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2010年5月26日 第9回臓器提供に係る意思表示・小児からの臓器提供等に関する作業班議事録

健康局疾病対策課臓器移植対策室

○日時

平成22年5月26日(水)
10:00~


○場所

厚生労働省 省議室


○議題

(1) 臓器提供意思表示カードの記載不備事例の取扱いについて
(2) その他

○議事

○長岡補佐 定刻になりましたので、ただいまより第9回「臓器提供に係る意思表示・小児からの臓器提供等に関する作業班」を開催いたします。本日もオブザーバーとして社団法人日本臓器移植ネットワークのコーディネーター芦刈淳太郎さんにご出席をいただいております。どうぞよろしくお願いいたします。
 続きまして、議事次第に沿って資料の確認を行いたいと思います。本日の配布資料は1種類です。「資料」と書かれている「臓器提供に関する意思の表示について」という3頁の資料です。これには設例1~6の6頁の資料を別紙として付けております。参考資料として4種類付けております。参考資料1「臓器提供意思表示カードの記載不備事例の取扱いについて」という、平成16年12月24日付の資料が8頁まであります。参考資料2「臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律による脳死判定・臓器摘出の要件変更について」という横長の一枚紙、参考資料3「臓器提供意思表示カードの様式見直しについて」が1枚、参考資料4「国会審議の状況について」を1枚付けています。以上が資料です。不備等がありましたら、事務局までお伝えいただければと思います。特にございませんか。
 それでは、以後の進行は新美班長にお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。ここで報道のカメラの方がいらっしゃいましたら、ご退席をお願いいたします。
○新美班長 皆さん、おはようございます。お忙しいところをお集まりいただきまして、ありがとうございます。我々この作業班におきましては、これまで改正臓器移植法の7月施行に向けて、ガイドラインに関する論点について検討を重ねてまいりました。改正ガイドライン(案)については、臓器移植委員会で審議され、現在は厚生労働省においてパブコメを実施中であると伺っております。
 本日は、法改正によって脳死判定・臓器摘出の基準が変更されたことを踏まえて、新しい臓器提供意思表示カードの記載不備の取扱いについて、一定の考え方を整理していただきたいと思っております。新しい臓器提供意思表示カードは、まだ配布されることにはなっておりませんが、事務局において想定される記載不備事例を挙げていただいております。それらを念頭に置きながら、基本的な考え方を整理していただきたいと思っております。7月17日が施行日と決まっていますので、少なくとも基本的な考え方については、本日の議論で一定の考え方を整理してまいりたいと思っております。
 それでは、議事に入りたいと思いますが、先ほどご説明がありましたように、事務局から資料についてご説明をお願いします。
○辺見室長 それでは、お手元の「臓器提供に関する意思の表示について」という資料をご覧いただきたいと思います。1「臓器摘出及び脳死判定を行う要件の変更について」です。現行法においては、臓器摘出及び脳死判定を行う場合、提供者の書面による承諾を要件としているところですが、改正法によって、本人の臓器提供に関する意思が不明であった場合に、家族(遺族)の書面による承諾により臓器摘出及び脳死判定を行うことが可能となったところです。
 この際、より具体的に法律の条文について確認をさせていただきたいと思いますが、お手元の紙ファイルで条文を配布しております。新旧対照表が参考資料4に綴じてあります。下の段が現行法、上の段が改正法となります。第6条第1項第1号・第2号及び同条の第3項第1号・第2号がそれぞれ関係します。「何々の場合であって、かつ何々」とか、いろいろ書いてあります。
 ベースはこちらですが、少し模式図的に整理をしたのが、今日お配りしている参考資料2です。真ん中ほどに矢印があって、上が現行法、下が改正後です。現行法においては、臓器摘出について、「本人が、臓器を提供する意思を書面により表示」をしている場合、脳死判定について、「本人が、脳死判定に従う意思を書面により表示」している場合であって、「家族が拒否しないこと又は家族がいないこと」を条件として、それぞれ臓器摘出・脳死判定が行われる。角腎法の経過で附則に規定がありますので、一定の場合に家族同意による場合がありますが、法律本則上の規定はこのようになっています。
 これが改正法によってどうなったかです。改正後のところで、「本人が、臓器を提供する意思を書面により表示」している場合に、臓器提供が可能。前提として家族が拒まないというのは従前と同じですが、これは従来と同じ。これに少し濃いオレンジ色で着色している所は、「本人が、臓器を提供する意思も提供しない意思も表示していない」場合です。これは6条第1項第2号で言いますと「死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって」という書き方がされており、これを「意思不明」な場合と呼んでいます。
 脳死に関しての規定は、第6条第3項第1号は、本人が臓器提供の意思表示をしている場合ですが、「脳死判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合」という書き方がされていて、第2号にも同様に、「脳死判定に従う意思がないことを表示している場合」という規定があって、こういった脳死判定に従う意思がないことを表示している場合には、それぞれ脳死判定は行いませんという作りになっています。
 改めて繰り返す話でもないのですが、「臓器を提供する意思を」というところについては、「書面により表示」と書いてあって、拒否の意思表示のところは、書面同意はかからない形で記載されています。いずれの意思もない場合というのが、いわゆる家族の同意にかからしめられるといった作りになっており、単に不明と言っているわけではなく、法律上はこういった作りになっていることを確認させていただきたいと思います。
 「資料」に戻って、2「臓器提供意思表示カードについて」ですが、臓器提供意思表示カードについては端的に言いますと、参考資料3の「見直し」と書いてある資料のとおりに、現行意思表示カードを新カードに見直すということで、これは既にパブリックコメントも書いて、臓器移植委員会でも、このカード様式で今後配布することについて、カード様式自体についてはご了承をいただいているところです。
 細かいことで、この資料の中で「パンフレット」と書いてあるのを「リーフレット」と言い替えますが、今後は私も「リーフレット」と言います。これぐらいの指摘はありましたが、カード様式としては、下の段を新カード様式として、新制度の下で用いていこうということです。現在はまだ準備中で出回っておりませんが、7月までに配布するよう、整えていきたいと考えています。
 「資料」の3「記載不備事例の解釈に係る検討の視点」です。従来、記載不備のカードの取扱いについては、臓器提供の意思が有効に表示されていないという判断がされた場合には、臓器摘出は行わない、もしくは、その脳死判定は行わないという整理です。これは本人の意思がある場合に脳死判定を行う、臓器摘出を行うということが前提となっておりますので、その意思表示が有効でない場合にはしないということで整理がされています。
 しかし、法改正後においては、その意思が有効に表示されていないと判断して、これが意思が不明であると解釈するのか、提供を拒否する意思があったと、先ほど申し上げた第6条の第1項第2号とか、第3項第2号に書いてある拒否の意思があったと考えるのか、というところによって扱いが変わってきます。端的に申しますと、不明という扱いであれば、家族の同意により、脳死判定・臓器摘出は可能ですが、拒否の意思があるのならば、第6条第1項第2号なり、第3項第2号なりに該当すると、該当するというのは本文に該当するのではなく、それぞれ第1号なり第3号なりに該当する、前段のところの以外の場合の、除くほうに該当しますので、臓器摘出や脳死判定の対象外となるのかという違いがあって、不明とするのかどうかは、従来と比べると慎重な判断が必要だということになってくると認識しています。
 そうしたことを踏まえて、現カードでの記載不備事例が、仔細なご説明は省略いたしますが、参考資料1で配布しておりますように、種々ご検討いただいて、平成16年に記載不備事例を配布しております。こうしたものを参考に、新しいカードでの記載不備事例を、少なくとも基本的な考え方は整理をし、ある程度想定をして準備していく必要があるのではないかと考えているところです。
 取扱いは、提供の意思が有効というものなのか、不明なのか、拒否するということなのかという、基本的にはこの3つのいずれかということに規定するのだと思いますが、そういったことについて考え方を整理していく必要があるのではないかと考えています。また併せて、新しい制度である親族優先提供についても、考え方の整理が必要であろうかと考えております。
 4「基本的な考え方(案)」として、4点、整理をしております。?@臓器移植法における基本理念である「本人意思の尊重」という観点からは、記載不備事例であっても、書面に残された記載を基に本人意思をできる限り忖度することとし、やむを得ない場合に、意思不明とすること。
 ?A改正法に係る国会審議の過程においても、提案者から、本人が拒否の意思を持っている場合には、それが最大限尊重される旨の答弁があったように、記載不備事例であっても書面に残された記載から、拒否の意思が推定される場合には、これを尊重すること。
 ?B提供したくない臓器の選択については、法律上求められている「臓器を提供する意思表示」の内容を補完するものと考えられることから、記載不備事例については、不明なものとして家族の判断に委ねること。臓器の選択は、先ほどの第6条の第1項なり第3項なりに直接関わってくるものではなく、こういった考え方ではどうかということです。
?C本作業班では記載不備事例について、書面上の記載からその解釈について検討するが、本人の意思を正確に確認するためにも、実際の事例においては、コーディネートの中で家族の陳述も踏まえて対応すること。
