ホーム> 政策について> 審議会・研究会等> 健康局が実施する検討会等> 原爆症認定制度の在り方に関する検討会> 第2回原爆症認定制度の在り方に関する検討会議事録




2011年1月27日 第2回原爆症認定制度の在り方に関する検討会議事録

健康局総務課

○日時

平成23年1月27日(木) 10:00~12:00


○場所

中央合同庁舎第5号館 厚生労働省省議室(9階)


○議題

1.開会

2.議事
 (1)被爆者団体関係者からのヒアリング
 (2)社会保障に関する研究者からのヒアリング

3.閉会

○議事

○森座長 森でございます。皆様方、おはようございます。たしか、第1回は昨年でございましたので、今日は1月も末に近いとはいえ、本年に入って初めてのこの検討会でございます。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
 そのような次第で、本日は第2回の「原爆症認定制度の在り方に関する検討会」でございますが、皆様方、委員の方々、それぞれお忙しい中、あるいはこの寒さの中、お出かけいただきましてありがとうございました。まずは御出席くださったことに心から御礼を申し上げます。
 それでは、定刻になりましたので始めたいと存じますが、最初に、やはり大事な会合でございますから、事務局の方から本日の出席状況その他について御報告いただきたいと思います。どうぞお願いします。
○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 初めに、本日初めて出席いただきました委員の御紹介をさせていただきたいと存じます。
 広島市副市長の三宅吉彦委員でございます。
○三宅委員 広島市からまいりました三宅でございます。よろしくお願いいたします。
○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 本日の出席状況でございますが、高橋進委員が欠席との御連絡をいただいております。
 以上です。
○森座長 そんなことでよろしゅうございますね。
 三宅さんは前回、市議会か何かの当日に、私たちの方で日程を決めてしまった模様で、どうも失礼いたしました。
○三宅委員 いえ、幾つか調整した結果ですから、それはやむを得ません。
○森座長 それでは、議事に入りたいと存じますが、よろしゅうございますか。何か事前に御注意なり何なりがあれば喜んで伺いますが、議事に入ってよろしゅうございますね。
 そういたしますと、本日の議事次第に記されておりますように、ヒアリングと申しますか、枢要な方々の御意見を伺うというのが本日の言わば議題でございます。
 前回開催いたしましたときに、委員の方々が一言ずついろいろな考えをお述べ下さいました。その結果は事務局で大変簡潔にまとめてくださって、後ほど御説明があろうかと思いますが、資料1ということでお手元に配られております。
 いろいろなことをおっしゃっておりますが、やはり「現状」とか「問題点」をはっきりしよう、的を絞った方がいいといった印象の御意見がかなりあったように記憶しております。それに力を得てと申しますか、実は以前から、やはり最初にはヒアリングすなわち、枢要な方々から御意見を伺うことが必要であると考えておりましたので、それを今回並びに次回、すなわち第2回と第3回にわたって実行しようということでございます。
 本日は、何はともあれ、まず被爆者団体関係者の方々から御意見を伺うことが大切であろうという判断の下に、最初にその方々から御意見を伺い、その次に社会保障に関するエキスパートの方から御説明をいただきたい。それが本日の予定でございます。
 第1のグループ、被爆者の方々のグループでは、3名の方々に意見を述べていただく。これも事務局から後で説明があると思います。それから、第2のグループはお一方であります。、私は、この検討会の内部に委員としていろいろな領域の第一人者がいらっしゃることは重々承知しておりますけれども、最初のヒアリングでは、むしろ外部の方にお話しいただき、委員の方々はどうぞ御遠慮なく、どんな御質問でも、あるいはどんなコメントでもしていただくのがよかろうと考えておりますので、どうぞ御協力賜ればありがたいと思います。
 それでは、資料の確認と本日の進め方について、改めて事務局から説明していただけますか。
○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 座って説明させていただきます。お手元の資料をごらんいただきたいと思います。
 資料1は、第1回の検討会で委員の皆様方からいただいた御発言を事務局で整理した資料でございます。こちらは適宜御参照いただければと思います。
 続きまして、資料2をごらんいただきたいと思います。本日の前半でございますが、被爆者団体の関係者3人の方からお話をいただくことにしております。お名前を御紹介させていただきたいと存じます。
 日本原水爆被害者団体協議会事務局次長の岩佐幹三様でございます。
 日本原水爆被害者団体協議会事務局次長の木戸季市様でございます。
 社団法人日本被団協原爆被爆者中央相談所理事の伊藤直子様でございます。
 本日は、初めに岩佐様と木戸様に被爆体験についてお話をいただくこととしておりまして、その後、伊藤様に原爆症認定制度の問題点と在り方というテーマでお話をいただくこととしております。お三方のお話が終わりましたら、各委員からそれぞれの皆様方に対しまして御自由に御質問・御発言をいただければと思います。
 本日の後半の進め方ですが、社会保障に関する研究者からお話をいただきまして、その後、各委員から御質問・御発言をいただきたいと思っております。お名前を御紹介させていただきます。
 早稲田大学人間科学部健康福祉科学科教授の植村尚史様でございます。
 植村様には、社会保障制度の視点から見た被爆者援護施策の位置づけ、また、被爆者に対する給付の考え方・内容についてお話をいただくこととしております。
 皆様には、各参考人の皆様から提出いただいた資料を配付させていただいております。資料に不足・落丁がございましたら、事務局までお願いしたいと思います。
 私からの説明は以上でございます。
○森座長 ありがとうございました。皆様方のお手元に資料は行き渡っておりますでしょうか。もし何か欠落でもございましたらおっしゃっていただければと思いますが、よろしいですね。
(「はい」と声あり)
○森座長 それでは、早速、意見を述べていただきたいと存じます。
 最初に岩佐さん、どうぞよろしくお願いいたします。
○岩佐参考人 皆さん、おはようございます。
皆さんのお手元の方にございますように、これは原爆に被爆をした後、きのこ雲が立ち上がっている写真でございますが、これはごらんになったことがあると思うんですけれども、私は今、ここにいると同時に、このきのこ雲の下にいたわけです。今、これを見ても、あのときのことが思い出されます。ですから、私たち被爆者にとってはあのときと今が結び付いた、6年になりますけれども、原爆の影響を抱えながら生きてきたということでございます。そういうことで、私の被爆体験から話させていただきたいと思います。
 あのとき、16歳の中学生であった私は、動員中の軍需工場が電休日だったので、広島の爆心から1.2kmの富士見町、これは皆さんのお手元に地図がありますが、あそこに黒く塗ってあるところでございます。その自宅の庭で被爆しました。激しい爆風の衝撃で地面にたたき付けられました。目の前も見えぬ真っ暗な中、上から非常に強い力で押さえられて立ち上がることができませんで、そこで必死になってはいました。数秒ぐらいしますと、黒い土煙といいますか、ほこりが、普通はおりてくるものですが、立ち上がっていきまして、そのうちに視野が次第に明るくなってきましたら、目の前に街がありません。そして、瓦れきと折れ崩れた木くずの山になっていました。
 倒壊した家の下に母がいました。母は動けなくて、そのことは皆さんのお手元にあります、NHK広島の「ヒバクシャからの手紙」に投稿した、そこに詳しく書いてありますので、ここは簡単に申し上げます。私1人ではどうにもできないような状況でした。物すごい勢いで迫る火事嵐の火の粉が飛んできました。そのことを伝えると、母は「どうして消防が来ないのか」と言いました。母に「広島全体がやられているんだよ」と言ったら「そうか」と言いまして、そして「それならしようがない、早よう逃げんさい」と言って、自分は「般若心経」を唱え始めました。私は、その声を聞きながら、生きたまま焼け死ぬ母を見殺しにして逃げたのです。
 周りは既に火の海でした。私が助かったのは、家の裏手にあった山陽中学のグランドにたまたま防火用の水槽が掘られていました。一辺15mぐらいですか。そこへたくさんの人が逃げてきました。そこに行って飛び込みました。水槽ですから浅いんです。本当に奇跡的でした。ほんの少し遅れて逃げてきた人が校舎の端まで来たとき、火ダルマになって焼け死ぬのを見ました。本当にむごい死に方でした。このように倒れた家からやっとのことではい出しました。しかし、猛火に囲まれて逃げ場がありません。家の側に備え付けられた防火用水に何人もの人が寄り添って焼け死んでいる姿が至るところに見られました。この世の地獄としか言えない残虐な有様でした。
 数日後、私は家の焼け跡の灰の中から、どこにいるのか分かっていましたので、そこから母を掘り出しました。それはマネキン人形にコールタールを塗って焼いたような、油でぬるぬるした物体でした。とても母の死体とは思えませんでした。母は、人間としてではなく、物として殺されたのです。広島と長崎での被爆者の死は、どう考えても「人間の死」とは言えるものではありませんでした。
 女学校1年生、12歳の妹は、軍の命令で爆心地近くの土橋、そこの地図にあると思いますが、そこで建物疎開に動員されて作業中に被爆しましたが、何とか逃げたらしく逆にどこで死んだのか、今もって行方不明であります。その年の5月、病気で父を失っていた私は、原爆孤児になりました。妹の行方を捜して広島市内を歩き回りました。そして1か月後、急性症状で倒れました。体中に赤紅色の斑点が出まして、のどの痛みでろくに物も飲み込めません。鼻や歯茎から出血しました。髪の毛も抜けました。夫を原爆で失った叔母、母の妹ですが、必死になってお医者さんを捜し回って、やっとのことで疎開している歯医者さんを見つけて、その歯医者さんが連日、注射治療をしてくれました。これでまた奇跡的に回復しました。
 それにつけても被爆後、被爆者が最も医療対策を必要としたときに、国際赤十字から広島に派遣されてきたスイス人のジュノー博士が原爆被害のすさまじさに驚いて、アメリカ占領軍に対して求めた国際的な救援の要請が拒否されました。また、日本政府がこれに同調してアメリカに抗議もせず、救援要請もせず、被爆者を放置し見殺しにしました。このことは、戦争という大義名分を借りたとしても、原爆投下を招いた戦争責任の問題と並んで、その非人道的な対応はまさに戦後責任に当たると言うことができます。私は、あのとき、どんな治療を受けたか知りません。どんな薬品を注射されたか、何本も注射されたんですが、わかりません。しかし、私の体験の事実からして、あのとき国際的な救援が実施されていたならば、何人かの被爆者、いや、もっと多いでしょう。何年かはその「いのち」を長らえて、戦後の変わった状況を知って亡くなっていくことができたと思います。残念なことです。私があえてこのようなことを言うのは、このときの被爆者放置政策の基本姿勢が、今日もなお被爆者に対する「原爆被害の過小評価」の姿勢に貫かれていると感じるからです。原爆の被害は大したことはない。また使われても仕方がないという核兵器容認の考え方につながるからです。これは人道的に許されぬ考え方です。「原爆被害を過小評価」する政策は直ちに転換してください。
