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2017年12月22日 第3回人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会

医政局

○日時

平成29年12月22日(金)13:00~15:00


○場所

三田共用会議所 講堂


○議事

○堤在宅医療推進室長補佐 定刻になりましたので、ただいまから、第3回「人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会」を開催いたします。本日は、大変お忙しい中御参集いただき、まことにありがとうございます。

 本日は、熊谷構成員、佐伯構成員、鈴木構成員、瀬戸構成員から御欠席の連絡をいただいております。

 木村構成員は、おくれて御出席されます。

 また、局長の武田は、急遽欠席となっております。

 本日は、上智大学生命倫理研究所教授の町野朔氏を参考人としてお呼びしております。

 議事に入ります前に、お手元の資料の確認をさせていただきます。

 議事次第、座席表、資料1から4までと参考資料1から5をお送りしております。乱丁・落丁等がございましたら、事務局までお知らせください。

 なお、机上のみですが、松原構成員から本日御発表の「第XV次日本医師会生命倫理懇談会答申について」について提供がありましたので、配付しております。

 それでは、議事に入ります。カメラ撮りはここまででお願いいたします。

 それでは、以後の議事運営を樋口座長によろしくお願いいたします。

○樋口座長 それでは、第3回の「人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会」を始めたいと思います。

 今、御紹介がありましたように、きょうは資料が4つ用意してあって、まず、この資料4つ全部御紹介いただいて、質疑に入りたいと思っております。

 では、まず資料1が松原先生から説明をお願いできるということなので、よろしくお願いいたします。

○松原構成員 日本医師会副会長の松原でございます。

 日本医師会の生命倫理懇談会は日本医師会の三重要委員会の一つでございます。そこから答申を受けました。特に今回は、この会議と関係がある議題であるところの「超高齢社会と終末期医療」という諮問でございました。

 委員の名簿でございますが、1枚めくっていただいて1ページ目でございます。座長は、前日本医学会会長の高久史麿先生でございます。また、本日の検討会に参画されている先生方の中にも、生命倫理懇談会の委員として貴重な御意見等をいただきました。答申のとりまとめに甚大なるお力をいただきましたことを、この場をかりて厚く御礼申し上げます。

 2ページ目が答申の目次でございます。ごらんのとおり、全3章から構成されています。

 3ページ目を見ていただけますでしょうか。第I章は「超高齢社会における終末期医療の現状と課題」であります。

 これにつきまして、4ページ目でございますが、これまで4期にわたって生命倫理懇談会の議論を行いました。それを振り返ってみて、そして、その整理が4ページに示しております。具体的には、延命至上主義からの脱却、患者本人の意思の尊重と医療・ケアチーム、家族等の合意を目指す努力とプロセスの重要性。尊厳死の法制化については、法律への過剰な対応と濫用の危惧があるため、ガイドラインによることで、法的にも免責が得られる状況が望ましいということなどであります。

 5ページ目を見ていただけますでしょうか。老老介護と呼ばれる現象や、独居の高齢者の増加、認知症の問題など、我が国の社会の現状を踏まえ、医療現場での課題として、平穏で適切な死に至ることを個々の高齢者について実現すること、在宅や高齢者施設での看取りのあり方をどう考えるか、救急体制と終末期医療の適切な関係はどのようなものかなどを掲示しております。

 また、終末期医療の法とガイドラインの問題につきましては、ガイドラインで一定のルールを定めているのが我が国の大きな特色となっているとした上で、現状としては、先ほど申しましたガイドラインによることで法的に免責も得られる状況が望ましいという状況が実現しているとも言えるとの認識が示されています。

 6ページ目を見ていただけますでしょうか。これが第I章のまとめでございます。「現在における課題」ということで、どのような意思決定支援の仕組みやプロセスを用意するかということ。そして、終末期医療のケアの質の向上を図るためにはどのような取組が必要か。その場合の質の向上とは何かという2つの課題が挙げられています。これらの課題につきまして、それぞれ、第II章、第III章で見解が示されております。

 なお、海外における医師による自殺幇助の合法化の動きにつきましては、我が国においてはそういった動きに追随するものではなく、終末期医療の質の向上を図る方向で倫理的な対応が進められていまして、その対応に異論はないとしております。

 7ページ目を見ていただけますでしょうか。第II章は「本人の意思決定とその支援」でございます。

 8ページがその内容であります。意思決定支援については、さまざまなケースはあるものの、本人による意思決定支援を行うことが本来であることを明確にし、それをどのように支援して、最善の選択肢が得られるケースをふやすかということが課題であるとしております。

 9ページを見ていただけますでしょうか。事前指示書については、その7割がその作成に賛成しているが、一方では、そのうちの3.2%しか実際に作成していないというデータもあるとした上で、そのような決断を先送りするという傾向が見られると指摘しております。そうした中で、アメリカでは、POLSTと呼ばれる医師の指示書を作成する動きが広まりつつあり、我が国においても、POLSTを含むACPの重要性が認識されつつある中で、厚生労働省を初め、ACPを円滑に行うための試みが始められているとしております。

10ページ目を見ていただけますでしょうか。「高齢者の意思決定支援」として、独居生活者、在宅、成年後見制度の3項目を取り上げております。独居生活者の意思決定支援については、ケア提供者がそれぞれの人生や価値観について、できる限り情報収集することが必須であり、一定の意思決定能力があるうちに何らかの意思決定支援の仕組みに取り込む必要があること。在宅での意思決定支援については、在宅医療に医師が関与する中で、医師や訪問看護師、介護職など他職種の関係者が連携し、その中で、家族も含めてACPを繰り返し行い、本人の意思決定支援を行うことが重要であることが述べられているほか、厚生労働省のこの会でございますが、人生における医療の決定プロセスに関するガイドラインは、これまで策定しているわけですが、主に病院を対象に議論された経緯があるため、在宅での意思決定にはうまく対応してないことが問題提起されています。また、成年後見制度に関しましては、少なくとも意思決定支援の方策ではないとして、なるべくその制度に頼ることなく、ACPのプランニングを進めていくことこそが重要としております。

11ページを見ていただけますでしょうか。ただいま申し上げましたACPの普及啓発に関する取組の一環ということになると思いますが、厚生労働省のガイドライン普及に向けた取組、そして、日本集中治療医学会の「DNAR指示のあり方についての勧告」を挙げ、それぞれ説明が加えられています。

12ページを見ていただけますでしょうか。QODの実現のためにも、高齢者に「私の心づもり」などの作成に対する啓発と、気軽に相談できる体制が必要であること。あわせて、今後の問題や周りの支援体制も含めて、ライフプランニングを行い、継続的に見直していくことが望ましいこと。高齢多死社会での量的対応を迫られる中では、地域でかかわる生活相談員や老人会役員などが、まとめ役として活躍することも求められることなど、終末期を心安らかに過ごす上でも、かかりつけ医の役割がますます重要になってくるとしております。

13ページを見ていただけますでしょうか。第III章は「終末期医療におけるケアの質」であります。

14ページが内容であります。まず、「本人の意思に反するケアは質の良いケアとはいえない」という基本を確認した上で、本人の意思に基づき、かつ本人の人生にとって最善となるケアを実現することの重要性を指摘しております。「また、終末期医療における意思決定支援の取り組みは、介護についても当てはまる」として、「ACPを通じて、高齢者の生活をより生きやすくするためのサービスの情報提供等を行い、本人の意思に基づき、かつ本人の人生にとって最善となるケアが現在以上に実現することが望まれる」としております。

15ページを見ていただけますでしょうか。緩和ケアが取り組む諸問題には、身体的問題のみならず、心理・社会的及びスピリチュアルな問題のほか、家族や、遺族になってからのグリーフ・ケアも含めて考えられるとしております。その上で、今後の緩和ケアのあり方として、がんについて言えば、初めから緩和ケアを導入し、疾患への対応とQOLをターゲットとするケアがあわせて行われるべきこと、また、高齢者の直近の治療選択に関するプロセスは、ACPのプロセスとあわせて包括的に進めることで、本人の今後の人生にとっての最善を目指すという見地で決められるものであることを示しております。

16ページを見ていただけますか。臨床宗教師が行うスピリチュアル・ケアや、宗教的ケアなどについての説明がなされた上で、我が国においては、緩和ケアを論ずる際に、身体的苦痛が中心となる場合が多かったが、今後は、宗教的ケア及びスピリチュアル・ケアの重要性も増すことが予想されるとしております。

17ページを見ていただけますでしょうか。終末期におけるケアの質の問題を考慮するには、ケアがどこで行われるかということも重要であるとした上で、在宅での生活や看取りに関しては、それが意思決定支援の結果としての本人の希望であり、その人生の最善と見込まれる限りは、住み慣れた環境でできるだけ生活を続けることを可能とするように努めるのが適切であるとしています。

 なお、本答申では、ACPにおけるかかりつけ医の重要性が提言されておりますことから、本会で実施しております日医かかりつけ医機能研修制度の研修内容の中に、ACPの意義や、かかりつけ医が地域で看取りを行うための技術力、あるいはコミュニケーション能力を高めるための内容などを新たに盛り込みたいと考えております。

 また、医療・介護の受け手となる住民の意識啓発も重要となりますので、今後、住民並びに医療関係者の意識啓発を目的としたパンフレットの作成を行い、医師会にも周知徹底を図ることとしております。

 以上でございます。

○樋口座長 ありがとうございました。

 続けて、資料2について、これは事務局から説明を伺いたいと思います。

○松岡在宅医療推進室長 それでは、資料2について説明させていただきます。「『人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン』における最近の動向」でございます。

 1ページをお開きいただければと思います。このガイドラインの「策定の背景」、それから「ガイドラインの概要」につきましては、もう皆様御承知のとおりだと思っておりますが、平成18年3月の富山県における事件が発端となり、19年にこのガイドラインができた次第でございます。また、26年には、「終末期医療の」というところを「人生の最終段階における医療の」と名称の変更をしております。

 「ガイドラインの概要」につきましては、この2つ、人生の最終段階における医療及びケアの在り方と、ケアの方針の決定手続について書いているところでございます。

 2ページは、その決定プロセスのイメージ図を書いているものでございます。これにつきましては詳細を省かせていただきます。

 最近の動向ということで、3ページ目以降、このガイドラインなどにつきまして、私ども、行政の中でお話をさせていただいているようなことにつきまして、資料を使いながら説明させていただきます。

 3ページは、中医協の医療と介護の連携に関する意見交換というものがございまして、そちらにおいて出された意見をまとめたものでございます。テーマの一つとして看取りが取り上げられており、その中で、赤で線を引いたようなお話がございます。

