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2011年2月16日 第3回労使関係法研究会 議事録

政策統括官付労政担当参事官室

○日時

平成23年2月16日(水)
10:00~12:00


○場所

厚生労働省 共用第7会議室(5階)


○出席者

荒木座長、有田委員、竹内(奥野)委員、橋本委員、原委員、山川委員、水町委員

○議題

(1)論点整理(1)

(2)その他

○議事

○荒木座長 それでは、時間がまいりましたので、「第3回労使関係法研究会」を開催したいと思います。委員の皆様には、ご多忙なところお集まりいただき、ありがとうございます。なお、有田委員は若干遅れて到着されると聞いております。それでは、事務局から資料の確認をお願いします。
○平岡補佐 本日配付している資料は、資料1-1「イギリスの労働組合の起源」、資料1-2「全国労働関係法(ワグナー法)制定時のアメリカの状況」、資料1-3「ダンロップ(Dunlop)委員会報告書」、資料2「労組法上の労働者性に係る主な論点について(案)」、資料3「労組法上の労働者性における判断基準比較表」となっております。抜け等がありましたら事務局にお申し付けください。
○荒木座長 よろしいでしょうか。それでは、議事に入ります。本日は、資料1の「イギリスの労働組合の起源」、「全国労働関係法(ワグナー法)制定時のアメリカの状況」、「ダンロップ(Dunlop)委員会報告書」について事務局から報告をお願いし、それから、これらの資料について議論したいと思います。その後、資料2について事務局の説明をいただき、議論したいと考えております。
 それでは、事務局から資料1のご説明をお願いします。
○平岡補佐 資料1-1をご説明します。前回の研究会において、有田委員から「ウェッブ夫妻のイギリスの労働組合史の捉え方は、1つの考え方と理解したほうがよい」というご指摘をいただきましたので、栗田健の『イギリス労働組合史論』からイギリスの労働組合の起源についてご説明をします。
 イギリスの労働組合は自然発生的に形成されたが、その原型は中世の職人ギルドであり、工場制の確立によって、職人の道具が機械に代替され、生産手段の所有関係が変化したことが、労働組合の転換点となったとされております。ごく初期の組合組織は職人の共済組織であり、共済組織が次第に職業的な利益、すなわち労働条件の向上を中心的な機能とする過程で、労働組合としての組織が確立していったとされております。組合組織が拡大するにつれて、組合員の離職や死亡も一定割合存在するようになり、一定の組合費を徴収して運営する基金による「保険」へと制度化されました。それ以前の労働者団体は恒久性を欠いていましたが、組合員間の共済活動が組合内で制度化されたことで、職業的な利益を図る恒常的な組織という性質を取得したとされています。
 職能別組合の特徴は、年齢制限をはじめとした厳格な組合加入資格にあり、資格に合致しない限りは加入を認めないという閉鎖性を持って、組合員に標準以上の労働能力を求めてきたとされております。供給する労働の質と量とをほぼ均一化した組合は、各労働者の個人差には関係ない標準賃金率を多くの場合、地域ごとに設定し、これをその職業での最低賃金として要求していきました。
 次に、資料1-2をご説明します。前回の研究会において、水町委員から「日本の労組法を作る過程でアメリカをある程度参考にされたが、当時のアメリカの状況の歴史研究を行うことが重要ではないか。また、独禁法の対象者と労組法で保護を与えた者の範囲の分岐は鍵になるのではないか」とのご指摘をいただきました。このため、津田真澂の「アメリカ労働運動史」、水町委員の「集団の再生」、中窪裕也の「アメリカ労働法」から、ワグナー法制定時のアメリカの状況についてご説明します。1890年に制定されたシャーマン・トラスト禁止法は、本来企業における独占を禁止する反トラスト法でしたが、裁判所はこの法律を利用して労働争議に介入し、労働運動を抑えようとしたとされております。1908年のダンベリー帽子工組合事件において、労働組合に損害賠償の支払いを命じたことで、労働組合のボイコット運動に、シャーマン・トラスト禁止法が適用されることや、損害賠償の支払いが命じられることの2つが明らかにされ、組合運動に大きな打撃を与えました。
 これに対して、連邦議会は1914年にクレイトン法を制定し、労働組合の正当な活動をシャーマン・トラスト法の適用対象外とするとともに、組合活動に対して裁判所が差止め命令を出すことも原則として禁止しようとしました。一方、連邦最高裁は、1921年の「デュプレックス事件」において、クレイトン法の規定を極めて狭く解釈し、その意味をほとんど失わせたとされております。
 1929年に大恐慌が起こると、巨大企業や労働組合の中から連邦政府による産業安定復興計画の設定を強く要求する動きがありました。これらの要求に応えるため、ニューディール政策の一環として、1933年に全国産業復興法が制定されました。この法律は、産業復興のための緊急措置として、反トラスト法の適用を排除し、業者間で公正競争規約を締結することを容認するという内容でした。
 この法律が制定されると、労働者達は労働組合を結成し、ストライキ等が頻発しました。さらに、1935年に連邦最高裁はシュヒター養鶏会社事件において、全国産業復興法を違憲と判示したため、同法に基づく制度等は機能を停止したとされております。違憲とされた全国産業復興法に代わる立法として、1935年に全国労働関係法(ワグナー法)が制定されたという記載がありました。この資料については以上です。
 次に、資料1-3をご説明します。前回の研究会において、水町委員から「クリントン政権下のダンロップ(Dunlop)委員会の報告書の記載内容を検討することが必要ではないか」とのご指摘をいただきました。このため、水町委員の「集団の再生」、岡崎淳一の「アメリカの労働」から、「ダンロップ(Dunlop)委員会の報告書」についてご説明します。
 1990年代のアメリカ社会が抱えていた労働組合活動や団体交渉の停滞などの問題の解決のため、当時の民主党のクリントン政権は、1993年に労働法改革に関する討議・提案の場として「労使関係の未来に関する委員会」、通称ダンロップ(Dunlop)委員会を設置しました。1994年12月にこの委員会が発表した報告書は、労使も含めた多数の関係団体との意見交換を踏まえて作成され、改革への期待が高かったようですが、直前の中間選挙で連邦議会の上院・下院ともに共和党が多数を占めたことで、この報告書に沿った改革の実現は困難な状態となり、今日に至っているそうです。
 2番ですが、報告書の内容になります。この報告書の内容は多岐に渡りますが、その目標の1つとして「非正規労働者の地位の向上」を掲げ、検討・提言を行っております。
 労働関係の柔軟化のために、企業活動において「非正規労働者」が用いられる局面が格段に増えたことについて、多様な雇用関係をもたらす健全な発展であるとする一方で、労働政策の逸脱等、負の側面もあるとされております。このような情勢を踏まえると、労働法における労働者の定義について2点問題点があるとされております。
 1つ目は、労働法ごとに独自の労働者の定義があって、当事者にとって法規制が複雑すぎると言われております。2つ目として、コモン・ロー上の判断基準が19世紀のものであって、現代の労働政策に合致していないのではないかと指摘されております。
 次の頁です。このようなことを受けて、以下の2点を勧告するということで、(1)として「労働者の定義の合理化と現代化」が挙げられております。労働者性の判断基準である主人-使用人理論を含め、労働者の定義は21世紀に向けて合理化と現代化を要するとされております。また、連邦議会に対して簡潔で一貫性のある労働者の定義を採用し、それを幅広い労働法に適用すべきであるとされております。
 (2)として、「経済的実態テストによる労働者の判断」です。これについては、使用者の直接的な支配ではなく、むしろ経済的な実態に依拠すべきである。ある事業体に対して恒常的にサービスを提供し、その事業体に経済的に依存している者は、「労働者」として扱われるべきであるとされております。労働者を「独立事業者」として扱うのは、事業者の外観を持つ、複数の顧客がいる、損失のリスクを負っている等から、真に「独立事業者」と言える場合に限定される必要があり、低賃金、非熟練技能、労務提供先が1又は限られた数であることは、独立事業者の判断において消極的に作用するとされております。なお、在アメリカ日本大使館に確認したところでは、同じ民主党のオバマ政権下においても、この報告書をレビューするような動きは現在のところないそうです。
 最後に、前回の研究会において、山川委員からアメリカで厚生労働基準法や税法で独立事業者と被用者の誤分類解消が大きな問題となっていることや、厚生労働基準法の規則改正の動きをご指摘いただきました。この点について、特段資料は作っていないのですが、現在の状況をアメリカ大使館に確認できましたので、口頭でご説明したいと思います。
 アメリカでは、労働者保護や税収の確保、事業競争環境の公平化といった視点から、独立事業者と被用者の誤分類の解消が議論されているようです。また、2010年春から、連邦労働省において厚生労働基準法の省令改正に向けた動きがありました。これは山川先生にご紹介いただきましたが、企業がそこで働く者を被用者ではなく独立事業者と位置付ける場合においては、まずその位置付けが正しいことを検証し、次に独立事業者の名簿を備え、最後に本人にも開示するという内容を定める予定でした。当初は、2010年8月にこの見直し案のパブリックコメントに付される予定だったようですが、作業が大幅に遅れており、現時点では今年春になる見込みということです。
 さらに、2010年3月に、労働長官が下院の公聴会において2011年度の労働省予算として、省庁や州政府と連携した誤分類対策費として2,500万ドルを要求したことなどが証言されております。
 最後に、「労働者誤分類防止法」など、さまざまな議員立法が議会に提出されているようですが、今年1月から今議会の会期に入ってからは、特にそのような議員立法の動きはないようです。以上です。
○荒木座長 ありがとうございました。いまご説明いただいた資料1-1~資料1-3までについて、何かご質問、ご意見等ありましたらお願いします。
○原委員 資料1-2に関連して、前回日本の労組法制定に関して検討していく上で、ワグナー法だけではなく、タフト・ハートレー法の制定の議論も参考にしていくといった話があったかと思います。資料1-2関連して、ワグナー法のあとのタフト・ハートレー法制定に関する議論というか、制定時の状況について、事務局あるいはほかの委員の方々から何か補足があれば、是非お聞きしたいと思います。
