかうまくできない、うまく調整ができないというようなことがございます。
 ですので、間にコーディネート役が入ることによって、うまい具合に企業のリソースを生かした社会貢献活動としての学校教育の貢献ができるようになろうと。こういうようなことを企業は、かなり求めていらっしゃいます。私どもにも多くの御相談をいただきます。
 ただ、御相談いただいても、それはちょっと無理じゃないかというような宣伝色の強いものも多くて、お断りすることも多いんですが、お互い、調整がつくものについては、これは学校にこういう形で御提供すれば、きっとニーズがあるだろうというようなことで調整をいたしまして、学校に提供するということをやっております。
 企業の方は、学校に出前授業などで行っていただくと、大変喜んでくださるんですね。これは、ある程度きちんと準備した授業であれば、子どもたちは、ほぼ例外なく、非常に目を輝かして大変熱心に授業に参加してくれまして、そういう子どもの素朴な目で見つめられて学んでもらえるというのは、企業の方々にとっては、改めて御自分の仕事の意味を見出す機会として、非常に自尊感情を高める機会になっているというふうに言っていただけます。
 こういうことも含めて、企業の実質のあるCSR活動に協力できるということも、企業にとってはメリットなのかもしれません。
 また、担い手としての学生の役割についても書いておきましたが、学生たちは、多くの者が不安を抱いております。教師を目指す者が多いんですけれども、このまま民間企業の雰囲気も知らずに、教師になっていいものだろうか、学校しか知らない中で、今、難しくなっていると言われる学校現場で対応できるのだろうかという不安があるわけですけれども、しかし、この学生時代に企業と関わって学校とも一緒に授業をしていくというようなことをやりますと、企業のことも学校のこともある程度理解ができて、安心して学校の教員になれると、中には企業に勤める者もおりますけれども、学生の不安解消にもなっている。実質的な勉強にもなっているというふうに思います。
 また、企業から必要な経費の一部として、学生の人件費であるとか、研究開発費も出してもらっております。これらが、学生のアルバイト料にもなりますし、学会発表等の研究費にも使えるということで、経済的にもうまく回っているということがございます。
 こういったことで、それぞれにメリットがあるために、学校、企業、学生のそれぞれにメリットがあって持続しているということかと思います。
 昨今、不況だったり、震災があったりしておりますけれども、あまりこういった取組みについて企業は方向を変えてはおりませんで、お陰様で、何とか最近でもうまく回っているということで、年間大体200から300件くらいの出前授業を行い、学生スタッフ20名程度が動いております。
 一応、専従の職員も何名かおりまして、事務所が千葉大学のそばの西千葉駅前にございます。そこで、常にだれかが働いているというようなことになっております。
 ここで、私どもの専門性を生かして授業プログラムあるいは教材を開発しているんですが、特徴が幾つかございますので、簡単に御紹介させていただきたいと思います。
 1つは、教科等の内容を人と結び付けて扱うということです。特に、理系の教科などについては、そのこと自体に、子どもが関心を持ちにくいという場合が多くございます。
 例えば、関数を数学で扱うときに、ゲーム会社のプログラマーが関数を使っているという話を示して、ゲームの文脈でキャラクターをこういうふうに動かすには、どういう関数を使えばいいかという問題を出すわけです。
 そうしますと、プログラマーへの共感もございますので、中学生など、数学が嫌いな生徒もある程度理解しやすいというか、動機付けになりやすいということでございます。一般的に申し上げれば、教科等の内容が社会とつながっているということを感じさせて学習意欲につなげようということをしております。
 また、子どもの承認欲求に訴えるということを重視しております。今、知的好奇心に訴える授業というのは、ちょっと子どもたちも食傷ぎみです。情報は大変豊富にございます。一方で、地域のつながりなども少ないということもあって、これは、宮台先生のお言葉でもあるんですが、「承認の供給不足」というような状況がございます。そういう中ですから、さまざまな人に認められる、そういう機会が重要だと考えられます。
 授業の中で、社会人の方が子どもの声を聞いてコメントするとか、あるいは子ども同士が作業をして認め合うとか、そういう場面を大事に授業をつくっています。
 3つ目ですが、2時間程度の短いプログラムを重視しています。これは、10時間とか15時間という単元をつくりたくなるんですけれども、これを全部提供するというのは、なかなか大変ということもございますし、学校も受入れにくいということがございます。2時間程度の短いプログラムをこちらが提供して、その前後の時間は、学校で自主的につくっていただくと、勿論、御相談には応じる、そういうふうにやっております。
 4つ目に、視聴覚メディア、ICT、教具などを活用します。これは、貸し出しとか配付なども行っています。
 5つ目に、企業と学校との関係への配慮ということでやっております。これは、要するに宣伝と受け取られないようにしたいということです。基準は、同業他社の社員が保護者にいても成立するということですね。例えばA新聞の記者が行っても、そこにB新聞とかC新聞とかD新聞の記者がいたとしても大丈夫だというくらいを意識してやっております。
 これは、企業単独では結構難しいですね。私どもが入ることによってやりやすくなっているということかと思います。
 以上が御紹介でございまして、あと、社会保障の教育に関しても一言言えという御指示でございましたので、ちょっと否定的なことも含めて書かせていただきました。
 まず、1つ目に、提供側でなくて利用側の発想が必要だろうということですね。つまり、これは当たり前ではあるのですが、どうしても国の意向として、厚生労働省の意向としてこういうものをやってほしいということで提供したくなるとは思いますが、一方で、受け手の側の学校や児童生徒はどう受け取るんだろうかということは、これは十分御配慮いただきたいということでございます。
 そもそも学校の先生たち、教職員は、社会保障への関心が低いのではないかというふうに私は感じております。そういう人たちが教えるということには、そもそも無理があるわけでございまして、そこをどういうふうに扱うかというのは大きな課題であろうということでございます。
 2つ目に、教科の在り方との関連ということを書きました。社会科、公民科あるいは家庭科といった教科で扱われるというふうに考えられますけれども、これらの教科では、そもそもいろいろな内容が多いわけですね。現代的な課題として、金融経済であるとか、法であるとか、消費者教育であるとか、大臣もさっきおっしゃいましたが、そういうような課題がそもそも多いわけですね。ここにまた加えるとなりますと、よほど意欲のある先生でないとなかなかやれないということがあると思います。教科の全体像を変えるというのが本来の在り方であろうと、そこにどうやってもっていくのかということが課題なんだろうと思います。
 3つ目ですが、教育内容の不安定さというものもちょっと心配でございます。今、改革の途上というふうに理解しております。
 そうしますと、今、議論していることが、数年経ったら陳腐化してしまうということも十分考えられるわけです。更に、国がこの課題を重要視していて、だから教育をしようというふうになりますと、これは国による宣伝ではないかというふうに受け取られて、敬遠されてしまうのではないかということも危惧しております。
 ですから、端的に申し上げますと、社会保障というものをあまり前面に出さないで、うまくこの教育内容を定着させる方法を考えるということも1つの可能性としてあるのではないかと思います。
 一番下に、一応、考えみたいなことを書きました。大胆な発想での検討をと書きましたが、社会科が文系的な科目なんですね、当然なんですが、物語とか、エピソード的なものが中心になっていて、なかなか数理的なことが扱われておりません。例えば、人口というものがどういうふうに歴史の中で変化してきたのかとか、人口の年齢構成比が、今、どうなっていて、それがどういう社会的な課題につながっているかという数理的な発想を取り入れた学習というものが現代の社会を考えるためには非常に重要だと、私は考えていますが、なかなか社会科という教科の中では、そういうことができておりません。これは家庭科も同じかと思います。家庭科の場合、食生活とか、そういうところでは数字が出てきますけれども、なかなか社会生活、家庭生活などについては、そういった内容がない。
 この辺りを抜本的に変えていけば、当然社会保障についても、今の日本の人口構成比はこうなっていると、財政はこうなっている、年金制度は従来こうだったというふうなことを批判的に検討し、これからの制度の在り方について、児童生徒が自分たちで考えて議論する、そういうようなこともできるはずだと思います。
 ところが、今までのやり方では、なかなかそこまで行かないのではないか。この辺りを抜本的に変えるということを目指さなければ、社会保障教育というものを新たに付け加えたとしてもなかなか定着しないのではないかと思います。
 また、一方で、これは学校の先生たちだけでは難しいので、私どももやらせていただきますが、企業とか自治体からゲスト講師を派遣する。こういう体制を充実させていくということも更に検討する必要があるのではないか、こんなふうに考えております。
 ということで、以上、雑駁ではございますが、御説明を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。