 2つ目の○、人生最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドラインがほとんど浸透していないことが問題である。しっかりと広報・啓発を図っていくことが今後必要であるという御意見がございました。

 また、下から3つ目の○でございますけれども、介護職は、利用者が急変した際、意思表示がなければ、まず救急車を呼ぶので、患者や家族の意思の確認が進むことが望まれる。その意思表示を連携する関係者が共有できる仕組みが必要であるというような意見がございました。

 また、下から2つ目、リビングウィルよりも、生前にかかりつけ医と十分話し合っていくことが重要であり強調するべきである。

 このような意見があった次第でございます。

 また、4ページ目でございます。これは中医協における議論でございまして、「看取りに関する課題と論点(案)」というものが示されております。課題はるるあるのでございますが、ガイドラインがなかなか浸透していないということや、あと在宅患者が入院したときの看取りについて、課題が出されております。

 論点のところでは何が書かれているかと申しますと、「患者や家族の希望に応じた看取りを推進する観点から、ガイドラインを参考に行われる医療等の提供方針の決定プロセスについて、診療報酬上の位置づけを検討してはどうか」「看取りについては様々な希望があることから、在宅で療養している患者が、在宅の主治医と病院との連携の下で、本人や家族の希望に基づき、最期を入院で看取った場合の評価を検討してはどうか」といった論点が出されているところです。

 また、介護報酬を議論する社保審の介護給付費分科会につきましては5ページになります。ここで、「ターミナルケアの充実について」という章立てで論点が出されております。端的に申し上げますと、ターミナルケアのさらなる充実に向けて、ガイドラインに沿った取組が行われるようにしてはどうかということでございます。

 「対応案」といたしまして、看取り期における本人・家族との十分な話し合いや訪問看護と他の介護関係者との連携を更に充実させる観点から、「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」等の内容に沿った取組を行うことを明示してはどうか」というような対応案が出されているところでございます。

 このように、診療報酬、介護報酬などの世界でも、ガイドラインの浸透を図るべく、いろいろな議論がなされているところでございます。

 私どもの認識としての現状と課題でございますが、6ページ目でございます。まず、人生の最終段階における医療につきましては、患者本人のこれまでの人生観や価値観等を、できるだけ把握し、繰り返し話し合い、家族や医療従事者等で共有することが重要である。人生の最終段階における医療での意思決定支援については、病院だけではなく、在宅の現場や介護施設等においても、更に推進する必要がある。一方、ガイドラインは、平成19年に作成された以降、内容の見直しはされていない。平成30年度医療・介護診療報酬改定において、ガイドラインの報酬における位置づけが検討されている。

 このようなことを受けまして、<論点>として、私どもとして提示させていただきたいのは、「患者本人の意向に沿った医療の実現に向けて、現行のガイドラインについて、現状と課題を踏まえ、更なる充実が必要ではないか」ということでございます。

 (検討事項例)といたしまして2つほど挙げてあります。「本人・家族、医療従事者等の間で、繰り返し話し合うことの重要性の記載」がなかなか読み取れないところがあるので、このようなことを強調するのは必要ではないかということ。これはACPの文脈の話でございます。また、「在宅の特性を踏まえたガイドラインの活用に向けた検討」をしてはどうかということでございます。これは日本医師会が先ほど御発表いただきました生命倫理懇談会の中でも指摘されている話でございますが、在宅におけるガイドラインの適用というものをもう少し図れるような書きぶりというものが必要ではないかと考えております。

 このほかいろいろな論点がございますでしょうが、今回はなかなか時間も少のうございますので、全面的な改稿は難しいと思っております。できるだけ必要な範囲で、一部改定のような形ができれば、事務局としてはありがたいなと思っているところでございます。

 以上であります。

○樋口座長 ありがとうございました。

 では、続けて資料3について、木澤さんより説明をお願いいたします。

○木澤構成員 よろしくお願いいたします。

 資料3は、資料3、参考資料3-1、参考資料3-2、参考資料3-3とありますが、まず参考資料3-1を出していただいて、資料3自体の説明をしようと思います。この資料は、パワーポイントとパンフレット、このブルーのものがありますけれども、こちらは連動して見ていただきたいと思っています。

 これらの資料は、これからの治療・ケアに関する話し合い、つまり、アドバンス・ケア・プランニングの国民啓発用につくっているものであります。パワーポイントのほうは、パワーポイントで配ることは想定しておりませんで、実際はウェブサイト連動になっていて、ウェブを進めながら見ていただくと、そのパンフレットに沿ってさまざまなことが行われるというような構成になっています。

 作成の意図は、アドバンス・ケア・プランニングを始めること、これからの治療やケアに関する話し合いを始めること、そして、人生の最終段階における医療やケアについて話し合うきっかけをつくること、そして、考えるために必要な医療やケアについて学べることというのが目的になっています。

 想定している利用者は、一応全ての人ということにしているのですが、主なターゲットは、健康成人、もしくは、病気療養中だが生命の危機に直面していない状況の方を想定して作成しています。で、誰と行うか、ということですけれども、1人でもできるし、家族とともにもできるし、医療従事者が医療現場で一緒にウェブサイトやパワーポイントを見ながらなど、さまざまな使い方ができると考えています。

 まず、このブルーのものとパワーポイントと両方見ていただきたいのですが、それぞれ説明していきます。ブルーのもの、ページを開いていただいて、見開きのイメージになりますが、ここに「これからの治療やケアについて話し合うことが大切な理由」というのが書かれています。アドバンス・ケア・プランニングは何であるとか、このような市民を対象とした結果があるというようなものになっています。

 これは実際ウェブサイトでいきますと、パワーポイントのほうを見ていただきたいのですけれども、目的が書かれていて、それをめくっていただきますと、なぜ話し合うことが大切かということを書いていて、アドバンス・ケア・プランニングは何か。調査の結果で、3%の人しか、詳しく話し合ったことがなくて、7割の人が、リビングウィルなどの考えに賛成だが、実際、話し合ってリビングウィルをつくっている人は3%しかいないというようなデータが出ているというのを説明します。

 パワーポイント、次めくっていただいて、7、8、9のところを見ていただきたいのですけれども、ここで実際のウェブサイト及びパワーポイントでは映像が流れます。5例の患者さん家族のストーリーが流れて、それに基づいて例示があって考えていくというパターンになっています。

 パワーポイントを流してもらっていいですか。

PP

 このような感じで進んでいきます。全て、一つ一つのところで、考えを促進させるためのビデオが流れていって、このようなケースについて考えていくというのがアドバンス・ケア・プランニングですよということがウェブで実際に進んでいくというつくりにしようと思っています。

 実際には5つのステップで進めていきます。済みません、またパンフレットのほうに戻って、これからはパンフレットベースに話をしようと思います。

 ステップ1が「考えてみましょう」ということで、「もし生きることができる時間が限られているとしたら、あなたにとって大切なことはどんなことですか?」という設問があります。そこに例が幾つか並んでいるのですけれども、ここでも実はビデオが用意されていまして、5人の患者さん、もしくは御家族、今出た方も含めてですけれども、のストーリーが流れて、それぞれ家族や友人であるとか、仕事や社会的な役割、できるだけの治療が受けられることなどなど、さまざまな価値観が述べられます。

 その後、自分自身について考えていただき、パンフレットの選択肢から選んでいただいたり、御自分自身が重体や危篤になったとき、もしくは御家族、御友人の病気などのときに、こんな最後だったらいいなあと思うような治療やケアはどんなことだったかとか、これは自分だったら嫌だなと思うような治療やケアは何かということを考えていただいて、実際書いていただくというワークをしていただこうと思っています。

 続いて右のページへ行って、3番は、「このような状態になったら、『生き続けることは大変かもしれない』と感じるとすれば、どんなことか」、4番は、もしそうなったらどんな治療やケアを受けたいかということを考えるというプロセスになっています。

 続いて、ステップ2の「信頼できる人は誰か考えてみましょう」というのがあります。これは簡単に言うと、医療代理人が誰になるかということを選んでいただくということですが、そういう言葉は使わず、小学校5年生に理解できるレベルということを考えてつくったので、「あなたが信頼していて、いざという時に、あなたの代理として受ける治療やケアなどについて話し合ってほしい人」は誰ですかという聞き方をしています。どんな人か、何をするのか、なぜ決めておく必要があるのかということを示しますが、これもビデオが作成されています。

 いろんな人が代理決定、つまり、医療代理人になるという、様々なパターンのビデオがつくってあります。それを見て頂いた上で、自分自身の医療代理人について考えてもらいます。右のページへ行きますと、あなたにとって信頼できて頼めそうな人は誰なのか書いてもらうということと、あと、その人にそのことを伝えているか伝えていないかということを聞いて、伝えていないなら伝えてみましょうという例示がされています。

 ステップ3、ここから先は、代理人とともに行うことを推奨しています。このステップは「主治医に質問してみましょう」というものになっています。ここは病気療養中でない方は省略しても良いこととしています。病気療養中の方は、これからの治療やケアについて知る、考えるためには、病状をある程度知っている必要があるというようなことが書いてありまして、説明を受けていますかということがまず最初にあって、さらに知っておきたいことがあれば下に書いてください、考えてみましょうという欄になっています。

 その下には、一般的にこんなことを知ることができますよということが書いてあります。2番目に、予想される経過や、余命について知りたいかどうかを考えるように構成されていて、なぜそのように考えたか理由を書いてみましょうというふうになっています。

 ステップ4は「話し合いましょう」ということで、もし治癒が不可能な病気にかかって、病状の悪化などにより、自分で考えたり周囲の人に自分の考えを伝えられなくなった場合に、自分だったらどんな治療やケアを受けたいか、そしてどんな場所でケアを受けたいかについて考えてもらうということにしています。

 延命を最も重視した治療、延命を伴った基本的、一般的内科治療、快適さを重視した治療という3つのパターンがあって、これについても映像を用意しています。それについてどれがいちばん自分の考えに近いかを書いていただくというふうにしていて、右の欄に行きますと、病状の悪化などによって自分が意思決定できなくなったときにどんな治療やケアを受けたいですかということで、してほしい治療やケア、そう考えた理由、してほしくない治療やケア、そう考えた理由を書いてもらう。そのような場合、どこで治療、ケアを受けたいかということを選ぶという構成になっています。

 ステップ5は、フレキシビリティというか、今まで考えてきたこと、話していることを医療代理人や医療従事者にどれだけ守ってほしいか。いざというときに、医療代理人にどれぐらい任せるかについて考えておいてくださいということを考えるようにできています。

