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2010年5月17日 看護教育の内容と方法に関する検討会第5回議事録

医政局看護課

○日時

平成22年5月17日(月)


○場所

経済産業省 別館10階 1020会議室


○出席者

阿真 京子 (「知ろう!小児医療 守ろう!子ども達」の会代表)
池西 静江 (京都中央看護保健専門学校副校長)
岡本 玲子 (全国保健師教育機関協議会副会長)
岸本 茂子 (倉敷看護専門学校副校長)
草間 朋子 (大分県立看護科学大学学長)
小山 眞理子 (神奈川県立保健福祉大学保健福祉学部看護学科教授)
島田 啓子 (全国助産師教育協議会理事)
末永 裕之 (日本病院会副会長)
舘  昭 (桜美林大学大学院大学アト゛ミニストレーション研究科研究科長)
千葉 はるみ (社団法人全国社会保険協会連合会看護部長)
中山 洋子 (福島県立医科大学看護学部教授)
菱沼 典子 (聖路加看護大学看護学部学部長)
藤川 謙二 (日本医師会常任理事)
三浦 昭子 (日本看護学校協議会副会長)
山内 豊明 (名古屋大学医学部基礎看護学講座教授)

○議題

1)効果的な看護教育の方法について
2)その他

○議事

○島田課長補佐 それでは、定刻より少し早い時間ですけれども、先生方おそろいですので始めさせていただきます。ただいまから、「第5回看護教育の内容と方法に関する検討会」を開催します。委員の先生方におかれましては、ご多用の中、当検討会にご出席いただきまして、誠にありがとうございます。まず初めに、今回より委員の2名の方が交代しまして新しくご参加いただいておりますので、紹介をさせていただきます。まず、羽生田俊委員に代わりまして、日本医師会常任理事の藤川謙二委員です。
○藤川委員 日本医師会の藤川です。よろしくお願いします。
○島田課長補佐 続きまして、宮崎忠昭委員に代わりまして、日本病院会副会長の末永裕之委員です。
○末永委員 末永です。よろしくお願いします。
○島田課長補佐 なお本日、太田委員は欠席というご連絡をいただいています。また、菱沼委員は遅れるということでご連絡をいただいています。また、事務局のほうですが、中尾審議官のほうが少し遅れて参加をさせていただきます。ご了承ください。続きまして、配付資料を確認させていただきます。まず、テーブルに議事次第をお配りしています。続きまして、資料1、これまでの委員の主な意見。資料2、主な検討課題と論点。1枚の紙です。資料3、山内委員資料です。それから参考資料が3点あります。参考資料1-1、看護師等養成所の運営に関する指導要領について、抜粋の別表1。参考資料1-2、同じく別表2。参考資料1-3、同じく別表3を付けています。それから、毎回ですが、これまでの検討会の資料を先生方のテーブルにファイルで置いています。乱丁、落丁などがありましたら途中でも結構ですので、事務局のほうに申し付けくださいますようよろしくお願いします。
 それでは、小山座長、以降の進行をよろしくお願いします。
○小山座長 本日も活発なご議論をどうぞよろしくお願いします。本日は、「効果的な看護教育の方法について」というテーマですが、この教育方法と言いますときには、保健師、助産師、看護師のどの基礎教育にも共通に応用できるような普遍的な効果的な教育方法について議論いただければと思います。まず資料1、資料2をご覧ください。資料1には、前回までの皆様方のご意見をまとめてあります。資料2は、主な検討課題と論点です。本日の議題、「効果的な看護教育の方法について」で議論していただきたい項目は、特に点線で囲ってある2と3です。2は、いままでいただいたご意見から実践力の低下であるとか、カリキュラムの窮屈さなどが出ています。また、前回の検討会でそれぞれのワーキングから報告されたのは、「それぞれの国家試験受験資格を得るために必要な能力は」という視点で、卒業時の到達目標が能力表現で書かれていたかと思います。そのような能力を育成するには、どのような教育方法がいいだろうかということでご議論いただければと思います。前回、それぞれの教育課程の能力はどのようなものだったかということにつきましては、お手元に資料が置いてありますので、そちらのほうをご覧いただければと思います。3につきましては、いただいたご意見から実習室の確保が困難であったり、実習時間数についていろいろな意見がありました。学生が能力を身に付けるには、学生の学びを育むような実習環境ということも非常に重要です。その中には指導体制も含まれるかと思いますので、ご意見をいただければ幸です。それでは、議論に先立ちまして、厚生科学研究で研究を行ってこられました山内委員より、「効果的な実践教育への試み、シミュレーション教育」についてということで話題提供いただきたいと思います。お手元の資料3をご覧ください。では、山内委員お願いします。
○山内委員 お手元の資料にありますことをお示ししたいと思います。主な内容としては3点あります。どういうことをするのか、ということ、それを具体的にこのような方法で示すことができるのではないかということを厚生科学研究で少し検証させてもらいました。そして、それらを踏まえて、現在の動向と今後について、どのようなことが考えられるか、ということを役割として話題提供させていただきたいと思います。
 シミュレーション教育ということですが、全般的な話になりますと少し広くなりすぎますので、今回、私が厚生科学研究でさせてもらいましたフィジカルアセスメントということを切り口にしてみたいと思います。
 看護は何をするぞということを考えるにあたって、やはり生活を支えるということがありますが、まずはその生活をする者の生命がきちんと維持できているということも確保しなければいけないと思います。生活だけの専門家でしたら、必ずしも私たちは医療職の免許ということではなくてもいいわけです。医療の免許があるということは、命をきちんと守れるということが免許の意義に込められていると思います。したがって生活をするということの大元の生命維持をきちっと守れるということは外せません。そのためには、まずその異変に気が付いて素早く対処に結びつけるということは、患者さんの一番身近にいる者にできないと困ることになると思います。
 ただ、急変という言葉をよく私たちは使いますが、この急変という言葉は、急な変化と書いてあるだけです。人によって何が急変と考えるかというものが、判断者の能力や、場合によっては予測していたか、していなかったかとか、という状況で変わってしまうことになると、急変対応という言葉の具体内容が必ずしも普遍的ではありません。ですからまずは急変というものはどのようなことかを少し整理してみたいと思います。
 我々は常にいろいろなことを念頭にあり、いわゆる多重業務・多重課題という状況にはあります。しかしある瞬間にやれることは1つであります。ですから、次に何をするかという優先度というものを適切に判断できるかというところが肝腎になります。このことは卒業直後の1つ大きな壁となっているものでもあります。常に優先度を考えていますが、どんなに予定していることがあってもそれを中断してでも割り込ませなければいけないようなことが起こった場合は、間違いなく急変ということになると思われます。その場でそのようなことに気が付いて対応しないと取り返しのつかない一線を越えてしまうような事柄は間違いなく急変と看做されることになると考えます。
 このようなことが背景にありますので、急変に気が付いて欲しいのですけれども、緊急性のないものほど学生同士で真似をすることがなかなかできません。というのは、例えば、呼吸の確認にしても、片方無気肺にしてみてお互いに確認してみましょうとか、ということはできませんし、不整脈を出してみようにも自分の意志では出せません。またイレウスになったときのように腸蠕動運動を止めてみようとしても、やはりできません。つまり、生きる・死ぬに直結するような仕組みというのは、下手に意志でコントロールできたら危ないものなので、かえって真似ができないように仕組まれているとも考えられましょう。そして、真似はできないけれども、それを体験してそれを気が付かなければこのところは乗り越えられないという、本質的な難しさがあります。
 病院などで、いわゆる急変コールやハリーコールが掛かるときの基準等をいくつか調べてみますと、バイタルサインと言われているものから成り、必ずしも特殊な検査や機械を用いての確認にいるものではありません。ほかの急変コールを見ても、やはりほとんどがバイタルサインということで括られていることから、急変に気が付くためのポイントはこの辺りになるかと思います。
 言い換えれば、その場で何を見たらいいかということさえきちんと分かっていれば、十分気が付き得ることが急変のマーカーになっているとも思われます。ただ、先程申し上げましたように、それらを真似することができない、再現することができないという類いのものでもあります。したがって、それらをどう学習するかという課題がやはりあると思います。
 ですので、この手のことに関する教育訓練の実際の限界としては、ではやってみましょうと言って好きなときに再現できません。一方でそういう場面があったからといってそこに不慣れな者をいきなり参加させるということは、やはり非常に難しいことであります。それから、その現実場面を大勢が同時に、たとえば一学年全員で見ましょうということも不可能でしょう。こういう場面があったという報告の共有はできても、場面の実際の共有は難しいという現実の課題があります。
 では、そこをどうやって共有するかということです。どんな状況があったかという空間的に起こっていることとか、それから、その際にいろいろなことが起こっていますけれど、同じ空間でなくてもいろいろな人が同時進行で動いていたりするような多くの場面も時間も共有させなければいけません。しかしながら、同じ場面を同じ時間で全員が共有するということは難しいことです。どちらかを優先せざるを得ませんが、こんな場面ですと言ってシナリオ化することは可能かもしれません。それが1つの解決策の候補であり、標準化された状況を用意するという解決方法になるかと思います。
 同時に起こっていることをどう頭に置くかということに関しては、まずは1つずつがきちんとできていないと重ね合わせることができませんので、その上での多重業務・多重課題の訓練ということないるかと思われます。このことも一方で考えていかなければいけないと思います。標準化した場面をいつでも再現できる、つまり時間軸を自由にすることを可能にすることで、繰り返しできるようにするということでもあります。ここも何とか越えていけないかなということであります。
 同じ場面を見なければ、こうでしたねというやりとりをする必要があります。私たちが頭の中で物を考えるということは、抽象化した固まりに対して言葉というラベルを付し、それを操作することです。すなわち、思考するということは、きちんとした言葉遣いと対応させることが不可欠です。それがないと、体が動くだけになってしまい、それでは不十分だと思います。きちんとした思考をしていかないとそれが達成できたかどうかの判断は難しいことであり、そこにも課題の1つがあるかと思います。
 この真似ができない呼吸音や心音に関して、それらを再現し得る道具を使うことでどのくらい教育効果があるかということを厚生科学研究として検証させていただきました。これは心臓や呼吸のシミュレーターを用いて、単なる体験や出会いではなくて、呼吸音や心音をどの位きちんと練習したらどの程度の効果が期待できるのかを探索的に検討しました。例えば、ある程度以上時間をやれば突き抜けられるのか、時間にあまり比例しないのか、それとも時間に非常にきれいに比例するのか、などは少し傾向を押さえることが重要と考えました。ただ、やればいいと言ってもそれぞれが手探りでは埒が空きませんので、どの程度やったらよいかということを多少なりとも整理をしたいと思って行った研究です。
 シミュレーターに関しては、我が国の技術力は非常に優れています。心臓のシミュレーターは米国でも以前から開発されていましたが、私たち看護職にとってもっと必要となるものは呼吸のシミュレーターでした。以前はなかなかシミュレーター開発の技術開発という課題がありましたが、これは現在、物として手に入る時代になっています。これは某会社の装置ですが、対光反射、呼吸音、心音、心電図、腸蠕動音、そして血圧と、つまりこれは我々が自分の意志でどれひとつ真似することができないものを全てコントロールできる装置です。呼吸音に特化した装置もあります。これらはいずれも我が国で開発されたシミュレーターであって、入手ということに関してはそう困難ではなく、金銭面の条件をクリアすれば比較的容易に入手可能であるという時代になったと思います。