○権丈座長 藤川先生、ありがとうございました。
 では、次に、藤原先生、よろしいでしょうか。

○藤原先生 では、教育界のさだまさしと言われております、藤原です。よろしくお願いしたいと思います。
 今、藤川先生からの、そのままの流れでいきたいと思うんですが、環境庁ができますと、環境教育、消費者庁ができますと、消費者教育というのをどうしても指導要領に入れたがるということがあるんですが、これ以上増えますと、機能低下が起こるということは、現場をわかっている人間はみんなわかっています。
 例えば、今、日本の教育で何を目指しているかといいますと、おおむね4択問題に即答できる情報処理力ですね。要するに、正解をいっぱい覚えておいて、4択問題が示されます。そのうちの1つに必ず正解があるという前提で、それを当てろと、こういう力が問われているわけです。学校で行われている授業、とりわけ小中学校では9割方が、そういう授業だというふうに言っても過言ではありません。
 その延長に乗って、社会保障についても覚えよと、何歳から年金を受けられますかとか、企業に40年勤めたら幾らくらいもらえるでしょうかとか、公務員だったら幾らでしょうかみたいな、そんなことを答えさせてどうするのというようなことだと思います。恐らく、そのことについては、委員の皆さんも共有されているんではないかと思うので、話は早いわけです。4択問題を答えさせるような教育から脱しなければいけないし、これが、実は厚生労働省マターあるいは社会保障マターだけではなくて、日本の教育の根幹に関わる問題です。とにかく正解を覚えろというふうに言った場合、思考力、判断力、表現力というのが、新指導要領の中に100回出てきますが、これが付くわけがありません。付かないような授業手法を取っているわけなんですね。そういう正解主義と私は名づけていますが、正解主義、前例主義、事なかれ主義というのは、全部セットですけれども、日本人が思考停止状態になっているとすれば、この教育のお陰という部分もあると。ですから、是非、この検討会からこれを崩すような新しいチャレンジが行われるべきと、藤川さんと気持ちは1つではないかと思います。
 ちょっと端的な例として、4択問題と私が言ったときにイメージができない方がいるといけないので、1つ非常に典型的な例を述べます。
 日本の中学校の教科書には、ほぼ残らず、国語の教科書に『走れメロス』太宰治の名文が載っています。全く否定しようがない完璧な文章で、あれだけ短い中に、あれだけのストーリーをよく込めたという本当にすばらしい文章なんですね。
 これを読ませて、大体こんな感じです。帰り道のメロスの気持ちに近いものが、次の4択の中に1つあります。それを当てなさい、こういう感じですね。帰り道のメロスの気持ちに近いものは、次の4つのうちのどれでしょう、それを当てなさいということが、日本の学校では、もう連綿と行われているわけです。これを崩さなければいけない。つまり、この4択の設問そのものをつくれる、問題そのものを設定できる子どもたちをつくっていかなければならないのに、問題はだれかが与えてくれると思っていますから、だから企業が悪いとか、学校が悪いとか、あるいは国が悪いと早くなってしまうわけです。こういう短絡的な思考する子どもたちではなくて、自分がその4択問題の1つの問題をつくっていく、そして、自分で想像していくという、そういう子どもたちをつくらなければならないと、こういうことが前提です。
 このことは、今回、3.11の震災におきましても、大変証明されたことです。教育界では有名なんですが、知らない方もいらっしゃると思うので、ここでちょっとだけ語ります。
 釜石の奇跡と大川小学校の悲劇という、この2つが、現在、教育界ではほぼ常識のように対比されて語られています。
 どういうことかといいますと、釜石では、これは群馬大学の先生の指導がよかったお陰で、7年間連続して防災教育が行われていましたが、それが、正解主義の防災教育ではないんですね。都会で行われている防災教育というのは、私も校長をやっていて、これでいいのかなとよく思っていたんですが、先生がとにかく給食室で火災が発生しましたと、うその放送をします。そうしたら、子どもたちは、早く静粛に走ってはいけないよとか、うるさくしてはいけないよなんて言われながら、校庭やあるいは体育館に避難すると、要するに整列して、基本的には、小学校の場合には保護者の到着を待つというような形になります。保護者が到着したら、一人ひとりそれを引き渡していくと、これがマニュアルどおりの避難の仕方なんです。
 これをやったところが、結局、被災してしまったわけです。命を失ってしまいました。このマニュアルどおりをやって、40分間校庭でとどまった大川小学校で悲劇が起こり、釜石では何が起こったかというと、そういう非常のときには、教科書に従うな、教員や親の言うこともうそであることが多いということを、つまり疑うということを教育したわけです。そのことで、自分たちで考えて、自分たちで逃げなさいと、これが、津波てんでんこの発想ですね。
 というようなわけで、釜石では、例えば小学校1年生の子が自宅で被災して、物すごい激震が走る中、たった1人で親を待たずに避難所に逃げています。あるいは小学校2年生と小学校6年生の兄弟が、弟が、お兄ちゃん早く逃げようと言ったんだけれども、お兄ちゃんがぱっと家の周りを見たら、もう40センチくらい水が来てしまっている。それで、弟の言うことを無視して、お兄ちゃんは弟の手を引いて、自分で判断して、自宅の屋根裏に上っているんですね。これで助かっているわけです。
 そういうことで、釜石では、99.8%の児童生徒が生存したという、これが釜石の奇跡と言われるものです。
 私は、自ら考える子どもを育てるということですね、これの勝利だというふうに思っていまして、大体、1週間に30コマくらい授業がありますが、そのうちの1コマでもいいから、徹底的にディベートしたり、ブレストしたり、ロープレしたり、その結果をプレゼンしたりする場、自分で考えて、自分の意見を発言する場です。そういうものをしなければいけない。
 東京でも、いまだに正解主義の授業が続いていますけれども、この間、新聞にも載っていましたが、同じような、そういう防災教育をして、今から自分の考えたとおり、自分の身を守るためにそれぞれ逃げなさいと言ったところ、ほとんどの児童生徒が動けなかったと、こういう結果も報告されています。
 そういうことで、釜石の奇跡と大川小学校の悲劇にも学ばなければいけないということを申し上げました。
 それで、この考える力を付ける授業として、私が10年前から提唱しているのが、よのなか科という授業です。これの開発には、ここにいらっしゃる宮台先生も絡んでいただき、ほぼ一緒に開発したというような経緯がございます。
 どういう授業かといいますと、基本的には、クリティカルシンキングといいますけれども、とにかく疑ってかかる、前からだけ言われたら、後ろからどう見えるのかとか、右からだけ言われたら、左からどう見えるのかとか、あるいは右翼の極論と左翼の極論を全部聞いた上で、自分がどのポジションを取るかというのをディベートさせるという、そういうことを繰り返す授業です。
 特徴としましては、3つくらいございますけれども、1つは、大人と子どもが一緒に学ぶ、つまり、大人の社会人教育、生涯学習ですね、それと子どもの学校教育を混ぜてしまって、大人と子どもが一緒に学ぶ、つまり地域社会の大人も招いてしまって、子どもと一緒に学ぶと。
 2番目に、テーマは正解が1つではないことです。例えば『走れメロス』を学ぶにしても、仮に『走れメロス』が間に合わなかったとしたら、本当に王はあの友人を殺すだろうかということをディベートするという、こういう話です。簡単に言ってしまうとそういう話です。
 正解が1つではないケースを、3番目の特徴としては、先ほども申し上げましたが、大人と子どもが一緒になってディベート、ブレスト、ロープレして、最後には自分の意見をプレゼンすると。
 その中で、先ほど藤川さんからも出ましたが、斜めの関係と私は言っているんですが、授業に参加する地域社会の大人たちが、言ってしまえば、おじさん役、おばさん役あるいは学生であれば、お兄さん役、お姉さん役ですね。そういう斜めの関係から褒めるということを物すごくします。先生1人が全部見ていて褒めるのは不可能でも、この参加した大人たちが無限に褒めますので、セルフエスティームは自動的に上がっていきます。そんなこと言っていいのみたいなことを言ってしまったとき、いいじゃない、もっと聞かせてと言われる、おじさん、おばさんたちの承認によって、セルフエスティームが上がっていくということは、もう和田中ではさんざん確かめられています。
 というような訳で、一応、概要をちょっとお話ししました。社会保障についてどのようにやったらいいかは、後に具体論を述べますけれども、まずは、授業の様子をちょっとDVDで見ていただきたいと思います。4分半くらいのビデオで、中で、私が何で民間校長になったかというよけいなパートもありますが、一応、NHKのBSが撮ったものをちょっと見ていただきます。

(DVD上映:よのなか科の授業の様子など)