○平岡補佐 事務局としては、今回タフト・ハートレー法制定までの準備をしていなかったので、もし必要であれば是非次回にでも調べて、この研究会で出させていただければと思います。
○荒木座長 ご専門の先生がおられますので、何かありましたらお願いします。
○竹内(奥野)委員 タフト・ハートレー法については、私もきちんと調べて、後日確認をしておきたいと思いますが、1つにはワグナー法の下で非常に労働組合側の攻勢が盛んになって、そのような中で労働組合の側でもさまざまな問題が生じてきて、それに対する対応として、タフト・ハートレー法が制定されるに至ったという経緯があります。
 原委員のご質問の前提の話になってしまいますが、時系列的には日本の労組法が1949年に改正されたときに、すでにタフト・ハートレー法ができております。また、旧労組法改正の中でも、タフト・ハートレー法がアメリカにあるということで、立法過程の中で、そういう法律もあって、それも踏まえるべきだという議論があったようです。ただ、前回研究会が終わったあとに少し調べてみたのですが、立法過程で、GHQとのやり取りをしながら労働省が労組法改正の案を作成していったという過程が、1948年後半から1949年にかけてあるわけですが、その過程ではワグナー法を念頭に置いた法案の作成をしていたようです。また、そのような過程で、与党と、日経連、当時の経営者団体ですが、その2つがタフト・ハートレー法の規定にもあるような、例えば労働組合側の不当労働行為とか、そのような規定を含めていくつかの規定を入れるべきだと主張して、GHQなどに働きかけをしたわけですが、結局それは受け入れられなかったという経緯があります。
 現在の立法の規定、単純なところでは労働組合側の不当労働行為の規定がないといったこともありますが、立法の過程の中でもタフト・ハートレー法にあるような規定を入れるべきだという意見が出たにもかかわらず、結局入れられなかったということも踏まえた上で、タフト・ハートレー法の制定経緯まで見るか、どこまで見るかを考える必要があるかと思います。
○橋本委員 もし、おわかりであればお聞きしたいのですが、資料1-3の「ダンロップ(Dunlop)委員会報告書」で、5頁の(1)「労働者の定義の合理化と現代化」のところですが、個別の労働法がそれぞれ独自の労働者の定義を置く必要はないため、簡潔で一貫性のある、統一的な労働者概念を制定すべきだという内容だと思いますが、アメリカはFLSAと全国労働関係法で労働者の定義が違うということで、相対的労働者概念を取っていることが明らかな国だと思います。それにもかかわらず、ダンロップ委員会報告書で、統一的な定義のほうがいいという提言がなされた理由が、実務が混乱するという理由なのか、ほかにもっと理論的な議論があったのか、もしおわかりであれば知りたいと思います。
○平岡補佐 その点については、同じ資料の4頁での(1)に記載があるように、各法において労働者の定義の外観が似通っているとか、ただし、法制定から半世紀以上経って、文言が曖昧で循環的なために解釈の幅が広いとか、当局や裁判所の意向で、それぞれ異なる形で労働者の線引きがなされるに至ったとか、このような定義の混乱に政策上の正当性を見出すことができないと。このような問題認識で、各労働法の定義の統一化ということが言われているのではないかと思います。
○橋本委員 書いてあったので、申し訳ありませんでした。実務が混乱すると理解してよろしいのでしょうね。ありがとうございました。
○水町委員 いまのお二方のご発言に関連するのですが、実務が混乱するというのは2つ意味があります。1つは、「当事者にとって規制が複雑すぎる」と書いてあるところなのですが、自分がどれに当たるかわからないと。全国労働関係法という日本の労組法に当たるものについては、タフト・ハートレー法で絞ったのです。絞った上で、裁判所がさらにいろいろな基準で絞ったりしたので、裁判になってみないとわからないし、本当に裁判が正しいかどうかわからないということもあるし、厚生労働基準法という日本の労基法に当たるようなものでは命令で細かい基準を立てて、それも非常に複雑で、裁判になってみたら労働者に当たると言われてしまって、多額の損害賠償がなされたり、そういう意味で裁判になってみないとわからない細かい基準で、自分がどうなるかわからないというのが1つです。
 もう1つは、4頁のいちばん下に書いてあるのですが、いろいろな複雑な要件・基準をかけてみると、細かいものになればなるほど裏をかける。会社側がこの要件を満たしました、この要件を満たしましたとチェックリストを作って、労働者ではなくしますよということで、形式主義で法潜脱というか、ここで言うと労働法適用の回避をするようなインセンティブを形式的に細かい基準にすればするほど起こしてしまうので、これは政策的に見てよくないと。それで、わかりやすい、かつ原点に帰った定義をしようということで、労基法も労組法も一緒でわかりやすくするのと同時に、原点に帰るとすれば、経済的な実態に依拠した、恒常的にサービス提供をして、経済的に依存しているものは労働者だと定義して、労基法でも労組法でも同じように取り扱ったほうがわかりやすいのではないかと。原点に帰った定義をしないと、いまの複雑で現代化した、裏をかこうと思えばかけるような社会の中では持続可能にならないのではないかということで、このような提言がなされていると私は理解しています。
○竹内(奥野)委員 いまの水町先生のご意見と重複するかもしれませんが、のちほどの資料2の中でも、「基本的な考え方」のはじめのところで、基準の明確化が1つの検討点として挙げられております。基準の明確化も、非常に重要で、法政策において目指されるべき1つの価値であると思いますが、それだけが絶対ではないと思いす。いま水町先生がおっしゃったように、そもそも労働法が何のためにいろいろな保護を与えているのか、誰に保護を与えようとしているのか。水町先生の言葉に近い言い方をすれば、原理・原則を踏まえた上で、それを具体的に実現するためにどのような制度設計をすべきか、ということも、基準の明確化と併せて考慮されるべき事柄だと思います。
○橋本委員 いま奥野先生が答えてくださった点が、私の問題意識に合っていて、非常に参考になるのですが、労働者概念の明確化を考えるときに、それぞれの法律や制度の目的や趣旨を考えなければいけないと思うのです。それを考えていくと、個々の法律や制度によってその目的が異なるのですから、労働者概念は相対的な概念にならざるを得ないように思います。 しかし、個々の制度・法律ごろに労働者の定義を考えるとなると、そこでどういう基準を挙げていくのかといったときに、それぞれの制度ごとにどこでどう判断基準の違いをつけるのかという作業ができるのかという疑問が出てくるのではないかと思います。
○荒木座長 大変貴重な意見の交換がありましたが、何かほかにございますか。
○山川委員 細かいことですが、1点だけ、イギリスの労働組合の起源等が出てきておりますが、現在における労働組合の実態について、前もご説明があったかもしれませんが、日本における労働組合のイメージとかなり違った組合が、各国に存在しているのではないかということがありますので、もしそれがわかったら、次回以降にでもご紹介いただければと思います。
○荒木座長 ありがとうございました。ほかにはよろしいでしょうか。いまの議論で出てきたのは、法概念の明確性の要請があり、明確化のために細かいルールを決めると、その潜脱を招き兼ねない問題がある。また、明確化を解釈に委ねようとすると、個別法と集団法で規制目的が違うのでどう解釈するかという難しい問題も生ずるということでした。これは、次の資料に関わる重要な論点の指摘だと思いますので、特になければ資料2についてご説明いただき、議論を続けたいと思います。資料2についてご説明をお願いします。
○平岡補佐 労働組合法上の労働者性に係る主な論点として、1回目と2回目の研究会の議論を踏まえて、事務局で案としてまとめたものとなります。
 1ですが、「基本的考え方」として、(1)労働組合法の労働者性を検討する意義です。最近、労働組合法の労働者性について、中労委の命令と下級審の判決で異なる結論が示されており、判断基準の明確化の点から問題ではないかということです。これについては、第1回、第2回研究会では以下のような意見がありました。「明確性は非常に重要。総合的に判断する枠組みとする場合は、結論が出るまで誰も予測できないという問題がある。いろいろな実態があって、どこまで可能か不明だが、現場の当事者がわかる行為規範にできるような枠組みとすることが理想的」ということです。
 次に、「最近の下級審の判決が労働基準法上の労働者性とほとんど同じではないかと考えられる判断基準を示しているのも、労働基準法と労働組合法でそれぞれ判断基準があるよりも、シンプルで判断しやすいとの考慮があるのではないかという学説がある」というお話がありました。また、「会社から見て、団交相手が予測可能でなければ、結局紛争が増えていくだけである」というご意見がありました。
 (2)労働組合の成立ち等と労働者性との関係です。1つ目が、イギリス等では、当初、自営業者ではないかと考えられる者が労働組合を結成し、労務提供者との間で団体交渉等を行ってきたとされるが、我が国の労働組合法もこれらの者を射程に入れていると考えるべきか。
 2つ目です。我が国において支配的な企業別組合を前提として、労働組合法の労働者性を考えることが適当か。企業別組合を前提として考える場合と考えない場合で、労働組合法の労働者性は異なるのか。
 3つ目ですが、日本の労働組合法制定時の国会の議論では、請負等の契約形態下にあって自己の労務による報酬に依存して生活する者に対しても、労働組合を組織して団体交渉等を行うことを保障しようとする意図がうかがわれるが、どのように考えるか。
 これについても、これまでの研究会では意見がありました。1つ目が、「イギリスなどでもそうだが、当初は完全に自営業者ではないかという者まで労働組合を結成し、団体交渉をする、争議をかけることが行われてきたというのが歴史的な経緯である」というご意見です。
 次の頁です。ほかのご意見としては、「現行労働組合法は、労働組合の組織形態を区別せず、同法の定義に合致すれば助成を与えるということがされている。企業別か企業を超えた組織であるかによって、労働者性に違いは生じないのではないか」。次の意見として、「我が国においても、労働組合法の制定当初想定されていた労働者や労働組合像が、おそらくイギリスなどのようなものがあって、国会でのやり取りがあったのではないか」というご意見です。