 呼吸音に関しての研究成果は、スライドに示したような方法論を取りまして、実際の呼吸音を聞いてどのくらい正確に回答できるかということを検証しました。呼吸音の種類によって、正解率や正確に聴取できるようになるまでのプロセスは多少違うということを明らかにしました。このことから、一律に何分間呼吸音聴取の練習をやりなさいというやり方ではなくて、これができるというゴールを示して、それについて各自のプロセスを評価するのではなく、アウトカムの評価で進めていくべきであるということの重要性を明らかにしました。
 この研究からは、練習することによってその効果は一応期待できるが、ある程度の時間はやはり必要であろうということや、聴取する音の種類によって練習にかけるべき労力が違うということを明らかにしました。そして呼吸音聴取では正常と言い切ることがむしろ難しいということを明らかにしました。異常な音というのは、何もしていないときに聞こえる変な音ですから気が付きやすいものです。異常が全部否定できないと正常と言えません。いわゆる正常という場面に出くわす私たちは、ここはきちんと練習しておかないと中途半端なアセスメントしかできないことになってしまいかねません。
 心音に関しては、同様にシミュレーターを用いた研究を行いました。練習の時間をそれぞれ任意に設定しましたので、ある程度、練習時間と練習成果に比例することが示唆されました。すなわち心音も呼吸音と同様に、練習することで聴診能力は向上します。この向上の仕方は種類によって多少違いますので、一律に何分間とかそういうわけにはいかずに、やはり傾向性を見てゴールを決めないといけないものであると思います。
 このようなことで、フィジカルアセスメント、呼吸、循環ということで行った結果ですが、シミュレーション教育全体としては、講義で聞いたこと、演習で体験してみること、そしてそれらが実際の場面にあるということを、つなげるものになるかと思います。例えば、先ほど申し上げたように、私たちが実習で学びたいと思っても学びたい状況の方が全てそろっているわけではないと思います。また例えば、肺炎の方がおられたとしても、その方にちょっとでは普通の元気な肺の状態になってくださいと言ってもそれは不可能です。そうしますと、元気な方と比べることになります。しかしそうすると肺炎だからこういう呼吸音になっているのか、比べた場合それか個人差なのかというところは永遠に解決しない問題です。個人差と状態という2要素をどちらも完璧にコントロールできませんので、そうなりますとそこを解決できるものは、やはりある程度状況を設定して、standardizeした状況で勉強してもらうという、シミュレーション教育というものでそれをカバーすることになるかと思います。
 シミュレーション教育のメリットとしては、とことん練習したければ繰り返しできますし、いつでもできますし、それから直接的な健康被害を及ぼす可能性はありません。納得するまでできるまでできるということです。何を評価するかをコントロールでき得ますので、成果評価を可能とします。例えば、血圧の評価などでは、非常に低い値、例えば上が60で下が40などは私たちが真似したくてもできませんが、そういう場面を真似させることでそれがきちんと評価することが可能になります。このようなことがメリットかと思います。
 一方でデメリットとしては、それを具現化する道具が必要です。その道具があっても、道具はあくまで道具ですので、それをどのように操作するかということ課題があります。いまのところ誰かに操作をしてもらわないといけません。ただ、それですと操作をする人の制限がありますので、私たちは教育方法として、操作方法自体をきちんと学んでもらって、納得するまでやってもらおうかという方法でこれを少し乗り越えようと頑張っています。それから、あくまで事前設定したものを繰り返すしかありませんので、なかなか突発的なバリエーションを作りにくいということも課題でしょう。そして、なかなか双方向にならないということ、すなわち事前に用意した物を提供することはできますが、学生からのフィードバックをそのシミュレーターでセミオートマチックに反応させるということはなかなか困難です。
 ところで、シミュレーション教育は他の国々でどのようになされているかということ見ていきたいと思います。米国、英国、インドネシア、シンガポールと、文献を通して、あるいは実態の見学を通しての状況報告をいたします。アメリカでは、臨地実習の代わりにシミュレーターを用いた教育実践ということがもう既に現実化されていまして、5つの州とそれから属州でありますプエルトリコでは、これは条例の改定まで済んでいます。16州においては条例改定はまだですが、シミュレーション教育を従来の教育の代替にしてよいという許可が出ていますし、17の州では、そのようにしていくまこと自体の検討を開始しています。これはアンケート調査を出したので、全ての州からの回答が揃っているわけではありませんが、確認できた44州中の38州で既に実際使用している、あるいはそれを検討中ということです。フロリダ州という州を1つ取り上げてみますと、フロリダ州というのは、学生に対する教員比が非常に少ない、要するに教員対学生の数が非常に多いという背景もあり、さらに州の教育体系で50%が臨地で学べということになっています。するとこれはもう現実からして、かなり急性期化している実際の臨床では学生が参画できるような場面が非常に限られてくるということになりまして、臨地実習の10%は、既にシミュレーション教育で行っています。
 英国の場合は、国家試験ではなくて卒業要件が免許資格になります。卒業して免許登録をするということの前、すなわちPre-registrationという期間があります。これが日本で言うと入門教育に当たります。英国では2004年から、この段階、すなわち免許を取る前に、既にSimulated Clinical Experienceというものを取り入れています。1年間を2つに分け、計6つの教育ブロックの中の、それぞれに入っています。ただ、これはいろいろなシミュレーションがあって、蘇生のシミュレーションから場合によっては模型に近いようなものまでありますので、この場合、シミュレーターと言っても中等度ぐらいの、Intermediate-fidelityのシミュレーショントレーニングです。このSimulated Clinical Experienceのアウトカム評価が報告されており、6カ月間の前後をオスキーで比べました。その結果、従来法とシミュレーションを使ったSimulated Clinical Experienceによる方法では、確かにシミュレーションを使ったほうが少し成績は向上しています。ただ、そのシミュレーターのメリットと期待された「安心してできる」などに関しては有意な差はなかったとも報告されています。
 インドネシアでも、シミュレーターという名前で教育をしていると聞き及んでいたのですが、実際は、いわゆる人形です。模型であって、私たちが看護実習室に置いてある、いわゆる実習人形のような物をシミュレーターという言い方をしていて、場合によっては、非常に限られた注射のトレーニングとかそういう作業訓練の非常に特定なものを特化するようなものもシミュレーター、シミュレーション教育とされているというように幅があるということです。
 シンガポールは非常に小さな国ですが、優秀な人材を国の輸出品としている国でありますので、いかにそのクオリティを高めるかということは国の大事な政策方針でもあります。発展度や土地柄からしてやはりインドネシアのような非常にLow-fidelityの人形のようなトレーナーもいっぱいあるのですが、その一方で米国式の非常に高度にコンピューター化された高機能のシミュレーターもあるという、レベルや内容が混在しているような状況でありました。
 実際、いま申し上げたようなことも教育の場面としてありますが、教育の場面としては、全く経験したことのないときの学生、それから、一通り知識はあるのだけどまだそれを多く経験していない場合、それから、かつては経験していたとしても、いま持っているものとの、いま現状で起こっているところのアップデートが難しいような場面等が、やはりシミュレーション教育の展開場面としては有効かと思います。シミュレーション教育としては、1つの業務をするタスクトレーニングというのもありますし、それを組み合わせて時間の流れと共にさまざまなタスクを多重業務や多重課題としてやっていくシナリオベースという考え方もあります。ただ、いきなりシナリオベースに入ってしまうと、1つ1つのタスクができない上にシナリオベースが入ると大混乱を起こしかねないということから、この辺りはやはり段階性を踏んで組み立てていくべきかと思います。
 カーナビを、自動車をゴールにたどり着かせるためのナビゲーションツールだとすると、シミュレーターを、教育のアウトカムに至らしめるナビゲーションツールであると、アナロジーで考えることも可能かと思われます。シミュレーターのコストに関しては、需要が多くて量産が可能になれば低廉化できるかと思います。シミュレーター操作性に関しましては、いまのテクノロジーの向上からして、かなり特殊なことでなくてもできるようなユーザフレンドリーの状況でありますし、学生たちはコンピュータリテラシーも高いので、この辺りは十分ついていけるのではないかと思います。ただ、双方向性に関してはなかなか難しい課題で、これはまだ十分解決し切れていないと考えられ、これからの課題かと思います。それから、シミュレーターでは事前に設定したものしか出せないということに関しては、例えば、カーナビでも地図をアップデートするとかすることによって変えられることであって、いまのインターネット環境で、例えば状況をアップデートするなどして技術的に可能になってくるのではないかと思います。
 ただ、カーナビの示した通りに運転していればいいのですが、カーナビに反して別の道に行ってしまったり、新しい道がまだカーナビ情報として搭載準備がなされていない場合や、道路情報は既にあるのだけれどまだその地図情報にアップデートされていなかったりと、そういう不測な事態が起こります。これは現在やはり現場を知っていてそこの経験の深い教員ならではの役割ということになるでしょう。このようなことはやはり起こりえると思いますので、シミュレーターの完全自動化は難しいと思います。
 最後に、どんなに優れたカーナビでも具体的な目的地を入力しなければカーナビとしての機能が十分果たせません。ということから、どんなに優れたシミュレーション教育方法やシミュレーター機器があっても、教育訓練のアウトカムすなわちゴールをどうするのかということをやはり常に念頭に置いておかないと、機械が遊んでいる、あるいはどう使ってよいか分からないということになってしまうと危惧します。ここがやはりシミュレーション教育をする場面でも要になるかと思います。どうもありがとうございました。
○小山座長 ありがとうございました。ただいまの山内委員の話題提供についてご質問等ありましたらお願いいたします。
○山路委員 コストは最後のところだけは触れられましたが、現段階でどのくらいお金が掛かるものなのかという、一般論としては難しいでしょうけれども、教育というのはやはり費用対効果を常に考えなければいけませんので、それはどんなものなのですか。
○山内委員 営業の者ではないので詳しいことはわからないのですが、一般的な話ですが、今回の研究で使わせていただきましたシミュレーターに関しては、大体1台が200万円ぐらいの機械です。
○山路委員 安いのか高いのかということですね。
○山内委員 そうですね。
○草間委員 いま看護教育をやっている大学が190近くあって、専門学校が400から500ですけれども、実際に今日、ここで示していただいたPhysikoやイチローが入っているところはどのぐらいなのですか。
○山内委員 イチローというのは心臓のシミュレーターで循環器系に非常に特化してますが、以前はそれしかなかったので、それを既に持っている所はそれなりにあると思います。最近シミュレーターを導入れしているところは、むしろいろいろなことができるPhysikoなどが多く、その導入数もそれなりであると聞いております。例えば私の聞いた話では、東京都の場合は、学校が購入しようとした場合に半額補助するという機会がありましたので、それをきっかけに随分導入されたということです。また看護の単科でなく、例えば、医学科と併設されている所ですと、シミュレーションセンターのような所がシミュレーターをそれなりに揃えておりますので、探し方によっては、わりとアプローチしやすい環境に近付いているかと思います。
○千葉委員 ご紹介いただいたシミュレーション教育は、先生としては実習に変わるものとしていいのではないかというご提案なのでしょうか。それとも、どの時期に、どのようなところでどう使うのがいいというお考えがありましたら教えていただければと思います。