 こういったことが基本的な考え方として整理し得るのではないかということで、案として示しています。資料の本文の説明は終わりです。
○新美班長 ただいまのご説明について、ご意見を賜りたいと思います。「基本的な考え方」をまず議論していただいて、そのあと「具体的事例について」を検討して、再度、「基本的な考え方」に戻って案をまとめるという段取りになっております。とりあえず、「基本的な考え方」について、ご自由にご意見をいただければと思います。
○水野班員 「基本的な考え方」の前段階の問題ですが、署名がない場合とか署名の名前に誤記がある場合、複数枚出てきたという場合について、今回の検討対象になっていないようですが、これは従前の扱いを踏襲するというお考えでしょうか。
○辺見室長 先ほどの資料でもご説明しましたように、要件が変更になったことに伴って考え方を整理しておく必要があるという問題認識です。したがって、署名とか年月日の話については、確かに今後も不備記載としてあり得るところですが、これらについては法改正によって考え方は変わるべきものとは考えておりませんので、従来どおりの考え方でいいのではないかと考えております。特段ご意見があれば承りたいと思いますが、基本的にはそのように考えたいと思います。
○水野班員 署名なしとか署名を誤記した場合は、従前は基本的には無効だということではなかったかと思います。それは構わないと思いますが、複数枚出てきたときに、遺言ですと新しい日付のものが有効ということになります。しかし、これについては新しいものが有効になるというのが、必ずしも適当とも限らず、私はだいぶ危惧しております。
 遺言ですと、要式性などで故人の意思だという確認ができるようにできるだけ手当てしてありますが、この場合に新しい日付のものが出てきて、かつ、古いほうが破棄されずに残っているということになりますと、新しいほうが偽造の可能性というのも相当あるなという気がします。これは解釈だけで解決できる問題ではなく、最終的には以前の議論に戻ってしまいますが、登録制という形できちんとすることによって解決せざるを得ないのかなと思っています。一応問題点の指摘だけで、この点について、いま特に変更するということまでご提案するわけではありません。
○新美班長 では、1つの検討すべき課題として記録しておくということで、この問題は扱っておきたいと思います。ほかにご意見がありましたらお願いします。
○水野班員 資料の2頁の「基本的な考え方」の?@と?Aについては、私は基本的な考え方として、このスタンスとはだいぶ違う考え方を持っています。確かに提供意思のほうは書面を要求していて、拒絶の意思のほうは様式を求めておりません。それから国会審議の状況についても、ある程度広く認定をせざるを得ないということは、そのとおりだろうと思います。ですから、家族の意見などによって、本人が拒絶の意思が認定できるということであれば、それは重視して扱うべきだと思いますが、問題はこれを書面解釈に持ち込んでよいのかという点です。
 つまり、論理的に矛盾した複数の意思表示というのが、1枚の臓器提供意思表示カードの上に表されているときには、書面の解釈として、そのどちらについても法的な意思が表示されているという解釈をするのは不当なのではないかと思います。おそらく、その2つの矛盾する意思表示がなされているというのは、何らかの勘違いであるとか、あとから誰かが追加をしたというリスクもあるわけです。
 ですから、書面の解釈というのは、あくまで公平、かつ客観的に判定されなければならないのではないかと思います。そうでなければ、書面の解釈で操作性が出てくるのではないかという気がします。操作性が出てくるということになりますと、「基本的な考え方」の、特に?Aでいきますと、拒絶の可能性がわずかでもその書面のうちにあるという解釈を採っていくと、拒絶の可能性というのが、一体どの程度必要なのかということ自体、この書面からはわからないわけです。そうなると、わずかでもあるのだと言ってしまうと、どんどん書面が非常にリジッドに頑なな運用をされることになっていって、結局は論理的には知的障害者の場合と同じように、一律に、一般的に駄目ということに結び付いていかないかという気がします。
 ですから、書面の記載でリジッドに運用してしまって、おかしな運用可能性を導き出してしまうよりは、素人に理解されにくいような、あまり変なルールを付け加えるべきではなくて、書面を客観的に、かつ公平に見れば、これは意思不明だと扱っていいのではないか。できるだけ意思不明のところに流れ込ませていっていいのではないかと思います。
 そして、本人の拒絶の意思表示については、遺族にコーディネーターがきちんと確認をして、本人の拒絶の意思があるということがそこで分かれば、運用の適用をやめるというほうで、国会の審議の状況についての答弁についても担保すればいいのです。書面を操作すると、書面の解釈から操作性を出してきて、変にリジッドに頑なな一律な扱いに導いてしまうことについては、「基本的な考え方」の?@と?Aは非常に危うい道を開いてしまうという気がして、私はあまり賛成できないのです。
○新美班長 いまのご意見についていかがでしょうか。
○手嶋班員 水野先生のおっしゃることは非常にごもっともなところがあると思います。ただ、これも基本的な考え方以前の話なのかもしれませんが、そもそも誤記が出ないように、水野先生がおっしゃるように、勘違いして意思表示が複数乗っかってくるようなことが出てこないような、リーフレットに非常にわかりやすくするような工夫が前提として大事で、この程度の理解力があれば十分できるであろうと、あまり前提を高くしてしまうことは望ましくないのではないかと思います。
 そういう意味では誤記が出なくなるような工夫をまず第一に、もっとしっかりすべきで、薄っぺらなものよりは、もう少し情報量が詰まったもので、誤記の可能性がなるべく減らせるような工夫が、まず望まれるのではないかというのが第1点です。
 それでも誤記が類型的にどうしても出てくるであろうということは想像できるわけで、そういう意味では、こういった作業をすること自体は意味があるのではないかと思っています。
○新美班長 いまのご意見も含めて、ほかにいかがですか。
○町野班員 水野先生が言われるのはもっともでして、要するにオプトインのときは様式性が、書面が必要で、書面による意思表示があったかという解釈になるわけですから、書面中心の議論になります。そして、書面ではそれはないが、本人のオプトインがあったと見られたときについても、2号から外れるという話になるわけです。
 それに対して拒絶の場合の意思表示というのは、書面が必要ではありませんから、書面があろうとなかろうと、とにかく共通の意思がどこかにあることが認定できれば構わないということです。書面解釈でそれを決めるという話ではないというのは、確かにおっしゃるとおりだと思います。しかし、実際上どれだけの差が生ずるかというのは、具体的な事例を見てみなければわからないようなところがあるように思います。ですから、書面では何も書いてないが、本人が「ノー」と言っていたことは明らかであるということをみんなが言っていたときは、書面解釈の問題を超えて、とにかく駄目なわけですから、おっしゃられるとおり、同一の書面解釈だけで解決する問題ではないというのは確かだろうと思います。そのようなことは皆さんはおそらくおわかりだろうと思いますので、具体的な例の中でこのことは出てくるのではないかと思います。
○新美班長 ほかにご意見いかがでしょうか。いまのご意見とも絡むのですが、表現として、例えば?@で「忖度する」という表現を、書面解釈ないしはカードの解釈において入れていいのかどうかとか、「推定する」というのも、表現として入れていいのかどうかというのはあろうかと思います。その辺はあとで具体例を見ながら議論をしていき、カードの解釈としてどういう態度をとるのか、記載不備事例について、どういう基本的な方針をとったらいいのかということを見ていったらいいのではないかと思います。
 「書面に残された記載を基に本人意思を忖度する」というのは、言い換えれば、記載から本人の意思を探求するということと全く同じで、町野先生がおっしゃったように、忖度するというのと、本人の意思が何であったかというのを探るのと一緒だと思いますし、何を素材にして判断するのかということになってこようかと思います。それは、もう少し具体例を見た上で、表現ぶりを変えていくということも必要でしょうし、あと、「基本的な考え方」について、いかがでしょうか。
○本山班員 私はどちらかというと、不備記載の場合にはできるだけリジッドに解釈をして、そのリジッドの解釈が積み上がることで、むしろちゃんとした書面が作られるようになっていくのではないかと考えています。最初から、不備があるのは当然のことだから忖度して云々というやり方も、1つのアプローチとしてあると思いますが、やはり事柄としていく以上、ちゃんとした書面がなければ駄目なのだというのが、まず根本にある。ですから、ちゃんとしていないものは外れてしまうのだから、だからちゃんとしたものを作りましょうという道筋が正当なのではないかと考えているのです。
○新美班長 いまのは、法律家としては考えて分かるのですが、一般の意思表示カードを持っている人に「じゃあ、それを勉強して、ちゃんと書け」と言えるかというと、なかなか難しいところがあるのではないかと思います。事例が積み重なっていって、不備なものは駄目だと言っていけば、より良いカードが出てくるというのは、期待するのが現実的ではないような気がするのですが、その辺はどうでしょうか。
○丸山班員 私などは説明書など読まないで、カードだけ見て自分の推測で書いてしまうことが多いです。先ほどから水野先生と、いまも本山先生がおっしゃったリジッドに理解するということですが、その意味は資料にも添えられて、国会の審議の過程での発言で示されているところで、拒否については尊重するということですから、疑いがあれば拒否と扱うという趣旨と理解してよろしいですか。
 逆にいうと、書面で疑いがある場合というのは、一般的には本人の意思の探求になるのでしょうが、本人の拒否の意思だけは、より尊重が求められる度合が高いので、その拒否については、疑わしき場合は拒否があったというように扱うのかと思うのですが、その辺りはいかがでしょうか。
○新美班長 ある意味で表現からいって、拒否の意思がないとは言えないというものをどうするかということですね。
○丸山班員 ええ、拒否ありのほうに、ここの言葉だと推定するという感じですね。