 4つの選択肢で、私の望むとおりにしてほしい、基本としてある程度裁量してもらっていい、希望と違っても、医師と医療代理人に任せたい、どちらとも言えないという選択肢になっていて、具体的にどんな状況かということを書けるようにしてあります。

 また、最後に医療代理人と話すだけでは十分でなく、ほかの家族や知人、医療従事者にも、あなたの希望や考えを伝えておきましょうというメッセージを付けています。

 この資料はあくまでたたき台ですので、これからさまざま皆さんの御意見をいただいて内容を改善していきたいと思っていますし、また、この一連のプログラムを用いて、参考資料3-3を見ていただきたいのですけれども、1月21日に市民公開講座を1時半から4時15分、イイノホールで開催しまして、メインは、今の資材を使ったアドバンス・ケア・プランニングの啓発をしようと思っているのですけれども、実際に患者さん、そして医療従事者からも、講演で、アドバンス・ケア・プランニングをすることの意義であるとか、こういう実践をしているというようなことをお話しいただきながらやってみようということを考えています。その際には、このプログラムに関する御意見をいただいて、さらに改善を図っていきたいと思っています。

 以上です。

○樋口座長 ありがとうございました。

 ちょっと説明がたくさんになって申しわけありませんが、もう一つだけ、最後に、資料4について、事務局より説明を伺います。

○松岡在宅医療推進室長 それでは、資料4に基づきまして御説明させていただきます。「国民への普及啓発に関するこれまでの検討会における主な意見と論点」というペーパーがございます。

 今まで、皆様におかれましては御意見をいただいたわけでございまして、普及啓発に関する御意見ということで、今、参考資料4というものをつくっておるのでございますけれども、皆様からいただいた意見を議事録から抜き書きしてまとめてみたものです。これを事務局のほうで整理させていただきまして、4つの柱でまとめることができるのかなと考えて、今回、主な意見のまとめということをさせていただいております。

 1つは、普及啓発の対象をどうするのかという意見がございました。これは若いときや健康なときから話し合いを進めていく必要があるのではないかといった意見がございました。

 また、普及啓発の内容はどうするのかということで、例えばどう死ぬかというよりも、どうよりよく限られた時間を生きていくのかを考えるのが大切だとか、気軽に繰り返し話し合うことが必要であるとか、価値観や人生観を知ることが大事だというような話がございました。

 また、普及啓発の方法につきましては、下に書いてありますように、病気の人と健康な人を分けて介入を考えたほうがいいのではないかとか、地域で身近な人と話し合えるような環境をつくっていくことが必要ではないか。また、学校教育とか、医療職・福祉職等への教育をどのように進めていくのかというような話がございました。

 その他といたしまして、話し合った内容の共有とか継続した話し合い、書面の取扱いについて、どのように普及していくのがいいのか。また、ACPの普及のため、ACPの概念・理念を国民にわかりやすく、伝わりやすい言葉を検討する必要があるのではないかといった御意見もいただいております。

 これらをざっと見させていただきまして、論点は4つほどあるのかなと思っております。人生の最終段階だけではなく、若い方や健康な方を含む全世代の国民に対し、普及啓発を実施するということについてどのように考えるのか。人生の最終段階の医療に関心のない人、生死に関する議論をタブー視している人を含めて、地域で話し合いを進めるに当たってはどのように取り組むべきか。年齢や健康状態によって、普及の内容や方法で工夫すべき点はあるのか。また、医療・福祉・教育・行政での取組をどのように行っていくのか。その他、広く国民に普及啓発していくにあたり、検討しておくような事項はないのかというようなお話があるのかと思っております。

 これらの意見、論点などを下敷きにしていただきまして皆様で御議論いただき、今後の報告書に、国民への普及啓発を具体的にどのようにやっていくのかというようなことを報告できるような議論の一つの材料として提出させていただきたいと思いまして、今回このようなものをつくって提出させていただいた次第でございます。

 以上であります。

○樋口座長 ありがとうございました。

 ちょっと盛りだくさんで、なかなかと思いますけれども、これからはフリーなディスカッションに入りますが、一応4つの資料がありましたので、それを分けまして、まず松原さんから説明のあった資料1及び、事務局より説明があった、いわゆるプロセスガイドラインに関する論点、この資料1と資料2の部分について、しかし、部分といったって、結局、全体として一つの話なので、それにこだわらなくて結構ですが、一応司会としてはちょっと段取りというふうに考えてもらって、資料1と資料2を中心にして、まず自由にコメント、質問等をいただきたいと思いますが、いかがですか。

 どなたからもどうぞ。

 私、指名したりするということはできない人間なのですが、まず資料1は、委員の一人でもあるから、権丈先生、どうですか。

○権丈構成員 初めて参加させていただきます。権丈と申します。

 資料1ということで、私も、この日医の「生命倫理懇談会」のほうに入っておりまして、その観点も含めて発言させていただきますと、ACPというところに落ちついてきているというのは理解しておりますし、要するに、不確実性とか変化とか複雑性を伴う医療においては、この方法の次にはもう余り出てこないのかもしれないなとも思っております。

 そこで、私の中でどのようにして世の中にこのACPを伝えていくかということで、例えば日医の資料でしたらば9ページを見ていただきたいのですけれども、ここにリビングウィルとかPOLSTとかいうのが書かれております。POLSTは「POLSTを含むACPの重要性」と書かれているので、ベン図で書くとACPの中にPOLSTが入るのでしょうね。そして、リビングウィルというところも前のほうにありますけれども、私は、こういう資料で整理していく上で、横軸に時間軸をとってほしいのですね。横軸に時間軸をとって、何ゆえに、あるときからACPが前面に出てくるのか。そして、今までの議論、リビングウィルをどうしようよとか、いろんなそういう議論というのがどのようにしてACPに収れんしていくのか。そして、ACPに流れがずっと入ってくるといいますか、最後、川下のほうのところで流れがずっとACPに収れんしてくるように、横軸に時間軸をとったらできると思うのですけれども、そういう概念図みたいなものが1つあれば理解しやすいと常々思っております。

 そして、ACPの訳というところはなかなか難しくて、例えば日医の資料で「私の心づもり」という言葉がありますけれども、これだけでも結構きついものがあるのかなというのがあります。私は、まずACPという言葉を覚えようと言っています。その言葉の意味の理解はその次のステップでいいからというくらいのところで、今のところはいくしかないのかなと考えております。事務局への要望としては、先ほど述べましたように、横軸に時間をとった図を作ってもらいたいと思います。昭和62年からはじまった、これまで7回の検討会では出てきていないと思うのですね。どうしてこの段階からACPなのか。そして、ACPという内容を本当に理解すると、なるほどそれしかないよなというふうにわかるものだと私は思いますので、そういう説明の資料が1つあればと思いますので、よろしくお願いいたします。

○樋口座長 今の点について、いかがですか。事務局であれ、どなたであれ。

 清水さん、お願いします。

○清水構成員 ACPのお話で、今、先生がおっしゃったことに直接応じる発言にはならないかもしれませんけれども、私は、用語の整理を最初にしておく必要があると思うのですね。それで、私は、今は議題1、2の話ですけれども、資料3-1に言及させていただきますと、木澤先生がここでお出しになったACPの捉え方が、ACPとしては非常に基本的で、それが本来のACPだということを確認したほうがいいと思うのです。

 というのは、この日本医師会の生命倫理懇談会の答申を作るのに参加した後で思ったのですが、日本では現在、ACPという言葉が少し拡大解釈されているわけです。といいますのは、「ACP」の「A、アドバンス」というのは、本人が弱ってきて、意思表明できなくなったときのために予め考えておくという意味を込めてついています。アドバンス・ケア・プランニングだけでなく、アドバンス・ディレクティブも同様です。本来そういうものですので、それを超えた活動をするときに、それを「ACP」と呼んでいいものかどうか。

 これは下手にやりますと、国際的に「日本では厚労省中心にこういうことやっていますよ」というふうに、「ACP」という名前で発信しても、あちらの方にわかっていただけない。「そういう活動は国際的にはACPとは言いません」というお話になりかねませんので、例えば「人生の最終段階のためのケアプランニング」とか、何かそのような形で少し広げた話はしておく、つまり、「これから最後までのことをよく考えていきましょう」といったことは、「ACP」とは呼ばないでおくのがよいように思います。そして、本日木澤先生が、ソフトな形で国民に対する啓発事業としてなさるということでお出しになったようなものをACPとしておくのが、グローバルにも通じることになるわけです。その辺のところの用語を整理しながら、今、先生がおっしゃったような、では我々はこの部分についてはこういうことをするとか、ACPと、それからPOLSTに結びつくようなACPについてはこういうことをするとかいうふうにやっていったほうがいいのではないかというのがまず言いたいことです。

 以上です。

○樋口座長 ありがとうございました。ほかにいかがですか。

 どうぞ、木澤さん。

○木澤構成員 1つ同じところで意見をさせていただきますと、先ほど、9ページのところのACPPOLSTが入るのかということですけれども、これは多分、明らかに違うと考えられると思います。逆に言うと、ACPの結果として、患者さんの意向を酌んで医師がPOLSTを指示するというのが正しい使い方であって、アドバンス・ケア・プランニングの中にはPOLSTは入らないというのが一般的な考えかなと、もちろんアタッチメントはあるのですけれども、思っていて、患者の意向に従って、つまり、患者さんのアドバンス・ケア・プランニングの話し合いによって推定される患者さんの意向を、家族及び医療従事者が判断して、最終的に指示の形に落としたものがPOLSTという概念をしっかり持っていただくというのが大切だと思っています。

 ○清水構成員 ちょっといいですか。

○樋口座長 どうぞ。

○清水構成員 今、木澤先生が言ったことの気持ちはわかるのですけれども、例えばアメリカのPOLSTのサイトを見ると、まだ患者さんの終わりがそんなに近くないときには、ACPの成果物として、AD(事前指示)がある。終わりが相当近くなってきたときにはPOLSTACPの成果物となるとされています。ですから、成果物もACPの中に入れるのかどうかということはともかく、POLSTをつくるときには、そのACPのプロセスでPOLSTをつくるようにせよと明らかに考えられていますので、そういう意味では、ADPOLSTと並べて、まだ遠いときにはAD、近くなったらPOLSTというのは、アメリカの方式で私はこれに必ずしも全面的に賛成しているわけではありませんが、そういう言い方もあるのだということを押さえたほうがよいのではないかと思います。