 (3)「諸外国における労働法上の労働者性」です。諸外国における労働法上の労働者性を踏まえ、日本の労働組合法の労働者性をどのように考えるか。これについても、このような意見がありました。「日本の労働組合法がどのような経緯で作られて、労働者をどのように考えていたのかを議論の出発点とすべきではないか」「我が国の労働組合法は、アメリカの影響が大きく、ワグナー法が参照されていたと考えられる。アメリカの立法史も踏まえ、どの時代の労働法を見るのか念頭に置くべき」というご意見がありました。「イギリスでは、自らが直接労務を提供して、報酬が支払われる関係にある者を広く『worker』と定義し、集団的労働関係法のルールを大部分規定している法律で適用対象としている。日本で言うソクハイやINAXのケースの方たちも、これらに入ってくるのではないか」ということです。
 次に、「労働組合法の労働者性の比較に当たっては、ドイツの労働者類似の者、フランスの適用拡張の例も踏まえて、議論すべきではないか」「アメリカでは、近年、会社がある労働者を被用者でないと主張する場合等に、労働者が被用者でないとする分析を書面で開示するなどのFLSA規則の改正作業に着手している」というご意見がありました。
 (4)個別的労働関係法の労働者性との関係です。労働者性を労働関係法の中で統一的なものと考えるか、集団的労働関係法と個別的労働関係法あるいは個別法の趣旨・目的によってさまざまであると考えるか。また、労働組合法3条の労働者は、「使用される」ことが要件とはされず、失業者も含まれるという点で労働基準法の労働者とは適用対象が異なるが、それ以外にどのような点が異なるか。
 これについてもご意見がありました。「労働基準法の労働者とは別の判断枠組みであると解すべきである」。次に「日本の労働基準法の使用従属性の判断基準は、ドイツと比較して、色々な要素から成り立っていることに特徴がある。ドイツにおける判断基準である人的従属性は、指揮命令への拘束に限定されているのに対し、日本の労働基準法の使用従属性には、指揮命令への拘束だけでなく、専属性や機械・器具の負担関係など、ドイツでは経済的従属性として理解されている要素も含まれている。日本では、労働基準法よりも労働組合法の労働者性のほうが広いといっても、現行の解釈を前提とする限り判断基準は区別できないのではないか。判断基準が異なるのではなく、その基準を満たしているか否かの評価(あてはめ)において、労働組合法の場合には、労働基準法よりも労働者性を肯定する方向で緩やかに行われていると理解すべきではないか」。
 (5)労働組合法第3条と第7条第2号の関係です。労働組合法第3条の「労働者」と、第7条第2号の「雇用する労働者」の関係をどのように考えるか。第3条の「労働者」に該当しても、第7条第2号の「雇用する労働者」に該当しないとして、不当労働行為の救済の対象としないとすることが認められるのか。
 これについても、これまでご意見がありました。「第3条と第7条2号は、論理的には分けて考えるべき。憲法で定める労働三権は第3条の『労働者』であれば認められ、第7条第2号は不当労働行為の行政救済のための規定である」。次に、「第3条と第7条第2号を分けて議論する意味があるのか疑問。第7条第2号は、誰を相手に団体交渉を要求するかという使用者概念を決するものであると解すべきではないか」。次に、「最近の下級審の判決で、労働基準法上の労働者性を判断しているかのような使用従属性に着目した判断が出されているのは、第7条第2号の『雇用する』という文言に引きずられているのではないか。第7条第2号は、労使当事者の間柄を判断するための規定ではないか」。次に、「新国立劇場事件の中労委命令では両者を分けて議論し、一方でCBC事件の最高裁判決では第3条の『労働者』に該当することしか判断していない」というご意見がありました。
 (6)労働組合法の労働者性と労働契約との関係です。労働組合法の労働者性と労働組合法上の労働契約との関係をどのように考えるか。労働組合法第16条により、労働協約の締結により労働契約に規範的効力を及ぼすことになるが、労働組合法の労働者性を個別的労働関係法よりも広いと解した場合に、規範的効力は生じないと解するのか。次に、個別的労働関係法の外にある労働組合法上の労働者について、解雇の事案など団体交渉は行うが労働協約を締結しない場合があること、債務的効力のみの労働協約を締結する場合があることについて、どのように考えるか。
 これについても、これまでご意見がありました。「労働組合法の労働者性を議論する際には、労働組合法の労働契約の概念を整理する必要がある。論理的には、労働組合法上の労働者性が認めれば、締結された労働協約の規範的効力が及ぶと考えるのが一般的な解釈であろうが、それが妥当なのかという問題認識は重要」。次に、「解雇で解決金を求める事案など、必ずしも最終的に労働協約にたどりつかなければならない問題ばかりではなく、労働協約を常に前提にして団体交渉の当事者性を考えなくともよい可能性があるのではないか」。次に「労働協約を念頭に置かない団体交渉による問題解決や債務的効力だけの労働協約も結ばれ得ることを考えると、労働者性の判断は労働協約を結ぶか否かで左右されないと考える余地もあるのではないか」というご意見がありました。
 次に、2として「裁判所判決と中労委命令の分析」です。まず、(7)CBC事件の最高裁判決の分析です。出演契約を、「楽団員をあらかじめ会社の事業組織のなかに組み入れることによって、放送事業の遂行上不可欠な演奏労働力を恒常的に確保しようとするものであることは明らか」としている。これは、事業組織への組込みを契約の位置付けとしているように見えるが、どのように考えるか。契約の文言上は出演発注を断ることが禁止されていなかったが、原則として発注に応じて出演すべき義務を前提としつつ、ただ個々の場合には出演しないことがあっても、当然には契約違反等の責任を問わない趣旨の契約である、としている。調査官の解説では、この出演発注について、法律上の義務を負う関係であると解しているが、どのように考えるかです。
 次に、会社から日々一定の時間的拘束を受けず、出演に要する時間以外の時間は、楽団員の自由である場合にも、会社が必要とするときは随時その一方的に指定するところによって楽団員に出演を求めることができ、楽団員が原則としてこれに従うべき基本的関係がある以上、会社の指揮命令の権能がある、としている。これは、指揮命令の概念を広めに解しているように見えるが、どのように考えるかです。
 最後に、楽団員は演出に何ら裁量を与えられておらず、その出演報酬は、演奏によりもたらされる芸術的価値を評価したものというより、演奏の労務の提供それ自体の対価と見るのが相当、としている。これは、労務提供の性格が報酬の性格にも影響を与えるとしているように見えるが、どのように考えるか。
 これについてもご意見がありました。「CBC事件の最高裁判決では、事業組織への組み込みが契約の位置付けとして重視されている」というご意見がありました。次に、「この最高裁判決には、法的な義務との記載はどこにもない。調査官解説が法的義務がある事例としていることから、その後の下級審の判決において、そのような議論がなされるようになったのではないか」「最高裁判決では、契約がどういう定めであるかなどを検討しているように見えるが、契約上の法的な関係を判断するに当たって、契約上の文言に拘泥せずに、当事者の実態も含めて検討しているとみることができる。一方、最近の下級審の判決は、契約の定めなどにかなり傾倒している印象を受ける」。次に、「原則として発注に応じて出演義務があったという当事者の認識があげられている。契約解除、次年度の更新拒絶が意識されており、債務不履行に対する法的手段そのものというより、契約の解除、新契約締結という面での事実上の措置と考えられる」。次に、「調査官解説では、指揮命令について我妻栄の民法の体系書を引用し、給付する労務の内容ではなく、いかなる目的に役立てるかという労務の配置、利用、組合せなどの問題であるとされている。指揮命令の概念について、労務供給の仕方や態様の具体的指示とは必ずしも限らないというような、やや広い印象を受ける」というご意見がありました。次に、「最高裁判決の中には、労働基準法上の指揮命令について、通常の請負から出てくる指示に過ぎないから指揮命令とは言えないと、かなり厳しく判断しているものがある。他方、CBC事件の場合は、楽団員が原則として従うべき基本的関係がある以上、指揮命令の権能を有していたと、かなり緩やかに解している。両者を比較すると、指揮命令という言葉を使っても違いがあるのではないか。枠はかなり似たものを使用しながら、判断の仕方、評価の方法、程度の問題として違いをうかがい知ることができるのではないか」。次に、「最高裁判決では、自由出演契約で出演しなくて制裁がないと言っても、楽団員の演奏労働力の処分について会社が指揮命令の権能を有しないものと言うことはできない、としている。これは、出演発注を断ったら、次からは仕事が来ないと思って労働者が行動するということも踏まえた評価となっている」。最後に、「労務供給の態様・性格が報酬の性格に影響を与えるという判断が示されているようだ。労務供給の態様・性格と報酬は相互に影響し得るものであるということではないか」。
 次に、(8)「ソクハイ事件の中労委命令の分析」です。ソクハイ事件の中労委命令は、労働組合法の労働者性の基本的な考え方と判断要素の位置付けを示したものと考えられる。1つ目として、労働組合法第3条の「労働者」は、労働契約法や労働基準法上の労働契約により、労務を提供する者のみならず、労働契約に類する契約により労務を供給して収入を得る者で、労働契約下にある者と同様に使用者との交渉上の対等性を確保するための労働組合法の保護を及ぼすことが必要かつ適切と認められる者を含む、という基本的な考え方を示しているが、これについてどのように考えられるか。
 次に、労働者性の判断要素として、?@労務供給者が、発注主の事業組織に組み込まれていると言えるか、?A労務供給契約の全部又は重要部分が、発注主により一方的・定型的・集団的に決定されているか、?B報酬が労務供給に対する対価ないしは対価に類似するものと見ることができるか、を用いている。これらの判断要素は、それぞれ何を基礎づける要素と言えるのか。また、それぞれの判断要素との関係をどのように考えるか。
 次に、事業組織への組み込みを肯定するものとして、諾否の自由、拘束性、専属性の有無を用いており、労働基準法上の労働者性の判断要素と同じものを用いているようにみえるが、あえて事業組織への組み込みを使用している意義をどのように考えるか。
 次に、契約の一方的・定型的・集団的決定はCBC事件の最高裁判決には見られないが、あえて使用している意義をどのように考えるか。
 これについても、これまで研究会でご意見がありました。1つ目として、「事業組織の組み込みがあると言えるかは、諾否の自由、具体的な拘束、専属性など、労働基準法上の判断基準と同じものを使っているようにみえる。充足度の程度が違うのかもしれないが、『組み込み』という表現をあえて使うことにどういう意味があるのか。諾否の自由、拘束の有無などに置き換えることはできないか」。