○新美班長 というのは、私は「推定する」という言葉は使いたくなかったのは、推定するというのは、訴訟上の表現でいきますと、五分五分ないしは四分六で推定するというのはいいのかという議論が出てくるのです。だから、「推定」という言葉なのか、あるいはそういったテクニカルな議論にならずに、もう少し普通の表現にしたほうがいいのかということです。
○丸山班員 合理的な疑いが入らない程度に、拒否がないと言える場合でなければ、というような感じではないですか。
○新美班長 ですから、「拒否の意思が窺い知ることができる」とか、そのような言い方をしておいたほうがいいのかなという気はするのです。ですから、拒否の意思がないとは言いきれないときには、表現としては、拒否の意思があったものとして扱ったらどうかというような趣旨になりますよね。それがいいかどうか、もう少しあとで議論します。
○町野班員 2点ありまして、簡単に言いますと、1つは、不備なものは認めないでもいいのではないかという議論ですね。私はやはり具合が悪いだろうと思います。事件の積み重ねを待っているような余裕は現場にはとうていないわけで、そのときにきちんとある程度の指針を与えておかなければいけないのであって、疑わしい場合は全部駄目だと言うわけにはとうていできない話だろうと思いますし、多くの人がおそらく納得しない議論だろうと思います。
 そのようなことを、実は、かつて厚労省の臓器移植対策室はやっていたことがあったわけです。その当時は一点の曇りもない臓器移植をということであって、少しでも問題があるときはやらないという態度をとっていたわけです。これは多くの現場が困った話だし、かなりの人が問題視したことだと思いますから、私は同じことをやるべきではないと思います。
 もう1つは、リジッドに考えるかどうかという問題です。これは先ほど水野先生が言われたとおり、2点違う局面で、オプトインの意思表示というのは書面によらなければいけませんから、そのときに、これをリジッドに考えても大きな問題は起こらないということは確かに言えます。1つはオプトインの意思表示が書面の中で表示されていないとしても、このときについては親族の同意等でオーケーということがあり得るということです。
 もう1つは、書面による意思表示がなされているときについてだけ、それと併せて親族優先提供はできますから、書面による意思表示がなかったとしたときについては、親族優先の意思を持っていたとしても、それを活かすことはできないので、これはおそらく妥当な考え方だろうと思います。そう考えますと、オプトインの書面による意思表示が、オプトインの場合については、これをリジッドに考えても差し支えないだろうと思います。
 オプトアウトについては、書面が要求している問題ではありませんから、書面を手掛かりとして本人のオプトアウトを認定するかどうかという問題になるわけです。これにはいろいろな考え方があって、疑わしい場合は常にノーとみなすべきだというのは法の趣旨でないことは明らかなので、これをやることはできないだろうと思います。
 そうかといって、すべてデフォルトがオプトアウトがないのだという考え方でも採ることはできない。やはり、ある程度多くの人が見て、これは拒否ではないだろうかと思ったときについては、それをオプトアウトと見るという話だろうと思います。いずれにしても、書面が1つの資料にすぎないという話ですから、書面の解釈として出てくる問題ではないということは、先ほど水野先生が言われたことだろうと思います。
○新美班長 いかがでしょうか。オプトイン、オプトアウトの関係はそうなのですが、しかし現場では、まずカードが出てきて、そのカードの記載は、まさに書面による承諾というものも兼ね備えているし、ノーというオプトアウトの意思表示もそこで書かれるようになっているわけです。
 まずここでは記載不備の事例をどのように考えていくのかということと、オプトアウトのときのさまざまな問題について、カード外でどうするかという2つの段階があるかと思います。ですから、ここではとりあえずカードに不備記載があったときにどうするかということだと思います。それが実は?B、?Cの辺りの議論になってくると思いますし、?Aも半分絡んでくるのですが、その辺がちょっと問題を複雑にしていると思います。
 まずカードが不備記載。オプトインの場合には不備記載だったらどうするかということですが、オプトアウトのときには不備記載があった後、カードからは判断がつかないが、あるいはカードも1つの材料として、その他の材料を基にどのように解釈していくかという問題が出てくる。そういう構造になったのではないかと思います。ここではとりあえず不備記載のことを議論していただきますが、そういうことも含めて、少し考え方を複眼的に見て、ご議論いただくとありがたいと思います。
○水野班員 先ほど丸山先生がおっしゃったような、できるだけ疑わしきは与えない、オプトアウトである、という解釈が「基本的な考え方」の?Aのようなものから導き出されてしまうのではないかと危惧をいたします。ですから、?@の、書面からだけ本人の意思を忖度するというのは非常に危険ですし、?Aは疑わしきはすべてオプトアウトというほうに道を開いてしまうだろうと思いますので、「基本的な考え方」の?@と?Aは、少しいかがなものかと思います。
 設例のほうで申しますと、基本的には脳死判定について、みんな不明ということで、臓器提供について全部不明でも親族の意思のほうへ流し込めばいいのだろうと思います。あとは、本人が本当に拒絶をして意思を持っていたかどうかを、きちんと親族にコーディネーターが上手に確認をするということで、オプトアウトの意思についての安全性は確保するということでいいのだろうと思います。
 論点が、先ほど町野先生がおっしゃったことに広がっていきますが、設例6で「親族優先」と書いてあって、町野先生がおっしゃったように、この点はリジッドに考えねばならないと私も当初は思いました。設例6の場合ですと、親族優先ということですが、前のほうがわからない場合にはリジッドに考えて外してしまう。つまり、親族優先の部分は無効にしてしまうという解釈でいいのではないかと当初は考えました。親族優先というのは、私は非常に危惧しております。
 親族優先意思というのは、いわば完璧な意思表示が、例えば登録されるという場合に限って例外的に認められるべきではないかというのが、もともとの問題意識でしたし、下手に親族優先ということで出てきて、有効にするということだと、非常に偽造のリスクが高くなりますし、設例6については第一印象というのは駄目ということでリジッドに考えていいのではないかと思ったのです。
 そのあとで、やはりこれはそのリジッドな解釈が現場で、特に遺族の方々に受け入れられるかどうかということを考えてみますと、それもなかなか難しいかなと考え始めて、設例6については町野先生のご意思とは違うかもしれませんが、コーディネーターが、ドナーが一般的な提供意思を持っていたかどうかを確認するというところを確認して、遺族が確かに親族優先提供なのだが、そのあと親族以外の者にも一般的な提供意思も持っていた。つまり、親族限定提供意思ではないということをコーディネーターが確認できた場合には、議論の主体も親族限定提供についての議論ですが、それをここで活かして、その場合には、設例6の親族優先提供の記載を活かすという運営がいいのかなという限りでは、リジッドさを緩めてもいいかなという気がしております。
○新美班長 そうすると、いまの「基本的な考え方」については、まだ1つの方向に収斂したわけではありませんが、いま水野さんに挙げていただきましたので、具体的事例を検討しながら、再度、「基本的な考え方」に戻ってまとめたいと思います。
 それでは、「具体的な事例について」のご説明をいただいて、それから改めて議論をしていきたいと思います。
○辺見室長 それでは、資料の別紙とされているものについて、順にご説明したいと思います。設例を挙げておりますが、そういうわけで、まだこれは使用が開始となっていないカードですので、予め申し上げておきますが、すべて現行カードの取扱いから推測をして、このような不備が起こり得るのではないかということを想定したものですので、あくまで設例ということです。
 6例ほど用意をしております。これらすべてについて施行前の段階で、この場合にはこうとお示しができるのか、それとも、もう少し具体的な状況も踏まえてということになるのかということはあると思いますが、私どもとしては、少なくとも先ほどの「基本的な考え方」のところぐらいは、施行段階ではお示しする必要があるのかと思っておりますので、そういったお考えでご議論いただき、アドバイスをいただければと考えているところです。
 あとは設例をご覧になるとわかりますが、臓器提供、脳死判定に関わるものと、臓器の選択に関わるものとありますので、順にご説明いたします。
 設例1は、新カードの1と2の両方に○が付けられていた場合です。1は、「脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも」臓器提供しますという意思表示です。2は、「心臓が停止した死後に限り」ということで、脳死判定は受けない。「心臓が停止した死後に限り」ということの意思ですので、脳死後どうするのかについて、合理的に考えれば、矛盾が生じている意思表示ということです。
 論点として、脳死判定に従うという意思と、拒否するという意思が同時に表示されているという状況で、これをどのように考えるか。3つほど考えられる案を示しております。
 脳死判定については承諾とし、臓器提供についても承諾とするという考え方が1つです。案1は、1に○が付いていることを優先して考えるという形になりますが、このカードの書き方の中で「限り」というのが従前のカードにはありませんでしたので、それを見落として付けたのかなということです。もう少し言いますと、現在のカードですと、脳死と心臓死の場合は1と2の両方に○を付けなければいけないことになっていますので、それが頭にあった方はこういうやり方をするのではないかということも併せて想定したものです。
 案2は、脳死判定については拒否、臓器提供については承諾ということです。この記載の経緯は不明である。要は、ご本人が従前のカードの○の付け方を知っていたのか、知らなかったのかということも分からないことですので、従来のカードの○の付け方にとらわれるべきではないのかなと。しかしながら、2に○を付けている以上、「限り」という、ある意味で脳死判定についての拒否の意思を、1とは矛盾しつつも表示をしているので、拒否の意思があった可能性を否定しきれないということで、脳死判定については拒否、臓器提供については承諾ということです。