 このような授業で、ワークシートがありまして、そのワークシートは、私のホームページから自由にダウンロードして、先生であれば、それを幾らコピーしてもいいという形になっているんです。
 更に、このように、24ほど、私は公民の授業に合う、中学3年で教えるのを基本として、それは、小学校の5、6年くらいから、高校あるいはビジネスマンでも全然構わないというコンテンツで、もう10年間やっています。24の事業については、きちんとお手元にお配りしてあるようなワークシートが準備されていて、かつ、私のホームページからビデオを見て、今のような授業を実際に私がやったカリキュラムのありようを5分くらいのビデオにして、その24コマ分は、全部ネット上に置いてあります。これもIDパスワードなしに見られますので、御参考にしていただければと思います。ここにお配りしましたのは、そのうちの10くらい、多少ここに関係があるかなと、社会保障教育というのを考える場合、言ってしまえば、この1枚のワークシートをデザインし切れれば、それを使って、簡単な指導案とともに学校の先生が授業をしやすくなるわけですけれども、そのヒントとなるものが、ここに10枚そろえてございます。
 うち3つくらい非常に関わりが深いと思うんですが、ちょっと簡単に解説してしまいますね。
 最初、ハンバーガー屋さんの店長になってみよう、これは、ワークシートを見ただけで、何をやればいいかわかると思います。あなたは店長だというふうにやりまして、新しいお店を出店してほしいと、右の地図上でどこに出店すればもうかる店になるかを、まず、自分で考え、次に班で討議し、それを発表しなさいと。
 この発表させるときに、できれば、近くにあるハンバーガー屋さんの店長をゲストとして迎える、その人がいろいろ教えるんではなくて、その人は、子どもたちの発表を聞いて、それをいちいち褒めてもらうと、こういう話ですね。
 私の授業では、和田中の5年目には、マクドナルドの原田会長が是非出たいというので来ようとしたんですが、ちょっと予定が重なって、出店担当の取締役総本部長がまいりました。
 そんなことでなくても、実は全国で、これは大阪でも行われているんですが、マクドナルドなどは、広報が全部承知しているので、地元の店に声をかければ、空いていれば絶対に来てくれると、場合によっては、ただ券のお土産付きみたいな、そういう感じです。
 何を言いたいかといいますと、こういうロールプレイで自分が主体的に考える、そういう授業じゃなければ意味がないということを言いたいわけです。
 次は、中学生は、もう大人か、子どもなのかという自分自身がどういう経済の中に身を置いているのかということをきっちり思い至ってもらう、大体計算しますと、小学生でも中学生でも、1人当たり、公費含めまして、税金の投与も含めまして、お金が十数万から二十万かかっているんです。そういう存在なんだということをちゃんとわからせる。あるいは自分が子ども部屋を持っていれば、それは持っているんではなくて、借りているんだろうと、両親が、もし、それを他人に貸そうと思えば、幾らで貸せるのかということまで、街中の不動産屋を見てこさせて、6畳一間だって6万くらいするんじゃないのと、こういう話ですね。自分の経済的な私というのをきちんとつかんでもらうという話です。
 次、3枚目にあります、政治と行政の仕事を考える。これは、日本の公民の教科書と言うのは、大体、日本国憲法から始まりまして、国会の役割、そして行政、そして司法、そして地方行政と来るわけですね。言ってしまえば、子どもたちから一番遠いところから教えているわけです。これでは、本当は意味がないんです。むしろ、自分の一番身近な市区町村から、例えば自転車放置問題をどう考えるかというところから考えさせた方が、行政や政治の機能がよくわかるわけです。そういう身近なところから教えるなら、こういうやり方がありますよという例です。
 次に、その裏が、大きな政府、小さな政府ですね。これが、大体今日の課題にかなり近いところではないかと思います。A国とB国、A国は非常に自己責任の範囲が広い国、B国は社会保障の程度が非常に強い国、この極論、A国とB国をプレゼンしまして、このどちらが好ましいと思うかということをディベートさせると。
 ここにさまざまな情報を突っ込んでいきますと、A国とB国の間のどの辺が着地点になるかということを、それぞれ子どもたちが自分でポジショニングする、自分が総理になったらどうなのかと、こういうような話です。
 例えば、文部科学大臣がこれに見学に来ましたときには、わざと教育問題に振りまして、今、教育に小中学校で1人100万円かかっていますが、それを公費で国が保障して100万円投じて学校に通うのと、100万円のバウチャーを配って、君が全責任を持って、自分で習いたい先生を選び抜くのとどちらかいいかという非常に極端なそういう議論を、河村さんが大臣のときに教室でやりました。
 そういう極端な例の間で議論させるという、しかも、大人と子どもが混ざって議論する、これが非常に大事だと思います。
 次です。少年法を考える。これは、ロールプレイの例ですね。少年法もただ単に教えていたんではわからないわけですね。法律について、日本国憲法から大体刑法と民法のちょっとしたところだけ教えて終わるわけですが、私は、子どもたちには一番身近な少年法から教えるべきだと思っています。
 それを実際にロールプレイで、こういう殺人事件を君だったら、検察官としてあるいは弁護士人としてどのように裁くのかというところでディベートをする、こういう授業です。
 その次、これが少子化問題について考える。これも今日の課題に近いところだと思います。
 実際に日本の人口はこのように減少するんだよと、場合によっては、君たちが生きる、60年、70年の間に人口が半減する未来もあると、そうしたときに、どのような世の中になっているか、あるいはそれを本当に食い止めるべきなのかどうかですね。あるいは食い止めるとしたらどんな方法があるかを議論させる、こういう授業です。
 次が自殺の問題、これも多くの学校現場で忌避されているテーマです。これだけ、1年間に三万数千人で、13年間にわたって、自殺で人が亡くなっている。最近も、私、都内で電車に乗っていて、人身事故の数が増えているように思います。
 ということは、13年間にわたって、40万人以上の命が失われている、この自殺問題を、なぜ正面から教育がとらえないのか、なぜ逃げるのか、なぜタブーとするのか、私は責任の回避だと思っています。
 したがって、自殺問題についても、このように議論する方法をここで示しています。
 簡単に言ってしまいますと、自殺志願者と、それを抑止する人間をロールプレイすると、これは全国各地で何度やっても、非常にうける、そこで、例えばみんな子どもたちが黙ってしまってできないということは一度もありません。こういう真意をくった問題を子どもたちは本当は取組みたいんですね。
 というわけで、こういう問題さえも取り組めるんですよということを示しました。
 次が、同じようにディベートです。自殺と安楽死の問題をどのようにディベートするのかと、これは、問題そのものに非常に教材の力があるので、必ず大人と子どもが一緒になって議論すると、物すごくいい議論になります。
 大体自殺のところでは、最後は、自分の命というのは、本当に自分だけの所有物なのか、それともどこかとつながっているものなのかという議論に必ずなります。
 次です。ホームレス問題を考える。これも、今日のテーマに少し近いテーマかもしれません。ホームレスは、社会のごみだから排除すべきだという極論に対して、どのように議論が進むかというようなことで、こういう授業を設計しております。
 最後に、仕事とキャリアということにつきましても、先ほど大臣の方から雇用と子育てについても、この領域として議論するんだという話がありましたけれども、日本のキャリア教育というのは、正解主義で行われておりまして、要するに気になる仕事を調べてきなさいと、それが発表できたらは終わり、例えば美容師に興味があるということになりますと、みんながみんなgoogleを当たって、大体子どもたちはgoogleの最初から3段目くらいまでしか見ませんので、ほとんど同じことを調べて、同じように発表するわけです。そんな正解主義のキャリア教育は意味がないので、ここで私がやっておりますのは、例えば2つの仕事を選んで、その2つの仕事を混ぜ合わせた仕事を考える。例えば、何とかと癒しの仕事とか、例えばそれは何とかセラピストという名前が付くんではないかと思います。
 現在、例えばあります、ネイルアーティストとか、アロマセラピストとか、アニマルセラピストなんていうのは、10年前、20年前にはなかった仕事なので、なかった仕事を想像するのが君たちの仕事だという、そういうプレゼンをするわけです。
 今、大体ばっと話しました「よのなか科」のエッセンスと、社会保障にどのように生かしたらいいかということは、大体イメージができたんではないかと思うんですが、どの時間にやるかというのは、一番いいのは、中学3年生の公民の時間だと思います。
 それに加えて、道徳と総合というのがかなり自由になっていますので、指導要領に束縛されずに使える時間なので、公民を主に道徳、総合を混ぜながら、あと、できれば国語の中にもこのようなディベート、ロープレ、ブレストを多用するような授業を入れるべきだと思います。
 最後になりますけれども、10年後に指導要領を改訂して教科書を変えると、もし、文部科学省が、これを本当に予定しているとすれば、私は5年後くらいに単独で文部科学省を訴えたいと思います。これだけ変化が激しい成熟社会で、10年間教育のカリキュラムを変えないということはあり得ないことで、社会保障そのものも、恐らくこの5年で在り方ががらっと変わりますので、恐らく5年後くらいですかね、2015年から2017年くらいまでの間には、是非とも指導要領の改訂をもう一度行ってもらって、5年とか3年じゃなければ、恐らく世の中の変化に追いつきませんので、この成熟社会の特質をわかっていただいた上で、大胆に正解主義を脱した手法を入れていっていただければ、明日を開いていく子どもたちの力を養えるんではないかと思います。
 以上です。ありがとうございました。

○権丈座長 藤原先生、ありがとうございました。本日はこの時間、下の階で、年金数理部会をやっているようですけれども、絶対、こっちの検討会の方が勉強になるし面白いですね(笑)。
それでは、お二方へ、御意見、御質問がありましたら、自由に御発言いただきたいと思います。
 大杉委員の方から、よろしくお願いできますか。

○大杉委員 岐阜大学の大杉と申します。今日はありがとうございました。教員養成に関わっているんですけれども、藤川先生と藤原先生に1つ、御質問、意見を述べさせていただきたいと思うんですけれども、1つは、藤川先生が年間200から300というふうに、出前授業をされているとお聞きしたんですけれども、これは小中高のどの校種が一番多いのかなというのが御質問です。

○藤川先生 小学校が一番多いですが、小中高、特別支援学校も含めてさまざまな学校に行っています。

○大杉委員 もう一つ、先生の御意見として、教科の在り方との関連というところがあったと思うんですけれども、私は、社会科、公民科の教員養成に携わっているんですけれども、公民科あるいは社会科はもともと戦後すぐにつくられたときには、時事問題という科目があったと思うんですけれども、こういうふうに基本的な知識を学んだ後、時事的な問題を取り扱うといったときに、非常にこの教科としてのありようとしては特色があると思います。その際、○○教育という要素が多いという御指摘であったと思うんですけれども、こういった場合、社会保障の教育というのは、基本問題として考えられるべきか、それとも時事的な扱いと考えられるべきなのかというのを1つお聞きしたいと思っております。

○藤川先生 これは、もう藤原先生が詳しくおっしゃっていただいたことに、私は大賛成でございまして、正解主義というんでしょうか、知識をただ得てから何か応用として時事問題をやるということではなくて、現実の社会のことを学ぶわけですから、さまざまな資料を基にいろいろな可能性を考えていくという授業が公民の分野では一般的に行われるべきだというふうに思います。
 社会保障については、既に、公民の内容に入っているわけですね。入っているにもかかわらず、批判的に検討するという扱いがなされていないところが問題だろうと思いますので、しっかりとデータ、数値を含めて扱って、批判的思考をさせるような社会保障教育というんですかね、そういう名前を付けない方がいいと思うんですけれども、社会科の中で社会保障の内容をしっかり扱えばいいのではないかと思っております。

○大杉委員 ありがとうございました。私もその意見に賛成なんですけれども、その際に、その問題を考えるときに、どういう基本的な知識とか、社会の在り方を考えるための基本的な知識、枠組み、それをどう育てるかという問題がもう一つ要るのかなというふうに思っています。済みません、ありがとうございました。
 あと、藤原先生にお聞きしたいんですけれども、今日、大変面白い、私にとって非常に関心のある授業を見させていただきまして、ありがとうございました。
 このワークシートに書かれてあることなんですけれども、私の記憶では、ほぼ高等学校の公民科の、特に政治・経済の内容と非常に一致していると思うんですね。その場合、子どもの成長段階を考えた場合に、先生は、中学校がふさわしいんではないかというふうに思われたんですけれども、個人的には、高校段階で非常に社会に出ていく子どもたちが非常に多い、この段階でやっているということにも妥当性があると思うんですけれども、その辺りは、いかがお考えなんでしょうか。

