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総論参考資料

参考1 健康指標の意義と算出方法

第1節 指標計算の意義
 健康日本21は、健康寿命を確保するためにその集団の健康負担を評価して、政策を決定するものである。
 このためには、健康寿命を一つの基準として、健康負担を定量的に評価することが必要である。
 健康寿命に対して健康負担を評価する考え方として、以下のような指標が考えられる。

1.早世指標
 健康寿命を一つの基準として、疾病傷害によって引き起こされる死亡により健康寿命がどのくらい損失しているかを示す指標である。

2.障害指標
 死亡にまで至らないが、日常生活に種々の制限が加わり健康寿命が障害されていることを定量化するものである。障害の指標としては、寝たきり率、知的・精神・身体・咀嚼・視覚・聴覚の障害が該当する。

3.早世障害総合指標
上述の1、2の指標を統合したものであり、早世による健康負担と障害による健康負担を合計した指標であり、障害調整生存年数(Disability adjusted life years, DALY)や健康余命(Disease free life expectancy, DFLE)である。

4.QOL指標
 ここでは、日常生活に障害が現れない状態であっても、生き甲斐を持って自己実現を果たせるような日常生活を過ごしているか否かを評価するものである。生活の質であるQOLがどのような状況にあるかを定量的に評価する指標が含まれる。

第2節 早世指標
 早世指標として、
    区間死亡確率(LSMR)
    損失生存年数(PYLL)
の二つを用いて、早世による健康負担の定量的評価を行う。

1.区間死亡確率(LSMR)
 生命表による区間死亡確率(LSMR・65歳までに死亡する確率)は、平成9年(1997年)には男性で15.7%、女性で7.8%と改善してきており、今後も更に減少することが予想される。
生産年齢である15歳までの死亡確率は5%に過ぎず、区間死亡確率の大半は45歳から64歳の中年期に集中している。

2.損失生存年数(PYLL)
 疾病障害により健康寿命を全うできなかった損失生存年数を指標として算出したものである。

    損失生存年数 = Σ(疾病障害による死亡率)× (死亡時点での平均余命)

で表現されるものである。

従来の死亡率では、悪性新生物、心疾患、脳血管疾患の順に表されたものが、標準早死損失年では悪性新生物、不慮の事故、自殺、心疾患、脳血管疾患の順で健康負担が表現される。働き盛りの中年期における「悪性新生物」、青年期における「自殺」や「不慮の事故」による死亡による健康負担を表現することに適した指標である。

 損失生存年数の算出に当たっては、対象集団での
      疾患傷害別の性別・年齢階級別死亡率
      我が国の生命表から平均余命
と合わせて損失生存年数を求めることによる。

第3節 障害指標
1.既存の資料からの障害指標
 我が国の既存の統計資料から、障害指標として以下の資料が入手できる。
      寝たきり率
      精神障害者保健福祉手帳交付率
      身体障害者手帳交付率
をもとに、対象地域における障害指標をしることが可能である。

2.日常生活動作(activity of daily living, ADL)や手段的日常生活動作(instrumental activity of daily living)
 日常生活動作(ADL)には、
  (1)基本的日常生活動作(basic ADL=BADL)
  (2)手段 的日常生活動作(instrumental ADL=IADL)
がある。
 IADLとは,BADLの身の回り動作(食事,更衣,整容,トイレ,入浴等)・移動動作の次の段階である。具体的には,買い物,調整,洗濯,電話,薬の管理,財産管理,乗り物等の日常生活上の複雑な動作をいう。

 基本的日常生活動作として、katzらは「入浴、更衣、移動(ベッドから椅子)、食事」の4項目を、kaiらは「入浴、更衣、排泄、起立、食事、失禁」の6項目を、Tsujiらは「食事、更衣、排泄、入浴」の4項目を使用している。

 IADLとしては、
バスや電車を使って1人で外出できますか
日用品の買い物ができますか
自分で食事の用意ができますか
請求書の支払いができますか
銀行預金・郵便貯金の出し入れが自分でできますか
ゲートボール、踊りなど趣味を楽しんでいますか
を用いて、手段的日常動作を評価している。

 IADLは、ADLよりも前段階の日常生活の障害を示しており、IADLの低下が起こってから、次にADLの障害が起こる。

第4節 早世障害統合指標
1.障害調整生存年数(DALY)
 傷病、機能障害、リスク要因、社会事象毎に健康に影響する大きさを定量的に取り入れた指標であり、Marryにより提案された指標である。
 この算出に当たっては、集団の健康状態を推定する共通の尺度を設定することが前提である。