 私は、その後もいろいろな疾病と健康障害にかかりました。しかし原爆は、更にきばをむいて襲いかかってきました。近年は晩発性放射能障害によって、平成8年と11年には皮膚がん、これは転移したわけでありませんので、別々に出ました。それから、平成12年には前立腺がんにかかりました。そして、今なお、治療を続けながら、被爆者の活動に参加しています。
 私の被爆体験は、何十万人も被爆した中のほんの一例にしかすぎません。私のように「キノコ雲」の下で直接被爆した者ばかりではありません。被爆した家族を捜したり、救援のために入市した人々も、残留放射能にさらされたり、放射能を帯びたちりやほこりを吸い込んだり、汚染された食べ物や水を摂取して、体の外からだけでなく、体の内部でも被曝しているのです。被爆後66年になる今もなお多くの被爆者が、私以上にもっとひどい被害を受けて苦しみと闘いながら「ふたたび自分たちのような被害を繰り返してはならない」と核兵器の廃絶を願い訴えて頑張っています。
 原爆の被害は、このように被爆者の「いのち、からだ」に対する被害だけではありません。「こころ、くらし」についても、被爆者は、苦渋に満ちた一生を背負い続けているのです。健康障害を抱えた上に家族を失い、家庭を崩壊されたためにその後の人生の立て直しを全く狂わされた人々、さまざまな社会的差別に苦しみ続けてきた人、被爆したために「結婚」や「出産」をあきらめた人、この後、木戸さんが少し触れられると思いますが、今になっても、そのことがやはり非常に大きな影響を与えています。そうした人は少なくありません。また被爆2世・3世で白血病やがんによる死亡についての情報も多く寄せられていますが、未解明のまま残されています。
 原爆は、このように被爆者に「人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許さぬ」被害を与え続けています。被爆者は一生、原爆被害を背負い続けていかなければなりせん。私もがんを抱えながら、こんなに元気そうに見えて、こんなに元気な声を出していますが、本当は不安でたまりません。そういう被爆者の一生です。本日お話しさせていただけただけでも実態の一部しかお話ししたことになりません。しかし、被爆者の66年の生き様が並々ならぬ残酷なものであるということは、少しはお伝えすることができたと思います。まだまだ言いたいことはたくさんあります。
 原爆被害について、この短い時間では話し尽くせません。どうか、もっと聞いていただきたいと思います。そして、原爆被害の実態に即した人間として血の通った施策について検討をしてくださることを期待して私の発言を終わります。
 どうもありがとうございました。
○森座長 どうもありがとうございました。大変おつらい思いをなさったことと思います。貴重な体験をお述べいただいて、ありがとうございました。
 それでは、次に木戸さんにお願いしてよろしゅうございますか。
○木戸参考人 私は5歳のとき、長崎で被爆しました。つい、この前の21日、71歳になりましたけれども、若い被爆者です。一人の被爆者として、委員の皆さんに、原爆が人間に何をもたらしたのかを直視し、原爆症認定制度の在り方について被爆者の立場、人間の立場から検討していただくことを願って、発言させていただきます。
 お手元に配りました資料1と資料2を見てください。資料1は、被爆2日前の長崎の爆心地一帯です。資料2は、被爆3日後の同地です。原子爆弾は一瞬に長崎の町を跡形もない廃墟に変えました。広島に次いで、だれもが経験したことのなかった恐るべき破壊、人類の滅亡を予知させる破壊でした。
 1945年8月9日、私は母と一緒に、爆心地から約2kmの旭町の路上にいました。突然、飛行機の音を聞きました。飛行機が飛び去った方向を見上げた瞬間、ぴかっと全身に光を浴び、どーんと衝撃を受け、20mぐらい飛ばされ、気を失いました。私を呼ぶ母の声で我に返った私は、母に抱かれて稲佐岳の中腹にある防空壕に逃れました。
 壕の中で地べたに横たわっていた私たちを見つけ出したのは、3番目の姉でした。真っ暗な壕の中で、マッチの明かりで見つけ出すことができたと言っています。そこには多くのけが人と一緒に、4番目の姉と私と母が横たわっていたのです。母の顔は見る影もなく、やけどでふくれ上がっていて、それを見た姉は、泣くまいと思っても涙の出るのを抑えることができませんでした。母の顔の様子は見た者にしかわからないような、想像もできないひどさでした。母は胸と両手もやけどしていました。私も左の顔半分と胸をやけどしていました。私のやけどは初め、大したことはないと思われていましたが、2日目ぐらいから化膿し始め、熱が40度近くに上がりました。脱毛、出血など、いわゆる初期症状も出ました。
 資料3と資料4を見てください。長崎の被爆地図と航空写真です。地図・写真のAが爆心地です。少し小さくて見づらいかもしれませんけれども、地図の真ん中辺りといいますか、青い線があるところのAが爆心地です。同心円の一番下のところのBが私の被爆地です。
 地図上の赤い線、Bから左に少し薄く出ているんですが、それがその日、先ほど申し上げました稲佐岳の方に逃れていった道筋です。そして、浦上川の右岸沿いにずっと真っすぐ赤い線がありますが、それが翌日、私たちの家族が避難のために通った道です。写真では浦上川沿いの細い道であります。母は全く身動きできず、戸板に乗せられていました。私はふらふらとして歩けず、裸で、かごで運ばれました。道すがら目に入ったのは、ごろごろ横たわる死体と水を求める人ばかりでした。姉は、救いを求める人々に「ごめんなさい、ごめんなさい」と心の中で詫びながら、ただ黙して歩くだけだったと申しております。
 地図上の青い線は、同じ10日、山端庸介さんが写真を撮りながら通った道です。写真では白く、くっきり写っている大きな道です。山端さんは多くの写真を残していますが、今日は5枚だけを見ていただきたいと思います。
 1は、地図上では2と書いているところです。地図上にちょうど黒い建物がずっと並んでいるところの青い線に2というものがあります。これは目覚町ですけれども、目覚町で身動きできずに横たわっている負傷者です。そして2は、地図上では3になるんですが、浦上駅のプラットホーム、大変有名な写真ですけれども、亡くなった母と子です。そして3は、地図上では5となっておりますが、爆風で吹き飛ばされた電車と乗客の死体です。そして4と5ですけれども、これがAのところです。地図上では6となっておりますが、爆心地近くですけれども、爆心地付近で焼死した少年と、死体が転がったままの爆心地付近です。この写真そのものではありませんが、私が避難する中で目にした光景そのものです。
 原爆が人間に何をもたらしたか。日本被団協の『原爆被害者の基本要求』から抜粋し、御紹介したいと思います。
 「原爆は、広島と長崎を一瞬にして死の街に変えました。
 赤く焼けただれてふくれあがった屍の山。眼球や内蔵のとび出した死体。黒焦げの満員電車。倒れた家の下敷きになり、生きながら焼かれた人々。髪を逆立て、ずるむけの皮膚をぶら下げた幽霊のような行列。人の世の出来事とは到底いえない無残な光景でした。
 わが子や親を助けることも、生死をさまよう人に水をやることもできませんでした。人間らしいことをしてやれなかったその口惜しさ、つらさは、生涯忘れることができません。
 いったんは死の淵から逃れた人も、また、家族さがしや救援にかけつけた人たちも、放射能に侵され、次々に髪が脱け、血をはいて、たおれていきました」。
 原爆が投下されたそのとき、父は片淵町にいました。金毘羅山の陰と家の中であったため、熱線は浴びていません。私は翌日避難した後、ほとんど長崎の町に入っていませんが、父は毎日爆心地を通って、避難した道の尾と旭町の間を行き来していました。原爆の影響、放射線の影響は私より父の方がひどかったと肌で感じています。父は被爆25年後、目じり、鼻、歯茎、爪の間から血がにじみ出る、当時、原因不明の病気で亡くなりました。長崎大学の求めで内臓は寄贈しています。多分、今も残っていると思います。この奇病が原爆に無関係であるとはどうしても考えられません。被爆者の放射線による健康被害は、初期放射線のみではなく、むしろ残留放射線、内部被曝の影響が大きいというのが私の実感です。
 被爆者のつらい思いは、日が経てば小さくなり、消えるものではなく、かえって大きくなるものです。
 1952年、アメリカの占領から解放された直後に『アサヒグラフ』が原爆特集号を出しました。「被爆者は必ず白血病で死ぬ」「被爆者は奇形児を生む」といううわさが広がりました。ショックでした。私が被爆者であることをはっきり意識したのは、このときでした。
私は1973年に結婚しました。長い間、被爆者であることを隠し続けた私も、そのころは、被爆者は結婚し、子どもを産まなければならないと思うようになっていました。それは人間が原爆に負けない一つのあかしと考えたからです。妻は被爆者問題に関する本を読み、私が被爆者であることを認め、結婚に踏み切ってくれました。しかし、妻の兄は「被爆者との結婚は許さない」と反対しました。式にも出席してくれませんでした。娘が五体満足で生まれたときはほっとしました。娘は幼児期、よく鼻血を出しました。それも大量にです。私が被爆したためではないかと気が気ではありませんでした。元気になった今でも、不安がなくなったわけではありません。娘は昨年、結婚することができました。ほっとしました。同時に、婚約が調った後、急に不安になりました。反対されないか、本当に無事結婚できるのかという不安がどんどん大きくなっていったのです。こんな不安にさらされるとは全く想像していませんでした。とにかく早く結婚式が済むようにと思うばかりでした。
 私の話を終えるに当たって、同じ日本被団協の事務局次長の児玉三智子さんの訴えをお伝えしたいと思います。「私は、広島、3.5kmで被爆しました。結婚のとき被爆者であるということで反対されました。私だけでなく娘の結婚も反対されました。差別や偏見に耐え、乗り越えて今日を迎えていますが、悩みは尽きません。戦後に生まれた弟は多発性骨髄腫で治らないと宣告されています。娘はつい先日、外耳のがんを手術したばかりです。13時間に及ぶ手術でした。子供ができたとき、産んでいいか迷いました。夫と相談して産みました。いま産んだためにこんな苦しみを与えていると、私を責めています。原爆が被爆者に与えた被害は何かまだ分かっていません。被爆者を通してしか解明されません。被爆者はモルモットです。科学的知見などとあげつらうのではなく、被爆者その人から学んでほしい。それが私の願いです」。
 原爆被害者の基本要求も述べていますが、被爆者の苦しみは「被爆者であること」それ自体です。委員の皆様が、原爆が人間に何をもたらしたかと真っすぐに向き合い、原爆症認定制度の在り方を検討されることを期待して、私の発言を終わります。
 ありがとうございました。
○森座長 どうもありがとうございました。周囲の一般社会の考え方、反応なども含めて、御自身の長崎での体験をお語りいただき、まことにありがとうございました。
 それでは、引き続いて伊藤さんにお願いしてよろしゅうございますか。どうぞ。
○伊藤参考人 御紹介いただきました伊藤です。私は被爆者ではありませんが、1970年から日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)で働き、1978年に社団法人日本被団協原爆被爆者中央相談所(被爆者中央相談所)の設立後は、全国的な被爆者の相談事業に携わってまいりました。
