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2011年3月9日 第4回労使関係法研究会 議事録

政策統括官付労政担当参事官室

○日時

平成23年3月9日(水)
13:00~15:00


○場所

厚生労働省 専用第23会議室(19階)


○出席者

荒木座長、有田委員、竹内(奥野)委員、橋本委員、原委員、山川委員


○議題

(1)論点整理(2)

(2)その他

○議事

○荒木座長 それでは、定刻になりましたので、「第4回労使関係法研究会」を始めたいと思います。委員の皆様には、お忙しいところお集まりいただきありがとうございます。今日は、水町委員がご欠席と聞いております。まず、事務局から資料の確認をお願いします。
○平岡補佐 お手元の資料の確認をお願いします。配付資料として、資料1-1「昭和24年労組法改正時の質疑等」、資料1-2「タフト・ハートレー法制定時のアメリカの状況」、資料1-3「独占禁止法と労組法の関係について」、資料1-4「諸外国における労働組合の例」、資料2-1「労組法上の労働者性に係る主な論点について(案)」、資料2-2「労組法上の労働者性の判断要素」、資料3-1「労組法上の労働者性における判断基準比較表(2)」、資料3-2「労組法上の労働者性における判断基準比較表(3)」をお配りしております。抜け等ありましたら、事務局にお申し付けいただければと思います。
○荒木座長 それでは、議事に入ります。本日は、資料1から資料3-2を用意していただいております。この資料についてご説明ののち、議論に移ることにします
 それでは、事務局から資料1-1~1-4についてご説明をお願いします。
○平岡補佐 資料1-1をご説明します。前回の研究会において、竹内委員から昭和24年法改正とアメリカのタフト・ハートレー法の関係をご説明いただきましたが、事務局でも国会審議の議事録から確認しました。また、前回の研究会で、荒木座長から昭和24年の労組法改正で不当労働行為救済制度を導入する際に、旧労組法と同じ労働者概念を維持するという趣旨だったのか、新制度導入に伴い労働者概念を変更するという趣旨だったのか確認する必要があるとのご指摘をいただきました。その際、竹内委員から昭和24年の労組法改正時の国会での議論をご説明いただきましたが、事務局でも確認しましたので、昭和24年労組法改正時の質疑等についてご説明します。
 資料1-1になります。昭和23年6月の衆議院本会議の議事録から抜粋しておりますが、倉石議員からアメリカでタフト・ハートレー法が「議会において圧倒的なる支持を得て成立を見たる、あの事情を静かに観察してみる必要があるのであります」というご質問がありました。それに対して、加藤國務大臣から「タフト・ハートレー案がアメリカにおいて制定されたことは、アメリカにおけるまったく特殊なる條件のもとに生れた法律であります。日本においては、私どもはどこの國をまねることもなく、日本における現実の情勢下において適当であると思われる立法がなされることが望ましいのであります。從って、アメリカにタフト・ハートレー法が制定されたからというて、これを物まねのごとく日本において制定する必要はない」との答弁がなされております。
 次に、昭和24年5月の衆議院労働委員会の議事録の抜粋になります。鈴木國務大臣から、「労働組合法及び労働関係調整法の一部を改正する法律案につきまして、当委員会上程にあたりまして、逐章的にいま少しく詳細に御説明申し上げます」とありまして、その中で「第三條の労働者の定義も現行法と同様であり」と答弁がなされております。また、そのときに政府委員(当時労政局長)から、同じく「労働組合法案及び労働関係調整法の一部を改正する法律案につきましての逐條説明をいたしたいと思います」という中で、「第三條は現行法の第三條そのままを口語体に改めたのであります」という答弁がなされております。
 次に、当時の立法者意思を表す資料として、昭和24年5月に出版された労働省労政局労働法規課の「改正労働組合法の解説」によりますと、その第三條解説の中で、一番として「本條は、舊法第三條をそのまゝ口語體に改めたもので、本法にいう労働者の定義を規定したものである」との記載があります。
 次の頁に参考で付けておりますが、労働組合法第三条の新旧がありまして、旧労働組合法、昭和24年改正労働組合法それぞれを見ても、口語体に改めたもので、特段の文言の修正はありません。
 次に、資料1-2をご説明します。前回の研究会において、原委員からアメリカのタフト・ハートレー法制定時の状況についてご質問をいただきました。このため、桂皋の「米国の新労働組合法と労調法」、中窪裕也の「アメリカ労働法」から、タフト・ハートレー法制定時のアメリカの状況についてご説明します。
 資料1-2になります。1935年にワグナー法が制定されて以降、労働組合員数は増加し、組合運動が活発になりました。しかし、組合による濫用的な行為も多々現れるようになり、組合の行為に対する規制をワグナー法が欠いているとの批判が高まっていきました。このため、1940年頃より、労働運動に制限を加える労働立法が、連邦議会において数回試みられました。また、第2次世界大戦の終結直後、インフレを背景として相次いで大規模なストライキが発生しました。中でも、1946年夏に起きた鉄道のストライキでは、アメリカのほぼすべての鉄道が48時間停止するという事態となり、経済に大きな混乱を引き起こしました。このように、国民生活などに悪影響を与えるようなストライキが多発すると、労働組合運動に批判的な世論が高まっていきました。
 ワグナー法下では、当時労働運動で問題視された点は、大きく3つあったとされております。第一に、使用者が雇用する労働者を特定の労働組合の組合員に限定するクローズド・ショップ制です。このクローズド・ショップ協定を結んでいる場合、使用者は組合員以外で能力のある労働者を雇用することができず、他方、労働者の側もあらかじめ労働組合へ加入しなければ、その事業所に就職することができませんでした。また、クローズド・ショップ協定下では、組合員資格を失った労働者は解雇されますが、それが労働組合幹部による反対勢力の締め出しに用いられる例もみられました。これらの点が、労働市場を歪ませるだけでなく、個人の労働の自由を著しく侵害するとの意見が広まっていきました。
 第二に、ワグナー法の下で使用者に厳しく不当労働行為が認定されていたことがありました。労使紛争において使用者が従業員に直接呼びかけるのは事実上困難だったため、労働組合側が使用者の言動を誇張し労使対立を尖鋭化させる例がみられました。
 第三に、組合員の間でストライキの頻発が不利益になるとの声が高まってきました。ストライキで事業が縮小した場合、使用者は労働協約の規定に基づいて解雇、再雇用を実施し、それを労働組合も受け入れるのが一般的でした。したがって、ストライキの頻発等は、むしろ多数の労働者に不利益をもたらすと考えられるようになっていきました。
 次の頁です。1946年の中間選挙において共和党が大勝し、上下院で共和党が多数を占めると、ワグナー法改正の動きが具体化していきました。共和党は、1948年の大統領選挙に向けてワグナー法改正を掲げました。ワグナー法の改正については、当初上院と下院で別々の案が審議されましたが、最終的に両案を折衷した両院協議会案(タフト・ハートレー法)が1947年に両院を通過しました。
 しかし、このタフト・ハートレー法は、法案審議の段階からAFLなど労働組合だけでなく、宗教団体等からも労働運動規制に対する大規模な反対運動が展開されていきました。このような動きを受け、民主党出身のトルーマン大統領は、拒否権を発動しました。しかし、下院、上院でそれぞれ3分の2を超える賛成票を得て再議決され、同法は成立しました。
 資料1-3をご説明します。前回の研究会において、橋本委員から独禁法と労働法の関係を確認して議論ができればとのご指摘をいただきました。このため、石井良三の「独占禁止法」、厚谷襄児の「条解独占禁止法」などから、独占禁止法と労働組合法の関係についてご説明します。
 1「独占禁止法制定の経緯」です。独占禁止法は、労働組合法と並び、「平和的にして民主的な諸勢力の成長に役立つが如き経済的諸方式及び制度」の一つとして、労働組合法が制定・施行された約1年後の1947年4月に制定されました。
 2「独占禁止法の目的」。独占禁止法は、私的独占、不当な取引制限及び不公正な取引方法を禁止し、公正かつ自由な競争を促進すること等によって、国民経済の民主的で健全な発達を促進することを目的としております。
 3「労働組合への適用の可否」。独占禁止法は制定当初から労働組合の活動について何らの規定を設けておりませんでした。この独占禁止法の立案担当者の1人だった石井良三によれば、労働組合の活動は、場合によっては私的独占や不当の取引制限等が行われたのと同じ結果が生じうるため、労働組合の活動も独占禁止法の重要な一構成部分といえる。しかし、独占禁止法が労働組合に関する規定を置かなかったのは、同法が専ら事業者の事業活動を規制対象としているためであるとしており、労働組合は独占禁止法の事業者ということはできない。従って、労働組合の行為については、独占禁止法の規定は解釈上その適用の余地がないとされております。さらに、「ただし、本法の規定が労働組合に適用されないということは、労働組合が、独占禁止法を超越する不可侵的な団体であることを意味するものではない。」「直接労働組合に適用されないというだけのことであって、労働組合法自体の解釈として、何が正常な組合の行為であり、何が正常な範囲を超えた違法な行為であるかを判断する場合には、本法の規定が十分考慮されなければならないことは当然であろう」としておりました。
 次の頁です。一方、事業者団体の行為に対しては、従来事業者団体法により規制が加えられておりましたが、昭和28年に事業者団体法が廃止されることに伴って、事業者団体の行為は独占禁止法の規制対象に取りこまれることになりました。このため、現行の独占禁止法上は、業務委託、独立事業者といった契約形態下にある者が組合を組織し、協約を締結した場合には、労働組合法上の労働組合であっても、独占禁止法上の事業者団体に該当すれば独占禁止法が適用される可能性があると解釈されております。