○木澤構成員 そのとおりだと思います。

○樋口座長 ありがとうございます。いかがですか。ほかの点で結構ですから。

 どうぞお願いいたします。

○内田構成員 共同通信の内田です。

ACPから離れて、ちょっとガイドラインとの関係をお伺いしたいのですが、松原先生がご説明されたパワーポイントの資料で言うと10ページ、あるいは生命倫理懇談会答申で言えば16ページですが、厚生労働省のガイドラインは、主に病院を対象に議論された経緯があるため、在宅での意思決定にうまく対応していない難点があると。この本文のほうの16ページを読めば確かに書かれているのですけれども、可能ならばですけれども、日医さんの生命倫理懇談会の中で、では具体的に現行のガイドラインのどこの文言をこのようにしたらどうかというような議論まであったのでしょうか。あったのなら、どこをどうという議論が多かったのでしょうか。ちょっと教えていただければと思います。

○松原構成員 具体的な議論について、よく認識してないのですが、確かに、ガイドラインを読みますと、在宅の話よりも病院に偏って書いてあるような印象を受けています。そういったことのまとめとして書かれたのだと思います。

○樋口座長 今の点、私のほうが補足する立場にはないのですけれども、ガイドラインは題名自体が、そもそもが終末期医療の医療におけるプロセスという話になっていて、しかも、その当時、もう既に病院で亡くなるということが大部分。今だってそうでしょうけれども、だから、そういう状況を予定して、想定した上で書かれていたので、ここにある指摘のとおりだと思うのですね。

 在宅だけでなくて、この参考資料のどこかに出ていたと思いますが、少し介護施設で亡くなる例もありますね。ふえてきていますね。そちらのほうにもうまく対応しているかというと、それはやはり十分対応してない。だから、それを厚労省側としても、あるいは事務局側としても、後で論点というのが出てきたと思うのですけれども、このガイドライン、10年以上同じもので、題名だけ変えてやってきただけなので、少し再検討して、この会を使っていろいろ御意見を伺いたいということなので、内田さんを初めとして、こういうことを文言の上でも入れたらどうかということを後でむしろ提案していただくほうがありがたいのではないでしょうか。

 ほかの方でもどうぞ。

 齊藤さんですね。

○齊藤(克)構成員 在宅医療と、あと特養、グループホームの配置を長くしております。済みません。ちょっとずれてしまったり、とんちんかんかもしれないのですけれども、まさに松原先生の資料の10ページは私が毎日直面しているようなことで、現場としましては、本当に認知症の方がうんとふえている印象で、全く御本人の意思というのがわからない状態で、御家族の、余り介護もしたことのない方とか、そういう方の意見で決まっていくというところが、すごく日々問題というか、本当に毎日困っているというところで、やはり独居、在宅施設でのそういう、本当に健康なうちから、おばあちゃんはこういうのは絶対しないと言っていたというその一言でもあった方は、大分御家族がそれに沿って、まだましというか、動けるのですけれども、そうでない方が多いので、ここが、どうしたらというところまで今言えないですけれども、必要だなと思います。

 済みません。意見みたいになってしまって。

○樋口座長 わかりました。

 紅谷さん、どうぞ。

○紅谷構成員 地域医療、在宅医療の現場の実感というところでちょっとお話しさせていただきたいなと思うのですけれども、このガイドラインを見たときに、登場人物が患者と医療従事者というのが既に病院というセッティングだと認識しています。在宅では、医者が行くときは患者になりますけれども、それ以外は生活者として家にいらっしゃるので、そこがそもそもこのガイドラインの文言として病院を意識されているなということは感じています。

 在宅医療の現場に行く前に、患者になる前の生活者としてのこういう意思を表出しておくということの必要性に関しては、松原先生の御発表であったような、12ページに書いてあるような、かかりつけ医の役割として、かかりつけ医によるACPですとか、第二成人式ですとか、老人会役員や生活相談員がまとめ役になるのもあるのではないかというのは、地域の日常生活者として扱う上では難しいかもしれませんが、非常に重要なポイントだなと思って伺っていました。

 私たちの現場でも、独居の認知症の患者さんが、危険性はありますが、一人で地域で暮らしたいと決めたときに、民生委員さんたちが協力しながら支えている事例というのはよくありますので、そういった意味でも、ガイドラインが医療従事者だけのものにならずに、例えば老人会の役員の方とか公民館の方、地区社協の方とか、あとは宗教家ですとか、そういう方も同じように利用してやりとりができる文言になっていくといいのではないかなと思いました。

 在宅医療の現場としましてはどういうときに話し合いができるかなと考えると、やはりみんなが集まる場といえば介護保険の更新のカンファレンスなどがあって、そういうときに意思決定のことを話すというのは非常に重要かなと思う一方で、我々医師に対して表出してくださる患者さんもいますが、私たちに余り話さずに介護職員に多く話している患者さんもいることを考えますと、医療が主導で介護は補助というような形ではないなというのはすごく感じるので、ここをどこまでフラットに話ができる仕組みになるかが大事かなと思います。

 それと、根本的なところかもしれませんが、意思決定支援といいながら、決定することが目的ではなくなってきているなあと思っていて、やはり大事なのは、表出ができること、それから、意思の表出が変化しても、それを繰り返し表出できるということかなと思うと、むしろ繰り返される意思表出支援といいますか、決定支援なのかどうかというところもちょっと大事なポイント。きょうの議論も、決定することで動かせるという意味で決定支援というポイントはあると思うのですが、それ以前の表出支援の部分の議論とちょっと一緒になって論じられているような気がします。

 あともう一つ、意思がはっきりしない方の場合に、専門職による委員会というような話も資料2なんかで出てきていますけれども、これも同じ理由で、生活者としての意思であるならば、医療専門職が集まって委員会を立ち上げるということ自体には少し、それで本当にいいのかどうかということを議論する必要性があるかなと。例えば地域の方なのか、倫理の専門家なのか、そこはどう考えるかわからないですけれども、そういう部分を考える必要があるのと、どうしても医療現場では意思がはっきりしない人に関しては救命を一生懸命しましょうというような方向性が今までありましたけれども、ひょっとすると、国民が望んでいるアンケート、年齢によってはこれ以上望まない人のほうが多くなる率が高い年齢層になった場合は、わからない場合はどちらをとるかというところもフラットに話をもう一度スタートするべきではないかとも感じました。

 済みません。いろいろ言いましたが、以上です。

○樋口座長 ありがとうございました。ほかにいかがでしょうか。

○金子構成員 金子でございます。

 紅谷先生の意思表示支援というのはまさに同感でして、最終的にこの医療を受けますと決定しなければ進まないのですけれども、決定させるように周りが仕向けると言いますか、そのようなことがあるという話を患者さんとか御家族から私もたびたび聞いておりますので、意思決定支援という言葉の「決定」部分には、非常に敏感になっています。

 それで、患者・家族の立場から言わせていただきますと、繰り返し何度も申し上げてしまいますが、医療職の方、お医者さんとか看護師さんというのはやはり情報をたくさん持っていますので、基本的にそこが病院であろうが在宅であろうが、患者さんは先生に命をお預けしますという、要は受け身の姿勢になっていると思うのです。ですので、ACPを進める上では、自分の意見を表明していい、それでみんなが話し合って医療を決めていくという前提があるのだよということをまず伝えなければいけない。ここが一番難しいところだと思うのですけれども、患者さんも自分の意思を自由に表明していいんだよというような雰囲気を、その場でつくることも大切だと思います。

 そう考えますと、非常に失礼な言い方ではありますが、ACPを医療職が主導していくというのはその段階でもう既にして、患者さんによっては権力関係にある上の立場の人からの“指導”あるいは“指示”のようなものになってしまうと思うのです。そうではなく、むしろ先ほど紅谷先生がおっしゃったように、相談支援員とか介護職員のような、自分にちょっと近いかなと患者さんが感じられるような方、あるいは近所の方とか、町内会の方とか、そのような、もう少し周囲の方の御協力も必要なのかなと思いました。

 

○樋口座長 ありがとうございます。

 横田さん、お願いします。

○横田構成員 この資料2の2ページ目のところで非常にうまく整理されて書かれているのですが、今までの議論のまさにそのとおりです。特に私は救急や集中治療の現場にいる中で常日ごろ感じるのは、患者さん、あるいは患者さんの家族の方々の気持ち、心というのは常に揺れている、変動しているのですね。入院の当初の、できるだけのことはやってくださいと仰る家族の中でも、治療の限界が見えてきたときに、また違う判断を家族はしてきます。あるいは逆のパターンもあります。最初は、つらいことはしないでくださいという中で、治療していく中で救命できる可能性が出てきた場合、積極的な治療を希望してくる場合もありますということで、そもそも患者さんの家族や、もちろん意識のある患者さんもそうだと思うのですが、常に心は揺れているというのがまず前提にあると思うのですね。

 先程の議論、まさにそのように聞いていたのですけれども、この2ページの一番右の矢印の最終段階のところで、「人生の最終段階における医療とケアの方針決定」、方針決定もその支援の一つであって、揺れる心を受けとめることも支援の一つだと思うのです。ですから、あえてここは「方針決定」とはせずに、例えば「人生の最終段階における医療とケア」ということにすべきではないと思います。すなわち、いろいろ揺れ動く気持ちに対する心のケアもあると思いますので、私はそのように考えています。

 以上です。

○樋口座長 ありがとうございます。

 権丈さん、どうぞ。

○権丈構成員 日医がきょう提出しております「超高齢社会と終末期医療」の19ページをごらんになっていただきたいのですけれども、ここで「表1 かかりつけ医の定義」というのがございまして、「なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時に専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師」。その下のほうの2つ目のマルのところになってきますと、「自己の診療時間外も患者にとって最善の医療が継続されるよう、地域の医師、医療機関等と必要な情報を共有し、お互いに協力して休日や夜間も患者に対応できる」というところとか、マルの1つ目のところ、「患者の生活背景を把握し、適切な診療及び保健指導を行い」というところがあるわけですけれども、こうしたかかりつけ医がいないことにはACPはできないと思うのですね。