中央相談所では「被爆者相談110番」事業に寄せられた10万件を越える電話、手紙、来訪などでの相談に対応してきました。また、毎年全国8か所で開催された相談事業講習会では、医師や関係者と被爆者施策の活用などについて啓蒙・普及を図ってまいりました。その結果、全国的に被爆者対策の活用が進み、相談に対応できる被爆者相談員が養成されております。
 次に、原爆症認定と被爆者の思いについてお話ししたいと思います。
40年にわたる被爆者相談活動の中で大変つらかったことの一つは、原爆症の認定を求める被爆者の相談に十分に応えられないことでした。
原爆症認定を求める被爆者には、時代の流れの中で大きな変化はありましたが「国に、被爆してからの苦しみは原爆のせいだ、と認めてほしい」という一貫した思いがあります。身体が悪くて思うように働けない、怠け者と思われてつらいなどの原因が、自分の責任ではなく、さかのぼれば被爆したことにあることを国に認めてほしいということです。
被爆者健康手帳や各種の手当は、都道府県知事が交付または支給の認定をしております。被爆者対策で唯一、国(厚生労働大臣)が認定する原爆症認定制度に被爆者は強い思いを寄せることになるのです。
しかし、入市や直爆でも2kmを超えた被爆者の申請は却下され続けました。被爆者や関係者の中に、原爆症の認定は厳しくて、申請しても無駄とのあきらめがあったことも確かです。私自身も認定を希望する被爆者に「原爆症の認定申請は誰でもできますが、この被爆距離では多分却下されますよ」と答えていました。私自身がまるで認定申請を自己規制するための先導役をしていたのではないかという反省があります。
認定申請の却下処分に対して異議申立てを援助し、これも棄却され、裁判を提訴するかを検討したとき「裁判をしたい気持はあるが、プライバシーが明らかになるから困る」「国を相手に裁判なんてできない」などとあきらめざるを得なかった多くの例があります。
その中の一人に、4歳のときに広島で被爆し、足のケロイドに皮膚がんが発症したために認定申請をした女性がいます。皮膚がんのほかに体がだるい、疲れやすいなど主婦として十分なことができないことで悩んでいました。そんなこともあったのか、夫は家に帰らなくなり、皮膚がんの手術で入院しているときに離婚届が出されていました。子ども2人は彼女が引き取りました。2.4kmで被爆した彼女には「皮膚がんになったのは自分の責任ではない、絶対原爆によるもの」という確信があります。せめて、それを国に認めてほしいと願ったのですが、被爆距離の壁の前にあきらめざるを得ませんでした。
これは一つの例に過ぎませんが、こうして被爆者は原爆症認定申請を自己規制することになっていったのだと思います。
次に、原爆症認定制度の経過についてお話ししたいと思います。
原爆症認定制度は、1957年の「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(原爆医療法)」制定によって、原爆症と認定された疾病に対し、国の負担で医療を給付する制度としてスタートしました。この当時は、がんのほか、現在では全く認定されない熱傷瘢痕、いわゆるケロイドや、ガラス片などの体内異物混入による「負傷」や、慢性肝機能障害が多く認定されていました。
1960年に「一般被爆者」「特別被爆者」という制度が設けられ「特別被爆者」に一般疾病医療費が支給されることになり、健康保険による自己負担が被爆者健康手帳によって負担されることになりました。同時に入通院をする認定被爆者に医療手当が支給されることになります。
更に、1968年に「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(原爆特別措置法)」が制定され、認定被爆者に月額1万円の特別手当が支給され、疾病や所得、年齢などの制限はありましたが、そのほかの被爆者に3,000円の健康管理手当が支給されることになりました。当時、生計の中心でありながら病気がちで働けないといった被爆者にとって、特別手当、医療手当は大きな救いであり、原爆症認定申請者が増加しました。1965年、1966年、1967年と100人未満であった申請者が、1968年には399人となっています。
1974年に一般被爆者、特別被爆者の区分が廃止され、被爆者健康手帳所持者全員に一般疾病医療費が支給されることになりました。そして、原爆症認定制度が「医療給付」という目的から経済的救済の側面を強くしていくことになりました。
1981年に所得制限のない医療特別手当が創設され、日本被団協との交渉の席で「せめて高卒初任給程度に」という要求に対し、当時の厚生省の局長は「努力したい」と答弁しました。医療給付から始まった原爆症認定制度は、被爆者の経済的な救済へと性格を変えていきました。
お配りしています資料の中の「原爆症認定申請件数と認定状況」という一覧表を見ていただきたいのですが、認定申請が増えても年度末の認定被爆者の数はほとんど変化がありませんでした。また、被爆者健康手帳所持者の中での原爆症認定被爆者は1%未満でありました。被爆者は、この数字を見て、厚生労働省は「最新の科学的知見に基づいて放射線起因性を判断していると言うが、実際の認定は予算の範囲内で行われているのではないか」と、原爆症の認定審査に疑間を持ち始めます。そうでなければ、こんなにそろった数字が出るわけがありません。
2000年7月に、長崎の松谷訴訟の最高裁判決が確定しました。松谷さんの認定疾病は「右半身不全片麻痺及び頭部外傷」です。多くの被爆者が、今後、原爆症の認定は松谷さんの被爆距離である2.45kmまでは拡大されるだろうと期待しました。
2001年5月に、原爆症認定基準としては初めて「原爆症認定に関する審査の方針」が公表されました。それまで「認定基準は委員の頭の中にある」と言われていました。しかし、公表された「審査の方針」は、松谷さんさえも認定されない厳しいものでした。
そこで「原爆症認定申請を自己規制することはやめよう」「自分の病気は原爆のせいと思う人は原爆症認定申請をしよう」として取り組まれたのが、2003年から始まった原爆症認定集団訴訟でした。
集団訴訟の結果、明らかになったことの一つが、原爆被害についてまだまだ未解明なことが多いということです。放射線影響研究所の大久保利晃理事長が中国新聞のインタビューに「原爆放射線による晩発影響で、わかっているのは5%程度かもしれない」と答えておられることとも一致いたします。
被爆者対策は被爆12年後に始まったわけですけれども、今年で54年になります。原爆医療法、原爆特別措置法の制定、それを一本化した現行の「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の制定までの経過を見ると、被爆者の長年にわたる要求によって改正を重ねたことは明らかです。被爆者は、原爆被害に対する国家補償の被爆者援護法を求めて日本被団協結成以来粘り強く運動を続けてきました。法律の制定・改正の経過を見ると、被爆者の国家補償要求から逃れるためのものだったように思えます。その結果、現行の被爆者対策は積み木細工のような継ぎはぎだらけの施策になっており、多くの矛盾と問題を含むことになっています。今回の原爆症認定制度の在り方を検討するに当たっては、更にその矛盾と問題を広げるべきではありません。
その矛盾の一つが、原爆症の認定疾病と健康管理手当の対象疾病の多くが重なっていることです。例えば、同じ悪性腫瘍であっても3.6kmでは原爆症と認定されず健康管理手当となり、3.5km以内であれば原爆症と認定され医療特別手当が支給されることになります。認定と不認定を分けるのは放射線起因性と要医療性とされていますが、それを被爆距離、入市日だけで判断するのは余りにも機械的で、被爆者は納得できないのです。未解明なことの多い原爆被害だからこそ、その実態を総合的に判断すべきです。
また現在、原爆症認定疾病が治癒した場合、医療特別手当から特別手当に切り替えることになっていますが、これはあくまでも一度原爆症と認定を受けた場合に限られます。現在の「新しい審査の方針」によると、3.5km以内で被爆した場合、現に要医療性のある悪性腫瘍であれば認定されて医療特別手当が支給されます。そして、将来治癒した場合には特別手当に切り替えられます。しかし、旧「審査の方針」の時代には、たとえ2kmの悪性腫瘍でも認定されませんでした。多くの被爆者が、却下されたままあきらめてしまいました。そして現在、疾病が既に治癒していれば認定申請をしても原爆症とは認定されず、特別手当は支給されません。不公平だとの声が上がっています。
更に、原爆症認定に当たって、国は一貫して放射性降下物からの残留放射線による人体への影響を考慮していません。原爆症認定集団訴訟では残留放射線による被害を含めて原爆被害を総合的に判断するべきであるとして、原告の27連勝につながっているのです。
長年の被爆者相談の経験から、私個人の意見ですが、あるべき「認定」制度について申し上げたいと思います。
被爆から65年が経過し、原爆症認定に当たっては、原爆被害がいまだ未解明なことに加え、時間の経過による放射線起因性を立証する困難さがあります。平均年齢が76歳を超えて、高齢化した被爆者の公平な援護を図るという立場から、被爆者の疾病には何らかの形で放射線が関与していると見るべきです。
そこで、1医療特別手当、特別手当、保健手当は廃止する。
2健康管理手当の疾病制限を廃止してすべての被爆者に支給する。手当名は、健康管理手当には特にこだわることはないと思います。
3政令で「認定疾病・障害」を定め、全員に支給される手当に、重篤度に応じた加算を行う。加算される手当の上限は、現行の医療特別手当額とするという制度に改正するのが、実態に即し、公平な援護制度になると思います。是非御検討ください。無論、原爆症認定制度の在り方を検討するに当たっては、現行法10条、11条に関わっての法改正も検討されるべきであることは当然のことと思います。
最後に「私は原爆症だ」と訴える被爆者を紹介したいと思います。
愛媛県松山市に住む廣田閲子さんは、3歳7か月のときに、広島の爆心地から600mの鷹匠町で被爆しました。背中、腹部、両手両足にやけどを負いました。まさに奇跡的に助かったと言っても過言ではありません。
被爆後は身体中からうみが出て、そこにウジ虫が入り込み、高熱と下痢、下血が続き、食べ物はほとんど摂れませんでした。髪の毛がぱらぱらと抜け落ちて丸坊主になりました。1945年暮れに松山に戻って寝込んでいる廣田さんを見た親戚縁者全員が「この子はもたない」と思ったそうです。後年には「あんたが生き延びると思ったものは誰もいなかった」と言われたようです。小学校に入学するころには赤い毛がぽちぽち生えてきましたが、机に向かってしっかり座ることができないほどのつらさを覚え、いつも机にうつぶせて授業を受けていたといいます。
9歳のときにリウマチ、17歳のときに狭心症と肝臓病の診断を受けました。49歳で網膜剥離、59歳で甲状腺に水泡があると言われます。この間にもさまざまな症状で、入院回数は数え切れないといいます。廣田さんは今も、全身多発性関節リウマチ、甲状腺腫、副甲状腺水泡、狭心症、慢性胃炎、逆流性食道炎、うつ病、肝障害などの治療のため、6か所の医療機関に通院しています。
廣田さんは、2007年11月に副甲状腺機能亢進症と甲状腺腫瘍で原爆症認定申請を行いました。しかし、2010年2月に却下処分を受けます。副甲状腺機能亢進症は、申請されたデータでは疾病の有無を判断できない、甲状腺腫瘍については放射線起因性がないというのが却下理由です。
彼女は、普通の人が言う健康を知らない人生だったと言っています。今、彼女を苦しめているのは主にリウマチです。しかし、認定の対象疾病ではありません。
廣田さんは、被爆してからさまざまな病気と闘いながら懸命に生きてきました。「私は誰も恨まないように生きてきました。しかしどうして私が原爆症と認定されないのですか。国を恨みたくなります」と廣田さんは言います。廣田さんのような人が救済される認定制度が求められていると思います。