 4「独占禁止法の事業者団体」。独占禁止法上は、事業者団体とは、「事業者としての共通の利益を増進する二以上の事業者又はその連合体」と定義しており、ある団体が事業者団体であるか否かは、まず、構成員が事業者であるかどうかで判断されるとされております。また、事業者団体は規約や内部組織を備え、構成事業者から独立した意思を持つ存在でなければならないが、必ずしも法人である必要はないとされております。また、事業者については、独占禁止法上「商業、工業、金融業、その他の事業を行う者を言う」と定義されており、「その他の事業」にはサービス業、鉱業、農業等が幅広く含まれ、通説・判例は「事業者」を広く解しており、弁護士、建築士、医師など自由業についても同法の適用があるとされております。
 資料1-4をご説明します。前回の研究会において、山川委員から、現在の労働組合の実態について、日本の労働組合のイメージとかなり違った組合が存在しているのではないかとのご指摘をいただきました。このため、有田委員、竹内委員、山川委員から情報をいただき、アメリカとイギリスについて資料をまとめましたので、労働組合の例についてご説明します。
 資料1-4になります。まず、アメリカについてです。AFTRA(米国テレビ・ラジオ・アーティスト協会)です。ニュースメディアやラジオ等の分野で働くジャーナリスト、ラジオパーソナリティ等幅広い職種を代表しており、7万人を超える加入者を抱えております。最低報酬の保障など、300以上の労働協約を締結しております。
 次に、IATSE(映画技術者国際同盟)です。これは11万人以上の組合員を抱え、映画・劇場・テレビなどで働く電機技師・職人及びその関連産業で働く人のための最大の労働組合であるとされております。
 次に、SAG(映画俳優組合)です。これは1933年に設立され、俳優の労働条件・報酬・福利厚生を向上させること、労働者の権利を代表して統一された効果的な発言をすることを目的としております。映画、デレビ、コマーシャルなど、あらゆるメディアで働く約12万人の俳優を代表しております。
 次に、WGAE(東部アメリカ脚本家組合)です。ニューヨーク近郊を中心としたアメリカ東部のテレビ・映画脚本家、その他のメディアのクリエーターの労働組合になります。契約交渉を特徴としており、雇われている脚本家だけでなく、フリーランサーについても組合員にサービスを提供しております。
 次に、MLBPA(メジャーリーグ選手会)です。こちらは、メジャーリーグクラブと契約をした選手、マネージャー、コーチ、トレイナーが加入しております。現在は、選手に加えて故障者リスト入りした選手も代表して団体交渉をしております。
 次に、MFLPA(ナショナルフットボールリーグ選手会)です。1956年に組織された労働組合で、選手を代表して団体交渉を行っており、ナショナルフットボールリーグと労働協約を締結しております。
 次に、NBPA(ナショナルバスケットボール選手会)です。1954年に設立されたNBAのプロバスケットボール選手の労働組合です。NBAと労働協約を締結しております。
 次に、NHLPA(ナショナルホッケーリーグ選手会)です。1967年に設立され、ナショナルホッケーリーグの選手を代表しております。ナショナルホッケーリーグと労働協約を締結しております。
 イギリスについてです。Equity(イギリス俳優協会)です。1930年に設立された俳優、歌手、ダンサー等を組織する労働組合です。組合員数は約3万6,000人で、団体交渉を通じてエンターテイメント産業における契約・労働条件の最低基準を設定しております。
 次に、MU(音楽家組合)です。音楽産業で働く音楽家を組織し、組合員数は約3万人になっております。団体交渉を行い、自営業者の音楽家に合わせたさまざまな援助を行っております。
 次の頁です。次に、NUJ(ジャーナリスト全国組合)です。1907年に創設されたジャーナリストを組織する労働組合です。組合員数は約3万8,000人で、フリーランスのジャーナリストも組織しています。契約・労働条件について団体交渉等を行っております。
 次に、UCATT(建設関連事業労働者・技術者組合)です。1971年に4つの組合が合併して、1971年に設立されました。組合数は約12万5,000人で、これら設立母体となった組合には200年前に設立されたもの、中世のギルドに由来するものもあります。イギリスの建設業界では、自営業者が相当割合存在しており、そうした自営業者も組織化しております。説明は以上です。
○荒木座長 ありがとうございました。それでは、いまご説明いただいた資料1-1~1-4について議論を始めたいと思いますが、どなたかご質問、ご意見等はございますか。
○橋本委員 アメリカのことについて全くわかっておりませんので、基本的な質問です。タフト・ハートレー法制定時のアメリカの状況ということで、非常に貴重な資料をいただきましたが、ここで問題となっていたのは、クローズド・ショップ制とか使用者にのみ不当労働行為禁止規定がかかっていたとか、ストライキのやりすぎが結局組合員にとっても不利益なので、それが問題だということで、それでタフト・ハートレー法の改正につながったという経緯なのですが、もともとの労働者の概念(Employee)はワグナー法と明らかに変わっているのかどうかについて確認させていただければと思います。
○竹内(奥野)委員 私から、いまの橋本先生の質問についてお答えします。以前の研究会の議論でもあったかもしれませんが、タフト・ハートレー法の改正のときには、労働者の概念についても改正があって、アメリカのNLRAでは「Employee」という言葉が使われておりますが、それについても改正が加えられております。
 第2回の研究会の資料に書かれていたかと思いますが、いろいろ変更がありまして、その中で特にこの研究会との関係で1つ述べるべき点は、Independent contractorが明示的に定義規定の中でEmployeeに当たらないという改正が加えられております。これは、資料1-2に書かれている経緯で、タフト・ハートレー法は基本的にはこのような形で改正されていったわけですが、それと併せて1944年に出た最高裁判決(Hearst事件)、新聞等を町のスタンドなどで売る、自営の形で働いていた人たちですが、そのような人たちをEmployeeに当たると判断した最高裁判決を否定するということで、タフト・ハートレー法改正のときに併せてEmployeeの定義も変わっております。そのような最高裁判決を否定する趣旨ということで、このときに併せてEmployeeに関しても労働者の該念に関しても変更が加えられております。
○竹内(奥野)委員 やや細かい点かもしれませんし、あまりこの時点で考えられていたことではないのかもしれませんが、資料1-1の「昭和24年労組法改正時の質疑等」の立法者意思を示す資料という改正労働組合法の解説の記載で、解説二で「本法において労働者とは職業の如何を問わず、賃金、給料、その他これに準ずる収入によって生活する者。換言すれば他人に使用せられ、労働の對価たる賃金給料等を得て生活する者である」と書かれております。「使用せられ」と解説では書かれているのですが、もしわかれば、何か考えがあって「使用せられ」と書いているのか、あるいは特に何か考えがあって書かれているのか、いますぐにはわからないかと思いますが、わかればご確認をお願いできればと思います。
○荒木座長 そこについては確認して、のちほどご報告したいと思います。ほかにいかがでしょうか。
○竹内(奥野)委員 資料1-3の独禁法との関係について、これも質問です。1つは、資料1-3の初めの頁に、3「労働組合への適用の可否」というまとまった文章がありますが、最後の「さらに」で始まる段落で、「労働組合法自体の解釈として何が正常な組合の行為であり、何が正常な範囲を超えた違法な行為であるかを判断する場合に」云々というくだりがあります。これも、もし現在あるいは後日の研究会の中でわかればで結構ですが、例えば労働組合が何らかの行為をして、民事責任や刑事責任の正当性の判断をするとか、あるいは労働委員会で救済を求めるときに、このような行為は救済の対象とならないという形で判断をしていくということなのか、独禁法の文脈で労働組合法の解釈があまり具体的に議論されていることがないので、あまり議論はないのかもしれませんが、どのような趣旨なのかがもう少しわかれば助かるかと思います。お願いします。
 資料1-3に関して、もう1点は、2頁で独禁法上は事業者が広く解されているというご説明でしたが、事業者であって、かつ、しかし労働組合法の観点から見た場合には労働者であると評価された場合には、独禁法と労組法との関係でどのように扱われるか、これもわかればで結構ですので、ご教示いただければと思います。よろしくお願いします。
○荒木座長 いま、何かお答えできることがあればお願いします。
○平岡補佐 次回調べてご報告したいと思います。
○橋本委員 いま竹内先生がご指摘された点が、まさに重要な点だと思います。ここに書かれていることと現行法の状況を見ると、独占禁止法の適用もあり、かつ労働組合法の適用もあるということは排除されないという結論になると思うのですが、それはそれで日本のあり方としてはあり得るのかもしれませんが、前回ご紹介したように、ヨーロッパでははっきり分けています。今後の立法政策にもつながるかもしれませんが、そこを問題意識として、1頁の3の「さらに」以下のところは、これは少し曖昧ですが、当時の情勢から見てこのようなことを立法担当者がおっしゃったということはわからなくもないのですが、もう少し整理する必要があるのではないかと考えております。
○荒木座長 独禁法の解釈としても、立法当時、石井良三さんは労働組合というのは独禁法上の事業者と言うことはできないという立場だったのですが、現在の解釈としてはどういうことになっているのですか。
○平岡補佐 2頁の初めにあるのですが、昭和28年より前は、独禁法と事業者団体法という2つの法律があって、独禁法はまさに事業者を対象にしていて、事業者団体法は事業者団体を対象にしていたようです。そのあと昭和28年に、事業者団体法が廃止されたことに伴って、事業者についても事業者団体についても独禁法で規制する扱いになったようです。翻って現行の解釈としては、4に書いているように、労働組合については、事業者団体類似のものだと思いますが、それについて個別具体的に労働組合が独禁法で言う事業者の団体に該当するかどうかとか、独禁法で規制する不公正な取引を行ったかどうかを見ていくという整理になっているようです。