 案3は、相矛盾する2つの意思表示がされているので、かち合って不明だということで、臓器提供は承諾だが、脳死判定は不明ということです。
 それでは、案1、案2、案3でどうなるかですが、案1の場合は、ご本人が脳死判定を承諾しておりますので、家族はこれを拒まない場合には、脳死判定、臓器提供は可能です。案2の場合は、本人が拒否していますので、脳死判定は行わず、心停止からの臓器提供のみ可能。案3の場合は、本人の意思が不明なので、家族が書面により承諾した場合に脳死判定が可能となるといった違いが出てきます。
 設例2です。これは1と3に○が付けられていた場合です。バリエーションとしては、1と3のほかに、2と3もあり得るのですが、1と3という設例です。
 案1は、3に○が付いていることに着目をして、経緯は不明だが、3に○が付いている以上、拒否の意思があった可能性を否定しきれないので、脳死判定については拒否、臓器提供についても拒否ということで、移植には至らない事例です。
 案2は、相矛盾する意思表示ですので、不明ということで、家族の書面による承諾がある場合には、それぞれ脳死判定、臓器提供が可能となるという事例です。ちなみに、先ほどの「基本的な考え方(案)」を作った事務局の考え方としては、案1なのかなとは考えています。
 続きまして、設例3です。これは1、2、3の選択肢には○を付けずに、提供したくない臓器について×を付けてくださいという所だけ対応されていて、心臓と眼球に×が付いています。提供したくない臓器に×が付けられていることから、旧カードの不備記載事例を踏まえると、臓器を提供する意思は示されていると考えられるが、脳死判定に従う意思について、どのように考えるかということです。
 案1は、カードの「提供したくない臓器があれば、×をつけてください」という説明を踏まえて、提供したくない臓器に印を付けているということから、脳死判定及び臓器提供についても承諾をしているというものです。
 案2は、脳死判定までこれは言っているのか。「提供したくない臓器があれば、×をつけてください」ということなので、ひっくり返せば、それ以外の臓器は提供してよいと言っている。さらにいえば、肺や小腸など脳死下でないと提供できない臓器についても提供可能と言っているところではありますが、その脳死判定についてのやり取りまではこの書面からは読み取れないということから、脳死判定については不明、臓器提供については承諾と考えるということではどうかということです。
○丸山班員 結論は同じなのですね。脳死も心臓死も摘出可となるのですね。
○辺見室長 摘出可という点においては同じです。ご家族に求めることが、案1の場合は、本人の承諾があるので、家族が拒まない場合可能ということです。案2の場合は、家族が承諾する場合は可能という、条文上の書き方の違いがありますが、結局、家族の判断に委ねられているという点において同じという指摘であれば。
○丸山班員 そこが案2の場合も、臓器提供の本人意思があるのです。脳死判定の意思については拒んでいないということですから、本人意思で、家族関与なしで、脳死も摘出可ではないですか。
○辺見室長 そうですね、すみません。
○新美班長 次に続けてください。
○辺見室長 設例4です。1から3には○が付けられておらず、設例3は×だったのですが、設例4の場合は○が付いているという場合です。臓器を選択しているから、臓器を提供する意思はあったものと考えられ、また、脳死判定に従う意思については設例3と同様に考えられるが、各臓器の取扱いについてはどう考えるのかということです。
 案1として考えているのは、○を付けていない臓器、要は「×をつけてください」と言っている所に○を付けてしまい、提供したくない臓器に○を付けてしまったと考えるのか、案2は、○を付けているのは提供可ということで○を付けたのか、というのが案1と案2の違いです。いずれにしても本人の意思は案1なのか、案2なのかは非常に判断の難しいところだと思いますが、案1と案2というのはその違いです。
 案3は、やはりどちらだか分からないということでして、書面からは本人の意思が推定できないので、家族の判断により提供する意思を決めるということです。前提として印を付けていることから、提供の意思はあるものと考えた上での対応です。
 説例5ですが、1から3には○が付けられておらず、臓器の選択の所にも印が付いていなくて、特記欄に「全部」又は「すべて」という記載があった場合です。この「すべて」についてどのように解釈するかですが、案1は、特記欄に「すべて」と記載されていることから、臓器の提供の意思はあると考えて、心臓などの提供意思もあるということで、脳死判定に従う意思があると考え、承諾、承諾と考えます。
 案2は、「すべて」と書いてあって、提供意思はあると考えられるが、脳死判定を拒否する意思は表示されていないということで、脳死判定不明、臓器提供承諾と考えられます。
 案3は、逆に、「すべて」の意味するところが明らかではない。すべて提供していいとしているのか、すべて提供したくないとしているのかといったことも含めて、明らかではないので、このカードが出てきたとしても、本人意思が確定できませんということで、不明な場合です。不明な場合というのは、いずれの意思も示されていない場合と考えるということで、両方とも不明と扱うということです。
 設例6は、親族優先に関わるものですが、1から3には○が付けられていない状態で、特記欄だけに「親族優先」と書いてあった場合です。
 案1は、特記欄に記載すべき内容、これはリーフレットに書いてあるわけですが、こういうものを踏まえたものだということから、読んだ上で臓器提供意思表示カードにこのように書いたということからすると、親族優先も有効、臓器提供についての承諾もあったものと解釈するのが合理的だろうということです。
 案2は、この記載からだけでは臓器提供についての意思は不明。不明であるとするならば、ということで、先ほどの水野先生のお話の中にもあったのですが、親族優先の場合は本人の意思表示がベースになっておりますので、本人の意思表示が不明ということからすると、親族優先の意思表示は無効となるのではないかということです。
 以上、6つの設例です。
○新美班長 それでは、各1問を10分程度ずつご議論いただいて、「基本的な考え方」に戻りたいと思います。
 まず設例1からご意見を賜りたいと思います。相矛盾するというか、1と2で両方○が付いているときにどうするかということです。案1から3まで、それぞれ考え方のポイントみたいなものが示されておりますが、案1から3、あるいは第4の案もあれば、どうぞご意見をいただきたいと思います。
○水野班員 順番に1つずつ。もう既に申し上げたことですが、案1については、家族の証言で、もしどちらの趣旨かということが明らかになるのであればともかく、そうではない場合に、この間違いの理由を書面だけから忖度したり、拒否の可能性というものを恣意的に拡大評価するというのは、いずれも合理的ではないと思います。この場合には、案3で行くほかはないのではないかと思います。
○丸山班員 結論は、私も案3でいいと思いますが、水野先生がその前におっしゃった、それから先ほどもおっしゃっていますが、書面の意思を探求する際に家族の声というか、発言を参照するというのはどうかな、と思いました。どうも私はひねくれ者で、仲の良い家族を想定するのではなくて、仲の悪い、それも表立って仲の悪い家族よりも、内心仲の悪い家族を想定したくなって、そうすると、本人の希望を、正直もう亡くなったから、家族がそれについて証言というか語る場合に、本人の意向がそのまま再現されない場合があるのではないかと思います。ですから、書面の内容の把握については、書面からだけで考えて、あと家族の希望を尊重するのであれば、本人意思不明と言える限りは、第2号のほうの家族の立場としての提供というのが認められる範囲であれば、そちらで処理したほうがいいのではないかと思いますが、そのあたりはどうですか。
○水野班員 丸山先生のおっしゃるところに、かなり共感しているところがあります。ですから、制度設計そのものとしてオプトアウトの意思というのを登録制にして、きちんとすべきだというのを当初から申し上げてきて、ただそれは入れられなかったわけです。そうなりますと、本人が拒絶の意思表示をして、そのオプトアウトの意思というのを最大限に尊重するというのは、家族の証言によって担保するしかなくなってしまったという、しょうがないところがあります。証言についての家族の意思、家族の解釈を尊重するのではなくて、本人のオプトアウトの意思を尊重するために、家族の証言によってオプトアウトの意思を持っていたかどうかを探るという意味で、家族の証言を尊重せざるを得ないという構造です。
 それから家族の拒絶権についても、どこまで広く考えるかについては、私も丸山先生と同じような危惧を制度設計としては持っていますが、これもまた本当に根本的なところで、日本法は家族のvetoを非常に幅広く認めるという運用でやってきて、今回の改正もそれを基本的には否定しなかったわけです。その点について問題だとおっしゃるのは非常に共感しますが、そういう大きな前提まではもう議論をしないことになりますと、ここではカードについて、この書面の解釈、書面をあれこれ忖度をするのがいいのか、という次元の議論になります。基本的にカードの記載だけから本人意思を推定するということは、極力すべきではないと思っていまして、それよりは家族の証言で本人のオプトアウトの意思を尊重する。そうでないものは、みんな意思不明に持っていって、いまや家族の承諾があれば臓器提供ができる道が開かれたわけですから、そちらへ流し込んでいくのが合理的な運用方針なのではないかと思います。
○丸山班員 確認ですが、家族の証言を考慮するというのは、オプトアウトの方向でのみ尊重するということで、本人による提供意思があったという方向については、そんなに重視しないということでよろしいですか。
○水野班員 それは設例3の解釈にも重なってきますが、私は、本人の拒絶意思が表示されていないというだけで十分で、3の場合に、それ以上の分析は不要であろうと思っていますから、そこのところを忖度して証言によって固めていくことはなくて、それは不明に流し込んで、そうしたあとは家族の承諾でいくことでいいのではないかと思います。3で、案1、案2も、こんなことを忖度する必要はないでしょう。本人の提供意思があったかなかったかということを一生懸命詮索することはないだろうと思います。ただ、拒絶の意思表示を本人が持っていたかどうかということについては、家族に注意深く聞いてあげることは必要かなと思います。
