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2013年10月2日 チーム医療推進のための看護業務検討ワーキンググループ 第35回議事録
医政局看護課看護サービス推進室
○日時
平成25年10月2日(水)10:00~12:00
○場所
厚生労働省 共用第8会議室(19階)
(東京都千代田区霞が関1丁目2番2号 中央合同庁舎5号館)
○出席者
出席者
秋山 正子 (ケアーズ白十字訪問看護ステーション 統括所長) |
有賀 徹 (昭和大学病院 院長) |
井上 智子 (東京医科歯科大学大学院 教授) |
大滝 純司 (北海道大学大学院医学研究科・医学部医学教育推進センター 教授) |
川上 純一 (浜松医科大学附属病院 教授・薬剤部長) |
神野 正博 (社会医療法人財団董仙会 理事長) |
小松 浩子 (慶應義塾大学看護医療学部 教授) |
真田 弘美 (東京大学大学院医学系研究科 教授) |
竹股喜代子 (前 医療法人鉄蕉会 医療管理本部 看護管理部長) |
英 裕雄 (医療法人社団 三育会 理事長) |
星 北斗 (財団法人星総合病院 理事長) |
前原 正明 (防衛医科大学校外科学講座 教授) |
山本 隆司 (東京大学大学院法学政治学研究科 教授) |
○議題
1)「特定行為に係る看護師の研修制度(案)」をふまえた具体的内容の検討
2)その他
○議事
○島田看護サービス推進室長 それでは、ただいまより「第35回チーム医療推進のための看護業務検討ワーキンググループ」を開催させていただきます。
委員の先生方におかれましては御多用中のところ、そして本日は足元の悪い中、当検討会に御出席いただきましてまことにありがとうございます。
まず、本日の委員の出席状況でございますけれども、本日は全員の委員より御出席と御連絡いただいておりますが、英委員におかれましては少しおくれて御到着と御連絡をいただいております。
続きまして、配付資料を確認させていただきます。
議事次第の下に、座席表をお配りしております。
そして、本日資料としては1点でございまして、「指定研修について」の資料をお配りしております。
参考資料といたしましては、参考資料1は「医師法第16条の2第1項に規定する臨床研修に関する省令の施行について」の抜粋でございまして、別添1「臨床研修の到達目標」。
参考資料2は「看護師等養成所の運営に関する指導要領について」からの抜粋で、別表3「看護師教育の基本的考え方、留意点等」。
参考資料3といたしまして、「養成調査試行事業実施課程における科目例」でございます。
参考資料4、「第34回チーム医療推進のための看護業務検討ワーキンググループにおける委員の主なご意見」をおつけしております。
資料の不足などございましたら、途中でも結構でございますので、事務局のほうにお申しつけください。
それでは、以後の進行は有賀座長どうぞよろしくお願いいたします。
○有賀座長 おはようございます。午前中の会議ということで、エネルギーがたくさん入っていると思いますので、ぜひよろしく活発にお願い申し上げます。
まずは、資料の説明を賜るということになると思います。先回も指定研修の内容について議論をしていただいたところでありますけれども、まだ入り口というところになりますので、資料をお願いします。
○島田看護サービス推進室長 それでは、資料の説明をさせていただきます。
「指定研修について」でございます。指定研修に関する資料は、前回のワーキングでもお示しをいたしましたけれども、その後、大滝先生を中心に小松先生、前原先生、竹股先生、真田先生、井上先生に御参加をいただきまして、作業班で内容をさらに御検討いただいたものを本日資料としてまとめさせていただいております。
おめくりいただきまして、2ページでございます。
まず、「想定される指定研修受講者(案)」でございますけれども、こちらのほうは前回のワーキングでもお示しした内容でございまして、上から3行目の※印にありますように、本制度で指定研修の受講者の要件を制度上、設定するものではございませんけれども、指定研修の内容として御検討いただく際にどういった方を念頭に置いた研修なのかということを共通認識として持っていただくためのものということで御議論いただいておまとめいただいているものでございます。
内容といたしまして、前回お示ししたものからの変更はございませんで、おおむね3~5年の実務経験を有する方ということで内容を整理していただいております。
続きまして、3ページでございます。「指定研修の基本理念」を修正させていただきました。この指定研修の目指す方向といいますか、どういった研修なのかということを、研修について検討する際に立ち返るものということでまとめたほうがいいということで基本理念を置いておりますけれども、前回のワーキンググループにおきまして、この指定研修の内容を考えますと、特定行為をプロトコールに基づいて行うということでは、研修内容の中にはかなり安全に配慮というような内容が書いてあったり、医療安全について学ぶというようなことが書かれているので、基本理念についてもそれを表記したほうがいいのではないかといった御意見をいただきました。そこで、3行目でございますけれども、「医療安全に配慮した」という文言を足しておりまして、医療安全に配慮した実践と振り返りを繰り返すというような文言にしているところでございます。
それ以外の記載の内容については、前回お示ししたものと変更はございませんけれども、注書き等の部分につきまして御指摘いただいた内容を踏まえて、このように表記を変更しているところでございます。
4ページでございますが、「指定研修機関等の研修実施方法について」でございます。こちらは以前からお示しをしておりますけれども、指定研修をどういった機関で、どういった体制で行っていただくことがあり得るのかといったイメージをお示ししたものでございまして、従前からお示ししておりますように、左側にありますように指定研修を講義・演習、実習、全て1つの施設の中で行う場合もあれば、実習施設と連携しながら指定研修を提供するという機関もあるだろうということで、こういったところでの研修を念頭に置いた内容を御検討いただくということで、改めて記載させていただいております。
5ページでございますけれども、指定研修に係る教育内容の構成のイメージをお示ししております。今回、制度的にその研修を義務づける方、すなわち指定研修を受けていただくのがどういう方かと申しますと、上のほうに流れ図を抜粋してお示ししておりますけれども、医師からプロトコールに基づく包括的支持を受けて、その指示された範囲、プロトコールに示された範囲に患者さんの病態があるかどうかということを確認し、その範囲に合致していれば特定行為を実施する。この流れを身につけていただくための研修ということでございますので、これを改めて置いているところでございます。
これを受けまして、研修の内容といたしましては下の枠組みでございますけれども、プロトコールに基づいて病態の確認を行うための共通の知識、技能というものを学んでいただきますとともに、実際に特定行為を行っていただくための知識・技能、そして技術というものを学んでいただくというような構成で指定研修を考えてはいかがかということで、構成を示しております。
そして、6ページでございます。6ページ、7ページは今ごらんいただきました研修の構成を考えたときに共通の知識・技能というものをまず、おまとめいただいたものが7ページでございます。
6ページの図は、先ほど5ページで見ていただいたものと同じものでございます。
7ページにお示ししておりますように、共通に学んでいただく知識・技能ということで表Aというふうにまとめておりますけれども、前回ワーキンググループでお出ししました資料からの変更部分を赤の文字と、それから取り消し線で記させていただいております。
大滝先生を初め、作業班のほうで御議論いただいた内容といたしまして、到達目標について文言の整合性をとるということですとか、重複している内容を整理するといった観点から、到達目標につきましては5点にまとめさせていただいております。
まず1点目ですけれども、多様な臨床場面において重要な病態の変化や疾患を包括的にいち早くアセスメントする基本的な能力を身につけるということ。
それから2点目ですけれども、多様な臨床場面において必要な治療を理解し、ケアを導くための基本的な能力を身につけるという点。
3点目ですが、多様な臨床場面において患者の安心に配慮しつつ、必要な特定行為を安全に実施する能力を身につける。
4点目ですが、問題解決に向けて多職種と効果的に協働する能力を身につける。
5点目は、自らの看護実践を見直しつつ、標準化する能力を身につける。
この5点を到達目標としてはどうかという案でございます。
そして、その下に「教育内容」とそれに対応する「学ぶべき事項」というものを整理していただいております。「教育内容」としましては、「病態生理」に「学」を追加したほうがいいということで、「病態生理学」と修正しております。そして、2行目でございますが、「臨床推論」につきましては「学ぶべき事項」として臨床診断学と臨床検査学と修正をしております。
今回、この表Aの案としましては、上の表に出しておりますような「教育内容」と「学ぶべき事項」ということでおまとめいただいておりますけれども、御議論いただいた中で幾つかの御議論があったことについて、下のほうに主な論点ということでまとめさせていただいております。
まず1点目は、教育内容の「病態生理学」についてですけれども、これについては特定行為に関連づけて学ぶべきであり、幅広く基本的な知識としての病態生理であれば、卒後教育としてではなく卒前の基礎教育の中で修得すべきものではないかといった御意見をいただいております。
それから「臨床推論」についてですけれども、教育内容としての1項目とせずに「特定行為実践」の教育内容の中における演習として学んではいかがかといった御意見もいただいておりました。
それから、もう一つ下の御意見ですけれども、こちらのほうは行為の区分間で共通して学ぶべき事項です。こちらは、6ページの図を見ていただいたほうがおわかりいただきやすいかと思いますけれども、左側の共通として学んでいただきます内容ではなく、行為に応じて学んでいただく内容として、共通して学ぶべき事項として位置づけるものもあるのではないかといった御意見をいただいているところでございます。
続きまして、8ページ、9ページをごらんください。
8ページは、先ほど来ごらんいただいております指定研修の枠組みの図でございます。この右側に記載しております行為の範囲に応じた研修内容ということで、表Bとして9ページにまとめております。
行為の区分に応じた指定研修の到達目標としましては上のほうに囲んでおりますけれども、多様な臨床場面において当該特定行為を実施するための知識・技能及び態度の基礎を身につけるという点。それから、多様な臨床場面において医師、または歯科医師からプロトコールに基づく指示を受け、実施の可否の判断、実施・報告の一連の流れを適切に行うための基礎的な実践能力を身につける。こうした到達目標を掲げていただいて、表Bに記載するような内容を研修してはどうかということでございます。
表Bのまとめ方でございますけれども、こちらにつきましてはどのような行為をどのようにまとめて区分とするかということにつきましては、現在まだ御議論途上でございますので、ここではあくまでもア、イ、ウというような形で例示を挙げさせていただいておりますけれども、これまでの御議論としまして、1つずつの行為ごとに研修を組み立てていくということではありませんで、幾つかの行為をまとめて、それに対応する研修内容を考えようということが御議論として前提だったかと思いますので、幾つかの行為をまとめて区分として研修内容を考えるという前提でまとめさせていただいております。
そのように何がしかの区分を考えました場合、この9ページでは行為アとイを例としてくくっておりますけれども、この2つの行為を例として挙げていますが、これらの行為の中でも何らかの共通性で行為は区分するのだろうと考えますので、そうした共通事項を学んでいただく事項ということで、ここでは「共通して学ぶべき事項」として例を挙げてございますが、行為に関連する臨床解剖学ですとか、行為に関連する臨床生理学といったようなものを共通して学んでいただきまして、そしてそれぞれの行為ごとに学んでいただく事項ということで、こういった組み合わせで表Bに係る内容の研修を受けていただくということではどうかと考えております。