○荒木座長 わかりました。説明としては、事業者団体性を議論すべきだったのが、事業者性として議論されていたということがあるのかもしれません。この点はまたさらに検討したいと思います。
○山川委員 いまの点との関連で、報告書等を作る際に、独禁法と労働組合法の関係が一体どういう目的で議論の対象になるのかを整理しておいたほうがいいように思います。歴史的にアメリカなどを考えれば、労働組合のしていることが、いわば個別的な労働者の賃金切下げ競争を防止するという意味がありました。これが一種のカルテル行為となって、今で言う独禁法違反になるということで、逆に言うと、賃金切下げ競争を防止する必要性があるようなものが労働組合を作ったため、今で言う独禁法のようなものの適用を労働法により制限するという歴史があったので、そういう観点からの議論になるというのが1つあると思うのです。
 もう1つは、事業者であれば、独禁法上別個の保護もあるのではないかという観点もあるわけです。零細事業者に対して、労働組合法によって保護するのか、優越的地位の濫用規制など独禁法ないし経済法の領域で保護するのか、これらは別の問題なのですが、どういう観点からこの問題を整理するのかはあとで意識しておいたほうがいいように思います。
○竹内(奥野)委員 少し話が移ってしまいますが、追加の情報提供だけですが、資料1-4の「諸外国における労働組合の例」に関して、アメリカの芸能関係やプロスポーツの労働組合の紹介がありました。そのほかにも、第2回の研究会でアメリカ法について少し触れたところで、フェデックス事件というのが簡単に文章の中で示されておりました。あの事件は、物品配送等を行うトラックの運転手の労働者性が争われた事例ですが、そのようなトラック運転手等を組織している組合としては、チームスターズ労働組合というものがあります。いろいろな産業の、いろいろな職種の労働者を組織している組合ですが、そのように労働者性が争われている人たちについても組織している労働組合として、そのようなものがあることを追加で情報提供したいと思います。
○有田委員 いまの点に関連して、イギリスについても、そういう意味では建設業の労働者の組合がそれに近いものかと思います。ただ、これは産業別組合で建設業に関わる部分に限定なのですが、自営業者的な働き方をしているというか、そういう形態で扱われて働いている建設労働者を組織する他の組合としては、いまお話にあったような一般組合で、運輸一般というTUC(Trade Union Congress)傘下の中でも最も大きな組合の1つとか、公務員等公共部門の労働者を中心に組織しているのだけれど、他の産業の部分の労働者も組織しているような、そういった一般組合みたいなものも、こうした自営的な働き方をしている人たちを組織しているものが結構あると聞いております。
 もう1点、建設業界は昔から自営的な形で就労させることが問題になっていたようですが、最近では情報通信産業でBritish Telecomとかその子会社といった所が、通信産業で働く労働者を自営化の方向で働かせるということで問題になってきているということをTUCで伺ったので、わかればまた追加でご報告したいと思います。
○荒木座長 ありがとうございました。追加的に教えていただきたいのですが、日本でこういう労働者の団体、あるいは自営業者の団体は労働組合かということが問題になった場合に、それが労組法上の労働者かどうかはっきりするのは、労働組合の法人登記に際して労働委員会で労組法上の労働組合に当たるかどうかの資格審査をする、あるいは不当労働行為の救済を申し立てて、救済命令を発する際に資格審査をするという場合です。
 今回たくさんの例が挙がっていますが、これらがアメリカやイギリスの日本の労働組合法に相当するものに言う労働組合かどうかは、どこかの訴訟の過程や手続の過程ではっきりしてこう言われているのか、それとも社会的実態として、事実上交渉して協約を結んでいるということなのか、その辺りを少し法的に整理していただけるとありがたいのですが、いかがでしょうか。
○竹内(奥野)委員 いま正確に説明ができるかどうかやや自信がありませんので、のちほど補足させていただくこともあるかと思いますが、アメリカの場合、労働条件などについて団体交渉を含めて折衝する団体は、Labor Organization(労働団体)とよばれています。そして、労働者を代表するものとして交渉代表選挙で選ばれた者が—ほとんどは社会的実態として労働組合とされている団体が選ばれるのですが、その他の団体であれ、あるいは、個人であれ—実際に使用者と交渉して、労働協約を締結していくわけです。
 アメリカ法で労働者性が問題となるのは、このような労働団体が被用者を代表するものとしてNLRB(全国労働者関係局)の実施する選挙で代表として認証されていく、あるいは、認証された後の過程です。そのような中で、交渉代表選出のための選挙で投票する人たちがNLRA上団体交渉等の権利を保護されるEmployeeであって、労働団体はその人たちを代表する存在であるか否か、という点で労働者性が問題となります。そして、このように、Employeeを代表しているかどうかという観点から見た場合、資料1-4に掲げたアメリカの労働組合は、組織している人たちがEmployeeであることを前提にして、NLRBの選挙でその人たちの代表者として選ばれています。ですので、どれらの労働組合は、アメリカ法的にみて、NLRA上ということですが、日本的に言えば適法な労働組合だと理解することができるかと思います。
○橋本委員 いまの問題に関連して、労働協約とその他の団体の締結した協定との違いは、規範的効力が及ぶかどうかだと思うのです。つまり、協約が最低基準として構成員の労働条件を決めるのかどうかですが、アメリカについては排他的交渉代表制ということで、労働条件の最低基準を決定するという理解でよろしいでしょうか。
○山川委員 最低基準というよりは、アメリカの協約は組合のローカル単位で締結することが多いので、むしろ統一基準のほうが多いのではないか。ヨーロッパとは交渉の形態は違いますが、規範的効力という概念はアメリカにはなくて、労使関係法、Labor Management Relations Actの301条で、個人が協約上の権利を享有できるか、ないしは訴訟を提起できるかなどの形で議論されていますので、結果的には規範的効力の問題と同じですが、別に契約の内容になるということを言う必要はない。アメリカでは、解雇自由の原則がありますから、むしろ契約の内容ということを言う必要自体がなくなるのですが、結果的には個人が権利を実現できるという枠組みにはなります。
 ついでに、先ほど竹内先生が言われたことに若干補足をすると、裁判所が被用者該当性につき判決を下す場合については、使用者が、相手は被用者の団体ではないということで申入れのあった団体交渉を拒否して、救済命令が発せられたのち、その司法審査を求めて裁判所に行って判決が下される場合が結構あります。これは組合の追加になってしまいますが、アメリカでオペラの合唱団員のSeattle Operaが事件になって、そこは同じような形で、Seattle Operaの合唱団員については被用者に当たるという判決が、控訴審までですが、出ています。任意に組合を認めて交渉する場合もなくはないのでしょうけれど、それほど一般的だとは私は聞いていなくて、交渉代表を選ぶ選挙をすることが多いので、その結果に基づく命令を争う段階は出てくると思います。
○有田委員 協約の関係で言えば、イギリスにも規範的効力という観念はありませんので、雇用契約の内容に取り込むか取り込まないかということで、協約規定が法的に拘束力というか、意味を持つかどうかということになってきますが、どういう形で問題になるかというと、承認組合に一定の権限が与えられていますので、その関係で承認されるかどうか。使用者が任意に承認すれば問題ありませんが、任意の承認をしない場合に法的な承認手続制度があります。これを所管しているのが認証官という官職で、そこの判断について法的に法廷の場でその判断の当否を争う形で問題になり得るということです。すでに実際にこれまでも交渉して協約締結しているような組合が、そういうプロセスにおいておおよそ認められていると考えていいのではないかと思います。
○荒木座長 ありがとうございました。協約の規範的効力というのはドイツ流の考え方なものですから、イギリスやアメリカにはそういう概念がありませんので、かなり議論しづらいのですが、いずれにしてもどこかの過程で、それぞれの労働組合法に相当する法律に言う団体かどうかをチェックして、労働組合だという議論がされているということですね。資料1についてはよろしいでしょうか。
 それでは、資料2及び資料3について事務局からご説明をお願いします。
○平岡補佐 資料2-1をご説明します。これは、「労働組合法上の労働者性に係る主な論点(案)」について、前回の研究会におけるご議論を下線で付記したものとなります。本日は、その部分を特にご説明します。
 1頁です。1、基本的考え方の(1)「労働組合法の労働者性を検討する意義」のところで、下線を付している部分になりますが、「労働組合法第3条の労働者であれば、不当労働行為の救済など、同法に規定する保護が及ぶという理解で良い」というご意見がありました。次に、「判断基準の明確化には、解釈論と立法論のスタンスがあり得るが、区別して議論すべきではないか」というご意見がありました。
 次の頁です。(2)「労働組合の成立等と労働者性との関係」です。「昭和24年の労働組合法改正時の国会の趣旨説明では、第3条は文語を口語に改めただけで、従来の規定と同じと述べられている。この趣旨説明からは、行政救済としての不当労働行為救済制度を新たに加えることとの関係で、労働者概念に何らかの変更があったとは考えられない」とのご意見がありました。