○藤原先生 私は、中学のときに、この程度は、もう議論させるべきだと思います。というのは、多分、ここにいらっしゃる皆さんが、自分の、小学生、中学生、高校生のときにどうだったかというのを考えていただければわかるように、中学生のときは、社会一般に対する疑いが出てきますね。お父さん、お母さんの言うことも素直には信じられないと、先生の言うこともちょっと裏がありそうだと、こういうことに気づいて、ちょっとはすに構える時期ですね。
 そういう時期に本当のことを議論させてやると、それから、本当の大人をゲストとして登場させてくると、これは物すごく効果のあることで、私は高校からというのは遅いと思います。むしろ中学時代に疑いを持ったときに、どのようにそれに応えてあげるかが、その後の社会に対する態度を決定すると思っていまして、そういう意味では、中2、中3の14歳から15歳、昔で言えば元服、戦争で戦った時代ですね。今、それを明治政府が富国強兵のために5年間据え置いて成人というのを延ばしてしまったわけですよ。私は、14、15歳で、民法がほとんど大人と規定しているように、この14、15歳の段階でこれくらいの議論をさせるべきだと思いますし、今日、配りましたこのワークシートのうち、約半分くらいは、小学校の6年生でも、もう授業実践が行われています。
 例えば、自殺の是非についても、小学校6年でも物すごく議論になります。多くの先生が発達段階ということをすごくおっしゃるんです。例えば、この自殺のような授業をしたら、ベテランの先生が、寝た子を覚ますんじゃないかということをよくおっしゃるんです。私は、そういう先生に何と言っているかというと、あなただけでしょう、寝ているのはと、要するにあなたが寝ているんでしょうと、子どもたちはさんざんテレビで自殺の問題あるいは今、自殺をする大人のプロフィールというのは、大体40代、50代の男性の場合、ナンバーワンの、一番の死因が自殺になってしまっています。がんでもないし、心筋梗塞でもないんですね。
 ということは、小学生、中学生のお父さんに関して言えば、一番の死因が自殺になってしまっているということなんですよ。このことをなぜ扱わないのか。もう身近に起こっているのに、臭いものにふたをして議論しないようにするという方がおかしいわけで、議論しないから、小学校、中学校でもそうやっていじめられて、極端な状況に陥ったときにも話せなくなってしまう。話させるためには、それは議論としてオープンに行われているということはすごく大事なんですね。言葉としてしゃべっていいんだと、そのことを私は、中学のちょうど14、15歳のころが一番、うそばっかり教えられて、結局、中学がなぜ荒れるかといえば、本当のことを教えていないからと私は思います。

○大杉委員 ありがとうございます。最後に、議論とか討論というのは非常に賛成する立場なんですけれども、今までいろんな授業を見てきたんですけれども、子どもは面白いテーマだと、非常に議論が活発になるんですけれども、ただ、議論の質というんですか、そこで使っている知識とか、社会を見る枠組みをちゃんと持っている子どもに非常に議論の深さが出てくると思うんですけれども、その辺り、社会保障教育において、どういう枠組みとかというのが。

○藤原先生 そこが、すごく大事なところだと思うんですけれども、では、調べ学習をすればいいかというと、今、日本の総合学習がほとんど調べ学習になってしまっていますが、調べ学習というのも、結局は正解主義なんです。正解を調べてこいといって、同じgoogleに当たっているわけですから、それでは意味がないわけで、この議論なんですが、先ほど見ていただきましたように、大人が混じってというのがみそなんです。地域社会の大人たちがんがん入れてきて、一緒に議論させると、例えば自殺の是非や安楽死の是非でも、物すごく、大人の実体験が出てきたり、その実体験を、例えば安楽死について語るとき、あるいはホームレスが自分がなぜホームレスになったかを語ったり、それからホームレスになりそうになってしまった大人が、その班の中で、その議論の中で、自分の実体験を語ったとき、子どもたちは先生の言うことよりもよく聞きます。物すごくしんとして聞きます。それは、本当のことだからです。
 ということで、やはり授業の中に本当のことを混ぜるためには、大人をがんがん入れる必要があるんですけれども、勿論、年中全部入れていたら、これはセキュリティー上もまずいと思うので、私は週に、和田中の場合には、水曜日の2、3校時と決めて、つまり32コマの中の2コマと決めて、そこにはいつでも来ていいですよということをやっていました。
 全国のすべての中学校1万校が、週に1回、そのように地域社会に門戸を開いて、大人と子どもが一緒に学べる、そういう時間にすれば、物すごく社会保障教育にとっても意味がある話になるんじゃないかなと思います。子どもたちだけで議論させないということですね。

○権丈座長 よろしくお願いします。

○宮台委員 藤原さんと一緒に、教科書を以前書かせていただいた者なので、半分当事者で恐縮ですが、ちょっと質問をさせていただきたいことがお二方にあるんですね。
 お二方の共通する教育の目標は、恐らく民主主義社会にふさわしい、参加と自治を担い得る存在を育てあげるということに尽きると思います。そのことは、日本国憲法の理念として、日本国憲法の前文に書かれているんですが、新しい憲法の話という、文部省が憲法の施行直後に出した本では、100%間違ったことが書かれているんですね。どう書かれているかというと、みんなで多数決で決めたことは、大抵間違わないと書いてあるんですね。あり得ないことが書いてありますね。そうではない、大抵、むしろ間違っているのに、仕方なく採用しているのが民主制なんですが、その弊害を最もなくすためには参加と自治、それをとりわけ、少数者尊重、理性的討議の下で行うというのがポイントで、そのための実践的な方法論を提示されているのだと思いました。
 ところで、例えば自殺のロールプレイには、私も参加させていただいたことがありますが、これは正解主義ではうまくいかないんですが、まず、質問の内容を申し上げます。
 ロールプレイを前提にした授業に要求される教員あるいはゲストティーチャーを含めたファシリテーターの力量は相当重要なものだと思いますが、そういう力量ある教員や運営者というか、コーディネーターをどうやって見つけて連れてくるのかという問題なんですね。
 というのは、例えば自殺のロールプレイで特徴的なのは、よくあるような命は大切だとか、生きていればいいことがあるとか、そういうおためごかしな止める言葉というのは、実際、2人組でやらされるとすぐわかることは、より死にたくなってしまうんですね。おまえに何がわかるとか、あるいは生きていればいいことがあると、おまえおれの人生知っているのかということになってしまうんですね。これは、もっとまずいんだということがわかるわけですね。そのプロセスで気がついてくるのは、あなたが死ぬと自分は悲しい、もうこの後、どうやって生きていいかわからないということを言うと、こういう感情の結び付きについての訴えかけは有効だということがわかるんですね。でも、これが正解主義にならないのは、おまえが死んだら、おれは悲しいといったときに、うそつけと、おまえ今まで何の関わりもないじゃないかと言われたらおしまいなんですね。だから、日ごろから関係をつくっておかないと、この手法は使わないけれども、でも関係をつくっておけば、手法は使えるということがだんだんわかってくるわけですね。
 では、関係がないやつが相手のときには、何が有効かというと、これはなかなか思いつかないんですけれども、一般にはわかったからラーメン食いに行こうかみたいな、これは、実際に練炭自殺をするためにオンラインで知り合って、オフラインで会った人間たちが死に場所を探しているうちに腹が減って飯を食ったりすると、実際、死ぬ気がなくなってしまうという例が多くて、大体10中9、9割以上がそういうふうにして実践に至らないんですね。だから、気持ちはわかったから、とりあえず飯を食いに行こうとか、気分転換をさせると、ちょっとリアリティーが崩れて、今日は別にいいやみたいな感じになると。
 この辺というのは、教えるときに、それこそドラマタイズというか、ある程度生々しいリアリティーを再現しながら、子どもたちに参加してもらうためのある種の力量が必要なんですね。
 勿論、藤原先生は、そういう力量がおありになるわけですけれども、いつも思うのは、ゲストティーチングのシステムを含めて、藤原先生じゃなかったら運営できないじゃないかという疑念であるわけです。それは、いかがなんでしょうか。