 次に、「メッセンジャーがいないと会社の配送業務が成り立たないこと、マニュアルなどで指示・管理していることなど、いくつかの側面から事業組織への組み込みを見ているのではないか」というご意見がありました。
 次に、「事業組織の組み込みを判断要素に入れる意味は2つある。1つは、条文上『準ずる』という言葉が入っているためで、労働基準法と異なり、拘束性が弱くてもいいということで、事業組織の組み込みを持ってきたのではないか。もう1つは、団体交渉を保護する必要性があるかということから、組織的・集団的な労務要求関係が前提になるのではないか」。
 次に、「ドイツでは、事業組織への組み込みという表現は、判例では言及されることがあるが、学説では組織への編入は人的従属性の言い換えであり、時間的・場所的拘束性と同義に解するという理解で一致している。このため、この要件を日本で確立するのであれば、比較法的な見地から、やや異質な理解・意味を持たせることになるのではないか」。また、「日本ではCBC事件の最高裁判決で言及されたことで、事業組織への組み込みが用いられたのではないか」というご意見がありました。
 次に、「具体的にどういう状態であれば、事業主によって契約内容が一方的に決定されたと言えるのか」というご意見がありました。
 次に、「一方的・定型的・集団的な決定は、CBC事件の最高裁判決や立法趣旨に入っておらず、急に出てきたイメージがある。非対等性と一方的・定型的・集団的決定が必ずしも合っていない。あまり強調すると、プロ野球選手は年俸がそれぞれ別なので、労働組合法上の労働者でないことになる。集団だと経済的従属性が強いイメージなのだろうが、逆に個別に切り崩されて、経済的に弱く、より法が必要という事案はあり得る。?Aの判断要素は、?@と?Bの判断要素の中に含めながら判断したほうがいいのではないか」。
 次に、「定型的・集団的な決定は事業組織への組み込みの1つの帰結として出てくるのではないか。また、労務供給に対する対価は経済的従属性ではないか。?@と?Aの判断要素、?Aと?Bの判断要素で重複するようにみえるので、?@~?Bまでの関係について検討してはどうか」というご意見がありました。
 次に、(9)「最近の中労委の命令と下級審の判決の比較」です。中労委の命令では、労働者性を判断するに当たって、契約面のほか当事者の認識等、実態面も合わせて判断し、下級審の判決では、法的な使用従属関係が認められるか否かを重要視している、とされている。これについてどのように考えるか。次に、中労委の命令では、個別公演の諾否の自由は、シーズンの全個別公演に出演できることを前提として基本契約を締結した者は相当程度まで制約されていたとする。一方、下級審の判決では、次年度以降の契約締結において考慮される事情となり得ることは認めつつも、諾否の自由について、契約上、拒んだ場合に債務不履行になるか否かと、法的な義務が課されていたか否かというアプローチをしている。これについてどのように考えるか。
 中労委の命令では、契約は一方的に決定されていることを労働者性の判断の要素としている。一方、下級審の判決では、契約締結の際に労働者が合意しており、契約の一方的な決定ではなく、指揮命令の表れではない、としている。これについてどのように考えるか。
 中労委の命令では、契約メンバーやCE等に対して、契約内容に従って業務がなされるよう、業務遂行の日時・場所・方法について財団や会社からの一定の指揮監督関係が認められるとしている。一方、下級審の判決では、「集団的舞台芸術性に由来する諸制約」や「業務委託契約の受託内容による制約」にすぎないなどとして、指揮監督関係を否定している。これについてどのように考えるか。
 これについても、これまでご意見がありました。「CBC事件の最高裁判決では、契約上の法的な関係を判断するに当たって、契約上の文言に拘泥せずに、当事者の実態も含めて検討していると見ることができる。最近の下級審の判決は、契約の定め、文言の規定のあり方にかなり傾倒している印象を受ける」。
 次に、「最近の下級審の判決では、必ず評価に当たって法的な義務を言っている。拒んだ場合に、何ら債務不履行にはならないとか、制裁は予定されていないとか、裁判所はそのような法的義務が課せられたか否かというアプローチをしている」。
 次に、「最近の下級審の判決では、法的な義務は諾否の自由のところで、断った場合に当該期間中に制裁があるかという視点で見る。当該期間中に制裁はないが、次の期間に影響することがある、というのは、法的な義務とは別の問題だと整理している」。
 次に、「最近の下級審の判決は、契約書に定められている義務は、合意に基づく契約上の義務であって、労働契約の本質である使用者の指揮命令権の表れではないという理解に基づいているようである。これに対して、近年の中労委命令では、労働契約等について一方的に定められていることが労働者性を基礎付ける要素としてあげられているが、これは中労委がこのような下級審の理解を論破するために出てきている議論ではないか」というご意見がありました。
 最後に、3として「労働組合法の労働者性の判断基準について」です。(10)として、労働組合法の労働者性の基本的な考え方です。労働組合法の労働者性の基本的な考え方はどのようなものであるべきか。労働基準法の労働者性とは、基本的な考え方が異なるのか。また、使用従属性を重視する見解と経済的従属性を重視する見解が見られるが、どのように考えるか。
 次に、(11)労働組合法の労働者性の判断基準です。労働組合法の労働者性の判断要素はどのようなものであるべきか。労働基準法の労働者性とは、判断要素が異なるのか。また、中労委の命令や裁判所の判決で様々な判断要素が用いられているが、次は、各判断要素は何を基礎づけ、各判断要素の位置付けはどのようなものか。各判断要素の位置付けはどのようなものか。中心的な判断要素・補完的な判断要素などで区分けすることは可能か。各判断要素の充足度をどのように考えるべきか。その際、契約の形式面又は当事者の認識等、実態面を重視するべきか。以上です。
 なお、資料3は裁判所の判決、中労委の命令を比較したものです。この各判断要素への当てはめについては、事務局が行ったものであって、必ずしも命令や判決と一致しているわけではありません。説明は以上です。
○荒木座長 ありがとうございました。資料2について詳細なご説明をいただきました。資料2は、1「基本的な考え方」、2「裁判所判決と中労委命令の分析」、3「労働組合法の労働者性の判断基準」と、大きく3つの部分からなっております。今日は1と2についてご議論いただいて、3の「労働者性の判断基準」をどう考えるかは次回に検討したいと思っておりますので、1と2について自由に議論をお願いします。
○原委員 論点1に関して、法の趣旨・目的に立ち帰って議論するということで、労組法3条の労働者と認められることの意義、ある人が労組法3条で言う労働者と認められることの具体的な意味を、もう一度考える必要があると思うのです。条文に則して言えば、労組法3条の労働者であれば、労組法2条に言う労働組合の構成主体となることができるわけです。これは、別に主体でなければ、その組合さえ良いと言えば誰でも労働組合に入ることができるわけで、主体として活動することができるということ。また、これは論点6とも関係しますが、労働協約の拘束力が及ぶということにもなろうかと思います。
 そこで考え方として、労組法3条の労働者性を認められるということは、労組法が用意しているすべての保護が必ず及ぶと考えてしまってよいのか、例えば団交拒否の救済については受けられるけれど、労働協約の拘束力は及ばないかもしれないとか、そういった具体的な類型を、それが妥当かどうかも含めて認めるのかどうか。この点を最初に判断基準等を検討する前の話として、労組法3条の労働者と言われればどういうメリットというか、具体的な意味があるのかを、ある程度確認してから議論していくほうがいいのかなと思うのですが、いかがでしょうか。
○橋本委員 原先生の問題提起は、おっしゃるとおりだと思います。労組法の適用が及ぶ人を決めるのが労組法3条の労働者にあたるか否かという判断で、労組法3条の労働者であるとされれば労組法の規定する保護が及ぶということになると思います。労組法の定める保護とは、先ほどおっしゃった団交拒否や不当労働行為の救済、労働協約の拘束力などが主なものだと思います。
○山川委員 いまの内容については、私も同様のアプローチが良いのではないかと思います。各条文の解釈に、例えば16条の労働契約を相対的な概念として見る必要があるかどうかなど、各条文と合わせて見る必要があるかと思います。その前提みたいなことになりますが、この研究会は、私は初回欠席したのでよくわかりませんが、立法政策論をするのか解釈論をするのかという点を確認しておきたいのです。「基本的な考え方」の(5)からは条文の話になるのですが、それまでの話だと、立法政策論なのか解釈論なのかが、ややはっきりしない面があって、例えばどういう制度設計をするかといった話は立法政策論です。
 たぶん立法政策論がメインではないだろうという理解ですが、もし立法政策論をするのだとしたら、それはそれで結構だとは思います。ただ、解釈論としては、いまお二人の委員から話があったように、出発点は条文です。法科大学院でも、よく条文が第1の出発点で、あとは立法趣旨と立法者意思を考えて、利益衡量や明確性も1つの要素であると教えています。条文でわからないから解釈をするわけですが、解釈をするにあたって条文や立法者意思を曲げるようなことはできないわけです。要するに、ここの研究会で何を議論するのか、論点はこれでいいと思いますが、報告書を書くとしたら、出発点が条文になることと、対象が解釈論であるとすればそれで、明確でない部分を補うためにどうすればいいかというスタンスの議論になります。もし立法論をするとしたら、それはそれでかまわないのですが、その辺りを確認しておいたほうがいいのではないか。研究者の理論としては、条文の解釈論と立法論が曖昧になるのはやむを得ないのですが、実務的な発想をすると、そこは区別しないといけないという感じがしますので、報告書を書く際にはそのスタンスというか、何を対象とするのかを確認しておく必要があるかなと思います。
○荒木座長 私の理解は、いま山川先生が示唆されたとおりです。労組法における労働者概念をどう解釈するのか、その解釈について、現在労働委員会と裁判所でかなり見解に齟齬があるということで、研究者の皆さんに集まっていただいて、解釈論としてどう解するのが妥当か、という考え方を整理していただきたいという趣旨の研究会だと理解しております。したがって、現行法の制度設計をどう変えるかという立法論ではなくて、あくまで考え方を整理する、解釈論としての整理だと考えております。ただ、その解釈論をする場合にも、労基法との関係や制度の成立ちを踏まえて解釈しなければいけないということで、制度設計についての論点も挙がっていると私は理解しております。