表Bに記載しております内容は、主として臨床実習のような形で現場に近いところで行っていただくものではないかと考えております。
この表Bをおまとめいただくに当たりましての論点といたしまして左側に囲んでおりますけれども、行為の区分の間で「共通して学ぶべき事項」の重複があれば、それらを明らかにするよう整理しておくことが必要ではないかといった御意見。
それから、先ほど表Aのところでも出てまいりましたけれども、この行為の区分の間で「共通して学ぶべき事項」と、それから表Aの「教育内容」について整理する必要があるのではないかといったような御意見もいただいたところでございます。
10ページには、ほかの行為をまとめたときの例をお示ししております。後ほど、御議論の際にごらんいただければと思います。
11ページでございますけれども、指定研修機関におきまして、受講者の研修終了を評価した上で研修終了と認めいただくことになりますので、その受講者の評価に関する事項を取り決めておく必要があるのではないかということで御議論いただきまして、幾つかの点をおまとめいただいております。
1つ目が、単位を認定するに当たってでございますけれども、講義、実習等を必要な時間数以上受けているということと、その科目の内容を修得していることの確認についてはレポートや試験等を行っていただく。
これに関する論点といたしましては、この科目の内容を修得していることを確認する際には、外部評価者を少なくとも1名含む体制で行うことが望ましいのではないか。その場合、客観的に評価能力を担保された方を外部評価者として任用することが望ましいのではないか。こういった御意見をいただいております。
2点目でございますけれども、成績の評価や単位の認定に関する事項は、各指定研修機関が科目ごとに策定し、試験を実施する科目は事前に提示をしていただく。
そして、受講者にとって重要となる科目については、試験を課していただいてはどうか。
技術的な難易度の高い行為、例えば下に挙げておりますような行為が該当するかと思いますが、そういった行為については実技試験によって修得状況を確認することが必要ではないかといった御意見もいただいております。
それから、下の2つは実習施設にかかる事項でございますが、実習施設の要件も何らか定めたほうがいいのではないかということで、指定研修機関との連携体制ですとか、指導者が指定されていること、プロトコールに基づく特定行為の指導や実習ができること、利用者・患者への説明が適切になされることなどが要件として求められるのではないかということです。
そして、指定研修機関と実習施設が同一でない場合、指定研修機関は受講者の修得状況の評価を実習施設の指導者を評価者として認定することができるようにしてはどうか。そして、評価基準は実習施設に提示をしていただいて、評価方法については指定研修機関と実習施設とが事前に調整をし、取り決めていただくことが必要ではないかということで挙げていただいております。
最後のページ、12ページでございますが、このほか指定研修の実施に当たって留意すべき事項ということで、これまで御議論いただいた内容からの抽出をしておりまして、eラーニングについてまず挙げております。教育内容の一部をeラーニングにより提供することを可能とするということは今まで御議論いただいておりましたので、ここに記載をさせていただいております。
そして、その他「指定研修の取り決めについて留意すべき事項について」、これは全体的なことかと存じますが、この教育内容の見直しにつきまして、到達目標や教育内容に係る規程については、制度施行後の見直しについて明らかにしておくことが必要ではないか。こういった御意見もいただいておりましたので、まとめさせていただいているところでございます。
資料の御説明としては、以上でございます。
○有賀座長 ありがとうございます。
本件は大滝先生がいろいろやって下さっていますので、少し今の御説明にアクセントをつけてよろしくお願いします。
○大滝委員 まず、合意できた点と、意見がいろいろ分かれた点は当然あったわけですが、おおむね合意できたというふうに私が認識している点としては、やはりある程度の共通部分があるだろう。それで、その部分については全体の共通事項、あるいは行為群別の共通事項として学ぶという形に組んでいくということについては、細かい作業はこれからですけれども、総論としては合意できたと思っております。
そして、その中で単位制などのシステムを使って、例えば重複している部分、既に別なところで学んだといったものはそれをカウントできるといったような効率的なシステムにできるのではないかということについては合意できたと思っております。
ただ、全体の共通事項として学ぶべきか、行為群別の共通事項として学ぶべきかという個々のことについては、恐らくこれから検討する中で全体のボリュームのバランス、それから個々の内容についていろいろ議論する必要があると思います。
具体的に例えば解剖でいいますと、全体で学ぶべきところはいわゆる全身解剖ということになると思いますが、局所解剖のどこまでを各行為群に含められるのかといったことについて、全身解剖が余りに薄っぺらでは問題ではないかとか、それは卒前で学んでいるのでかなりそこの部分でカバーできるのではないかとか、いろいろな意見があったと記憶しております。
特に、卒前との重複については制度上、卒前でやっているはずだという考えもありますし、また将来的にさらに卒前を充実するべきだという、これも当然の御意見があります。一方、現状ではそうなっていない部分があるだろう。それから、繰り返し学ぶことも必要であろうし、一部の知識、情報についてはどんどん新しくなっているので、それを更新するという意味でも卒前教育の部分もある程度、入れる必要があるだろうといった議論をしました。今後さらに詰めていく必要があると思います。これらが、合意できたかどうかについての話です。
それから、言葉についてです。やや耳慣れないといいますか、7ページ目のところの「教育内容」、それから「学ぶべき事項」の中で、頭に「臨床」を頭につけた言葉が幾つか出てきます。これは以前、ワーキングの中でも多少、話題になったかと思いますが、卒前で学んでいるはずのことをもう一度ここで学ぶのではなく、応用的な内容であるという違いがわかるように、「臨床」という言葉を頭につけておりますので、そのように御理解いただければと思います。
それから、いわゆる行為群別のカリキュラムについては、おおむねのその構造について9ページでお示ししました。そこまではイメージをつくりましたけれど、具体的な内容について、例えばこれに単位制がどのようになじむのかといったようなことについても、これから検討するということになると思います。
最後に、その質の担保についてですが、11ページのところにも幾つかそれに関連した項目があります。検討する中で何人かのメンバーから、本当にこの制度が広がっていった場合、質が担保できるのだろうかということ、そこをきちんと詰めていく必要があるだろうという御意見がありました。
それで、これは私からの提案でもあったのですが、今、医学生の臨床実習開始前の共用試験、共同で利用するという試験という意味での共用ですが、その共用試験の中で、各大学で学生にその能力があるかどうかをチェックする際に、外部評価といって、ほかの大学から評価者を入れております。それに準ずるような、それを参考にするような形で何かそういった制度を入れてきちんとした評価をしているということをアピールもできるでしょうし、質もある程度担保できるのではないかということを御紹介して、細かいことはまだ詰めておりませんが、そういった外部評価者、それから実技試験といったことをここに盛り込んでいるわけです。
ちなみにエピソードとして御紹介しますと、その医学生の共用試験では実技試験を6種類行います。6種類の実技試験を100人程度の医学生が行うのに50~60人の評価者を学内で用意しますが、そのうち6名を学外の人にして、その6種類の試験に最低1人ずつ外部評価者が入るというルールで運用しております。
それだけでも運用はかなり大変なのですが、あるときに医学教育について、最近そういった状況をお知りになったという、外部の方にそのことをお話ししたところ、そういう評価は全員外部評価者でやるべきではないか。自分が教えた人を評価して、それで一体、質の何が担保できるのかと言われたのです。そういう厳しい見方も、やっている側からすると6人に外部から入っていただくだけでもいろいろな準備、それから外部評価者として動いていただく方の評価のトレーニングといいますか、質を確保するというのも相当の手間がかかるんですが、そういった見方もあるということもありまして、確かにこの制度が広がっていくに当たって、その評価をきちんとしているということを何らかの形でつくっていくことが重要だろうということも話題にさせていただきました。
私からは、以上です。
○有賀座長 どうもありがとうございました。
きょうは、この指定研修について議論をいただくということになります。今の最後の評価の部分はちょっと後ろに回したほうが多分、効率がいいのかもしれません。全体の基本的骨格についての話で、さっき図のAとかBがありましたね。あの指定研修機関で、表Aで示すような「全体を」という議論も、それから「行為それぞれの共通の」という話と、「行為それぞれの別途の」という話とが基本的な骨格であると思います。ですから、そこら辺はいろいろな角度から議論するとほかの議論も一緒にできる。こういう話になるのではないかと思います。
○星委員 すごく一生懸命やってくれたのはわかって、大滝先生は随分苦労されたんだろうと思います。敬意と感謝をしたいと思いますけれども、その前に3ページのところで「医療安全に配慮した」と入れてくれたのはありがたいんですが、これをよく読んでみると、その黒丸の2つ目に「特定行為とは」と書いてあって、上を眺めるとそこには一切特定行為という言葉は書いていないんですね。
だから、これは結局、特定行為に係る看護師の研修制度の指定研修は、ということですね。これは、私たちはわかって読んでいるからいいんですけれども、これだけ出てくると何だかすごく変な感じがするので、私は単純に共通理解、いろいろなところに流れていくときに、何だということにならないようにしてほしい。特定行為に係る看護師の研修制度というのが今回の話ですので、そこをちょっと補足してほしいというのが1点ですが、これはどうでもいい話です。
それと、やはり今、大滝先生がおっしゃったように、その共通項をどうするか。あるいは、既に学んだ項目であるはずの解剖学などについてどの程度するのかという話は、とても重要なところだと思います。
しかし、それぞれの看護学校、つまり基礎教育をしている学校によっても、それなりに違いがあったりすることも想定されます。したがって、余りがちがちに決めて、これをやらなければいけないとか、その後にやらなければいけないことに入るために知っておかなければいけないことを知らないという状況は、研修を受ける場合、自分で勉強していらっしゃいね、あるいは解剖の本をもう一回勉強していらっしゃいねという話で済む部分と、やはり新しくて当時習ったものとは違うものである。あるいは、臨床応用をするに当たっては、その時点で学んでいるはずの解剖学とは違っているんだというようなことが明らかにならないと、何となくそうだよね、忘れているかもしれないし、もう一回やって繰り返すのはいいよねというのは、教育論としてはそれはそうかもしれないけれども、指定研修の枠組みとして明示するには少しあやふやなような気がします。
したがって、入り口の問題です。まずどの辺から研修の中身を決めていくかという入り口、つまり基礎教育や、3~5年の実践の中で得られるはずのものは入り口のところでちょっとした確認をする。試験をするというわけにはいかないですが、ちょっとした確認をするというようなことを推薦というか、推奨することによって相当程度省力化というか、科目などに変に反映させる苦労をしないで済むんじゃないかと思います。