○藤原先生 私ですね。

○宮台委員 いや、お二方なんです。つまり、参加型の授業を実践するための力は大変に高度なことを聞かされていると思いますが、いかがでしょう。

○藤原先生 私の方から、3点ほど言いたいと思うんですが、まず、こういうロールプレイにつきましては、今の小中学生はいろいろな力を失っていると思います。例えばコミュニケーションの技術も非常に弱くなっていたり、やはりもまれていないから、他者と関係を結ぶ力も弱くなっている一方で、彼らが獲得している力もあるんです。我々には考えられないくらいの、例えばビジュアルでコミュニケーションしていく力、アニメにあれだけ、とにかく300ページくらいのものを10分くらいで読んでしまうと、そういうリテラシーがある。
 もう一つ、私が非常に気づくのは、ロールプレイというのを、彼らはずっとゲームでやっているわけです。だから、ロールプレイというのは、物すごく親和性が高いので、すごく短い文章で状況を設定してやると、すぐにばっと、演劇を始めるということが、我々では照れてしまうような状況の中でも、すぐにそれができる、そういうロールプレイ力があります。それをもっと私は学校で生かすべきだと思うんです。
 日本人はというよりも、世界中の子どもたちは、本当は幼児期にはロールプレイで学んでいますね。お母さんロールプレイをままごとでやったり、戦争ロールプレイを男の子がゲームでやったりしているわけです。
 ところが、小学校に入りますと、このロールプレイというのが、全く授業メソッドからなくなってしまい、大学までほとんどなくて、企業に入ると、また、営業ロールプレイで、企業は徹底して、例えばリクルートのような会社は、徹底的にロールプレイをやるわけですね。おかしいですね。何で学校だけ一番主体的に学べるメソッドを捨ててしまうのか。ハーバードのサンデル教授が正義とは何かをやりましたが、あれもロールプレイの嵐だったと思うんですね。ハーバードでは、少なくともロールプレイが常識化しているわけですね。ですので、それをきちんとメソッドとして中核に据えていただきたいと思うわけです。
 そうすると、子どもたちは、非常に短いオリエンテーションで、さっとロールプレイに入れる力がある。たとえ教師になくてもです。これを、私は強調しておきます。
 もう一つ教師の側の問題を2つほど言っておきますが、東京学芸大であっても、教員を一番養成していると思いますが、ディベートを教えていません。ディベートをきっちり教えていない。
 私は、ディベートを立論して反駁してみたいな正式なメソッドとして教える必要はなくて、先ほどの宮台さんの言葉で言えば、ファシリテーションですね。どうやってやれば盛り上がるのかと、それは簡単です。極論を言わせるんです、まず、最初、一番右翼の論を言わせる、一番左翼の論を言わせますと、必ずその間で多様な議論が起こりますから、もし、一番右翼の論を言った、つまり、例えば自殺いいじゃないかと、もうみんな死んじまえみたいなことを言う小学生がいたとしたら、その逆の一番左翼の論を、例えばファシリテーターなのか教師なのか、あるいは大人に言わせればいいと思います。その間で無限に子どもたちは多様な意見を絶対に述べてきます。自殺の是非であろうとも、小学校の6年で授業の実践は大阪で何ぼも起こっていますので、それは心配ないと思います。
 あとは、教員、今いる60万人は、どうしても最後に正解を言いたいわけです。どうしても最後に自分だけが知っている正解を言って、どんなもんだと、こういう人種が教員なんですね。ですから、その教員に最後に正解を言わずに授業を終わらせるということを練習させないといけないわけです。
 これは、実は、すごく気持ちの悪いことで、私がよのなか科を始めました10年前にも、生徒の方が、最後すごく不思議がった顔をして、何でこの先生は最後に決め言葉を言わないのと、何か言ってくれるんでしょうと、つまり、自殺のロールプレイをしたり、その自殺の是非をディベートしたときに、最後に教員は、やっぱり自殺はいけないねと言ってしまうわけですね。これは言わないでほしいわけです。そんなことは、子どもたちが自らポジショニングするんです。最右翼と最左翼の間の中で、子どもたちが絶対ポジショニングしますから、私は100回授業をやっているからわかりますが、そういうことで、ぐっと最後に結論を言わない、自分だけがそれを言わない、だって正解のない授業なんですから、正解がないのに言ってどうするのと、こういう話なんです。だから、これを我慢させるという教育をしなければいけないですね。そう思います。
 そのためには、社会人と組んで授業をやるという藤川さんの、社会人と組んでやると、社会人というのは、そういう試行錯誤に慣れていますし、ディベート、ロールプレイ、ブレストというのは百遍やっていますから、千回、万回やっていますから、そういう意味では、社会人と組んでやるというのが非常に有効だと思います。

○藤川先生 私が学生に指導しているのも、藤原先生のおっしゃったこととほぼ同じです。2つについて言いますと、1つは、模擬授業をひたすらやる。模擬授業というのは、ほかの学生が子ども役をやって、不規則なことを言わせるようにしています。つまり、即興的な対応を鍛えているわけです。

○藤原先生 極論をね。

○藤川先生 極論とか、むちゃなこととか、わざと先生役の学生の言うことを誤解して何か言ってみるとか、そういうことをやって、即興的に対応できるようにしていくということであります。
 私どもの提供しているプログラムは限られているので、やはり同じプログラムを何度も何度もやるわけですね。ですから、同じことなので、ここでこう来たら、こう行こうというのがかなり鍛えられていくということもあります。ですから、ロールプレイを学生たちもやっている。
 もう一つは、やはり社会人と接する経験なんですね。地方の学校などにも学生たちは社会人の方々と頻繁に伺っています。北海道とか九州とか、しょっちゅう伺っているんですね。
 そうすると、道中一緒にいる時間が長いので、いろいろな話をしてもらいます。地元の飲み屋に行って、お酒を飲みながら話をするなんていうことも多いわけですね。
 そういうときに、いろいろな社会人のしきたりというか、考え方というか、そういうものを教わっているはずです。勿論、実際に授業の打ち合わせ等もしっかりやりますから、そこでもさまざまな議論をします。
 勿論、大学での教育も多分生きているんだろうと思いますけれども、うちはディベートも指導していますし、大学での教育も生きているとは思いますが、加えて社会人に接して、社会人からフォーマル、インフォーマルにものの考え方などを学ぶというところは大きいのかなと思っております。
 以上です。

○権丈座長 お願いします。

○宮本委員 ありがとうございました。大変興味深いプレゼンテーションを2つ伺いまして、大きく2つなんですけれども、藤川先生に御質問というよりは、お話を伺って触発されたことで、ちょっと事務局に伺った方がいいのかなということです。
 それは、要するに、この会議で議論をしていく教科書の媒体というのは、これは、必ずしも紙媒体でなくてもいいのだろうかということなんですね。これは、既に御議論されていたとしたらお許しください。
 要するに、今、例えば共通番号制の議論に関して、これから国民一人ひとりがマイポータルというのを持つことになる。ここには、勿論、共通番号に関わるさまざまな情報が集約されるわけですけれども、同時に、これは何人かの方ももう既におっしゃっていると思いますけれども、要するにマイポータルに示されている所得、家族状況、障害の状況等にリンクした公共サービスだとか、社会保障の資格要件のようなもの、そこに集中的に結び付けていくことができる。ひょっとしたらマイポータルというのが、多くの人が、これは管理のシステムだと懸念しているんですけれども、重要な権利のシステムに転換していく可能性もあると思うんですね。
 例えば、マイポータルを共通番号に関わる情報が勿論入る前の段階で、プレマイポータルといいますか、ヤングマイポータルといいますか、個々人の情報が入る前の段階で社会保障に関する情報とのリンクを張ったマイポータルを、教育のシステムの中で使って、そして、いろいろな仮定の下に、こういうサービスが利用できる、こういう保障が利用できるという、そういうトレーニングに使うというのは大いにあり得ると思うんですね。これは、幾つかの仮定を置いた話になってしまって申し訳ないんですけれども、例えば、そうしたマイポータルの使い方あるいはそれに類似した何かメディアを使っていくという可能性は、どれくらい考えていいんだろうかと、ちょっとこれを伺いたいと思います。
 それから、藤原先生のお話からは、これはむしろ藤原先生に伺った方がいいと思うんですけれども、話を伺っていて思ったのは、社会保障教育というのは、これまでの教育モードでやると、とんでもなく面白くない授業になるだろう。要するに君たちには無限の可能性があるんだみたいなことを熱く語るのは教師だけで、子どもたちは、みんなそれがうそだというのがわかっている。
そうではなくて、世の中科モードといいいますか、君たちの人生は、とんでもない不可能性と困難に満ちていると、しかし、いろいろな知識を得ることで、よりましなあるいははるかによいものにできるという、そういうモードで語られる授業であるならば、社会保障教育というのは、ひょっとしたら一番面白い授業になっていく可能性があると思うんですね。
 これは、さっきの宮台委員もおっしゃったことなんですけれども、では、どういうモードを前提に我々がそのツールを考えていけばいいのかということで、先ほどは、教員の技量に関わる御質問だったと思うんですけれども、そのモードそのものが、もし、大きく変わらないとするならば、この社会保障教育の教科書が、むしろモードを変えていく牽引役にならないといけないのかなと思ったりするわけですね。
 その場合、ちょっと大きな質問になってしまうんですけれども、例えばワークシートという御示唆をいただいたんですけれども、どういうツールの在り方がモードを変えていく起爆力を持ち得るのかということを一つ伺いたかった。
 もう一つは、この教育と価値との関係、つまり、ディベートというのも幾つかやり方があると思います。つまり、それぞれが主張する極を選ぶときに、自らの信じるところにのっとって極を選ぶのか、逆によくデビルストークとかいって、くじ引きでホームレスを排除する方向か、保護する方向か、たまたま聞いた方を徹底して論じていくという方法もあると思うんですけれども、こうした教育と、そもそも中学生にどこまで価値があるか、その価値を気づいていくプロセスだということだと思うんですけれども、こうした教育と価値との関係というのを、藤原先生はどういうふうにお考えになっているかと、ちょっと伺えればと思います。

○藤原先生 具体的に話した方がいいと思うので、私はワークシートをきっちりつくってみるというのが非常に具体的でいいんじゃないかと思います。
 私が示した、この10枚の中で、先ほど4つほどが関わりありますねというふうに申し上げました。ですから、本当はB4、1枚に収まりますと、大体45分から1時間半くらいまでの授業に適しますので、3つくらいのワークをさせて、そのうちの1つは導入がまずあって、導入はゲームのように、そして、中のコンテンツでディベートなのかブレストなのかの議論を起こす、最後に自分の思考したことを文章でまとめさせると、そういう形でワークシートを大まかに3分割で15分、15分、15分なのか、30分、30分、30分なのか、そういう形でデザインをされれば、それを例えば教科書に載せるのか、あるいはテキストブックでいくのか、それともそのペラ1枚を全国に配るのかというのは、後の問題だと思うので、その基本設計として、そのワークシートをどうつくるかを、もし、この会でもっと煮詰めた議論ができれば、非常に具体的になるんじゃないかと思います。
 そういうよのなか科モードというふうにおっしゃいましたけれども、そのようなモードで教えなければ、先生の御指摘どおり、非常に極端につまらないものになるでしょうし、それをもしよのなか科のモードで教えれば、非常に、血湧き肉躍る、つまり国家の首相として自分がどうふるまうかという、そういう大変面白い、言ってしまえば、すべての政治家が、今、抱えている問題をそのまま出してきて、自分で考えてみるというモードになりますので、それが政治の本質を問うことにもなると思うし、行政の本質も問うことになるんじゃないかなと思います。この1枚のワークシートがそれくらいの力を持つんじゃないかなと、私は思います。

○権丈座長 ちょっと座長なんですけれども、宮本委員と関連する質問なので参加させていただきます。
国会の答弁とかを見ていると、ディベートやスピーチの弊害が大きいなという気がするんですね。恐らく先ほどのように、くじ引きでポジションを決めて、それで自分を正当化していく論を展開するのに長けたの人間が、政治家の上に行くというシステムになっている。最近の政治はその傾向が顕著になった気もする。ディベートの訓練をすることによって、国民を本当に幸せにする政策解というか、そういう方向に子供たちを導くことができるのでしょうか。先ほど宮本委員が質問の中で話された価値ということにも関わってくると思うのですが、いかがでしょうか。