 障害調整生存年数は、
損失生存年数(YLL)
障害生存年数(YLD)
の合計値である。

 前者の損失生存年数は、早期死亡による疾病負担を示したものである。後者の障害生存年数は日常生活への障害負担を定量化した係数により重み付けしたものであり、存命中の疾病負担を表現している。障害負担の評価には、専門家集団におけるデルファイ法による障害度の重み付けがなされている。
  DALYの特徴として、
(1) 1年間の生存に対して、年齢による重みづけ関数(25歳最大の生存価値)が行われていること
(2) 非致死的健康結果の重みづけ指数が7段階で行われていること
(3) 時間割引率がおこなわれていること
がある。

DALYの意義
 DALYは、理想的平均寿命からの質的乖離年数を示すものである。この指標により、保健医療福祉施策によりもたらされる集団における健康結果を評価する指標になることが期待される。

第5節 QOL指標
 死亡や健康障害により日常生活に制限を受けることが無くとも、生き甲斐を持って自己実現を果たせるような日常生活を過ごしているか否かを評価するものである。目的にしている生活の質であるQOLがどのような状況にあるかを定量的に評価する指標が含まれる。
 生活の質を評価するためには、標準化された調査法が必要であり、国際的に以下のような指標が開発されている。
(a)the Nottingham health profile(ノッティンガム・ヘルス・プロファイル)
(b)the sickness impact profile(疾病影響プロファイル)
(c)the short form 36(SF-36)
(d)WHOQOL
(e)the disability distress index
(f)EuroQol(EQ-5D)
(g)McMaster health utility index
(h)quality of well-being
(i) quality of life and health(QLHQ)

 ここでは、
Medical Outcomes TrustによるSF-36
EuroQOL
について解説する。

1.SF−36
保健医療の結果を評価する目的で開発された指標であり、8項目の要素を含んだ調査法である。

1 Physical functioning
2 Role functioning Physical
3 Bodily pain
4 General health
5 Vitality
6 Social functioning
7 Role functioning emotional
8 Mental health

これらの8個の軸について、それぞれ設問が設定されており、その得点をもとに変換式を用いてスケールを算出するものである。

2.EuroQOL
 1987年にヨーロッパで開発がスタートしたHealth-related quality of life(HRQOL)スコアであり、専門的知識がない者が医療機関に限らずどこでも記入できる点、5つの項目属性(移動の程度、身の回りの管理、ふだんの活動、痛み/不快感、不安、ふさぎ込み)について、VAS(visual analogue scale)によって評価している。
 日本語版EuroQOL開発委員会(委員長:慶應義塾大学医学部医療政策・管理学教室池上直己教授)により、正規の日本語版として認定を受けたものがある。この調査結果を基に、日本独自のHRQOLを評価する換算式の開発が必要である。

 QOLに関する調査法は、すでに幾つか提案された調査法が存在するが、国際的に標準化された同じ調査法を使用することが望ましく、同一の調査法を用いてQOLを測定していくことが望まれる。

 


参考2 参加と働きかけ

第1節 働きかけ/動機付けに関する、既存の方法の確認と徹底
 これまでの健康づくりでは、住民への働きかけ/動機付けに関連して、様々な専門的方法が提案されてきた。行動科学、学習科学、および社会心理・社会工学に基盤を持つ諸方法の知名度が高い。
 行動科学的な方法では、疫学的に究明されたリスクファクターの知見を元に、個人別にリスクを見極めた上で、動機付けと行動の制御とに向けて緻密で強力な働きかけを段階的に行う。学習科学的な方法では、検査結果を含む対象者の健康状態から出発して、住民が自分の体内で起きている生理・病理的な実態・変化に目を向け、道筋を追って学習と理解を深め、問題解決能力を高めることを大切にする。社会心理・工学的な方法では、健康な地域づくり/人づくりを基本に、理念ないし概念型の目標を掲げた上で、その目標の数量化と実現に向けてグループワークを積み上げる。
 行動科学的な方法は、個人への働きかけを基本とするが、小グループでの働きかけも効果を持つ。学習科学的な方法は、個人への働きかけから出発するが、住民の自発的な学習が進み出すと、学習の場は様々な広がりを見せる。社会心理・工学的な方法では、まず地域と集団に働きかけ、それを通して個人にも働きかける。
 これらの方法は、それぞれの選ばれた局面においては、優れた成果を挙げて来た。しかし各方法いずれも、普及が十分とは言い難い。健康づくりに関連する専門家の多くは、これらの諸方法を知ってはいても、自由に使いこなすというにはやや心許ない状況にある。結果として、一方向的な情報伝達を中心とした健康教育も、現場によってはいまだに見受けられる。
 住民への働きかけと動機付けに関し、健康日本21で最初にすべきは、既存の諸方法の何れをも、健康づくりに従事する専門家が必要に応じて、自由に選択し、自信を持って使いこなせるようにすることであろう(接近方法のマルチメソッド化)。