したがって、入り口でのまさに共用試験じゃないけれども、この研修に向いているかどうか。つまり、3~5年の臨床経験があって、この研修の我々のスタート地点に立つにふさわしいのかどうかを多少チェックするようなことを入り口に設けてくれるほうが、試験ではないので、入学させるか、させないかじゃなくて、こういうことは覚えてきてちょうだいね的なところを事前に示すようなことができれば、うちの施設ではそこから丁寧に教えますというところもあるかもしれないし、うちではそれをやらないのでちゃんとそこまでは勉強してきてちょうだいねというようなことを明示してやるほうが、私はより具体的に、つまりコアになる研修内容を際立たせるという意味でも、そのほうがいいんじゃないかと思うんです。
これは、大滝先生はどういうお考えか、ちょっと聞いてみたいと思います。
○大滝委員 確かにおっしゃるように、この制度が普通の教育制度と一番違うのは、入ってくる人はさまざまであること。それから、大学院はもちろん大学院に入る段階でのチェックがあると思うのですが、それ以外の看護教育の機関ではルールとして、経験年数もそうですが、一律にはできないというのが、確かに特殊なところです。私は今の先生の御意見を、それで落とすということではなくて推奨というか、そういったものを何らかの形で設定していくということは、効率化とかわかりやすくするという意味でも重要かと思います。
○有賀座長 ほかにございますか。
ここはワーキンググループですが、大滝先生たちについては何と呼ぶんでしょうか。
○島田看護サービス推進室長 作業班とでも申しますか。
○有賀座長 実は座長の立場で言うのも何ですが、私はこの4月から医学部に附属する看護学校の校長になったんです。それで、看護学の基本的な骨格の部分について一生懸命勉強しなければいけない立場になって、この件との比較において、こういうふうなことなんじゃないかなと思ったことは、今、星先生が言われたことや大滝先生がお答えになったこととオーバーラップするのかもしれませんが、例えば看護師さんたちが病態生理学を学ぶというときに、身の周りの清潔というふうな観点でいくと、汗腺から汗が出てくるということを学ぶわけです。それから、排泄のときに尿が出るというのを勉強するわけですね。それで、食べて排泄するというふうな生活に即した形で勉強を進めていくという形が、私たち医学部の病態生理学の勉強の仕方とちょっと違うところなんですね。多分、間違っていないと思うんです。
そういうふうな見方で看護学などを展開していきますと、私たち普通に言うところの、例えば生理学者が生理学として水分出納を系統的に教えるとか、それから病気の原因と鑑別診断と治療を教えるとかというふうなこととちょっと違って、その人の生活に即した形で、どういうふうにしてその全体を理解しながら看護を展開するかという話なんですね。
だから、そういう意味で恐らく診療の補助という部分に焦点を当てた特定行為ということの勉強をしましょうねと言ったときには、私たちも生理学者が生理学者として発言している内容をそのまま勉強してきたわけでは実はないんですけれども、医学部での勉強の仕方に多少近いような形での物の見方というふうな形で、もう一回おさらいをするということが多分必要なんじゃないかと思うんです。
そういう意味では、5ページの左側がさっき言った全体の本当の意味での共通部分で、右側にはその行為の複数の固まりとしての共通の部分があってという話になっているんですけれども、どちらの共通部分も私は診療の補助というふうなことで本件を考えていく上では、重複するという言い方ではなくて医師の頭の中で考える手順、医師が頭の中でめぐらせる考え方をある程度わかってしまうというふうな観点においては、生理学とか、解剖学とか、病理学とかというものを看護学的な観点とは違う、全く違うわけではないんだけれども、そういうふうな観点で学びなおすということはあっていいんじゃないかと思ったんです。
それは、星先生からすると、相当程度わかっている看護師さんもいるし、結構たくさん忘れてしまっている人もいるかもしれない。そういうふうなでこぼこがあるので、勉強しなさいねと言って勉強を始めるように推奨することになるのでしょう。けれども、もともと看護師さんたちの、看護大学について私はまだよくわりませんけれども、少なくとも高校を卒業して昭和大の附属看護学校に入ってくるような18歳、19歳ぐらいの女の子たち、男子もいますけれども、その人たちが勉強する看護学の観点とはちょっと違うような気がします。
そういう意味では推奨ではなくて、そちらの部分はそちらの部分で体系的にしつらえておいたほうが安全じゃないかなというのが私の意見です。あんたはそんなことを言うけれども違うのよという話はあるかもしれませんので、よろしくお願いします。どうぞ。
○竹股委員 今、有賀先生が看護学校の校長になられて、そこまで御理解いただけたということに対して大変敬意を表したいと思います。
私どもは基本的に看護学をもとした、いわゆる身体を理解していくという勉強の仕方と、それから先生方が疾病を診断したり治療したりする側面から人体を理解していくというものと、やはり基本的に違うんですね。
日々ナースたちが臨地において患者さんのもちろん生活もそうですし、疾病もそうで、そこを両方合わせ持って看護実践しております。その中での知り得る知識、得ていく知識、あるいはそこで学んでいくものというのは多々あるんですけれども、しかし、今回の特定行為を学ぶのは、今の段階での流れでは、一般のナースたち、3年から5年を想定しているんですが、患者さんにこれだけの侵襲性の高い行為を行うに当たってのアセスメントをする場合には、やはり医学的な観点での基本的な病態生理学、あるいは臨床推論ですね。そうしたものは、ベーシックに私はどのくらいの内容が必要かというところは申し上げられませんが、しかし、まず基盤となるものだけはきっちりと教えて、そして臨床に出させてやりたいという思いはございます。
ですので、その辺の最初のまさに入り口の部分のところは何か基礎的な感じはするかもしれませんけれども、ナースにとってはやはり医学的な観点での学び、系統的な学びはある意味、初めてとは言いませんけれども、でもそれに近いというふうに申し上げておきたいと思います。
○神野委員 教育論になってしまうかもしれないけれども、私も昭和大学に比べると偏差値はもっと低いですが、看護学校で教鞭をとっております。看護師専門学校で医学概論を教えていますが、ここで教育論を言い合ってもしようがないけれども、なぜこういった症状が出るかというのは、なぜか、なぜか、ただ覚えるんじゃないぞ。生理学的にこういう理由があるからこんな症状が出て、こんな兆候が出るんだぞというところを基本に教育として教えるべきことだとすれば、医学部とそんなに違わないんじゃないかなと私は思います。
それは置いておいて、今回のこの指定研修の話ですけれども、これは未来永劫ずっと続けなければいけない。そうすると未来永劫、未来になったらいろいろ新しい行為とか、新しい技術が生まれるのは当然な話ですので、その辺もきちんと考えた上での設計というのが必要でしょう。
それで、恐らく表Aのほうの共通項目というのは本当に総論だし、今、話をしましたような、なぜこの症状が起こって、なぜこれが必要で、なぜこういう薬が必要だということを教えるような総論だから、ここは私はボリューム感が結構あるんじゃないかと思います。
それから、Bのほうの行為群別の話は、これを一つ一つ教えてごらんと言ったときに、例えば脈管系とか循環器系とか、これを一つ一つとったら、もちろん実習行為はそれなりに回数は必要かもしれないけれども、その中の病態とか、ここの血管の横に神経があってとか、そういう解剖とかはそんなに時間がかかるものではないし、さっき未来永劫と言ったのは、例えば行為群別に循環器系とか脈管系でとりました。だけど、新しい技術が加わったときに循環器系、脈管系、薬剤系、何でもいいですけれども、そこにもう一つ、ア、イ、ウが加わるときにとるときには、そんなに時間をかけずに新しい技術の特定行為ができるような設計というものが必要かと思うので、これは間違っていたらあれですけれども、ボリューム感が次の議論として必要かと思います。
○井上委員 余り教育論のことに偏らないようにしたほうがいいと思うのですが、基礎教育を30年以上やってきた立場として有賀座長の見解というのは大変ありがたい。看護が何を大事にしているのかというところに着目してくださったのは大変ありがたいし、そういうふうに学ぶことで医師とは違う、役割が違うんだからというところは大変ありがたいと思います。
ただし、これまでは療養上の世話をやっていて、初めて診療の補助に踏み出すというんだったら、それはもう一遍ちゃんと学び直しましょうねということになると思うのですが、今さんざんやっているし、多くの今回の特定行為もグレーゾーンと言われてやっているわけなんですね。
ですので、いわゆる生理学、解剖学というのは大学と専修学校とは違うと言われたらそうかもしれませんけれども、同じ国家試験を受けておりかなりなレベルのことをやっております。
ちなみに、うちは医療系の学際大学として、看護職だけでなく他職種を目指すも一緒にいわゆる基礎科目をやっていますが、看護学生は全然引けをとらない。むしろいい成績をとっているぐらいであって、全く生活の療養上の世話だけをやっているというのではない。
ですので、星先生がおっしゃられたような最初のプレスメントテストのような、ここは復習して出ていらっしゃいよというレベルなのか。もう一遍きちんと学び直すのか。あるいは、アドバンスな部分をやるのか。ここはどうやるのかで、この科目内容と単位は全く違ってくると思うんです。
それで、今のこの急性期化の病院の中で看護師たちは、私などは特にそちらが専門なものでかなりのものをやっていて、日々、基礎教育だけじゃなくて自己学習もさんざんやっています。研修医顔負けの知識を持っている人たちは臨床にいっぱいいるわけで、足りない、補わなければいけないということはあるとは思うんですが、そこから全部スタートしたら大変なことになるのではないかという気がします。
○有賀座長 私は物の考え方を言っているわけで、中身の分量の話は全然しているわけではないんですね。ですから、教育論になるわけではないとは言いながら、やっている。やっているとは言っていますけれども、これは制度として、仕組みとしてつくりたいわけで、危ない仕組みをつくるつもりはないので、物の考え方はやはり勉強すべきだという話なんですね。
これは、勉強の方法が少し違う形で展開しているので、だったらこちらのほうをもう少し見なければいけないよねという話なんですね。例えば代謝水が何ccあるとか、そんな話を知っているか、知っていないかなどという話をしているわけでは全然ないですから。
どうぞ。
○前原委員 神野先生がおっしゃったことと全く私も同意見でございまして、そういう考え方で、ボリュームということに関していうと、座長はそのことに関しては時期尚早とおっしゃいますけれども、この基本的なところの、ここでいう表Aの部分の教育というのは私は非常に大事だろうと思います。
そして、行為としても今、四十幾つの行為ですけれども、今の医療の中ではグレーゾーンで特定行為となるものがまだまだたくさんあるわけですから、こちらは補足といっては何ですが、これを安全にできるための知識なり、そこの背景にあるもの、判断力というものをこの基礎のA表で勉強するというのは大事だろうと思います。
皆様、この会の1回目のことを思い出していただければ医学教育、それから看護教育と、現在の看護教育を非難するわけではないですけれども、それに足りないものというのが臨床の診断能力、臨床の応用能力というか、臨床にどれだけかかわっているかということで、看護協会も看護の大学も3Pという、いわゆる薬理学、病態生理学、それから身体、フィジカルアセスメントですね。所見というもの、これがやはり足りないねということで加えようとしてきた。こんなことを話しても皆さん御存じのとおりですけれども、その原点に戻っていただければやはりそれだけ足りないものがある。
そして、現代の医療で求められているのは、臨床能力の高い看護師さんはたくさんいるけれども、ある程度はそういう人たちをふやそうということでやっているわけですから、座長がおっしゃられたように私は看護教育で学院長ではないですけれども、前に習ったときには看護とはといろいろなことを教えると、先生、余り心臓の難しいことを教えなくていいです。診断なんか要りません。看護とは何かというと、療養の世話というのが中心でして、私たちは診断もしなければ治療もしませんのでと、極端なことをいうと看護界の人に申しわけないですけれども、やはり違うものだと思うんですね。変わってきたことは事実ですけれども、でも明らかに看護モデルと医学モデルということに関しては違う。