以上で私の意見を終わりたいと思います。
○森座長 どうもありがとうございました。原爆症認定制度の今日までの経過と申しますか、歴史について大変有益なお話を伺いました。たいへんありがとうございました。
 さて、それでは3名の講師の方々の御協力によって、まだ若干の時間が残されておりますので、委員の方々、何か御質問でもございませんでしょうか。どうぞ、どんなことでも御遠慮なくご発言をお願いいたします。
 よろしゅうございますか。
 どうぞ。
○高橋滋委員 伊藤様に少しお教えいただきたいんですが、非常に貴重な御提言をいただきまして、ありがとうございました。
 4ページなんですが「現行法10条、11条に関わっての法改正も検討されるべきである」という御主張をされているんですけれども、これは少し具体的な内容を、どういう御意見をお考えになっているのかをお教えいただきたいと思います。よろしくお願いします。
○伊藤参考人 まず、法律の10条は医療の給付をする対象を定めるということで、原子爆弾の放射線の影響を受けているために現に医療を要する状態にある人のために認定するという、この10条、11条の関係が非常に法律の読み方としては非常に難しいと私などは思うんですけれども、ここで言っているのは、要するに放射線に起因するものである者を認定するということなんです。そこを放射線という形で本当に限定していけるのかどうかということが今の実態から見て明確ではないと思います。
 それで、被爆者健康手帳が交付されているということは、何らかの形で放射線の影響を受けているということを否定できないという現状がありますので、ここで改めて放射線の起因性とか要医療性とかを言う必要はないのではないかと考えて、こういうふうに指摘をしているということです。
○高橋滋委員 どうもありがとうございました。
○森座長 よろしゅうございますか。
○高橋滋委員 はい。
○森座長 ほかにいかがでしょうか。よろしゅうございますか。
 それぞれに内容は豊富、極めて充実したお話でありましたが、言葉としてはわかりやすい言葉を使ってくださいましたので、委員の方々も御趣旨はよく理解されたものと思います。もしなんでしたら、ここには被爆者と関連が深い、あるいは御本人とも申すべき委員もいらっしゃいますので、田中さん、あるいは坪井さん、もし何かコメントされるのでしたら、どうぞ追加なさってください。ただ、余り長くない方がいいですね。
○坪井委員 とにかく、広島・長崎の被爆者の発言がありました。これは今、私も含めてですが、生き残っていて初めて言えることなんです。その途中で被爆者の思いというものは、それはもう筆舌に尽くし難い問題があったと思うんです。それらが理解されなければイギリスのBBCのようなことになるわけです。徹底的に我々は訴えて、やはり原爆とはかくなるものであるということを徹底しなければいけません。
 それはBBCも、私もイギリスへ出ましたけれども、いいところはあるわけです。しかし最近、茶化したようなものもやったわけです。ですから油断をしておると、我々の中ではわかっていても、わかっていないことがたくさんあるわけですから、それは追いかけでやらなくてはいけないと私は思っております。
 委員の方々はもう十分わかっていただいたと思うんですが、ひとつ今後もよろしくお願いしたいと思います。
○森座長 どうもありがとうございました。
 田中委員はいかがでしょうか。
○田中委員 特別にはございませんけれども、お二人の被爆者が表現しましたことは、お二人とも申し上げておりましたが、本当にごく一部の体験・実態であります。ですから是非、お二人も強調しておりましたけれども、想像をたくましくしていただいて、原爆被害はどういうものであったかということを踏まえながら一緒に御検討させていけばと思います。
○森座長 ありがとうございました。
 それでは、改めて、岩佐さん、木戸さん、伊藤さん、3名の方々、どうもありがとうございました。
 ではここで前半に一つの区切りを付けて、後半は社会保障に関する研究者の方からお話を伺いたいと思います。植村先生、どうぞよろしくお願いいたします。
○植村参考人 早稲田大学人間科学部の植村と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 私は専門分野といいますか、社会保障政策につきまして、その背景となる人々の意識とか理念とか、あるいは社会経済的な状況が実際の政策にどのように関わってくるのかということについて、主には理論的な研究をしております。そのような研究を行うに際しましては、現在の施策の理念的な整理とか、あるいはその位置づけの整理とかが不可欠でございますので、そうした観点から社会保障と、それから原爆被爆者援護施策との位置づけについて報告せよという御趣旨であろうと、私、勝手に認識をいたしておりまして、そのような形で報告させていただきたいと思います。
 先ほど来、生々しい体験のお話がございましたけれども、私の方の御報告は非常に理念的な報告になってしまうということで御理解いただければと思います。ただ、原爆被爆者対策そのものにつきましては私の専門分野ではございませんで、過去に、若いときに若干携わった経験があるという程度でございますので、被爆者対策の細かい内容につきまして、そこまで踏み込むということはできませんので、基本的な整理ということで御理解いただきたいと思います。
 言い訳が長くなってしまいましたけれども、資料に基づきまして御説明申し上げたいと思いますが、資料の最初のところに「はじめに-本報告の視点」がございますけれども、2つの内容について御報告申し上げたいと思っております。
 まず1つが、社会保障制度から見て、被爆者援護施策はどのように位置づけられるか。これがメインの話でございまして、かなり理念的なお話になってしまうかと思います。
 それで、もう少し具体的にといいますか、ブレークダウンをいたしまして、実際の給付と社会保障の給付との関係から、その考え方を見ていくというのが2番目の視点でございます。
 最初に「I 社会保障と国家補償」という項目がございますけれども、社会保障とは何であるのかということからまず整理させていただきたいと思います。
 「1 社会保障とは?」ということで、その資料に書いてございますが「生涯のうちに遭遇する、あるいは遭遇する可能性のある、さまざまな生活上の危機や困難を回避、あるいは軽減するために用意された制度」。これは私自身が著書などで書いております定義で、余り権威のあるというものではございませんけれども、言い回しはともかく、基本的な社会保障の認識として、各教科書等でも流れとしては同じような方向で定義されているのではないかと思います。ここで言っております「生活上の危機や困難」は、社会生活を営む上でだれにも発生し得る困難・危機でありまして、それまでの生活を維持していくことが非常に難しくなるような出来事ということで、例えば病気になったとか高齢になって働けなくなるとか、あるいは失業するとか介護を必要とするとか、そういったことでございます。
 それで、この危機を回避したり軽減したりする仕組みでありますが、どのようにして回避したり軽減したりするのかといいますと、基本的には集団でリスクを分散するという方法を取っている。それで、当たり前のことでございますけれども、個人で遭遇する可能性のある危機に備えようとすれば、それは大変な準備が必要になってくるわけでありますが、多人数が集まって、そのリスクを分散すれば、例えば100人に1人がかかるような大きな病気に備えるとすれば、一人ひとりが100分の1ずつ準備をしておけばいいということになるわけでございまして、結果としては、だれかに危機が発生すれば、その危機が発生しなかった人の分を合わせてその危機に対応するという形で危機を回避したり軽減したりする仕組みというふうに言うことができるかと思います。
 そういう意味で、基本的には保険の考え方が入っておりまして、その危機の内容が定型的であって、あるいは発生確率が事前に予測できるような場合には「保険」の手法を用いるということで、いわゆる社会保険という仕組みがこれに当たるわけでございます。
 ただ、内容によっては、その確率を事前に予測することが難しい場合とか、あるいは危機を回避したり軽減したりする方法を定型的な形で事前に定めておくということが難しい場合がございます。そのような場合は危機が発生した後、事後的に生活困難を軽減するという、そのためのサービスや現金の給付を制度として用意しておく。そういうものもございます。そして、事後的に対応する仕組み。これを社会扶助と言っておりますけれども、一般的な社会福祉とか生活保護とかといったものがそれに当たるわけでございます。
 それで社会保障という概念は、この社会保険と社会扶助が一体化したという認識の下に1つの概念でとらえられるようになってきたということで社会保障という概念が生まれたと言われております。勿論、厳密に権利義務関係とかそういうものを見ていきますと、保険の場合と社会扶助の場合とは異なっているわけでございますけれども、ただ、その基本的な目的や考え方については、お互いが近づいてきて一体とみなされるようになってきた。
 もともと社会保険というものは、同じ職場とか村のような小さな地域とか、そういったところで非常に似通った生活をしている同質的な集団がお互いの相互扶助というような形で始まったものでございます。その相互扶助の考え方を日本語では連帯という言い方をしておりまして、ヨーロッパなどではsolidarityという言葉が使われているわけでございますけれども、この連帯というものが職場とか地域とか、小さなグループでの連帯というところから、だんだん社会連帯とか国民連帯と言われるような、大きな社会全体をカバーするというようなものに広がっていって、その集団の中で拠出して行う保険の仕組みと、それから国全体の、国民全体の拠出である税金を用いて行う仕組みが、考え方が近づいてきて、一つの社会保障という概念が生まれたということでございます。
 したがいまして、国が税金を財源として給付を行うという制度でありましても、それはある意味、国全体を、あるいは国民全体を対象としたリスク分散の仕組みというようなものでございまして、国にリスクが発生した責任があるから給付を行うとか、そういったものではなくて、国民対国というような関係ではなくて、国はその制度を管理運営するような立場として存在しているというふうに見ることができるかと思います。
 ただ、社会保障はそういった、言わば集団による相互扶助といった考え方で成り立っているものでございますので、給付とか対象とかそういったものに行って、おのずとその性格から制限が生じるわけでございます。
 まず、集団の連帯というものを基盤としておりますので、その集団に属していない者は当然ながら給付の対象とはならないわけです。社会保険の場合は、被保険者とか扶養されている家族とかそういった形で、その保険集団に属している者だけが対象になるということでございますが、日本の場合は皆保険とか皆年金という仕組みになっておりますので、どこかの保険集団に属して、その保険の対象になっているはずであるということであります。
 それで、集団の範囲が地域全体とか国全体とか、そういう形で広がっていった、いわゆる社会扶助のような場合でありましても、その地域社会や、あるいは社会全体の構成員という立場でないと給付の対象にはならないということで、そういう意味で国籍要件とか居住要件とか、そういったものが付いてくることになっております。
 ただ、現在、難民条約を批准いたしました関係で国籍要件はほとんど撤廃されておりますが、居住の要件というものは存在しているわけで、海外から一時的に旅行に来ている方とか、ましてや海外に住んでいる外国籍の方とか、そういった方は、対象にはならないということになっております。