○水町委員 解釈論で、いまの現行法を前提にした解釈論が、実務というか、理論的にどういうところまでたどり着いて、どういう状況になっているのかを客観的に定めるというのは1つの重要な仕事で、委員がそれぞれ個人的な見解をいろいろ言う場ではないと思います。その現在の到達点なりそこから出てきた問題点を踏まえて、将来の立法政策論として、何らかの方向性を、こういうふうに考えていくべきなのではないか、諸外国の状況を見ても、こういうふうに動いているのではないかということを定めるという役割を持っていると私は認識していまして、厚生労働省で研究会を予算を使ってやることの意味はそこにある。
 そうではなくて、前者だけの問題であれば、これは学会とか裁判所の判断とかがそれぞれすればいいだけの問題なので。私は後者も含んだ意味で研究会で議論をしているのだなという理解をしていましたし、この基本的な考え方とか最後のところはそういうインプリケーションも含めて何らかの、特に無理に出すことはないですけれども、そういう方向性があれば、そういう提言も含めて出していくものなのかなというふうに理解していました。
○荒木座長 もちろん解釈論として、どこまで詰められるかということが明らかになって、いわば解釈の限界ということがあり得るのですね。それはそれとして、解釈ではここまでしかいけない、できないという問題点があるということなら、もちろん議論をしていただくということで、ご趣旨の点も反映できるのではないかというふうに考えております。ほかにいかがでしょうか。
 それでは、最初に原先生が提起された問題は、労組法3条の労働者性を議論することの意味は何なのかということですが、いまお聞きしたところ、3条は労組法にいう労働者概念を定めるということですから、ほかの条文に使われている「労働者」、労組法7条の不当労働行為の労働者も、協約に関する条文の労働者も同じ概念で考えるということについては、ほぼ意見が一致しているのではないかと思います。
 ほかの論点についてもどうぞご指摘ください。
○山川委員 今の点なのですが、あとは例えば7条2号を適用するときどうするかというお話が出てきます。3条と7条2号との関係で、これは前回も少し申し上げましたが、この「雇用する」という言葉の意味については、労組法3条の予定しているような労務提供、役務提供関係、そういう関係が存在すれば足りるということでないと、3条の「労働者」に該当するけれども、7条2号の雇用が雇用契約とか労働契約と同じというふうに捉えられてしまうと、団交の助成という趣旨に基づき労働者概念を設定しているのに、しかし、団交拒否の救済は受けられないことになってしまい、不合理ではないかという感じがするわけです。そのような解釈を示す先例は既にあって、「朝日放送事件」の平成7年の最高裁判決は、派遣労働者の組合が派遣先に対して、団体交渉を要求することができるとしていますよね。派遣先が使用者とされているので、派遣労働者が派遣先にとって雇用する労働者に当たるということですが、そこでは派遣先と労働者との間には、契約関係は明らかにないですよね。 そういうことからすると、7条2号の雇用というのは労組法特有の概念ではないかという感じがするわけです。それと、労働協約との関係では、そういう派遣労働者の組合が派遣先と団交して、交渉が妥結して労働協約が締結された場合に、派遣労働者と派遣先の関係は労働契約関係そのものではないので、どう考えるかという問題があるのですが、伝統的な意味での規範的効力はないということになりますよね。16条の労働契約は相対的な概念だから拡張解釈されるということもあり得るかもしれないのですが、しかし、少なくとも債務的効力は存在するであろうといえます。「朝日放送事件」は派遣先が使用者に当たるというだけではなくて、いろいろな条文の解釈について、労組法独自の相対的な概念が存在することを明らかにしたのかなという感じがします。
 単なるコメントなのですが、何でそういうことになったかという、労働組合法自体の性格の問題がありまして、もともとドイツとかイギリスを参考にして作った法律に、不当労働行為制度というアメリカの行政救済規定を入れたので、各国の制度が接ぎ木的になっている。よく言われていることですが、いろいろな国の制度をまとめて、あるいは併せて導入した結果、いろいろ解釈上の調整が必要になっているということも認識しておく必要があるかなとも思います。 
○水町委員 私も山川委員の理解と同感ですが、その確認なのですが、「朝日放送事件」判決を前提として考えると、「朝日放送事件」って団結権保障の趣旨から、実態的に実質的に広く判断するというので、労組法3条が広いという判断をして、それとの関係で7条2号の「雇用する」の意味とか、16条の規範的効力が及ぶか及ばないかと考えた場合に、16条からいくと、16条の規範的効力が必ずしも及ばないような人たちにも労組法3条の労働性を認めているという最高裁の判決。
 それとあの事件は労組法7条2号救済ですよね。7条2号の救済でも「雇用する」というのを労働契約法とか労基法上の「雇用する」の意味と狭く捉えるわけではなくて、「雇用する」も3条の趣旨との関係で広く。7条2号の適用自体でもう広く解釈するという考え方を採って、「朝日放送事件」は書かれているというふうに理解していいと。もし、それに異論がある場合には、また違う理屈を考えてやらなければいけないという話である。
○橋本委員 いまの水町委員のご説明なのですが、「朝日放送事件」では3条は全く関係ないと思うのですが、どうでしょうか。あれは下請企業の労働者が元請企業に団交を申し入れたという事案ですが、労働者であることは明らかではないでしょうか。つまり、下請企業には雇用されているわけで、そこではもう3条の問題は問題になっていなくて、誰を相手に団交を要求できるかということで、7条2号の事案、そしてその判決だと思うのですがいかがでしょうか。
○水町委員 その理解でいいと思います。
○橋本委員 ありがとうございます。
○荒木座長 朝日放送の場合は、従来は使用者概念、直接雇用していない人に対して団交を申し入れることはできるかという問題です。労組法上の使用者に当たるかというところで議論されていて、あそこで派遣と言っても派遣法前の事件なので、派遣法との関係は別途あるのですが、その労働者自体は労働者であることは誰も疑っていなくて、しかし、それを派遣元ではなく派遣先に対して団交を申し入れられるかということで、専ら使用性の議論として考えていた。それが前回、中労委では「雇用する労働者」ということで、従来の使用者概念を労働者概念の問題として議論を始めたものですから、こういう議論になってきたという背景だとは思います。
○山川委員 中労委も常にそういう二段階の枠組みをとっているわけでは必ずしもないのではないかと、私は理解をしていますが、先ほど橋本委員が言われたように、基本的には朝日放送事件は、使用者概念として整理するとすれば、誰が使用者かというところで初めて出てくる問題なのですが、おそらく直接の判示事項ではないのですが、「雇用」するという文言を雇用契約に限定しないという立場を示したものでもあります。その波及効果として、この研究会で取り上げている労働者性の問題に影響が生ずるのではないかと、そういう理解でした。
○荒木座長 従来はそういう考え方で、その働いている人が労組法上の労働者に当たるということは疑っていなかった。ところが直接の雇用関係がない人に団交を申し入れられたという整理だったところ、新国立劇場ですかね、あそこで少し「雇用する」に着目して3条と7条2号を分けて議論するようなことが生じてきた。この問題は、まずその人が労組法上の労働者に当たるかどうかを議論して、次に誰を使用者として団交をすればよいかということで、おそらく中労委もその後は、新国立劇場の判断枠組みをとっておりませんので、あるいは伝統的な整理に復したのかなと、私などは考えておりますけれども。
 それで、先ほど山川委員が言われたのは、大変重要な点だと思うのですが、日本の労組法もイギリス法やドイツ法の影響下に旧労組法が出来て、そして、昭和24年改正でアメリカ的な不当労働行為制度を入れたということなのですね。
 今日の資料の2の2頁の辺りで、上から2つ目のポツで、我が国においても労働組合法の、当初制定されていた労働者像、労働組合像は、イギリスなどのような独立業者的なものを含め広いものだったのではないか。国会のやりとりもそれを前提としたものではないかと。これはあくまで旧労組法のときの議論ですので、前回も指摘しましたが、昭和24年改正のときに、アメリカ流の不当労働行為制度を入れるときに、労働者概念については、旧労組法と同じ概念を維持するという趣旨であったのか、それとも、行政救済という新しい制度を入れることになると、労働者概念も少し違う見方をすべきだという立法者意図があったかどうかと、その辺を少し確認する必要があるのではないかと思っています。
 いま事務局に調べていただいていますが、どうもおそらく、旧労組法と同じような考え方で改正するというのが、立法者意思だったのではないかと見ておりますが、その点も確認できれば報告してもらいたいと思っています。どうぞ竹内委員。 
○竹内(奥野)委員 いま荒木座長が最後におっしゃった点について、後日改めてきちんと調べておきたいと思いますが、旧労組法を1949年に改正した際の国会、第5回の特別会ですが、そこでの衆議院労働委員会での議論における、立法担当者による最初の法案趣旨説明で、逐条でこの条文はこういうふうに改正しましたと説明するくだりがあって、そこを読んでみると、3条は文語のものを口語に改めただけで、従来の規定と同じでありますという形で、1行だけで終わっています。アメリカ的な行政救済としての不当労働行為制度を新たに入れるということとの関係で、何か意を使ったということは、少なくともこの趣旨説明からは伺われないように思われます。
 もう1点、「雇用する」という7条2号の文言ですが、旧労組法を1949年に改正する際に、アメリカの不当労働行為制度が参照されたと思います。アメリカのNLRAにおける団交拒否の不当労働行為に関する規定では、使用者側が団体交渉を拒否してはならない相手方として、確かに、単にemployeesの代表者とは書いてなくて、his employeesの代表者となっています。もっとも、これは、当該使用者の被用者という意味でのhisという意味で、使用者との間で関係があるところの被用者つまり労働者という形での規定であると思います。使用者側の団体交渉の拒否を定める規定で、被用者であること以外に、「雇用する」に相当する文言が入っているわけではありません。
 このことも、日本の労組法7条2号の「雇用をする」の議論をする際には留意をしておく必要があると思っております。以上です。
○山川委員 その点、日本の労働組合法7条2号だと、「雇用する」と「労働者」に分かれているので、これまでのような議論が出てくるのですが、いま竹内委員がおっしゃられたように、アメリカ法は、「雇用する」プラス「労働者」というような文言ではないですよね。hisとかが付くかもしれませんが、the representative of employeesとなっているだけです。