そこで、医学モデルのそのコアのものをやはり勉強していただきたいというプログラムをつくる。そこでワーキングでも、先ほど大滝委員長もおっしゃいましたように、この科目の中で臨床とつけたのはそういう意味です。臨床といって、今までのそれぞれの看護教育で出ていた生理学とか解剖とは違って、やはり臨床のそういうものを勉強していただきたいということでなっているんだと思います。
○真田委員 ナースが心臓の疾患の診断を先生のところの学生さんはしなくても、学ばなくてもいいとおっしゃっているのは、ちょっとショックだったんですけれども。
○前原委員 相当、前です。
○真田委員 今、前原先生の御意見の中で非常に重要だと思っていることは、やはり療養上の世話を主とした看護のモデルを、私たちはきちんと基礎教育の中で教えてまいりました。
でも、一方、確かにナースたちは今、療養上の世話以外の診療の補助をしようとしているんですけれども、それがOJTで入ってきて、本当に自信がないままに安全の担保ができないというところがここの問題だったと思うんです。
そう考えたときに、医学モデルとは一体どういうふうな考え方の思考で、それはなぜしなければいけないかというと、療養上の世話をするときには疾患の結果を生じた症状や所見の原因や理由がわからないと、医行為はやはりできないというふうに私は思っています。
そうなってくると、先生方の頭の中のつくりとしては、医学モデルが何かというと変に臨床推論ができる。臨床推論は誰でもすると本を見ると書いてあるんですが、しかし、医師のする臨床推論というものは、やはり今、多くの病気を持った高齢者がその疾患をもとに症状が出てきたときに、それをきちんと理由がわかるような教育をしておかない限りは安全が担保できるというような、特定な医行為であっても私は非常に危険だと思っていますので、ここに挙がった少なくとも病態生理、フィジカルアセスメント、臨床薬理、病気、それをもとに臨床推論をする力というものが今までなかった。だから、これこそ入れるべきだというふうに私は考えております。
一方で、先ほど井上先生がおっしゃった中で、基礎教育がどこまで今、病態生理を押さえているかというと、ある意味、日常生活の支援の部分を主にしていることはやはり間違いないと思います。そこで、井上先生にすごく素朴な疑問でお伺いしたいんですけれども、今CNS、専門看護師の課程の中で単位数を今後の高度な医療提供者、あるいは看護提供者としての方向性を出すということで、3PをあえてCNSに入れてこられましたが、これはやはり今後高度な特定行為などができるナースのために入れているということを考えると、今の先生の議論の中で基礎教育だけの領域でいいんだということに関する先生の今の御発言の矛盾をちょっとお伺いしたいんです。
○井上委員 まず、基礎教育だけでいいとは言っておりません。基礎教育を終えた後に何をプラスするのかという論議の中で、どういう考え方に基づいてやっていくのか。このAの考え方をすると非常に多くなる。この考え方だとこうだということで、基礎教育の側の現状を申し上げたわけです。
それで、確かに生活を重視する病態生理ではあるけれども、やはり生理学、解剖学の教科書等々で学んでいるわけなので、汗はどこから出るからそれは何とかという、それだけではなくちゃんとした書物、テキストで学んでおりまして、そういう基礎科目というのはかなりテキストや副読本で学べる部分もある。そういう意味で、最初に先生もおっしゃったような自己学習の部分は可能ではないかということです。
それから、CNSに26単位だったのが38単位となって、確かに共通科目Bとして3P科目が入りました。それは現状で特定行為、グレーゾーンに近いことをやっている場合もあり、または現場のCNSたちがさらにもっと学びたいということもあって、当初からそこを目指していたものがあります。その先にはNPとかAPNという高度実践者というような処方権とか、そういうものの問題は置いておいて、やはりやるべきことをやりたいということを視野に入れておりますので、足りないという考え方ではなくて、3Pは新たにつけ加えるという発想なんですね。
その新たな行為をするために、その診断治療につながるような、臨床推論につながるようなことには、やはりそれをやっていなかったので新たにつけ加えるということと、それと例えば解剖学が表面的であって足りないという発想、これはやはり分けて考えるべきではないか。IVHラインを入れるところの局所の細かい解剖というのは、やはりびっちり学ぶべきだともちろん思います。それと、いわゆるベーシックな解剖学が今の看護教育では足りないから、もう一遍学び直しましょうというところまで戻ってしまうと、非常に膨大になるのではないかということを危惧したわけです。
○真田委員 理解できました。
ただ、私もその基礎的な解剖生理をもう一度学ぶという意味ではないと思います。有賀先生もおっしゃいましたように、やはりモデルが違う。考え方が違うときに、視点の違う病態生理を疾患ベースで理解していくということの必要性は、この医行為をする場合には必須だと私は思っております。
○有賀座長 委員の一人なので言っちゃいますけれども、例えば私が学生時代に教わった解剖学は、理学部のイルカの解剖のプロの先生がきて私たちに解剖を教えてくれました。
そこでは、確かにいわゆる解剖学ですね。アナトミーそのものです。その後、基礎教育のその次に臨床にきてやはり学ぶのは、術野に関する解剖学だとか、それから本当に役に立つというか、患者さんを目の前にしたときに考えなければいけない解剖学という話なので、解剖学を勉強しろといったときに、さすがにあの医学部の1年生のときにやった、ああいうふうな解剖学をもう一回やれなどということは誰も言っているわけではないんですね。
物の考え方ということを私は言っている。すなわち、解剖学といったときに病態生理を頭に入れて、その生理学の展開と病理学の展開がこんなふうなので、したがって病理解剖したらこういうふうになるよねということを勉強したとすると、その暁には、今度はCPCになったときにパソロジーを見て、そしてクリニカルにどう展開したのかという話ができるわけですね。そういうふうな物の考え方をここで勉強してもらわないといけないのではないかということを言っているわけです。
さっき言ったように理学部の解剖学者からアナトミーを教わった、あれをもう一回やろうなどということをさらさら言っているわけではないんです。その部分を考えて、私が最初に言ったのは看護師さんたちのアナトミーにしろ、フィジオロジーにしろ、ファーマコロジーにしろ、それはそれなりの理由があってそれを勉強しているわけですので、それはそれでいいんですよ。
ただ、その診療の補助という形で包括的な指示でもしやろうとすると、その指示を出す側の脳みその回転を裏からしっかり見られるようなことが必要なのではないかということです。で、その部分、つまり6ページの左側の部分はとてもたくさん大事だよねということです。
もっと言うと、神野先生はおっしゃいましたね。これから先、新しいことが出てくる。それをこなすというのは、一つ一つに膨大なものがくっついているわけではなくて、土台の部分がしっかりしていればその部分についての理解は進むんですね。ですから、そういうふうなことでいけるんじゃないか。
私は卒業してからもう何年も経ちますけれども、新しい機械が出てきたり、レスピレーターなんてがんがんやりますね。あんなものは学生時代のレスピレーターの知識で理解できるはずもありませんでしたから。中心静脈栄養も私たちの学生のころはまだまだでしょう。それを理解するのは医学の方法論に関する勉強をしてきたからで、だから私みたいなばか学生でもきちんとあとのフォローアップができるわけです。
そういうふうなことをここで勉強してほしいと言っているわけです。だから、神野先生の言っていることも、恐らく大滝先生がおっしゃることも、星先生のおっしゃることも、私の言っていることも同じじゃないか。そういう意味です。
○星委員 やっと皆さんの共通理解ができたんじゃないかなと思います。
ちなみに、私は看護学校の学院長を15年やっています。
ただ、今の教育のやり方自体もかなり変わっているということだけは確かです。私たちが受けた医学教育と今、受けている医学教育は全く違うと思いますし、うちの看護学校でも15年前にやっていた教育内容と今の教育内容は全く違います。
例えば解剖に関していうと、うちは4年制なんですけれども、1年生のときと、4年のときにもう一回解剖をやらせる。解剖の勉強をするんですね。そうすると、1年生のときに、何だかわからなくて何とかとか、何とか筋と覚えていたことが、なるほど、そういうことなんだとどこかですとんと落ちることがある。そうすると、その先の理解が非常に早まるので、国家試験に直接役に立つかどうかはクエスチョンマークですけれども、しかし、そういうことをしてから世の中に送り出すと、先ほど座長がおっしゃった基本を理解しているのでその先に行きやすいというのは、まさに看護の視点ということが前提ですけれども、あるんだろうなと思います。
一方で、うちは今、病院の中は全部ガラス張りなので、どこで誰がどんな研修会をやっているかが全部見えるんですけれども、それを見ていると、例えばCCUの連中が、CCUの中には患者さんがいるのでできないので、そこに来て勉強会をやっているんですね。それで、循環器の医者が教えたり、脳神外の医者が教えたりするわけですけれども、その中身を見ていると相当程度、つまり我々が循環器の医者として必要であるさまざまな解剖とか、あるいは心電図の読み方とか、そういうことをこれが出たら気をつけてねという断片的な教え方ではなくて、我々は心電図をどう読んでいるのかというようなことをきちんと看護師さんたちと共有する。
つまり、診断をさせる目的ではもちろんありませんけれども、共有することを目標に勉強会が相当程度開かれている。その様子を見ていると、かなりOJTといいますか、卒後3年、5年とっくにその領域のことをやってきている人たちにとってみると、それなりの準備は私はできていると思います。
ただし、準備ができているからしなくていいよということではないんだと思いますが、その意味で誰にでも彼にでもとにかくもう一回学び直せといってその基礎教育の中で勉強し、そして3年、5年の自分の目標としているさまざまな領域で勉強をしている人が入ってくるということを前提に考えたときに、やはり今、座長がおっしゃったように基本的な考え方、それは循環器に限らず、さまざまな領域で基本的に考えられるものはこういうことだよねと、こういうことを学ぶことでこういうことが考えられたり、理解できたりするようになるよねという話は絶対に必要だと思うけれども、分量の話はしませんといいますが、そこを全部ゼロから100までやろうというのは多分厳しいと思うので。
○有賀座長 あり得ないですね。
○星委員 あり得ないです。ですから、その意味でいうと、どこかでえいやと決めなければいけない。
しかし、求めているレベルとしてはこういうレベルの皆さんの理解を求めていますよという入り口の話と、この教科で学んでもらう出口としてはこういうところまで理解をしてもらいたいんですよということを、皆がある程度、一定程度の理解で、あるいは共通認識ができれば、結果としてどのぐらいの教科の内容になりますかねということになると思うんです。
ですから、入り口を私は余り低くする必要は、つまりもう一回解剖からやるみたいな話はばかげているのでやるべきではないし、だからといって何も知らないんだから臨床何とかというのをゼロから100まで教えてやろうというのも、それは過剰だというか、余計だと思います。
ですから、出口として、つまりこういう実習をさせたり、実際に危険な行為をさせるのに必要な、そしてここでいうと局所解剖ではなくて、全体の理解としてこういうことまで理解してほしいんだということを明示して皆がそれを理解すれば、そのためにどんな教科と、どんな教育内容と時間数、どのぐらいの単位が必要かというのは、私は整理できると思うんです。