○山内委員 同じ装置でもたぶん使い方によって、いろいろなレベルで使えると思います。例えば、いちばん最初の学生が、まず脈を採ってみるとか、血圧を測ってみるという段階でしたら、いわゆるタスクトレーニングという、1つの決められた業務をきちんとできるかという段階で使う可能性があります。例えばシミュレーターの中を操作することによって、ある状態が急に変わっていくとか、先ほどまで血圧がしっかりしていたのに、もう一度測ったら血圧が下がっているとか、そういうことはまだ完全にはオートマチック化はできないのですが、操作をすることによって近いことが可能です。ですから、1つができるかということと、時間を追っていきながらできるか、また場合によってはそういうものが複数あるときに同時平行でできるかとか、あるいは大勢の人たちがいたときに、誰が何をするということの段取りができるか、様々な利用可能性があると考えます。そうなってくると、今度はシナリオベースのトレーニングになってくると思いますので、いちばん最初の時期もありますし、実習に行って現実にこんな感じだったということを見てから、もう一度学ぶのも価値があると思います。また、実際に業務に入ってから、多重課題に出くわしたときや、チームで何かの場面にパッと対応しなければいけないときなど、そういうときにも使えるかと思います。ですから、いろいろな段階が可能だと思います。
○末永委員 シミュレーターを使ってやる教育の目的ですが、例えば異常が起こっていて、これは見捨てておいてはいけないというようなことまでわかればいいのか、あるいはどんなことが起こっているかということまでわからせようとするのか、どの辺りを目的にするのでしょうか。
○山内委員 それはやはり一番難しいところですし、それこそシナリオベースで、何をゴールにするかです。落ち着いた時間の中で、とにかく状況がきちんと把握できるということなのか、例えば突然起こったことにどうしたらよいのかという方向性が見抜けるのかとか、いろいろなシナリオというか、状況ができると思いますので、たぶん、それごとにゴールができるのであろうと思います。ですので、必ずしも異常の発見だけではなくて、例えば患者さんが具合が悪いと言っているけれども、所見としては何もないというような場面も十分あるわけで、何か言っていれば必ず何かあると思い込まないで、きちんと事実が整理できるという力がまずは大事かと思います。それぞれのシミュレーション教育のタスクゴールとしてはこれこれ、というようなことによって決めていくことになると思います。
○小山座長 よろしいでしょうか。ほかにいかがでしょうか。
○藤川委員 私が救急担当をしていたときに、ICLSの研修会などをやるときに、こういうシミュレーターを使ったりしていましたが、やはり非常に標準化できたモデルが作れるということ、もちろん安心して何回も繰り返しできる。試験もできるし、実際のトレーニングもできるという点では、非常に効果的だなという印象を持ちました。この最大の目的は、看護師だけではなくて、医師もそうですが、五感を鍛えること。いわゆる教科書的に喘息は呼気の延長と言いますけれども、言葉で覚えても、実際聞いてみて、それが本当にそれなのかというのは、意外と判断に苦しむときがありますね。やはり聴覚や触覚、すべての五感を使って診察をするというのが、現代の医師は画像診断に頼り過ぎるところがありますので、ある程度、初心に戻って、五感を鍛える訓練、シミュレーションというのは非常に大切なことかと思います。
○三浦委員 専門学校などにおきまして、先ほどのPhysikoをはじめとして導入している学校は増えているのですが、実際、やはり200万ぐらい出して買ったは買ったのですが、先ほどもありましたように、教員のそれを使い切るという役割が使い切れていない現状もあるというようなことも聞いております。フィジカルアセスメントを使うときに、使い方に対する教員側の研修などは、どこかで計画されたり実際やっていらっしゃるのでしょうか。その辺をちょっとお聞きしたいのですが。
○山内委員 その話は非常によく伺います。せっかくあっても使い切れない、どうしていいかというような悩みですが、やはりこれは早急に解決していかなければいけない課題だと思っております。いまこういうスタンダードがありますとか、こういうパッケージがプログラミングとしてありますとか、そういう状況ではありませんが、これを整備する必要があって、ある意味で、日本共通の免許ですので、逆にこの免許を持った人はこういうことはみんな共通に確実にできるためには、教育手法、あるいは提供するものもstandardizeしていかなければいけないと思います。
○小山座長 機械は買ったけれども高価な機械だと大事に鍵を掛けてしまっていて、そのうち、いざ使おうと思ったら、使える人が少ないというのでは非常にまずいということですよね。たぶんその辺りは教育方法とも関わってくるかと思います。いままでですと、基礎看護学という科目の中で、バイタルサインの測定方法を扱い、救急のところだと、成人看護学の一部であったりして、科目の一部のところでしか使わないと、どうしてもそうなってくるということで、能力を積み上げていくために、どのように継続性を持たせるかという教育方法の辺りにも、かなり関連があるのではないかと個人的には思いますが、いかがでしょうか。
 今日の議題は教育方法ですので、ただいまの山内委員の話題提供についてご質問がある方は、是非、まだ続けていただきたいと思います。それ以外も含めまして、全体的な看護教育の教育方法について、ご意見をいただければと思います。よろしくお願いいたします。
○岡本委員 山内委員に質問です。どういった内容、どういった能力を育成するのに、このようなシミュレーション教育を、また、どういった対象に対しての、どういった能力を養うためにこのシミュレーション教育の活用ができるとお考えかというところを教えていただきたいと思います。
 これは生体シミュレーションという器具を使ったということですが、そもそものシミュレーション教育の定義といいますか、どういった範囲までシミュレーション教育とするのかという辺りも教えていただければと思います。
○山内委員 最初のご質問ですが、どこまでかというのは、たぶん先ほどの千葉委員からのご質問にも重なるかと思いますが、この段階で必要なものというのがあって、2階に上がるのに最初からいきなり10段の階段をまたげというのは難しいと思うのです。でも、最終的には2階に上がるとしても、ではここで踊り場まで行きましょうというような形で、一つひとつに具体的なゴールがあると思います。少なくとも出だしとしては、明らかにおかしいなというような場面に出くわしても、それに気がつかなかったというのは、絶対にないようにしてほしいということを、私は個人的に思っております。それから、誰かが出くわしたとしても、ずっと一人で抱えるわけではなくて、たぶんチームプレイをします。その際には、その時どうだったのでしょうかとか、それはどうですかというやり取りをすることになり、そのためには、一人が自分だけで自己完結的にできるだけでも困ります。きちんとやり取りできるためには、頭の中身をきちんと表現できる必要があります。ということは、ただ「変でした」ではなくて、どのように変でしたかとか、何々でしたというところぐらいまでは、やはり入門としては是非できていただきたいと思っております。
 もう1つのシミュレーション教育ですが、シミュレーション教育という言葉自体は非常に言葉が広くて、仮想現実のようなものを体験することがシミュレーション教育となりますと、例えば私たちが年1回やっている避難訓練などもある意味でシミュレーション教育ですので、すべてを含んでしまうことになります。ですからその定義というのは、シミュレーション教育というように話をしても、シミュレーション教育のどういうことでしょうかというようなことを少し整理して議論しないと、おっしゃるように話が散漫化するかと思います。注射の練習などの一つひとつの技術的なことは、むしろ言葉で言うとタスクトレーニングという言葉がありますので、そちらに近いかもしれません。先ほども申し上げましたが、一つひとつのタスクができていないのに場面訓練に出くわすと、むしろ大わらわになるような恐れもあります。従ってある程度の順序性と、そのタスクができてさえいればいいわけではなくて、それを組み立てられる段取り力のようなものも、徐々に重ねていく必要があるのではないかと、個人的には思っています。
○小山座長 よろしいでしょうか。ほかにいかがでしょうか。
○岸本委員 先生のご説明でよく理解させていただきました。やはり最初に正常な状態について知識を身につけ、その知識を理解して使えるようになる。つまり正常な状態を身をもって分かる。それから、異常との判別を知識に基づいてわかる段階と、その体の状態を見て、それが正常か異常か、どのように異常なのかアセスメントする段階。そのときに顔色や訴え、全身状態はどうなのかという、もう少し人間全体に広げて把握する段階…と、先生がおっしゃいましたように、いろいろシナリオをつくり、アウトカムを明確にし、そしてシナリオの深さや広さをつけていくということが教員に求められていること、それを臨床の一回性の体験ともうまく組み合わせていけたら、効果的だと思いました。
 それから、このような手法を使っていくときに、非常に高額であるという点で、学校や病院との連携や、もう少し地域で共有するなど、1つのものを各学校が共有し合って、上手に使っていくような、そういう連携の取り方、学習教材の使い方もあるのかなと思いました。ありがとうございました。
○小山座長 高額な教材は複数校であったり、あるいは地域で共有してはという提案です。
○藤川委員 高額教材の問題はいろんな看護学校から医師会にお願いがきます。高額な教材は医師会で購入をして貸し出すようにしています。このことはどこの都道府県の医師会でもやっていると思います。もちろん財力のある所は郡市区医師会のレベルでも買っていますが、やはり財力のない所、准看護師だけを教育しているところもありますし、そういう所には随時貸出しをしています。ただ、貸出しをしても、先ほどのように、教務のレベルでITに弱い人が多いのです。実際、習う学生がITに強いのです。教員に学生が教えている実態もあるのです。男の子は特に、ITに強いです。看護学校も男性が増えてきましたので、そこで教務のITのレベルの低さがネックになっています。そのため教務のITの研修をして、学生に負けないぐらい頑張っていただけば、教員の立場を守れると思います。学生が教務に使い方を教えながら知識だけを教えてもらうことをしても、学生から尊敬の念を抱かれないと思うので、しっかり頑張ってほしいと思います。金銭的なことは、我々は県にお願いをして、補助金をもらったりして頑張っています。そういう状況です。
○小山座長 ありがとうございます。
○舘委員 シミュレーションですが、いろいろな意味があると。防災訓練もシミュレーションだというお話だったのですが、今日紹介していただいたのは、人体のシミュレーションですね。看護ケアのシミュレーションとしてはどういうシチュエーションで行われたのか。看護教育ですので、看護ケアのシミュレーションが必要なのだと思います。そうすると、人体のシミュレーターを使って、看護教育のシミュレーションをするのだと思うのですが、看護ではなくて、もしくは医療なのかもしれませんが、どういうシミュレーションを設定して、こういうデータを出されたのかという質問です。人がそのまま寝ているという状態は普通はないですよね。シミュレーションの性能を見るという意味ではそうだと思うのですが、実際の看護の場所のシミュレーションがたぶん必要で、それがいま議論している目的やアウトカム、あるいはどういう知識と結びつけるかということだと思いますので、その辺のセッティングがあれば教えていただきたいと思います。
○山内委員 最終的にはトータルのケアを運んでいくところのシミュレーションをしていくのがゴールであるとは思うのですが、今回の場合はその中の要素であるタスクトレーニングに絞っています。すべてをカバーするためには、シナリオとグランドデザインを作っていかなければいけないことを課題として考えています。フィジカルアセスメントというものには、目の前にいらっしゃる患者さんの状態がどうなっているかという、これから私たちが何をしたらいいかというものの出だしの材料をきちんと把握するという意義があると考えます。ここのアセスメントがゆらゆらしていると、その上に立つものもぐらぐらしてしまうだろうと考えます。ですから、これが医学だ看護だというように変に分けるよりは、私たちがそこに人としていらっしゃる方についての状況把握をきちんとできるというレベルでは、たぶん共通言語的なところであると思っておりましたので、これをどういう大きなデザインの中の一部というか、柱にするかというのは、またこれは大きな意味でのシミュレーション教育の構築の課題かと思います。
○小山座長 看護教員の方々で、ご自分たちの大学、学校で、シミュレーション教育をなさっていて、状況設定をされている所があるかとは思いますが、ご報告いただければと思います。