1.行動科学、学習科学、社会心理・工学の各方法における研修の徹底
  行動科学、学習科学、社会心理・工学の各方法の原理を理解する。行動科学については、リスクファクターから出発して、個人を動機付け、行動を制御/変容させるための手順を学ぶ。学習科学については、学習のきっかけや学習の場の設定を学び、住民の学習要求に応えられる実力を養成する。社会心理・工学については、地域づくりに関連して理念/概念型の目標設定とその実質化の手法を学ぶ。

2.マルチメソッド化のための研修機会整備
  健康づくりに関連して、個人診断・集団診断・地域診断の結果を総合し、住民への働きかけと動機付けとに関連して、「最適な手法は何かを判断できる能力」、「手法を組み合わせ、複合した課題解決に向かえる能力」を養う。

第2節 変貌する地域と人への対応の方略
 既存の方法が今後も通用するのであれば、マルチメソッド的接近は、健康日本21における住民への働きかけとして、最適の方略と考えられる。しかし近年における社会全体の急激な変容によって、方法の対象となる人も地域も変貌を遂げている。たとえマルチメソッド的な接近を身につけたとしても、それだけではすまない新たな局面が現れ始めている。

1 地域の変貌
 上述の三方法中、特に学習科学的な方法と社会心理・工学的な方法が、これまで対象として来たのは、主に人口が10万以下の小都市か町村、あるいはそれに相当する地域と人々であった。これらの地域では、人々は互いに顔見知りである場合が多く、潜在的に健康づくりを行いうる場や仲間を見いだすことは比較的容易であった。しかし、都市化の急激な進行に伴って、いわゆる昔ながらの地域社会が解体/消失しつつある。地域を学ぶ、地域をつくる、と言っても、具体的な地域イメージ(あるいは地域性)を思い浮かべるのが容易ではない状況が、全国に広がりつつある。

2 住民の変貌
 何れの方法においても、対象者に対する働きかけは相当のエネルギーを使う。専門家が提供する知識や情報を、住民の側が待ち望み、それなりの反応をしてくれるのであれば、専門家の努力は報いられる。しかし、綿密にデザインした働きかけを強力に行ったとしても、行動変容が起こるとは限らない。働きかけに対して、関心さえ示さないこともある。高学歴化と教育内容の高度化が著しい一方、様々なメディアも住民を対象に健康に関する情報を流し続けて来た。その結果、対象テーマに関連して、保健医療従事者が知らないことを住民の方が知っている場合も希ではない。それでも、と働きかけを続けた結果、住民の知識量は増えたが、知識と行動との間の溝は、かえって広がった、との指摘もある。生活習慣も多様化・個性化して来た。専門家が良いと思って勧める生活習慣を、そのまま受け入れる可能性のある人の数は、確実に減っている。知識を持っているのに、行動が変わらず、熱心な働きかけに答えてくれるとも限らない住民を目前にして、それ以上働きかける効果的な言葉が見つからないまま、困惑する専門家も出始めている。

 健康づくりの専門家は、人々が健康になることを心から願い、健康に貢献できることを誇りに思って来た。様々な方法によって、人と地域とに働きかけ、そこからの手応えを学ぶことで、専門家としての成長を遂げてきた。しかし、地域と住民の双方からの手応えが希薄化した結果、働きかけることも、学ぶことも容易ではない事態が広がりつつある。行動科学的働きかけを始めとして、有効性が実証されたこれまでの諸方法、あるいはそれらを組み合わせたマルチメソッドの方法論に間違いはない。しかし対象(人と地域)がよりつかみどころなく変貌してしまった以上、この複雑な事態に対応した何らかの方法的拡張も含む、柔軟で適応力の高い接近が必要とされる。

第3節 方略としての参加と対話
 どれほど有効な接近法であっても、次の時代に有効性が減じることはあり得る。しかし、どのように変化が進もうと、専門家の努力が空転することは避けなければならない。健康づくりに際して、専門家と住民の双方の存在は欠かせない。両者のパートナーシップは大切である。たとえ特定の方法や方略が行き詰まったにしても、パートナーシップがあれば将来に希望をつなぐことができる。地域が解体し、顔見知りの住民が立ち去ったとしても、そこに住民はいるのである。専門家と住民とで、知識の格差が減少し、健康教育がやりにくくなったとは言うが、住民が豊富な知識を持つ状態は、悪いことではない。目前の住民との間に良好な関係を築き、住民が持っているものを大切にする方向で、次のステップを考えたとき、これまでの働きかけに加えて参加と対話の大切さが浮かび上がってくる。
(1) 参加とは?
 参加は、ある目的を持って人々が集まり、ともに話し合ったり行動したりすることである。参加は自己実現の機会であり、本来、とても楽しいことのはずである。参加には、良好な対話が欠かせない。参加と対話は車の両輪のようなものである。
(2) 参加の位置づけ
 参加と対話は、それまでになかった新たな状況、価値、情報を生み出してゆく。健康日本21が目指す形の一つとして、参加と対話を主軸においた住民主導型の運動を構築することが必要だろう。
(3) 参加への道筋
 参加と対話は、特別な人だけが行うことではなく、誰もができる、社会形成の原則である。新生児であっても、参加的にコミュニケーションを行うことが知られている。しかし、ただ単に人々が同じ場で互いに顔を付き合わせれば対話が成立するわけでもない。参加と対話が忘れ去られている場合には、参加と対話の価値を再発見し、復活させるために、工夫が必要になる。
(4) 参加と他の「働きかけの方法」との関係
 参加と対話は、今後の健康づくりに関連して、どのような方法とも本来は組み合わせ可能なはずの基本的方略と位置づけられよう。参加と対話を組み込むことで、マルチメソッドの適用可能範囲が広がることは間違いない。
 