ですから、入り口の話と、それを終えた、つまり表Aで書いてある基本ですね。6ページでいうと、オレンジで囲まれた部分についてもう少し具体的に皆が共通理解ができるような題材を出してもらって、それを少しもんでみると、入り口と出口の話が理解できるんじゃないかと私は思います。
○有賀座長 星先生の御発言は、内容が極めて深いと言わざるを得ませんね。もともとそういう分野を今、話し合っているわけですから。
だから、例えば薬理学といっても、臨床薬理学で私たちは困るとグッドマンギルマンの教科書を見ますね。最近、あれは日本語で出ていますね。だから、ドクターたちはこの薬に関してどうかと思ったときにはグッドマンギルマンに当たっているよねと言って、該当の看護師さんたちにもそのグッドマンギルマンを時々は見ようかなという程度にはなっていただきたいという気はします。全部読めなどということは言いません。私も、全部は読んでいません。こんなにあるんですからね。
だから、普段医者たちはそんなふうなことをやっているということがある程度わかる。そうすると、この薬理学の勉強の内容もグッドマンギルマンの講釈を全部垂れろなどという話は誰もできないとは思いますけれども、この程度まではというところはある程度議論できるんじゃないか。多分、そうだと思います。
○川上委員 例えば臨床薬理に関して申し上げると、先ほど神野先生もおっしゃったことですけれども、いろいろな新しい技術が出てくる。薬剤に関しても、新しい薬物、新しい薬効群が臨床の現場に出てきて、自分たちが学生時代には習わなかったものが使われるようになります。
その時に、一つ一つの医薬品について全てを勉強するというのはとても大変です。そのため、基本的な薬の体内動態、薬効の発現過程、また副作用にはどういうものがあるのかということを、ある程度理論としても臨床実践と結びつけた形で臨床薬理学としての共通科目で学んでおかれると、そういった新しい医薬品が出てきても、安全かつ適正に使用できるかと思います。
それから、臨床薬理を学ぶと言っても、別に薬剤師や薬剤部の管理者になるわけではないので、薬学部で6年間教えている内容をここに全部入れ込むというわけでは決してないので、それは医学教育とのオーバーラップについての先ほどの議論とも共通するかと思って伺っておりました。
○小松委員 先生方の議論を聞いていて、私は総合大学の医学部があるところの看護で教えているので、非常に解剖学とか病理学とか生理学の単位が多くて一生懸命、学生はやっている。でも、今、私は実習に行っているんですけれども、先生方がおっしゃる臨床のさまざまな課題、陥っている症状とか、症候とか、そういうところからまたミクロに返っていくということを学生は一生懸命学んでいるということを先生方はおっしゃっているのかなと思っていて、そこは看護のレベルですとやはり臨床実習の中ですごくそのレベルで何とかいくという感じがあるんですね。
だから、やっていないわけではないんだけれども、それをまた臨床薬理とか臨床というところから学び直すということは意味があるかなと思います。
ただ、教育内容のこの科目立てが病態生理学というふうにいうと、何か下から突貫工事でやっていくということがあるので、やはりここでは枠組みを教えていくということが主であるとすれば、臨床病態生理学とか、何かちょっと展開するときにわかりやすい名称をつけておく必要があるかなとは思います。
○有賀座長 川上先生、臨床薬理学という言葉は今、言った臨床病態生理学の臨床と同じかというと、きっと必ずしもそうではないですよね。そこら辺が難しいところですね。
何か御意見ありますか。臨床をつければいいというものじゃない。
○川上委員 通常、薬理学には、かなり広義な意味なので臨床薬理も含まれますけれども、基本的には薬の作用点に関する詳細なメカニズムや、薬物の物性・毒性等の細かい話等も入ってくるかと思います。一方、臨床薬理とは、あくまで人体における薬の作用を説明するために必要な科学であり、臨床における薬物治療学的な内容も含んでいると考えますので、そういう意味ではかなり実践に則した学問体系というふうにお考えいただければ宜しいかと思います。
○有賀座長 そうすると、「学ぶべき事項」のところに臨床解剖学とか、臨床病理学とかとあるように、臨床病態生理学という言葉があったとしても、臨床薬理学とそれほどびっくりするほど変わるものじゃなさそうだと、こんな感じでいいですね。
○英委員 済みません。遅くなりました。申しわけございません。
我々は在宅の分野で、この教育がどういう感じかなということをずっとイメージしながら聞いていたんですけれども、やはり特定行為ということをベースにした場合にはこういった臨床的な基礎的な医学教育に準じたような教育内容でいいのかなと思います。
ただ、実際にそれぞれの現場においてはかなり社会的なコンセンサスとか、患者さんの置かれている状況とか、あるいは家族状況とか、いろいろなことを踏まえなければいけないので、その辺りは多分OJTで考えていくことになるのか、この段階で考える必要はないのかなと思いながら今、考えていたところです。
雑駁な意見で申しわけございません。
○有賀座長 そういう意味で、先生が今おっしゃった広い意味での職業倫理ですね。その部分は、この指定研修のところには無理に入れる必要もなかろうにという話だと思うんですけれども、大滝先生、何かそこら辺の議論はあったんですか。
○大滝委員 いわゆる社会学的なことについては、医療安全学のところに医療管理や医療倫理というものが入っていますけれども、今、先生がおっしゃったような幅広い、そういったところまで議論をしたというわけではありません。
○有賀座長 恐らく私の理解だと、医師が勉強するよりも、もうちょっと広い立場で看護師さんたちは勉強しているんじゃないか。そういう意味で、それを言葉で表現することができるほどに皆が皆、勉強しているかどうかはわかりませんけれども、建前的にはそんなような気が何となくしますね。余計なことを言ったかどうかはわかりませんが。
では、どうぞ。
○秋山委員 参考資料3に「養成調査試行事業実施課程における科目例」というのが入っていまして、共通項目のAのここをもう少し具体的にあらわしているんじゃないかなと思いながら眺めているのですが、私の理解では臨床推論と、それからフィジカルアセスメントに関連する科目のベースが病態生理等であって、分かれているんですけれども、フィジカルアセスメントをするためには当然ながら知っておかなければいけない基礎知識があって、それをどこからどういうふうに組み立てて持ってくるかというあたりなので、最初から病態生理学というのは必要だとして1項目でずっと挙げてきましたけれども、具体的な現場主義でいく特定行為という面に関しては、そこのところがちゃんとできる人を育てるための基礎科目とすると、分けていなくてもいいような気もします。
○有賀座長 それは、さっき星先生がおっしゃいましたね。4年目でアナトミーをやるとすとんと落ちるという話は、実際に現場でその仕事ぶりを発揮する上で必要な、基礎的に勉強したことのからくりが立体的にわかるようになったということでしょう。
だから、分けて書いてあっても結局は絡んでいるというふうに理解しないと。病態生理学者をつくるわけではありませんから。
○大滝委員 その点について、7ページの下の「主な論点」というところにも書いてありますが、この病態生理を独立させるか、その中身をどうするかについてかなりいろいろな意見が確かにありまして、各行為にむしろ付けたほうが実際的ではないかとか、ベースはかなり学んでいると思われるといったような御意見もありました。
ただ、最終的に教育内容の項目として病態生理というのを隠してしまう、ほかに埋め込んでしまうということは合意できず、まずは頭出しをして検討していこうということになりました。今までの議論にも出てきましたが、やはり1個か2個、モデルというか、パイロット的にカリキュラムをつくってみないと、そのボリュームも含めてどこにどれが入りそうかということがつかめていない部分もあります。事務局でたたき台としてお示しいただいた部分も多いのですが、今9ページ、10ページのBの仮の案が出ているので、それをもとにまた考えていく必要はあるかと思います。
○有賀座長 それは大滝先生たちの作業班の中で少しずつ前進していこうということに、方向性としてはなっているんですよね。
○大滝委員 作業班がどこまでこのBの作業をするかということについては、個々の行為についてもかなり詳しい方に入っていただかないと詰められないということがあります。
○有賀座長 でも、Aについても、つまり今言ったようにBでやるからAは減ってもいいというふうな話ではないんでしょう。
○大滝委員 ただ、そのBのイメージが固まらないと、AとBの境目がどの程度になるかAのボリュームがどの程度になるかという点も、鶏と卵みたいな面もありますが、イメージしにくいので、全部ではないですが、Bのほうも少し作ってみないといけないのではないかということは話題にはなっております。
○有賀座長 論理的にはBのほうにも、今言ったその基礎的な部分から、実践的な部分からと多々ありそうです。中心静脈ラインを確保するという話が持ち上がったとしたときに、血管にまとわりつく血管がありますね。そんなものはバラエティーがあり過ぎてしまって、アナトミーで勉強するという意味においては、こういうものや、こういうものや、こういうものがあるというふうな話で、多分勉強することはあっていいのかもしれませんけれども、むしろ一定の確率で合併症が起こる。このことの方が重要です。そうですね。
血管にまとわりついている血管が裂ければ、血管の外に血が出るわけですから、そういう意味でどこまでやるかという話は極めて現実的な話としてあるので、Bのほうの議論にもベーシックな話が、それこそまとわりついているのはわかるんですけれども、さっき神野先生がおっしゃったように新しいものがきたときに、それを十分にこなすということを考えると、この左側の部分が効いてくるんじゃないかということが論理的にはありますね。
ですから、そこの部分はBがふえたからAが減るという話ではなくて、私はAはAできちんとそれなりの面積を占めているのが筋じゃないかと思います。
では、どうぞ。
○前原委員 ワーキングでもそういう議論がありまして、私は有賀先生と同じ意見で、BがふえたからAを圧縮してもっとコンパクトにして、AプラスBをある一定の単位数にしようとした場合に、BがあるのでAは減らしてもいいんじゃないかという御意見の方もいらっしゃいましたけれども、それは本末転倒というか、それはおかしいんじゃないかという意見です。
神野先生がおっしゃるとおりで、Bというのは例えば中心静脈を入れるに当たってはその局所解剖と、なぜ中心静脈が必要なのかという栄養学みたいなことをちょっと明記しても大したボリュームじゃないですね。そして、この行為だって今41ですけれども、これが100にふえればボリュームはもっと多くなるかもしれないけれども、だんだん消えていく行為もあるわけです。そして、新しいものもあるとした場合には、このBに重きを置くというのは私は本末転倒じゃないかと思います。やはり、Aはしっかりやらなければいけないという議論だと思います。
○星委員 Aのところをしっかりやるというのは別に私も反対はしませんけれども、先ほど言ったように病態生理学者をつくるわけでも何をするわけでもないので、目標は何かというと、合理的な判断をして、あるいはプロトコールに基づいて行う判断ができる程度に理解をし、そして合併症も起きるからこういうことに気をつけてやらなければいけないし、こうなったらこういうことが起こり得るというようなことを考えながら行為を行うことができて、その後の確認ができて、それで大丈夫かなというようなこともわかる。そういう看護師さんを今、我々はイメージしている話なので、臨床推論でパズルを解くように、全身のあらゆる疾患のいろいろなものの答えが導き出せるほどに臨床推論を学ぶ必要はないだろうという意味です。
ですから、重きを置くという言葉の中にどの程度のことなのかという、それは大きいとか小さいとかじゃなくて、例えばどのぐらいの期間なのかという話をそろそろ考えていくことになるんだと思います。そのときに、先ほど申し上げたように、一定程度の期間と時間をかけて学んでいる人たちに再度履修をさせるというようなことを含む内容だとすれば、そこはそれなりにはしょれるか、あるいは一定程度の評価をすればその部分はできているとみなすことができるとか、そういうようなことを組み合わせていかないと膨大になり過ぎるし、先ほど言ったように同じことをもう一回、あるいは既に学んで知っていて一定程度の理解をしている人にもう一回ということを強要するのもどうかと思っています。