○新美班長 いまの水野さんの意見だと、意思の確定のためにさまざまな証拠を集めることはよろしい、ただ、本人の意思が何であるかについては、この記載を基に決めなさいという趣旨ですね。要するに、忖度や何か、家族の意思がそこに紛れ込まないようにすべきだと。書面の記載について不明にした上で、家族の意向等は家族の判断のほうでやってもらうという立て付けにしたほうがよろしいということですね。
○町野班員 忖度というのは、いまの局面では誤解を招くと思います。つまり、これは本人の書面は要らないけれども拒絶の意思表示ですから、表示があったかどうかを見る。本人はどういうつもりであったかというのを見るわけではないので、この局面で忖度を使うのはかなりミスリーディングだろうと思います。
○新美班長 それは先ほど私が申し上げたところです。これはむしろ本人の表示の認定をどうするかという問題ですから、水野さんもそれに近いのではないかと思います。
○水野班員 表示の認定としては、矛盾した記載があれば、それは合理的に意思不明という解釈になると思います。
○新美班長 ほかにご意見はありますか。丸山さん、いまのような議論について、どう思いますか。
○丸山班員 結論的には、同じことになるのだなと思っています。
○新美班長 ただ、現場でうまく理屈で整理したような対応になるのかどうかは、またもう1つ問題があるだろうと思いますが、それはそれでまたあとで議論するとして、この解釈としては案3で、とりあえず皆さんの大体の合意が得られているという処理でよろしいですか。
 設例2について、ご意見をいただきたいと思います。これも似たような問題かと思いますが、臓器の提供をします、しませんという2つの表示があります。
○水野班員 繰り返しになりますが、事務局案は案1とおっしゃいましたが、私は案2が合理的だと思います。
○新美班長 いずれも不明ということですね。ほかに、いかがでしょうか。
○本山班員 事務局の説明もそうでしたが、ご本人が2つ○を付けることを前提にされていると、ご本人がよくわかっていなかったから不明ということになるのかなという気もしたのですが、私は非常に性悪説に立っていますので考えたときに、もしかしたらご本人は3に○を付けて、そのあと誰かが1に○を付ける可能性はないのではないかと。逆もあると思います。実はご本人は1に○を付けていたのに、あとから誰かが3に○を追加で付けてしまった、ということがあり得るときにどうしたらいいだろうかというので思考が止まっていますが、本人が付けたものであるということだけを前提にするのであれば、わからない、確かに不明でいいかもしれませんが、そうでない場合にどうしたらいいのかということを考えてしまいました。
○新美班長 いまの本山さんの意見は、本人が3に付けたことがわかっているという前提ですよね。
○本山班員 本人は両方付けた。
○新美班長 本人は片一方だけだけれども、結果として両方できたというときに、そのときの過程としては、本人は3だけを○にしたことがわかっているときですね。
○本山班員 わかっているときというか、疑わしい場合があったような場合ですね。
○新美班長 いまここで言っているのは、その経緯がわかればそのとおり扱います。誰かが改竄したことがわかれば、それはそれで当然扱いますが、改竄したことがわからない前提ですよね。改竄がわかれば、明らかに改竄した行為を否定すればいいわけですので、改竄したことがわからないという、1と3に○が付いたというのは、本人が付けたのか、誰が付けたのかもわからないということが前提での議論になると思います。そのときに、案1でいくべきか案2でいくべきかということだと思います。
○丸山班員 私は先ほど述べたように、こういう場合は疑わしいので拒否の意思を尊重したほうがいいのではないか。案1を採りたいですね。それから本山先生のおっしゃったところも、可能性としてそういうのがあるから慎重を期してというところからも、案1を採りたいです。
○新美班長 いま、案1と2に分かれておりますが、ほかにいかがですか。
○山本班員 いまの丸山先生のお考えですが、3に一応付いているから、提供拒否の意思を尊重しなければいけないということですか。
○丸山班員 そうです。
○山本班員 でも、1にも付いているわけですよね。提供する意思も尊重しなければいけないので、したがって、臓器の提供を拒否する意思だけを尊重すればいいということではないですよね。そうだとすると、1と3に付いていれば、当然、不明だと言わざるを得ないのではないでしょうか。
○丸山班員 以前だったら私も不明だとしたのですが、改正法になって、こういう場合不明だと、遺族、家族による判定承諾、それから提供ができますね。そういうことになるのであればということで、改正法のような体制だと慎重に、本人の拒否意思が存在した可能性が些かでもあるのであれば、そちらを尊重したいなと考えます。
○新美班長 その点について、いかがでしょうか。
○町野班員 どうして現行法でそうなるのか。前はこれでよかったけれども、現行法ではこうなるというのがわからないので、ご説明いただけますか。
○丸山班員 いま現在の社会の受止め方だと、摘出されるというのは、あるいは要件が満たされないで摘出されるということは、マイナスというか本人の不利益と評価されていると思います。ですから、慎重にということで、本人が拒否の意思を持っていた可能性があるのであれば、そちらを保護すべき必要性のほうが。本人が提供意思を持っていたけれども、その臓器が利用されなかったことの不利益よりも、より強く保護すべきというか。どちらかなのですね。本人が拒否したいと思っていたのに利用されるリスクと、本人が提供したいと思っていたけれども利用されなかったリスクと、どちらが重大かと考えると、現在の社会だと本人が提供したくない、摘出されたくないと思っていたときに、摘出されて臓器を移植のために利用されるほうが重大だと思いますので、パーであれば拒否の意思のほうを尊重したい。
○新美班長 いまの丸山先生のご意見だと、不明なときには提供するのだというオプトアウトの発想からいくと、どうなりますか。不明だから、いま言ったようにパーであって、要するにイーブンであって、どちらかがわからないから提供のほうにいきましょうというのが法の立て付けだと思いますが。
○丸山班員 本人の意思が存在しない場合について。
○新美班長 いやいや、揺れるわけですよね。提供しようか、しまいかという、意思というのは常に揺れるわけで。
○丸山班員 そういう人は。
○新美班長 いますよ。どちらかわからないから、両方○を付けておこうという人も現にいますし。
○丸山班員 いや、臓器移植のために臓器を提供するかしないかというのは、直感的に意見を持っている人のほうが多いと思います。
○新美班長 いやいや、学生諸君に聞いてみたら、とりあえず今はわからないから両方に○を付けておいて、あとで決まったら線を引くということを言っている学生もいますよ。
○丸山班員 いますと言われても。
○新美班長 ですから、そういう事例も考えたときに、これは拒絶の意思の可能性があると言いきれるかどうか。制度として、オプトアウトというのは、そういうときには提供するという方向で動いたらどうかという立て付けではないかという私の質問ですが、それについてはどう思われますか。
○丸山班員 いまの先生の例に関与しない発言になりますが、本人の意思が提供でも拒否でもない場合について、遺族に承諾の権限を与えるというのは立て付けで、むしろ移植医療を推進しようというのがこの立て付けだと思いますが、それと同時に本人が拒否する意思を表示していたら、それは尊重しましょうということで、今回の法改正は折合いをつけたと思います。特に脳死判定についての本人の拒否権は、今回入れられたものですが、それは尊重すべきと思いますし、今回新たに遺族による承諾で摘出できることになったのであるからこそ、本人が拒否している場合については最大限尊重すべきではないかと思います。私のほうは、先生が掲げられた例とは逆に、一般の方相手の講演をして、こういうふうに遺族のほうの権限が大きくなると、自分が臓器を提供したくない考えであれば、どういうことをしておけばいいのだろうかという心配を表明される意見をいくつか聞いたもので、そのあたりも考えに入れておきたいなと思います。
○辺見室長 事務局として案1と申し上げた考え方に、ポイントが2つあります。1つは、丸山先生のほうからお話がありましたような拒否の意思表示の尊重というものもあるとは思いますが、もう1つは、条文に当てはめて考えた場合に、6条3項2号に「当該意思がないことを表示している場合以外の場合」に云々と書いてあって、拒否の意思表示があるのであれば、6条3項2号の手続から除外されるということだと思います。先ほどの設例1の過程で、町野先生からもご指摘のあった意思表示なのかどうかですが、本人の内心の意思がどうであるかということ以前の問題として、意思表示があるとこの条文に引っ掛かってきますので、この設例2のように相反する意思が表示されていた場合、相反するので意思表示とは認められないということなのか、それとも一つひとつ意思表示とは認められるということであれば、3の意思表示は一応意思表示としてあるので、6条3項2号に当てはめて考えたときに、除外しなければいけないのではないかという条文上の当てはめの考え方も、こういった書き方になっているのも背景として、拒否の意思表示というものをしっかりと受け止めることもあるのではないかなとも考えながら、案1というのが結論なのかなと考えた次第です。
○新美班長 いかがでしょうか。
○山本班員 ここが問題で、まさにこれが結局、拒否の意思表示と見えるかですよね。だから、1にも付いているわけですから、私はこれは拒否の意思表示とは考えられない。これを当該拒否の意思表示と判断するのかどうかということだと思いますが、そうとは見えないのではないだろうかということです。
○水野班員 いま山本先生がおっしゃったように、論理的に矛盾した複数の意思表示がなされているときに、どちらについても法的な意思表示がなされているという解釈は不当であろうと思います。こういう矛盾した意思表示というのは、何かを勘違いしてなされたものと推定できますので、どちらの意思表示もそのままで意思表示として取り扱うことができない。したがって、書面による情報を証拠として一方を認定するか、それが無理だったら全体を無効ないし意思不明と判断するしかないことになるだろうと思います。両方有効という可能性を見るのは、相当に恣意的な解釈になるのではないかなと思います。