 また、そもそもの目的が危機の回避とか軽減でありますので、給付を受けるとしても、それに必要な範囲に当然限定されるということで、病気になった場合には治療のための医療費とか、休んでいる間の所得の保障とか、そういったものはありますけれども、病気になったお陰でお金持になってしまったとか、そういったことはないということであります。
 また、場合によりましては危機が発生した人と発生しなかった人、結果としては拠出をするだけになってしまった人とのバランスの問題、あるいは給付の、濫用の防止といいますか、適切な範囲に抑えるという目的のために、対象者に所得制限が課せられたり、そこに書いてございませんけれども、費用の一部あるいは全部を徴収するということがございましたり、あるいはサービスを利用する場合に、全額給付されるのではなくて、一部自己負担が存在するというようなことがございます。これはどのような場合にそういうものがあるのかといいますと、それは危機の性格とか負担能力をどのように判断するかによって、制度によって異なっているわけでございます。
また、社会生活上、だれにでも訪れ得るリスク、これを社会的リスクという言葉を使っておりますけれども、これを軽減したり回避したりするということが目的でありますので、その危機といいますか、生活困難に陥った原因として特定の責任者が存在するというような場合には、それはその責任者が補償する。いわゆるcompensationという意味の補償でございますけれども、これを行うということか原則でありますので、通常、社会保障の対象とはならないというわけでございます。例えば、交通事故でけがをして医療費がかかったというような場合には、その費用は交通事故を起こした責任者が負担するものであって、社会保障で負担するということにはなっていないわけでございます。
 極めて大ざっぱに、ざっとということでございますけれども、社会保障の考え方と性格を整理させていただいたわけでございますが、社会保障と対比される概念として国家補償というものがございます。資料の3番の後に入っておるわけでございますけれども、原子爆弾被爆者援護施策というものは広い意味のという形容詞が付きましたり、あるいは国家補償の見地に立ってというような言葉で説明されることがございますけれども、ざっとでございますが、今まで御説明いたしました社会保障の性格と国家補償の違いを見ていく中で、被爆者援護施策と社会保障の違いを少し考えてみたいということで整理させていただいたものでございます。
 今、お話し申し上げましたように、社会保障というものは基本的に集団を構成する構成員の拠出でもってリスクを分散するという仕組みでございます。ですから税金を財源としておりまして、国民あるいは国全体の中で居住している方全員を対象とするというものでありましても、先ほど申し上げましたように、国が生活困難の原因について何らかの責任があってこうした給付を行っているというわけではないわけでございますが、これに対して国家補償と言われるものは、一般に国に被害発生についての責任がある、あるいは直接責任がない場合でも、その被害を補てんすることについて何らかの責任があるということで行われるものでございます。
 典型的なものが国家賠償と言われます、国に違法な行為、国が直接行為をするというよりは、実際に行為を行うのは公務員でありますけれども、公務員が公務を行うに当たって違法な故意とか過失があり、それによって被害を生じさせたというような場合が典型的な国家補償の場合でございます。
 このような場合は、社会保障のように集団構成員の相互扶助というものではございませんので、国が原因者としての責任において被害を補てんするということでありますので、先ほど申し上げた、集団の構成員であるかどうかとか、所得制限があるかどうかとか、あるいは一部負担とか、そういったものはございませんし、また直接の被害だけではなくて、精神的な被害と申しますか、慰謝のような意味での被害をも補てんするということがあるわけでございます。
 それでは、国家補償というものはどういうものがあるのかでございますが、2ページ目の方で、一般的な国家補償といいますか、典型的なものとして国家補償と言われているものは、そこに書いてございます2つの類型がございます。国家補償という言葉は非常に多義的に使われておりますので、これ以外にも使われることがあるということで、その後に(3)(4)が書いてございます。
 まず一般的に国家補償と言われているものとしては、先ほど申しました国家賠償がございます。これは先ほど申し上げましたように、公務員の公務を行うに際しての違法行為によって被害が発生した場合で、その被害を賠償するものでございます。
 それから損失補償がございますが、これは憲法第29条第3項で「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」という規定がございまして、これに基づいて、公益のために財産等を犠牲にする、その場合にそれを補償するというものでございます。土地収用などの場合でございますが、これは国の行為としては違法な行為ではないわけでございますけれども、公益のための損失ということで、公益の代表者として国が補償を行うというものでございます。
 これらについていろんな議論がございますが、ここでの話題ではありませんで、この程度にさせていただきたいと思いますが、一般的にと申しますか、国家補償ということで、恐らく大学等の授業で習うのはこの辺ではないか。少なくとも、私の経験ではその辺りまでしか教えていただいていないということでございますが、このほかに国家補償という言葉が使われるものとして、そこにございますような(3)(4)というようなものがございます。これはいわゆる典型的な国家補償といいますか、一般的な補償といいますか、そういうものではないわけでございますけれども、国家補償という言葉が使われるということで、この中で整理させていただいたものでございます。
 「(3)使用者責任に基づく国家補償」で、これは公務員あるいはそれに準ずる者のように、国と一定の使用関係がある者が、公務といいますか、国との使用関係の中で事故などに遭って被害を受けた場合、使用者としての国の責任でその補償を行うというものでございます。これは今日の制度では公務災害補償制度がございまして、これは民間のいわゆる労災制度の公務員版ということで、一般的にといいますか、今日の制度としては社会保障の中での公務員に対する特別制度という位置づけになっておりまして、そういう意味で平時のといいますか、今日の制度としては社会保障の一形態と考えるのが普通ではないかと思います。
ただ、特に戦争被害に関しまして、一般の戦争被害者とは異なる給付、あるいは一般の社会保障とは異なる給付が使用関係にある者に限定して行われているということで、集団内部での相互扶助というような社会保障の性格とは異なるということから国家補償という言葉が使われるということがございます。ただ、戦争被害に関しましては後で触れさせていただきますが、国の一般的な戦争被害補償責任はないとされていることから、そういう意味では社会保障でもない、あるいは(1)とか(2)のような国家賠償とか国家補償ではないという類型として「使用者責任に基づく国家補償」という説明がなされているところでございます。
 4つ目の類型として、結果責任に基づく国家補償とか、あるいは広い意味における国家補償の見地とか、そういった言葉が使われるものがございます。これが原子爆弾被爆者援護施策に当たるといいますか、被爆者援護施策の理論的な位置づけという形で考えられたといいますか、類型的なものとしてつくられている概念というふうに言ってよいかと思います。
 それで、結果責任とは何かとか、広い意味とはどういうことかにつきましては、次の「II 被爆者援護施策の趣旨」で整理させていただきたいと思います。
 次のところでございますが、被爆者援護施策がどのような理念とか法理論的な根拠に基づいて実施されているのかにつきましては、被爆者援護の内容を定めております「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」、いわゆる被爆者援護法の前文の中で整理されているわけで、そこに書いてあるとおりでございます。
一応読み上げますと「国の責任において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を明記するため、この法律を制定する」と書かれてございまして、正直申し上げて非常にわかりにくい文章でありまして、もし、これが学生の論文でありましたら赤字を入れて添削するところでございますけれども、これは恐らく政治的なさまざまな調整の中でできてきたものであろうと思いますので、あえてモザイク的な感じになってございます。
 ただ、日本語的に言いますと、冒頭の「国の責任において」という言葉がどこに係るのかといいますと、大分後にあります「総合的な援護施策を講じ」に係っているわけで、ここでは施策の実施者としての国の責任を言っているだけで、原因者としての責任には全く触れていないわけでございます。そのような意味で、先ほど申し上げた国家賠償のような意味での国家補償、原因者責任による国家補償とは異なっているものというふうに理解することができます。また政府の説明では、従来からの被爆者援護施策の基本的理念は、この被爆者援護法の制定によっても変わっていないというふうに説明されていると承知しております。
 それでは、従来の被爆者援護施策の理念はどういうものであるのかといいますと、それがその後にございます昭和55年の原爆被爆者対策基本問題懇談会、いわゆる基本懇の意見報告に見られる考え方でございます。これも資料にあるとおりでございます。
長いので読み上げませんけれども、キーワードだけを拾いますと「特別の犠牲」とか「広い意味における国家補償の見地」、あるいは「被害の実態に即応する適当妥当な措置対策」というふうな言葉が使われておりまして、この国家補償の見地に立って考えるということについては、その次のところに説明がございまして、原爆被爆者が受けた放射線による健康被害を「特別の犠牲」ととらえ「その原因行為の違法性、故意、過失の有無等にかかわりなく、結果責任(危険責任といってもよい)として、戦争被害に相応する『相当の補償』を認めるべきだという趣旨である」という説明がなされております。
この報告書を読みます限りでは、原子爆弾被爆者が受けた放射線による健康被害が他の戦争被害とも異なりますし、あるいは社会保障が対象としております、だれにでも遭遇し得るような社会的なリスクでもないわけで、それを「特別な犠牲」であると位置づけているわけでございます。他の戦争被害と異なるという点では、放射線による健康被害については、いつ、どんな形で急激に悪化するということがあるかもしれませんし、そのメカニズムについても完全に解明されているというわけではありませんので、常に被爆者が不安を抱えて生活していかなければいけない。そういう意味では1回限りの被害ではなくて、生涯続く被害であるということが「特別の犠牲」あるいは「特別な被害」というふうに位置づけられているものと理解することができます。
 ただ、先ほど来、申し上げておりますように、原子爆弾による放射線被曝というものは、結果として生じた健康被害が特別なものであるということで、そういう意味で結果責任ということを言っておるわけでございますが、他の戦争被害と同様に、原因そのものについて国に責任があるということを認めているわけではないということでございます。そういう点から見ますと、一般的に使われている国家賠償のような意味での国家補償とは性格が異なっているということで、結果責任に基づく国家補償とか、広い意味の国家補償の見地とかというような言葉が使われていると理解することができるかと思います。