○池西委員 看護教育は、従来からペーパーシミュレーションという形で、紙面上の患者を設定して、いろいろ考えていくようなトレーニングをしていると思います。私も長く看護教育をしているのですが、以前は、何を教えるかをしっかりと明確にすれば、学生たちが学んでくれていたような気がするのですが、最近はそれをどう教えるかを一生懸命考えないと伝わらなくなっています。そういう意味で、ずっと変わらないこととしては、看護場面や看護事例などを持ってくると、学生たちは興味を持っていろいろ考えてくれるのです。先ほどからお話があったように、看護実践能力を養成、育成するというところをテーマにするときには、知識を統合する力とか、統合した知識で状況判断し、それに合わせて技術や提供する様々な実践力まで総合しないといけないと思うのですが、そのときに、やはり自分で考える力や自分で調べる力、習ったことを引っ張り出してくるとか、主体的学習能力がとても大事だと思うのです。そういうときに大事になってくるのは、学生たちが興味を持つということだと思っていて、その場合に、先ほどから出ていますようなシミュレーションの中でも、事例を教材化するようなシミュレーション教育がとても有効だと最近思うのです。講義の中でも、できるだけ事例や看護場面を、いわゆるエピソードではなくて、できるだけ教材にしてメインに持ってきて、そこから何を学んでいただけるかというようなところを、いま工夫しています。
 そういうものを講義の中でもしていますし、また、演習の中では、うちの学校は、いまPBL、チュートリアル教育。いわゆるシナリオを教材にしながら、どう学んでいくのかを学んでいくような、そういう学習方法を取り入れているのですが、もう10年近くになるのですが、学生の能力育成という面で、すごくその辺りに手応えを感じます。実践能力につながる力をつけるという意味では、手応えがあるなと感じているのです。その辺りのことで、できるだけ場面や事例から、何をすべきかを学んでいくような、そういう教育をこれからもっとどんどん入れていく必要性があると思って、いまのところ取り組んでいます。
 そのためにも、学習進路の話になると、できるだけ授業と実習を切り離さずに、実習で学んできたことを授業の中で活かしていくような、順序性のようなものもすごく大事だなと思って、いま教育に携わっています。
○島田委員 貴重な報告をありがとうございました。山内委員の話からいくと、効果的な実践教育の試みをしたということの結果だと思って理解しているのですが、実は端的に言うと、ないよりはあったほうがいい。もちろん効果があるだろう。そしてそれは実践教育への試みなのですが、学内演習的なものとしては、十分成果が得られるだろう。そして、タスクトレーニングとしても意味があるだろう。そこまではよいとして、デメリット部分のところで少し気になっているのが、看護教育のところで、学生たちのいちばん大きな問題としては、去年の春先からコミュニケーション能力が非常に落ちている。学生のコミュニケーション能力がノンバーバルなコミュニケートであれ、それを見て取れない、やり取りができないという学生の場合に、どれぐらい実践教育にこのシミュレートモデルが有効かということは、デメリットのところには触れていないように思ったのです。それも一応限界として考えてよろしいでしょうかということが1点です。
 もう1つは、報告に書いてくださっているのですが、英国でこのシミュレートを導入したときに、自信感のところでは、学生の持つ自信感には有意差はなかった。これはオスキーももちろん、目的もそうですが、実践に出ていくときの学生たちのスキルレディネスを養うために、どれだけシミュレーションを有効に使うか。その1つの指標としてはどれぐらい自信が持てたら、例えば、8割方自信が持てた学生が実習に行ってもよろしいというような、何か方法論的な、1つのけじめ的なものは持たなくてもいいのかどうか。逆に、自信感を持たなくても、シミュレートは教育方法の1つのツールとして使えばいいのだというように考えればいいのか。そこを追加して教えてください。
○山内委員 やはりコミュニケーションに関しては、非常に難しい問題で、シミュレーション教育という枠組みの中に、SP、standardized patientとか、simulated patientという教育方法もあります。ただ、これはSPを養成して、SPを教育のカリキュラムにもっていくというのを、私たちも試みているのですが、なかなか大変なことです。シミュレーターは機械ですから、金銭面での課題をクリアしたらある意味で一度に揃えるということも可能です。SP教育を構築するには、舞台設定、台本書きや役者養成など、様々な課題があります。しかしひとたび取り入れることができますと、普段、顔を見ている同級生ではない、あるいは教員ではない人に初めて話をお伺いすることなどついては、学生にとっては非常に良い学習になると思います。しかしお金をどこかから工面してもSPさんを一度に揃えるということができない、そこが悩みです。
 英国のオスキーの場合は、あくまで評価したものをオブジェクティブすなわち客観的に、ストラクチャードしたすなわち構成したものです。こういう動作をしたらいいですよというように、たとえ目的がわかっていなくとも、正しく理解できていなくとも、表出させる振る舞いができているかどうかだけのチェックということが、そもそもオスキーの限界なのです。ですので、学生にとっては見えるように振る舞うというようにしていたために、逆に点数がよかったのではないかというような解釈もあると思います。
 コンフィデンスとか自信に関しては、測る方法とか、その人がシミュレーション教育ではない普通の教育を受けたときにどうなるかという、もう1回頭をリセットしてやり直すというクロスオーバーという形の研究方法が教育研究では用いることができないものですから、これ以上は比べる方法はないのではないかなと考えられます。文献的に見て、研究的な限界ではないかなと思いました。このぐらいがいいですというような指標も、特には示されていませんでした。
○岸本委員 先ほど、看護ケアと人体シミュレーションとの関係についてのご意見かと伺いましたが、蛇足になるかもわかりませんが、フィジカルアセスメントは、その方に、どのような看護ケアが必要なのかということを判断するための前提として考えられると思います。
 それからコミュニケーションや対人関係の能力をどのように養っていくのかということは、、やはり手法は対人間ですので、相手の方がどのような感情や認識でいま言葉を発したり、あるいは沈黙をしているのかとか、どのような精神世界でそこに存在しているのか、ロールプレイや逐語記録、特にロールプレイのような演習を通して相手のそのときの思いだとか感情を理解しあうというような、ヒューマンな領域でのトレーニングが必要なのではないかと思います。認知領域と情意領域の両方を卒業時には統合した形で使っていけるようになれば良いのかなと。学習としては別々にしていかないと、同時にというのは学生には難しいのではないかなと思います。
○小山座長 ありがとうございました。シミュレーション教育というのは、実習の場では非常に大きな学びがありますけれども、やはり患者さんは勉強のための対象ではありません。非常に人権意識であるとか倫理であるとか、そういうところを以前よりも教育側も重視するようになりました。ですから心音が聞こえないから、何回も何回も聞くということは、やってはいけないというのが常識の時代になってきております。そうすると、では学内で異常がわかるにはどのようにすればいいかということで、シミュレーターのような機械が開発されできるだけ学内で準備できるものは準備するというのが原則かと思います。そのための方法として、オスキーであるとか、コミュニケーションであれば、患者さんに最初から話すのではなくて、自分たち同士でも話し、次いで模擬患者と話す、それから、ロールプレイが入ったり事例を用いた演習などもあります。そのほかに、実習に出る前にでもいいですし、あるいは実習の場でもいいですが、学生が能力を身につけていくような教育方法として、これから日本の看護教育にもっと取り入れたほうがいいような教育方法等がありましたら、是非、ご提言いただければと思いますが、いかがでしょうか。
○阿真委員 質問なのですが、今現在、看護教育されている現場で、コミュニケーション能力を養うためにコミュニケーションの専門の方を招いて、先ほども話されたように、ロールプレイとか、そういったことをどのぐらいやっていらっしゃるのかということを少し疑問に思います。というのは、コミュニケーションの能力が足りなくなってきたというのはよく聞く話なのですが、実際、自分がコミュニケーションの講座などを受けてみると、わりとちょっとしたコツとかちょっとしたことを知っていると、コミュニケーションというのは随分とりやすくなるというふうに感じていて、それは専門家の先生から学ぶと私も自分の中にかなり取り入れられるようになってきたので、もし学校で、すでに当たり前でそういうふうに行われているのであれば、それはそのままでいいと思うのですが、現状、あまりそうではないのか、もうすでにほとんどの学校でそういうことが行われているのか教えていただきたいと思います。
○小山座長 コミュニケーションというと一般のコミュニケーションの専門家ということですか。
○阿真委員 はい。
○小山座長 いかがでしょうか、そういう人をお願いしている学校はあるでしょうか
○岸本委員 カリキュラムの基礎の領域で、人間関係の構築とか、人との関係性、そのベースにはコミュニケーションなど、知識、理論、そして体験学習をします。そして専門科目に入って、対患者さんを中心とした具体的な内容に入ります。それから、実習に出る前に能力をどのように身につけていけばいいのだろうかということなのですが、キャリアを専門職業人としてどのように培っていくのかという視点で見たときに、学生のときからどのような看護師になりたいのか、あるいは本当に看護をしたいのか、という目的や目標をきちんと育てていくことが大切だと思います。それから、相手と関係を持つときに、自分自身に対する自己肯定感がもてること、アサーティブなコミュニケーションがもてることなどその辺りを自己洞察を含めて行っております。
○小山座長 ただいまのご意見に対してでもよろしいですが、いかがでしょうか。
○藤川委員 コミュニケーション能力、感性を磨いたりすること、これは医師でも看護師でもすべて一緒なのです。初体面の患者さんに対し、主治医や、担当の看護師さんが対面したときに、3分から5分以内に信頼関係をつかむわけです。自分はあなたの悩みである病気に対して協力して解決するパートナーですよと。信頼関係を築く能力というのは根底に人類愛とか人間愛が必要です。もう1つは、看護学というのは、もともとキリスト教の精神で発生してきています。宗教的な精神が皆無の人はその知識はあっても、非常にクールな医師であったり、クールな看護師さんというのは、試験をすると非常に優秀だけれども、患者さんからすれば、あの先生はちょっと冷たいな、この看護師さんは冷たいな、という評価をうける。そんなに成績は良くなくてもあの看護師さんだと私の心が開きます、悩みが相談できる、そういう人間愛を感じさせるようなコミュニケーション能力を磨くというのは、看護師であるとか医師である前に、人間としての専門的職業人にふさわしいかどうかということがあるのです。
 私たちは看護師の試験などをやりますが、「これは職業を変えたほうがいいな」と。回答の内容を見て、真面目に勉強しないこともありますが、それだけではなくて、非常に熱心さが足りないなとか、わからなくても一生懸命答えている、これは教育し甲斐があるな、というのはわかるのです。だから、その辺の進路指導の問題もありますが、黙っていてもしっかり勉強してコミュニケーション能力がもともとある人とか、普通のノンポリの人は教育をすればきちんとなる、そこそこいくのです。しかし、留年しそうな人たちをどうするかというので、教務の人たちはいつも悩んでいるのです。例えば英会話を学ぶときに文法から入ると話せないのです。私たちも中学時代はそればかりやられてついに英会話は上手にならなかったのですが、あまり知識を詰め込みすぎると、頭の中に知識がたくさん入っても実際の現場に行ったらどれを使っていいかわからない。実際の診療の現場において本当に必要な知識というのは、看護学でも医学でも、学んだうちの10分の1か100分の1あれば、実際の診療の現場においては十分です。英会話と同じように、実習と、フィードバックしてその問題点をもう一回授業でやる、いわゆる系統講義で半年、1年勉強して、さあ明日から実習に出るとしても、勉強した小児科は1年前だとすると、もう忘れています。確かに言われたように、系統講義の間に実習をどんどん入れ込んでいくというのも、忘れる前に実習をするというのもいいことかなと思います。
○岡本委員 いまの藤川先生のお話はすごくそうだなと思いました。私は保健師教育のことしかわからなくて申し訳ないのですが、英国の教育例ですと、月曜と火曜に講義があって、水曜と木曜に実習に行き、金曜は、研究日ということで、理論を使って実践してみたけれどもうまくいかなかったのはなぜだろうというところを学内でシミュレーションしたり、そのようなやりかたの学習を1年間通してやっている大学があります。全国どこでも実践が800時間、理論が800時間ということで1対1の時間配分です。2年生の後期に習った理論を4年生の前期にやっと実習をするような日本の体制ではなく、理論と実践を統合できるようなやり方をこれから教育の中に入れていかなければいけないと非常に思いました。そこの中に、講義とシミュレーションなどの演習と実習がうまく組み合わされるような学び方ができると非常に有効と思いました。