 次の頁です。(5)「労働組合法第3条と第7条第2号の関係」です。3頁の下の辺りですが、「朝日放送事件の最高裁判決は、第7条第2号の『雇用する』を労働契約法・労働基準法上の『使用する』の意味であると狭く捉えているわけではなく、労働組合の趣旨との関係で広く解している」とのご意見がありました。
 次に、「母法であるアメリカの全国労働関係法においても、団交拒否の不当労働行為について、『被用者』であることに加えて、『雇用する』という独自の要件が課されているわけではない」とのご意見がありました。
 7頁です。(9)「最近の中労委の命令と下級審の判決の比較」の部分ですが、8頁の3の真上の辺りで、「労働組合法上の労働者性について、新国立劇場事件以前は、裁判例と中労委・地労委命令の間にそれほど違いはなかった。最近の事案だけでなく、昭和30年~40年代に争いになった事案も比較することで、指揮命令という人的従属性を重視しているのか、経済的従属性を重視しているのかなど、これまでどの点に重点を置いて判断されてきたのか分かるのではないか」とのご意見がありました。
 3、労働組合の労働者性の判断基準の(10)「労働組合の労働者性の基本的な考え方」の部分です。8頁のいちばん下ですが、「判断基準の明確化には、3つの問題が入り組んでいる。1つ目は、基準の中身をどうするかと、論理的に整理して基準をわかりやすくすること。その際、形式的な要素を用いるか、実質的な実態に沿った要素を用いるか。近年、諸外国では、形式的な基準にすると法の潜脱や法適用回避行動を生むおそれがあるため、実態に沿った基準を作り、わかりやすくすべきであるとの指摘がなされている。
 2つ目は、基準をプロセス化し、手続化するかということ。わかりやすい基準を立てたとしても、曖昧さ・抽象性は残るため、プロセス化し、原則として当事者が合意しているというプロセスの中に載っていれば認める。例外として、認証機関の認証を得れば、当事者が合意していなくても認めること等が考えられる。
 3つ目は、基準を統一化するかということ。労働基準法等も含め、労働者概念を統一すれば、当事者にとってわかりやすい。労働基準法と労働組合法は趣旨が異なるが、趣旨の違いを重視して別基準にするのか、わかりやすさを重視して統一的な定義を用いるかということ」。
 次に、「労働法が何のために誰に対して色々な保護を与えているかという原理・原則を踏まえた上で、どのような制度設計とすべきかも、明確化と併せて考慮されるべき」という意見がありました。
 次に、「明確性と統一性は区別して考えるべき。無理にいろいろな法律の中で統一的な概念を立て、法律ごとに適用除外を設けるより、個別法ごとにはっきりと基準を示すことに重点を置くほうが、実務で混乱が起こらないのではないか」というご意見がありました。
 次に、「我が国の労働組合法上の労働者について、独占禁止法等の経済法と整合性をどう取るか。どこまで競争制限をかけ、そこから外れた労働組合には団体交渉を認めるかという観点から、考え方を整理すべきではないか」というご意見がありました。
 次に、「労働基準法第11条の賃金の定義における労務提供に『準ずる』を組み入れれば、労働組合法の労働者には労働基準法や労働契約法上の労務提供に準ずる関係も含まれるという解釈ができる」「労働組合法には賃金の定義規定がないので、労働組合法の労働者性の解釈で、労働基準法の賃金の規定に当然に立ち戻る必要はないのではないか」というご意見がありました。
 (11)「労働組合法の労働者性の判断要素について」です。9頁の下ですが、「労働組合法の労働者性の判断要素は、『準ずる』という第3条の条文から出発すべきである。ただし、『準ずる』という文言は非常に曖昧であるため、これに立法趣旨、立法者意思の2つを併せて考慮して導き出すべきである」というご意見がありました。
 「労働基準法の労働者性の判断要素が満たされるときは、諾否の自由、時間的・場所的拘束等が出てくるが、労働組合法の労働者性の判断要素として用いる場合には、それに『準ずる』もので良いとすると、事業組織の組込、契約内容の一方的決定、労務提供への対価支払いとなる」。
 次の頁です。「労働基準法の労働者性は、8つ程度の判断要素があるところ、人的従属性、経済的従属性、組織的従属性が入り混じっている。労働組合法の労働者性を判断するときに、8つの判断要素の全体を見ながら薄めに考えるという立場と、労働組合法の趣旨から人的従属性はそれほどでなくても、経済的従属性を特に重視する、または、経済的従属性と組織的従属性をみるという立場がある。後者の方が比較法的に日本の趣旨に合う気がする」というご意見がありました。
 資料2-2をご説明します。資料2-2は、「労組法上の労働者性の判断要素」について、いわばたたき台として事務局がまとめたものになります。これが正解という趣旨ではなく、中労委の命令、学説等から最大公約数的に挙げたものとなります。
 1つ目の○にありますように、各判断要素は、大別すると組織的従属性、使用従属性、(人的従属性)、経済的従属性のどれに該当するかです。下に1から3まで挙げておりますが、1の「組織的従属性」の判断要素は、ソクハイ事件の中労委命令からこのようにたたき台的に整理してみました。2の「使用従属性」の判断要素は、労働基準法の使用従属性の判断要素に論文で言及のあった組織の組込、次にCBC事件最高裁判決の調査官解説で、雇用性を強めることが多いと言及のあった(6)の契約期間の長短を入れております。
 3の「経済的従属性」の判断要素は、直接言及したものがあまり見当たらなかったため、論文で言及のあった要素を基本に事務局で検討の上、たたき台的に整理したものとなります。なお、学説によっては、使用従属性は人的従属性と経済的従属性を合わせたものとする考え方もあるように承知しております。
 2つ目の○にありますように、各判断要素は何を指し、各判断要素との関係はどのようなものか、中心的な判断要素・補完的な判断要素を区分けすることが可能かです。なお、次の頁に参考で付けている資料は、昭和60年の労働基準法研究会報告の「労働基準法の『労働者性』の判断基準について」になります。
 資料3-1、資料3-2は、裁判所の判決、中労委の命令・決定を比較したものとなります。先ほどの論点の中で、「新国立劇場事件以前は、裁判例と中労委・地労委命令の間にそれほど違いはなかった。最近の事案だけでなく、昭和30年~40年代に争いになった事案も比較してはどうか」というご指摘があったので、事務局でまとめさせていただきました。
 資料3-1は、左から昭和35年の東京電力常傭職員労働組合の資格審査における中労委の決定、次が同年の東京ヘップサンダル工組合の資格審査における中労委の決定、次に日本放送協会事件について、昭和43年の大阪府労委命令と昭和41年の地裁判決、次にアサヒ急配事件について、平成17年の大阪府労委命令と平成19年の地裁判決になります。
 資料3-2は、これも同様の趣旨でまとめたものになりますが、左から中部日本放送事件について、昭和41年の愛知地労委命令、昭和46年の地裁判決、次にCBC管弦楽団労組事件について、昭和41年の愛知地労委命令、昭和46年の地裁判決、昭和49年の高裁判決、昭和51年の最高裁判決、次に眞壁組事件の平成10年の高裁判決をまとめたものです。説明は以上です。
○荒木座長 ありがとうございました。資料2及び資料3についてご説明いただきましたが、何かご質問等はございますか。
○原委員 資料3に関して、これは事前にも申し上げたのですが、教科書などを見ると、昭和30年代~40年代にかけては、他にもたくさんの裁判例があるようです。見る必要があるかどうかわかりませんが、今日は新たに昭和30年代の事件をいくつか追加していただきましたので、必要があれば、今後この年代の事件についても検討していくようにするのがいいのかなと思いました。
○荒木座長 労働者性についてまだ先例が相当あるのではないかというご趣旨ですか。
○原委員 はい。
○荒木座長 それでは、その点については確認してください。ほかにいかがでしょうか。
○原委員 続けてもう1点、資料2-1と資料2-2を行ったり来たりしながら、最終的に労組法上の労働者性の判断要素、労組法上の労働者性の解釈として、資料2-2を完成させていくのが目標なのかなと考えました。資料2-2を見て思ったのは、組織的従属性、使用従属性、経済的従属性といった概念は、論者によっても内容が相当違っているのではないか、という点です。ですから、議論するときにこういう概念を使うべきなのか、使うとすると、何か概念の統一というか、共通の理解を作っていかないといけないので、何々従属性と言ったときにはいろいろな意味が含まれうるということに注意すべきと思います。議論を進めていく前に、どういう概念なのかを検討する必要があるのかなと思いました。
 その上で、一般的な理解で、経済的従属性とか人的従属性と言ったときにどう考えるかですが、経済的従属性というのが人的従属性とか組織的従属性の前提問題になっているのだと思うのです。だから、経済的従属性についてそれほど述べる例がなかったというのももっともだと思います。理屈立てて考えてみると、経済的従属性があるから、つまり従わなければいけないから、使用従属性が出てくるような契約を結んで働くわけです。使用従属性があるから、そういう契約を結ぶから経済的に従属する、というわけではないと思うのです。順番としては、経済的従属性があって、そこから導かれることとして、使用従属性となるような形の契約を結んで働くということがあると思いますので、この3つを並列して考えていくのが適切かどうかは一考の余地があるのかなと感じて、資料を拝見しました。
○橋本委員 いまの原先生のご指摘と近いと思っているのですが、資料2-2の2番目に「中心的な判断要素、補完的な判断要素を区分けすることは可能か」という問題設定になっています。このように何か判断要素を決めて、これが中心で、あとは補完的だというふうにきれいに区分けできる問題なのかという気がしています。いまは経済的従属性が前提にあって、そこから使用従属性なり、組織的従属性が問題になってくるのではないかという原先生のご指摘はそのとおりだと思っていました。