第4節 健康づくりのための、参加的な人材養成
 参加で重要なのは、当事者が互いに相手を大切にすることである。参加の開始当初は、たとえ目的がはっきりしていても、各人の発言や行動が、混沌としている場合が多い。しかしお互いに、その混沌を認め、混沌の中から見えてくるものを待つ姿勢が、相手を大切にすることだと言える。専門家として参加するものの役割は、むしろ積極的に混沌を作り出し、その価値を認め、その中から見えてくるものをはっきりと捉え、整理し、学ぶことだと言えるだろう。参加者の理解と自立を助けることにより、お互いが積極的に健康づくりを支え合うパートナーとなることができる。

1.参加的な接近
 ◎第一段階;「働きかけない」という項目を、働きかけのリストに付け加える
 20世紀の専門家は様々な理論的方法を駆使して、住民に強力に働きかけてきた。21世紀の健康づくりでは、これまでの方法のマルチメソッド化に加え、方法を拡張して、参加・対話的な次元を組み込むことが大切になろう。「参加」を求めるために、まずは「働きかけない」ことが大切だと考えてみたらどうであろうか。つまり、「健康づくり」を始めるに当たって、最初に、積極的に働きかけを行うのではなく、場を準備したら、次に何が起こるかを待ってみるのである。
 ◎第二段階;「働きかけない」という接近法に慣れる
 これまでの働きかけでは、働きかける側は、意識だけでなく、目前の対象者への視線に至るまで、力がこもっている場合が多い。急に「働きかけない」となると、戸惑いが生じる。このような場合、まず働きかけを一休みさせることである。視線や肩から力を抜き、話し方もリラックスさせ、言葉数も減らしてみる。働きかけの力を弱めていくと、どこかでゼロになるはずであるが、さらにゼロを超えてマイナスへと力を弱め続けてみる(そのようにイメージする)。強力に働きかけて来た状況を白紙に戻すわけである。しかしそれで何もなくなるわけではない。実は、この状態が参加への原点になる。
 ◎第三段階;専門知識から、目前の住民へと焦点を合わせる
 働きかけの力をマイナスにし、力が抜けた状態で前を見ると、そこには先ほどからの対象者(住民)がいる。ではこの人の何を、どのように見守ったらいいだろうか。この人はどのような生活をし、健康についてはどのような考えを持っているのだろうか。こう考え始めると、それまでは意外に相手のことを知らない状態で、働きかけて来たことに気づかされる。専門知識から、目前の住民へと、責任(アカウンタビリティ)の焦点が移った瞬間である。健康づくりへのパートナーとして相手(住民)を知りたいという考えが専門家の中に生まれ、それが大きくなって来たとき、状況は参加的なものになっている。こちらが変われば、住民も変わり始める。専門家と住民が、互いをパートナーと捉え、互いの参加を実感したときに、健康づくりに有用な対話が生まれ始める。
 ◎第四段階;生活に焦点を当てて対話を育てる
 住民尊重の第一歩は、謙虚に住民を知ろうとすることである。何かを知りたいとき、よく使われるのは調査表である。しかし、目前の人について知りたいのであれば、対話の方が好ましい。健康づくりに関連して、日々の食生活や活動、環境等どのような話題であっても、住民が日常生活の細部と全体とを同時にイメージできる方向に、楽しみながら対話を育ててみればよい。生活に関連したキーワードを最初に出してもらい、それを段階的に展開し、イメージを膨らませながら対話を進める、などの工夫は必要である。こうすると、殆どの場合「そう言えば、私はどうやら?のようだ」など、「私」を主語に住民が状況を語る場面が増えてくる。家庭、職場、地域や幼少時のことなど、様々な背景要因がキーワードを通して浮かび上がり、それらが自分との関連で語られ始める。何か問題があるのなら、その問題が明瞭になり、解決の糸口も見え始める。

(1)参加的接近法の講習会実施
 参加的接近法には、これまでの様々な方法とは異なった可能性がある。これまでの方法に加え、第二あるいは第三の選択肢として、健康づくりの局面を拡張させる効果を持つ。参加的接近法を効果的に取り入れるために、2時間程度の講習会は有用であろう。技術的な難しさがあるとは考えられないが、発想の転換は必要かもしれない。受講者同士で十分な演習を行えれば、現場にすぐに応用できる。