 ところが、現実問題として、今、かかりつけ医というのはこういうものですよと、そして、こういう役割を果たすことが必要なのですよというのを日医が研修でやっている段階だと私は認識しているわけですけれども、そして、2013年の社会保障制度国民会議のときに、かかりつけ医という言葉を使うのですが、そこは1回目に登場するときに「かかりつけ医(診療所の医師)」と書いているのですね。せいぜい広げても民間中小の医師だろうなと。大学の医師をかかりつけ医とするということはあり得ないわけです。そういう意味で、ACPと関連するかかりつけ医の整備というような議論は、これは進めていく必要がある。と同時に、ただ、ここでの会議が国民への普及啓発となっているわけですけれども、先ほど松原先生のほうからも話がありましたように、日医の研修の中で、ACPとかを加えて、これから終末期のあり方、そしてQODという、死に向かう医療の質を高めるためには、ここに書いてある意味でのかかりつけ医が必要であるというようなことを研修でやっていく必要があるわけです。つまり、国民への普及啓発というところに特化する以前のところの提供者側に対する啓発というのもまだ、「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」に関してはおそらく昔とは随分違って普及してきているだろうけれども、ACPというコンセプトが出てきて、そして、かかりつけ医というのは本当はこういう役割なのだよと確定していくのが、そう遠い昔の話ではないんですね。ここの「かかりつけ医の定義」だったら、2013年の8月8日に四病院団体と日医が合同提言として出してくるわけですけれども、このあたりの考え方というのは、しっかりとこれから先、国民のみならず、提供者側のほうにも情報発信していく必要があるのではないかと思っております。

○樋口座長 どうぞ、高砂さん。

○高砂構成員 資料2の5ページのところで、これから訪問看護の中でもこのガイドラインというのを再度確認してというような内容が出ていますのでガイドラインのことについて少しお話しいたしますと、在宅では、先ほど来お話が出たように、繰り返すとか、判断をサポートするというのがとても大事で、御利用者の方の気持ちをいろんな人たちがつないでいくと思うのですね。だから、そういう在宅の状況の内容を少し加えていただくと私たちも参考にしやすいのかなと思うのと、それと、複数の専門家からなる委員会の設置というのがガイドラインに出てきますので、そういうのが具体的に地域の中ではどんなところが対象になるかというと、退院時カンファレンスであったり、利用者のおうちでのカンファレンスであったり、ただ、相談窓口として委員会などというものがどこかにできるのであれば、そういうものも検討していただけるといいかなあと思います。

 あともう一つ、木澤先生のこれ、とても素敵なのができているなあと思います。一般の方たちと今後どのように過ごすかというと、なれてくると質問がどんどんふえてくるのですね。治療のことであるとは思うのですけれども、利用者や家族にとっては、どんな生活が送れるかというところでは、どんなサイトを見るとそういう情報が載っているかとかそういうことも、せっかくの機会ですし、一緒に少し載せていただけるといいかなと思います。

○樋口座長 ありがとうございました。

 ちょっといいですか。ちょっと先走っているかもしれないですが、高砂さんがもう資料3のところへ行ってくださったので、話としては全部結局同じ話になっているので、後で幾らでも前に戻っていただいていいので、一応資料3。

○高砂構成員 失礼いたしました。

○樋口座長 いやいや、いいのです。ありがたいのです。資料3についていかがでしょうかと。それで、今、手を上げられた方が別のことでというので全然構いませんが、まず、木澤さん、その次に木村さん、どうぞ。

○木澤構成員 済みません。前に戻っていいですか。

 私のところにももちろんかかわるのですけれども、ガイドラインについて一番思っていることと、あと皆さんがおっしゃっていることで1つ気になることがあって、私は、アドバンス・ケア・プランニングは、特に最初の段階では、医療従事者主導よりは、やはり御本人、つまり、市民と医療代理人の間で行われるのが一番自発的でいいだろうと思っています。というのは、啓発が進めば、医療従事者がリードするのではなく、自分自身がそうなったらどうするかということを考えるということが第一に必要で、それは医療従事者に話すのではなくて、やはり自分の大切な人と十分に話し合っておくということが一番に啓発されるべきだろう。それは生活の中で行われるものなので、医療主導であるべきではないと私は思っているので、可能であれば、このガイドラインの中に代理人を書き込んでもらいたいと強く思います。やはり医療従事者が主な人ではなくて、医療代理人と市民が話し合っておくことによって初めてアドバンス・ケア・プランニングが生きるというのが今までのエビデンスなので、それをしない限り、幾ら医療従事者がはっちゃきになっても何もアウトカムは変わらないと信じています。

 なので、私は、ガイドラインの肝は、代理人を何らかの形で書き込むということでないのかなと。あと役割であるとか。それをしていただくと、市民啓発によってシステマティックな介入ができるのではないかと思っています。

○樋口座長 ありがとうございました。

 どうぞ。

○木村構成員 全日病の木村です。

 例えば資料2の2ページにあるようなこの図ですけれども、先ほど横田先生がおっしゃったように、患者さんとか家族は非常に揺れ動いているというか、考え方、変わっていくのですね。その状況、状況において。ですから、このイメージでもいいですけれども、こういうことは、一回決まったらオーケーというわけでなくて、例えば在宅で、おうちで、かかりつけ医であったり、いろんな、特別養護老人ホームとかそういうところで、一旦そういうことを決めたとしても、入院してくるとまた変わってくるということがあるので、もちろんこの2ページのようなイメージ図は何回も繰り返されて行われると考えていかなければいけないのではないか。一回決まったらもうそれでおしまいでなくて、入院したときに、実はこの家族は、要するに、人工呼吸だとか、望みませんと。保存的にやってほしいというようなことを、かかりつけ医から言われたとしても、実際に来て話し合ってみると、それだったらもうちょっとやってほしいとか、いろいろ言うわけですね。実際に言われた介護施設などでは、入所したときに、医療関係者でない人が、とにかく入所の書類として1つ、定型的に渡して、延命治療は望みませんなんて、丸をつけてきたりして。ではその延命治療って何ですかと家族に聞くと、何だかわからないけれども言われたから丸つけましたみたいなことになっているので、このイメージは確かにすばらしいのですけれども、これを何回も繰り返しやるということが一番大切だなと思っております。

○樋口座長 ありがとうございます。

 どうぞ。

○斎藤(幸)構成員 日本難病疾病団体協議会の斎藤と申します。よろしくお願いします。

 私どもの団体は、人工呼吸器を装着していたり、大変困難な治療を日々行っている患者さんが数多くおります。そういう人は、その治療が、今回の議題になっております人生の最終段階における医療ではないということは十分自覚しておりますので、この検討会はその方達の装置の装着を対象にしているのではないことを前提としてお話しさせていただきたいと思います。

 私どもに参加している患者さんとか、地域の人たちを見ておりますと、まず、最終段階の医療がどういうものなのかというイメージが全くつかめてない場合が多いと思います。これは疾病によってさまざまですし、入院先によっても違うと思いますが、患者団体としては、自分の病気をしっかり知ろう、治療方法もしっかり知ろうというのを大きな目標としているので、どのような医療かを知ることが、第一段階かなと私は思っております。

 それから、先ほど木澤先生がおっしゃいました医療の代理人、私は大賛成でございます。と申しますのは、厚労省の資料2の4ページのところに、【論点(案)】として「患者や家族の希望」と書かれておりますが、家族「等」という言葉を入れてくれたらいいかなと思っていました。今、地域では、高齢者のひとり暮らしが非常にふえてきております。恐らく、先生方皆さん御存じだと思いますが、ある地域では、高齢者の中で3分の1の人が単身で暮らしている。その中で病気を持っている方もいる。それから、家族は非常に遠い。あるいは家族を持たないで高齢になったという人が本当にふえております。

 現実に私の身近でもあった事例ですが、今、入院中ですが、いわゆる植物状態になっていて、誰が意思決定をするのかというと、その方は親しい友人にそれを全部委ねていたということですので、今、その友人と病院と話し合いながら治療を進めていると伺っております。

 そういうことを考えますと、どのぐらい広げていいかは別といたしまして、木澤先生の御指摘のような文言か、あるいは、ここに「家族等」を入れてごまかすかというのも含めて、少し何か余裕があったほうがいいと、思います。

 以上でございます。

○樋口座長 ガイドラインの文章の中には、実は「家族等」にはなっているのです。しかし、特に独居の人が多いようなことが今後一層予想されるので、そういうことに対応した、もう少し明確なものを出すのもあるかもしれませんね。

 それで、ちょっとさっき言ったように、限られた時間ですので、一応資料3の木澤さんの説明について、非常にインプレッシブなプレゼンテーションだったと思いますが、コメントないし、何かありましたらお願いしたいと思いますが。

 どうぞ、清水さん。

○清水構成員 発言が3回目になると「居候がそっと出し」みたいな感じになってしまうのですけれども、先ほど木澤先生がお出しになったことをめぐって、アドバンス・ケア・プランニングとしてはこの範囲が適切だと申しましたけれども、もう一点申し上げると、アメリカでの系統で、アドバンス・ケア・プランニングとか事前指示、アドバンス・ディレクティブとかいうところを見てみますと、それ(リビング・ウィルと代理人指名)しか出てこないのですね。けれども、イギリス系は、イギリスだけでなくて、例えば私はニュージーランドなんかも見ましたけれども、要するにイギリス系の諸国では、アドバンス・ケア・プランニングは確かに本人が意思表明できなくなったときのための準備ですけれども、事前指示に該当する部分というのは必ずしも積極的に「書け、書け」とは言わないで、「必要を感じた人は書きましょう」という程度です。で、その前に「アドバンス・ステートメント」という項目があって、これはもっと自由なのですよ。先ほど紅谷さんなんかがおっしゃった、自分の希望を表明するとか、例えば自分がそういう状態になったときでも、「毎日、お三時の時間には庭に連れ出してキャラメルを1つなめさせてよ」とか、そんな感じの希望でもいいようなのですね。

 そのようなことをアドバンス・ステートメントとして、話し合いを通して御本人に自由に、いろいろ「こうしてほしい、ああしてほしい」ということを言っていただくというようなことがありまして、それがあって、その上で、イギリス系では、「アドバンス・ディレクティブ」と言わないで、「アドバンス・ディシジョン」というのがリビングウィルに当たりますけれども、「生命維持をしないということを表明したい人はどうぞ」といった程度の位置づけなのです。そういう意味で、アドバンス・ステートメントの比重が大きいというところは、これは日本でも参考にすべきことではないかと思うのですね。

 そして、私たちが現場で考えていますと、「心肺停止のときになったら蘇生しますか」なんていうことは、ご本人は別に特に言いたいことでなくて、むしろ、生活上のことでいろいろ「このようにして欲しい」、「こういうものがちょっと食べたい」とか、こうしたことを前面に出すように変えていくといいのではないかというのが私の意見です。