 先ほどの丸山先生のご発言の中で気になったのですが、現在では本人の不利益と評価されるからとおっしゃいましたが、それを言ってしまいますと、我々のこの会議では、この法の概念が改正によって変わったのであって、知的障害者が一律に提供できないということは、むしろ知的障害者に対する逆差別なのではないかという議論までしてまいりましたが、それが何かグルッと元に戻ってしまいませんか。脳死臓器提供というのは、ドナー本人には非常に不利益な行為であるということになり、前提がだいぶ前に戻ってしまう気がします。その点については、この会議ではそういうことは脱却していたのではないかと思いますが。ただ、丸山先生が紹介なさいましたように、自分が臓器提供したくないのに、その意思が蔑ろにされてしまう危惧をお持ちの方がいらっしゃることについては共感いたしますので、それについては繰り返していますように、本当はきちんとした登録システムを作るべきだったと思います。
○山本班員 私もそこにすごく懸念がありまして、丸山先生の、本人にとって不利益だという、この感覚ですよね。これが、要するに臓器移植に非常にマイナスイメージを与えるもので、いま水野先生が言われたように知的障害者も駄目、虐待の場合も駄目というように、通奏低音に流れているわけです。この意識から脱却しなければいけないと思いますが、それはここで確認すべきだと思います。
○町野班員 話が大きなことになってきまして、その問題に入るとかなりあれで、私も基本的に丸山先生のお考えに反対です。本人というのは存在しないわけですから、何が本人の不利益かよくわからないということから始まって、いろいろ議論がありますが、これをやっても大変だと思います。
 もう1つは、現行法になって急に拒否権が尊重されるようになったわけではなくて、前は提供する意思がなければ駄目だと言っていて、それが前面に出ていなかった話なので、法律が変わったからこうなるという理屈はないだろうと思います。
 しかし、そうであるにもかかわらず、私は迷っておりまして、案1のほうがいいのではないかと思っています。それは、本人が嫌だという表示があった可能性がある以上は、それは無視できないのではないだろうかというような考えです。
○山本班員 これを本人が嫌だと言った意思表示と考えるかですよね。
○町野班員 その意思表示があった可能性があるということですよね。おっしゃられるとおり、断定はできないです。
○山本班員 結局そうなると、要するにこの表示を見て、1と3についての拒否の意思表示と見るということですね。
○町野班員 断定はしませんが、意思表示があった可能性がある。
○山本班員 意思表示がなければ駄目なわけですね。
○町野班員 そうです。
○山本班員 拒否の意思表示がなければ駄目なので、これが意思表示であったと見るかです。可能性では駄目なわけですよね。
○町野班員 おっしゃられるとおりです。要するに、そういう可能性があったから、あったと見るという話ですよね。法文の上ではそうなっていますから、拒否の意思を表示していたときはできないということになっていますから、このとき表示していたと見なければいけない。どういうときに見るかというと、このような程度であった可能性が非常に高いと思われると、あるいは、相当程度あるといったときは、あったと見る。理屈は、確かにおっしゃられるとおりです。
○丸山班員 どうも鈍いもので、すぐに反応ができず恐縮ですが、先ほどの知的障害者の議論でも確かに出てきたのですが、私はそのあたりは比較的ニュートラルで、利益、不利益のどちらになるだろうというのは、個人的にはなかなか決めるのが難しいなと思います。利益という考え方もあるけれどもということですが、制度化できなかったわけでしょう。だから、現在の状況としては不利益と捉えられているというのは、我々の考えとしてはそうでないということを主張したのかもしれないですが、制度化まで至っていないということであれば、現在の認識というのは動いていないというように捉えざるを得ないのではないかと思います。
○新美班長 意見が分かれていますが、元に戻すと、設例1で、なぜこれは不明としたのかというところにも絡んできます。設例1の場合には、「心臓が停止した死後に限り」と限定をして、脳死の判定は否定していると読めますが、これは不明にして、設例2の場合は拒否である。我々の意見の中に矛盾があるのではないかとも思われますが、その辺はどう説明されますか。
○丸山班員 それは最初に水野先生の発言でも言いましたように、本人の提供しない意思というのは尊重すべしというところで、扱いを断っているということです。
○新美班長 そうすると、脳死判定は嫌だという拒否の意思表示は尊重しなくてもいいということになってきますが、その辺はどうですか。
○丸山班員 やはり提供ですね。
○新美班長 では、脳死判定は嫌だというのは、それで軽く見てよろしいというご趣旨ですか。
○丸山班員 そのあたりは、脳死論が絡むので難しいのですが。
○新美班長 だから、その辺を確認しておかないと、これはある意味で表示が不備なときにどうしたいかというときのルール設定ですから、そうだとするならば表示の中身によって軽重をつけて判定するのだということを確認しないとまずいのです。
○丸山班員 火に油を注ぐようですが、脳死論に入っていくような場合については、きちんと正確な表示をしてくださいということだと思います。提供するかしないかというのはわかりやすいので、そこは嫌だという人の気持というか、嫌だという人の意思は尊重したい。現在は、どちらかというと、まさに問題を拡大させますが、提供する人のほうが少ないわけですよね。マジョリティーは提供しない人ですね。他方、脳死論については、脳死賛成論のほうが、少なくとも新聞調査などではマジョリティーですね。そのあたりの多数派のほうにデフォルトを置こうというような考えが私にはあります。
○新美班長 そうすると、いまの法律の立て付け自体が、デフォルトの設定の仕方が誤りという前提になるわけですね。
○丸山班員 いいえ、フランスのように意思なしで摘出するということにはしていませんから。
○新美班長 不明な場合は摘出というのは、意思がない場合も含むでしょう。
○丸山班員 それは、誰かの意思が必要なのです。
○新美班長 ですから、そのときにここでもそうです。結局は、設例2の場合でも、遺族のほうに委ねましょうという議論になるわけですね。
○丸山班員 設例2は、私は案1ですが。
○新美班長 ですから、意思がないから摘出するという話ではなくて、案2に乗ったときでも遺族の意思に基づいて摘出するわけですから、フランスとは全然違うわけですね。
○丸山班員 そこに話がつながる。
○新美班長 いま、そうおっしゃったから。本人の拒絶の意思が。
○丸山班員 全体として、摘出に肯定的だという話でフランスを出したのですが。
○新美班長 ですから、不明な場合はマジョリティーに従ったならばノーだと、移植はしない方向へ行くべきだというと、そもそもこの改正法の立て付け自体はマジョリティーの意見を反映していないという前提を採るわけです。
○丸山班員 違いますよ。デフォルトが摘出しないですから、摘出される場合は今回の改正法の要件が満たされた場合と。
○新美班長 ですから、不明な場合。
○丸山班員 不明な場合は摘出しないでしょう。
○新美班長 だって、遺族の承諾があればでしょう。これは本人の意思をどう解釈するかという問題ですから、カードにあるところで本人の拒絶の意思があるかどうかを判定する際のルールです。これが、直ちに摘出に結び付くわけではない。本人がノーと言っているかいないかの判断で区別して、そのあと遺族に任せるわけですので。丸山さんの言うようにこれを拒否だと見るならば、ここですべて決着をつけましょうと。遺族のほうには判断を任せないという立て付けになるわけです。
○丸山班員 この設例2の文書についてはです。
○新美班長 それでよろしいですか。要するに、改正法の基本的な本人の意思が不明な場合には遺族に委ねるというのとは少し違って、これは本人の意思が明確だと。
○丸山班員 いやいや、明確ではなくて、合理的な疑いを入れないほど拒否がないと言える場合ではないというところです。だから、そういう場合には最初に言いましたように、本人の拒否の可能性があるならば、そちらを尊重しましょうということです。
○新美班長 そこで入るならば、設例1はどういう説明をしますか。脳死での移植は嫌だと言っているわけですので、その説明ができるかできないかという問題です。
○丸山班員 だから、私は脳死問題と摘出問題は違うという認識です。
○辺見室長 事務方としては、脳死の問題と摘出問題について差をつけるのは難しいかなと考えています。カード上、どういうカードがわかりやすいのかという側面もありまして、こういう記載にしていますが、基本的には2に付けていただく場合には、脳死について、また制度についてご理解いただいた上で、それを拒否をする方に2に○を付けていただくことをリーフレット等で説明を尽くして、そのようにしたいと思っていますので、基本的には、臓器摘出と脳死についての拒否についての前提のところが違うという扱いが生じるようなことは望ましくないと思っています。したがいまして、設例1については申し上げませんでしたが、設例2について案1と考えていますので、それとの並びでいきますと、設例1について案2を内心考えているというのが私どもの考え方ですが、設例1と設例2について新美先生ご指摘のとおり、ずれることによっての説明が相当難しいと思いますので、整合している必要はあると考えています。
○町野班員 丸山先生の代理戦争をするつもりはないです。私は、それは実は可能だと思います。要するに、脳死判定を拒否するかどうかの問題ですから、これは脳死をそれほど重大と考えるか考えないか、周りの人はどう考えるかというのとは、丸山先生と違って私は別の問題だろうと思いますが、ちょっと違うと思います。その限りでは区別をしていいのではないかと思いますが、区別をするとなりますと、かなりほかの所で、例えば臓器は提供しますが眼球は提供しませんとか、眼球は提供しますという話が出てきたときに、これももしかしたら違うのではないかという議論が出てきて、いろいろややこしい話になることは確かにおっしゃられるとおりだろうと思います。その限りでは、両方並びでしたほうがいいのかなという感じはしております。