○竹内(奥野)委員 to refuse to bargain collectively with the representatives of his employees、と定められています。このhisがあるというのは、もともとの、3条における被用者employeeの定義規定では、特定の使用者の被用者に限定されないとされていることによるのだと思います。このように使用者側の団体交渉拒否の不当労働行為禁止のところでhisという言葉が入っているのですが、日本語で言う「雇用する」という言葉が入っているわけではありません。 
○山川委員 ないですね。例えばworker employed by employerとかいうのであれば、雇用されるというのは独自の要件になるのですが、単にemployeeという言葉を使っているだけで、hisが付くというのはおそらく、一定の役務提供関係というか、何らかの契約関係のような、あるいはそのようなものが存在することを前提としているということを示すだけなので、竹内委員がおっしゃられたように、日本語の文言にあまりとらわれる必要はなく、「雇用する」と「労働者」が別だというようなことは、アメリカ法からするとあまり必然的なものではないという感じはします。
○竹内(奥野)委員 別の点ですが、論点(1)の、先ほども少し話が出ました基準の明確化に関してですが、本研究会は、労組法における労働者性、労働者の定義ということで、3条の規定の定義をどうするかということを検討する場であると思っています。そういう中で、その定義において明確性を確保するということは、重要な点だと思います。
 ただ、定義の中でのみ明確性を考える方向性が必ずしも必然だとは思いません。例えば2頁にありますように、山川委員からご指摘がありましたように、アメリカではFLSA規則の改正に向けた作業が行われているとのことですが、要するにこれは定義規定をどうするかという作業とは別に、一定の当事者間で手続きとか仕組みを設けることを通じて、判断の明確化を図ることに向けた作業と見ることができると思うのですね。
 以前に別のところで少し勉強をさせていただいたときに、イタリアで、個別法上の労働者性だったと思いますが、労働性の判断について、当事者などで一定の手続を経て判断するという、集団的な仕組みだったと思いますが、そのような仕組みがあるということを聞いたことがございます。このような例を参考にすると、明確性の確保を、定義の設定の作業の中で完結させる必要は必ずしもなく、明確性の確保という要請は、定義規定をどうするかという設計とは、別個にも、確保し得る可能性があるのではないかと思います。
 そういう意味では、基準の明確化という論点(1)を考えるに当たっては、定義における明確化の確保の必要性の程度如何ということも、念頭に置いて検討をしていく必要があると思います。以上です。
○橋本委員 私もイタリアのことは、かじっただけで正確ではないかもしれないのですが、どこかの認証を受けた機関が労働者かどうかという判断を行って、それで通るというような制度だったのではないかと思います。確かもっと複雑だったので、全然勘違いしているかもしれないのですが。そうだとすると、やはりその機関が判断するための定義は必要なわけで、いま立法論でおっしゃったと思うのですが、解釈論の限界は、やはりはっきりさせておく必要があるかと思います。認証制度を導入すれば解決するとも言いきれないかなと感じました。
○水町委員 判断基準の明確化というところで、いまの話も併せると3つぐらいの問題が入り組んでいて、1つは基準の中身をどうするかというので、第一に趣旨に照らして論理的に整理して基準をわかりやすくする。そこで重要なのは、いちばん最後のところに出てきますが、形式的な要素、基準を用いるか、実質的な実態に沿った要素、基準を用いるかという点が、1つ重要になってきて。最近諸外国で言われているのは、形式基準にすると法潜脱、法適用回避行動を産んでしまうので、なるべく実態に即した基準にする。それも法の趣旨に沿った形で、どのような実態的基準を立てたほうがいいかと、それで分かりやすくする。あまり細かく細かくやるよりは、実態に即して分かりやすい基準を立てるのが1番目の問題です。 
 2番目が、それでも基準に曖昧さ、抽象性は残るので少しプロセス化して、原則としてこういうプロセスの中に載っていれば認るとか。ただし、その原則に載っていた場合でも、その例外としてどうなるかとかいうのを、認証機関を作るなり、当事者の合意なりするという、プロセス化をするということが考えられるかもしれない。
 3番目は、その基準を統一するかどうかですね。労基法等も含めてみんな、もう労働者概念って全員労働者か労働者でないかとわかれば、当事者にとってわかりやすいので、若干最近そういう方向もドイツも含めて見られてきているので、統一化するかどうかという話が3番目に出てきて、そこでの話は、考えてみると労基法と労組法は趣旨が違うのですが、趣旨の違いを重視してやはり別基準にするか、それとも趣旨の若干の違いはあるけれども、わかりやすさをより重点的な価値というか重視して、統一的な定義を用いるかという点が出てくる。
 例えばいまの日本のプロ野球選手が基準を整理したときに、趣旨に照らしてみた場合に、労基法上の労働者ではないけれども、労組法上の労働者になる。けれども、では統一したらどうなるかといった場合に、労働者ではないとしてしまったらどうなるか、それとも労基法も含めて労働者だとしてしまった場合に、夜10時以降ナイトゲームが延びたら、割増し賃金が発生するとかいう問題が出てきて、労基法上の労働者に当たるけれども、個別の条文で適応がないという解釈とか位置付けをするのかとか、そういう議論が結構諸外国でなされているので、たぶんそういう2つ、3つぐらいのものが合わさって判断基準の明確化で、結果として予測可能性を高めながら、趣旨にそんなにそぐわない形で労働者概念を定義できるかというのが、この頭の基本的考え方のところと最後の3の、次回議論するのかもしれませんが、労働者性の判断基準の中でうまく整理できればなと、これは先ほどの立法政策の方向性みたいなもので、すぐ改正するどうこうというわけではありませんが、そういう方向性が選択肢として示せればなという気はします。
○荒木座長 ほかにいかがでしょうか。
○有田委員 いまのお話を伺っていまして、実は先般イギリスに行く用事があって、ついでにTUCに訪問できましたので、若干お話を伺ってきたのです。伝統的に自営的な人たちも基本的に労働組合をもともと作っていて、そこが例えばアクターであれば事業主あるいは劇場主、あるいは劇場主の団体と団体交渉をする。ただ、争議法か何かに、適法な争議行為となるための要件の規定との関係で、ここで問題となっているような7条2号に当たるような「雇用条件」という言葉がある。この「雇用」の意味をここで議論があったように拡張するかどうかが問題となり得るけれども、ただ、実態としてはあまり問題になっていない。もし訴訟になるとイギリスの裁判官のスタイルでいくと、おそらくそれは文言どおりに雇用契約上の条件に限るという解釈になるだろうけれども、実際にはあまり問題になっていない。ケンブリッジ大学のディーキン教授も、理論的には解釈としてもちろん問題にはなり得るけれども、実態として現にそういう裁判例があるという状況ではないということを言われています。
 要するに、日本の労組法3条に当たるような、ワーカーについての集団的労使関係を規律する法律の定義のところは、専ら非常に広くとってあって、他の集団的労使関係の個別のそれぞれの側面を規律するルールの中で、その適応範囲をまた別途定めていくというのが、どうもイギリスのやり方のようで、そういうのをいまのところ維持して、実態上も問題がないという。いまはそういう意味では、ある程度協調的に労使関係がうまくいっているので、あまり法的紛争までに至らないということなのかもしれませんが、イギリスのスタイルとしては個別的労使関係法は全く法律ごとというか、ルールごとに適応対象を異にするという扱いをしていますので、集団的なものは歴史的経緯を重視して、労働者概念をまず大きく広く取っておいて、団体交渉については事実上そんなに問題はなく行われていて、法的紛争として可能性があるとすれば、争議行為の適法性のところで問題となり得る余地があるけれども、基本的にはそういう歴史的経緯が、いまのところはかなり尊重されているという実態にあるというようなことを、TUCの方のお話からは伺い知ることができました。
 そういう意味ではドイツのように統一して少し広げてというような方向とは、かなり違うかなと。だから、先ほどの労組法の労働者概念の定義の由来のところからいって、イギリス的なものがもし入っているのであれば、3条の解釈としてそういった広めにとるということは、十分あり得るのではないかというようにも思いました。以上です。
○橋本委員 有田委員のお話に俳優の組合というお話がありましたので、ドイツのことも思い出して申し上げたいと思います。ドイツでは統一的な労働者概念ということで、労働者が狭くて、それを労働者類似の者という概念を設けることで、一定の自営業者に一部の労働法の適用を広げて、その中に集団法も入るということをご説明しました。これが原則ではあるのですが、俳優等の芸術家については、伝統的に、劇団と専属契約を結んでいれば、もう労働者だということで、それは疑いがないということになっています。それで、舞台芸術分野の組合もあるので、劇場と労働協約を結んで規範的効力も及ぶことが当然とされています。
 先ほど、水町先生があげたプロ野球選手の例では、統一的な労働者概念をとると、いったんプロ野球選手を労働者としてしまうと10時を過ぎたら深夜割増し賃金がかかるのかとか、そういう問題が出てくるわけです。それでは、ドイツでは、俳優や劇場の合唱団、オーケストラ員など、専属契約を結んでいれば労働者になってしまうので、では、個別法はどうなるのかという疑問が出てきますが、そこはやはり通常の典型的な労働者とは、いろいろな面で働き方が異なる面もあるので、そのまま個別法を適用するのは実態に合わないというのがあります。そうすると、個別法の適用除外とか解釈、例えば有期契約、ドイツは非常に厳しく規制されているというのは有名ですが、芸術家は有期契約が原則になっています。「労務の特性」という有期契約の締結を正当化する客観的自由があるのですが、その具体例として、スポーツ選手、俳優などがコンメンタールに挙げられています。
 また、紛争解決制度も労働裁判所ではなくて、独自の仲裁制度を持っています。仲裁制度というのは、個別労働関係では原則禁止されているドイツで、舞台芸能分野例外ということで労働裁判所法に適用除外規定があるのですが、統一的労働者概念を維持しつつ、法体系上非常に精密に工夫しつつ手当てしているというのがドイツの制度で、複雑なのですが、そこはすごく考え抜かれているなといつも思っています。