 それと、コミュニケーション能力ということでは、理論で学んだことを実践してきてまた学校に帰るという繰り返しの中では、自分が何をしてきたのか、それはどういう理論に基づいていて、実践をしてみたらこのときはうまくいったけれどもこのときはうまくいかなかったというようなことを、自分の言葉で表現をして、自分がその理論をきちんと使いつつ実践をしているということを表明してみせるというところまでを実習の到達度、ラーニング・アウトカムに置いた学ばせ方をされていて、そういう方法が有用です。そのベースとしてはポートフォーリオ、自分がやったこと、経験したこと、学んだことをためていく方式のものをつかっておられて、それを自分たちのレベルを示す一つの評価ツールにもしています。そのような講義、演習、実習の連続性を保てるような体制というのは、是非、これから我が国でも考えていかなければいけないのではないかと思います。
○小山座長 講義・演習・実習を連続性があるようにということですが、そうするには今の教科目は非常に多いので、その多い科目数をどのように授業として組むかという時間割りを組むのにも大変苦労をしている現状です。実習はまとめてというところが相当あるものですから、そうするとそのカリキュラムの内容のところまで考えなければいけないのか、どうすればそれが実現可能になるのだろうかと思います。
○山内委員 いまの岡本委員と同じなのですが、私も、アメリカで看護学生であった際に、隔日、講義をやって実習、講義をやって実習という形で勉強しました。背景としては、アメリカの在院日数は非常に短いので、例えば1週間続けている患者さんがおられないという状況がすでにかなり現実でした。今、現実に、私たちが学生の実習をするような病院に行ってもかなり急性期化していますので、慢性期実習をやりたくても慢性期の患者さんがおられなくて、実習の1クールの間にどうしても患者さんが替わらざるを得ないような状況になりつつあると思います。そうすると、従来の急性期・慢性期とか、年齢層からすると65歳で成人と老人と分けたところで、例えば心身の状態からすると非常に若々しい人もおられたりと、そのときの人によって変わってくる可能性もあります。急性期実習・慢性期実習のような実習枠はありますけれども、まず枠からではなくて、まずそこで実習して、ここでの実習内容は学ぶべきもののどこをカバーしていたのかというような形でいかないと、「先に枠ありき」でその中に実習の患者さんを探してこようとか、1週間続けて無理して実習をさせなければいけないとか、いろいろな現実との乖離や限界がすでに来ているような気がします。確かに、なかなか難しいこともあります。アメリカでは、講義をやって次の日に実習をやってということができるのは、教員がその病院の身分と学校の身分と両方を持っていて、どちらにもコミットメントできるようなシステムがあったり、会議レベルではなくて実態レベルでのユニファイしていないとできないかなということを感じてはきましたけれども、何実習かという類いの枠に囚われないような教育の方法論での工夫もあるのではないかと思います。
○末永委員 ちょっと雑駁な話になりますが、私も、実は、看護専門学校の校長もやっておりまして、最近はその3年間は予定が一杯で余裕のない生活を送ることになっている。ただ、若いうちにやらなければいけないのは感受性を身につけること、要するに他人の心の痛みなどを理解してあげることなのだから、言ってみれば、その感受性を身につけるためにはいろいろな経験をたくさんしなければいけない。そのためには、実は、授業などで追われてしまうけれども、若さの特権というのは忙しさもまた楽しめるというところにあるから、どんどんいろいろなことを経験しなさいということを言うわけです。そんな忙しい生活の中で、コミュニケーション能力どうのこうのと言われても、それを授業の中でやるのは極めて難しいです。むしろ、それは課外で、友達同士の付合いとかいろいろな演習などの中で身についていくものではないかと私自身は考えております。
 ただ、1つ言えるのは、正直言って、医者というのは成績だけでなっていると言う人もいまして、これが良いかなと思う人もいます。しかし、少なくとも、看護師を目指すような人たちというのは、基本的に優しさがあるはずですから、その人たちを何とか伸ばしてあげたい。そのときに、ものすごくたくさん覚えなければいけない中で、まさに、このシミュレーターを使って、その覚えなければいけないことについて、これは放っといてはいけないということについて、それをわからせるということが学校での教育の中で必要である。この疾患が何であるかではなくて、これは放っといてはいけない、こういうものを見逃してはいけないよ、ということをシミュレーターを使ってやれば、かなり要領よく教育できるのではないかと思います。
 ただし、もう1つ言わなければいけないのは、呼吸だけ心臓だけという形でのシミュレーターですから、実は、総体としていろいろなことが出てきますね。例えば、ショックの状態のときにジットリと嫌な感じというのは、これは触ればわかってしまうのですが、そういうようなことはシミュレーターには出てこないわけです。それぞれの部所ではこういうことに注意するのだけれども全身的に観察するのはこういうところだよということも含めて、教育がなされなければいけないのではないかということを感じましたので、少し追加させていただきました。
○小山座長 先ほどの岡本委員と山内委員からのご意見のように、講義・実習を1週間の中で組んでいける方法があって、それは現場を知りながら理論を深めていけるというので非常に良い方法ではないかと思うのですが、山内委員のほうからはユニフィケーションがないということが言われました。ユニフィケーションのシステムを日本でこれからつくっていくには何十年もかかるかもしれませんので、それではなくて何か良い方法とか提案とか、それはこうすればできるのではないかというような案がありましたら、是非、出していただければと思うのです。あるいは、従来どおり、講義がある程度終わって演習をして実習するほうが、日本ではいいというご意見があれば、それはそれでも構いません。
○舘委員 私は看護学の中にいる者ではないものですから、実践は離れて、そういう立場で教育理論として見るのと、役割として国際的な視点でお話をする役割になっておりますのでその点から見ると、いま議論になっているように、どの教育方法、何を教えるか、どう教えるかということですが、世界的動向の中で、専門職教育全体もそうですし看護教育もそうですが、大きな枠組みで能力像を持ってアウトカムから見る。いまも、アウトカムがはっきりしないと方法が決まらないというご議論をされていますので、その線に沿っていると思うのです。もう1つ、方法についてはあまり文献がないのですが、イギリスのことを紹介された方がいらっしゃるので、それに私の知識をかこ付けると、イギリスのNursing Midwifery Councilという、看護師さんたちが全員入っていなければいけないカウンシルですが、そこが、5年ほど前に、Standard of Proficiency for Preregistration Nursing Education、いま我々が言っている基礎看護教育のスタンダードを出しておられて、私が読んで、その中で方法に読める部分があります。
 それは、こういう専門職分野ですので、最終的な目標は実践能力ということで、そういう意味では当たり前のことかもしれませんが、プラクティスセンターズ・ラーニングということが掲げられている。ただ、わざわざプラクティスセンターと言う理由は、プラクティスを教育していればできるわけではなくて、最終的にはプラクティスができることになるのだけれどもそれは理論と実践の統合でなされると。これも当たり前かもしれません。ただ、英国の紹介の所では理論という言葉が使われたのですが、皆さん多くの方は知識という言葉を使っておられるのです。それで講義対演習という議論なのですが、知識の中にも理論的な知識と経験的な知識、作業的なもの、いろいろあると思うのです。たぶん、世界の動向からいって、基礎教育の部分は理論と実践というふうにわざわざ言っているところは、理論性のある知識を教えようとしているのではないか。3つ目の原則は、エビデンス・ベースド・プラクティス・ラーニングとなっていまして、エビデンスに基づく。このエビデンスというのも、その辺に転がっているというよりは、看護リサーチ、リサーチの結果をうまく使うということで、リサーチ自体をこの時点で求めているわけではなくて、リサーチ結果とか、そういうものに対して批判能力を持っているとか、要するに、これも、文脈としては、非常にケアの面が変化しているし複雑化している。ですから、知識というものを平たい意味の知識で教えようとすると無限にあるわけで、それを何とか理論化しようというのが看護研究の課題で今はなされていると思うのです。しかし、往々にして理論というのは実践と離れたものがあって、日本人の感覚ではむしろ邪魔になる場合があるということが起こると思うのですが、それにもかかわらず、解決方法としては理論化していかないことには知識が無限に増えますし変わってしまいます。テクノロジーの変化でこの作業はできてもその作業は翌日にはなくなってしまうかもしれない。そういう意味では、自分でそういうことに対応できる能力を付けようということで、エビデンスベースト、その3つが言われていると思います。その文脈の中で調べると、看護教育の中でもシミュレーションというのが非常に出てきておりますし、もともとプロジェクト方式という、これは医師の養成まで含めて言われてきたものもありますが、それにもかかわらず、申し上げましたように、一方で知識と言われるもののほうのあり方を検討していただくのが筋かなと思いまして発言させていただきました。
○千葉委員 いまの館委員のお話を聞いて私も発言したいなと思いました。看護基礎教育における臨床実習というは非常に大事だと私は思っています。山内委員が先ほどシミュレーション教育がアメリカの一部では実習に代わるものとされているというご説明があったのですが、そうは使ってほしくないなという思いもあって最初の質問をさせていただきました。ですけれども、今の臨地実習を見ていると、このようなシミュレーションとか模型をもっと使って事前の学習をきちんとしないと実習で有効な学びができないのではないかと思っています。学校に帰ったり実践に出たりという方法もいいなとは思うのですが、このごろは実習場が非常に離れている学校が大変多くなっています。また、一つの実習グループを担当し、学生の実習状況を見ながら、明日で実習を終わって明後日は学内でこのことをやろうという、臨機応変にできる教育力のある教員がどれぐらいいるだろうかということもあります。
 そして、今のような実習形態を前提にすれば、事前の学習とともに、現場で学んだことの事後の振り返りということももっと大事だと思うのです。実践の場で体験する数多の事実をエビデンスに戻って考えるということをしなければ、体験した・しないのレベルでは学習は広がっていかないわけで、事実と理論の繰返しをすることが実習に出る意味だろうと思います。現状は1,000時間以上の実習時間をタイトな期間の中でこなしていかなければいけない。ですから、今週の木曜か金曜までこの病棟で実習をやったら、来週の月曜か火曜には次の病院の別の病棟に立っていなければいけないという学生の状況では事前の学習や事後の振返りということが全然できない。このような形でカリキュラムが動いているというのがすごく問題なのではないかと思います。
 もう1つは実習場の問題です。今、基礎教育の場と実習場がだいぶ離れている所が非常に多くなってきています。そういう中で、学生は、実際の患者さんを目の前にすると、たくさんの知識がないと患者さんを理解できないなどものすごい動機付けをされると思うのです。しかし、その必要になった知識を実際に勉強したいと思っても、病院の中の学習環境が非常に貧しくて、学生は、じりじりしながら実習が終わるのを待って、夕方急いで学校に戻ったり本屋さんに駆け込んだりして、睡眠時間を削って勉強をする。先生はどうしても記録で指導するので先生にもわかるように実習記録に書いていく。若い人ですから、一時的ならば頑張れるけれども、何カ月も続くわけです。そんな実習を続けさせていれば、看護実践に対するイメージは悪くなるのではないかと現場にいる者としてはすごく心配です。ですから、臨床現場の中の教育力や学習環境をもっと保障しなければ、良い実習場にはならないだろうなと考えます。そのように事前の学習、事後の振返り、実習場での学習環境の充実というところがもっと必要だなと思います。そして、毎日やっている看護行為に普遍的な意味付けをきちんとしていけるような人を、臨床の中にも、看護教育の中にももっと増やさなければ、なかなか思うような実習はさせられないと思っております。