(2)参加的接近法についての研究と洗練
 参加的接近法のポイントは、住民自身の生活に、いかに焦点をあてて、対象者自らの生活に立脚した発言を引き出すかである。これに適した対話方法、イメージ化の技術などに関し、研究と実践経験を持つ者同士の情報交換が必要である。

2 参加的な知識
 専門家が住民に向かって発信してきた情報は、厳密で原則的に表現されているものが多い(専門/学問的知識)。一方、住民が健康について自由に語るときに使う言葉は具体的である(参加的知識)。「高カロリー食品」と専門家が言ったことが、住民にとっては「友人からすすめられた和菓子」だったり、「子供が食べ残したスパゲッティ」だったり、「夜勤明けの缶コーヒー」だったりする。住民は生活と密接に関連した言葉で感じ考えているのだが、専門家の言葉とはずれがある。確かに、疾病予防や健康づくりの原理原則を述べるには、専門/学問的知識が適切である。しかし高カロリー食品という表現からは、「人」が見えない。一方、参加的知識には人の生活が映し出されている。表現を通して、人間関係から環境まで、その人の複雑な日常生活の一端を読みとれる。専門家が、住民への支援協力を進めるためには、住民からの日常生活に即した情報発信を読みとる必要がある。参加的知識を通した住民の自己学習/自己啓発の実際を知り、専門/学問的知識を参加的知識で捉え直し始めると、住民の間にある経験の価値が見えてくる。住民の経験に学ぶことで、健康日本21におけるアカウンタビリティやエビデンスなどの概念を、生活に即して参加的に捉えることが可能になる。

(1)参加的知識の蓄積
 住民と対話を積み重ねていくと、参加的知識の蓄積が得られる。例えば「摂取カロリーの減らし方」に関連して、「住民の数だけの様々な歩み」があることが分かる。この歩みを聞き取り、言葉であらわし、理解を助けるための画像を加え、CD-ROMやDVDなどの媒体を活用すると、追体験が可能なマルチメディア教材ができあがる。こうした教材は、住民の側からも専門家の側からも、健康づくりの多様なあり方を学ぶために活用できる。
(2)参加的知識を活用できる人材の育成
 何気ない住民の言葉の中に、働きかけへの手がかりが潜んでいる。参加的知識が使いこなせるようになると、住民の一言から、その人の状況をイメージ化する能力が向上すると共に、専門家自身の自己イメージもより豊かなものに発展させられる。パートナーとしての資質を見いだし育てるために、演習を含むワークショップが有効である。

3 参加的な学習の場の整備
 シーンと静まり返った場での一方向的な健康教育は、健康日本21には似合わない。地域・学校・職域・病院など様々な健康づくりの場で、対話とパートナーシップが育ち始めるには、どうしたらよいであろうか。 専門家も住民も、これまでお互いに十分な対話を重ねてきたとは言い難い。従来の専門家が、あまり住民のことを知らなかったように、住民自身も健康に関連して(健康観から食事・身体活動・気分やストレスの内容に至るまで)、互いに殆ど知らないことが普通である。「互いに知らなくても良い」と皆が思うのであれば、参加的な健康づくりは困難であろう。しかし実はそうではなく、皆互いを知りたがっていることは、参加的対話を小集団で試みればすぐにわかる。
 地域・学校・職域・病院など何れの場においても、健康に関心のある人々が一同に会することができ、そこに落ち着いた支持的雰囲気があるのなら、いつでも対話とパートナーシップを育てることができる。人々が、細部と全体を見渡せるように自分の日常生活と健康を整理・表現できるなら、必ず自発的な発言が出始める。率直で具体的な発言は、それ自体がネットワークを生み出すポテンシャルを持っている。最初は周囲の発言にふれて、「あ、私と同じだ」「ここが私と違う」などの発言が現れ始める。その後、もっと多くの人の健康に関する感じ方/考え方に接して行くうちに、「私は?のようにも、なれるような気がする」「私にとっては、?の方が合っているようだ」などの発言が生まれてくる。さらに「このように皆、違っている一方で、共通点もある」「自分の一面を、多くの人の中に見つけると、懐かしい感じがする」と言う人もいる。参加的・対話的な学習が始まったのである。

(1)参加的学習における学習過程解明のための事例研究
 参加的・対話的な状況で何が起こるだろうか。ある栄養教室に参加した住民A氏は、グループワークでB氏とC氏の食の実際に接した後、以下のように発言した;「私は若いとき、食事について、Bさんとそっくりな考え方をしていたようです。一方、Cさんの食事の考えにふれて、私は10年後くらいには、Cさんのような食事をしたい、と思い始めました」。この発言より、住民が互いを教師として、互いの日常生活を教材として、よりよい健康への方向性を相互に学び始めることが伺える。参加的な事例研究から学習過程を解明し、相互学習のネットワークを支えるのは、専門家の務めである。