○荒木座長 確認ですが、ドイツの場合は、「労働者」の概念が個別法、集団法で統一的にある。それでカバーできない人に「労働者類似の者」という、また別の概念を作ってカバーしているというご報告がありました。その俳優とか芸術家は、この「労働者類似の者」ではなくて、もともと「労働者」のほうでカバーされているということでよろしいのですね。
○橋本委員 そのとおりです。
○荒木座長 そうすると、個別法のところでいろいろと不都合が生じるのではないかと思われますが、それについては実際上、通常の労働者のような紛争解決制度がなかったり、あるいは適用除外を認めるということで、不都合には対処していると、そういう対応の仕方がなされているということですか。
○橋本委員 はい、おっしゃるとおりです。
○荒木座長 ありがとうございました。
○有田委員 いまのドイツの専属性というところですが、専ら労働者性が判断されているということになりますか。
○橋本委員 いまの劇団の芸術家についてはそうなります。専属契約を結んでいるかどうかということで、そういう意味では形式的な判断となります。
○有田委員 専属契約というのは例えば1つの公演単位とかでも、全然問題はないということですか。 
○橋本委員 おっしゃるとおりです。
○水町委員 ここでは2頁の(4)のいちばん最後のポツの意見に係わることなのかもしれませんが、これまでの裁判例とか命令例で、実は労組法上の労働者性が争われた事件はそれほど多くないのですが、ここで取り上げられているのは新国立とか最近のものですよね。それと過去はCBCだけですよね。私、新国立の東京地裁だったか高裁だったか忘れましたがその判例評釈するときに、過去の地労委まで含めた命令と、あと裁判所の判決を下級審裁判例も含めてそれほど数が多くなかったので、調べられる限り調べてみたのですが、労働基準法ないし労働契約法理に関する労働者については、大体8つぐらいの要素が労基法研究会で示された以降出てきていて、それとの対比で見ると、CBCはある意味の特殊な労働者なのかもしれませんが、それ以外のいろいろな労働者の事件を見ると労基法上の労働者概念の要素とかなり違うところに重点が置かれていたり、いわゆる組み込みのところだとか、経済的な力関係だとか、あと報酬も生活給になっているかどうかという点で、ちょっと労基法上の労働者性の判断と違うなという気がしました。
 その点は、実はちょっとうろ覚えですが、新国立劇場よりも前の裁判例と、中労委、地労委の命令の間に、それほど違いがなかったような気がします。それまでいくつかのいろいろな事案の対応の仕方で。それで、新国立劇場以降の東京地裁、東京高裁が急に何か労働基本法上と一緒と言っているぞというような話をして、あら、あら、あらと思っていたところの、ここではあら、あら、あらと思っていたところ以降しか紹介されていないので、もう少し幅広に最近の事案だけではなくて、昭和30年代とか40年代に見られたような、独立自営業者みたいなものの争いになった事案もこれまであるので、それを見ると、いわゆる指揮命令という人的従属性を重視しているのか、経済的従属性を重視しているのか、どの辺に重点が置かれてこれまで流れてきたのかというのが分かるような気がするのです。これ数がそれほど多くないので、調べるのも大変ではないと思いますし、『ジュリスト』に書いた判例評釈の中で、知っている限りの判決命令を上げていますので、そうすると何かそこ時系列の流れで裁判例もそんなに偏ってはいないぞ、ということがわかるかもしれません。
○荒木座長 ありがとうございます。
○橋本委員 また論点が異なる点になってしまうかもしれませんが、今日ご用意していただいた資料の1-2で、前回水町委員がおっしゃった独禁法と労働法との関係というか、水町委員のおっしゃったところはそのとおりだと思っているのですが、アメリカは資料に紹介されたように非常に分かりやすく、独占禁止法、反トラスト法によって、初期の労働組合運動がカルテルに当たると判断されて、弾圧というか違法とされてきたが、やがて団結権が認められて権利として確立したと、そういう流れが、労働法学者の通常の理解だと思います。
 ヨーロッパではスパンがもっと長いので、中世のギルドから、そしてそれが近世に入ってツンフト禁止令が出てとか、非常に長い歴史なので、アメリカほどわかりやすくないのですが、流れそのものは同じだと思います。
 何が言いたかったかといいますと、独禁法と経済法と労働法の関係というのがまだ整理できていないのですが、一度確認して議論できればなと思っています。なぜこのようなことを申し上げたかというと、ヨーロッパでは当然に労働協約が独禁法の例外だという理解がもう確立しているのですが、それは確かに条文を見たところドイツ等々で明文の規定はないのですが、もう当然のように文献などでは叙述されていて、EUでは競争制限禁止は条約の規定ですが、ここにも適用除外の定めはないのですが、判例によって労使代表の交渉の結果として締結され、労働者の労働条件の改善に資する限り競争制限禁止の例外に当たることが認められ、もう何件もEUレベルで判例が蓄積されているということで、やはり経済法というか、独禁法の世界と労働法の世界とは別々だということで整理されているのかなと思います。
 いま日本でも独禁法といってもいろいろな規定があって、その中でかなり社会政策的な意味を持つ、下請保護に資するような特別法とかガイドラインが出来ているので、その適用を受ける人たちが労働法上労働者と言っていいのかどうかというのを、言ってもいいと言える場合はいいのですが、その辺が曖昧で、ヨーロッパの考え方でいくと、そこは少しはっきり区別されているのではないかなと思うので、確認できればと思っています。
○荒木座長 いまのは例えば下請法などの適用がある事業者だというような場合に、ここで言う3条に該当するかどうかが問題となり得るのではないか、ということですか。
○橋本委員 はい、その問題意識です。
○水町委員 その点に関して、日本で債権法改正で民法の議論で、鎌田耕一先生の『法律時報』に書かれている論文の中で、鎌田先生は民法上の雇用契約を労基法上の労働者よりも広く解したほうがいいというふうに言われるところの、そのどこまで民法上の雇用契約の範囲を広げるかというところの外延として、その競争規制のかかる人は、さすがにそこまでは外延にならないのではないかという話をされていて、鎌田先生の言う民法上の広義の雇用契約というのは、労組法上の労働者とほぼ一致するのです。そういう意味で、日本の解釈論の議論としても、そういうことが言われているというのが参考になるかなという気もします。
○有田委員 それでいくと、イギリスの法律はもともとがそういう形で、労働組合法というのは出てきましたので、前もちょっとお話したかと思いますが、つまりトレード・ユニオンが当初、いまでいう労働者の団体としての労働組合と、使用者団体と双方を含む概念として定義されていましたので、トレード・ユニオンの定義では、この法律の適応がなければ取引制限の法理に、競争制限法に引っかかるものとされており、だからこの定義を満たしたトレード・ユニオンがそれを除外される団体になるのだということでした。その中で労働者側については、当初は「ワークマン」という表現でした。ワークマンが結成主体となって結成する団体をトレード・ユニオンと定義するということで、当初は、競争制限法による制限が加わっていたものから解放する形で労働組合の定義がなされ、その定義の中でワークマンという概念が使われていた。ただ、当初は、ワークマンの定義規定が設けられていなかった。それは後々になって「ワーカー」という定義に変わって、定義付けが行われるようになりましたが、やはり常にその辺は確かにヨーロッパでは意識されているということは、イギリスをみていて私も考えています。 
○荒木座長 ありがとうございます。非常に検討すべき重要な点の指摘をいただいております。先ほど少し議論が深まりかけた論点として、明確性の問題、水町委員もご指摘されて、基準の中身をどうするかという問題、あるいはそれをプロセス化することによる明確化があるのか、更に統一性ということでの明確化と、明確化についてもいろいろな側面があって、それをどう考えるかという提起もあったのですが、この点について更にもう少し議論を詰めることができれば有益かと思いますが、いかがでしょうか。
○原委員 明確性と統一性ということも明らかに区別して考えるべきだと思います。というのは、各法律ごとに基準が違って定義が違っているということが、それこそはっきり示されていれば、現場で実務的に混乱することはそれほど多くないように思うのです。そこで、ただ無理していろいろな法律の中で、統一的な概念を立てていって、法律ごとに適応除外がどうだこうだという話になるよりは、労基法ではこう、労組法ではこうというところをはっきり示すことに重点を置くほうが、実務で混乱きたさないという点では、有益かなと感じます。
○山川委員 私はいまの原委員の意見に賛成です。今日の資料だと4頁目以降、2のほうに若干入ることになってしまうのですが、それもよろしいですかね。要は労働組合法3条から出発すれば「準ずる」という文言がキーワードになるので、統一的判断要素の話になるのですが、仮に基準法の判断要素と同じと考えたとしても、すべて判断要素に「準ずる」を付けるということになって、極めて明確性を欠くことになります。それでは「準ずる」を付けている労組法3条の文言や立法趣旨に合わせると要素はどうなるかというように整理したら、前回若干説明しましたような趣旨になるかもしれません。
 前回の資料の3-1の11頁に図を書いていますが、いまの労基法上の判断要素がすべて満たされるときには、諾否の自由とか、時間的・場所的拘束、その他が出てくるのですが、それを「準ずるものでもよい」ということから、別の判断要素に書き換えていくとどうなるかというと、前回申しましたような、事業組織の組み込み、契約内容の一方的決定、及びそうした労務供給への対価支払いというふうになる。
 それはいろいろ議論があるかもしれませんが、要は労基法上の労働者概念の要素とされているものを、労組法3条の「準ずる」という文言に合わせて、独自の要素として組み換えるとどうなるかです。つまり諾否の自由が全くないとか、時間的、場所的拘束性があるとすると、これは労基法上の判断要素を100%満たしてしまうことになるので、もしそれが100%満たされれば労組法上の判断要素も当然満たすことになるであろう。しかし、それが満たされなくてもよいという場合の要素を、諾否の自由や時間的、場所的拘束性に代えて、どのように表現するか。そういう作業が1つの明確化になるかなと思っている次第です。前回のときに一部説明しきれなかったので補足になります。
○荒木座長 ありがとうございました。そうすると、3条の「準ずる」というのは、あくまで賃金、給料、その他、これに準ずる収入という、報酬の労務対償性みたいなものに着目した定義なのですが、それを言うなれば指揮監督とか、あらゆる労働者性判断全体に及ぼして「準ずる」というものを理解すると、いまのはそういう整理でしょうか。