○小山座長 効果的な臨地実習のあり方ということで学校とつなげてというところに入っていますけれども、学生が学ぶ環境として、学校に遠い所からわざわざ戻ってではなく、実習場にそのような図書の必要最低限は備えてもらえないかということ、それから、指導者として、教育力のある人が指導をするようにということですね。
○千葉委員 それは病院側が用意しなければいけないのでしょうか。基礎教育として必要なわけですから、本などは教育する所が準備するものだというように思っています。臨床での教育力ですが、それは臨床の指導者なのか、付いてくる教員の力なのかというのは、その辺はいろいろあろうかと思います。
○小山座長 ただ、「学生の学びが生じるための」ということで言われていますね。
○中山委員 かなり極論になるので少し割り引いて聞いていただかなければいけない面もあるかと思うのですが、私は、今日の討論をずっと聞いてもそうですが、一旦、看護基礎教育の枠組みを外すということを考えざるを得ない。これだけの97単位をやるということは、皆さんが言っていることは土台無理なのです。私も、今年の2月、教育のことでアメリカへ行かせていただいたのですが、今、アメリカの中でいちばんの努力は何かというと、私の先生の影響もあるのですが、看護師さんが発想するような発想でどう教育ができるかということに影響を受けていて、今日山内先生がやってくれたシミュレーション教育のものもそうですが、例えば心音の異常があったときに臨床の看護師はいくつの可能性を考えるかという、そこの心音の異常というのは1個ではないわけですね。いろいろな状況が想定される、その状況をどのぐらいまで想定して学生にそこを思い浮かばせるか。実際の看護師は患者の目の前で心音に異常があったときに絶対に1個のポシビリティで動いていない。異常が起こった可能性がいくつもあって、その可能性をどのぐらいまで想定できるかというところがあるということで、教員たちはその心音の異常に対していくつぐらいまでの状況を設定できるかということでたくさんの例を出している。そういうようなことをずっと努力しているのが現状かと思うのです。私は、皆さんが言っているように、この一つひとつを丁寧にする教育をしない限りは、今のような枠組みの中でこれをやろうと思っても無理なので。
○小山座長 すみません、「今のような枠組み」というのをもう少し丁寧に、看護教育以外の方にもわかるように。
○中山委員 97単位で縛るような枠組みではなくて、基礎教育で最低限しなければいけないものは何か。例えば、平たく言うと、私の時代にもあるような解剖生理学のある部分は絶対に必要になるのだと思うのですが、何もかもということではなく、自分の置かれている学校のいちばん特徴的な臨床の中から、今日議論しているみたいな、思考ができる・発想ができる教育をどう組み立てるのか。そこに、それぞれの大学あるいは看護学校の主体性を持たせてもらわない限りは、この基礎看護教育を変えることはできないのではないか。今、カリキュラムの改正の度にずっと増えてきたこの知識量を今のままで教えることはもう限界にきているというふうに思っております。
○菱沼委員 皆様の議論を聞かせていただいて1つ思ったのは、看護教育の基礎教育のゴールは実践能力の育成だと。確かにそう言い続けてきたのですが、実践能力の育成と言ってしまうと、その時点でのことをついつい思い浮かべる悪い癖になるので、ゴールは実践を継続できる能力を育成することだと言い替えておいたほうがいいのかなと。基礎教育のゴールは実践を継続できる力を育成することというふうに置き換えたほうがいいのかなというのが1点です。
 それから、皆様のお話を伺っていて、私も、今、自分の大学でカリキュラムの改正をやっているのですが、例えば実習を2単位で置くと、1週間1単位というふうに考えるわけです。そうすると、2週間現場に行くと2単位なのですが、その間は現場に行っていなければいけないのだと考えるのか、先ほどご発言もありましたが、振り返る時間を含めての2単位なのか、いつももめるわけです。それで、我々は何でもやり放しというのは力にならないし、教育の方法としては賢くないと思いまして、振り返って理論付けて、次にやるときに、少なくとも、そこからステップアップできるような力を付けなければいけないと思うので、私も、今の単位の組み方で実習を7領域とか8領域とか回すようなやり方には限界があるような気がしております。前々から思うのですが、本当にみんながやる実習の領域が全部でなければいけないのか、もう少し選択をしてもいいのではないか。国の人口あるいは病院に入院している方、療養が必要な方の割合からいった単位数の配置とか、必ずしもやらなくてもいい選択制でいくつか選びなさいというような方法とか、そういったものも考えていいのではないかというふうに思っております。そこがないので、どうしても、ぎちぎちのカリキュラムになるということを思っております。
○小山座長 ただいまのご意見についてですが、ワーキングではこの会のご意見を反映して具体化しなければなりませんので、もう少し皆様方のご意見をお伺いできればと思います。この会が始まった当初から、「看護基礎教育は非常に過密である、3年ではとても足りない」と言われながら、昭和42年以降ずっと付け足して看護師だけで、今は97単位です。いま出ているご意見は、実習をすべての領域をというのは非常に難しいのだけれどもどうかということです。それについてまずご意見をお伺いしたいと思いますが、いかがでしょうか。実習をすべての領域ではなくても、先ほど言われましたように、国民のヘルスニーズをアセスメントして、最も多いところは重くしながらという組み方があるとのことですが。すべての領域にという現在の実習のあり方についてご意見をお伺いしたいと思います。
○岸本委員 私も経験的に思うのですが、私たちが学生の時代には、実習場所が他の学生とは2つぐらい少なかったりとか、そういうアバウトなところがありました。。しかし、他の学生より少ないことによってデメリットがあったかというと、卒業して現場に出ても困らなかったように思います。例えば精神科の病棟であっても内科の病棟であっても、専門的な能力は、配属になったところでコツコツ勉強して、消化器の内科系の治療をしているひとであれば消化器系統に関する基本的な知識・技術をさらに深め、看護の理論を使って本質を踏まえながら、その特殊な領域の学習をすることによって、十分やっていかれるのではないかと。そうしましたら、
従来から出ていますように、フィジカルアセスメントの視点とかその取組み方とか、人との関係の成立とか、あるいは人間を大事にする倫理性とか、そういうベースになるものをしっかり身につけておくことによってやれるのではないかと、実感的に思います。それで、いま問題になっているのは、いろいろな領域を一通りローテーションするわけですが、その実習の主軸になっているのが問題解決過程、つまり看護過程を展開する、問題解決的な援助法を学ぶことがルーチン化していまして、それを指導する手段というのが、ノートを使って書き物によって思考の振り返りや分析・判断の後追いと確認をしていくという、ノートがないとできないというような教員の限界性もあります。書くためにすごいエネルギーを注いでいるところが非常に気になっていますので、どなたかおっしゃいましたように、もっと現場で実際に体験したことを共有し、その場で振り返りをして理論や知識に戻したり、自分の患者さんの理解を自分自身に戻し、自己洞察の機会になればいいなと思うのです。実習指導教員というのは、専任教員プラス実践の力がなければできないと思うのですが、そこが専任教員と臨床指導者の能力の違いなどや限界性もあることが、1つの課題になるのかなと思っております。