(2)参加的学習の普及
 参加的な学習の場では、参加者が健康づくりへのそれぞれの在り方を示すことにより、互いが教師であると共に学習者でもある状況が生まれ、それが連鎖反応を起こしてゆく。対話の自由な発展を支援しながら、それまでの学習内容を参加者が自発的に想起出来る環境づくりが、指導者に期待される。
 

第5節 健康づくりを妨げる「情報不足とバリア」への対応
1.情報不足について
 比較的均質な構成の小集団の場合には、自由な対話を元に、健康づくりへの学習に関連した様々な関連性(参加的ネットワーク)が自発的に発生する。しかし社会全体となると均質ではない。何かをしたいと思っても、適切な情報が不足していると、どこで何から始めたらいいのか、誰に話を聞くべきか、見当がつかないこともあり得る。どのような情報が必要とされているかを、住民の立場から見極め、情報を整備することは、参加的な社会づくりの第一歩である。
(1) 必要な情報の発見
 「大切な人が寝込んでしまった」など心配で急を要する場合、「禁煙の方法を学びたい」「介助のボランティアをしたい」など健康増進に関連して何かを前向きに行おうとする場合、このような各場合において、個々の住民が安心して行動できるための鍵は情報である。こうした「場合」にはどのような種類があり、それぞれではどのような情報が必要とされるだろうか? この課題に一般的な回答を出すのは容易ではない。しかしこうした「場合」の経験がある住民に面接し、適切な情報に行き着いた経過を聞き取り、フローチャートを作るだけでも、情報の不足や偏在の現状が見えてくる。
(2) 情報不足の解消
 あらゆる情報不足を解消しようとするなら、必要な情報は膨大なものになり、電話帳のような資料・マニュアルが何冊も必要になるかもしれない。しかし、別に全てのことを教えてもらう必要はない。要は、住民が社会的なネットワークの入り口に立てること、最初の一歩を踏み出せること、が重要である。急場への対処から、ボランティア技術の習得に至るまで、最初の一歩を分かりやすく示した情報が身近にあれば、住民は安心して、次の行動を考えられる。若年者から高齢者に至るまで、様々なライフスタイルを持った住民が、こうした情報に無理なく接しうるためには、情報の置き場所を工夫する必要があろう。公民館、学校、コンビニなど、人々が必要に応じて毎日一回くらいは訪れる様々な公共の場所では、どこでも容易に情報に出会えることが望ましい。電話やインターネットを介した、場所に依存しない形での情報利用についても、整備が必要である。しかし公的機関による情報の管理は控えめな方が良い。新たな情報の登録や、既存の情報の評価にも住民が関わることで、情報は量的にも質的にもより豊かに発展を続けることができる。

2.バリア(障壁)について
 自由な対話とネットワークが住民の間に生まれ始め、必要な情報も一見整備されて来ているにも関わらず、対話と課題解決の輪が広がりにくい場合には、参加と対話を妨げるバリア(特に言葉や情報に関連した)が潜んでいる場合が多い。実際、保健/医療/福祉/介護など、健康づくりに連なる多くの分野では、未だに専門的で理解が困難な言葉や情報が多く、参加と対話の輪を広がりにくくしていることは否めない。専門家にとっては普通の使い慣れた言葉でも、普段耳にしない者は、身構えてしまうこともある。医療における「動悸・息切れ」や、介護における「清拭」など、それぞれの分野では簡単で分かりやすい部類に入る言葉・情報でさえ、住民の理解を超えていることがしばしばである。
 耳が遠い、日本語が流暢でない、など住民の側が少しでもコミュニケーションの困難さをかかえている場合には、さらに困難な状況が生じやすい。小さなバリアですら、越えがたいものになる場合もある。このようなバリアを見出す原則が「住民の視点から考える」であることは、言うまでもない。特にバリアフリーに関連する場合は、最も弱い立場の住民の視点から考えることが求められる。

(1) バリアへの感受性を上げる研修
 この研修は、一般住民よりは専門家を主な対象にしたい。バリアのルーツが専門性の中に存在することが多いからである。講師として最適なのは、健康づくりシステムや保健/医療/福祉/介護に関連したシステムのユーザーである一般住民(特にそのなかでもバリアにつまずいた経験のある人々)が最適であろう。この研修の修了者は、気づかれにくいバリアを積極的に指摘していくことになる。健康づくりに関連して、誰もが十分理解した上で、対話に加われるように、地域・学校・職域・病院などの場で、難しいこと、分かりにくいこと、不便なことの指摘を進める。

(2) バリアフリー化の方略を身につける研修
 健康づくりに関連した様々な事柄や概念が、難しい専門用語で語られている場合、それを生活者の立場からの分かりやすい言葉で語るための技術を研修する。この研修を受けた専門家と住民が協力してバリアフリー化を進める。健康日本21自身が、まず言葉のバリアフリーを目指す必要もあるだろう。