○樋口座長 ありがとうございました。ほかにいかがですか。

○早坂構成員 今の清水先生の御意見に本当に賛同するのですが、人生最終段階で、人にとって、医療はワン・オブ・ゼムであって、人生最終段階の生き方が一番、考えて患者さんに表出してほしいことかなと確かに思います。患者さんは、例えば何とかペットと一緒にいたいとか、医療とは余り関係ないところをすごく大切に想っていて、何がされたいですかと聞くと、おっしゃったりするので、ここの検討会の題名も「人生最終段階における生き方・医療」みたいな形にしてくださるほうが、市民側からすると、自分のものという感じがするような気がするのですね。医療だと、さっき金子さんもおっしゃったように、やはり受け身にならざるを得なくて、どうしても偉いお医者さんたちが私たちのためによく頑張ってくださっているみたいなものに見えてしまうのですが、生き方と言うと、自分が考えなければいけないことだというふうにちょっとニュアンスが違ってくるかと思います。ただ、この検討会は医政局でやっていることなので題名を変えるとかそういうことは難しいと思います、ニュアンスとしてはもうちょっと、意思の表示は私が伝えたいこと、私が大事にしたいことがまず一番みたいな感じで、フリーな部分があるほうがバラエティに富むし、この方が何にこだわりたいのか何が大事なのかというのは、「人工呼吸器つけますか」よりもはるかに、ソーシャルワーカーとしては、支援の中で大事になってくる要素かなと思います。

 以上です。

○樋口座長 ありがとうございます。ほかにいかがですか。

 内田さん、どうぞ。

○内田構成員 今の早坂さんの御指摘、とても大事だとは思うのですけれども、今おっしゃったのはACPの普及ということとガイドラインがちょっと混ざっているかなと思いました。私の立場で言うのも何ですけれども、率直に言うと、このガイドラインに人生のあり方とか、これは国がつくるガイドラインで、生き方、あり方なんか、私などはそのようなガイドラインを国に決めていただきたくないので、やはり医療提供者ないしは介護のサービスの提供者を縛るものとしてのガイドラインという位置づけははっきりさせて、ACPの普及ということと、ガイドラインとは、切り離したほうがいいと思います。

○樋口座長 松原さん、どうぞ。

○松原構成員 先ほどの話を聞いていて思ったのが、私自身が在宅をやっていて、かかりつけ医として看取るときに、先ほどの先生方の御意見のとおり、その人も家族もみんな、時間的に心が変動します。変化して、最初と最後のときには違ってきます。考えて思うことと、実際に直面して、自分がどうしなければいけないということは、恐らくかなり差があって、難しいと思います。

 それと同時に、実際に在宅で最後に看取りますと、ほとんど見たこともないような家族が最後にやってきて、大変批判されます。何で入院させないのだと言われたり、その人の介護を一回もしたことない人がいろんな意見をおっしゃるときに大変当惑するのですが、かかりつけ医としては、いろんなことをその本人、あるいは家族と議論してないと実際に最後看取れません。本人の意見と違うことを言われても、声の大きい人に引っ張られてしまう家族もいらっしゃいます。

 そういった現状から考えて、先ほどの医療についての代理人というのは、私はすばらしい考え方だと思っています。代理人に関しては、ある日はこの人に、ちょっとしたら別の人にと、極めて置きにくくて、その方といろんな話をした上でお願いしようということを恐らく決められると思いますし、その変動の少なさ、あるいは変動に対しての時間的な経緯に対してのブロックとしては、やはりこの医療代理人というのは医療を供給する者としては非常に話しやすい。

 そこにおいて大事なことは、御本人と代理人とがしっかりと準備していただくということで、その中で、このACPの仕組みの中でそれをやっていただくということは非常に価値があることだと思いますので、その前提となる医療代理人が決めるというやり方については、私は非常によいと思っています。

○樋口座長 今、資料3を中心にということにしているのですけれども、木澤さん、何か補足。

○木澤構成員 作成の過程で一番悩みましたのが層別化です。つまり、どういうことかといいますと、健康成人に対するACPと生命の危険がある病気に直面している方がするACPは全く違うつくり込みが必要なのです。今回の資料はどちらかというと健康成人が考えるということを想定しています。

 もし今後やるとすると、一般啓発は、あくまで私の考えですが、健康成人を対象として、人生の最終段階について考えてもらって、医療代理人を選定し、人生の最終段階における医療とケアについて医療代理人と一緒に考えておくというキャンペーンをまずやるべきだと思います。病気について、例えば詳しい病気の情報を、健康のうちからあらゆる病気の情報を知っておくということは普通はしないし、興味がないと思いますので、もちろん、知りたい人は知れるようにしておいていいと思うのですけれども、病気の人に対しては、その状況に応じて、病気に特異的なアドバンス・ケア・プランニングを医療従事者が提供するという仕組みにしていったほうが、そこに例えば、その話し合いの結果としてPOLSTとかそういうのも入っていくのでしょうけれども、このように二段構えで考えたほうがいいだろうと思っています。国民啓発は最初の健康成人及び、病気にかかっていても、例えば高血圧、糖尿病などでかかっていて、そんなに差し迫った状態ではないけれども考えておこうみたいなところにターゲットしていくのが最も効率的、効果的ではないかと考えています。

○樋口座長 ちょっと簡単なことで幾つか質問していいですか。

 この資料3-2というのがウェブサイト上でこういうのを見ることができるのですね。これはもう既に公開されているのですか。

○木澤構成員 いや、していません。内容について担保していただいてからウェブに載せようと思っていまして、今、このコンテンツをこの1年間一生懸命つくってきた状況です。

○樋口座長 でも、関連してですけれども、私なんかも、先ほどちょっとだけ見せていただいて、ああいう動画が入っていると、こういうのを見ているだけとはやはり印象が違いますよね。非常にわかりやすくてはっきりしていてという。それが幾つかのストーリーがあって、しかも現実にどんな人にも起こり得るような話が出てきて、その上でという話になると本当にいいと思うのですけれども、これ全体としてどのぐらいの時間で見られるようなものを企画しているのですか。

○木澤構成員 大変長くて申しわけないのですけれども、30分かかってしまうのです。全部やると。それを長いととるか短いととるかですけれども、30分以内でないと、多分、実行不可能だろうと思って何とか30分にはしたのですけれども、それがギリギリの状態です。今ウェブサイトの会社と相談しているのですけれども、自分の名前なり何なり、個人識別子を入れて、途中でとめられるようにしようかなと思っているのです。そこから再生とか、記録が残されて、後でプリントアウトできるとか、そういうことができないかというのを今考えているところです。

○樋口座長 ありがとうございます。私がタイムキーパーなので、次に資料4というのをもう一回出していただけますか。一枚書きですね。これはこれまでこの検討会で皆様がいろいろな御意見を出してくださったものを4点にまとめた上で、次のような論点についてはどうでしょうかということで事務局が用意してくれたものです。

 それで、論点の1つ目を見ると、この検討会自体が「人生の最終段階」とまず銘打っているのに、「人生の最終段階だけでなく」というので、だから、論点を広げて構わないよということですから、どういうところでもいいですけれども、この資料4について、今後、今日だけでなくて議論を進めていきたいということなので、もう少しこれについて、今日の会議だけではどのみち終わらないような話だと思いますけれども、御意見を伺いたいと思いますが、いかがですか。

○権丈構成員 資料4に限定した話かどうかわからないのですけれども、先ほど私は、こういう問題、この対応の仕方というのはACPに収れんして落ちついていくのかなという話をしました。そして、先ほど松原先生のほうから、看取りのいろんなところでは、最終段階になってくると、見たこともない親戚がというような話があったりしました。この話はいつも終末期医療の在り方の問題として出てくるところで、遠くに住んでいる親戚みたいなところで、このACPという概念が、これから先、資料4の下のほうで、理念、国民にわかりやすく伝えていくというところの一つのポイントでして、先ほど木村先生のほうからも話がありましたように、本人と信頼関係のある身近な家族、そして医療関係者が繰り返し行っていくのだということ、この繰り返しということ、そして、身近な家族と医療関係者がみんなでやっていくのだというのが重要なポイントで、それがACPなのであるということを遠くに住んでいる親戚が理解しておけば、かなりその問題は緩和できるのではないか。

 だから国民全員が、このACPというものは、本人と身近な家族と医療関係者が長期間にわたって信頼関係ができる関係の中で繰り返し行ってきた一つの結論がこうなのだということを、これは自分を含めて、みんながいつ遠くの親戚になるかもわからないわけですから、全員がACPを理解しておくということは極めて重要なことだと思います。そういうことで、わかりやすく伝えていくときにはやはり信頼できる、そして、QODという言葉がこの中でもありますけれども、死に向かう段階での医療の質を高めていくための一つのこのACPというものはそういうものなのだということを繰り返し、これから先、論じていただければと思っております。

○樋口座長 今のお話は、ACPに参加するような人、もちろん、排除するわけではないのだけれども、今まで関与してこなかった家族等が最後になってぱっとやってきて、何だかんだというような枠組みではないのですよということですよね。

○権丈構成員 そうですね。その方がACPを理解していたらば言わなくなるのではないかと。

○樋口座長 そうですね。もう一点、論点の1つ目のところでは「人生の最終段階だけでなく、若い方や健康な方を含む全世代の国民に」と。だから、これが清水さんもおっしゃっていたようなACPという概念を非常に薄めてしまうのではないかというような議論も今日は出てきているのですが、この点だけでなくていいのですけれども、もう少し御意見を伺いたいような感じもあるのですね。我々も、結果だけを求めているわけでもなくてあれですけれども、最終的に何らかの報告書をまとめるときに、どこへ焦点を当てるかというのは非常に重要なことなので、ということもあってちょっとお聞きしたいのです。

 木澤さんからは、前の報告のときにも、ACPや何かは、健康なというか、若い人にやるのはいいのだけれども、余り効果はないというような話もあるので、もう少し範囲を限定してというほうがいいのか。でも、他方で、私もちょっと別のところへ書いているというか、人が言っていることをただ写しているだけですけれども、日本は特に超高齢社会になってきて、高齢者と呼ばれる時代が長いわけですね。そうすると、死に方という話でなくて、まさに生き方のプランニングがやはりある一定の年齢からは必要で、若いというのをどの程度に言うのかもわからないのですけれども、そういうことだって考えて、それがここのテーマなのかどうかというのはちょっとまた別の問題かもしれないのですけれども、一般的に若い人や健康な人だって、いずれは病気にもなれば高齢化もしますしね。だから、普及啓発という、ACPとは何かみたいなことはわかっていたほうがいいかなという気もしないではない。いかがですか、私が今ぼやぼや言っているようなことについては。