○山川委員 私は個人的にはそういう見解です。つまり3条は使用するという文言が入っていなくて、かつ、入れることができないわけですね、失業者も含むということですから。そうすると、賃金のほうにしか「準ずる」という修飾語はかけようがなくなりますが、言ってみれば労基法上の労働者に準ずるような役務提供関係をしているのが通例であれば、あるいはそういうことが多ければ、失業中であっても労働者と認めるというのが労組法3条の労働者なのだと考えられます。もう1つは賃金についても、労基法11条でしたか、賃金の定義については、使用された労務提供、使用従属関係の下での労務提供への対価というように整理されていますので、そこに「準ずる」という要件を組み入れ、逆に労組法3条の中の賃金に同様の発想を入れれば、労基法とか労働契約法上の労務提供に準ずるような関係も含まれるというふうな解釈ができるのではないかなと、私としてはそう思っているのですけれども。
○竹内(奥野)委員 いまの点に関して、私は若干違う考え方を持っています。いま労組法3条でいう賃金、給料、その他これに準ずる収入ということで、賃金等についてお話をされた上で、賃金について労基法の11条をご参照されたと思います。確かに労組法には賃金の定義規定がないので、ではどうしようか、ということになるのかと思います。ただ、であるからといって労組法の規定の解釈で労基法の賃金の規定に当然には立ち戻る必然性はないのではないかと思います。もちろん、労基法の賃金の定義規定による理由が別途あればもちろんよいとは思うのですが。しかしもし労基法の賃金の定義規定によらないとなれば、「使用する」のところに「準ずる」を引っ掛けるような形の解釈が成り立つかどうかは、議論をする余地があると思います。
○水町委員 いまのところで、例えば失業手当をもらっている人が団体交渉を求めて、これは例えば中央のレベルの使用者団体があったときに求めた場合、その時点で指揮命令は受けていないのですよね。それをどう考えるかというのと、実際に具体的な指揮命令を受けていないけれども、民法上委任契約に基づくような報酬で、まあ、言ってみれば報酬については微妙なのだけれども、雇用契約の報酬に似ているという側面もあるな、ただし、指揮命令はそんなに具体的に受けませんよという場合には、どういう判断になるかというのは具体的に。
○山川委員 前者のほうは7条2号の「雇用する」について、労務提供の質の問題はともかくとして、何も関係がない場合まで含むかどうかという問題です。後者の場合は、民法上の委任契約ではあるけれども、労働契約に準ずると言えるのであれば、それは団交義務があることになるのではないですかね。
○水町委員 いや、特に指揮命令というのは、そういう事案の場合は拘らないということですか。 
○山川委員 言ってみれば指揮命令に準ずるということかもしれませんが、条文から出発すれば、その様な関係をどう理解するかの問題で、少なくとも労働契約とか、労働基準法で問題になっているような関係でなくてもよいのではないでしょうかね。
○有田委員 そうすると、その「準ずる」ということの意味は、要するに労務提供がその人本人自らが提供しているという関係があれば、基本的にこの「準ずる」というところで括られて、この3条の定義の中に入ってくると、そういう解釈と理解してよろしいのでしょうか。
○山川委員 そこまで言えるかどうかはまた別で、つまり「準ずる」というのは、何らかの類似性みたいなものは前提としているので、つまり純粋に経済的従属性だけでいいかという問題になりますよね。そこまで言えるかどうかはまだ、ちょっと議論を要するかなと思いますが、前回申しました組織への組み込みと一方的決定があれば、組織的従属性みたいなものが認められ、少なくとも「準ずる」と言えるのかなとは思いますが、およそ個人によるで、代替性のない労務提供であれば、すべてと言えるかどうかは議論の余地があるかなと思います。
○水町委員 そもそも労基法上の労働者性の要素がごちゃごちゃに入り混じっているところが、問題の原点なのかもしれませんが、例えば労基法上の労働者性って8つぐらいの要素があるところに、いわゆる人的従属性と経済的従属性と組織的従属性みたいなものが入り混じっている。
 それが8つぐらいあって総合判断されているときに、では、労組法上の労働者性を判断するときにどうするかというと、1つの考え方としては8つのうち、ちょっと薄めで、全体として薄めでいいけれども、だから、8つ全体を見ながら薄めに考えましょうという立場なのか。労組法の趣旨はそういうものではないので、人的従属性はそれほどなくても、経済的従属性を特に重視しましょうとか、経済的従属性プラス組織的組み込み従属性を入れてやりましょう。
 人的従属性については細かく言わないのが労組法なのですよというかというと、私は後者のほうが国際的にというか、比較法的にも日本の趣旨にも合っているような気がしますが、もしかしたら中労委とか山川委員の考え方は、全体を薄めで全体で準ずればいいという考え方なのか、そこをどういうふうにお考えなのかです。
○山川委員 特に全体を薄めるというものではなく、やはり要素の中で重要なもの、そうでないものがありますので、先ほどのは文言との関係から比喩的に説明したのですが、最終的に労組法上の労働者の判断要素として選び出すことになるので、私はいまのお話を聞いていて、どちらかというと後者の考えかなと思っていたところなのですけれども。
○荒木座長 おそらくケースバイケースで、労働者性が疑わしいと言われるものが事案によって違うので、それをほかの要素と勘案しながら、労基法上の労働者性を満たすには不十分だけれども、労組法上はいいのではないかと。おそらくそれで個々に問題となる場面が違うのかもしれませんね。それを引っくるめてどう表現するかは、また次の問題かもしれませんが、竹内委員どうぞ。
○竹内(奥野)委員 若干揚げ足取りのような形になってしまうかもしれませんが、先ほど山川委員が荒木先生との応答でおっしゃったかと思いますが、「準ずる」という場合は、どういう場合かということで、例えば事業組織への組み込みとか、一方的な決定とか、組織的な従属性がある場合には「準ずる」と認められるとおっしゃったと思います。
 その場合は「準ずる」という文言から出発して、それは何かと考えて組織的な従属性に至っているのか、組織的従属性がある者が労組法上、団結権なり団体交渉権等の保護を与えられるべきものであって、それをどう表現するかということで、文言上に平仄を合わせて表現すれば、「準ずる」という言葉に当てはまるのか。思考の方向性といいますか、思考がどちらから始まっているかというのは、両者でかなり違うと思うのですが、山川先生のご見解は、後者と理解してよろしいのでしょうか。
○山川委員 これは全く個人的な意見になってしまいますが、私は基本的にはやはり条文から出発するということなのですが、ただ、「準ずる」という言葉は非常に明確性を欠くというか曖昧なので、それに立法趣旨の立法者意図を併せ考慮して、初めてその要素が具体化されるので、最終的に言うと両者併せ考慮してということになります。特に立法趣旨からすると、家内労働者で1つの大きな発注者の下にあるというような場合が想定されているということは、明らかに労働基準法上の労働者ではないですよね。そういうことからすると、つまり条文、立法趣旨、立法者意思の3つを併せ考慮して要素を導き出すということかなと思いますが。
○水町委員 条文はこの場合どちらにも読めて、賃金にだけ準ずると書いているのか、賃金から指揮命令と報酬で分けた場合に、報酬だけ準ずるかがかかっているのか、指揮命令は全く問いませんよと言っているのか、指揮命令まで含めた意味を込めた賃金に準ずるという、全体で「準ずる」と二通り読めるので、そういう場合は趣旨に遡ってどう考えるかというのと、先ほども申し上げた最近のものだけではない、これまでの実務の積み重ねの中で下級審裁判例や地労委の判断も含めて、どこに重点を置かれてきたかを見ると、何となく方向性が見えてくるかなと。
 私が調べた限りでは、これまでの、最近以外の積み重ねの中ではどちらかというと組織的従属性とか、経済的従属性というところに重きを置いた判断が積み重ねられてきたのではないかなという気はします。あまりCBCとか特定の事件だけで、そこの中から規範を抽出しようというと、ほかの事案とか一般化するときにちょっと危険が伴うので、もう少し見たほうがいいかなという気が私はします。 
○荒木座長 ほかに何かご指摘がありますか。時間が終わりに近づきましたが、非常に重要なご指摘と、宿題といいますか、次の課題もいただいたように思います。私はおそらく4点ぐらいあったかなと思います。
 1つは立法者が労組法の労働者をどう考えていたかということで、昭和20年の旧労組法の立法過程はずいぶん調べていただきましたが、24年改正時にどうであったのか、これを確認したいというのが1つですね。
 第2点目として、概念の明確性の要請と、それからその裏側としてそれが逆に潜脱に使われないかという懸念、これをどう調整するのかという問題。そして、明確性というのは、概念を統一すると明確になるという議論もあり得るのだけれども、そうすると、法の規制目的との齟齬が生ずる。そこで最後に議論されたのは、概念を統一することの明確性よりも、概念は別であっても、その明確化を図るという方向が、むしろ目指すべき方向ではないかということだったように思いますので、更にそれを検討したいということです。
 第3点目は水町委員からご指摘いただいたように、新国立劇場以降の最近の裁判例は整理していただきましたが、それ以前の命令あるいは裁判例において、労組法の労働者がどう考えられていたか、それも確認した上で更に議論をしたいと思います。
 第4点目は橋本委員からご指摘があったように、労組法の労働者を考える場合に、独禁法とか経済法の部分との整合性といいますか、どこまで競争制限をかけ、どこからその規制を免れた労働組合による団体交渉を認めるのか。その競争法との区切りという観点からも考え方を更に整理すべきではないか。
以上、4つぐらい宿題をいただいたように思いますので、更に事務局で整理をしていただいて、次回に議論を続けたいと考えております。
 次回について事務局からご案内をお願いします。
○平岡補佐 次回の日程は3月9日水曜日、1時から3時になります。場所につきましては厚生労働省19階、専用第23会議室になります。
○荒木座長 本日は以上といたします。今日は貴重なご意見をありがとうございました。


(了)
<照会先>

政策統括官付労政担当参事官室
参事官  辻田 博
室長補佐 平岡 宏一

電話: 03-5253-1111(内線7753)

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