 それぞれここに挙げられた組織への組込みとか契約内容の一方的決定、諾否の自由、日時、場所、拘束性等の、これらの個別の要素をまとめるような、私はそれを上位概念と言っているのですが、上位概念とか指導理念とか、それをまずは確定する作業が必要かもしれません。次に、そのような上位概念と個々の判断要素がどういうつながりを持つのかという作業が問題になってくるのではないかと思います。これは、ドイツの労働者概念に関する最大の研究だと思っておりますけれども、ドイツのロルフ・ヴァンク教授の研究が、そういう趣旨の下に書かれております。
 最近の西谷先生のご論文でも、ヴァンク教授の手法を日本方の下で展開されていらっしゃるなと思って拝読いたしましたが、そういうことをおっしゃっています。そういう指導理念と言ってしまっていいかはわかりませんけれども、それを考えた上で、個々の判断基準とのつながりを議論していく作業が必要ではないかと考えております。
○山川委員 いまのお二人のそれぞれのご意見に同感です。1つは中二階みたいな使用従属性という概念を立てることの意味がどれだけあるのかという感じは強くいたします。それぞれの指導理念というか、制度の趣旨ということかもしれませんけれども、どういう観点からかと見れば、これが主要な要素ではないかかという観点のようなものは整理しておく必要はあると思います。
 もう1つは、その場合に資料2-2で(1)から(6)までありますけれども、それぞれの関係が書いてありますが、それについても並列的に見るべきかどうかという問題があるかと思います。前回か前々回に申しましたソクハイの関係でいうと、資料2-2の(1)(2)が主要な要素で、(3)から(5)等が補完的要素という位置づけであったかと思います。要素間の関係についても考慮する必要があるかと思います。
 この点について若干補足しますと、(1)組織の組込みと契約内容の一方的決定等が主要な要素になったというのは、前回の議論でも出てきました。労基法上の要素を薄めて考えるか、独自の要素を考えるかという点です。労組法上の労働者の範囲が広いとすると、労基法上の要素を完全に満たすのは、比喩的に言うと労組法上の要素が存在すると仮定して、それの充足度を100とすると、120とか150になります。それを150とか120の労基法上の要素を前提にして、それの150分の100でいいとか、120分の100でいいという議論をするのと、端的に100の要素というのは何かを確定するのと2つのやり方があると。
 私のソクハイの理解は、労基法上の要素として言われている、100%充足したら労組法上の労働者性を判断するには過剰に充足することになる要素、そこから100%の要素を取り上げると、組織の組込みと、契約内容の一方的決定になるのだという理解をしています。
 水平的に議論すべきものもあって、垂直的に議論することだけで足りるかというのもあります。そうすると、これまで労基法上の労働者性の概念、労働者概念のところで、組込みとか一方的決定は出てこなかったのも、ある意味でよくわかるというか、それは120、150が最終的目標だから出てきようがないということになります。そういう理解ができるかと思っています。
 若干前回の補足みたいになってしまいますけれども、なぜ組込みと一方的決定が重視されるかというと、CBC判決に戻ると、放送の都度演奏者と出演条件等を交渉して、個別的に契約を締結することの困難さと煩雑さ等を回避し、楽団員をあらかじめ事業組織の中に組み入れておくことによって、放送事業の遂行上不可欠な演奏努力を恒常的に確保しようとする。つまり、個別交渉の煩雑さの回避、それによって組織の中に労働力を組み込んでおくという点がかなり重要なポイントだと思います。個別交渉の煩雑さの回避というのは一方的決定で、組織に組み込んでおくというのは、もちろん組織への組入れと。
 これは、それぞれ独立して議論すべきものではなくて、2つ合体して初めて個別交渉の取引費用を少なくして、事業組織を円滑に活動させようとする発想に結び付くのではないか。私は経済の専門家ではないのですけれども、企業組織の経済学の中では、企業がなぜ生まれてきたかというと、個別的な契約でいちいち全部交渉していると、取引費用がかかるから、それで組織という形で一方的に決定ないし、命令するような形の組織ができてきたのだというのが、組織の経済学です。それが、ある意味でヒントになるのではないかという感じを持っています。
 そういう組織性があれば、団体交渉という点では馴染むのではないか。必ずしも、どのように行動すべきかということまで一方的決定というか、作業遂行の点まで指示する必要はないのではないか。そういう意味で、ここでいう(1)(2)の組込みと一方的決定というのが、労組法の趣旨に則した要素として抽出できるのではないかという感じはあります。私は、経済学的には素人なものですから、これでいいかどうかわからないのですが、CBCの判事は、無意識のうちに組織の経済学的なことをかなり言っているのではないかという印象を抱いています。
○有田委員 いまの山川先生の経済学的な知見も入れた上でのご議論を伺っていて、その場合100%の要素をどうするのか。例えば、完全な労基法上の労働者というのは、これもまさに100%組み込まれているわけです。外部市場からいちいち労働力を調達するのではなくて、企業組織の中に組み込むために労働契約を締結して、企業組織の中に従業員として組み入れるのです。そうすると、組入れの度合いが違うのだという議論になってくることになるのではないかと思います。それを判断するための指標というか、具体的な判断要素としてどのようなものが立てられるのかということが1つ議論になり得るかと思いました。
 もう1つは、先ほどご説明いただいた独禁法との関係です。それで事業者性が認められる点も両立し得るというか、両方の適用対象となり得るといったような問題が生じるときに、例えば、労組法上の労働者性の判断で、そもそもこういう概念は使わないのだというのがいまのご議論ですが、経済的従属性という意味では、事業者性をまさに持っていても、下請法の対象となるような事業者というのは、まさにこういう従属性があるからこそ、そういう保護規定の適用を受けるというふうに経済法の領域でもあるわけです。
 そうすると、労働者性の側面等からのアプローチと、もう一方で事業者性のアプローチの面とで、両にらみが要るかどうかということも議論した上で、もしそういうことも視野に入れて議論するということであれば、そちらとの関係でこういう要素の組立て方は何か議論する必要はないのか。それを両方突き合わせたような形で、全体としての判断基準なり要素というのが検討できるのかということも1つ議論してみてはどうかと思います。
○橋本委員 いま、有田先生がおっしゃった、労働者と事業者の両面から考えるべきだというご指摘はまさにおっしゃるとおりだと思います。先ほどご紹介しましたドイツの労働者概念の研究では、ヴァンク教授は労働者の定義を、事業者としてのリスクを自ら引き受けたものではない者というのを指導理念として立て、その事業者のリスクの自発的引受け、を検討するに当たって、考慮要素になり得るのが、従来の伝統的な判断要素である。具体的指揮命令への拘束とか、時間的・場所的拘束といった人的従属性と考えられてきた要素も、拘束が強ければそれだけ事業者として自ら利益を得るチャンスが狭められるわけですから意味を持つ、という議論を立てていて、これは非常に説得的な議論ではないかと考えています。
 ただ、このヴァンク教授の議論はドイツではどう受け入れられたのかというと、繰り返しになりますが、労働者類似の者という、第三の概念というか労働者の自営業者の中間概念が当初から存在していたために、労働者と事業者の二分説というのが、実定法上相容れないということで、現在はまだ判例等々に取り入れられるには至っていないです。
 日本の場合は、実定法上の労働者類似の者というような概念がないので、まさに労働者か事業者かという議論ができる状況ですので、大いに参考になるのではないかと考えています。
○荒木座長 非常に有益な視点を指摘していただいていますが、先ほど山川先生からご指摘があった、一方的な決定によって、個別取引による交渉コストを引き下げているのではないか。これはコースのいう、なぜ企業が存在するかという議論と共通するのではないかという話がありました。
 そこで、一方的決定というときに、基準法のときの一方的決定というのは、使用者の指揮命令に服するというところで一方的決定を考えていたかもしれない。本日のご指摘は、実際に労働するときの一方的指揮命令に服するという議論ではなくて、契約内容を一方的に決められているかどうか。つまり、労働の対応における一方的決定ではなくて、契約条件についての一方的決定を問題としておられるようにお聞きしましたが、そういうことでいいのかどうか。
 従来の一方的決定と、ここで労組法上を議論している一方的決定というのは違っていて。団体交渉で労働条件を設定するレベルの問題。だとすると、そこでいう一方的決定というのは、まさに契約条件の一方的決定を問題としていたのかもしれないと、ご指摘を伺って改めて思った次第なのですが、その点はいかがでしょうか。
○山川委員 両方含むのではないかと思うのです。契約条件とは何かということもありますが、対価の一方的決定と、労働供給内容の一方的決定と2つあり得るのではないか。先ほど言いましたのは、労働基準法上の労働者となると、場所的・時間的拘束とか、業務遂行への指揮監督命令、それから諾否の自由というのも、これをやれと言われたときに、すぐ取りかかりなさいということですよね。だから、態様面に対する一方的決定の程度が非常に強いわけです。しかし、CBC管弦楽団事件等では、そこまで強くなくてもよいという理解になっているので、そこは2つあり得るのではないかと思います。
 もう1つは、両者を区別して議論できるかという問題です。賃金に準ずるというところの関係でもあるのですけれども、結局は、ある労働提供の対価としての賃金を議論するので、両者は必ずしも2つ隔絶するものではないのではないかという気はしています。そういうことで、一方的決定というのは両方を含むのではないかと思います。しかし、先ほどの組織の経済学的な発想からすると、労務の提供というか、労務の内容や配置ということが、比較的争点には上がってくるように思いました。