 なお、一般の戦争被害につきましては(参考)というところが最後のページにございますけれども、国の戦争被害の補償責任については、これを否定する見解が最高裁の判例として定着しているというふうに考えてよいかと思っております。
 その論拠としては、さきの大戦というものは国の存亡に関わるような非常事態でありまして、言わば運命共同体としての国民がすべて、多かれ少なかれ、その生命・身体・財産の被害を受けているということで、これを国が補償するということは、結局は被害を受けた人の負担で補償するということになってしまうということで、こうした非常事態における犠牲については国民が等しく受忍しなければならない。そういうものであるというふうに言うほかはなくて、その補償を行う責任が国にあるということは憲法上も全く想定されていないというほかはないというのが昭和43年11月27日の在外財産補償に関する裁判における最高裁判決の考え方で、その後、生命とか身体の犠牲につきましても、名古屋空襲の訴訟判決、あるいはシベリア強制抑留の判決などでも最高裁の判決として踏襲されておりまして、判例としては定着していると言ってよいのかと思います。
 また、我が国の政策といたしましては、戦災孤児の対策を契機として児童福祉法がつくられ、また傷痍軍人などの対策を契機として身体障害者福祉法がつくられたように、戦争被害とその他の原因による生活困難を区別せずに、その実態に応じて一般社会保障の中で対応するという考え方の下に社会保障制度が構築されてきたということでございまして、そういう意味では政策的にもこの考え方は定着していると言ってよいかと思います。
 基本懇のところにもう一度戻っていただきますと、被爆者援護というものは、今、申し上げましたように、放射線による健康被害に着目した対策でございますので、国家賠償のように、責任に応じた対応ではなくて、結果、つまり実態に応じた対応が求められるということで、そのことから、そこにありますように、被爆者といっても被害の程度には差があるということで、対策の必要性もそれぞれの被爆者に対して異なっているのではないか。したがって、画一に流れるということを避けて、必要性を確かめて、実態に応じた対策を実施するというふうな意味になっているということでございます。
 被爆者援護は、このように原因をつくった責任者が補償するというものではなくて、実態に応じた対策ということに位置づけられていることから、一般社会保障給付が排除されないと申しますか、一般社会保障給付が対象とする生活困難に加えて、放射線による健康障害という特別な被害、特別な状態に対して、一般の社会保障給付に言わば上乗せをして給付するという性格のものになっております。
 ただ、社会保障のように集団でリスクを分散するというものではございませんので、集団の構成員であるということが給付の要件とはならないということで、国籍要件とか居住要件はないということでございます。
 もう少し具体的に、社会保障給付と被爆者援護施策の関係について触れさせていただきたいと思います。
まず、所得保障の分野でございます。被爆者の多くが高齢者になっておられるということで、高齢期の所得補償について見ますと、一般的な高齢期の稼得能力喪失リスクに対しては、老齢年金が支給されます。国民皆年金で、共通した老齢基礎年金が支給されるわけでございますが、この受給権者は現在約2,600万人で、その金額は月額平均で5万8,000円と、細かくなりますが、繰上げ支給とか繰下げ支給とかがございますので、そういうものを除いた金額でございます。
それで、社会保険方式でございますので、現役の期間は保険料を払わなければならないということでございます。これも第3号とか例外がございますが、それは除きまして、基本的に保険料を払ってきた期間が40年が最長で、これがいわゆるモデル年金と言われるものの根拠になっておりますけれども、このモデル年金でいきますと6万6,000円ぐらいの金額でございますが、実際にはすべての期間を払っているという人ばかりではないということで、平均では5万8,000円という状況でございます。
 民間のサラリーマンにつきましては、これに加えて老齢厚生年金が支給されます。また、公務員等には共済年金が支給されるということでございますが、これらは所得比例の年金となっておりまして、基礎年金に加えて所得比例年金が支給されるということで、いわゆる2階建ての年金制度と言われております。
 厚生年金について見ますと、受給権者が約1,260万人で、平均受給額が月額、基礎年金も含めて16万7,000円というぐらいの金額でございます。
 被爆者の方々につきましても、先ほど来、申し上げておりますように、一般の社会保障制度の対象となっておりまして、当然ですが、これらの公的年金を受給することができます。
それで、被爆者の方々に限定して公的年金を幾らもらっているかという資料は恐らくないと思うのですけれども、何らかの公的年金・恩給を受給されている方が87.4%いらっしゃるというデータがありますので、多くの方が公的年金を受給されているということは言えるのではないかと思います。
 いわゆる所得保障、手当の類といたしましては、被爆者の方々には年金に加えて、健康上の観点から手当が支給されるということになっておりまして、代表的なものとして健康管理手当と医療特別手当がございます。
これは原爆放射線に直接起因した疾病であるのか、あるいは関連性を完全に否定できないけれども、直接起因しているとまでは言えない疾病であるのだという、その違いでございまして、後者の場合に健康管理手当が支給されるということで、月額3万3,800円の金額で、被爆者の方の86%ぐらいの方が受給しているというふうに承知しております。なお、この金額が妥当かどうかについては私の論評するところではございませんが、趣旨としては日常的に健康上の注意を払う必要があり、そのために必要な出資に充てるという説明がなされております。
 一方、医療特別手当につきましては、放射線に直接起因する疾病、いわゆる原爆症と言われるものでございますが、これにかかっている方の入通院費あるいは栄養補給等の特別の支出を補うとともに、精神を慰安し、医療効果の向上を図ることにより、生活の安定に資するための経費という説明がなされておりますが、そのための経費として月額13万7,430円が現在支給されているところでございます。
 次の4ページにまいりますけれども、受給者の方は6,400人程度ということで、健康管理手当受給者の方からしますと3%強というような人数でございます。
 次に「2 医療制度」で、医療につきましても国民皆保険となっておりまして、原則としてすべての方が被保険者、あるいは被扶養者・家族として、何らかの保険制度に属しております。
ただ、医療保険制度には原則自己負担がございます。単純化して言いますと、75歳以上の方は1割、70~74歳の方は2割、69歳以下の方は3割で、その他、義務教育就学前の子どもについては2割というような割合の自己負担がございます。ただ、これも所得によって異なっておりますし、経過措置があったりしますが、それらは無視しまして、原則を言いますと、こういう形の自己負担が必要になってくるということでございます。
 また、健康診断等は医療そのものではありませんので、直接の医療保険の給付には含まれません。ただ、保険者の事業として、健康診断を行うことによって保険給付、支出を抑制するという観点から実施されているところもございます。
 それから、被爆者の方々がある特定の1か月に受療されている内容、これは実態調査からの引用でございますが、このような状況になっているということで、医療を受けられている方が非常に多いということがわかるかと思います。
 放射線による健康被害に着目した被爆者に対する援護といたしましては、一般的な医療保険の給付に加えて、健康管理を行うとか、あるいは負担を軽減して医療を受けやすくする。そういう施策が行われておりまして、健康診断として無料の健康診断を年2回、希望される方には更に年2回、うち1回はがん検診ということで健康診断を実施されているところでございます。
 また、医療を受ける場合、医療保険の自己負担分については国費でこれを負担しているということでございますが、いわゆる原爆放射能に直接起因する疾病と認定された疾病につきましては、その原因が特別なものであるということで、医療内容についても社会保険の定型化された医療給付では対応できない場合もあり得る、あるいは国の責任をより明確にするという考え方から、医療保険の適用ではなくて全額公費負担となっておるわけでございます。
 次に介護・福祉施策といたしましては、一般社会保障として介護保険がございます。要介護とか要支援とかの認定を受けた方に対して各種の介護サービスが利用できるわけでございますが、そのときの費用の9割を支給する。つまり、1割が自己負担となっております。
 それで、被爆者の方の要介護・要支援の認定状況につきましても資料のとおりでございますが、ここについては一般の高齢者に比べて特に際立ったという特徴はないものと認識しております。
 被爆者に対する措置といたしましては、医療保険の場合と同様に、介護保険サービスを受ける場合に、介護保険の利用者負担分、先ほどの1割分を公費で負担しております。
 それから、もう次の5ページに入ってございますが、独自の施策として原爆養護老人ホームとか、家庭奉仕員とか、被爆者相談事業が行われているということでございます。
 説明が長くなってしまいましたけれども、整理させていただきますと、被爆者援護施策は、原爆放射線による健康上の障害の特殊性を根拠として、一般の社会保障とも、他の戦争被害とも異なる施策が実施されてきたということでございます。
それで、一般の戦争被害につきましては、国に原因者としての補償責任がないという最高裁判例の立場と、戦争被害については、その実態に応じて、一般の社会保障で対応するという、これまでの政策の方針を前提といたしますならば、一般の戦争被害イコール社会保障でございますので、そういったものとは異なる施策として原爆被爆者の援護施策が行われてきた。その理由が原爆放射線による健康上の被害である。これがほかとは違う特別な被害であるということで、その被害の実態に応じた施策を行うというのが被爆者援護施策の論理的な根拠であるというふうなことかと思います。
 こうした論理的な展開については、国の戦争被害補償責任を否定する最高裁の判例の立場と、それから、戦後の社会保障の構築に当たっての政策上の立場を前提とする限りには、このような論理展開といいますか、こういった形しかほかに合理的な説明はないのではないかと思っております。
 なお、原爆放射線による健康上の被害が医学的に見てどのような被害なのかとか、あるいは被害の実態に応じて、それに相応する特別な施策という考え方からして、現在の施策の内容なり水準が適切、妥当なのかにつきましては、言い訳になりますが、私は専門ではございませんので、そのこと自体を論評する立場にはございません。ただ、原爆放射線による健康上の被害があるのか、ないのかという判断については、医学的あるいは放射線科学の科学的な根拠に基づいて客観的に判断されるというものでなければならないだろうとは思います。
 とは申し上げましても、原爆放射線による健康上の被害と施策との関係につきましては、完全な科学的根拠・科学的判断だけできめ細かくやるというのはなかなか難しい面がございます。例えば健康管理上のために特別な支出が必要であるとしても、その水準は人によって異なっているわけでございますが、これを具体的に調査して個々に決めるというわけにはいかないわけで、政策的にこの水準というふうな割り切りをせざるを得ないということは出てくるかと思います。