したがって、私が何度も言っているのは、入り口と出口というのを一定程度決めておく。つまり、参考になる時間数とか、範囲とか、単位数とかというのはもちろんあるのかもしれないけれども、それなりにそれぞれの学び手によって変わり得る部分について何らかの、これは研修制度なので、資格試験ならば私はもう一回学び直して、ちゃんと点数を取って60点取ったかどうか確認しろ、そして何々しろということをしてもいいような気がしますけれども、あくまでも研修制度で我々が目指しているものの今の時点での最終像についていえば、それが実践できる程度に理解をしているということを求められるのであって、そのことを忘れて何も知らない人に教えてやることを前提に、何百時間とか何千時間みたいな話をするのは、私は適切じゃないと思っています。
それともう一つ言うと、神野先生もそうかもしれませんが、私ぐらいの病院の看護師さんに勉強してもらおうと思ったら、東京の何とか大学に行って1年も2年も帰ってこないというようなことになれば病院は潰れてしまいますから、そういうような現実的に、そしてどのぐらいの人数を想定できて、どのぐらいのところがどんなふうに取り組むべき内容でというようなことも、実は余り議論しないできているんですね。
ただ、そういう行為をしなければいけない、あるいはそういうことが期待されている医療機関というのは少なくとも東京にだけあるわけでもないし、大都市にだけあるわけでもないので、むしろ大都市でないところにもそういう期待は大きいのかもしれないとすると、実際にそういう教育が行われる環境をつくるのに余りにそのハードルが高いものを用意してしまうのは、私は適切ではないと思います。
つまり2点、1点はやはり全てを試験で、資格制度で云々という話ではない限りにおいて、私は一定の裁量をこの研修機関に与えるべきだと思うし、その研修機関が指定研修を行うに当たっては、それなりの準備とそれなりの覚悟があればeラーニングなどを活用しながらきちんとできる。
そして、期待をしたいのは、いい教科書ができることを期待したいと私は思っていて、この教科書論は後でしようと思ったんだけれども、教科書会社の人もいるかもしれませんが、私が知っている看護学校で使っている教科書というのはとてもできが悪くて、問題をつくるたびに、これで問題をつくれというのかと、必ず何とか社と何とか社に載っているので、両方載っているものを出せというと、書いている人の趣味でその深さや書いてある内容が全く違うんですね。これで教えろというのはなかなか難しいなといつも思いながら、教科書を見て問題をつくっているんです。
ですから、この際ですからもうちょっといい教材とか、あるいはeラーニングにしてもそうですし、そういうものを充実させることによって、余り時間数とか単位とかということをぎちぎちやらなくても、相当程度に理解を確認する手法さえはっきりさせておけば、私はそれでもいいのかなと思ったりします。
これは研修制度ということを忘れないで、何となくこの話をしていると、どちらかというと資格制度のようになって、何単位、何時間、試験がどうしたとかという話にどうしてもなりがちですが、要はこの人にこの判断をさせて、この行為をさせて大丈夫かというふうに感じてお互いに、そして患者さんを含めて3者が納得できる範囲に落ちればいいと私は思っています。
ですから、そういうふうな柔軟性をこの制度の中に組み込んでいくとは言いながらも、その標準的な考え方はこうですねという議論をしているということを忘れないようにしてほしい気が私はしています。
○真田委員 星先生のおっしゃったことで1点賛成なところは、皆さん共通理解だと思います。何が共通理解かというと、成人の教育なんです。大人の教育ですから、一定の看護学の教育を学んで5年間、あるいは3年間の臨床経験がある人たちが医学モデルを学ぶために必要なものは一からでは確かにないです。ですから、その深さ、その広さというのは今後の課題だ。これは皆、共通の認識だと思っております。
2つ目は、裁量のことです。裁量に関しては、例えばその施設に裁量でやってもらうというときにでも、やはり最終的に私たちがどんな教育を受けたのかということの透明性と、それから国民の誰が見てもわかるような一定の質の保証というものは必要だと思っています。
ですので、科目にしても、この科目は学びました。このある一定の時間は学んでおりますということを、私はある意味、質の担保、それから同等な教育を受けたという可視化にはなると思っております。
○竹股委員 私も今、真田先生がおっしゃることを発言しようと思っていたんですけれども、やはり臨床で、先ほどの委員の先生方からの御発言がありましたように、個別では皆、一生懸命勉強するし、それから急性期ならば急性期の看護ができるような身体生理的な部分も勉強しているんですけれども、ただ、頭の中はわからないわけですね。
私が現場にいたときには、かなりわかっていそうな職員が通常やらない医行為をするときは絶対にとめました。とめた理由は何かというと、あなたはもしこのときに事故が起きたら、このたびは起きないかもしれないけれども、でも何回かやっているうちに事故が起きたら一体、誰の責任になるんですかということをいつも言ってきました。
それで、私どもは免許を持っていても、医師もそうですし、事故は起き得ますね。ただ、そのときに、私は現場のナースの擁護のためにどうしても言ってしまうけれども、やはりこういう教育をちゃんと受けた上で、それでもかつ知識がまだ十分じゃなかった。あるいは、そういう状況を十分推測できないままにプロトコールにのっとったつもりでやったら大変な状況になったというようなことが起きたとき、やはりそこのところの基本的な質的な担保がある上で起きた場合は、 では、その次はどうするかということから次に向かってゆけますが、こんなことも知らなかったのか、そんな判断をしていたのかというようなことが結果として起きると、患者様に対しては当然一番申しわけないし、それからそれを行ったナース、あるいはそのチームは大変な直接の実践者としての自らの責を負うことになるんですね。
ですから、ちょっと石橋をたたいているような印象にとられるかもしれないけれども、私はこのぐらいの内容でもそんなにすごいことをやっているわけじゃない。それから、地方であればなかなか教育を受けるためのエントリーは難しい。それは私もよくわかります。
ただ、そのときに、これだけのことをさせる場合に、どのぐらいの期間だったらアクセクタブルかという常識的な部分というのはあろうかと思います。
ただ、何年もということでは働いている看護職にはきびしいですけれども、あるレベルの期間であれば私は十分行かせられると思うし、むしろ行かせなくてはいけないんじゃないかと思っています。
これはちょっと具体的な話で申しわけありませんけれども、そういう意見でございます。
○星委員 誤解があるようなのでちょっと言っておきますが、私は別に教育機関に何でもかんでも、要はこんな議論をしないでそういう看護師をつくるためにやりなさいというようなことを丸投げにしろなどということはちっとも言っていません。
要は、そういう行為をするために必要な解剖なり何なり、生理なり、何でもいいですが、それはこういうものだということが示される。つまり、それは教科の組み立てとしては、組み立てとして書き下せばこうなる。しかし、求められている到達目標とすればこうである。その到達目標である、こうであることを知っている、あるいは説明できる、あるいは実践できるというようなことを示して、それに向けて科目や時間数に書き下してみればこんなことになりますよねということが必要ないとは言っていません。私は、それは必要だと思います。確かに、外から見たときにもそういう勉強をしているということは非常に重要なことだと思います。
ただし、それに拘泥して余りとらわれ過ぎて、それぞれの病院なり、それぞれの施設でいろいろ入ってくるまでにやっていることや、あるいは勉強のさせ方、その他において、あるいは実際に現場で働いて、その現場の様子によってはそれに一部変われるものもあるとすれば、それを全くなしにして入学試験を課して、そして卒業試験を課す。
単純にそれだけがいいということはないけれども、そういう部分の一定の裁量が認められる。つまり、この単位数はこの人についてはこのぐらい必要だけれども、この人についてはこのぐらいだねというようなことを個別にできないのであれば、それはそれでしようがないと思いますけれども、院内の勉強会、その他に出席をしていてこれだけのことをしているということを、ほかの大学でとってきた単位を一定程度認めるという教育方法もあるわけですから、そういう次元において、とにかく試験を通ればいいんだという話ではなくて、つまり要求されているレベルに達しているかどうかについて、この人についてはこういう研修やこういう実践、あるいはこういう勉強会への参加、こういう学会での発表、その他があるので、この人についてはこういうふうなことも、これは単位と言うのかはわかりませんが、単位の一部として考えられるというようなことを、多少それぞれの施設や、それぞれの研修を受ける人たちにとって認めてあげられるようなことも考えてはどうですかということを言っているわけです。
大滝先生、それはあり得る話だろうと思いますし、その一部を例えばこういうことに変えて単位としてみなすということもあるわけですね。例えば、ボランティア活動に行ったらとにかく単位を1つやるよという大学もあるわけですから、そういう意味で言うと、そういう読みかえができるような制度設計をしてほしいといっているのであって、示すべき標準的な内容や、示すべき標準的な到達目標をその施設ごとに委ねろなどということは、私は申し上げていません。
○大滝委員 私も厚労省の研修制度という位置づけで今、星委員がおっしゃったようなことが可能なのかはわかりません。先ほどの繰り返しにもなりますが、この制度の特徴は、入り口の段階でさまざまな人がアプライしてくる可能性が十分あるということです。今のご提案のように、それまでの学習や経験をある程度認定する、それから逆に足りないところを補って、教育学用語ではリメディアル教育といいますが、追いつけるようにするためのサポートも制度化できるかどうかは検討が必要だと思います。その際には、何らかの形で、良い教科書の開発も含めて、あるいはeラーニングとも関連してくると思いますが、検討する必要があると思いました。以上です。
○前原委員 議論を蒸し返すとあれになっちゃうんでしょうけれども、星委員がおっしゃられるとおり、これは国家資格でもないし、新しい職種でもないし、そういうものをつくろうとしたんじゃない。私はそういうものをつくろうと思って当初はやっていたわけですけれども、だんだんスリムになったというか、そぎ取られてしまったというか、この状態になったので、私としては一抹の寂しさはありますが、研修制度だということですね。
研修制度だということで私はいいと思うんですけれども、1つにはやはり星先生が一番大事だとおっしゃっている医療安全というか、国民の目線でというか、見える化というか、見える化まで言うとあれかもしれませんが、そういう人の担保というものをしようとすればするほどやはり資格試験になってしまうわけですね。資格というか、新しいものになる。
そうではなくて、この研修制度でやるに当たってはどこかの妥協点というのはあると思うんですけれども、やはり医行為をするのでありますから医学モデルの勉強はしていただいて、そしてeラーニング等の単位のコンバーターというのはあってもいいと思いますけれども、やはり質の担保というか、その辺のところは誰もがある程度納得するようなものにしたいというのが私の考えです。それは、星先生もそうだろうと思います。
○有賀座長 勉強すればするほど医療安全が高まるなどというのは言葉遊びの世界で、勉強すればするほど安全じゃないことがよくわかるという話ですね。
ですから、そういう意味では、その作業のプロセスでそうじゃないことが起こるということを多々勉強するという話がまさに実践そのものです。一生懸命勉強すれば安全性が高まるというふうに、ぼけっと思うことのほうがむしろおかしいわけですね。