○竹内(奥野)委員 いまの荒木先生と山川先生のやり取りに関連することですけれども、先ほどの山川先生のご発言の中で、組織の経済学的な観点から、組込みとか一方的決定という要素が導かれるのではないかというお話でした。組織の経済学ということであれば、一方的決定と結び付くのでしょうか。というのは、集合的に定型的な取引をすることで、個別交渉のコストを下げるということはわかります。ですが、一方的に決めるというのと、集合的、定型的な取引をするというのとはやや異なっているような気がするのですが、その辺の関係についてご説明いただけますか。
○山川委員 経済の専門家ではないので、私がそこまで説明できるかというのはあるのですけれども、労働というものの中身によるのではないでしょうか。つまり継続的な関係で、さまざまな事業上の必要性が出てくるので、その中では契約内容を集団的に決定して、それがずっと固定なものだったら集団的ということだけになるのかもしれません。要するに、CBC判決では事業の必要に応じてということなので、それに随時ということが入るものですから、そこでは、どういう仕事をするかとか、どういう態勢に置くかということを、一方的に決定できるような契約内容であるということが入ってくるのではないかと素人ながら思います。
○荒木座長 経済の専門家がいないので議論してもあれですけれども、おそらく普通に言われているのは企業をつくる利点というのは、いちいち契約によって一定の財を提供する必要がない。組織というのは指揮命令で動く。指揮命令によって資源の再配分ができる組織として、組織内へ取り込んで企業をつくるということがtransactionコストを引き下げて有効なのだという議論がされていると思います。
 おそらく組織に取り入れるときの契約内容の交渉コストの問題と、組織に取り入れた後実際にどういう行動をするかということは、労働契約に全部書くことはできない。つまり、不完備契約で概括的にしか決めることができないので、具体的な労務提供内容は指揮命令で決定する。その両方の面で、おそらく一方的決定というのは出てくるのかと思いました。
 改めて先ほど考えたのは、団体交渉をさせたほうがいいというのは、もちろん具体的な指揮命令もあるのでしょうが、契約条件を決めるときに、団体交渉というツールを使わせるのが適切かどうかという、それにフォーカスが当たっているがゆえに、先ほど山川先生が整理されたようなことになっているのかということを考えた次第でした。
○山川委員 あとは、賃金というか報酬との関係では元に戻って、切下げ競争の防止ということがあり、それは労務供給の内容というよりも、むしろ報酬のほうに力点が置かれるのかという感じがします。
○原委員 いまの一方的決定というところで、その一方的決定というのは、会社側が提示した条件について個別の交渉の余地はない、という理解でよろしいのでしょうか。つまり、受け入れるかどうかしか決められなくて、そこで個別に交渉する余地はないので、労働組合を通した団体交渉でその条件を引き上げるということを認めてあげる必要がある、という流れで理解すればよいのでしょうか。
 一方的決定というのはよくわからない部分があったのですが、要は提示された条件にイエスかノーかしか言えなくて、そこで個別の交渉をする余地はないというところがポイントになってくるのでしょうか。
○竹内(奥野)委員 その点で、先ほどの質問も同じような考え方から質問させていただいたのですが、資料2-2で1なり2の(2)として、「契約内容の一方的・定型的・集団的決定」となっているわけですが、その「定型的・集団的決定」は括っても理解できる気がするのですが、「一方的」と「定型的」や「集団的決定」というのが並んでいるのがちょっと議論が噛み合わない、あるいは混乱をしている理由かと思います。
 そういう意味で私がいま具体的な答えを提示できるわけではないのですけれども、「一方的」というのと、「定型的」「集団的」は同じものか、違うものかを整理する必要があるかと思います。
○山川委員 これは答えということではないのですけれども、例えば担当の地域を決めるとか作業のマニュアルを決めるとか、いろいろな意味で一方的決定というのはあり得て、それは集団的な決定の場合と重なる場合が多いと思います。
 資料2-2を見て、いまのお二人のご意見との関係で今後の検討課題ということになるのですけれども、1つは事実上の問題と、契約に書いてあるからこうなるという法的な問題が、ここに別の軸として何か入ってきそうな気がするのです。交渉の余地がないというのは、事実上余地がないのか、法的にも余地がないような形で仕組まれていることになるのかというのが第1点です。
 もう1つは、まさにいまご議論になっていた、具体的に各要素はどういう事実から認定できるのかという、各要素のさらなるブレイクダウンでしょうか。例えば組織への組込みということでしたら、中核的な業務内容の担当というのが1つあるでしょうけれども、そのほかにどのぐらいのことがそこに入ってくるのかとか、いろいろなものがあります。
 「従属性」という言葉も抽象的ですが、考えてみたら(1)から(5)とか(6)とか、その要素もさらに抽象的な面があって、具体的にどういう事実があれば足りるのかは、実務上も結構迷う点がなくはないのです。どちらの要素として並べるかという問題もありますし、何をどこまで認定すればいいのかという点で悩む点がなくもないので、事例等を通して、さらに具体化する、あるいは検討していくというのも1つ課題になるかと思います。
○竹内(奥野)委員 いまの山川先生のご発言の初めのほうを聞いてちょっと思ったのですが、これも議論していただくための1つのたたき台といいますか、アイディアとして申し上げたいと思います。いまの山川先生のご発言の初めのほうで、一方的決定ないしは定型的・集団的決定の関係を説明されるところで、担当地域を決めるということを具体的な事実としておっしゃいました。
 担当地域を決めておくというのは、見方によってはこの担当地域については、これこれの人員を張り付けておくというような形では、(1)の「労働力の処分権」で、必要な事業のこの部分についてはこの人を確保しておく。その事業遂行に人員が欠けることがないように、あらかじめ手配しておくというような見方もできるのではないかと思うのです。
 そうすると、どの事実をもってこの具体的な(1)から(5)とか(6)の要素に当てるかということも検討の課題としてあるのだと思います。先ほど、一方的と定型的・集団的決定のほうを議論していただきましたけれども、(1)と(2)の労働力の処分権と、一方的とか定型的・集団的決定の関係というのも、整理する必要があるのかと思います。
○荒木座長 資料2-2については、事務局からも、こんなのを出してもいいでしょうかと聞かれたのですけれども、これは議論を喚起するからいいのではないかとしてお出しいただきました。
 これを見ても、資料2-2の1の「組織的従属性」に挙がっているものと、2の「使用従属性」で挙がっているものは相当かぶっています。「組織の組込み」もそうですし、(2)もかぶっています。「事業の発注」もかぶっていますし、「事業遂行への拘束性」もかぶっています。整理したらこれでいいのかということもあるのでしょうが、おそらく組織的従属性として議論されている事柄と、使用従属性ないし人的従属性として議論されているものが、これを見るとおそらく一部分重なっているかのようです。
 それと、経済的従属性と言われているものが何なのか。最初に原先生が言われたのは、経済的従属性が前提となって、その上で組織的とか使用従属性が問題となるご主張は、組織的従属性の○(マル)と、使用従属性の○(マル)があるのですけれども、それを全部包括するものとして「経済的従属性」があるという整理に基づいたご発言かと聞いたのですけれども、そういうことなのか、この相互関係も、もし整理ができるのだったら議論していただけると有益かと思ったのですが、いかがでしょうか。
○竹内(奥野)委員 いまの荒木先生の問題提起への直接何らかの回答となるかどうかは自信がありませんが、経済的従属性とか、組織的従属性とか使用従属性についても同じように議論もあるし、こういう用語の必要性もいま議論のあったところであります。この点、例えば、「経済的従属性」という言葉で、いろいろな学説とかの議論を見た限りでは、1つには単純に経済的に劣位な地位にある、あまりお金がないというようなこともあるのかと思いますが、そのような意味で使われていることもあります。また、先ほど橋本先生がご指摘なさったような、いわば事業者ではないというような側面での使われ方がしていることもあります。原先生がおっしゃった使い方というのは、どちらかというと、生活していくためのお金を稼ぐためには、労働力を提供するほかに手段がない。労働力は貯蔵できないので、とにかく交渉で売らなければいけない。売らないでおいて、より有利な交渉相手を見つけるとか、相手からより有利な譲歩を引き出すという可能性は極めて限られている。 そのような意味での労働の特殊性、労働のサービスとしての特殊性に基づく従属性という意味で「経済的従属性」という言葉が用いられていることもあります。このように、いくつかの観点で「経済的従属性」という言葉が学説等では用いられていると思うのです。それゆえ、ほかの要素の整理ということとも関連して、何をもって経済的従属性というかということも整理しておく必要があるのかと思います。資料2-2で掲げられているものとしては、どちらかといえば事業者かどうかという観点での具体的な要素かと思います。
○荒木座長 そうなのです。経済的従属性として、3の(2)(3)(4)というのは、いずれも(2)(3)(4)が欠けていれば労働者性を補強するというようなものです。これがあれば、労働者性を薄めるというものだと思います。それは、2枚目の労基法のところでは、まさにそういう判断枠組みを作っていて、使用従属性に関する判断基準というのがあって、指揮監督下の労働かどうかと、報酬の労務対象性をまず要求し、この判断を補強する要素として、事業者性が強ければ労働者でないという形で、ほかのもので判断できない場合の補強要素とは言っているのですが、判断がつかないグレーゾーンのときに、ある意味でこれがあれば労働者ではない、なければ労働者とするという判断基準を労基法上は使っていたのです。労組法上のときも、こういう似たようなことが出てくるのかどうか、アプローチの問題だと思うのですが、その点はどうでしょうか。