 また、原爆症の認定のような健康上の被害と放射線被曝との因果関係の判断につきましても、ここからここまでは100%放射線被曝が原因で、これを超えたら全く0%というような線引きはなかなか難しいわけで、その判断基準につきましても一定の幅はあるのではないかとは思いますが、ただ疫学的あるいは統計学的な意味でも科学的な根拠はあるはずで、そういったものが、勿論、時代とともに新しい科学的知見が積み重ねられるということでまた変更されていくということはあり得ると思いますけれども、その科学的な範囲を超えてしまいますと、一般の高齢者とか一般の戦争被害者との違いが説明できないということになってしまうわけでございまして、そうなりますと、なぜ原爆被爆者に対する特別な施策が必要なのかがまた説明できなくなっていくということになりかねないのではないかとは思います。
 長くなりましたけれども、以上が現在までの法律的な考え方と政策の積み重ねを前提として、社会保障と被爆者対策との関係について整理させていただいたわけでございますが、あくまでもその前提ということで、国に原因者としての責任があり、それを前提にして、言わば国家賠償のような形で国家補償を行う、そういう政策的な立場は勿論、ないわけではないと思いますけれども、そういう立場から見れば特別な犠牲とか科学的根拠とかは余り問題にならないということがあり得るとは思います。ただ、それについて論評することは、社会保障政策を研究する者としては専門外ということでお許しいただきまして、あくまでも現状の施策を、その考え方を前提に整理させていただいたということで御報告させていただいた次第でございます。
 どうもありがとうございました。
○森座長 どうもありがとうございました。大変内容に富むお話をいただきまして、ありがとうございました。恐らく、今日のためにいろいろと準備をしてくださったのではないかと想像いたします。心から感謝申し上げます。
 さて、山崎委員は比較的、この領域にお近いといいますか、造詣が深いと承っておりますが、何か追加発言なり頂戴できますか。質問でも結構でございます。
○山崎委員 植村さん、あるいは事務局にお答えいただいてもいいのでございますが、3点御質問させていただきます。
 レジュメの2ページの「(3)使用者責任に基づく国家補償」で、特に戦争被害に係る使用者責任に基づく国家補償の具体的な施策について挙げていただきたいと思います。
 2番目に、同じページの「II 被爆者援護施策の趣旨」の現在の法律の前文でございますが、アンダーラインがしてありまして、その後に「併せて」とありますが、この「国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を明記するため」とありますが、この趣旨に基づく何か施策があるのかどうかということでございます。
 それから3点目に、次の3ページ目で「III 社会保障給付と被爆者援護施策の関係」の冒頭で(国籍、居住要件なし)とありますけれども、居住要件なしということでございますから、海外におられる方も対象になっているということのはずですが、実際にどのように行われているのかということでございます。
○植村参考人 ありがとうございます。
 第1点目の使用者責任に基づく国家補償で、これは具体的には戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく施策と、恩給の中のいわゆる軍人恩給の部分がこれに当たるというふうに理解しております。社会保障というものはもともと制度があって、その制度に定める被害が発生し、そして、それに対して給付が行われるということでございますが、この戦傷病者戦没者遺族等援護法につきましては言わば事後的につくられた法律ということで、そういう意味で社会保障とは少し異なるという、勿論、所得制限とかそういったものがないということもございます。
 それから、軍人恩給につきましては戦後、一旦停止されていたものが復活したということで、そういうことと、当時なかったようなさまざまな仕組みが戦後加えられたということもあって、戦傷病者戦没者遺族等援護法と同様の性格ということで、これらについて使用者責任に基づく国家補償という説明が行われているということであろうかと思います。
 2番目の御質問でございます「併せて」以降のところにつきましては、これは普通に読みますと一般的な給付施策ではなくて、平和を祈念するための事業とか、死没者の慰霊事業とか、そういう一般的な事業になるかと思います。
ただ、この法律で新たに特別葬祭給付金というものができておりまして、それをどのように位置づけるかということについて、恐らく一般的な私の整理で足りるのかどうかという面もございますので、これは法律の実際の解釈に基づいてどのような施策がなされているのかということを、できれば後で事務局の方で御説明いただければと思います。
 それから、国籍要件、居住要件がないというのも、これは理論的にそういうことになるということで、具体的にどのようになされているかについて、申し訳ございませんが、事務局の方に御説明をしていただければと思います。
○森座長 ありがとうございました。
○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 少し補足でよろしいですか。事務局からすみません。
 山崎委員御質問の1点目については、今、植村先生からお話がございましたので、そちらについての説明は省略させていただきます。
 2点目ですが、現行の被爆者援護法におきましては、被爆者に対します保健、医療及び福祉の事業のほかに、平和を祈念するための事業が位置づけられております。具体的な国の取組みとしましては、原爆の死没者の方に対する慰霊事業として、典型的なものだけ申し上げますと、1つは毎年、広島・長崎で平和祈念式典がございます。これは広島市・長崎市が式典を開催しているわけですけれども、そちらに対して国として補助を行っていますし、また各地方公共団体が行っている慰霊式典についても同様に国として補助を行っています。
 併せて、広島・長崎の方になりますけれども、国立の施設で原爆死没者追悼平和祈念館を設置しておりまして、原爆の被害に対しまして国民の皆様に御理解いただき、また追悼の意を表す事業を行っているところでございます。
 また、特別葬祭給付金について、今、植村先生から御案内がありましたけれども、こちらは平成6年に被爆者援護法が制定された際に設けられたものです。これは自らも被爆者である原爆死没者の御遺族の方を対象にして一律10万円を支給するもので、被爆者対策の一環として設けられたものでございます。
 それから、3点目の国籍要件あるいは居住要件の話でございます。被爆者援護法には、おっしゃるとおり、国籍要件、居住要件はございませんので、在外の被爆者の方も被爆者健康手帳を受けることができますし、また手当も支給されているところでございます。最近になりまして、海外からの被爆者健康手帳の申請とか、あるいは原爆症の認定申請も海外からできるようになったところでございます。
○森座長 ありがとうございました。こんなことでよろしゅうございますか。
○山崎委員 海外からできるようになったということですが、今、どのくらい実際に申請がされ、手帳が交付され、手当等が支給され、あるいは医療の場合にどうなっているのかということでございます。
○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 数字は追って提示させていただきたいと思います。被爆者健康手帳の申請を海外からできるようになったのが平成20年12月から、割と最近です。それから、原爆症の認定申請も海外の在外公館を通じて行えるようになりましたが、これも昨年4月からです。したがって、比較的新しい制度でして、そういう意味ではまだまだこれから周知していかなければいけない制度であると思っています。比較的最近の動きということで御紹介させていただきました。
○森座長 よろしいですね。
○山崎委員 はい。
○森座長 さて、ここには経済あるいは法律関係の委員も何人かいらっしゃいます。まだ若干の時間がございますので、何か御質問あるいはコメントでもおありでしたら、御遠慮なくおっしゃってください。
 どうぞ、お願いします。
○石委員 植村先生に論点を整理していただいたので、大変クリアーになったと思います。
 それで、今の前提でやるなら、つまり国家が認められない。しかし社会保障制度があるから、それを使って上乗せして利用しよう。このスタイルは、私はしようがないと思います。これを崩してしまいますと、恐らくがらがらと変わってしまうのではないかと思いますが、その枠組みを先生は批判しないとおっしゃったところはそのとおりであると思いますが、枠組みの中で、あえて質問をしますと、2つ問題があるのは、上乗せ部分が不十分ではないかという議論は当然、関係者から出てきますね。それについてどういうお考えか。
 もう一つ、やはりその上乗せの領域に入る、これは被爆の認定ですね。この認定のところが、つまり科学的知見も含めて、極めて大きな問題になっているのではないか。その2つの兼ね合いで、財源に限りがありますから、どちらかをやらなければいけないかということになりますと、どちらかを優先しなければいけないことになりますね。その辺のバランス感覚はどう持ったらいいかというのが質問です。
 それから、やはり1,550億円というのは、ある意味では国家財政が厳しき折、これは一般国民の負担になっているわけでありまして、これは少ないと見るか、多いと見るか、わからないんですけれども、これは私にもよくわかりません。ただ、この過去の推移がどうなっているか。恐らく増えているんだと思いますが、これは感想ですけれども、恐らくこれは納税者の納得がないとなかなか認められない制度になると思います。大方、納得はしていると思いますが、これが野放図に増えるという辺りが、また政策的な対応では問題であるということをおっしゃっている根拠にもなっていると思います。
 最後の方は感想ですので、前の2つのバランスをどう考えていくかを教えていただけますか。
○植村参考人 これはいわゆる研究の成果というようなものではございませんで、ほとんど個人的な感覚になってしまうところで、認定という問題につきましては、本来、政策的に認定の幅を広げるとか厳しくするとかという性格のものではないと思っております。先ほど申しましたように、科学的知見といいましてもかなり幅が存在するであろうということで、その幅の中にどこに線を引くのか。その幅全体を認めるのか。あるいはその幅の中の濃淡を考えるのか。その辺はいろいろあるかと思いますけれども、政策として何か幅を広げましょうとか、小さくしようとかというものではないのではないかと私は思っております。
その水準がどうかにつきましても、水準というものは、先ほど来、申し上げておりますように、実態を把握した上でその水準が、例えば手当にしても、実際、その手当がどのようなことに役立っていて、それでは足りないのかどうかということを考えた上で決めるべきものではないかと思います。
ただ、個人的な感想を申し上げますと、例えば健康管理手当と医療特別手当の間が余りにも大きく差が広がっているわけで、それで本当に実態に合っているのかどうかというような、これも全く個人的ではありますけれども、そういう感覚は持っておるという、その程度しかお答えできません。
○森座長 ありがとうございました。
○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 予算の推移について、事務局の方から御説明させていただきます。