ですから、そういう意味で安全じゃないことをどう勉強するのかという話をしながら、より安全性を高めていくという話だと思います。
○神野委員 1つ、11ページの質の担保の話がまだ抜けているんですけれども、今その話になってしまったからそちらの話かなと思うんですが、今、前原委員がおっしゃったような国民目線で質の担保をできるかという話をもし解決するならば、私もさっき大滝委員がおっしゃったようなオスキーとかCBTみたいなものをある程度入れて、質の担保の担保にするということはありなのかなと思います。
指定研修機関について、例えば厚生局が看護学校とか、文科省が大学に監査するのとは違います。そういう制度はないわけですから、そうすると指定研修機関を監査する制度がないとするならば共用試験というのが一つの手ではないかという気がいたします。
○有賀座長 そこら辺はいかがですか。
○大滝委員 その点については、まだ具体的な議論は詰めておりません。
ただ、個人的な意見も含めて申しますと、医学部の場合には全国80に限られていますし、そこに教員、職員がいるので、それが皆で集まって相談をして共用試験というのを動かしていますが、今回の場合にはかなりその位置づけといいますか、状況が違うということで、それを配慮する必要があると思います。例えば医師の臨床研修の指定病院ですと、研修についての外部評価をする機関もありますが、かなり負担が大きいという場合は次善の策として、例えば病院同士でお互いに相手の病院の様子を見に行くことも、推奨されていると認識しています。
例えば今回の制度でも、その評価者としてのある程度の、それほど負担にならない形でのトレーニングを受けていただいて、病院間で評価者が行き来をして、近くの病院同士とか、あるいは看護協会が間に入るのかもしれませんが、そうすることでいろいろな場である程度標準的な評価が行われる。そういう仕組みをルールにするのか、推奨するのか、よくわかりませんが、それを検討していくということはあり得ると思います。
○星委員 神野先生がそんなことを言うとあれですけれども、私はオスキーとか、CBTとか、そんなことは考えるべき話ではないと思います。
それより今、大滝先生がすごくいいことを言ってくれて、私はそのことを言おうと思ったんですけれども、例えば今、看護学校はうちは県内に21からあります。それで、隣の看護学校の授業や評価の様子を見に行くというのは県内の看護学校同士でやっています。それで、教員の長期研修などもお互いに引き受けたり、引き受けてもらったりしています。
それはなぜかと言えば、自分たちがやっている教育の内容やその評価の手法が正しいのかどうかというようなことを大上段に構えてやるというよりは、むしろ近所の人たちの努力や工夫や、それからその結果というようなことを学びに行き、そしてある種のマネジメントなどをお互いに学び合うことで相当程度の理解の深まりがあることを私は現実に見ています。
したがって、この教育をどのぐらいの指定機関がやるのかという数にもよりますけれども、私は近所の医療機関などで共有することも、もちろん指定機関同士の相互研修といいますか、相互の理解も必要ですが、もう一つ気になるのは、やはりその実習をする、OJTをする人たちの様子ですね。
具体的に考えると、例えば私の病院なり学校がこの指定研修施設になって実習をして、その生徒のうちの何人かはもちろん私の病院かもしれませんが、何人かはほかの病院の人かもしれませんね。それで、そこで行われている実習の内容や評価の仕方について、ここには事前に云々と書いてありますけれども、こういうところこそ実は重要で、その地域内での枠組みづくりとか、あるいは指定研修の実習機関における評価のやり方などを、ここでいえば基幹型とは言わないんでしょうか。臨床研修でいうと、基幹型の病院の人たちと、それからその実習施設になっているところが共同、あるいは共通の認識を持って教育に当たり評価をするという仕組みがなければならないはずです。
それがまさに先ほど大滝先生がおっしゃった、お互いのところを見に行くというのは、指定教育機関同士の交流もさることながらやはり実習施設、あるいは現に働いている医療機関にOJTを一部委ねるとすれば、その内容についての確認などの手法や、その方法や、それをどういうふうにしていくのかというようなことの一定の理解をそれぞれの指定機関なり実習機関が持てるようなガイドラインというか、考え方をここで示してやることはとても重要だと思います。
したがって、ここに、評価方法については事前に調整し取り決めておくことと、さらっと最後に書いてあります。しかし、評価だけじゃなくて多分、何例ぐらいやろうかとか、どんなふうにしようかとか、やはりあるときは実習生を交換して、うちの生徒をあなたのほうにやるから、あなたの生徒をうちで1週間預かるよというような話もありだと思うので、そういうことが普及するような支援策を盛り込んでほしいと私は思っています。
それが、結果として共通の理解、あるいは全国共通になるかどうかはわかりませんが、そのでこぼこを減らす非常に大きな手段になり得ると私は思います。
○神野委員 今、私が言ったのはオスキーみたいなものでよろしいので、言っていることは同じだと思うんです。
ただ、自分の病院のスタッフだけで評価するのではなくて、大滝先生、星先生がおっしゃるように隣の病院、あるいは同じような指定研修機関の病院から来ていただいて、例えば我々の病院などはちょっとレベルが低くて、こういう特定行為ではないけれども、シミュレーターでやって実際に今度患者さんに点滴するときは一応院内試験みたいなものがある。あるいは、経鼻胃管を入れるとか抜くときは院内試験みたいなものがあって、そこで院内審査員がOKしたら次にいくというようなことを実際に多くの病院はやっていると思うんだけれども、それが今度は外部審査員がたまたま来ているということでよろしいんじゃないかと思います。それが担保になるのかなと思います。
○大滝委員 では、短く関連してお話しします。今ワーキングと関連して厚労科研で聖路加の福井先生が代表でこの制度に関連したいろいろなデータづくりをしています。その中で私も加えていただいて、主に研修医向けで、ほかの職種も参加する形も含めて、医行為に関する研修がどの程度行われているかをある程度の人数の研修医がいる病院を中心にことし調査を計画しております。間もなく実施しますので、そのデータも参考になると思います。以上です。
○有賀座長 先週の金土に病院管理学会があったんです。それで、今たまたまお互いに見に行くみたいな話がありましたけれども、病院の質をどういうふうな形で継続的にいい状況で保つか。それこそ第三者に来てもらってやるという例の医療機能評価機構のものがありますけれども、それをある程度モディファイしながらと言ったほうがいいのか、全部は大変ですから、その大事な部分をピックアップして、それでもって例えば聖隷福祉事業団の傘下の病院がお互いに見合うとか、それからたしか戸田中央病院のグループでしたか、やはりグループ内の人だけれども、その病院とは違う人が見に行ってチェックするというふうな話が出ているんですね。
だから、お互いに見るといったときにも、漫然と行って景色を見て帰ってくるというわけではなくて、多分チェックリストみたいなものを持って行くことになると思いますけれども、そういうふうな形ででもある程度、自分たちにプラスアルファの人たちの意見が聞けるような仕組みを持ってさえいれば、そこそこの水準でそういう意味での質の担保の一部についてはいけるのかなと思いながら今、聞いていました。
だから、OSCEだとか、CBTみたいな、そういうふうな全国的な規模で何かをしようと思っても多分それは極めて無理で、むしろ超現実的には今、言ったみたいに県内でもいいですし、私大ではお互いに医療安全ということで、交互に見合っている。なぜか昭和大のパートナーが福岡大学なんですね。旅行が大好きな人が考えたとしか思えないんですが、そういうふうにして行き来したりしているんです。だから、恐らくそのようなことができてくるんじゃないか。
今、大滝先生が言われた、福井先生たちがやっているようなデータが集まると、それに関してどれぐらいやっていますかという話を、それに準拠しながら議論できるというようなことで、客観性が多少高まっていくだろうという話ですね。
この質を保証するという部分はこれからの議論なのかもしれませんけれども、まだあと10分、20分ありますのでどうぞ。
それでは、小松先生。
○小松委員 このワーキングで話すべきことではないかもしれないのですが、この制度、研修をやっていくときの枠組みや質を担保するという話が広がっていく中で、人、物、お金ということがすごく大事になってくる。
例えば、私どもが看護を中心にして実践センターにこういったコースをつくるときに、病院との関連をして評価者に来てもらって連携をとっていくというとき、お金が必要になってくるわけで、それは入ってくる学生の、要するに授業料的なところになると莫大なものになってくるのかな等々考えて、制度を考えていく上でどういうふうに持続可能な形でやっていって質を担保していくかということも両方合わせて、ここでやるべきことではないのかもしれないんですけれども、少し頭の隅に、今のことがすごく広がったのでそのように感じたということで発言させていただきました。
○真田委員 ちょっと確認したいんですけれども、指定研修機関の監査はないんでしょうか。それはすべきじゃないかと私は思います。これを研修機関として認めた後は、何のチェック機構も働かないんでしょうか。先ほど神野先生はそうおっしゃいませんでしたか。
○神野委員 今のところ、そういう議論はなかったんじゃないですか。今回の11ページの下のほうに、指定研修機関と実習施設の関係は書いてありますね。
だから、実習施設は我々のような病院がもしかしたらなるかもしれないけれども、指定研修機関はそれなりのところがなって、eラーニング等々もあるかもしれないですが、指定研修機関は指定する段階で何らかのハードルというのはあるんじゃないですか。それで、実習機関に関しては指定研修機関が責任を持って質を担保してくれということになるのかと思うんですけれども。
○有賀座長 臨床研修病院はどうなっていましたか。時々、見直しの話があったりして。
○神野委員 私は医道審議会の委員ですけれども、見直ししています。時々、おとり潰しいたします。
○星委員 あれは監査じゃないでしょう。立ち入りはないでしょう。
○神野委員 立ち入りはないです。例の3,000人以下のところは、評価があります。
○有賀座長 私は行かされたほうだから、その後どうなっているかは知らないけれども。
○真田委員 何らかのチェック機構を働かせる必要は、その研修機関としての質の担保は私は必要だとやはり思います。
それから、先ほどから星先生がおっしゃっていることはやはり自助努力だと思います。自助努力の持続可能性は、私は保証できないと思っております。ですので、何らかの今ここに書いてある外部評価なり、その人たちが修了するときの要件には中での評価だけでは十分じゃないと思いますので、それはある程度、文言として残す必要があるんじゃないかと私は思います。
○島田看護サービス推進室長 制度的な面から申しますと、指定研修機関は厚生労働大臣が厚生労働省令で定める基準に合っているものを指定するというのが今の制度の枠組みになっていますので、指定する際には当然その基準に合致しているかということを、今の計画ですと審議会で審議した上で、その条件に合っているかどうかということを確認する。
通常ですと、そういった国が指定した機関が指定したとおりの内容で、この場合であれば指定研修をやっていただいているかどうかを確認するということは指定後も行うことになります。
ただ、それがどういった方法かということは、今後制度を決めていく中で定められることかと考えております。
○星委員 自助努力はいかんと言うんだけれども、自助努力なくしていかんと私は思うんですが、外部評価に重きを置き過ぎて過大な負担を招くような制度設計にはするべきではないというのが私の趣旨です。
ですから、小松先生がおっしゃるように、アメリカの何とかというのを呼んでこなければだめだみたいな話にすれば、それは誰がどうやって負担するんだという話になります。