(3) バリアの意味を学ぶ研修
 健康づくり運動の結果、健康な人が増えるのは望ましいことだが、それと共に、参加と対話の輪が病者や障害者へも広がることが望ましい。輪を広げようとしたときの最大の課題は、健常者にとって、病者や障害者の立場が理解しがたいことである。健康は素晴らしいことである。しかし健康の獲得によって、病者や障害者の立場への理解や参加が、困難になるのであれば、「健康づくり」が「健康の文化」を阻害する、という逆説的なことも起こり得る。 病者や障害者の立場を学ぶことは、容易なことではない。健常者が疾病や障害を実体験できず、疑似的な体験が精一杯という現状がある。しかし、病者や障害者の立場に詳しい指導者の下で、あるいは病者や障害者を直接の講師として学習が行われた場合には、学習者はごく自然に共生の発想を身に付けていくことが知られている。
 

第6節 参加的な組織と社会への道筋
 専門家だけでなく住民も含め、様々な人が健康に関連して、様々なところで対話の輪を広げ、色々なことを自由に提案/実践できる状況が、参加の目指すところである。参加の芽が出始め、参加を支える情報が十分で、バリアも除かれたのであれば、人は参加に向けて自由に動き始めると期待される。しかし、実際には人を囲む状況や立場が制限されていることが多く、参加が順調に進むとは限らない。

1.参加的な状況づくり
 参加的・対話的な雰囲気を、健康づくりに関連したあらゆる組織と場面に広げていくためには、いろいろな状況で、着実に参加を増やし続ける必要がある。

(1) 「参加への感受性」を高める
 何かをしているときに、「この場に他の人々(例えば住民)も加われないだろうか? それによって、いろいろなことがさらに楽しく興味深くならないだろうか?」と考えるのは、実質的参加の第一歩である。健康づくりに関連したあらゆる状況下で、参加の不足に敏感になることが必要とされる。年齢、性別、立場が異なるために普段は出会いが少ない人同士でチームを作り、様々な作業を共に行い、より楽しく興味深く行うにはどうするかを考え続けることで、参加への感受性を高められる。

(2) 健康づくりに関連した各組織/場面における参加度のチェックと向上
 その組織のメンバー構成から作業内容、決定事項に至るまで、どれほどの部分に参加と対話が実現しているかを評価することは、参加を進める上で必要なことである。参加と対話を建前で終わらせないために、内容の評価は必須である。「専門家が住民の参加からどのくらい多くのことを学んでいるか」、「住民が他の住民からどのくらい多くのことを学んでいるか」、「専門家と住民の双方がどの程度まで参加を歓迎しているか」は、是非とも評価したい項目である。

2.参加的な立場づくり
 高度な情報決定/専門能力が要求される場面であるほど、参加と対話の輪は広がりにくい。しかしそのような中枢的場面でこそ、参加と対話が意味を持つ。参加を健康日本21に浸透する原則として位置づけるに当たり、最後に行うべきは、健康づくりの中枢場面で働く専門家の役割の見直しである。

(1) 「参加的な専門性」の確立
◎第一段階; 「住民の立場に立つ」という項目を、専門性のリストに付け加える
 複雑な現代の社会が、専門家の献身的な働きで成り立っていることは周知の事実である。健康づくりの分野でも、専門家は常に最新の状況を研究し、時代の動きに合わせて専門的な技術や知識を積み重ねてきた。住民参加は、21世紀の健康づくりにおけるキーワードである。では「住民の立場に立つ」を専門性のリストに付け加えてみたらどうであろうか。
◎第二段階; 「住民の立場に立つ」という専門性に慣れる
 職業人としての専門家は、通常は仕事に個人的な関心や興味を持ち込まない。仕事が終わって職場を離れるとき、始めて一住民に戻る。しかし「住民の立場に立つ」も重要な専門性だとすれば、敢えて仕事の場面に「住民の立場」を持ち込む必要があろう。例えば健康日本21に関し、地域での目標値作りを考えてみる。専門的知識を動員して目標値を設定したら、立場をスイッチし、一住民/生活者として、その目標値を眺めてみる(そうイメージする)。別に専門性を失うわけではない。「住民の立場に立つ」という新たな専門性を発揮して、それまでとは異なる方向から物を見るのである(表1)。
◎第三段階; 専門家から住民へと立場をスイッチする(表1)
 専門家から住民へと立場をスイッチして、先ほどの目標値を見ると、多かれ少なかれ目標値が遠のいたように感じられるはずである。生活者としての住民の立場が、階段の一段目だとすれば、先ほど専門家として設定した目標値は、階段を数段上がった所にあると感じられる。この状態で、住民としてどのような日常生活を送れば、目標値に近づけるかが、容易に思い浮かべられれば、目標値は住民が十分接近可能なものであると言える。しかし日常生活を思い浮かべるのが困難であれば、その目標値は住民から、かけ離れたものだと考えられる。
◎第四段階;住民の立場を専門性に組み込む
 立場のスイッチには多少の意識改革が必要である。ある保健医療従事者は物の見方を住民の立場にスイッチしようとしたとき、勇気が必要だったと回想している。しかし勇気がいるとしても、最初のうちだけである。物の見方・考え方を、専門家の立場から住民の立場へ、また逆に住民の立場から専門家の立場へ、と行き来させている間に、立場の移動がごく自然なことに感じられ始める。専門家としてどのように高度な作業をしていても、いったん住民の立場に戻ってその意味を再考しないと、作業が完結しないように感じられる。住民の立場が専門性の一部として、定着したことが分かる。