 被爆者援護施策は、昭和32年に原爆医療法ができてから手当等の増額、また様々な施策の拡充により、予算ベースでは徐々に拡充をしてきたところでございます。
 少し数字で申し上げますと、例えば昭和50年度には約250億円であったものが、昭和59年度に1,000億円を突破したという状況でございまして、被爆者援護法ができた平成6年度には約1,450億円となっています。平成6年度以降は、それほど大きな増減なく、1,500億円~1,600億円程度のところで推移しているといった状況で、石先生御案内のとおり、平成22年度の被爆者援護予算は約1,550億円でございます。
○森座長 よろしゅうございますね。
 どうぞ。
○坪井委員 特別な犠牲とか、あるいは相当な補償をしなさいとか、対応をしなさいとかということも多いわけでありまして、先ほど言われましたように、幅が随分出てきたような気もするんですよ。したがって、この会がいろいろ検討して、相当幅の広いところを考えていく必要があると思うんです。
 山崎委員が第1回のときにもずばり言われたんですけれども、今の医療特別手当と健康管理手当は確かに中身が違うんです。ですから、同等には考えられなくても、先ほども出ましたように、その差がいいのかどうかということも考えなくてはいけない。そうしますと、今日、伊藤さんの方から発表がありましたように、この2つの13万何ぼと3万何ぼの間に段階的なものはないだろうか。こういうように考えるのも一つの今後の問題点ではないかと思うんです。今のままでいいとは思いませんので、やはり少々、相当の補償というものが、もう少しきめが細かくてもいいのではないかと私は思いました。
○森座長 ありがとうございました。
 どうぞ。
○田中委員 植村先生に質問なんですけれども、戦争被害に対する国の責任は、日本国は認めないという立場に立っている。それが最高裁判決に出ているということでございましたけれども、戦争の被害というものはさまざまな被害があるわけです。それを、基本懇もそうですが、等しく、なべて補償しないという形で表現されているんですが、その辺はどうなんでしょうか。
命もいろんな被害がありますし、財産の被害も、健康の被害もさまざまあります。健康の被害は、私どもは放射線被害だけを認められているんですけれども、そうでない被害もあるわけです。そういう幅を国としてはどういうふうに考えてきているのかというのを先生から御説明いただければありがたいと思います。
○植村参考人 まず法律論としては、専門の先生がいらっしゃって恐縮なんですけれども、原因者として補償する責任があるかどうかということで、内容そのものは、まず原因者として補償する責任がなければ、その内容がどのようなものであれ、補償する責任はないということになるわけですが、まず、その前提として、原因者としての補償責任はないというのが判例上の、ある程度の確立した考え方ではないかと思っております。
 あと、被害の状況に応じて補償するということについては、原因者としての責任はないけれども、しかし、それを前提としつつも、結果において国が放置できないといいますか、特別な責任があるという、その考え方が、この被爆者援護施策に出ているのではないかと思いますけれども、少なくとも、それ以外に結果として見たときの特別な被害という形で補償するというものは、恐らくその他の戦争被害で、これだけが非常にひどい被害で、こちらは我慢しろというのはなかなか言いにくいのではないかとは思います。
○森座長 ありがとうございました。よろしゅうございますね。
○田中委員 もう少しお聞きしたいんですけれども、原因者としての責任を認めないということでありますが、ですから、いろんな被害に対する補償がないんだということですけれども、外国では、特にヨーロッパではさまざまな補償があります。死没者に対する補償もありますね。そのところの違いについて、もし先生からの御見解をいただければと思います。
○植村参考人 私、そちらも専門ではありませんので、外国がどのような考え方で行っているのかというのは非常に難しいといいますか、ここで御説明するほどの知見は持ってはおりませんけれども、日本においても戦前においては、名称は忘れましたが、たしか一般的な戦災被害の補償の法律があったかと思います。ですから、それは政策的な考え方次第ではあると思いますし、また、例えばある地域だけとか、ある人たちだけ戦争の被害があれば、それはそれを補償するという考え方も当然あると思いますけれども、さきの大戦による被害というものは、そういう意味ではそういったものをある意味、超越した、すべての人が被害を受けるような非常に大きなものであったということで、そういったところまで被害の補償をすることは想定されないということではないかと思います。
 また、外国について、どのような被害があり、どのような考え方で、どの範囲でというのは、申し訳ございませんけれども、ここで御説明するだけの知見は持っておりません。
○森座長 ありがとうございました。外国では、ということになりますと、私の個人的な印象では、補償の問題が一方にございまして、そのほかに他方、医学的の問題などもいろいろ存在しているかと思います。そういうことはいずれ、これからの審議の過程で話題に上ってくると考えております。
 どうぞ、お願いします。
○潮谷委員 先生、ありがとうございました。
 お伺いしたいことの中の一つに、社会保障制度そのものがニーズに応じて制度設計されてきたという歴史があります。それで、この被爆者の援護施策も時代の中でそういった形で付加されてきているという歴史があります。
 それで、先生の3ページのIIIの中で「国家補償の見地に立った施策であり」という位置づけをされていらっしゃいますけれども、これを社会保障の中で見ていったときに、先生御自身は社会保障の中に加えていくべきもの、範疇の中にあるものというふうにとらえていらっしゃるのか。あるいは特別的な立法措置であるというような形の中で考えていらっしゃるのか。そういった点を1点お伺いしたいと思います。
 以上です。
○植村参考人 先ほど御説明申し上げましたように、社会保障というものは、本来はだれしも遭遇し得るような社会的リスクに備えるというものでございますので、そういう性格からしますと、原子爆弾被爆による健康被害はだれしも遭遇するようなものではございませんで、非常に特別な被害と考えるべきでありまして、そういう意味では一般的な社会保障の範疇には入ってこないだろうと思います。
ただ、それを特別な被害ということでありますから、一般の社会保障に上乗せをして行うという意味で、見方によっては特別な社会保障というふうにも見ることもできますし、特別な社会保障なのですから、社会保障の範疇ではない。また、ある意味では特別な国家補償というんですけれども、広い意味の国家補償というふうにも見ることもできるかと思います。それは整理の問題であろうかと思いますが、いずれにしても一般的な社会保障でもありませんし、いわゆる国家賠償のような意味での国家補償でもない。それをどちらの面から見るかということで、広い意味の国家補償なのか、広い意味の社会保障なのかで、そういう言葉の遊びみたいな話になってしまうかと思いますけれども、そういったもので、どちらというよりは、いずれでもない特別なものとして特別な施策が行われている。そういうふうに理解しておるところでございます。
○森座長 ありがとうございました。よろしゅうございますね。
 どうぞ。
○山崎委員 先ほどの伊藤直子さんのお話の中で「あるべき『認定』制度」というものがありまして、重篤度に応じた加算をという提案をされているんですが、これと植村さんの話が何か重なる部分があるのではないかという気がするんですけれども、植村さんはどのようにお考えでしょうか。
○植村参考人 これにつきましても、もともとの理解といいますか、この原子爆弾被爆者援護施策の性格として、被害に対する「相応の補償」とか「相応の給付」ということがあるかと思いますので、実態に応じたという部分はあろうかと思います。
 ただ、先ほど来、少し申し上げましたけれども、実態に応じたといっても、余りにきめ細かくというわけにもいかないということで、ある程度、政策的な割り切りも必要かと思いますが、そういった中で現在の制度の水準がどうのというのは私の専門ではありませんので何とも申し上げられませんけれども、先ほど石先生の御質問にありましたように、個人的には画一的にする部分の要請の方が強くて、大きく誤差が出過ぎているのではないかという感覚は持っておるという、申し訳ございませんが、そのような程度の答えにさせていただければと思います。
○森座長 ありがとうございました。よろしゅうございますね。
○山崎委員 何となく、介護保険の要介護認定のようなものをイメージしていいのかなというふうなことを感じました。これは私の感想でございます。
○森座長 よろしいですね。
 皆様方の御熱心な討議に心から感謝いたします。しかし残念ながら、予定しておりました時間がそろそろ参りました。という次第で、実はほかにも御意見を伺いたい、あるいは質問をしていただきたい方がおられますが、誠に残念でありますが、一応、ここで本日のヒアリングは終了、ということでよろしゅうございますか。どうしても一言、あるいはどうしても1つの質問、という方がおられましたらちょうだいいたしますが、よろしゅうございますか。
 それでは、植村先生、大変ありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。
 そういたしますと、本日はここで終了するということで、先ほども少し申し上げましたが、次回、第3回もこういったヒアリングを続けることにいたしましょう。今の時点での私どもの考えとしては、よく事務局の説明などに「司法と行政の乖離」という言葉が使われておりますので、次回はある意味で行政を代表する方、ある意味で司法を代表する方、のお二人にお願いしてはどうかと案を練っているところでございます。
 次回について、あるいはその他のことで、何か事務局から連絡を差し上げるような事柄はありませんか。
○和田原子爆弾被爆者援護対策室長 今、森座長からお話がありましたけれども、第3回では引き続き、有識者の方からヒアリングということでございます。どういう進め方でしていくかというのは、また座長とも御相談しながらと考えております。
 日程につきましては、また追って御連絡させていただきますので、よろしくお願いします。
○森座長 それでよろしゅうございますね。
 どうぞ。
○田中委員 先生が今、御提案になられました次回のヒアリングで、私は賛成でございます。
 もう一つ、私どもからは、勿論、先生方もいらっしゃるわけですけれども、お医者さんに1人、被爆者の医療に多く関わってこられて、特に残留放射線の影響を非常によく診ていらっしゃる医師からのヒアリングもひとつ、是非加えていただきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
○森座長 一応、全体の枠収容能力もございますから、今、おっしゃったことなども考慮いたしまして、計画を立てましょう。
 よろしゅうございますね。
(「はい」と声あり)
○森座長 それでは、改めて、4名の講師の方々にお礼を申し上げます。大変ありがとうございました。
 委員の皆様方も、熱心な討議をしていただいて、ありがとうございました。
 今日はこれで終了といたします。どうもありがとうございました。


(了)
<照会先>

健康局総務課原子爆弾被爆者援護対策室

代表: 03-5253-1111
内線: 2317・2963

ホーム> 政策について> 審議会・研究会等> 健康局が実施する検討会等> 原爆症認定制度の在り方に関する検討会> 第2回原爆症認定制度の在り方に関する検討会議事録

ページの先頭へ戻る