○齊藤(克)構成員 リハビリの病院もやっていますので、若い方の脳挫傷とか、頸損とかの方を見るのですけれども、本当にそれは突然ある日やってきて、最近特に、その方たちを10年以上見ている奥さん方の話があって、そのときは突然やってきたので、とにかく助けてださい、命を助けてくださいと言ったのだけれども、10年たってみると、本当にそれがよかったかどうかわからないというお話をたまたま別の方から聞いて、そうよねというので聞いたのですけれども、なので、元気なときに、何かがあったらどうするということは聞いていて当然のことなのではないかなと思いました。

○樋口座長 どうぞ。

○斎藤(幸)構成員 日本難病・疾病団体協議会の斎藤です。

 私は、仕事で教育のほうに携わっていたことがあります。学校教育の中でも、死に関してはほとんど触れられない、タブー視されてきております。そのクラスにたまたま病気のお子さんがいたときに、先生が、そのお子さんのことをフォローするような形で、死とは違うけれども、病気のことをお話しすることはあります。でも、ほとんどの場合、触れられていません。家族の中も、核家族化が進んでいくと、実際に家庭で亡くなるおじいちゃん、おばあちゃんを見ることのない子供たちが多いということがあります。、そこにいきなり人生の最終段階と言うと、唐突過ぎるなという感じがします。やはり死についてもう少し語ろうよというところがまず第一かなと思います。

 それから、小さなときから難病等で苦しんでいるお子さんたちに人生の最終段階という表現は、当てはまらず、一定の年齢が来ないと、この表現は違うなと思っているので、死をどうするかという程度のところから入っていったほうが私はスムーズと思っています。

○樋口座長 どうぞ。

○松原構成員 一番最初のときにも申し上げたのですけれども、幅広く広くとると、いろんなことを考えていろんな対応をしなければいけなくて、結局、最終的にまとまりにくい、あるいは効果がないものになってしまうので、今現実に我が国が直面している、ある一定のお年を召したら間違いなく死がやってくるような段階を見据えて、それに対して十分な対応ができるようにということに特化してやらないと、病気の人もいつまで生きるかもわからない、そういう方たちに、人生最終段階はどうだこうだといっても、恐らくむしろ失礼に当たるのかもしれませんし、広げれば広げるほどややこしくなる上に、日医の話の中でも、自分で死にたい人の話、これは対象にしないというのを一番最初に区切りを切って、海外の法律の話とは別個にやるのだということを前提にしていますので、そういった話や、それから難病で今苦しんでいる方々に、では人生最終段階どうしたらいいのですかというのは大変失礼な話になるので、そういった話を切り離して、一定の、間違いなく年齢高くなって、誰しも終わらざるを得ない時期に来たときにどうするかということに集約して議論しないとより適切な回答が出ないのではないかということと、厚生労働省さんがどう考えておられるかわからないですけれども、「人生の最終段階における」というこの冠が乗っているのだから、そこで考えていったほうがより適切なものが出るのではないかと思います。

○樋口座長 どうぞ。

○川平構成員 宮崎市の川平でございます。

 宮崎市では、前回報告いたしましたとおり、「わたしの想いをつなぐノート」の普及を行っておりまして、木澤先生が今から実践されようとしてますACPの方法とほぼ近いなと思いながら説明を聞かせていただきました。

 ただ1つ違うのが、医療代理人という人を最初には決めないことです。あなたはどのように生きたいですかとか、どのように最後を迎えたいですかということで、その時に望む医療等を聞いていきます。そして、最後に主治医とか代理人のお名前を聞いていきます。本当に代理人という役割は大事だとは思いますが、ひとり世帯が増える中、なかなか決め切れない人も多くなると思います。先生の資料の中でも、「決められない人もいる」という場面もあったと思いますが、そこをどうするのかも大事なことかと思います。

 宮崎市の「わたしの想いをつなぐノート」の中にも代理人の欄があるのですが、名前を書いていても、その代理人本人が知らないこともありまして、えっ、自分が代理人だったんだというのをそのときに初めて知るということもあったようです。そこで、今ちょっと内容を変えようとしているのですけれども、新しいものには、代理人にちゃんと了解をもらいましたかみたいなチェック欄を入れようということにはなっています。

 それと、今年度、消防と医療機関のほうにアンケート調査をとったのですけれども、まだまだ普及率が悪くて、消防の中で実際にこの「わたしの想いをつなぐノート」を救急の現場で見た方は1人しかいませんでした。改めて、救急の方に見ていただいたところ、「ぜひこういうものがあると救急でも助かる」というような意見もたくさんいただきましたので、もう少しこのような現場やいろんなところに普及させるということと、また、在宅以外にももちろん高齢者施設で亡くなる方も今非常にふえていますので、高齢者施設にも広げていきたいなと思っております。

 以上です。

○樋口座長 代理人と言ってしまうと、それはそれなりにイメージが違っていて、別に今、川平さんはそういうイメージで語ってないのかもしれませんけれども、一番最後に、何かの段階になって、おまえさん、代理人だよという話では本当はないのですね。木澤さんの話でも、ほかの先生も繰り返し言っているように、繰り返しこういうアドバンス・ケア・プランニングのような相談の機会に、必ずというのはちょっと言い過ぎかもしれないけれども、初めから参加してくれる信頼できる人というのがいたらいいねという話なのですけれどもね。そこのところの代理人に樋口と書いてあって、樋口はびっくりというのは、本当にそれは困ったことですね。済みません。余計なことを言いましたけれども。

 金子さん、どうぞ。

○金子構成員 金子です。

 これは御本人も当然ですけれども、特に御高齢の方の場合は、御家族がやはり鍵になるのではないかなと思います。御高齢の親御さんの声よりもお子さんの声のほうが大きいことも多いわけです。医療代理人は私も賛成ですが、医療代理人になり得るような年齢の方からの普及啓発が必要で、特に、男女差別的な言い方で申しわけないですが、例えば働き盛りで、ばりばりのビジネスマンの男性、人生の最終段階についてなど、介護や死別などの経験がないとおそらく考えるきっかけがない、そういう方のところにどうやってアプローチしたらいいのかということを考えたりしているぐらいに、難しいなと思うこともあります。ですから、広く伝わって、御高齢の親御さんの最後に対して自分が代理人になるかもしれない、なってしまったらどうしたらいいのだろうというような段階から始めていったらいいのかなあと思います。

 あと、信頼関係のある家族、これが一番いいのかもしれませんが、さまざまな家族がいますよね。御家族が大変仲が悪くて、患者さんの友人の方から、自分が医療代理人的な立場に立たされてしまって、どうしようというお話を伺ったことがあります。法律的にどうするという話ではなくて、彼女がしたことは、患者さん御本人の話を十分に聞きながら、患者さんと御家族の間の関係調整も同時にやってくれていると、お話を聞いていて感じました。それはきっとソーシャルワークということだと思うのですけれども、医療だけでなく生活内のあらゆる悩みや気がかりが、この段階の患者さんにもあるはずです。ACPには、そうしたものも含まれてくるということを伝えるのは難しいと思うのですけれども、幅が感じられるような、ちょっと含みを持たせた、決めつけないガイドラインがあるといいなと思います。

 

○樋口座長 町野参考人、どうぞ。

○町野参考人 参考人であるのにかかわらず申しわけありません。今、代理人の議論がありましたが、アメリカで尊厳死法ができたときからずうっと家族の役割というのは問題でした。延命医療の中止には家族の同意が必要であることが法律の中に規定されることもありました。実際に日本の医療の現場では、終末期医療に限らず、医療については家族の意向を聞いて進めざるを得ない。これはおかしいと言う人います。本人はこう言っているのだから文句ないではないかと、家族の意見なんか気にする必要はないというような意見もあり得ます。しかし、恐らくそれでは世の中は動かないし、日本の医療も動かないだろうと思います。やはり、家族的などのいるときはその意見を聞かなければいけないだろうと思います。しかし、それが果たして代理人という位置づけなのかというと、法律的にはそういうことではない。代理人と言った以上は代理人の意思が決定的になりますから、そういうことではないわけです。医療は、周りの人の意見を聞きながら医療を進行させるということだろうと思います。

 このような意味では、医療の現場で前から言われていたキーパーソンの考え方にむしろ近いということです。臓器移植のときに臓器提供の意思表示をするのは「家族等」となっていますけれども、では誰なのかというとそれは非常にわかりづらいというので、誰かそれをとりまとめる人がいて、それで決定すると。そういうプロセスをとるというのは厚生労働省のほうのガイドラインです。同じようなことがこちらにもいえるのではないかと思います。このようなことの位置づけで、家族の意向を考えていくのは、私は適切なことだと思います。

 しかし、これを法律等に規定いたしますと、現場ではかなりトラブルが起こります。フランスの尊厳死法は、医師が延命医療を注視するときに家族等の意見を聞くべきこととしていて、医師が、事故による脳障害のため4年以上にわたって昏睡状態にあった患者について、患者の兄弟姉妹などの意見を聞いて医療中止の決定をしたところ、裁判所は遠くに住んでいた両親の意見を聞かないで行うことは許されないとしました。家族等の意思を考慮すべきだという考え方の基本を示すことは大切だろうと思いますが、法律などで規定するなら、このような事態も考えなければなりません。

 もう一つ、先ほどのPOLSTのことです。

POLST ACPとがどのような関係にあるのかは、私もわからないでいました。しかし、もともとPOLST=Physician Orders for Life-Sustaining Treatmentは、前からのDNR=Do Not ResuscitateDNAR=Do Not Attempt Resuscitationの指示書と同様、医療の側からの延命医療対応であり、患者の意思のほうから出てきた、延命医療の中止を求める患者の権利としてのインフォームド・コンセント、リビングウィル、ACP=Advanced Care Planningという流れと並行して発展してきたものだと思います。POLSTへの流れはお医者さんのほうの裁量の範囲内で医療継続の是非を決定するというものだと思います。二つの流れは医師からか、患者からかという出発点においては違っていたとは思いますが、私は、両者をACPの中に組み込むという格好でいくべきだろうと思います。患者ばかりでなくて、医療のほうからも一緒にこれをやっていくということだろうと思います。

 日本集中治療医学会の倫理学会の報告というのがネットで見れるのですが、これは恐らく横田先生も関係していると思うのですけれども、DNARの日本での運用というのはかなり悲惨な状態にある。こういうところでPOLSTを安易に持ち込むことについては絶対反対するという意見のようです。医療の現場においてこのような声があることを考えるならば、今のような思想的背景と現場の実践とのことを考慮しながら進むということが必要ではないかと思います。