○水野班員 書面外の情報解釈というときに、拒否、拒絶の意思表示を大事にするということでは全然反対しませんが、書面の解釈においては、その書面がどういう意思を表示しているのかを、公平かつ客観的に判定されなければならないだろうと思います。そうでないと、医療機関側も家族側も、いろいろな思惑がありますので、それが重なって都合のいいように書面上の本人意思が操作される可能性があるように思います。特に、こういう簡潔な様式の場合には、如何様にも意思の操作がされると思いますので、町野先生のような解釈ですと、拒絶の可能性がどの程度あれば差別的に取り扱っていいのかというのがあまり明らかにならないように思います。この論理を突き詰めていきますと、結局、いかなる場合も拒絶意思を持っていた可能性は否定できないことになって、およそ意思不明という場合はなくなりはしませんか。そうなると、知的障害者の取扱いを一般化したのと同じことになっていくのではないかと思います。
 現場のおかしな運用可能性を排除するためには、あまりわかりにくい付加ルールを付けるべきではなくて、そういう意味でも拒絶意思だけを書面解釈において差別的に取り扱うというのは、あまりすべきではないと思います。こういう書面上の記載の解釈云々で現場が右往左往するというのは非常にお気の毒で、いかにも不毛で、誰の利益にもならないのではないかと思います。ともかく、本人の意思が何であったかということをはっきり確定させることが最大の解決なので、コーディネーターの方々が、仮にわからないドナーカードが出てきたときには、八方手を尽くして家族や友人から、本人はどのように考えていたのでしょうか、拒絶の意思は持っていたのでしょうか、ということについて聞いてみることで対応するのがいいのではないでしょうか。いたずらにこういう問題で細かな指示を出しますと、書面がこうなっている以上、厚労省の解釈では移植できないみたいな形で、非常にリジッドに運用される危険があるように思います。それを危惧しています。
 行政が気を遣うべきなのは、教室設例みたいな細かな具体例をいろいろと挙げて指針を出すことではなくて、現場のおかしな運用を抑制できるような最善の方針を明らかにすることではないかと思います。そのときには書面を合理的に解釈して、意思がわからないときには不明ということにするという方針を出しておけば、それでいいのではないかと思います。
○新美班長 最後は大変大きな問題ですが、そもそもこの検討会は要らないのではないかという議論にもなりそうです。
○丸山班員 いまの水野先生の発言の大部分は見解の相違なのですが、1つ、そういうことになると、本人意思不明の場合がなくなるとおっしゃいましたが、それは本人が書面を作っていない場合、それが本人意思がない場合の大部分だと思いますので、そうとは限らないということだけ指摘させていただきたいと思います。
○町野班員 最後はそうでないのであって、拒絶の意思については書面を作っていなくても問題ないですから、承諾意思の問題だけです。先ほど水野先生が言われたことが、前のときもこういう議論が先生とあって、最後は遺族が判断すると。そちらに任せておいて、大きな問題はないと。最初のところでこういうところを捉えて、これは駄目というのは適当ではないのではないかという話ですよね。そうなってくると、設例1と合わせて設例2のほうも、案2かな。やはり両方合わなければやりにくいことはたしかですから。
○新美班長 案1を採ると、もう入口で駄目ですよということになってしまう問題ですよね。
○手嶋班員 私も、案2でいいと思います。ただ、同時に1と3に付けたならともかく、最初は3を付けていて、後になって1に付けた場合に、最初の3を付けた時点では有効な意思表示と理解できると思います。それが後になって両方付いたことで、全部中和されてしまうという扱いが少し引っかかるところがあることは申し上げておきたいと思います。
○新美班長 それは、まさに先ほど言ったプロセスとしてはわかるけれども、出てきたものはそれがわからないという前提ですから、どちらに転ぶかといったら、意思不明だというのが、いまのところ多数説になっています。まだ最終的な議論があるかと思いますが、一応案2のほうが多数を占めたということで、次に進めていきたいと思います。丸山先生、あとでまた、あればどうぞ。
 次に、設例3についてご意見をいただきたいと思います。これは臓器のところだけチェックが付いているということですが、案1と案2です。脳死判定は不明だけれども、承諾がある。あるいは全部に承諾がある。どちらを採るかということです。
○丸山班員 先ほども指摘しましたが、結果が同じならあまり議論をする必要もないかなと思います。
○新美班長 これは先ほどの質問からいくと、案2でいくということでいいですか。積極的な承諾が必要か、拒絶がないかということの違いがあるだけで、結論は遺族に委ねられるという点では一緒だと。
○丸山班員 両方とも遺族は要らないです。
○新美班長 脳死判定は。
○丸山班員 脳死判定も不明ですから。本人の提供意思があれば。
○辺見室長 遺族の書面による承諾ではなくて、ただ、遺族が拒まない場合での遺族の役割はあります。
○新美班長 遺族が噛むことはあるわけですね。
○丸山班員 噛む必要はないです。
○新美班長 拒まないことを確認しなければいけないです。
○丸山班員 いまの実務はそうですね。
○新美班長 法文上は。
○丸山班員 黙っていても構わない。
○新美班長 実務はそうです。法文上はそうなっています。確認しろということになっています。その違いがあるということで、案1でいくか案2でいくかということです。いまの議論は、大体議論の流れからいくと案2のほうに固まりそうですが、案1でいくべきだという人がいらっしゃったらご意見をいただきたいと思います。
○丸山班員 私は前の制定のときから気にかかっているのですが、法文上は「その者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないとき」ですから、何もしなければオーケー、いま実務で異論ありませんという書面をとっていますが、そういうのも法文上はとる必要はないということになると思います。証拠がないだけで、実体的には家族の反対がない場合オーケーですね。不存在が要件ですので。
○辺見室長 家族の書面による承諾がある場合と家族が拒まないときが、法律上書き分けられているのはご指摘のとおりですが、家族が拒まないときということも一連の手続の中で入ってくる話ですので、それを記録として後に確認するためにも書面によって残しておく必要はあるということで、現在書面を求めており、それを残すような取扱いをしていますが、問題の元の入口は家族の意向を確認するのかどうかということであったと思いますので、その限りにおいては、いずれも家族に聞くことは変わらないと思います。
○新美班長 移植の検証可能性等も考えて、ある意味でこの法律の有権解釈だと思いますが、それで証拠を取っておけという。
○丸山班員 一言だけ。この法律あるいは立法のときの趣旨では、家族が黙っている。証明責任は家族にあります。拒むという意思を表示するのは家族であって、家族が拒むという意思を表示しなければ、今回の改正で、本人の脳死判定の拒否の意思がない場合についてはやってよろしいというのが趣旨でしたが、いま室長からおっしゃったように、確認する必要性や記録を残す必要性、いま班長からおっしゃった検証の必要性から、結局は異存ありませんという意思の表示を求めるようになってしまって、要件が加重されて、当初の角膜移植法から角腎法への法改正あるいは角腎法から現在の臓器移植法になったときの趣旨が、要件を緩めようという動機だったのに、それが実務では実現されていないところがあるというコメントです。
○新美班長 それでは、いま言ったいくつかの問題、本検討班からいくと少し違った問題がありますが、設例3については案2の方向で大体合意が得られたということでよろしいですか。
 設例4についてご意見をいただきたいと思います。今度は×ではなくて、○が付いているというものです。これについて案1、2、3がありますが、ご意見をいただきたいと思います。これまでの議論ですと、案3になりそうですが、そうではなくてこう考えるべきだということであれば、ご意見をいただきたいと思います。
○本山班員 私は、案2と案3でまだ揺れています。なぜ案2で揺れているかというと、一般的にこういったものを遺族の人が見たときに、提供したいものに○を付けるのはとても素直な事務処理というか、対応ではないかという気がします。先ほど、意思表示カードは一体何物かという議論がありましたが、そもそも「臓器提供意思表示カード」としているわけなので、○を付けているということは、間違えてしまったにしろ、これを提供したい意思があったと捉えれば素直ではないかという気がしていて、案2でもいいのかなと思っています。案3でもいいような気もしますが。
○新美班長 ○を付けたということに、積極的な意味を認めると。
○本山班員 はい。それは、一般的に素直なことなのではないかと思えます。
○丸山班員 あまりこだわらないですが、本山先生は案2と案3で揺れていらっしゃるということですが、私は案2かなと思います。それは、いま本山先生がおっしゃったことに加えて、これまでのカードを知っている人について、これまでのカードは希望を○で、希望しないのを×で書いていた時期があったと思います。それを知っている人が同じように○を付けたけれども、1、2、3の所を忘れてしまったというような解釈もできるかなと思いますが、これまでの経緯を知らない場合は案1もあり得ます。だから、案1の可能性を見せられると少し迷いますね。
○新美班長 結局、意思不明という扱いもしょうがないのではないかと。これは○になっていますが、×ではなくてチェックを付ける人もいます。そういうことも含めて考えて、どうするかということだと思います。
○町野班員 いずれの見解に立っても、どれを提供するかは、外れたものは全部、絶対に遺族が承諾しても駄目ということですね。
○新美班長 駄目ということになります。
○町野班員 やはり、それはすべきではないだろうという感じはします。そうすると、案3かなと。
○芦刈参考人 現場での運用上の観点からですが、案3で家族に委ねることになると、仮に家族は承諾をする。○が付いている肺・肝臓・腎臓・眼球に関して、その組合せに関して承諾をいただくのか、例えば心・膵・小腸という組合せに関して承諾をいただくのか、それとも、このカード自体が無効であって、どの臓器も承諾をいただいていいのかというところは、現場でどう運用していったらいいのかなというところが1つ危惧するところです。