○島田委員 あまり時間もないと思いますのでコンパクトに申し上げたいのですが、効果的な講義や実習のあり方を考えるということでスタートしていると思うのですが、1つは、カリキュラムが過密すぎるから軽減するために、イコール即決単位数を減らすとか、1単位どうのこうのカウントという問題にいかないで、効果的な学習方法あるいは教育方法を考えてはどうかということでいま議論をしているのかなと私の中では理解しております。それで、1つ、最初はシミュレートのほうから入りましたので、これは非常にタスクトレイとしては非常に有効だと私は先ほど発言しました。これは実践の場面の中でのあくまで基本であるし原理なわけです。修得すべきスキルの原理なわけです。それを実際に実習場面で応用していくわけなので、ケアの実際というのは具体的にどれぐらいエビデンスのある良いケアができているのかを学生たちが学習しにいく場所なわけです。なので、ここで1つですけれども、例えばどんな方法で教育をしたら効果的な実習になるのでしょうかというところで先ほど出てきたのはエビデンスをどう考えるかということでした。いま私が手を挙げたのは、うちの大学では、3年生の学生が実習に行ったときに、現場の中でよくやられているのは看護過程の展開だけをしてくればいいのだと学生たちは誤解していますが、看護過程が展開されている中でどんなケアが実際にやられているのですかと。そこに焦点を当てたときに、大学に戻ってきたときにエビデンスを検索させています。当然、先生方もご存じのように、エビデンスのあるケアというのはほとんどないです。本当に少ないです。その少ないということを学生に気付かせて、なおかつ、学生がレポートした実習記録を現場のほうに返します。そうすると、現場の指導者たちも、こういうところまで学生は勉強して確認しているのかということに気付かされます。したがって、そこで何が起きるかというと、教育は大学の教員だけがするものでもないし、現場の指導者がやってくれるものではないので、双方で相乗的に効果をもたらすような役割を持っていくという仕組みを大学側が計画できるかどうかにかかってくると思うのです。うちは、学生たちがエビデンスレポートを出したときに、現場のスタッフはここまでやれてないのだったら、それを実証できるための、良いケアが選択できるための研究をしていこうということで、大学と病院で連携が持ち上がってくるわけです。それも1つの案ではないでしょうかということで、教育方法の一案として申し上げさせていただきました。
○小山座長 教育方法として、是非、検討していきたいと思います。その前に、少し議論を戻すと、今日の流れの中で、そのような能力を育成するには過密ではないかということで、実習のやり方等にすべての領域をやる必要があるだろうかという投げかけに対しまして岸本委員からご意見がありました。また、いまお2人からもご発言があったのですが、看護過程を展開すれば実習に行ったというふうに学生が錯覚するようなメッセージを教員が送っているからかもしれないことに対する反省が非常にたくさんありますが、看護過程を学ぶというのは、学生のときにその方法論として1プロセスでいいけれども、すべての実習でなくてもいいのではないかというメッセージで受けとってよろしいでしょうか。