○竹内(奥野)委員 先ほど有田先生と橋本先生がご議論なさっていたところで、事業者性という観点からも組み合わせてみる必要があるのではないかというお話をされていたと思います。労働組合法との関係においても、事業者であるかどうかという観点からの検討は、私も現在のところは、そのほかの労働者か否かというような、いわば正面からの判断と合わせて必要なのではないかという感覚を抱いております。先ほど経済的従属性のいろいろな意味がある中で、単に経済的に劣位にある者と申しましたが、何をもって経済的な劣位、経済的に劣位な地位にある者というふうにするのかも議論があるかとは思います。何らかの理由で契約の相手方、あるいは取引の相手方との交渉において優位な地位に立てない、上手な地位に立てないという人たちというのは、労働者に該当する人たち以外にも、当然小規模・零細な事業者とかいろいろいると思います。
 しかしながら、単に取引において交渉力が劣っているということだけで、およそ交渉力が劣っている人は労働者だとするのは、団体交渉権を保障しているとか、団結権・団体交渉権といった権を保障している趣旨とは合致しない気がいたします。現時点ではそのように考えております。なぜ交渉で劣位に立つのか、労働者が交渉で劣位に立つ場合と、例えば小規模な事業者が交渉で劣位に立つのと、その違いがどこにあるのか。いろいろと違いもありますし、共通するところもあるのかもしれませんけれども、そこで考えられるときには、先ほど少し申しました、労働力を取引の対象にしていて、その労働力については、例えば物品であれば保存が利く、利かないという物はあるかもしれませんけれども、一般的には保存しておいて、別の後の時期に、より有利な事業者、交渉の相手方を見つけてきて別途交渉することもあり得るわけです。労働力の場合は、本日の労働は本日売らなければ、明日に取っておいて、明日分は2倍で稼ぐというわけにはいかない。明日合わせて労働力を売ることはできないわけです。
 そのような労働力が取引の財として特殊な性格を持っている。経済学等でも、そのような特殊性は、たぶん労働の財の特殊性というのは指摘されているのではないかと思います。そのような観点が、交渉で劣位に立つとしても、労働者になる者と、それ以外の小規模の事業者を分ける1つの分岐点となるのではないかと思うのです。そのような意味では、事業者であるかないか、労働力以外の器具とかを備えて、自ら計算等のリスクを負っているという人と、その労働力をとにかく商売の道具にするほかないというような形で分ける。そのような観点からの、事業者か否かという検討はあり得るのではないかと思っております。
○山川委員 そういう観点からの検討はあり得るかと思います。経済的従属性というのは、中二階の中でも比較的取り出しやすいかもしれないので、経済的従属性が弱いという意味での事業者性を持つ場合に、他の2つの要素の判断に影響を与えるというのはあるかと思います。ただ、言葉の使い方として、事業者該当性ということを、労働組合法でそのまま使えるかという問題があります。簡単に言ってしまえば、労組法上の労働者は、労基法上ないし労働契約法の労働者に準ずる者なのです。
 この準ずる者の中に事業者である場合も入るわけです。家内労働者は労組法上の労働者である可能性が高いのですが、家内労働者とは、物品の製造・加工・販売、もしくはこれらの請負を業とする者のうち一定要件をみたす者を対象としているため、言葉の上では事業者でも労組法上の労働者には入りうるので、言葉の使い方は気をつける必要があります。事業者的な性格という表現はあるかと思いますが、あくまで条文からすれば、事業者であっても労働契約上の労働者に準ずる者であれば労組法上は労働者なのです。そういうことですが、事業者的な利得とか損失の帰属主体としての性格が強いという意味では判断の補強要素になるという発想ではないかと思います。
 余計な話かもしれませんが、労働者性とか事業者性という言葉で議論すること自体が混乱の原因で、やはり条文の労働者に「準ずる」者から出発すべきだと思います。
○橋本委員 いま山川先生がおっしゃったことは非常に重要な点で、私も問題意識として持っています。そもそも労基法と労組法では定義規定が違うので、それはおっしゃるとおりなのです。私はいま勉強しているところなのですが、ヨーロッパの動向を見てみますと、個別法も集団法もすべて統一的な労働者概念に向かっているのではないかと考えています。統一的な労働者概念というのは、いま現在の日本の労組法の労働者概念は労基法よりも広いと理解していますけれども、どちらかといえば、このように広い労働者概念に統一する方向に動いているように思っています。そして、個別に、個々の法律の中で、例えばいま家内労働者の話が出ましたが、家内労働者に適用させるのは適切でなければ適用除外するというように、個々の法律で具体的な適用対象者を定めるような立法手法がとられつつあるのではないかと考えています。
 最新のEU判例の紹介は控えておきますが、一言ご紹介したいのは、ドイツの、日本の労働安全法に相当する安全衛生法規が、かつてはプロイセンの営業法から始まって、様々な個別の法律で、危険物何とか法とか、とにかく複雑な法規がたくさんあったのですが、EUの指令などが整備されていくに伴い、1996年にバラバラな法律で定められていた安全衛生法規が1つにまとまって、労働保護法という法律が制定されております。順次改正されて現在に至っております。
 こちらは、ドイツでは社会法典7編になる労災保険法と接続する形で作られた法律ですので、適用対象者は労災の保護を受けるという認識でいいかと思います。その労働保護法の適用対象者がアルバイトネーマーではなくて、つまり、労働者という言葉ではなくて、「Beschäftigte」ということで、直訳すると非常に広い意味を持った言葉なのですが、使用される者とか、雇われている人、被用者でも何でもいいと思うのですけれども、労働立法としては新しい言葉を使って、適用対象者を定めています。そのBeschäftigteとして、具体的に「労働者、職業訓練中の者、労働裁判所法第5条第1項にいう労働者類似の者で、家内労働者を除く者、官吏、裁判官、兵士及び障害者のための作業所で働く者」と条文で列挙しています。
 こういう方法も、立法のあり方として今後はあり得るのではないかと思っています。いま日本では、労基法と労組法で労働者という同じ言葉を使って、定義の文言が違うので、ここを克服するのが課題になってしまうのです。広い統一的労働者概念の下で、個々の法律でその目的に照らして適用対象者を具体的に決定していくという方向性があり得るのではないかと現在は考えております。
○荒木座長 いまのはBeschäftigteという、直訳すると就業者。労働者という言葉ではなくて、就業者というべきで、伝統的な労働者概念からすると、大きな広い概念を使って、それで統一的に考えようということなのか、それとも従来の伝統的労働者概念を維持しつつ、それより広い概念なのでアルバイトネーマー、労働者ではなくてBeschäftigteという就業者という別の言葉を使ったのかどちらかだという気もするのですが、どうですか。
○橋本委員 先生のおっしゃるとおりで、アルバイトネーマーは維持されつつ、というのは、アルバイトネーマーという言葉を使っている法律が圧倒的にたくさん残っているからです。あとは労働者類似の者というのもあります。それらの概念を維持しつつ、労働法の適用対象者を広げるために作り出した概念がBeschäftigteなのではと考えています。
○竹内(奥野)委員 先ほどの山川先生のご発言のところに戻りますが、前回もちょっと議論させていただいたところで、これからこの研究会で議論していく必要があるかと思うのですが、労組法第3条の「準ずる」の理解の仕方です。国語辞典で準ずるというのはどんな意味かと改めて引いておかなければいけないと思いました。
 先ほどの山川先生のご発言で、逐一揚げ足取りのような形で申し訳ないのですが、準ずるということで、条文からいけば労基法上の労働者とか、労働契約法上の労働者に準ずる者だと。ただ条文の文言そのものからは、労基法の労働者に準ずるとか、労働契約法の労働者に準ずるという言い方になっていなくて、賃金・給与その他これに準ずる収入となっています。何に準ずるかというと、賃金・給料に直接かかわっていると、そのように文言そのものは読めるかと思います。
 いま申し上げた、賃金・給料その他これに準ずるというような、そういう収入で生活する者を、労働基準法上の労働者に準ずる、あるいは労働契約法上の労働者に準ずると解釈するように読んでよいか、あるいは労働契約法上の労働者、あるいは労働基準法上の労働者に準ずるとはやや違う形での準ずるの読み方があるかどうかが気にかかります。私の理解でいうと、労働基準法上の労働者より、ちょっと外に円を広げていった人たちが労組法上の労働者であると考えるのか、あるいは労組法上の労働者を考えるアプローチの仕方として、そのように円を広げていくようなアプローチとはまた別の、直接労組法上の労働者とは何かと定義を考えていくアプローチの仕方があるのか、そのような可能性についてももしできればこの研究会でもご議論していただければ、と思いました。
○山川委員 労基法上の労働者に準ずる者というのは、その前に「簡単に行ってしまえば」と付けたように留保付きなのですけれども、前回申しましたように、賃金に準ずる収入という文言がありますが、その賃金というのも独立に決められなくて、労基法第11条を参考として挙げますということです。もちろん労基法のほうが後に旧労組法よりできたから参考にすぎないのですが、判例でも、報酬と労働供給はかなり関連性を持って議論されています。CBC管弦楽団事件でも、むしろ労務供給の性格から、報酬の性格を導いています。
 だから、両者は労基法第11条を参考にするまでもなく、かなり牽連関係がある。当然賃金だからそういうことになるわけです。そういう観点から、解釈として読み得るのではないかという趣旨です。
 それと、後でおっしゃられた円を広げるか、別の考え方からいくかというのは両方あり得ると思います。条文がそうなっているということで、少なくとも労基法上の労働者よりは広がるのですが、それを円が広がると見るか、別の基準を立てると見るかというのは、どちらかに必然的に決まるものではなくて、両方あり得るかという気はします。