○藤原先生 実際に、小学生、中学生とそういう簡単なディベートをやらせてみますと、最初は当然言い合いになります。下手をしますと、相手の欠点を突くような、おまえデブだから何とかとか、それは、わざと放っておくわけです。最初にディベートのルールを設定しないでやらせますと、そういう悪口が出ますね。実際に、その言い合いが終わった後に、ほかの公共、要するに、みんながそれをどう聞いて、どっちが勝ったと思うかを拍手させたり、手を挙げさせたりしますと、そういう突っ込みをやった方が負けます。それを繰り返すうちに、結局、相手のキャラに突っ込んで、人格的なことを責めたら損だということがわかるんです。何回もやっているうちに、今、国会のあれを聞いていますと、どちらかといいますと、議論そのものよりもやじ、話にならなくて、何でああいうものを中継するのかなという疑問を持ちます。あれは子どもに見せたくないですね。
 そういう意味では、ああいうものを放っておいて、小学生、中学生からディベートというのは、慣れが必要なので、慣れが必要な中で、とにかく個人の人格を傷つけるのは、本当はアウトと、アウトというのは、べき論ではなくて、それをやったときに、実は負けるということですね。そのことを体験させていくことが広い意味で公共性というものを体得させる一番いい方法だと思うんです。
 ところが、何かディベートというと、言い合いじゃないかみたいな感じで、教員文化の中には、これを避ける、反対意見を述べることも避けるような、そういう気風がありますので、それが実はいじめなんかの世界でも、ちょっと意見をしただけで、それが何か人格を否定されたような気になって、今度はいじめで無視するというような反撃に転じてしまうような、そういう硬い学校カルチャーにも結び付いてしまっているんです。
 だから、私は小さなディベートからどんどん慣れていくことで、公共性の価値みたいなものにまできっちり押さえられるんではないかと思っています。

○宮台委員 尾崎咢堂杯演説大会の審査員というのをずっとやっているんですね。これは尾崎行雄議員の演説の能力をたたえるためのイベントなんですが、これは、演説大会というふうに申し上げている理由は、ディベートの大会とは少し物差しか違うんですね。むしろ、論旨が一貫していなかったり、おえつしてしまったりすることによって、聞いている人が動くということも、まさにムービングというのは、動くということですけれども、そういうことがあるんですね。
 あるいは、これはかつて、私自身の経験ですけれども、テクニカルにディベートに勝つことによって、人々がこいつは冷たいやつだと言われて、その支持者が遠ざかっていくということもあるわけですね。
 今年、つい先日やった演説大会では、恐らく政経塾の方もいらっしゃったんですけれども、非常にテクニカルに洗練されたプレゼンテーションがオンパレードだったんですね。
 そうすると、多くの人は、どう思うかというと、内容も本当はすばらしいんですけれども、テクニックが洗練され過ぎているせいで、今度は伝わらない感じがするんですね。ある意味ではよく伝わるんです。しかし、その伝わり方が、同じような伝わり方をする人間が5人、10人並ぶと、これは何か違うんじゃないかと思い始める。
 ですので、実は、ディベートというのは、ディベート能力を高めることが目的ではなくて、ディベートがどういうときに役立ち、どういうふうにすると、例えば自分を有利にしたり、あるいは人々にいい気持ちを与えるのかということについて知るための1つのツールだというふうに考えた方がよいと思うんですね。
 勿論、藤原さんの実践でもディベートというのは、ごく一角にしか存在していません。最終的には、自分自身である価値をコミットの対象として選び出すということがあるわけですので、どの価値にコミットするべきなのかという問題と、ディベートの勝ち、負けの問題、多くの場合は関係しませんので、そこは価値の問題は、更にその先にあることだろう、あるいは例えば価値について訴えるということの有効性というのはどこにあるのかということもディベートとは違った手法で考えるべきだろうと思います。

○権丈座長 補足しておきますと、私は大学のゼミでディベートをやっておりますので、それをまず言っておきたいと思います(笑)。よろしくお願いいたします。

○前田委員 前田です。今日はどうも、藤川先生、藤原先生ありがとうございました。先ほど出前授業等の話を伺いました。私ども社会保険労務士業界でも、中学校に年金の出前授業、それから高校生には、社会に出るために必要な働くときのルールの出前授業をやっております。ただ、一方通行の授業ですから、その内容が生徒に伝わっているのかどうか、その辺りは心配しながら両先生の話を聞いていました。たまたまこの前、練馬の年金事務所で、中学生に対する出前の年金授業をやりました。なかなか日本年金機構からの年金教育に対する指示もないということで、独自に練馬区内の中学校、高校に年金教育をやりますよということで手紙を出して、この11月から第1校目がスタートし、その授業を参観させてもらいました。担当の先生と講師との事前打合せが十分にされた様子でした。授業の実施にあたっては学校の先生がやはり熱心でないとだめということがよくわかりました。
 授業は中学校の2年生を300人くらい体育館に集めてやっていました。その説明を子どもたちも一生懸命聞いていました。質問も積極的にしておりました。最後に全員にペーパーが配布されました。
今回は親は授業を受けられませんので、子どもが家に帰って、年金の授業があるんだと言ったんでしょう。そして事前に質問を受け付けたんでしょう。そのペーパーの中には、年金に対する将来の心配事や、制度についての親からの質問とそれに対する解答が書いてありました。
今後、社会保障教育をする場合、高校生、中学生、小学生、それぞれ親と一緒にやっていった方が、親も理解して子どもも理解するというのはよくわかりました。
 今日も、藤原先生はそのようは発言をされました。改めて、本当にそのとおりだなと思いました。
 それで、藤原先生、なかなかユニークなお考えをお持ちですが、将来、社会保障に関する教育を中学校3年の公民とか、道徳とか、総合学習の中でやった方がいいんじゃないかとおっしゃいましたけれども、その中で、単なる冠を付けただけの何とか教育というのは、今後受け入れられないという話がありましたね。また、5年後に、もう一回指導要領が改訂にならないといけないという話をされましたけれども、例えば、この社会保障教育にネーミングを付ける場合、先生は、どういうネーミングを付けて、親も子が教育に関心を持つようにしたらいいと思っていらっしゃいますか。

○藤原先生 ネーミングの問題ではなくて、このワークシートをきっちり1枚つくるんですね、それを、もし、指導要領の中でうたえるのであれば、とにかくこれを必修で教えなさいと、つまり、教科書の中に、これを挟みこみでやるのか、2ページでやるのか、実は、最初のハンバーガー店の店長になってみようという授業は、私が10年前に始めたんですが、そこから2年、3年して、ある教科書会社が完全にぱくって、それを教科書の中に収めたことがあります。これは、著作権問題が問われまして、この教科書は、それを次の教科書から引っ込めましたけれども、そういうことができるんです。要するにワークシートを設計して、それを教科書の中に入れさせると、必修で、というような感じで、この問題についてはやったらいいんじゃないかと思います。
 ネーミングを何にするかというのは、余り意味がないんじゃないかと思っていまして、私であれば、例えば大きな政府、小さな政府という表題の授業でも、これは完全に取組み可能です。

○前田委員 ありがとうございました。

○権丈座長 どうぞ。

○細野委員 藤原先生、藤川先生、御説明ありがとうございました。
 論点が、私の中では2つあって、まず、大きなところで、藤川先生に伺いたいと思うんですけれども、先ほどの藤川先生の「社会保障教育に関して」という、藤川先生御自身が考えられたことが書いてあって、そこの3番目に「教育内容の不安定さ」という項目があるところの2行目のところで、社会保障教育をやったところで、単に国による社会保障制度の宣伝と受け取られる、というのがあります。個人的には、恐らくここの部分が、社会保障教育の物すごく根深いところだなと感じるんですけれども、私からの意見を話させていただく前に、まず、藤川先生は、なぜこのように思われるのかというところを伺いたいと思うんですけれども。

○藤川先生 単純に素朴なことでございまして、今、社会保障制度は、こうなっているんだという授業になる可能性があると考えたわけですね。
 そうすると、そのことについて、一般の国民があまり理解していないから、学校教育の場を使って、国が広報の手段としての学校教育を使うと受け取られるのではないかと、それだけの話です。つまり、現状、社会保障というのは、こういう理念でこういう制度になっていますよ、国民の皆様、ちゃんと理解してくださいねというのを授業の中でやっていこうと受け取られるのではないかということです。