○新美班長 それは、おそらくいまのお話ですと、基本的にはご本人はチョイスをしていないという前提で、ただこういう記載がありますと。コーディネーターのやり方としては、ご家族には、これを基にご判断くださいということになるのではないですか。ただ、カードからはご本人が選んだかどうか、少なくとも、コーディネーターの立場から判断できませんと。ですから、遺族の人たちとしてはこういう記載があることも含めて、自らの判断でしてくださいということになるのではないですか。あまり、そういう意味では予断を与えないような、こういうことがありますということだけ示せばいいのではないかと思います。カードは、必ず見るはずですね。
○芦刈参考人 そうですね。
○新美班長 ですから、いまのご議論だと、あまりチョイスはこれとこれだということにはならないのではないかとなりますが、いかがでしょうか。大体よろしいですか。そうすると、案3で対応していくことになりそうですが、とりあえずそうさせていただきます。
 設例5についてはいかがでしょうか。これは「すべて」という記載しかない。なお、注意しておく必要があるのは、特記欄は臓器の指定についての特記欄ではなくて、親族優先についてのことも特記事項としてなっていますので、従前のカードの記載とは少し違った欄の意味合いになっているということです。それも踏まえて、どうぞご議論いただきたいと思います。
○水野班員 これについても「すべて」とありますので、すべて提供という可能性もあれば、すべて拒絶という可能性もあって、そうなるとまた意思不明のところへ入ってきて、案3になるのではないかと思います。
○新美班長 いかがでしょうか。最初の水野さんの施政方針演説どおり、不明のほうに流れていったらどうかという意見ですが、これについてご意見はありますか。そちらの方向でよろしいですか。
 次に設例6についてご意見をいただきたいと思います。これは「親族優先」という記載だけあった場合に、優先の意思を尊重して臓器提供の承諾があると扱うか、案2で、これは無効の記載であるとして、すべて不明ということで、結局これでいきますと親族の優先提供はできなくなるという違いがありますが、これについてはいかがでしょうか。これは水野さんをもってしても、非常に悩ましい案です。いかがでしょうか。どうぞ、ご意見をいただきたいと思います。
 私も初め、案2でいいのではないかと思ったのですが、親族優先提供したいという意思を無下に駄目と言っていいのかなというところもあって、案1はどうかなと個人的には揺れ動いていますが、率直な心情吐露だけして、ご意見がありましたらお願いします。町野先生、どうぞ。
○町野班員 私は案1でいいような気がしています。なぜかというと、親族に優先提供するという中に、臓器の提供をしますという意思が当然含まれているという考え方を採れば、案1でいけるのではないかという具合に思います。
○新美班長 リーフレットでは、きちんとその点は説明してあるわけですね。親族優先提供をするときには、臓器提供を前提にということは書いてあるわけですか。
○辺見室長 当然、そのようにしっかり説明されています。
○新美班長 ですから、医学的な基準でいくと、親族に行かない場合もあるということも含めて、きちんと書いてあるということですね。そうすると、町野先生のいまのご意見になるかと思いますが、その辺は水野さんいかがですか。
○水野班員 ただし、親族限定提供ではないという点については、遺族に確認をしないといけないと思います。賢い遺族だったら、限定提供だと言ってしまったら、それで自分ももらえなくなりますから、限定提供ではないと言うはずですが、一応その点は確認をすることになると思います。
○新美班長 それは付記事項で、コーディネーターのほうに注文というか、要望しておくということですかね。
○辺見室長 いまのご指摘はおっしゃるとおりだと思いますが、この設例を作る段階で「親族優先」という、「優先」という言葉を残しましたのは、この言葉の意味を確認することによって、優先以外の提供意思もあるのかなということを議論できるかなということです。ここに「親族」としか書いていない場合とか、いろいろ考えられますが、そういったような場合には、水野先生のご指摘のような問題がさらに難しくなってくるのかなと思っています。ただ、この場合は「優先」と書かれていることを前提に、ご検討いただければと思っています。
○新美班長 いろいろなバリエーションが出てくると思いますが、ここではとりあえず「親族優先」という記載があった場合にはそう考えましょうと。「親族」だけだと、少し悩ましいですね。おっしゃるとおりです。
 とりあえず具体的な例について、6例やっていただきました。この親族提供について、まだ皆さんのご意見を全部聞いていませんが、案1の方向がお二方から出ましたが、最後にまた変わるかもしれませんが、一応の暫定的な承認ということで、そういう方向でよろしいですか。
 以上の具体例の検討を前提に、改めて「基本的な考え方」に戻るということになろうかと思いますが、これまでの議論からしますと、基本的には意思表示が何であったかはきちんと確認しなさいと。忖度とかそういうことでは困ると。書かれたものの意思表示の意味合いをきちんと確認できるかどうかで、まずはっきりするということです。本人の意思の尊重が記載不備事例であっても、ここでは特に拒絶の意思表示と認められるかどうかを確認して、それができないときには意思不明とする方向性を示しておくということが1つだと思います。ですから、「忖度」という言葉は使わない。
 2番目も、「拒否の意思が認められる」。これは「推定」では困る。あるかないか。「拒否の意思表示と認められる場合には、これを尊重する」ということになると思います。
 ?B、?Cは、基本的には家族の判断の方向に持っていく。これまでのご議論からいくと、そういう基本的な考え方になりそうな気がします。
 とりあえず、司会進行役として中間的にまとめただけですので、ご意見をいただければどうぞよろしくお願いします。
○水野班員 書面は合理的に解釈をしてということであって、そこから「拒絶の意思が読める場合には」という判断は書かなくてもいいのではないでしょうか。拒否の意思については、家族などの証言によって慎重に尊重するということで、書面そのものから解釈を導き出すという書き方は、感心しません。書面はあくまでも客観的に、合理的に判断して、1つの意思が読み取れないときには、「意思不明とする」ということでいいのではないかと思います。
○新美班長 そうすると、?@に書いてあったのは「不備事例」と書かないで、「不備と思われる事例であっても、書面の記載からは合理的な解釈で、本人の意思を認定する」という言い方で書いておく。それでも、なおかつ確定的に認定できないときには、意思不明として扱うという考え方ですね。
○水野班員 2番目については、「記載不備事例であっても書面に残された記載から」以下ではなくて、3行目と4行目を、「証言によって本人の拒絶の意思があったかどうかについて慎重に検討する」ということでいいのではないでしょうか。
○新美班長 いかがでしょうか。ほかにご意見はございますか。
○辺見室長 差し支えなければ、いただきましたご意見を基に書き直しをしまして、改めて皆様にお送りしたいと思います。今後の進め方としては、先ほど申し上げましたように、施行の前に個別6事例の扱いまでは難しいにしても、基本的な考え方は現場にお示しをしなければいけないかなと思っていますので、そこは最低限詰めたい。具体的な事例というのは今後必ず出てくるはずですので、そういったものを踏まえて、さらにご議論をいただく必要があるかなと思っています。
 修正の際のポイントですが、新美先生にご指摘いただいたように、まず?@を直すということですが、その場合、「本人の意思をできる限り認定ないし確定をする」ということと、書かれている内容が相矛盾する場合は意思表示とは認めない。ただ、親族優先の話がありますので、相矛盾するのではなくて方向性が同じで、合理的に解釈できる場合というのもたぶんあるのだということだと思いますので、相矛盾する意思表示は意思表示とは認めないけれども、矛盾しない場合は不備であっても、それを合理的に解釈していくのがあるというようなことがわかるような書きぶりをしつつ、拒否の意思に関しては、こうした形で書面の意思表示が仮に有効ではないとされたとしても、書面ではなくて拒否の意思表示を確認するということで、それはそれで実務上重要になってきますので、そういったことも含めた形で、現場にお示しできるような書きぶりを工夫したいと思っています。
○新美班長 ほぼ方向が出ました。最終的な文章としては今日は時間がありませんので、あとはメールなり何なりでさらにお示しした上で、皆様のご意見を賜ることにします。本日の議論はこれまでとします。
 事務局から、何かご連絡がありましたらよろしくお願いします。
○長岡補佐 事務局より連絡を差し上げます。本日は活発なご議論をいただきまして、ありがとうございました。本日ご議論いただいた内容については、その議論を踏まえて少し紙を修正した上でご確認いただき、事務局から臓器移植委員会のほうにも報告させていただけたらと思っています。今後、先ほど申し上げましたとおり、具体的にどのような事例が出てくるかということもありますが、本日いただいた基本的な考え方を基にしまして、具体的な事例に対応していきたいと思っておりますので、よろしくお願いします。
 改正法の施行に向けて、本作業班で検討をお願いしてきましたが、お願いする事項については、これで概ね検討が一通り終わったのかなと思っています。今後は施行状況を踏まえながら、これまで想定してこなかった不備事例といったものがありましたら、また本作業班でご検討をお願いしたいと思っていますので、その際にはどうぞよろしくお願いいたします。
○新美班長 珍しくパンクチュアルに、ほぼ予定どおりの時間で終わることができました。ご協力に感謝いたします。今日は、どうもありがとうございました。


(了)
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代表 : 03(5253)1111
内線 : 2366 ・ 2365

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