○荒木座長 先ほどから議論をお聞きしていますと、おそらく労基法上の労働者というのは、中核的に誰が見てもこれは労働者だという人がまず想定されます。真ん中の真っ黒いところが150だとすると、その中心から広がっていく距離が遠くなるほどに充足率が減ってきて、どこかで100となる。そこまで労組法上の労働者で、100よりもっと離れると、80とか70になって、これはもう労組法上の労働者ではないという発想かと思います。
 いま問題になっているのは真ん中のほうはいいのです、真っ黒のほうはいいのですけれども、100のバウンダリーといいますか、限界線はどこで引くのか。これをはっきりしてもらえれば、裁判所もわかったと言ってくれるかもしれないです。境界線がどこに引かれるかわからないので、裁判所は、はっきりしている真っ黒になるべく近いところで考えている可能性もあります。ここをどう考えるかです。
 先ほど1つ言ったのは、こういう条件を満たしたときには労働者ではないですよという、逆のほうから、ネガティブな要素から、ここに至ったときにはもう駄目だというので、ディマケーションが引ければ1つのアプローチかという気もしました。それは事業者性として議論したときには、事業者性というよりも、別の経済的従属性とか、別の用語のほうがまだ適切ではないかという議論がありました。その辺で外延はどこまでいくのかということが、おそらくいちばん難しい問題なのでしょうけれども、考えなければいけない課題かという気もするのですが、いかがでしょうか。
○有田委員 ずっと考えていたのですけれども、例えば経済法の領域の下請法であったり、優越的地位の濫用ということで対応できないところというのが、1つ線引きの考え得る点かと思うのです。そのように考えていくと、例えば自らの労働力の提供が契約の対象になっているというのは、先ほどの準ずるというところの解釈にかかわって考えてみても、かなりポイントになり得るところなのです。
 つまり履行補助者というか、たくさんの従業員を雇っている人は、例えば下請法とかで、代金が未払いだからといって、その保護の対象にはなれても、労働者として労働組合をつくって団体交渉をしてという対象には当然にはなってこないと思うのです。そういうことでいくと、それに尽きるかどうかはわかりませんけれども、そういう形でアプローチしていくと、いくつかファクターが出てくるのではないかと思います。
○橋本委員 いま有田先生がおっしゃった考え方はもっともだと思うのですが、下請法の適用が最近広がっているという状況が指摘できると思うのです。かつては、製造業が当然の前提というか、町工場とかそれなりの設備を持って従業員を雇用している人が当然の前提だと思うのですが、現在では1人でフリーでメディア産業等々で働く人たちにも適用されていますが、実際、ガイドラインの内容もかなり有益といいますか、契約書の明示とか、委託代金の不払いを阻止するために、ちゃんと代金を払いましょうというようなガイドラインですので非常に有用だとは思うのです。
 そういう中で、そちらで保護されているから、労働組合の対象ではないとなってしまうと、やはり問題があるのではないかと考えています。本当はちゃんと線を引くべきで、そもそもそこまで経済法の世界が本来入ってくるべきだったのかという気がしています。
○有田委員 その点でいくと、例えば下請法の適用はあっても、下請法だけでは問題の解決にならないようなものを抱えている。契約の解除問題というのは、たぶん下請法の規制対象にはなっていなかったのではないかと思うのです。本来の団体交渉の問題かどうかという議論はあるにせよ、基本的に団体交渉で解雇の問題というのは限定交渉事項として扱い得るわけですから、そういうものが必要とされるような立場にあるのかどうなのかということを考えていくと、それだけに尽きるとは思いませんけれども、自ら提供している労務が契約の対象になっているというのはかなり重要な要素になるのではないかと思うのです。
 そういう人であっても、下請法の対象、代金の支払いとかその他のところでは、下請法の適用によって一定の保護的な扱いを受ける、救済を受けられるけれども、それだけでは不十分だというか、十分ではない側面をどう抽出してその要素化していくのかと考えられないかということです。
○竹内(奥野)委員 いま議論されていることはそのとおりで、私もそのように思います。これは議論の整理になるかと思って申し上げさせていただきますけれども、下請法でそのような言葉が使われているかいま確認はできませんけれども、下請法とか、あるいは独禁法でいっている事業者と、団体交渉の保護との関係で、労働者でない人を事業者と呼ぶとすれば、そのような意味での事業者とは、すなわち、経済法の領域で事業者と法律の中で呼ばれている者と、いまここの場で議論している事業者、あるいは労働者でない者は、必ずしも一致していないと思うのです。下請法などの実定法にある事業者に限られず、労働組合の観点から、事業者あるいは労働者でない者は何か、そのように考えていく必要があるのではないかと思いました。
○原委員 事業者の概念、というか定義ですが、これも本当にいろいろな定義があり得るので、そこは注意する必要があると思います。いままでの研究会で明らかになった、労組法の立法のときの経緯などを考えると、おそらく、事業者であっても労組法は保護の対象にする、というのは基本方針としてはあるのだと思うのです。そこで事業者は何を指すかということで、結局、規模が大きい、小さいで分けるぐらいしかなくて、規模が小さいのであれば団体交渉による保護が必要であるだろうし、古い行政の解釈とか、あるいは古い事件を見ていても、相当大規模にやっている請負的な働き方について、相当大規模にやっていると、これは労組法で保護されるに及ばないといったのも見受けられます。事業者の範囲ということで、ここではどのぐらい手広くというか、大規模にやっているかというところが、実際に裁判上で問題になっているのではないかという気がいたします。
○竹内(奥野)委員 そのような意味では、いまの議論の中でも、外延はどこで線を切るかというような議論をストレートにしたほうがおそらくよくて、労働者でない者、あるいは事業者であるかどうかという議論よりは、そういう言葉遣いで呼ぶかどうかという余地はあるかと思いますが、例えば先ほど有田先生がおっしゃった、労働力を取引の対象としている者とそうでない者とか、用語の使い方を考えた上で議論していくほうがより生産的かと思います。
○山川委員 先ほどの自らの労働力を取引の対象にするというのは、たしか労働契約法制の研究会の中で、労働契約上の労働者の拡張を議論したときにも出てきた話なので、その辺りの議論も参考になるかという感じがします。
 あとは事業者性というか、要素の問題として言えば、アメリカで必ずしもトレンドとまでは言えないのですが、起業家的な機会があるかどうかが強調されることがあり、それからすると、損失を個人で負担するかどうかということとある意味で表裏一体なのですけれども、利得をどれだけ得られるか、自らの判断で利益を得られることがどれだけあるかというのも実態的には考慮されるかと思います。
 それは、そういう契約条項上そういう機会があればいいと考えるのか、あるいは、実際に利得をすることが可能か、つまり、本来の役務提供以外のところでどれだけ儲けられるかという実態まで見るかという問題はあるのですけれども、そういう点も1つ自らの計算と危険負担の具体的な内容にはなり得るかと思います。
 あと面白いと思ったのは、代替性をこちらで議論するかどうかです。資料2-2の3の(2)代替性という書き方で、経済的従属性に入っていますが、これまでの議論だと、使用従属性のほうに分類されていて、後ろにある参考のところでは、代替性は指揮監督下の労働の要素に入っていますが、これは60年報告でこう整理したからなのです。労組法だと違うと考えるのか、あるいはそれを見直すと考えるのかいろいろあります。細かいことですけれども、位置づけは検討の必要があるかと思います。
○荒木座長 私も、この代替性は2のほうかという気はしておりました。個々的に見るといろいろ議論はあり得るところです。2の使用従属性なのですが、これは2枚目にあります労基法の使用従属性をダイレクトに持ってきているのですが、この使用従属性について、労基研の報告書では、指揮監督下の労働と報酬の労務対象性の上位概念として使用従属性と呼んでいます。無意識に使用従属性というのは、指揮監督下の労働の要素を念頭に議論していることも多いのです。そうすると、報酬の労務対価性というのは、人的従属性の議論として普通考えているかというと、これはあまり考えていない可能性もある。そのように個々的に見ると、まだいろいろと整理を詰めるべき点はあろうかと思います。
 随分わかってきたのは、労基法のほうは、わりと事業者性の有無を、事業者性があれば労働者ではないという方向にかなり働かせて見ているのですが、労組法はもともと事業者であっても、労組法上の労働者だというところから立法過程の議論は始まっている。それが昭和20年の旧労組法で立法された。昭和24年の改正で、不当労働行為制度という新しい行政救済システムを入れたのですが、そのときに、労働者概念を変更するという議論はなく、旧労組法の概念を維持するという立法者の意図の下に、現行法になっている。ということなので、事業者性を労働者性を否定する要素としてダイレクトに持ってくるのは難しい。そうすると、事業者性がある人で、労働者になり得る人と、事業者性があって本当に労働者でない人と、そこの境界をどう線を引くのかということをさらに検討する必要があるということかと、議論を聞いていて思った次第です。
 時間も迫ってきましたので、次回のご案内を事務局からお願いいたします。
○平岡補佐 次回の日程は、5月17日(火)の10時から12時になります。場所は未定ですので、追ってご連絡させていただきます。
○荒木座長 本日は以上といたします。非常に貴重なご議論をいただきましてありがとうございました。


(了)
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参事官  辻田 博
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