○細野委員 なるほど、ありがとうございました。社会保障教育に関して、やはりすごく根深いのは、「世の中の常識」と「実際」の乖離度合いというのが物すごいと私は感じているんです。その象徴が、「未納が増えると年金が破綻する」といった話だと思うんですけれども、それは、私から見ると、「天動説」と「地動説」くらいのレベルの「引っかけ問題」だと思うんですね。例えば、2008年の社会保障国民会議の委員をしているときですら、私ですら、未納が増えると年金が破綻すると思って会議に行きましたから。そのくらい、普通に「間違わない方がむしろおかしいんじゃないか」というレベルの「引っかけ問題」が、この社会保障という分野は恐ろしいほど多いんです。
 それで、いろんな意味でやはり根深いなと思うのは、教科書の話もそうなんですけれども、冒頭で文部科学省さんの方から説明いただいた、「教科書が使用されるまで」というところでの2ページ目の話で、「検定作業において、審議会での専門的、学術的な審議を経て答申が行われる」という流れで教科書がつくられるというのがありますよね。本当に根深いなと思うのが、社会保障国民会議の経緯とかを見て、メディアの方は御存じだと思うんですけれども、いわゆる専門家と言われている人たちも含めて、みんなが間違っていたというような、常識的にはあり得ないようなことが、社会保障においては起こってしまっているんですよね。
 だから、例えば、前回は時間の関係で指摘しなかったですけれども、実際の教科書の中で「年金のバランスシート論」みたいな、そういう根本的な間違いも、今でも平然と載ってしまっているんです。専門家が少ないうえに「引っかけ問題」が多いと、専門家といわれている人たちが言い続けることによって、教科書の検定すら簡単にスルーしてしまっているんです。つまり、その検定する人も、ある程度の専門性を持っているとは思うんですけれども、それでも判断できないくらい、やはり社会保障という分野は根本的に「引っかけ問題」が多過ぎる世界なんですね。だからこそ、教育がこれほど必要な分野はないと思うんです。
 かつての社会保障は超マイナーな分野で、日本でも本当に専門家と言われている人たちが物すごく少ないような現状もあったと思うんですね。ところが、今の世の中の空気感とか、流れを見てわかるように、一番メジャーな分野になりつつある。ただ、困ったことに、「引っかけ問題が多い」ということに加えて、社会保障教育の構造的な問題も出てきてしまっているわけです。それは、そもそも社会保障は研究者自体が少なかったのに、不幸なことにその人たちが「引っかけ問題」で間違えてしまっていたので、ずっとその後、間違え続けているような教育が、いまだに行われているような現状があるんです。そんな中で、どう立て直すかというところで、やはり新たに「中立的教育」が必要になるわけです。
そして、これは教育の方法論についてですが、例えば一般論で言ったとき、藤原先生のおっしゃるように、ディベートは物すごく大事だし、考える教育の場は絶対に必要だと思うんです。ただ、社会保障の場合が特殊なのは、そもそも「天動説」や「地動説」と同様に、スタートで勘違いを起こしてしまうため、中立的な仕組みをきっちり整理して教えるというところから、考えなければいけないと思っているんですね。そこが、まず、大きな1点目の論点としてあると思います。
そしてもう一つが、藤原先生が先ほど、まさにおっしゃっていたとおりで、そもそもなぜ学習指導要領の改訂というのは10年に一度なのか、というところです。これは、何も年金制度とか「社会保障制度」とは別に、例えば「日銀の金融政策」を1つ取りあげてみても、この10年とかでも全く違うわけですよね。例えば、わかりやすい例でいうと、「公定歩合」というのが、多分、いまだに教科書に載っていたりすると思うんですけれども、もう公定歩合なんて、そもそも実際の経済においては使っていないわけですね。さらに、その公定歩合という言葉の意味も、今では「ロンバート型貸出制度」という仕組みのもと、実際はもう政策の意味すら違っているわけですよね。そして、そもそもの「金利の調整」という意味では「公開市場オペレーション」で実際はやっているわけですよね。つまり、10年という単位では、とてもじゃないですけれども、世の中の変化に金融・経済教育が対応できないわけですね。だから、私は仮に5年に一度にしても、まだまだタイムラグがあるんじゃないかなと思っているくらいなので、そこを例えば3年だったり、せめて5年とかに早めることはできないのかなというところは、1つの重要な論点になると思うんです。そこで是非、文部科学省さんのほうから御意見を伺いたいと思っているんですけれども、いかがでしょうか。

○平林課長 先ほど冒頭で申し上げましたけれども、別に10年に一度というように決まっているわけではないんです。結果的に、それぐらいの時間がかかってきたというのが事実で、それは、恐らく教科書をつくるまでに時間がかかるとか、いろいろあるかと思います。
 ただ、現在では、中央教育審議会の中に、教育課程部会を常設の機関という形で置いておりまして、そこで、学習指導要領についても不断の見直しをするというのが今の政策の方針ですので、ただ、これからいつ改訂しますということは決まっていないということは御理解をいただければと思います。

○細野委員 それは、例えば3年に一度とかということも、可能性としてはあり得る、ということでしょうか?

○平林課長 可能性としては、もしかしたら、急に改訂しましょうということもないわけではないんですけれども、ただ、ある程度は、例えば教科書の編集とか現場の混乱とかいろいろ考えなければならないことはあります。前例としては、例えば平成15年にも一部改訂とか行われたこともありますので、その都度に、必要性に応じて行われてきたというのが現状です。

○藤原先生 実際に教科書のスタイルも変わっていくんじゃないですか、データでもう全部置いておいて、それをローカルで印刷できるようにしてしまえば、もっと頻繁に変更も可能でしょうし、そうですね。そういうふうになった方がいいんじゃないですか。今でも教科書を1,300万部全部刷り下ろしてという時代ではなくなってくるでしょう。

○平林課長 教科書の在り方も、今後どうなるかというのは勿論あるかと思いますし、教科書の内容自身も、先ほど申し上げていますように、訂正申請とか、いろんな制度があるので、毎年、去年の教科書と必ずしもすべてが同じというわけではありません。

○権丈座長 細野委員に補足しておきます。先ほど細野委員の方から年金の天動説、地動説という話がありました。その天動説、地動説というような言葉が出てくる年金に関するインタビューが載った『年金時代』という雑誌が、今日か明日出ますので、後日、皆さんに送らせていただきます。
簡単に説明しますと、困ったことに、若い頃に天動説を言った年金の研究者が、その後勉強していくと地動説に変わるんですね。私は、これは年金論者のライフサイクルと呼んでいるんですけれども、年金の論者の多くは、最初に天動説を唱え、それでよく勉強したり、いろんな社会経済変動を自ら体験していくと地動説に変わっていく。よく観察し、よく考えれば議論が収斂していくその側面を捉えて、私は、年金にまつわるそれぞれの説を、天動説と地動説に例えているわけですけど、天動説の論者と地動説の論者の違いというのは、要はものをよく考えたかどうかであって、実はある程度、正解主義が当てはまるんですね。ちゃんと議論すれば、議論は収斂していく。
 医療と年金というふたつの問題について考えると、医療問題には価値判断の問題が相当入ってくるから、これはディベートに向いているかもしれない。それに対して、年金はなかなか難しいものがある。相当部分がロジックの問題で、見極めが重要なのは、そこら辺なんですね。
 だから、藤川先生の配付資料「社会保障の教育に関して」で3つ目に指摘されている「教育内容の不安定さ」にある、社会保障は「常に改革が議論されており」というところは解釈に少し注意が必要になる。議論はされているけれども、そこにはトンデモ論が多く混じっている。政策論議の真相を注意深く眺めてみると、改革論議が賑やかに行われている割には、制度は安定して推移しているという状況があったりする。その辺のところの見極め、ディベートに乗るものと、乗らないものの境界あたりについては、先生がよく考えていかなければならない難しさがあると思います。
先ほども話があったように、未納が増えて年金が破綻するとか、年金は400兆円以上の超過債務を抱えているとか、年金論議にはトンデモ論、大ウソの論が山ほど入り込んでいます。ところが、そうしたトンデモ論を口にしていた本人が、時間をかけて勉強していくと、次第に論を変えていく。年金の世界では新規参入者というのは、だいたいいつも天動説から始まり、次第に地動説に変わっていく。そして新規参入者は絶えずいるから、はたから見ると、ずっと抜本改革論議が展開されているように見えるんです。
こういうやっかいな問題をどうやって扱っていけばいいのかというのも、恐らくこの検討会の中のテーマとしてあるのかなという気もいたしております。
他にございますか。どうぞ。

○増田委員 今日は、本当にありがとうございました。私は、今年は、高校で現代社会を教えています。私はもともと歴史が専門なんですが、何回か現代社会を教えたことがあって、教科書どおりに教える難しさというのはよく感じます。これと、これと、これはやはりやってくださいというような学校としての方針があるということと、ただ、その中身自体が、先ほどからお話がありますが、教科書の中身が現状についていっていないとか、そういうこともあって、すごく教材研究といいますか、授業の準備の負担も感じることがあります。
 それで、私は非常勤ですので、それでも勉強する余裕があるんだと思います。それが、専任の先生になったときには、非常に、その方の姿勢にもよるんだとは思いますけれども、難しい部分もあるのかなということは感じます。
 今日、お話を伺った中で、これはできてきたなとか、これは、こういうことを気にすれば、もっといい授業ができるんだなとか、実際の面から見て、私はすごく勉強になる部分が多かったんですけれども、そういう現状を感じているということ。
 もう一つは、今、私が担当しているのは高校1年生なんですが、中学校3年生の公民の勉強の中で、さっき藤原先生がおっしゃっていたような学び方をしてきた子というのが、何人か見られます。そういう子たちを中心に授業をしていくと、非常に授業がうまく回っていくんですね。つまり、ほかの子たちは、例えば私は高校受験に関係なかったから公民は余りやらなかったとか、それから、そもそも関心がないとか、総合なんか、あんなものをやってもみたいな、知っているような、知らないような、そういう発言が子どもたちから出てくることがあるんですけれども、実際に、中学校の時期に、社会のこととか、実際の生活のことを一生懸命考えてきた子が発言をすると、みんな授業を聞くんですね。私が何かするよりも、その子たちの発言を聞いていた方が、子どもたちはそこに集中しますし、そこから物事を考えさせるということができていくと、非常に生きた授業になっていくなということは実感しています。
 ですから、先ほどお話の中で、今回のようなこういう学びを中学校でやった方がいいのではないかというような話がありましたけれども、私としては、高校が楽になるという意味もあるんですが、是非とも中学校でそういうことをやってきた経験のある子どもが増えていくと、高校に来たときに、更に発展しやすくなっていくという実感を持っています。
 例えばなんですが、今年は震災があったことで、身近な問題を子どもたちが、それでもこれまで以上に考えるようになっているなということは発言から感じることが多いんですけれども、例えば私の言っている高校は、割合均質化された高校、私立なので均質化した子が多いと思うんですね。その中で、授業で自由にやらせると、空気を読んで、それがなかなか自由になっていかないみたいなところで、自分たちで治めていこうとするような動きがときどき見られたりして、もっと何で自由にやらないのなんていうことを私が言うこともあるんですが、その補足というか、その補強という意味で、嫌がるけれども、ものを書かせると、例えば400字でも何字でも、字数を決めて書かせるということをしていて、震災のことを何回かトピックとして取り扱った中で、私がたまたま被災地に行って見てきた高校生の話をしたりとか、そういうことをすると、子どもたちが実際のものとして感じられるようになったとかいうんですね。では、今までどう思っていたのという話にもなるんですが、その話が、授業が途中で終わってしまったものですから、試験の中で、子どもたちに、今、自分たちが1学期にやったときと、今の段階で、今、震災のことについて、何を自分たちは身近なこととして考えているかといったときに、食に関することを書いてきた子が多かったです。
 その中で、ある女の子が、普段は余り発言しないような子なんですけれども、おうちで福島産の米を買うか否かというのを親とやり合ったと書いてあったんですね。自分としては、応援してあげたいから是非買いたいと。でも、お母さんが、やはりそれは、あなたたちの健康問題にも関わる問題だから、私は買いたくないと、お父さんもどちらかというと、お母さんに賛成だったと。そこを納得させるために、いろいろな本とか、資料とか、いろんなものを引っ張ってきて、これだから、こういうところで、こう選べば、私も福島産のお米を買っても大丈夫だと思うということを説得して、それで、来月からというか、試験が12月だったので、年明けからになると思うんですが、私がお米を買う担当になって、それで、お米を私が買っていいということになったということを書いてきたんですね。
 ですから、私の教えている教室には47人いるものですから、子どもたちの意見をどこまですくっていくかということも、どういうことを考えているかということを、こちらが知るということも、なかなか難しい部分はあるんですけれども、言わなくても、子どもたちは本当によく考えているなと、そこのところをこちらもわかって、それをどう引き出してあげられるかということをすごくやっていかなければいけないなということで感じています。
 ですので、私は、ちょっと社会保障自体のものをどう扱うかという専門家ではないので、そこのところで発言としては、弱い部分があるとは思うんですけれども、実際に、教える立場としては、やはり中学校とか、そういうところでやっていただいて、更にそれを補強する形で、高校で学んで、自分たちのものとして考えられる、そういう流れをつくっていけないものだろうかと思っています。