○小山座長 それでは、また検討したいと思います。つまり、記録をあまりにも偏重しすぎない実習であり、実習のやり方等についてはもっと工夫をすべきということですね。お手元の資料5-2をご覧ください。これは修正前ですが、前回いただいた、もっと体を知ることであるとか、いろいろな能力については追加しますけれども、非常に大まかにまとめると、このような能力を全体的に育成する。ただし、3群の所のKとLの間の所をもう少しスリム化させて効果的な枠組みにするようにというメッセージかと受け取りましたが、それは従来の枠組みの成人・小児というようなものにこだわらなくてもいいというメッセージとして受け取ってよろしいでしょうか。
○岡本委員 先ほどから、理論を学び、実践を通してそれを振り返りもし、という学び方の大切さが出ていましたが、それは時間数が減るということではなく、より時間数が増える話と思って私は伺っていました。そういう学ばせ方をするということは、その97単位が減るという話では決してないというふうに理解しています。それで、実習時間は、指定規則が制定されて以来50年間で4分の1になり、30年間で約3分の1に減っているという現実があって、実際、近年、その健康課題が複雑化して、人々の価値観とか生活様式も多様化してきている中で、看護の基本中の基本の人の全体像を把握するとか、対象を理解する、対象をアセスメントするという力量がさらに問われるようになってきていると思います。そうすると、この間も、前回の資料5-2の話の中で、ホリスティックに人を理解するというところが抜けてないですかという話題があったかと思いますが、一部の対象だけを見て人間という対象を理解するというのは非常に難しいのではないかと思います。人というのは、健康増進とかいろいろな段階を考えても、それぞれの発達段階に応じた人の理解が必要でしょうし、発達段階ごとに人を見る、アセスメントをするという、看護過程をどの程度展開するかというところの議論は必要かもしれませんが、その対象を発達段階ごとに見て多様な対象についてアセスメントすることを抜いてしまうということには、看護を学ぶというところではどうかなと思います。多様な発達段階の対象について学ぶ必要があると思います。実習時間についても、実習時間が減ってくる中でアイデンティティの確立の問題だったり、早期離職の問題だったり、リアリティショックの問題だったり、いろいろ出てきているというところでは、時間を減らすというところに直結する話ではないと思います。
○小山座長 誤解を受けないように述べさせていただきますが、成人看護・小児看護と言ったのは、その課目で何単位というふうに区切られているということであって、人が生まれてから亡くなるまでというのは看護の対象から抜くことはできませんので、それについては当然学ぶということの前提です。
○草間委員 私どもの大学は、来年4月から看護教育を4年にする唯一の大学なのだろうと思います。そこで、看護師の教育のカリキュラムを検討しているのですが、まずその実習ですけれども、専門領域をそれぞれ今のような発達段階ごとの実習でなくしたらどうかというご提案だろうと思うのですが、今は核家族化してきて、学生が大学に入るまで、あるいは大学に入ってからも、子どもあるいは老人に接してこなかった学生が結構いるのです。だから、例えば老年看護をやるにあたっても、まず、正常な老年はどうなのかというところからやらなければいけない。小児に関しても、小児看護直ちに病気の看護ではなくて、まず、保育所に行って子どもというのは何かというところからやらなければいけない。なぜかというと、核家族化してきたために、年齢の異なる人たちと接する機会がなくなっているのです。そういう意味では、単位数をどうするかというのは別として、それぞれの専門領域の看護というのは残しておくべきではないかと思います。なぜかというと、これから看護師が活躍する場としては必ずしも病院だけではなく、特に在宅等でやっていただかなければいけない。そのときには、在宅では精神の疾患を持った方たちもいる、小児もいる大人もいるということになれば、少なくとも、実習でそれぞれの異年齢の方たち、発達段階の違う方たちに、単位数を減らしてもかかわっておくということは大変重要ではないかと思います。
 実習からは外れてしまうのですが、カリキュラムの構成にあたってすごく大事なことは順序性をどうするかということと、大学だったら実習を4年間、専門学校だったら3年間の中に、ユニフィケーションで講義をやってこうしましょうというようなことは、日本では、医学教育と違いまして附属病院があるわけではないので、これは不可能だと思うのです。だから、少なくとも、1年生から4年生までに、専門学校だったら3年生までの間に、上手に実習を組み込んで、基礎から専門までというような形でそれぞれの学年に実習を組み込んでいくというのは、順序性という意味ではすごく大事ではないかと思います。それと、教育をしてみてすごく思うのは、先ほど小山先生も言われましたが、すべての状況に対応する看護師というのは育てられるわけではないので、基礎教育、特に基盤教育をどうするか。だから、フィジカルアセスメントをするにあたっても、その前の生理・解剖、あるいは薬理とか、そういった基礎的なことがわからないと次に続かないのです。そういう意味では、看護の基盤になる教育を強化していただくというのはすごく大事ではないかなと思います。それと、実習の中で、今回うちは4年にしたので時間的にかなりゆとりが取れました。今までの反省として、実習のやり放しというのが多かったのですが、その専門実習の中に、統合実習とは別に総合看護実習というものを入れまして、専門領域の実習をすべて終わったところで、看護理論と結び付けてどうかという形でもう一度振り返りましょうという形で、実習に出ないで学内で演習させるという項目を、総合看護実習をつくりました。
 そういうことで、順序性をきっちりやっていただくということとベースになることで、シミュレーションを使ったフィジカルアセスメントも、看護のフィジカルアセスメントで先ほど言われたみたいに、看護師は五感を育てることがすごく大事なので、このフィジカルアセスメントをシミュレーション等を使ってやっていくというのはすごく重要なことだろうと思うのです。そのシミュレーションもどういう形で位置づけていくか。これは実習とは絶対に違うと思っていますので、そういう意味では順序性の中でどこでシミュレーションを入れるか。シミュレーションといっても、今のようなPhysikoではなくて、それこそ、個々の常駐のシミュレーションのそれぞれのモデルがあるわけです。それと、最終的には模擬患者もシミュレーションですから、こういった形でそれぞれの段階でうまくモデルあるいはシミュレーションを使っていくという教育を組んでいくということは大事ではないかと思います。主張したいのは、順序性をきっちりするということと、実習をすべての学年に入れるということではないかと思います。
 それと、今、うちは全国の大学で唯一なのだろうと思うのですが、進級試験というものを入れていまして、2年から3年に行くときに一定の基礎能力がないと進級させないことにしているのです。看護に関しては、療養所の世話がきっちり自律してできることと、診療の補助行為がきっちりできること。これは到達目標として大変重要なことだと思っておりますので、特に技術チェックを3回入れまして、それぞれ技術チェックができないと実習に出せないというような形で、今の学生は試験をやるよと言うと結構真剣になるのです。そういう意味では、それぞれのところにチェックポイントを入れながら、あるところに達した学生でないと次に進ませないというような仕組みは大事ではないかと思っています。
○岸本委員 実習と教科の関連性に関して受け入れ側の病院としっかり話し合って、その病院に実習に行っている学校が例えば5校あるとすれば、その5校と受け入れの病院とのしっかりした話合いの中で教科の進度とうまく組み合わせることができないだろうかな、話合い以外にそこの組み立ては難しいかなと思いました。
○三浦委員 先ほどのどのような効果的な実習をという点で、実態からで申し訳ないですが、300校以上ある日本看護学校協議会で、2年に一遍、いろいろな実態調査をしているのですが、その中で、実習施設で、先ほども言われているように、7領域すべての実習を今の単位でという中身の中で実態はどういうことが起こっているかというところだけからなのですが、いちばん困っているのは小児看護学、母性看護学、そして在宅においては実習施設の確保が本当に困難になってきている学校が年々増えてきているという実態があります。これは、大学も増えてまいりましたし、今まで専門学校だけでやっていたところがそういうことも増えたということもあるのですが、これを何とかしていくということが1つ必要かなと思っております。あと、ワーキングでやった資料5-2にある疾病の保持・増進のために、実践能力をつけるために、ここの枠をどうするかというところに関しましては、全領域を学ぶということは、確かに、人間がいろいろな発達課題の中で学ぶということは、どの委員もおっしゃっているように、必要かなと思います。ただ、特化したところといいますか、地域のほうはまだ聞いて調べてないのですが、小児の実習とか母性の実習のみでなければ学べないというものもあると思いますので、そこをかなり厳密にした上で実習の中身を考えていき、同じように、成人とか小児というようにすべての看護課程を学ぶというところは行かなくてもいいのではないかと思います。
 もう1つは、先ほど岸本委員もおっしゃいましたように、学生に実習で何を学ばせるかというところでは、知識もあるし技術も必要ですが、そこに対する人間性というところになったときに、それが全部3つ合わさったときに実践能力が付いてくるのではないかと考えております。そのために、実習の場というのは、看護というのは本当にその場でしか学べないというところで、それをアドバイスしたり感じたこと、キャッチ能力だと思っているのですが、そのキャッチ能力を実践力のある、経験値のある指導者また教員が見たときにかなり不足していることが十分あると思うのですが、そこを何を感じたかということで振り返ったりエビデンスを考えさせたりということを立ち止まらせて考えさせる能力というのは、教員や指導者の中に必要かなと思っております。その方法としましては、実際に病院で指導してくれる指導側と学校側で常にそこのところを会議なり事例で検討したりして、学生の感じたことを教材化する能力というものをお互いに高めていくシステムが何かあれば、学生は、あまり窮屈ではなく感じたことを素直に引き出してもらえる指導というものが成り立っていって理想かなというふうに思っております。
○小山座長 時間ではありますが、菱沼委員が先ほどから手を挙げていらっしゃいましたので、それで終わりにしたいと思います。
○菱沼委員 1つ提案といいますか、実習のやり方が、病棟に行く、そこに来た患者さんを受け持つ、という実習だけではなくて、例えば外来に来た患者さんの家まで付いていく。そこの人がどういう暮らしの中でこの病気を持った生活をしているのかというような、その実習のやり方をもっと工夫する可能性というのはないかというのが1つ。それから、小児とか子どもに限らず、人の成長・発達は演習とかいうような形で元気な子どもさんたちを診るとか、そういうのはもちろん有りだと思うのです。その上で、実際に看護を展開するという実習の中においては、個だけではなく、その家族から地域社会までも考えた看護の展開ができるような時間が必要ではないか。そういうものがあったらいいなと思っています。
○岡本委員 先ほど菱沼委員が「実践を継続できる能力を養うこと」が看護教育の目標だとおっしゃったのですが、それもとても大事なことで同感なのですが、看護教育の目標というのは「実践力を養うこと」だと思います。最初に山内委員が、医療職として人の生命を守るというレベルに必ず到達しなければいけないところだとおっしゃっていたのも同感ですし、舘委員がNMCのスタンダードの話をされましたけれども、その冒頭のところには、国民の健康と安全を守るというレベルが看護職教育の到達点だ、と明示されています。学生を人の生命を守れる質にすることが大前提ですので、実践力を養う教育を大前提と考えるべきと思います。
○山田委員 現場の実習を受けている立場から言うと、入院期間も非常に短く、在宅でも、さまざまな体制がありますので、受け入れ現場は非常に厳しい状況にあります。いかに実習を有効にしてやっていくかということになると、事前のシミュレーション等を含めた教育と、その前後の振り返り、特に後の振り返りが非常に重要かと思います。それは、学生たちが来たときに、コミュニケーション能力が決してないわけではないのですが、緊張された中で、前の実習の疲れとかも引きずりながら来ていることがわかります。それで、雑談をすると、いろいろ感じていること吐き出します。教員側や臨床指導側の教育力すごく大きいのかなと思っています。学校の先生方は非常に多くの教育環境の中でいろいろなことをやっていらっしゃるとは思うのですが、その力をいかに高めていくか、あるいは臨床指導者側がどうやって高めていくかということが、カリキュラムと同時に大切ということ実感しています。また、学校側と臨床現場との話合いをやっているのですが、ある大学では、私ども在宅と、病院施設と、合同のネットワークの会というものを持っているような大学もあります。あるいは、在宅側の現場だけ、ステーション側を何箇所か集めて、学校との交流会をやったりする場合もあります。また、臨床指導者と学校側の教員に来ていただいて個別で話し合う機会もありますが、もう少しその辺に詰めた教育のあり方を検討する時間をつくることが必要なのかなと思います。先ほど、領域別に看護を展開するというお話がありましたが、私は展開する場はそれほど多くなくてもいいのではないかと思います。実際に生活、生きていること、子どもたちから老年者までがどういう生活をしているか、どういう障害を抱えているか、健康問題があるかということをイメージさせることが大切と思います。看護を展開させる実習という以前に、講義との連動性の中での演習であったり、あるいは、外来に来ていらっしゃる家族の所に付いていくというようなご意見が先ほどありましたけれども、いかにそういう人々を知り、その感情とか思いを理解するような場をどうやってつくっていくか、ボランティアなどもあるかもしれませんが、もっとそういうところに単位を使う工夫が必要ではないかと思っております。
○小山座長 本当にたくさんのご意見ありがとうございます。まだまだ言い足りない方もたくさんいらっしゃるかと思いますが、今日は時間ですのでこれで終わりにしたいと思います。前回と今回の皆様方のご意見をまとめまして、これからワーキングでしばらくいろいろと作業をしまして、それからこの会をまた持つということになるかと思います。事務局、何かありましたらお願いいたします。
○島田課長補佐 今後の検討会の次回以降ですが、いま座長からお話がありましたように、これからワーキングでご議論を具体的にしていただくことになっております。検討会のほうはそのワーキングでのご議論の進み具合を見て開催の日程調整などを決めていきたいと思っております。具体的な日程調整はそのときにさせていただきたいと思っております。よろしくお願いいたします。
○小山座長 それでは、第5回看護教育の内容と方法に関する検討会を閉会いたします。お忙しいところをご出席いただき、また、活発なご意見をありがとうございました。


(了)
<照会先>

厚生労働省医政局看護課
課長補佐 島田陽子(内線4167)
看護教育指導官 島田千恵子(内線2595)

03-5253-1111(代表): 03-3595-2206(直通)

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