○樋口座長 ありがとうございます。

 松原さん、どうぞ。

○松原構成員 集中治療の話になるとなかなか難しいのです。我田引水に聞こえるかもしれませんけれども、昔、日本医師会でアンケートをとったことがあって、あなたは最終的な医療を誰に相談してほしい、決めてほしいですかと質問すると、意外とかかりつけ医というのが出てきまして、いつも診てもらっている先生に、家族とよく相談してもらって決めてもらいたいと。実際にやってみると、最後は先生が決めてくださいという話がよくあって、そういう中で、このACPをかかりつけ医も含めて常にやっていくということは非常に大事なことだと思っています。ある意味では、国民の皆さん、息子や娘は医学的なことはよくわからないし、嫁さんに決めさせるのはかわいそうだし、最後は、長いこと自分を診てくれて、自分の歴史もわかっていて、考え方もわかっているから先生決めてくださいという患者さんがかなりいらっしゃるので、そういったことも含めて考えてみると現実に即すると思います。。

 ただ、町野先生の、集中治療室で集中治療しているときのとちょっとレベルが違って、お年を召して、最後にどうしたらいいかという議論のときには、そういった方法を望まれるお年寄りというのはかなり多いということをお話ししたいと思います。

○樋口座長 ありがとうございます。もう一回、資料4というところへちょっと返っていただいて、上の段に、これまでの検討会でいろんな御意見をいただいたものをこういう形でまとめています。その上で、論点、これはなかなか絞り切れてないと思いますけれども、4つほど挙がっているのですが、この資料4についてはいかがでしょうか。

 清水さん、どうぞ。

○清水構成員 樋口先生がおっしゃった論点4つのうちの最初の「人生の最終段階だけでなく」という点ですね。それについて、先ほど金子さんもおっしゃいましたけれども、自分のことでなくても、自分の親のことというのは必ず出てくる話だと思います。先ほど教育の話もありましたけれども、私、東京大学にいたときに、昨年まで「死生学概論」というのを担当していたのですが、これは文学部でも一番人数が多い、200300名規模になりました。普通は102050かというところが、ほかの学部からもたくさん来る、非常に人気の授業でした。つまり、それだけ関心が高いのですね。

 若い人ですから、我々なんかに比べると自殺に関する関心が結構高いということがありますが、レポートを読んでいると、「自分の祖父とか祖母がこういう状態で亡くなった」と。それについて、「きょうの講義を聞いていたら、こういうことがわかって、もっとこのようにすればよかったと思った」とか。つまり、そういう意味で、若い人たちも、「人生の最終段階」という言葉を使うかどうかはともかく、そのことについて知っておくということが、自分の親とか祖父、祖母の世代に接して、死に向かっていくところを見るというところで、とても大事なことになると思うのですね。

 「人生の最終段階における医療の普及啓発のあり方」という言い方をしたときに、それはまさに普及啓発の中にはそういう一般の、自分にはまだ関係ないだろうと思っている人たちも、そうやって自分の親しい人とか肉親がそういう状態になるということはパーセンテージとしては結構あるので、大事なことだと思います。

 ただ、それを「ACP」と呼ぶかというと、先ほど私は、ACPというのは、「自分が最終段階になって、かつ意思表明できなくなったときのため」という限定がついているものですから(別の呼び方が良いと思います。)ただ、広く人生の最終段階についてのあり方ということを知る機会、あるいは最終段階になった場合のことを自分でよく考えて決めるということについても、差し当たっては自分のことでなくてもいいので、考えるような機会を提供していくというのは、この人生の最終段階における医療が進んでいくための大事なポイントではないかと思います。

 そのことに関連してもう一点だけ。先ほど少し出てきたお話につけ加えさせていただきますと、「遠くの親戚」というお話がありました。これは緩和医療学会ができたような90年代の後半ぐらいの時点を思い起こしてみますと、講演などで「遠くの親戚のおじさん」と言えば、医療・介護従事者は笑ったのです。つまり、何のことかわかったわけです。しかし、最近は、遠くの親戚のおじさんでなくて、これは、ある訪問看護の方に聞いたことなのですが、「遠くの長男、それから嫁に出た娘というのが危ないというか、昔の遠くのおじさんの役割を果たしている」と。つまり、それだけ核家族化が進んでしまって、おじさんではないのですよ。息子、娘。

 だから、それは先ほどの、親しい、ごく近い親族に該当する人たちが遠くに行ってしまっていて、よくわからなくなっていて、「できるだけのことはしてください」とかやるわけで、これはアメリカのニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスンのコラムに出ていたのですが、向こうでは「ドーター・フロム・カリフォルニア」と言うのだそうです。「カリフォルニアから来た娘」が、日本の「遠くのおじさん」と同じことをやるのです。だから、おじさんでなくて、向こうは娘だけれども、今や日本もそれに近くなってきたかと思ったのです。というわけで、ACPというところで、特に家族やなんかも入って考えていくということを考えましたら、その遠くの親戚というのが、今はもっと近いところがその役割になってきているので、より啓発が大事になってきているのではないかなということです。

○樋口座長 だんだん時間が少なくなってきましたが、いかがでしょうか。

 紅谷さん、どうぞ。

○紅谷構成員 紅谷です。

 私たちも、東京に娘がおりますと言われると、気持ちを引き締めないといけないなと思います。現場で本当にそう毎日思ってやっています。この普及啓発に関して、僕も前回からもずっと考えているのですけれども、2つ議論があるのではないかと思っていて、実際に具体的にどのようにACPを進めていくかという、松原先生がおっしゃった、限定していかないといけないではないかという議論、僕もそのとおりだと思う一方で、今おっしゃっているように、文化づくりといいますか、タブーではなくて、話していいんだというような雰囲気を国内に、国民に広くしていくというその部分とちょっと分けて整理していかないと、すごく幅広くなるなと感じています。

 前回出ていた学校教育の中でそれを教えるというのも文化づくりとしては非常に重要だなと思いますし、その延長では、今、清水先生おっしゃったような、例えば大学生の基礎科目の中にこういう分野が必ず、どの学部に進んでもあるようなものとか、今、生涯学習とか、高齢者が大学に入り直すような話もありますので、そういう場も利用できるのではないかと思ったり、先ほどの金子さんの話を聞いていて僕も思っていたのですが、企業研修みたいな形で、30代、40代の方が受けないといけない研修の中に入れることで、実は介護離職を予防することに話がもしつながれば、企業なんかも積極的にそういう研修をするみたいに、そういう仕掛けを、僕たちも、どうしたら健康教育が30代、40代に届くかというのは、認知症の話なんかでもそうですが、いつも課題に思っているので、そういうことを思っていました。

 もう一つは、もっと若い世代にと思ったときに、最初の第1回のときに鈴木さんがおっしゃったようにも思うのですけれども、SNSとか、ひょっとすると、今後、代理人は、私は、会ったことはないけれどもツイッターで仲のいい誰々ですというか、そういうことも起こってくるかもしれないとか、そのように考えていて、そうすると、そういうところにどのように呼びかけていったりするか。文化づくりになると、そのうねりというのはとめられなく、こっちで管理できなくなっていくところも含めてくると思うので、そこにはこちらの覚悟みたいなものも必要になると思うのですが、どこまで広げていくか。当然、テレビなどを使ったドラマとかバラエティ番組の中でそういうものを取り上げていただいていくというのも、非常に若い世代とかに、ふだん健康を考えない方にも、例えば芸能人の方の病気や死の告白というのは結構大きく伝わるなあという印象がありますので、そのようなマスコミを使うというのも大事かなと思います。

 あと1点、ちょっととっぴな発想かもしれませんが、「人生の最終段階のことを考える日」という国民の祝日をつくって、その日はみんな家でそういう話をしましょうというようなのはどうかなんてことを妄想しながら、きょうは飛行機で参りました。ありがとうございます。

○樋口座長 ありがとうございます。紅谷さんは福井県でしたよね。ちょっと自分のことを言うのも申しわけないのですけれども、私、きのう、スカイプ・デビューというのをしたのですね。台湾の大学に向けて東京から1時間半授業するというか、大した話はしてないのですけれども、そういう機会があって、いやいや、非常におもしろかったです。だから、ドーター・フロム・トウキョウ(東京にいる娘)も、福井県でのカンファレンスに、ACPに参加していれば、さっきのような話ではなくなる可能性だってありますよね。だから、こういう時代なのだから、祝日もいいですけれども、いろんなことを考えてみるというのはあっていいですね、本当に。

 時間が限られていますが、どうぞ、斎藤さん。

○斎藤(幸)構成員 各自治体では恐らく高齢者健診というのをやっていると思います。いろんなところで講座を開いたりお話をしたりするのもいいのですが、それは一定程度関心がある人が参加する場合が多いと思っております。そういうことを考えますと、全員に送付する、高齢者健診の個別通知を出すときに、こういう考え方があるんだよというお知らせパンフのようなものを1回は入れるとかいうのも1つかなあと思います。

○樋口座長 木村さん、どうぞ。

○木村構成員 手短に。全日病の木村ですが、こういう終末期のことについて、今まで全部お任せだったのを、自分の意思ということを大事にして、医療関係者もその方の意思を大事にしてやりますよというガイドラインができたわけですが、それを普及させるために、やはり医師の教育というのは絶対必要だと全日病では言っています。

 そしてもう一つは、そういうことを自分の意思で、自分の終末期は自分で決めるということが習慣づいてくると、ふだんの治療と医療というものも自分の、患者さんの意思を大事にしていくということになってくるし、それがさらに進んでいけば、自分の今後の生活とかそういうことについても自分の意思で決めていくという、そのような習慣ができていくのではないかと全日病では考えています。

 以上です。

○樋口座長 ありがとうございました。

 一応予定していた時間が近づいてきましたので、今日はここまでにして、次回以降この議論を続けたいと思いますけれども、特に10年前のいわゆるプロセスガイドラインについて少し検討してみようという話が今日は出てきましたので、今後もそれも続けて、全面的な見直しはできないかもしれませんけれども、ここで出てきたような御意見がどこまで入れられるか、考えてみたいと思います。

 最後に、事務局からどうぞ。

○堤在宅医療推進室長補佐 最後に1点、事務局から追加で、お手元の資料について御説明申し上げます。

 末尾にあります参考資料5についてでございます。こちらは、前回第2回でお示しした資料になっておりますが、2つ目の○の文章につきまして、赤字の箇所において御指摘を受けまして、本来の御趣旨に沿った文言への修正をしておりますので、以上、御報告とさせていただきます。

 次回の日程につきましては、追って御連絡させていただきます。

 以上をもちまして、第3回「人生の最終段階における医療の普及・啓発の在り方に関する検討会」を終了いたします。闊達な御議論、ありがとうございました。


(了)
<照会先>

医政局地域医療計画課 在宅医療推進室
TEL:03-5253-1111(内線2662)

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