ですから、程度論があってノーズロでいいとも私は言っていません。ただし、その地域内での高め合う努力というものに大きく期待したいし、期待できるような枠組みをつくる。そのときに、研修施設を自分の病院の中だけに閉じないで外に求めるような努力をしてください。もちろん、閉じてしまっているところもあるのかもしれませんけれども、そういういざない方をすることで、地域全体の医療の質を上げていくような一助になることを私は願っています。
つまり、研修制度は、単純にその研修修了者の技能や技術を上げることだけではなくて、地域医療全体のレベルを上げる可能性が私はあると思っているから申し上げているのであって、その結果として研修の内容がよくなり、そして育ってくる研修修了者の質も私は上がっていくということを期待しています。
期待して、期待して、期待しているので、期待外れかもしれませんけれども、そういうことなんです。ですから、そういうことが地域の中で行われるようなことに配慮というか、目を配ってほしいということを申し上げているのであって、それを地域の努力やボランタリーな活動に全部委ねてしまえなどという乱暴なことを言っているつもりはありません。
○大滝委員 作業班では御紹介したことですが、参考までに今、医学生の共用試験の認定評価者の養成がどのような形で行われているかを簡単に御紹介します。認定の仕組みは全体講習と分科会的な講習に分かれていまして、合計で約4時間の講習を行っております。
その講習を1回受けていただきますと、全体講習については1回だけ、それから個別の講習については6種類ありまして、その個別の1つずつについて認定が受けられます。ですから、2つの個別講習の認定を受けたい人は1回目は全体講習と個別講習、2回目は全体講習はもう受けなくてよくて、別の個別講習を受ける。個別講習のみの場合は2時間で済みます。そういった形になっております。
共用試験は全国統一の制度で、年間に4回講習会を開いておりまして、1会場当たり100人~300人の参加者、年間700~800人が講習会を受けまして、これまでに延べで今7,000人強、そのうち現在アクティブなメンバーは5,000人強いますが、その人たちが評価者として登録されています。今のところ一度評価者の資格を受けたら、特に更新は必要ありません。
ただし、外部評価者として活動するときには、新たに変更になった評価の資料などをその方にお配りするという形で運用しています。
看護では、全国から講習会に人を集めることは私は現実的ではないと思いますが、ボリュームなどは参考になると思い御紹介しました。
○星委員 これを言うとやぶへびかもしれないので、言おうかどうか悩んでいたんですが、時間もあるので1点。
このでき上がった人、つまり、でき上がったと言ってはいけないですね。研修を修了した人は看護籍に登録するというアイデアはまだあるようですから、看護師の免許の裏書きをされるのか何だかわかりませんが、される。それで、この人のその後についてどういうふうにするのかという議論は全くしていないんですね。
例えば、今は指定機関について、指定教育機関が大きく外れていないかどうかをチェックするという話が出ました。資格制度ならば更新制みたいな話があるんでしょうけれども、それにもなじまないような気がしますが、では1回とったからといって、別にとったといっても現実に現場でやらせてみてちゃんと能力がなければやらせませんから、そういう意味でいうとそれ自体が安全弁になっているので、あえて必要がないという議論があるかもしれません。
ただ、質の担保、質の担保と、もしそういうことを大仰に言うのであれば、この研修を修了した人たちをどういうふうにその後フォローしていくのか。確認のために試験をやるみたいなばかな話はやめにして、そうではなくて、ではその分野でどのぐらいの活動をしているのか的なことについて言うと、誰に知らせるべきかということがあるんですね。
お上に知らせる必要は、私はないような気がしていますが、その周辺にチーム医療を推進する仲間にはどのぐらいの実践例があるかとか、どのぐらいのことをしているかみたいなことについて言うと、わかっているほうが指示が出しやすいし、指示も受けやすいみたいなことを現実的に考えると、首から下げたカードを持つのもどうかと思いますから、何かそういうことで自他共にわかるようなことを少し考えておくのも、この制度論をもしこれからずっといろいろなことを考えるのであれば、研修修了者をどういうふうにその後活用し、そしてその活用状況がより地域の医療の中で意味を持つようなものにしたいからやっているわけですから、そうするためにはどんなことが必要なのかということも考えなければいけないことの1つなのかなと思います。
大滝先生、それはどうでしょうか。
○大滝委員 これは個人的な意見ですが、重要だと思います。
一方、それをいきなり制度化するのはかなり大変だろうと思います。見直しについてはまだ余り議論していませんが、見直しをするたびに、医師の臨床研修もそうですが、調査をその節目、節目で行って、実際に成果がどうなっているかをチェックしながら見直していくのは、当然ですが、やれるのであればやったほうがいいと思います。
○有賀座長 参考になるかどうかわかりませんけれども、救急救命士がいますね。救急救命士についても、指導的な立場で救急救命士を教えるというふうな仕組みがあってもいいんじゃないかという議論は救急救命士の中でやっています。けれども、彼らは別に国から言われてそうやっているわけではなくて、地域、地域で、例えば静岡県の救急救命士の会とか、そのようなところで盛んに議論しているようですので、きっと先生のところの病院の何人かがそういうふうなワッペンをつけて仕事をするということになると、周辺の病院の人たちと連絡をとりながら、そういうふうな意味での勉強をしながらやっていくというようなことが多分最初のところじゃないかなと想像します。それで私はいいんじゃないかと思います。いかがですか。
○星委員 さっきから随分、評価、評価という話になっていますからあえて申し上げたので、私も別にいきなり制度としてがちがちのものをつくって2年更新だと、それは資格制度じゃないのに更新もへったくれもあったものじゃないと思うんですが、同時に私たちがちょっと仕組まなければいけないことは多分あると思っていて、指定研修機関が指定した内容を逸脱していないかという監察、これは大事ですね。これは何とか何条報告という看護学校でもさせられていますけれども、ああいうものを含めて必要な評価を担当する教員がちゃんと確保されているかなどというのを何年かに一遍チェックするような仕組みは多分必要なんだろうと思います。
それともう一つは、この制度が本当に世の中の役に立っているのかどうかというようなことを、最初の制度をつくる時点でせっかく、もし看護籍に登録するみたいなことが本当にやれたとすれば、その人が現実にどういう場面で、どんなことをして、どんな問題が生じているのか。あるいは、どういうことになっているのかというようなことを報告させるような内容にそぐうものかどうかはわからないけれども、そういうことも多少考えて養成というか、研修をするということをしないと、すごく一生懸命やったんだけれども、皆、実は修了書をもらうだけで、現実には何も中身が変わっていないというのでは、私たちが35回も40回もやったことがどうなっちゃったんだということになります。
ですから、何かそういうことがわかるようなことを、3年後、5年後に見直しをしますと、そのときに慌てて調査をしますというのも1つの手ですけれども、大滝先生、医学部の教育のところでやり損ねて、最初からこういうものをやっておけばよかったのにというものがもしあるならば、そういうものはうちは後出しじゃんけんですから多少盛り込んでおくのも考え方としてはあるのかなと思いますが、どうでしょうか。
○大滝委員 私も、何らかの形で効果がわかるような仕掛けを考えておくのはとても重要だと思いますし、先生の意見に総論としては賛成です。各論は詰めていく必要があると思います。
○星委員 難しいでしょうね。
○大滝委員 難しいとは思います。
○有賀座長 私たちは、どこで働いていますというようなものを出すんじゃなかったですか。あれは、何年かに1回やるんでしょう。2年に1回ですか。
そういうことを、看護師さんたちもやっているんですか。
○星委員 今度、始まるんでしょう。
○真田委員 これから始まるんです。
○有賀座長 今までないんですか、2年に1回、どこで働いているとか。
そういうものがあれば、別にどんなことをやっていますかという内容を負担のないレベルで聞いてくれれば、ちゃんと答えてくれますね。
○島田看護サービス推進室長 若干、制度の仕組みは違うんですが、看護師も一応従事者届けというものを出すことにはなっておりますけれども、医師が届け出ていただいている内容とは、若干内容が異なっております。
○有賀座長 内容が違うのは当たり前だと思いますけれども。
○島田看護サービス推進室長 事項ですね。届け出るべき事項です。
○有賀座長 でも、そういうような仕組みがあるわけですね。
○島田看護サービス推進室長 はい。従事している者は、届け出るようにというふうになっています。
○有賀座長 真田先生はないと言っていたでしょう。
○真田委員 従事していない者に関しては、全くわかりません。
○神野委員 今度、労働省と一緒にやるんじゃなかったでしたか。
○真田委員 潜在に何人いるかはわからないので。
○有賀座長 では、2年に1回はきたけれども、まだ家庭に入っているなどという話は束ねているわけでは必ずしもないですね。
○真田委員 今から始まるんです。
○有賀座長 意外と原始的なんですね。わかりました。
○星委員 どちらかというと、需給調査のためにやるんですよね。今までのものは、どれぐらいの人が働いているか、どこで働いているかということを知りたいのであって、看護職の籍を持った人がどこで何をしているかというのは調べていないです。
○有賀座長 わかりました。
○竹股委員 直接、連なっているわけではないんですけれども、若干、星先生のお話に関連するかもしれないので発言しておきます。
私は、今までの議論というのはいわゆる医行為、特定医行為の話をずっとし続けているので、この医行為ができる人、より安全に効率的にできる人たちという視点でずっと話しているので、この人たちがどういう成果があるか、どういう結果になるのか、どういうフォローアップが必要かとなっていったときに、そこだけ見ると非常に違和感があるんですね。
現実的に看護職というのは、その医行為だけのために学んだり、勉強したり、実践したりしているわけではなくて、もう既に自分でやっている看護職としての仕事がある。その延長線上の中に、より医学的な知識を入れて、看護職の従来の力に付加してそれが発揮できるような、そういうアウトカムの出るような仕事をするための一部として特定行為あるわけです。
ただ、それは侵襲性が強いので、どうしても国民に対して質の担保が必要だから、国の責任をちゃんと、この人はやはりこの行為についてはこれだけの、看護職ではあるけれども、こういうところまではやれていますよということが必要です。
それで、現にもう既に過去形にはなってしまっているんですけれども、今までの足掛け4年にわたるこの事業の話し合いの中で、既に養成試行事業だったり、あるいは業務試行だったりの中で、既にすごくいい実績がたくさん出ているんですね。
そういうものが、我々の業界の中ではいろいろな発表があって、本当にそれらを聞くと、もうここまでやれているんだな、あるいはここまで患者様や御家族に貢献しているんだなというようなことがあります。
ですから、そういうふうに考えると、あとの成果はどうなのかとか、フォローアップはどうなのかというようなことは、私は容易にイメージがつきます。
○有賀座長 いろいろな意見が出てよかったと思います。まだまだ詰めなければいけないことがありそうですけれども、電気があと1分で消えます。消える前に終わりにするというのは遂に35回目で初めてかもしれませんね。
あとは、事務局のほうからプラスアルファで御発言ください。
○島田看護サービス推進室長 次回以降につきまして、また別途御案内させていただきます。以上でございます。
○有賀座長 では、これで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。
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