(2) 参加に向けた「住民の発想」のエンパワメント(表1)
 「住民の立場に立つ」は、専門性の新たな展開、あるいは参加の進んだ形として位置づけられる。専門家が、より高度な専門性として、「住民への接近」を学んだのである。では住民の側はその立場に徹していれば良いのだろうか。それとも、さらなる参加的状況において、住民の方が専門家の立場に近づくこともあり得るのだろうか。
 高度な専門知識が要求される目標値設定に関して、住民(素人)の寄与できる余地は少ない、と多くの人々が考えている。しかし目標値設定の過程は、その全てを専門家だけで行えるというものではない。住民の自由な判断が欠かせない局面もある。目標値の優先順位を設定する局面を考えてみよう。各疾病の重要性だけに着目して、予防策を順位付けるのであれば、重み付け関数の選択から計算に至るまで、一貫して特定の専門家の手を煩わせることで、対応が可能である。しかし「安全な食品の供給」と「栄養教育」のどちらを、健康日本21計画の中で優先させるかなど、一専門分野に収まりきらない判断は、個別専門家の手に余る。このような時でも、住民の立場からは判断を下すことができる。
◎第一段階; 住民が参加的に発言を始める
 生活者としての視点から、健康づくりに関連して大切だと思われることを、住民に自由に列挙してもらう。このとき「私」を主語に表現してもらうことが重要である。意見を出すのに慣れていない住民の場合、最初のうちは「私は?が欲しい」と要望を述べるに留まることが多い。しかし対話と参加が育つと、「私の役割は?かもしれない」、「私には?ができる」と参加的な発言が出始める。
◎第二段階; 住民が生活者としての視点を主張し始める
 住民が一生活者として、健康づくりへの寄与・貢献を考え、行動できる局面(キーワード)を述べ始めたら、それを丁寧に聞き取ることが大切である。幾つかの局面が見えてきたら、各局面の大切さをさらに問いかけてみると良い。キーワードに順位をつけてもらうのも一つの方法である。全体の傾向から個別の重要さへ、再び全体へと、常に個と全体の関連が見える形で話を進める。個別専門性の枠を越えたキーワードであっても、生活者の立場からは、容易に順位付けができる。
◎第三段階; 住民が俯瞰的・全体的な視点に立つ
 生活に立脚して住民が挙げたキーワードを前にして、今度は日本全体を健康にするために「何が大切か、何をすべきか」住民に問いかけてみる。俯瞰的・全体的な視点への切り替えに慣れていない住民の場合は、直ぐには答が得られないかもしれない。しかし急ぎすぎなければ、必ず自発的な発言が生まれてくる。この際の実現可能性や意味について、専門家の助言は重要である。「専門家の苦労が分かった」と住民が言い出すのは、このようなときである。
◎第四段階; 住民が健康づくり運動自体を評価する
 住民が「生活者の視点と俯瞰的視点」の双方を必要に応じて使いこなせる状態は、専門家が「専門的立場と住民の立場」の双方を使いこなせる状態と、対比させられる。専門家が住民に一歩近づくことでより高い専門性を獲得したように、住民は専門家に一歩近づくことで、生活者としての視点を、より洗練されたものに変える。こうして住民は、今や生活者としての独自の視点から、健康づくり運動をも評価できる能力を持つに至る。

3 さらなる参加と対話へのネットワーキング
 健康づくりに関連して、住民と専門家がパートナーシップを確立し、共に歩みながら、双方がそれぞれに新たな能力を身につけ、それがさらなる参加と対話の原動力となることを、本章で示した。
 健康づくりが「特別なこと」ではなく、「健康に関連した自身と他者の生き様を、楽しく興味深く学び続けること」と分かり、その学習と実践のネットワークが社会の至るところで育ち始めるとき、健康は真に文化と呼べるものになろう。先天性四肢切断症の青年が日常生活を書いた本が、小学生から高齢者までの幅広い住民層に受け入れられ、ベストセラーになっている1999年の我が国の現状を見ると、我々はそうした時代の入り口に立っていることが分かる。

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