○権丈座長 どうもありがとうございました。梶ヶ谷委員、どうぞ。

○梶ヶ谷委員 海老名高校の梶ヶ谷です。よろしくお願いします。今日はありがとうございました。
 高校の現場の教員として、発言させていただきます。
 実は、藤川先生がやられている取組みを、今まで私は全然知りませんで、大変申し訳ありません、ただ、本校では環境教育の重点校ということで、全校で積極的に環境教育をやっています。またそれにタイアップしながら、5、6年前からファイナンス・クラブという任意のサークルをつくりました。これは、学校の、いわゆる教科とか、部活動では余り取り扱われないようなファイナンス、経済とか金融とか、そういうことを、生徒会の他の正式な部活との重複所属も可能なんですけれども、興味・関心のある生徒を集めて、この5、6間年活動しています。
 今年度は、1年生から3年生まで、大体150名ほどのメンバーがいます。活動の中心になる1年生は50人くらいいます。どういう活動をしているかということですが、本校の特色は環境教育なので、例えばエコプロダクツ2011という環境の大きな催しが、過日、東京ビックサイトでありました。そのエコプロ展に1年生全員を、総合的な学習の時間の一環として、見学をさせているのですけれども、そのエコプロ展を見学する前に、総合的な学習の時間の授業でNACSという日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会の方々に環境の授業を2時間ほどお願いしています。さらにまた、もう1時間、1年生の各クラスごとにいわゆる大手と言われる企業さん9社にお願いして、これもNACS同様エコプロの事前学習としてに総合的な学習の時間に来ていただいて、各社にいろんな視点からの環境の授業をしていただいています。このような授業をやった後に、12月にエコプロに連れていっております。
 更に、エコプロ展では学校、ファイナンスクラブがブースも借りまして、それでファイナンスのクラブの生徒が環境に配慮するというコンセプトのもと作ったエコ弁当というのを5品展示して、来場の方々にアンケートを取ったりしています。
 更に、去年からですが、ファイナンスクラブでは、エコプロ展の会場のブースに、授業を行っていただいた会社のCSRの報告書を読んだ生徒の感想のレポートも展示発表をさせていただいております。CSRということについて高校生がどういうような意識をもっているか、またそれぞれの会社のCSR報告書を読んで理解ができたかなどの感想を書かせたものですが、これは、公民科の現代社会の授業で、その8社のCSR報告書を生徒分送付していただいてレポートに作成したおものです。このレポート作成の前には一応、現代社会の授業で企業の働きという学習内容の授業をした後での課題レポートです。高校生に理解できないCSR報告書は、一般の消費者にとっても理解できない、意味のない報告書という思いがあります。 このように本校、またファイナンスクラブでは、レポートをブースで展示をして多くの方に見ていただくということで高校生の意見を発信したり、あるいは月に1、2回、日本FP協会さんにお願いをしてパーソナルファイナンスを中心にしたセミナーもやっております。これは、課外授業なのですけれども、大体30人か40人くらい生徒が参加しています。昨年度の最後の授業では、どうしてもFXについて知りたいということで、リスクも大きいということも教えていただくとのことで、今年の3月には、最終的にはFXについてFP協会さんにお願いして、授業をやっていただきました。
 こう考えますと、うちの学校では、例えばそういうようなファイナンスクラブの活動を通して、外部の方々のいろいろなアドバイスを受けることが非常に有益だということを認識しておりますので、藤川先生のやられているようなことも、今後、また是非参考にさせていただければと思います。ありがとうございました。
 それから、藤原先生の御発言関してですが、私もあまり授業がうまくない方なのですが、授業はできるだけいろいろ生徒に質問をし、振って、余り教科書通りにはしていません。いろんな質問をして、ただ単に正解を導くというよりも、いろんな意見があることを生徒のみんなに理解してもらうような授業が展開できれば、一番いいなと思ってやっておりますけれども、ただ、1つ躊躇するのは、やはりどうしても学校ですからどこかで評価しなければならないという問題があります。そうすると、正解がなくてもいいということで、全部放ってしまうということはできないものですから、やはりどこかで1つのけじめというか、やはり生徒と保護者になぜそういう評価をしたかということを、私たち現場では、どうしても説明しなければなりません。そうすると、やはり、すべて正解がないというのはまずいなと、そういう中で1つのジレンマがあって、どういうような知識を教えるか、もう一方ではどういうように考えさせて、自分の意見を形成させるかというのは、常にジレンマとしてあるわけですけれども、でも、評価というものも重要だなと、現場の教員は思っておりますので、ちょっとお考えいただければなと思います。
 あと、内容についてですが、藤原先生が言われている内容は私としては結構魅力的です。ただ、例えば自殺については、やはりちょっと授業を行う自信がないというか、自分が授業をするとなるとどのように扱うか、また展開するか躊躇はします。
 それから、この社会保障についてなんですけれども、やはり今の高校生については興味、関心はないと思います。多分、それは、自分の今の人生の中で、一番遠い存在。ただ、この前に少しお話をしましたけれども、やはり生活保護の不正受給とかの話題が出てくると、本当に自分が税金を払ったことについての見返りがあるのかどうかとか、あるいは政府が本当に信頼できるかということなど、やはり公民の授業ですから、ときどき話題に出して質問すると、そういうような返事が返ってきます。
 このような状況ですので、今回、いろんな冊子を作られるとのことですが、私は社会保障の基本的な仕組みとか制度を教えるということは重要だと思いますがなぜ社会保障は必要なのかという、やはりもう少し社会保障の理念などのベーシックな部分を重視した、それを考えさせるようなワークシートの作成とかがよいのではないかと思っています。つまり、単に制度や仕組みを解説するのではなくて、もう少し視点が違った、冊子や教材の編集スタンスが違ったようなものの方が、多分、今の高校生についても受け入れられると思います。またもう一つは、教える私たち教員自身が本当に社会保障について信頼しているかというと、やはりクエスチョンマークが付く、あるいは社会保障を教えることについて自信がないということも多分にあると思うんですね。そのような状況の教師が高校生に社会保障を教えるということに疑問や課題があるのかなと、実は本音として思っております。
 それで、先ほどのワークシートのメリットの話になりますけれども、実は今年度も、縦軸、横軸を使ったマトリックス方式を使ったワークシートで政府規模と社会保障の相関関連について考察させてみました。具体的には大きな政府、小さな政府、これについては横軸に、そして社会保障を強化するか、あるいは減少させるかということを縦軸にして、生徒にどのようなスタンスが望ましいかと記入させるものです。このようなワークシートをやらせると、やはり生徒は興味を持って考え回答してくれます。そういうような魅力的な冊子や教材についての新たな発想というものが必要ではないかと思います。
 雑ぱくな感想で大変申し訳ありません。

○権丈座長 どうもありがとうございました。本当に議論は尽きず、私も議論にいっぱい参加させていただきたいんですけれども、時間が来てしまいました。
ひとつ付け加えさせて頂きますと、先ほど言いました正解主義になじむ年金の部分、年金の基礎的な知識ですね、その部分を正しい知識にしてしまえば、そこから先は、幾らでもディベートの対象になり得ると思っております。

○藤原先生 基礎知識、正しい知識については教科書に入れるだけで。

○権丈座長 1足す1は2みたいなところで、よく間違えられているんですね。そこの部分さえ勉強してもらえば、そこから先は大丈夫なのですが、本当にそこを間違えてしまった上で制度の抜本改革というようなことが、世の中で賑やかに議論されているので、非常に難しい問題になる。
 さて、時間が来ましたので、本日はここまでとさせていただきます。社会保障の教育推進に役立つ大きな示唆を、我々は今日、得させていただきましたので、今後、副教材を作成する中で、事務局の方でいろいろな形で反映していただければと思っております。よろしくお願いいたします。
 では、最後に、連絡事項がありましたら、よろしくお願いします。

○武田参事官 事務局からでございます。次回の日程でございますけれども、事務局から改めて日程調整の御連絡をさせていただきたいと思います。いただいた日程調整表を基に決定の上、皆様に追って御連絡を差し上げます。
 以上でございます。

○権丈座長 ありがとうございました。では、本日、第2回目の検討会を終了させていただきます。来年も、この検討会でみなさんにお目にかかれますことを楽しみにしておりますので、よろしくお願いいたします。
 では、どうもありがとうございました。


(了)
<照会先>

政策統括官(社会保障担当)付社会保障担当参事官室

政策第一係: 03(3595)2159

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